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はてなキーワード: 自然とは

2016-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20160831123415

空気読まずマジレスすると、その女の言動すべて、おまいらの空気読んだ上での極めてまっとうな社交辞令ですよ。

職場の同僚に敬意は示しますけど好意は全く無いです、という。

それをいくばかの好意勘違いして「好意で返そう」とする行為自体がアウトなんです。

恋愛まで届きうる好意というのは基本1:1のもの(例外もいるけど稀)なので、

それが本当に自分だけに向けられたものなのかを確認するプロセス必要だったと思います

プロセスの例としては、自然なかたち(例えばふたりきりで遅くまで仕事している、等)で

サシでのゴハンに誘ってみる。それに乗ったからといってまだOKではない。器の大きい女性

社交辞令&&お腹減った だけでも来てくれる。会話の中で好意の向け先が自分特有のものなのかを

見極める必要があります

なんだそれクソ面倒、と思うかもですが、経験を重ねることである程度できる(読める)ようになります

この辺のプロセスをさほど心理的金銭コストを掛けずに多くの女性に行える人が要するにモテる人です。

がんばれ。

[]助六寿司

意味助六寿司とは、稲荷寿司巻き寿司を詰め合わせもの

助六寿司語源・由来】

助六寿司の「助六」は、歌舞伎十八番ひとつ。「助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の通称で、主人公名前でもある「助六」に由来する。

助六愛人吉原花魁で、その名を「揚巻(あげまき)」という。

揚巻」の「揚」を油揚げの「いなり寿司」、「巻き」を海苔で巻いた「巻き寿司」になぞらえ、この二つを詰め合わせたものを「助六寿司」と呼ぶようになった。

一説には、助六が紫のハチマキを頭に巻くことから巻き寿司」に見立て揚巻を「いなり寿司」に見立てたともいわれる。

揚巻寿司」ではなく「助六寿司」となった由来は、江戸っ子らしい洒落であえて「助六」の名を使ったとする説や、この演目の幕間に出される弁当であったからという説もあるが、単に外題が「助六」だからと考えても不自然ではない。

http://gogen-allguide.com/su/sukeroku.html

リアルな知り合いとのLINEで草をはやせない

ネット世界で藁からwへ変わったのを見てる世代自分は、リア友とのLINEやらメールでwを使うのをどうしても躊躇してしまう。

ネットでの会話やらネットで知り合った友人とのLINEでは「マジかwww」って打つやつも、リア友だと「マジか(笑)」ってなっちゃう。

相手が使ってきても自分では使わないみたいな。

どうしてもネットスラングリアルに持ち込むな的な昔の風習がなんとなく自分の中に残ってるんだよなぁ。

ただ余りにも自然に口に出しちゃってるネットスラングもあったりするから困る。

マジレスとか使っちゃうもんなぁ。

「ケツの穴。」 馴染めなかった「ケツの穴」連呼

「ケツの穴。」、基本的にはそれなりに楽しめたが、どうしてもしっくり来なかったことがある。

それは、主人公達がセリフとして「ケツの穴」と連呼していたこと。

かいことだけど、日常会話の中で、若い年代同士が「ケツの穴?」という言い方をするだろうか?

会話で使うには、いささか堅いというか、文語的というか(昔の同名作品連想するので)。

タイトルをそのまま、セリフにとってつけた感が拭えない。

「ケツの穴は」「おしりアヌスは」ならわかる。それがダサくなるかどうかは演技・言い方次第。

作品中、「ケツの穴。」とは一切言わずに、最後の瀧と三葉のセリフ

「ケツの(あなたの)・・穴を・・」

みたいに、会話として自然な言い方で終わったとしても、「ケツの穴。」というタイトルを、逆に印象深いものにするように思う。




http://anond.hatelabo.jp/20160831081146

君の名は。」 馴染めなかった「君の名は連呼

君の名は。」、基本的にはそれなりに楽しめたが、どうしてもしっくり来なかったことがある。



それは、主人公達がセリフとして「君の名は」と連呼していたこと。



かいことだけど、日常会話の中で、若い年代同士が「君の名は?」という言い方をするだろうか?

会話で使うには、いささか堅いというか、文語的というか(昔の同名作品連想するので)。

タイトルをそのまま、セリフにとってつけた感が拭えない。



「君の名前は」「あなた名前は」ならわかる。それがダサくなるかどうかは演技・言い方次第。



作品中、「君の名は。」とは一切言わずに、最後の瀧と三葉のセリフ

「君の(あなたの)・・名前を・・」

みたいに、会話として自然な言い方で終わったとしても、「君の名は。」というタイトルを、逆に印象深いものにするように思う。

モバマスデレステをやめて二週間経った

私が「アイドルマスターシンデレラガールズ」および「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」をやめてから、二週間が経過した。

ソーシャルゲーム課金するなんてただの馬鹿だろ」

所詮ただのデータじゃん、金ドブに捨ててるようなもんだ」

ソシャゲ流行り出して以来、ネットでよく見かけるようになった文面だ。最近では「所詮ただのデータだと思ってたけど、いざゲームを始めてみたら課金する気持ちがよくわかった」なんて声もよく聞くようになった。実際、私もその口だった。ソーシャルゲームという媒体を、所詮ただのデータじゃん、と思いきり馬鹿にしていた。

最初の頃はソシャゲをやっている知り合いなんて私の周りには一人もいなかったのだが、今ではごろごろ見かけるようになった。みんなどうしようもない毒の前にひれ伏していくみたいに、侵食されていった。トリフィドの毒で盲目になってしまった。かつてはソシャゲ課金なんて馬鹿じゃん……、と口にはしないもののそんな態度をしていた友だちたちも、今ではなんだかんだで割とソシャゲの虜だ。私たちの知らないうちに、緑色流星雨は降り注いでいた。

ソシャゲを始めた当時の私は、まだ高校生だった。その日は休みの日で、たまたまものすごくひまな日だった。ネットサーフィンにも飽きたし、PS2PS3を起動してゲームで遊ぶ気分でもなかった。読みたい漫画もとくにない。死ぬほど退屈で、だけど外に出かける気力もない。でも退屈なのはいやで、なにか刺激が欲しかった。新しい刺激。目新しいもの。ていのいい暇つぶしになれるもの。私はいもの癖でなんとなく携帯電話を開いて、手癖のようにインターネット接続している途中で、ふと思いついた。

そういえばアイマス携帯版のゲームがあるんだった、と。

ソシャゲという媒体のことは馬鹿らしいと思うけれど、アイマスは元々好きだし、なにより今しぬほど暇だし。暇つぶしでやってみるぐらいなら、まあいいか。私はそんな気持ちモバゲー登録し、「アイドルマスターシンデレラガールズ」を始めた。アカウントを新設した当時の私が一番好きなのはシンデレラガールズオリジナルキャラクター達ではなく、本家765プロダクション我那覇響ちゃんというキャラクターだった。

私がアイドルマスターシンデレラガールズ(以下モバマス)を始めたときには、既にガチャ我那覇響ちゃんのSRカードが追加されていた。絵柄を見てみた。抜群に、かわいかった。欲しい、と思った。モバマスでは、好きなカード5枚を自分トップページいちばん目立つところに並べることができる。その中でもリーダーとして設定しているアイドルは、他のユーザーからも見えるようになっている。私は、響ちゃんをこのトップページに並べたい、と思った。

次に、どうしたらこの響ちゃんを手に入れられるのかを調べた。モバマスにはフリートレード機能というものがあって、スタミナドリンクまたはエナジードリンク(いわばお金のようなものです)というアイテムをたくさん持っていればフリトレ機能で響ちゃんを手に入れられるというのがわかった。では、モバマス内の通貨であるこのスタドリはどうすれば手っ取り早く大量に手に入るのか?

