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はてなキーワード: 映画とは

2016-05-29

アニメリメイクをやって欲しい

アニメリメイクって無くないか

Abema TVで懐かしアニメを流してるのもいいけど、映画がよくやってるように、今の技術で今の時代に合わせた感じとかでもいい、アニメも今の綺麗な絵にリメイクとかしてくれないだろうか。

スラムダンクとか、今やるとかなりバスケの動きも細かく滑らかにできるだろうしめっちゃ見たい。

権利関係とかあるんだろうけど、クソアニメ乱作するより、確実に利益になるだろう。

なんとか頼むよー。

演劇を観てきた

劇団俳優座の「反応工程」というお芝居を観た。

終戦間近の軍需化学工場学徒動員されていた若者たちの話である

SEALDs代表やT―nsSOWLや山田洋次が共同代表をつとめる反戦劇とあって、会場の白髪率は異常に高く、アベ許さないと書かれたカードカバンにつけた人もちらほら。

けれどわたしは何も知らずただなんとなく観劇した。面白かった。映画小説アニメ漫画やいろいろ見るけどその中でも特別素晴らしいと思った。


反戦ビジネスの都合だろうと思った。

ファンタジーのふりをした戦争物やSFもののふりをした恋愛ものはよくある。宣伝文句と実際のテーマが違うのはむしろデフォだ。

イラク戦争の時もミュージシャンが曲を作ってテレビに取り上げられてたし、「反戦」というわかりやすお題目で客を寄せつつ好きなことを表現するんだろうと思っていた。

演劇の内容自体はそんな偏りがなく、そもそもエンタメとして完成度が高かったからだ。


ところが実際は違った。完全に左翼による左翼のための芸術だったのだ。

役者も裏方も一致団結して反戦という表現に取り組んでいたのだ。

役者自ら戦争法案反対デモ等に参加し、劇のビラを配った。そういう左翼的表現活動を真面目にやる世界があると初めて知った。

違和感を持ったのは芸術の扱われ方だ。わたしは今まで芸術には受け取り手自由があるもんだと無意識に思っていた。作者の意図を一応汲んだ上で好きに解釈する自由

だがあの劇は作る側も反戦、中身も反戦、受け取る側も反戦でそれ以外はなかった。

そんな芸術があるということも初めて知った。


T―nsSOWLの高校生役者と同じ壇上に上げられて、ちやほやされて、利用される光景も直に見るとなかなか辛かった。

さっきまで体育祭をやってたとかい赤ん坊みたいな顔した子供が、報道陣を呼び集客までやったという。

学徒動員あんたらのやってることと何が違うんだよ…


いろいろとショックだった。わたしはもう反戦劇を観ないかもしれないが、日本左翼のある限り客足が途絶えはしないだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20160529132719

その映画白熱教室放送が始まる前に完成した奴…!

[]博士の愛した数式

どのような面白い数式や、数学ネタが登場するかとおもってワクワクしてみたら、ただの拗らせたオールミスファザコン映画しかなかった。



あとめちゃくちゃ納得がいかなかったのが、素数に関する説明

ちょっと古い情報というか、素数に関しては規則性がないとか過去情報に頼っているのが残念無念。

素数にはすんごく面倒くさいというか、そこまでやりゃなんでもありじゃないかってレベルではあったが、ある種の規則性があるってことは、NHKEテレでやってた白熱教室のなんだったかの回でやってるのに気が付くはず。

もっと原作小説がいつリリースされたかはしらないけど。



見終わってから気が付いたけど、この映画ロケーションが少ない。

屋敷と離れ、屋敷から離れまでの庭、野球場、川沿いの道、だいたいそんなもん。

登場人物基本的セリフがあるのは片手で数えられる程度。



そんなもんでも佳作的な映画は作れるんだからSDビデオカメラパソコン一台とマイク一本で映画作れないとか頭悪(以下省略。

2016-05-28

10漫画買って8巻まで読んだ

すごい面白くて満足。

でも後2巻で読み終わってしまうのが歯がゆくて、ちょっと読むのを躊躇してる。

母校の年配の国語先生が「自分人生の中で1番充実していると思う瞬間は本を読んでいる時だ」と言っていたことを思い出す。本に限らず、面白い映画漫画などの作品に触れている時、熱中している時はまるで夢の中にいるように思う。その瞬間のワクワク感や心地よさは何者にも代えがたい。

そして作品が終了した時に夢は終わり、作品に触れている本人が飽きてしまった時夢から覚めてしまうのだ。そして現実へ。

まあ1つの夢が終わったらまた違う夢の世界を探しに旅に出るんだけどね。

終わらない文化祭を描いたのがうる星やつら映画だっけ。内容覚えてないから見返したくなってきた。何かに終わりがないってのもなかなか怖いと思った記憶がある。

彼女が欲しい。

クライアント先で、とある新作映画チケットを2枚貰った。これが普通の男なら、“お誘い”をかける女性の一人や二人を思い浮かべることだろう。僕もチケットを「ありがとうございます」と言いつつ受け取りながら、誰とこの映画を観に行こうか頭の中で考えていた。

まりにも思い浮かばず、思考を諦めた。諦めたというより、逃げたという表現が正しいかもしれない。そりゃあ、この数年女性デートなんてことをしていないので、当たり前といえば当たり前かもしれない。とはいえ、誰か一人くらいはいるだろう。そう思いもう一度改めて考えてみたが、やはり一人も浮かばなかった。

中学生でも出来る「映画に誘う」というデート方法しかも、「チケット貰ったんだけどさぁ、余らせちゃうの勿体無いから……一緒に行かない?」という、“誘える理由”も僕にはある。過去自分がもしこの状況だったら、あの娘を誘っただろうな。そんな思いを巡らせながら、いつものようにインスタグラムを惰性でチェックしていると、3年前に恋人だった女性写真を見つけた。紫色の髪の毛、ボロボロTシャツ、派手なメイク。僕の恋人だった頃の面影はそこにはなかったが、すぐに「あの娘だ」と理解した。

家に帰って、自分の姿を鏡で見てみた。少し髪が薄くなったかもしれないが、ほとんど変わっていないだろう自分がそこに写っていた。僕は、瞬時に理解した。今日までの僕は、新しいことも昔のことも、どちらも考えないように、そして逃げていたんだ、と。

