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2017-03-30

姉への援助が度を越えている親

姉とわたしふたり姉妹。姉もわたしも既婚で子持ちの3人家族実家から離れて東京暮らしてる。

両親はわたしたち姉妹大事に思ってくれてる。

だけど姉は親に頼りすぎだとおもう。姉はパソコン家電がほしいとき、「あれがなくて困ってる」という相談を親に持ちかけ、なんだかんだで甘い親は買い与えてる。昨年、姉は家を買いたいと親から2000万をもらった。(頭金を出してもらった)父はいつか返してもらうよとわたしには言うけど、姉はもらったつもりだし親も返済のルール曖昧にしていて、返してもらう気は特になさそう。

しかに親は特別に裕福というわけではないけど、貧乏ではない。しかし2000万はあまり大金すぎる。今回の2000万も老後のための預金を姉の家を購入に充てたようだ。しかも家のローンはなぜか父が支払うことになっていて(姉は父に返済する流れ)なんだかんだ姉はうやむやにしそう。ラッキーとでもおもってるみたい。そういういい加減でだらしない姉と姉夫なのだ

はっきりいって、姉家族のほうがわたしたち家族より年収が多い。昨年は3回も海外旅行に行っていた。細かいことをいうと食卓にならぶ食材だって毎日豪勢だし、外食の回数も多い、子ども習い事にも熱心だ。

わたしたち家族は家庭でなんとかやりくりして生活している。毎月ちょこちょこ貯金をがんばっていて、貧困というほどではないけど、子どもが小さいこともあり海外旅行には3年は行っていない。

姉のことが羨ましいとか、わたしだってからお金がほしいとかそうは思わない。ただ、親の大金を食い潰すようなことだけは絶対に許せない。わたしが知らないだけで、きっとほかにもいろいろ援助を受けているであろう姉が腹立たしい。

でも姉妹はいえ、親と姉の問題で、双方は納得しているようだし、口出しできない空気がある。

もっとしっかりしてほしい。娘だからってなんでもホイホイ協力しなくていいし、親だからって好き勝手食いつぶしていいわけない。やるせない怒りが湧いてくるけど、馬鹿平和家族だなと思って呆れるしかない。

昔、適応障害になった話

突然思い出しので、しっちゃかめっちゃかだが書いてみる。

特に意味はない。

数えたらもう5年も前のことだった。

いきさつは割愛するけれども、私は適応障害になったのだった。

何をしていても頭がボーッとして集中できず、当時の勤めていた職場は勿論のこと、当時住んでいた場所にいるだけで涙と激しい動悸に襲われて、とてもじゃないけど働き続けることはできない状態だった。

朝起きるとうわ言のように、「逃げたい逃げたい」呟いていたり、物を片付けるのさえも億劫で、部屋が物凄くとっちらかっていたのは何となく覚えている。

当時の詳しい出来事は今でも靄がかかったようで、あまりはっきり思い出せないのだ。

やっぱり正常な状態じゃなかったんだろう。うん。

そんなこんなで、何とか頑張っていたものの、ある日限界突破

上司に「辛くて耐えられないので辞めさせてくれ」と直談判した。

上司はえらく驚いていたが、「辞めると言わず、とりあえず実家に帰ってしばらく休んでみては」と言われ、実家に帰った。

から他の人から聞いた話だが、上司は私の様子に全く気がついていなかったらしい。

当時は、迷惑をかけまいと何とか普通に振る舞っていたつもりだったが、それがうまくいっていたようである

今になれば、「まったく、なにやってるんだ…」という感じだが。

実家に帰ったら、すぐに家族心療内科に引きずられていった。

そして、あっという間に適応障害と診断されたのだった。

先生の診察前にカウンセラーさんとはなしたとき不倫などの特殊恋愛をしていませんか?」と聞かれたときは、「ああ、そういう理由で疲れる人もいるのだな…」と思ったことだけてはなぜか良く覚えている。

適応障害になったことで、自分から離れていった人も何人かいた。

が、大抵の人は側にいてくれて、それだけでかなり救われた。

当時は一生なおらないんじゃないかと思ったりもしたが、薬を飲んで、きちんと休めば、嘘のように元気になった。

適応障害なんかの精神病気は、完治と言い切るのが難しいらしく、

寛解(全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること)

