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2016-12-08

女性性の代償

恵比寿マスカッツ仮面女子ユーチューブ動画を見ていて、思った。

女性代用なんだなって。

ラブドールとかに近い。

  

近年、なぜAKBアイドルがこんなにもてはやされるのか理解できなかったんだよ。そもそも。

風俗行けよって思ってた。

しかし、実際に彼女たちの映像見てて思ったのは、「こんなに楽しそうで不快感の無い女性は作らないとできない」ってこと。

テレビだの、アイドルグループだのっていう枠がないと無い。

まるで剥製とか、昆虫採取のピン止めされたやつみたいな。自然状態女性はナカナカその美しさを理解できないけど、剥製にした熊や、ピン止めされた昆虫は美しいみたいな。

  

まりアイドルとかって、女性的なものを、切り取ってるんだなって。

  

もっと前の日に、箱入り娘とかい地下アイドルライブを見に行った。

わずか3000円である中学高校の、クラスで一番かわいいくらいの娘が、禿げたデブおっさんの観客に媚びを売りまくっている。

甘酸っぱい恋愛の曲を歌いながら、途中のトークで、「〇〇ちゃん押しの人は、〇〇ちゃんにそういう気持ち持ってるかもねー」→「テレテレ」みたいな。

いやいや、俺もだけどさ、オッサンたちしかいないのよ、観客席。

それに対して、クラスで一番かわいいレベルJC,JKかいう間違えたら犯罪クラスじゃないですか。

もう、見ていられなくていたたまれなくて、1時間も立たずに会場を逃げ出したんだけどさ。

なんか、犯罪みたいで怖かったんだよね。

  

でもあれでしょ、AKBですら、会いに行けるんでしょ。この子たちも、多分チェキとかでおっさんに抱き着いて写真撮るんでしょ?

いやいや。青春時代に、クラスで一番の美少女ツーショットなんてとれたやつ、どれだけいるんだよ。しかも、向こうが全力で媚びて笑顔でしょ?

こんなの、無いよ現実なら。

  

アイドルや、地下アイドルがすごいのはわかった。

しかし、もっといろいろある。AV二次元はどうだ。

二次元ばっかりやり玉に挙げられるけど、AVアイドルも似たようなもんだろ。

女性女性性を切り出して、展覧会してるわけだ。

それが、ここ数年、いや10年くらいか?一気に加速してるように思う。

サクッと生活になじんじゃってるんだよ。

俺、将棋番組日曜日に見てるんだけど、そこに、伊藤かりんっていう乃木坂46のアイドルが出てくるの、毎週。

顔だけで言えば、伊藤かりん別にきじゃなかったのに、「将棋やってる」という要素で、どんどん好きになった。

これヤバいね。コレで通るんだから、どっからでもファンが出るわ。

恐ろしいよ。「将棋やってるかわいい娘」なんて、想像産物しかなかったのが、ナチュラルに実現されるわけだから

この商法やばいよ。

  

なにを目指しているんだ?

そこに需要があるらしいことはわかるが。

じゃあそれでリアル女性をあきらめられるってことなのか?

それにしちゃー欲求がどんどん加速しているように見える。

ニンジンを鼻頭にぶら下げられて走る馬なんだろうか?

  

なんだか、恐ろしくなる。

どういう需要があるのか、この先に何があるのかが見えてこない怖さがある。

  

衝撃的だったんだよね。恵比寿マスカッツがクッソ面白いから

AV女優なんて、メンヘラ社会の隅っこでやくざと同じジメジメした世界と思ったら、イキイキと女の子女の子してる。

そういうのってマジで衝撃。

AV女優人間として見ていなかったからだろうね。

マジで人間なんじゃんってのを見て、恐ろしくなった。

  

からない。

女性性を要素要素で細かく提出してきている資本主義社会

イッタイ、この先どうなってしまうんだ。

2016-12-07

やたら宣伝されてる松本人志のドキュメンタル、 

なんだこりゃ???

