はてなキーワード: 映像とは
SOPAとPIPAに対する戦いを、ハリウッド対シリコンバレー、
インターネット政策の支配をめぐる2つの巨大勢力の衝突、と考えるのはありがちな落とし込み方ではある。
しかしその構図は、まったく正しくない。
法案が廃案になったのは、抗議行動の拡大のおかげだ。
しかしその勝利を仕立てたのは、わかりやすい名前のない、既存のロビイストではない何かである。
論争に際してもっとも強力でもっとも重要な声を発するにも関わらず、最近まで議会の目に映らなかった何かである。
その何かとは、あなただ。
あなた個人がそうでなかったとすれば、あなたの隣人、あなたの同僚、あなたの友人、あなたの子どもたちだ。
何百万人という人々が、自分の地元選出の議員に、オンライン著作権防止法案と知的所有権保護法案への反対を要請した。
その「組織化」ができたのは、自分たちの日常に深く入りこんだウェブサイトを守りたい一心からだ。
このような種類の変化には、新しい声が多数必要である。
IT産業の大企業にはたしかに、新しい政治的影響力があるかもしれない。
しかし彼らの戦いは所詮、同じ小瓶のなかで細部を争うものにすぎない。
彼らはいままでもテーブルにつき多額のお金をつぎこんでいるため、もはや立場を変えることができない。
それだけでなく彼らは、利害関係者と投資者に制約されてもいる。
広告出稿者、取引先企業、顧客との関係も同様に保たなければならない。
同じ制約は、ウィキペディアとその利用者や寄稿者には当てはまらない。
我々のプロジェクトにある何億単語ものテキストと何百万枚もの画像は、私たちの資金と同じところから来ている。
その結果としてあるのが、誰にでも読め、再利用できる自由な知識である。
ウィキペディアを築く労力は、別の方向に向かえば、棚いっぱいのアルバムを作曲したり、観尽くせないほどの映画を製作していたかもしれない。
その代わりに、その労力は世界の知識への制約なきアクセスを生み出すことに向かった。
我々がクリエイターとしての権利を守るということは、我々が百科事典、映像、ウェブサイト、慈善事業、ビジネスを築くとき、デュープロセスなしにすべてが奪われる恐れをなくすということだ。
知識とクリエイティビティの共有を十分に可能にする法的な基盤を守ることであり、
インターネット利用者のセキュリティとプライバシーを守る技術基盤の上でそうする力を守ることだ。
ウィキペディアの停止のような抗議行動は最後の手段だ。
我々の中核ミッションは知識を自由にアクセスできるようにすることであり、
そのためのウェブサイトへのアクセスを遮断すれば、我々の存在価値の根幹をなす仕事ができなくなってしまう。
しかし、この一日だけの停止は、ちょうどスピード制限の段差のようなものだった。
ウィキペディアや他の似たようなウェブサイト運営を可能にする法的基盤を壊すことは、それ以上の大きな障害となる。
2週間前、その基盤がおびやかされていることを認識した我々は、自分たちにとって初めての挑戦をした。
自らの存在が政治的だということを認め、その存在を守るために声を発したのである。
情報の自由をフルタイムで啓蒙する電子フロンティア財団やパブリック・ナレッジのような組織は、
これまで何十年ものあいだ我々の仕事を可能にするような法的環境を作るために戦っている。
その環境がおびやかされていると知りながら、自らを守るために声を上げず、彼らの努力を無駄にしてしまうことを許してはならなかった。
議会がコンテンツ産業を重視し、彼らのイノベーション、富の創造、生活の改善の力を認識するのはまったく正しい。
ただしすでに存在する著作権行使のための法律が書かれた当時、世界でアクセスできる情報は、
「コンテンツ産業」はいまや、少数の主流のチャンネルだけに限られるものではなくなった。
我々に必要な法律は、広く分散され広い範囲の価値を認める、自由でオープンな知識という力を認識するものでなければならない。
その法律は、1月18日、議会のメールボックスと電話回線をパンクさせた声に代表される、
その力の源泉を認識し理解した上に作られなければならない。
今回の法律が止められたのは、単純に、それが狭い範囲のロビイングだけに答え、十分な精査を経ずに出されたためだ。
我々こそがメディア産業であり、クリエイターであり、イノベーターだ。
その仕事は、そしてその仕事を行うために必要な力は、皆で守るだけの価値がある。
--
本稿はともにウィキメディア財団理事であるウィキペディア創設者 Jimmy Wales と Kat Walsh から寄稿された。
世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトがアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実にタイムスリップを経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものである。しかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像、叙情的かつ繊細なバックグラウンド・ミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージ性である。この例に限らず、何らかのメッセージを受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ。
先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカはワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在の日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実の齟齬のせいであの物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的に孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージに価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。
面白かった^^「さらば愛しの大統領」柴田大輔氏が監督してます!
公式コメントより
独立国家宣言をした世界のナベアツが、大阪合衆国初代大統領に就任!そんな時、謎の大統領暗殺予告が届く。
大阪府警捜査一課随一のアホコンビ、早川刑事(宮川大輔)と番場刑事(ケンドーコバヤシ)が暗殺犯の捜査に乗り出すが…。
次々現れる暗殺犯!操る謎の組織とは!?二人の刑事は大統領を守ることができるのか?合衆国に未来はあるのか??