という、表現を使うらしいこともその頃知った。

が、勝手に完治したと私は思っている。

当時の仕事は辞めてしまったが、なんだかんだ次の仕事も決まり、今はすっかり元気で何の問題もなく働いているのだった。

あれは、一体なんだったんだろうな。

ただ、それだけ。

2017-03-29

仕事やめたい

工学部卒、今年で24になる男

半年弱ほど既卒ニートの後、実家田舎から通える会社就職

営業事務でつらいつらいしながら働く

半年の試用期間を経て今月から正社員となる



職場環境はそこそこよい

上司理性的で賢い

同僚は素朴で易しい

残業は月20時間

手取りは月20

事情によりコネもある



しかし常にドキドキしている

不安感に襲われる

体が重くて節々が痛い

常にぐったりしている

朝は仕事に行きたくなさすぎて叫ぶ



仕事が本当に嫌だ

週5の8時間+αを仕事に捧げなくてはならないことに憤りを感じる

仕事を通して得られるもの価値を感じない

時間無駄にしていると思う

こんなにたくさんのお金はいらない

正社員地位もいらない

友人も家族もいらない

一人で好きなように生きたい



好きなときに起きて

好きなものを食べて

好きなだけネットをして

好きなだけ本を読んで

好きなだけゴロゴロして

気が向いたら散歩して

眠くなったら寝る

そんな生活がしたい

オイスターソース炒め焼肉味【追記あり】

私は結婚3年目の主婦である

先日、牛肉青梗菜オイスターソース炒めを作った。

すると夫が無言で席を立ち、冷蔵庫から焼肉のタレを取り出し

ドバッとオイスターソース炒めの上にかけた。

「美味しくなかった?」

青梗菜の味が牛肉邪魔してるんだよね」

「…? 青梗菜嫌いだった?」

「ううん、別に。」


ちなみに、レシピ本を見て計量し作った。

独身時代から実家料理をしてたし

家族普通に食べてくれてた。

私の母は調理師だ。


カレーを作った際は

「俺の求めてるカレーじゃない。

実家の味に寄せてくれ。

レシピは知らない。

俺の母親に聞け。」と言われた。

汚部屋に住む外食ばかりしている義理母の言う通りに作ったが、どうも違うらしい。

1年、これじゃないと言われ続け試行錯誤した。

結局、ニンニクをドバドバ入れてジャガイモを煮崩れさせてドロッドロにしたものが完成した。


夫のことは愛してる。

仕事もよくして、家事も手伝ってくれる。

でも、この人に40年も料理を作っていくのかと思うと気が遠くなる。

毎日料理が楽しくない。

毎日食事が楽しくない。

こんなの地獄だ。


【追記 2016/3/29】

匿名ダイアリーで反応があるなんて思ってなかったので、コメントトラバがとても嬉しかったです。

ありがとうございます

ここに書いて見てもらえるのか分からないけど、匿名ダイアリーの返信ルールがわからなくてごめんなさい。


http://anond.hatelabo.jp/20170329091916

それ言うとメンドくさい事になるから言わないけど、ありがとう。嬉しい。

http://anond.hatelabo.jp/20170329092214

クックパッド掲示板でやれってこと?

匿名じゃないしな…。

ちなみに、有料ユーザーです。

人気レシピの通り作っても文句言われるからプロ料理本の方がいいのか?と思って本を試してるけど、

そう言う問題じゃないみたいだ。


http://anond.hatelabo.jp/20170329092632

わー…お母様ご苦労様です。

こだわりが強いと思わせて、何食べてるかわかってないんですよね…一緒です。

うちには幼児もいるので、今から濃い味に慣れてもらっちゃ不健康だし、味音痴娘にはしたくない。

突き付けてやりたいけど、自分の舌が正解と思い込んでるし、食事は働く意欲なんだ!と言われると、仕方ないかなと思ってしまう。

正直この件に関しては結婚してから何度となく喧嘩してきたので、もう2人とウンザリなんですよね。

私も美味しいって言ってもらえないの我慢してるし、向こうも好みの味じゃなくても我慢してる。

から無言で焼肉のタレ。

ゲッソリ。


http://anond.hatelabo.jp/20170329093021

10年…!

希望の光…!!!

うちの義理母も出来合いのもの多いらしい。

あと7年、頑張ろうかな。うん。


http://anond.hatelabo.jp/20170329093631

id:masudamaster

はっきり物を言える人の方が押しが強い感じしますよね。

でも何でも美味しいって言ってくれるのはとんでもなく魅力的ですよ。


http://anond.hatelabo.jp/20170329094012

早く死ね!!って思えたらそうする。


id:dobonkai

どうも、落とし所迷子です。

ボディブローは嫌ですね…

いっつも話し合いじゃなくて喧嘩ちゃうんですよね。うーん。

子連れの友人と遊んだ。辛かった

私は今妊娠3カ月。妊娠は始めて。つわりでそこそこ辛い。1日5時間くらいなら仕事もできるし、人と会えば忘れるくらいの軽さ。でも、無理すると翌日の気持ち悪さがすごい。

10年来の子持ちの親友(月1で会ってる)と遊ぶことになった。子供は1歳10カ月くらい。

これまで彼女は、外で会うとき子供を預けてからだったのに、今回は当日になって急に「雨で子供実家まで預けにいくのが大変だから子供も連れていっていい?」とのこと。

私も妊娠不安とか色々あったし友人には会いたかったし、2歳ならない子供と会うのがどれくらい大変なのかよく分からなかったし、子供を産むんだから子供に慣れたいなという気持ちもあってオッケーした。


でも、やっぱり疲れた

不安相談するとかそういうのじゃなかった。そもそも、二人で話そうとすると子供が「こっち見て!」アピールをするから、会話が深いところまでいかない。

子供には何も思わない。可愛いし。でも、ご飯を動画見ないと食べられないらしく、それもあんまり食べたくないみたいで、お菓子いっぱい食べて、食べたくなくなると吐き出して、

