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はてなキーワード: 性質とは

2017-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20170423161529

話題が乏しかったり関係性が貧しかったりすると動物的な欲望ぐらいしか共感ネタがないので

そこをとっかかりにしたいわけだよその人達

酒を飲むコミュニケーション自体もそういう性質だけど

2017-04-22

自炊作業

ScanSnap薄い本を50分で11自炊、分速で1冊/5冊くらいか

手間に対して効率が悪いかもしれないが、業者に金を払うよりもましだと思って数年間これを続けてる。

後は自炊対象が「薄い本」という性質上、第三者自分の極めてプライベートな部分である性癖」を見せたくないという気持ちが強いというのがある。

なぜ韓流ドラマを嗜むおばさま方は声優にハマらないのか?

韓国という国がどうであろうが日本の世のおばさま方は依然として韓流ドラマを見ている。

BSチャンネルテレビ欄を見れば韓流ドラマタイトル散見される。

いうならば若い女性なかにいる、腐女子や夢女子といったオタク層が夜な夜なBS11アニメを見たりそれらを録りためたりするように、

彼女たちも昼間に放送される韓流ドラマを見まくっているのだ。

アニオタ乙女ゲームプレイヤーであって声優というものに無関心な人間は少ない。

声優オタクと呼べるほどには熱心でないにしても、片手で収まらない程度には声優名前を知っている。

アニメゲームの新作をチェックする際に注目する点としてヴォイスキャスティングは大きな要素であって、

キャラクターがどんな声をしているかということはかなり重要視されていると僕は思う

しか韓流ドラマを見るおばさまの間で「声」について語られるのを聞いたことがないしそれを気にする素振りも見受けられない。

韓流ドラマというコンテンツ性質として、吹き替え声優無視されてしまものなのか、

それとも現在おばさまにカテゴライズされる年齢層の文化的特質として声優価値を低く見積もる癖があるのか、

それとも僕の思い及ばない何かしらの理由があるのか。

http://anond.hatelabo.jp/20170422002632

どうも 風呂スリーパーです

時間以上は余裕で寝れます

死ぬかいうけどそんなのは承知の上 どのみちリスクはあるというと大小を問われるだろうけどそんなリスクはほかにも多々ある

風呂でねると確実に死ぬというならもう死んでるのでほっといてくれたらいい

そこで寝ることについてだけども首の置き場が自分のねむれるポジションにおければねれる

問題体制と首がねむれない状態になる浴槽との相性ということが多い

風呂寝のメリットは体がふやけるまで煮込めるので肌がつるつるになる これはお湯と肌の性質と相性があるから一概にはいえないがそういう体質のひとにはお得

風呂寝がきもちいというメリットはほぼない 体力めっちゃつかうし脱水もすごい スポーツみたいなやりきった感がある そのあと睡眠がとても捗る

酔ったりして風呂で寝るとか眠くなる要因を風呂に持ち込むのは普通に危険 もちろん常識的に考えて水に顔つけて起きないレベルになるとか陸で寝るのも危険ものふつうリスクけが増す

まあ風呂で寝ることができるってのは合法的麻薬感があるといいたいくら多幸感がある

どのみち個人差はおおきいけどね

2017-04-21

覚り(さとり)

エゴがなければ、宇宙は一体であること、現実世界ひとつであること、つまり一如(真如)の現実が見える

けれども、ヒトは、異常に生存本能が発達することで生き延びてきた異常な動物であるから殆どの者はエゴが発達しており、現実が見えない。例えば、生き延びるために痛覚などの感覚が心身ともにあり、感覚のあるところを自分の一部だと認識するという、一種エゴがある。卑近な(身近な)ところほど重視し、敬遠なところは「カンケーない」と思う。そういう卑しく愚かな性質がヒトにはあり、ほぼ全ての者は、この性質自覚することを得ず、自律して自立することを怠る。よって、この自縄自縛呪縛から解脱することを得ない

こうしたエゴは、元来は生存必要であったから得た所謂進化であるが、ヒトのエゴは異常であり、すなわち例えば戦争を起こしてでもカネやモノを得ようとし、あまつさえその戦争にわざわざ大義名分まで付けて自己正当化しようとさえする。エゴ権化である

そもそもは為政者ノブレス古代ギリシアなどの俗に謂われる「市民」という特権層は、このように己のエゴを相対化し自己客観視をする才能をもつ特別な人々であるはずで、そうでなければならなかった。しかし実際にはそうした本来の姿は忘れ去られ、世襲と腐敗で自らエゴに堕ち、社会構造維持と既得権益保守に汲々とする詰まらない無智愚鈍支配する人類社会になって久しい

