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はてなキーワード: 美術とは

2024-04-25

映画 陰陽師0見てきた感想。博雅が博雅だった

原作はとびとびで読んでる。

萬斎版も見てます

以下、過剰な表現感想はしないようにするため、多少感想は回りくどくなる。

先に言っておくが感想賛否であれば賛だ。

もともと今回の映画は期待してなかった。

実際問題として映画の出来は70点届かないくらいかなと。68とか69とか。

シネフィルぶった感じで★5の評価をつけるとするなら★3.6、もしかしたらもっと低くつける人もいるかもしれない。

かといって酷いわけではなく「GW家族で見に行く」のは超おすすめだし、なんか見るもんないしコナンも見たしなぁーって人がふらっと入っても楽しめると思う。

丁寧で難しくもないし、子供向けでもない。でも子供も多分いい経験になるだろうし、大人シニア世代も懐かしいなとか、美術的にも彩色豊かなので萬斎版と違った新しさは感じられるだろう。

原作過激派はネトフリのアニメだって受け入れられないんだろうし映画は見るなと言いたいが、原作ライト層なら楽しめると思う。

厳密に言うと設定は原作からちょっと変更してると思う。

しか原作ではまだ描かれてない部分であるし、原作者もがっつり監修している(監督原作指名である)。原作で二人の出会いが描かれるときは違うものとなるらしいが、それはエンタメ的、商売的な観点ということのようだ。

設定は変わっている。でも好感度は高かったのはなぜか。

世界観」と「主要キャラ関係性」が大きく変わらなかったことだ。

陰陽師という作品は晴明と博雅のシャーロックワトソンコンビで成立する作品だ。

から時代が変わってもこの二人がいれば夢枕獏陰陽師だと認識できる。映画にはちゃんと居た。

ただ今回、原作よりも若い頃の二人という設定なので安倍晴明キャラが少し違うように思う。青く泥臭く、また甘い。

しかしそこに染谷将太が「どうも原作から来た博雅です〜」って感じでやってくる。

まだ博雅を知らない晴明はツンケンしているのだが、映画が進むに連れ博雅を知ることで「原作の博雅を知った晴明です」って顔になってきて、ああこいつ成長したらちゃん原作の晴明になると感じられるのが楽しいのだ。

展開も原作でありそうなものだ。まあこのへんが夢枕獏呪術ワールドでもあり幻想映画にしてしまう部分でもあるので多少分かりにくくなるのだが…大体呪術廻戦の領域展開だと思えばいい。

最初にこの映画は中評価認定した。

しか映画とは作品としての出来を1歩引いた目線で見て総合評価するものではないと常日頃思っている。

この映画はバディ誕生物であり、昨今の話題作だと「ゲゲゲの謎」や「ヴァチカンエクソシスト」と同じ楽しみ方をしていいものだと思う。

ゲ謎やヴァチクソ(ええんかこの略称)は大傑作というよりは色んな前提を知っている人がキャラの二人を見るのを楽しむ感じで、カルト映画のような人気を博している。

陰陽師0にも確かにそれはあるので好きな人多いと思う。

違う点は先に書いたように「子供を含めて家族と見れる」という点だ。どんな因習のある村に住んでいようが陰陽師0は見れる。なんか久しぶりにそういう映画コナン以外で見た。懐かしさ…。

というわけで個人日記帳としてつける★の数は5点満点の5。ちなみにこの日記帳には1と5しかありません!

2024-04-24

美術展でのスマホカメラ

美術展でインバウンド需要さんがガラスの展示ケースのなかみにスマホを向けていて

「オイオイオ撮影禁止だってば、どこかに止める学芸員さんはいないのか…」

と思ったら、G〇〇gleレンズ的なアレで日本語説明文を翻訳して読もうとしていたというのに遭遇したことがあった

anond:20240424142706

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないの??????