ちょっと新しい道を歩いてみようかな。3年前から、1歩進んでみよう」と、前向きに生きられる気がした。まぁでも、とりあえず溜まっている仕事を片付けてからかな。

そんなことを思った、初夏の金曜日の夜。

2016-05-27

結局ある程度好みが合う個人ブログに戻ったという話

ご飯、映画漫画アニメゲーム… まぁ何でもいいんだけど皆、自分好き嫌いってあると思う。

で、レビューサイトメディアがどれも花盛りなのは承知の通り。

でも結局ね。最近個人で自分と似通って且つある程度見識がありそうな人で且つ情熱持ってそれが好きな人ブログに帰ってきている所。


例えばまとめサイト何かで「背筋が凍る映画10」とか書いてあったとするじゃない。

それとかNaverまとめもそうだし、素人レビュー入れるアマゾン的なやつとかもあるじゃない。

でも大抵ああいうの見ると「知ってるのが95%」だったりするのよね。

かといってマニアックものを求めているわけではなくて、定期的に新作をレビューしてくる情熱を持った個人のがしっくりくるんだよね。

知らないものも知ってるものも通った上で評価するところとか。

ネットボトムアップ手法とるとどうしても大量の素人に埋もれがちなんだよね。

http://anond.hatelabo.jp/20160527201329

アヴァロン押井の通常運転しかない映画からほかの押井作品を知らないと楽しめないと思う

クライマックスで「またいつもの押井だよ!」って笑うのが正しい楽しみ方だよ

アヴァロンでよかったのは川井憲次があのあちこちで使われてる主題曲を書いたことくらいだね

押井制限があるほうが面白い作品を作る

パトレイバー劇場版の一作目は特に素晴らしい。誰にでもおすすめできる娯楽作品。あれを見ないのはもったいない

http://anond.hatelabo.jp/20160527103250

アヴァロンって中学生ときにみたけど全然面白さがわかんなかった

大学生とき小説読んだら、こっちは映画よりは面白かったけど、映画よりはって程度で、絶対的には面白くなかった

ビューティフル・ドリーマーはそこそこ面白かった

これを事前情報まったくなしで映画館で見て衝撃を受けたかった

パトレイバー漫画しか読んでないから、劇場版を見たいと思いながら見る機会がないままもう10年以上になる

紙で読んでる漫画読みって絶滅したね

なんか一定以上のランク漫画読みで紙で漫画読んでる人っていなくなったね。

一流どころはみんな電子書籍環境に移行してる。

今時、紙で漫画読んでるのって、そんなに漫画が好きじゃない人というか、

映画ちはやふるみてハマった」みたいな連中だけだよね。そんな媒体なっちゃった

時代の流れって早いね、ほんと。

酒に対する風当たりも強くなってきましたね

これからは酒を徹底的に叩いて欲しい。

どうせ遅かれ早かれ嗜好品は叩かれるようになる。

車も持ってる奴が馬鹿タバコも吸ってる奴はクズ自転車に載ってる奴はキチガイ

うそういう風潮になっている。

次は酒だな。

酒飲みは同調圧力の塊で迷惑をかける犯罪者予備軍のドラッグ中毒者と主張しているブログ今日見た。

酒が趣味なんて考えられない。酒が趣味のやつはクズ同調圧力の塊らしいです。

ブコメも概ねそのブログ意見賛同していた。

当人は酒を飲まないらしいが、酒は規制して欲しいらしい。

サンプル数が非常に少ない嫌な事例に個人的に遭遇したため、酒を規制してほしいらしい。

とても良いことだと思います

何かを嫌だと思ったら、徹底的に正論を駆使し人権を使ってねじ伏せて規制してもらおう。

許される嗜好品はなんだ?アニメぐらいか

テレビを見る奴は情弱映画を見る奴はうんちく野郎、本を読む奴は意識高い系

アニメぐらいしか許されない世の中にもうじきなる。

良い世の中ですね。

私もお酒を少々嗜みますが、嫌な思いをする人がいるらしいので今日でやめます。これからは酒を叩きます

酒を趣味にしている人は人間のクズらしいです。同調圧力の塊らしいです。他人趣味に口を出すな?犯罪者言い訳はやめてください。

良い世の中のために、嫌な思いをする人が一人でも少なくなるために、何となく酒が嫌いな人のために

酒を徹底的に叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け叩け








お酒なんて規制されてしまえ。 - Yukibou's Hideout on Hatena

みんな観よう!ガルム・ウォーズ

押井守ガルム・ウォーズがようやく公開されたので観に行った。

平日の夜、観客は10人弱くらい。

なんと一組カップルがいてびっくりした。

 

感想としては予想に反してかなり面白かった。

全く関係ないが、俺は直近で劇場で観た映画ズートピアなんだが、「もう一回劇場で観るならガルムとズートピアどっちがいい?」って訊かれたらガルムがいいなっていう程度には気に入った。

100人中99人はズートピアって答えるかもしれないが…。

まあこの比較意味はないんだけど、とにかくみんなもっとガルム・ウォーズ観に行ってほしい。

ズートピア見た人は動物好きだと思うのでガルムも見よう!犬がでてるよ!

 

俺はかなり後追いのファンで、レンタルで観たパトレイバー2とかから入って、最初劇場で観た押井映画が「立食師列伝」だった(当時付き合っていた彼女と観た)。

なんといまだにビューティフルドリーマーを観ていないにわかっぷりなのだが(昨日TSUTAYAレンタルしてきた。俺は一回劇場レンタルで観てからじゃないとブルーレイとか買わない主義なんで…)、そんな俺が観ても面白かったよ!というくらいには押井信者以外が観ても面白い出来だ。

しろ古参ファンほど辛口になるんじゃないかな?旧GRMに思い入れがある人ほど、本当はこうじゃなかったんじゃないかとか言いたくなると思うんだけど、何の思い入れもなしに観たら、わりかし見やすくてそれでいて押井守しか作れない作品で、「よく考えたら日本監督押井守より完成度の高い実写ファンタジー映画を撮れる人っていないんじゃないの? 鋼の錬金術師とか進撃の巨人とか押井守に撮らせれば良かったんじゃないの?」とか思った。