○ギネスに申請!? 関西先行公開初日 舞台挨拶ツアーダイジェスト
○爆笑未公開シーン集(取調べNG大賞、ホルモン飛ばし選手権、神埼恵のナベアツ大統領インタビュー、「3」を言う世界の子供たち)
○さらば愛しの大統領クイズ(世界のナベアツ監督/ガイル/中川家/サバンナ高橋/フットボールアワー岩尾)
○公開直前サミット(世界のナベアツ監督×宮川大輔×ケンドーコバヤシ×レイザーラモンRG)
○串かっちゃんダンス(初級編/上級編)
出演者
宮川大輔、ケンドーコバヤシ、世界のナベアツ、吹石一恵、釈 由美子、大杉漣、志賀廣太郎、前田吟、宮迫博之、仲村トオル、水野 透、剛、礼二、高橋茂雄、河本準一、小杉竜一、岩尾望、RG
Oriconより
宮川大輔×ケンドーコバヤシが大統領暗殺犯を追う二人の刑事を熱演した、お笑いギャグ・エンタテインメント。独立国家宣言をした世界のナベアツが、大阪合衆国初代大統領に就任。そんな時、謎の大統領暗殺予告が届く。大阪府警捜査一課随一のアホコンビ、早川刑事と番場刑事が暗殺犯の捜査に乗り出すが…。次々現れる暗殺犯、操る謎の組織。二人の刑事は大統領を守ることができるのか!?特典ディスク付き2枚組。
元記事
http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html
9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そらが社会の理想と希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果的であるといえる。
その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピーは日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。
ネット上の無料コピーによる、著作権侵害が違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権を侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号は場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民の意識に応じて法を変えれば良い。
そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも、国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。
(終わり)
日本のメディア間の隔絶について 日本のおけるネットとオールドメディアの最適な関係の構築方法の模索
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネット、TV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。
また、ネットとTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネットの人間がTVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。
そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上位である憲法の重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。
現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法の理念に基づいた行動というのを国民が意識するようになったら、憲法の解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。
そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙で当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民にポジティブな意識、モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVもネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。
そしてネットとTVと新聞の世界を繋げるために、政治家はTVで希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。
大阪の政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。
また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国等海外で人気があり日本でも知名度の高い
この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。
私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットのTV、新聞がどのような役割を果たしているかということある。
TV・新聞といったオールドメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネットが日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から、今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。
まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である。
という見知でこの文章では、各メディア(主にネット・TV・新聞)の主張を捉える。
そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民の感情について考える。
まず、311の地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。
この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。
私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫氏である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。
当然である。原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。
そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。
私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見が交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年~一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会に意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。
その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織が善意でネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTVの比重が大きい人間に、ネットの情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。
だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人が原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人は政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報は政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本のネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発の科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民の意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネットの情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。
原発の科学的情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的の効果を最大化させるために取り得る方法は何か。
国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民は政治に希望と期待などのプラスの感情、モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報を自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。
当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付けが全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。
それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院に入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。
病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語の勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダーに全然アクセスしなかった。
それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当にblogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福を志向する事の美しさみたいなものを学んだ。
話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットのblogにも情報は届くからだ。
そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。
その方法論を私なりに書きたい。
まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法は理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44
常人なら近づいただけで瘴気にやられて体調を悪くする勢いなんだけど。
室温の変化による導線のバンド構造中の励起電子数の変化を抑制することで音質がなめらかになる、とか言うとマジで信じて大金払う人がいても全然おかしくない世界。
映像方面も割と似てる。
ネットで禁煙情報を収集してみたら驚くほど禁煙がうまくいっているで
新年から禁煙を始めようと思っている人に自分がいいと思った禁煙情報のサイトを紹介します。
(まだ2ヶ月しか禁煙できてないのだけれど私的には奇跡に近い。)
PCのみ 利用可能
ここで禁煙を始める前に一通りの一般的な禁煙に関する知識を仕入れられる。
あくまで、ふーん程度の知識なのだが、あるとないとでは全然違うのでさらっと読んでおく。
依存には
身体的依存(ニコチン依存)と精神的依存(習慣)があると理解。
どうしようもなくイライラしたのはニコチンのせいなのだと知った。
ニコチンとかタールとかの違いもよく分からなかった私には役立った。
禁煙外来を探している人は家の近くに禁煙外来がないかここで検索するといい。
PCのみ 利用可能
http://www.health.ne.jp/library/kin-en/index.html
読みやすく、分かりやすい。
記事が細かく分かれているので長すぎて読み疲れるということがない。
http://www.health.ne.jp/library/3000/w3000142.html
1禁煙する理由の確認
2 喫煙行動の観察
3 傾向の分析と対策づくり
と読んでいいなと思った。
禁煙日数が延びていくと命の木とかいうのが成長していって面白い。
PCのみ 利用可能
よくあるアフィリエイトに誘導するような記事がないので
素直に読んでいくことができる。
http://www.kyposky.net/content4.html
この部分だけは私ならそのままずるずるいってしまうと思った。
全体的にはいい内容だと思う。
アフィリエイトが多いのが若干残念だが
「禁煙励ましゼミ」はかなりいいのでそこだけでもおすすめする。
メールで励ましゼミがあるようだがメールアドレスを登録するのが嫌で使ったことはない。
毎日配信してくれるようなのでこちらの方が便利かもしれない。
送られてくる内容はWEB版とメール版で違うようなので両方利用するといいかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/azakeri/20050926/p2
考えさせられる。
実体験の話はやはり言葉の重みが違う。
PCのみ 利用可能
http://zenritsusen.karou.jp/threewall.html
<禁煙第1の壁>
<禁煙第2の壁>
<禁煙第3の壁>
段階による体の変化が分かる。
http://www.youtube.com/watch?v=DaPdVn4ETC0
若干の胡散臭さはあるけれど、内容的にはそういう仕組みだろうなと思う。
「喫煙する権利なんざ、ガキと貧乏人と黒人と馬鹿にくれてやるよ」
が全ての動画。
タバコの煙を避けたい人には非常に便利。
かなり役に立ったと思うものをまとめてみました。
私自身、知識を得るだけでここまでうまくいくとは思わなかったのでびっくりですが。
・ポケットがかさばらない。
・ごはんが美味しくなった。
・お金がかからない。1日2箱だったのでタバコの代わりに毎日本が買える。
・喫煙所を探さなくてすむ。
・のどをしょっちゅう痛めてたがそれがなくなって体調がいい。
・体が軽い。
楽しみ方は人それぞれ。ところで、
901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/03(火) 21:41:13.78 ID:boZAFiJD
1区 「大迫くん!!!区間新確実ですねー♪」→後半伸びず
2区 「平賀くん!!素晴らしい走りですねー♪」→プチブレーキ
3区 「矢澤くん!!もう東洋を捉えましたねー♪」→後半引き離される
4区 「うーん・・・あのジャンプ走法だと後半伸びません!キリッ」→区間賞
5区 「今日は柏原くん、本当に苦しそうですねー、今日は熱いですからwww・・・いやー柏原くんらしくないですねー♪」→区間新記録
6区 「市川くん、平地になって止まりましたねー、前じゃなくて上に飛んでますよ♪」→区間賞
7区 「しだらくん、ぜっこーのこんでしょんなんじゃねーですかねー(棒」→区間新記録
8区 「いやー、足太いから登り問題ないですねー区間新記録まちがいなし!!!」→惜しくも新記録は出ずも区間賞
9区 「もうタイムとか関係ないねー、ただタスキ繋げばいいんですからー(棒」
10区「顔の筋肉まで全部使って走ってますねー」→区間賞 「去年は柏原くんだけのチームでしたからー」
散々「今年は気温高い」、「今日は暑い」言いまくる→直後に雪が降る
34 :名無しさんにズームイン!:2012/01/03(火) 08:39:06.49 ID:syfVGGZe