付き合ってる彼氏オタクでつらい。

いや、別にオタクであることは否定しない。

夢中になれる趣味があるのは良いことだと思う。

だけど一緒に映画を観に行ったときにいちいち深読みとか考察とか元ネタ探しとかをするのが本当にウザい。

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないんだろう。

私の彼氏は週に1回は映画館に行って家では暇さえあればネトフリやアマプラを観ている映画オタクで、たまに私に映画を見せようとする。

お家だろうが映画館だろうが最初の頃は映画デートも楽しめていたんだけど、段々彼の映画感想の言い方が鼻についてきた。

映画を観終わったあとの感想なんて「面白かったねー」「ここのシーン良かったねー」「ここのシーンかっこよかったねー」「このキャラ良かったねー」だけでいいじゃん。

それに対して「わかるー」って共感してそれでおしまいでいいじゃん。

彼氏映画を観終わるたびに「ここのシーンは原作のここをアレンジしていてー」とか「監督過去作に似たようなシーンがあってー」っていちいち語り始める。

気に入った映画絶対原作ビジュアルブックを買うようにしているらしい。

彼氏の家の本棚にはそういう本がぎっしり詰まってる。

この間彼氏の家で映画を観たあと「アートブックにこういう記述があってさー」ってわざわざ本棚からその映画美術本を引っ張り出してきて見せてきたのにはホントに引いた。

頼むから普通に作品を楽しめるようになってほしい。

普通の人は原作を買ったりアートブックを買ったりなんてしないんだよ。

映画パンフレットを隅々まで読んだりしないんだよ。

監督意図とか調べたりしないんだよ。

ネットに転がっているインタビューとかを調べたりしないんだよ。

オタクの人の作品鑑賞のスタイルって本当に気持ち悪いと思う。

制作者は普通に楽しんでもらえるように作っているんだから制作者の意図を汲んで普通に楽しめばいいじゃん。

たぶん彼氏とはそのうち別れると思う。

次は映画デートとかしても普通感想を言えるような人と付き合いたい。

全体的に自分普通だと思い込んでる悲しき地雷モンスターで草

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないの??????

付き合ってる彼氏オタクでつらい。

いや、別にオタクであることは否定しない。

夢中になれる趣味があるのは良いことだと思う。

だけど一緒に映画を観に行ったときにいちいち深読みとか考察とか元ネタ探しとかをするのが本当にウザい。

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないんだろう。

私の彼氏は週に1回は映画館に行って家では暇さえあればネトフリやアマプラを観ている映画オタクで、たまに私に映画を見せようとする。

お家だろうが映画館だろうが最初の頃は映画デートも楽しめていたんだけど、段々彼の映画感想の言い方が鼻についてきた。

映画を観終わったあとの感想なんて「面白かったねー」「ここのシーン良かったねー」「ここのシーンかっこよかったねー」「このキャラ良かったねー」だけでいいじゃん。

それに対して「わかるー」って共感してそれでおしまいでいいじゃん。

彼氏映画を観終わるたびに「ここのシーンは原作のここをアレンジしていてー」とか「監督過去作に似たようなシーンがあってー」っていちいち語り始める。

気に入った映画絶対原作ビジュアルブックを買うようにしているらしい。

彼氏の家の本棚にはそういう本がぎっしり詰まってる。

この間彼氏の家で映画を観たあと「アートブックにこういう記述があってさー」ってわざわざ本棚からその映画美術本を引っ張り出してきて見せてきたのにはホントに引いた。

頼むから普通に作品を楽しめるようになってほしい。

普通の人は原作を買ったりアートブックを買ったりなんてしないんだよ。

映画パンフレットを隅々まで読んだりしないんだよ。

監督意図とか調べたりしないんだよ。

ネットに転がっているインタビューとかを調べたりしないんだよ。

オタクの人の作品鑑賞のスタイルって本当に気持ち悪いと思う。

制作者は普通に楽しんでもらえるように作っているんだから制作者の意図を汲んで普通に楽しめばいいじゃん。

たぶん彼氏とはそのうち別れると思う。

次は映画デートとかしても普通感想を言えるような人と付き合いたい。

2024-04-23

anond:20240423084730

作家としてだせーって感覚は、普通男の作家とあるんだよ。

普通の男作家定義と、その定義に当てはまる彼らがそういった感覚を持っているという根拠ってあるの?

普通の男作家って演劇とか漫画とか小説とか美術とかあらゆる作家と呼ばれる職業で同じ感覚を持ってるの?

2024-04-22

anond:20240422145404

文芸部美術部、漫画部みたいな部活出身者なんて、オタク全体の一部でしかないでしょ。

X見てもそうだが、多くのいい年した大人アニメ漫画ゲーム萌えキャラに夢中になってるのマジできもいダサい

別にオタクカルチャーはあってもいいが、もっと多くの大人都市景観建築自然美術歴史伝統芸能外国語かに興味持った方が、

絶体に日本は美しく楽しい社会になると思うんだが

2024-04-20

anond:20240420184621

材料費480万円で美術品に加工して1000万円はわりと妥当な気が

純金茶碗窃盗事件で明らかになった日本の闇

・純金としての価値は480万円しかないのに美術工芸品として1000万円の値をつけたデパート側のボッタクリ

・その純金茶碗を純金としての価値よりずっと低い180万円で買い取り本来の480万円で売却した貴金属買取店の詐欺商法

2024-04-18

親に認められながら育ちたかったと思うが、残念ながら手に入らないままだった。進学で家を出た時、心細さもあったが息がやっとできるようになった身軽さがあったものだ。

自分の親は、罵倒暴力はしなかった。気に入らないと嫌な顔をしたり不機嫌に黙り込んだりがメインだった。

自分粘土が好きで、それが高じて美大進学して今はものづくりを仕事にしている。しかし親は美術系に進んでほしくなく、ずっと冷ややかな態度を取られ続けていた。美大に行かせてくれと頼むと、よくため息をつかれたものだ。嫌がられているのを振り切って美大に行くのは、上手く言えないけど苦しかったしみじめだったことを覚えている。

大学在学中も就職してから結婚してからも、親と顔を合わせる度に落ち込んだ。周りは親は応援してくれたという人ばかりだったし。

でも最近子供の頃の自分はしんでしまってもういないんだと考えることで楽になった。

かわいそうだけどもういなくなって苦しい気持ちになることはない。あの子自分は違う人間だ。そう考えて分離する。健全じゃないかもしれないけど、気は楽だ。

2024-04-17

anond:20240416191728

めちゃわかる。

自分は4浪して東京藝大入って、絵の先生とかもやった(大学入試共通テスト/センター試験を5回受けたので、ガチの4浪)。

「絵が上手いですね」って言われることもあるし、「どうやって上手くなったんですか?」「生まれた時から才能ある人は違いますね」とか色々言われてきたけど、絵のうまさについて言及されるときに、まず最初に言うことがある。

楽器運動と同じで、小学校に通うくらいの年月、朝から晩まで毎日ひたすら鍛錬しました」「4浪してる間、受験サポートしてくれた両親に感謝しています

相手子供だろうが、必ず「鍛錬」とかそれに類するワードを使う。「絵を描いてた」だと趣味的なイメージしかできない人がいて、「努力していた」のが伝わらないから。

仲が良かった後輩が先に藝大に受かってしまった日に、死ぬほど悔しくてそれまで描いたデッサンを全て破り捨てた日の話とかもする。

「ずるい」って言うタイプの人は、そこで「鍛錬…!?才能じゃないの…?」って思うのか、単に青春を鍛錬に捧げた狂人が目の前にいると思うのか黙る。

子供美大志望の親御さんは、才能が不要であることに安堵したり、逆に覚悟が決まるっぽい(流石に少子化のこのご時世に4浪は稀だとも伝えるよ)。

----

思えば、音楽や体育の授業と違って、小中学校では具体的な技術を教えるわけでもなく、なんとなく巨匠の絵にふれつつ「のびのび絵を描こう」みたいな雰囲気に終始する。

そのせいなのか、美術だけは「生まれ持った才能」みたいな神話があるのかな、と漠然と思うことがある。

スポーツ選手演奏家みたいに日々の鍛錬が肝要だし、めちゃくちゃ上手くなるためには血の滲む努力必要なのは一緒なんだけどね。


あ、蛇足だけど、絵を教えてたこともあって非常に稀に「才能がある」子にもたまに遭遇します。

ただ、そういう子は、とてもピンポイントで使いどころが限定的なPERKを、生来のものとして持ってるってイメージ。例えば「目の前のものの色だけは、正確に捉えられる」とか「目の前のもの輪郭だけは、画面上に正確にコピーできる」とか。

結局そういう「絵の才能がある」子たちだって、他の要素はまるっきり素人なので、絵が上手くなるためには鍛錬が必要なんだよね〜。

ゲームと同じで、漠然と「なんかすごくつよい」みたいなPERKがないのと一緒。「絵が上手い」みたいなPERKは存在しない。

自分は生まれる時に、絵に関連するPERKを一つも選択しなかったらしく、ひたすら努力で全てをカバーした)

ともあれ、両親には今も本当に感謝してるし、当時頑張った自分にも感謝してる。あそこで努力を怠って合格しなかったら、全然違う人生歩んでただろうな。今はあんなに努力できないや。

2024-04-16

「絵が上手いの、ずるい」と言われた

子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。

子どもたち「絵、うま!どうして?」

「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」

親「え~w最初から上手だったんだw」

最初はこの子たちより下手でしたよ~」

親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」

子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。

こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。

ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。

最近オタク文化根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)

 

というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?

