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・画像生成AIは実写と見分けがつかないような未成年の性的画像を作られる為に利用されており為、規制が必要
・実在人物のコラ画像は昔からあったが、高度な画像技術が必要であった昔に比べて画像生成AIは手軽に大量に作れる為、規制が必要
なんかこれ、引っかかるんだよなぁ。
前者は、実在の人物に酷似した画像は現行法で十分刑事事件にできるし、非実在であれば、それこそ絵師が最も嫌うはずの「非実在児童の人権を守れ」って話になってしまう。
後者は、「親告罪で、訴訟コストが高いから、権利者が放置している」だけで訴えれば100%勝てる。画像投稿者の情報開示を通りやすくしたり、訴訟の金銭負担を軽減する等して、訴訟コストをさげれば済むし、画像生成AIと言う大きなくくりで雑に規制する話ではないような気がする。
ただ最近は絵師や絵師に近い人達の中の共通見解として、「AIを推進するもの、許容容認するもの、生成物を消費するもの」は現行法では裁けないだけで確実に犯罪者であり、彼らの言うことは犯罪者の犯罪正当化の詭弁でしかなく、耳を傾ける必要はないと言う形で意思の統一がなされつつあるので、何言っても無駄ではあるんだけどな…。
旦那が先月の終わりくらいからリビングでFF7 リバースをプレイしている。あまりにも楽しそうにプレイするもんだから、隣でしばらく見ていた。
最初は洋画のようなストーリーや映像ですごいなーくらいにしか思わなかったが、登場人物との会話が選択肢によって変わってきたり、クエスト(?)で登場人物の新たな一面が見れたりと掘れば掘るほど色んな要素が出てきて、私はプレイしてないかつFFのことを全く知らなかったのにハマってしまった。
原作のストーリーが気になったので、ひとまず今は原作の方を慣れないながらもプレイしている。ゲームは小学生以来なので、旦那に教えてもらいながらなのだが、原作のシステムでさえとても面白いと思った。装備やアイテム(マテリア)の組み合わせによって、使える攻撃が変わり、敵の倒しやすさにめちゃくちゃ影響されるのだ。旦那がプレイしてる時は気が付かなかった。これはすごい。
旦那に「これよくできてるねー!考えるのが面白い!」と言ったら、なぜか少し嬉しそうだった。(可愛い)
登場人物もみんななんやかんや悩みながらも一生懸命なので、応援したくなってしまう。
なんだか久しぶりに夢中になれる趣味?がみつかったので嬉しい。
仕事にかけられる時間が短くなってしまったのが唯一のデメリットだけど、それはそれでやりがいがあるから良しかな。
まずは原作クリアしてから、FF 7リメイクとリバースもやっていきたいなと思う。操作が難しそうだったから時間かかるかもだけど。続編もとっても楽しみー。
「下総」と「上総」の読み方は、「しもうさ」と「かずさ」である。
同じ「○総」なら後ろの字の読み方を統一してほしい物だ。
それぞれの字についてちょっと考えてみようと思う。
まずは、ローマ字で表してみる。
「simousa」「kazusa」なるほど前の字はともかくとして、後ろの「usa」は二つの単語とも共通だ。
あ、ちょっと待て。よく見てみると「usa」の扱われ方がそれぞれ違うことに気がついたぞ。
「simousa」は「u」の使い方が単独の母音として使われている。
ひらがなで表すと「う」。
対して「kazusa」は「z」と一緒に「u」が使われている。
ひらがなにすると「ず」。
なるほど、前の字との使われ方の違いによって読み方も変わるんだな!