現実が見えず自然法則に反する、つまり滅法の世で、もはやこの疾患は治らないのだろうな、と思っている

http://anond.hatelabo.jp/20170421054948

そらおまえ財力の性質理解してないわ

健康面で顕著だが、金が無いのが致命的になるのは躓いた時

これ当たり前

[] #22-4「大炎上時代

河川敷に着くと、そこには意外な姿があった。

「カジマ、お前もここに来ていたのか」

「……っす」

だが、カジマは妙によそよそしい。

要領を得なかったが、すぐに理由は分かった。

「カジマ、お前がやったのか」

近くにあった火元、そしてカジマのもつ道具がそれを物語っていた。

まさか、民家の火事も……」

「い、いや、それは全くの無関係っす!」

「『それは』ってことは、ここの河川敷でのボヤ騒ぎはお前がやったって認めるんだな」

カジマは否定肯定もしなかったが、この状況でのその反応は、ほぼ答えを言っている様なものだった。

「なぜそんなことを?」

「……自分でも、上手く言葉には出来ないっす」

弟たちには分からないだろうが、カジマを知る俺とタイナイは何となく分かっていた。

火の流行に感化され、自分でそれを起こしてやろうだとか、その自分が起こした火に群がる人間を見たかったのだろう。

カジマはこういった、大して心にもないことを言ったりやったりすることに快感を覚える。

更にはその言動による他人の反応を窺いたがる悪癖があるのだ。

俺たちはそれに慣れているとはいえ、さすがに今回の一件は些か性質が悪い。

いくら注目させたいからって、自分で火を起こして、しかもそれを天災みたいに言うのはどうかと思うぞ」

「でも……ほら、『火のないところに煙は立たぬ』って」

「火を起こしているのお前だろ」

「カジマ。嘘や冗談ってのは必ず暴かれて、かつ遺恨を残さないようフォローしてやっと許されるんだ。それで人心を弄んではいけない」

「な、なにさ、みんな楽しんで、面白がってたじゃないか

「それはお前の免罪符にはならない」

タイナイだってブログネタにしてたでしょ」

「カジマと違って、選別はしている」

「……」

しばらくカジマは沈黙していた。

すると突然、俺たちのいる場所と逆方向に走り出す。

「あ、逃げた!」

『煙を焚く』ってわけか。

俺たちは呆れて追う気にもならなかった。

だが、その時である




「あっっっつちゃー!」

すさまじく雑味のある高音が大きく響く。

その音の主はカジマだった。

どうやら服が燃えているようで、パニックを起こして躍り上がっていた。

持っていた発火具を誤作動させてしまったのだろうか。

「あ、あの辺りって、あの人が前に火を起こしていた場所だよ」

逃げるのに必死でそのことを忘れ、服に引火したのか。

よもや火の後始末すらちゃんとしていなかったとは。

「……助ける?」

気乗りはしないが、放っておくのも寝覚めが悪い。

その程度の情はある。

「助けよう」

「じゃあ、タオナケ。引火した服を、超能力破壊して」

「私、超能力者だけど、普通に消火した方が確実で早いと思うの」

「そうか」

俺たちはカジマのもとへ駆け寄った。

(#22-5へ続く)

2017-04-20

やればできる子からという呪い

http://anond.hatelabo.jp/20170420024153

この手の人は子供のころに「あなたやればできる子から」的な文言を刷り込まれているれてることが多い。

これを言われた子は「やればできる子」のセルフイメージを守るために「本気でやって失敗すること」を極度に恐れるようになる。

そういう子は大人になっても深層意識に枷がはまったままになり、「自分の最善を尽くす」ことにストレスを感じる性質になってしまう。

理性でこうするべきだとわかっていても、いやわかっているからこそ全力で取り組むことができない。もし万全で挑戦して失敗したら「やればできる子」ではなくなってしまうからだ。

しか仕事はこなさなくてはならないという板挟みの結果、ギリギリまで取り掛からないなどの小細工によって呪い言葉を守り続ける本人含めて誰も得しない悲しい人間性が出来上がってしまうのである

尻に火がつかないと作業が手につかないのをなんとかしたい。

表題のとおりです。

いくら集中しようとしても、よっぽどその作業が切羽詰っていない限りさっぱりはかどらない。

そして毎回、期日直前に二徹、三徹してなんとか終わらすのだ。

この方式ものすごい非効率だし健康にも悪いとわかっているのだけど、そう自分いくら言い聞かせても、余裕のある時期は作業をまともに行えない。

たとえば、ADHDの人が「調子いいと凡人の2,3倍の効率作業を進められるけれど、調子悪い日は作業が手につかない」なんてことをよく言うけれど。これはちょっと違うんじゃないかなあと思っている。

