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はてなキーワード: 村上春樹とは

2017-03-24

村上春樹ってすごいよな

もう働かなくても食っていけるのに

ひたすらもくもく働いてる

ももう70近いのに

読まないけど

2017-03-21

クリスマスがない世界

そう、ちょうど僕が村上春樹の良さをわからないみたいな。

2017-03-17

小説登場人物や出来ごとの整理。

村上春樹小説が楽しめないんだよね。みんなどうやって本を読んでいるんだろう。

有名な1Q84いや、情景描写というか、一つ一つはいいけど、20ページぐらいでなんか、ふーん、って感じで止めた。

タクシーで高速に乗っておりて道路公団の話とか出てきたのは、憶えているけれど。

短期記憶が、弱いらしくて、どうも個別のことを、整理して記憶するのが苦手で、主筋が見えないとなかなか、分からない。

から人生自体も楽しめないのかなって思ってしまう。

  

辛うじて、最近読んだ長編小説だと、宮城谷さんの晏子ぐらいかなー。それも

人物相関図・家系図みたいなのを、チラシの裏に書いて、なんとなく、読んだ。

司馬遼太郎のも、割と話というか、説教臭い話があるからかなー。

登場人物が、個性的だったり名前や筋を、どこかで聞いていて予備知識があるからよみやすいのかな。だいたい人間関係処世術テーマにしているし。)

  

ビジネス書とかは、読めるんだけど。

漫画単行本とかでも、もくじの前に、あらすじや登場人物の顔が描かれていて、ざっくりと、おさらいが出来るけど。

そんなに漫画では苦労しないけど。

小説は、苦手になってる。。

  

ーー

村上春樹1Q84

ウィキで、あらすじを読んで、うわ。全然イメージしていた話と違うなーと。ちょっと、びっくりした。。

  

  

恐る恐る

けもフレの海外ブログへの日本人コメントで、「ディストピアなのに登場人物イノセントで」、と知ったかぶってるのが怖かった。

イノセントって単語サリンジャーフィッツジェラルド村上春樹継承する文脈中の文脈で、

下手に口にすると文学方面から猛烈なツッコミが入る系なんだが。

もちろんイノセンス押井守は分かってタイトルを付けてる。

彼はイノセンスについて、ことわざだけで物語形成することは出来ないか、というヒントを語った。

ことわざとは脈々と引き継がれてきたもので、イノセンスは今までの物事を繰り返している。

まり純粋さなんて怪しげなもんだ、というメッセージともとれる。これは一義的もので他にも当然議論余地はあるだろう。

けもフレ以前のサリンジャーフィッツが描いたイノセントイノセント故に狂気的で、狂気であるから世界否定しようとする。

フィッツの『グレート・ギャツビー』は世間的な社交界を開く面々を白眼視し、ニック曰くの高潔なるジェイを変彼の中で祭り上げる。

もし仮にけもフレがイノセンス文学ならば、狂気的なイノセンス故に前段階の文明は灰燼に帰したのだという描写があったり、

今の関係性を狂気的な手法で維持するといった、イノセンス帰結を描くのではないかと思われる。しかし本当にそうなのだろうか?



追記:ブコメツッコミならともかく鬱陶しいだけなんですが。

2017-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20170310164655

今時南京大虐殺はなかったとかいってる奴に自分の本を読まれなくて村上春樹もほっとしてるだろう

カフカ

海辺のカフカまでの村上春樹は読んだが、その後、しっかりした取材もしたようにも見えないまま、南京大虐殺はあったと言い出したことから、ああこの人は自分の頭の中だけで生きている人なんだ、支那国の主張をプロパガンダとして捉えることが出来ず、米軍戦後の「戦中戦前日本悪者論」にどっぷり浸ってしまった、かわいそうな人なんだということがわかって、この人の本はもう読む気がなくなった。

2017-03-09

村上春樹騎士団長殺し』の南京虐殺記述について

 村上春樹騎士団長殺し』新潮社南京虐殺記述は、この作品登場人物免色渉の台詞として出てきます

(以下引用

「(前略)正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者あいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいますしかしし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」

 もちろん私にはそんなことはわからない。」

引用おわり)

