「出会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 出会とは

2012-02-21

少年が知人に送った手紙から

※殺された母子の夫に対し

「ま、しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。

  ありゃ―ちょうしづいているとボクもね、思うとりました。

  でも、記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるなら好きにしてやりたいし」




裁判で不幸な生い立ちを演技したことを振り返り

「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出過ぎてしまった。

  私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世の中だ。

  ヤクザはツラで逃げ、馬鹿ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ。アケチ君」




※凶行を振り返り

「犬がある日かわいい犬と出会った。…『そのままやっちゃった』、

…これは罪でしょうか」




※今後について

「5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、

速く出たくもない。キタナイ外へ出る時ば(註: 藤井が「は」を打ち間違えたものと思われる)完全究極体で出たい。

じゃないと2度目のぎせい者がでるかも」

http://anond.hatelabo.jp/20120221003727

確かに、本村弥生さんの人生キャラクターって「天国ラブレター」も含めて、「本村洋さんの妻(彼女)」および「夕夏ちゃんの母」という切り口でしか語られていない。

それ以外の、それこそ洋さんと出会う前の経歴やエピソードどなると殆ど出てきていないし(母子家庭で育ったこともあまり知られていないと思う)。

片や、本村さんの少年時代の闘病生活などは結構採り上げられているのに。

2012-02-20

光市母子殺人犯死刑確定事例に学ぶはてなリベラルソリューション

世論司法介入」ソリューション

suterukami 事件, 司法

殺せ殺せの大合唱に負けた司法。此の件は事件の中身よりも司法側の方針の方が優先され過ぎている気がずっとしてる。そしてそのとおりの結果になった。2012/02/20

今日から使えるフローチャート式!

判決はどちらかといえば世論に近いものですか?y/n

判決あなたにとって気に食わないものですか?y/n

→「世論に負けた司法!」




司法に対する無責任侮辱ですって?

 なあに、誰も証明責任なんか追及して来ませんよ。適当な気分で叫んどきましょう。」




世論司法介入」ソリューション

sink_kanpf 不適切なブックマーク通報する 事件, 司法

結局、法で決したというより、多数決で決したという感じの裁判だったという感想世論的には「理屈とか手続きとかどーでもいいからとにかく吊るせ」一色だったし。 2012/02/20

上記ソリューションのおさらいです!

判決はどちらかといえば世論に近いものですか?y/n

判決あなたにとって気に食わないものですか?y/n

→「多数決で決した裁判!」




裁判制度について無知なアホのコメントみたいに見えるですって?

 こまけえこはいいんだよ!雰囲気で押し切ることが大事です。

 うるせえ突っ込み入れてくる奴が心配チキンあなた

 『印象』とか『感想』とかイノセントを装う言葉を選んでおきましょう。」




ポエムDE転進ソリューション

sillyfish 光市母子殺害事件, 司法, 死刑, 一部ブコメがひどい

人をくびり殺すことを「法相は"仕事"しろ」なんて表現する感性と"犬の交尾"がどれほど違うのか、私にはわからない。殺し屋モノか何かのつもりなの?/法相刑務官にはサボタージュを呼びかけたい 2012/02/20

正面戦況で分が悪いときゲリラ戦術を学びましょう!

敵側が合法だったり適正だったりして言いがかりをつけにくい場合

→とりあえず情感たっぷりに言い変えてみる。

→ばかばかしいと思うなかれ、なんでもやるだけやってみるのさ。



ex.

お金払ってステーキ食ってきた人に因縁をつけてみよう!

切断した死体の肉を噛み裂き血を啜る行為を「食事」なんて表現する感性、私にはわからない。





犬の交尾とは

"犬の交尾"

(※突然「交尾」とか何の話してるのかわからない人のために解説すると

 元少年が獄中から友人に送ったお手紙より、

 >犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか

 のこと。 

 少年なりの深い反省が明らかに身られるのにかかわらず

 不当にも司法はこれを無罪判決材料しませんでした。)

馬鹿にしてたけど

ネット上で出会った人好きになってしまった

一応何回かあったことはある

どうしよう

2012-02-19

ナンパ彼女つくるのは別種のこと

ナンパでついてくるのは頭も尻も軽い女ばっかりってわけじゃなくて、見た目も清楚で中身もしっかりしてる女の子とその日のうちにエッチまで行けちゃうこともある。

でも、その子彼女にできるかっていうと難しいんだよな。彼女という設定にできることはできるけど…。

たぶん同じ子でも、ふつうクラスサークル職場で偶然に出会っていれば、彼女として付き合えるんだろうが、ナンパだと出会い自分意図的に作り出してるぶん、出会い運命を感じない。

世の中にはまだまだ自分の好みのやれる女がいるって学習してしまうと、一人の女に執着できなくなってしまう。相手のほうもそこまで本気の彼氏として見てくれないことが多い(さびしかたから、とか消極的な理由で付き合うからか)。だから長続きはしないな。

あーもう今は楽しい事たくさんあるのになんで昔あった嫌な事ばっかり思い出すんだよクソが

それでへこみすぎて死にたくなるとか意味分かんねーよ

そもそも物心ついた時から弟の方が可愛がられてて、母にとって自分はいらない子なんだろうなあって思って育ったのがケチのつけ始めで

でも昔はその分父が構ってくれたかバランスとれてたけど、その父から中学くらいか無視されるようになったし…

今思えばあれって犬をかわいがるみたいな、自分が構いたい時だけ構える都合のいい存在だったんだろうなあ…

そして普通に仲のいい両親と思ってたけど、いきなり父が浮気して離婚するのしないのって揉めてたくせに、ショックを与えまいとしてなのか全く事情を説明もされず蚊帳の外にされたのも嫌だった