別にそれはいいけど、そのたび友人が「やめて」「ママ怒るよ」ってキレてて、

だんだんそういうときニコニコしてるのが辛くなってきて、つわりキツくなってきて、そこにまたキレる声が聞こえるから、辛くなった。

動画もね、見ればいいと思うけど、通信制限がきてるみたいで、しょっちゅう止まって、それでまた子供イライラしてて、イライラする子供を見て友人もイライラしてて、

正直、「オフラインでも再生できる手段を考えるべきでは?」と思ってしまった。

ここまで疲れたはいい顔したかった私のせいだけど、その日の夜は疲れと気持ち悪さで眠れなくなってしまい、

翌日はダウン。仕事も休んだ。つわりで休んだことなかったのに、すごく申し訳なかった。でもとにかく疲れてしまった。

なんのために会ったのかな??と思った。

ムカつくわけでもないし、友人と友達やめたいわけでもない、いい子だと思う。でも、なんで子供つれてきたんだろ?とちょっと思ってしまった。

妊婦なのだろうか。このところ、自分イライラがどれくらい「まっとう」なのか、ホルモンバランスの乱れで訳の分からないことでイライラしてるんじゃないのか不安

2017-03-28

結婚願望について

もう4年くらい前になる。

人生ではじめて付き合った女性と別れた時、言われた言葉がこれだった。

あなたみたいな子供が産まれたら、ぜんぜん可愛く思えないわ!愛せない!あなたみたいな性格だったら悪夢!一匹だってこんな辛いのに、こんなのが二匹も!」

なにも反論できなくて、反論すべきかもわからなくて、とにかく落ち着けと言っても聞いてくれず、もう寝ると言って布団をかぶった。

勝手に寝れば?私も勝手に続けるから!」

とその後ずっと罵倒言葉は続いた。

彼女は俺のことを好きではなかった。

思い返せば、自分彼女を好きではなかった気がする。

昔、一度告白して断られた女が、高齢無職になってすり寄ってきて、押し切られて同棲

自分のほうにも、ババアをもらってやってるみたいなおごりが確かにあった。

あれから、いくつかの変化があった。

まず、実家とは疎遠になった。

それと、他人に嫌われることが平気になった。

好かれたり嫌われたりは、人間価値とは無関係と思うようになったからだ。

ピーマンが嫌いと叫んでも、ピーマンピーマンしかない。

世の中には嫌いな人もいるだろう、そのくらいに思えるようになった。

それに加えて、他人感情シンクロすることがなくなった。

凄惨事件にも悲しくなることがなくなり、葬儀送別会映画でも悲しくなることはなくなった。

タイタニックの船が縦に沈んで、人がバラバラ落ちる描写や、鼻水を凍らせながら愛を語るシーンで笑えるようになった。

これらの変化は、あの夜以降、一つの気づきがあったためだ。

人は、(相手の心は)(現象は)こうあるべきなのにそうではない、ということで怒ったり悲しんだりする。

褒められるはずなのに褒められない、愛されるはずなのに愛されない、ずっと一緒に居たいのに、別れないといけない、などなど。

自分勝手に前提条件をつけて、自分が苦しむ。

他人他人で、他人気持ち絶対からない。

自分気持ち相手には決してわからない。

自分の願望と、目の前の事実関係ない。

そういうことに気付いたのだと思う。

ただ事実だけをみつめて、結果だけを受け止めれば、なにを言われても平気に、誰と離れ離れになっても、誰が死んでも、わりと苦しくない。

感情がなくなったわけではない。

絵や、舞踏みたいな、非言語芸術を楽しめるようになった。

場の空気前後文脈や、他人感情干渉されずに、思うままに、感じるままに、生きられるようになった。

好きな服を着て好きなものを食べ、好きなことをする。

幸せと呼ばずしてなんだろうか。

長い前置きだったが、本題に入る。

恋人が出来た。

また、相手もいい歳だし、結婚も考えてるのだと思う。

しかし、自分結婚には向いていない。

恋愛をしたいと思って付き合ったけれど、自分にとっての恋愛は、夏の虫取りくらいの重みしかなく、セックススポーツで、結婚なんて微塵も考えられない。

このことを伝えるべきだろうか?

追記

人の感情に流されなくなってから投資で失敗することがなくなった。

例えば、今年はトランプ大統領誕生しようと、イギリスEUから抜けようと、パニック相場が動いてるのを冷静に見て取れて、大きく利益がでた。

実家の犬が亡くなった

会社を出たところで、母から電話があった。

何年か前から白内障子宮病気を患っていたけれど、心臓が弱ってしまったことが一番の原因だということだった。

ここ二週間で経口で食事がとれなくなり、栄養剤を投与してなんとかやっていたということで、亡くなるころにはあばら骨が見えるようになっていたという。

からメールが行っているはずだと伝えてもらった。

駅に着いたところでメールを見たら、ぽっかりと穴が空いたようだと短い文章で書かれていた。

堪えていた涙が、ぽろっと頬を伝った。

 

会社の後輩も、私と同じように遠く離れた実家で飼っている犬を亡くしたということを先週聞いたばかりだった。

後輩が年末年始帰省すると、犬がいない現実がそこにあることが何より悲しかったという。

お母さんも、時間が経ってもぼうっとしていて、それを見てまた悲しくなったと言っていた。

 

後輩の話を聞いて、犬を亡くすことがどんなにつらいものか、よりわかった気がする。

どうか、のこされた私の家族が気落ちしすぎないように、とても愛されていた飼い犬が幸せなまま送ってもらえることを祈っている。

みんな幸せなままいられたらいいと、心から思っている。

http://anond.hatelabo.jp/20170328193057

好き嫌いがあるやつが料理すると好きな食材しか料理しないだけな気がする

私はきゅうりが嫌いだから私の作る冷やし中華きゅうりの代わりに縦長に切ったレタスが入ってるし、

母親チキンが嫌いだったか実家を出るまでほとんど唐揚げとか食べたことがない(給食とかで食べてたか私自身は食べられるしチキン好きだけど)

だいたい好き嫌いがあると理解している人なら尚更「嫌いな食べ物なぁに?」と聞いてから作るぞ

保守愛国活動孤独感を減少させる by愛国保守の人

という自己分析をしているブログがあって興味深かった


以下引用

これはただのエッセイというか最近思っていることなんですけど。

2000年以降、インターネットの普及も相まって、敵対的隣国情報が普及しだしました。しかしそれを報道するメジャーテレビ局は無かったわけですし、新聞産経を除いて報道してきませんでした。

なので、ネットユーザーの間には、自分たちでこの歪められた情報空間を正さなければならない、敵を見極めなければならない、国を守らなければならないという危機感と同じネットユーザーに対して連帯感が生じたと思います

日本戦後教育日教組価値観のせいで、愛国心を持つことは恥ずかしいことだ、よくないことだと教わってきた私達に、中国南北朝鮮のような敵が生じたことで、自然発生的に「愛国心のようなもの」が私達に芽生えつつあるように思います

