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はてなキーワード: 画家とは

2017-05-29

色んな職業に就きたかった

動物園飼育員になりたかった。

医者にになりたかった。

やくざになりたかった。

弁護士になりたかった。

音楽家になりたかった。

フーテンになりたかった。

画家になりたかった。

野球選手になりたかった。

宇宙飛行士になりたかった。

詐欺師になりたかった。

ギャンブラーになりたかった。

ホームレスになりたかった。

喫茶店マスターになりたかった。

バーのマスターになりたかった。

なりたいものはたくさんある。でも自分人生は有限だ。

そしてこれらを全て実現するより今の職でまあまあ安定して稼げるし、実際その道を選んだ。

でもなりたかった。

遠い未来人類老いず働かず、自分のやりたいことを探し生きがいとして幾つもの役割を見つけられる時代が来る。

あと500年後、あるいは100年後かもしれない。

そんな時代が羨ましい。

2017-05-24

[]

豊田市美術館に行ってまいりましたわ。

平日なのにすごいお客様で驚きました。大半がお年寄りでしたわ。

敷地の端に建っている櫓をみて盛んに「城」とおっしゃっているのを耳にして、

天守どころか櫓でも城とイコールにされてしまうのだと世間感覚を思い知りました。

ここのものは七州城の復元櫓ですが、あのような認識の方が多いのでは

復興天守流行るわけですわ。

さて美術館の中では二十世紀画家東山魁夷による

唐招堤寺御影障壁画展が開催されていました。

歴史教科書でも有名な鑑真和上に捧げられた御堂の襖絵が、

そのままの配置で展示されています

恥じらいもなく大量の群青と緑青を使った波濤の絵は圧巻です。

岩に張り付いたど根性松には絵なのに思わず

声援を送ってしまいそうになりますわ。

和上の故郷である中国の襖絵は墨絵で描かれています

なぜか「黄山暁雲」だけは襖の金具が気になってしまいました。

全体的に薄暗くなっていたのは、顔料が繊細な日本画の保存のためだと

思われますの。

透明感のある青みがかった緑色の出し方を知りたいものです。

また抽象の力展も同時開催されており、

扇で口元をおおって賞玩されがちな戦間期以降の抽象芸術

頭の良い監修者がうまく説明されていました。

なにせミュージアムショップカタログが売り切れているというのですから

監修者も豊田市民もたいしたものですわ。

フレーベルモンテッソーリ知育玩具が素敵で、

これをおもちゃに育った子供お話してみたくなりました。

コンクリートの容器に、コンクリートの破片を詰めた高松次郎作品

コンクリートの単体」はわたくしには理解しかねました。

からないものでもヒルマ・アフ・クリントの初期抽象作品はなんとなく

好きになれました。

いちばん分かりやすかった抽象芸術コンスタンティンブランクーシ

若い男のトルソⅡ」ですの。

これはどうみても、こんじきのぉちんちんですわ!!!

こんな破廉恥な展示が許されるのかしらと作品の前でどぎまぎしてしまいましたわ。

対応しそうな作品としてルーチョ・フォンターナのピンクに塗りたくったキャンバス

赤い縦の貫通穴をほどこした作品もありましたけど、

コンスタンティンブランクーシのせいで、そういう目になっていただけかもしれません。

あと、追悼小嶋悠司展も開かれていて、仏教画に影響を受けた

恐ろしげな世界をあじわえました。

ファイナルファンタジーの初期イラストを描かれた天野先生作品

少し印象が似通っています

小嶋悠司作品抽象の力にあった、熊谷守一作品「轢死体」とならんで

SAN値を下げてくださいました。

再入場できない東山魁夷作品最後に見るべきでしたわ・・・・・・

豊田市美術館建築もたいへんおもしろもので、

抽象の力展で使われている展示室は入った瞬間に行き止まり

感覚を与えながらちゃんと次の展示室に繋がっています

唐招堤寺御影堂の間取り再現するスペースをもっていたりして、

実用性・採光性・空間演出力を兼ね備えた優れた建築であると感じましたわ。

2017-05-14

[]