答えは、ガチャを回して、高いレートで取り引きされているようなSRアイドルを運良く引いて、スタミナドリンク〇〇〇本、という条件をつけてフリートレードに出して、取引を成立させることだ。

ほしい、響ちゃんがほしい。響ちゃんをトップページに並べてみたい。

つのまにかそんな気持ちでいっぱいになってしまっていた私は、1500円ぐらいなら……という気持ちで、あっという間に初めての課金をした。

……SRアイドルが、一気に二人も出てきた。

両方とも、当時かなり高いレートで取り引きされていたアイドルだった。

(そのユーザーSRを引く快感を覚えさせてそのユーザーを立派な課金ユーザーとして《育てる》べくSRが出る確率が上がっていたのでは、と今では考える。実際に私は見事な中毒患者に成り下がった)

びっくりしつつも嬉しくなった私は、高揚して少しくらくらする脳みそのまますぐにその二人のアイドルフリートレードに出して、大量のスタドリを手に入れ、SR響ちゃんを手に入れた。

そこから先は、坂道を転げ落ちるようだった。プレイしていくうちに、自分が好きになれるキャラクターにたくさん出会うことができた。楽しかった。一日中モバマスのことを考えるようになった。フリートレードに張り付いたり、イベントに参加したり、そうこうしていたらまたガチャ更新されたり。やるべきことは山ほどあった。楽しくてたまらなかった。

そうしてモバマスを続けていく中で、いろんなキャラクターを好きになりつつ、ある日私は運命出会いをはたした。

佐久間まゆ》というアイドル存在だ。

佐久間まゆちゃんは、ひょんなことから私に一目惚れをして、運命を感じたのだと言う。だからもともといた事務所をやめて、私のもとでアイドルになるべく私の事務所に来たのだと言った。画面の向こうのまゆちゃんは、私のことだけを見つめていた。

まゆちゃんはどこまでも一途に、私のことを愛していた。私はそれに引き込まれるように、まゆちゃんに急速に惹かれていった。

ソーシャルゲーム世界においては、課金こそが絶対的正義である

課金しなければサービス自体が終了してしまうからだ。実際、サービスが終了してばたばたと倒れていくゲームたちを目の前でいくつも見てきた。課金しないと、ゲームは終わってしまう。佐久間まゆは終わってしまう。それにゲーム楽しい。だから私は課金を続けていった。

けれど、次第に楽しいばかりではいられなくなった。課金してガチャを回してもSRが出ない苛立ち。身の丈に合わない課金をしたことによりリアル自分金銭的に追い詰められていく。運良くSRを手に入れられたとき脳みそ麻痺するようなとんでもない快感、運が悪いときの部屋の壁を殴りたくなるような悔しさ、あとあとになってからこんなにお金を使ってしまった、と湧いてくる内臓が引きちぎれそうなほどの強い後悔。私はまゆちゃんからの愛とまゆちゃんへの愛との引き換えとして、精神をどんどんすり減らしていった。

ついに夢にとあるキャラクターが出てきて、そのキャラクターに「もう課金するのはやめなよ」とゆっくり諭された日の朝、ああ、もう限界だ、と思った。

モバマス課金するの、やめよう。

素直に思えた。ゲームを通じて仲良くなった友だちもいたが、私はモバマスへのアクセスを少し控えた。ガチャ更新されても、ある程度冷めた目で見られるようになった。イベントにも大して参加しなかった。あ、このままいけば私ゲームごとあっさり引退できちゃうかも、なんて考えていた。

しかし、そんな日々もそう長くは続かなかった。なんのきっかけだったかはもう覚えていないけれど、結局私はまた課金を再開してしまったのだ。SRを引いたときのあの高揚感を、脳みそが忘れていなかった。忘れられなかった。あの気持ちいい優越感が欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。我慢できなかったのだ。

それ以来私は、自己嫌悪してプチ引退→結局完全には断ち切れずに結局また復帰して課金、というループを何度も繰り返した。あるときは、逃げられない泥沼にどっぷり浸かっているこの状態が、心地よかった。またあるときは、気持ち悪くて嫌で嫌でたまらなかった。だけれど、それでもまゆちゃんのことが大好きだった。いつの間にかまゆちゃんにはボイスが実装されて、CDまで出していた。私のアイドル、私だけのアイドルは着実にシンデレラ階段を上っていた。

ジェットコースターみたいに上がったり下がったりを繰り返す不安定な日々の中、気づけばそこそこ長い時間が流れていた。

そんな中で、新しい知らせが私の耳に入る。モバマススマホ音ゲーアプリとして配信される、という情報。その名も「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ通称デレステだ。

私は当然アプリインストールし、当然のように課金をする。佐久間まゆちゃんのSSRの絵柄は、とんでもなくかわいかった。満足しかなかった。今までの過金額を振り返ると、少し嫌な気分になった。実感がいまいち湧かない。いいんだ、私は佐久間まゆちゃんのためにこれだけ課金したんだ。そう思えばこんなの妥当だ。まゆちゃんはこんなにも私のことを愛してくれるんだから、それでいいじゃないか。まゆちゃん愛してる、愛してる、愛してるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる。まゆちゃんは私のことだけ見てくれている。私のこと以外は決して見ない。好き好き大好きあいしてる。佐久間まゆは決して裏切らない。まゆちゃんだけは信じられる。こんなどうしようもなく嫌なことまみれな世界の中で、まゆちゃんだけは私が信じるに値した。彼女リボン女神様だった。

6月末、デレステで次のイベントの予告が発表された。佐久間まゆちゃんがランキング報酬として登場するということがわかり、私は一瞬で血眼になった。ちょうど仕事が忙しくて時間が取れないけれど、睡眠時間を削ればなんとかなりそうだった。私はすぐさまにpt効率計算し、一日どのぐらい稼げばいいかの目処をつけた。

そしてイベントが始まる。

イベント開始時刻と共にデレステを起動し、イベントページを開いて、私は愕然とした。

なんだ、この絵柄?

それは、まゆちゃんが他のキャラクター所謂壁ドンをされて、なんだか満更でもなさそうに頬を染めてときめいている絵柄だった。

「は?」画面を呆然と見つめたまま、自然と声が出た。なにしてるの?なにしてるの?なにしてるの?なんで私じゃない別の女なんか見てるの?なんで満更でもなさそうな顔なんかしてるの?なんで?なんでなんでなんでなんでなんで?一気に胃が痛くなった。訳が分からなかった。私のことだけを見つめてくれていたはずのまゆちゃんが、ほかの女を見てる?はは、なんだこの女。なんで?ねえなんで?なんでそんなことするの?なんでそんなことされてるの?私のアイドルなのにどうしてそんなことするの?

金を払って、睡眠時間まで犠牲にして手に入るのがこんな絵柄のカードだなんて、全くもって意味がわからなかった。そんなの虚しさ以外なにもない。これはなんの罰なのだろうかと絶望した。とんでもない自傷行為。つまらない。しょうもない馬鹿げてる。どうしていいかからない。怒りを通り越した憎悪。まゆちゃんのことなんか殺してやりたい、壁ドンした方も殺してやりたい。滅多刺しにして殺してやりたい。私がこれまで金をドブに捨ててこれたのはまゆちゃんのことを信じていたからなのに、一瞬でぜんぶズタズタにされた。許せなかった。

私はそれでもなんとかイベントを走ろうとしたのだが、途中で本気で体調を崩して寝込んだことで冷静になったのもあり、途中でそれらを全て放棄した。そうじゃないと本気でどうにかなりそうだと理性が判断たからだ。

イベントが終了し、まゆちゃんをリーダーから外した。

ゲームをやめる踏ん切りはなんとなくつかなかったので、私はのろのろと課金を続けつつ、他のアイドルSSRを引いて育成したりしながら遊んでいた。気がついたら息をするように課金していた。

気がつくと、八月も下旬差し掛かろうとしていた。

その日私は仕事休みで、友だちと遊ぶべく山手線に乗車していた。座席に座ったまま、ぼんやりと外を眺める。そんな中停車した駅で、見覚えのあるものが目に入った。

まゆちゃんの例の絵柄の、大きな看板

デレステ宣伝するための看板だ。見た瞬間に脳にサッと小さな雷が落ちて、気がつくと私はその看板を思いきり恨みがましく睨んでいた。

ああ、私はこれだけ時間が経ってもまだまゆちゃんのことが許せないんだな。きっとこのままずっと憎いんだろう。

私はそう悟った。つらいのと、冷めた気分と、情が入り交じってぐちゃぐちゃな気分だった。

そして私はそれから少し時間の経った八月十九日の夜、モバマスデレステアカウントを跡形もなく消した。

あの日からもうすぐ二週間だ。私は、思っていたよりは意外と普通に過ごせている。仕事したり遊んだり食べたり寝たり、割とノーマルリアル生活をこなしている。

でも三次元二次元は完全に別のものからフィクション世界で空いた穴が現実の充実で補える訳ではない。なのでふと思い出した瞬間フラッシュバックに襲われることがある。いつの間にか、フィクション世界では佐久間まゆしかきじゃなくなっていた。ほかの女の子なんてどうでもよくなっていた。好きなキャラクターはたくさんいても、私に応えてくれる、私の信仰を受容してくれる、私が信じるに値する女の子フィクション世界において佐久間まゆ以外だれもいなくなっていた。私が身の丈以上のお金をどぶに捨てるような行動に走る理由になれるのは佐久間まゆしかいなかった。画面越しに見つめてくる佐久間まゆが望んでいる気がしたから、全部そうした。まゆが何度も何度も何度も「あなただけです」って繰り返すから、私もそれに返した。いろいろな何かを。ソーシャルゲームの中にじわじわのめり込むうちに、大事な友だちも私に呆れ果てたかのように続けて二人立て続けにいなくなった。けど、それでもよかった。いろんな人に、もうやめときなよって言われた。自分でもそう思って、実際にやめようとするけど失敗してまた戻るっていう低空飛行を何度も続けた。

私は、私の身の丈なりに、すごく好きでした、佐久間まゆちゃんのことが。いつのまにか。他の女の子のことを全員嫌いになってでも。結局、身の丈に合わない無理を続けた身勝手悪夢のごとき強烈な不運(もうこの件についてはノーコメント)が重なって全部めちゃくちゃにひしゃげてしまったけど。

