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はてなキーワード: 競争とは

2016-08-26

anond:20160825151153

ごめん。彼女を寝取ったはおれだ。きみには申し訳ないことをしたと思う。

だけど、わかってほしいのだが、きみを傷つけようとして寝取ったわけじゃない。

俺としても本気だった。彼女をきみから奪い取りたかった。

から強引に頼み込んで、何とかそうなるようにしたんだよ。

 

だけどやっぱり、あまりうまく行かなかった。数回だけはそうすることができたが、長くは続かなかった。

やはり何かがまずかったようだ。おれのせいかもしれない。

そのせいで彼女にもきみにも迷惑をかけたようだ。すまない。

だけど、しょうがないんだよ。男と女関係というのは、狙ったとおりには行かないものだ。

あっちに行ったりこっちに行ったり、ふらついたりするものなんだ。

 

おれとしては彼女幸せにして上げることができなかった。残念だ。

できれば、きみと彼女がうまく行って、彼女幸せになってくれたら、と思うが、

それはおれの自分勝手な願望だ。おれが何かを言える立場じゃないことはわかっている。

 

彼女にもきみにも、本当に済まないことをしたと思っている。しかしそれは結果論だ。

おれは別にきみたちを傷つけようとしたわけじゃない。ただ彼女を愛しただけなんだ。

だけどうまく行かなかったんだ。どうしようもないことなんだよ。

 

ただ、一つだけは言える。こんな過去いつまでもこだわるべきじゃないということだ。

きみは何も悪くない。おれだって悪いことをしたわけじゃない。あのときは単にきみと競争していただけだ。男と女のいる世界ではよくあることだ。

 

きみとは戦友みたいなものかもしれないな。将来たがいに素性を知らないまま酒を酌み交わしているかもしれないな。ま、それも人生さ。

自分人生を生きてくれ。

http://anond.hatelabo.jp/20160826010858

競争社会の徒花みたいな奴だな。適当進学校からでもいい大学は行けるから大丈夫予備校次第だよ。

それより、こういう価値観で将来挫折したとき心配だよ。進学、就職出世のどっかで挫折絶対経験する。優秀でないことを自覚してるならなおさら

競争社会で敗北した人間の生きざまが書かれた本とか読んでおかないとそういうとき辛いよ。トルストイとか内村鑑三とか、簡単なやつでいいから読んでおいた方がいいぞ。

2016-08-23

日本経済大学」が匿名情弱をだまして宣伝している件、

などと言うつもりは毛の頭ほどない。最初に断言する。

しかし、あまりに奇妙なのでここに書いておく。


以下のウェブサイトをみてほしい。

一見すると、どれも何の変哲もないただの大学紹介に見える。

しかし、よく見ていくと謎が深まっていくのである・・・

経済大学紹介

http://economics-univ.info/

202.45.166.123


九州大学ナビ

http://univlist-kyusyu.info/

202.45.167.69


大学受験入試ナビ

http://university-navi.info/

202.45.167.87

すべて、運営会社団体名前や連絡先の記載は無い。

また、whoisで各ドメイン検索すると登録者匿名だ。

匿名とは卑怯ではないか

一方で、IPアドレスがいずれも同じ貸サーバー会社のものであること、

いずれもWordPress作成されていることから、同一の作成者が作った

ものである判断していいだろう。

ざっと検索しただけなので、まだ他にもあるかもしれない。

1匹見たら30匹。



だということは、これらはリンク誘導SEOなどの目的

大量に作られたウェブサイトだと考えるのが自然である

では、どこにリンクしているのか。

それが、日本経済大学なのである


日本経済大学記事だけ、不自然なくらいに

大学サイトに飛ばそうとするボタンが多いのだ。

また、露骨なところではオープンキャンパスの案内が

日本経済大学だけあったりする。

広告】と書いてあればまだいいが、そのようなものはない。



少子化により激しい学生獲得競争が起きているとは知っていたが、

今はどこの大学もこのような裏工作をしているのだろうか?

それとも、日本経済大学を落とし入れたい誰かの陰謀なのか?

