「辟易」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 辟易とは

2024-04-26

anond:20240426095058

たぶんフォーチュンクエストではないか

 

TRPGファンタジー小説化なんだけど、レベルステータスが書かれたTRPGプレイヤーシートと同じものを、ギルドカードとして主人公たちが把握しているという。

TRPGリプレイかい小説は既に書かれていたが、ステータスがそのまま物語に導入できるのは新しかったし、たぶん便利だった。

 

聞くところによると、しばらく新人賞類似作品が集まり過ぎて辟易したとか。

現代目線でいえば、その集まったやつ全部出せばなろうの潮流が平成初期で作れたのだけどね。

2024-04-23

anond:20240422162044

ジャップ〜」をご記載された方は多分匿名からそういうことを通りすがりに書き込まれたかと思うのですが、その子匿名でもないところでそんな感じのことをあちこちに書き散らしていて、今思えばそれに辟易したのが原因なのかなぁと......

どうしたら友情を続けられるのかなと考えることもあるのですが、今となっては続けたいかどうかも分からないです

2024-04-21

anond:20240421022803

わかる てか未次由紀ってアスペすぎて少女漫画ファンからめっちゃ辟易されてる人だしそのくらいしっとけって感じ

トレース騒動の時だってスラダンよりも愛があればいーのだの構図のパクリの方が心象悪かったし

2024-04-19

anond:20240419140401

「無断学習禁止!」などと声を上げる絵師たちは自身らの無断学習AIによる機械学習をどう切り分けて考えているのか。

愚問。彼らは人間学習機械学習を別物と認知していることがパブコメから明らかになっているから。

文化庁辟易させた反AI舐めるな。

2024-04-18

限界妊婦愚痴

現在臨月限界妊婦をやっている(2人目妊娠中)

2度の妊婦生活と数年の幼児連れ生活をしてみて、主語デカイが日本人の思いやりのなさに本当に辟易している。

妊娠間中電車に乗って優先席を見渡すも空いていることは稀で、座っている人たちは譲る気ゼロ

みーんなイヤホンしてスマホ見てゲーム動画に夢中。

これは老若男女に当てはまるし、なんなら小学校高学年くらいの子供も普通に優先席座ってスマホしてて譲らないので驚く。

中には本当に体調悪い人もいるんだろうけど、明らかに元気そうで優先席座る必要ある?という人たちばかり見かける。

個人的には妊娠間中や具合が悪いとき以外は席が空いていようとも優先席には基本座らないので、譲れないならそもそも座るなよと思う。

しかも先日、ホームで先に並んでいた私を押しのけて優先席に駆け寄って座ったジジイがいてそんなに元気なら立ってろよと。

ちなみに一度、松葉杖の方と同じタイミングで乗ったがその方にも席を譲る人がいなくて驚愕した。

とにかく優先席であっても席は譲ってもらえない。

そしてもう一つ。

ベビーカーで出かけるときいつも遭遇するのがエレベーター乗れない問題

デパートや駅などどこでもなのだが、エスカレーター階段で行けるだろう人たちがエレベーターに乗ってしまうためベビーカー車椅子人間が乗れない。

1回見送るのは当たり前で、酷いときエレベーター待ちが並んでしまって数回見送ることも。

後ろに車椅子ベビーカーが並んでいても誰も降りない。

頼むからエスカレーターで行ける人はそっちで行ってください…ベビーカー車椅子エレベーターしか乗れないんだよ。


もちろん中には「こちらどうぞ」と席を譲ってくださる人もいるし、エレベーター車椅子ベビーカー気づき慌てて離脱してくださる方もいます

そのたびに本当にありがたいと思って懇切丁寧お礼を言うようにしてるんだけど、そういう人は圧倒的に少なくて譲らない人ばかりが目に付くのが現状。

ヨーロッパに在住していて帰国した友人からも「日本の席の譲らなさや子育てを全く歓迎していない風潮は異常」と聞いて、他人積極的に関わろうとしない日本人気質もあるんだろうけど、海外から見れば異常なんだろうなと。

これがめちゃくちゃ偉そうに読めるだろうことはわかってる。ごめん。

妊婦って初期はつわり死ぬほど辛いし、中期は様々なマイナートラブルで体ガタガタだし、後期はお腹重すぎて背中も腰も痛くて動悸息切れもあって立ってるのしんどい。ましてや上の子連れて出かけないとならないときは(ベビーカーでも)尚更キツイ…。

から譲ってくださってる方々には本当に頭が上がりません。ありがとうございます。とてもとても助かってます

主語死ぬほどデカイのは重々承知して書いてるし、譲られて当然!みたいな妊婦様になりたいわけでもなくて、別に私じゃなくても松葉杖ついてる人とか車椅子の人とか乳幼児連れとか老人とか、そういう人たちに席やエレベーターを譲ることがなんでできないのだろうと公共交通機関に乗るたびに日々考えてしまう。