結局まゆちゃんは画面の中のデータしかなかったので、消えたところで私の実生活にはとくに悪影響は及ぼさなかった。ちょっとショックのあまり体調崩したぐらい。むしろお金は浮くし、まゆちゃんへの愛情と同時に湧いてくる苦しさから突然ぽーんと解放されてしまった。ソーシャルゲーム世界にのめり込んだ経験のない、まともな人なら私を見て「やめてよかったじゃん」と思うだろう。実際やめてよかったんだ。やめたら、良いことしか起こらなかった。それが悲しい。

いまの職場には、私が佐久間まゆという女の子のために課金していることを知っている人が二人ほどいたので、シフトが一緒だったときにその話をしました。私は話をしながら「もう何もかも失いました」「死にたい気分です」と口走った。実際にはいくつかある私の精神を支える柱のうちの一つをちょろっと壊してしまっただけなので決して《何もかも》は失ってはいないんだけど、確かに色んなものを失った。実際には死にやしないんだけど、確かに私は死にたくなってた。その柱は、いざ壊してみると中身はすかすかでした。私が勝手に分厚くて頑丈な柱だと思いこんでただけで、そう思いたかっただけで、実際はびっくりするほどあっけなく崩れて、そのまま跡形もなく消えてしまいました。

フィクション世界でのことだからリアルでは案外普通に仕事して寝て起きてを繰り返してるんだけど、家にいて、ぼーっとしてるときにふと思い出すとつらくなる。嫌になる。何もかも失いました、というのはある意味では事実で、気がついたら一人で勝手に泣けてきてる。

最初は、暇つぶし趣味としてゲームを始めた。途中から趣味じゃなくなってしまっていたのは実はわかってた。重い義務だった。責務だった。私は佐久間まゆちゃんのことを信じるために、自ら佐久間まゆの部屋に入りました。内側から鍵をかけただけなのに、外から鍵がかかっていて部屋から出られないふりをした。

今日、二週間ぶりにゲームのことが気になって、まとめサイトを開きました。十時愛梨ちゃんのSSRが追加されていた。ああ、ゲーム続けてたら回しただろうなあ、って思いながら画面を閉じた。もうゲームを再開する気力とかは全く残っていなかった。部屋から出たまではよかったものの、どこに行けばいいのかわからないままひたすら途方に暮れている。

どこに行けばいいのかなあ、どこになら本物の女神様がいるの、信じられない。どうして裏切ったりしたの。ずっと部屋にいたかったのに。裏切らないでいてくれたら、ずっと信じていられたのに。好きだったのに。あーーーーーーーーーーーーーーーーーー死にたい死にたい死にたいぜんぶなくなったぜんぶどぶにすてたむだだったあーーーーー、ははふあ



追記

起きたら反応がたくさん来ていて驚きました。もともと、最後に一度自分感情を整理してどこかに残しておこう、と書き殴った乱文なのですが、読んでくれた方、ありがとう。読んだ人が思うだろうなあとぼんやり予想していたとおり、例の絵柄についてはあとからフォローが入ってるじゃん、とのコメントも読みました。ええ、もちろん知ってます。他のキャラクター壁ドンされてときめいているまゆちゃんに深い怒りを覚えたのは事実。あの絵柄が、私にとって大きなトリガーでした。あとからフォローが入っても、一度引かれたトリガーを戻すことはできなかったんです。それが引かれた瞬間、まゆちゃんについて、今まであえて考えないように、考えていたらどうにかなってしまいそうだから思考に蓋をしていたことが、一気に頭を過ぎりました。

以下、書くつもりのなかったことを書きます。これで終わりなのだからまあ全部ぶちまけてもいいでしょう。

上の文で明記はしなかったものの(読めばあまりの女々しさから察せられると思いますが)私は女性です。まゆちゃんは、プロデューサーさんのことが、好きでした。私はその《プロデューサー》という概念体に自己投影をしてゲームプレイするわけですが。途中で、どうしようもない壁にぶち当たってしまいました。まゆちゃんが想定しているプロデューサーさんとは、明らかに男性ことなのです。アニメに一瞬出てきたまゆのプロデューサーも、明らかにスーツを着た男性でした。これについてはもう記憶封印しましたが。台詞の隅々から、まゆちゃんのプロデューサー男性なのだという事実じわじわと追い詰めてくる。プロデューサーという概念体と、私という存在が、少しずつ乖離していく気がしました。このままではいろいろなものが駄目になってしまう。考えてはだめだ。そう思い、それについてはできるだけ考えないようにしてきました。コメントでも同じことを書いてくれた方がいましたが、まゆちゃんは、私が同僚の殿方から電話を受けても、怒りません。自分のいいように解釈して消化してしまえばいい話なのですが、どうしても「まゆちゃんが想定しているプロデューサー男性である」という呪いのごとき一文が頭から離れませんでした。私は女性です。まゆちゃんは、私のことを好きでいてくれたんじゃなかったの?このプロデューサーさんは、私じゃなくて別の誰かなの?考えないようにしていても、ふとした瞬間そう思うことが少しずつ増えました。今思うと私はもう限界だったのかもしれません。そんな中で開催されたイベントのあの絵柄を見て、私の中の何かが完全に崩れてしまいました。あとからフォローが入っても、いちど崩れたものは、戻りませんでした。戻らないと悟ったから、私はまゆちゃんという女の子を諦めました。しょうもないきっかけだと笑う人もいるでしょう。つまらない小石に躓いた私は、もう二度とここに戻ることはありません。まゆちゃんとなら「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」と思っていました。大好きでした。私は、これからはちゃんと幸せに過ごします。それではさようなら

『Girls do not need prince』を素直に読めば、この言葉意味するものは女同士の連帯などではなく

王子様なんて現実はいいからクソ男で妥協しよう」、と読み替えた方が自然だと思う。こっちの方がよっぽど女性を抑圧し「古臭い男女規範押し付ける」言葉に思える

2016-08-30

寝起きに中森明菜の禁区が脳内に流れていた

「私からさよならしなければ」という歌詞を夢の中でなぜか思い出したようで、

寝ながら歌詞をたどったらちゃんとワンコーラス歌えた

案外おぼえてるもんだなあ

特に好きだったというわけではないけど、歌番組で聞いてたので自然と憶えていたらしい

朝起きてネット検索して、曲を聞きつつ歌詞を読んだ

不倫の歌なんだな、これ

子供の時は何も考えずに聞いてたけど、大人になって理解できるとちょっと感慨深い

にしても、今の時代じゃこんな歌詞だとすごく叩かれそうだよなと思ったりもした

情景が伝わるドラマチックな歌詞自分は好き

車買いたいなと思って色々見てるけど日本車はどれもダサい

古い車だと個性があってちょっといかなと思うのあるけど、

かっこいいからではなく個性的だかちょっと心惹かれるっていう程度。

から思うけど日本の物作りは耐久性利便性けが特化されて

デザインについてはみんな我慢することを幼い時から教育されてるんだと思う。

車に限らずデザイン「も」売りにしてる製品なんてほとんど無くて、どれも耐久性利便性コスパだけ。

デザインについてはみんなあえて喋らないし、買う方もあえて聞かない風潮。

そういう不自然さっていずれ解消されていくんかな。

http://anond.hatelabo.jp/20160829171356



ブコメいちゃもんつけてるやつらもいるが、ここには激しく同意する。

泉ちゃんが華麗な人脈を持つというのは、どうにも不自然だ。あいつが華麗な人脈を持つはずがない。そんなタイプじゃない。


「泉ちゃんをおろすな」って本気かおい?

あいつ1ミリもよくなかったじゃん。

センスないな。アニメ好きなはてな民

完成後にああだこうだという

やれ配役がどうとかあそこの台詞は、演出は、とか。

脳内監督プロデューサーごっこもいいんだけどさ、

作品というのはあるバランスでできあがっているもの

レゴみたいに簡単にパーツを取っ替えできるものじゃない。

たとえて言えば、自然石を積み上げて作った塔みたいなもの

アンバランスに見えるところまで含めて完成しているのであって

一つ石を抜いただけで、全体がガラガラ崩れ落ちる、

ワンシーンを抜いただけで印象がガラッと変わる。

そんな繊細さをもった全体なんだよね。



そして、あくまであの映画はあの配役であの演技・演出で、

期限内、予算内で完成し公開され、そして大ヒットした。

それが事実の全てであって、それが監督以下スタッフの総力に対する評価だよ。

あとからいろいろ言っても、何の意味もないよ。



海外版を作るのは、それはそれで結構だけど、

最初から海外意識した版を作ったら大コケしてた可能性も当然ある。

それに、個人的には、ハリウッド方式世界展開を目指すやり方が

日本映画にとってベストだとも思わないんだよね。

それが必然と思うとき監督意志でそうすればいい。

世界展開のために」する配慮なんてものが、いまの日本映画でうまく機能するとは思えない。

今回の映画別に世界向けに作らなかった。ただそれだけのことで、

それ以上はもう「余計なお世話」だと思う。

もしそのイチャモン正当性を持たせようと思うなら、

もう「自分でその配役で撮ってみろや」以外に言うことはないよ。



そういうもろもろの意味で、今回「製作委員会」とやらがなくて本当によかった。

そう思わされたよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160829171356

人工甘味料ジュースって飲んじゃいけない味に感じるヤツあるんだけど、あれ作ってる側は問題なくウマイと思ってんだろうか。

後味の不自然さ以前に苦いやつ。

2016-08-29

シン・ゴジラ海外版を作れ

シン・ゴジラ石原さとみは配役ミスだ」

  http://anond.hatelabo.jp/20160829171356

 