まり、ムラっ気の存在により本来の実力を活かすことができず、本来立てるステージよりも数段下に甘んじるを得ず、結果的に「俺は本気出せば凡人の2,3倍の力を出せるのだ」なんて思い込んでしまうのではないか

尻に火がつけばとりあえず作業を行うことができるので、私の場合ADHDとは違うんじゃないかなあと思っているんだけど、しかしそうするとこの性質には一生付き合っていくしかないのか・・・

2017-04-19

魔法言葉

ちょっとしたことですぐに視野が狭くなって頭に血がのぼり、ウウウゥと唸り声が出て、

何かに嚙みついたり、手足をジタバタさせたくなるという難儀な性質が一向に治らないまま人生も三十年に差し掛かろうとしている。

からこの異常性をなくそう治そう抑えつけようと決意しては失敗して徒労を重ね続けてきたのだけれど、

近年、発達障害と診断を受けるなどするうちに、なくそうとするより自分にはそういう性質があることを受け入れた上で、

うまく制御してなるべく見せない方向に舵を切った方が手っ取り早いし現実的だと考えられるようになった。

そんなわけでここ数年は、ヤバいと気付いた時点で 「ま、些事よ些事」 と思ったり口に出したりするようにしているのだが、

これがまた面白いようにハマって、人生がだいぶ楽になって発作の回数も激減する、自分にとって魔法言葉になった。



実際のところ、一瞬前まで「だめだ、もうおしまいだ。このままではこの世の終わりだ、俺はここで死ぬしかないのか?嫌だまだ死にたくない!アアアアアアアア」

と本気で思って唸り声をあげるのを必死で堪えながら頭を抱えていたことが、よーく考えたら「イメージした通りのサイズの玉ねぎが売ってない」とかそんな程度の事だったりする。

もちろん玉ねぎは他のサイズのもの代替が効くし、俺はシェフではないので素材のクオリティを追求する必要もない。まさに些事。

というか、自分生活の中の引っ掛かりポイントなんか、決まった場所にあるはずのリモコンが見つからないとか、Tシャツがうまく着られないとか、その程度の事案が大半だ。



年齢を重ねるにつれてむしろより具体的で正確にイメージができるようになってイメージ現実ギャップで振り回されることが増えたり、

単純に自制の能力が弱まってきているような実感もあったので、致命的にどうにもならなくなる前に回避策を見つけられてよかったと思う。

どうして「jt_noSkeのダジャレが本気で不愉快」なのか。

はっきり言って出来の悪い駄洒落のみを投稿するからに尽きる。

音楽に例えるなら、歌は人々を楽しませ、コミュニケーションを円滑にするツールだ。

しかし、歌にははっきりとうまい下手がある。いくら歌という存在が素晴らしかろうと、歌う人物調子っぱずれでは逆効果となる。ノースティリスだったら死んでたぞってなもんだ。

それに加え、いくら歌がうまかろうが、挨拶も会話も、まじめな相談もすべてが歌で返されたら?



駄洒落ジョークにも巧拙はある。

駄洒落はただ韻を踏めばいいというものではない、発想の転換や飛躍、あるいは文脈に沿った返歌、もしくは諧謔、とそういったテクニックを駆使することでユーモアに満ち溢れた駄洒落は出来上がる。

しかしながら、氏の駄洒落の出来はすこぶる悪い。正直、基本(韻を踏むこと)すらできていない。もう、何年も投稿しているはずなのにだ。

(じゃあ、上手な駄洒落の見本を示せ! みたいなマンガ批評に対して「じゃあ、お前が面白いマンガを描いてみろよ!」と返すようなコメントはお控えください)



また駄洒落がうまくない人に限ってしつこく駄洒落を繰り返す傾向にある。

会話において駄洒落ジョークアクセントひとつしかない。相手に何かを伝えることの補助として使われるもので、それ自体目的と化すと独りよがりな印象を与えてしまう。

オヤジギャグとは質の低い冗談のことを指すが、なぜオヤジなのかと言えば、そういった独りよがり対話能力の低い人物に中高年(オヤジ)が多いと感じられたからだ。



ブコメ性質としてはメモ帳のようなものだが、はてブソーシャルな場である。ただメモ帳として使いたいのであれば、プライベート設定にするのが最善だろう。パブリックブコメを発信するということは、外部となんらかのつながりを得たいと考えた結果と言える。そして大半のブクマカはそのように扱っている。

氏の場合駄洒落を言うか言わないか、という使い方をしている。「言わないこと」による発言コントロールもされているが、言っている部分がほぼ駄洒落であり、内容に駄洒落を言うこと以外の目的も感じられず、非常に独りよがりものを見せつけられる格好となっている。