もう少しそういう風潮が変わるといいな。

2024-04-17

憎い友人が死んだことを半年遅れで知った。

ただの、フィクションの⻑駄文です。

⻑い⻑い文になってしまった。

1ヶ月ほど前、私の男友達からメッセージが来た。

Facebookの、アイツの投稿なんだけど」

と文に続いて画像が送られてくる。

Facebook投稿の、スクリーンショットだ。

だいぶ彼も慌てていたのだろう。

ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。

Facebook投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。

彼女の母を名乗る者から投稿は、淡々とした文で訃報を綴る。

しおり半年前、突然の病気で急死したこと

心の整理がつかず連絡が遅れてしまたこと。

そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。

かに淡々と、けれど詮索を拒否する文面がそこにあった。

LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。

とはいえ彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。

返信をしてからすぐに、彼から電話がかかってきた。

彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。

その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。

本当は大笑いしたかったのだ。

憎い憎い、彼女の死が、心の底からしかったのだ。

私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。

当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。

そういう、他愛もないよくある関係の三人だった。

そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。

彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。

そういう微妙バランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。

そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。

私は彼女完璧無視されながら、「三人で話していた」。

まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧無視されていた。

理系大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。

大学中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)

ただの恋敵からマウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。

その願いは数年後に叶うとも知らずに。

その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。

大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。

食事も取れず、かなり痩せてしまたこと。

そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇シンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。

実際彼は、彼女のことを心配していたし。

私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。

彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。

そうして、今回の訃報に至る。

彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。

勝った、と思った。

私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。

わたしは、人の死を、よろこぶひとになってしまった。

後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。

多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。

から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。

バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。

彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。

けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。

穏やかな顔で私は嘘をついた。

「知ってたよ?あの子、たまに私に相談してくれてたから」

割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。

何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。

どうしても彼女恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。

どうしても身体関係を結べなかったこと。

最後喧嘩別れしたこと

そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。

これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。

そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。

けれど、彼女は死んでいる。

からこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。

そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。

草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。

彼女には未来がないこと。

それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。

あんなに学歴や彼との距離感マウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。

もう彼女には何もない。

あんなに心を崩すほどに勉学に励んでいたのも無駄になった。

入った大学キャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。

そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。

何よりもそれが嬉しい。

彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。

リビングには薔薇ドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースクロスが敷かれていた。

そして、彼女仏壇を置くために、一室を使っていた。

仏壇とき大仰なと毒づいてしまいそうになった。

演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。

くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。

悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。

仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分我慢 しよう、という気概を感じ取れた。

男子からこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。

リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。

「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」

彼女の母と、私は目で訴え合う。

それを聞くのか?という母親の目と、

死因を教えて楽しませろという私の目。

たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつのなのだと感じてしまっ た。

あの、喰えない女を産んだ女だ。

「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」

浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。

ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。

けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。

彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。

話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。

浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。

けれども、脳浮腫医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。

浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である

それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。

たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である

そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。

そして私は、一つの結論に至り、また悦に浸る。

まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。

浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。

可能性はこちらの方が高そうだ。

突然、死に至る病としては説得力がある。

けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。

から、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。

浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものであるくも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。

そして、私はふと思い出すのだ。

彼女大学入学からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。

そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。

もちろん七割は、私の願望なのであるが。

帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。

その煌めきの中に、彼も共にいる。

なんと幸福時間なんだろうと、心の底から思った。

この煌めきを、彼女はもう永遠に味わえない。

その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。

から、いいのだ。

彼の口から、今の彼女との結婚プランの話が出てきたとしても。

彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。

この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。

から、その今の彼女名前を、今回死んだ彼女仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。

来年の今頃、彼は式を挙げる。

彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。

それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。

そして、もうひとつ彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。

彼女は、どのように死んだのだろう。

微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?

それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。

ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。

けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。

首吊り飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。

ああ、彼女は、世界絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。

今までの努力が全て無駄になった上、 彼から彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望最中彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。

そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。

私の恋心はどこから崩れてしまったのだろう。

駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。

からは、ニコニコと笑いながら答えが返ってきた。

「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。

来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。

それは、幸せことなのだ、きっと。

そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せ人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。

死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。

やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。

その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。

この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。

ただ一つの結論として言えることはある。

こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。

2024-04-10

仕事が辛い」というより「こんな職場をやめられない人生を歩んでしまった自分が辛い」

職場にいる奴らの程度が低くて正直辟易している。

マジで程度が低い。

タニタ笑いで聞こえるようにいつも職場の他の誰かの陰口を言い合ってる若手。

大声で威嚇することで他人コントロールする長く務めてるだけの無能なおじさん。

健康診断前後で滅茶苦茶期限が悪くなって八つ当たりで外部とトラブルを起こす巨デブ

服が凄い臭いと指摘したらファブリーズを使いまくるようになって最悪になった激臭おじ。

もうとにかく問題のある連中が集まっている。

畜生IT系だったら今すぐテレワークにして同じ空気だけでも吸わないで済んだのに!