岐阜現代陶芸美術館に行って参りましたわ。

コレクションクロニクル展と「国際陶磁器フェスティバル美濃」の歩み展が開催中でした。

現代アート陶芸作品を展示する常設展的なものでした。

口を塞いだ壷のような実用性をかなぐり捨てて奇をてらった作品が並ぶ中で、

実用性を意識した作品も平行して存在し続けているところが陶芸おもしろさだと思いますの。

現代アート的な作品の影響を受けながらも実用性を確保した作品もつ

緊張感がよいのですわ。

実際に使ったら、どんな気分かしらと想像しながらカップや皿を観賞しました。

ただし脳内作品に盛りつける食品野菜350gやデトックスウォーターしか

出てこなかったのですわ・・・・・・

モザイクタイルミュージアムに寄りましたわ。

企画展ではタイル画家作品が展示されていました。

焼いたタイルの色は変わってしまうので大変なのではと想像していたら、

わりと描いたそのままの色で焼けている様子でしたわ。

でもやっぱりプロの目からはその苦労があるとも説明されていましたわ。

タイトルに入っている大坪高明氏の作品は、他の作品比較することで、

解説にある透明感の高さがいっそう強く感じられました。

タイルで作った額縁越しにスマホ自撮りする企画があったらしく

館内はカッポーで溢れていましたわ。

ですけどわたくしはもちろんおひとり鯖でしたわ。おひとり鯖でしたわ。

2017-03-25

障害のある女性草原を這って行く姿を描いた絵

誰の何という絵だったか

アメリカ画家だったはずだけど…

と思って「アメリカ 画家」で検索したらすぐに見つかる

アメリカ画家の層の薄さよ

2017-03-13

それにしても井浦新変態を語らせてるNHKはずるいな。つまり女好きって事なんですよ、という結論を持った上で、画家にそのセリフを言わせてNHK製作陣としてはノーコメント、というのもずるい。NHKとしてメッセージを出さない、責任を持たないというのは嫌な感じだ。

2017-03-09

村上春樹騎士団長殺し』の南京虐殺記述について

 村上春樹騎士団長殺し』新潮社南京虐殺記述は、この作品登場人物免色渉の台詞として出てきます

(以下引用

「(前略)正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者あいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいますしかしし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」

 もちろん私にはそんなことはわからない。」

引用おわり)

(「私」とは、この作品主人公である画家の「私」のことです。)

「『しか四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?』」と免色渉が言っているにも関わらず、あえて数字について紹介すると、

四十万人」と言っている歴史学者はおそらく加藤陽子氏。(正確には「犠牲者数については、数万人~40万人に及ぶ説がある」)

「十万人」と言っている歴史学者はおそらく笠原十九司氏。(正確には「10万人以上もしくは20万人に近いかそれ以上」)

 他に、中国政府見解は30万人以上(南京軍事法廷判決数字が元)、東京裁判判決20万人以上、秦郁彦氏は4万人上限、板倉由明氏は1万5千人程度としている。

 日本政府見解外務省HP)は、

「1 日本政府としては、日本軍南京入城(1937年)後、非戦闘員殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えていますしかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています

 2 先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。

 3 こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日内閣総理大臣談話の中で明確にしました。」

2017-02-21

尊敬する人間ドルフ・ ヒトラー虐殺行為はNO)」の意味

某有名コピペに気になる箇所がある

尊敬する人間ドルフ・ ヒトラー虐殺行為はNO)」

虐殺行為はNOということは政治的立場じゃなくて人間としての行動力だったりエネルギー評価しているのかもしれない

異常な家系で育ちながらも画家を目指し

政権転覆のために一揆を起こすなんて普通人間の行動力では無理

2017-02-09

[]虚無象虫のふしぎ

 虚無象虫という生き物がいる。

その特徴は鼻(吻部)から星形珪藻を吸い込みブクマムシなどに

好んで吹き付ける生態にある。

 虚無象虫から吐き出された星形珪藻を偏光顕微鏡クロスニコル

観察すると、色とりどりにみえる。

 体内で星形珪藻を一定の厚さに溶かしてから放出しているためらしい。

 虚無象虫がそんなことをするメリットはまったくの謎である

ただ虚無象虫の研究者によれば何となく幸せそうであったという。

また、色付き珪藻をぶつけられるブクマムシの方も悦びに震える様子が

確認されるため、なんらかの共生関係にあるらしい。

 なお、色のついた星形珪藻は、珪藻画家に重宝されている。

2017-02-06

「人が死んでいるんだぞ」という言葉意味

「人が死んでいるんだぞ」という言葉意味がわかった気がしたけど、しばらく経ったらまた判らなくなった話。

私は「人が死んでいるんだぞ」という人が何を意図しているのか分からない。

同じような言葉で「会社学校じゃない」というのがある。

こちらの場合発言者が何を意図しているにせよ、結局は「仕事しろ」ということだろうから別に困らない。

人が「会社学校じゃない」と言う時、意味するところは次のどれかだろう。

カリキュラムが組まれていて先生がそのとおり教えてくれるわけじゃないぞ。

・お前はサービスを受ける側じゃない、提供する側だ。受け身で居るな。

学校では努力評価されたかもしれないけど、会社は違うよ。成果出して。

これらのどの意味であったとしても、「わかりました」と答えて、ちゃんと仕事をすれば問題ない。

しかし「人が死んでいるんだぞ」の場合はそう簡単じゃない。(私にとっては)

おそらくそ意図は時と場合によって違うのだろうけど、どう反応するべきかの着地点がわからない。

「人が死んでいるんだぞ」から感じるべきことは、こんな感じか?