そう思いたい気持ちがなくもない。

いったい誰がこんな・・・


かわいそうなのこんなこすっからい手口に引っかかる若者だ。

学費数百万をつぎこんで劣悪な教育環境にいるのではないか心配になり、

日本経済大学がどんな大学か調べてみた。


どうやら、2014年に「大学の法的基準に達していない」と判定されているが、

改善に取り組んでいるらしい。改善しようとする姿勢はすばらしい。

http://www.jue.ac.jp/news/index.html?id=28901


中国人ベトナム人ネパール人らの留学生日本人よりも多い、

国際的な(アジアンテイストただよう)キャンパスになっているらしい。

現地のブローカー札束わたせば多少は留学生を引っ張ってこれる時代ではあるが、

それでも数千人規模というのはめったに無い。

http://www.studyjapan.jp/ja/schools/detail/R14201


都築学園グループという大手学校法人グループにいるらしい。

よくわからないがとにかく大手なら安心だ。

オックスブリッジ大学の学寮(カレッジ)での短期研修プログラム

大学間の提携関係みたいに大げさに言うのもご愛嬌

http://tsuzuki.ac.jp/


なるほど、これなら心配ない。PCデポとはちがう。

あとはただ、世の中から詐欺みたいな広告手法が無くなるのを願うのみである

競歩という種目の意味が全くわからない

リオオリンピック日本人銅メダルをとった競歩について前から考えていたことがある。

それは競歩の特異性だ。

陸上競技

「より速く」

「より遠く」

「より高く」

に挑むものだと思っていた。

そこに制限はない。

100m競争は速ければほふく前進で移動しても早ければ金メダルだ。

しかし、競歩はなぜ歩くという制限をつけて、競技にするのか。

ライオンに襲われて、歩いて逃げなければならないなんてことがあったのだろうか、、、ないよね。

誰か競歩陸上競技になっている意味を教えてほしい

2016-08-22

面白ルール能力制限されたスポーツ界の強者たちはみんな変な環境に過剰適応した奇形の生き物。

ボルト飛行機より遅いし銃で撃ったら死ぬ人類最強の男は格闘技界の王者じゃない。

スポーツの良さは奇行奇行競争させて最強の洗練された奇行を決めることにある。

なのに人間想像力を突き抜けてくるパラリンピック異端扱いするのはどう考えてもおかしい。

制限があるからスポーツ面白い

2016-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20160821190837

ドスパラでまるごとは買ったことないから知らないが、

あの競争の激しい秋葉原で長年生き残っている店舗で信頼できないものがあるはずはない。

自作が前提だから壊れても壊れた部品だけ買い替えれば済むし。

価値ものを「テーマ」とは言わない

少しだけ真面目に言うならテーマというのは「主題」なわけ。「主」って言葉意味はわかるよね。中心であり核心であり、即ち価値なわけ。価値があるから「主」というので、なければ単なる一部分にすぎないの。そんなものを「テーマ」とは言わないですよ。

からテーマを論じたらそれはマウンティングなっちゃうわけ。少なくとも優勝劣敗が存在するわけ。そんで「作品に込められたテーマを探す競争」が人々の中二心をくすぐったりもしたし、作者すらそれに乗って崇高で深遠な「テーマ」を探す競争とかしてたわけ。でもあなたが言うとおり「テーマが主なら、作品は従か?」って疑問が当然出てくるわけ。「いやいやテーマ作品は不可分一体だよ」とか言ってごまかしてもダメなわけ。たかだか数行にまとめた「テーマ」が主なら、二時間映像はいらなくて、最初からテーマだけでいいでしょって話になる。おかしいよね。なんでそんなことになったのか?



そもそもむかしむかし「作り手・受け手」の関係において「受け手」は弱者だったわけ。「作り手」は神の代弁者司祭シャーマンまり天才」。受け手はただの虫けらで、神の子の手で一喜一憂し転がされ泣かされ笑わされ搾り取られるだけの存在だったわけ。でも「批評」という行為によって革命が起きたのが近代という時代だったの。書き手さえ気付かぬ作品のシンの価値発見確立する創造行為としての批評、それが近代的なあるべき作品受容の姿となり、そこで発明された批評家武器がすなわち「テーマ」なわけ。「この作品のシンのテーマは…」とかしたり顔で語る連中は、、ことごとくこの時代に生まれた連中のしっぽなわけ。

それに対して、受け手100%権力を握るべしとした20世紀過激主義者エンタメ派なわけ。どんな作品であろーが、オレたちが楽しめればいーじゃんていう。オレたちが楽しんだ事実けが重要なのであって、作品テーマとかそんなもんあってもクソ、みたいな考えは、一方で作品の質みたいなものを果てしなく劣化させてく危険思想でもあったのだけど。まあそんなことは昨今のアニメを見てる連中ならうすうす気付いていることだとは思うけど。萌え豚だって自分らが萌え狂ってる作品が、50年後100年後まで人類熱狂させるHOTコンテンツだなんて欠片も思っちゃいないでしょ? まあでも、「批評主義テーマ主義」ってしょせんはインテリ玩具であって新しい階級主義だったわけ。それより、萌え豚の方が「ぶひー」言ってればいいか楽しい多数派なわけ。急進派は多数派に敗北するのが歴史必然なわけ。んなわけで、萌え豚が「テーマ=悪。エンタメ至上」という旗印の下に批評家オタク駆逐していったわけ。



