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はてなキーワード: フィクションとは

2017-02-21

[]池辺葵プリンセスメゾン」3巻まで

マンション探しを8年も続けている女性主人公

主人公とりまお話や、終の棲家を買うことに対する人生観などをさまざまな人の立場から描く

セリフは少なく、間で読ませるタイプマンガ



面白い

タイトルだけ知ってたのなんでだろうと思ったけどドラマ化されて新聞でみかけてたからだったんだな

ドラマ見ればよかった・・・

んでぱらっとめくってあっこれ繕い断つ人のマンガやん!ぜってーおもしろそうと思ったら個人的にはあれよりも面白かった気がする

絵柄とか間とかがどことなびんちょうタンっぽくてなんともいえないかわいい絵で、めちゃくちゃきゅーんとする

かとおもいきや能面みたいな、どちらかというと繕い断つ人のタイプの絵柄もあったりして

マンション購入するってどういうこと?ってのが、フィクションとしても実用的にも役に立つところがある

早く4巻読みたい

2017-02-17

絶対ハッピーエンドにならなそうな話が苦手

最近だと「私の少年」とか。

そりゃ、物語なんだから一波乱も二波乱もあった方が面白いんだろうけども。

で、結局落ち着くところに落ち着くんだろうけど、なんか読んでて辛い。

なんでか知らんがそういう系統の話を聞いたり見たりするのが苦手だ。

現実でもフィクションでも。

そういう理由で、ハリウッド脳筋モノなんかは安心して見ていられる。

2017-02-15

目覚まし時計で起きられる人の感覚が分からない

俺は目覚まし時計ではろくすっぽ起きられないんだけど、俺からすると起きられる人って逆にどうなってんのかすげー不思議

ぼちぼち本気で仕事をクビになりそうだから自分としてもなんとかしたいのだけれど、病院に行っても睡眠薬や導入剤を出されるばかりで、

飲んでみても全然寝付きやすくはならないのに起きるのばかり辛くなったり、日中会社に寝に来たのかというくらい居眠りしてしまったりで全然ダメだし、

起きる習慣づけ行動とかもやってみても、気負いすぎてただ眠れなくなって結局徹夜になって翌日ぶっ倒れるだけだしでマジでどうにもならない。



で、目覚ましなんだけど、そもそも聞こえてない日があるっていうのはちょっと置いといて、

聞こえても夢の中では目覚まし時計だと気付かず、音が夢のストーリーに組み込まれしまって、鳴っていることを受け入れてそのまま夢の世界ステイしてしまう。

大音量を発する"そういう生き物"の世話をしている夢とかになって、騒音を受け入れてしまう感じ。

大体夢がひと段落して気持ちよーく目覚めてから、あれ、夢見てた……?ああ、もしかしてあの音目覚ましか……と納得する感じ。そのあと、あ、寝過ごしてる!!と気付く。

寝てる最中は夢だと気付いてるわけでもないか自力では覚醒に至らなくて、結局大音量で一時間も二時間も鳴りっぱなし。

そこで、起きられる人は夢の中で目覚ましの音っぽいのが聞こえてきたときに夢が中断したり「お、目覚まし鳴ってる」とか思って起きてるのかなー?というのが気になった。



なにせ目覚ましの音を聞いて「もう朝か、起きなきゃ」なんてまどろみから這い上がる思考フィクションしか見たことがない。

他人にかなり強引にどついたり蹴ったりされて起こされるか、そのままそんな出来事記憶すらないままに二度寝して自然に目覚めるか、

夢を満喫して自然に目が開いて起きるか、居眠りから起きるときのように、もしかして今寝てた!?と飛び起きるかしか経験がない。

それはそれで睡眠の質とかがなんか悪そうな気もするのだけれど、みんなこんなものだろうと思っていたのに、

起きられる人たちというのは、アラームが鳴れば(その人にとっては)自然と起きられるらしくて、

その感覚が全く分からなかったので、もしかすると全然違う覚醒手順を踏んでいるのかな……という気分になった次第。

2017-02-13

小学校中学校に戻って授業受けて給食を食べてそうじしたい

というか休職食べたい

デザートのじゃんけんという一世一代の大勝負したい

ちなみに俺福岡出身だけど福岡掃除当番とかじゃなくて掃除時間ってのがあって、昼休みのあとに掃除時間が20分あって、生徒全員掃除してたよ

そのあと5時間目が始まる感じ

からアニメとか漫画とかでいじめられっこが掃除当番をおしつけられる描写があるたびにいつも違和感がある

外人日本アニメ見てるときに感じる違和感もこんな感じなんだろうな

明らかに自分文化とは違うことわかってるけどフィクションだったらこれが普通ってのを別の尺度理解、納得してるダブルスタンダードというか

2017-02-12

けものフレンズってすっごーい!!!