親族会議の時はいつも部屋から出ないように言われて、何かおかしなことが起こっているのに何も言われないのは余計不安になると思います。今でもよくあの時のことを思い出しま

私はその頃に一番仲良かった奴に裏切られてクラスからいじめられていたわけだけど、そんな事には全く気づきませんでしたね

いじめはすぐに和らいだけど、その後も卒業するまで大抵の奴から出会い頭に罵倒されたり嫌な顔されるサンドバッグ役からは抜けだせなかったですね

部活けが唯一の心安らげる場所だったのに、先輩とギクシャクして居づらくなった時は本当に死のうかと思いました

泣きながらスズランテープで輪を作って、首にかけたのを時々思い出しま

両親が揉めていたら祖母が倒れて、看病も虚しく半年後に死んで、遺産相続親族間で揉めて、今まで仲がいいと思っていたものはなんだったのだろうと思いました

中学卒業した後は優しくて尊敬できる素敵な友人たちに恵まれたけど、いつも不安疑心暗鬼かられてもったいないことをしていたと思う

数年かけて、嫌われてはいないと思えるようになったけど、でもそれがいつまで続くかいつも不安に思っている

こんなろくでもない自分いつか嫌われると思ってしま

そもそも人に好かれてるって思ったことない

弟は何もしないで許されているけど私が家事をしなくなったらきっともう私がいる価値はないんだろうと思う

仕事でどんなに疲れてて家事をやっても誰からの労いの言葉もなく褒めてもくれずただ文句だけを言われるのに耐えるのもうやだ…

でも反抗なんてほとんどしたこと無いから面倒くさいし怖いし、何を言ったらいいかもわかんないよ…

一回仕事しながらでも家事手伝うって言った手前言いづらいし…

誰にも必要とされないなら、せめて社会に必要とされる人間になろうと思ったのに就職できなくて、取るに足らない、楽しくもなんともないバイトをしている現状がコンプレックスで苦しいっていうのはわかってるし、このままだとジリ貧から就活とか何かしないといけないのはわかっているのに頑張れなくて死にたい

友達とも遊びたいと思うのにこんなクズ会う価値無いと思うと足がすくむし、人と話したいと思うのに人と会うの嫌と思うとか意味わかんねーよ…

もう何もする気になれないし気持ちが落ち込みすぎて動けない時とかあるし欝かなあって思うこともあるけど、食事はできるし、絵を描く事はやめないしただ怠けてるだけなんだろうな

仕事も行きたくなくて頭痛がしたり吐き気がしたりするけど、行けばそこそこちゃんと働けるし…

そもそも誰にも愛されないし認められないからつらい死にたいと思う事自体ちょっと駄目な気はしてる…他者に評価を委ねる考え方もどうかと…

自分自分を肯定できるようになれれば一番いいんだけどなあ

誰かひとりくらい愛してくれる人に出会えればいいのになあ

ふりでもいいです、適当大事にして抱きしめて愛してるって言ってくれればそれで

身体が条件というなら喜んで差し出すよ、がっかりボディですけどね

苦しい…つらい…

2012-02-18

要するに友人とセックスしたいのだが

どうして社会通念上、友人とセックスしてはいけないのか。

密度には階層があり、最も親密な関係でのみ行われるのがセックスだ。たぶんそれはセックスリスキーもの(妊娠病気、そもそも裸を見せるということ)であるという避けられない性質がるからだ。人間もっとも私的な場面がセックスだろう。

生まれてきたとき、私たちは公私の「公」の中にいる。何一つ隠さず、家族に頼り、生きている。その後出会う他者(外)で「公」を経験する。「公」の中で出会った他者と恋人関係になり、「私」を共有することとなる。恋人は将来家族になりうるから。そういえばセックス家族を作るためのものだし。

友人はおおよそ「公」の域を出ない。その友人とセックスしてしまうことは公私混同するというか、プライベートパブリックものとして公開するような危うさがあると思う。

なんか自分でもよくわからなくなってきた。あと、セックスは秘め事でなくなったらロマンスがなくなってネバついたマッサージ(あるいはスポーツ)のようなものになってしまうと思う。なんだかそうなったらもう夢も希望もないじゃないか。しちゃいけないから、したいっていうのが肝なんだろうな。

そもそも友人とセックスするのが一般化したら、断るのが大変だ。友人/セックス出来る(しい)友人/恋人、という区分けになる。それなら結局あんまり変わらないんじゃ..?

性的ものタブーになりがちだ。タブー所詮タブーであって、破ったって現代日本じゃ罰せられないものも多い。タブーを破るのはスリリングでそりゃもうアガるけど、同時に十字架も背負うことになる。たぶんこの十字架道徳社会通念の正体だと思う。(だから罪悪感これぽっちも抱かないような人間には道徳なんて通用しない。)

セックス楽しいけど、これだけ理屈こねたくなるような代物だ。享楽的に生きるのってイカしてんなーと思うんだけども、ちょっと私みたいな小市民には手に負えない。

[] 松井冬子さんの講演を聴いたよ@2012.02

アーティストトーク「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」at 横浜美術館レクチャーホール, 2012.02.11(Sat), 15:00-16:00。

 

 横浜美術館松井冬子さんの講演を聴いた。彼女個展世界中の子友達になれる」の関連イベント。 

 11時ころ会場前に行ってみたらスタッフの方(美人)がいたので話を聞くと、「どのくらいの方が集まるか何とも言えませんが、現時点ではどなたも並んでません」とのことで、とりあえず個展を鑑賞。同行した絵描き女子はたいへん楽しんだようだけど、私はよく分からんかった。むしろ常設展に感動。あ、でも松井さんの『ただちに穏やかになって眠りにおち』は印象に残った、私は宮沢賢治の『オツベルと象』が大好きだから

 13時ころ会場の様子を見に行ったらもう150人くらい並んでてびっくりした。慌てて最後尾に並ぶ。老若男女が並んでる。一人で来てる人も多い。並ぶときに、スタッフの方からレジュメ」と称される紙が配られたのだけど、松井さんのプロフィールしか書いてなくて残念。

 講演タイトルは「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」。この奇妙なタイトルは、松井さんが東京藝大で博士を取るときに提出した論文タイトルだそうで、講演ではその論文について解説してくれるということだった。

 

 15時。学芸員さんの挨拶に続いて、松井さん登場。

 とりあえずビジュアル的に面白い。つま先から太もも全体まで包む黒いエナメルのロングブーツ! テカテカしている。もともと脚がすごく長いのかヒールがすごく高いのか両方なのか知らないけど、やたら大きかった。

 松井さんの話によると、彼女博論2006年執筆して、2007年2月教授陣の前で発表したのだけど、発表の際に高熱を出していて上手く出来なかったとのこと。今回はその時のリベンジをしたいという。

 で、講演が始まったわけだが、うーん、日ごろ自分プレゼン下手を痛感している私としては、非常に勇気づけられた。こんな下手な講演が世の中にあるのか! 私の前に座ってた中年女性が、講演中に隣の人と「おもしろくないね」と言っちゃうくらいである。

 講演タイトルを見ても分かるけど、松井さんは基本的に、いわゆる「中二病」全開な文章を書く人だ。絵のタイトルも『陰刻された四肢の祭壇』とか『終極にある異体の散在』なんて感じだし、個展の絵にもそれぞれ解説文がついてて、それが全部同じような調子で長々と書かれている。まあ、幽霊とか臓物とかを描くくらいだから、「中二」なのは文章だけの問題じゃないと言われるかもしれないけど、それはともかく。

 不必要に硬い語彙を好んで使い、しかもそれぞれの言葉の組み合わせ方が少しずつ適切な用法とズレていて、さらに主述関係や修飾-被修飾関係があやふやなので、全体として意味が不明瞭。そんな文章を、文字情報なしで口頭で早口で(つっかえながら)読み上げるのだから、分かりやすくなるわけがない。

 と、つい悪口が長くなったけど、私の理解した範囲で要旨をまとめると、

他者との接触は私に痛みをもたらすよね。

この痛みそのものは伝達不可能。痛みとは孤独もの

でもそれを芸術作品に託すことで、目に見える形にして、人に伝達できるのでは。

そういう試みが視覚芸術のなかに確かに存在しているし、松井自身の制作も、その系譜に連なるんだよ。

 こんな感じでした。

 この系譜の探究として、河鍋暁斎とかダミアハーストとかクリスチャンボルタンスキーとか色々な作品が挙げられ、分類され、その流れで自作解説も行われる。(ちなみにその分類の名前は「攻撃性自己顕示実践型/受動自己犠牲変容型/局地的領域横断型」。一貫した中二感。)

 余計なお世話だけど、「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というタイトルでは全然内容を表せてない(うえにそもそも日本語としておかしい)ので、まともに修正するなら「痛覚の覚醒企図する視覚芸術の系譜」ってところでしょうか。

 私の記憶する限りでは、「不可避」の部分が講演のなかに出てこなかったので、もし質問コーナーがあったらお尋ねしたかったのだけど、むしろ講演の後半は時間が足りなくなって、松井さん自身の話さえだいぶ端折られてた。残念。

 ちなみに私の同行者は、「全体としては難しくてよく分からなかったけど部分部分は面白かった」とのこと。例えば、ある作品に描いた孤独幽霊が、少女コミックの主人公のようなものだという話。少女運命の相手に出会うために奇跡を待つのは、逆に言えば奇跡なしには出会い存在しないということであって、そこには極めて近代的な「ディスコミュニケーション」があらわれている、とか。

 

 私は正直、講演の内容自体にはこれといった感想を持てなかったんだけど、にもかかわらず彼女に対する印象は大きく変わった。

 松井さんの文章は、中二病的だ。見た目には間違いなく中二の文章だ。でも、彼女がそういう文章を書く理由は、いわゆる中二病とは大きく違うんじゃないか。講演を聴いてるうちにそう思えてきた。

 全力でカッコつけて(実はカッコ悪い)文章を書き、しかもそのカッコつけた自分に酔っているのは、自意識過剰中学生だ。

 一方、松井さんは、無理やり日本語ねじまげて珍妙な言葉かいをすることを、ある意味でむしろ強いられてるんじゃないか。そうでもしなければ、彼女が何を言っても「美女の言葉」として消費されてしまって、結局何ひとつ表現することができなくなってしまうんじゃないか

 彼女は、整った顔立ちの、いわゆる美人だ。私は、平たく言えば、「どこかで過剰に武装しないとなめられてしまって、男と対等に見てもらえない、それが嫌なのかもなあ」、と思った。感覚的な話だけど、堅苦しい言葉をたどたどしく話す彼女を見ながら、思ったのだ。