いつからかわかりませんが、私達日本人は孤として生きるように社会に強いられてきたように感じます。各人、友達がいたり会社学校部活に属してそれなりの所属感を持って生きてきたのでしょうが、敵国が現れたことで、ようやく「国=日本」に所属しているという意識が発生したように思います

日本対外的危機が年々強まっているわけですが、それでもそれが逆説的に私達の精神に活力をもたらしてくれた側面はあると思います

今、家族は妻の実家帰省していて、一人で過ごしているわけですが以前ほど孤独感を感じないのは、私が保守立場に立ったからだと思います。昨晩は2ch辻元清美関係スレものすごい勢いで書き込みが続いていくのを見ながら、「俺は一人じゃない」という思いを強くしながら安心して眠ることができました。

言いたいことをまとめますと、

敵国の存在日本人愛国心を復活させつつある

愛国心個人所属感を与え、孤独感を減少させる

といったところでしょうか。

https://kininarukabu.com/post-8091/



やっぱり所属する所が日本という国しかなくなった人が愛国保守活動にのめり込むという例はあるみたいですね

高収入高学歴友達ともう付き合えない

旧帝大から一流企業就職した友人が病気で倒れたと聞き、つい先日御見舞に行った。

高校以来の友人で大学が分かれてからもちょくちょく会っていたが、社会人になってからは相当忙しいらしく気づけば1年近く顔を見ていなかった。

はい居住地域はそんなに離れていないので倒れたという噂を実家経由で聞いてさっそく病院に様子を見に行ってみた。

大きな手術をしたらしいがそれなりに元気になっており、早く仕事をしたいと会話の中で何度も言っていた。

疲れているようだったが元気そうで安心したのだが、ちょっと気になったのが病院スタッフに対する言動だ。

看護師さんやその他のスタッフが病室を往来しているのだが、人が途切れるとぶつぶつと文句を言うのだ。

作業療法士低学歴で困る。安い給料なんだろうが、態度が悪い。やっぱり会話のレベルが低すぎる。などなど。

からちょっと学歴信仰の強いやつとは思っていたが、自分治療担当してもらっているのだろう人に対してあからさまに見下した言い方をしていることにちょっと嫌な気分になった。

面と向かって偉そうな態度をしていなければよいと思ったが、そういう態度は隠しているつもりでもにじみ出るものなので、おそらくスタッフも友人のことはあまりよく思っていないだろう。

うまく言えないが、高学歴高収入層にすっかり溶け込んでしまった友人のことをもう誇らしくは思えない。

痴呆症祖母と私

ある日、就職活動をして自宅に帰ってきた私に

「財布が見当たらなかったんだけどあなた知らない?」

父方の祖母にそう言われた。

祖母痴呆が入っていたため家を引き払い実家で一緒に同居していた。

一緒に暮らすことになる半年前、財布やお金がない、鍵がない、まさか誰か泥棒が入ったのではと執拗に父に電話をかけてきていたので父は不安に思い病院に連れていった。

診断結果は痴呆症だった。

同居しても痴呆症は進行するばかり

家族の事や親戚の事をたまに忘れたり

デイケアセンターで貰ったみかん饅頭などの食べ物タンスや引き出しに隠したり。

タオル使用済みの下着をいたるとこにしまい込んでいた。

今、自分が置かれている状況をよく理解してない、一泊くらいの泊まりだと思っていて明日自分の家に帰るからと夕食を食べながら父によく言っていた。

しかし翌日にはけろっと忘れていた。

そんな時うちにきて初めてお金がないと言い始めた

次第にどんどん回数も増えていった


私には兄弟がいる

姉が二人、弟が一人

三女として生まれた私は昔の考えが凝り固まった父方の祖父からしたらあまり期待されていない孫だったと思う。

現に姉達は初孫で幼少期よく可愛がられ、弟は初めての男なのでとてもよく可愛がられた

うすうすは気づいていたが子供心にそれ以上嫌われたくないと私は思っていたのだろう。

まり祖父母とは会話をせず周りの話を聞きニコニコただ笑っていた事が多かった。

私がお腹にいた時、かすかにまた女かと思われたんだろう。

祖母が嫌いな母には悪い事をした。

痴呆症になっても私には気にもとめない祖母。逆に楽だった。

歳を重ねて私も嫌われたくないという気持ちもなくなり、極力顔を合わせたくなかったので助かった。



そんな時、祖母にいきなり財布がないと言われた。

続けてどこにあるか知らないかと言われた。

たまたま帰ってきてリビングにいた私はすぐリビングに入ってきた祖母から久しぶりに話しかけられたのでびっくりした、内容にも理解がすぐできずとっさの言葉が出なかった

知らないという一言すら出なかった。

たまたまそれを聞いていた姉が間髪入れずものすごい剣幕で祖母を叱りつけた



うちに泥棒はいないよ!もう一回探しなよ!



私は姉の大きな声にはっと我に返った

うちにきて財布がないとは言いつづけていたがどこにあるか知らないかというのは誰も聞かれた事がなかった

父母、他の兄弟には聞いたこともなかった質問が私にだけぶつけられていた。

姉は祖母言葉から私が盗んだと思っているのを感じ取ったのだ。

から声を荒げた。

叱りつけられた祖母バツが悪そうな顔をしてそそくさと自室に戻っていった。

就職活動用のスーツのまま呆然と立っていた私に姉は痴呆症から、仕方ない、気にするなと言った

姉は精一杯フォローしてくれた。

でも私はなんだか惨めな気分だった。

あとから悲しい気持ちが追い上げるようにきてカッと顔が熱くなって目が痛くなった。


祖母はしばらくして老人ホームに入所した。共働きの両親の世話では限界がきたからだ、

私は就職が決まり親を説得させ無理やり実家をでた。

万が一でも祖母暮らしたくなかったからだ。

から話を聞くに老人ホームに入所してから財布については話すことはなくなった。日に日に私たち兄弟名前を忘れ娘である叔母の名前最近思い出せなくなっていた。

顔は少し穏やかになったそうだ。



私は今でもよくあの時の言葉祖母の顔を思い出す。

シワシワの顔、目も落ちくぼんで、ぎっと私の顔を睨んでいたようだった。

祖母はあれが正気だったのかたまたま痴呆症でいった言葉だったのか今でもよく分からない。

私はそんな祖母を憎みきれないのだ。病気から、と諦めていた気持ちが時たまふつふつと怒りが湧き上がっては急激に冷めていくその繰り返しだった。

憎みきれたらどんだけ楽なのだろうと思いながらぶつけようのない怒りを持って生活を送っている。

ずっとずっと永遠に祖母がいつか死んでも私の心には深く残るのだろう。

貧乏人の一人暮らしヤバない?