俺は人生選択を失敗したんだ。

高校時代ゲームばかりやってショボイ大学に入って、就活を頑張らずにショボイ会社に入り、ショボイ会社から更にショボイ会社転職して「転職って実は危ない?」と考えて居座り結果的にいよいよもってどこにも行き場がなくなってずっとここにいる。

ずっとここにいなきゃいけないことが辛い。

ここそのものが辛いというよりも、ここを出ていくという選択を出来な自分が辛い。

なんでこんな人生になったんだろう……。

怠慢の積み重ねが全ての原因だろう。

俺は辛いよ。

こんな職場に居続けることが一番辛いよ。

2024-04-08

anond:20240408084341

益田の言い分はわかる

きっとそうなんだろうと思う

けどこっちが定型のひけめがあるせいか

プチかりきんたま的なGUYLadyに遭遇すると、その人そのものが持つ悪さが病気特性として語られてしまって反論できなくなる

性格の悪さもわがままも、かりきんたまのそれに比べれば本当に些末なものだが病気還元されると辟易する)

俺がもっとちゃんとした病気知識を持っていれば堂々言い返せるのだろうが、手帳持ちに文句言うほどに詳しくなるのは当事者でもないのに無理すぎる

はてなを見るかぎり

かりきんたま本によって「救われた」発達障害もたくさんいて、それらとエンカウントしたらどうなることなのかと少し怖い

おなじ障害者相手でも「親族を殺すくらい簡単」と言い放つようなコミュニケーションを「発達障害ゆえに」と還元する人士と知己を得るというのは

定型にとっては恐怖でしかないよ

これを包摂するのが社会要請されているのだと分かっていても、定型でも低層側の人間にとってはとにかくしんどい

ツイッター見てるとヒラリーみたいな思考の裕福なアメリカ日本人みつけられるけど、あの辺見てると典型的アメリカ人は精神面はあんまり成熟してる感じはしないね

金と個人主義闘争こそ正しい価値観 みたいな偏りは顕著

日本とは違う形だけどマウント癖も性根の奥の奥まで張り付いてるし

それでうまくいってるならまだしも、バランスの良い国とは全く言えないし病んだ国という評価は正しいと思う

マッチョイズムが過ぎて辟易するし、LGBTだの多様性だのは米国の行き過ぎた偏りを正す意味においてだけは存在価値があるかもねえ

まーそれでも法にそってるだけ全くマシで、中露なんかは愚連隊が収める規範なき人治主義国家から代替にはなり得ないし

日本企業人権侵害しがちなところはともかく民度は悪くないなと思う

底辺絵描きの歌

ああ底辺絵描き お前がすき

10ふぁぼで喜ぶお前がすき

いまだにふぁぼと言うお前がすき

30ふぁぼならお祭り騒ぎ

お前がすき お前がすき

いつからだったか

お前の成長が止まったのは

同じレベルだった俺は先を越してしまった

お前は一昨年 来年は絵の仕事をすると言っていたね

俺は胸を弾ませた お前と仕事がしたかった

でもお前がしたのは転職と、マリオカートファンアート

意識だけは高いツイート

こだわる必要のない部分にこだわったお前の絵

抽象画ごまかした背景

すべて見ているよ

ああ底辺絵描き、お前がすき

個性に迷い性別に迷う

ああ底辺絵描き、お前がすき

俺が自撮りを上げるとつられて上げる

お前がすき お前がすき

直見下してる そんな自分辟易してる

それでも俺はお前と仕事がしたい

この気持ちはホンモノ

底辺絵描きフォーエバ

2024-04-06

anond:20240406181311

まだ流行ってるし主流コンテンツから今も十分終わってるぞ

日本しょぼいは日本スゴイに辟易した人が対抗してるみたいなもんだから

2024-04-03

ブラック企業ホワイト企業になったら生き方がわからなくなった

────────────

あらかじめご理解いただきたいが、タイトル承認欲求たっぷりブラック企業と図々しく書いたが、これは読者を引き寄せるための所謂YouTuberサムネ詐欺のようなものである。実際はブラック企業ではあるもののどちらかというとチャコールグレーに近い黒ではあったし、ネット死海彷徨っているともはや仙人の域ともいえる黒い賢人がおられることも承知しており、賢人たちには同じ黒魔法の使い手(見習い)として畏敬の念すら抱いている。ブラック企業文字を見て頭に血が昇り始めた賢人たちはどうか落ち着いて、できるだけ部屋を明るくして離れて見てほしい。

────────────

さて、本題に入る。

私は平成初期生まれゆとり世代で、一応大手企業に勤めている。特定の分野での業界シェア50%超、従業員1000人以上の上場企業と言えばなんとなくイメージがつくだろうか。前になんかの日本企業ランキング50位以内に入っていた気がするが、ランク内がホワイト企業ばっかりで辟易したため覚えていない。給料は同世代の平均くらいといったところで可もなく不可もない。

勤務時間は平均するとだいたい8-21時。みなし残業はついているが基本的サビ残だZE☆。休みは本当は週休2日だが休日出勤も多く、代休制度はあるがそんなもん取ったら業務マーライオンのように溢れてくる。

仕事自分裁量で回せることがほとんどになってきたしやりがいも多少あるし、勤務時間に関しても別に慣れてしまたからあまり問題視していない。今から転職しようにもキャリアアップが望める業界ではないし、他業種で一からお世話になるのも正直面倒くさい。

私は妻と2人の子供がいるが、帰宅したらだいたいみんな寝ている。嫁からは「あなた仕事の日はシングルだと思ってるから大丈夫」と素直に感謝していいのかわからない言葉を向けられている(素直に感謝している)。