そんなわけで、この件についてはどちらが正しいってことも別にないわけ。「それぞれの時代における流行りの作品受容の在り方」でしかないわけ。いずれもその時代なりの必然があって生まれスタイルなわけ。



それより、そういうエンタメ派全盛な脈絡の中であえて「いかにもテーマ的に論じられそうなコンテンツ」をぶっこんで来た所が庵野のタチ悪さだったわけ。つまりテーマを論じる批評という行為自体を巧妙にエンタメ化したわけ。わかりやすく言えば萌え豚という民衆の手にテーマ論という権力解放したということで、これはまさしくアナーキズム可能性の中心なわけ。これがゼロ年代オタク概念の飽和を生んだ庵野革命だったわけ。そして今回は、ゴジラ震災政治、なんつーメジャーコンテンツを使って(政治ももはや萌え豚の旗の下に果てしない劣化を始めていたというタイミングもあって)

一般人までまんまとそれに狂わされてるわけ。そこが庵野の手腕ですげーとこなわけ。だから増田増田やお前増田や俺増田がこうやってネットであーだこーだいうところまでひっくるめて、全部庵野計算したとおりのエンターテイメントなわけで、つまり「やっぱり『シン・ゴジラ』すごいわ」というのがとりあえずの結論なわけ。



というわけで、これがライト左翼の語る「シン・ゴジラ」論なわけ。

http://anond.hatelabo.jp/20160816124615


(追記)ブクマに回答

id:tick2tack 批評オタクが「駆逐」されたのはなんでなのかな?エンタメ派が増えようが批評を続けることに問題はないように思える。単に注目・承認欲求が得にくくなったためとか?

承認欲求と言えばそうですね。すごそうな「批評」に感心してくれる人が減ったら批評やりがいがない。エンタメ派によって「今時『テーマ』とかムキになって論じちゃう批評ってイケてない」というイメージが広まりましたしね。あと、積極的駆逐しなくても、エンタメ楽しい、と一動作に対して批評=考える+論じるの二動作後者は前者にどうあがいても敵わぬ理屈ッ(成る程っ!)、みたいな。「楽で楽しい」方向に流れるのは時代歴史必然でもあるように思います

2016-08-20

男は働いて女は家を守る昭和のやり方

実は効率的なんじゃね?と思うようになった。

女性はいくら環境が整備されたとは言え、様々な差別障壁が有るし、妊娠出産の期間仕事を休まないといけないから、ずっと働く男との競争は不利だ。

男も本気で働くとなると、家で洗濯掃除しているヒマは無い。家政婦入れると家事解決するかもしれんが、孤独で病む。

そして男女とも、若い間は子供なんて不要と言っても、年をとると産めばよかったと言う。これ、数十人に聞いたが今まで例外が無い。

皆無とは言わんが、子無し夫婦の大半が産めば(産めれば)よかったと思っているのではないか



男女差別とか平等とかのお題目は美しいが、世の中の仕組みを変えるよりも適応して生きた方がQOLは高いのではないだろうか。

男は死ぬほど働く、1日12時間は働く。女は家事をやって子供の面倒を見る。これを比較優位の分業と見れば、効率的ではないか

ぶっちゃけ日本企業残業した人から昇進していくシステムなので、労働時間を1人に集約した方が効率的だ。2人で8時間×2働くより、1人で12時間働いた方が昇進が早く給料も良い。



男女共同参画とか、女性活躍とか煽っていても、現実制度がまだまだ甘いし、生理的機能の差で20~30代の数年を妊娠出産育児に取られる女性が働くのは非効率だ。

ならば世の中に合わせて生きるという選択肢も有ってよいのではなかろうか?

自分の生きたいように生きる権利を認めた上での、効率的生き方提案という話だが。




事故病気や離職で詰むとの意見ですが、共働きでも同じでしょうね。

そもそも、共働きで片方が不測の事態で働けなくなった時、家計問題が無い家庭がどれだけ有るのでしょうか?