けものフレンズが、思いやり/助け合い/許容/共存その他諸々の道徳的メッセージ性に溢れている事は、もうわざわざ言わんでもいいだろう。私も初見時、Eテレ幼児向けアニメを思い出した。確かに、現代大人に欠けている「思いやり精神」を思い出させよう的な作品だ。内容が幼児向けアニメ酷似しているのだからIQが下がる」という反応もわかる。しかし、ただ「脳が溶ける」という方向で捌くには惜しい程、挑戦的で強固で強烈なアニメだと私は思う。

けものフレンズは、幼児向け情操教育アニメとは決定的に違う点がある。(萌え美少女描写についてはここでは扱わない)

はてなを読むタイプの諸氏になら、つくってあそぼゴロリを例にするのが適切だろうか。わくわくさん提案に対して、否定/疑問→評価(改心)の流れがテンプレだ。幼児向け番組では、「否定/疑問」のフェーズがほぼ必ず存在する。頭や言葉を意地悪く操り始める年頃の、5歳以下の幼児向けである為だろう。言葉の覚束ない乳幼児大人気なアンパンマンにさえ、バイキンマンがいる。そして、「”意地悪な”否定や疑問」には、必ず「”罰”や”改心”」といった結末が用意されている。正しく情操教育だ。

既に言われまくっている様に、けものフレンズには「意地悪な否定や疑問」と「罰や改心」のフェーズ存在しない。だから、優しく平和物語と言われる。だが私は、その「意地悪な否定や疑問」は、省略されているだけで存在すると考えている。

そのフェーズは、視聴者の側にある。

けものフレンズが無理な人々がいるのもよくわかる。けものフレンズ世界には、セルリアンという危険生物がいるとはいえ、争いや困窮は存在しない。幼児向けアニメと同じく、鬱陶しい程の理想の塊と上っ面の美しさに満ちた世界だ。「こんなに上手くいく訳がない」という言葉にまとめられるようなツッコミをせずにはいられない。そういった「バカかよ」「そんな都合よくいくか」的否定/疑問をわざわざ描写せずとも、観ているのは現実をよく知った大人たちなのだ現実社会には「意地悪な否定や疑問」は当たり前に存在する。人前で叱責するのが大好きな上司、けなす事で自分の優位性を保ちたがる人、重箱の隅をつつく様なクソコメクソリプ。具体例をあげればキリがない。大人になっても「意地悪な否定や疑問」に晒されたことのない人はいないだろう。だからこそ、けものフレンズはその段階を飛ばす。いちいち描写しなくても、視聴者自分で補完できる。「意地悪な否定や疑問」のフェーズがなければ「罰や改心」という回収も必要ない。だから最初から全て受容しちゃっていい。

個性尊重しよう。互いに違いを認め合い、助け合おう」

美しく理想的だが、現実にするにはあまりにも難しい。自分人生を振り返るだけで分かる。大体の人は、そんな現実離れした理想は建前で子供だましだと割り切り、諦める。けものフレンズは、そんな疲れた大人たちへ向けられた優しくも暴力的物語だ。

余計な描写を省き、極端にシンプル言葉で、「互いを認め合うこと」「共に助け合うこと」を強烈に表現している。ただシンプルに、愚直に、ド直球ストレート視聴者の心へぶち込んでくる。余りにも単純で暴力的なまでの行為に、視聴者は同じく単純に「すごーい!」としか反応できない。偶然にも、太平洋の向こう側で人々が分裂し憎み合っているこのいま。幼児向けアニメ手法という仮面を被り、美しき理想で何度もしつこく殴りつけながら、その精神を、敢えて大人である視聴者へ向けて真剣に再提示している。

そう考えると、すごい。本当にすごい。逆にすごい。強い。美少女要素なんか飾りだ。ただただ、単純に強い。レベルを上げて物理で殴っている。おそろしい。幼すぎるほど平易に研ぎ澄まされたその言葉が。自己他者のできる/できないをすぐに受け入れるその合理性が。これで行こうと決めた制作陣の胆力が!

「すごーい!」「君は◯◯が得意/苦手なフレンズなんだね!」の定型文が流行るのもわかる。シンプル真摯一言は、理性的だが長過ぎる文章よりも伝達力が強い!

そりゃ流行る!!シンプルでわかりやすく強い言葉は、流行!!!

