はてなキーワード: 常識とは
まさか待っていた人がいたとはw
こっからはまあオカルトが入ってくるんだけど、CがABとは別の場所にいたときでも、CさんはDさんがそこに居るような気になるのではないか?
このツリーの他増田が書いていたように
のようなことは起きるのだけれども、この「思い込んでいる主体」と「振舞わされる対象」との距離が常識的に想像できる以上に離れていても、影響を及ぼすのではないかと考えた。
親や先生がそこにいなくても、思い込んでいる主体と直接的な接触がなくても。
被告人の死刑が確定したわけだが、この事件、幸せな家庭の母子が殺害され
残された遺族の悲劇が報道され、事件の残忍さも相まって死刑になるのは
やむを得なかった思う。
ただし同じ母子殺害、一家惨殺レベルですら死刑になっていないケースがかなりある。
それが納得できない部分だ。
多くは無理心中と身内の殺害だ
それら事件に対し厳罰を求める声は小さい。
今回の事件の残された遺族の夫と自分を重ね合わせて死刑は当たり前と
してる人はどこで線引きしてるのだろうか。
非親族間の殺しなら厳罰になるのか。親族間の殺しなら寛容になるのか。
・中津川一家6人殺傷事件
有名なのはこのあたりかな。事件内容は光市のそれと同等かそれ以上だと思うが、死刑は
回避している。奇妙なのは被告人関係者が罪一等を減ずる陳情をする事が多い事だ。
橋本徹氏がテレビで光市事件の弁護団を批判して「世間の常識であんなのが通用するのか」
とキレてたが、殺人を犯しても世間は減刑を求める嘆願書を出す。
被害者が障害児や乳児の場合、殺害した親には執行猶予が付く場合すらある。
まあそれでいいならいいんだけどね。なんだかねぇ
http://anond.hatelabo.jp/20120218021709
http://anond.hatelabo.jp/20120218004010
なにこれ素敵!ありがとうございます!
そもそもたまたまどこかの局がやっているニュースで休眠口座どうこうという話があり、街頭インタビューの様子とかが流れていたんですがその反応が「いくら長年引き出してないからって人の口座のお金勝手に使うなんて!」だったんですよ。
「勝手に徴収して、返してやんないよって何ソレひどい!」という反応ばっかり。
それで「え、それは違わなくない?休眠口座状態のお金をまとめて一括管理しようぜって話で別に引き出しに応じないなんて言ってなくない?」と思ったのがきっかけで、でもTVニュースもニュースサイトも「人の口座のお金を勝手に使う」としか言ってくれず。
そのくらい分かれよ常識だろ、と言われてしまうとすみません知識不足で、としか言えない大ボケではありますが、でも「ニュースならもっと具体的に説明してくれよ」と思ったりしたけどそれは別の話か。
解説を読む限りではやっぱり「休眠口座のお金の引き出しに応じないとは言ってない」でよいのかな。
確かに「この先永遠に引き出されないお金」は一定量存在し、それは最終的に事実上の徴収ではあるのかもしれないけど、それを言うなら今までは銀行が事実上の徴収をしていたんじゃないのっていうでっていう。
休眠口座を国が管理する、っていうのはそういったものの事実上の徴収先が変わる&運用の矛先が変化する、であって、その事に対してのメリットデメリットはまだよく理解していないけど少なくとも「お金の引き出しに応じないわけじゃないから自分のお金が『無くなる』っていう認識で文句を言うのはおかしい」ってこと、でいい…んですよね?