働き手を片方に限定する事で、少なくとも住宅ローンは団信によってリスクヘッジが容易になります

12時間働きたくないとの事ですが、共働き8時間家事育児を並行してやる方が疲れます

8時間働いて暗い家に帰ってきて、そこから食事の準備や洗濯をして、風呂に入って風呂掃除明日の買い物まで。

子供が居ればお迎えと寝かしつけ、高額な時間外保育料金の支払いも。掃除機をかけられるのが休日だけだから、そこまでやっても家は埃っぽい。

そんな生活の方が疲れると思いますね。



男女共同参画を推進する人は、ここまで考えの浅い人ばかりなのでしょうか?

足るを知ってはいけない

自分が十分に裕福であることを自覚して、

それで満足して向上心が無いのはダメだよね。競争社会的に。

常に自分は貧しい、不幸だ、惨めだ、だから努力して手に入れる全てを。ってやるのが

あるべき社会の姿なんでしょう。

から今時の若者に「お前らは貧乏だ。不幸だ。惨めだ。」ってメッセージを送って発奮させないとダメなの。

本当の貧乏とか飢餓とか戦争とかどうでもいいんだよ。

2016-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20160816234706

増田イメージは対戦形式をとる競技だろ?

トーナメント組んで一対一で試合していくタイプ

競争や採点で記録つけてそれでランク決まるタイプ競技結構さばさばした解説になってるから

陸上とか見れてればいいよ

2016-08-18

残業会社を強くするし残業をなくすなんて理想主義なんだよ

リンクは貼らないがダイヤモンド記事炎上していた。

なぜ最近の若者は定時帰りするのか的な感じだったと思う。



これに対して9割以上の反応が筆者に対する批判だった。

老害ブラック、こういう奴が日本を滅ぼす的な意見ばかりだった。



私も、無駄残業は減らすべきだし、残業目的になるようなことは避けるべきだと思っている。

また徹夜での業務病気になるほどの残業おかしいと考えている。



それでもこの「行き過ぎた残業バッシング」には違和感を感じるのだ。

以下が私の経験から得た、その理由である



行き過ぎた効率主義になっていないか

定時が絶対となると無駄時間を全く取れない。

これは一見、良いことのように見える。

しかし、行き過ぎた効率主義組織を滅ぼす。



例えば緊急性の高い仕事や面倒なもの押し付け合いになる。

また手遅れが発生するようなミスに対して非常に敏感になり、人間関係もぎくしゃくする。

コミュニケーションミスも多く発生するようになる。

仕事業務は異なる。業務効率性を求めたとしても、仕事業務以外でも成り立っている。

その為、行き過ぎた効率主義業務改善に役立つが、仕事全体として上手く回らないケースがあるのである



残業は「できない社員」を救う措置

残業をなくすべきと言っている社員のどれくらいが、会社で求められている以上の成果を出すことができているだろうか。

私の経験上、優秀な社員というのは社員の中での1〜2割だ。その他は普通、もしくはダメ社員なのだ

そしてそのダメ社員はどうしても優秀な社員よりも成果物の精度が低く遅い。



どうするか、残業するしかないのである

出来る社員に追いつく為、少しはマシな成果物を出す為には残業をするしかない。



上司のせいにばかりするな。

自分の成果が低ければ残業をしてでも取り返さなければいけない。

こちらは君たちが無能でも首を斬ることができないのだから



全員が定時で帰れば会社は傾く

残業なしというのは理想主義だ。

常に競争の為、当然他社よりも高品質安価もの提供しなければならない。

どうしてもその差分を補う為、多少の残業は発生するのだ。




いかがだろうか。

君たちは自分能力もないのに残業を敵視しすぎなのだ

理想主義だけでは会社はやっていけないのだよ。

ちゃんとはてなだけでなく現実も見ような。

http://anond.hatelabo.jp/20160818101214

何てこたぁねぇ。オタク云々言ってるが要は競争社会で敗北した男の話じゃねぇか。

こんなもん、①これから戦うか、②共産主義キリスト教に走って競争社会自体を捨て去るかのどっちかだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20160818101214