よくわかった。よくわかった。
だとしても「かずさ」の方は「う」を省略しないでくれ。
私は「上総」の読み方を生まれてこの方「下総」のノリで「かずうさ」とずっと読んできた。自信満々にドヤ顔で「俺、この漢字読めます」的な顔で使っていたからきっと裏では仲間に笑われていただろう。
それが無理だったら、義務教育で教えてほしい。丁度春になる頃だ。
学年進級はじめのテストで出すのはどうだろう。国語の漢字の読み仮名テストで一番最後に出そう。きっと女子に、『この漢字去年習ってないんだけど』などとぐちぐち言われると思うが安心してほしい。全学生よ、君たちはもう「下総」と「上総」の読み方を覚えたのだ。
大卒という資格を得ただけで、自分がそれなりの人材だと思い込んでる人が多いんかもな。
20年前なら高卒で働くか専門学校行ってたようなレベルの奴は、今の時代でもそういう就職しか出来ないんだけど、
そこに本人と親が気付いておらず、大卒なのだから「いい会社」で働けると思ってる。
身の程を知るって大事。
それは本当にそう思う
それぞれ共通規格があってその大きさとかが決まってれば十数年つかえるんだろうけど無理だよね
そう考えると台所の机は金属の机天板にシンプルな棚上の形状が一番良いのかね
そう考えるとプレハブが最強かもしれん
長期案件の運用プロジェクトではどのタイミングでやればいいのかわからんな…
まるで九龍城
途中で参画させてもらったからまだプロジェクトリーダーとそこまで信頼関係がない
プロジェクトリーダーも他の案件をやったことがないのか、今まで見た事がない歪さをところどころ感じる
その先のクライアントはあまり開発スキルが無さそうだけど、変に技術者のプライド高いからか根本的な解決方法にならない要件を言ってくる
その両者間で仕様設計をするから工数的には無理がないのだけど、浮世離れした設計だなという感想
このシステムを使うユーザも、以降参画するエンジニアも不憫だな…って思ってしまう
偶々出向してきたエンジニアだからあーだこーだ言うのもアレだけど中々独特な開発環境でハラハラしている…
経験上、突っ込んでいっても碌なことにならないから静観して、自分の意見を求められた時に説得して発言力を高めるのが正解なのかな
気が遠くなる話だよ…
洗濯機でいうとフラグシップモデルの10kgから12kgクラス
レベルの違いは機種の違いもあるし
これを言うと「おれは予洗いしない勢」が出てくるんだけどじゃあ衛生的って話はどこいったんだよ。
予洗いしないと衛生的じゃないって話もよくわからんが、海外食洗機は予洗いを自動でする。予洗いしてから洗浄が始まる。
国内据え置きでも最後に80度すすぎをするから衛生面で問題があるとは思えないけど
食洗機ユーザーがいう予洗いは残飯処理。大量に残ったものを生ゴミとして皿から取り出す行為。普通に食べ終わった皿は予洗いなんてしない
洗濯機でいうとカレーがついたから事前に洗剤付けしてから洗うとか、泥汚れがすご過ぎて他の洗濯物が汚れるなーみたいな時にちょっと手洗いしてから投入する行為とかでは
服も洗濯表示ごとに分けるだろうし、なんなら色物でも分けると思うのだが…どういうこと?
食洗機は耐熱温度で分けるぐらいだが、低温で洗わないといけないものは少ないし
低温だろうと綺麗になるので汚れたままっていうことは一度もないが…
そんな食洗機はないと思うが…
洗濯機だと毎回ホコリを取り除くように、食洗機だと残飯受けを洗うぐらい
洗濯機では洗濯槽の掃除を定期的にするように、食洗機も庫内の洗浄(と言ってもクエン酸などを入れて1回洗浄するだけ)は必要だ
これも服と同じ
家で洗えるもの、おしゃれ着用じゃないと洗えないもの、クリーニングじゃないとダメなものいろいろある
食器も大半はそのまま洗えるし、漆器や木製も食洗機対応が増えてきた
洗濯機であれば洗濯機置き場があるのが当たり前だし、脱衣カゴを置く場所もある
食洗機は場所が用意されていないし、使用済み食器を置く場所もなく調理場所を間借りする
服には洗濯表示タグが付いていてどう洗濯すればいいかわかるようになっているが、
食器や調理器具には共通タグはなく、対応しているかは個別に確認が必要だ