(「私」とは、この作品主人公である画家の「私」のことです。)


「『しか四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?』」と免色渉が言っているにも関わらず、あえて数字について紹介すると、

四十万人」と言っている歴史学者はおそらく加藤陽子氏。(正確には「犠牲者数については、数万人~40万人に及ぶ説がある」)

「十万人」と言っている歴史学者はおそらく笠原十九司氏。(正確には「10万人以上もしくは20万人に近いかそれ以上」)

 他に、中国政府見解は30万人以上(南京軍事法廷判決数字が元)、東京裁判判決20万人以上、秦郁彦氏は4万人上限、板倉由明氏は1万5千人程度としている。

 日本政府見解外務省HP)は、

「1 日本政府としては、日本軍南京入城(1937年)後、非戦闘員殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えていますしかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています

 2 先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。

 3 こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日内閣総理大臣談話の中で明確にしました。」

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308190738

自分エンタメとして割り切って読んでるので

村上春樹社会問題に対する回答を求めて読むというのがちょっと理解できない

騎士団長殺し

匿名ダイアリー界隈だと、誰も村上春樹の新作、読んでないですか。私は発売日に買って、翌日未明には駆け足で読み終わりました。



書評も、少しずつ出ているけど(当方朝日新聞の読者)、なんだか奥歯にはさまったような、村上ビギナーにはオススメ! みたいなことになっている。

1Q84を読んだときには、これはすごい、今までのテーマがきれいにまとまっている、集大成だ、ノーベル賞狙いにきた、と思ったのだけれど、

今回の作品は、何が新しいところがあったのだろうか。つまらない言い方だけれど、進歩がない。定番モチーフが出て、そのまま終わった印象なのだけれど、

私の読み方が足りないのだろうか。



東日本大震災があったから、当然、作品になんらかの反映があると思ったわけです。ところが、主人公東北にいったことがあったよ、みたいな、

非常に限定的言及に終わっている。オウムや、阪神大震災村上さんの作品に与えたような何かが、『騎士団長殺し』にはないわけです。

阪神大震災東日本大震災も、本質的には変わらないということなのだろうか。関東人間傲慢であったか、、、。



「そもそも」という話になるけれども、出自のよくわからない子供を受け入れて、それが希望象徴といういつもの終わり方が、

実はそこが本当の地獄の始まりではないのか、という思いが、私個人は捨てきれない。人前ではとてもいえないが、

子供を持たなかった作家限界ではないのか、という反応が、自分でも卑しいなぁと思うけれど、どうしても出てしまう。



今日新聞には、作家小野正嗣さんと、キャンベル先生の評が出ていた。キャンベル先生は、これは主人公再生するという物語なのだと。

ちょっと納得した。でも、今の日本人は、『騎士団長殺し』を読んで再生に向かいますか? 私にはちょっと無理だった。

何かが足りない。『騎士団長殺し』にも私自身にも。それが何か、よくわからない。

2017-03-05

小説漫画と違って天才画家を登場させやすいよな

って村上春樹ニュースを見て思った

2017-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20170228225844

サンドバック待機だろ。「村上春樹面白いですよ!」って反論たらみんなで「村上春樹好きとか頭おかしい」ってサンドバックにするための質問から。お前がうまく避けたのでみんなガッカリしたんだよ、良かったな。

http://anond.hatelabo.jp/20170228225844

村上春樹平野ノラは似ている。

今朝気がついたんだ。

ああそうだ。文学界ラッセンだ。

ええんやで、大きく叫んでええんやで。

http://anond.hatelabo.jp/20170228225844

これは村上春樹批判ではなくて、元々この方が好かれていないだけで、間接的にあなたが好きじゃないという意思表示なだけだと思う。

村上春樹好き嫌いがわかれるし、嫌いな人から見たら村上春樹もそのファンも「変人」に見える。

その大多数の人が一致する感覚的なものを使って、ここでこの人たちが言いたかったのは「あなたが嫌い」ということ。

実際にあまり気が合っていないようですし。

まぁ、この同僚の人たちは確かに村上春樹も嫌いなんだろうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20170228225844

