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2017-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20170117102652

全部画像漫画が大体1冊50~100Mくらい、100冊なら10G程度

HD画質映画数本見れば終わる容量だぞ

ISDN時代じゃないんだからキチガイでもなんでもないじゃん

そもそもタブレットなら読むときに落とせばすむ話だしな

http://anond.hatelabo.jp/20170117003124

同じく。

10回ぐらい読んでやっと登場人物が把握できて、セリフ理解が追いつくようになったわ。一つのコマである程度そのシーンの状況が把握できる作りじゃないからわかりづらいんだよね。まあわかるとすごく面白いんだけど。

映画と同じく望遠で寄せて撮るのを基本にしている感じ。マンガ場合広角で撮ったシーンを時々入れてまずシーンの状況がわかるとラクなんだが。

シン・この世界の名は。

2016年は、邦画の当たり年だったといわれている(多分)。ミーハーな私も、話題になった『シン・ゴジラ』、『君の名は』、『この世界の片隅に』の3作は劇場に足を運び、どれも非常に楽しませて貰った。

この中で、どれがお気に入りかは、その人の年齢や興味、価値観などによって分かれるだろうが、私のお気に入りは、『この世界の片隅にである

物語の出来の良さは、どれも素晴らしいと思うが、『この世界の片隅に』のユニークな所は、タイトル通り『この世界の片隅』を描いた事である。従来映画では、世界の中心を描いてきた。

例えば、『君の名は』では、彗星落下という一大イベントに対して、主人公が町とヒロインを守る。主人公は、その世界において中心的な役割を演じ、大イベントに対して、積極的に行動し、大きな成果を生む。

かたや、『この世界の片隅に』では、戦争という一大イベントに対して、主人公は、日常を奪われ、大事な人やものを奪われ、終いには自分のあずかり知らぬ所で勝手に終わる。それに憤りはせよ、結局のところ戦争に対して、ほとんど無力なのである

私たちは、そういった一大イベントに出くわした時、一体どちらになるだろうか。

しかし、多くのものを失ってもなお、残ったものと、そしてまた新たに芽生えたもので、この世界の片隅で生きていくのである

あなたお気に入りはどれですか?

3D映画がでてきたせいで2dしかない普通映画にわざわざ2Dとつくようになったのもレトロニムかな

シンゴジラ3dってあるのかと思って検索しちゃった///

http://anond.hatelabo.jp/20170115073928

少なくとも、映画館に人を呼べる「顔」がなくなったんじゃないかな、と思う。

あくま個人的意見なんで、反論があれば、訊きたい。

面白いのは、なにか契約があるのか、視聴率が低かったテレビドラマ映画化作品

只でも観るやつがいないのに、金を払って観る奴なんているの?って思うよ。


テレビ屋さんの映画でも、「信長協奏曲」って、年間映画興行収入ランキングで9位だって。いい線いってるじゃない。

でも粗筋読んで、だれが見るんだろう、って思ったよ。

何で日本アニメ2000年代末で失速したんだろう

宮崎駿 高畑勲 今敏 大友克洋 押井 安倍吉俊 WOWOWアニメ マッドハウス プロダクションIG 初期ノイタミナ セカイ系

などの関係作品が盛り上がってた2000年代半ばまではアニメしかったけど

ここ数年で観たいと思うアニメ作品が一つもない

まるでお祭りが終わって静まり返ったような感覚

2ちゃんねらー人達はみんなhuluネットフリックスamazonプライムなどの映画海外ドラマなどに夢中だし

ここ最近ディズニーピクサーマーベルDCの盛り上がりはすごい

もう日本サブカルチャーは終わりなのかな…悲しい😢

追記:abematvとかで盛り上がるのも古いアニメ作品ばかり

2017-01-16

この世界の片隅に」観てきたけど駄作だった

ネトウヨに媚びてるだけのクソアニメ

はてサの間で評判が悪いのも納得だわ

一緒に観た「ドント・ブリーズ」の方がよっぽど映画として上等だった

最近お笑いって、差別助長マシーンになってるよね

アメリカ理想→誰に対する嘲笑もなくそうぜ!それが俺たちの理念や!