 

今公開されてる1話は7割が内容ゼロ煽り映像だし、

肝心の本編も最初からグダグダで失敗してる感がすごい

テレビじゃできないとか言ってるけど、こんなんだったら地上波手法ででガッツリ構成編集してやったほうが全然マシじゃねこ

 

なんでこんなのをこれほどまでに推してるのか

2016-12-06

グラフィックリアルさはなんのためにあるのか?

グラフィックリアル度がゲームシステムリアル度と乖離した時、システムに対するリアル度の低さという違和感ゲームお約束として脳内処理してしまうのが通例であるなら、その場合グラフィックの精細さはなんのために搭載されていると感じるのでしょうか?

わたしは、あまりグラフィックが売りのゲームというのをやったことがなくて、それでも例えば平面スクロールマリオなら、WiiU映像とかをみていると、別にこんなに立体感のある映像でやらなくても、ファミコンマリオの絵でもゲームの楽しさは変わらないんじゃないかなあと思うことがあります。もちろん実際やってみれば敵やキャラクター挙動かわいいかったり、エフェクト気持ちよかったりと思うのかもしれません。任天堂ゲームはそういう部分を楽しくつくろうとしていると感じますポケモンがいつか立体になったのをみたときも、結局コマンドの出し合い合戦なのだからと思ったのですが、やはりポケモン挙動が増えるとかわいいし没入感がありますよね。

一方でグラフィックリアルさを売りにするゲームって、もっとリアリスティックというか、映画的というか、業界の人たちがどのように言うのかわからないですけど、そういうのって任天堂的な表現とは違って、現実の模写がいかにできているかという部分に価値があるのかなと思います。そうするとなると、例えばターン制のコマンド出し合い合戦ゲームシステムだとしたら、これも、やったことがないので、実際やってみるとわかることがあるのかもしれませんが、リアリスティックキャラクターたちの映像でそのゲームシステムをやることに、特別な喜びが感じられるのでしょうか。ファミコンドラクエのような画面に置き換えたとしたら消えてしまう、そのグラフィックリアルさによって得られる恩恵特別にあるのでしょうか。そこのところがピンときません。

2016-12-05

日本人韓国嫌いはどうやったら治るのか

日本人てほんと韓国嫌いだよね。

まぁ気持ちはわかるよ、多少はね。反日韓国人とか見ると、関わりたくねーって思うし。

でもさ、その嫌韓感情はさ、その反日韓国人とか、クソ下痢みたいなこと言ってる人たちに対してだけでよくね?

ひとくくりにして、あいつら(韓国人全部)みんなクソだから知らねー、あいつらクソだから攻撃してやる、っていうのはさ、よくないよ。

こないだのASKAに対してなにやってもいいだろ、って曲公開したりタクシー映像公開した人たちと同じなわけよ。

youtubeとか見るとさ、ひどいよね。

お前関係ないじゃん?嫌韓チャンネル?なんのためにあんの?って感じ。煽ってどうすんの?

俺はじいちゃんが神社神主してるド日本人だけどさ

韓国に関連付くもの=全部うんこ

っていう図式はやめようよ

キムチとかビビンバとか好きじゃん?

なんかあなたに害したの?

負の感情はさ、猫とか犬の画像映像見てたら多少収まるから

まずは落ち着こうよ。

誰かにストレス発散しても、その負の気持ちめぐりめぐるだけだよ。

カルシウム摂ろう、な。

2016-12-04

喫煙者を散々増やして中毒にさせてから増税する日本政府死ね

最初は安い値段で売りに出して、格好いいイメージ映像も散々つけて、中毒者がたくさん出てから値上げとか、やってることがヤクの売人と変わんねえじゃん!

