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2016-06-25

すごいありがちな親子ゲンカをした

転職先が決まり有給消化中。引越し先が決まるまで実家にいることになった、が、すぐ父と諍いをしてここ一週間全く口をきいていない。

内容は本当にくだらない。食事の時にくちゃくちゃ音を立てたり吸い込むような食べ方をするのをやめてほしいとか、人が聞きたくない気持ちより自分が話したい気持ちを優先してしゃべり続けるなとか、深夜人が寝ているのにわざわざ起こして用事を伝えるなとか。

何を言っても言い訳ばかりするのでカッとなって言い方がきつくなったら、責められるのが何より嫌いな父は伝家の宝刀「誰の金で育ったと思ってるんだ」「俺が気に入らないなら出て行け」


そうだ、こういう人だった。この人とは話ができた試しがない。

あれからずっと体調を崩している。職場でどんな理不尽なことがあっても耐えられたのに、こんなくだらないケンカで神経がやられてしまうなんて。

私はもう、何を言われても屈辱に震えながら父のやることすべてを許容しなければならなかったあの頃の私ではないのに。


金銭的には不自由なく育ててもらった方だと思う。でも、私は彼が好きではないし、好きにならなくても良いと知っている。

彼が近々死んだとして、私は心から悲しめるか分からない。介護なんて絶対したくないけど、彼が弱って動けなくなるところは少し見たいような、そんな残酷気持ちがある。

引越し先が決まった。親に保証人になってもらうのは断った。恩を着せられる可能性のあるどんな隙も見せたくなかったから。もう帰ってくることはないだろうなと思う。

すごいありがちな親子関係。身体的な虐待をされたとか、親に搾取されているとか、全然そんな次元じゃない。人によっては恩知らずとか親を大事しろとか言って怒り出すレベル。親を一方的に責められない。

から苦しい。

30代正社員手取りと遺族年金の差がほとんどない件について

母と父は10歳差の年の差婚で、父は6年前に他界した。その母の遺族年金は約15万円。厳密には、本人の厚生年金(勤務期間は結婚10年弱)+国民年金+遺族年金の合計だが、面倒なので遺族年金と記す。国民健康保険税(以前は国民保険料だった気がする。いつから変わった?)は、年金から天引き個別納付、どちらなのか知らない。天引き場合は、遺族年金の額は、天引き後の金額かもしれない。母は、一人っ子の娘に何も渡さず、父の遺産を全額相続したため、多額の貯金があり、自宅の住宅ローンも完済済み。にも関わらず、「年金だけでは足りない」という。



夫は、30代後半、理系4年制大学卒業したフルタイム勤務の正社員年収は320万~370万円程度、手取りは18万~23万円程度。残業代が出るため、月によって変動する。去年までの最高年収は29歳、リーマン・ショックの前。年々、残業規制され、年収は、増えるどころか減っている。ただ、扶養家族がいると、家族手当が加算されるため、子どもが生まれ自分育児休業中だった去年は、年末調整時に大幅に加算され、年収過去最高を更新した。幸運にも、4月に第一希望保育園の1歳時クラス入園でき、夫婦共稼ぎに戻った今年は、以前の水準に戻るだろう。



重要から再度書く。残業ほぼゼロまたは僅少時の手取りは、フルタイム勤務にも関わらず、18万円台。残業ゼロだと、18万円を切る。結婚以来、ずっと無職で、傍目にはヒマを持て余しているように見える母との収入差はわずか3万円だ。このことを母本人に訴えると、年金にはボーナスがなく、働いていればボーナスがあるのだから、トータルでは全然違うというが、30代にとって、ボーナスは「出たらラッキー」という位置づけであり、実際にリーマン・ショック直後はゼロだった。それ以降も、大手企業の平均賞与支給額には程遠く、むしろ住宅ローン減税の恩恵感謝している。住宅購入以来、年末調整を行うと、夫の所得税ゼロ住民税もかなり安い。さまざまなリスクはあるものの、現状の制度と低金利が続く限り、適正な金額を借りて、10年に一度、家を買い替えたほうが貯金を増やせる。



自分は、夫と同い年で、4年制総合大学文系学部卒業し、20代前半で東京都内会社転職した。同時に年収が大幅にアップ。最高年収は、やはり29歳の時で、業界の動向、給与体系の見直しなどの影響で、今後、何年働き続けても、その金額を超えることはないだろう。出産前の年収は370万~430万円程度。給与計算関係で、今月支給された6月分の給与で、やっと仕事復帰後の手取り額がわかった。保育園子どもを迎えに行くため、毎日17時で退社した場合手取りは、以前より少ない22万円前後。翌年以降は、住民税を支払わなければならないため、さらに1万5000円程度下がるだろう。保育料は、通常+延長保育料+教材費で約5万円。同じく翌年以降は上がると思われるが、それでも収支はプラスだ。勤務時間が減ったにも関わらず、裁量労働制のため、大幅な減給にならず、会社には感謝している。けれど、この水準でも、母の遺族年金との差は少ない。



夫婦2人で比べると、自分のほうが年収が高く、お金がらみの話をすると、夫はムッとする。今の9対1の家事負担を、せめて収入に応じて半々にして欲しいと訴えても意に介さず、子どもが生まれる前と変わらず、マイペースで過ごしている。互いに年収が多かった20代後半に貯金していたため、どちらかが専業主婦主夫になっても、しばらくは生活できるが、毎月の収支は赤字になり、やがて貯金は底をつく。



30代前半ではなく、もう30代後半。2人とも昇給の見込みはなく、子どもが一人でごはんを作って食べられるようになるまでは、労働時間は最低限に抑えたい。個人年収400万以下の片稼ぎでは、子どもは一人が限界共稼ぎなら、経済面ではそこまで厳しくないが、夫を含めた家族や友人、職場の同僚など、周囲の理解・協力がなければ難しい。夫の実家は遠く、実母は金にうるさい毒親、リアルな友人はゼロ、という状況で、第2子を望むことは、始めたばかりの無理ゲー子育て」の難易度さらに高めるだけだ。少子化に歯止めをかけるため、国の政策として、結婚するカップルを増やし、出生数を増やしたいなら、今の民間中小企業給与水準に比べ、高額の厚生年金・遺族年金を減額し、その分、児童手当や保育・教育関連の予算を増やして欲しい。



これでも、恵まれているほうだと自覚している。だからこそ、言いたい。無職高齢者と、毎日、懸命に働く労働者自由にできる金額ほとんど変わらない現状は、歪んでいる。一刻も早く是正して、羨ましくてムカつくけれど、今の20代下の人には、多くの子どもを産んで欲しい。高校卒業後の進路、勤務先・職種選びに失敗すると、お金に悩み続ける人生になる。

2016-06-23

そろそろ築100年の実家



・とりあえず割と広い

地盤が頑丈らしい、確かに結構強い地震が来てもあまり揺れない

・離れ座敷をまるまる一棟自室に使えて快適

・離れは照明が電球で暗い、夜に部屋の端の方の物を探すとき懐中電灯必須

・壁が少なくてほとんど戸になってるので開け放てば風通しは最強

敷地内を縦断する用水路があって自宅にいながらサワガニとか魚とかとれる

・雨が降ると床下から水が湧いてくるのですぐ床下浸水する

・床がところどころ抜けてる

・裏庭に「盛り塩を欠かしてはならない」と言い伝えられている古井戸があってなんか怖い

居間キッチン玄関付近が全部土間、トイレも外なので日常生活で頻繁に靴かスリッパを履く必要がある

・屋内なのに土間に霜が降りる

トイレが外で非水洗、寒いのでトイレに行って腹を壊す

・元五右衛門風呂金属製の浴槽が放熱効率がよすぎて冷たい

・熱湯の蛇口と水の蛇口をそれぞれ捻っていい温度にする調整がやたら難しい

・開かない扉がいくつかある、逆に勝手に開く扉もある

玄関のメインセキュリティがつっかえ棒

・鍵がない扉、戸、窓が多すぎる

・窓すらないただの隙間もあるので、野生動物から僧侶泥棒までその気になれば入り放題

納屋の二階部分や蔵の中など、住人も未踏の地が結構ある

・前栽とかいジャングル

・裏庭もジャングル

仏壇の裏に謎の日本刀



水回りだけでもリフォームしたいけどお金ないんだよなァ……

全然金がかからないまま就活大学生活を終えようとしている

全然金を使わないまま大学生活を終えようとしている。

一昨日、ようやく内定が出た。地元の有名企業の子会社

両親も祖父母もきょうだいも喜んでくれている。

一志望なのでようやく胸のつかえがとれたというか、とにかく金を使わずに済んでよかった。

自慢させてくれ。自慢させてほしい。




就活にかかった費用

スーツ5点セット(ジャケットシャツスカートパンプスかばんとおまけでストッキング) 20000円。開店セールで安かった。

履歴書 約1000円 書き損じで何パックか買ったがよくわかってない。

履歴書郵送費 約2000円 たぶんそれくらいだろう。

化粧品 3000円 就活用に買い足したのはコンシーラーくらい。

で諸経費足しても4万はかかってないんじゃないだろうか。

あ~~~!!!!嬉しい~~~!!!!!!!!!

世の中の「東京とか大阪就活で行くとお金かかるよねぇ~…」的な話をしてる就活生が気の毒なくらいお金がかかってねえ~~!!!!!

親にも迷惑をかけてねえ~~~!!!!!!

地元企業に狙いを定めてたから移動費もゼロ

面接とか説明会の時は大学原付を止めて企業まで運動がてら何キロも歩いてたのでなんか健康にもなった。

ハッピ~~~~!!!!!!