 

ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。

 

初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。

幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき

想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。

 

小学校に入ってからはつらかった。

漫画が好きで漫画をメインで描いていた。

しかし当時は

絵を描く=オタクキモイいじめていい

みたいな時代だった。それか自分学校治安が悪かったのかもしれん。

教室で絵を描いていればカースト上位にぶんどられて

「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」

である

移動教室ちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。

鉛筆や道具箱消えているし。

キャラを描いていたら

おっぱい描いてるwきっも~~~www」

だ。

しばらくして図工教室に籠もるようになった。

図工の先生だけは「上手!」ってほめてくれたから。

担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。

 

その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミク衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。

どんなに周りから馬鹿にされても描き続けていた。

同士がいることは本当に心強かったな。

 

中学に上がり、第一の衝撃があった。

絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。

マジで上手い。

な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!

ペリー来航だ!!!明治維新だ!(?)

自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。

ここで初めて自分の絵が「下手」ということを認識する。

下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。

 

そいつ鈴木とする)はまじで上手かった。

しか鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。

絵に対しての自信が違いすぎる。しかも懐もでかい

増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」

いいやつすぎる…なんだこいつ…。

こいつと一緒に絵を描いていると、下手なのが申し訳ない!!!

 

鈴木コミュ力も高くてどんどん絵描き仲間を作っていく。

私立だったからしらんけど、絵描きいじめるやつはいなかった。

しろ絵が描ける=すごいって認識だった。

 

そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。

「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」

と、好き勝手描くのではなくちゃんと人体や構図を意識して…。

鈴木コミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。

 

ここで自分の親は偏見を持たなかったのもでかかったきがする。

パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親相談した。

父親電化製品が大好きで、PC自作するタイプ人間だった。

秋葉原学生時代から足を運んでいたらしい。

父親ペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。

「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。

 

ここでアニメ絵という存在を知る。

すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。

この絵柄ジャンプとかじゃみない!かわいい

逆に渋くてかっこいいのもある!

 

イラストの描き方本がたくさんある場所も教えてもらった。

ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。

 

ますます絵を描くのが楽しくなった。

デジタル最初、まったくわからなかった。

レイヤーバケツ解像度ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?

でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。

 

中高一貫だったのでそのまま鈴木とともに高校に上がる。

このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。

美術部を差し置いてそんなそんな…。ありがたいことだった。

自分バリバリ運動部だった)

 

鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。

自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。

でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。

 

このあたりから自分は絵が上手いんだと思うようになった。

鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。

 

Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。

とあるジャンル二次創作にはまってどんどん絵を描いた。

ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?

でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。

 

大学受験が疎かになってペンタブ没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。

変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。

 

大学にはなんやかんや頑張って受かった。

……芸術系の。(美術専攻ではないが)

そう、これがやばい

 

第二の衝撃。

みんな………………絵が………………うますぎる。

え?みんな先月まで高校生だよね?

え?え?

プロじゃないの?!?!?!?!?

美術専攻でないのにこのうまさ?!?!??!!

落書き!?!?

同人誌だしている?!壁サー?!?!?

 

井の中の蛙大海を知らず。

鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。

鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)

しかネット上ではない。リアルにだ。

ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットから実感がなかったんだと思う)

 

比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分もっと下手になる。

 

改めて自分の絵を見る。

へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!

は?何が「自分は絵が上手いんだ」だ。馬鹿か。ドアホ!

クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!

恥ずかしいわ!!!!!!!!!!!!

 

みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!

でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!

息をするように神うま激うま絵が出てくる!!

