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2016-07-29

OK、まだ生きる意味で悩んでるフリークスたちのために話をしよう

総ての人間に生きる意味はない。

 

生きる意味があると考えているのは人であり、

個々人の価値観によって理解不能と相違と反発が発生するため曖昧性を回避できない。

よって絶対的評価を下すことはできず、本人の中にしかその動機付けは内在されていない。

まり、広義に置いて人間に生きる意味などない。

そして、それは個人であろうが組織であろうが同じである

 

それでも生きる意味はあるんだと信じてやまない人間に対して問いかける。

「それではその生きる意味がもしなくなったら、すぐその場で死ぬのか?」

総ての人がNOと答えるだろう。

普段から生きる意味など考えずに生きている人間の方が多いではないだろうか。

それはなぜかと言うと人間が「生きている状態」というのは

「生きている意味があるから」ではなく「死ぬ理由がないから」である

人は死ぬ理由を見つけたときにそれに向かって生きる。

死ぬのは死ぬ理由を見つけたからであり、生きる理由を失ったからではない。

明確に生きる理由を持ち合わせていない人間が今、こうして生きているのは彼らに死ぬ理由がないからだ。

 

死ぬ理由」とは何か?

死ぬという事象人間的な感覚で捉えることをやめて、

まれから死ぬその瞬間までの間隔を死と捉えてみよう。

例えば「大金持ちになりたい」という希望は言い換えると「大金持ちになって贅沢をして『死にたい』」だ。

科学者になって世の中に貢献したい→科学者になって世の中に貢献した『後で死にたい』だ。

家族を作って子どもを育てたい→家族を作って子どもを育てて『孫の顔をみて死にたい』だ。

総ての生きとし生きる人間の行動の帰結は『死ぬ』だ。

まれた瞬間から死へと行動を起こしている状態を生と呼ぶ。

生と死は相反する関係性ではなく時間尺度を変えることでどちらも同じ状態として捉えることができる。

その死へと向かう途中での暇つぶしの行動に人間価値見出したり、やりがいを感じたりするが、

そのすべての行動と結果は死という最終着地点までの寄り道と余興にすぎない。

どれだけ死という行動以外に大きな価値観を見つけて、

それを認めたとしても死という行動と結果は変えることができない。

からこそ人は死以外の価値観を変えることができるし選択する権利保有している。

死以外の行動と結果が本質的には寄り道だからだ。

 

肉体的・精神的に死ぬ理由が発生したときに死という結果へと帰結する。

それが人間に与えられた確かな運命だ。

そしてその間に許された余興をどのような形にして、

どこかの誰かに認めてもらえるくらいに綺麗な着地を決めるか、

それとも誰から理解されない放物線で地面と衝突するか、

その死への落下を決めることだけがかろうじて人間に許された行為だ。

人はそれを生の理由として捉えようとすることで死の恐怖を和らげようとする。

さも、自分は何かのために産まれてきたのだと信じることで死の事実から目を背けようとする。

しか人間が何を考えどう行動しようとも総ては死への引力に逆らえずに引き込まれ終わりを迎える。

 

死という結末をどのように迎え入れるかを模索している。

人は死ぬ理由はあれど、生きる理由はない。

どのように生きるかを考えると見失う。

どうせ、死ぬ

それが残酷現実だ。

からこそ、生に本質はない。

本質があれば肯定され死は否定されるべきである

しか現実は死を肯定している。

どのように生きるかではなく、どのように死ぬかを考えよ。

死という絶対的価値観を前に自分本能と理性に問いかけろ。

死を見つめ、死を睨み付け、死を想い、死を理解したとき

初めて歩みたい道がその眼に写るだろう。

それがきみだけの『寄り道』だ。

 

http://anond.hatelabo.jp/20160728000910

子どもと引き換えに終わりました

いちどネット上に公開したテキスト写真は、アーカイブとして保存し、いつでも参照できるようにするべき。

紙の書籍と同様、ネット上に残された文字は、やがて時代を示す貴重な記録になる。

匿名はいえ、多数のはてブがつき、炎上しかかると、削除したくなる気持ちはわかるけれど、

その時にしか書けない言葉は、何より貴重なものだ。



本題に入る。

出産のため、産休・育休を取得し、今春、仕事復帰したら、組織変更や事業方針が大きく変わっていた。

創業者独断専横はますますひどくなり、時代の変化に応じた組織運営を行うと主張しつつ、

コア部分はまったく変わっておらず、旧態依然のままだった。



入社以来、関わっていた事業は今年7月で終了する。実質的には今日最後だ。

確かに売上はずっと低迷し、責任者を入れ替えても好転しなかった。

ただ、知名度は低くとも、一般消費者にとって役立つ事業だったと自負している。

特に右肩上がりだった2005~2006年頃と、いくつか単発で成功した2011~2012年頃は、

いま思うと、社内で正当な評価を受けていなかった。

同僚が相次いで退職し、3.11東日本大震災を境に、顕著に下がり始め、

以降、出産直前まで、事実上、実務面は一人で取り仕切っていた。



直属の上司は、覚えているだけで、10人くらい。

その上に、実務を知らない総責任者がいる場合ほとんどだった。

現場レベルでは、自分と、自分より先に入社したアルバイト勤務者の2人以外、

ずっと、この事業に携わってきた人はいない。

引継ぎ手順書を作り、主な担当業務を引き継いだ担当者もすぐに退職し、

新たに入社した中途採用者は非常に苦労したときいている。

のしわ寄せは同僚に向かい、捌ききれずに、今に至っている。



組織変更の末、新たに就任した総責任者と中途採用者が検討を重ね、

事業の終了と、方向性を変えた新事業の発足が決定した。

自分が実質10年間、当時の上司社長無理難題に応えて築いたものは無に還る。

失敗事業として消したかったのかな、とも勘ぐってしまう。

もしも、子どもを授からず、仕事継続していたら、違う方向性で進んだかもしれない。

子どもと引き換えにキャリアを失う話はよくきくけれど、本当に消えた。



ここ数日、過去仕事を振り返っていたけれど、

もはやニーズはなく、アーカイブとしてしか価値はないかもしれない。

2015年は、ひそかにいろいろな節目だったのだろう。

力及ばず、価値ある素材を生かし切れず、膨大な時間を空費した自分を悔やむ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/articles/20160728/k00/00e/040/221000c