ミスチルライブによく行くということと似ている気がする。

B'zとか矢沢永吉さんもファン自称されるとギョッとしてしまうところがあるけど、

ファン層が特定の年齢層に偏ってるし、何より村上春樹が醸し出すまどろっこしい印象をあまり感じない。

innocent world」や「Sign」を歌うことはあっても

ファンだとはあまり思われたくないというような心理がどこかにある。

偉人名言集とか読んで勢に浸る人だと馬鹿にされるかもしれないか公言するのを躊躇してしまうというようななんというか。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228225844

俺も村上春樹好きだけど村上春樹が好きな奴ってメンヘラっぽいから関わりたくない

登場人物の誰とセックスしたいかとかどのセックス描写が一番よかったかとか

そういうのならいくらでも語りあいたいんだけど大体無理そうな感じだしな

http://anond.hatelabo.jp/20170228225844

村上春樹作品って全般的に何が言いたいのかよく分からないんだよね。かと言って単純な娯楽小説と切り捨てることも拒んでるような感じだし。

ハルキスト自称するならその辺分かっててほしい(そして教えてほしい)、みたいな期待があって、「あ?ハルキスト自称するならお前じゃあ教えてくれよ」みたいな態度になりがちになる。

これがサリンジャーとかドストエフスキーなら、こっちも大体テーマが分かってるからファンに対して優しく接することができる。

村上春樹が好きだと言いづらい

僕は村上春樹が好きだ。

町田康とか舞城王太郎とか池澤夏樹とか、他にもいろいろな作家が好きだけど、一番好きな作家を選べと言われたらやっぱり村上春樹だ。

今回発売された新作『騎士団長殺し』も、マスメディアで恒例として取り上げられて騒がれている。

マスメディアで騒がれると当然、全く興味のない人の目にも付く。

そこで、職場でも今日たまたま騎士団長殺し』の話題になった。

(正確には「たまたま」ではなく、ある意味では必然的ともいえる。マスメディアかく恐ろしや)

Aさん「そういえば新作出たねー。まあ全然興味ないけど」

Bさん「本屋で大量に平積みしてますねー。自分も春樹は1冊も読んだこと無いけど」

Cさん「同じく1冊も読んだこと無いっすね…」

そこに居合わせた僕は入社時に村上春樹が好きだと言っていた。

おそらく、この人達はそれを分かって言っているのだと思った。

この話題スルーしようと思ったけど、

僕を試すようにわざと言っていると思ったので、

とりあえず一言

僕「ハルキストほどじゃないですけど自分は春樹好きです」

Aさん「ほー・・・

見事にスルーされた。それ以上なにか聞かれたりはしなかった。

おそらく「村上春樹に興味がない人」にとって、「村上春樹好きな人」は得体が知れない人物だと思っているのではないか

転職したばかりでただでさえ上手く馴染めていない職場の人たちとの断絶が深まった気がした。

ももっとうまい言い方があっただろう。

しかしなぜ、ただ好きなものを好きだと発言することに引け目を感じなければならないのか。

なぜ「村上春樹が好き」だと言うことに引け目を感じてしまうのか。

初対面の人との話題タブーとしてよく挙げられるものに、

「ひいきのプロ野球チーム」とか「政治思想」とか「宗教」とかがある。

そのラインに「村上春樹」も食い込んできている気がする今日このごろ。

http://anond.hatelabo.jp/20170228082526

俺は村上春樹、俺は村上春樹と暗示を掛けながら書いてみれば

2017-02-27

文系永遠に作者の気持ちでも考えてろよ〜作者のフレンズと作者の意

文系は作者の気持ちでも考えてろよwwwという文系に対する典型的煽りがある。

元々がネタスレ気味な2chネタなので、「マジレス」するのもどうかと思うが、「本当に文系は作者の気持ちを考えているのか?」について書いてみたい。




これについて書こうと思ったのは、以下の記事を読んだのがきっかである




けものフレンズ考察班VS哲学的ゾンビ

http://honeshabri.hatenablog.com/entry/philosophical-friends




いずれにおいても、根底にあるのは、作者・製作者の意図気持ち考察することこそが重要という発想ではないだろうか。

しかし、少なくとも現在文学において、作者の意図気持ちを推測・考察することはそこまで重要視されていない。

現在では、神としての作者の意図を探るのではなく、主として、作者から離れた作品のものテクストから何が解釈できるかが論じられるのである

(いわゆる「作者の死」。ここら辺の議論ロラン・バルト以降、色々と展開しているけれど面倒なので省略する。)