とりあえず現段階ではそう理解しました。
「一個人として」考えるなら(それが心配することのほどかはともかくとして)資金の運用先が自身が委託した銀行ではなく国が運用することになることが気になります、とは言っていいのかな。実害とかそういうものはおいといて、そのへんはどうなるのかなーという意味で。
「それは気にするほどのことじゃないよ」ならそれでいい。
あと休眠口座の運用の国やら銀行やらといった団体というかそういった視点でのメリット・デメリットに関しては割合意図的に除外して考えています。
単純に「別にお金が奪い取られるわけじゃないからお金奪い取られるって怒るのはおかしいよね?あと銀行に預けたお金は元々資金運用に回されること前提だからお金を勝手に運用されるって怒るのも変だよね?違うの?」でした。
「勝手にお金を運用する機関が変わった。わたしはこの銀行にお金を運用してほしかったのに」だったら、「いやいやそこはこうれこれこうなんですよー」とか反論があったりするのかなあ、なんですけど。(そしてそれについては反応を見ると実際のところは気にするほどのことじゃないのかなという印象)
http://anond.hatelabo.jp/20120217173832
読んでくれて、ありがとうございます。ご意見はすごく参考になりました
なにか、こう、異性に女性として崇拝されることで自分の価値を見出したいと思うような
処女だったころの、どうでもいい情報に流されていたかわいそうな若いころの自分の
そのつらさを思い出す時があるし、そんなことで悩む人が減ってほしい。
女性が、ちゃんと、相手のために自分の体を犠牲にすることなく、本当に良い恋愛や結婚ができるような世の中になればいいなとか。
もちろん女性側も、くだらない条件で男性を見下したり差別したりするのはよくないと思います。そういう女性は苦手です。
今でもそういうことで悩む女性はたくさんいるみたいなので、
医学的なことや統計学的なこととかも含めて、性についてもうすこしこう・・・
処女にこだわるでもない、かといって性病や堕胎を予防する大切さも忘れたくないような
先進国らしい教養のある常識が一般化すれば、学生や若者がもっと幸福になるなあと思ってはいます。
個人的には、成熟した男女が、真剣な恋愛を通して性を学んでいくならば
お互いに過去の経験を尊重しあえるから問題ないとは思うのですが。
はてなでウェブ上を巡回していると気づくが、ブクマ数毎に記事・ブコメの質が変わってくる。ただブクマが多ければ記事の質も比例してよいというわけではなく、数に応じて傾向がある。
人気ブクマには上がらず、その情報を探していた人にとっては有用な情報が記事になっている。またはブクマする癖のある人がふらっとブクマしただけ。
その情報を探していた人にとっては「非常に」有用な情報が記事になっている。特定の人ではなく、特定の分野(カテゴリ)に属する人が集まり、コメントも属性の近い人同士で有用な意見が集まる。
この辺りからホッテントリに表示されるようになり、特定の分野に関係の無い人、また同じ分野でも記事の意見に否定的な人が集まってくる。id指定のディベートも起こるようになるが、「あなたはこういう意見、私はこういう意見」という互いに頬をひっぱたき合って互いに納得する、調和が取れた状態で落ち着く。
ブクマが二分している状態または片方の勢力にドヤ顔でケチをつけ、「多数勢力になびかない俺かっこいい」的コメントを残す人(はてな村中級者に多い)が段々出てくる。
※ただ、既に31〜100ブクマで議論が交されたところにいきなり踏み込むと、その議論が起きるまでの経緯なしに目にすることになるので「何こいつら熱くなっちゃってんの」となってしまう心情は理解できる。
このような流れなので、せいぜい250ブクマまでが記事、ブコメ共に楽しめるバランスのいい状態。これ以上ブコメがつく記事については、そのブクマ数に達するまで短期(0〜2日)か中長期(3日〜)かで質が分かれる。
割と常識過ぎてその筋の中上級者には記事にする気すら起きないような内容(Excel で If の空白処理とか)だが、初心者には目からウロコとなるような記事はホッテントリに上がるや否や凄まじい勢いでブクマがつく。こうなると、「やり方が間違っている。正しくは○○だ」という親切心や「こんな適当な記事でブクマ数集めやがって」という嫉妬、「なんでこんなブクマついてるの」という、ブクマするお前が言うなっていう大衆忌避のブコメがダイソン状態で集まってくる。こういう記事は内容だけ軽く頭にとどめておき、ブコメの阿鼻叫喚ぶりをサラっと眺めてページを閉じるのが精神衛生上ちょうどよい。自分も熱くなってしまったら負け。