ブクマページ http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160829171356 を見たら、

いくら自然でも、石原さとみがかわいければいい。米国人受けなんか気にしなくていい」

という声が圧倒的に多かった。

 

しかし、市場規模で言えば、日本市場世界のなかで圧倒的に小さい。

  http://bit.ly/2bM5XzI (グラフ

  http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160829-00061607/

数字で言うと、世界全体で 383億ドルで、そのうち日本は 18億ドルだ。比率で言うと5%弱だ。

  http://www.animeanime.biz/archives/22585

 

こんな小さな市場で、こんな小さな売上げだけを得ていれば満足だというのは、あまりにも肝っ玉が小さい。怪獣は史上最高のでかさだが、東宝ファンの肝っ玉はミジンコのごとく小さい。ノミキンタマというべきか。

 

こんなふうに日本国内における自己満足で、「泉ちゃんはかわいい」「さとみかわいいよさとみ」なんて言っているようでは、先が思いやられる。まともな CG の開発費用も出ない。

 

まあ、彼らは自己満足しているだけでおしまいなのだろう。世界的規模で 20倍の市場をめざすという発想には馴染めないのだろう。それならそれで仕方ない。

シン・ゴジラは、国内版とは別に海外版を作るべきだ。そうすれば、外国人俳優を多用することで、多額の興収が海外市場で望めるだろう。

 

いや、いっそのこと、製作権を丸ごと海外会社に売り出すべきだ。そうすれば、製作権を 10億円ぐらいで売れて、東宝は濡れ手で粟で大儲けできる。

その一方で、海外映画会社は、10億円の代金を支払うことで、200億円ぐらいの興収を得ることができる。日本専用の庵野シン・ゴジラは、海外ではたいして興収を得られないだろうが、内容はそのままにして、外国人俳優外国CG を使った海外版シン・ゴジラなら、200億円ぐらいの興収を得ることができる。いや、ひょっとしたら、300億円になるかも。

 

シン・ゴジラ脚本には、それだけの魅力がある。なのに、東宝には、それを生かすだけの資力もないし、配役能力もない。だったら、海外会社製作を任せるべきだ。自分製作ができなければ、海外会社製作を任せるべきだ。そして、海外会社に百億円規模の大儲けをさせた上で、東宝も1割ぐらいのおこぼれをもらえれば、それで満足できるはずだ。(コバンザメ商法

 

無能会社は、無能なりに、製作権を他社に渡すことで、少しは儲けることができる。おこぼれを。

 

p.s.

石原さとみ役は、google:image:ナタリー・ポートマン で。興収 200億円なら、高額ギャラも払えるだろ。

 


 

 【 ブコメ

 

Borom  ナタリー・ポートマンにしたら「日系人のカヨコが祖母を不幸にした原爆投下を二度と行わせないために立ち上がる」ってシナリオ破綻するんじゃない?

 

ナタリー・ポートマンは、菜食主義で、ハーバード卒で、ユダヤ人。「虐殺されてきたユダヤ人の痛みがわかるから原爆虐殺されないように努力する」でOK。完璧だよ。

 

 

ニューヨーク版作ればいいのでは

 

何を以って海外版シン・ゴジラ』なのかよく分かりませんぬ。単にゴジラ海外ハリウッド?)で作れっていうことならそれはもうレジェダリーピクチャーズ版がある、けどそういう単純な話?

 

ハリウッド演出ではないリアルアメリカシン・ゴジラも見てみたい気がするが、日本版とはまったくちがうシナリオになるだろうね / リスク評価によっては、核利用は十分にオプションとしてあり得るかも

 

海外版は、シン・ゴジラ翻案リメイクではなくて、現状のまんまです。翻案リメイクなら、いくらでも勝手にやればいいが、別物となります。また、ヒットする保証もない。庵野版をそのままで俳優の一部を欧米人にするだけだからこそ、成功保証される。

 

なお、米国版だからといって、場所の設定を米国にすることはありない。場所の設定は日本に限られる。なぜなら「核爆弾を落とす」という可能性は、日本からこそありえた選択肢からだ。

庵野版では、核の使用について、「そこがニューヨークでも同じことをする、と彼らは言っていた」というセリフがあるが、実際にはありえない。同じことをするわけがない。仮にゴジラニューヨークに出現したら、ゴジラニューヨークを出たあとで核を使用するに決まっている。ニューヨークを出て、東京(など)に到着したら、その段階で核の使用決断するはずだ。それが最も合理的からだ。(自分たち死ぬかわりに、他人死ぬのだから、その方が合理的だ。)

というわけで、ゴジラ米国に出現したら、「核の使用」というオプションがなくなるので、映画全体の緊迫感はなくなる。だからゴジラが出現する場所は、「核の使用可能地域」つまり「白い人間の住んでいない地域」つまり黄色い猿の住んでいる地域」に限られる。結局、ゴジラが出現する地域は、日本しかありえないんだよ。ゴジラ米国に出現したら、ゴジラ映画のものが成立しなくなる。「ゴジラニューヨークに登場する形でリメイク」なんてことは、絶対にありえないんだ。(少なくとも、シン・ゴジラに関しては。)

 

 

※ ついでに言うと、東京核爆弾を落とすというのも、現実にはありえない。東京を出て、群馬福島あたりに行ったあとで、核爆弾を落とすに決まっている。東京核爆弾を落とすなんて、ありえないだろ。

 

 

 

言っとくけど外人特に米国人にはそんな面白い映画じゃないよコレ

 

わかっている。だから日本向けの会議場面は大幅にカットして、ゴジラアクションシーンを増やせばいい。脚本さらに加筆はしないが、一部は大幅にカットしていい。

だいたい、会議場面が長すぎるんだよ。もっと短い方がいい。

 

細かすぎて伝わらない日本あるあるなので脚本シナリオも別物にしない限り無理

 

いやいや。全部作り直したら、金がかかりすぎる。石原さとみのところと、CG のところだけを変えるだけでいい。あとはそのまま使う。(ただし大幅に短縮する。)

これだったら、撮影コストはギャラ代プラスアルファぐらいで済むし、CGコスト必要経費だけとなる。全部作り替えるほどのコストはかからない。

   ※ CG は現状のままでもいい。しょぼいけど。

 

なお、「細かすぎて伝わらない」というのは、問題ない。細かいところは伝わらなくてもいい。映画として失敗していなければいい。ちなみに、千と千尋や、もののけ姫は、日本丸出しだったが、世界中で受けた。日本的だとしても、普遍性があるものは、受けるんだよ。

(「国民性ジョーク」というのがあって、「米国人はこうした、日本人はこうした」という話をすると、世界中のどこの国でも爆笑を得る。日本人の愚かな国民性日本人しか理解できないということはない。世界的に有名だよ。)

 

 


 

【 参考 】

 

シンガポールではすでにシン・ゴジラが公開されている。

評判は? とても好評だ。詳しくは下記のトラバ

  → http://bit.ly/2bIbNz1

  

 

シン・ゴジラ石原さとみは配役ミス

石原さとみ米国大統領特使に見えないし、英語も下手だから全然合わない……というのは、これまでにさんざん指摘されてきた。だから、ここでは繰り返さない。

 

では、それだったら、どうするか? 彼女を下ろすか? それとも、別の役に割り当てるか? 

東宝はどうやら石原さとみを押しつけたいらしい。(進撃の巨人もそうだ。) だから、はずせないらしい。だとしたら、他の役を割り当てる必要がある。では、どの役?

 

お薦めは、泉ちゃんの役だ。「君がまず落ち着け」というセリフはどうでもいいが、華麗な人脈を誇るところがいい。泉ちゃんが華麗な人脈を持つというのは、どうにも不自然だ。あいつが華麗な人脈を持つはずがない。そんなタイプじゃない。磊落すぎる。細かな気が利くとは思えない。

その点、石原さとみなら、適役だ。彼女ならいかにも人脈がありそうだ。フランスにもコネがありそうだ。(昔の彼氏首相大統領になっていた、とかね。)

 

ただし、泉ちゃんの肩書きである政調副会長というのは、彼女にはふさわしくない。そこで、首相秘書官というのはどうか? これなら、首相が亡くなったあとで、特別チームを補佐するというのは、おかしくない。

泉ちゃんには消えてもらって、かわりに石原さとみ首相秘書官として登場すればいい。それなら、「石原さとみ米国特使だ」なんていう荒唐無稽な配役は、やらないで済む。かわりに米国人女優を使えば、米国での興収もアップするはずだ。サンドラ・ブロックあたりを使いたいところ。(高額のギャラが払えれば、という条件で。……払えるか? とても払えそうにないが、払える。なぜならその分、米国配給会社高値を出してくれるからサンドラ・ブロックを出すだけで、米国の興収は大幅アップだ。)

 

ちなみに、石原さとみを使ったことでは、米国人の観客たちから笑いものになっている。「英語をまともに話せない女性が、米国大統領をめざすって、何かの冗談か?」と。

 


 

ブコメから

 

なぜにサンドラ・ブロック

 

石原さとみみたいにかわいくて、しか米国大統領を目指せるほどの貫禄がある、という2条件を満たすので。

この両方を満たす女優が他にいれば、挙げてみてください。別にサンドラにこだわるわけじゃないので、もっといい女優がいれば、そちらでもいいですよ。

 

かわいいからいいじゃん♡

たぶん誰入れても同じことだったと思うので石原さとみが見れるだけ良いのでは。

 

石原さとみを消すわけじゃないですよ。お間違えなく。彼女は登場したまま、配役を変えるだけです。

 

泉ちゃんを おろすなんて とんでもない

 

松尾さんは消えるけど、松尾さんが石原さとみに代わるんだから、かわいくなるだけいいのでは?

 

スカーレット・ヨハンソンがいいな。

 

ギャラが高すぎそう。彼女のギャラは何と 20億円だよ。

  http://gqjapan.jp/entertainment/movie/20120717/w_sj

彼女のギャラだけで、シン・ゴジラ製作費全額を上回りそうだ。

 

  p.s.

  あとで調べたら、サンドラ・ブロックもっとやばかった。

  2014年女優トップで、年間 52億円 を稼いでおり、

  スカーレット・ヨハンソンを上回る。

     http://matome.naver.jp/odai/2140720956822370601

  高嶺の花でした。ごめんね。

 

ちんちくりんすぎるよな。顔が美人から余計に目立つ。もうベッキーでよかったよ。

 

私も一瞬そう思ったけど、ベッキー石原さとみ身長は 157cm で、同じ。

英語は、ベッキーは「苦手」であるとのことなので、ベッキーの方が下手。

ベッキーの方がいいのは、瞳だけ。石原さとみカラコンを入れれば良かったかも。

  http://blog.livedoor.jp/sky_wing2010-geinou/archives/49411631.html

 

アメリカ人女優ならシャーロットケイトフォックスは?

 

シャーロットケイトフォックスは、私も好きだし、演技力だけなら申し分ないが、いかんせん、米国人誰も知らないゴジラ宣伝で各地を廻らせても、誰も知らない女優では、宣伝効果ゼロコストゼロ同然だが、効果ゼロ同然。普通女優なら、コストの何倍もの宣伝効果があるので、普通女優を使う方がマシ。たとえば、スパイダーマンバットマンヒロインとか。(名前は忘れたが。)

 

セリフの量をうんと減らして、演技力を求めなければ、ミランダ・カーでいいんだけどね。

 

アメちゃんに笑われようがどうでもいい。

 

どう思われるかが大事なのではなく、アメリカの興収が増えるかどうかが問題。興収が増えないと困るでしょ? アメリカの興収を増やすためには、米国人を登場させる必要があるんだよ。

2014 ゴジラだって、作中に日本人がいっぱい登場したから、日本では大ヒットした。仮に日本人全然いなくて、出演はアメリカ人ばかりだったら、日本ではあれほどヒットはしなかっただろう。

世界的ヒットを狙うには、「オール日本人」では、やはりまずいんだよ。うまくやれば、全世界ヒットで、日本の興収の 10倍を世界で稼げる。日本よりは世界を狙うべきだろ?

 

 


 

【 続編 】

 

  シン・ゴジラは海外版を作れ

 

 

2016-08-28

宗教リア充二次元

ここ数日、宗教の成り立ちに興味を持ち、適当に調べていた。

それで改めて思ったのは、宗教というのは、本当に当初の原型なんかねえなということである

キリスト教にしても、イエス自身はせいぜいユダヤ教改革派ぐらいの立ち位置だったのが、

パウロ世界宗教への道を開いた結果、今のようになったらしい。



自分は、特に宗教心もないが、たぶん統計の上では大乗仏教信者ということになっている、

どこにでもいる平均的な日本人だ。

上座部仏教については、「あ、東南アジアあたりでメジャーなやつでしょ」ぐらいの印象しかない。

しかし、どちらが当初の精神を引き継いでいるか考えてみると、もう明らかにあっちだと思う。

確かに、ブッダ王族で、当時としては恵まれていたし、妻も子もいたらしいが、

あんな思い悩んでばかりいたんでは、俗世で生きてて幸せなわけがない。どちらかと言えば我々サイドだ。

きっと、人付き合いも何もかもが煩わしいと感じるタイプだ。

どう考えても、大乗仏教の方がおかしい!



どうやら、宗教というのは、仮に個人の救いという小さな問題から始まったものだとしても、

どこかの段階で「勢力拡大」というものが、教えのうちに組み込まれものらしい。

誤解を恐れず言うならば、それはリア充に乗っ取られるということである

他者を救わねば自らの救いもない、とか細かい理屈はあるが、要は群れたがる人間が主流派となり、

そうでない人間はそこから追いやられたと考えるのが自然だろう。

おそらくキリスト教もまた、リア充パウロに乗っ取られてしまった結果が今なのだ



イスラームちょっと別だ。あれは最初からリア充サイドだったとしか思えない。

ムハンマド商人軍人としても有能だったらしいし、自らジハードなんて言っちゃってる。

そしてなにより、幼妻であるリア充でなくてなんだというのか。



自分社会性がないので、リア充のいるところでは幸せに暮らせないと思っている。

そもそも、他人との交流苦痛だ。人に好感を持ってもらえるような容姿もなく、話せば人を不愉快にする。

まり他人を癒やす能力がないということだ。

そんな人間が、他人に癒やしを求めるべきではない。

から自分を救うものがあるとすれば、それは趣味以外にないと思っていた。

確かに、その辺を歩いている人の真似をするよりは、二次元にはまっていた方が気が紛れた。



しかし、その趣味もまた、自己完結する世界ではなかったのである

そんなことは最初からわかっているつもりだった。

だが、この世界にもリア充侵入し、そして幅を利かせている今、自分は肩身の狭さを感じつつある。

ライブに通い、SNS他者と絡む。そういう人間が、やがてここでも正統派となり、

自分はまたどこかに散るしかないのかもしれない。



どうやら、宗教二次元も、もちろんインターネットも、安住の地にはなりそうもない。

自分はどこに行けばいいのだろう。

「「貧困女子高生問題に関する私見」から見るネット功罪の罪の方

http://bylines.news.yahoo.co.jp/miwayoshiko/20160828-00061589/

http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/miwayoshiko/20160828-00061589/

なんか「『保育園落ちたの私だ』が2ちゃんねる発だと筆者が思っている」と決めつけてコメントしている人が何人かいるけど

 ネット功罪は、評価の難しいところですが、もしも「罪」が大きいとしても、もうネットのない時代に戻ることはできないでしょう。

 いわゆる「炎上」では、多くの場合には過激で恥すべき行為が推奨されエスカレートします。

 これは「2ちゃんねる」が数多くのユーザーを獲得して拡張していった時期から問題視はされていました。しかし「2ちゃんねる」は、クリエイティブ行為や、同じ困り事を持つ人々の相互助け合いを支える場でもありました。「2ちゃんねる」の数多くの掲示板のうち、ごく一部でのことではありましたが。

 また「#保育園落ちたの私だ」など、過去になかったタイプ社会運動の契機ともなっています

この元の文の構造

になっているので「また「#保育園落ちたの私だ」など、過去になかったタイプ社会運動の契機ともなっています。」は「2ちゃんねる」じゃなく「ネット」の活動として書かれているのがわかると思う。

(筆者が「保育園~」を2ちゃんねる発と思っていたとしたら、「「2ちゃんねる」の数多くの掲示板のうち、ごく一部でのことではありましたが。」は最後に来ないと不自然になる)


コメントしたさに文章を読んでいない人がいるのかなと思うけど、筆者が言っていることをまさに体現していてネットの罪深さをより感じた。

はてなであろうが2ちゃんねるであろうがTwitterであろうが決めつけ・中傷する人間は減らないのだろうなと。

(ただ、書く側(発信側)にももちろんリテラシー必要だし、実際のところネットの罪と言うより日本語話者の中でまともな国語力のある人間があまりいないことをネットが明らかにしているだけではとも思う)

そうだね風俗だね

あるとき風俗に行って童貞を終わらせようと思いたち、結局行けずに早5年。そして私はいまだ童貞である

童貞であることは、私にとって大した問題でない。だが、最近人生の中で大きな挫折があったので、そろそろ童貞という肩書もすてて、凡庸普通なヒトになりたいという欲求が沸き上がってきた。そして女性に対する幻想を捨てて、自然体で生きていきたいと思うようになってきたのだった。

そうだ、風俗行こう。

私みたいな中途半端人間けが悩む。考えない人は直感で決めるから悩まない、賢い人は効率よく情報収集して判断できるから悩まない。私は風俗に行こうと思って情報収集すると、お店と相手をしてもらう女の子を選ばなければならないと気づく。そして選択できずに迷う。

風俗が初めての体験だと思うと、私はどうしても失敗したくないという気持ちが強くなる。サービスの質は、高価格で有名な店を選べば無難に得られると思う。それでも、風俗嬢写真は、基本モザイクだし酷くフォトショされいるので、真面目に見るのが嫌になった。背景に時空の歪みが出ていたり、顔とその他のパーツで明らかに質感が違っていたり、あらゆる情報フェイクだとわかる。だから、初めての体験でブスが出てきたら嫌だと思う。

どうやったらこの困難から抜け出せるのだろうか...