ってうちの父親(60代半ば)が申しておりました。

 

大麻も解禁して中毒者を多数生産後、増税等で刈り取ってはいかがでしょうか。

http://anond.hatelabo.jp/20161130090016

この世界の片隅にネタバレ含みます

元増田とは少し考え方が違いますが、選ばれなかった過去という話を明確に打ち出しているので、あり得たもうひとつ世界というのは重要な要素だと思います

原爆で母を失ったヨーコは母の左手を握っていたために助かりましたが、すずさんが「晴美ちゃんのことを左手で引いていたら…」と後悔する際に出てくる映像と重ねることができます。終盤にあの凄惨な親子のシーンを唐突に挿入する演出もかなり意図的ものと思います。そしてもしすずさんが左手で手をつないでいたなら、晴美は助かっていたのかもしれません。

分岐ということで考えるならば、北條周作の求婚以前に水原哲とすずさんが結ばれていたら娘が産まれ、もしかしたら親子は広島被害を受けたかもしれません。

そして、おりんさんという人もすず=りんという名前から、すずさんのもうひとつのあり得た姿だったのかもと考えられます

また、もしかしたら兄要一も南洋で生き延びてワニのお嫁さんと暮らしていたかもしれません。

それらのあり得た世界が選ばれなかったのは時代や状況のせいで、またただの偶然にすぎません。そうやって無数の可能から偶然選んだひとつの結果をどう受け止め生きるのか、ということをこの作品は語っているのだと思いました。

そして最後にヨーコという(どこかの世界ですずさんの娘だったかもしれない・もしくは晴美のような)少女がすずさん・周作夫婦出会います

昔おりんさんが西瓜の赤いところをもらったように、すずさんから海苔巻きをもらって、無数の世界が重なり合います

この結末は、海苔を巻いた望遠鏡を覗いて眠ってしまったバケモノ、亡くした右手が描いた鬼イチヤンのおかげだったのかもしれないね、と考えるのはとても素敵なことだと思います

2016-12-03

ドラマ映像ってほんと綺麗になったね

たまに昔のドラマとか見るとびっくりする

2016-12-02

第一回「フェミニストを描く祭」開催!

フェミニストを描く祭」を開催します。

あなたの思う、考えるフェミニストを、あなたセンスで描いてください。

画材サイズ写真映像、どんな形でも結構です。

描けたら、じぶんのブログツイッターフェイスブック等に、この当匿名ダイアリーURLリンクと「第一フェミニストを描く祭」という言葉を書いて、載せてください。

完成したら、いつアップしても構いませんが、一応ネット上展示会としての期日をもうけます

展示会としての期日は、12月11日から12月17日までの1週間です。

以後はそのまま掲載されてても、引き下げても、ご自由に。

私にとって最優秀作品と思えたものには、なんらかの形で連絡を取らせていただき、必ず金一封いたします。

みなさんの作品を、心より、楽しみにお待ちしております

2016-12-01

動物VTR吹き替えをつけるのが大嫌い

どうぶつ奇想天外とかで「楽しかったわん」「嬉しいにゃん」とか吹き替えつけるのが大嫌い。


まだこれらは良いとしても「ご主人さまと過ごせて幸せだわん」とか寒気するね。



そんで最後はこうナレーションで締めるんだろ?

「にゃんとも不思議映像でした」

「うーん、わんだふる」



時代錯誤にも程が有るワ。

電通まつり問題とCMD(ちょまど)問題の奇妙な共通点

http://anond.hatelabo.jp/20161129234656

を読んでて、両者に共通するかもと思ったことを、書く。

別にこれで誰かを貶めようとかそういう考えはないです。


中の人物が若くて可愛い女性である

高橋まつりは可愛い

千代田まどか可愛いデカパイ


社会的に見て「憧れの企業」で働いている

まつりは電通

(ウェイが一番入りたい会社

ちょまどはMSエヴァジェリスト

IT土方おっさんが一番なりたい職業


その企業は、最近事業形態の変更を余儀なくされている

電通ネット広告の台頭に苦しんでいた、特にまつりのいたネット広告部門は詰められていたらしい。

MSがちょまどを採用した理由は、若いエンジニアリーチするため。

TwitterとかでPVを持っているちょまどを採用。(Cloud9内、de:code 2016映像などから。)