家に帰ったら軽くご飯を食べ風呂に入りTwitterネット記事を少し読んだらあらまぁ大変もう0時。就寝して5時半に起きて子供たちを送り出してまた8時には出社している。

この生活が続いてもうすぐ10年になる。

しか時代の流れもありここ数年で会社の考え方が変わってきたらしく、残業に対して厳しくなってきた。

初めは何時まで働こうがおかまいなしだったが、退社目標時間が定められ、それが21時から20時になり、段階を経て今では目標時間を超えるとお叱りをいただくようになった。

もちろん勤務時間内に仕事が片付くはずもないのだが、それを書き始めるとただの愚痴大運動会になってしまうのでやめておく。我々サラリーマンは常に会社と共に変化していかなくてはいけない生き物なのだ(白目)。

退社時間が早まり帰宅して家族と過ごす時間が増えた。みんなでご飯を食べたり、お風呂に入ったり、テレビを観たり。娘とお風呂に入りながら、あと何年一緒に入ってくれるのかなんて考えたりもした。いやひょっとしたらあと何ヶ月とかかもしれない。なんだよこのシャワーの水、しょっぺぇな。

最初の頃は勤務時間内に捌けなかった仕事を家でやることも多かったが、徐々に捌けるようになったのか諦めるようになったのか、それも減ってきた。

それが数ヶ月続いた頃、ある悩みが生まれた。

「寝るまで何をしたらいいんだろう」

機械的日課をこなしていた日々に空白の時間が降ってきたせいで、その空白の埋め方がわからない。

趣味はあるが広く浅く熱しやすく冷めやすタイプでありそこそこケチなためどれも長続きしないし、新しい趣味を始めたとしても長続きするビジョンも視えない。加えて変な美学も持っている。例えば私はむかし音楽をやっていて今も家に楽器はあるが、音楽複数人の魂を共鳴し合うアンサンブルなりグルーヴを楽しむものかいうわけのわからない固定概念があり、一人でしかも自宅での演奏ではアッパシオナートな時間を過ごすことなど到底できない。

出かけようにもそこそこの田舎なので娯楽施設も限られているし、買い物もネットで充分。運動しようにも膝を痛めているし(病院行け)、ゲームするとクリアするまで廃人みたいな生活になるし、酒は好きだがあまり強くないし、酒そのものよりは酒の場が好きなので一人で飲んでもすぐ寝てしまう。新しいことを始めようにも何かにつけて難癖つけてしまい始められない。いつから私はこんなに消極的オッサンになってしまったんだ。

そもそも目標がないと何にも熱量を持って取り組めない性格のようでとにかく何をやっても長続きしないし、一旦目標が生まれるとすべての心力をそれに注ぎ込んでしまうせいで、空白の2〜3時間で取り組めるようなちょうどいいものが見当たらない。

結果、ぼーっとテレビYouTubeを観ながら寝落ちして朝を迎えている。

残業時間が減り帰宅時間が早まったことは本来なら喜ぶべきことである

しかし私のように路頭に迷ってしまう哀れな社畜がいることも、どうか知ってほしい。

そして願わくば、2〜3時間で打ち込める何かを教えてください。

教えてくれても難癖つけて始められないと思うけど。

2024-04-01

洋ドラでも「地球外生物と遭遇するための人類初のミッション」になぜかはぐれものとか一匹狼とか世間知らずみたいな人間人類代表として選ばれていて辟易とした

そんなわけねーだろ

バカ女友達の言うイケメン

よく飲みに行く友達で一緒にいて時々イラつくもののなんだかんだで憎めない、ちょっと知的なハンデがある女友達がいる。(喩えではない)

ブスデブハゲだが、いいやつだ。

で、まあその女はとにかく友達が多い。そんなんだから誘われて飲みに行ったら全く知らない子が一緒にいるとかもよくある、というか毎回ある。

そんな中で、この前おっぱいの大きいリアル童貞を殺す服を着た女がいた。あれ人前で着る人いるんだって思ったし、胸元ばっくり開いててすごくエロかった。というのは置いとくとして、まぁ要は男に飢えてるからエロい格好してるわけだ。

それを不憫に思ったのかなんなのか、例のバカ女友達が、「イケメン集団が近くで飲んでるから行こう」と言い出した。

え、ホストクラブかなんか? とビビる増田だったが、別に普通友達だった。

だけど、全くイケメンじゃない。10人くらいいたが、全員オッサンで、これだけ男がいて一人もイケメンじゃないってあり得るんか!?と思うほどだった。

しかし、その集団はそれぞれがなんらかの若作りの努力をしてた。髪を派手に染めてたり、チェーン系のアクセをしたり、これみよがしなタトゥーがあったり、グラサンしてたり。

そしてファッションセンス中学生かいいとこ高校生くらいなレベル

なのに主に40後半、一番若くても33歳というグループだ。

正直言って、かなりキツイ。関わり合いになりたくない。その上、なんかこうやって書き出すとヤンチャ系っぽいファッションのはずだが、全員がちょっと根暗な感じの人たちだった。

少し話が逸れたのだが、要はバカな女には方向性がズレててもファッションに力を入れてるだけでイケメンいであるということ。これは大多数の男どもにとっては朗報なのではないだろうか。

ズレていようがなんだろうが、力を入れればそれだけで評価され得るのだ。大ニュースじゃないか!!