いまの日本→全員に対して嘲笑すれば平等だよなwww

うーんこの

なんつーか既にお笑い芸人って勝ち組で影響力も親以上に大きいと言ってもいいレベルなのに、こういう批判されると河原乞食なんで~とか言い出すのマジで死ねしか思わない。

家以上にいる時間が長い学校でまねされるのは共通文化であるテレビである率が高いのに、親より影響大きいんか!とか言ってる映画ダダズべりハゲを持ち上げてる信者の気がしれない。

最近とあるあるネタとかな。

一般人キャラを真似して嘲笑するって、どんどん生きづらくさせてるだけだと気づいてるのかな。

そういう一般社会もやもや言語化・ネタ化して自分たち差別意識に気付かせるのが元来のお笑いなのに、笑ってもいいものなんですよ!ってただの差別助長マシーンじゃん。

ま、こんなこといっても、お笑いは正しい!お笑いの芸がわかってないおまえが悪い!と叫び続ける脳ミソ腐ったお笑い信仰マンは聞かないんだろうけど。

アニメの多くは文化産業を退廃させる…映画メディアアートの方が

良い

最近日本アニメ映画のようなまともな心理描写メディアアートのような芸術性がない

ディズニーピクサーに完敗してる

文化庁アニメを切り捨てて映画メディアアートに力を入れて欲しい

もう宮崎駿が現役だったり今敏が生きていた頃のようにみんな日本アニメなんか観てない

ハッピーエンドかと思ったらパンティーエンドだった映画100選

http://anond.hatelabo.jp/20170116073737

信者じみたの(他の映画はろくに見ていない)が喚いてるだけでしょ

この世界の片隅にが高評価からいつものアニメ差別ガー」「オタク差別ガー」も使えないし

誰が何点入れたとか明確に示されてるから陰謀論にも出来ないのによくやるこった

http://anond.hatelabo.jp/20170116072033

映画は未だにマスに見られてるから、こういった諍いが起こるんだろうな。

良い意味話題になる映画はちゃんと一定クオリティもあるから、見てる本数が少ない人はその人の年間ベスト映画になってるだろうし。だから何で入らないんだと思うんだろうし。

これが小説漫画音楽となると最近はそもそもマスに共通で波及するものもなく話題にもならないから、ランキングにもケチ付けられることはないという…。

あ、漫画はこのマンとかケチ付けられてるか。

先日、「君の名は。」がキネマ旬報ランキングに入らなかったことについて

それに対して喜んでいる人

憤ってキネマ旬報批判する人

どちらも他人の目を気にしながらでしか映画を観れないということで

非常に残念。自分の好きなものは素晴らしいで十分じゃないですか。

君の名は

普通の方は除いて、オタクだったり映画監督だったり美術に触れる機会のある人間

あの映画感想をまずつまらないと表現しているのを見ると二度見してしま

あくま美術に触れる機会の多い方のみの話

ストーリー展開が合わないとかキャラが苦手とかそのあたりは十人十色だと思うので好き嫌いはあって当然だと思う

でもあの背景美術の圧倒的美しさに何も感じるところがなく、まず最初につまらないと言える感性

この人審美眼ないんだなという証になるのでよかったとも・・・

芸術方面仕事をされているならその人の作るものはもう選ばないでしょう

もしくはあれ以上か同等の背景を描ける人がいうなら、そりゃあ自分であれだけ描けたら思わないよね

まらなくても仕方ないかもと思う

小説家なら美術、絵とは無関係からストーリーにまず目が向くのはしょうがないのかなと言う気もするけど

文字だけでどんな風景の中にいて、どんなルックスをして、どんな表情をしているのか読者の頭の中に映像

表現しなければいけないわけだからやっぱり感性が死んでるなと思ってしま

http://anond.hatelabo.jp/20170115103748

おすすめ映画で色々募って1票しか入らないような映画を見た君が悪い

凡作を手に取って日本映画を語ることはできない

君の名は。」を選外にしたキネマ旬報カス

君の名は。」がキネマ旬報ベスト選外となったけど、これは、日本映画批評における下記の(伝統的な)問題点象徴する出来事なので、みんなもっと大騒ぎすればよいと思います


最初問題点日本映画批評は、アニメーション映画を適切に評価することができません。


キネマ旬報ベストテンランクインしたピクサー映画は、何本でしょうか?少し考えてみてください。答えは、ゼロゼロですよゼロ世界アニメーション革命を起こした「トイストーリー」も、障碍児童冒険譚をウェルメイドに仕上げた「ファインディングニモ」も、冒頭からほとんどセリフを用いることな世界の荒廃を描いた意欲作「ウォーリー」も、トリロジーの最終作として圧倒的な完成度を誇る「トイストーリー3」も、ベストテン選外になっていますピクサー以外でも、「アナ雪」も選外なら、2016年は「ズートピア」も選外。正気かよ。日本アニメーションに目を向けても、例えば故 今敏作品は1本もランクインしていません。「千年女優」を超える絢爛な日本映画2001年10本あったか?「東京ゴッドファーザー」を超える抑揚の効いた感動作があったか?「パプリカ」のイマジネーションを超える作品があったか?「パーフェクトブルー」ほど低予算映画で、今なお国境を越えて評価され続ける映画が何本ある?