これで何がわかるってこともないんだけど、3番目みたいに外圧仕事のやり方を変えると歪みが出てきて、

それで膿みたいなのが出てきて炎上するのかもわからんね。

年末あたりにテレビでやってる1年を振り返る映像

無性に好き

チャンネル時代と終わる日本人

HuluAmazonプライムビデオアベマTV映像付きラジオニコ生ツイキャス

視線を奪われる娯楽が乱立してすっかりTVを見なくなってしまった。



今日流行語大賞ニュースが流れてきたけど、ピンと来ない言葉ばかりだった。

これまでは地上波TVを通じて緩やかに繋がっていた日本人だけど

さらに細かいクラスタで分断され、どんどんコミュニケーションが難しくなっていくだろう。

流行常識言葉だって変わっていくんだ。


移民に反対賛成反対とか言ってるうちに、隣人が(そして自分自身が)

異国の人間のように変質していくと思うと寂しい。

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

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さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

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さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-30

FF15体験版だけやって思ったけど、リアル表現が多くてびっくりする一方で、作品世界リアリティが薄いような気がするんだよな。

料理の質感とか、車の汚れとかいい具合に描画されているし細かいところで「ほー」って思うことは多い。

でもその一方で、「スマホ持ってるのに首都陥落の報を次の日の新聞で知るっておかしくない?」とか、「皇子御一行が旅に出てすぐ金欠って…」とかストーリーの進め方に無理やりな部分が見られる。

フィールドでも、近くにモンスターがわらわらいるような荒野車道でも舗装がピカピカだったり、廃墟が多く並ぶ先に高級リゾート地が現れたり、なんだか納得がいかないことが多すぎる。

最初のうちは圧倒的な映像美で脳の報酬系刺激されまくって楽しいだろうけど、美人は三日で飽きるように世界の粗の方が見えてきて投げ出しそうな気がする。まあネタバレが怖いタイプゲームでもないし、中古が安くなったら買うのが一番かな。

http://anond.hatelabo.jp/20161130182407

今の音楽は金にならないし、流行らなくて社会的影響力もないってことか。

相当好きじゃないとやってらんないね

映像つけてもそれだとね。

Mステ放送中いつもツイッタートレンド入ってるけど、

やっぱり音楽って局所的な話題なのかね。

音楽聞く人減ってるというのにトレンド入りするのはいつも疑問。

それとも、金にならないと流行ってると見なされないだけなんだろか。

いやでも局所的……。

テレビ局ボランティアじゃないしね。でも音楽番組ってボランティアだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20161130180629

30-40代向けの音楽を多く流すのは

1)番組の決定権を持つプロデューサーがその世代 自分が分かる企画を通し勝ち

2)「CDを買う」文化根付いているのがその世代 なつかしさによる購入を狙えるため、レコード会社に喜ばれる

3)新規収録をする制作費がないので、過去映像を流せば0円←これが主原因

2016-11-29

【追記】矛盾した動物愛護

氷漬けにされた魚の上を滑るなんて残酷だと言う人をSNSでみた。そういう人が投稿している写真をみてみると動物由来の食べ物や服を身にまとっていたり、動物を娯楽とする遊びを楽しんでいる様子が見れる。おかしいと思わないのだろうか。

屠殺動画サイトでみれる。生きたまま毛皮を剥がされる様子や、サーカス競馬関係者動物罵声を浴びせたり執拗に叩いたりしている映像ネットにある。これは残酷ではなく、魚の上を滑るのはかわいそうなのか。

テレビで魚を解体する様を映していたりするのは何故だろう? 人でやったら惨たらしいと問題になるはずだ。それと、スーパーコンビニなどに動物死体が並んでいる。この動物大量虐殺正義に反していると思わず、魚を凍らせるのは悪事だと騒ぐのか。

多くの人々が動物虐待だって騒ぐ時、被害者なのは犬や猫だ。日本の有名な動物愛護団体が守っているのも犬や猫だ。他の動物達には動物権利がないというのだろうか。

感謝して食べるから良いんだという理屈は、カニバリスト肯定する思想ではないか

動物を愛するって、どういう事だろう?