氏よりもまだ駄洒落が上ず…マシなヒゲじいが結構ヘイトを集めているのも同様の理由だ。



質の低い駄洒落と、独りよがりにそれを繰り返すというダブルパンチこそが、氏のブコメ不愉快たらしめている原因と考える。

これを受け手問題だと片づけてしまうというのは、いかがなものだろうか。





あと、NG設定について。

これに関してははてブに限らず、SNS全般に言えることだが、NG設定やブロックというものは、自室に侵入したゴキブリに対して姿が見えなくなるスプレー提供しているに過ぎないということだ。這いまわる音や、シルエットまでなくすことはできない。というか室内にいることに変わりはない分、逆に怖いな。

嫌いな奴のツイートフォロワーRTで回してきたみたいなことはツイッターでは日常茶飯事だ。氏をNGにしたところではてブを使っていれば、今回のようにどこかで氏のIDに遭遇してしまう。

ゴキブリに対する根本的な解決方法は殺虫スプレーだが、これをSNSの場で適応するのは不可能だ。だからこそ悩まされる者は、ぐるぐると負の思考に陥っていくし、結果としてその感情殺意にまで高まる



元増田に対して非難を浴びせるブコメも多いが、ここには重要問題があるように感じる。





それと、これに関連して虚構新聞に触れてる人もいたので、それについても。

虚構新聞で取り扱われている記事の質は低くはないかと思われる。しかし、サイト思想上、それらの記事は他の新聞記事に紛れ込ませることに存在意義見出している。しか事実に基づかない記事というのは、ニュースメディアの意義に反するし、純粋ニュースメディアを欲している人たちにとって、それがいくら出来のいいジョークであろうとゴミクズ以下の代物でしかない。

先ほど自室にゴキブリが…という例え話をしたが、これも人の部屋にゴミを投げ捨てるような行為と捉えられてもおかしくはないだろう。

2017-04-18

1対1の強姦レイプAVは抜けるけど、多人数による輪姦AVが抜けない

特に中出しモノ。

輪姦は余計な事をし過ぎる。

あとカメラ映りが悪い。

1対1だとその辺が上手く表現されやすいけど、メーカーモノのAV特に撮影表現の未熟な輪姦モノが大半を占めていて駄目だ。

レイプにも種類はあるけど、やっぱり一番良いのは誰もいなさそうな所で襲う典型的な奴と〇〇業者を装って部屋に侵入する系、父親が娘を母親がいるのに隙を見て犯す系が良い。

輪姦モノは何が駄目って多人数だからそれぞれ見せ場を作りがちでいたいけな演技をする女優とそりが合ってない感じがある。

そしてただガン突きするだけで休む暇もない。

この辺は特に下手に感じる。

いや厳密にいうとレイプ男優が下手な方が映える。

上手い場合、突き方にやたら扇情的になりがちだし、甘い台詞を吐いて、そのせいでこれはレイプ物語なんだと決め付けて現実に引き戻される。

つの物語性が強く残るのが1対1の面白い所であり、逆に多人数だと物語性が一気に希薄になって駄目だ。

ねっとりじっくり犯して完堕ちさせる流れもアリだが、逆に最後まで抵抗する・嫌がる方がよっぽど抜ける。

妊娠・孕ませという男の願望に従った作風なら最高。

中出ししてもピルがあるから大丈夫みたいな言い聞かせ系はクソ。

輪姦モノは特にそんな感じがある。

オプションとしては、偽物でも最後妊婦姿になってる風な描写が望ましい。

AVはその性質上本物の赤ん坊を抱いた姿は見せられないので、せめて産婦人科に通ってる風な演出最後を締め括ってくれれば

レイプ物としては最高の出来だと思う。

出来れば一発で終わらせず何度も中出しする感じが良い。

監禁モノは一回出したら後は多人数かコスプレH、外出しに変化しちゃうのでクソ。

未だに監禁系は抜ける奴がないのが残念だ。

レイプもこれという作品2014年を機に減っている。

いわばジャニーズありきのドラマを見せられている感じ。

女優ありきなのでだから抜けないのかもしれない。

そういう意味では上原亜衣の強姦ドキュメント最初の方は非常に良かった。直ぐ輪姦に代わるから使い勝手は最悪だが。

あいうのはもっと色んな女優でやって欲しいものだ。

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170417005128

基本的哲学は未知の出来事科学思考に基づいて思惟し、結論する分野で、

科学現象に現れた再現性ある事物を集めて結晶化させる分野だと思っている。

数学との親和性が高いのは論理自体を突き詰める意味では似た性質があるから

人間の脳は双方向に慣れる性質を持っているので、荒いCGの視聴を続けるとそれにチューニングされる。

何にバイアスがかかるか程度の問題しかない。



けもフレの話は最初からしてないんだけど

元増田によるトラバはこの書き込みのみ)

面倒に関わりたくないからエアトラバしたのに。

知能を上げる方法

わたしの知っている知能の高い人たち(wais-iiiでIQ140~くらい出す人たち)はみんな興味のないことが全然できない。

好きなことばっかりやってて、どうでもいいことに対してはすごく冷淡。

でこれまでわたしは彼らのそういう性質は知能の代償なのかなって思ってたんだけど、実は因果の向きが逆で、好きなことしかできないから彼らは知能が高いんじゃないかって思うようになった。

そう考える理由ちょっと説明してみたい。

まず人類学問の体系は、だいたいどんな分野であれ似たような方法論に依っている。

物理学でも文化人類学でも計算機科学でもやっていることはだいたい同じだ。

で、知能というのはそこで共通する一般的思考の枠組み、もの見方だと思われる。

少なくとも知能検査で測られる知能っていうのは、そういう性質抽象して測るために作られているはずだ。

そしてこの方法論を学ぶには、浅く広く物事を知るよりも、ひとつ分野を定めて深く掘り下げるほうが効率が良い。

というのも、分野に関係なく、ある程度の深さまで達しないと現れてこず習得もできない思考の仕方というものがあるからだ。

そう考えると、一つの興味をひたすら追求しそれ以外を無視するような知性のほうが、広くこつこつと学んでいく知性よりはやく高度な思考法を獲得するのは当然だということになる。

というわけで、賢くなりたい人はいろんな分野に浮気せず、ひとつ学問を究めてみると良いんじゃないかな。

おすすめ数学哲学です。

(追記)