 彼女は講演の中でも「メスしか描かない」と言っていたし(尾長鶏はオスだけどドラァグクイーンイメージなので名誉女性と考えているとのこと)、ネット情報によるとフェミニスト上野千鶴子さんのファンらしいから、性に関する問題に強い意識を持っているのは確かだろう。

 ただまあ、こんなふうに分析されるのは、たとえこ分析が実情を言い当てていたとしても(いやむしろ言い当ててていればこそ)、松井さんの立場からすれば不快以外の何物でもないだろう、とは思う。

 残念ながら私には、松井さんの作品自体をフェミニズム絵画として論じるだけのモチベーション能力も無いけれど、そういう見方もできるのかもしれないね。というかできるんだろうね、間違いなく。

 

 長くなったついでに一つ。

 私見では、松井さんは「言いたいことが山ほどあるけど上手く表現する技術がない人」だと思う。だからあんなに自作解説をしたがるのだ(いまネットで少し松井冬子評を探してみたら、彼女自作解説にヘキエキするという人は一定数いるようだ)。 結果、彼女のファンは、「よくぞそれを言ってくれた!(技術はともかく)」というタイプの人と、「グロテスクな絵を描いて、博士号を持ってる、美人すぎる日本画家! おもしろい!」というタイプの人に分かれることになる。あとまあ、「幽霊大好き!グロ大好き!」という人もいるのかもしれない。サブカル

 私自身は、特に彼女同調するわけでもなく、外見や肩書に魅力を感じるわけでもなく、幽霊が好きなわけでもない。そして彼女の文章を容認できる忍耐力もない。

 まとめると、私には彼女について語る資格はない、ということなのかも。(エス)

2012-02-16

今じゃ常識!? AppleGoogleなどの有名IT企業中国語表記!

楽天 楽酷天
NTT 日本电报电话
Microsoft 微软
Apple 浴富留
Google 愚鵜繰
Facebook 富射済
Twitter 雀居田
Yahoo! 八方売
Amazon 数存
Wikipedia 威奇辺
GREE 貢囲
ディー・エヌ・エー 出会慰酔
ソフトバンク 剃伏頭
サイバーエージェント 妻判恵菜奥
はてな 反転京
さくらインターネット 根御宅
ペーパーボーイ 炉利男爵

2012-02-09

人前で身内をこき下ろすこと

先日、友人とその奥さんに会った。

数年前までいつも私と夫(当時はまだ彼氏だったけど)と3人で遊んでたけど、

友人が奥さんと出会ってからは疎遠になってたから会うのは久々だった。

ポジティブで優しくて男らしくて私は彼を結構尊敬してるのに、

奥さんは「単にバカなだけ」とか

「年下だったからいいけどこんな人年上だったら無理」とかけなし放題。

確かにあなたの夫だけど

私の大切な友達なんだから

悪く言わないでよ

と思って悲しかった。

そもそも、大事家族を人前でこき下ろすなんて、

どうしてなのか理解できない。

私の夫もみんなでテレビ見てて、子役が出ると

「目が大きくてすごくかわいい子だね、

  それに比べてうちの息子は...」

なんて笑ったりする。

まわりもそれ聞いて楽しいわけじゃないし、

子ども自尊心が傷つく。

自虐ネタなら自分だけにして。

家族ネタにしないで。

そんなのより、惚気たり親バカっぷり見せつけてくれたほうが、

みんなよっぽど楽しい気持ちになれるのに。

2012-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20120206234334

いや、あのな。

そもそも出会いと言うか、1日に出会女性職場の人と、コンビニのお姉さんだけ。

という状況で、結婚どころか何も無いよ。

そもそも、職場人間だって話さないのに。

イラたちは、そもそも社会とつながってないんだよ。どうにかしてほしいし、どうにかしたいけど、

社会とつながっていないと、復帰の道もないしな。

生きるために会社に行って、仕事みたいな何かをして、席を温めて、帰る。それだけの人生だよ。

絆という言葉を聞いて、あぁ、自分自分につながって絆の両端を自分で持ってる。みたいな。なんかね、どうなんだろうね。寂しいね

ごめん、ながくなったね。つまり、年齢じゃないんだ。

2012-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20120204214910

俺でよければコメントつけますがw

なんで出会い厨ってレッテル貼られたら駄目なわけ?

単純にすごく気の合う友達が欲しいなってだけでしょう。

ならば自分出会う機会を狭める意味が分からないよ。

mixiFacebookTwitterサークルクラブ銀座のそれではないw)、同好会趣味勉強会オフ会なんでも使えばいいじゃん。

「刺激がない」と思うのは自分自身が動いていないからだろう。理由は明白じゃないの?

自分の浅さを外のせいにしても打開できないよ。ソースは俺

2012-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20120204222705

セックスアピールしかとりえがないような女としか出会ったことないんじゃないの?

もしくはそんな女しか目に入ってないんじゃないの?

内面を磨いている女は内面を磨いている男と同じくらい普通にいるから。

そういう見方しかできないかデブスとすらセックスできないんだよ!

表面上ちやほやされて、裏でデブス!肉便器!おっさん!とか言われてる女の気持ちも考えろよ無神経強欲ヒガミ男めが!