増田も気づいてるんだろうが「オタク競争するもの」という前提がおかしい。増田出会ってきたオタク人格問題があっただけ。

好きな作品があるならひっそりと楽しめばよい。語り合う仲間を選べばよい。

むき出しの競争心が嫌でオタクにもなれなかった

からアニメゲーム音楽も好きだ。

コミュ障で人付き合いはいい方ではない。

かと言ってオタクというわけでもない、彼らからすればいわゆる普通人間だ。

なりそこねてしまったのだ。

中学生くらいの頃は人に負けないこだわりがあった。

別にそれを人にひけらかすつもりもないし、そもそも一人で楽しむのが好きだったのだ。

それなのに、ただ何が面白いかを自分なりに説明しているだけなのに、頼んでもないのに勝ち負けに持ち込もうとする奴が必ずいた。

オタク特有の、自分のほうがオタクだというプライド押し付けてくるのだ。

自分にしてみればそんなことはどうでもよかった。好きなものを好きでいれば、自分なりの解釈自分なりに楽しんでいればよかったのだ。

それなのにそいつは違かった。自分解釈のほうが優れていると無理矢理押し付けてきたり、とにかく自分が好きなものに対する知識愛情が人に負けるのを嫌うのだ。

自分はそれが心の底から嫌だった。それが原因で嫌いになってしま作品も沢山あった。

それからはできるだけこっそり楽しむようになり、作品に対しての交流も減っていったことで自然とその世界からは足が遠のいてしまった。

そいつは40を過ぎたいまでもオタクをしている。その世界ではそれなりに名前をも通っているらしい。ただ、たまにあって話をするが、相変わらず自分知識愛情に異様なまでのプライドを持っていて、ちょっとでもコンテンツ話題を出すだけで湯水のように自己顕示欲を垂れ流していた。

嗚呼そうか。こういう根拠もないのに自分が優れていると勘違いできて、誰かれ構わず競争心をむき出しにできる人間オタクとしての素養があるのか。

そう考えると自分は人との競争が嫌いで、何事も競争となるようなものは避けて生きてきた。

おかげで周囲は平和だが、大して面白いこともない至って普通人生を過ごしている。

庵野島本のやりとりを、すごいと思いながらどこかで小馬鹿にしている自分がいた。

テレビの中では闘争心をむき出しにしてトップアスリートたちが記録を競い合っている。

からでも彼らのように競争心をむき出しにして何かに熱くなることはできるのだろうか。

それがあまりにくだらないことだと思ってしまう時点で、自分には無理なのだろう。

なりたくない人間にならなかったのだから良しとするべきか、今の自分が本当になりたかった人間になれていないことを省みるべきか。

考えるにはもう遅い年齢になってしまったのかもしれない。

ただ、やっぱりあん人間になるくらいなら死んだほうがましだ。それだけははっきりと言っておこう。

2016-08-17

増田哲学 Ver 0.0.3.2

淘汰というものがあらゆる状況に存在する「時空」において、個々の知性の存続においても淘汰というもの機能していることを前提とするのが自然だろう。つまり、前項にて示した「相互補完」への帰結も永続的な存在視野とした知性間における淘汰の結果とも言える。つまり、「相互補完」による均衡状態の維持こそが、「時空」に存在しうるあらゆる脅威から、知性が自らを護るために不可欠ということだ。そしてこれは限定知性にも当てはまる。ただし、「相互補完」による均衡状態は、「大いなる良」という恒久的な時空間軸の観点から初めて示され得るものであるため、限定知性にとって、自らの境遇がそれに到達するうえで如何なる状態にあるかを見極めるのは困難だ。むしろ限定的空間視点において「良」とされる状態が、該当する限定知性にとって最終的に「大いなる良」へと移行出来得る可能性を高める境遇であるとも限らない。つまり限定的空間における「良」は必ずしも知性における「良」であると定めらるわけではないのだ。そこが、限定知性が自らの行動規範を明確にすることを困難とする。一方、時空間制限から解放された存在である知性にとっても、限定知性が持つ、特定の時空間に対する「主観的視点」ならびにそこから得られた知見は、自らの知性を補完するうえで重要ものになる。状況を単に理解すること(即ち「知」の蓄積)と、主体的立場でそれを体験すること(「経験」の知性への統合)には大いなる差があるからだ。つまり、知性は限定知性がいずれ、その物理空間から解放され「大いなる良」を達成するためにその他の知性と均衡関係を築き上げることを望んでいると仮定することが妥当だろう。

(結局、この世は競争社会で、だれもが直面しなくちゃいけないものだよね。たぶんそれは、意識をもっているあらゆる存在がそうなんだろうな。とういことで、皆でハッピーになるために、互いに愛し合うっていうのはある意味生存本能がもたらしたもんなんじゃないかな。ただこれはあくまでも、この世の時間とか制約を超えたセカイを前提とした意味だよね。でも人の世では、それは分かりにくいよね。この世の金持ち名誉を得た人が天国極楽浄土?)にいくとも限らないし。ただ、もし人よりも高等な存在がいて、それが時間とかを超えた文明をつくっているのなら、結局、この世界に介入するだろうね。どんな些細な人生でもその体験は、重要ということさ。)