http://www.ntv.co.jp/anata/20110123.html
「毎年感じることですが、解説者が早稲田大学贔屓はどうにかならないでしょうか。
視聴者が皆、早稲田大学を応援している訳ではありません。もっと公平に解説出来る人に代えるべきだと思います。」
「必ずしも解説の方、実況のアナウンサーも含めて、なるべく平等に特定の地域も贔屓しないように心がけておりますが、どうしても後輩への思い入れなどが強くて、
その様に受け止められたかもしれませんし、また、レース序盤からどうしても早稲田大学が、先頭の解説の方がいる、移動中継車の目の前にいるシーンが多かったために、
例年以上にその様に、印象を受け止められたかもしれませんが、その他の選手に対しても、きちんと素晴らしいポイントは褒めて、評価をさせて頂いておりますので、
次回以降、バランスの取れた解説実況をお願いして、いきたいなと思っております」
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http://itunes.apple.com/jp/app/xochi/id451940189?mt=8
YouTube上に違法アップロードがあるのを前提に作られたアプリとか色々あるけど、その作者はその点何も気にならないのかな。
「音楽はYouTubeで楽しんでます」みたいなことを平気で言えるような人達が、「このXochiってアプリ神だわーiPhoneでも音楽タダで聴き放題だわー」みたいなことをTwitterでツイートしたのをその開発者がリツイートしまくってたりしてて、見ていて「節度ねぇなぁ」と思う。
最近の音楽業界もねー自分が歳くってきたからかおもしろいものが減ってきていると思ったりもするけどねー、CDが売れるかどうかが死活問題な人達もいるわけで、そういう人たちの生活蝕んでるって意識とかないのかな。そういえば「君のラジオ」にも随分前に同じような事感じたなぁ。
まぁ悪いのは違法アップロードをしている連中なわけなんだけど。それを広めることに加担することへの意識というかなんというか。
かたやTwitterやってるミュージシャンがYouTube上の違法アップロード音源動画やMVを平気でツイートしてたりもするし。自分のもの、他者のもの含めて。そういうものへの考え方も色々だし単純でもないねぇ。
違法アップロードしてる連中全員いなくなれば良いし、代わりにミュージシャンオフィシャルチャンネルでMVフル視聴とかライブ映像一部視聴みたいなコンテンツがもっと増えて、そういうものを楽しむためのポータブルデバイスアプリなんかが出てきたら素敵なんだろうけどなぁ、と夢想する。
10年前に公開された真珠湾攻撃の映画を思いついたように観て、
第二次大戦前、世界の有色人種のほとんどすべてが白人の植民地支配下で自立と尊厳を奪われている中で、
白人が優れているから有色人種は差別されても仕方が無いという当時の世界の「常識」を覆した、
記念すべき大事件だったのだ。
白人の専売特許と信じられていた近代科学技術を駆使して武装した飛行機をアジア人が操縦し、
戦艦を撃沈し、軍事施設を木端微塵に爆破し、白人を爆撃して蹴り散らしている。
当時どれだけの有色人種がこの光景を目の当たりにして、快哉を叫び希望と勇気を持っただろうか。
この映画はアメリカの国威発揚のために製作されたものであるが、
皮肉なことにも、世界規模で消費されるハリウッド映画であるだけに、
アジア人が白人をこてんぱにする映像を世界に放ったという点で、別の意味で衝撃的な映画と位置づけられたことだろう。
そして奇しくもこの数ヵ月後イスラム過激派によるテロが発生し、
真珠湾攻撃になぞらえられた。
実際はルーズベルトの謀略に嵌められただけと言えるし、
負けることは最初からわかっていたのだから、鉄則を守っていなかったという点で愚策ではあったのだろうと思う。
しかし、有色人種が近代科学技術を使って白人に対抗したという点で、
この事件は、宿命であったと言えよう。
先人たちの勇敢さに感謝しなければならない。
まあ、ニコニコ動画が出てきたときも、「コメントがウザすぎて映像が見えない!」とかよく言われてたけど、でもなんだかんだそのスタイルは受け入れられ、今や数多のクローンサービスが立ち上がるくらい当たり前のものとして定着していったのに対し、ニコニコ静画 (電子書籍)のコメントシステムは根本的に抱えてる問題が多すぎる気がする。
ニコニコ動画の「映像に文字を重ねる」というコメントシステムがなんで受け入れられたのかなーって考えると、それは字幕映画なんかもそうなんだけど、「映像は右脳で処理し、文字は左脳で処理する」という、人間の脳にとって負担が少なく無理のない処理の仕方だったからなのかなと思った。文字に注目しているとき映像はただの背景になってるんだけど、画と音は文字の背景でいながら同時にある程度の精度を保ったまま(当然映像だけに注目してるときに比べ何割かの情報は欠落するけど)脳にインプットすることができるし、その「なんとなく」入ってくるレベルの情報でなんら問題がなかった。
ところがニコニコ静画 (電子書籍)のように「文字に文字を重ねる」という見せ方は、左脳ばかりをフル回転させることになるので、とても疲れるし脳が混乱してしまう。どちらかに注目すればどちらかは背景になってしまうんだけど(実際、書籍を読んでいるときコメントは表示されないようになっているし、コメントを表示するとき書籍はトーンダウンして背景になってしまう)、映像と違って背景になった文字は完全に背景でしかなく、理解できるレベルの精度を保ったまま両方の文字を同時に処理し意味を理解することはできない。
結局、ニコニコ静画(電子書籍)の使い方 - ニコニコ静画 (電子書籍)にあるように、「まずはコメントなしで読んで、二周目をコメントありで読めば、二度楽しめるな…!」的な使い方になってしまう。でもそれってすごくメンドクサイ。やっぱニコニコ動画と同じように一連の流れの中で両方同時に楽しみたい。もちろん文章を途中まで読んで、いったんコメントを表示して読んで、また文章に戻って続きを読んで…というような読み方でもいいんだけど、それはそれで本を読む流れというかリズムがいちいち中断されてしまうので、すごくストレスがたまる。
じゃあどう改善したらいいのかって考えても、これはなかなか難しい。
ただ少なくとも感じたのが、書籍や漫画の場合、大抵文字は縦書きになっていて、人間の視点移動が上限運動になっているのだから、コメントもそれに合わせて縦書きにしたほうが読みやすいんじゃない?ってこと。実際、書籍や漫画の欄外注釈だって、普通は内容と同じ縦書きになっている。内容を読んでいて、ちょっと視線を欄外に持っていて注釈を読んで、また内容に戻っても、さほど疲れたりしないのはそのためだと思う。これがニコニコ静画(電子書籍)の場合、文章を読んでいるとき視点は上下運動になっているのに、コメントを表示すると急に文字が横書きで流れてくるもんだから、視線の動きがあまりにも不規則になりすぎて、脳にすごく負担が掛かるし、とてもじゃないけどまともに読み続けられるものじゃない。
ということで、コメントは書籍内容に合わせて自動的に横書き表示になったり縦書き表示になったりするか、もしくはユーザーが自分でコメントの表示方法を変えられるようにするオプションとか付けたらいいんじゃないかなーと思う。あと無理にレイヤー表示せずとも、書籍の左右や上下に(欄外注釈のような)コメント表示エリアを作って、そこにコメントを流すようにしたほうが、変な二度手間をかけず両方同時に楽しむことができるんじゃないかな、とも思ったりする。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14749021
全部で57分。よくこんだけ喋れるなぁ。
10分あたりまで作品解説。11分あたりから批評開始。作品自体については20分くらいまで。
そのあとは「こうすればもうちょいましだったんじゃね?」というはなしが続きます。
この記事では11分から20分までの内容をまとめます。興味が有る人は、続きも聞いてみてね!