なんか痩せたぜ~~~!!!!!!

ちなみに就活中も週3,4でバイトしてた。



元来私はドケチというか、家が貧乏だったので金使わんでいいだろってとこにはとことん金を使っていない。

塾にも通ったことがないし、大学地元国立一本狙いで通った。

大学学費授業料免除の利用でこの4年間1円も払ってない。

奨学金も借りていない。前撮りはしたけど成人式も行ってない。

母は「学校必要ことないくらでも出してあげたい」と言ってくれたがそんな無理はさせたくなかった。

しろ大学生にもなったのだからバイト家計を支えたかったし、実家住まいなので月に3万は家にお金を入れられていた。

サークルは金と時間無駄なので入ってない。

学業バイト、あと趣味同人活動で充実してた。


ああ嬉しい。

就活も終わったか祖父母の家に頻繁に顔も出せるし、卒論も書ける。

家のローンも返し終わったし、母も体が弱いながら無理やり続けていたパートを減らせるだろう。

これから親孝行スタートだ。

自慢させてほしい。

大学友達はみんな今アップアップしてる。

「遊びほうけて単位落として成績悪くて就活バイト辞めたし金も溜まってなくて、就職できない。ストレスで食べちゃう、つらぃ」じゃないわ。自業自得やがな。

とも言えないので何にも言えないが、私は今内心エレクトリカルパレードだ。

何も考えずになんとなくで奨学金借りて遊んで授業フケて単位落として何がしたいんだお前らは。

面接頑張った飲み!内定ほしいゎらwじゃねーぶっとばすぞ!!

こうして言うと絶対

サークル入ってなかったの?大学生満喫できてないやんwオールとかしたことないの?ww」的なことを言ってくる奴がいるのでおおっぴらに言えないのでここに書くが、

興味のあった分野の勉強ができて、友達もできて、自分趣味もできて何がダメなんだよ。

満足しかないよ。



まあみろーーーーーーーッ!!!!!!私は就活終了まで我慢してた焼肉に行くぜ~~~~っ!!!!!!

あとは学生の本分を全うして、資格勉強でも始めるぜ~~~!!!!あばよバカ学生共~~!!!!!!!!!!!

自慢 おわり

http://anond.hatelabo.jp/20160623004542

私のは実家に有るよ

夫がたまに撮って娘達とアルバム作ってそれも嵩張るから実家に置いてる

データは夫のパソコンに入ってると思うけどね

私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。

全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。

一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。

しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコが食べれなかった。

これは、私と、ちょっと変わったお母さんのお話です。

お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーフードコートでのアイスクリーム売りが彼女お仕事だった。

私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎三毛猫ホームズくらいなら読めるようになっていた。

絵を描くのも大好きで、おじさんが買ってたマガジン漫画の真似っこをよくしていた。おばあちゃんが鉛筆工事で働いていて、絵を描くのを好きな私に色鉛筆を買ってくれた。毎日毎日飽きもせず、へたくそな絵と漫画を描いていた。

お母さんは、夜も家にいなかった。たまに知らないおじさんを連れて、家に帰ってきた。そのおじさんは私と妹にとても優しくて、おじちゃんおじちゃんと慕っていた。おじちゃんに絵を見せたら、俺のことも描いてくれと言うので描いてあげた。

そういえば、お父さんはどうしてうちにはいないのか、ふと考えることもあった。でもなぜか、聞いちゃいけない気がして私はずっと黙っていた。お母さんを怒らせると怖いから。おじちゃんが優しいし、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの弟のおじさんも優しい。だから別にお父さんがいなくても大丈夫だった。ここまでは本当にそうだった。

ある時急におじちゃんが言った。おじちゃんはおじちゃんじゃなくなるよ、増田のパパになるんだよ、と。私は、パパはおじちゃんじゃないよ?と言った。即座にお母さんに叩かれた。妹は言われた通りにすぐパパと呼んでいて、私はそれが今でも悔しかったのを覚えている。パパはおじちゃんじゃないのに、どうしてパパと呼ばなくてはいけないのか、私には理解できなかったのだ。

でも、叩かれたときに悪いことをしたのだと思った。パパと呼ばれなかったおじちゃんは悲しそうな顔をしていた。私は悪人だ、としくしく泣いたけど、誰も慰めてくれなかった。

そして、結婚式。否応がなしに見せ付けられたセレモニーと、いつの間にかお花渡し要因にされた。親の結婚式を見た、ということがおかしいと気付くのはもう少し後なのだけど、どうやら私はこの日を境にパパではない人をパパだと受け入れないといけないことに気づいて、また泣いた。母親には、縁起のいい日に泣かないでと言われた。また私は悪いことをしてしまった。

新居には、優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいた。お母さんはパートを続けるからと、私は早速お手伝い要員になった。大方の料理はここで仕込まれ、夕飯の準備はなんでもできるようになった。お母さんは気が向くとパフェを作ってくれて、それが私の密やかな幸せだった。

このころから、「パパ」のスキンシップが激しくなってきた。起こしにいくと、一緒に寝ようと言われ、おとなしくしてると身体を弄られはぁはぁいっている。怖くてお母さんに相談したけれど、子供相手に変な気起こすわけないでしょ、大袈裟だと言われた。本当のことなのに誰も信じてくれないから、起こすのを拒否したら、反抗的子供で可愛くないと言い捨てられた。また私は悪いことをしてしまったのだ。

私が今でも母親を許せない出来事その1が、小学校2年生の宿題。どこにでもよくある「名前の由来」を聞いてこいと言うものだった。

ゲームをしている母親に、私の名前はなんで○●なの?と聞いた。すると、ため息を一つついた後、母親はこう言った。

「そもそも、お前のことは最初堕ろすつもりだったんだよね。」

そこから始まった彼女告白は、どうやら私は誰の子かもわからないらしいこと、当時付き合っていた彼氏はいたけど、他の男性とも関係を持っていたらしいこと、実際5ヵ月目くらいに流産してラッキー!と思ったものの、私は流れず残ったこと、当時の彼氏結婚するからこんなに頑張って残った子は産んでくれと懇願したこと、しぶしぶ了承するも、私を産むときに生死の境をさ迷ったらしいこと、二番目の妹はお腹の中でもおとなしく、安産だったらしいこと、どうやら私をめぐる喧嘩が原因で離婚したらしいこと、ここまでを一気に話した上で、だから私はあなたの由来は詳しく知らないよ、相手が考えてくれたんだもん。と言われた。

そっかぁ、と言って部屋を出た後、私はわりと冷静で、だからうちにはパパがいなかったのか、離婚たから。とか、私は望まれて生まれたわけじゃないから当たりが今まできつかったのか、と納得するしかなかった。作文は、私の名前漢字私自身で調べて、それらしい理由を描いた。そして私は、あまり家で遊ばなくなった 友達の家か、学校に残ってずっと漫画を描いていた。絵も話も、同年代の子供たち以上に上手にかけたから、私の漫画は知らない上級生にまで広がり、続きが読みたい!とせがまれる程だった。おじいちゃんの教育のおかげか、学校勉強も聞いてるだけで問題なく解けたから、学校は楽しかった。

そのころ、母が妊娠し、男の子を産んだ。その途端、おばあちゃんは私のことはどうでもよくなったみたいで、毎日弟にべったりになった。お母さんは私に弟のオムツ飲み物を作ることを要求してた。よく寝てた記憶だ。学校テストで100点をとっても、小学校で躓いてたら話にならんと誰にも誉めてもらえなかった。お父さんは相変わらず隙があれば触ってくる。私は気持ち悪かった。

私は中学生になるとき母親に念押しされたことがある。頼むから大きくなってくれるなと。制服代は馬鹿にならない。そして制服を使い回せる某進学校に行ってくれと。私は、家が貧乏なら仕方ないかな、と思った。部活ユニフォーム以外お金のかからない陸上部に入った。その間、家には大型テレビが入り、衛星放送が入り、大きなダブルベッドが母親のために注文されていたが、見てみぬフリをしていた。

母親との嫌な思い出その2。学校喫煙の害についてのシンポジウムが開かれ、おうちの人に喫煙者がいたら、ぜひ止めるように言ってくださいと言われた。私の母は喫煙者だったので、学校で見てきたことを話した。結論、キレられた。なんで私の稼いだ給料で買ったものをお前に余計な口出しをされるんだ、そもそもお前が産まれなかったらこんな田舎暮らしてることもないんだからなと。多分世間の狭い田舎での生活に、心身ともに参っていたのだと思うけど、傷ついた。もうそれ以来喫煙についてはふれないでおこうと思った。

このころ辺りから母親お菓子報酬に、子供マッサージを毎晩要求するようになった。私は高校にあがるまでその要求を呑んでいた。(何せ、親の部屋はアニメチャンネルが見れたから)そのおかげで私はマッサージ技術が拡大に上がった。母親は2時間くらい全身のマッサージをさせた後、100円のポテトチップをくれた。だがこれも、最初マッサージの対価=お菓子だったのが、お菓子が欲しかったらマッサージしろというものに変わっていき、私はさすがについていけなくなった。

高校は母の望んだ進学校に進んだ。ここで私は同人を始め、世界が変わるような体験をする。自分の描いた絵は誉められ、漫画も値段をつけたのが売れた。私は家に寄りつかなくなった。帰る時間も極力遅くし、可能なら母親実家に泊まった。家に帰ると私はイチからごはんを作らなければならなくなったが、母親実家料理を用意してくれ、お小遣いもくれた。(実家一円もくれてなかったので親にも学校にも内緒バイトもしていた。)学校の成績も上々で、でも頼むから就職してくれと言われていた。進学校なのに。そのころ妹はお金のかかる部活に入れてもらい、練習道具も全部揃えてもらっていた。弟は頭の出来が悪いから、私が家庭教師変わりだった。もちろん、無休。