一つアイデアを思いついた。これまでの私にとって性的体験自慰行為しかなかったわけだが、そこでの経験を踏まえると「ブスでもコスプレなら抜ける」のだ。そうだ、コレだ。たとえブスでも、ちょっとしたデブでも、着衣のままでの行為をお願いすればきっと私は興奮できるに違いない。ニーソ手袋ビキニくらいを通販で買って持ち込めば良いのだろうか。それとも、もっとちゃんとした衣装を買ったほうが後悔なく興奮できるか。でも、初めての風俗で「コレ着てください」などというのは若干恥ずかしいものがある。

よかった、コレで私も悩んでいるだけでなくて判断ができそうだ。

経験のある方がいたらぜひアドバイスくださいまし。

http://anond.hatelabo.jp/20160828011351

世の中、いろいろ大変なことが多くてしんどいな。

 

自分が変わらきゃ、ってのも正しいし、

そう簡単に変われるか、ってのも正しいし。

 

私の方も似たようなことを考える。

自身プレッシャー掛けすぎても物事は上手くいかないので

変に焦らず、諦めず、投げ出さず、で着実に前に進みたい。

 

心身が壊れない程度に踏ん張って、

疲れたときは、きちんと楽しい時間自分に与えて、

なんとかかんとか笑顔になれるようになるといいよね。

 

最後に、数年前の転職活動での経験を思い出したので、参考まで。

 

何社か面接を受け、自然笑顔になれるような心理状態になった方が、

面接で良い結果がでるのに気づいた。

やっぱり、つらいなーって顔で面接すると大抵ダメだった。

 

そこで、面接の直前には楽しい時間を過ごすことにしたのだが、これは効果があった。

一番大事面接の前は、新宿駅から特急に乗り山梨へ行き、現地でレンタカーを借り、一日中、名所を回り名物を食べたのを覚えている。

道の駅で食べた冷えた桃は最高だった。

 

実は、それまでの人生、旅も美味しいものにも興味なかった。

それ以来、つらい局面では、定期的に自分笑顔になれる時間を作るようにしてる。

 

元増田転職活動、良い結果が出ることを陰ながら応援してる。

君の名は。を見てはいけない人達がいる事に気が付いたのだ+追記

シンゴジラみておもれーと思ってて

その予告で 君の名は。を見て

興味がでたので本日、本編を見てきました。



結果は満足。

人に勧めていいレベルだった。



ツッコミどころは確かにあるけど、それを差し置いても

頑張れ、頑張れって気持ちになりました。



映画を見終わった後に評価が知りたいと思い

検索かけてたんですが、おおむね高評価

ただ、注目されている(役に立った)感想熱量高いのに、低評価という不思議にぶち当たりました



【低評価URLネタばれあり。鑑賞後に読みましょう】

http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%82/355058/review/?page=1&results=10&cinema_id=355058&theater_id=&sort=mrf

http://anond.hatelabo.jp/20160827142040



評価理由かいつまんでみる限り

リアリティがない」

という意見が多いと思いました。



シンゴジラ感想を読んでるときも出くわした

リアリティがない」問題



ゴジラ存在する?しない?レベルリアリティ感はどうでもいいとして

〇×の時は普通ならこうする。

□△の時にそう判断するのは異常・・・etc



正論です。言われてみたら、そりゃそうですよね。って話なんですが

どうもこの、リアリティないセンサーが発達してる人が一定数いて

そういった人達は、リアリティないセンサーに反応が出てしまうと

急激に映像作品がつまんなく見えてしまうように感じ取れました。



リアリティ問題は根が深いなと感じてて

映画漫画漫画アニメほとんどはフィクションですので

フィクションをどうリアリティ溢れる作品にするかは

重要問題になります



まりリアリティを突き詰めると

現実世界日常と同じ話になってしまい、つまらない作品になってしまます

リアリティをぶん投げてしまうと

デタラメすぎて見てる側はなんじゃこりゃ?ってなります



なので、リアリティバランスを上手くとって

気づかれないように見る人全員を、上手に騙すんですが、騙されない人達もいる。



騙された側は素直に騙されて、よかったよかったと言うので問題ないんですが

騙されなかった人達

「みんな騙されるな!言うほど面白くないぞ!目を覚ませ!これはリアリティがないぞ!!」

って言ってしまうんですよね。



騙されなかった人達作品批判をしてしまますが、これは悪い事では全くないです。

グラスに発泡酒を入れて、ビールですって言って、騙しとるような悪い輩に対して

「みんな騙されるな!飲んでも旨くないぞ!目を覚ませ!これはビールじゃないぞ!!」

って言える人は英雄ですし、極めて自然な反応です。



騙されなかった人達は、いろんな意味正論・正解なんだとは思います

ただ、「楽しめなかった」という意味では可哀想に見えてしまうんですよね。



90%の人達発泡酒で楽しく酔って騒いで楽しんでるのに

10%の人達ビールではないと気づき、楽しめない。



騙されなかった人たちは、楽しめなくても、「これは傑作でもない、ただの駄作だし、騙されなくてよかったよかった。」っていうんですが

果たしてそれで良かったのだろうか。。。



そんなわけで、リアリティに気づけてしまうような人生経験豊富な人たちはズバリ

君の名は。を見てはいけません。





~余談~

ところで。私はビールは苦くて飲めないんですが

巷の人達はそりゃ美味しそうにグビグビ飲んでいます

若い頃はあんな苦いものよく飲めるなとか、味覚がおかしくなってるんじゃないかと思いました。

それでも、ビール飲める人達は、ビールは神が作った物だとか、これ以上美味しいものはない、とか断言するんですね。

これはもう理論的に考えて、ビール飲める人達は味覚バカしかいないと内心思っていたんです。



このビール飲める人達批判する感じ。作品批判する感じと似てると思いました。



そんな、私はいビール飲める人達をどう見てるかというと

「めちゃくちゃ旨そうに飲んでて羨ましい・・・。」この一言に尽きます




<追記+白状>

見てはいけないと書きましたが、もっとみんなで、おおいに楽しみましょう。

文章を書いてはみたものの、上手にまとめられなかったので、他人様の言葉を借りて、後はみなさんにお任せします。



・優は考えすぎなんだ。ただの酒だよ。酒は飲むモンさ。

・難しいこと考えずにさァ。いつも通りお酒を楽しみなよ。

シン・ゴジラ見て、面白くなかった奴、納得いかなかった奴、気に入らなかった奴、面白かったけど正直そこまで…って奴。

 大丈夫だよ。てめえらの感性はちっとも間違ってねえよ。自信を持て。自分の感じた気持ちに胸を張れ。あんな奴らに負けてんじゃねえ。

・私は好きにした。君たちも好きにしろ

・「更に多くの楽しみを選べる」。これってとっても素敵だと思わない?