年収低い人間が親元離れるとマジで金なくて死ぬんだが。

出世払いで親から金借りられなかったらマジで死んでたわマジで

実家暮らしだせーとか言ってる奴らって結局の所最初暮らすときの金全部親に出してもらってそれ返済してないだけなんじゃないの?

それか家計簿つけてないから金に無頓着か。

わざわざ人間が1人で暮らすための準備する出費半端ないんだが。

かといって家財道具ロクに用意しないでスタートすると結局は出費や時間の浪費が増えて最終的に損だしさ。

人間って1人で暮らすの効率悪すぎるよ。

2017-03-27

コミュニケーションだめです

4月から新入社員

ちゃんと飲み会上司や先輩とコミュニケーションとれるように

脳内飲み会練習をしたんだけど、

何度シュミレートしても10分くらいで

「「「.................」」」(思い出したようにビールに口をつける)

となるバッドエンドにしか辿り着けない。

というかよく考えたらこれまで自分はきちんと他人と会話してきたのかな??

まれてこの方いじられキャラで、

ボケ寄りの行動とる」→「周囲にいじられる」というスタイルに頼ったコミュニケーションをしてきたので、

穏やかな会話の仕方がわからないことに気づいた。

まあでも聞き手でいても良いなら、なんとかやれるかも。

話し手は無から有を生み出さなきゃいけないから大変だけど、聞き手あんまりそれがないからラク。

あと自分主体的考える力がないので、大抵の発言に「なるほど!すごーい!!」と思えるから

…もうそんな年じゃないんだから

なるほどすごいマンでいることも、反応乞食みたいなボケで場を繋ぐことも、

卒業しなきゃなあって思うんだけど。

あと不安なのが、年代まちまちの人たちと会話しなきゃいけないこと。

年代が違う人との会話って、なんかいづさ(※東北方言。しっくりこないみたいな意味)を感じる。

特に20歳差くらいから感じる。通用しない冗談の幅がグッと広まると思う。

で、この違和感キャッチすると、なんかもう会話するのがやんだくなる。

そして相槌マンと化した私は、正しい反応を狙う博打をするのみ。

汎用性高い、野球サッカーの話ができればよかったが、どうしてもスポーツには興味持てなかった。

スポーツの会話できる人は強いと思う。)

というかスポーツに限らず、何か首ったけになれる趣味の一つでもあれば、会話の入り口要因くらいにはなれたかもだな。

また浅く広くでもいいから、見聞が広ければ、他人発言もっと適切に共感できたのになあ。

無趣味で無関心なんだよなあ。だから話題力もないし、それを補う会話力もない。

なんかインターネット見るだけの端末と化してる実家パソコンみたいな人間なんだよなあ。はあ。

anond:20170325194531

友達上級家庭育ちで上京した大学生、俺は貧乏育ちの高卒ワープア

あっちは実家から送られた仕送りでやり繰りしてて火の車、それに比べたらまだ余裕がある

よく金があっていいな、と言われるけど企業に入ったら大卒高卒なんてすぐ年収が逆転する

金だけが友達のつながりじゃないし、増田の話は極端すぎるとは思うが

年収が変われば環境が変わりワープア特有の悩み、高年収特有の悩みを持ってくうちにすれ違いが起きることは否定できない

ワープアだけど仕事相手に現役並み所得者のじいさんばあさんが良く来るから知ってるが話す内容が年金暮らし高齢者世界が違い過ぎる

納豆うまい

東京一人暮らしをしていた頃、私は週に3日〜4日、晩御飯にメイン扱いで納豆を食べていた。何年も続けてだ。

どんぶりにご飯を盛り、納豆は2パック、それに生卵を一つ、一味唐辛子を少々。それがいつものやり方だった。

たまねぎと溶き卵の味噌汁も好きで、納豆ご飯に合わせてよく作っていた(卵&卵になってしまうが・・・)。

他に豆腐野菜がある場合は、適当具材を入れる。たまねぎと卵のやさしい甘みが好きだった

実に質素なのだが、納豆の凄いところは、質素かつ安価であるにも関わらず、

この生活を送っている何年もの間、食べたくないなどと思ったことがないことだ。

それどころか、疲れて仕事から帰る道すがら、”よし、今日も美味しい納豆ご飯を食べるぞ!”とすら、思っていたこである

今では日本国外居住するようになり、納豆は手に入るものの、冷凍であるため、あまり美味しくなく、

生食用の卵も、日本とくらべて手に入りづらい環境になってしまった。

次、実家に帰ったら何食べよう。

いつも変わらず思うのは、納豆ご飯だ。もちろん、生卵付きで。

新社会人のうつ病休職

うつ病について

私は新社会人となった2016年の9月初旬に、うつ病という診断を受け、会社休職した。原因は社内での人間関係の悪さによるものだった。

特別に社内環境が悪いというわけではなかったが、私自回避性人格障害発達障害の気があったようで、周囲となかなか打ち解けられずにいた。

また、実家暮らしで、通勤は往復四時間にも及んだ。

そんな中で、私は体調を崩し、うつ病患者として今もなお休職をしている。

今は病院リワーク施設にいる。自立支援制度を利用したおかげで、病院にかかる費用はかなり抑えられていると思う。

私は実家暮らしであるので、そこから病院に週4日通っている。通っていて実感したことは、体力のなさである。昔は、こんなに早く疲労していたのだろうかと思った。また、次の日までこんなに疲労感がなくならず、積もっていく感覚は、ますます酷くなっていくばかりだった。