・死者を冒涜するな。まずは死を悼め。

・重大な事件事故だったことを忘れるな。

責任を明らかにしろ

・遺族に配慮しろ

これら全ての意味が含まれているとして、「関係者責任を明らかにしろ部外者不謹慎な反応をするな」ということだろうか。

しかし、この手の発言をする人の中には普段標準語なのに「人が死んでるねんで!」と茶化したり煽っているかのように言う人も居るので

不謹慎な反応をするな」という意図なら、矛盾していることになる。

から「人が死んでいるんだぞ」という言葉は、自分にとって長らく意図がハッキリしない言葉だったのだが、

自分に向けて言われる機会が有るわけでもなく、Twitterなどで観測しても反応しなければそれで済むので、そのままだった。

それでこの間、小説『Before The Fall』(Noah Hawley著) を読んで、「人が死んでいるんだぞ」という言葉意味がわかった気がした。

※以下、『Before The Fall』のネタバレ

『Before The Fall』のストーリー

実業家家族とそのボディーガード、招待された夫婦と売れない画家を乗せたプライベートジェットが海に墜落する。

画家実業家の幼い息子を抱えて海を泳いで浜にたどり着き、生還する。

子供を救助した画家ヒーローとして大きな注目を浴びる。

墜落の原因がわからないまま報道は加熱し続け、次第に画家にも疑いの目が向けられる。

とりわけ一人のニュースキャスター画家攻撃し続け、番組で彼の過去私生活を暴くなど叩きまくる。

ずっと人目を避けていた画家だったが、自らテレビ局に出向いて生番組に出演する。

そして事件の謎を明かして、最後司会者に言う。

「人が死んだんだ。彼らは殺された。なのに、あなた質問は僕の性生活についてだ。恥を知れ。」


これを読んで、「人が死んでいるんだぞ」=「恥を知れ」で腹に落ちた。

そういう意味なら煽りっぽく使うこともあるだろう。

「お前の品性下劣だな」を死者がいるという事実を使って反撃されにくい形に変換しているのではないか

そして煽り言葉なら正解の反応はスルーすることだ。

でも冒頭に書いたように、しばらくしたらまた解らなくなってきた。

言葉は難しい。

2017-01-25

絵に対する勘違い

絵について勘違いがあるので指摘したい。

この町の風景単体で作品としての価値があるかというと、私はそうは思わない。

ブレードランナー」みたいな町を、「千と千尋の神隠し」みたいな色彩で味付けしただけと私は思った。

イラレの絵はゲームならテキストを引き立て、ラノベならキャラを引きたてなければならない。

ところが六七質氏の場合以前クラウドファンディングが有名になる前からパトロン募集して描いていたJohnHathway(※日本人

と同じ方式で絵を描いていた時期があり、そんな意味ではイラレではなく画家だ。画家は絵がメインでほかはサブになる。

一枚絵で納得させる美味しんぼでいうところのぜんざいテイストがあったと言ってもいい。

しかし、それでも他の絵本を覗いてみると、絵本の絵で完全に連続している絵が描けている人のほうが少ない。

しろ同じような絵柄で同じように描いている人のほうが圧倒多数だ。当たり前だ。漫画ではないのだから

まして六七質さんの場合あい形式の絵が元々多く、人選を誤ったという言い方もある。

JohnHathwayが何を描いてもJohnHathwayであるように、六七質さんもそういう人だ。

絵本としてはうるさい」ということなら話は納得できる。

またブレードランナーと言うよりシド・ミードフォロワーというべきだ。

しかシド・ミードフォローしているのはむしろ海外エンキ・ビラルや台頭してきた韓国中国イラレ

(例えばファン・ジウ、ジョンフェングアなど)

であり、薄暗さが強調されずに光がきらびやかな六七質さんの絵の評としては全然正しくない。

あの人の文脈は2009~2011年ころに流行った巨大建築物系のイラスト黎明期のもの

それをかなり前のシド・ミードと直接関連付けるのは乱暴過ぎる。

何より氏の作品は元々香港台湾から着想を得たという点でジブリに近いものだ。

http://anond.hatelabo.jp/20170123040505

2017-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20170124224115

「絵はやたら上手いんだけどキャラ設定とか世界観イマイチ定まってないような絵師さん」みたいな人っているじゃん。

イラストキレイなんだけれどそれを組み合わせて漫画なりの作品を作ろうとしない人」もいるじゃん。

そういう人たちって頑固だから細部を詰められないんじゃなくて、リアルな話をすると<話を作ったり、キャラクタ内面を作りこむ>という能力が無いか未熟だから作品にそういうのが詰められないわけじゃん。

もいるけど、ある一定の場所では公開せずに落描きする、という風習もあることを知ってのことか。それとちょっと助長になってんだけど、そういうのは総じて「うまくなりたいけど目標がない人がいる」であって価値云々の問題とはまた別。