知性は限定知性の限界である空間から解放に意義があるという前提で介入する。それは「大いなる良」に向けた相互依存のために不可欠であり、巨大な淘汰という環境において知性自体の存続を維持、反映させるうえでも不可欠であるからだ。一方、限定知性は、自身物理的個が崩壊すると同時に自らの知性も損失してしまうことが限定された環境下における最大の障害となる。従って、限定知性もこの時空間制限という限定条件を突破し更に存続できるかはその存在自体にとって文字通り「死活問題」ということが出来る。だが、知性自体が、その存続の最大の条件を「大いなる良」に向けて相互補完であるということしているのであれば、限定知性もその思想及び行動の範疇をそれに準じなければならない。

実際にそこは矛盾に満ちた境界でもある。つまり限定知性は時空間を極めて限定された中で自己認識しなければならないのも関わらず、時空間から解放されている条件下の相互補完を

持続的に実現しなければらないからだ。

時間空間を飛び越えた神やら仏やらがこの世に介入するときっていうのは結局、みんながハッピーになるため。神やら仏やらがいる天国やら涅槃霊界やら地獄やらっていうのも

結局は超巨大な競争社会自然界の弱肉強食なんだろうね。結局、神やら仏やらもすべての生きる人を必要としてるんだよ。人とかも結局、死からは免れない。でもそれをするには

みんなが永遠にハッピーになるために頑張らなきゃ。でもこの頑張るっていうのが、この世だけの見え方ではなくて、神やら仏やらの視点で頑張るっていうのが大変なんだよ。)

 知性にとって、あらゆる限定知性の価値は、「大いなる良」に向けて相互補完を実現する名のもとに等価である。ということは、限定知性の思想や行動規範もそれに準じなければならない。知性にとってあらゆる「知」を「経験」として再構成するにはすべての限定知性が不可欠である。一方、限定知性にとっても時空間制限や制約並びに障害に囚われる事なく

全ての限定知性を等価にとらえ相互関係性においてその思想と行動規範を維持することが求められる。

(神や仏にとって、どんな人も大好きなんだろうね。そんなことを考えているかハッピーになれる。 幸せに生きるためには、人の経験がどんなものであれ、それらを一つに

して団結することで強くなるわけだから。ということは、どんな人でも人種がちがったり、ちょっと考えていることが違ったり、美人デブ不細工も、イケメンも、学校

成績や社会での地位とか、にまったく関係なくお互いに助け合わないと。なんか青臭いけど)

これまでの概念提示は以下から確認出来る。

増田哲学 Ver. 0.1

http://anond.hatelabo.jp/20160801194202

2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816232814

思いつく順に列挙すると、

(1) 今の人生がとにかくつらくて、悩みを解決する処方箋が欲しかった。

(2) ジブリ作品フィンチャー作品、『資本論』を観たり読んだりしたせいで(+周囲の人間を見ていて)、消費社会競争社会価値観に疑問を持った。それ以外の価値観が欲しかった。

(3) 本屋で偶然、内村鑑三高校日本史で不敬事件当事者として出てくる)の聖書注釈出会ってこれが分かりやすかった。

(4) ニーチェドストエフスキーを読んだせいで、神を否定するとヤバいことになると漠然と思っていた。

(5) マクグラスの『科学宗教』を読んだことで、現在科学水準でもキリスト教否定し去ることはできないということが分かった。

(6) 何より、読んでみたら聖書の一節一節が心に刺さりまくった。

辺りかな。

[追記]

(7) 葬式仏教の腐敗っぷりに嫌気がさした。

(8) (4)と関連するけど、植松聖の事件を見て、「結局重度障害者が生きる意味(≠殺してはいけない理由)はあるのか」という問いについて、神なしではうまく答えられないことに気付いた(異論はあるだろうが)。

2016-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20160815023631

コスプレはいかに男に注目されるかの競争

レイヤーの共有愚痴アカウントを見てると

https://twitter.com/coscamedark

「ブス」「デブ」「ババア」「ガキ」「露出」というキーワードが溢れている

嫉妬劣等感優越感が渦巻くこの世界

女王蜂を目指す彼女たちは女同士敵視し合っている

  

キーワードから分かるように、容姿と年齢という非能力面が評価される

レイヤーに限らず、女性世界にはこのような容姿で決まる競争があり

女性の生きづらさの一因となっている

  

そんな女の世界でも逃げ場所がある

  