こちらは、記事の内容がよく推敲されておリ、脊髄反射的によさげな雰囲気だけでブクマされたものではなく、内容を丁寧に読んだはてな村民が丁寧にブクマした結果で時間を掛けてブクマ数が増えているため、内容が自分に合っているのであれば素直に便乗してブクマしておくべき記事である。ブコメも(ブコメ数)/ 100 ぐらいの数で記事に新たな視点を加えるような建設的・効果的な意見が上がっていることも多いので、はてな村民としては「ブクマが多いページをブクマして多数になびいたら負け」という気持ちからブクマをせずに閉じてしまいたくなる衝動にも駆られるがそこは我慢。新しい知識を得るための痛みだと思って恥を捨ててブクマした方がいい。
2011.3.11 の震災以降、情報に敏感な人が増えたのか、昔よりも記事のブクマ数が増えてきたように思う。ユーザ数が増えることは称賛すべきことだけど、(どんなサービスでもそうだが)多くなりすぎるとノイズが増えすぎてコンテンツの質を損なってしまうことが多々ある。
だけど読むべき記事、読まなくていい記事、コメントしなくていい記事など一人ひとりで基準を持って使っていれば、(時代の流れやユーザ数の遷移に伴って基準は修正しなければならないけれど)自分が得たい情報以外に無駄な感情や精神力を使わなくて済むので、はてな村の皆様もぜひはてなリテラシーを高めて過ごして頂きたく。
もう完全に切り替えて、新しい生活を送ってますか?
今は普通に日々を過ごしてる。
何もかわらない日々。
…しばらくは涙が枯れるまで泣いたけど、
今はそんな面影もなし
・読んだよ。
ひとことで言ってしまえば、
相変わらず抱え込みすぎ、自分のせいにしすぎ。
…って、ところかな?
ああ、もう一言だけ追加するとね…正直すぎ。
もっと軽く考えてくれれば、お互い傷つかずに済むのにね。
なんてね、これは自滅かな。
怒ったり、嘆いたり、反省したり…
けれど、必ず結論を出すから。
そして、出した結論は必ず伝えるから。
それまで待っててください。
…できれば今の状況のまま。
・わたしと二人は、嫌?
…
知ってるよ?
わたし、結構根に持つよ?
「千晶は相手より自分の都合を重視する常識人的ポジションのはず」
「この3キャラの配置ってかずさを贔屓しすぎじゃね?」みたいなことを書いたけど
トンデモ大外れっぽい。 うーん、いい感じで想定外なのでプレイしてて楽しい。
現時点だと、この千晶というキャラは、
完全に雪菜の魅力を引き立たせるために存在するような感じになってて、食われてる。
といっても、現時点では1周目しかやってないので2周目にはうまく対抗できるといいな、と思う
大学に入る前から主人公を知ってて対抗意識を持ってること(春希か雪菜かどっちかに)は確実。
どういう動機で主人公に近づいてきてたかがつかみきれてない。2周目楽しみだわ)
某サイトに掲載されたコラムが発端となり、ブログ・SNSに飛び火し、基本的に若者は恵まれているというスタンスで進んでいる論調。
現在の社会はインフラが高度で合理化され、過去の自分たちが費やした苦労や時間とは比較にならない容易さで、クリック一回で実行できる社会。
そこで高い代償を支払わずに、ゆるい連携を持って生活する若者は恵まれている、しかし熱が感じられないので、過去の経験から「夢」と「積極性」を持つことをアドバイスする。
という点、過去は苦労したが未来は明るいという楽観的な先入観はもう通用しない時期に来ているのに、発展した未来のインフラや生活様式に気を取られ新たに発生した問題が見えていない。
見えていないというより「更に発展した未来で解決可能」又は「過去の苦労に比べればやさしい問題」と考えているのでしょうか。
社会基盤が発展すれば、価値観や生活水準が変わりますと言えば、誰もが同意するでしょうが、負の発展(規模の縮小)は誰も経験していないのです。
例えば90年代まで若者のアイテムとして誰もが持っていた車、車離れが叫ばれて久しいですが、都市に住んでいる若者における車の必要性が低下し、代わりに携帯電話とPCを持つようになっただけです。
しかし車の購入・維持に比べれば遙かに購入が容易な端末なのに、PCを持っていない人が大勢いる。00年代初頭における我が国のITインフラ整備率は世界一位ですが、現在は目も当てられない状況です。
PC購入するだけの収入がない若者は携帯で何をしたか、現在ではスマートフォンでかなり情報収集が便利になりましたが、ガラケーと呼ばれる国産端末におけるネット探索能力は前者と比べると劣悪で、利用者は検索エンジンで何かを調べるというより、遙かに狭い範囲でしか活動できなかった。新聞も購入していない、TVも見ない、社員として収入が確保できる30代以上は例え不慣れでもPC位なら即金で購入する事が出来るので、ある程度のリテラシーを培う事が出来ますが、その機会さえも与えられていない。結果情報を持つ人と持たない人の間の格差が広がる。所得が低くなっても相対的な幸福度は昔より高いという人は、かつての新聞とTVから情報を得ていた経験から言うのでしょうが、インターネットで必要な情報を素早く調べて理解するというのが基本となった世の中で、流動的な情報ニュースより固定化されている公的・私的な各制度のアクセスにおいて絶望的な差が生まれている。利益が1与えられるか99与えられるかの差でなく、0か100かの差で生きなくてはいけない。この問題に最初に晒されたのが現在の20代後半。
今の大学生はPCを所持することを半ば義務化されていますが、業務で使用できるレベルでOfficeを使えると認定される資格を持っている人は、2割居ないでしょう。ですが、職安に出されている求人のほとんどはOfficeを最低限使える人間を求めている、でも資格を取れるレベルで教えてくれる高校や大学はほとんどない。高卒は自力で学ばないとスタートラインにさえ立てない。しかし採用基準は厳しくなったのに、現在働いている社員になんら教育を施さない、Excelで文章作成する事の何が悪いかのかさえ分からない。
収入は、小泉改革以降合理化され、事務職は派遣で構成され収入は捨扶持レベルの15万円程度、それでも仕事があればマシと言えるかもしれませんが、今後は労務環境の国際化によって事務職そのものが国外に外注されるのは確実。そして発生する人口減による国内市場の縮小、70年代に隆盛を誇った着物業界の現状の様な事態が各分野で発生するでしょう。
中年が考える未来は必ず発展し、解決されうるものとして存在していますが、今後の日本が進む道はその真逆としか言いようがない。中流のホワイトワーカーは営業を除いて全滅し、高所得者は移民の導入を要求する、対して単純労働者は仕事を取られまいと反対に回る、すでに同じ事が発生している会社もあるでしょうが、これが社会全体で常識となるのに何十年もかからないでしょう。
更に合理化され、余計な費用を払わずに生活できる世の中、しかし収入は少ないのに、最低限のインフラをそろえないと就職さえままなならない世の中、企業では仕事を一から教えてくれないので、自費で各種の専門校に通い勉学する日々、収入のすべてをつぎ込んで遊びなんて全くできない20代、当然お金が足りないので脛を齧れる人は脛をかじり、齧れない人は何年もアルバイトをして費用を捻出して、職歴なしというハンデを背負い戦う。大人は新卒ですぐ就職することが全てでないと高説を垂れるが、そんな人間を雇う気は無い。
昔あった問題と今の問題、問題という意味では等価値で、その大きさは当人には判別できない。過去にとらわれているのはどちらだと。
戦前に生きていた人達は、次の世代に多くの機会を与えましたが、その世代は次の世代に機会を与えない。というのは言いすぎですかね。
鈍感っていうか…
そもそも自分がその男に特に気が無い場合、常識的な女は普通かつ丁寧に接する(向けられた好意に特に反応しない)だけではないかね。
勘違いだったときのダメージを想定して慎重に振る舞うのもあるだろうけど。
女コミュニティでも基本的に好いた惚れたはばればれ。
日本の文学史で、純文学と大衆文学の論争が起きたときも、同じ理由だったんじゃないかという気がする。
「純文学が“ありのままの真実を書いている”って、検証不能じゃないか。
また本当に起きたことであっても、書いた人というバイアスを通った以上、その人の主観になる」
に傾き、そして「純文学と大衆文学の境目が薄れてきた」現実で論争は終結した。
今の時代は「小説なんて作り話じゃん」が常識だけど、昔は「事実・真実でないとダメ」と言っていた人が、
かなりの数いたんだよ。
それより「嘘がソースの話は信用するなボケ」をもっと考察した方がいいと思う。
なぜ多くの人は、言われたことをそのまま信じてしまうのか?