それとね、あんたが描く人かどうか知らんけど絵の中に世界がある人もいるんだよ。

感じられないやつはそいつのせいじゃない、コンテンツの売り方が悪いんだとあんたは言いかねないところがある。しかしそうではない。感じられないやつが悪い。

なぜなら基本的に一時問題になった東京幻想帝国少年なんかはそこに入り込める世界を感じている人が多かったから。世界観への入り込みは絵に対する一定技量がなければ形成されない。

一方緻密ではないもののジョルジュ・デ・キリコのような不思議な絵を描く人にも世界の構築が見られる。こうして人は世界に入り込める価値をそこに見出して自ら入り込んでゆく。つまりこの時作者は表現者としての行動を完遂していて、そこに余計な電通イズムが付加されるとむしろノイズになる。

そして技量の話。さきほどゴッホの話を他のツリーで書いたけど、写実画家の話も別に書いた。超有名写実画家アントニオ・ロペスという人がいる。これは世界的に有名なので当然経済活動としては成功した人なんだけど、一般的に言って超絶技巧画家は全く認知度が低い。まして一般人は「写真をみたらいい」という無理解コメントを残したりする。一般人に唯一伝わるところをいえば、あの技量に達するまでの工程が素晴らしいのだけどね。作画工程や決して狂わないデッサン力が素晴らしいし、そこにフィクションを詰め込む遊びも素晴らしい。これは技巧によって価値が発生しているから少なくとも画商の眼には止まったということ。しか一般的に言ってロペスの絵にストーリーがあるようには感じられない。だから量化できるにしても理解できる層がそもそも違う。そこで疑問が発生するわけだ。増田カジュアルな層に大きな数字を残してるから価値としているのかと。ならばそれはどこからになるのかと。ここまで言ってもお互いが価値と信じるものが違いすぎるという感触しか得られない。明確な価値があると信じられている、あるいはある感覚器官を総動員する人々に価値があるとみなされるものでも、鈍い人にとっては金でしか測れない寂しさがあるよね、という結末ばかりがついてくる。

2017-01-23

「一週間以内に本屋で買ってくれないと~」がよくないと思う理由

「1週間以内に本屋で買ってくれないと重版されない」って脅されると買いたくなくなる | アオシマ書店 - 電子書籍の情報サイト -

上記を読んで。

自分もあまりこのての台詞は好きではない。

その理由は、「消費者パトロン役割を負わせるべきではない」と思うからだ。

消費者作品を買うとき、その動機は「自分が読みたいから」だ。

それに対し、ある創作者を支援するために金を払うならば、

それはパトロンだ。

基本的に、なにか作品を買うという行為は、その二つの動機がそれぞれの割合で混じりあっているものと思う。

パーセント消費者としての視点で買うこともあるし、

パトロン的な視点応援のために買うこともあるだろう。

それはかまわない。

なぜなら、それは買う人間意思に基づいているからだ。

だが、創作するがわが「支援のために買ってください」と促すのは、

いわばパトロン募集する行為だ。

ここでは、パトロン的な買い物に、買う人の意思だけでなく作り手の意志が介在する。

パトロンとは、そもそもなにがしかの見返りを得る権利を持つ。

買い手が一人で応援のために購入するならば何の見返りがなくとも構わないだろうが、

買い手に「お願いして」パトロンになってもらうならば、

そこには互いに貸し借りの概念

「買って応援してあげたんだからしかるべき見返りがあるはず」

という意識が生まれはしないだろうか。

作品面白ければオーケーか?

そうだろうか。

誰もが面白い作品なんて誰にも作れないのに?

あなた発言が誰かを傷つける可能だってあるのに?

そしてここが重要なのだが、

昔の画家たちはパトロンを選べた。

パトロンがどんな人間か知ることができた。

しかし、現代消費者パトロンをお願いするとき、作りてはパトロンを選べない。

また、彼らがどんな人間か、作りては知らない。

そんな状態作品をのびのびと作り続けられるだろうか。

あなたの無数のパトロンたちのそれぞれの期待に、あなたは答えきることができるのか。

または無視することができるのか?

個人的には、それができなくて、がんじがらめになっているのが

ジャニーズAKBはじめとしたアイドル芸能人ではないかと思っている。

イメージファン人気に縛られてひどく不自由な彼らの立場で、

なおも創作する覚悟がないのならば、

消費者パトロンたれと促すべきではないと思う。

2016-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20161228150020

いや、日本で一番棋譜研究しているのは棋士なので、ここは「鑑定士」でいいんだよ。

まあ、一流の画家も鑑定眼はあるとも思うんだけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20161228145440