【追記】

矛盾した動物愛護

魚は痛覚がないので哺乳類の生皮剥ぐよりよほどマシだとは思うんだけど、ただたんに「キモかった」んだと思う

2016/11/30 01:27
<script src="https://b.st-hatena.com/js/comment-widget.js" charset="utf-8" async></script>

魚に痛覚があるという研究結果があります

http://news.bbc.co.uk/2/hi/sci/tech/2983045.stm

http://www.news-postseven.com/archives/20150208_301457.html

次に、魚をみて「生き物だ」ではなく「食べ物だ」と捉える人が多い事に驚きました。確かに食べ物を粗末に扱うのは反対です。でも、魚は食べ物ではなく命ですよね。殺す事は可哀相ではなく、凍らして滑るぞってなってからようやく良心が痛んでいる。魚を殺すのは良くて犬や猫を殺すと牢屋に入れられるのはなぜでしょう?

これは種差別です。私はそれを否定しているのです。なぜ「魚を殺すべきではない」という私が間違っているとされ、動物虐殺する側が良しとされているんでしょう?

あと、ブコメをみると私の考えを誤解している人が多いです。確かに、質問ばっかり連ねていたので私が悪いです。

私は、動物権利を求めるヴィーガンこそ非暴力主義者であり、徹底した動物愛護だと考えています動物奴隷の如く扱われているんです。

さらに言いたいのが、動物を食べているのに魚を凍らせるのを「かわいそう」だとか言って反対するのは矛盾した動物愛護だという事。魚は命ではなく食べ物だと捉えていたのなら、納得はしませんが理解できます。でも、やっぱり間違っていると思うのです。

感謝すれば、供養すれば、動物虐殺して食べても良い」というのは道徳的ではありません。あなたは「感謝してくれるなら私を殺して食べて良い」なんて考えているのでしょうか? どの動物が「私を殺して食べてくれ」なんて言ったのでしょうか? どこに「どうぞ私を奴隷にしてくれ」なんていうマゾ動物がいたんですか?

屠殺をみてください。無実の動物達は強制収容所の如く閉じ込められたあげく殺されるんです。食肉工場で働く人は、肉を食べる人のために動物を殺しているんです。ここまでして肉を食べる必要がありますか?

ヴィーガンじゃ栄養価が足りないなんていう噂をきいたことがあるかもしれません。嘘です。ビタミンB12が摂れないなんて信じているかもしれませんが、畜産業界のプロパガンダです。かいわれや海苔から摂取できますし、これは抵抗あるかもしれませんが土からも得られます

肉の味が恋しいと思う人がいるかもしれませんが、野菜や豆にスパイスをかけて肉の味を再現したヴィーガン料理が売ってます調理法なども検索してみてください。


はてブで「社畜奴隷扱いされている」という趣旨発言を何回かみた覚えがありますが、家畜に関してはみたことがありません。動物だって奴隷扱いされているんです。動物の大量殺戮に加担するのを辞めましょう。

ここまで言ってこそ、本当の動物愛護です。これが言いたかったんです。犬や猫だけ守る人なんて中途半端です。

この世界の片隅に」がエロくてびっくりした

ネットの「この世界の片隅に」絶賛、感動、泣いた感想が溢れかえってる中でとても言い辛いんだけど、主人公のすずさんめっちゃエロくなかったですか?



誤解しないでほしいんだけど、このエントリネットに溢れかえるこの世界の片隅に」絶賛感想の1つです。

それを踏まえた上でもう一度聞くけど、すずさんエロすぎないですか?