なんか誤解されているみたいだけど、頭の良い人がみんな専門馬鹿だと言ってるわけではなくて、

一度一つのことを深く追求して得た一般的方法はわりと応用が効くよ、知能ってつまりそういう能力じゃない?ということが言いたかった。

で興味が偏ってる人はそういう発達過程を経やすいんじゃないか、というのがわたしの推論。

もちろん万能っぽい人も中にはいるけど、彼らは興味の幅がそれなりに広いだけで、

やっぱりそれ以外のところでかなり欠落してたりする。

それから、waisでほんとの知能を測定できるかって話になると、そもそも知性とはなんぞやという議論になってしまうわけだけど、

それはあまりに複雑な話題から書かない。

ただしwaisで高いスコアを出す人たちの能力思考法が傍から見ていてそれなりに便利なものであるのは間違いなく、

彼らがそれをどうやって身につけてきたのか、なにが要因としてあるのか考えるのには意味がある、と思った。

知能に直接関与する遺伝子は見つかってないみたいだしね。

2017-04-15

又吉直樹火花』の浅い感想

物語殆ど神谷氏との会話に割くという体裁を取る。

述べられていることは彼が自我を譲らぬように見えて融通無碍であり、かといってこだわりがないわけではない、という描写

ある意味では一貫してこだわりを見せ続ける神谷常識を破り、面白がることだけに意識を注力させている。

この神谷氏に振り回される、プライドが捨てきれず定式化された発想で生きる平凡な主人公という構図だ。

アイディアノートに書いたもの逐次載せていったことを想起させる構成であり、部品意味はあるが全体的に散漫な印象を受ける。

これはおそらく又吉自身神谷伝記という形をとって楽しようとしたのではないか、という邪推につながっている。

もっと神谷という人物像を考えると、一切の妥協をしないがゆえに売れない芸人である、という意識には注視すべきだ。

これ故文体稚拙さはさておき、構成力のなさは妥協しない神谷伝記としての体裁だという見方も「一応できなくもない」。

そのせいかは知らないが、ラストまで漫才世界TV世界地方巡業などのリアリティは一切担保されない。

芸人についてWikipediaを見ながら執筆したレベルしかなく、漫才世界イメージは切り取られていない。

例えば相方片方だけ売れるだとか、展開の変化を入れる気配もない。

このあたりですらP119、P120で説明的に済ませており、配分を明らかに間違っている。

漫才世界の総和として神谷の感動があるのだ。

神谷の魅力を伝えたいならば、神谷以外の相対的世界のあり方を描写しなければならない。

神谷だけを語って神谷の魅力に翻弄される主人公を描ききれるはずはない。不可能ではないが、それには相当な理屈必要だ。

あるいは純度の高い神谷伝記としてそうしたものは不純だとでも言うのだろうか。

仮にそうだとすれば神谷ありがちなドンキホーテ型の人物であり、学ぶべきところは何もないのではないか

少なくとも自分漫才メタフィクションで知りたかったのは、掛け合いに置ける空気の読み方や受け方、突っ込み方などである

P124以降の掛け合いにおいても心理描写は全く省かれており、小説の利点を失っている。

そればかりかこのくだりは極めて相方愛に満ち溢れたポエジーな構成に終止しており、

さながらアニメ監督実写映画を撮ったかのような体である。つまり背伸びしか見えない胡散臭さを感じる。

作者はお笑い芸人だろう。ならばお笑い芸人しか出来ないことを作品内でやるのが武器の使い方というものだ。

それともその胡散臭さが笑いなのだろうか。狙ってやっているのかという思惑すら頭をよぎる。

芸の一生を書くにはページ数が圧倒的に足りないし、増やしても当たり前のことしかいえないしで、読み方に困ってしまう。

世界的な住民とのふれあい尊敬を描く、という構図は案外とオーソドクスで、神谷はさしずめ無銭の仙人という役割である

相関構図が狭い以上、神谷の異常性に対する崇拝か反発という二元的意味しか出てこなくなるのは当然だ。

本来ならば相方お笑い業界師匠ライバルなどの多面性をから神谷を浮き彫りにすべきなのだ

ここで神谷に味付けするとすれば、まるでブッダのように元来金持ちであったなどの相反する性質を入れることだろうか。

それとも実がないのにコネで売れる、偉そうな口先芸人というポジションのほうが描きやすいかもしれない。

まり世界設定どころか、神谷個人の背景設定もフィクションとしては単調なのである

仮に平凡な成功者と失敗した求道者という対比があったとしても単なる王道である

その他の要素に手抜かりがあれば大したテーマにはならない。

総和があってこそ初めて痛みとともに受け入れるものからだ。

今作は主張が先走っていると取られても仕方がないだろう。

読後感は薄味という他ない。

2017-04-14

2年位使ってきたgoogle+のいいところ

そこそこ人が居ない(メリット

文字数制限がゆるい(無い?)

リンク先のサムネがあって見やす

なんだかんだコレクションは便利(主に自分管理する時)

youtubeが見やすくて貼り付けやすい。ライブ配信の視聴、共有周りはわりと良かった。コメント周りは知らん

駄目なところ

複数画像を貼り付けると表示順を変えられない(最近は幾つかの方法で変えられるようになったけど、とういつされていないっぽいのでよくわからない)

画像は本文の後にしか表示されない(本文中に挿入できない)

コミュニティストリーム矛盾しているのでいらない(性質上メインになるべきではない閉じたものなのにメインコンテンツのように推されてた)

公式クライアントしか無い

マストドンでいいかな?

大阪同性カップル里子問題

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170405-00000131-mai-soci

ニュースで「大阪市同性カップル里親認定」という話をみた。



子供同性愛者の受け入れという意味で、可能性が広がるという意味で、好ましい話である一方、これがニュースになる世の中であることに不思議さを感じる。

私はこの話を行為的に受け止められるニュースと受け取ったのだが、2ちゃんとかコメントとかを見てみると、変態子供を育てるのってどうなの?とか、性行為を行っている姿を子供が見てしまったらどうするの?とか、いろいろ意見はあるようだった。



私は、里親としての責任を果たせるかと、同性愛であることは特に関係ない気がしている。


今日3月26日にあった、メキシコ女の子の屍体遺棄の犯人が見つかったというニュースがあっていた。

その犯人は、子供見守り隊の隊長をやっていたそうだ。



真っ当そうな人でも、殺人を犯す人がいる。

なんの職をしているのかとか、同性愛者か異性愛者かということは、その人自身性質とは全く関わりないことだと思っている。上流階級が、人の尊厳を損なう行為はしないのかといわれればそうではないだろうし、同性愛者だから性的虐待を犯すに違いないという考えも、偏見だろう。



周りから評判がよくても,DVをする人はいる。

普通子供は親を選べないものだ。だからせめて、里子に出されるような、経済的不安定だったり、いろいろな問題を抱えていた子供には、子供を一人の人間として接してくれる親のところに行って欲しい。でもそれは、多分同性愛であることとか、下手するとカップルであることとも関係なくて、月並みな話だけれど、ある程度人を人として接してくれる、気があい経済的に安定な大人であることが重要なんじゃないかと感じる。



しろ、周りの人たちが、子供やそのカップルに対してどう接するのかの方が問題なのではないだろうか。

子供は10代だそうだから思春期になる頃だ。そうしたら、自分里親普通でないことももうわかる年齢だろう。そんな中でちょっと疑問に感じた子供が、周りからである人の中傷を聞いたら、どう思うだろうか?