1:みなみがチームの勝利に貢献してる様が少なくとも映像としてはほとんど描写されていない
あっちゃんは、監督とチームのみんなとの心のつながりができるきっかけを作るところでは活躍したんですが、
それ以外では、ほとんどチームの勝ちに貢献していないんですね
直角ベーランで13秒の超俊足
常時前進守備を可能とする守備力
2:真摯さ、ひたむきさを演出されているのはあっちゃんではなくて、後輩の女の子と病床にある友人
3:作中で冒頭で顧客と集団の目的を定義するシーンがあるのに、作品そのものが顧客無視した作品になっているという皮肉
もし僕が、この映画をドラッカーのマネジメントに従ってこのもしドラを定義付けるとするとこれは「アイドル映画」ですね。
「アイドル映画」の目的は何かというと、アイドルを輝かせることですよ。
ところが、あっちゃんには彼女が輝く瞬間が全然与えられてないんですよ。
最初にむしろすごくネガティブな女の子として登場して、早々に部員との関係を悪化させ、それが良い方向に回収されないまま終わるんですよ。見せ場がないんですよ。
友人が死んだシーンでも、彼女が主役となって部員のモチベーションをあげるべきなのに、逆に「だから野球なんて嫌いだったんだ」とふてくされておもいっきりモチベーションを下げてるんですよ。
むしろチームのみんなはヤル気になってるのに、ひとりだけヤル気ねーって言ってるんですよ。これ最悪ですねー
とにかくネガティブな方、悪い方へばっかり行くんですよ。
その後夢枕にドラッカーが立って、一応試合場には戻ってくるんですけどなにもしないで試合見てるだけなんですよ。
優勝したときも、別に彼女が戻ってきても、チームのメンバーは彼女のこと別にどうでもいいって感じなんですよ。
彼らは病気で死んだマネージャーのために頑張るけど、あっちゃんのことはどうでもいいんですよ。むしろやなやつですよ。
これあっちゃん居場所がどこにもないじゃないですか。これは問題ですねー。
こんな感じで「アイドル映画」としての目的を果たしてないんですよ。
原作はどうか知りませんが、映画として、商品としてみたときに、主役を輝かせ、チームと一体化して勝利し、観客を楽しませるという目的を果たさなければいけないのにできてない。
商品としての問題性があるわけですね。
いやーなんというか、ここまで惨めな経験をしたらそりゃ将来は、http://anond.hatelabo.jp/20110813173752 こうなるわな。
ストーリーはある。軸はある。でもその周りに何もない。うれしさ楽しさがないんですね。
キャラが輝くこと、映像が美しいこと、笑いがあること、恋愛、ハラハラ、勝利、心のくすぐり・・・
こういった娯楽要素がことごとく抜け落ちているんですね。
このあとは同型の作品として「がんばれ!ベアーズ」という作品を持ちだして、比較しながら「もしドラ改造計画」について語ります。すげえ面白いです。
ちなみにこれだけだと不公平なので、こっちを載せておこう。
http://blog.livedoor.jp/ack_2ch_movie_review/archives/3486573.html
渋谷に住んでて、勤務先も渋谷で、当日は夕方からの仕事だったから地震直前まで寝てたなー。
それがどんどん津波に沈んでく映像を見てヤベーじゃんこれ、と。絶対数百人は死ぬだろうなと。
んで地震から2時間くらいして、予定通り自転車で勤務先に向かおうとしたが、マンションのエレベータが止まってて大変だった。階段を下りきったら今度はとんでもない人ゴミでビビる。246を歩いて帰る人の群れがすごい。
数回「自転車貸してください」って言われながらも勤務先へ。勤務先に着いたら「とにかく数日分の食料でも買って家へ帰れ」と。あとはずっとテレビと2ch見てた…
弱者優先で考えれば、小学生の通学路に、自転車を誘導することは良いこととは思えない。
と、思う。何のことか以下に書いてみます。
14時くらいに駅から自宅へ向かって歩いているとき、カメラを抱えた数人組を何組かみかけた。
事件かな?で気になって15時くらいに野次馬しに行った。
記者会見している感じ。
見通しの悪い一時停止の曲がり角で、一列に三台が停車。
警官が曲がり角は車や人を注意するようにのようなことを後方の2台に云っている。
でも3台目までには聞こえてなさそう。
で、再出発していった。
その様子を報道陣のカメラは、道路の中程まではみ出して撮影を続けていた。
多数の小学生。
小学生はカメラをよけて道の中程まではみ出て、他の自転車とニアミスをしたりしている。
そばにいたおじさんに聴いてみると
「自転車安全ルート推奨マップ」の発表をTVにしているらしい。
これからテイク2みたいだよ、と教えてくれた。
つまり、先ほど自転車に乗った警官自転車1台と後続2台は、「学生4人が警察官と一緒にルートを確認」中だそうだ。
そう見えなかったから「え?」という感じ。
テイク2ということは、確認している様子を何回もやんのかなぁ~?
これが、いわゆる、TVを作るという事かしら?
・烏山通りを走行する自転車は危なく感じていたので、良いこと。
どのくらい認知度があるのかなぁ?
自転車が増え更にニアミスの危険が増えそうで、危なくなるのかなぁ
・この道は、見通しの悪い細い住宅街もあるので、
自転車が増えたら危ないなぁ
・前から気なっている日■女子体育大学の一部の2台・3台で横に並んで話しながら走る自転車や
歩行者でも数人で広がって話しながら歩いている。
・遠回りしてまでココを通る自転車がどのくらいいるのかなぁ?