診断書による休職の期限は今年の5月末まで。おそらく、延長はされるが、会社復職支援制度により6月から仮出社になるのだと思う。(その期間は正式給与ではなく、休職期間とみなされて傷病手当が出るのだろう)

会社には戻りたいが、不安がつきまとう。この半年人間関係をないがしろにしてきたのだ。そのつけが復職してから回ってくるのではないかという心配第一にある。

2017-03-26

弁当おっさんが恋をした

弁当作ってるおっさんが恋に落ちたどうでも良い話を書く。

大して要約もせずに、つらつらと書く。オチも無い。

多分、悲恋に終わるだろうと思っているのだが、

大学時代のように惚れた腫れたの話を聞いてくれる友人もいないので、

増田に書きたくなった。



当方、35歳のさえない課長職。中肉中背で独身

3年前に結婚直前の彼女と別れてから、独り身。

酒と料理趣味で夜にビールつまみを作っては

それを翌日の弁当転用することにハマっている。



そんな俺が惚れたのが、隣の課の25歳の女性

最初は、弁当を食べる時に一緒になるので、挨拶をする程度だった。

リスのようなクリクリした目と小さい身長

人懐っこい笑顔が可愛らしい女性という印象だった。



うちの会社は昼食時間が完全に自由なため、

12時ぴったりに食べるのは俺と彼女くらいというのもあってか、

毎日のように会議室で顔を合わせるようになった。



ある日、彼女から

増田さん!お弁当ローストビーフ入れてるんですか?」

と言われ、毎晩のつまみの残りを詰めてるんだと話をすると、

「すごい!すごい!1枚食べてみたい!」となり、

それからなんとなく弁当のおかずを交換するのが始まった。



彼女料理が好きで、今は事務職をやっているが

将来はフードコーディネーターになりたいそうだ。

仕事が終わった後学校に通っているらしい。



俺は俺で、食べてくれる人ができると張り切ってしまい、

タコトマト煮込みだ、セロリピクルスだと凝り始めてしまった。

彼女は、おっさんの作った気持ち悪いと思われてもしょうがない手料理を、

毎回おいしいおいしいと食べてくれた。



そのうち、仕事の話や趣味の話、昔の恋の話なんかもした。

俺は彼女に会えることが楽しみでしかたがなくなった。



先週、部署移動が発表になった。

彼女は俺と同じ7Fから、3Fの部署に移ることが決まった。

フロア食事のとれる会議室があるので、

おそらくもう一緒に昼食をとることは無いだろう。



(もしかしたら、7Fに来てもらえるかもと一瞬思ったが、

彼氏でも無いのにそんなことすれば、変な噂も立つだろう)



来週、最後の週なので送別ランチウィークにしようと提案したら、

お互いで相手弁当を作りあうことになった。

昨日は朝からジュンク堂料理本を6冊も買ってしまった。

手が混みすぎてても気持ち悪いだろうが、

「おいしい」という彼女の最高の笑顔がみたい。



そんなことばかり考えていたからなのか、

昨日の夜は彼女とうちの実家で一緒に料理する夢を見た。

俺は、パスタソースの味見をお願いされたりしてた。

ものすごいリアリティで朝起きた時に一瞬、

現実なのじゃ無いか錯覚して悲しくなったほどだ。




ああ。あと数時間最後の週が始まってしまう。

異動祝いとでも称して金曜の夜にメシでも誘ってみようか。

どうしようか。

2017-03-25

母との雑談

久しぶりに実家に帰って母さんと話してたら

昭恵夫人もアレよね。あそこはほら子供いないから、そっちの活動したりとかになるんだろうね。やっぱり。」

とか言ってて、色々ニュースとか報道されてるのを見て↑な感想になるんだなと、自分に無い視点だったからびっくり。

2017-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20170324181233

お釜は、しゃもじギリギリ取れるまで米粒を取りきって、しゃもじは、茶碗のふちでそぎ落とすように、米粒をとってるよ。

潰れたコメはお釜には残るが、およそ「つぶ」と呼べるような米粒は残さない。



うちの実家は昔からそんな感じだった。

アラサー主婦で2歳の子供がいる。

1年前に夫が会社を辞めて、家業を継いで義実家とは近距離別居。

私の実家飛行機距離

友達が作れなくて途方に暮れている。

子育てサークルにも行くし、夫の友人の奥さんと遊べば、と勧めたりもされるけど、

しかけられない、誘えない。

しかけられれば話せる。誘われれば遊べると思う。

仲良くない人への話しかけ方も誘い方も忘れてしまった。

大学とき友達作れたし、地元にも友達はいる。

片手で足りるけど。

そういう子には気軽に遊ぼうとか言えるし、どうでもいい話を振れるんだけど、

「子持ち」「主婦」「夫同士が仲良し」とかいう大雑把な括りで、

何を話しかければいいのか、どうリアクションしたらいいのか、

目は泳ぐし直前の会話には後悔したり反省したりするし、疲弊してしまう。

そんなコミュ障のくせに、仲のいい人が近くに誰もいないことがたまに寂しくなったりもする。

みんなどうやって友達作ってるんだろ。

私よりも何ヶ月かあとからサークル入ってきた人が、もう周りに溶け込んでいろんな人と話しているのをぼんやり眺めて、

これがコミュニケーション能力の差かあ、なんて考えてる。

それでも、子供保育所入れたら、パート出て頑張って友達作りできるかな…!って思ってたら

夫が家業の手が回らないから、外で働かずに家業を手伝えと。

資格やら何やらの関係で半ば強制

友達作りの先は長い。

2017-03-23

ごめんね。おばあちゃんの家にはwifiないの

この前の連休に、よそで暮らしてる姉と姪が実家に帰ってくるので俺も実家に泊まりにいった。

それでメイが、スマホをいじりながら不満げに「wifiないの?」とかいうのな。

ごめんな。俺が実家をでるときネットは解約させたんだ。

2017-03-22

保全研修

いまエントリーしてる案件、辞退させてもらっていいですか?