このころから休日の昼食は私任せになり、母親夜ご飯ほとんど作らなくなった。妹や弟は料理ができないので、私が全部作った。

私は就職なんてしようと思ってなかった。何が何でもこんな家は出てってやると思っていた。そんな時、母親病気になった。ガンだ。

私はそれでも構わず家を出て、自分の夢のためにとにかく稼いだ。悔しかった。ノート一冊買うのですら渋られたのが悔しくて、ずっとずっと収入がある仕事と、自己実現のできる世界で生きた。途中途中で連絡はあっても、すべて無視した。

ただ、母親死ぬ1ヶ月前だけは毎日のように病院に通った。妹に頼まれたかである。妹は、献身的母親看護をし、ずっと実家暮らしで働いてないのに、よっぽど私より評価は高かった。

はいつかみたいに2時間マッサージをした。どうやら、母親は私のマッサージお気に入りだったようで、弟や妹じゃぜんぜんダメから私を呼んだようなことをかすかすの声で言っていた。たぶん、初めて私があの人に求められた瞬間だったのかもしれない、今思うと。

ほどなくして、母親は亡くなった。まだ40代、かわいそうだと思った。私がいなければ、この人の人生は輝かしいものだったはずで、こんな病気にもならずに済んだかもしれない。そんな思いで死に化粧と、お父さんと子供たちのスピーチを全部用意した。何故って、お父さんが、お前くらいしかそんなことできる子いないんだよ、って言うから