で、TV報道の行方は、検索をすると何件か見つかったし映像もニュースで再配信されていた。
・もう少し自転車のマナーが悪化していることも伝えて欲しかった。
・TVを作っているところを見た。
もう一度書いちゃう。
講演一発目。
ソフトバンクモバイルの中山五輪男(いわお)さん。iPhoneの販推をやっている「シニアエヴァンジェリスト」だ。
現在、割合の25%超を占めているのが卸・小売業、次いで20%のメーカーである。
メーカーとしては製造現場にて指示書がペーパーレス化したり、営業のプレゼン媒体になったりしているとのこと。
一方、金融機関としては試験導入中の期間が複数あり、今年以降に爆発的に増える見込み。
スマートデバイスの契約数はますます右肩上がりに増えていく見込みである。
紙、デジタルサイネージ、薬の包装、音楽、映像からアプリを通じてwebに接続できる。
セカイカメラがARのひとつ。ドラゴンボールのスカウターみたいに、現実世界に外部から呼び出した情報を付加する。
http://tm.softbank.jp/business/white_cloud/videos/smartcatalog/
CA用の研修マニュアルは3冊2.1kgしていたものをiPadにすることで0.7kg(おそらくバッテリーは除く)にした。
この研修マニュアルは搭乗するたびに持ち込む性質のものらしく、軽量化はありがたい話。
また、電池の持ちがよく、ウイルスもゼロ件(ご存知Androidは質の悪いアプリにウイルスが潜んでいる)
浄水施設の点検をペーパーレス化、点検項目の漏れのチェック機能をつけている。
テクノツリー社という小さな会社が製造・流通のマニュアル作成に長けているとのこと。
(6)HOYA (SUNTECH)
感光式のサングラスで色の変化スピードを説明するときにビジュアライズすることで、営業説明と使用感のギャップが減ったらしい。
(口頭説明ではわかりにくく、事後的なクレームが多かった)
(7)AIU保険
東日本大震災の損害調査として米本社からiPadが送られ、SmartAttackというシステムを活用。
割愛
(9)BMW
iPad(280台)によって営業4-5日から1.5日減でクローズ
顧客とのコミュニケーションとして、車の外装・内装のシミュレーション、仮想の工場見学などを行える。
割愛
thinkpadを全部iPadにリプレース。営業のツールとしてアプリや映像を活用。(個人に営業トークに頼らず、営業フローを標準化したと言える。)
Microsoft ExchangeやOutlookは全部Google App (26000 ID)にする予定。BCPとして日本にサーバを置いてられない。
http://tm.softbank.jp/business/concierge/dm/
(14)iPhone 4S
「Siri」が特徴。業務システムに応用されるというのが講演者の予想。
twitter:@iwaonakayama
二発目。ヤマサのマーケティングの話。「(自称)超成熟マーケット」の醤油。
Facebookやtwitterなどあらゆる媒体を使って、消費者を包括的に網羅して360度にアプローチしようと試みていた。
消費者は中身を知りたがっているのであり、メーカーの中身を見せて、コミュニケーションをとれば、味方につけられるようだ。
三発目、DNPのC&I事業部(Communication & Information)メディア・コンテンツ本部の講演。
後段はB2Cにソーシャル・メディアを用いてアプローチするノウハウをDNPが持っているという話。
たしかにソーシャル・メディアによる販促は効果測定が難しい。そのノウハウを仮にDNPが持っているのならば素晴らしいことだ。
果たしてソーシャル・メディアはB2Bに使えるのか。会場から質問が出た。
回答はB2BでもB2Cと本質は同じであるという。しかし、それは本当であろうか。
たとえば、車のボンネットが新日鉄製であろうがJFE製であろうが消費者にとってはどっちでもいいんではないだろうか。
わからん。
(実質5分しかないアニメなのに40秒近く尺稼ぎをやらかした回もある)
けいおんを見ると時々そんな感じの尺稼ぎっぽいシーンが
ちょくちょく散見される。気がする。
そういうときはたいてい新曲なので、
誰も気にしていなかったかもしれないが、
ただ新曲か使い回しかの違いだけで、無音で映像だけ見たら「これチャー研じゃね?」
今更言っても無駄だと、それがJ-CAST連中のやり方だと言ってしまえばそれまでかもしれない。Jカス絡みでこんなのはよくある事だ。けどやっぱり今回の仕業にはあまりにも目が余る。
これについてだ。
「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース
この記事は、朝日新聞社のサイトで連載されている小原篤の連載コラム「アニマゲ丼」を発端として書かれてるものだ
こちらがそれ
そもそもは11月12日に東京芸術大学で開催された、「第2回 映像メディア学サミット LOOP-02 マンガ・アニメの映像メディア学的再考」というセッションに押井守が参加し、トークした内容が大本になっている。
その模様はユーストでアーカイブとして見れたが、20日までの限定配信で現在は見れない。
まず「アニマゲ丼」の記事は、見出しが示しているように「若者は夢は持つな」という旨の発言を軸にしている内容である事がわかる
以下引用
asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
「やさしい、というのは、励ますとか慰めるのとは違う。『親身になれた』という意味で、それまでは若者のことはどうでもよかったのが目を向けるようになったということ。で、若い人のことを考えれば、本当のこと、残酷なことを言わざるを得ないと思い、ちょうどそのころ中学生や高校生と話す機会がたくさんあったので、こういう話をした。あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性もないんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人のウソを信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ、夢を持つな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ――というところから始めたらどうでしょうか、と」
なんて身も蓋(ふた)もない、と思いましたが08年8月11日の本欄で私は「スカイ・クロラ」について「あまりに救いのない、というか身も蓋もない結末ではありませんか」と書いていたのを思い出しました。
ここが「アニマゲ丼」で一番取り上げたい部分なのだろう。
この押井守の主張に関する是非は置いておくとしても、この記事自体はバイアスがかかっている気がする。
実際の講演は第2部「アニメーションと日本の戦後社会―ロボット、サイボーグ、アンドロイド、そして人間」というタイトルが付けられている通り
パトレイバーや攻殻機動隊を監督した者として押井がロボットやアンドロイドのあり方を問い、技術論を語り、さらに原発の話題にも振れていくところが主体の講演だった筈だ
ここのスカイクロラの部分はほとんど寄り道であって、「アニマゲ丼」の記事を書いた小原篤の主観として誇張気味に書いている節がある。
いわば押井の講演内容からコピーしてトリミングして、そこに小原自身の主観を交えながら書かれている記事だ。
J-CASTはそこから更に、何故か突然「萌えアニメ」「ハーレムアニメ」などと言った単語を挿入し、押井守が今の萌え・ハーレムだらけのアニメ業界に苦言しているようにも取れる記事を書いている
まずアニマゲ丼から、押井が今のアニメに苦言しているという部分を引用する
asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
そして現実の劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで「表現」の体をなしていない。
これはどちらかというと、アニメ監督をすることで「誇大妄想の極限を味うことができる」部分に目が行くと思うのだが
前後をぶっちぎって、今のアニメのほとんどはコピーのコ(略)の部分に脊椎反射している人間が多いようだ。
しかしこの記事のこの部分は全貌するとこうなっている
asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
押井監督は、日本人が科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、その技術の核たる思想、技術をゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが今回の原発事故を生んだと指摘。様々な当事者の認識を改めるために今回の事態をヒロシマ・ナガサキに続く「第3の原爆」と呼ぶべきだと訴えました。「技術の思想」の欠如は、ロボットに「かっこよさ」のみを求めるアニメ製作者の思考にもあてはまる、と自作「機動警察パトレイバー」をもとに批判を展開し、そして訴えかける核を持たない日本アニメは、その表層を細緻(さいち)に描き込み磨きあげることで「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得したと分析。工芸品的に細部を作り込みたがるその日本人的な意識が、細緻(さいち)な映像表現に好適なロボット・アンドロイド・サイボーグなどへと向けられた結果、肉体や自意識をめぐるテーマへと結びつき、つまりはアニメという表現形式が発展過程でテーマをはらんでしまったのだと説き明かしました。そして現実の劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで「表現」の体をなしていない。あと、ユニコーンガンダムのツノはアイデアとして面白いけど、だからどうなの?