この場合いってるのは鑑定士じゃなくて画家からなあ

優れた画家からといって鑑定に優れるとは限らないしな

2016-11-30

北海道の美味しいお店

http://anond.hatelabo.jp/20161130113432

試される大地へようこそ! 1月にいらっしゃるとのことで、お勧めのお店を紹介します。

芦別市芦別「新宝来軒」

ここの「ガタタン」を食え。「ガタタンラーメン」がスタンダードだが、個人的には「ガタタン」をチャーハンにかけたものが好み。

「ガタタン」は塩味あんかけなのだが、ほとんどこの芦別しか食べられない。戦後満州から引き揚げてきた人が中国料理アレンジした料理を蘆別で始めた。これが「ガタタン」。

炭鉱で栄えた芦別炭鉱マンをあったかくする為に「ガタタン」は食べられてきた。そして近年ではご当地グルメに。

そんじょそこら粗製乱造されたご当地グルメには叶わない、引き揚げ~炭鉱労働という、戦後北海道歴史のド真ん中を歩いた食べ物といえる。

これを味わいながら、北海道近代史というものに思いを馳せてほしい。

足寄町本町「あさの食堂

今ではめっきり少なくなった、ただの食堂ラーメンがメインで、二人のばあさんが作っている。

化学調味料主体の、懐かしいラーメンを食べたかたらここ。醤油を頼め。チャーシューが激烈に、懐かしい。

昼時に行ってみてほしい。近くの道の駅に大型トラックを止めた運転手さんや、地元の昼間っから道楽してるおっさんを眼にすることができるだろう。

ここから北見に抜ける運ちゃん、阿寒に抜ける運ちゃん、帯広に抜ける運ちゃん。今も昔も、足寄は人間交差点なのだ

札幌市北24条元祖美唄焼き鳥 三船」(居酒屋

いか北24条の「三船」に行くんだぞ。「三船」を冠する店は何件かある。美唄焼き鳥元祖三船福太郎氏にあやかったものだ。

由緒論はえてして混迷を極める。ここは伝統だとかじゃなく、純粋うまいところを紹介する。それが24の三船だ。

ここ、メインメニュー美唄焼き鳥の鳥串で、サイドメニューも大変豊富。そしてどれもとっても美味しい……のだが、サイドメニューは頼みすぎないほうがいい。

鳥串が美味しすぎて、何本でも食べられてしまうのだ。6人で行って、一時間半でお通しと串120本と酒だけで帰ったことがある。それだけ串がめちゃくちゃ美味い。

札幌市駅前和風パブ 松」(居酒屋

札幌ザンギを食べたいならここ。ザンギって鳥の空揚げの親戚みたいな北海道グルメだが、その王道典型と言えば松のザンギ

ただしここはまっとうな居酒屋なので、酒もちゃんと頼むべきだし、注文しないでずっと居座るようなことをしてはならん。

食事メインなら正直いかないほうがいい。あと和風パブっていってるが普通居酒屋から気負うことはない。

士別市多寄「淳真」

道北道東のいなかには美味しい蕎麦屋が点在しているが、ここは士別市の郡部にあるお蕎麦屋さんだ。

田舎ロードサイドってのがどんなものが味わうに格別の場所。②のあさの食堂と似てるんだけど、こっちのほうが人の往来が多い気がする。

ここの主人は、道外からやってきた人。多寄の食材に惚れ込んで移り住んだ。この多寄、蕎麦生産するが、それはどこか遠くへ運ばれるだけだった。地元産の店を、超田舎提供する試みが始まった。新しい移住・挑戦の歴史を感じたいならばここだ。

岩内町本町「北緯43度」

焼き魚を食べたいならここだ。目の前で焼いてくれる感じだ。私は山育ちなので、豊富な魚メニューのどれが旬なのかさっぱりわからない。けれど、いつも頼んだもの絶対に激烈においしい。

近くに道の駅があるから、そこも見学しよう。そしてこの界隈には美術館がたくさんありますわ。いずれも郷土画家ですの。お嬢鯖も大満足間違いなしですわよ!


羽幌町本町渋谷水産直売所・北のニシン屋さん」

ニシン時代は遠くなった。最近はまた増えてるらしいが。では漁村では何が行われているのか。それは、ニシンが群来(くき:大量にやってくること)ていた時代から培われた「水産加工業」だ! そんな歴史はともかくだ。札幌から200キロ程。ここまで離れると海鮮丼が安い! 「羽幌丼」を食べよう。地元産にこだわりたいなら「甘エビ丼」だ。食べ終わって満足したら、付設の直売所を見に行こう。水産加工テクニックを直に感じて、お土産を買って帰ろう。



2000年代以降に生み出された軟派なご当地グルメに絆されるなよ。

2016-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20161107202610

なぜかこれを読んでフランスの古い映画を思い出した。

ある画商が絵が売れずに貧困にあえぐ青年画家から絵を買うように懇願されるのだが、

画商は「君のような凡才は生きている間に大成できないだろう」とを酷評して買おうとしない。

そうは言うものの、画商は青年相談相手として、二人の間に緩い友情のような繋がりができる。

それでも画家は絵を買おうとしない。

まったく絵が売れない青年画家は、貧困のあまり絶望し、餓死するよりはマシだと自殺してしまう。

偶然その場に居合わせた画商は、青年の死を確認すると、すぐさま彼の絵をほとんど全て持ち去り、

それらの作品を「現代フランス新進気鋭の画家のものとして高値で売りさばき、

後に青年フランス代表する画伯として名声を獲得することになる。

(この青年画家は、実際に夭逝した画家モディリアーニモデルらしい)