私は、「この世界の片隅に」がヒットした理由、それはこの映画人間の全てが詰まっているからだと思っています

愛、恋、喜怒哀楽、争い、妬み、僻み、優しさ、厳しさ、冷たさ、残酷さ、いじめ、後悔、希望過去未来、悪意、戦争友情家族愛、姉弟愛、大人子ども嫉妬、衣食住、絵、歌、救い、絶望、生、死・・・・・・



あげてくと切りがないんですけど、人に纏わる全てのことがこの映画には入っていると思っています

「〜って要素ある?」って聞かれたら「あるよ」ってノータイムで即答出来るレベルで全てが描かれている。



で、ですよ。

勿論あのシーンです。夫の周作言われてすずが幼馴染の哲と一晩過ごすあのシーンですよ。



天然で能天気なすず、結婚初夜ですらおとぼけかまして色気ゼロだったすず、そのずずがあの夜だけ大人の女になるんですよ。そのギャップときたら!

繰り返しになりますが、このエントリはいかにエロかったか!を熱弁する記事ではありません。この映画にそんなエロ要素がある事実にびっくりしたんです。



「この映画には人の全てが詰まっている」と書きましたが、私はまさかエロまで入っているとは思っていなかったんです。

戦争を扱っている作品という事実、うっすらと聞く原作の評判、予告映像、あの絵柄、それらからこの映画エロい要素があることを予想出来ましたか



ほとんどの作品は、何かを主軸にして何かを切り捨てるんですよ。極端な例えを出すと、美少女日常系アニメ男性キャラ排除するような。

でもね、この作品は全てを描いているんです。一から十までただ描写するんじゃなくて、全ての要素をすくい取ってるんです。



からただひたすら料理をするだけのパートもあるし、ただただ日常系アニメのような会話をするだけのパートもあるし、夫以外の男と一晩過ごすパートもある。

それでもって、「戦争」っていう作品全体を支配してしまうなテーマをただの事実として受け入れている。「戦争」もこの映画で描かれる要素の1つに過ぎないんです。



そして、その要素の1つにエロも入っている。その事実に驚いたんです。ああ、そこまで描ききるのかと。何も捨てないのかと。



映画の上映が終わった後、後ろの席の男性がこんなことを言っていました。

「これ、なんでこんなヒットしてるの?全然からない。別に何もなかったじゃん」



すごく正しい感想だな、と。この映画には、人の全てがあります。でも、特別なことは何もないんです。ただただ、人としての当たり前があるだけなんです。

「何もなかった」と「全てがあった」がそのままの意味で同時に存在する、そんな映画でした。エロい

俺はね、小学生の時にCASSHERNをみたんだ。

ませてたから、これが評判があまり良くない部類に入るだろうと、見終わった時には勘付いていたよ。

それでもやっぱり子どもの心にはあの映像ストーリーが響いたね。

今でも時折見返しては、当時感じた熱量がよみがえってくる。

もちろん酷い部分は酷いままだし、知識経験を積んだ分、新たに酷いなと思うところも見つかる。

それでも、travelingSAKURAドロップスMVを繰り返し見ていたとき気持ちがよみがえってくる。

あいった強い映像に憧れていた気持ちが思い出されてくるんだ。

から、この映画は多分俺にとって特別ものなんだなあと思う。

これからも時折思い出したように見返すだろう。

何度も見返していると、一時期は酷いと思ってた部分を、これはこれでいいなと思えるようになることもあるんだ。

たまに、わいたようにクソ映画代表として名前が挙がると、世間からも忘れられてないんだなあと思って嬉しくなる。

CASSHERNタイトルをみて、事故みたいに本編をみる人が少しでもいたらいいなと思うよ。

それで、新たによさの断片を発見してくれるようなことが、ほんのちょっとでもあったらいいなと思うんだ。


http://anond.hatelabo.jp/20161127011651

言い辛いんだけど「この世界の片隅に」がエロくてびっくりした話

ネットの「この世界の片隅に」絶賛、感動、泣いた感想が溢れかえってる中でとても言い辛いんだけど、主人公のすずさんめっちゃエロくなかったですか?