ってな話を約2時間、相変わらず、とうとうとまくしたてたのでありますが(上のまとめは少々わかりやすくかみ砕いてます)メモをとるのが疲れました。私はそれより、新作の話はないの?って聞きたかったんですけど。
ここで「アニマゲ丼」の記事は終わる。
訓練された押井信者(笑)ならば、ここは「ああ、最後はいつもの押井で終わりだな」と、顔をほっこり緩めるところだろう。
「アニマゲ丼」としてはこれをオチの部分にしたかったに違いない。
アニメはコ(略)などはほんの極一部分にしか過ぎないし、これだけでは押井が真剣に憂いているのかどうかもわからない。
さて、J-CASTの方を見てみよう
「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース
朝日新聞は2011年11月21日付けの電子版コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは
「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」
と語ったという。つまり、制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメはオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから「表現」が制作者から無くなった、という批判だ。
確かに11年9月から始まった20本近い新作テレビアニメを見ると、さえない男性主人公の周りに美少女が群がる「ハーレムアニメ」が驚くほど多く、過去にヒットした「ハーレムアニメ」作品と共通する内容がかなり多い。
突然どこからか「萌え」「ハーレムアニメ」という単語が出てきた
押井が言いたいのは「アニメという現実に縛られない媒体を使うことで、監督の自己主張を完全な形で広められる。こりゃたまんねえ(快感)。でもそこまでやる奴ぁもうほとんどいないよね」という事を言いたかったのでは?これも俺の主観ですけど。
どちらにせよ「オタクの消費財」や「コピーのコ(略)」が萌えアニメやハーレムアニメだけを指しているというのは暴論だろ
その発言の直後に出てくるのはガンダムUCだし
J-CASTはあくまで「ネットでそう反応されてる」と言い訳のように使ってる
「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (2/2) : J-CASTニュース
「アニメ業界が飽和しすぎで、コピー品を粗製乱造しなきゃ回らなくなってる」
「売らなきゃ食っていけないからな。安定して売れるのがオタク向けの萌えやエロ」
などと納得する人もいるのだが、現在主流となっているアニメのファン達は、自分達の趣味趣向、好きなアニメを批判するのは許せない、と激しく反発。しかし理論で立ち向かえないからなのか
などといった作品批判や、人格批判へと発展し、大混乱となっている。
これでJ-CASTの記事は終わる
J-CASTとしては、「ネットでは押井守が萌えアニメを非難していると言ってる」として、そこを拡大解釈しまくってこんな記事を書いたのだろうか
そもそもそのネットってのはどこのネットを指してんの?2ch?
ちなみにニュー速+では
【話題】「今のアニメはオタクの消費財と化し表現の体をなしていない」押井守さんの発言でネット上は騒動に
というスレッドが立ったが、それはJ-CASTの記事を受けてのものだったし、★4まで伸びたがそれ以上の次スレは立っていない。(追記、★6辺りまで伸びたっぽい?)