 

困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラスト漫画

計5部くらい売れた。終わり。

(身内+他の島の本も全部買うタイプ富豪人間の5部)

隣接サークルボンボン売れている。

明らかに通りすがりの人の立ち止まり率が違う。

ようやく現実を突きつけられた。

自分はうまくないんだ…」

 

鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。

もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。

ありがとう鈴木。本当にいいやつだな君は。

 

 

大学時代結構つらかった。

何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。

ペンを動かしても「違うよな…」となった。

塗り方を変えてみたりした。

たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物構造は何があるかちゃん勉強した。

 

高校生まではちゃん勉強して絵を描いていなかった。

なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。

でも限界があった。

 

嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。

だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。

絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。

どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。

授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。

片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。

下手だから上手くならなきゃとただ漠然と絵を描いていた。

 

周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。

「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。

だってもっともっともっと上手い人が周りにいる。

つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?

人体通りに描けていれば上手いのか?

でもそうじゃない人もいる。

崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。

ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。

 

絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?

鈴木を超えたら終わり?

楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい

想像が目に映る形になるのがうれしい!楽しい

でも上手いってなんだろう?

 

そんな時、大学とある講義教授がこんなことを言った。

 

芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。

技術科学芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。

社会貢献という形で自己確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』

 

自己完結世界自分一人ならいいが、そうじゃない。

絵が上手い人は自分世界を持っている。

その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。

絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。

想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。

なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!

 

そのために、もっといろんなものを見よう!

せっかく芸術系大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!

他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!

そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!

それでこそ自分想像が完成する!自分勘違いで終わらせない!

という結論になった。

 

自分自身の絵を振り返って、自分の描ける絵柄を見直した。

流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメギャル塗りを極めようと絞った。

そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分100%実力が出せるように調べた。

 

大変だった。

初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。

漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。

何を描いても必ず楽しいにはならなかった。

ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。

何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。

くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。

でも、自然ペンは握っていた。

 

ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。

急にだった。どうした?

なんか漫画もすんなり描けたぞ?小説も苦じゃない。

徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。

無我夢中だったのか?

積極的コンテストに出始めたのもこのあたりだった気がする。

SNSでも反応が増え始めた。

 

大学4年になってもう一度コミティアに出た。

完売した。50部

 

え…?

え……?

え"?!?!?!?!?!?

 

しか漫画完売した。

 

は?!?!?!?!?

 

感想めっちゃくる。賞もちまちまと頂けた。

 

へ?!?!?!?!?

 

た、たどり着いたってこと?!

第三者が見ても絵が上手い人間!!!!!!

 

人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。

まらねぇ~~~!!絵描くの楽しい~~~!!!!!!

つか作るのたのしぃ~~~!!

思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分勘違いじゃない!

 

賞をいただけて、意図が伝わっている!

伝わっているってこんなにも楽しいなんて!

 

20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。

なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!

 

1つのゴールにたどり着き、次のスタートが始まった気がした。

 

 

ばーっとかいたけど、頑張ったんだな自分

「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。

どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。

 

 

「絵が上手いね。どうして?」と言われたら

「ずっと描いていたからね」と回答する。

とりあえずの最適解なんだよな。

 

でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。

 

自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。

からおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。

 

AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。

ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。

考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。

 

 

<余談>

鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。

鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。

絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。

でも鈴木には負けない自分の上手さがある。

そして鈴木に勝てない自分の下手さもある。

中学から変わっていない。

カオスラウンジは今

2011年炎上

東日本大震災のあったこの年、カオスラウンジメンバーである梅ラボ

画像掲示板ふたばで作られた「キメこな」を丸パクリしたことが発覚

リーダー黒瀬陽平が「ネット画像は好き勝手に使わせてもらう」と明言したこと

pixivを巻き込んだ大炎上となったことで一躍有名となった。

 

当時のカオスラウンジ

アート業界から村上隆オタク業界からpixiv言論業界から東浩紀という

三業からの強力なバックアップを受けた一大プロジェクトであった。

 

しかし、この炎上が原因となり、村上pixivカスラジとの関係を断ち

以降は東浩紀率いるゲンロンのバックアップの下で活動していくことになる。

 

東浩紀との関係

当時、東浩紀は「福島チェルノブイリのようにダークツーリズムで客を集めよう」との考えから

カスラジとともに福島での活動を行っていた。

特に有名なのが2013年の「福島第一原発麻雀計画である

https://togetter.com/li/609484

 

また、2015年には「ゲンロン カオス*ラウンジ芸術校」を開設。

ゲンロンの美術部門としての活動を行った。

表現不自由展」で有名になったあいちトリエンナーレ2019には

この新芸術校の出身者が複数人出展している。

 

パワハラ不倫裁判

2020年、当時カオスラウンジ社員女性黒瀬セクハラパワハラ告発告訴

カスラジは当初公式にて事実を認め謝罪したが

後に「調査した結果そのような事実はなかった」として女性側を逆告訴した。

 

2022年に「セクハラはあったがパワハラはなかった」と判決が下ったが、女性側は控訴している。

被告黒瀬ら3名は告発以降表向きは沈黙していたが

判決後にTwitter更新を再開し、活動を再開した。

 

なお、黒瀬は本件の責任を取りカスラジを退任。後任は藤代嘘となった。

2011年炎上当事者である梅ラボは、本件には無関係被告にもなっていない。

本人曰く「黒瀬らと被害女性との話し合いの仲介をしていたが、裁判を避けられなかった」として

女性告訴があった日にカオスラウンジ離脱している。

  

ゲンロンは本件を受けてカオスラウンジとの契約を解除した。

同時に「契約違反があった」としてカオスラウンジ提訴しているが、違反の内容や裁判の結果は明らかになっていない。

 

近年

訴訟以降、黒瀬は公に活動していなかったが

2013年8月キュレーターとして「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめていません。」展を開催した。

カオスラウンジとしての活動ではないが、参加アーティストはほぼカオスラウンジと同じであった。

参加者によれば、会場は第1から第3まであり、第3会場に入るには「個人情報所属を提出した上」での「抽選制」とのこと。

2024-04-14

そういえば、先々月に亡くなった父と最期にまともに雑談したクリスマス翌日に、私が高校美術科目の課題で描いた日本画の話になって、未だに褒められるので「ビギナーズラック」と自嘲したら通じず、説明に苦慮して『まぐれ当たり』のような・・・といろいろ日本語で置き換えできそうな概念を伝えたのだが、それでもピンときていなかったことを想いだした

2024-04-12

銀行金融会社不動産法曹・医業・メディア森羅万象支配していると

カネのプールとして野球選手を育てた上、詐欺師通訳をあてがい、不正送金裏金を作ったり

良いほうでは、慈善事業やらせたりする

メディアに出て大金を得る人物は、高価な美術品と同じく、だいたいそういう目的で育てられてきていると見られるので

大谷が真っ白かというと、グレーの範囲野球業界人物であるという点で)

ハプスブルクの知り合いだという高橋洋介という学芸員もいたな

anond:20240412021624

なんか有名なボカロPビートルズ知らないって言って非常識だーって叩かれてるんだってね。

まあ確かに音楽だの美術だの、芸術の分野ってクラシックじゃないけど昔の傑作に触れた方がインスピレーションというか感性が育まれるってのはあるのかもな、とは思う。

けど…ビートルズ聴いてるけどヒット作出せない無能よりビートルズ知らないけどヒット連発する人の方が価値あるんだよなぁ。

2024-04-09

  あーもうこれどうなるか分かんねえな

    だからちんぽをけつなあなに我慢しろ

   という人とは、現在時点において頭の中で、仲良し、という程度の結論のもの構成出来ているが、それ以外のもの存在していない。

  次に佐藤もぐらはソフトのもぐらおばさんと関係の存することは明らかで、佐藤もぐらの命令によりソフトでは出ているということが自明であるのでその点に限って社会的相互利益関係のあること

  をで、次に、河川敷等における演説子供が遊んでいるだけなのを誰かが都合のいいようにデザインしているものであることに加え

    それからエーデルハイムおよび付近前野町一戸建て車両に8181と書いてあります最近はなりふり構っていないので、やっているときは明らかに全力でやるくせにそれ以外の時間帯に

  なると鳴りを済ませていて何らの問題もないような外観になっているなど、極めて卑劣で悪質な造形美術になっている点が光っていると思います

ルパン三世って現金を盗まないような気がするな……

カリオストロの城』以外で札束を盗んだことあったっけか

なんかポリシーでもあるんだろうか

ルパン三世シリーズを熱心に見ているわけじゃないからなんともわからん

自分が知らないだけで実は普通に現金ターゲットになっているというのはありえる

調べましょうね

とりあえず「ルパン三世 現金」でぐぐる

うーん、パチンコ情報ばっか出てくるが……

PART1『7番目の橋が落ちるとき』で現金輸送車襲撃をしてはいるが……あらすじを見る限りちょっと違うな

ルパン三世 銀行」でぐぐるとどうだ

PART2『マイアミ銀行襲撃記念日』、このエピソードでは現金ターゲットかな?

PART3『ベイルート移動銀行強奪作戦』は……金塊か

うーん、普通に盗みのターゲットになってはいるのか

これを多いとみるか少ないとみるか

思ったよりはあった、というのが感想にはなるか

宝石とか美術品がターゲットになっている印象を持っていたが

作劇するうえで現金とか金塊は物語駆動させる力が弱いのかもしれんな

ルパン三世 盗んだもの 一覧」で一応ぐぐる

……うーん、まとめたサイトは無いか

好きな人いかにもまとめてそうなトピックだけどねえ

こういうのアニヲタwiki独自研究がある可能結構高いんよな

……アニヲタwikiにもまとめ記事はなさそうか

ポリシーの話をするなら盗み行為のものを楽しんでいるって話か

特にトラブルも起きず普通に現金を盗むことに頻繁に成功しているが、それは日常の事なのでアニメエピソードとして描写されていない……という可能性もあるか

まあ流石にこじつけ感もある

ほんとは全部のシリーズ見るのが一番確実なんだけど

検索に引っかからなかっただけで他にもあるかもな……

あー、作中でルパン自身がなんか言及してたりせんかな こればっかりは本編見ないとわからん

あるいは原作漫画も見れば何か変わるか……

日記です

2024-04-04

なんだか安心した。

森川ジョージ

@WANPOWANWAN

とにかくたくさん描いて下さい。

初めは亀の歩みの如くですが描いた分だけ確実に上達します。

上達するんです。

画材はなんでもいいです。

アナログでもデジタルでもAIでも。

自分の発掘シリーズを見ていただけるとわかると思いますが全て先人の模倣です。

尊敬と誠実さを忘れずに、たくさん描いて自分のものにして下さい。

他人と比べること、他人のモノを揶揄することはくだらない行為です。

楽しく粘り強く健康一番でたくさん描いて下さい。

午後2:48 · 2024年4月4日

https://x.com/WANPOWANWAN/status/1775762359052886032?s=20

はじめの一歩作者で漫画家協会会長言葉

すげーホッとした

絵が下手で、描きたいものもないけど、AI画材として認められるならば今後そういう人に中学美術の授業とかでAI使ったりとかしてもいいか

指定された文章デッサンを正確に出力できれば点数貰えるとかね

2024-03-26

美術館を羨む前に美術教科書でも買えよ

寝てただろどうせ

2024-03-25

相対主義は悪い」というよりも

この間、SNSである議論に参加というか巻き込まれて、私含めた数人の参加者レベル的にそれで結局答えなんか当然でなさそうな雰囲気だったので

「結局これはどっちもどっちってことなんじゃないの。こんなことしてるより別のことをしたほうがいいよ」みたいな返事をしたら

「それは悪しき相対主義だ」「相対主義の皮を被った保身でしかない」みたいなことをある人からいわれた。(「別のことをしたらいい」というのが相対主義?なのかはよくわからん

でもそいつ全然自分意志があるのか怪しい話しか出来てない感じだったが。

しかし、この10年ぐらいの間に、「相対主義はとにかく悪い」という人たちの意見が目に付くようになった。

今日晩御飯の内容からガンダムみたいなアニメ評論日本アジア歴史問題認識の差まで。軽い話題から深刻な内容まで、一つの物差しでそれぞれの問題を計るわけにはいかないにせよ。

でも「相対主義責任放棄であり社会問題の根源~」みたいなことをいう人はリベラル側に結構いる。

資本主義でも社会主義でも、いじめっ子でもいじめられっ子でも、ドリフでもひょうきん族でも、連邦軍でもジオン軍でもなく、相対主義

ほとんどの日本人は6・3・3制の学校で、まあ、社会処世術とでもいうものを学ぶはず。日本人の「思想」「思考」が問題にされるとき、大体学校教育まで遡って批判されることが多い。

でも、私は小学校から高校まで「相対主義」なんて学んだことはない。相対性理論はあるけど。大学でも、ゼミでいろいろやったが、具体的に相対主義とは言わないにせよ「中立的」な見方記述をするようにはいわれた。

我々もそうだったが、年に何十万人の若者が、中卒・高卒大卒のいずれであれ社会に旅立ち、この社会構成する。そしてほとんどの人々は、リベラル派の危機意識からすれば(どう形容していいかからないが)、「相対主義」者ということだ。

学校で、国が定めた教育課程により(理系は一先ずおいといて)国語社会公民・図工美術音楽語学道徳などの授業を6年間や3年間学び、家庭生活も過した人々が、学校を出る時には「相対主義」者として再生産される。

そしてそれは悪いことなのか、私にはわからない。この国は民主主義であり、自由主義であり、自分思想を選ぶ権利があり、その上で、多くの人々は確固たろうが適当であろうが、相対主義選択し、それで別に社会を維持できている。

少なくともこの社会のかなりの部分が、毎年再生産される「相対主義」で維持されているのは事実だ。相対主義者による虐殺であるとか強制収容であるとかも見聞きしたことがない。何がよほどの悪なのだろうか。

逆に、「相対主義であることを徹底的に拒否する教育生活とは何なのだろうか。

私は相対主義への批判を見るたびに、言っている人々の普段言動比較しても、なんだか検閲全体主義に近しい論調だなと感じ続けている。

社会の授業で世界の国々や選挙制度について学ぶときに、ある国は素晴らしく、ある国は劣っていると教育するのだろうか。ではその上で日本立ち位置をどう教えるのだろうか。

ベートーベンの曲を聴いたりピカソの絵を鑑賞した時に、楽譜や色調に現れる技巧は別として、徹底的に「ベートーベン」「ピカソ」の何たるかを国が定義し・教師もそれに盲目的に従い・生徒に刻み付けるのだろうか。

(よく相対主義の引き合いに出される)機動戦士ガンダムを視聴するときに、連邦軍ジオン軍のいずれかが徹底的な善であり対極は悪であると必ず親御さんが傍で「アドバイス」し続けるのだろうか。あるいは制作時まで遡って指図されるのか。(ゆうきまさみがそんな漫画描いてたな)

相対主義決断責任拒否かもしれないが、では非・相対主義決断責任日常的な強制にはならないのだろうか。それは反世俗主義的なカルトや閉鎖的な集団思考(例えばエホバの証人、旧統一教会搾取目的とした自己啓発セミナー戦前日本政治など)とどう違うのか。

これらの集団若者二世三世信者に対してどう当っているのかも含めて。

もっと言ってしまうと、リベラル的なさまざまな批判や許容の精神は、人々に曖昧に巣食う相対主義という岩盤の上で存続できているのではないか

長々と書いてしまったが、私としては、相対主義であると言われることは受け入れた上で、それが悪いとか変わるべきだとする思考には至らなかった。

ただ考える中で、他の問題も含めて、「教育・学制」というものはかなり意識する必要はあると思った。

毎年、「相対主義」であり、「自民党を『安易に』支持」し、「映画音楽を『表面的』に」しか鑑賞できず、あるいは「胡散臭いやり取りを『プロレス』、くだらない文章を『ポエム』と呼ぶ」大衆再生産されている。

そして大学教授活動家いくら「再教育」しようとしても改まることはない。果してこの毎年の大衆再生産の渦とでもいうもの「悪」「間違い」なのだろうか。

女友達と遊ぶ夫

先日のこと

昼過ぎから夫と美術展に行く約束をしていた

そしたら外出先の夫がラインで「友達から美術展を見にいかいかと誘われたので、その人と一緒に行きたい」と言ってきた

その後一時帰宅した夫に「今から一緒に行くそ友達って女?」と聞いたら素直に認めた

夫はアートに関わる仕事をしていて、とあるアートフェアで知り合った年下の女性(こっちはアートとは関係ない仕事)とたまに美術展に行っていたらしい

恋愛じゃないし体の関係もないか浮気ではないらしい

ドタキャンは悪かったけど、別に友達が女でもよくない?と言ってあっけらかんと出かけて行った

女友達のためにドタキャンされたということに腹が立ちすぎて、夫の両親に垂れ込んでやろうか、自分実家に帰ろうかと思ったのだけど、なかなかそうもいか

自分配偶者が異性と二人で遊んだら腹が立つの異性愛者にとっては当然のことだと思うんだけど、そうでもないんだろうか

夫はわたしが異性の友達と二人で遊んでも何も思わないよ〜と言っているけども

ドタキャンについては後で死ぬほど詰めたけど「友達が女だったこと」についてはどれぐらい怒っていいのかわからん

美術音楽教科書という文化資本無視している

都会との差がどうのという前にさ

やることあるじゃん

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