2016-10-28

ゴッホ挫折人生

0歳 : 6人兄弟長男として誕生

15歳 : 成績あるいは経済上理由から中学中退

16歳 : グーピル商会ハーグ支店就職

19歳 : ロンドン支店に転勤、下宿先の娘に恋するが失恋

21歳 : 失恋のショックで仕事に支障が出てパリに転勤させられる

22歳 : 店の仕事に身が入らず支配人や他の店員との関係悪化

友人もなく自分世界にこもり、クリスマス無断欠勤して解雇される

24歳 : 大学宗教を学びたくなり受験勉強を始めるが科目の多さに挫折

25歳 : 宗教の道を諦めきれず伝道師学校に入るが伝道師免許を得る事に失敗

ベルギー炭鉱地帯勝手伝道師活動を行う

その活動伝道師委員会に認められ一時的に俸給を得るが半年で解任

26歳 : 伝道師をクビになり26歳で画家になる事を決意。絵の勉強スタート

※ここから先は生涯弟のテオの仕送り生活

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161020153246

なんか印象派画家の絵を「ただ印象を描いているだけだ」と批判していた人がいましたって話を思い浮かべる。

ピカソの絵とかも写実性のなさを以て下手だと主張する人今でもいるけど。

写実的じゃない絵全般嫌悪感を持つ人がいるってことなんだろうか。

別にデフォルメキャラ印象派キュビスム抽象画もありだとおもうけど。

2016-10-16

郷愁』という映画が神だった。

 何となしに選んだ、『郷愁』という1988年の映画。とんでもない神映画だった。

  

 京都から土佐の四万十という町に引っ越してきた一家の話。

 父親は働かない画家だが、女のパトロンおばさんがついたために楽な生活をする。家にはお金を入れない。

 母親父親の職として学校先生を言い出すも、「画家他人に雇われるなんてできるかよ!」と突っぱねる。

 一家収入は長女の稼ぎしだいである。長女は大学中退しているが、賢く美しい。最初電話交換手として働いているが、全然お金は稼げない。エリートなのに田舎に来ている理解者の英語教師の男と付き合いだすも、金がないため嫁には行かせられないと断る。

 さらに、その理解者のエリート教師も教え子を不注意から殺してしまい、罪の意識からダメ人間となり地元の人たちと同じ知的レベルまで落ちてしまう。

 長女は父が定職に就かないために、夜の仕事を始める。

 夜の仕事場に父が来る。パトロンも順調についていて楽しく過ごしているらしい、そんな父が見とがめて「こんな仕事やめろ!」

 しかし、長女は、どこまでも落ちてやるんだと、水商売先の客と寝て借金を肩代わりさせたり、どうしようもないバス運転手と付き合ったり。

  

 で、主人公は、こんな家の次男坊。口下手で、地元の人たちに流されるまま過ごしている。

 どうしようもなく崩れていく家族地元の土着的な性に対する汚い行い。

 どうしようもなさに流されて、自分意志でやることと言えば、金を得たら売春なり。誰もいない滝で叫んだり。

 どうしようもなさを理解するブス女とセックスしたり。

  

 まあだいたいそんな感じのストーリーものすごくいい映像でやる映画なんだけど。

 もう本当に、こうやって人間ってどうしようもなく落ちていくんだなあってのがわかる。

 人間存在の程度の低さとか、この世の嫌なところを書いている。しかも、それが『普通なんだよ』という説得力がある。

 こういう映画を見たかった。

 他人人生がムチャクチャになることへの憤りを感じさせてくれる、神映画だった。

2016-09-17

芸術人間狂気なのでは?

演奏を聴いて感動するとか、絵画を見て心震えるとか、それを可能にする芸術的感性っていったい何でしょう?

食べる、寝るなど、生物として生きていくだけならそんなものいらないですよね、動物にはそれはないと考えているのですが。

絵を描くゾウの話もあるけど、あれは道具を使えるというだけで、「創作活動」ではないのでは?

個人的に、芸術人間もつ狂気であると畏怖しています

画家の中でも、狂気に奔った人間もいますよね。ゴッホとか。

芸術は神の領域」とは母の談ですが、彼のように芸術的才を持ち狂ってしまった人は、人間を超えてしまったのでしょうか。

人間の中にその神の領域存在するということに、人間存在への得体の知れなさと神秘性を感じます

芸術的感性人間固有の狂気。それによる創作物は生み出した人間内面の発露。目に見えない世界という点で、人間霊性にも通ずるもの

私が「芸術」のことばから想像するのは主に絵の分野ですが、音楽分野だとまた芸術という概念に対する印象は変わるのでしょうか。

2016-09-15

逃れたい増田アケミ掛亜の出すまいタレが野(回文

ダレカカラ・ナニカシラ・ノガレタイ明美です。

おはようございます

逃れたいもの、そう。

そう締め切り!