ネット上に限って言えば、女は努力する必要すらない

努力していないデブスであってもネットに書き込むだけでたくさんメールが来る

プロフィール適当でも構わないし、男なら明らかに着そうにないプロフィールでもメールが来る

一方、男はデブス相手でもモテるための努力をしないとセックスすることすらできない

雰囲気イケメンになれるようにおしゃれをし、表情筋を鍛え、運動をしないとデブスですら見向きもしない

女に振り向いてもらえるようにお金を稼ぎプロフィールを充実させる必要だってある

しかも、それだけでなく、デブス相手であっても楽しませるように努力をしないとメールの段階で「はいさよなら」となることすらある

はいえあまりデブ女性だと出会う段階で断られることがあるので、やせる努力というのは必要かもしれない

でも、それは大多数の痩せている女性にとっては関係のない話だ

ネット上では女は努力する必要すらない

好きな人を得るために努力しているといっている増田がいたが、ネット上では明らかに嘘だと思う

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131155308

横だけど。

嫁が真面目に訓練受ける気になるなら、そりゃどうにでもなるんだろうさ。

元増田の文章読んでる限り、嫁がそういう気になるとは思えんけどな。

料理できるようになる必要も感じてないんだろう、嫁は。

カレーカレースープになろうが生ラーメントロトロになろうが、一向に改善しようとしないわけだろ。

いい大人になっても毎食カップラーメンで問題ないなんて手合いは、そもそも「食」への意識が低いんだから

たかが喰い物」に「お湯入れる」以上の手間ヒマかけるのバカらしいんだよ。多分な。

信頼関係とやらも、あるようには読み取れんし。


元増田自分料理続けるか、

嫁にはカップラーメン菓子でも与えといて、元増田外食。それが平和の道じゃないかな。

出会ったときから云々、てあるから、嫁が料理しないのは承知の上で結婚したみたいだし。

俺の妻は料理が出来ない

俺の妻は引きこもり主婦

子供はいない

パートに出て貰えればいいのだが、働く気ゼロ

朝起きたらすぐにパソコンにかじりついている

インターネット中毒

妻は料理はしない

料理してもらったことがあるけれど、食えたものじゃなかった

オンチっているんだな

これは訓練とかいう問題じゃない

感性の問題、いや、DNAの問題だと思う

せっかくの食材を大切にする気がない

カレーを作れば水を入れすぎてカレースープ

記載されている作り方のとおり作ってもらえればいいのに、そのマニュアルを読まない

ラーメンもゆですぎてトロトロラーメン まずっ

タイマーかけろといってもかけない

出来ることはお湯を温めるだけ 本当に

俺がいないときインスタントカップ麺ばっかり

あとツナ

お米を炊いてあれば、漬物だけで済ます

ガスを使う料理が出来ない

卵焼きも出来ないときた 焦がす焦がす

さすがに疲れて料理を頼むと

まりにもまずさに残してしま

あなたが味をみないからいけない

あなたが手伝わないからいけない

あなた料理しないからいけない

なぜなんだろう

なぜこうも責められなければいけないのか

一応、旧帝大学院を出るほど優秀なはずなんだが、料理に関しては一切ダメ

出会ったときから俺が料理専門

結婚してから毎日、朝はパンだが、夕食は帰宅してから料理していた

結婚してから妻は主婦オンリー 読書インターネットしかしない

妻は一緒に遊ぶ友達はいない

外に出ていろんな人と交流してくれればいいのだが、話す相手は俺だけ

さすがに疲れた

障害を持った妻だと思って、介護のつもりで今後もやるしかないのか

2012-01-30

鼻くその話なんて増田しか書けないに決まっているだろうが馬鹿野郎め。

なので鼻クソの話である鼻くそのようにつまらない話ではなく、わりと面白い、ぼくが最近お気に入りの、半生タイプ鼻くその話だ。あなたにとってはつまらいかもしれない。まあヒマならちょっと読んでけ。

ぼくも、のっちかしゆかと同様に鼻くそをほじる。ティッシュを使うこともあるが、ストレイトにまっすぐほじるのもすきだ。

で、そうして人差し指ダイレクトプラグインしていると、鼻粘膜の内壁に乾燥してくっついた鼻くそ出会う。指の腹で形状を確認してからそのエッヂに爪先をかけて、鼻粘膜から引きはがす。オンザエッヂである

ここで鼻息を吸い込んではいけない。吸い込んでしまうと指が届かない領域にいってしまう。正圧を保つ。具体的にはゆっくり鼻息を吐く。精神は落ち着き、意識は高まって、第5のチャクラエネルギーを感じる。鼻くそで。いや本気だ。

ここからがこの話のクライマックスであるゆっくりオンザエッヂのそれを鼻の出口方向へ引き出していく。すると、その乾燥してひっついた鼻くそきっかけに、鼻の奥のほうから粘液状の明日には乾燥して鼻くそになってそうなゲル集団が引っ張り出されてくる。

このオンザエッヂとゲル集団をさらに引っ張り出すと、粘性係数がさがり、色が黄色から透明に変化しながら、さらに中身がでてくる。快楽であるチャクラエネルギー解放される。

このまま脳みそまで引っ張り出せるのではと快楽に酔いしれながらオンザエッヂを引っ張ることおよそ10cm弱。のびきったレーザービームがプツンととぎれ、ぶらーんと人差し指にぶらさがる。

ぼくはぶら下がったそれを眺める。乾燥した部分から黄色ゲルを経て透明な粘液までが鼻の穴から開放され、重力に従ってだらーんとしている。この透明な粘液は、いつか育って乾燥した部分になるのね!とか思うとさながらタイムマシーン時間螺旋をひと飛び。