このニュースを見た人は、様々な考えを持つだろう。だが、このことを批判することで、傷つくのは子供なのだということは、わすれないようにしなければならない。そして、里親となる人物変態か疑問を持つことも重要だが、それはすべての親に注がれる問題であり、同性愛であることとは別問題であるはずだ。



同性愛者というマイノリティーが、マイノリティーではあっても決して差別対象とならない社会のために、むしろこの記事を読んだ私たちが、子供のために偏見差別をしないように意識しなければならないんじゃないのだろうか。そう思っている。

2017-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20170413162023

そもそも、ラノベという言葉が先にあったのでは無く、ああい小説が昔からあって今はそれにラノベというレッテルが付いているに過ぎない

ラノベという言葉があろうとあるまいと、ああい小説性質などが変わると言う事は無い

にもかかわらずラノベというレッテル他人が付けている事にこだわる連中は、他人の目を気にして格好つけで本を読んでいる連中

杏は大病を患えばいい

モバマスの第6回総選挙が始まった。

が、低レベルへたれ杏Pとしては「どうせ1位になれないしなぁ」という気持ちがぬぐい去れない。

このままだと、たぶんずっとそうだろう。

杏は安定した人気がある。

しか最近の流れからして、このまま安定しかしない、むしろこれ以上になることがないとすら思える。

なぜなら、杏の抱えていた課題が、きらりとのハピハピツインで解消してしまたから。

そして、じゃあ今後ハピハピツインの盛り上がりがあるかと言ったら、「シンデレラを目指すアイドルたち」という物語性質上難しい。万が一なにか展開があっても、ハピハピツインとしてであって、杏ひとりではない。

モバマスの続いている間に、1度でいいか担当アイドルが1位に輝く瞬間を見たい、というのは多くのPに共通の願いだと思う。

どうすれば、杏が1位になれるか考えてみた。

結果、杏には大病を患ってもらうしかないのではないか、という結論に至った。

そもそも杏はやる気がない、でもやるときはやる、という姿が世界一可愛いアイドルだった。

しかし、マンネリとハピハピツインの結果、「どうせ口ではなんと言おうと、単なるポーズであって、ちゃんとやるんでしょハイハイ」という安定ポジションに至ってしまった。

そこで、安易ではあるが一旦『口でなんと言おうと、本当は頑張りたくても、けして頑張れない状況』に置いてみる。

最初杏は、体調が悪いながらも休めることを喜ぶような発言を続ける。

半分本心で、もう半分は心配させまいという優しさを感じさせる配分で。

そして後半のエピソードで「やりたくない何もしたくないない」言っていた杏が、無理をして、動かない体に鞭打って、必死ステージに上がろうとする姿を見せる。

なんなら止めようとするきらりを振り切る場面を作ってもよい。

なんだかんだでステージをいつも通りのようにやり遂げて、幕が降りると同時に倒れ、エピローグ的なもので「頑張った分1年くらい休ませろ」ちゃんちゃん、みたいな。

その後は、単なる安定ポジじゃなく、だらけた姿勢の中に、心の翳りとか、焦燥感とか出せば個人的宇宙一可愛いと思う。

そんなわけで、運営は加蓮から消えかけてる病弱要素を杏に与えてくださいお願いします。

2017-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20170412200048

あなた二次創作エロ生理的に受け付けない、っていう性質なだけ

レイプものAVじゃ抜けない、レズものはあまりきじゃない、貧乳より巨乳が好き、なんかと同じこと

同じクラスの好きな女の子で抜きまくった奴もいれば罪悪感で抜けない奴もいる

そういった個人の好みの問題を「倫理的に正しくないのだからこんなものを好きなのは間違っている、私が正しい」として安心を得たいだけにしか見えない

2017-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20170411002254

院進も視野に入れたらどうだったんだろう。大学性質によるからよくわからないけど。

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170410125248

それは既に殺人犯一般化と刑務所一般化がなされた上で刑を更に一般化して、罪の軽重にかかわらずフラット適用してるだけじゃん。

一対一で共有されてない状態だと一般論にはならないよね。さて、




Weblioより

1.あるグループの一部の事物について成り立っていることから,そのグループ全体について成り立つように論をおしすすめること。普遍

2.諸事物共通する性質に着目して,それらの事物を一つの概念のもとに統合すること。また,その概念を同一部類の全体に拡張すること。一般化。普遍化。 ↔ 限定




相手認識から外れているのだから、自ずと一つの概念には集結しないなあ。

全体という言い回しでも矛盾してる。全体から議論相手は溢れる。

もしかしてからない?