そんなわけで食洗機に否定的なのって家が狭い人なんじゃないかと思う
戸建てでは35%弱普及しているのに賃貸だと5%なのがその証拠
食洗機が不便なのではなく、まともな洗濯機を置けない家に住んでいるだけ
もしくはフラグシップモデルの洗濯機を買えずに激安洗濯機を買って「汚れ落ち悪いな」「量洗えないな」「音うるさいな」って言ってるだけ
私は腐女子で、「左右固定」というやつだ。とはいえそんなにこだわりが強い方ではない。雑食の友人がたくさんいるし、キャラ解釈が合えば逆カプの人とも友達になってきた。逆リバも、進んで見に行くことはないが、たまにちょっと口に入る程度では死なないし、カプ色の薄いものなら好きな作品に出合うこともある。信頼のおける友人から勧められたものなら大抵いけてしまう。ゆる固定、とろ火固定を自称している。
そんな私が最近とある作品にハマった。それほど新しくもない、小さなジャンルだ。私がハマったABは、ジャンル内ではメジャーな二人だった。ジャンル内の大多数がABかBAで活動しているようなところで、どちらかが圧倒的に王道ということもない。というより「ABもBAも好き」という、いわゆる雑食の方が多数派だった。
そんなジャンルの空気を知らないまま沼に飛び込んだ私が浴びたのは、想像を超えて逆リバにまみれた世界だった。支部に上がっている作品の多くはABとBAが一緒に格納されていた。小さなジャンルだけにみんな仲がよく、ABの人をフォローしたつもりでも、当たり前のようにBAがRPされてきた。元々多少なら食えると思っていた逆リバも、あっというまに辟易してしまい、思った以上にBAがダメになってしまった。私はぐったりしながらフォロイーのRPを切って回り、BAをミュートワードに設定した。
私は友人に愚痴った。
「いくら雑食が多いからって、このジャンルは腐女子の常識がなさすぎる。死ぬわけじゃないといっても逆を見る前に心の準備はしたいし、さすがにキツい。住み分けぐらいちゃんとして欲しい」
雑食の友人は言った。
「それはお気の毒。でも、気にする人がほとんどいないなら、いいと思ったものは気ままにRPしたいし、わざわざ区分して別々に作品を上げるより全部まとめてアップする方が楽なのもわかる。それでもそのジャンルの人には読んでもらえるわけだし」
そしてこう続けた。
そう、これは固定への配慮の問題だ。ちゃんとカプ分けしなかったからといって、何かのルールに反しているわけではない。それでこのジャンルの人たちが楽しくやっているなら、私にとっては息苦しいが、誰も悪くはない。
「固定」とは、「そういう障害」なのではないか、と。症状の出方や強さに個人差があるところも共通している。
雑食の人は「健常者」なのだ。バリアフリーじゃなくても、何も気にならない。カプ分けされてなかろうが、生きづらいということもない。
たいていのジャンルは固定者の圧が強いので、当然の常識として「ABとBAは住み分けるべき」とされている。それは「腐女子界隈にはこの障害を持つ人が多いので、配慮が行き届いた状態にしないと逆に叩かれる」からではないだろうか。
固定者は障害者なので、配慮がないと生きづらくて仕方がない。けれど、健常者が多数を占める場所では配慮しなくても困る人が少ないから、細やかな配慮はされなくなってしまう。だって、その方が健常者にとっては楽だから。気にすることが少なくて済むから。
最近話題になった「逆を目にしただけで寝込んでしまう」だとか(それが本当なら確かに日常生活に支障をきたしているのだからまごうことなき障害だ)、車椅子騒ぎだとかを合わせて思い出して、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってしまった。
五体満足で目も耳も使えて、発達も定型。そういう人ばかりが集まっているところに障害者が入ってくると、それまで必要のなかった「合理的配慮」を求められるようになることがある。できればお互い気持ちよく生きられるといいね、とは思うけれど、正直なところ「めんどくさい」と感じてしまう人はいると思う。自分だってそう思ってしまうことがあるだろう。
さらに言えば、そもそも障害に気付かれないこともある。目に見えない障害ならなおさらだ。そういうとき、マイノリティである障害者の存在はまるで「ないもの」のように扱われてしまう。それらが我が身に跳ね返ってきた瞬間だった。「このジャンル、みんなどっちも好きだからいいよね~」という雰囲気が、誰も悪くないのに自分にとってこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。
「自分は面倒くさい存在なのだ。他人に配慮を要求して、それを当然と思い込んでいたのだ」
自分を健常者だと思い込んで生きてきた人生で、それは頭を殴られたようなショックだった。あまりの衝撃に、今この文章を書くことで心を落ち着けようと試みている。
私がこれを書き、それを誰かが読むかもしれないことで、なんの問題が解決するわけでもないけれど、もしかしたら何か見え方が変わるものや、新しく見えてくるものがあるかもしれない。できたら、少しなにかがよくなるようなことだといいな、と願っている。
反出生主義を名乗る人の中でも派閥があって、そのうち反出生主義のことをマトモに理解できてるのって本当にごく一部だと思ってる。
まずは優生主義を唱える人。Xとかみてると、反出生主義名乗ってる半分がこれ。
これは100%反出生主義を誤解している。「アタマが悪いやつがガキを生むな」「ブサイクがガキを生むな」など、不幸の再生産であることは理解してても条件があれば出生を許容してる。出生を許容する時点で反出生主義ではなく、単なる優生主義。優生主義と反出生主義は全く相容れない主義である。反出生主義は優生主義「ではない」。
不幸の再生産、望まない生を与えられる結果を忌避しているのは共通しているが、「ガキを生むな」「オス・メスガキを生むな」「オス・メスと番になるな」という呪いばかりで、言動は子供・男・女が嫌いという全く関係ない話。これに関しては反出生主義と併発しててもおかしくはないが、観測上、偏りはあっても人間全体が嫌いじゃないと不幸の再生産を忌み嫌う反出生主義まで行かない。子供嫌いなんてたまに「分別が付くまで公共の場に出すな」みたいなことを言ってて、出生とは何一つ関係がない。反出生主義は、既に生まれている生に対しては全く関係がない。これらも単に「子供・男・女嫌い」とくくられる人々。既に生まれている生に対してあれこれ言う主義「ではない」。
じゃあ反出生主義とはなんぞや、って話になると簡単で、望まない誕生を忌み嫌う主義ですよ。生まれることに関しては同意がとれないんだから人を生むのは人権侵害。
優生主義やウンタラ嫌いと決定的に違うところは、「生を受けた人間の権利」にフォーカスが行ってるか行ってないか。簡単でしょ。
これに対して、「同意が取れないものに対してどう同意を取れというのか」みたいな、わたしはすっごくあたまがわるいです!!って自己紹介する人がたまに居るんだけど、まあ薬でも盛ってレイプしてるような人なんでしょうね。同意取れないなら同意はとれません。人産みor人産ませの顔をしろ。
○ご飯
朝:和風パスタ。昼:柿の種。チョコ。せんべい。夜:白菜、にんじん、きのこ、餃子の鍋。締めのラーメン。間食:ファミチキ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。
・はじめに
SAGA PLANETSから2017年に発売された18禁美少女ゲームの全年齢移植版を遊んだので感想を書く。
普通の男子高校生に過ぎない市松央路が、道でトラブルに巻き込まれてた金髪美少女シルヴィアを助けたことから、彼女が通っている超エリートな学校私立ノーブル学園に転校することから始まる学園ラブコメ。
シルヴィアは北欧のソルティレージュという架空の国家の王族で、国が日本にAIやソフトウェア技術を売り込みたいという事情があるので、外交のために日本の高校に通いつつ公務に勤しんでいる。
そんな多忙な王族のシルヴィアに何故か気に入られてしまった主人公が彼女と共に過ごす中で自分なりの「黄金」を見つけるのが、主なあらすじ。
美少女ゲームらしく、攻略対象のヒロイン毎にルートが分かれており、それぞれのルートでかなり物語が異なるので一人づつ紹介したい。
ここでは上流階級揃いの学園と庶民の主人公のギャップが面白い。
私立ノーブル学園の午前中に受験に必要な教科の授業をやって、午後の授業は各々の受験では測れない得意分野を伸ばすエキスパート授業をする、かなり特異な学校描写はワクワクした。
あとエロ方面でウブな男連中を懐柔し同性の友達を増やしていくパートが好き。
序盤こそ閉鎖的な学校社会の嫌な雰囲気が多いが、徐々友達の輪が広がっていき、周囲に溶け込んでいく。
これが自分が助け王族であるシルヴィアの助力ではなく、主人公の央路の性格で話が進んでいくのが楽しい。
困っている人がいると格好付けて助けてしまう性格が、全面的に肯定されるんじゃなくて、それが巻き起こす悪影響も同時に描いていくのがバランスが取れているなと感じた。
友達の輪が広がっていく中で徐々に、央路は央路で色々と抱えていることが判明していく。
玲奈は、上流階級揃いの学園で数少ない庶民仲間になるギャル系ながら普通の女の子キャラ。
下ネタ大好きなバカ友達の面と、ママ味のある優しい面の両面が交互に来るのが魅力。
ただ、玲奈本人のルートながらハッキリ言って彼女は話の主題にいない。
主人公の央路が、自身の過去と向き合うエピソードが中心に展開していく。
私立ノーブル学園の特異さや、ソルティレージュ国のあれこれなども抑え目。
その代わり、本ルートもう一人の主人公とも言うべきめちゃくちゃすごい野球選手の縞投良、その恋人の千恵華というもう一組のカップルの出番が多めだ。
玲奈本人が蚊帳の外なのは気になるものの、どうして主人公がああいう性格なのか、その性格の悪い側面とはなんなのかが掘り下げられるのは興味深く、王族の力を遠慮なく借りてのラストシーンは青春熱血ものの燃えるシナリオだった。
腕っぷしはかなり強く厳格な性格だが、このゲームは美少女ゲームなので、デレデレなときのギャップもしっかりある。
エロイナは護衛を務める都合上、主人公の抱える過去も色々知っていてその辺の話はサクッと誤解なく終わる。
その代わり、ソルティレージュ国の内情や王族として人の上に立つことの不平等さがしっかりと掘り下げられる。
主人公の協力がなくても自立したシーンが多く、エロイナとシルヴィアの関係値の変化が主になるエピソードだった。
個人的に気に入ったのは、ストーリー的に主題めいた部分があるわけではないが、エロイナが手料理を作ってくれるパートや、逆にエロイナに日本の料理を紹介するパートがかなりの回数あったところ。
海外の食文化のエピソードは興味深いし、日本と海外のギャップのエピソードも良き。
液体のドレッシングではなく香草のスパイスで食べるサラダとか気になるなあ。
・茜ルート
スポーツ少女の茜ちゃんの猛烈アプローチにたじたじになるルート。
全年齢版だとカットされちゃったシーンが多いからか、ボリュームがかなり少ない。
話の起伏も少なく、ご褒美CGを見てふむふむいえない全年齢版を遊んでいる身では少し辛いところだった。
シルヴィアは上述の通り物語の始まるキッカケになった王族の女の子。
そして理亜はタバコを吸っているヤンキーで立ち入り禁止の屋上に一人佇んでいる子だ。
理亜は所謂「お見合いお節介」系のキャラで、シルヴィアルートに限らず、主人公の恋路を毎回応援してくれる。
そんな一見するとサブキャラっぽい彼女のルートが何故メーンヒロインのシルヴィアルートと対になっているのか。
央路、シルヴィア、理亜の関係性はなんなのかが、金色ラブリッチェ全体のエピソードとしてまとまっていく。
この辺はネタバレなしで感想を書くのが難しいが、序盤にあった何気ないシーンや、作品全体の構造の見通しが付いたと油断した読書の虚を衝く展開など、読み応えのある一番面白いルートだ。
とある喫煙シーンで不穏な空気が漂い出し、そこから物語が一変し始めるんだけど、コンビニでタバコを購入するという何気ないワンシーンながら非常に印象に残った。
僕はタバコを吸ったことがないのだけど、一生吸わないでいようと思うぐらい印象に残った。
とはいえ徹頭徹尾、格好つけたがりな主人公の性格がメインの主題であることは間違いなく、それを際立たせるためにシルヴィア、理亜の両名ともにヒロインをする構造が良きポイントだ。
格好つけるとはなんなのか。
良い面と悪い面のバランスをどうとるのか。