誤解しないでほしいんだけど、このエントリネットに溢れかえるこの世界の片隅に」絶賛感想の1つです。

それを踏まえた上でもう一度聞くけど、すずさんエロすぎないですか?



私は、「この世界の片隅に」がヒットした理由、それはこの映画人間の全てが詰まっているからだと思っています

愛、恋、喜怒哀楽、争い、妬み、僻み、優しさ、厳しさ、冷たさ、残酷さ、いじめ、後悔、希望過去未来、悪意、戦争友情家族愛、姉弟愛、大人子ども嫉妬、衣食住、絵、歌、救い、絶望、生、死・・・・・・



あげてくと切りがないんですけど、人に纏わる全てのことがこの映画には入っていると思っています

「〜って要素ある?」って聞かれたら「あるよ」ってノータイムで即答出来るレベルで全てが描かれている。



で、ですよ。

勿論あのシーンです。夫の周作言われてすずが幼馴染の哲と一晩過ごすあのシーンですよ。



天然で能天気なすず、結婚初夜ですらおとぼけかまして色気ゼロだったすず、そのずずがあの夜だけ大人の女になるんですよ。そのギャップときたら!

繰り返しになりますが、このエントリはいかにエロかったか!を熱弁する記事ではありません。この映画にそんなエロ要素がある事実にびっくりしたんです。



「この映画には人の全てが詰まっている」と書きましたが、私はまさかエロまで入っているとは思っていなかったんです。

戦争を扱っている作品という事実、うっすらと聞く原作の評判、予告映像、あの絵柄、それらからこの映画エロい要素があることを予想出来ましたか



ほとんどの作品は、何かを主軸にして何かを切り捨てるんですよ。極端な例えを出すと、美少女日常系アニメ男性キャラ排除するような。

でもね、この作品は全てを描いているんです。一から十までただ描写するんじゃなくて、全ての要素をすくい取ってるんです。



からただひたすら料理をするだけのパートもあるし、ただただ日常系アニメのような会話をするだけのパートもあるし、夫以外の男と一晩過ごすパートもある。

それでもって、「戦争」っていう作品全体を支配してしまうなテーマをただの事実として受け入れている。「戦争」もこの映画で描かれる要素の1つに過ぎないんです。



そして、その要素の1つにエロも入っている。その事実に驚いたんです。ああ、そこまで描ききるのかと。何も捨てないのかと。



映画の上映が終わった後、後ろの席の男性がこんなことを言っていました。

「これ、なんでこんなヒットしてるの?全然からない。別に何もなかったじゃん」



すごく正しい感想だな、と。この映画には、人の全てがあります。でも、特別なことは何もないんです。ただただ、人としての当たり前があるだけなんです。

この映画を見て「なにもなかった」って感想をもった方。あなたは、とても正しい。

アニメーション考察なんかよりも明日パンの方が大事

自分が通うアホ大学でも映像を見て色々と考察することがある。

そして気づくのは、大量製造されるアニメ映画などの考察なんかよりも明日、いや下手したら今日パンの方が大事だということだ。

これは非常に穏やかなアニメであるソラノヲトを見て、疲弊した精神と肉体を癒やしていながら言うことではないのかもしれない。

だけども、やっぱり明日パンのほうが大事であり格差貧困問題から目を逸しているようにすら感じる。

映像というものに飽き飽きしており、神戸大学やらの経営学部経済学部に編入できることを夢見て下手の横好きで英語を気を散らしながら勉強している。

結局は、カネとセックスだと思っている。

2016-11-28

この前に姪っ子が録画したミュージックステーションをぼーっと見ていたのだが

オリコンベースにしたランキングのコーナーが短縮されていたことが気になった

そのコーナーではシングルランキングしか紹介しないし

6位以下はテロップ表示だけで

TOP5だけを映像ナレーション込みで紹介していた

しかランキングコーナーが短縮された代わりなのか

トピックスコーナーでその週のビルボードチャートが紹介されていた

いよいよCD売上だけではヒットソングが測れないことが世間に浸透し

オリコン権威失墜が表面化してきたのだなと時代の流れを感じた



月並みだが、ディーンフジオカがユーリ!!!onICEのOP担当したというVTR

何気なく流されていたのも軽く衝撃的だった

時代の寵児とも言える人気俳優

特に意味もなく深夜アニメタイアップソングを歌うことも昔はあり得なかったが

Mステがこれにフォーカスを当てインタビューまで行ったなんて

僕がティーンエイジャーの頃はアニメ存在のもの無視されて然るものだったのに

http://anond.hatelabo.jp/20161128070857

映像美だろうが、訴えかけてくる演出いかに話が素晴らしかろうがもう政治的に正しくないって時点でダメだよね。

2016-11-27

君の名はこの世界の片隅には同じ消費をされてるのにそれをみとめない界隈

方面白かったよという人は健全です

ただこう言うと、この世界の片隅に派が突っかかってくるので増田にでも書いとく

というのも「この世界の~」の批評はその作品世界の描き方というより、とにかく圧倒されたという文言がよく見られるから、それなりの人は自覚があるんじゃないかと思うんだ

そりゃそうだ説教されに金払うやつは変態くらいなもんで実は映画批評イデオロギーとか視点などというものは、さして重要ではないと思っている

いや、結果論として重要だろうとは思う。「あーたのしかったね」の次のものとして、考えさせられるなにかがあるとなお良い

はい最初映画として映像作品として、なにかすごいものを見せてもらおうという渇望が最重要から

新海誠はこの点でアニメとしては映像美を極めていて、それってどうなのという批評もなくはないが、少なくとも世間での消費のされ方は「映像がすごい」だろう

素直な感想だと思うしいいと思うんだよね。何の問題もない。

からこの世界の片隅にが、空襲シーンがすごかった、軍事描写兵器描写が緻密だねみたいな批評が踊るのは普通のことだと思う

ただ、その勢いでついつい説教臭くなくていいなどという反ポリコレ的な言動が出てしまうのかもしれないし、私はその点でわからないでもないし、素直な批評だなとは思う。

ただ残念なのは、やはりタイトルの通りなことを私が言うとネット上で吹き上がるひとが何人かいたということだ

さんざんエンタメとして消費したくせに、君の名はとは違うという残念な批評が出てくるわけで、こういう自覚のない連中面倒だなと思うわけだ

こういっちゃなんだが「この世界の~」は漫画原作だ。テーマだけ消費したいなら漫画を読めばいい。

なんでこのひとたちアニメというか映画にしなきゃ消費しないんだろうってことだ

まり結局、映像のすごさを期待していったに違いないのに、原作付きアニメ映画批評として誠意がないなと思ったりもした

漫画原作実写映画自分出演者の〇〇君や〇〇ちゃん目当てで見に行くやつらと同格になりたくないという感じなのだろうか



映画アニメ役割はなんなのか

とくに原作があるアニメ映画はどうあるべきかという一つの回答としてこの世界の片隅には素晴らしいと思う

しっかりと映像としてすごい。これはどんな天才漫画家でもどうしても無理がかかるものであるし、あるいは一人の個人としてでしか届かない取材によって見えてくる密度が大幅にアップデートされている

これは集団で捜索する映画の利点であろう。

しかし残念なのは扱ってるテーマテーマなだけに、そのファン過激なことを言い出す残念さだ

この世界の片隅派の残念なほかの映画へのヘイトコメントや、あげく映画批評を飛び出し政治的残念さまでも引き起こすまでになってしまったなと思う