http://anond.hatelabo.jp/20170409214837

トラバ久々だから間違ってたらすみません

あと一応言っておくと、私は女性です。

自由に持論をゴチャゴチャ述べるので、気が向いた人だけ読んでください。

まず大前提としてスカート強要どころかスカート推奨もクソでくだらない風潮っていうのは言っておきます

パンツスーツの悪いところなんかないからね。

それに限らず、日本企業社会も本当にゴミで、自分達がおかしいなんて1ミリも考えないし自浄作用もない。本当にクソだよ。

で、そのうえでファッションにおいてスカートスーツ正式である、とか、スカートスーツのほうが実際には美しい(美しく着こなしやすい)、という話をします。

理由は、

1.歴史的にはスカートスーツのほうが僅かに「正式である

2.男性の体型と女性の体型は異なり、女性特有の体型に対してはパンツよりもスカートのほうがマッチする

のふたつです。

まず、基本的ファッションは「遡る方が正しい」という前提があります保守的であればあるほど堅苦しく、狭く、差別的で、また正式であるということ。

大体同時に女性蔑視であることも伴うので、スカートスーツは「正式」だからこそ「強要する風潮はクソ」であるという持論も、両立します。

正式ということは「正しい」という話ではなくて、ファッションはそういう性質を持つ文化だということね。

ある人の受け売りだけど、要は、カジュアル(庶民)な服装に対して、ドレススーツビジネス的な側面を持つ服装は、正装、つまり政治に参加するようになった市民が、政治を行っていた貴族服装を真似た」っていう経緯が本来あるわけ。イギリスでね。

から、少し前のスーツスタイルというのはジャケットベストパンツの三つ揃いに、シャツネクタイ、革靴が必須で。

あとはハンカチーフだの、紳士たるもの、ハットにステッキ必須だの。

そのもっと前だとカツラ必須だったりね。

バカバカしいけど、バカバカしいことを装って社会階級を示したり、連帯感を持ってきたのが「ファッション」という文化なんだな。

要は、それが貴族のものから市民解放されて、イギリスからいろんな場所を経て日本に来て、サラリーマンなる労働者階級(イギリスでは今も労働者階級スーツを着る階級とは断絶があるけど、日本はその境目が曖昧とされてる)

が着るようになって、「シャツスーツ上下ネクタイ」が最低限の要素として残った、ということ。

たまにネクタイも要らないけど。就活で、かつ女性スタイルでは見ない方が多いかな。

長く話したけど、要は身も蓋もない理由だけど、スカートスーツは「パンツスーツよりも前にあった」という理由でも既にパンツスーツに長じているし、また、

女性ファッションの変遷を見ても、女性パンツスタイルを始めたのはかなり近年になってからのことで、スカートのほうが先んじているから、スカートスーツに軍配が上がる、ということです。

ふたつめに、「スカートタイトスカートよりも広がっているもののほうがカジュアル」だけど、

パンツスキニーよりも幅の広いもののほうがフォーマル

という、スカートパンツのシルエットにおけるフォーマルカジュアル逆転現象もあります。その話がふたつめの理由に繋がるのですが。

スカートは、膝丈前後タイトスカートが最もフォーマルイメージを受け、また、マキシ丈スカートなど、裾が長くなり、広がったほうがカジュアルな印象を受けます。(素材の話もあります割愛します)

パンツに関しては、逆にスキニーパンツなどで脚の太い部分、細い部分を強調したほうがカジュアルな印象を受け、腰から足首まで長さが均一(足首の布は余る)ほうが、よりフォーマルな印象を受けます

これにより、パンツスーツ基本的ブーツカットよりのシルエットのものが多いです。

これは実際に見てみた方がわかりやすいです。

これは歴史的変遷もありますが、同時に、見た時に受けるイメージ(私だけがそう思ってるわけではなくて、ファッションにおいては大体共通見解だと思います)でもあります

そうでなければ、歴史的経緯だけを見たら、

ロリータファッションなどでスカートをふくらませたほうが、女性においてはより保守的、よりフォーマルになるはずだからです。

しかしこれについても、受けるイメージなどという曖昧ものではない説明もできます

まり就活を始め「女性スーツ姿」というのは極めて新しいものであり、また、これは「遡ればマリアントワネット正式である

のではなく、「女性男性政治参加者に近づける」のが目的であるからです。

要は、スカートスーツであれパンツスーツであれ、下半身に関しては「女性特有の凹凸を消す」ことがフォーマルな印象になりやすい、ということです。

女性は太ももが太くふくらはぎが細いので、膝丈のスカートは全体的に凹凸の違和感を無くすということです。

パンツスーツでふとももがパツパツになってしまってる女性、いますよね。

パンツスーツのほうが、どちらかといえば凹凸ができやすいので、全身のIのラインが乱れ、着こなしによりますフォーマルに着こなすのが難しいということです。

スカートでもふとももパツパツの人いますけどね。パンツは全身を眺めた時の、落差、違和感が目立ちやすいのです。(そんなことないと思う方がそう思うのは自由です。)

よって、上記の二つの理由によりスカートスーツのほうがパンツスーツよりは「正式」なのです。

実際はそこまで考えておらず単なる押し付ける側のスケベ思考なので、早く選ぶ側が隠した差別もしないほど、本当の意味で「どちらでもいい」になってほしいなと私も思います

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