・みんなで幸せになろうよ




さて、オクトーバーフェストもやってます

http://www.oktober-fest.jp/

http://find-travel.jp/article/16389

 

 



  

  


  

任意整理、やってみた。

(後半、追記しました)

結論から言うと、

  • 今後の返済額が、トータルで半分に減る(相談弁護士さんいわく、うまくいくとおカネが戻るかもしれないとの事)
  • 月々の返済は、自分場合だと1万円+αで済む(今までは月3万近く)

これが主な利点。

あとやはり、「月々の借金に追い立てられずに済む」というのは、精神的にもの凄くプラスだ。それまでどこかセピアがかっていた周りの景色が、相談手続きを済ませた次の日からは違って見えて、そのことにフッと気がついた時には正直ドキッとした。

欠点は、だいたい想像が付くというか知ってる人も多いだろうけど

説明された。

ちなみに、よく聞かれる「自己破産」や「民事再生」という方法もあるけど、これは「不動産などの財産を売払う代わりに借金の返済をストップさせてもらう」・「借金の額を減らしてもらう(返済の必要はある)」違いがあって、自分が今回選んだ任意整理は「払い過ぎた利息を元金の返済にまず充てて借金を減らす」方法

以下、多少のフェイクあり。


ことの発端は、数年ほど昔にさかのぼる。当時はニートだった自分は親元から離れたい一心で、都会を離れた所で住み込み仕事に就いていた。クレジットカードは、(地方部なのでマイカー必須ガソリンスタンドなどで使う程度だったのだが、リーマンショック生前から仕事もヒマが目立つようになり、稼働時間も細切れに短縮される(だから副業なんてできない)など、就業当初からの実入りはガンガン減っていった。

そこでつい、カードローンに手を出したのが運の尽き。昨年秋ごろには最終的に、家賃生活費を除けると薄給では払いきれず、典型的自転車操業状態に陥っていた。

そんな中で、ケンカ別れ的に家を出たはずのカーチャンに意を決し正直に相談したところ、電話口でさんざん怒られ嘆かれた。が、「あんたが家を出た時もだったけど、あんたの決断はお母さんは支持するから」の一言で、債務整理を決めた。ごめんよ、カーチャン

あと、父親後期高齢者となり入院しがちでボケも発現してきた事も含み、仕事先に断りを入れて出戻ってくる形になった。地方生活を引き揚げた後のカード用途借金ケータイ代の支払いのみだったので、カード廃止に未練なく踏みきれたのも大きかったと思う。


ところで、いわゆる「過払い金」は2010年までの『グレーゾーン金利時代カードローンがあった人なら確実に発生しているものだが、それ以外の例だといわゆる『リボ払い』(自分場合はこれ)では、返済のかなりの割合金利に充当されて元金がなかなか減らない。

今回の任意整理という手段だと、「元金と金利」の関係にいったん仕切り直したうえで返済額を決定するので、結果的に月々の返済負担も減ると弁護士さんからは聞かされた。

いずれにしても、カード会社との間に専門家仲介してくれるあたりは、心理的負担が少なくなる点でのメリット

もちろん、こういった面倒な事態に陥らないに越したことはないけど、本当に困った時にはやはり、職業的専門家に任せたほうがスムーズ解決できるという事実を実感した。自分場合は、事前の無料相談ができる事が決め手だったので、引っ越しではないけど幾つかの事務所に「合見積り」を取っておくのもいいと思った。

苦い体験だったけど、自分経験はてなーの皆さんのお役に立てばと思う。


〈ここから追記です〉

反響いただきまして、ありがとうございます。書き漏らしが多いのは自分でもわかってましたので、ここで少し追記しておきます

>どうやって調べて、どこに決めたのか

とくに難しい事はしてません。インターネットで「カード 過払い金」で調べて、近場に相談箇所がある弁護士事務所ウェブサイトを見てました。

ただし個人や少人数で運営してる所は、電話相談時間が平日限定だったりメールのやり取りにタイムラグがあったりで、結局はCMも出すような大手のところにお願いしました。

>どういう手続きで進むのか

今回の依頼先に決めたのは、最初の返信メールだけでもそれなりのアドバイスをいただけた事に尽きます(過払い金はあまり見込めない例なので、今回は任意整理で進める事になりそうです、などが書かれていました)。

相談無料なのは宣伝の通りですが、まずは電話連絡でのヒアリングからはじまりますカードローンを抱えている人なら、明細が郵送の場合は手元に履歴としてキャッシング明細を用意しておくと、電話口での話がスムーズに運びます

契約する・しないにかかわらず、無料相談はまず事前予約が必要になるので、面談する拠点時間を決めておきます宣伝してる大手だと、この時刻が休日夜遅く夕方5時以降)でも空いてる事が多いですし、拠点も全国各地にあるのが選ぶ理由の一つだと思います。実際に訪れた先の受付ロビーには呼出し電話があって、そこで電話を取ってアポイント確認しました。

受付をくぐると個室に通され、そこで問診というか現在金銭状況に付いての記入シートを書かされます自分場合カードローン1社の借入れのみでしたが、いわゆる「多重債務者」向けの質問項目も並ぶそれは、なかなか壮観でした。

シートへの記入が終わると事務員さんが回収に来て、ついでに債務整理のおおまかな解説や今後の行動指針に関して、図入りのパンフレットを使って説明をしてくれます

必要もの

契約する事を決めている場合

必要になります。着手金は、内金という形で最初に少しだけ(私は1万円を渡しました)であっても、こちらの本気度を示すアピールになると思います

もちろん、「持って帰って」じっくり検討してもいいですよ、という選択肢を示されました。お金の事なので、「ハンコを捺いて決断」するのには躊躇するでしょうし家族検討する方も多いです、とは言われました。ただその場合相談のための日取りの予約があらためて必要になるので、二度手間にはなります

>そのあとは

おもなやり取りは、電話連絡と弁護士から書類の送付で済みます。依頼した事務所場合は、月々の一定額を事務所指定の口座に納め、まずそれが貯まれば(すこし前に書いた4万数千円に達したら)着手に移り、その積み立てた額から借金の返済をぼちぼち行なっていくという形です。

肝心の弁護士側への報酬などですが、この着手で「浮いた」額からの、任意整理なら1割・過払い返還なら2割になるようです。

業者

残念ながら事実です。ちなみに最初カードを作ったのが、手元の資料を見ると1998年の初夏でした。その時はまだマイナー業者カードだったのが、後にカード会社提携合併にあったりと、いわゆる「クレヒスクレジットヒストリー)」だけは無駄に長いため、キャッシング枠が収入に対して不自然に膨らんでいたのも、返済を結果的に困難にしていた理由の一つでした。

自動車なんて無理して買うから返済に苦労したのでは?

地方暮らし、親元からさっさと離れたい事もあって憧れてたんですよね。ただ、必然的自動車生活必要になるわ(買ったのは中古20万の軽でした。これはクレジットカードの枠とは別で、中古車業者の組んだカード無しローンです)、保険料車検費用が都会と比べて別に安くは無いわ(さすがに駐車場代はゼロだけど)、そもそも時給など給料が低い事を身を以て実感してきた頃には、すでに遅しという状況でした。

2016-08-27

[]

今回はとなりのヤングジャンプ

TAMATA~黒タイツで蹴ります

シンマンの、エントリーNo.5。

田俣澄というファミレス店員を、とある常連目線で語られるという構成か。

迷惑客とのトラブルと、卑屈な常連客の気持ちの変化を通じて、田俣澄というキャラクターを魅力的に描くという方向性は悪くないと思う。

ただ、展開も含めて、その他のキャラクター舞台装置というか、記号的。

どう描けば、どのように語ればよいかという目線評価するとき、やや説得力に欠けていて、無頓着というか杜撰に感じた。

まあ、もう超個人的な話として、単純にドラマ性にそこまで面白みがないのが厳しいかなあ。

設定だとか世界観だとか、テーマを考えるとエンタメとして弱くなるのは仕方ないし、そこを強くしようと不自然になりやすくて、難しいところではあるんだけれどもね。

はいっても、そういうことを踏まえた場合、割とクオリティ高い作品ともいえるか。

2016-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20160826222637

幸せとは何か」って考えるのは大事。というか考えないと自然と「結婚して子供を生む。かっこいいクルマを買う。豪華な家に住む。仕事に打ち込める環境がある。」が幸せだと思うようになる。何でかっていうとここは資本主義の国だから。大量消費・拝金主義世界から。周囲がそういう考えである以上、自分もそれに染まってしまう。



ただやっぱりこういう考えってのは異論があって、拝金主義批判がされてる映画漫画小説というのは多数ある。映画なら『ウルフ・オブ・ウォールストリート』、『ファイト・クラブ』、『生きる』等。小説なら各種バルザック作品トルストイ作品等。漫画アニメなら『ナニワ金融道』、『もののけ姫』等。

ちなみに聖書なんかも拝金主義批判的。大事なのは罪を許されて神の許に行くことであって、金や地位幸福となんも関係がないとされているね(この点、キリスト教国のアメリカ拝金主義蔓延してるのは皮肉だけど)。




結局、この辺の作品を見るなり読むなりして自分で考えることじゃないかな。その美人の「幸せ」ってのも結局大量消費・拝金主義に沿ったものからね。

ひきこもり汗かかない

結果夏がしんどい

単位ひきこもってわかりました。

普通、外に出て動き回ってる人は冬でも汗かいたなって思うことありますよね。

でもひきこもりは冬は汗かかない。

つーか夏も汗が出にくい。

湯船にゆっくりつかっても汗かかなくなったなーとは思ってた。

から夏にかけて、直射日光に当たる生活をしていれば、自然と「汗をかく生活」をしていて、

夏の暑さにむけて汗腺も活動的になるんじゃないでしょうか。

でもひきこもってるとそこまで汗かかない。

ちょっと暑いなと思うことはあっても、汗かいたとまでは感じない。

そうこうしてるうちに、夏の暑さがしんどくてたまらないことに気づいた。

ひきこもり+体力低下+汗腺退化。

暑いと感じるより先に頭がぼーっとしている。

でも汗はほとんどかいてない。

ひきこもりを殺すなら、クーラー壊せばあっという間かもよ。

2016-08-25

謎の宗教

菅野完さんのツイート: "不敬発言記録にちょいちょい出てくる「大日教」というのがどの宗教団体を指すのかが以前からわからなくて困っている。同じ名前の宗教は『新宗教教団・人物事典』にも出てこない。「大日然教」のことかと思ったが、あそこは戦後の立教だしなぁ。。 https://t.co/yo5ueDlPf9"