なお、例の童貞殺しは「ブサイクばっかりじゃん……」と辟易していた。口に出しちゃいけません!!と思うが、男紹介してあげると言われてそんな集団に会わされたら、そりゃ毒づきたくもなるわ。

そしてそこに付き合わされてるオッサン増田もっと辟易したぞ!!

2024-03-26

大谷の件でもそうなんだけど、スポーツ選手アイドル消費するのも問題だよなって思った

大谷ギャンブルしないとかいキャラクター消費って

アイドルうんこしないみたいなもんだろ

こういう人物消費ってどうなの?っておもうわ

アンチギャンブルしてたのは大谷だとかいうのは論外だけど、大谷はやってないとか大騒ぎする信者にも辟易するよね

スポーツ人気のために、こういうアイドル消費におっさんどもは見守りましょうねみたいな風潮がこの20年くらいできてたけど

問題が起きたときのこの手の阿鼻叫喚には疲れるようになってしまった

偶像で捻じ曲げられたけっか、事実まで捻じ曲げられてるのどうなのって思う

2024-03-25

anond:20240325020425

女性相手商売やし平時から女性クレーマー辟易してヘイト溜まってたんじゃない。そこがアンフェの論調と噛み合ってしまった。

2024-03-24

ブコメの知性劣化が激しい

左翼ネタで埋まっていたときも正直辟易したけど、ブコメ自体はわりかし知性的だった。建設コメント順位付けモデル導入位から左翼ネタ割合心持ち減った(けどまだまだ多い。しかも知性はあんまりないブコメが多い)トピックバランスが若干とれたな、と思うものの、ブコメはもう無茶苦茶で見るに堪えない。

2024-03-22

本格的に死にたい

いよいよ人生でやれることなくなった。

死にたい

 

4年前に知り合った彼氏がいる。

当時彼は既婚者であったが、わたしに惚れているのは周りから見ても明らかだった。

飲み会の帰り道で「好きだ」と告白された時、わたしは、「気持ちは嬉しいけど、わたし不倫とかできるタイプではなくて。既婚者の方はごめんなさい」とお断りした。

 

その半年後、彼は離婚して、もう一度告白してきた。

「待たせてごめんなさい。大好きなんです。僕は君と一緒になりたい」

あの時の彼の顔をよく覚えてる。待ってないです、でも、ありがとう努力に免じて、交際関係を受け入れた。

「でも、わたし、君を悪くいうわけじゃないけど、バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくないかもしれない」

大丈夫!君に嫌な思いはさせないし、大事にするし、幸せにする。不安や不満があったら、必ず言ってね。受け止める」

それからは、絵に描いたように幸せ恋人ライフ

彼はわたしお姫様か何かのように大切にしてくれた。

離婚したばかりで今すぐは無理だけど、かならず一緒になろう。世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから

そう言ってわたしを大切にするピュアな彼に、わたしも次第に夢中になった。

 

彼にプロポーズされウキウキのワクワクでご両親にご挨拶に伺ったら、元嫁に親権を委ねた彼の親から、「新しい嫁がきたら孫に会わせてもらえなくなる」と結婚に反対されたのが2年前。

当時わたし妊娠していた。

彼氏は、「まだ早かったかもしれない。両親の説得にはまだ時間がかかる。でも、いつかかならず一緒になろう。だから赤ちゃんはいまはおろそう。」そう言ってくれたので、わたしはまんまと信じた。

 

彼が前妻と建てた家で同棲し始めたのもその頃。

 

この家に住み始めた頃に、ベッドが処分されていないのを見てイヤな気持ちになった。

当然のようにそこに寝るよう進める彼に、「さすがに、ちょっと」と断ると、彼はあからさまにイラついた。

「お前の家のベッドだって、他の男と寝てきたベッドだろう」

「それはそうだけど、「わたしのベッド」に他の男も寝たことがあるのと、「あなたと前妻のベッド」にわたしが寝るのは、心持ちがちがうじゃない?」

わかってもらえなかった。

でも、イヤという気持ちは汲んでくれて、和室に布団を敷いて、寝ることにした。

 

彼は、最初、「この家に住むのも一時的もので、ゆくゆくは手放すよ」と言っていたのに、「ダイニングテーブルお気に入りから、このまま使わせてほしい。ソファは、買い換えようね」と、心を変えた。

 

彼は、最初、「お箸マグカップ買ってきたよ。2人の食器を増やしていこう」と言っていたのに、近頃は「どんぶり?あるのを使おうよ」「ほしいなら勝手に買っていいよ。でも趣味悪いのはやめてね」と、投げやりになった。

 

毎朝どちらかがあかちゃんにあげていた線香は、いつのまにかわたししかやらなくなった。

「親が来るから、少しの間出ていて」

そう言われることがあった。

ご両親には、この家でわたし暮らしていることを言ってはいないんだなぁ。と思った。

「ご両親の説得は進んでいるの?」

と聞いてみたことがあった。彼はイライラした態度で、「お前が首を突っ込むな」と返した。

そのくせ彼は、「あ、親が来る前にトイレキッチン掃除しておいて。だらしない暮らししてるとおもわれたら、めんどうだからさ」とも言った。

 