荒俣宏はそれを「アホの力」と名付けた。(と思う)
漫才で片方が何かを言うと、相方が「そうそう、○○ですね~」と復唱する。
疑わない、否定しないお約束なんだけど、(もちろんネタの核心部分に入ったら捻りが出てくるが)
いやちょっと待てw
一つ上で書いたことは今回のディズニーの件とは関係ないですよ。まず、著作権が存続している間は著作者人格権どうこう以前に著作権上の問題が当然存在しますから、同人活動は決して合法ではありません(多くは親告罪ですが)。また、商業キャラを用いて利益をあげた場合は商標権の侵害となるケースがほとんどだと考えられます。
一方で、著作者人格権を根拠として商業/非商業問わず創作活動を制限するケース、つまり「俺のキャラの性生活を勝手に描くなんて侮辱だ!やめてくれ!」というような法的主張はあまり聞かない気がします。その辺まだちょっと詳しくないですが(※1)。著作権や商標権のみならず人格権についてもきちんと主張しておかないと、何十年後か、著作権の切れた自分のキャラクタが合法的に好き放題レイプされてしまうかもしれません。
また、あくまで一般的「エロ」表現の話をしたのであって、「首を刎ねて殺す」という表現は全く別ですよね。
他人の著作物を虐殺するなど常識で考えて許される表現ではない、どうあれ侮辱的な表現であると私は思うのですが、その認識がどんどん薄らいで今回のように「ディズニーが訴えないならミッキーの首を刎ねても悪くないよね、作者さん叩いてごめんね」なんてめちゃくちゃな認識が広く蔓延してゆくと、いつか本当に「自分の作ったキャラクタの首を刎ねられたくない権利」が消滅してしまう可能性も考えられるのです。だから我々は、断固として「そういう問題じゃねえ!」と叫ばなければいけません。
ありましたね。
性描写がない作品を元にして、性描写を内容とする作品を作成、販売したことを理由に、同一性保持権の侵害を認めたケースがあります(東京地判平成11.8.30「どぎまぎイマジネーション」事件)。被告は、同人文化の一環としての創作活動であり、違法ではないと主張しましたが、退けられました。
同一性保持権については著作者の『意に反して』とされ、著作者の主観的意志がキーポイントになります。著作権者死亡後の争いにおいては、その意志を推測するしかありません。故に、うっかり事実上黙認したまま死んでしまうと、別に意に反してなかったよね!という既成事実が形成され、同一性保持権を失ってしまう可能性があるでしょう。
一方、名誉声望保持権ではその名の通り著作者の『名誉又は声望を害する』行為について禁じています。よって、著作者の死後、該当行為は特に名誉を傷つける行為ではないという認識が一般的になれば、社会的状況が変化したと見なされ権利が消滅する可能性があります。
しつこいようですが、知財関係の権利はきちんと行使しないで黙っていると、権利を失ってしまうということが往々にしてあるのです。