なるほどね。

最初戦後名前を引き合いにだしてるのか思ったが、グーグル先生で調べてみるとどうもそれとは違った「大日教」が存在したようだ。

同じbotつぶやきには「大日教祖杉本信者某との質疑応答とあるので、教祖名前が違うからだ。

大日然教教祖を調べると「折茂なみ」となっている)

あとは戦前の「天津教皇祖皇太神宮天津教 - Wikipedia

(現 皇祖皇太神宮天津教)が戦後の一時期は「宗教法人大日教」という名称だったのでこれかと思ったが、教祖名も違う。

とにかく、一次ソースが気になる。



んで、色々とネット上の情報だけで調べてみた結果、@hukei_botは「昭和特高弾圧史」から抜粋であることは間違いなさそうだ。

Googleブックス書籍検索)で「昭和特高弾圧史, 第 4 巻」を引き出し、書籍検索で「杉本」と検索すれば同じ内容が引っ掛かる。

現在Googleブックス著作権のある書籍は全文表示ができないから(開始当時は見えちゃった気がする)ブツ切りのような情報しか得られないのが難点。

同じく「特高外事月報」と合わせて見ると、全日教祖1942年当時60歳、起訴時東京在住、滋賀県出身大日行者、杉本金治郎というのが裁判記録らしきものから分かる。

他、この宗教の手がかり的な部分の抜粋

昭和特高弾圧史, 第 4 巻」

108 ページ

... は神去り給ひてより其の誠が大日如来包摂せられ其の如来宇宙に瀰漫せる大

自然の誠にして人類並に一切の物を創造し且永遠に之が霊的及現実支配を為たりと

称し、大日教なる教理を創説し爾後之が宣布に努め来たりたるものなる処、該教理たる

や大 ...

特高外事月報」

59 ページ

... 知得したりと構し、大日教なる教理を創説し衛後之が宣布に努め来たりたるものなる

慮、該教理たるや大日如来宇宙に瀬夏せる大 ... 四月頃道了奪が大日如来なることを

悟り大日如来信仰に韓ずると共に大日如来の霊に感應権力に別記治安維持法違反

事件 ... 三月十九日警視聴に於て検挙送局したる宗教結社大日教のも決して少とせず。

CiNiiでも引っ掛かった。

CiNii 論文 -  内務省による宗教弾圧 : 創価学会の場合を事例として

CiNii 論文 -  宗教法人法の改正をめぐる問題点 : 宗教団体に対する管理の要素の導入の有無と是非(松本保三先生退職記念号)

戦前・戦中の宗教弾圧歴史を語る上で出てくるみたいだよ。

1942年治安維持法違反大日事件として記録されている。

しかしまあ、通常のGoogle検索では引っ掛かららんのだね。

戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表) - Wikipedia

↑これにも出てこなくって、忘れられた宗教みたいだ(前述の竹内文書教のせいもあるだろう)


疲れたのでこれまで。

(追記)

ちょっと馬鹿なこと書いちゃったかもしれない。

大本教創価学会重要人物が獄死しているんだった。

(追記2)

↑当時60歳というのが厳しいだろう。

宗教団体法とか治安維持法について知っていたけど、ちょいちょいググってみて、改めてこのあたり軽く考えてたな、と思ったりした。

追加の情報としては

昭和特高弾圧史: 宗教人にたいする弾圧

28 ページ

明石博隆, 松浦総三 て、此の大日もその為に行を積んでゐるのである、その修行も半ば

に至ってゐから纏て太平ハ、大日が ... が昭和二、三年頃以降全宇宙に於ける最高至

本金治郎当六十年の主宰する大日如来信者集団大平山大日教」の布教内容に ...

大平山大日教」ともいう様子。「大日教」が「大日経」の意味で使われる事が多いからかな。

https://www.google.com/#tbm=bks&q=%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%95%99]

長年死にたいと思っている人間が、「自殺を止める人の気持ち」につい

私が、なぜ死にたいか、社会的ステータスや状況なんかは別の記事として投稿しようかと思います



今日記事が目に入ってなんとなく。

http://anond.hatelabo.jp/20160823230040




現実世界では(インターネット上の話ではともかくとして)エゴがどうとか以前に、無意識的に止めようとすると思う。

例えば、ちらほら人通りのある橋から目の前で人が飛び降りようとしていたとする。

格好や目つきや動きがよっぽど変ではないかぎり、止めようとすると思う。

止めようとするのが怖くても、警察電話の一報くらいはしようとは思う。


高校生の頃に、飲食店で財布を忘れて戻ってきた客が急に怒りだして暴れだしそうにしていたことがあった。

隣にいた友人や他の客はすぐに止めに入ったし、私もすぐに警察に連絡した。

意識を失っている人がいたら救急車をすぐに呼ぶと思う。

現実世界自殺を止めるってのは、そういうことと似たものだと思う。





自分所属している社会コミュニティ(会社学校、旧友、家族)なんかが

どう反応するのか、なぜ反応するのか、というのも気になる話ではある。



もし、自分が新しいコミュニティに移行したとして、初めからかなり自分勝手に振る舞って、周りからの印象が最悪、1ヶ月くらいでいなくなったとしよう。

そういう人は、誰から自殺を止められないし、どうでもいいって思う人がほとんどだと思う。



仕事が出来なくて、怒鳴られている人がいたとする。同僚や上司とある程度の会話を普段しているなら、

仕事的には邪魔でも、長く過ごすと少しは情や想像力が働くので、無意識的に心配してくれるときもある。



一般的には、所属する社会がある程度健全機能しており、自分も人並み程度に人と情のやり取りをしていれば、不登校の子どもにはプリントを持っていくシステムがあるように、

人の死を心配するってのは自然に組み込まれてるもんだとは思う。それは割合的には小さくはあるものの、一応多数の部類だとは思う。



会社にしても、学校にしても、ワタミ過労死一橋大学アウティングのように

責任を有しており、追求される可能性があるので、大きなリスクを小さくするためにも自殺というものは避けさせないといけない、

そういう論理からの力場も存在するとは思う。



ある人が自殺を止める理由については、一概にこうだから、とは言えないとは思う。

自分生存ルールなんかを把握できるほど人間は頭がよくないし、学問的に分析しようにも世界中コンピュータを集めても計算量は足りないと思う。



はてブの、矢口ベッキー狩野英孝不倫記事コメントを見ると、その人がそれぞれ違った叩きと擁護と無関心をしているように、

自分でもよく考えずに自殺を止めたり止めなかったりするんだと思う。動物的な本能人間的な社会性や自分経験、保身、いろんなものが混じってると思う。





エントリー主は、自分死にたいはずなのに、どうして他人自殺通報したんだろうというところに何か引きづられているのだろうけど、

「何を読んでも、自分死ぬべきだと思う」と思っているからこそ、自分の考えと発言矛盾で混乱しているだけで、

少なくとも現時点で死んでいなかったり、変な行動や犯罪的なことをやり警察連行されていないということは、

生の論理や生の執着、死の恐怖結構こびりついていて、現在の生と将来の生への逃避ばかりに目が行っていて、

それが同時に存在するということに目が行っていないだけだと思う。

通報した理由は、ハッキリとはわからないけど、自分の考えたり想像したりしていることが、死だけではなく、生についても自分の知らない裏側できっちり考えていることは確かだと思う。




>「しかしなぜ、自分を変えられるからあなたは変われるから死ぬべきではないと言えるのだろうか。」

これは、現実的な人がいう自分の変わると、印税をもらえる人のいう自分の変わる、自分の想定する変わる、を分けて考えた方がいいと思う。

私は、3年間くらい死にたいって思っていて、今も、今すぐに死ぬボタン、みたいなのがあったらその日のうちに押すなーとは思っているけど、

死にたいって思い始めた当初と現在を比べると、変わったことはたくさんある。

少なくとも、前向きに生きてみようかな、と思い始めている時期は数ヶ月間あったり、

普通に何気ない会話も心地よい気持ちでできるし、

超たま~にではあるが、温泉行ってみようだとか、シンゴジラ見に行ってみようだとか、楽しみを実行したいという気持ちも生まれることもある。

昔は、外に出て誰かが歩いているだけで陰鬱気持ちになっていたのが、今は特に何も思わなくなっている。

その程度には変われるし、いい出来事も起きたりはする。

けど、長い間生きることをメリットとは思っておらず、やっぱり死んだ方が楽だろ、とは思っていて、そこは変わっていないと思うし、

あと数ヶ月したらいつの間にか死んでいるかもしれない。




死ぬ時は、死んだ何日か後に増田記事自動投稿するようにPCに仕掛けておいて、死ぬ思いなんか残しておこうかと思う。それは死ぬ前の楽しみ。

その時はブクマお願いします。