付き合った頃、「バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくない」と言ったのは本当のことで、

最初の誓い通り、不安や不満を伝えることが増えてきた。

でも、彼は変わってしまっていた。

「面倒くさいな。お前、少しは黙れよ」

「気に入らないなら出て行けば?」

バツイチ恋人になるんだから、それくらい覚悟しておけよ」

 

同棲から1年経って、彼はどんどん怠慢になった。

わたし誕生日を祝わなくなった。翌々日に、あ、誕生日だったんだね。と言われた。

彼の誕生日の日は、昼間にラインが1通あった。「今夜は外食から、俺の晩飯いらないからね」

わたしは1人でケーキを食べた。

セックスが雑になった。わたし愛撫することは無くなり、奉仕することばかり求めた。やんわり拒むと勝手に口に突っ込まれた。口に出されることが増えた。「抱きたくはないけど射精はしたい」んだって

 

彼は、横柄と傲慢を増していった。

「お前がいなきゃ離婚しなくて済んだ」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前のためにベッドを捨てたりソファを買い替えたりするような価値は、お前にない」

妊娠したのも、お前の策略だろう。お前が勝手に孕って勝手に堕したんだろ。俺は何も悪くないし関係ない」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前との将来なんて俺は考えていないからな。早く出ていけよ」

 

なにがいけなかったんだろうな。

わたしは彼を愛してきたつもりなんだが。

彼はわたしと一緒になりたかったはずなんだが。

お腹のあの子を殺したのは、彼とわたしとあの子未来のためで、必ず未来でもう一度会うつもりだったから、なのだが。

 

わたしは悲しくなって、先月ついつい、彼のご両親にお手紙をお出しした。

あの時、実は妊娠していたことをお伝えした。

エコー写真検査薬を同封した。

わたしと彼は一緒にはなれないから、せめて彼のお家で、供養してやってください。と。

お二人にそれをお願いすることが、殺してしまたこの子に、私がしてやれる最後ことなんです。と。

 

数日後に彼は実家に呼び出しをくらい、夜中に帰宅した時は鬼の形相だった。

「親に余計なことを吹き込んだな。もうお前なんか死んでしまえ」

そう言って彼は、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、馬乗りになって首を絞めた。

 

わたし自分の愚かさに辟易した。

 

あー、わたしはこんな乗り換えクズの虚偽のプロポーズを真に受けて、堕胎までして、お腹を傷つけ、胎児を殺した愚か者だったか。と、遠のく意識の中で思った。

かにわたしは、「困難な離婚をしてまでわたしと付き合いたいというくらいだから、相当の本気だろう」と思っていた。全く違う。

こいつは「結婚本質も知らず軽んじているだけのガキ」というだけだった。

やけに離婚がすんなり行ったのも、今思えばおかしかった。このジジイ事故物件だったのだ。前妻は、このDVモラハラからアッサリ逃げられて、ラッキーとでも思っていたかもしれない。

 

わたしは気絶した。

多分だけど、それで流石に慌てた彼が119番だか110番から通報したみたい。気づいたら救急隊に囲まれてた。布団の上で失禁していた。彼は警察に連れて行かれて、わたし病院検査を受け、問題がなかったので、警察と少し話した後、実家に連れて行かれた。

多分。記憶朦朧としてる。今もはっきりしない。

 

彼と出会った4年前、わたしは29歳だった。

最後の恋だと信じて、かけたけど、大外れだったうえに、取り返しがつかない時間若さを失い、傷をお腹と心に残した。

 

こんな男を信じて、夢だった結婚式も、ドレスも、ハネムーンも、注文住宅も、出産も、家族も、なにもかも、叶うことはなくなった。

 

じゅうぶんにがんばった。

できる限りのことはした。

彼に対し、人生で一番尽くしたし愛したし大事にした。

でもダメだった。

もうやれることがない、

 

なんだか、こんなわたしが、この先誰かを愛しても、愛すれば愛するほど、一緒にいられない気がする。

全力で大切にした今の彼にもこんなふうに粗末に扱われる。

私の価値は本当にないのだなと思う。

こんなわたしが、クズの子供を孕んで堕胎したわたしが、

仮にいつか、他の善良な男性と想いを通わすことができたとしても、愛されて良いわけがない。

そのような権利は私にない。

なんか、もう、死んでいいと思ってる。

首絞められて、意識が落ちる時、全然苦しくなかった。むしろ気持ちよかった。だから死ぬのは怖くないんだ。

わたしのかんはあまりあたらないけど、これが最後の恋だというのはすごく当たってる気がするの。

わたし死ぬからだと思う。

2024-03-21

客のマナーが悪い映画館東京23区編)

https://anond.hatelabo.jp/20240317232617

↑を書いた増田なんだが思った以上にコメントがついてビックリした。自分の中では結構身内ネタとして浸透していたのでここまで一般に広まる話だと思っていなかった。

ただ、こう考えると自分映画を見まくっている層以外にもマナー違反かます人間に対して辟易していて、映画界隈だけの問題でないことを認識できたので少し安心したところだ。

今回は自分と周囲の意見を参考にして23区内でマナーの悪い客に出会いやす映画館について話していく。ただし、あくま主観なので実際の評価は何とも言えない。あくまで参考として聞いて欲しい。