労働力担い手としての経済的価値能力人間序列化する社会。そこでは、重度の障害者生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。

障害者が軽視されるんじゃなくて、「健常者のくせに障害者よりも活躍できないゴミ」が軽視される世の中になるんですよね。

誰もあなたホーキングベートーヴェンバカしません。「きっと何者にもなれないお前たち」には、ためらわず罵倒します。クズから

しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性労働能力に基づく人間価値序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。

こういう主張をする人間は概して「いずれ対象が広がりお前にも振りかかる」という論調をするが、そういう語り方でしか相手を説得できないなら、寛容な社会は滅ぶよ。序列化合理的に、ロジックでなされるが、所詮誰かの感情しか語るものがないなら、それは議論俎上にも上がらず、事前に排除される。

こういう教授東大にいるってのが、素晴らしいね権力を持った障害者だという自覚がないんだろう。権力を持たない健常者は、あなたより劣るんですよ。明確にね。

障害者生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである

なんでそうなるのやら。ポジショントークだというのはわかるけど、雑な声明過ぎて、微妙

その程度の主張では人の心に届かぬ。底辺の健常者には響かぬ。

例の事件きっかけに。僕は少しだけ考える。<感情労働視点から

わたし精神科看護師をしています

相模原市事件を受けて、様々な意見が出ていて、いろいろと考えさせられています

とくに「重度の障害を持つ方に対するケアワーカーの陰性感情」についての議論には、様々な方向から風が吹き荒れているようにも感じました。


そこで私は、今回の事件を受けて「感情労働」とケアワーカーメンタルヘルスについて、少し整理してみようと思いました。

(様々な論点があると思います犯人病理などについては僕には分かりかねる部分が多すぎるので言及は避けます


感情労働(Emotional Labour)とは 1983 年アメリカ社会学者A.R.ホックシールドにより提唱された概念です。[1]

この概念は非常に有名ですので、ご存じの方も多いと思います

 

肉体労働はその肉体での労働を対価として賃金が発生します。

頭脳労働ではその頭脳での労働を対価として賃金が発生します。

感情労働は――肉体労働頭脳労働と同様にーーその「感情」が賃金と引き替えに売られるのです。

感情が「交換価値」を有していると考える訳です。

言い換えれば、感情労働を行う労働者は「上手にその感情管理し、それを提供し、自らの感情と引き換えに雇用者から賃金を得ている」とも言えるでしょう。

この感情労働を行う労働者としてホックシールドは,客室乗務員さら教師看護師なども例として取り上げていました。



さて、私自身も経験がありますが、重度の障害を持つ方に対し、長期間日常生活ケアを行っていると「穴を掘っては埋める」作業毎日しているような気持ちになることがあります

そんなとき患者(あるいは利用者場合もありますが、ここでは患者統一して表記します)に対して陰性感情がムクムクと湧いてきます

これは、患者自身が強烈なストレスや混乱の中にいて、言い様のない攻撃性を援助者に向けていることとも関連します。

患者が抱えるストレスや混乱と同じような感情看護者は感じてしまうのです。

「なんで、言うことを聞かないんだ!」「どうして、噛みつくの!」「何度言ったらわかるの!」と心のなかで大きな声で叫んだことは数えきれないほどです。

ケアする人とされる人の間にはーーもちろん、その関係に限ったことではありませんがーー「感情対称性」があります

(逆に考えれば、「自分自身感情から患者の感じていることを推察することができる」ともいえます。)

こうした無意識プロセス理解をすることは自身感情コントロールするために役に立ちます

しかしながら、このことに一人で気がつくことは、かなり困難であると私は考えます

感情労働概念や、感情対称性について、ストレスマネジメントについての十分な教育や、あるいはスーパーバイザーを交えたデブリーフィングセッションを行っていく必要があると思うのです。でも、現実には、そうしたことはケアワーカーの間では殆ど行われていません。

積み重ねられた陰性感情は、罪悪感や攻撃性、無力感に変化していきます学習された無力感自尊感情の低下や自己効力感の低下も引き起こします

そして、それらはある日、まるで波が引くようにものすごい力で『反転』することがあるのです。


また、前述までと矛盾するようですが、近年の研究では「感情労働は一概にメンタルヘルスに対して悪影響となるものではなく、顧客スタッフとの相互関係から職場にとって良い影響も与えうる」ともいわれるようになってきています。その肯定的な側面として達成感の向上や患者とのつながり感覚を強めること、職務満足感を高めることなどが述べられているのです。