この考えのもとでは、文系は作者の気持ちを考えているのではなく、「制作者はそこまで考えてないと思うよ」というツッコミはあまり意味がない。

制作者がそこまで考えてなかろうが、作品自体からその解釈が成り立つなら、その解釈は「アリ」なのだ




では、その解釈が成り立つかはどう判断するか?

作者の意図に沿うかで判断することはできない。

判断方法としては、ざっくり言えば、作品の内容と整合するかを基準として、その解釈が支持を得られるか、という多数決的な方法しか取り得ない。

乱暴方法だが、これしか方法がないのである

文学における解釈とは、このようなルールのもとでのゲームとも言えるだろう。

もちろん、作者の意図を探る、というルールゲーム可能ではある。

しかし、個人的には、それよりも作者の意図を離れた解釈を論じるゲームの方が面白いと思うし、そちらが主流なのだ




では、作者の意図解釈と全く関係いか、というとそうでもない。

作者は、あえて明確には表現しないことにより、解釈余地(穴埋めの余地)を持たせることがある。

受け手がそのような作品解釈をすると、作者がこっそり埋めた宝物を見つけることができるのである

はっきり表現しすぎては解釈余地がない。

分かりにくすぎては解釈しようがない。

優れた文学とされるものは、この宝物の隠し方が上手いものが多い。

現代日本において、これを最もうまくやってのける作家の一人が村上春樹だろう。




もっとも、作者が整合的な解釈を想定せずに作品を作ることがある。

新世紀エヴァンゲリオンがこれだと言われており、上述の村上春樹も、ねじまき鳥クロニクルについて似たような批判がされたことがある。

作者の意図する整合的な解釈を求める立場からすれば、このような行為は、作者の裏切りにも思えるかもしれない。

しかし、作者の意図無関係解釈をする考えであれば、そんなに目くじらをたてることではないのではないかと思う。

もっとも、そのような作品に(作者の意図しない)面白い解釈が成り立ち得るかは別論である




以上に述べたことから分かるように、たくさんの人がけものフレンズについて考察をし、その考察がある程度の人に受け入れられているのであれば、制作者がどこまで考えているかはともかく、その解釈は(文学的に)アリなのである

から変な雑音に対する惑わされずに、考察班においては、思う存分考察をしてほしい。

けものフレンズは見たことがないが、切にそう願っている。

2017-02-26

本田透はどこへ消えた?

本田透」と聞いて、「ああ、あの人ね」と一人の男を思い出す人はもはや少ないかもしれない。

から10年以上前2005年、『負け犬の遠吠え』や『電車男』のブームに反発して、『電波男』というタイトルの本で最もラディカルなオタク擁護を行った人だ。

当時、オタク恋愛弱者で「大人に成り切れない大人」として扱われていた。そんなオタクに対して『負け犬の遠吠え』ではオタク恋愛対象にならない、大人に成り切れないオタクが増えたせいでまともな恋愛ができなくなった、と批判し、『電車男』では「オタク卒業して真実恋愛を見つけよう」と煽った。

本田はそんな風潮にたいして、「いやいや、真実恋愛オタク側にある」と180度傾倒した思想を展開した人だ。

現実社会恋愛は打算が絡み合い、相手を傷つけあうような暴力的恋愛だ。それに対してオタクが行っている脳内恋愛は、誰も傷つけず、打算も絡まない純粋恋愛だと反論したのだ。

本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。

本田オタクキャラクターを愛でるときに使っていた「萌え」という言葉は、恋愛を超克したものだと位置づけた。ネット用語だったこの言葉は一躍ホットワードとなった。

彼の主張は岡田斗司夫の「オタク情報社会に適合した最先端人種」というオタク擁護を引き継ぎ、さらに先鋭化させたものだった。本田自分の考えを深掘りし、哲学史文学史とも接続させて思想的な裏付けをも与えようとした。