アヴァロンより面白かった気がするし、失礼を承知で言えば、押井守ってまだまだ監督としてのびしろあるんだな~って感心した。

 

俺としては、はてなブログで「パトレイバー2が、後藤隊長がどうこう」「攻殻機動隊がどうこう」「押井守がどうこう」とかいってるやつには全員劇場で観て感想を書けといいたい。

よろしくお願いします。

同じ映画を何度も見る現象

好きだから見て応援!という気持ちは分かるけど

今は映像自分の身に入れて、見た後いろいろ考えて楽しむというよりは

体験としてその場の映像シャワーを楽しむという方向に変わってきてんだね

消費者としてプロになったというべきか

物語をこねくり回すというよりも

物語物語として消化してそのままうんこにして出す、それで終わり、という印象

[]新海誠秒速5センチメートル 小説版

映画版が上澄みなら小説版は澱だな、と思った

期待しすぎてたせいかものすごくがっかりする内容だった。

もともと映画10年くらい前に一度見ただけだったけど、

その時はそれなりに感銘を受けた気はしてて、

その後もたまにPVとか見たりしたときに少し思いを馳せたりして、

時間の経過とともに美化しすぎていたのかもしれない。

あと自分自身が変わったのもあると思う。

昔はものすごく自意識過剰で今思い返すと恥ずかしいようなことをいっぱいしていた(たぶん今もまだ完治はしてない)んだけど、

そういう気持ち悪い自意識にまみれたときだったから、これを悲恋と見て勝手に感動できていたんだろう。

さらに言えば、周りがみんないいと思っていたから、自分もこれには感動しないといけない、と思っていたのもあると思う

自意識過剰なくせに周りとずれることに敏感だったか

ともあれ、今回久しぶりに小説を通して秒速5センチメートル世界に触れて、

こんなに気持ち悪い話だったかと、悪い意味でゾクゾクさせられた。

200ページ足らずでほんとよかった

借りた以上は読まないともったいないと思ったし



まず小説としてすごく読みづらい

改行少ないし

あといちいち心情描写しすぎ

新海誠自身あとがきで、映画小説の違いは心情の描写だって書いてたけど、まさにそれ

まりにも心情描写をしすぎててげんなりした

映画であえて語られなかったところを一言一句説明するようなもんで、受けなかったギャグ自分解説するのと同じで、情緒がない

逆に言えば映画キャラの背景とか心情がきになる人にとっては、それなりに得るものがあると思う

小説としてじゃなく、映画の裏側の説明本って考えればまあそれなら・・・と思える部分は大きい



一章の桜花抄のこじらせた男視点は作者自身キモい書き方がハマっていてうまく書けてたと思う

でもその作者のオタクキモさが思いっきり出ちゃったのが、二章のコスモナウト以降の女性視点描写

すっごくヘタで気持ち悪い

あざといっていうか、狙いすぎてて寒いを通り越して気持ち悪い

ハーレムラノベの女キャラ描写の方がまだマシって思えるレベル

そんでまたその女がことごとく、一章のこじらせた男(作者自身投影?)と恋したりセックスしたりするのが、めちゃくちゃ生理的嫌悪感を催させる

主人公こんな気持ち悪かったっけってマジで首かしげた



しかその男がまたムカツくんだよ

ぼんやりしながらモテまくってセックスしまくって仕事やめても3ヶ月でフリープログラマーとして食っていけてるっつうクズなのにデキる描写

クズなら心底クズにすればいいのに、中途半端に都合よく勝ち組要素入れられてるから、いちいち鼻につく

自意識過剰でこじらせてるところは同族嫌悪的なキモさもあったんだと今なら思うけど、

それ以外はちょっとまりにもキモすぎる

最後最後でこじらせた自分自業自得だって悟る部分があるけど、全然足りない

もっと罰を与えて欲しい

結論

俺にとって秒速5センチメートル映画だけ

小説はない

2016-05-26

藤原竜也うんざり

漫画原作邦画について藤原竜也が主演なら信用できる、みたいな動画うんざり。こういう風潮がはびこっているのは本当にげんなりする。

藤原竜也の出演作のレベルが高いとか原作ファンも納得の演技をするとかならわかるが、全然そんなことなくて普通に他の漫画原作邦画と変わらない。

そんな藤原竜也を信頼できるって言うのは「ジャニーズなら信用できる」「剛力なら信用できる」と言ってるのと何も変わらないのがわかんないのかな。

まず藤原竜也の演技って常に過剰で一定してるので、何をやっても藤原竜也以外の何者でもない。キムタクとまるっきり同じ。

デスノートで主演してたけど、容姿からしてそもそも頭よさそうに見えないし、字も汚く、声も汚い。普通に配役ミス原作ファンとして不快だった。

そして人気があるっぽいカイジだけど、これなんて鉄骨渡りのシーンで靴に中心線引いたのに、横向きで渡るからね。こんなに原作馬鹿にしたシーンもないと思うけど、普段原作レイプに怒る人が何で無視するのかわからないんだよな。漫画原作邦画ではおなじみのキャラ性別変更もあるし。

それでもいいんだよ!面白いんだから文句いうな!とか言う人がいるなら、そういうひとは他の漫画原作映画文句言う資格いから。ジャニーズ主演だろうが、原作レイプしてようが、楽しんでる人はいます、で終了してしまう。

結局ジャニーズ映画文句言ってるやつらも、それに金払う客と何も変わらないんだよなあ。そりゃ碌な漫画原作映画が生まれないよ

すぐ泣く女が周囲と自分の為にできること

私はすぐ泣いてしまう女である



物心つく前から私は超が付くほどの泣き虫で、毎日大きな声で泣き出しては母親を悩ませていたと聞く。


幼稚園に入ってもそれは変わらず、朝起きて変な形の寝癖が付いていて/雨が降っていて外が暗くて/朝食の牛乳が熱くて…とまぁ本当にどうしようもない理由しょっちゅう泣いていた。


子どもの頃から泣き虫自覚はあってコンプレックスに感じていた。小学校で作った七夕飾りの、短冊にはこう書いてあった。

「なみだが出ちゃうのを止めれますように」



26歳になった今でも私はすぐに泣く性分を引きずっている。こないだも、狙っていた特売品が売り切れたのを知って一人スーパーで涙を流してしまった。アホちゃうか。


他にも泣きたくないのに涙が出て恥をかい経験枚挙に暇がなく、あんまり振り返ってると虚空に向かって「あー!」と言いたくなってくるのでここらで止めておく。




さて、すぐ泣く女というのは世間的にはまぁ重たくて面倒くさくて、関わると厄介な存在と思われがちであるぶっちゃけ私自身もそう思っている。

しかし涙腺と言うのは思い通りに作動してくれないもので、泣いてる場合でないと頭では分かっていても勝手に涙は出てきてしまうし、止めようとすればするほど止まらない。


泣きたくないのに泣いて、周りに引かれて、自分が心底嫌になって、また泣いてしまう。泣き虫人間ならば一度はそんな経験がある筈だ。というわけで、私が26年この性分と付き合っていく中で培った、なるべくそ場の空気をぶち壊さず、かつ自分気持ちが楽になる工夫を挙げてみようと思う。


自称泣き虫の人は多分皆オリジナル処世術を持っていると思うので、もしそんな人がいたら是非自分のやり方と比べてみて欲しい。




自分をよく観察する

まずはここから始めた。成人するまでほぼ毎日泣いていた(特に問題を抱えていたわけではなく「なんとなく」泣いていた)ので、このままではマズイと思った私は毎日泣いてるとき精神状態を観察することにした。「あ、涙出始めたなー」「今頭がカッとしてるなー」「なんか周り見れなくなってんなー」「なんとなく止まりそうな感じがしてきたなー」…これを毎日繰り返すうちに、私は自分が泣いている姿を観覧者の目で眺めることができるようになった。後頭部あたりにもう1人の自分がいて、眺めている様な感覚だ。