一体どこで"大混乱"になってるのか全然思い辺りが無いんですけど。
押井守の東京芸大での講演が、「アニマゲ丼」がダイジェスト記事にしている時点ですでにコピーだし
それを読んで、どこかのネットでは「押井守が萌えアニメを馬鹿にしている!」と憤慨しているならさらに劣化コピーで伝わるべきものが全然伝わってない
嫌が応にもリッチ化する。
映像面以外に「ゲーム専用機を買わないユーザ」へ訴求できる要素なんて殆ど無いんだから、作り手売り手は近いうちにそういう路線に舵を切らざるを得なくなるよ。
システムそのままに絵だけを綺麗にするだけなら技術の無いメーカーにも比較的簡単だしね。
ゲーム性とか演出とか斬新なシステムとかを前面に出しても「ゲーム専用機を買わないユーザ」にはピンと来ないでしょ。
それにスマートフォン推しの連中だって、ちょっと映像が綺麗なゲームが出たら「これでもうゲーム機は要らなくなった!」みたいな感じで盛り上がるよね。
要するに、ソーシャルがうんたらかんたらという話は所詮は一過性のブームで、そのうちゲーム専用機への回帰が始まるよって話。
でもって、アプリケーション開発の中でもゲームソフト開発はかなり特殊なので、一朝一夕でどうにかなるわけじゃないから、この業界でゲームで真剣に生き残りたければ今のうちに準備しといた方がいいよ、みたいな。
つまりスマフォは、「いつでも遊べる」というカードのみで、今後ゲーム専用機と戦い続けなければならないことになる。携帯ゲーム専用機に関してはそれさえもカードとしては強力とは言いがたい。
しかしそんな不毛な戦いを挑むゲームソフトメーカーなど現れないだろうから、ゲーム専用機とは別のカテゴリの娯楽として存在することになるだろう。それは既存のゲーム専用機の領域を「多少は」食うだろうが、果物にたとえるならば皮の部分程度で、芯に到達することはないはずだ。
AppleにとってもGoogleにとっても、ゲーム機能は自社製品を普及させるための付加価値の一部でしかない。だから万が一ゲーム部分と他の付加価値が競合する事態になった場合、前者を優先することは絶対にありえない。対するゲーム専用機メーカーは、自社製品をゲーム機として普及させるためにあらゆる選択肢を模索するだろう。高価すぎるという批判に対応するためにPS2ソフトの互換機能をオミットしたPS3の例や、販売不振を挽回すべく発売からわずか半年で1万円の値下げ(実質4割引)を実行したニンテンドー3DSといった事例もある。
そもそも、「何でも出来る」がうたい文句のハードやOSが、ゲーム専用機にゲーム分野で太刀打ちできるはずがない。
それは「何でも出来る」はずのWindowsのゲーム分野で主導的なポジションを作り上げながら、その市場の小ささゆえにわざわざゲーム機を発売したマイクロソフトが証明してくれている。
WindowsがインストールされているPCなど、世界中に何億台、下手をすれば十億台以上は存在しているはずなのに、ゲームソフトの売上や販売本数ではゲーム機に完全に負けてしまっているのだから。
これらが今後のスマートフォンにも当てはまることは自明だろう。
といったものがある。
真面目な質問なようなので、真面目に答えます。
政府が「最終的にどうなるか」に関するレポートをもっているかどうかは「分からない」です。もちろん。一定のそれをもたずに一体どんな政策決定ができるのかは分かりませんが、もっていない可能性はもちろんあります。ですが、私が「算数の結果」と言ったのは、かならずしもそのことだけではありません。その点誤解があるように思います。
まず、はっきり言えることは、「ただちに」を聞かされる側は「ただちに影響があるかどうかについてのコメント」(国語)だけが関心事ではないことくらい、政治家なら分かっているだろうということです。最終的に何が起こるかが分からないとしても、分からないなりにどのような事態や対策を想定しているかについて(算数)説明するのが適切であり、たとえば企業がクレーム対応する場合などでも、そうした対応フォーマットが用意されているでしょう。そういった対応のことを「算数の結果」と言ったのです。影響が分かる場合も、分からない場合も、いずれの場合でも、「今後どのような予測があり、どのような対応が求められるか」についての説明が必要だ、ということです。
なぜ、そう言えるかというと、枝野さん自身が「ただちに」という言葉は、すぐ影響がでるかどうか(国語)、ということだけを言ったのではなく、将来的にはどうなるか分からないよという意味を込めていた(算数の結果も含んでいた)と後になって述べているからです。算数の結果を言わなければならないということは、当然認識しておられた。にもかかわらず、国語の結果に見せかけて、もう言ってましたよ、と言い訳してる。次の動画をご覧いただければ、本人がそう述べてます。リンク踏むのを警戒される場合は、youtubeで「枝野会見 直ちに影響」で検索し、5月20日付けの会見映像を探していただければオッケーです。
http://www.youtube.com/watch?v=jf_vxPJuMZc&feature=related
「国語の結果」だけ言ってすました顔をしてる。後から追求すると「国語のときに一緒に言ったつもりだったので」って、言う。そういう対応って、どうなんでしょうね。
国語とか算数とか言うとかえって分かりにくいですかね。たとえばビル一階で火災が起こったとする。下を見てきた管理人が、つめかける上階の住人に「ただちに火は回らないから」と説明する。それで説明になっているのか。「部屋でじっとしておっても直ちに影響はない」が念のため2階と3階の人は避難した方がよろしい、と。後から分かったことで、実は発生したガスで4階5階も汚染されてた、と。追求すると「ただちに影響はないと言ったが、それは、5分後とかにはまだ何も起こらないというだけの意味で、これからどうなるかは分からないという意味だった」と言う。
「ふざけんな!」とならないですかね。これでも「発狂してるのは放射『脳』だけ」なんでしょうか。
…とはいえ、私は枝野さんはそれなりによくやったと思ってます。あれだけの状況の中、責任あるポジションの人間として国民の前に立つ、それだけで、気の弱い人なら心臓麻痺起こしそうなシチュエーションです。それを、碌に睡眠も取れないような状況下で耐えきり、パニックも起こさずしのいだ。それだけで、賞賛してもいいくらいです。嘘の一つや二つついても全然許せるレベル。ただ、そのことをもって、批判者を揶揄するのも、どうかと思うんですよ。嘘は嘘だし不完全は不完全。そこは認めるべきでしょう。「ただちに」を繰り返しやがって、と怒る人がいるのは、当然だと思います。