このうえ、本田ライトノベルも書き始めた。それは自分思想の「実践」だった。人類が最高に萌えられるキャラクターを生み出せれば、恋愛で傷つけ合う人々もいなくなるはずだ、という考えのもとに行われた。2005年2012年にかけて、ほとんど毎月のように彼のライトノベル刊行された。異常なペースだ。

オタク生活が「思想」や「ライフスタイル」じゃなくなって、「娯楽の一部」になってしまった今じゃ、彼の本を読んでも「何この人、こんなに鼻息荒いの?」としか思われないかもしれない。当時のオタクを取り巻く状況を込みで知らなきゃ、この本の勢いはわからないだろう。

萌え」もすっかり死語になってしまった。当時纏っていた特殊意味合いは今ではなくなっている。

本田2012年に『ライトノベルの楽しい書き方シリーズの最終巻を刊行して以来、一切、本を出さなくなってしまった。

もはや自分の考えを表現することに興味がなくなってしまったのか? セールス的な要因で出せなくなってしまったのか? あるいは大著の準備をずっとしているのか?

その理由は一切わからない。更新の止まった公式サイトだけを残して、彼は長い沈黙に入ってしまったのだ。「本田透、何しているんだろう?」と言う人もいない。あれだけ論争を巻き起こした人なのに、この扱いはちょっと、いや、かなり寂しい。

村上春樹新刊を出して、小沢健二が復帰し、林原めぐみが初ライブをするって聞いて、ふとこの人のことも思い出してしまったよ。

ほぼ30年経ってみて

2017年2月

オザケン19年振りに復活!」的な文言が界隈を踊っているけど

ソロデビューからファンだった自分としては

パーフリ=89年デビューな訳で、

村上春樹は2冊同時刊行するし

斉藤由貴連ドラ2番手につけるし(母役だが)

南野陽子コンサート映像の新作出すし(アイドルコンサートとしては打ち止めらしいが)

今月を振り返ると「ここだけ87~89年感」ハンパない

あくまで、自分の目に映る範囲としてだけど。

ほかにも、東京ラブストーリー続編が刊行されたり、

松本伊代早見優世間を騒がせてしまったりして、

90年代00年代をすっ飛ばして、タイムリープしてしまたかのよう。

オザケンと同年齢だが、当時アラフィフの人たちが

こんなに活躍してたかな? と考えると、「同世代、元気だなー」と思う。

いないのは岡崎京子だけだ。

2017-02-24

おい村上春樹

村上春樹の新作が発売されニュースになっているようなのだが。

なぜこんなに持ち上げられているのかさっぱりわからない。

しか万年ノーベル賞候補なのだ

ますますからない。



そもそもコイツの本は面白いのか。

ハリーポッターより面白いのか。君の名は。より面白いのか。

ひょっとしたら面白いのかもしれない。

しかノーベル賞候補作品なのだ

それがフツーに面白くていいのか。

ノーベル賞とはもっと孤高の存在ではないのか。ストイック存在ではないのか。

そんな作家作品大衆迎合される面白さを持っていてよいのか。

なんか矛盾していないか



そうではなくて芸術的なのか。

およそコンテクストを共有していないであろうノーベル賞選考委員らが

たとえ翻訳されていたとしても思わず唸ってしまうほどの作品なのか。

その割には世間ハルキストだとか深夜販売だとかはウェイウェイしすぎではないのか。

そんな奴らが興味を持ってしまうほど孤高のハードルは低いのか。

なんか間違ってないか



いじってるのか。ギャグなのか。死体を蹴ってるのか。

本当によくわからない。



学生時代ねじまき鳥クロニクルを読んだものの体が拒絶した。

ネットもロクにない時代

周囲の絶賛を横目に私の感性が歪んでいるのかとも思った。

しかし今、一連の騒動を眺めながら、

あの時の私の感性は正しかったのだと改めて思う。



おい村上春樹、お前はいったい何者なんだ。

2017-02-18

村上春樹の新作さっそく読んでみたけど

氣志團五郎

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