感情労働はそれそのものが罪な訳ではない」と私は考えます

「よくコントロールされること」「よいものとして認知されるようにすること」が大切なのだと私は思うのです。

介護労働者待遇改善などの労働衛生管理については各所で述べられている通りだと私も思います

しかし、ケアワーカーメンタルヘルスに関しては金銭面だけでは解決できないものもあると私は考えているのです。


私は、今回の事件のもの犯人に対して、ある種の憎らしさや強烈な嫌悪感を感じています

当然、許されることではありません。

ただ、私は同時に、どうして今回のような凶行に至ったのかにとても興味があるのです。


同じような事件を繰り返さないために。

自分自身が、同僚が、家族が、被害者加害者にならないようにするために。

社会としてどうしていくべきか。

医療システムはどうあるべきか。ケアはどうあるべきか。

ケアワーカーメンタルヘルスに関してはどう捉えたらよいのか。

わたしたちがコントロールできることとコントロール出来ないことはなにか。


リエゾンなどに携わる専門職が率先し、十分な議論を行い、実施可能な具体策を挙げていけるといいなあと僕は思ったり考えたりしています



武井麻子先生は『感情看護』[2]の中で、Winnicottを引用しています。(P.263)

最後にそれをご紹介したいと思います



ウィニコットは、無慈悲にも自分を怒らせる赤ん坊ケアする母親について、このようなことをいっています

 母親赤ん坊を憎むことを、それをどうこうすることな容認できなければならない。母親赤ん坊に対して憎しみを表現することはできない。[中略]母親に関して最も注目すべきことは、自分赤ん坊によって大いに傷つけられながら、子ども報復しないで大いに憎むことができる能力、そして後日にあるかもしれない報酬を待つ彼女能力である

 同じようなことが看護師にもいえるのではないでしょうか。自分を傷つける者(それは患者であるかもしれませんし、そうでないかもしれません)を憎むことを看護師容認しなければならないのです。」


<参考文献>

[1] A. R. Hochschild, 室伏亜希石川准, 管理される心―感情商品になるとき. 2000.

[2] 武井麻子, 感情看護―人とのかかわりを職業とすることの意味 (シリーズ ケアをひらく). 2001.

[3] パム・スミス, 武井麻子と前田泰樹, 感情労働としての看護. 2000.

[4]Huynh, T., Alderson, M., Thompson, M. (2008)Emotional labour underlying caring: An evolutionary concept analysis. Journal of Advanced Nursing, 64(2), pp.195-208

[5]Benner,P.&wrubel,J.難波卓志訳,現象学人間論看護,医学書院,1989.

2016-07-28

宮森はやとは、劉邦みたいなものとして評価すべきなのではないか

昨日横山光輝の「項羽と劉邦」ってマンガを読んだ。

そして、宮森はやととは劉邦タイプ人間なのだと感じたので書いておく。




https://camp-fire.jp/projects/view/7679

これを見てみよう。

キャンプファイアーで各インセンティブの項目と、それぞれについたパトロンの数を見てみよう。

宮森自身には何も提供できるものがない。彼にできるのは、意味の分からない自分語りをすることと、歌を歌うだけだ。

のものは全部他の人間提供している。彼は何もしない。できない。

みやもリターン】音痴みやもあなたのために一曲魂を込めた唄を歌い、それを動画にして送ります

人生に悩んだ時に聞いてください。

選曲は、ファイト中島みゆき)、ロックンロールは鳴り止まないっ(神聖かまってちゃん)、卒業尾崎豊)、バラ色の日々(THE YELLOW MONKEY)、Grateful days(Doragon Ashから選べます