次の問題点日本映画批評は、映画自体の良さではなく「他国における賞レースの結果」や「興行成績」や「過去監督作の評価」などの外部要素に引き摺られすぎる。


2000年以降、ピクサーを筆頭にCGアニメーション映画映像面、シナリオ面での革新を重ねる中、たった1本だけキネマ旬報ベストテンに名を連ねた映画があります2009年戦場でワルツを」。レバノン内戦における監督自身記憶を辿る、という半ばドキュメンタリーのような内容の映画で、ここ数年の作品でいえば「アクトオブキリング」ような手触りの、とてもいい映画です。とてもいい映画なんですが、たぶんこの映画キネマ旬報ベストテンランクインしたの「アカデミー賞ゴールデングローブ賞外国語映画賞部門ノミネートされた最初アニメーション映画」だからなんですよね。あと反戦映画から反戦映画と、海外映画賞をとった映画日本映画批評において高く高く評価されます

興行成績の良い映画評価も引き下げられます興行成績がよい映画は「おれが評価しなくてもいいだろう」という寝言をいいながら、実のところ「自分は年に100本も200本も観ているのだからパンピーと同じランキングには出来ない」という薄っぺらながら自意識を守るために、本当はすごく面白かったのに、8位とか9位に入れたり選外にします。2016年も「シンゴジラ」より「クリーピー」を評価して、ズートピアを選外にしたハゲがいましたね。「こいつらは友達が多いから、ほかの人が評価してくれる」って言い訳しながら。一言。邪念が多いよ!!面白い映画普通に評価しろよ!!いや、確かに「クリーピー」は面白い。その通り!映画順位をつけるもんじゃない。その通り!けど、正直「シンゴジラ」と「ズートピア」より「クリーピー」のほうが順位が上、とい上のはさすがに無理があります

過去監督作に評価が引き摺られすぎる、というのはイーストウッド映画過大評価が最も有名でしょう。確かに、イーストウッド映画面白い。本当に良い映画ばかりです。でも「グラディエーターアメリカンビューティーとダンサーインザダークを抑えてスペースカウボーイが1位」とか「父親達の星条旗硫黄島からの手紙のワンツーフィニッシュ」は、やりすぎをこえて「ヤラカシ」だと思うんですよね。

ヤラカシ」といえば「オールタイムベスト日本映画こと七人の侍が、キネマ旬報年間ランキングでは3位な件」がもっとも有名ですが、このときは「木下恵介作品のワンツーフィニッシュ」というわけわからんことになっているんですね。1位は「二十四の瞳」。これは、わかります。「二十四の瞳」はすごい映画です。今観てもびっくりさせられます(比類する作品は「6歳のボクが、大人になるまで。」ぐらいしかし無いのでは?)。ところで、2位は?…2位は、「女の園」という映画です。…いや、本当なら観てから言うべきなのはわかります。でもあえて言わせていただきたい…知らないよ!!オールタイムベストどころか、木下恵介監督作としても無名作品なのではないでしょうかコレ。(誰か観た人いますか?もし「おれは観たけど、七人の侍よりずっと良い映画だよ」という人が多ければ、この段落は訂正の上謝罪いたします)


最後問題点日本映画批評者は、孤独すぎる。


映画は観る環境によって、評価が大きくことなます。これは前項と矛盾するようで矛盾しません。映画館で観る映画と、家で観る映画は違います。「IMAXで観るゼログラビティと、金曜ロードショーゼログラビティは別の映画だ」と言われて、否定する人は少ないでしょう。映画体験です。ウェイン町山が「試写室で隣にピエール瀧がいたので死ぬほどビビった」と言って「凶悪」を年間ベストに挙げるように。ガース柳下金沢映画祭で観た映画を年間ベストに挙げるように。「お家に帰るまでが遠足」と言われるように。「フェスで盛り上がる曲」があるように。では、「夫婦カップルで観に行き、食事をしながら感想を言い合い、その日の記念にプリクラを撮り、インスタに半券の写真を上げたくなる映画」は、その体験込みで評価しなければいけないのでは?

ひとり、ルーチンワークとして試写室のパイプ椅子に座り、原稿の締め切りを頭の片隅に置きながら観る人間は、金曜ロードショーで観た「ゼログラビティ」をつまらなかったと言い切る人間と変わりません。真面目な話、かつてこれほどまでに評価され、クチコミ観客動員の伸びたデートコースムービーってあるんでしょうか?そう言えば「動員で映画評価を語るなら踊る大走査線2は名作」って言ってる人がいましたね。…寝言かな?(たぶん口を滑らせたのだろうと思うけど)


以上3点。おれは「息もできない」を年間ベスト映画に選ぶキネマ旬報のことが(ピラニア3Dを年間ベスト映画に選ぶ映画秘宝より)本当に大好きなんだけど、やっぱりよくないところはよくないところなので、なおしていただきたく候。


なおちゃぶ台をひっくり返すようだけど「君の名は。」は観てません。だって子どもが生まれたばかりで、奥さんが育児で手一杯だったからね。子どもがもう少し大きくなったら、ポテトチップスコーラを片手に、あーだこーだ言いながら2人で観るよ。ほなさいなら

『THE OA』って海外ドラマが神だった。

ネットフリックスっていう課金制の映画視聴サイトがあるんだけど。

そこで視れるんだけど。

かなり面白かった。

  

俺は子供のころは文学にかぶれてたんだけど。

医者さんになってみると、「精神病」ってのを疾患として理解できてしまって、

私小説とか、メンヘラ的な小説への感慨みたいなのが一気にそがれてしまっていた。

  

文豪神経症を見ても、「この時代は薬がなかったからねー」とか、「あ~これは典型的貧困妄想ですねー」とか。

パターンとしてしか見れなくなっていた。

そりゃ、書かれた時代は治らない病気から問題だけど。

現代では、治るっていうか、超絶重い状態精神病ってのが滅茶苦茶レアになってしまった。

  

で、そういうのをもう一度手に入れさせてくれたわ。

主人公精神病設定なんだけど。

「本当に精神病なのか?」という疑いを持てるぐらい説得力があるんだよね話に。

ストーリー展開も神がかっていて。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』的に2つの話が行ったり来たりして、最終的につながるっていう。

更に素晴らしいのが、登場人物たちの人間性やどうしようもなさが伝わってくる。

  

まあドラマ自体のできがすごいってのはあるんだけど。

文学的意味合いとして、「臨死体験精神病を繋いだ」というのがうまいと思った。

現代では宗教的オカルト的なものは一笑にふされちゃうんだけど。

臨死体験は確かにオカルトとしても異質。

実際に臨死体験を経て超絶能力得てるとかあるから、謎な部分とかは確かにあるんだよね。

ここを結び付けてきたのがうまい

精神病奇跡だの神秘だのでごまかさずに書いてたり、周りの人の空気感ごまかさずに書いているのに。

それなのに、奇跡を書けるってのがすごい。

  

物語のしめかたも上手すぎてびっくりした。

完成度が異常に高い作品だった。

生きるのに興味が出ないってことあるよね

思えばこの世に誕生してからはや22年、一度も生きることに前向きになったことがない

小学生自殺を考えてから人生紆余曲折あったはずなのに、死生観なにも変わらないまま社会人なっちゃうよこんなはずじゃなかったパトラッシュ

映画小説漫画で観る他人人生あんなに楽しそうなのに、同じことが起こっても全く心が動かない

私の心、もしかして生後二歳あたりでメデューサに凍らされてるんじゃないかって疑うレベル

友達にも恋人にもあまり興味無いけど母親が泣くのだけは辛いか今日も生きてる

ねえお母さん、悟らせてないつもりだけどこんな親不孝な娘でごめんよ

[] #12-4「自由大国

テーマ曲:「麻薬アブナイ

歌:ウサク、マスダ、タイナイ 作詞作曲:ウサク



麻薬アブナイぜ 体に良くない

色々あるし 医療とかで使うケースもある

けど一般人は 気にしなくていいよ

基本的アブナイって 認識で構わないよ



ヘロイン! コカイン

ランニングそれともチャリで行く?

マリファナ! シャブ! クラック

チキンもしくはターキー

コーラポテト ナゲットご一緒に!?

ガールフレンドラブラブかい

やばいやばいよ ヤーバー



色々あるけど 覚える必要ないよ

麻薬アブナイ それで十分だろ?

依存性とか毒性とか メチャクチャすごい

麻薬アブナイ 何がそんなに難しいの?

ガキでも分かることだぜ

麻薬アブナイ それでも使う人がいるの

麻薬があるから 麻薬から

ならば撲滅しようぜ 使った人間もろとも

麻薬アブナイぜ 麻薬アブナイぜ……




……

出し物のムービーが終わった。

その後、何とも言えない空気が観客席全体から漂うのをひしひしと感じる。

実際、何とも言えない出来なのである

有り体に言えばドン引きである

だが、監督のウサクだけは満足そうなのが余計にツラい。

「なあ、マスダ。このウサクって奴に監督やらせるのは失敗だったんじゃ……」

オサカが俺に耳打ちしてくる。

「……まあ、いいんじゃないか」

俺も制作に関わっている以上、こう返すのが精一杯だった。

いくらなんでもメッセージ性が露骨過ぎる。どこぞの公共団体が作っても、もう少しマシな演出するよ」

それをウサクじゃなく俺に言うのは、きっと言ってもロクなことにならないことを作風から感じ取ったからだろう。

「あとプロットが歪なことになっているじゃないかあんな人々に悪影響を及ぼして、しか依存性の強いものが当たり前に普及しているってどーいう設定だよ。しかも、それがロクに規制禁止もされていないって、どんな国だよ」

「まあ……フィクションから

フィクションなのに、あんな実際にあったみたいなノリで描写されていて、そこに社会的メッセージまで露骨にするってのが姑息なんだよ、あと……」

その後もオサカはしばらくこの調子だった。

とりあえず俺たちが学んだのは、ウサクに好き勝手映画を作らせるのは麻薬並に危ないということだった。

2017-01-15

[]映画劇場版 艦これ

この世界の片隅にシンゴジラ艦これという順番で見ると、比べるもんじゃないとはわかっていながらも、やっぱ数段落ちる出来だなあと思わざるをえなかった

・でも逆に、同じ値段でクソ映画からめっちゃおもろいのまで見れる場所って意味では、映画っていうレジャーってすごいなあ

普通価値によって値段の差が出るものなのにね

閑話休題

・初めてアニメ映画フィルムをもらった

フィルムは出撃時にRJふくめ数人がちょっと遠いところからうつってるところだった

・でもキャラうつってるだけまだマシなんだろうな

・あ、そういえばはじめてのフィルムって意味ではエヴァ序の資料集?みたいなの買ったときもついてたから、今回初めてじゃなかったか

あんときはなんかよくわからん背景かなんかのフィルムだった気がする

・まあキャラ出てるシーン多いし艦これ映画フィルムではずれの人って少ないんじゃないの

・と思って検索したら、真っ暗だったとかいコメントちらほらあった・・・

閑話休題

・なんかいきなりショートランド、常夏の島っぽいとこにきてた

TV版のラスト全然覚えてないけどなんでこんなとこにみんないるんだろ

・そういやシリアス一辺倒だったせいか水着なかったな

TVではあったか

・メインテーマTVでさんざん叩かれた如月提督)の救済だった

鉄底海峡、アイアンボトムサウンドでの戦いなのにダレも沈まなかったから緊迫感なかったなー

最初最後の戦いは動いたけど、その反動かそれ以外がほとんど動きがなくて眠くなった

アニメ予算の都合なのはわかるけど、それで映画としての体をなさなレベルで画面の動きがないのはちょっとどうかと思うわ・・・

・まあTV版もこんなもんだったかなあ・・・

熊野セリフ一言なのにめっちゃインパクとありましてよ

時津風めっちゃ優遇されてたイメージ

・あ、そういや人気あるはずの島風全然出てこなかった気がする

提督については一度も出てこなかったし・・・

・RJってTVででてたっけ・・・

TVアニメは全部リアルタイムで見たけど、円盤は買ってないし、もう艦これ自体1年前にやめたからいろいろと冷めた目で見てしまった・・・

・早く終わらないかなーと途中ずっと思ってた。退屈すぎて

この世界の片隅にシンゴジラときはまったくそんなことなかったのになー

実質的に1時間ぶんくらいだった気がする

映画にするために無理に一時間半に引き伸ばした感じ

・心象世界っぽい描写もこのご時世にあんなん見せられてももう手垢つきすぎて古くさすぎて見てらんなかったし

砲弾飛び交う中で棒立ちで会話してるとことかツッコミたくてしょうがなかったわ

・つーか映画おそすぎ、というツッコミは野暮なんだろうな・・・アニメゲームがあの出来、遅さだったし

劇場版発表されたときファン悲鳴(うれしい悲鳴ではない)に対して、なんとか体裁たもっただけ、及第点とすべきなんだろうな

・ほんと艦これアニメゲーム展開がもったいなさすぎるわ・・・何が戦犯だったんだろうなあ

電子書籍至上主義者と「紙の本」原理主義者は別の「本」を思い浮かべている

うまく説明できないけど。

前者の言う本は知識を得るためのツールで、それは仕事で使う参考書自己啓発本の類。あるいは、読んでいることがステータスになる本。

本とは情報インプットするためのもので、入手が簡単アーカイブ性が高い方が使い勝手がいいか電子書籍を好む。

後者の言う本はアート体験映画好きが映画館ポップコーン匂いをひっくるめて映画を楽しむように、書店で本を選ぶ手間暇と装丁や紙の手触りをひっくるめて本だと思っている。

私は「紙の本」原理主義者で、だからはてブに上がってくる電書籍万歳エントリーいまいちピンとこないし、

電子書籍至上主義者も紙の本の「良さ」を熱弁されたところで頭に?が浮かぶだけだろう。

結局、何が言いたいのか自分でもよくわからないのだけれど、電子書籍の普及で紙の本が衰退することはあっても完全に代替されることはなくて棲み分けが進むだけかなみたいな、ふわっとした話。

ネットで男女論カルト洗脳された人見ると思わず笑っちゃうよね

マッドマックスフェミ要素がある…素敵」みたいのとか

おおかみこどもの雨と雪ミソジニー」みたいのとかさ

社会学にかぶれた意識高い系が畑違いの映画的外れ評論してるのたまに見る

溢れ者やマイノリティの疎外感を描いた映画には 育ち良い意識高い系人達感情移入共感できないんですね

そこで「せや!誰もが男か女なんだから男女論に持ち込んだらワイらマジョリティでも感情移入共感できるやろ!」って脳内物語を作り変えちゃうわけ

マジョリティ強者にかかれば マイノリティ障碍者貧困戦争や疎外感を描いたどんな映画も万人に共通ヌル〜い男女論の話題に変えられてしま

ほんとウンザリ

機能不全家族だったり発達障害だったり貧困だったり共同体の疎外感などの生きづらさに悩んだことのない楽に育った人間達が楽に受け売り理論で語れる…それが男女論なんです

社会派の多い映画文化は男女論カルトにとって畑違いなんだから口出しすんな

一生サブカルテレビアニメでも評論してろ

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。


オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。


「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。


不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。


(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

君の名は。」って、オープニングで台無しになってる気がするのだけど

ちょっと前だけど、「君の名は。」を見てきた。

なんで3年の差があると気づかなかったんだよとか、いくつかツッコミどころはあるものの、設定は面白いと思うし、ストーリーもまあまあ面白かったと思うのだけど、オープニングで台無しになってるんじゃないかと思った。

自分記憶違いでなければ、オープニングで三葉の大人の姿を描いていたと思うのだけど、本当、何でオープニングで三葉の大人の姿を描いたのか意図が分からない。オープニングが最大のネタバレになってるじゃないかと。

そのせいで、途中に三葉はすでに死んでると分かっても、「あれ? オープニングで大人の姿描いてたよな?」と混乱したし、その後に町を救おうとしたところも、展開的には救えるのか失敗するのか分からない流れだったのに、ふとオープニングの三葉の大人の姿を思い出して、気持ち萎えしまった。

ただ、映画を見終わった後にいろいろネタバレ考察を見てみたけど、自分と同じように思っている人は見つからなかった(二回目見てオープニングでネタバレされてることに気づいて驚いた。というレビューならあったけど)。

逆に、そういうサイトを見ていくと、「そう言われてみればいい話だったのかもしれない」とは思ったけど、少なくとも映画を見終わった後はいまいちだと思った。

そもそも、大人の場面から始まる必要あったんだろうか。大人の姿で始まるから、てっきり本編は回想なんだろうなと思っていたら、むしろ丸ごと忘れているという設定だったのでちょっと混乱した(これは自分の頭の回転が遅いということもあるだろうけど)。

最近見たアニメだと、『響け!ユーフォニアム2』の1話最終回最後のシーンから始まってたけど、あれも必要なかったんじゃないかと。『響け!ユーフォニアム2自体2016年アニメの中でも名作といっていい作品だとは思うのだけど、あの始まり方のせいで、「多分最終回のシーンだろうけど、雪が降ってるってことは全国大会で終わるわけじゃないのか」と予想がついた。まあ、それ自体はそれほど問題ないのだけど、最初に持ってくる意味はやっぱりなかったんじゃないかと思う。

いろいろ書いてきたけど、そういう意味では、すでに話の展開を知ってる二回目のほうが楽しめるのかもしれないと思った。テレビ放送されたら見るかもしれない。

ブコメ見て追記:

>> "テレビアニメでもよくありますけど、オープニングって見方によってはネタバレの塊ですよね。本編のその後の展開を凝縮してるようなものですし。見終えてからもう一度見てあれはこういう意味だったのか、でいいのでは"

確かに、そう言われてみれば、ラブライブのオープニングで絵里が踊っててもネタバレだとか気にせずに展開を楽しんでような。

なんだかもう一回見たくなってきた。

凶悪』って映画を見たんだけど・・・

日本映画って基本的には見ないんだ。

日本映画って申し訳ないけど駄作しか思えない映画が多くて。主観からしゃーないですけど。

何が駄作かって言うと、やっぱり基本的に儲からいからか、ホント申し訳ないけど優秀な映画人が集まらないってことなんじゃないかなと思う。

全体的に雑と言うか、緻密に作られてないって言うか、もちろん予算も少ないんだろうけど、見てて楽しむより疲れることのほうが多い。

どうしても役者台詞・演技に頼り過ぎのところがあって、絵で見せようとしない。

じゃぁハリウッドならいいかって言うとそうでもないんですけど、期待値としては海外作品のほうが高くなります

昨年は『シン・ゴジラ』や『この世界の片隅に』などはありましたが。

 

で、『凶悪』。

ノンフィクション小説が元の映画で、実際に起きた事件に基づく映画なんですけど、酷い凶悪事件日本でも結構あって有名どころでは「北九州一家監禁殺人事件」(※こいつはあまりに酷すぎて流石に映像化は無理だろう。読んでないけど「闇金ウシジマくん」で書かれたようですがかなり評判が悪かったらしいですね)、『冷たい熱帯魚』の元になった「埼玉愛犬家連続殺人事件」、えーっとあんまり詳しくないので他はググって貰うとしても、とにかく昔からこうした胸糞悪くなるような凶悪事件ってけっこうあります

古くは『復讐するは我にあり』など、凶悪事件映画の題材にするって言うのは一つの定番みたいなもので、ショッキングから映画会社もそこそこ売れると思ったりするからなんでしょうかね。

でも、映画はやっぱり映画なんですよ。リリー・フランキーさんやピエール瀧さんの演技は、まぁそれはそれで特に悪くはない。ピエール瀧さんは相変わらずちょっと滑舌がよくないけど雰囲気は悪くないし、リリー・フランキーさんのへらへらした薄気味悪さみたいなのもそれはそれでいい。山田孝之さんは・・・普通かな。

それはそれとしても、見ててイライラしてきます脚本なのか演出なのか、作り方に日本映画の下手さがあちこちに見られるので。

例えば、記者山田孝之が現地取材に行って地元の人に取材するシーンがありますが、どうしてあんなに地元の人がすぐにすんなり喋るんだ?とかね。

まり意味のない撮影編集部分もいっぱいあります。全体を通してきちっと組み立てられてない感満載なんですよ。て言うかなんかやっぱり下手だな、と。

正直、だらだらと長すぎて、途中で何度か見るの止めようと思いました。動画時間を示すバーを見て「え~?まだ半分しか終わってないの?」みたいな。

 

以前にホッテントリ入りしたブログで『凶悪』が取り上げられてて結構いい評価されてましたが、ブログから広告クリック狙いもあったのかもしれませんけど、とてもじゃないがいい評価は上げられないな、と。

見ないで日本映画批判する、ってのも良くないのかなぁと思ってたまに確認意味で見てみようって気になるんですが、やっぱ駄目ですね。もうちょっと色々見てみようと思ってますけど。

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