私は取り分け、

これといった締め切りはないけど、

締め切りに追われる人は大変よね。

ノリスケさん的な人が

自分の家の隣の家が彼の親戚だからってのをいいことに、

今か今かと

原稿締め切りのプレッシャーを与えつつ、

ATMで並んでいるとき

さな鏡に映ってる人の

プレッシャーを感じるかのように、

まるで、浜さんが犬のジェリー散歩に行く瞬間を待ち構えて、

そのノリスケさん的な編集者に囲まれ

ゲス質問される感じよね。

画家なのに締め切りに追われるのって。

私は、そのATMの小さな鏡に映ってる

後ろの人のプレッシャーしか感じたことなかったけど。

あ、早く順番空けなきゃって

思って振り向いたら、

ATMの小さな鏡に映っていたはずの人はいなくて、

ただただ、ホラーな不気味なことが一回あったわ。

あれって、なんだったのかしらね

なんて、気持ち悪いのかしら。

イチハヤク・タチノキタイ明美でした。


今日朝ご飯

ギロッポンサテンでジャスゴーなグンモーよ!

ジューシーオムレツが美味しいの。

私、田舎の出だから

スタバツタヤが一緒に入ってる系の店舗で、

下でコーヒー買って上のツタヤに持って行って飲んだら怒られるんじゃないか

ヒヤヒヤしながら、

そういうお店って都会ってあるわよね。

お店のルールが分からないところに入る勇気

都会で学んだわ!


すいすいすいようび!

今日も頑張りましょう!

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160907221310

続き

でも、顔の印象は春信からかなり変わったのがわかるかな?

で、次に一世を風靡したのが、最初に挙げた歌麿

喜多川歌麿

ジャニー喜多川喜多川と覚えてほしい。

もともとは、お化けの絵で人気の絵師弟子

出世作は、現代風にいうなら、昆虫図鑑鳥類図鑑、貝図鑑的な写生もので(狂歌(和歌パロディ)が入ってたんだけど)、その精巧スケッチ博物学的にも価値がある。

お化けの絵の師匠から写生でヒット、で美人画大家になる、というのは浮世絵世界ならではな感じで、普通伝統的な日本画だったら、一派の画風を継ぐのが弟子の役目で、勝手に画風を変えるなんて許されないものだが、そこは画家ではなくイラストレーターたる浮世絵師バーリトゥードで売れそうな絵にどんどん転身していく。

そんな、歌麿美人画がこちら。

https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc156956

だいぶパッチリ系になってきたのはわかるだろうか。

指の感じもふくよかで、儚げな印象はもはやない。

AVジャンルだと、清楚系だ。

みんな同じ顔なのに、表情がある。

なぜ同じ顔なのに表情が違って見えるのは、自分には今でもなぜだかわからない。

キャプテン翼みたいな感じだ。

みんな同じ顔だし、喜怒哀楽も同じ顔、それなのに、キャラ区別も表情の区別も出来る。

ところで、江戸末期の美人の条件というものがいくつかある。

まず、富士びたい。

江戸男性陣は生え際フェチで(今でも日本画は生え際にこだわりがあるらしい。個人的にはどうでもいいんだが)

ひたいは狭めで、台形がいいとされていた。

富士びたいをベジータひたいと勘違いしている人が多いが、正しくは、逆台形(ソリコミのヤンキー)の逆であるきれいな台形の額ということである

あと、歯並びも重要だったらしい。

現代において、正しい噛み合わせとされているのは、上の前歯が下の前歯よりもわずかに手前にかぶさるのが理想らしいが、江戸時代美人は、上と下の歯がピッタリか、若干下の前歯が手前にくるのを美人とされていたらしい。

わざと、下くちびるを手前に出した美人画が多い。

そういえば、欧米人には八重歯の可愛さだとかアヒル口の可愛さが理解できないという話を聞いたことがある。

変な歯並びや口のかたちに萌えたりするのは江戸時代から伝統なのか。

次に、若干マイナーなところで、鳥高斎栄昌をあげる。

歌麿と同様にドアップが多いのと、あと自分が単純に好きだから

釣り目で、屈託なく笑う感じが、女子高生的でそそる。

https://data.ukiyo-e.org/met/images/DP142137.jpg

栄昌は鳥文斎栄之という絵師弟子で、鳥文斎栄之はすごく品がある慎ましやかな女性を描いたのだけど(栄之に比べたら、歌麿が清楚系といってもせいぜい素人JD、栄之のそれはお嬢様)、これまた師の画風とは一転。

女子高生的な快活さで大変自分のツボ。

(これを執筆しながらわかってきたのだけど、自分素人ものAVが好きらしい)

このころ、だいぶパッチリ目になってきた。

わずかに時代が進み、菊川英山

https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc221599.jpg

アニメ絵っぽくなってきたのがわかるだろうか?