研修所も辞めさせてもらっていいですか?

工場以外で働きたいのです。

工場で働く人達って、チンピラ喫煙者が多くて、自分は非常に居心地が悪いのです。

「ごめん、あれ駄目になった」

と言ってもらえれば、

「分かりました。それでは、申し訳ないのですが、辞めさせてもらってよろしいでしょうか」

と返します。

ここ、読んでますよね?

今朝挨拶したとき目線で察しました。

次の資源ごみの日、4月4日火曜日に退寮希望です。

よろしくお願いします。




研修センター

講師職員さんも、基本的に良い人。

その節は、お世話になりました。

講義内容は、事前に厳しいとか難しいとかさんざん脅されたけど、簡単

タバコが平気で、機械いじりや電気回路とかに抵抗が無いなら入ってみるのもいいんじゃない

求人広告はアテにしないほうがいいけどね。あんなの釣りだよ。

研修生理解力の低い人が多いかな。

誰でもいいから集めてる感じ。入所試験もあったけど、形だけ。

研修生集めに苦労している様子で、友達を紹介すれば何万円か支給、なんてやってる。

事業所に対しては、毎年ある程度の人数を研修センターに送り込まないとボーナスを減らすと脅している。

人を脅して言うことを聞かせようとする奴にロクなのいないよ!!

喫煙率は講師研修生共に高い。

事あるごとに「こういう人は保全に向いていない」と言う講師さんがいたけど、タバコ吸ってる口から吐かれた言葉説得力は無いよ。

タバコのヤニは人体の他、各種機械動力部に悪影響を与えると思うのだが。

悪い人じゃないんだけどね。保全現場経験を積んでて尊敬してるよ。

食堂喫煙室を兼ねているので、食事するだけで服や身体タバコ臭くなる。

研修は終わったけど、自分希望に沿った案件がなく、修了後は実家に帰った。

良い案件を取ってこれなかったからと言って、気に病む必要はないよ。タイミングが合わないこともあるさ。

それにしても、センターはいつも不機嫌な顔してる。

離れてから気づいたのだが、私は彼のことが大嫌いだった。

不機嫌は悪。自分の心のメンテナンス出来てないんじゃないの?

抱っこ

子どもの3歳がもうすぐ終わる。たくさん話すようになった。文法単語不明瞭で、時々何を言おうとしているのかわからないけど、一生懸命に話そう、伝えようとして言葉を口にしている。

さしすせそは、「しゃししゅしぇしょ」。話の内容は、ときどき、空想現実が混ざり合う。私によりかかりながら、私と手をつなぎながら、「あのね」「ねー、おかあさん」と話しかけてくれる。温かい。小さなハンドタオルですっぽり包める手のひらが、やわらかい

子ども児童館と、すべりだいと、ヒーローと、両親に手をつながれながらジャンプをすることと、抱っこが好きだ。

すっかり忘れていた。手をつないで歩けるようになっていたことを、当たり前だと思っていた。2歳のころはすぐに歩き疲れて、抱っこをせがんできた。1歳のころ、0歳のころはずっと抱っこだった。

ベビーカーを嫌がって泣くので、買い物に行く時は抱っこひもを使って抱っこしたり、おんぶしていた。子どもは抱っこをせがむくせに、抱き上げると動き回ろうとする。あちこちに手を伸ばしたり、髪をひっぱったり、頭突きしたり。眠る時は全身の力が抜けて、いつも以上に重たくなる。

前に子どもを抱いて、背中荷物を背負って、両手にもうひとつ荷物を持って…。スーパーへ買い物に行くだけなのに、ぜえぜえ言っていた。そのまま、アパート階段をのぼって…。引越し先には実家義実家もなかった。友人を作る余裕もなかった。

当時、整体師には全身の骨が歪んでいるし、姿勢が悪いから腹も出ていると言われた。睡眠不足で髪はすかすか、目の下にはくま、余裕がなくていつもよれよれだった。しゃんとして身綺麗なママさんを見ると、自分が恥ずかしくてしかたなかった。夫はもう少しなんとかならないのかと、呆れていた。褒められたところなんて、ひとつもなかった。

疲れがたまると、子どもが泣いていても、体が動かなかった。自分までめそめそ泣いていた。いい大人なのに。小さな子どもに、「どうしてよ」「ちゃんとしてよ」と叫ぶこともあった。

バカじゃないか。小さな子どもに何がわかるというんだ。子どもが何かできなくて、それがなんだっていうんだ。当たり前だ。私が見守って、ひとつひとつ教えてあげなくちゃいけないのに。何もできなくたって、あなたを嫌いになったりしない。そう教えてあげなくちゃいけないのに。大丈夫だよ。何も心配ないよ。そう言って、抱きしめて、笑顔で、安心させてあげなくちゃいけないのに。