地雷映画館になりがちな周囲の環境

東京に限らず、治安が悪くなりがちな映画館には共通する要素が結構多い。他の地方でも下記の要素がある所では地雷客を摑まされるので参考にしてほしい。

言わずもがな不特定多数人間が押し寄せてくるため。夜間は泥酔客とかも入ってくる。最近殆ど見なくなったが臭いホームレスが入ってくる事がある。そうなると地獄絵

東京場合渋谷新宿池袋大阪場合梅田なんばで見る時は多少の諦めが必要

  • IMAXではない席数が多いシアターがある

シネコンだろうとミニシアターだろうと収容人員が200を超えるでかいシアターは結構スマホを光らせる輩が多い。バレないとタカを括ってるか最悪バレても無視できると踏んでいる為

  • 築年数が古い

ボロいビルに入っている映画館は高齢者が多く来る傾向があるが、結構割合ビニール袋に菓子を持ち込んでくる場合が多い。

寄席飲食物の持ち込みが許可されている場合が多く、その近辺にある映画館に来る客(特に高齢者)はそのノリを引きずって持ち込んでくる。

  • シアターまでの導線が悪い

ビルに入っているシネコン場合、シアターまで少ないエレベーターエスカレーターを使わざるを得なくなるため、故意で無くとも上映開始時間に間に合わない。

東京23区で客のマナーが悪い事が多い映画館(グランドシネマサンシャインは前回話したので省略)

TOHOシネマズ新宿

ゴジラビルから覗いているので外国人にも人気があるシネコン新宿、それも歌舞伎町のど真ん中にあるためガラの悪い客が多い。特に夜間は同伴出勤のホストキャバ嬢が客とき香水臭かったりする一方で昼は適当に見に来た客がうるさいことが多い。

混雑率が高いので更にイライラする可能性が高い。ただし、IMAXやMX4Dでは純粋映画を楽しむ客が多いので比較的マシなのと築年数が新しいので比較的館内が清潔なのが救い。

新宿ピカデリー

導線が悪い事で有名。3階から11階までシアターがあるのだがエスカレーターエレベーター各一機でやりくりしている。また予約画面からはどのシアターが何階にあるのか分かりにくい。

そのため上映中入場が非常に多い。ただ、グランドシネマサンシャインと違うのは大きいスクリーンが低層階にあるので大作でやらかす客がまだ多くないことか。

新宿末廣亭が近いせいか持ち込み率が高い。コンセが高いので向かいファミマ無印で持ち込んでるっていうのもあるが。係員がシアターのそばにいないため文句を言いに行きにくいのも難点

シネマート新宿

ミニシアターシネフィル向けの作品が多いのでそこまで治安が悪くはないのだが、シアターがわりかし広いのでSNSでバズった映画が上映されるとスマホを光らせる客が割と多い。

TOHOシネマズ渋谷

道玄坂にあり、導線がエレベーターしか無いので非常に進みにくい。あとビルに合わせてシアターを作っているで見にくい場合結構多い。

場所若い客が多いので騒ぎ出すと集団でうるさくなる。映画ファンにとって特殊設備があるわけではないので映画ファン時間があっても行かない事が多い

TOHOシネマズシャンテ

日比谷にあるTOHOビルの中にある映画館。シネコンなのだ映画館の経緯で玄人向けの作品が多く上映される事が多い。

中高年の客層が圧倒的に多く、そいつらのマナーが非常に悪い。ビニール袋に持ち込んだ袋菓子を開ける音がしょっちゅう聞こえる。

あと建物が古いせいか、前の席の頭が被りやす

逆にマナーの悪い客に遭遇しない23区映画

ミニシアター殆ど弁えている客なのでそこまで荒れる事は無い(設備面で文句を言う客はいるが)

どうしてもシネコンで見たいなら品川のT・JOYプリンス日本橋TOHOシネマズ比較治安がいいのでお勧めする。

あとは山手線から離れれば離れるほど安心できる。どうしても都心は碌でも無い人間まで呼び寄せてしまうようだ。

アジを焼いてたべてみたら美味しかった

台所が汚れるしめんどくさいので魚はあまり食べられていなかったが、肉類の価格高騰に辟易して、安くなっていたアジを購入し、レンジで何も考えず「お魚メニュー」で加熱したらとてもおいしい焼き魚になった。とても満足感がある。

2024-03-20

anond:20240320130719

一般企業で働いててもクソな取引先や客の対応ばっかで辟易してるけど、幼稚なイキリメールを送ったりはしない

お前の1/1はそいつの1/100だし、お前の1/100は誰かの1/1だ

映画の「エターナル・サンシャイン」で、クレメンタインって名前キャラが初対面の相手に「名前ジョークはやめて」って言うのを思い出すなど(いとしのクレメンタインという有名な歌があり、初対面で名乗ると必ず言われるので辟易している模様)

2024-03-19

誰かの手を借りて生きること

車椅子マナーの話を聞いて思ったこと。健常者の想像です。

車椅子をはじめとした障害者の人って、健常者よりも一生で言うお礼の数が多いわけで、気遣い辟易する気持ちもわかるんだ。

だって、本当なら人に声を掛けなくてもできたかもしれないことが、他人ありきでしか動けなくて感謝義務になる。

嫌悪くても、本当は人が嫌いでも、自分の力だけでは動けない。その上「ありがとう」と言わないと手を貸した他人イラッとするでしょ?