  1. ハイパーリバ邸メンバー全員の感謝動画+ハイパーリバ邸アートにお名前刻印(小)+クラウドファンディング活動報告にお名前掲載

宮森自身は徹底的に何もできない無能である

だが、それで全然かまわないのである。むしろ、そのことに意味がある。

ハイパーリバ邸に関して、宮森がやる気をだして自分で何かしようとしたら駄目になるだろう。かれは徹底的に何もしないほうが良い。

彼はただ何かをやろうと音頭をとるだけだ。旗印になるだけだ。真っ先に俺はこれをやりますって言ってあとは他人に丸投げするだけだ。

かいことなんてなにもわからない。責任も取れない。つっこまれたら血ヘドを吐いて寝込むしかできないのだ。だって自分無能なのだから





だが、この音頭を取るだけ、旗印になるだけ、ということができる人間が少ないのだ。

普通人間は、論理的に考えようとするからだ。 プライド邪魔してバカなことができない。

能力はあってもなかなか自分が矢面に立ったり、自分が先陣を切るのはためらってしまう。失敗した時にうけるダメージを考えてしり込みしてしまう。

そういうときにこの男が必要になる。

この男は自分が何もできないことを気にしない。 大勢の前で自分がやりたいことを叫ぶことをためらわない。 そういう人間が他にあまりいない。

だったら、それがやりたいけど要は勇気がないやつらは、この男のもとに集まらざるを得ない。




そこそこ有能だが、自分に自信がなくて一人では動けない奴らが、宮森はやとという無能な頭を使って、自分たちがやりたいことをやる。

そういう空っぽの器が宮森はやとという存在である

宮森自身には何の価値もない。ただの無能クズ人間だ。 そんなことは見ればわかる。

でも、ならばその無能クズ人間の周りに、なんで人が集まるのかということを考えなければならない。







ところで。

宮森が一人で50円でなんでもやりますといったとき意味が分からなかった。宮森自身は本当に救いようがないアホだと再確認した。

お前、自分自身ではなんもできねえ無能クズだろうが。奈に勘違いしてんだ。

お前ができるのは庭の草むしりとへたくそな唄を歌うだけで、それも仲間内しか求められてないんだよ。

お前自身が何かやろうなんて思ってんじゃねえよ。

そして、余計なことをして、旗印のもとに集ってきてる人たちにまで迷惑かけてんじゃねえ。

宮森のもとに集まる人間には、有能だがきっかけがないだけの人もいる。

だが、それ以上に、宮森と同レベル無能で、だが、宮森のように勇気もなくてただ宮森にあこがれる馬鹿がいる。

50円騒動では、前者はやはり有能で沈黙を守ったが、後者が黙っていられなかった。仕方ないよな、馬鹿から

こいつらが宮森さんは悪くない、悪いのはあいつらだと連呼すればするほど、宮森の無能さが浮き彫りになった。

これは、有能なやつらにも悪影響を与えただろう。 

勤勉な無能は害しかさない。宮森の周りのバカは、宮森のことが大事ならお前らは黙っているべきだった。だが、自分馬鹿であるということすら理解できていなかったようだ。




劉邦時代と、宮森との違いは、劉邦時代だったら有能な奴しか発言権権力を持たなかったことだ。

だが、今は宮森の周りにいる有能な人間だけでなく、無能人間まで自由発言できてしまう。

おそらく、こいつらの存在が宮森にとって致命的ながんになり、これにより崩壊することだろう。

俺は宮森はやとのことは高く評価するが、だからといってこいつの人間性は嫌いだから、できれば失敗してのたれ死んでほしい。

宮森のまわりの無能バカは頑張って宮森をかばってるつもりで後ろから弾を撃ちたまえ。

http://anond.hatelabo.jp/20160728165103

マジレスすると時間に応じてユーザ自体の平均レベルが上がっていくから、人よりゆっくりプレイしてるとジムなんかが全く叩けなくなる。

現状ポケモンgoのエンドコンテンツジム叩き(&レベル上げ)しかないので、それが出来ないとなるとポケモンgoをやる価値は半減どころか1/3位になってしまう。

ってかソシャゲっぽくイベントとかやらんのかね。

なんかゲームデザイン的にユーザモチベーションが下がりっぱなしになるレベルデザインしかない気がするんだが。

国には金が無い、ダメなやつには死んでもらう→×

ダメなやつを生かせられない国には価値が無い、国に変わってもらう→○

さっさと最低時給時給1500円に上げろ

あげられない会社には価値が無い

海外にでも移転するか潰れてもらった方がいい

そして高所得者大企業から税金をきちんと取る

病人障害者を生かすか殺すか決めよう

それをちゃんと考えるべきときが来たんだ。

身体的・経済的理由で、ひとりでは生きていけない病人障害者がいる。そういう、治癒可能性はないけど生命維持のコストはあるみたいな、取り返しのつかない事から起きる全ての損害は、とにかく「金で補填する」以外の手段はない。とにかく金の問題なんだ。

全ての損害っていうのは、病人障害者生活費医療費だけじゃなく、彼らの面倒をみる人間となる家族施設病院スタッフが割く労力も入る。患者から受ける言葉身体暴力なんか、まさに損害そのものだ。そんで、面倒みる為にする配慮努力と忍耐に対して”充分な”給料や、福祉企業による物理的/精神支援がその補填だ。

病気障害は、理不尽権化みたいなもんだ。どうしようもない。そういう解決しようのない問題を、唯一埋め合わせできるのは金だけなんだよ。

気持ち問題じゃない。そういう話じゃない。資本主義な以上、どんな人間も金を使って生きてるのは事実だ。金を稼げない類の病気障害というマイナス要因は、とにかく金をつぎ込んで収めるしか道はない。補助金でも何でもつぎ込んで、病人障害者の面倒をみれば”儲かる”仕組みを作って、みんなが生きていける道を築くしかない。病人障害者が生み出す全ての損害を金で補填するってのは、要するにそういうことだ。

だけど、現実はもう言うまでもないよね。

全く補填できていない。病人障害者に限らず老人、乳幼児福祉施設低賃金労働問題とか、その派生保育園落ちた死ねとか、もう目新しくもなんともない。

そりゃ、病人障害者が救われないことや死んでしまうことは、悲しいことだ。誰だっていつ病気になるかわからない。事故障害者になるかもしれない。だから基本的人権社会保障存在する。そしてその存在保証の為にも、病人障害者には生きていて貰わなきゃならない。なるほどたしかに。

でも現実として、その損害を補填するだけの金がもうこの国にはないだろ。

相模原市事件犯人だって、薬物依存とか精神病入院してたんだろ。それなのに、福祉にも家庭にも「補填」されずに出てきちゃったから、病気から救われずに社会からこぼれ落ちたから、犯行という「損害」が起きてしまったってわけよ。まさに犯人自身が、もう日本には病人障害者を救う為の金と労力を充分に割くことが出来ない、っていうひとつの事例じゃん。似たような感じでたくさんの病人障害者社会からこぼれ落ちて、そのまま消えて死んでいくような土壌があったから、犯人みたいに不幸の重なりと個人的事情モリモリ感ある特別攻撃的な奴がポッと出て来ちゃうんだよ。

社会保障制度がありますよ」「病人障害者になって自活できなくても生きていけますよ」

そんなおキレイな建前と、本当はもう救いきれない現実の剥離が、こういう事件の形として噴出しただけじゃん。

病人障害者、その周囲の人間ためのコストを充分に補填できる金はこの国にないって、いい加減に認めるしかないだろ。

その人の生命保証する為に、金を払うだけの「価値」があるのかを判断しなければならない程、この国はもう駄目なんだって現実を認めるしかない。

人命を金銭価値に置き換えて判断するのは、倫理ガーとか、助け合いこころガーとか言う奴が絶対に湧くだろ?でもな、そんな倫理自尊心を守れる程日本はもう裕福じゃないんだよ。現場人間押し付け体裁だけは保とうとするから現場健康だったはずの労働者が壊れたり、暴力を振るったり、今回みたいにぶっ殺したりするんだよ。衣食住が足りなくても礼節は守ろうなんて、無茶なんだよ。

「何の病気や何の障害であれ、生きる権利がある」のが基本的人権生命尊重だっていうなら、患者とその周囲の人間苦痛を和らげる全ての手段がつくされて、全ての選択肢が許されるべきだ。直接的に言えばな、もっともっともっと積極的にあらゆる面から金がつっこまれているべきなんだよ。

でも、今それができているか?いや、今までだってできていたか

できてなかったし、更にできなくなってるのが現状だろ。弱者の救済とかそういう「良い事で普通とされいる事」は、金持ちだけの特権だってみんなもうよく知ってるだろ。

病気障害を持って生まれることや後天的になってしまうことは、ほとんど運みたいなもんだし、不幸だし残念だし理不尽だし、仕方のないことだ。それを助ける金がないことも、仕方ないことだ。だって、ないものはないんだから

誰を生かすべきで、誰を見捨てるべきか。

思いやりとか助け合いとか言って先送りにするのはもうやめて、そろばん弾いて考えるときが来たんだよ。助けられる人を助ける為にも、切り捨てる判断必要だ。コラテラルダメージってやつ?今回の事件現場障害者福祉施設ってのもあるし、哲学が過ぎるけど「生きているとはどういうことか」の再定義から考える位のことからした方がいいかもな。今の政府路線のまま自己責任範囲を広げるのが一番理に叶うだろう。家庭に負担押し付け過ぎて社会問題にしない為にも、尊厳死安楽死議論もするべきだ。

病名は伏せるが、不治の病であり、自活する力のない病人のひとりとして言っておく。

病気障害も、金がないのも、全部仕方がない。

そして、病気障害も、貧乏も、全部受け入れることから始めるしかないんだよ。

からまず私から受け入れる。もし、私に払える医療費はもうないと国から言われたら、自力医療費を稼げない私はそのまま死ぬことを受け入れる。直接殺されるのはさすがに勘弁して欲しいが、治療継続できずにゆっくり悪化してゆっくり死んでいくなら、もう構わない。国に見捨てられた、殺されたなんて言わない。病気なのに金がないから、仕方がないんだ。

もしいつか自分が同じ立場になろうとも、重篤な奴は見捨てると決めるか。

キレイ事を守ってみんなでゆっくり破滅しながら、あるかないかからない生き残る道を探すか。

正しいか正しくないかじゃない。金がないという問題に、どう対処するかの話なんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160727202658

Ingress Lv8、ポケモンGBAから3DS版までコンプして、

ポケセン配信のために旅行し、海外孵化厳選まで手を出してるけど、Pokemon Goもやってるよ。

Pokemon GoIngressシステム問題点解決してていいゲームだと思ってます

あと、Go知名度上がって、ポケモンブランド価値がグっと上がったのがめっちゃうれしい。

XY → RSリメイクで遊びやすくなったものの、閉塞感とか戦闘システム限界点が見えてきてちょっと不安だったんだよね。

でも、サン&ムーン戦闘システムにもテコ入れ来そうだし、3D部分も強化されそうだしですっごく楽しみ!

(個人的には戦闘以外でもポケモンタイプの整理と技スロットの増加は必須だと思ってるけど・・・)

11月増田と対戦できるのを楽しみにしてるよ!

まず自分で考えろ

自分で噛み砕いて自分で語れ

物事批評の話をしているのに、みんなやってるから流行ってるから流行ってないから)、ランキング上位だからとかアホみたいな返しをするな

良い物がそのまま人気になるような構造なわけないだろ

アホを騙して金を儲けるという話じゃないんだよ

そんな価値基準ならわざわざ話に入ってくんな

おまえと話すよりランキンデータ見てたほうが有益だわ

http://anond.hatelabo.jp/20160728000910

一度アイデンティティ危機を覚えて迷走した時期もあったけど、

人生で実現したい価値をちゃんと再認識したらまた毎日が輝きだしたよ。

増田さんは家族関係で生きがいを感じているなら、たぶん他人のために生きられる優しい人なんだね。

私は痴女じゃない(価値は落としたくない)けど

露出狂かも(男性のみなさんこっち見て〜❤️

2016-07-27

ていうか、他人の命に価値があるないケチつけるくらいなら

成蹊大学しかでれなかったアベさんは総理大臣やめたほうがいいんじゃ

障害者は生きる価値が無くて犯罪者は生きる価値があるって誰が決めたんだろうか

バンバン死刑にするべき

わたしの中の増田さん

私です。この増田を書いている私です。今年で大体3年目になります

週に一度は100ブクマ超えます。月に二度は500ブクマ超えます。年に二度は1000ブクマ超えます

でも、最高は1500ブクマくらいで、年間ランキングにはなかなか含まれません。

書いている内容は自分でも多様だと思います。いつか増田卒業するとき自分の書いた増田ランキングでも作れたらいいなと思ってます

でも、一番うれしいのは増田文学が伸びた時です。文学は読むのも書くのも好きだからです。

大きな数字にはなかなか至りませんが、自分にとっては記録を伸ばすことよりよっぽど価値あるブクマです。



初めて100近くブクマがついた時は、10分おきに増えていくブクマを眺めてニヤニヤしてました。

私にとって増田コミュニケーションであり対話です。いつもコメントありがとうございます

反対にブコメは週に数回しかしません。スターほとんど付かないしほとんど付けません。

から、IDを白日のもとに晒したところで知っている人はほとんどいないと思います

いつもコメントをもらってばかりで申し訳ないとは思っているのですが、誰かの増田を読むと文体の影響をすぐに受けてしまタイプなので、読みたくても躊躇してしまうのです。

そういう増田さんは多いのではないでしょうか。



どんなブコメも好きだし嬉しいと前置きをした上で、スターが沢山ついているブコメより余計なことを言わずにちょこんと寄り添ってくれるようなブコメが好きです。

どこの誰かもわからない相手を思いやり、しっかりと考えてくれる優しさを感じるからです。

私自身が誰かに知らるより、私の書いた増田に何かを思い、言葉を残してくれることが私にとっての幸せです。

増田作家ブクマ家があって初めて成り立ちます

増田代表するつもりなんて微塵もありませんが、これからもどうぞ宜しくお願いします。

http://anond.hatelabo.jp/20160727123806

そうだとしても「壊したもの現在価値」が限界だろ。

http://anond.hatelabo.jp/20160727032110

それはそうだな。だからこの社会には必死こいて維持するほどの価値はねーと思うわ。

2016-07-26

なぜ書いていたのか

以前、3日に一回程のペースでブログを書いていた時期があった。

当時は慣れない土地一人暮らしを始めた時期で、その時に書いていたのは自分のなかのドロドロしたものや、自分の中で処理しきれない葛藤を書いていた。

ドロドロしたもの葛藤と書いたが、要は自分の置かれた境遇に対して一方的被害者面をしながらひたすら周囲への恨みつらみを書いていた。

今思い返すとその時の自分は、自分の身の周りを取り囲む環境や、さらにその周りを取り囲んでいる社会というものを、何か得体の知れない怪物のようなものだ、というイメージで捉えていた。

そしてブログ文章を書くことで、その怪物とどうにか闘っていくのだ、と当時の自分は考えていた。





その後所属する組織が変わることで、社会から隔離されたような不安定身分から、それなりに安定した社会的身分を得ることが出来て、プライベート人間関係でも新たな要素が加わったりするなど、公私ともに安定した生活を得ることが出来たが。その一方で、ブログを書くという習慣はその頃から無くなった。

特に大きかったのは、プライベートできちんと話を聴いてくれる人が出来たことで、それ以来ブログを書きたいと思うことはほとんど無くなった。

自分が何かを悩み始めれば、電話なりLINEでいつでも聴いてくれる人が出来たので、1人で悶々としたものを内に抱え続ける必要が無くなった。




ただそれだけの話なのだが、当時の自分、血を滲ませるようにブログ文章をつづっていた当時の自分はそれを聞いて納得するだろうか。

社会対峙するつもりでブログ文章を習慣的につづり続けるという行為は、公私の生活が安定し始めた途端に消滅してしまったのだと当時の自分が聞いたらきっと、じゃあ自分自分なりに誠実に書いていたそれらのものは一体何の価値があったのだ、と感じて悲しくなったり、社会的身分が安定して私生活が充実したからといって、ひとりで世界対峙する思考を捨ててしまったお前は腰抜けだなどと今の自分のことを責めるだろう。

当時の自分は、周囲への怒りを原動力にして自分を取り巻く環境社会糾弾し続けることが状況を前進させるのだと思っていたし、それが社会にとっても有意義なことだとさえ思っていた。




あのときブログ文章をつづることがいずれ、この境遇から少しでも自分を進ませることにつながる、と考えていた。

あるいはブログ文章をつづることは、このクソ現実を変えるための有意義行為であるかのようにすら感じていた。

それは有意義もなにも、自分が辛いのはこの世界を作ったお前らのせいだ、と自分が苦しいのを自分を取り巻く環境のせいにすることでしかなかったのに。




当時の自分は、自分が辛い状況に置かれることになった大本の原因は自分を取り巻く環境社会にあるのだ、と決めつけていた。

そしてそういう思考の枠組みが、単なる思い込みであることに気がついていなかった。




今振り返ると、当時の自分は、自分を取り巻く世界自分自身とを対立させてしか物事を考えることが出来てない。

社会vs自分、という構図でいつも物事を考えていたし、その二項対立に固執していたのだと思う。



そしてその二項対立から導き出される「社会」というものは、現実自分身の回りを取り囲む、顔の見える範囲での人との関わり方というものから乖離した、自分の頭の中だけで作り出されたものだった。

現実自分の周りにいる、顔の見える人たちとの関わり方に対して責任を果たそう、という考えを持つことは無かった。

そして現実に実際の人々と関わりを持つことを避けてきたために、自分の頭の中で「社会」というものは、ひたすら暴力的衝動に突き動かされて自分のことを搾取する理解不能怪物のようなものだ、という考えばかりが占めるようになった。



そもそも当時置かれていた環境は、今思い返すと、そんなに思い悩んで苦しむようなものだったのかすら怪しい。

一人で勝手に苦しんで、一人で勝手に状況を悪化させていただけだったように今は思える。




当時の自分はどうしてそこまで頑なに自分世界から切り離して物事を考え続けていたのだろうか。

どうしてそのような二項対立は公私の生活が安定することでいとも簡単に消し去ったのか。




けっきょく私は、自分の周りの世界に対して、どうして自分の欲求を満たしてくれないのだと怒っていただけなのだと思う。

どうして自分の欲求に沿った環境を用意してくれないのだ。どうして皆もっと私に構ってくれないのか。そう思っていた。





いくつかの偶然と幸福が重なって、私のその欲求のいくつかは叶えられた。欲求が満たされない頃は赤ん坊のように泣き喚いて不満を表明していたが、腹が満たされオムツを替えられると、また母の胸の中ですやすやと眠り始めた。




から、あぁそうだ、自分たまたま幸運が重なって、母乳で腹を満たされ湿ったオムツも変えてもらえたから、それで泣き喚くのを止めただけなんだ。





たまたま欲求が満たされたから、母に対するギャン泣きを止めただけで、決して自分の足で歩き始めたわけではない。




いま腹いっぱいのうちに、母がいなくても大丈夫なようにひとり立ち出来るようにすることが、今の自分がするべきことだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160725201635

一度死んでしまえば、永遠に何も感じることができなくなってしまうのに。

そういう死後を想像するから怖いんじゃね?

どうせ誰にもわからない先のことなので、俺はすごく幸せな死後を勝手創造した結果、むしろ早く死にたくなった。

こっちの世界で生きている価値を向こうでも生かせる設定とか色々考えて楽しんでるよ。

まあ、そういう思考に至ったのは35歳過ぎてからなので、増田にはちょっとまだ早いかもしれないが。

http://anond.hatelabo.jp/20160726023901

今より男尊女卑はひどそうだから拒否権といってもそこまでではなかったのでは。

それでも、今と同じように若い女の価値は暴騰していたのだろうか。

昔は避妊成功率も低かったろうし、夜這い子ども出来たらちゃんと結婚してたのかなぁ。

なんにも知らない人の適当感想でした。すみません

http://anond.hatelabo.jp/20160726104847

ポケモンgo一般的位置ゲーと比べると遠征価値が著しく低いのがな…

ラプラス江ノ島で手に入る、みたいな情報はあるけどラプラスのものを手に入れたければ地元で歩いてタマゴ孵すだけでもそのうち手に入るし。

実際の関東とか東北とか近畿とか地域別の実績作ればいいのにな。

ポケモンGOって、覚醒剤犯罪と同じぐらい罪深い行為だと思わないのか

ポケモンGOなんてやめちまえ いつから日本人はこんなバカばっかりになったのか。

さな端末に時間を奪われる。右を見ても左を見てもスマホを手にウロウロ。

道を歩けばポケモンGO電車に乗ればポケモンGOポケモンを捕まえたら何かいいことでもあるのか?

人生の大切な時間を、暇だからと言ってゲームに興じる。

ポケモンGOだけじゃないけど、携帯ゲームに費やす時間と労力って何かを生み出すのか?

何十万点も得点を上げたとか、そのためにお金を入れ込んだり。

一度やりだしたら、何となく続けてしまう。覚醒剤と一緒じゃねえか。

止めれないんだろう。

IT産業の発展のため?

日本経済を盛り上げるため?

日本人って、もっといいものを作ってこなかったか

パチンコもそうだけど、爺婆の年金を奪い取っていく社会が、求められる未来なのか?

若者の大切な時間友達と話す時間人生を悩む時間、それらを全て奪っていくのが携帯ゲーム

そんな商品が世の中の役にたつものなのか?

ゲーム会社バカ野郎達へ。

アニメ文化マンガ文化ゲーム文化なんて言うんじゃねえよ。

お前達が作り出しているのはただの金儲けの道具じゃねえか。

バカ子供達を育てるための電子教科書じゃねえか。

友達と話す時間も惜しんで熱中する、わがまま若者増長するバイブルじゃねえか。

マクドで向かい合って座る二人が何も話をせず、お互いの携帯をいじっている。

カップルでも同じ。先日も、女子同士二人が居酒屋で話もせず、携帯をいじっていた。

バカじゃねえの。

何が楽しいの?

それを個人主義と主張し、それが自由というなら、それは間違っているんだよ。

この地球は、自分たち以外の命も一緒に生活しているんだよ。

そのどれもが尊いものなんだよ。

人間が一番偉いんじゃないんだよ。

携帯をいじいじ触っている皆さん。そんなに時間と金を持て余してるなら、その時間と金被災地ボランティア活動にでも使えば?

あなた活躍出来る場所ができるよ。

多くの人から感謝されるよ。ポケモン捕まえるより充実した時間を過ごせるよ。

今、ポケモンGOに興じている人が、そのうち結婚して子供を作る。

の子供の教育に悪いからと、携帯を持たさない親も出てくるだろう。

自分自由にしてきたから、子供にも自由にさせる。そんな親もいるだろう。

キラキラネーム付けて、バカゲームに熱中させて、欲しいと言えばなんでも買ってやって。

それ以上にバカなのは、親が率先して子供と会話もせず、ポケモン捕まえに行ってんじゃねえよ。

子供は親の背中を見て育つんだよ。

右を見ても、左を見ても、どの親もポケモン捕まえていたら、子供大人がやっているんだから

子供もやっていいと思うじゃん。

勉強勉強て言うつもりは全くないけど、ゲームばかりして話をしない、走り回らない、ボールを蹴らない、

そんな遊びを知らないクソガキが大きくなって、自己主張ばかりするんじゃないの。

でもね、お前たちの言う自由って、個人の主張だけじゃん。

あなた毎日吸っている空気は、ポケモンが作ってくれる訳じゃないんだよ。

人間が生きれる環境は、様々な命の犠牲の上に成り立っているんだよ。

お金を払えば生きれる訳じゃないんだよ。

そんな事をポケモン携帯ゲームは教えてくれるのかい

親が教えないで、社会大人が教えないで、誰が教えるの。

気付かせてあげれるの。

命を感謝できない子供が、友達を大切にできるの?

そんなに子供に気遣っていたら、そのうちバットで殴られるだけだよ。

もっとポケモンGOやらせろ〜ってね」

今日もぶつかってきやがった。そんなにスマホが気になるなら、お前がポケモンにでもなれよ。

で、誰かに捕まえてもらって、スマホの中で生活をすれば、楽しくて仕方がないだろう。

ポケモンGOのおかげで、中学生の子供と話す時間ができたと馬鹿な親が言う。

スマホを間に挟まないと話もできない家庭って、それ、崩壊しているのじゃないの。

普段携帯電話を持たせていないが、親と一緒ならポケモンGOをやってもいいと話す。

スマホがなければその家庭では話すことがないのか。

何をそんなに親が気を使わないといけないの?

通りかかった公園に20人ほど集まっている。

ポケストップ? お前らは、ゴキブリホイホイに集まるゴキブリか。

こんな人たちがこれから地球を支えていく。

でも、みんなウィルスと間違われないように気をつけな。

地球必要のないウィルスと思われたら、生きる価値はないからさ。

気がつけば、ポケモンたちに捕まえられる側になっているかもしれないね

バカモンGOって名前人間が捕まるんだ。

でも、本望だろう。ゲームの主役になれるんだぞ。

レアアイテムレアキャラなんて呼ばれるんだよ。

こんな日本、国という資格放棄した方がいいんじゃね。

もう一度、小さな民族から文化を作り直した方が、いいと思う。

子供の将来をぶっ潰すゲーム規制しない国会議員さん。

そんな企業から政治献金をたくさんもらって、懐あったかくして、日本ダメにしている事をいいと思っている、国会議員さん。

もう一度、鎖国から初めて、日本を作り直したほうがいいんじゃね。

ま、その時にはバカ議員GOで真っ先に捕まえられると思うけど。

http://anond.hatelabo.jp/20160726002607

万能旦那であるがゆえに、知らずに嫁の外堀を埋めて追い込んでるケースかもな

嫁以外では替えが効かないこと「嫁とのSEX」が嫁側の持てる最後カード、とさせてしまい、

結果そのカード価値が嫁の中で異様に上がり、うかつに渡すことをできなくさせてしまってるんじゃないか

「互いに愛し愛されることができるなら別の誰かでもいい」って思ってることは嫁に見抜かれてると思う

中途半端に頭良くて一通りは何でもできる奴が陥る罠で、

相手が油断して肩の力を抜いて精神的にリラックスできなくさせてしまってることに気がつかない

できない奴ができる「可愛がられ」とか、「ったく私が面倒見ないとアンタはどうしようもないね」と思われるのができない

2016-07-25

もっとポケモンにハマっておけばよかった

当方34歳男のゲーマーだ。

初代のポケモンが出たとき高校生だった。ポケモンが発売され、高校教室休み時間中にポケモンプレイする連中がいたが、周りの目は「高校生にもなって馬鹿みたい」というようなものだったと思う。そういうのを馬鹿にしていたイケてる連中は、ポケベルPHSを使って友人とコミュニケーションを取り、授業中は机の下でミニテトリンをして遊んでいた。かくいう僕も、赤と緑の2本展開という初の試みから醸し出すビジネス臭に嫌悪感を抱いていた。そもそも月々数千円の小遣い、自由に使えるお金が非常に限られている中、僕はPlayStationに移行しようとする業界の流れに乗るため、必死で購入資金を工面するのがやっとで、携帯ゲームまでは手が回らなかった。電池代も馬鹿にならないし、画面の質も悪かった。今思うに、当時はまだ携帯ゲームハードルは高かったように思う。またモンスターを育ててバトルするというコンセプトは自分の好みに合わず、結局ポケモンスルーしてしまった。

その後、数々新作がリリースされるも、新作ごとに追加され、ますます手を出しづらく得体のしれない存在になるポケモンについて行けず、ますますシリーズに触れる機会を失っていった。スマブラに登場したりもしているので、何匹か名前は知っている程度のにわかだったが、特段気にもしていなかった。

そしてこの騒ぎである。コンセプトはとても興味深く、心から楽しみたいのに、心から楽しめない。どのキャラにもそれほど思い入れがないのだ。ゲームは好きだし、触れる機会はたくさんあったのに、スルーし続けていた。いろんなキャラを知っているようで、でもあまり知らない。やっぱりシリーズ通してプレイしている人や直撃世代熱狂にはかなわない。自分の好きだったゲームモンスターが街中で出現なんて、そのすごさが想像できるだけに、にわか自分がもどかしくて仕方が無い。こんなにすごいゲームが登場して社会現象になるくらいなら、もしそれを知っていたなら。もっとハマっておけばよかった。この複雑な心境、他で例えるなら、年下の近所の幼なじみアイドルとして芸能界デビュー、じっくり芸歴を重ねて日本代表する女優、そしてハリウッド進出し、もっとから仲良くしておけばよかった的な感じだろうか。

http://mogmog.hateblo.jp/entry/2016/07/25/021253

この記事とか、本当にうらやましく思う。自分がもう少し下の年代だったら、もし発売当時小学生だったらハマっていただろうか。もし発売当時大学生で、お金と友人という環境がそろっていたらプレイしていただろうか。そしてポケモンGO熱狂していただろうか。「ゲームアニメ漫画時間をかけるなんて人生無駄」なんて主張は間違っている。そのファン層が大きければ大きいほど、ファンとつながるきっかけになる。時間投資する価値は十分ある。街中で友達どうして楽しむ、自分よりも年齢の若い人たちがあふれている中を横目で見るたび、わき上がる妙なむなしさ、そしてひねくれた自分にいらだつのだった。