頭が大きく、記号的な目や鼻。形式化された顔の輪郭

お次また少しだけ時代進んで渓斎英泉

一般的解説には「えぐみのある女性」らしい。

自分に言わせれば、ブス専である

キーワードは「デカい頭」、「猫背」、「生活臭」、「睫毛すごい」

上睫毛もした睫毛もボーボー、小さい目を少しでも大きく見せようと、ゴキブリの脚みたいに太い付睫毛をつけまくったJKみたい。

それからデフォルメが効きすぎてブス、生活臭ハンパない

エロ巨匠でもある。

なぜかそそる。ブスのくせに。やっぱり生活臭エロなのかな?

今わかった、俺は素人ものが好きだ。

浮世絵萌え絵が同じ進化をたどっているなら、萌え絵の行きつく先はブス専のように思えてならない。

つづいて、また時代が進み、月岡芳年に行ってみよう。

http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/exhibition/2014_yositosi_kunitika/01.jpg

http://morimiya.net/online/ukiyoe-syousai/ukiyoe-images/yoshitoshi/itasau.jpg

それぞれ画題は

「けむそう」「いたそう」

ちょっと前に困り顔メイクブームになったが、時代は繰り返すのかな。

それ以降については、浮世絵日本画家(芸術として認知された人々)の系譜イラストレーター(挿絵画家広告画家)の系譜に分かれていくのだが、後者についていく。

俺が好きなのは油絵日本画じゃなくて、版画なので。江戸明治大正昭和も、芸術より商業印刷が好きだ。

有名どころで、竹久夢二

もう面倒くさくなったので画像検索をそのままリンク貼る。

https://www.google.co.jp/search?q=%E7%AB%B9%E4%B9%85%E5%A4%A2%E4%BA%8C&biw=1280&bih=607&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjdl9iQof3OAhWBi5QKHZrIAjYQ_AUICCgB#imgrc=i6BOAyNRkNF3IM%3A

このころになると二重瞼が多くなってくる。

竹久夢二というと、女性社会進出象徴的な絵を描いているわけで、

ここでエロ談義ばかりですっかり忘れてたけど、女性社会進出=快活=二重瞼説に戻す。

しかし、江戸時代でも役者絵(男性の絵)は、ものによってはけっこう写実的なところがあり、最小の線ながらも、顎の丸みやエラの張りかた、小鼻や頬の膨らみかたがわかったりするのだが

(もちろん、それがいいというわけではない。完全にデフォルメしてる絵や、本人無視理想象で描いてる絵もある。歌舞伎堂艶鏡あたりはかなり写実的東洲斎写楽なんかはデフォルメしてるものの、ちゃんと顔の膨らみは想像できる。)

女性の顔となると、江戸から明治大正にかけて、ずっとずっと平面の中にしか存在できない顔だなと思う。

平面的というか、漫画的というか、記号的というか。

顎の膨らみがどうなっているのかわからないし、チークは入っているのに、頬骨のでっぱり具合がさっぱりわからない。

フィギア化がすごく難しそう。

なんで女性の顔はいつの時代量産型なのか。

さて、夢二の次中原淳一

https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E6%B7%B3%E4%B8%80&biw=1280&bih=607&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwib3oWEpv3OAhUFipQKHYlLBjUQ_AUICCgB

奇形デカ目、キラキラ目の元祖かなと思う。

ほぼ同時期にこの手の絵の祖と思われる人があと数人いたんだが、名前を思い出せない。

近くを見ているような、遠くを見ているような、瞳の焦点が微妙にあってないのは、浮世絵役者絵(男性のね)に近い気がする。

とまあ、瞼が二重か一重かはとにかくとして、眼でモテる方法を教える。

黒目、とくに瞳孔部分が大きいほど、モテるらしい。

三白眼悪人顔とはよくいったもので、黒目が大きいとモテる

黒目が大きいほど、柔和で優しそうにも、セクシーにも見える。

漫画なんかでは、催眠術にかかったような描写ときに、光彩と瞳孔を区別しないで描かれたりする。

古くは、アトロピンという薬剤を点眼することで、瞳孔を広げて美人に見せる術があったとかなかったとか。

薬剤なんか使わなくても瞳孔を広げる方法がある。

簡単に言えば、暗がりである。暗がりで美人に見えるのは、そのせいらしい。

逆にいえば、カラーコンタクトは最悪だね。

せっかく瞳孔が広がっても、レンズの模様のせいでそれが見えない。

あと最初の頃に戻るけど、一重なら、セクシー系を目指したほうがいいと思うな。

一重が許されるのはセクシー系、クール系。

日本人は、すごく面食いなようで、内面重視というか、外見によく合致した内面を求めるというか。

まあ、そんなこんな。

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