ごめんね。お母さん、もっともっとがんばればよかったね。毎日疲れた顔でいたね。そんな顔したお母さん、嫌だったよね。お母さんの叫ぶ声、怖かったよね。

笑顔でいたら、もっともっとあなたも楽しかたかもしれない。安心たかもしれない。ごめんなさい。

こんな母親の私に、子どもは両手を広げて「抱っこして」という。丸っこい腕とお腹と、小さな手のひらと、全身で「抱っこして」という。抱きしめると、足を広げて背中にまわす。この子は、全身で私を抱きしめてくれている。私はこの子を抱き上げてはいるけれど、抱きしめてはいなかった。抱きしめていたのは、私ではなかった。このままじゃダメだと思った。「かわいいね」「大好きだよ」そう言いながら、子ども背中を撫でるようになった。子どもはより一層、抱っこをせがむようになった。「だーいしゅきー」と言いながら、笑顔で、両手を広げて。「お母さんも、大好きだよ」と言って、子どもを抱きしめる。子どもの小さな体が、温かい

母親は無条件の愛を与えなくてはいけない。頭ではわかっていても、いつも自信がない。自分という人間は、欠陥だらけだ。ほかのママさんたちに比べると、恥ずかしい。無条件の愛を与えてくれるのは、いつも子どもだった。私は母親で、だから子どもを愛しているのだと思っていた。子どもは愛されるだけだと、勘違いしていた。子どもはいつも私を愛してくれていた。

の子が大きくなったら、いずれ「抱っこして」と言わなくなる。抱きながら歩くことも、だんだんできなくなる。

今はきっと特別時間だと思う。

服を脱がせて、着せ替えさせる。あせもは?かゆいところはない?痛いところはない?自分で着るというさまを、見守る。小さな指がボタンを探すところを、見つめる。

飲みたい、食べたいというものを目の前に与えて、食事をするさまを見る。両手でパンを持って、小さな口をいっぱい開いてかじりつくところを見る。スプーンですくったご飯を、ぽろぽろこぼしながら口に運ぶところを見る。

さな手で軽くなった牛乳パックを持ち、コップに恐る恐る注ぐさまを見守る。コップに牛乳いれられたの、よくできたね。うん、できたの。○○ちゃんがやったの。そうね、がんばったね。上手にできたね。こぼしたら、タオルでこうやって拭こうねと教える。

手をつないで、子どもが転ばないようにゆっくり歩く。道沿いのちょっとした段差の上を歩きたがる。花を見るたびに、お花きれいだねと言っていたら、子どもも「お花きれいねー」と言うようになった。

さな手の温度で、眠たいのか疲れているのか、わかる。歩き疲れた子どもが、「抱っこ」と言う。子どもが望む限り、ずっと抱っこしたい。

http://anond.hatelabo.jp/20170321133826

自分で幅を狭めている部分が気になったので一点。

裕福とは言えない家に生まれても、少なくとも親が定年退職するまでは、親のすねをかじり続けていくことはできるよ。

もちろん実家ぐらしで、親と良好な関係を築けるだけの努力はする。

そのライフスタイルだと自立は難しいのだから他人と快適に暮らすだけの手伝いや、心配り、慎ましさは必要

それでも理不尽で心身を損耗する「世の中」に出て生きるよりはだいぶマシだという実感はある。

親がもともとリベラル傾向で、「べき」論を押し付けてくるタイプじゃなければ、うまくやれる率は高いと思うから

一緒に高齢ニートを目指してがんばろう。

親が頭の堅い人だったら、なにか自分長所を活かして、大きな貢献を一度してみせよう。見直してくれるかも。

スマホ代をMVNO契約変更してあげて大幅に節約しつつ、スマホの使い方を教えるだとか、電気の乗り換えとか。

情報リテラシーを活かして、契約を代行する系はやりやすい。

節約する、得をする、広く言えばQOLを上昇させてあげる。せめてもの親孝行にもなるし。

あと玉の輿とか異性関係スッパリ諦めたほうがいい。

こういう生き方を選ぶなら、一生孤独でも苦痛を感じないくらいの、ある種の精神的たくましさは必要

他人理解されなくてもいい、というのは実際つらいものはあるが、

そのあたりは、顔も性別も見えない希薄なつながりでもいいから、固定のネッ友が1人2人いれば十分満たされると思う。

2017-03-21

ニートから障害者になった※長文

大学中退して三年くらい引きこもりニートをしていた

引きこもってる間は辛かった

外に出るのが怖かった

大学自分いか自分勝手世間知らず、非常識なのがわかって以来

頭の中で説教が鳴り響いていた

ある日親に医者に行くよう説得され医者に行った

バス電車には周りの視線が怖くて乗れなかったかタクシーで連れて行ってもらった

病院に着いたら先生の顔が見られず話せなかったので代わりに親に話してもらった

病名は付かなかったが薬はもらった

その日は薬を飲んで寝た

次週また医者に行った

今度は自分が思ったことを全て話した

先生は頷いただけだけど気持ちが楽になった

それから一年過ぎ、親と一緒に散歩したりボランティア的なことをしていたら外に慣れた

バス電車も乗れるようになった

自分もそろそろ働きたいと思い、バイトを受けるも不採用の日々

親が普通に働けないと思ったのか先生障害者枠で働くために手帳申請してもらったら

そこで初めて自分統合失調症だとわかった

正直自分精神病なのがいまいち納得できなかった

でも多分周りからすると病気に見えたんだと思う

障害者枠で働くと決めてからも大変だった

なかなか雇ってもらえない

障害者職業センターに通っても雇ってもらえない

自立したいと思って年金申請しようとしたが3級なので難しいと先生に言われる

一回バイトに受かったがジョブコーチに甘えてしまうからジョブコーチを入れてもらえず働いたもの

重大なミスをしてしまい、また頭と体が早さについていけず3日でクビ

なんとかようやく紹介で入った場所で今働いている

多分金額的にずっと実家暮らしになると思う

親がいなくなったり、認知症になってしまったらどうしようもなくなる不安は常にある

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