趣味世界

受け身の愛され競争から解放される

特に異性ファン不在の趣味では

容姿よりも人間性、能力評価される傾向が強い

女でなく人間でいられる

  

そんな心の安らぎ場にありきたりな女の競争を持ち込みぶち壊すレイヤーども

http://b.hatena.ne.jp/entry/ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar1085733

なんだかこのブコメ見てると、頭でっかち無責任な連中が言葉を弄していかアウトサイドから安全でいようとしているか、という構図が透けて見えてさすが悪い意味はてなーだと思う。

こういう連中が発言自由(という体裁放置主義)と自分たちアウトサイダーの身の安全担保しつつ、無意味価値に己のエゴ称揚すべくクリエイティブ及び現場当事者となる全ての人を叩くやり方を続け、やめることがない。

以前一次創作者に対するリスペクトブコメにないという増田を見かけたが、それに対する詭弁反論が「サラリー日本経済に貢献しているのでリスペクトすべき」、というものだった。

その論理場合サラリー社会的枠組みの中でエスカレーター式に獲得した地位であり、まさに清水から飛び降り個人事業主個人法人であったわけでもない。

まして彼らの日常ルーティンという言葉代表される非クリエイティブであり、創造から遠く衆人にその身を晒すこともない。

仮にそうなるサラリーがあるとして、NHKの集金員や外回り程度に限られること請け合いだ(ここでNHK集金の善悪判断は保留するとしても:個人的NHKクリエイティブを取り込んでいる非クリエイティブ集金組織だと考えている)。

要するにそもそもサラリーの戦いとはある程度庇護されている戦いにすぎず、尊敬されるべきというより「普通」でしかない。



ただ元記事のことを言えば、なぜ現場責任を引き受けるインサイダーがかっこ良いのか、そうすべきなのかという説得力には掛けているきらいはあった。

個人的にはまさにイチロー意見のように、屁理屈をこねる単なる弱者よりも実体的なスキルと行動が身につくからこそインサイダーでいたいと考えている。

これは同時にアウトサイダーへの反旗となっている。それでも残念ながら規範的行動によるアウトサイダー駆逐は出来ない。

ちなみに増田ときインサイダー標榜するのか、という反論もっともであり、この記事とは別のところに僕のインサイダー存在している。

多くのアウトサイダー増田喧嘩を売られた反動コテハン化してインサイダー活動を行おうとしたが、豚に真珠で全く無駄であった。



アウトサイダーを全て駆逐してインサイダーのみが生きる社会になった場合人はどう変化するのか。

  1. かつての日本存在した尊敬の念が復活する。形式化した礼節の実態としての復帰。
  2. 全体の意識底上げされるため競争要求が激化する。
  3. 全てが現場であるため現場同士の譲れなさ、闘争が増すところも出るし、合致するところも出る。ただしそれでも妥協と惰性よりましである
  4. 一芸は全てに通ずで、他業種への理解は増す側面も。