若者らしい瑞々しいテーマで美少女ゲームらしい王道の良さがありつつ、主人公の性格の悩みを大きく取り扱っていた点はこの作品らしさもあって、いいゲームだと思った。
主人公をシルヴィアの隣にいる男性として相応しい人間に育て上げるために、色々と甲斐性のあるエピソードが豊富なキャラ。
姉のために仕方なくやっているのだからルートがないのは当然かもしれないが、可愛いキャラだった。
小さい見た目ながら中身は全キャラ最も大人なキャラで、だらしない姿を見せるとキツく叱ってくれる優しい子だ。
彼女の教育とサポートに支えられるルートも多く、サブキャラとしてなまじルートを選ばず出番があるので、大好きになった。
玲奈ルートで彼女のママ味が薄く感じてしまったことに、今作にはそれ以上の母性を感じるキャラがいたことが原因だったかもしれない。
なお、ファンディスクではルートが用意されているらしいので、そちらを購入済みなので近日中に遊ぶ予定だ。
・おわりに
面白かった。
王道な学園ラブコメながら、上流階級と庶民の差や、格好つけることの是非のテーマなど、この作品独自の楽しいところが満載だった。
食にまつわるシーンが多いのも好きなところ。
ストーリーが転調するときの不穏さは辛いものがあったけれど、読後感はとても良く主人公市松央路の格好良さと格好悪さを見届けられてとても良かった。
『旦那が大便が付いた下着を、そのまま洗濯機に入れた。それに気づかず洗濯機を回してしまった。離婚原因にできるか』みたいなやつ。
ああ、やっぱりそうなんだ、と思った。
男って結構うんこ漏らすよね。結構な歳いってる人でも。サンプルが少ないから主語デカなのかもしれないけど。
私が働いている職場にいる男性(50代、独身)もうんこ漏らす。
もうひとり同じように独身で50代男性もいて、こっちもうんこ漏らす。漏らすっていうか、トイレにうまく出来ないのかうんこが便器からはみだしてる。
自分の肛門の位置?うんこが落ちるポジション?が把握できていないのか、便器の後ろ側(背後?)に落ちてしまうみたいで時々落ちてる。
てかさ、落ちたなら自分で片付ければよくない?自分のうんこくらい。なのに、そのままにして出てくる。あとからトイレ入ったらうんこ臭ヤバイし、そもそもうんこがある。おかしくない?普通、自分のうんこを他人に見られるのとか恥ずかしいと思わない??
なのに、そんなのが月に一、二度ある。
んで、トイレ掃除するのは職場で一番年下の、女である私。それが周知の事実なのに、自分のうんこを片付けない。
私はこんなのを何度か経験してるので、職場のトイレには極力入らないようにしているのだけど、掃除はしなきゃいけないから何度かうんこを片付けている。絞め殺したくなる。トイレきれいに使って下さいねー、とやんわり言うんだけど分からないらしい。うんこはみ出てんのわかってないのか?いや、もうトイレが臭いんだからどっかにうんこあるなってわかるじゃん。あんた、うんこしてから、うんこはみ出させてからもトイレ入ってんじゃん?そのときに、あ、うんこ出ちゃってたなとか気づかないん??
家族でもない私にうんこ片付けさせるのをなんとも思わないって何かの障害なのでは?
話を最初に戻すと、このうんこはみ出しマンとは別の50代男性ははみ出すどころか漏らしたことが数回。
運転中に漏らしたとかいって、しまむらでパンツ買ってきてと言われたのも同じ回数。しね。なんで私が家族でもない彼氏でもないやつのパンツなんか買ってこなきゃいけないんだよ。糞が。うんこか。
このひとも、便器からはみ出しとまではいかないけど、便器にうんこ付けてそのままにしている。
うんこが便器にこびりつくのはわかるとしても、そのときにトイレットペーパーで拭けばよくない?目の前にトイレマジックリンスプレーあるんだから、それをシュッとしてトイレットペーパーで拭けばそれで済むじゃん。
なのになにもしない。
なんなの?
あとこの二人に共通するのは、うんこマンというだけではなく片付けが出来ないということ。
ペン使ったらそのまま、カッター使ったらそのまま、引き出し開けたらそのまま、お茶のんだ湯呑もそのまま放置。
「ものを使ったら片付けましょう」って幼稚園で習わなかった?親に教えてもらえなかったの?
習ってたとしても覚えてないんだろうし、片付けなくても許される環境で育ってきたんだなぁと。で、この二人とも長男で実家住みなのが納得できるとこ。
ママに何でもかんでもしてもらってきてるんだろうな。ママがご飯作ってくれて片付けてくれてパンツも洗ってくれてるんだろう。パンツだろうが便器だろうが、うんこついてても何も言わない優しいママなんだろう。
片付けに関しても、大抵は恋人が出来て同棲したり、結婚したりして、他人と共同生活していくうえで
子供が出来てしつけをしていく中で自分も同じことを学んだりするのだろうけれど
こういう、ある程度の年齢になっても独身・実家住まいの長男はママが面倒見てくれるから赤ちゃんなところが消えないのだろうな。
仕事があって、安定した収入があって、税金を収める、一家を支える人間だとしても、自分のうんこを適切に片付けられない時点でうんこ以下だよ。
と、今日もまた職場のトイレにうんこがあるのを見つけたのでこれ書いた。
りくろーおじさんとアミーゴのチーズケーキ似すぎ問題、弁理士『味で勝負しろ』→急に料理漫画みたいな展開になってきたな - Togetter
コック帽かぶって、ヒゲ生えて、スカーフしたおじさんという点は共通しているけど
その研究は知らんけど、MMT的にはクラウディングアウトは起こらない、が共通見解じゃない?
クラウディングアウトの発生原因は政府が国債を大量に発行することによって民間金融機関がプールしてる資金が不足することによって貸出金利が上昇して民間投資が抑制される、という理屈だが、
・そもそも民間銀行はプールしている現金を貸し出してるわけではなく預金通貨を信用創造して貸し出してるので貸出自体には資金が必要がないため資金が逼迫して金利が上昇するわけがない。
・民間銀行が国債を購入した場合、予算が消化されると最終的には民間銀行の講座に購入分の金額が返ってくる上に中央銀行は民間銀行に資金を供給可能なので資金の不足は人為的に解消可能。
なのでクラウディングアウトは発生しない。
直円柱を3本交差させたときの共通部分の体積を求めろとかただの使い古された数値計算問題ばかりなのに、何もこれもないだろう。東大理系数学に何の特色があるのか。
「芸人舐めんじゃねえ(キリッ)」で
そのくせ自分らはテレビやラジオですタクシー運転手とかコンビニ店員とかすげーバカにするもんな
それでいて芸人が世間から叩かれるといつもお前がやってみろ!ってブチギレ
そういう芸だとしてもなんも面白くないし
テキストによるコミュニケーションより、電話を好む人たちがいる。いつも何かあると電話してくる。どうしてだろうと思っていたが、彼らに共通していることにようやく気がついた。彼らは、文章が書けない。
彼らは、構造化された文章を書いて、相手に伝えることができない。文章で伝えることができない。だからこそ、電話で話すしかない。自分では整理できないから、電話で相手と話しながら整理を手伝ってもらう。
Vimを使っている開発者が、pythonコードのインデントをスペース2として書いていた
他の開発者はpep8に従っているのでインデントはスペース4である
Emacsでは、tabを押せば即座にスペース4として補完されるのでタイプ数が増えるということはない
ところがこのVim利用者はスペースを2連打して入力していたようである
コーディングスタイルは、原則としてグローバルスタンダードとなっているものを採用した方が良い
pythonであればpep8を使えば、他のコードとの整合性もとれる
もし他の開発者が「スペース2のほうが生産性が高い」というなら、tab一回の入力で補完されるような環境設定を推奨すべきである
つまり、コードブロックを視認するためには4ぐらいの幅があったほうが見やすいということだ
お砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別な位置なのか議論されることがあります。しかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲に渡ります。それでは、この微妙な関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。
『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」
[補説] 2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』
goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/
"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉で表現されますが、その深さや距離感に違いがあります。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分の内面を理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見を自由に交換できる関係を指します。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通の趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的な問題を共有することは少ないかもしれません。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます。
「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定のコンテンツやゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティに所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。
私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋に趣味を楽しむ相手としての友達です。
これが悪いというわけではありません。むしろ、インターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。
ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられます。リアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人であるか恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。
それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人でしかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人を尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全な人間関係を築く上で全く適切ではありません。
それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人の人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います。
奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます。
人々が他人の欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団で非難することは、不寛容な社会を反映しています。完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています。
「カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人の些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たちが他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインにスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準を適用してしまっているのです。
しかし、人間は完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全な社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。
自分は距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います。
人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手の欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たちは完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っています。しかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります。
嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています。
まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。
人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います。
ですが、現実はそう甘くはありません。
SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為が希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。
このような状況は、人間関係の価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係に問題が生じたとき、解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要な過程です。簡単に関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。
私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的な不快感や問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバースの時代においても変わらない人間関係の本質であると言えるでしょう。