他人からしたら「たまたま貸した人」だから、助けるのが当たり前のような態度されたら嫌だ。でも当事者は何十何百回と貸され慣れたうちの一つだから完璧対応が取れないときもある。

「助けてくれた人には一言お礼ぐらい言う」というのは正論だが、そもそもそれは「自力で完結させる」という選択をできる人の理屈な気もする。

自力でできるのに人の手を借りたということと、できないから借りるしかなかった、は似ているけど後者のほうが苦しいのではないだろうか。行動をするたびに、他人の影が付いて回る。

その苦しさを他人にぶつけずに生きている人のほうが案外貴重だったりしないか?ただ、健常者同士であれば関わることが少ないだけで。

一人で生きたくても他人の手を借りないという選択が取れないというのも、障害の一つなのかもしれない。

自分接客業なのに、客を前にすると「ありがとうございます」の言葉が喉をつっかえて出てこないときがあった。

何度も口内炎を作り、家とは違い滑舌が回らない10文字には憎しみしかなかった。それでも客は聞きたかったのだろうか。

なら、もう「ありがとう」価値を落として、ボタン一つでお礼言ってくれる機械でも普及させようよ。

「いらっしゃいませ」と声を出すたびに「これこそ機械でいいじゃん」とずっと思っていた。

形式的言葉意味なんてないなら、それでいい。

そっちのほうがお互い楽だ。

2024-03-18

車椅子を押す側 の ぼやきと一部の生活

車椅子を押す側のとある所感、一例として書いてみる。

あんまりまとまってないけど、ご容赦ください。

  

――――――――

  

自分車椅子押す側の健常者。

身内が車椅子。元は歩けてたけど、病気車椅子になった。

押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。

から押す側はだいぶ神経使う。重いし。

  

で、身内は結局あんまり外に出たがらなくなった。

繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。

  

――――――――

  

そんな身内の言い分を聞いてちょっと唸ったことがある。

例えば、人混みを通らなければならないとき

介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、

乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。

  

そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。

大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。

で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。

それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、

そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味から、受け取り方が違うよ!」と慰めた。

  

そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。

よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。

  

――――――――

  

人間というか生き物は、自立したい生物だと思う。

金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、

身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。

自分身体が突然制御不能になったら嫌でしょ。

最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。

周囲だって毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。

  

でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。

傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。

本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。

自分要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。

いくらこっちが善意でも、いや善意からこそ。

  

まり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、

「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安

それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初言動のものになってるのかなと思った。

  

――――――――

  

いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。

だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。

これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。

外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。

  

でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。

  

簡単な例でいえば、トイレだ。当然多目的トイレしか使えない。

から多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。

車椅子トイレ使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。

ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。

いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。

しかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。

かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレセックスをするアホもいたりするからな…。

健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。

  

車椅子の人だって介助者だって別に自分関係なければ許せるかもしれない。

本来なら…病気になったり、事故に遭わなければ…。

そういうありもしない未来過去がそのたびに去来し空しくなる。

心の許容範囲の在り方、理不尽に変わってくる。必死だ。

  

――――――――

  

他の例だと、地方美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。

外出の選択肢として楽なのはアウトレット舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。

海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。

  

エスカレーター階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。

エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。

一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。

見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。

降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。

  

実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。

障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。

若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。

  

ただ「使える」バリアフリーかっていうと難しいときもある。

とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。

エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。

(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)

  

施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。

でもまあそれは「平等サービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。

美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから

コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。

たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。

  

本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分パイプ椅子…なんてこともあった。

クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。

「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。

楽しむために行くのに、悲しい気持ちになるのは本末転倒だ。

  

――――――――

  

マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。

自分車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。

望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分いるから存分に楽しめなかったりする。そもそも自分の行動や欲求に付き合わせている。

そういった事実によって生まれ葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。

そういう立場体験していない自分が、その感情否定することはできない。

  

ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。

身内の気持ちは身内にしかからいから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。

  

当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。

だって事実事実で動かしようがない。

すみません」って言わないと通れないんだから

  

――――――――

  

設備が悪い!とか周りが悪い!って文句もあるときはあるけど、

社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。

人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離コミュニケーションをとる。

これは最近トランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。

自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。

平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。

  

からまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、

なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。

  

身体不自由だろうと身内には元気でいてほしいから、

色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。

無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。

  

――――――――

  

そういうわけで(?)

車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。

助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。

舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。

  

こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。

  

――――――――

  

おまけ

  

これは最近の空しかった話。

テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。

  

「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。

いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。

かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。

でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルそもそも高い。そこに行くまでの道程ハードルも高い。

立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。

何より、身内と自分の体力や精神力が持つとも思えない。

そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェス非難してるわけではない。

  

でも行きたいなって気持ちは誰にだってわくもんだし。

「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子から無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。

から「行きたい」じゃなくて「行きたかったなあ」になる。

  

介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。

  

こんな無力なこと、ある?

自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。

身内はこの先あの景色体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。

  

――――――――

  

やっぱりあんまりまとまらなかった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん