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2016-12-11

この世界の片隅にモヒカン帰る

東京テアトルで異例のヒットをかましている広島、呉が舞台の「この世界の片隅に」はテアトル70周年記念作品らしいんだけど

今年、もう一本。広島・呉が舞台映画がテアトル70周年記念作品として公開されてる。

それが映画モヒカン故郷に帰る」であり、オール広島ロケ。呉舞台(呉の島の何か所かで撮っている)

主演は何の因果あまちゃんで良い演技してた松田龍平(この広島弁もなかなかいけてる)と柄本明(激烈パワフルジジィ役)なんだけど

内容は日々の暮らしの中に起こるおかしみと、カウントダウン的結末を描いている。これも片隅とだぶっている。

片隅のすずさんは現役カープ女子という裏設定があるらしいけど、このモヒカン母親カープ女子(熱烈強烈キクチファン

これ、狙ってたとしか言いようが無いんだけど…優勝したし、奇跡みたいなものなんだろうか。

広島では連日大入りだった映画DVDにもなったので、是非この機会に見てみたらいいと思う。

個人的にこの映画を先に見ていたので、あの平和すぎる島は戦火の中にあったんだなと気付いた。

コトリンゴの代わりに、矢沢永吉がでまくる。

多分今もすずさんが住んでいるあの辺で、モヒカンが生まれた。

しかしたらあの映画なかに、しれっとすずさんが紛れ込んでいるのかもしれない(エキストラオール現地島人)

片隅で泣きまくった人、この映画でけらけら笑ってみては。

http://anond.hatelabo.jp/20161211032508

その時代からやってたなら、1から10まで制御されたそこそこの規模のゲーム※をインディ副業で作るにはものすごい幸運が要るのは分かるでしょ。

マリオタイプをつくるだけでも、

ゲームデザイン: 1 (心臓スーパーアーマーついてるようなやつが強権で引っ張る)

グラフィック: 背景1, キャラ1, 配置物1 エフェクトその他は分担 (8bit風かミニマル系なら背景と配置物は兼任可。ただし要センス知識。)

マップ: 2 (30マップ)

プログラム: プレイヤーキャラメイン1, 敵・配置物メイン1, UIメイン1 (ツール環境構築は3人とも精通してるか誰かがものすごくできる前提)

サウンド: 0 (専属は置かない)

最低でもこの人数を集めて、これだけやらせるなら半年~1年、余暇で作るなら5年は拘束しなきゃならない。カネになるかもわからない状況で。

ここから削ろうと思ったら、規模を縮小するか(マッパー-1)、ゲーム簡素にしてUIを減らすか(プログラマ-1)、見た目を諦めて市販アセットを混ぜる(デザイナー-1)くらいしか無い。