残業必要だ。全員が定時は無理なのだ理想主義者どもめ。

リンクは貼らないがダイヤモンド記事炎上していた。

なぜ最近の若者は定時帰りするのか的な感じだったと思う。



これに対して9割以上の反応が筆者に対する批判だった。

老害ブラック、こういう奴が日本を滅ぼす的な意見ばかりだった。



私も、無駄残業は減らすべきだし、残業目的になるようなことは避けるべきだと思っている。

また徹夜での業務病気になるほどの残業おかしいと考えている。



それでもこの「行き過ぎた残業バッシング」には違和感を感じるのだ。

以下が私の経験から得た、その理由である



行き過ぎた効率主義になっていないか

定時が絶対となると無駄時間を全く取れない。

これは一見、良いことのように見える。

しかし、行き過ぎた効率主義組織を滅ぼす。



例えば緊急性の高い仕事や面倒なもの押し付け合いになる。

また手遅れが発生するようなミスに対して非常に敏感になり、人間関係もぎくしゃくする。

コミュニケーションミスも多く発生するようになる。

仕事業務は異なる。業務効率性を求めたとしても、仕事業務以外でも成り立っている。

その為、行き過ぎた効率主義業務改善に役立つが、仕事全体として上手く回らないケースがあるのである



残業は「できない社員」を救う措置

残業をなくすべきと言っている社員のどれくらいが、会社で求められている以上の成果を出すことができているだろうか。

私の経験上、優秀な社員というのは社員の中での1〜2割だ。その他は普通、もしくはダメ社員なのだ

そしてそのダメ社員はどうしても優秀な社員よりも成果物の精度が低く遅い。



どうするか、残業するしかないのである

出来る社員に追いつく為、少しはマシな成果物を出す為には残業をするしかない。



上司のせいにばかりするな。

自分の成果が低ければ残業をしてでも取り返さなければいけない。

こちらは君たちが無能でも首を斬ることができないのだから



全員が定時で帰れば会社は傾く

残業なしというのは理想主義だ。

常に競争の為、当然他社よりも高品質安価もの提供しなければならない。

どうしてもその差分を補う為、多少の残業は発生するのだ。




いかがだろうか。

君たちは自分能力もないのに残業を敵視しすぎなのだ

理想主義だけでは会社はやっていけないのだよ。

ちゃんとはてなだけでなく現実も見ような。

2016-08-13

女性因果応報

夫の暴力に苦しむ妻を見ても僕は同情できない。

因果応報しか思えず、むしろ笑ってしまう。

 

優しい男性他人を蹴落とすことができないので競争力が無い。

まり優しい男性は金を稼ぐことができない。

女性たちは、競争が苦手な優しい男性を蔑み、全く相手にしない。

一方、競争力の高い男性はたいてい自己中心的DV気質を持っているにもかかわらず、

女性たちは収入期待値に目がくらみ、恥も外聞も無く男に近づき媚びて結婚にこぎつける。

その結果が夫の暴力である

夫の暴力に苦しむ妻は、優しい男性馬鹿にして選ばなかった罰を受けているようにしか見えない。

2016-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20160812134856

頑張るとか努力とみなされるのはこのへんかな。

  1. 行動規範
    • 継続する
    • やりたくないことをやる
    • 不確定要素に怯まない
    • 失敗に怯まない
  2. 成功

2016-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20160811030939

ネットで多数の選択肢が用意され、競争が起こり、選択と集中が起きるのは自然な成り行きだと思うけど。

リクルートがそれをしただけでしょ?



ネットで安売りする大手企業のせいで個人の電器屋は壊滅です」と似たようなイメージなんだけど、どこで買っても同じ家電よりもサービス差別化できる分美容室の方がまだマシじゃんとしか

個人の家電屋ですら必死地元に密着して様々なサービスをすることで高い家電買ってもらって生き残ってる。美容室も同じように地域で固定客を捕まえるサービス必死ですればいいだけなのに、何で美容室に対してこうも擁護の声があがるのかね。



いや、美容室擁護の声が上がってんじゃなくて、全ての仲介業者は何であろうがはてなプロレタリアート)の敵だから批判対象になってるって形なのかな。

2016-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20160809124844

たとえばオリンピック

ドーピングは、単に「ズル」だからやっちゃダメなのではない。一つには、やる人の体に(将来的に)悪い影響があり、これを認めると「未来自分から体力を借りてくる競争」になっちゃうから。そういうことを許したら「健全競争」じゃなくなる。また、ドーピングばっかりやってると、本来の体を鍛える競争でなくて「ばれないようなドーピング開発競争」とかそういう競争なっちゃう。結局、競争意味がなくなり競争自体がつぶれてしまう。だからやっちゃだめ。OK?



さて「値引き」というのもそれと同じで、卸が利益を得られないような極端な値引きをしたらどうなるか? 当然、そこまで値引きできない小さい会社は値引き競争から撤退することになる。会社もつぶれてしまうかもしれない。そうして、利益を得られない値引きをする会社市場を独占し、最終的に利益を独占することで、最初の値引きでの損を回収することができる。これ、「つぶれる小さい会社」にとっても「最終的には値上げされるあなた」にとってもよくないね? そもそも健全競争とは言えないよね。だから、後先考えないで値段を引くことは市場破壊する行為として、ルール禁止されてる。みんなの利益にならないからね。




このような、利益がでない不当な値引きを「ダンピング」と言います高校公民で習っているはずなので、知識を現実に合わせてアップデートしましょう。

2016-08-08

多様性を増すために予算をじゃんじゃん注ぎ込んでぐんぐん成長ぐんぐん変異、新しく生まれ変異体は新しい予算を獲得する。

獲得され過ぎて予算が底をつき出すと成長した多様性たちが保存本能を剥き出しにして予算獲得のアピール競争を始める。

これは一種淘汰圧で、適応度が高い物たちが生き残り成長変異利潤追求そして淘汰活動に励みあう。

進化は加速している。

日本民営化って

競争させてより質の高いサービスなんて全然まれてないやん

安い人件費でこき使うブラックが増えただけ

なぜこうなった