そんなことを思いながらぷらーん、だらーんをしばらく眺める。のちにティッシュにくるんですてる。

こんな素敵な鼻くそは、残念ながら2日は育てないといけない。あと、風邪を引いたり、お酒をのんだりするとダメだ。育たない。健康すぎてもだめだし、不健康過ぎてもだめ。しかも右の穴限定。むずかしいのである

あ、ぼくは耳かきもすきです。

2012-01-29

6年つきまとわれて鬱陶しいと思っていた女の子と付き合ってみて

6年間つきまとわれて鬱陶しいと思っていた女の子と1年間付き合ってみて思ったことを書く。内容が内容なので2chと迷ったが2ch怖いしもっと怖そうなこっちに書く。

高校3年生の頃、コースも違うあの子出会ったのは生徒会に入った時だった。小さな身長と独特のしゃべり方が印象に残ったのを覚えているが、当時は授業をサボって生徒会室に入り浸っていたためクラス女の子よりもよく会って話していたなあ程度の思い出しかなく、卒業して大学に入ればお互いに忘れ去るものと思っていた。

しかし実際は大学へ入ってからも度々メールを寄越したりmixiで繋がっていたこともあって、遠く離れた場所に住んでいるのに気付けば年に2度ほどのペースで会っていた。その間になんとなく流され二人で遊びに行ったりついうっかり家にあげてしまったおかげで簡単に童貞を奪われたりした。流されてこういうことをしてしまった自分がすごく嫌だった。

自分はこの子恋愛対象に見ることができなかった。童貞は奪われたが、セックス経験お酒が飲める年になっても心は完全に童貞だったし、恋愛幻想をたくさん抱いていた。それなのに、セックスがしたくなったらあの子を家に呼ぶようになっていた。相当な屑だなと他人事のように思っていた。ただ、付き合うまでは一度もイクことができなかった。

セフレのような関係が1年ほど続いた。自分の屑さに嫌気がさして、俺なんかじゃなくてもっといい人を見つけて欲しい、と言った。その時初めて、あの子彼氏がいることが分かった。それも付き合って3年になるのだという。なんとなく惰性で付き合っている、と言っていたことも深く印象に残っている。そのあと、その彼氏結婚の話が出ていて悩んでいるという相談をされたのをぼんやりと覚えているが、その時はあまりのショックで何を話したか覚えていない。厨二の頭には「私と付き合うなら今のうちだ」というメッセージに聞こえたことだけは覚えている。

それから数ヶ月後に自分はあの子告白した。好きだと言った。内心は「惰性で付き合ってるような男より、自分の方が幸せにできる」「人を幸せにできるなら、自分犠牲になってもいいんじゃないか」というまさに厨二脳だった。何かを認めたくなかったのか、彼氏がいるのに他の男と寝るような女だ、と根に持っていたし、本人もにそう告げた。

の子はすごく喜んでくれた。惰性で付き合ってる彼氏とすぐに別れ、自分のもとに来た。誇張でもなんでもなく、10分に一度くらいのペースで「幸せ」と言っていた。私のことが好きかと問われ、好きだと言った。

言葉にすると不思議なことに、なんだかそんな気がしてくる。就活自分のアピールを盛りまくっていると、就活を終える頃には完璧超人にでもなったかのような気がしているあれだ。自分はなんだか気持ちよくなり好きだ、好きだと言った。時には愛してるとも言った。1ヶ月もすれば、自分は本当にあの子が好きになっていた。

のろけ話を書くのはもういいので、この1年間を簡単に書くと、半年経つ頃にはあの子はとっくに幸せと言わなくなっており、それから数ヶ月後にはあの子は会う度にため息をつくようになっていた。こちらから話し合いを持ちかけ、あの子からフられる形で別れた。フられる直前まで、自分はあの子が好きだった。

センス良いしおしゃれだし優しいしいい男だけど、ごめんなさい。本当に好きだったの。ごめんなさい。

の子なりの優しさだったのかも知れないが、これ以上ない一撃だった。どうせなら後学のために気になる部分をボロクソに言って殴るくらいのことをして欲しかった。


自分はあの子が嫌いだった。自分の理解できないところで怒るし、普段は言いたい放題のくせに肝心なところでため込んで爆発するまで言わないところとか。なにより、人を悪く言うし、何が嫌いかを語るのが好きな、自分が一番嫌いな人種だった。これから付き合うかも知れない男の前で「惰性で付き合ってる」なんてよく言えるなと、付き合う前から別れることを考えるやつはいないとは思うが、もしそうなった時に傷つくのは目の前の男だぞ、と。

自分はあの子が本当に好きだった。変なところで怒っていたがなるほど確かにそういう考えもあるなと何度も思わせられたし、ため込んでいたものが爆発して怒鳴られた時には心から反省できたしもっと普段から頼れて相談できる男になりたいと思えた。嫌いなことについてズバズバと的確に叩くその口にすかっとしたし何度も感心させられた。

結婚妥協が必要なのは妥協してでも一緒にいたいから。

http://togetter.com/li/33383

というのを最近見て、思うところあって勢いで書いた。1年間しか恋愛経験していない未だに頭が童貞のような人間が言ってもかっこわるいが、恋愛において妥協ポジティブなことだ。女の子彼氏を褒めると、そんなことないって心理が働いて別れるのが早まる、みたいなことを聞いたことがあるが、そんなことないけど現在仕方なく付き合ってあげてる、というのは、大きさはどうあれ「妥協してでも一緒にいたい」なのではなかろうか。

恋人が不満でしかたがなく、現在なあなあで付き合っている、という人は、「妥協してもう少し一緒にいてあげてもいいかな」と少しでも思っているなら、バカみたいに好きだ、好きだと言ってみたらどうだろう。いつの間にか相手への不満が変化しているかもしれないし、少なくとも「何それ急にどうした?」って笑い話くらいにはなると思う。

そっか仕方ないね、と簡単に引き下がった自分が別れる前に本当に言いたかった言葉はこんな感じだ。どうだ気持ち悪いだろう。

2012-01-28

ゲーセン出会った不思議な子の話を見た各所の反応

VIP

全俺が泣いた・・・



鬼女

本当に感動しました;;『この男だったらホイホイひっかかってくれそう・・・』



オカルト

彼女は本当に実在していたのか・・・?



Yahoo知恵袋

ゲーセン出会った不思議な子の話」に出てくるゲーセンはどこのゲーセンでしょうか? 500枚



ニコニコ動画

警告する!! テ ィ ッ シ ュ 用 意・・・



Twitter

拡散希望ゲーセン出会った不思議な子が忍者だった URL



はてな

彼女の死というのがこの話が伝えたいテーマではない

最近ネットの話を純粋には楽しめなくなった

大きく分けて理由は二つ

既出ネタ出会う可能性が増えたこと

②話の信憑性を第一に疑うようになったこと



①について。

自分はかれこれ10年以上ネットを使っている。

何年も前に流行ったネタが再度新たなものとして発表されるのを目にする機会が増えた。

スルーすればいいのだろうが、目について煩わしい。



②について。

「完全にネタです」「フィクションです」という話以外に対して、まずそれは本当に起こりうるだろうか?

という観点から見るようになった。

そして「ここがおかしい」「納得できない」と思うと、こいつはアクセス数か注目を浴びたいがために嘘をついているな、と勝手に心の中で敵対心を持つようになってしまった。

また、ネタフィクションに対しても、「整合性が取れてない」「矛盾している」というような粗を探すようになってしまった。



①、②に両方当てはまる例がこれ

http://togetter.com/li/248482

電車のホームで萌えー!萌えー!と叫ぶ中年男性やばい奴だなぁ、だからオタク気持ち悪いって思われるんだよ。と、思っていたら階段からパパー!と言って駆け寄る小さな影。 全く自分の娘に向って萌だなんて、なんたる幼女好き!!自重してほしいものです

その発想は無かった!!! RT @AAA: @BBB @CCC いや、もえちゃんっていうなまえでしょww

これは2chコピペで、「店内で『萌え』と叫ぶおっさんはこの世から消えればいいのにとか思ってたら、その人は娘の名前を呼んでただけでした」というコピペがある。

何度も見たコピペの改変版。←①

で、Twitterでつぶやいたってことは、そう言うシチュエーションに実際にあったということなんだろうけど、それは普通ありえない。

発音が人名の「萌え」は尻下がりで、オタクの「萌え」は尻上がりとあきらかに違うだろうに。←②



と、まあこんな具合にネットをしていてもあまり楽しくない。

自分にとって止めどきなのかもね。

#蝦夷松前藩の末路 →幕府直轄地#

ラックスマン来航(大黒屋光太夫が同行)時に、幕府は慌てて直接蝦夷国境警備を行おうとする。

さらに最上徳内近藤重蔵らの調査により、北方警備の怠慢・アイヌ虐待などの不祥事が明らかになり

松前藩は直轄領にされ、さらに翌年函館奉行の預りとなり、20年あまり藩を召し上げられることになった

※とはいっても、この間にアイヌ人は人口が2割以上減少するなど、それ以上に悲惨境遇だった)

※今まで騒乱が起こったレザーノフ時も、ゴローニン事件(この時高田屋嘉兵衛ロシアに行く)も、どちらも幕府直轄時代の騒動。

その後返還がかなって34年経ち、去年ようやく松前城新築が完成したばかりだったが

この松前城はいきなり時代遅れだったりしてどうしようもないので幕府が直接統治して国防拠点としようとする。

樺太が日露雑居となり函館開港となれば待つ前には荷が重い」という理由で松前藩から土地没収

松前藩の言い分としては、幕府にしたって外国上陸のさいにろくな対応ができていなかったし

 そもそも松前藩が十分に対応出来なかったのは、対応の権限が松前藩にない上、情報すらよこさなかった幕府の怠慢が原因であるし、

 今まで騒乱が起こったレザーノフ時も、ゴローニン事件(高田屋嘉兵衛)も、どちらも幕府直轄時代の騒動なのだが、そんな道理が通じる幕府ではない)

実際は、函館開港が大きな利権になること、その他蝦夷地に寄港する船舶から租税徴収権などに目を付けられた形。

松前藩領土返還、通行税回復を幕府に願い続けたがかなわず明治維新を迎える。



#福沢諭吉少年期#

親は中津藩出身の武士。家訓は「人に親切に」

勤勉実直な父と、陽気な母の性格、さらにとびきりの好奇心を受け継ぐ?

生まれは中津藩だが、育ちはずっと大阪屋敷

父の仕事会計係で、実際は商人に頭を下げて借金を頼む毎日

父は学問に優れており、四書五経を自ら子供に伝授する。

福沢諭吉の命名の所以は清国法律書「上諭条例から一文字とっている)

下士身分であったゆえ、身分の壁に悩む。諭吉も父を見て封建社会を憎むようになる。

父は諭吉が2歳になる前に病死。その後福沢一家は中津藩に戻るも福沢一家は言語・風習の違いから疎外されたりもする。

(父の死後も母が常に父の偉さを子供たちに話し続けたため、父の教えは強く受け継がれる)

幼い頃は、家事手伝いや内職をして過ごし、内職名人として有名に。

少年になってから親戚の中村家の養子に(跡継ぎが耐えないための保険にすぎず中村家に養ってもらったわけではない)

中津藩では儒学のみならず「鉄砲そろばん」の教育にも力を入れていたため諭吉儒学のみならず算術に大いに才能を発揮する。

子供の頃の諭吉の夢は「日本一お金持ちになって好きなだけお金を使いたい」であった。

諭吉西洋文明出会う前からかなりの合理精神の持ち主であった。

14~15まで一切本を読んだことがなく、当時としては勉強を始めるのが非常に遅かったが

白石塾に入門した時身分制度の障害にぶちあたり、なにくそと死に物狂いで勉強。あっという間にトップに。

しか能力で抜きん出ても認めぬ身分制度になおさら嫌気が刺していたところで、中津藩にも黒船来襲。

18の時に砲術訓練の名目で長崎行きを志願し、中津を離れ、長崎ではじめて蘭学出会う。



#クリミア戦争敗戦後のロシア#

クリミア戦争兵站補給、爆薬衛生学の3つで革命をもたらしたとされる。

ロシアノーベルの父エマニエルノーベルにより機雷発明したり戦力的には奮闘したが、

産業革命により鉄道輸送を実現したイギリスフランスとくらべて長期戦において不利を取り敗れる。

アレクサンドル2世は、国家経済中世以来の農奴制に依存してきたため産業革命が遅れ

クリミア戦争の敗北を招いたことを大反省し、農奴解放例を打ち出す。

この農奴解放例により大改革時代に入るのであるが、

大改革の過渡期には様々な矛盾が一気に吹き出すもので、逆に一揆・反乱・独立運動が続々と起こり

それらの打開策のため皇帝軍事力を強め、国外戦を起こすにいたり、大改革は、大混乱へと突入していく・・・

日本時間の余裕さえあれば、こういうことを経験できただろうということもできるし

 逆に時間の余裕がなかったために、ロシアのような悲惨な流血時間や長い内乱をある程度避けれたと考えるべきか)






#愛国心を越える原初的領土意識について#

現代の愛国心というのが観念的な薄っぺらいものであるのに対し、

間宮林蔵は、この時代の誰よりも日本全土を自分の目と足で実際に把握し抜いた。

さらにロシア船が日本沿岸を海賊のように荒らし回った時に、択捉島で直接砲火を浴びつつ応戦するという経験までした。

ここまでくると、日本という領土に敬意を示さず土足で日本に上がりこむ外国人に激しい怒りを燃やすようになった

しかし、土地のありがたさを知らず軽んじる人たちにはそう感じなかったのかな?そこまで考えてたらきりないか




#その他#

昔生きていた人たちが、この本の中では今も生きてる。そう感じられる。これはスゴイことですよ!(安彦良和

子供の頃から「こういう漫画を誰か描いてくれないかなあ」と、本気でずっと思っていました。そうしたら、ズバリみなもと先生が描き始めて下さいました。「よし!」とばかりに読み始め、「こりゃなかなか終わらないだろうな嬉しいな読みでがあるなあ」と思っていたら、本当に終わらなくて、もうずっと読み続けられて嬉しいことこの上なしです。いつまでも描き続けてください。ちなみに、小学生の頃みなもと先生キャラをソラで描けるのは、クラスで僕だけでした(京極夏彦

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ



村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。



靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。



私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」



シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」



終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。



1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)



1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)



近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」



オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。



オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」



はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。



バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。



「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」



その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。



アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」



地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である



「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」



執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。



この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。



そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。



走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。



数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。



蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。



村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。



といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」



実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。



彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。



この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。



驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。



「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事



村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。



2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である



車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。



村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。



こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。



こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。



世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

1 - 2 - 3

ハックルベリーとは女性のことだったのだ。

はてなアイドルこと、岩崎夏海氏が今春に結婚するそうだ。



さて、氏のブログ名は「ハックルベリーに会いに行く」。

そう、つまりハックルベリー」=「運命女性」と考えると、氏は無事にハックルベリー出会えたわけである

確かに、「おぃおぃ、金さえあれば年の差とか」みたいな声はあるかもしれない。



だが、氏ははてなというウンコ共が集まる魑魅魍魎のキナ臭い界隈で釣り技術を学び、

ドラッガーだかのビジネス書リアルな奴らを釣り上げ、ネット界およびリアル界においても名を馳せたのだ。

女の一人や二人や三人や四人ぐらい、お手の物である。むしろ、結婚したことに驚いた。

俺なら、ぶいぶい言わせまくって、女をとっかえひっかえして遊びまって捨てまくるというのに。



話は逸れたが、入籍したいぐらいの女性に会えたのだ。



ハックルベリーに会いに行って、ハックルベリーに無事出会い、そして次は何が始まるのか。



ハックルハックル




いきなりデレたような記事が連発されたら、それはそれでウケる。

「奥さんと旅行してきた」「手料理サイコー」みたいな。



ハックルハックル



結婚おめでとうございます



ハックルハックル

- 転職ならen
- 派遣ならen
15ページ中1ページ目を表示(合計:356件)