もちろん今でも、喧嘩したり、映画を見たりするとどうも観覧者の目になれない日もあるが、それも半年に1回あるかないか程度になった。これによって、まず「涙は出ているけど気持ちコントロールできる」状態を作ることに成功した。



泣き虫を隠さない。泣いても重くないキャラ振る舞う

いずれバレてしまうのだ。隠していたって仕方無い。


泣く姿を見られてしまう前に、「私が泣くのは日常的なことである」「泣いていても頭の中は割と冷静だったりする」「私が涙を流し始めても放っておいて」「もし不快であれば正直に言って」と、できるだけライトな明るい雰囲気で周知徹底させておくと、後々人間関係もそんなにこじれずに済むと分かった。


また、普段から神経質な態度でいると、いざ涙が出た時にどうしても「積もり積もったストレスで爆発してしまった」風に見られるので、日頃からなるべく「おおざっぱなおちゃらけキャラ」で人と接するようにした。少々イジっても誰も罪悪感を持たないくらいの感じで居ておくことで、色々やりやすくなった。


涙は出しっぱなしでも良いが目ヤニ扱いする

例えば仕事中、電話口で客に怒られて涙が出たとする。そういうときに一番やってはいけないのはメソメソすることだ。ありえないくらいその場の空気が壊れるし客は困惑してしまう。


自意識過剰メソメソは隣り合わせの存在だ。自分のことばかり考えて涙を流す時、人は多かれ少なかれ可哀想雰囲気を醸し出す。

周りの人はどう感じるだろう。なんだか自分が悪い事をした様な気になって、モヤモヤした気分になる筈だ。しかし、メソメソ泣いてる人の涙をしっかり咎められる程胆力のある人はそういない。

可哀想な人は最弱故に最強なのだ。だからこそこういうとき絶対メソメソしてはいけない。

一番意識しないといけない対象は客であり、対応であり、要は目の前の仕事である。泣いてることなど本当-----ーにどうでもいい。


涙の存在を頭から消し去る。一番手っ取り早く涙を止められる。もし涙が出続けても、全神経を仕事に集中させる。「涙よ止まれ」と思うことも禁止。ほっといたら勝手に止まるもの心配なんてしなくても良い。

涙は液体なので、顔面を伝ったり視界を曇らせたりして気を散らしてくる。その時は「目ヤニ邪魔だな〜」と思いながら涙を拭う。不思議と涙に意識が向くことはない。


普通に仕事してる+なんかよく分からないけど目ヤニがめっちゃ出る、といった自己認識で動いていると、声色やテンション普段ともあまり変わらない自分がいることに気付く。

周りも普段と一切変わらない態度で接してくれる。


涙のスルー感謝する

残念ながら、どんなに心頭滅却しても私が泣き虫であることには変わりない。私が重い印象にならないよう努力しても、周りの受け流し方次第では、重たくて面倒くさくて関わると厄介な存在にも十分なり得る。


今周りにいる人達は私がすぐ泣くことをスルーしてくれて、たまに泣き虫をイジってくれる。誰も腫れ物に触るような応対をしてこないことが心地良い。

ちょっとしたことですぐ涙を流すのを見て、イラつくことがあるかもしれない。謂れのない罪悪感でモヤモヤするかもしれない。でも、皆それを受け入れてくれている。申し訳なさを感じる。ありがたい。


のんびりした空気の時を選んで、私は「いつもすみませんありがとうございます」と伝える様にしている。その時は泣かない。泣きそうだなぁと思ったらまた別の機会にする。そのくらい徹底している。

仕事で悩みを相談したり、素直な気持ちを話す時、私は絶対泣かないと決めている。冷静に話ができる人だと思われたいから。




工夫さえしていれば泣き虫でいてもいいのだ、と思うようになってから、私は少しずつ泣く回数が減ってきた様に感じる。

しかしたら、オバサンになる頃には私は泣かなくなっているかもしれない。


ただ現状、周りの人達良心に大きく依存していることは確かなので、理解感謝しつつ自分でももっと工夫できることがないか考え、色々試していくのは続けていきたいと思っている。

日本アジア)の映画は飯のシーンが多い

という話を海外映画フォーラムで読んだ。

確かに言われてみれば、重要な会話などのシーンで食事がセットになることが多いような気がする。

確かに洋画って飯のシーンって出ないわけじゃないけど日常的に使われることが少ない気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20160526102942

同じ映画を何回も見る人がよくわからないんだよなぁ。

一回見たら内容を忘れるくらいまで見返さない。

まぁ演出なり作画なりをもっとよく見るために見返すのもあるのだろうけど。

一回見た映画短期間でもう一度見させられたら、絶対退屈だし集中して見られる気がしない。

その展開、その構図知ってる~!次あれ来る~!ってなって最初見た時ほど感動しなさそう。

忘れた頃に見返すと、感動するんだけどねぇ。

「本当に好きな映画出会ったら何度も見返すはず」とか言われたら、はぁそうですかとしか



最近ガルパンキンプリマッドマックスあたりで何回も映画館に行くのが流行ってたけど、俺もこれら全部映画館で見たし面白かったけど見返したいとは思わなかった。

ズートピアはなぜ肉食を排除したのか

努力すれば夢はかなう、誰でも何にでもなれる、

差別偏見と戦いマイノリティだって自由自分表現していいんだ

こんなにそれらに配慮した内容が盛り込まれている!いった旨のRTを連日沢山見るようになりました

主人公の隣人は同性愛カップルかもしれないとか

ポップスターのツノはオスのものでは?とか

小さくてかわいいウサギ警察官になれないのか?いやそんな事はない!

決めつけてはいけない!差別はよくない!だって努力すれば夢は叶うのだから

といった主旨をどうこう言うつもりはまったくない

実際映像もすごかったしすごくいい映画だと思う

だがなぜそんな中で、なぜ『肉を食べること』は悪としこれを排除したのだろうか

そこがずっとひっかかっていて、素直に良い映画だった!と言えなくなっている

世界観の設定上やストーリーの進行上そうせざるを得ないのは理解できるのだけれど)

だって望んだものになれる!と謳っておいて肉食獣のそれは奪うのか…と思ってしまって

わりと冒頭からモヤモヤしたままでした

肉食獣だってただ趣味で殺すのが目的ではなく生きるために肉が必要でそれを食らうのであって

それ自体は悪ではないはずだ

野生に戻ったら凶暴になったと本編で言われていたが

何かを襲う時はそれを食べる必要がある時か自分の身を守る必要がある時だ

むやみやたらと目の前のものを殺すものイコール肉食獣ではないわけで

差別なんかダメッて言ってるんだ!!ともてはやされている映画

肉食のこと思いっき差別してんじゃん、と思ってしまって

素晴らしい!と言われていれば言われているほど複雑な心境になる

あんまりここに触れられたツイート等を見かけないので

こんなところを気にしてしまう私の感覚がズレているのかもしれないけど

そりゃあいつ食われるかわからない恐怖と戦っていた草食動物から見たら

捕食者である肉食獣は天敵になるわけだけれども

『狩りをする必要が無くなる』のを仮に利点とするとして

かわりに与えられるものが肉でなく虫などで代用されたものでそれで本当にWin-Winなのか

小さくて可愛いうさぎ警察官になれるのに

肉を食べる事はこの先(この理想郷に居を構える限り)永遠に諦めないといけないのか

肉食獣にとってそれは本当に理想郷なのだろうか

(昔は食べていたという肉を食べてみたくなった、という理由

 殺獣罪(?)を犯す住民はいそう)

狩りをするために牙が鋭くなったもの

足がはやくなったもの 顎が強くなったもの

またそれらから身を守るために角が発達したもの

皮膚が硬くなったもの 耳や目といった器官が発達したもの

動物の特徴になる部分はおおよそ『狩るため/狩られるのを防ぐため』、

『生きるため』に進化してきた部分が大部分だと思っています

今後この理想郷においてその必要が無くなるという事は

それらの器官ももしかしたらどんどん退化してしまうのではないだろうか

服を着て脳が発達し、特徴のある器官が退化していったらどうなるんだろう

みんな人間になるのかもしれないですね