無理に減らしても、金を取れるクオリティからは遠のいていくし、下手すればキャパオーバーしたスタッフが壊れる。

映画連載漫画市場に影響されるのは変わらないけれど、2時間の中で観客の満足を最大にするよう作るのと、

どこで読み始めても読者を引き込めるように作るのとでは、完結時の作品構造は当然違う。

元増田のいう「スーファミみたいなゲーム」ってのはこういうことだと予想。

2016-12-10

結局皆、お見合い結婚に憧れている。

 『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマ流行っている。

 要約すると最初便宜上契約結婚を交わして夫婦だんだんお近づきになり「本物の夫婦」になる話だ。

 こういう話は昔から日本人が大好きだ。男向け女向け問わず

 好きでもない相手同棲状態になったり、なかば無理やりお近づきになり、付き合っていくうちに本物の恋仲になる。

 そういうお話バリエーション含め、あなたはいくつも知っている。どれも人気作だ。

 少女向けコミックのそれ系統最近じゃ一月に一作は実写映画化されてるし、

 男性向けの場合は落ちものだとか、ハーレムものだとか呼ばれている(まあただハーレム場合、「好きでもない相手と〜」は一昔前の流行になってるかもしれない)。


 こういう系の恋愛物語がいったいなんで受け入れられやすいかというと、

 それは我々にとって(少なくとも概念的には)馴染みぶかい恋愛形態でもあるからです。

 見合い結婚メタファーからです。


 親や仲人から引き合わされて、ほとんど初対面の相手となんだかよくわからん結婚し、最初は家と家との結婚という感じだったのが、

 寝食を共にしていくうちに個人個人の「夫婦」になっていく。

この世界の片隅に』なんかもそうでしたね。

 あれが理想の「見合い結婚」、日本人の好きな「恋愛物語」のパターンです。


 日本人現在に至るまで実はアメリカ的な意味での恋愛結婚をよく理解していないのじゃないか、と思う。

 いやね、アメリカ人だってから自由恋愛バンザーイ!みたいによろしくやってたわけじゃないんです。

 50年代60年代あたりまでは、結婚相手なんて「ご近所さん」が普通だった。

 特に都市部では出稼ぎにきた移民労働者が、やはり移民であるお隣の娘さんをなんとなく良いな、と思って、デートを申し込んだり、

 あるいはいきなり「娘さんを僕にください」とやってきてそのまま結婚することも多かった(後新聞結婚相手募集広告出したりなんかしてた)。

 「結婚したあとで好きになっていく」パターンは実はわりと最近までアメリカにもあったんです。

 それが変わっていくのが60年代後半から70年代にかけて。

 カウンターカルチャーフリーセックス時代です。

 フリーセックスの方はエイズやらキリスト教保守派バックラッシュやらで廃れていくんだけど、

 自由恋愛のほうは残った。

 なぜなら自由恋愛が「技術的に」可能になったから。

 そう、電話の普及ですね。といっても、

 今みたいに個人につき一つってわけにはいかなかったけれど、約束を取り付けるのは楽になった。

 娯楽も増えたし、公民権運動余録女性地位も向上して女性選択肢もちょびっとながら増えた。

 なんたって50年代までは女性が単身で社会にでる手段なんて絶無に近かったわけですからね。

 やたら女性結婚を急いだのも実家という家庭から逃げ出したいところが大きかったんです。もっとも、結婚実家脱出したところで新しい「家庭」に囚われるわけですが。


 恋愛自由市場化が何をもたらしたかといえば、相手を「事前に」品定めできることでした。

 やはり恋人楽しい人じゃないといや。自分と合う人じゃないと。たとえば、音楽趣味映画趣味。本の趣味が合う人。

 食べ物の好みも重要服装センスも忘れちゃいけない。それに犬派か猫派かも……そうそう、絶対ウンコはもらさない人じゃないとね。


 こうして相手要求するリスト無限に増えていく。このうち一つでも「アウト」だとたとえその他の条件を満たしていてもバイバイさよなら、となりやすくなる。

 要求リストの細分化に貢献したのもやはり技術です。

 特にインターネット以後。フェイスブック以後。

 あなたは見知らぬ他人いくらでも知り合えるようになったし、その他人情報を一切会うことなしにいくらでも知れるようになった。

 メールSNSの発展は新しい人とのつながりを容易にもしたけれど、同時に既存のつながりの切断も容易になった。

 ネットで知り合ったあなたのカレの音楽趣味が最悪だと一分前にわかった? よっしゃ、ならメールを送るんだ。

あなたがそんな人だとは思わなかった。別れましょう」

 それで着拒すれば万事解決あなたは晴れてフリーだ。

 そういう人はまだやさしいほうだ。なかには、別れのメールすらおくらずに元恋人一方的ブロックする人間もいっぱいいる。


 アメリカではカジュアル出会えるマッチングサイトが普及しているけれど、

 日本ではまだ「出会い系」には抵抗がある人が多い。

 でも、なぜかアメリカ式自由恋愛マインドだけは心得ていて、相手への要求レベルは格段に細かく、高くなっている。

 知り合う手段は相変わらずインターネット以前のもの限定されているのに、意識だけはポストフェイスブックと化している。

 この齟齬は、なんだろう。

 といえば、おそらく日本人には「運命の人信仰があるからだと思う。

 「運命の人信仰とは、趣味が全部合うとか食べ物の好みが一緒だから好きなんだとか、そんなんじゃなくて、

 理屈抜きで前前前世から結ばれるべき運命だった人がいるんだよ、という幻想のことだ。


 そう、『君の名は。』だ。


 あの映画現代日本人の恋愛観が非常によく出ている。

 なんだか理屈はよくわからないが唐突に異性と結ばれて、

 わけのわからないまま同居生活を続けるうちに相手のことがなんとなく好きになって

 いつのまにかそれが運命だったということになっていく。

 実は構造的には『逃げ恥』と同じ話なのだ

 お見合いを引きずった現代日本人の恋愛観において重要なのは

 自分の好みと相手の好みが一致することではない。

 自分の好みを相手が事後的に受け入れ、相手の好みを自分が事後的に受け入れることだ。

 それは家父長的な家庭であれば、夫の好むを妻が一方的に受け入れなければならず、逆はないという非対称な関係であったけれど、

 現代恋愛物語ではそれがアップデートされて「お互い様だよね」ということになっている。

 理想論ではあるだろうが、まあ、理屈としてはそういうことだ。


 日本恋愛では、まず運命が先にあり、個人人格はあとからついていく。

 それはおそらく個人人格を認め合う自由恋愛の本義からは外れた思想なのだろう。

 でもまあ、なぜか日本人はそういうのが好きだ。

 結局、皆、自由恋愛最高!を謳いながらも、心の奥底ではお見合い結婚に憧れ、理想化しているのだ。

 



 

この世界の片隅に宣伝が云々

この世界の片隅に宣伝がされないって

上映前にネットのんちゃんファンが騒いでたらしいけど、

アニメ映画宣伝されないのが普通だと思ってたので、

それは騒ぎすぎだったろうなぁと思う。

宣伝出来るような金もないし。



でも、作品が公開されて評価が上がって来てるのに、

テレビで取り上げないのは流石に不自然だった。

ラジオネットとかでは映画評論家の話や見に行った人の口コミ

上がって来てた。(テレビ最初に取り上げたのはユアタイムか?)



うーんこれは流石になぁー、とは思った。

でもテレビ映画評論なんて流れたことないし、

映画評論を元にした特集なんて組まれことない。

あくまで人気俳優が出た、とか売り上げがよかった作品とか、

配給会社が売りたい作品特集されるのが普通

NHK営利目的番組作れたら映画紹介評論番組作りそうなもんだが、金が入った時点で評論は無理だな)

まぁそれが結果的に、映画好きはテレビなんか見て映画を選ばないって話なんだろう。




でも、やっぱり能年玲奈のんになったことが影響してるのだろうなぁ、と。

普段朝ドラ含め、実写を全く見ない人間だけど、のんちゃん騒動は流石に知ってた。

芸能界名前すら名乗らせてもらえないのか、と。

ぶっちゃけ芸能界引退させるつもりだったんだろうな、と。



のんが何かのアニメ映画声優をするとは小耳に挟んではいたけれど、

NHKの公開前の特集(今は平和記念公園になってしまっている中島本町という商店街理髪店の話)見るまで

のんがやるのがこの映画だってこと知らなかった。 

のんが色々言われてはいるが、アニメ映画好きなので誰が声優だろうと、見に行こうと思った。

映画を見た後、自分としては、

のんがやってよかったとは思うが、のんじゃなくてもこの映画評価高かったと思う。



ただ、やっぱりのんが原因だかテレビ映画を見る目がないんだかしらないけど、

この映画が取り上げられないのが残念で残念で。

やっぱりこの映画多くの人に見てほしいな、とは思った(つまんねーって意見あってもいいと思う)。 




なんか、最近ネットで場外乱闘起きてて、隊長と町山さんね、

映画宣伝のために裏事情出して炎上させているのか、圧力かけての火消しなのかわからないけど、

のんファンは、圧力の有無に関わらず、騒ぎ続けると思うので、

事務所は黙って嵐が過ぎるのを待つしかないと思うよ。

ファンに叩き続けるメリットはないけど、叩くのやめるメリットもないもん。現時点では。

叩いた方が騒ぎになるし、見てくれる人いるだろうし。




でも、火消しのメリット炎上メリットもないんだとも思う。

映画の内容が素晴らしくて売れ始めた。

炎上したらのんの印象悪くなるかもしれない一方で、

火消ししようとしても、もう映画評価は多分変わらないし、今後も売れ続ける可能性が高い。

まさに無意味な戦い。場外乱闘

どっちの方向からおせっかい焼かれても、今ガッキーがすごいんでしょ。

から事務所は気にしないっしょ。っていうか気にしたって骨折り損じゃん。




よけいなことに関わらないで、素直に映画を楽しもうじゃないか

テレビ局事務所及び俳優映画の一要素でしかなくて、

いい作品とそれを愛する映画ファンの前には、全く無力なんだ。




あー、ローグワン見に行くか迷うわー。

FF15君の名は批判してる人は日本の癌

作品批判してる人は作品単体を純粋批判できてないよね

どっちもゲームとして映画として十分に質の良い物に仕上がってるのに批判している人は老害だよ

FF15批判するひとは最近ゲームを知らない人だし

君の名は批判する人は映画はこういうものだと決めつけて批判してる

シナリオ批判する人はラーメンスープだけ飲んでうまいって言う人と同じ

君の名は物語を極力排除することで観ている人の無意識下に直接訴えている点は評価できるよね

FF15最近ゲームの流れを組んで作られていてもう完全に廃れていたと思われていた和ゲーでも

ここまでできるんだと証明できたことは嬉しいことだしゲームとして見れば最近洋ゲーと遜色ない

RPGジョブチェンジやターン制とか頭を使うようなシステム日本キモオタしか受けなくて

知り合いの若い外国人も毛嫌いにしてることから考えるとFF15システムは悪くないし

もし過去FFと比べることでしかFF15を遊べないのなら自分の好きなFFをずっと遊んでいればいいよ

FF15FFからという理由で遊んで批判している人は明らかに老害だし

君の名は純粋映画として観ている人が高橋源一郎ぐらいしかいないのは悲しいことだよね

彼女と初めて出会った日

 京都四条河原町、「世界地図前」。京都マルイの壁面には世界地図レリーフがあり、

その前で待ち合わせするのが定番となっている。

言わば、渋谷ハチ公前のようなものである彼女と僕はここで初めて出会った。

あらかじめ長文メールで1ヶ月程やり取りをしていたのだが、話の波長が合いそうだったので

「一度お食事にでも」とこの日僕から誘ったのだ。


 待ち合わせ時刻は18:00。2〜3分過ぎたところで彼女から電話が掛かってきた。

「ごめんなさい、もうすぐ着きます。どんな服装ですか?」

服装か。ファッションに疎く、いつもは言葉が上手く出てこないのだが、

その日の僕は「ブラウンスエードジャケットに黒のチノパン」と即答した。

目の前の横断歩道信号が青になると、

一人の女性が僕の方に向かって歩いてくるのを確認できた。

「あのコか、仲良くなれたらいいな」。緊張が高まり背筋が伸びた。


彼女を目の前にした僕は唖然としていた。我ながら失礼な話だとは思うが、

メールのやり取りから想像していたコとは彼女容姿がまるで異なっていたかである

小説洋画が大好きで子どもの頃にはピアノ書道を嗜んでいたということで、

眼鏡が似合いそうな清楚系黒髪女子かなと勝手に思っていた。

実際は明るめの茶髪にセミロングのふわふわカール服装等も僕が見る限り今風な感じで、

化粧は薄いがイケイギャルに見えた。余談ではあるが視力2.0とのこと。マジか。


一瞬で「あー、今日ダメかもしれないな」と頭をよぎった。

往々にしてこのタイプ容姿女性は口にはせずとも自信満々なタイプが多く、

僕は長年苦手としていた。しかし、人を見た目だけで判断するのは良くない。

このような余計な思考は振り払わなければ。

「近くのビアレストランに行きませんか?

 静かで落ち着いた場所ですし、ゆっくり話せると思います

そこはその半年前に大学時代の友人たちと飲み会で使った場所だった。

それなりにお洒落内装料理も美味しかったし、大丈夫だよな?

あー、でもこんな可愛いコとの食事だと分かっていれば、

もっとオシャレなお店を準備しておいたのに。。。等々とみっともないことを考えていた。

店へ向かう途中、会話をリードするために積極的に話し掛けた。

舞台舞踊関係職業に就いていて、その仕事終わりに会ってくれたようだ。

驚いたのが約5年間ロシア語圏に住んでいて日本に帰ってきてまだ間もないとのこと。

そう、確かに事前のメール彼女海外大学出身だと言っていた。まさか東欧の国だったとは。

僕はてっきりアメリカイギリスあたりだと想像していたから、完全に盲点を突かれ、

東欧って何が有名だっけ。。。?」と慌てて考えた。


メールのやり取りでの印象通り、話の波長は上手く合いそうだった。笑顔も素敵だ。

ただ、テンションがやや低いように感じる。

やっぱりこういうコは肉食系イケメン男子と話したいのかなといつもの癖でネガティブに考えてしまったが、

しかったメールでのやり取りを思い出しながら食事中も自分の精一杯のテンションで話し掛け続けることにした。

(後々にわかったことだが、彼女のこの時のテンション性格的なものでこの日も平常運転であった)


彼女は幼い頃からダンスを続けてきたようで、その話を中心に話を振っていこうかなと

思っていたのだが、その方針はすぐさま変えられた。どうやら舞台舞踊関係の今の職場に不満があるようだ。

じゃあ、少しは自分の話でもしようかなと話題を変えた。僕の趣味バイクツーリングである

どうせバイクの型名やツーリングスポットを言っても通じないだろうなとはわかっていながらも、

でもやっぱり相手に細かい部分までわかって欲しいという気持ちが上回り、

愛車のことや今までのツーリング談を長々と熱く語った。まぁ、多くのバイク乗りには共感してもらえると思う。

映画〇〇で主人公が乗っていたバイクですよね!

 私、昔その映画を見てバイクに憧れていたことがあったんですよ」

意外にも僕が乗っているバイクの型名を彼女は知っていたようだった。

一方で僕はその映画存在など露知らず、「えっ、そうなんですか!?」ってなった。

ヘルメットを被らずに運転するなんて、完全にアウトですよね」

ホントですよね笑」

等とくだらないことを話しながら会話はそこから盛り上がっていった。


それにしても、笑い方が本当に可愛い。目元のちょっとしたアイシャドウがよく似合う。

社会人としての常識は十分に備えつつも、猫っぽいマイペースさも伺えた。

話してて癒される。あと、何となく哀愁溢れた雰囲気なのが良いなぁ。

今まで色々苦労してきたのだろうか。

話し方や表情から謙虚さが伺われて、その点も好印象だった。

一方で、恋人同士となった今では自己評価が低過ぎないかなと感じてはいるんだけれど。


ふと時計を見ると20:30を過ぎていた。1〜2時間という話だったし、そろそろお開きかな。

しかし、あっという間の2時間半だったなぁ。彼女携帯電話を取り出して時刻を確認し驚いていた。

この時まで知らなかったのだが、彼女は未だにガラケーしか持っていなかったらしい。

「私、LINEやってないんです」ってアプリ入ってないとかそういうレベルの話だと思っていたよ。。。


美人ということだけであれば、特別惹かれることはなかったのかもしれない。

彼女性格と表情やしぐさ、様々なギャップ等にも魅了され、

彼女とまた会いたくなった僕はレジ会計を済ませた後

お札を差し出す彼女に対してこう言った。

お金なんていいですよ。今日は凄く楽しかったです。

 もしよければ、また近い内に会ってくれませんか?」


あれからもうすぐ一年が経つが、

「また二人が初めて出会った場所デートしたいよね、敬語縛りで」

「えー、途中で絶対笑っちゃうよ」

「じゃあ、ロシア語で笑」

等と今ではLINE冗談可笑しく話している。

ゲームかい時間泥棒をどう評価するか

最近ゲームする時間を減らそうと思って、ゲーム時間学習とか読書とかにあてて

本当にやりたいゲームだけする、という風に心がけてるのだけど。

でもこれだと本当にやりたい面白いゲームって時間泥棒すぎて、何もかわらないんだよ。

映画はせいぜい1本2時間めっちゃハマったとして5回見てもせいぜい10時間だし

小説だって面白くても長くて6時間くらいで読み終わる。

でも面白いゲームってのは100時間とか300時間とか余裕でやり込めるんだよ。どうなってんだよこの非対称。

そら人生ゲームするしかなくなるorゲーム禁止にするかしかなくなるっての。

広重と「君の名は。

今更ながら「君の名は。」の感想

君の名は。」は好き嫌いが別れると思う。

音楽も、セリフも、ストーリーも、悪くはないがうまくマッチしていないような気がする。

ただ、やっぱり好き嫌いが別れるのは絵によるところが大きいと思う。

美しいかいかと言ったら、100人100人が美しいと言う美麗さだ。

ただ、映画の絵としては特異と言わざるを得ない。

主人公が絵の中心にいないのだ。

背景を美しくみせるための、添え物に過ぎない。

絵に人間賛歌がないから、あんなに練られたストーリーも、セリフも、一つの作品としてまとまらないのだ。

正確には、背景を美しくみせるというのもちょっと違う。

あの映画の絵では、背景ですら、光を、風を、雨を、それを表現するための手段にすぎない。

人物が映るシーンは逆光で、人物は平面的に沈んでる。

見えないほど雨が画面を曇らせる。

風に草木がそよぐ端っこに人物がいる。

画面の半分が空。

思い出したのは、歌川広重だった。

真面目な話、雨の絵を発明したのは浮世絵だと言われる。

中でも、広重は、雨そのものを、雪を、光を、描き、人物も背景もその添え物という新しい表現に挑戦した。

今では、紙も絵具も変色して、容易には気が付かないと思うけど、雨が、光が、雪が、主役の作品を残してる。

そして、その方法がかなりストレートだ。

版画という、数々の制限の中だからこそ、ストレートな工夫が目に入ってくる。

日本人の目には、「へぇ面白いなぁ」だが、当時の西洋人には衝撃だった。

おそらく、「君の名は。」も同じに映るだろうと思う。

2016-12-09

この世界の片隅に」はVR映画

意味不明タイトルをつけたが、そういう感想から仕方ない。

この世界の片隅に」はという映画原作も含め)は時代考証レベルを超え、(考現学というのかな?)

生活習慣や風俗文化地理建物看板放送局アナウンス、雑踏に響く声、当時の気象

その時代、そこに暮らしていた人の佇まいなどを、

背景に至るまで徹底的に調査して描かれた作品らしい。

で、この映画を見た感想はVRだ。

ヴァーチャルリアリティ映画昭和時代を描いたアニメだけど。

時間と6分、昭和10年から20年までの広島や呉で暮らしていたような錯覚を覚えるようなVR感覚であるヘッドマウントディスプレイ感覚

このようにありとあらゆる情報テキストというか記号イメージ)をぶち込んでいくと

「3次元でも360度映像でもないのに、人間はVR感覚を味わう」という、新たな発明をしたので、ノーベル賞級の何かだと思う。

従来の作品では、「戦争という非日常」を強調していたが、

この作品では生活描写を主、戦争日常として描く

従来の作品では主人公は「特別で有徴」の人物だが、この物語主人公はほんとうに「普通女性であり無徴」である

名前は「すず」。元素記号でいえば Snなんだよな。つまり主人公ではない。「すずさんはモブ」なんだよ。呉や広島暮らしていた人の一部なんだ。

(逆に言えばそのことで、あの時代の呉や広島暮らしていた人たち・・・それどころか戦前のありふれた日本人全員が主人公になりうるという効果)。

どこまで「片隅でありふれたもの」を精密に描こうとしていたのか、作者の執念が伝わる。呉の家も片隅にあるし。

とくに日本人にとっては

戦前戦中という「過剰に語られてすぎてブラックボックス化していた世界」の壁を破壊し、

「思い出すための橋を渡した」という意味で、とんでもなく価値のある偉業だと思う。

戦争のことは置いておいても、

昭和時代あの日本家屋で、記憶の奥底にある、あの家で「我々の父祖はどういう気持ちで日々を過ごし、何に勤しみ、何を守り、何を失い、どんな生活をしていたか

「どういう気持ち結婚たか」というものはもはや思い出せなくなってきている。あの手触りや匂い。30代の自分物心つく頃のギリギリ覚えてるあの感覚

それをマンガアニメにして固定化させたわけで。

昭和戦前を描いたマンガ映画なんかいくらでもあるけど、

これだけなんだよほんと、

はじめて「ああ、これが戦前、これが私の祖母!これが私の祖父!」と思えたのは。

もう消えてしまった記憶を「やっと思い出した!」という気持ちが強い。実際あの日本の町並みや人々の生活は消えてしまった。思い出せるはずがないのに

、ほんと時代的にギリギリのところで、「記憶も記録も感覚ハードディスクごとフォーマットされる寸前のところ」で思い出した感じ。

ほんとこれは偉業だし、日本人歴史意識…というか「民族アイデンティティー」のレベル重要作品になるんじゃないかと思う。

原作こうの史代さんは「これは私なりの解釈です」と書いてたけど、私はその解釈を、全力で選びたい。

正直あの映画を見てるやつはバカとか言ってるやつが映画批評に関わってるとか信じられない

ヘイトスピーチと変わらんだろ

マーベル副社長発言日本コンテンツ海外進出について

https://oriver.style/cinema/tcc2016-cb/

日東コミコンが開催され、その中でマーベル副社長であるC.B.セブルスキーさんのトークショーがあったようだ。

該当の記事には多くのブックマークコメントもついており、皆様々な意見を言い合っている。


しかし、この記事で一つ大きな誤解が生まれており、いくつかのコメントはその誤解のために少し的外れな内容になってしまっているように思える。

というより少々作為的意図すら感じてしまう。

記事ではその点についての私見と他国日本コンテンツをどう広めるていくかについて書こうと思う。


マーベル副社長は「日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」などと言っていない。


まず、大きな誤解を招きかねない原因はこの記事タイトルに原因がある。

マーベル副社長日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」

と、でかでかと記事タイトルを掲げているが、記事の内容を見るとセブルスキーさんはそんなことを言っていないのがわかる。


日本コンテンツをどうグローバルなものにしていくか?

という部分は「世界を目指せ!日本映画産業は小さくまとまりすぎている」という段落の中でまとめられている。


日本映画産業は小さくまとまりすぎであるというところ。日本ファン日本の観客のことしか見ていなくて、海外の観客のことを全然考えていない。日本監督映画プロデューサー映画会社もっとグローバルにやっていくべきなんですよ。だって日本にはとても優れたストーリー・テリング伝統があり、日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから物事もっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」


ここでセブルスキーさんが言っていることをよく見るとわかるが

日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから物事もっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」

まり日本映画アニメ文化的ものが受けないとは決して言っていない。

これはセブルスキーさんも言っているが、過去の実績からも明らかだ。

マジンガーZやグレンタイザがヨーロッパの一部で受けたり、セイントセイヤがラテンアメリカで受けたり、マッハGOGOGOアメリカマニアに受けたのは明らかだが、これらの作品果たして海外を強く意識した作品だっただろうか。

巨大ロボットに乗りながらも、強く苦悩したデュークフリードヨーロッパでの受けを狙ったとはとても思えない。


また、アニメに限らず実写映画でも同じだ。

海外で高名な黒澤明や小津の作品アメリカ風ヨーロッパ風、あるいは中国風の映画だっただろうか。

事実はその全く逆だ。

黒澤が作った作品で恐らく最も有名な作品である七人の侍」は時代劇ではないか

侍が出てきて日本刀百姓と一緒に戦う映画のどこに西洋らしさがあるのか。

小津の映画は全編が静謐としており日本人らしさに満ち満ちている。


明らかに日本人らしさに溢れているにもかかわらずこれらの映画はそのどれもが海外で受けた。

モチーフ西洋のものを使っていたとしてもその作品の根幹は日本人らしさで溢れている。


セブルスキーさんは現状存在する日本映画ストーリー・テリング伝統をそのまま貫けば良いといっているだけだ。

ここで注目すべきなのはしろ、前半の部分で海外の観客を見ろと言っている部分だ。

まりもっと単純に考えればいい。

海外の観客にコンテンツを届けたり、今現在既に存在する海外の観客が何を思っているのか良く考えろと言っているのだ。


それは、コンテンツの内容をアメリカ向けに変えろとかそういう話ではないはずだ。

例えばクランチロールアメリカカナダヨーロッパで受けている作品は何かの一覧を発表していた。

アメリカの多くで受けていたのは「ドリフターズ」だった。

なるほど、バイオレンスが好きなアメリカ人らしいと思うが、であればアメリカで物を売りたいのであれば今後そのような作品積極的に送り出せばいい。

しかし、そこでアメリカ人におもねって、不自然アメリカ要素を入れたりするべきではない。

我々日本人の考えるバイオレンスさと、ドリフターズで受けいれられた要素を真剣に考えるべきだ。


アメリカのような作品を作りたいと、アメリカコンテンツ適当にナメタような態度で作ってもアメリカ人の作った作品に敵うわけがない。

まれときからアメリカで育ち、アメリカのものの考え方をしている人のようなことを日本で育ち、日本生活をしているだけの人ができるわけがないのだ。

骨をうずめる覚悟で何年も生活すればまた別かもしれないが、そんな人がなぜ日本映画アニメ産業で物を作らねばならないのか。最早意味不明だ。


日本人日本人しかありえず、それ以上でもそれ以下でもない。

ましてや西洋人中国人では決してない。

それはつまり我々の作る作品日本人的でしかありえずその枠から出ることは決して出来ない。

かならずどこかに日本人的な部分が混じる。


アメリカ世界的なコンテンツを作ることが出来るのはある社会的な前提条件が存在するからだ。

それは文化的多様性をそもそも内包した社会からだ。

インディアン/ネイティブアメリカン生活していた文化ヨーロッパからやってきた文化

南アメリカ黒人文化日系人華僑などのアジア系文化

そのどれもが並立して存在しており、また映画製作現場でも多数の民族文化が交じり合う。

なぜならスタッフもまた多民族構成されるからだ。

このような状況を無理やり日本に作り上げたいなら東宝松竹社長アメリカ人にして、フランス映画監督でも引っ張ってくるしかない。そしてスタッフには多数の外国人スタッフを入れるべきだ。

しかし、残念ながら日本社会でそのような会社を作り上げるのは難しいだろう。

少なくとも主流にはなりえない。

であるなら、我々は逆に日本人であることを貫き続けるしかないのだ。


これは日本人文化SUGEEEEEEEEEEEEEとか日本最高!であるとかそういうことでは決してない。

日本で生まれ日本で育った日本人が「自分ストーリーを語る」とは一体なんなのか?

それを突き詰めると結局日本生活した人間目線から見た作品しかありえないのだ。

そういう意味多様性を語るのであれば

例えば、近年東京で増えてきた外国人日本人交流・衝突を描いた映画であるなら語れるだろう。

あるいは「シン・ゴジラ」のような日本ポリティクスを突き詰めた作品もっと作ってもいい。

最初はなかなか理解されない可能性も強い。

細部については理解やすいようにローカライズするのも構わないだろう。

しかし、将来を見据えるならそういったカルチャーの積み重ねによって理解してくれる人を増やすしかない。

海外では日本被れをweeeabooooといって揶揄する言葉存在する。

では、ハリウッド映画を毎年のようにバンバン見ている私たち日本人はなんなのだ

それこそまるで日本版weeeabooooではないか

日本スターウォーズが年間興行収入2位になる国なのだ

そこらじゅうweeeabooooだらけではないか

もし本当に日本コンテンツ海外に広めたいのであれば、文化的衝突を恐れてはならない。

日本進出したハリウッドがそうであったように。


海外の人が日本的ものを作って欲しいという要望を出しているのにもかかわらず

なぜか海外的なものをつくらなければならないと勘違いしてしまう事が日本では多発する。

この記事でもセブルスキーさんの言っている

日本にはとても優れたストーリー・テリング伝統があり、日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから

という発言を聞いておきながら

日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」

というタイトルをつけるのは雑すぎるだろう。

もっと日本人の観客の言っていること、海外の観客の言っていることを良く聞くという地道な

コミュニケーションを取る方法以外に解決策はないのだ。

そのキャッチボールを行うためにもっと流通網を整備し、海外意見を拝聴できる体制を整えるべきなのだと俺はそう思う。

つーか進撃の巨人実写版日本の客のことも考えてないだろ。

ed wood

http://anond.hatelabo.jp/20161208202908

ぴったりの映画あるよ

ed wood glen and glenda

from outer space

花嫁

2016-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20161208212334

自分によく似ている人ならば、共通趣味感性で話が盛り上がるだろう

同じ会社で働いて、仕事趣味みたいなもんだ。



>一方で似たような話題ばかりで刺激は少ない

まあ、デート中の会話なんてだいたいネットで話題になっていることか新作ソシャゲの進捗報告だろう。



>お互いに趣味にどっぷりな人ならば前提知識の共有なしにオタクトークができる

まったくだ。

フォントの話やデイリーポータルの最新記事や昨日炎上した増田ネタトークできる異性が他にいると思えない。



>似ているけれど他人なので、こだわりが強い分野の話などでいざこざが起きるかもしれない

一緒のプロジェクトだった時は「死んでもこいつとだけは恋愛関係にならねーぜ!」って

思うくらい揉めた。



>似ているけれど他人なので、好きな分野の情報を違う経路から手に入れられたり、違った視点から物事を見れるだろう

そこは男と女からかな。

視点は全く違う。



自分と違うタイプの人ならば、自分の知らない分野の話や今までになかった視点から新鮮に物事を見れるだろう

同じような属性人間でも、新しい話題っていうのはつきないものだぞ。

特にネタ好きなやつは。



>ただしそれに対していつも面白いと思えるとは限らない

相手の会話が超絶つまらないことは日常茶飯事だ。



>お互いに深いところまでは理解できない

相手気持ちはいつもわからん



>深いところに立ち入れないから適度な距離感を保って良好な関係を続けられる

もうちょっと距離近づけたいけどな。

主に下半身的な意味で。



趣味に付き合うことで新たな楽しみを知ることができたり、逆に趣味に誘うことで1から人に楽しさを伝えられる

一緒にゲーセンで協力プレイできて楽しかったぜ。

そんなプリンセス願望むき出しの映画誰が見るかよ!!

って思うような映画連れてってくれてありがとな。

面白かったぜ。



>付き合いで始めた趣味など所詮付け焼き刃でしかない

申し訳ないけど三年がかりで編集したっていう

アニメのオープニングと笑点動画マッシュアップした面白動画作成

っていう趣味だけは理解できなかった。



以上。

君を愛している。

だってボーナスがもらえるんなら公開日の映画映画のスキマ時間風俗のんびり時間潰す文化的繁華街の贅を尽くす週末を過ごしたかった

現実サービス休日出勤

趣味を減らしたい

ゲームをしたい。Steamで買い漁ったゲームをしたい。PS4フリープレイで詰んでるゲームをしたい。新作をしたい。ネトゲをしたい。パズルゲーをしたい。エロゲーをしたい。RTAをしたい。スコアアタックをしたい。音ゲーをしたい。カラオケしたい。ヒトカラしたい。90点以上出したい。新しい歌を歌いたい。古い歌を歌いたい。J-POPを歌いたい。フォークを歌いたい。ラップをしたい。森山直太朗を歌いたい。映画をみたい。邦画を見たい。洋画を見たい。毎週みたい。毎日みたい。何度でもみたい。見逃した映画TSUTAYAで借りたい。ネット配信でみたい。テレビ番組を見たい。アニメも見たい。特撮も見たい。お笑いも見たい。バラエティもみたい。ドキュメンタリーも見たい。ニュースも見たい。筋トレをしたい。腹筋をしたい。腕立て伏せをしたい。正しい筋トレをしたい。ウォーキングがしたい。ジョギングがしたい。あわよくばマラソンに出たい。マラソンに出る服が星井。図書館いきたい。勉強したい。図書館のあらゆる分野の本を読み漁りたい。知らないことを知りたい。本を読みたい。読んだ本の著者の評判を調べたい。賛否両論を見たい。音楽が聞きたい。新譜が聞きたい。古い曲もいい。クラシックを聞きたい。レコードを掘りたい。DJもやりたい。MIXもしたい。マイクもしたい。MCもしたい。ラップもしたい。

変なストーリー映画

■追記

みなさんありがとうございます。『牛頭』『フロムスク』とかそういうのです!

説明不足で申し訳なかったですが、ジャンルものでハッキリしたストーリーがありそうなのに展開が変、っていう感じが自分の言いたかった感覚に近いです。他人に勧めたいけど魅力を語ろうとするとネタバレになって困る感じの…『コワすぎ!』『デスプルーフ』も近いかな?

『キン・ザ・ザ』『ブラジル』とかリンチ作品や『ドニーダーコ』『ミスターノーバディ』も面白いですが探してるものとはちょっと違いました…『幻の湖』も…

とりあえず『団地』『ソウルキッチン』『ボーグマン』『8 1/2』怖くて手を出してなかった『マーターズ』観てみます

あと説明見てもよくわからない『リヴァイアサン』もすごく気になる…

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変なストーリー展開をする映画が観たいんだけどオススメはないでしょーか。

例えば『アダプテーション』『マルコヴィッチの穴』みたいな、いったいどういう方向に話が進むのか、途中までジャンルが何かすらわからないような意表を突いてくる映画が観たい。

他には韓国映画の『その怪物』『最後まで行く』『殺人告白』とかも全然先が予測できなくて面白かった。

こういう感じで予想をぶっちぎる映画、他に何かないですかね。

PSVRのこと

シネティクモードに背景がほしいよね。

真っ黒の空間に浮かんでいるスクリーンでは物足りない。

VR空間内の平面に外部映像入力を表示できるべき。

そしたら、人気のキャラクタの居る素敵な空間映画を見たり出来る。

http://anond.hatelabo.jp/20161208161710

自分は、

映画作品一次資料」とは言ってないニュアンスで受け取ったな。

映画の中身=一次資料」ってニュアンスに受け取った。

映画作家

作家性ってのは、作り手の個性だと思うんだけど、

アニメ映画は絵や動きが独特なのでわりとそういうの見えやすいんだけど(音楽も同じ人に頼むこと多いし)

実写映画にそれを見出すのが苦手だ。


誰かコツを教えてくれ。

歴史上の人物感情

大学史学って、

政治史社会史、民俗史などを勉強するもんだと思うんだが、

テレビなんかでは、

わりと1人の人物クローズアップした人物史・偉人伝的な番組が基本だなぁ、と。


詳しくないんだけど

日本って源平の登場以前は、

政治軍事力を持っている人が別々。

登場後は

政治軍事力を持っている人が一緒。

明治時代以降は

また別々。

昭和前半は

軍人さんが総理になった時は一緒。

昭和後半以降から今に至るまで別々。



どっちかっていうとドラマ映画になるのは、

政治軍事力を両方握ってた人がいた時代であることが多い。

あと、歴史ドラマ

過去になればなるほど、美醜で見られ、

近代になればなるほど、善悪で見られる。



個人的には、

史学は美醜や善悪を超えた所にあるような気がするんだが、

人物史や偉人伝をもとにしたドラマは、

それを乗り越えることは難しいのかもしれない。

ユーリ!!! on ICEを見て悩んでる

自分もしかしてホモフォビア気質があるのではないだろうか?と。



最初は楽しんでみてたんだ。

ただ時々はいってくる男同士のそれに、「えっ」となって、まぁでもそういう感じの作品もあるよなぁと思ってた。

フィギュアスケート特に芸術競技だ。その延長線上だろうと思って見ていた。

でも自分の中でアニメや展開の面白さの感想とは別に、別の感想が育って行った。

『この描写必要?』という感想

しかしたらスポ魂に恋愛描写が入ってくるのが「なんで?どうして?」という感情なのかもしれない。

ジャンプ漫画ありがちなスポ魂に唐突に入り込んでくる恋愛描写のような。

でもユーリ恋愛描写は、冷静に見れば唐突でもなんでもない。当たり前にそこにある。

じゃあこの感情は違う。

すると、この『愛』描写に感じる違和感は、自分ホモフォビアからなのでは無いかという新たな疑問にたどり着いた。

そういう意識は今までない。実写作品ホモセクシャル描写が出てきても、同性愛者でもなんでも、とくに嫌悪感など感じたことが無い。

当たり前にあるもので、当たり前に受け入れてきたように思う。身近にも居る。

男同士の恋愛描写がメインのある映画が好きだと公言しているし、ホモ作品などは好んで見ているほうかもしれない。

しか所謂BLアニメ漫画作品を見たことは無かった。

今回、この作品をここまで見て、自分に明らかにその描写拒否する自分を見つけた。

何故なのだろう。その拒否をする自分は嫌いだ。

でも嫌いな自分は『主人公1話女の子が好きだった描写があったじゃないか』とか『マスメディア含め周りがなんで男同士ってとこに突っ込まなんだろう』とか

フィクションの優しい世界ケチをつけはじめてしまう。

そういう世界を描いたって良いじゃないか、女も男もどっちもいけても良いじゃないか

そうも思うのだ。



タイトルを見てもらった通り、この感情思考に着地点が無くて悩んでいる。

しかしたら自分がまだ初心で、衝撃的で。大人のべろちゅー描写気持ちわるっ!と思っていた子供のような感情なのかもしれない。

しかしこれ以上、このアニメを見ることは無いのかもしれない。

とても面白い作品なことは、明らか。

自分問題があったんだなと、自分に落胆している。

2016-12-07

映画漫画キュレーション数字

数字になる事自体はわかっても、映画漫画キュレーション数字以外で表せないか映画漫画数字世界が重視されてしまう。

同時に数字を取れる中身が調べつくされているので、数字の取れる内容だけを選別してベースに載せることばかりやっているとも思う。

純粋良心はどこにあるのかといえば、身を削ったマヴォガロ良心は金にならず身を削るなんてそれほど新しくないが、

面白さをポイント化・数値化して、人が飽きる瞬間を狙えるのがマーケティングなのかも。

恋愛映画見なきゃよくね?

http://anond.hatelabo.jp/touch/20161207003845

を読んでそう思ってしまった。

俺はもう恋愛します!みたいな映画ドラマも、アニメすら精神的にきつすぎて見れないよ。

しろなんでみんな恋愛ものを見るんだ?

艦これ映画観てきた

レイプ被害者の如月

望んで新しい命を宿した吹雪の対比がヒドすぎないか

如月が何したっていうんだファン泣くぞ

とりあえず今日如月エロ同人誌で抜こうと思います

某所より

TV版に違和感を感じなかった組ですが見てきましたよ。先に言わせてもらうけど、一般論としてTVアニメ感想コメント批判ですらない悪口文句多すぎて閉口する。

無理難題押し付け制作側に過酷労働環境を強いてるのはおまいらだぜ。

一銭も金払わずに見て、批評家顔して場が荒れるような罵詈雑言まくしたてるのは視聴者の分を超えてると気づけよ。

さて劇場版のほうだけど、最大の弱点はワンエピソードで終わりの単純かつ線の細いシナリオかな。

今回はファンアイテムとしての劇場版からいいけど、「映画」を期待する人が見たら肩透かし食らうだろね。だから艦これ」未経験者にはあまりお勧めできない、のが痛い。

それともう一つは・・・必ずしも弱点だけではないけど、「艦娘」の物語にはなっていないこと。

これは「艦これ」そのものテーマ物語だわ。

からいまいちキャラ物語に振り回されてる感が強くて、戦闘シーンもいまひとつ物語と密接に絡んでこない。結末部分も、吹雪がどうやって帰ってきたのかとかオチてないしな。

ただ、制作側がこの映画を通じて伝えたかったメッセージっていうのはすごく明確で、その内容の質も高かった。

映画見ている最中には正直もやもやしてたんだが、終わったらピンと来てぐっと心に刺さったわ。

いい意味角川映画らしい映画

でも、この「メッセージ」ってやつを文字で書いちゃったらそも映画で見る意味がないし、誰もが受け入れられるメッセージでもない、と思うのでまあ見てない人はぜひ見に行ってみては(宣伝)。ていうか自分としてはもう一回見に行きたい。一言だけヒントを言うなら、予告編にも出てきた「希望」って言葉重要なカギです。