ふと思う。私はここまでされて、なぜ母親が嫌いじゃないんだろう。

しろ大好きで、出来ればもっと長生きしてほしかった。

人に言うと、よくぐれなかったね?と言われるけれど、ぐれたところで何も変わるわけなかった。だって、興味を持ってくれなかったんだもん。私という人間に。

私は生き方がまともじゃないとよく言われます

自分性格関係してると思うけど、じゃあここまで話して、私の人生あなた人生取り替えっこしてみようか?と言って首を縦に振った人間は一人もいません。

それが全てです。

でも、母親の作ったパフェの味だけは、今でも鮮明に思い出します。甘くて、幸せな味でした。

2016-06-22

旦那実家食事中に肘を付くのが嫌だ

旦那実家は親兄弟みんなちゃんとした人だが、みんな食事中にテーブルに肘をつく。

左腕を曲げてテーブルの上に置き、その腕に上半身体重をかけるような食べ方。

自分としてはそれは行儀が悪い仕草だという認識だったから、見る度に気になる。

家で、自分の子供が肘をついていたら必ず注意するし、旦那にも注意し続けたら旦那最近やらなくなった。

旦那の親兄弟にも、マナー違反だと教えてあげたいが、恥をかかせてしまうだろうか。

甥姪のために、せめて旦那兄弟には指摘したいのだが、やはり角をたてずに言うのは不可能なのか。

手取り18万円の実家暮らし一人暮らししたい

都営住宅に住みたいけど30代ワープアは住めないらしい

池袋に歩いて通える距離で30平米ぐらいでいいとこないか

2016-06-21

未練

https://twitter.com/miraihack/status/745059267535765504

ストーキングにならずに静かに待つ。

忍耐力が試されるけれど、これも自分の試練だろう。

ヒロイズム自己陶酔したりはしないが、まだ人を信じることは出来た。



https://twitter.com/miraihack/status/745068110076510209

ちなみにいま周期的に生理前でして、以前私の交友関係について

PMSの苦しさを男はしょせん理解しきれないだろうと思う - 接客業はつらいよ!のように書かれたことがありまして、

生理前が落ち着くと状況も少し変わってくると信じている自分がいます



https://twitter.com/miraihack/status/745095191313276928

いま病院で待合中。私の友人や知人の約10人くらいほぼ全員に、

私は断捨離されたのでこれ以上深追いしたり待ったりするのを諦めて別な女性仕事に没頭した方が良いと勧められましたw

帰宅してから少し寝て頭を冷やして考えるようにします⊂二二二( ^ω^)二⊃



https://twitter.com/miraihack/status/745102212133621760

でも今の時期に私を断捨離して良いんだろうか。

ピルを飲んでいたしお互いにできちゃった結婚に流れ込むのがいい」という話になっていたので特に何もアレだったのだけど、

飲み忘れは無くて生理前になったのかな。

妊娠したら喜んで責任をとるつもりでいたけどその点が心配。もちろんその時は認知する。



https://twitter.com/miraihack/status/745104430018617344

何の連絡もないから連絡が来たら考えるか。

「お互いの安心のためにお互いに検査を受けよう」という話もまだ実現されていないけれど…。

3か月あったので何かの病気であっても既にという状態

「その時はうつされても良い」と言われていたけど、私の検査を待たなくて良いのだろうか。



https://twitter.com/miraihack/status/745135575112421376

実は今日相馬実家一時帰宅する日だった。

「来月から交際している女性と一緒に東京暮らします」という話を持ち帰る予定だったけど、

蜃気楼のように消えてしまったのと昨日までの疲れがあったので、土曜日に延期させてもらった。



https://twitter.com/miraihack/status/745143023252561920

ごめんなさい、誘惑に負けて元彼女電話してしまいましたw 

「お留守番サービス接続します」だったので、

留守電「色々迷惑掛けてゴメンね。生理の方ちゃんと来ているかな?来ていなかったら連絡ください」

伝言を入れてしまった寝る直前のお昼。



https://twitter.com/miraihack/status/745154505302409216

ます。いつも寝元には彼女から「今からそっちに向かうねー!」

電話が掛かってくるかもしれないとスマホを横に置いて寝ています

そういう時に起こしてくれるのはクライアントおっさんだったりしますがw

[]21:増田公方

 一年以上の準備期間を費やして増田連合軍北方異民族追討の兵をあげた。

遠征軍には中心的な増田四家の当主がすべて参加し、統治の安定ぶりを誇示している。

会談では他家に強敵を任せる流れだった増田家(四)も戦後立場を考えれば一家だけ参戦しない判断はできなかった。

そこまで読んでの決断なら増田家(八)の当主は大した奴だと、ちんぽこ将軍は半ば安心していた。

 遠征軍には他の増田家に連なる人間も、北は増田軍(三)ごと降伏した増田家(一)の亡命武将から

南は降伏以来実家に帰っていない増田家(士)の敗戦処理当主まで参加していた。

増田家(六)は増田家(四)の当主兼任

 彼らの総兵力は二十万に達する。まさに増田島の総力を結集した史上初の増田連合軍と言えた。


 二十万人の増田増田領(一)と増田領(三)の境界をなす増峠、その南に広がる大きな盆地邀撃の陣を構えた。

 増峠を越えてやってきた北方異民族軍勢が、平原の北を赤黒く染める。

傭兵を導火線に、全球的な寒冷化に押されて、南下してきたなどの同情できる動機は彼らになく、欲得ずくである

北方異民族支配階級は南からイノシシの子供を輸入し、

肥育したものを潰して塩漬けにし、金の容器に封入保存する風習で知られていた。

 これは缶詰の起源ともされるもので、彼らの文化はともかく、技術は決して侮ることはできない。

また増田島にはない特有兵科を持っていた。

 ?騎兵である

増田島の住民が知らない角のやたらと大きく広い動物?を騎乗可能品種改良したもの騎兵で、威圧感は馬の比ではない

中にはチャリオット形式の敵もいて、赤い服をまとった御者の姿は、何故か増田たちの本能的な殺意を呼び起こした。

 両翼に展開した?騎兵相手取るのは、カラトラヴァ騎士団増田騎馬軍団だ。

尤も、彼らの数はどんなに集めても合計で五千を超えないので左翼に集められている。

右翼には各家から集中された騎乗士を、前列に配置された武熊が補強する状態だった。

 目算では敵の?騎兵は左右共に一万から一万五千。これに数千の軽装歩兵が加わっている。

味方は右翼騎乗士一万に武熊五十頭、左翼騎士団三百に騎馬軍団四千五百、その他が五千であった。



 バックボーン構成する歩兵の数では増田連合軍が確実に上回っている。

上回るように動員し、補給体制を整えてきたのだから劣勢だったら大問題であった。

前衛言い出しっぺの法則増田家(八)本国衆四万がつとめる。指揮官増田出羽守

「このいくさに勝てば、殿が増田家(四)の姫を紹介してくれる……」

 独り言をつぶやいているのは、おめでたいからではなく、恐怖をまぎらわすためだ。

十万人に迫る目前の異民族

https https」「スマフォ」「ニッキニッキ」「タノシクタノシク」

などと口々に意味不明言葉供述しており、受け身の意識でいると狂気に引き込まれる。




特にwww」や「//」と笑ったり恥ずかしがったりしている輩が憎々しいでござる。

 笑ったり恥ずかしがったりできなくしてやるでござる!」

 増田出羽守の後方で増田家(五)の先鋒をつとめる増田左混は言った。

江川の敗北で一時干されていた彼であるが、大軍をひきいた経験はやはり貴重なため、起用されていた。

彼は転がり込んできたカラトラヴァ騎士団と合同訓練を積むことで戦術視野を広げていた。

 中軸を構成する増田軍(五)全体の兵力比較戦場に近いこともあり五万を数える。

彼らの領土は一度も本格的な戦闘舞台になったことがなかった。実に幸せな家であった。




 増田左混の右手には増田家(四)を中核とする歴戦の精鋭たちがいた。

「昔は傭兵にしていたくらいで話が通じる連中だったので候が、そやつらがさらに遠方の異民族まで呼び集めたようでござる」

 増田家(一)の亡命武将が、当主説明する。峠の向こうが冬の間に地獄になったことを想像しながら、

長い準備期間を耐えてきた彼はこのいくさで退くなら果てる覚悟を決めていた。

 戦意の高すぎることが心配される増田軍(四)は合わせて三万であった。

なお、増田軍(四)には旧増田領(二)などに展開している他の部隊存在する。



「ついに増田島を縦断してしまった……」

 反対側の中央左翼よりには増田家(十)の当主がいた。故郷が遠く、別に海上輸送負担があるため、彼らの軍役は軽い。

武熊がトラウマになっている旧増田家(九)家臣団も寄騎につけられて総勢三万だった。




 最後増田家(八)当主がひかえる後衛には、四万人が集まっている。

輜重兵が一部混じった雑多な集団であり、味方にはあまり期待されていなかった。

「この地は我々のシマだ(お腹グルグルしてきた……)!!」

 実はこの当主戦術レベルで戦いに参加するのは初めてだった。




 最初に動いたのはもう一つの部外者であるカラトラヴァ騎士団だった。

恐怖を知らない騎士たちは三十倍を超える敵にむかってまっすぐ突っ込んでいく。

「キホウキホウ」「ツカエツカエ」

 敵はおめきながら迎撃の体勢を整えた。先頭をはしる騎士団グランドマスダーは異国語で部下に叫ぶ。

「カラコール戦法だ!」

 彼が槍を掲げると騎士たちは一斉に顔を左手のあらぬ方向にねじ曲げた。そちらに指をさす。

「「あっ!!?」」

 言語の壁を通じて通用するしぐさをみて、?騎兵たちは一斉に右手をみた。

「「??」」

 何もないことを不審に思って視線を戻した先には視界一杯の白銀騎士たち。

 ごあ、ぐあっしゃゃあああああん!!

 耳を聾する轟音をかなでて敵味方が激突する。?の大きな角も馬にまで装甲を施したカラトラヴァ騎士団相手には障害にならず、敵の右翼は切り裂かれた。

 彼らがこじ開けた突破口を五千の騎乗士が拡張する。一方、増田騎馬軍団は大きく左に回り込む機動をおこなった。



騎士のいない反対翼の戦いは増田連合軍の有利には展開しなかった。

「com.com.」

 ?チャリオットが耳障りな音を立てて迫り、旋回しながら武熊に矢の雨霰をふらす。

「ぶおっ、まおっ」

 武熊たちは腕で頭をかばい、いやいやをした。さらに射られるとたまらず敗走する武熊が現れる――味方の方向へ。

「こっちくんな!」

「やっぱり武熊は増田の敵」

「敵に回すと恐ろしいが、味方にしても頼りないっ!」

 武熊とハサミは使いようなのだが、右翼騎兵勝手なことをわめいて混乱をきたした。

そこに?騎兵たちが威勢よく突っ込んでくる。

「「うわあああああっ」」

 戦場東側での戦いは幸先の悪いものになった。



「すべての増田が我らの背中をみているぞ!」

 増田出羽守は由緒正しいスカラベの前立てを部下に向かって反射させ、刀で敵を指し示した。

五万の雑魚ナメクジがうねうねと敵に向かって進む。時折、敵味方の矢が飛び交い、飛翔音が恐怖を煽り立てる。

至近距離に近づいたことで増田兵は黒い毛皮をまとった敵の中に、本物の生きた毛皮が混ざっていることに気付いた。

「敵の武熊だ!」

「いや、セルクマだ!」

 そいつの身体は増田島の武熊より一回り大きかった。しかも、暴れた時の危険無視して敵兵が大武熊の近くにまとわりついていた。

増田たちはさっそく脱糞する。それでも槍にすがってへっぴり腰で向かっていく。

「イチランイチラン!」「モウケモウケ!」

 異民族は突然騒ぎだし増田の肝をつぶした。ほとんど気を呑まれ状態中央での戦いがはじまった。



右翼の連中は何をやっておる!」

 増田ちんぽこ将軍右翼崩壊をみて叫んだ。事前に打ち合わせた作戦があっさり台無しになってしまった。

「右を向けぇい!」

 烏合の騎兵集団を破砕した敵の?騎兵が奇声をあげて駆け寄ってくる。三万の歩兵は味方の右側面を守るために戦いはじめた。



「やっぱダメだ~~っ」

 同じ頃、中央でも増田家(八)軍団が後退に追い込まれていた。

あれだけ意気込んで進んだのに、撃退されるとは情けない。

負け上手の増田出羽守は無理して流れに逆らうことはせず、部下と一体になって逃げた。

「姫との結婚は無理でござるな……」

 敵の中央はいきおいに乗って増田連合軍を追ってきた。増田家(五)が汚れた尻拭いに割ってはいる。



「必ず負ける兵は必ず勝つ兵と同じ。やはり、軍師にとっては使いやすいわい」

 増田匿兵衛はうそぶいて銅鑼を鳴らせた。前衛が引き出した敵を左右の歩兵が側撃する――計画だったのだが、右側は?騎兵への対処必要だったため機能したのは左側の増田家(十)軍団だけだった。

「放てぇ~~っ」

 自慢の手銃が火を吹き、防備の薄い斜め右から撃ちまくられた蛮族がバタバタ倒れる。

コミュニケーション不能な連中もさすがに怯んだ。そこに増田家(士)の尖兵が斬り込んでいく。

「……この兵があれば天下も狙えたはずでござるが」

 自分のではない脱糞臭いがして、増田中弐は邪念を追い払った。



 戦場西側では増田軍が圧倒していた。鋼鉄戦士たちが?騎兵中央を食いちぎる一方で、増田騎馬軍団が側面や背後に回り込み、騎射で滅多撃ちにする。

増田島の湿潤な気候が蛮族の合成弓にあわなかった影響もあり、一方的射撃戦になる。

 このまま敵の後方を回り込んで、東の騎兵戦も勝利に導けば完勝。

そんな、計画だったのだが、味方の右翼時間稼ぎに失敗したため計画根本から狂っている。

喧騒の中、増田騎馬軍団指揮官たちは、その事実を忍びに聞かされた。

「父上!」

 ある増田騎馬が北を弓でさした。増田典厩は頭をつるりと撫でる。

「まったく、とんだぢゃぢゃ馬ぢゃわい……」

 増田騎馬軍団はじゃじゃ馬が導く方へ進んだ。



 増田軍(四)は敵左翼騎兵の攻勢をしのぎ続けていた――むしろダメージは?騎兵の方が大きかった――が、

動力にまさる敵の動きを拘束することはできず、敵左翼の一部はついに本陣にまで乱入してきた。

精強な増田軍(四)に近い右寄り本陣をおいた方が安全という読みが裏目に出た。

「うろたえるな。うろたえるではない!」

 と叫ぶ増田家(八)当主が一番うろたえていた。尻は腸そのものを体外に排出してしまった感触だ。

ナマコならそれを囮にして逃げるのだが、最高司令官ともなれば、そういうわけにもいかない。

「ipip!」

 馬廻りが角の派手な?騎兵相手にしている間に、随伴していた軽装歩兵が足下まで迫ってくる。

「ひかえろ、下郎が!!」

 当主悲鳴をあげると、腰の大業物を抜いて、一刀のもとに小鬼を斬り捨てた。

!?

「://」

 敵は一瞬硬直する。増田家(八)の当主はかつて伝説的な剣士師事し、

免許皆伝を受けた腕前であり、その太刀筋は異様に鋭かった。

「ぬりゃ!てりゃっ!」

 漏らしながらも、バターのように雑魚ナメクジを斬りまくる。

「それ以上、いけませぬ」

 太刀が刃こぼれだらけになったところで馬廻りが主を止めた。四万の後衛は?騎兵を軒並み倒しおえていた。

普段輜重を護衛している彼らが、増田家(八)では最精鋭なのであった。

輜重が奪われない信頼があるからこそ、増田軍(八)は安心して戦えた(負けられた)。

そして、彼らが防衛された食糧を期待して本隊への合流を目指すことで全体が敗北から早期に立ち直るのであった。

 だが、やはり実戦経験の乏しさは問題であり、頭領がみずから戦う事態後衛はそうとう混乱していた。

そんな最悪のタイミングで敵中央から東にこぼれた大量の歩兵軍団が襲いかかってきた。

 最初東西に引かれていた戦線はいつのまにか、南北に引かれる状態になっており、本陣最右翼最前線だった。

敵味方が増田左混が戦っているあたりを中心にして、回転扉のように右回転した結果である

「ここは一旦、お引きを」

 増田匿兵衛が進言する。当主は言い返しかけたが考えを改めて軍師にしたがった。

くそっ」

 当主の隣で馬を攻める軍師は尋ねた。

「お腰の物は味噌ですかな?」

「……たわけ。うんこに決まっておろうが」

「某もでござる」

 見ると増田匿兵衛も漏らしていた。



 大将敵前逃亡したことで増田連合軍士気は低下、思い思いの方向に退却をはじめた。

あくまでも退却をこばんだ増田家(一)の旧臣たちは敵に突入して討ち死にを遂げた。

「むごい……」

 と漏らしつつも、増田家(四)の当主も、死兵の抵抗を利用して戦場から離脱した。



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2016-06-20

ニコニコ動画の実況者のファンになった

31歳、主婦

これまで登録だけはしてあったけど全然使ってなかったニコニコ動画

昔好きだったゲームを突然やりたくなったけどハード実家でできなくて、

せめてプレイ画面が見たいと思って見た動画面白かった。

兄弟とか友達と一緒にゲームしてたのを思い出した。

引っ越してきて友達がいない自分にはなんだかそんな感覚が心地よかった。

こういう実況って、若い、〜20代前半くらいの人がテンション高めに、

リアクション激しめにやっているものだとばっかり思ってたけど違って、

落ち着いてる感じで、同年代くらいの人だったのもびっくりした。

調べてみると、その人はコンビでの実況もしているようで、そちらも見てみた。

そちらではボケ役?的な感じで落ち着いている感はあまりなかったけど、

コンビの方との会話が面白くて、ますます好きになった。

会話になることで友達の家感が増した気がした。

実況者のファンって若い子ばっかりのイメージがあって、

こんな歳でハマったとか誰にも言えないからここでこっそり書いてみた。

もうちょっと若かったらイベントとかに行ってみたかったな〜

このブコメやばくない?

以下引用

確実に死ぬなら首吊り一択なので、次は是非そうしてくれ/お前ネットやめて実家帰って療養したほうがいいって。はてなもTwitterもアカウント消して現実を生きろよ - masumizaru のコメント / はてなブックマーク

引用ここまで。





おいおい、これって自殺幇助なんじゃないだろうか・・・



個別には、人を教唆して自殺させる自殺教唆罪簡単に言うと「死ね」など言って人を自殺させようとすること)、 人を幇助して自殺させる自殺幇助罪自殺のための道具や場所、知識などを提供すること)、人の嘱託を受けてその人を殺害する嘱託殺人罪、人の承諾を得てその人を殺害する承諾殺人罪同意殺人罪)を言う。

自殺関与・同意殺人罪 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/自殺関与・同意殺人罪



しかスターがいっぱいついて人気コメントになっている・・・・・

こんな危ないコメント・・・・・・

上場企業がこんなことでいいのだろうか・・・・・・・・・

ある「在野派」の叫び

ブヒヒヒヒッヒヒッヒヒ〜〜〜〜ン!!!!!!!!

僕、学歴もないし、実家ぐらしのフリーターなんだよおおおお〜〜〜〜〜んんん!!!

別に真っすぐ生きれば良いのに、プライドだけは一人前な僕は、そんな現状に耐えられないんだよおおおお〜〜〜〜〜ンンンN!!!!!!

もともとアカデミズムや準アカデミズムに憧れてたのに、その輪に加われないことから、猛烈なコンプ発症してしまったんだよいよよぉぉぉ〜〜〜んんんん!!!

そんな中、もう亡くなったある在野思想家の本が僕を救ってくれたんだよぉぉぉおお〜〜〜〜んんんん!!!

彼の文章は大半意味不明だったけど、時おり見せる異様にラフスケッチ、一丁前にカッコつけた見栄の切り方、ジャッジメントの仕方は参考になったんだよおおお〜〜〜〜〜ん!!!

僕はアカデミズムに対抗して、「在野派」として生きることに決めたッッッッ!!!

もちろんアカデミズム対在野なんて対立が疑似問題だってことは分かってるさ、でもそうしないと生きていけないし、頭の悪いボクにはこの整理が限界なんだヨオオオオオーーーーー”!!!

これから、「負け組」のくせして保守として生きていくぽよおおお〜〜〜〜〜!!!

もう限界なんだもん!自分中途半端若さに!そんな訳で、自分を60代の小粋なじいちゃんと仮想してこれから生活を送っていくよおおお〜〜〜ん!!!

生活実感を〜〜〜〜ンンッ大事にッッ!!!しかガルパンなどの最新の文化に対しても懐が深イイイイ!!!

時々、哲学を題材にしたブログをカクオヲヲヲッヲ!!!!!

本の内容を要約しただけの、そこら辺の学部生でも×内容ダリンッッ!!!

でもみんなは僕を「市井思想家」だと誤解してくりりりぃりいぃりるっ!!!!!

くぉいんな感じで、僕の人生は終わっていく!!!

でもそれでいいんだ!!承認欲求が満たされているからね!!!!!

やっぱりこの世にはアカシックレコード必要

今日実家に帰ってきて、自分の部屋の隅にあったぬいぐるみを見てふと感じた。「怖い……」と。

ゲームセンターUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみを何体かつなげて、壁にぶら下げてあったのだ。

別にそのぬいぐるみの形相が恐ろしかったとか、そんなわけのわからないことをした自分が怖くなったとか、そういうわけではなかった。

そのぬいぐるみをつないで、壁にぶら下げた、その行為をした記憶はある。でも、そのとき自分が何を考えていたのか、どういう気持ちだったのか、それをしたあと自分が何をしたのか、まったく覚えていないのだ。

記憶が飛んでいたというわけでもない。単純に時の流れによって記憶から抜け落ちてしまっただけ。

でも、それが怖くなった。その時の自分気持ちを覚えていられるのは自分だけのはずなのに、その自分すら忘れてしまっているのだ。ほかの誰が知るはずもなく、つまり世界から完全に消え去ってしまったのだ。

この単純な事実が途方もなく怖くなった。時が経つにつれて確実に何かが失われていく。そしてそれは、長い宇宙時間の中で、数限りなく行われてきたであろう喪失いくら努力したところで、もう絶対に知ることはできない。

祖母が死んだときに感じた恐怖とまったく同じものだった。

祖母自分中学生とき、百歳の少し手前まで生き、そしてこの世の摂理に従って亡くなった。

それ自体は恐ろしいことでも、悲しいことでも何でもない。むしろよく長生きしたな、大往生だ、よかったよかった、ぐらいのものである

事実親族一同、悼むことはあっても、嘆き悲しむというようなことはなかった。

自分別に必要以上に悲しむことはなかった。だが、ふと彼女人生について考えたとき、途方もない恐怖を覚えてしまったのだ。

彼女の九十余年もの間、いろいろなことがあっただろう。大正に生まれ学校に行き、祖母を生み、戦争を生き延び、戦後経済成長経験し、ひ孫の顔まで見た。

他愛のないこともたくさんあったであろう。その時々で、彼女は何かを見て、感じて、そして思ったはずなのだ

しかし、それらを知ることはもう我々にはできない。数多の物語が、真実が、情報が、失われてしまったのだ。

それが、とても怖かった。

こういうことを音のない夜、ふと考えて眠れなくなることがよくある。

そういうとき、思うのだ。アカシックレコードさえあれば、と。この世のすべてを記憶していてくれる機械えこの世にあれば。

好奇心学問必要性を感じてのことではない。ただひたすら、情報喪失という恐怖から自分を守ってくれるものがほしい、そういう理由アカシックレコードがほしくなる。

今日はそういう夜だった。

2016-06-19

男だからレズ風俗行けないけど例のやつ読んで心がとても落ち着いた

内容的にアドセンス違反ひっかかりそうだからこっちに書く。

ぶっちゃけレズ風俗のもの主題じゃないから、男でも読める。

つらい思いしている人間タイプ相対的評価(実はそれは相対的ではなく、結局自分勝手につくった理想絶対的人間像)にたどり付けなくて苦しんでるパターンがある。

自分もそうで、田舎の一人親に迷惑かけたくない、自分と同じ学歴人間結構いい生活してる、幸いにもレベルの高い創作している仲の良い人間が多くて、それに辿りつけない自分

誰もそれを強要したわけではないんだけど、自分がそうなれない、あるいはそうならなくてもいいのにどんどん自分自分に対してかけてるプレッシャーが強くなって、どんな場面でも「この人生はクソだ、何も生み出してないし、これからもよくならない」という否定をかけてくる「内の自分」がどんどん強くなっていく。

これをつきつめていくと結局のところ承認欲求になる。

作ったものをほめられたい。大学留年しなかった。不況だったのに就職浪人しなかった。変に休まず正社員でちゃんと労働してる(それなりに会社でも評価されてる。ただ給料はそれに対して増えないからただただ生きるのがつらい)。

でも誰もほめてくれない。自分自分だけのために頑張るのはもうしんどくなってきた。

そんな時にこれを読めた。

作者の永田さんの場合はアレができない、コレができないというドロップアウトタイプのできごとがたくさんあったみたいだけど、自分場合実家から出て一人暮らししてるから働かないと即死んでしまうからギリギリなんとかやってるわけで、なにかあるとすぐ自律神経ボロボロになって顔が赤みづいてむくむし、肌荒れも治らなかったりして、勝手にすごいシンパシー感じてしまった。

永田さんも書いてたけど人一倍寒さに弱い時期もあるあるすぎて本当に死ぬかと思った寒い時期はずっと身体かこわばって全身筋肉痛が抜けなかった。

ただ僕と永田さんの一番の違いは自分思考経験プロセスを克明に振り返ってアウトプットしたところだ。

高校の頃いろいろあって「自分のことは自分でなんとかしなきゃダメだ。誰かに相談したって結局誰かが代行してくれるわけじゃないし、相談された方だって迷惑だ」みたいな意識がこびりついてしまって、それ以来自分気持ちに対して向き合って周りに表現することが本当に苦手になってしまった。日記とか絶対書けない。自分自分のためだけに読む文章とか絶対に書けない。(日記をつける行為のもの否定してるわけではないぞ)

ただ自分はそういう相談されるのは大好きで、それは間違いなく「あ、この人は自分のことを信用してくれてるんだな」って思いたいから。個人への所属意識を少しでも持ちたいんたと思う。

永田さんのその辺の心象は知らないけど、ダメ自分客観視して、ましてそれを漫画にするというのはいろいろと考えるところがあったと思う。

それでもこうしてとても興味深い漫画を世に出して、こういうのが読みたかった人の手に届いたことは本当に素晴らしいことだと思う。

作中、具体的に本当それ!!!って共感したところがいくつかある。

・「とりあえず抱きしめられたい」

あーもうそれなんだよなーという最高のフレーズ

整体で人に触られると安らぐというのも本当に理解できるところで、なんなら美容室での軽いマッサージですらその効果があるくらい。

ただこの歳になるとこういうイベントマジで普段生活にないですからね。

・「自分から全然大事にされてない」

なにをやってもダメ(=自分の高すぎる理想に追いつかない)から、どんどん自分評価が下がる。

結果自分生活とか身の回りが雑になっていく。

ただこれによるマイナス効果というのは、逆に言えば身の回りをしっかりすればプラスになるという裏付けでもあって、最近体重減らして既成品の服がピッタリ合うくらいの体型になるとかした。(ただそれにも金がかかるのでそれが厳しい)

永田さんはレズ風俗という手段をとって、レズ風俗に行くために自分磨きという投資成功してる。


とにかく閉塞感まみれだった自分生き方の一例が示されているみたいで、もちろん男だからレズ風俗は頼めないんだけど、ははあ、こういう気持ちはこうやって良くなることあるのかと思うと、読後感のすっきり感が半端なかった。

じゃあ普通に風俗行けば?というのはまたそれはちょっと違うけど、万一そういう機会があったら永田さんと似たような気持ちになってしまうと思う。ただそれはそれでバブみみたいな感じがしてキモいな~という感じがしてそれもそれでどうなんだろうという気持ちある。

性欲的な快楽じゃなくて精神的な快楽を得るための合法的方法ってなんかないの?教えてはてなブックマーカーたち。

読み終わって「とにかくみんなもっと認めてくれ!!!!!!!!!!」という気持ちアウトプットがすごいすんなり出せるようになった気がするので、今こうして殴り書きしてる。

すごいぞレズ風俗

あーーーーーーーーーーーーーーーーみんなもっと認めてくれーーーーーーーーーーーーーーーーーほめてくれーーーーーーーーーーー

俺もガンガン褒めるから!!!!!!!!!

よろしくなインターネット!!!!!!!!!!!!

http://anond.hatelabo.jp/20160618211423

四年前の俺のようだ。俺はリーマンショックから就職氷河期に見事にぶち当たって、大学就職浪人制度使って一留して

それでも無い内定のまま卒業してしまって、就活期間2年近くずっと毎日自己否定感に苛まれ死にたいとばかり思っていた。

実家で猫撫でてたらいきなり涙が止まらなくなって心療内科に通ったりした。

でもある日、惰性で受けた社団面接で意外なくらいトントン拍子にあっさり内定が出て、むしろ拍子抜けした。

入る前は「世の中というものは俺にどれほど高い能力要求するんだ」と恐れに恐れていた大人世界というのは、入ってみればなんのことはない、

就活の苦労に比べたら信じられないほどヌルくて雑多で、多様な世界だった。

周りには「就職したらもっと苦しいんだぞ」なんて言う奴もいたけれど、就活の時の苦労に比べたら仕事での苦労なんて俺にとっては正直屁でもなかった。

就活の時の苦労は一体何のためのものだったんだ、と正直ムカついたくらいだ。


就活で測られるもの、求められるものは、要するに社会に適合するためのスキルでもなんでもなく、ただただ就活という歪んだシステムを乗り切るためのスキルしかない。

あなたより不誠実で不真面目で、「社会に適合するための正当な手続きたる就活」を踏まえていない大人なんていくらでもいる。

自分幸運を棚に上げて、あなたのような弱っている人間マウンティングをかまそうとする言説も世の中に溢れている。


就活で植え付けられる自己否定感は、今のあなたにとっては紛れも無く真実で、あなたを苦しめていると思う。

実のところ俺も、今でもその解消に難儀してる。


でも就活理不尽運ゲークソゲーだ。就活なんてもんはペテンだ。

からあなたが今感じている「自分社会必要のない人間」という烙印、なんてものも誰かのついた嘘だ。

そんなもんであなた価値は決まらない。

あなた幸せ自己肯定できるようになる日が来ることを祈る。

[]19:増田の共謀

「どういうことぢゃ!?

 増田典厩はひさしぶりに実家に帰ってきた娘を詰問した。彼女はまず平伏した。

 首尾良く増田家(八)内部に入り込んだ娘は増河の合戦時点では正確な情報を送ってきていた。

そのおかげで増田家(四)は思い切って兵力を東に集中し、死戦に勝利することができたのだ。

 帰ってきたら昇級だと褒められていた娘だが、みやこを巡る増田家と増田家(士)の戦いには正反対のことをした。

増田家と同盟の後増田家が北の国境に十分な兵力を残していると偽り、主家の判断を誤らせたのである

実際に残っていた野戦戦力はカラトラヴァ騎士団くらいのものであった。

 増田家(四)は増田中弐船団の難破者を助けたことで増田海側での中入り策を知っていたが、

さらに反対側の海岸でも同様の作戦を行うとは予想していなかった。

もしも、知っていれば武力に訴えなくても旧増田家(六)領の残り半分くらいは切り取れた可能性がある。



 歩き巫女ゆっくりと顔をあげた。強いまなざしで父を見つめる。

少し頬を染めてから唇を開いた。

「実は……漏らしてしまったのです」

 もちろん大便のことである

「あわてふためくわたくしを見て、あの方はこう仰いました。「ここで我が漏らしたのは二人だけの内緒だぞ」と……」

 増田典厩の瞳が揺れた。上を向いて瞼を閉じる。一筋の涙が皺だらけの頬を伝った。

美談じゃな」

はい増田島に生まれた者なら誰でも一度は漏らすもの

 でも、多くの人はそれを認めることができません。

 その弱さを他人の分まで背負って泰然としておられるあの方は真に強き方だと思いました」

「……だからと言って主家を売っていいわけがあろうか」

 娘は頬をこわばらせた。

「ええ、おめおめと戻ってこられる身とは思っておりません。

 ただ、これだけはわたくしの口から父上に直接お話たかったのです」



 いま増田家(八)は恒常的な和睦を求めている。

現状に少し変更を加えるだけで各家の領土固定化し、増田島の戦乱を終結させたい。

 具体的には増田家(四)が旧増田家(二)と旧増田家(六)の半分を割譲し、増田家(一・三・四)を治める。

割譲された旧増田家(二)は増田家(五)に分配し、旧増田家(六)の残り半分を放出する。

中心となる増田家(八)は本土の他に(六・七・九)を治める。

増田家(八)の下に入りながら復興をなしとげた増田家(十)が(士)の領土支配する。

 彼らの希望はこのような国割りである

増田家(士)との戦いに多大な貢献をした増田家(五)は土地を重視するため、少しでも領地をわけ与える必要がある。

また、重心となるべき増田家(八)は明確に最大の勢力でなければならない。

 このような事情から考えられた領土分配は、つまるところ彼らの都合に過ぎず、増田家(四)内部の気持ちをおもんばかっていない。



 確かに国力では圧倒される立場だが、仮想敵一枚岩になりきれず、以前行われた旧増田領(二)での直接対決でも自分たちが快勝している。

 仮に当主が和睦案に納得しても家臣たちが納得しないであろう。

増田典厩は娘に説明した。

 増田家(六)の半分だけであっても領土割譲は難しい。

そして、領土割譲が皆無では増田家(八)(というより後増田家)も和睦を受け入れない。

 やはり一戦に及ぶしかない。

 そして戦いが始まってしまえば増田家(四)の当主最後まで勝利を追求するに違いなかった。



「いくさはイヤにござります!」

「シエーーッ!!」

 増田典厩は娘の言葉に横から頭を抱えるポーズを取った。武家の娘が何を言う……。

「考えてくださいませ。両家のいくさとなれば主戦場になるのは、わたくしたちの故郷でございます!」

「う、うむ」

「父上は主家や増田家(八)の思惑ばかり考えていらっしゃいますが、

 もっとも大切にするべきなのは果たして何なのですか?

 おめおめ帰ってきたのは、それをどうしてもお聞きしたかたからです」

 彼女は激烈な調子で言い放って、顔を青ざめさせた。増田典厩は長時間腕組みをして考え込んだ。



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2016-06-17

「いつまで美容院に行ったらいいのか」問題について。

髪を切らないとと思っている。前回行った時よりもう3日で2か月だ。

襟足ともみあげがもじゃもじゃしてて気持ち悪い。伸びてくると天パーがかかってくるので毛先があっちゃこっちゃグルグルしてて見苦しいたらありゃしない。

はいえ。

今年で38歳を迎え、10年近く通ってきたサロンに行くのがどうにも億劫に感じてならない。

髪の後退は5年前から懸念事項であり私の額は着々と広がっている。

学生の頃は前髪が目に入れば「さて髪を切らなければ」と思えたものだったが今の私は多分一生かかっても前髪は目に届かない

であろう。

幸運にも頭頂部はまだまだ元気なので世間的にはハゲではないとされている。これは家族から証言を得ている。確かに「ハゲてきた」は言われているが「ハゲた」と「ハゲてきた」の間には深くて長い河があるのだ。

ただそのような状態からこそヘアサロンに行っていいのか葛藤してしまう。しかも加齢でだいぶ太ってきたから尚更。

私の職場の近くは地域でも珍しいヘアサロン集中地点で600メートル範囲内に20軒近くがひしめいている。

その中の大きめで明るいヘアサロンHが私の行きつけでそこのOさんにもう10年近く担当してもらっている。

そもそもそんなに長い付き合いになるとは思っていなかった。

きっかけなんかmixi検索したらヒットしたのがそこで指名なしで入ったらたまたま手が空いていたのが彼女だっただけ。

以来ブリーチなしパーマなしカットのみという手はかからないけど儲からない私の髪を整えて頂いている。

その間、暇がなくて1000円カットで済ましたことが数回ある程度でずっとお願いしてもらっている。

ただ付き合いは長いが深くはない。

結婚してたのに1年後に知らされてうろたえたこともあったし明らかに聞き流しているなあと思う事もしょっちゅう

お互い思い入れもなにもなく10年弱。異動するか実家近くに独立するかなと思っていたが駆け出しか店舗チーフになってい

た。多分これから5年は動かないだろう。

この「いつでも止めてもいい」状態のまま2、3か月に一回。年間で2万円程度の常連客として通ってきたのだが、どうも最近こっちを見る視線が痛く感じる。

店の規模が大きいから客層もバラエティが多い。私みたいなオッサンも少なくもないのだが、それと同じくらいに10代の少女たちもいる訳で。

痛い視線は主に彼女たちから発せられている様である

そりゃそうだ。スタイリングもしないまま店に入り、出される雑誌はウオモとかモノマガジンとかではなくオレンジページ。(仕事柄この手の情報必要なんです)話題洒落ていない割にはスタイリスト無駄に使う(主に無駄話で)。洗髪の為に上げられる椅子からは軋んだ音がする。

思春期彼女たちにとって私は嫌悪感を催す存在なのだろうよ。最近自意識過剰ではないかもなあという位感じる。

ヘアサロン男性客が市民権を得たのは多分20年位前。とはいえ今も昔もヘアサロンの中心は女性であるイングリッシュマンニューヨークほど切実ではないがこの店で私はいつまで経っても外部の存在なんだろうなとは思う。

来たるべき40代に向けてヘアサロンから卒業を考えている。年相応に還るべき場所へ帰ろうと。

最初に通い始めたときはまだ私は20代だった。だからこそ見栄というか沽券というかヘアサロンではなくてはダメだという感覚があった。

今はそんな見栄も沽券もとっくに枯れ果てた。普通にゆっくり1時間過ごせるぐらいでちゃんと髪を整えてくれるだけでいいとは思う。

しか通りすがり理髪店を見るとどうも決意が揺らぐ。いらない近所付き合いの延長線上で営業されているような感じ。あるいは頭の上に掃除機が通るような値段有りきのスタイル

もう自分で書いてて面倒臭い。とはいえそのくらいのデリケートさがあるところに行きたいのだ。出来れば遠出をしない程度でどっかないのかなあ。

取りあえずは今回はいものところで切ってもらうことにして理想の散髪について思案に暮れている。

24歳これでいいのか

22年間過ごした実家を離れ就職である工業地域に来て一人暮らしを始めて2年目で、実感するのは絶望的に人と接触する機会が減ったこと

実家にいたときはいわゆる都会で学生だったから気軽に友達や当時付き合ってた彼女とご飯に行ったり遊びに行けたからそこまで人との接触を意識してなかったけれど

一人暮らし工業地域という条件は考えていた以上に人と接触する機会が少なかった

不幸か幸いか会社従業員40名ぐらいの子会社普段財務関連の業務を朝から晩まで定年間際の上司としているので社内でも微妙な扱いをされ、友達が欲しいなと思いつつも同じ生活時間帯にいる同世代を見かけるのは1ヵ月に数回程度、彼女を作ろうにも出会いすらほとんどない状況

朝起きて仕事に行って、帰宅したらゲームをして寝て、起きたらまた仕事をするって生活自分ごまかすのもそろそろ辛くなってきた

いっそペッパーでも買うべきなんだろうか。

2016-06-16

旦那仕事を辞めて一カ月が経った。有休消化の間に探すぞ、と意気込んでいた新しい転職先は有休消化が始まってから僅か2週間足らずで決まった。

私は安堵した。仕事さえ見つかってくれていたら、後は有休消化して、来るべき日に備えていればいいのだから

けれどそれが甘かった。職が決まってからと言うもの旦那は好きなだけゲームに打ち込み、家事も手伝ってはくれていたが、微々たるもので、その割に子供たちには口煩く言い、自分が気に入らないとすぐ不機嫌になった。

すぐに連絡が来ると思っていた職場から連絡が来ず、怪しみだしたのが、つい最近の事。6月から働く予定だったのだが、待てど暮らせど連絡が来ない。

痺れを切らした旦那転職先の職場電話をしたら「まだ決まっていなくて。でも内定はちゃんと決まっているので安心してくださいね!また連絡します」と言ったらしい。

私は新しい職場に不信感を持ち始めた、と同時にそれでも呑気に職場からの連絡を待ちのらりくらりと毎日家でゲームに没頭する旦那にもイライラが募った。

「連絡来ないよ!どうするの?」私が急かしてみても「俺を急かしたって仕方ないだろ。待ってればいいんだ」の一点張り。それどころか私が急かす度に旦那の機嫌は悪くなる一方だった。

そして等々我慢が出来なくなって「仕事が決まるまで実家に帰って」と家から追い出したのが先週の事。不機嫌をキメ込んだ旦那はすぐに家から出て行き実家へと帰った。

久しぶりに家から旦那がいなくなりせいせいした。清々しい気分だった。溜まっていたストレスが少し解消された気がした。

しかし。旦那からLINEが入る。「仕事が決まったから帰っていいだろう」と。

家のドアを開けるつもりはなかったのだが、あまりにもノックをする為近所迷惑になると考え鍵を開け旦那帰宅をしたのがその日の深夜だ

仕事が決まったと言う話を詳しく聞くと、また旦那職場電話をし、仕事で行く派遣先が決まったのかと連絡をしたらしい。

すると担当者から決まったと言われ、先方も急いでいる為にすぐに決まるだろうからまた連絡すると言われたのがその日の夕方だったそうだ。

そして追い出し騒動から夜明けた日。本当に電話が掛かってきた。先方の都合が明日には合うと思うのでまた連絡しますと言ったそうだ。ここで私の職場への不信感は更に募る。けれど相変わらず旦那はのほほんと連絡を待とうとした。

ストレスが溜まりに溜まりイライラが募っていた私は爆発した。旦那転職先のおかしな所を指摘した。いつまでもまらない派遣先電話の度にまた連絡しますの連呼。そんな会社を信用出来るのか、不信感は募らないのか、私は延々と旦那に話した。その辺りから旦那もいよいよ可笑しさに気付いたらしく、また新たに転職サイトを見てみたりハローワークに行くようになった。

私としては遅いぐらいだが何もしないまま日々を過ごされるよりマシだと思い何も言わなかった。

そして見切りをつけると早い旦那が、決まっていた転職先に辞退の電話をかけた。しか会社側はこの期に及んでまだ「月曜日まで待ってくれ」と言った。なので新しい職場を探しつつも待っていたら月曜日、本当に連絡が来た。しかし、いつもの担当者ではない代理の人が電話をかけて来て「年内をメドに出張出来るか?」と尋ねてきたそうだ。

なので旦那は「どこに出張なのか」と問うたら「自分担当ではないから分からない。また連絡させる」と言われてから今日現在、まだ連絡が来ていない。

6月中に転職先を見つけ、7月にはキチンとお給料が入り、キチンと社会保険に入れていたはずだったのに、旦那が見つけて来た妙な会社のせいで予定が全部狂った。今になっていくつか面接を申し込んでいるもののこのままでは7月に入るお給料絶望的だ。

さて一体どうしようか。

旦那が二カ月近く家にいて、私の体は限界だ。プライドだけは一丁前に高くて、けれどゲームばかりしていて、なのに家の中の誰よりも食欲が旺盛で。

もう本当に限界だ。口煩く言われている子供達も機嫌が優れないし、何より私の機嫌も優れない。イライラしかしない。早くどんなとこでもいいか仕事を見つけてさっさと働きに行ってくれ

と言うか小さな子供がいるくせに上司が気に入らないだけで辞めてくるその甘ったれ根性を直してくれ。

出掛ける私にノコノコとついて来ては、何かを買わせたり食べようとしたり、隙あらばパチンコに行こうとする所も気にくわない。

働きにさえ行ってくれていたらあまり見なくて済む嫌な部分と、仕事が大変だからね、で許せている部分が仕事をしていないだけで許せなくなってしまうから、やっぱり旦那には早急に仕事を見つけてもらわないといけない。


と言うか連絡しましま詐欺の決まりかけた転職先が一番悪な気がして来たけれど、会社って意外とそういった所が多いのだろうか。それでもサイトを見れば面白いくらいにまだ募集をしていて、挙句就職お祝い金を出しますなんて明記されているのだから不思議で仕方ない。

就職お祝い金どころか、連絡すら来てませんけど!!!

はあ 早く仕事見つけてくれ、本当に。

2016-06-15

内縁の妻ってなんだよ!

彼バツ一子持ち(40代後半)

私バツ一子持ち(アラサ―)

彼の実家田舎分家

「君と一生一緒に生きていきたい」と言われ 年甲斐もなく浮かれた。(あほ

ところが先日

「籍は父親が死んでから入れよう。親父が生きてるうちは内縁関係でお互い労わり合っていこう」と。

「は?内縁の妻?」

私の人生では一生聞く事のないワードが出た

ま・じ・か

彼曰く、実家とは疎遠で極力関わり合いたくないのと 実家と揉めるのが面倒だということ。

それで内縁の妻という・・・

あのな

父親じゃない男と子供(娘10歳)を同じ屋根の下に住まわせる程、こちとら母親としての良心崩壊しちゃいねーんだよ!

再婚でもそこは慎重にずっと考えて 迷ってたのに、内縁の妻かよ!

あと、実家と揉めるのが嫌だから内縁って

お前、どんだけ男としての心意気がねーんだよ。

これから先、世知辛いこの世の中をどうやって戦っていくんだよ!

お前がその姿勢なら こちとら協力しようがねーぞ?

第一、それ只の同棲じゃん!

それなら 今、母子普通に暮らしていけるから そのままでいいよ。

子供にとっても 父親以外の男と暮らすストレスないだろ?(再婚の父でもあるだろうに)


彼に対する怒りもあるけど

こんな男と子供と三人で暮らすという甘い夢みた自分に鬱・・・


仕事仲間から「お前は仕事子供の為に生きた方が幸せになる」という言葉を噛みしめて

これから母子2人頑張って生きていきます

内縁とか ふざけんな!

対峙することやらケジメから逃げてんじゃねーぞ ゴラァ!

小学生とき、親が離婚した。

母親は私を連れて田舎実家引っ越した。

夏休みとかの長期休暇では、父親(自営)のところに1週間くらい遊びに行ったりして、年に数回は顔を合わせていたと思う。

中学生になってもそれは続いて、私がブリーフからトランクスパンツを変えた頃、また休みがあったので父親の元へ遊びに行った。



父親の店に行くと知らない女の人がいて、父から「実はこの人と再婚することになった」と言われた。

いきなり引き合わせるなよ……と思いつつ、「へーそうなんだおめでとう、こんな父ですがよろしくお願いします」とか無難なことを言っておいた。

奥さんは結構グイグイくる人で、しきりに距離を詰めてくる感じだった。

今思うと、この子がここにいる間は母親代わりよ!みたいな感情があったのだろうか?今風に言うとマウンティングがすごかった。

この人苦手だなー、とか、再婚かあ、とかで頭が回らないうちに食事を終え「明日いか風呂に入ってきなさい」と言われ、

風呂に向かったら、洗濯機を回しに来た奥さんに脱衣所をあけられて、「あらあらあらカッコイパンツ履いてるわねー」

「ほらアナタちょっと増田ちゃんのパンツカッコイイわよー」「こういうのが今はいいのよ!ねー!!」と大声で言われた。半泣きになった。



風呂からあがって、「そういえば明日どっか行くの?」と聞いたら、

「朝5時にタクシーが来るからそれで空港に行って、それから飛行機テーマパークに二泊三日だ!!」と言われた。

全く聞いてなかった。当然奥さんも来る。ホテルでは同じ部屋に泊まる。

私が再婚に難色を示したりしていたらどうするつもりだったんだコイツ馬鹿か?馬鹿なのか?

この時点ですでに「うわーこの人苦手だよー普段身の回りにいない距離が近くて話聞かないおばさんだよー」と思っていたので正直帰りたかった。

助けを求めるように視線をやった父親は「親睦を深めてもらおうと思ってお金ためて頑張ったんだ!」と100%ドヤ顔スマイルをしていた。

あ、この人ダメだ。と父親に対して一人の人間として本気で諦めの感情を抱いたのはその時が最初だと思う。



母親に居場所が変わることを連絡しておいた方がいいかなあ?と悩んだけど、ケータイも持ってなかったし、

多分母親はこの話を正直にしたらブチキレて今からでも飛んでくるよなあ、でも父親何が悪いのか全く理解できなくて平行線になって、

最悪の空気が完成した現場自分が取り残されるよなあ……とうっすら思ったので、やめておいた。

黙っておけば初めて飛行機に乗れるし、テーマパークにも行けるという打算もちょっとあった。



そのあとはもう、開き直って再婚理解があって聞き分けのよいいい子を3日間精一杯演じ続けた。

こういう場合子供があれ食べたいこれ食べたいと定期的に言って、食べっぷりがよければ、大体相手は満足してニコニコする節がある。

外国放浪して現地民に溶け込む作家の本で、出された飯を美味そうに食うの最強とかそんな話読んだなあと思いつつ実践した。

浅知恵ではあったが、ある程度奏功したようで、二日目には奥さんは「めっちゃ仲良くなれた!」父親は「いやー来てよかった!」と喜んでいた。

最後まで私の心の氷は一ミリも溶けなかった。



この旅行は本当にしんどかったし、奥さんの出現で以後父親のところに遊びに行くのが億劫になったし、父親への信頼みたいなものも完全に失墜した。

そんな中でも最大の成果は、幼少時にカルピスを薄めて作るものだと知らずに勝手にお代わりしようとして原液を1ビンガブ飲みして喉が灼けて以来

カルピス=喉がカーってなるやつ」という認識で苦手だったのだが、

そのカルピスを奥さんが「子供カルピスが好きなものよ!」と気を利かせて買ってきたことで飲む機会があって、カルピス嫌いが治ったことだと思う。

ただ、今度はカルピスを飲むと毎回このエピソードを思い出してしまってちょっとしんどくなるので、相変わらずたまにしか飲まない。

30過ぎて実家暮らしは自立してないとか言われるけどさ、

実家を成り立たせるために出ていけない、自分の思うように働けない、

相手に望まれタイミング結婚できない層だっているんだよ。

親の仕事手伝わなくていいなら、身の回りの世話しなくていいなら、

精神的に、肉体的に不安定な親のそばについてなくていいなら、

一人暮らしだって就職だって結婚だってしてやるわ。

捨てたら捨てたでおまえら文句言うんだろうが。

昔のネット友達にまた会いたい

女性向け同人の話



昔々、サイトでの同人活動時代。5年くらい前。

とあるマイナーカプで活動していたとき、エチャを開いたら入ってきてくれたA(もちろん仮名)

マイナーということもありすぐに意気投合して仲良くなった。

スカイプしたり、家もわりと近かったので家(実家w)に招いたり、いっしょに遊びに行ったり、と楽しい日々を過ごしていた。

ほんとうに、すごく楽しかったよ。これまでオタクしてた時間の中で、人間関係は一番楽しかった。

オタク活動自体はいつも楽しいんだけど、オタク人間関係は年々楽しくなくなる一方だなぁ。

Aは当時おそらく美大に通っていて、時折忙しくなる時期があるのは知っていた。

そのとき最初はそういう時期なんだろうなと思った。

1ヶ月浮上しなくて、その後も。いつのまにかtwitterアカウントは消えていた。

当時は携帯Eメールからツイッターに変遷していった時期でもあった。

メールアドレスとかは知らなかったか、もしくは最初は使ってたのかもしれないけどだんだんと使わなくなってしまったよね。

携帯番号は知ってたけど、連絡していいのかわからなくて、するかどうか何度も迷ったけど…。

最初の1年くらいは、何か私が悪いことをしてしまたから離れてしまったのかと、すごく自問自答してました。

そして機種変をかさねたいまはたぶん、個人情報データは残ってないと思う。

すごくショックだったし、5年経った今でも時折思い返してはAのHNとかで検索かけてしまます

というか、もう、5年くらい経つのか…。

当時高校生高校卒業したばかりだったくらいの私より年上なのに気さくに接してくれて、

作品に対して芸術肌なところがあって、一見すごく芸術的なのに下ネタがえぐくてw、センスが独特で、すごく尊敬してました。

スカイプするときいつも猫が邪魔してくるのと、しょっちゅうスカイプ中にお酒を飲んでて、私が成人したら一緒に行こうね〜って言ってくれたたことを覚えてる。

私はもうとっくに成人してしまいました。会えるのなら一緒に飲みに行きたいなー。

私はそのあとジャンル人間関係で嫌なことがあってそのジャンル繋がりの人は気の合う数人としか交流は残っていないし。

当時のジャンルの熱が冷めててもいいからまた他愛もないことを話したいよ。

Aがどう思ってるかは知らないけど、そんなに悪い気持ちではなかったと信じたい。

私の方はジャンル友達じゃなくて普通に仲のいいオタク友達として付き合っていきたかったです。

カップリングがどうとかじゃなくて、普通に友達だと思ってた。

しまweb上で誰かと話すようなオタクをしてるならまた昔みたいに話したいなぁって思ってます

もしも、もしもこれを見て自分がAではないかと心当たりのある人がいたら、私のtwitterアカウント名はたぶん変わってないので。

連絡ください。

眠れない夜はどうしても思い出してしまうね。

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ちょっと追記

まどろみながら書いたこともあって書いた日の朝起きたら投稿したこと自体をわりと忘れてたんですけど、

たくさんのひとに読んでいただけてなかに共感してもらえてようで、同じ切なさを感じる人が他にもいるんだなということが知れて嬉しいです。

ネットの繋がりの希薄さって、それゆえにとっても気楽で、その気楽さが好きで、それに救われてもいるんですが、

本当に大切にしたいと思った関係の守り方が難しいですね。

コメントに後押しされて、昔のガラケーの充電器を探し出し、昔のアドレス帳を掘り当てました。

勇気が出たら携帯番号宛にSMSを送りたいです。

この番号がAにまだつながるといいな。お酒の力を借りよう。

友人から結婚予定の話を聞いた。めでたい。

ちょっと気になったのは、その後の話で彼女

「(長年リボ払いが続いていて)いつも金がない」とボヤいていたこと。

そのリボ分はダンナさんが引き継いでくださるのかなぁ…彼女のご実家はある程度裕福なので、実家で払いきるのかなぁ…

 

おめでたい話題に水さすようで悪いし

そもそも今更私の忠告なんか聞いてもらえなそうなので

リボ止めなよー、現金払いがいいよ」とユルくしか言えなかった。