そして、理念提示だけじゃなく、何かを達成するまでの過程や、フレンズ達の個性をクッソ冗長的かつ丁寧に描写する所だ!視聴者厳選な一話冒頭の狩りごっこも、橋作り地上絵作り等の困難を乗り越える過程も、フレンズ習性説明も、とにかくやたら尺が長い!だが、そのしつこくしつこく丁寧な描写が、フィクション過ぎる美しさを持つけものフレンズ世界と、私達の現実世界を繋げるリアルさを醸し出す!動物園のおにいさんおねえさんの生声による解説のおまけ付きだぞ!リアルと繋がってしまうだろやめろ!!ああなもう嫌になる!作品の純度が高すぎる!シンプルものは、真摯に作られる程強烈な強さを持つ!!私がどんなに言葉を費やしてけものフレンズを褒めても、「すっごーい!」の力に遠く及ばない!!

けものフレンズはすごい!!!すっごーーい!!!!!やったーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2017-02-10

野尻抱介さんの考える表現規制のありかた、そしてライトノベル

SF作家野尻抱介さんがあるツイートをして話題になりました。



野尻抱介中学になったらラノベなんか読むな、大人の本を読め。大人の本で本物の教養セックス暴力や愛や人生を学べ」「中高生迎合したラノベなど消えてなくなれ」

https://togetter.com/li/1075475



ライトノベルについて悪し様に言っているかのように捉えられて話題になったのですが、一方で「これは野尻さんの主旨ではない、悪質なまとめだ」という意見も見られました。

後者意見賛同する記事も出来ました。



SF作家の「中学になったらラノベなんか読むな」が文脈外れて盛り上がる 「俺TUEEE!」ばかり読んでたらダメなのか

https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-5589/

ここで野尻さんの一連の発言についてわかりやすく二点に分けると、



ライトノベルは消えてなくなれ、大人の本を読むべきと個人的には思うが、そう言った個人好き嫌い感情表現規制を論じてはならない。ライトノベルを消すか残すは読者が決めること

権力ライトノベルを奪いにきたら守らなければならない。そのためにフィクションの沈溺から脱し、ファクト理解しよう。サブカルを守ろう



ということを言っています



主旨は「ファクト理解してすべてのフィクションを守ろう」といったところでしょうか。



上述の記事でも、



もともと野尻さんは、「自分好き嫌いにかかわらず弾圧には抵抗しなければ」という旨の文脈発言していたが、結果として、ラノベの是非について喧々諤々の議論が盛り上がることとなってしまった。野尻さん自身最初のほうだけ読んで噴き上がっちゃいかん」と釘を刺していたのだが……。



と触れられています

なるほど。

それで合っていると思います



「ある発言」を踏まえていなければ。



野尻さんがライトノベルについてツイートしたのはこれが初めてではありません。



この素晴らしい世界に祝福を!」はコンプレックスまみれの視聴者を徹底的にいたわった作品

https://togetter.com/li/931628



<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>



これは「個人感情」ですよね。ここまではいいです。(「アニメ」と書かれていますが、アニメを見た上で原作ライトノベルへの批判をしているようです。くわしくは以後の会話を見てください)



<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>



悪書辞典を引けば「読者、おもに青少年に悪影響を及ぼす本」と記されています

ぐぐれば「悪書追放運動」などが最初の方に引っかかるでしょう。コミック低俗有害から売ったり読んだりしてはいけません、といった運動です。つまり表現規制ですね。



なんと。野尻さんは個人的感情のまま、規制を叫んでいたではありませんか。

そのひとが今度は「サブカルを守る」と「規制反対」を訴えます



と言ったことを踏まえると、今回の発言の「主旨」はこうなるでしょうか。



ファクト理解してフィクションを守ろう、ただし私が悪書指定した本はのぞく

2017-02-09

印象。考察なし

http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

寝落ちしそうだし消えると悲しいか更新かさねる


率直に書く。総合的な感想考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)

トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。



初見と印象が違いすぎる。

何が変わった? 私が変わった?

私のライフは零である。救いがまったくない。ほんとつらい。

今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。

今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。

嗚呼明日原作既読の友人にいろいろ質問しよう……



時系列順に。

ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます



冒頭。諸戸屋敷にいる『私』。これめっちゃ幽霊に見えた。

手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。

『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。

奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?

そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?

登場キャラクターが天の声に話しかけたりしなくない?

から最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。

てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感

初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?

『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。

諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。

『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。

あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップちょっとびっくりした。

ここで振り返ったのは過去から未来ではないけれど、どうにも諸戸から時間を感じない。(ミスリーみあるけど)

似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。

大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?

から私は、ああこれは『演劇なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇なのだと。

箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。

嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶証人として使えなくなってしまった。



『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。

箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者


初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか

『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。

対して『箕浦からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。

いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。



箕浦』はハッキリと「ぼくは幸せだよ」と胸を張って言う。

(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分心理思考記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)



初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。

深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。

『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。



初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲しか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。



諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼セリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。

しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、

諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。



諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目破壊力軽蔑目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!

ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。


子ども残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。


しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。


ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。

いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?

あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?



深山木からの荷物を受け取るのはこの後だったかしら。

秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。

ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)

原作未読であるので自分確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカット必要位置にあるのだろうか?

諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親から愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。

それがカットされたというのはものすごく重大なのではないか

ここにある諸戸は性的虐待を受けていない世界線の諸戸?



手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…

おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?

島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。

だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。



島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。

そこに現れる諸戸。

私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元存在から

で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……

それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為から

まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、

諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。

あ、それが《わたし》と『私』か。

わたし》と諸戸は同列。『私』と『箕浦』は並列に役者



五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。

諸戸からメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。

前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)

ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。

あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?

(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)

諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。

『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、

  • 箕浦』演じる《みのうら》が諸戸の手を握り返さなかった時
  • 箕浦』が寝ているところを抜け出して『私』が秀ちゃんと出会った時
  • 井戸の中で『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた時

諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。



水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。

序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的拒否られてない可能ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。

箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。

ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。

そーいや江戸川乱歩同性愛を「研究」していたんだよねえ…



それまで『箕浦』を抱きしめて必死告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。

これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。



諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?

確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。

そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。

なんというかね、性的意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすセクシャル表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。

同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。

あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。

あえて手であることがわかりやすいのなら、それは何か。



井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び

そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。

諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)

それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。

醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…



助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要いか大正解しかしイドの超自我破壊自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。



あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?

私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。

『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。

と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたかテラびっくりしたんだけど!

【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。

初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。

やっぱ諸戸亡霊なのかあああ??????って。

まだ決めていない。

少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。



それにしても《みのうら》になった『私』の生命力

佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?

わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」

ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。

箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…

座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。

ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。

そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。


諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。



今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。

2017-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20170206220753

矛盾とか稚拙な部分はたくさんあるけど、それを上回る大きなプロットがあればOK。

千尋の神隠しだと、なんで親が豚になったのかとか、あの異世界はなんだったのかとか、意味説明するだけ野暮。

嫉妬で粗探ししてるんじゃないかな。

フィクションで何を表現しているのか、というのが重要

2017-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20170206133731

金持ってるやつはだいたいイケメンであってほしいという奥様の謎の幻想

とは言えフィクション世界でも金持ちは(汚い金持ちを除いては)だいたいイケメンから大衆幻想と言うべきなのか

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。



※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356



夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。



とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね



まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?



舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。



物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)



延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。



舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい



そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-02-04

ピンクフリルワンピースを着てロマンティックな異性恋愛ストーリーを好んでも子供がいない女性と、

常にジーンズを履きロック音楽を聴き異性恋愛物語嫌悪していても自分パートナーの子供を産み育てそれを至上のものとして語る女性

既存ジェンダーバリバリ女性後者の方だと思う。

結局の所女に求められる役割が『子を産み、育て』である以上、ピンクだのスカートだのどんなフィクションを好むかなんてのは些末な問題しかない。

でもフェミニストから「男に媚びている」「既存ジェンダーを無条件に肯定している」として叩かれるのは前者のタイプ女性なんだよなー

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203134508

しろ自分はのやっていることは間違っている」と思いながら暴走するほうがフィクション感あるけど。

2017-02-02

増田に書けばフィクションって事で済まされるよね!36

超今さらだが、国会に取り上げられたアレはマッチポンプというか政治家綱引きの道具というかただの自演くさい感じがしたけど、

アレだな。

私も便乗して「神社本庁落ちた斯界死ね!」とかエントリ上げるべきだったかな。

視点者をコネなし就活生にして、「地縁血縁がないとまともな神社就職すらできないのに唯一都心に残れる希望のあった本庁の試験に落とされた!残ってるのは地方ばかり!地方死ねってのか!」とか自己中心性丸出しの、若者の悲痛な叫びを装った自分勝手放言みたいなエントリをさあ。

でも普通リーマン視点からすると斯界の連中は随分とまあラクしてっからなー。そんなエントリまるで書く気にならないなやっぱ。甘酒うっま。




まあ、神道ってのは一言で言えば要するに、穢れを嫌う宗教なわけですよ。でこの穢れってのは、異物と言い換えてもいい。

んで、例えばねー。

まあ神社界ってのも、平均身長がちっちゃい辺りからもよーくわかるように、せっまい世界でみんな知り合いであまり面識ない人にも遠い遠い血縁があったりとかして、そういう隔絶されたムラ社会なわけですよ。

学校に入ってくるのも知り合いばっか。家名を聞けばどこそこの子とすぐわかる。育成機関は似たような血で溢れかえっているわけですよ。

で、そういうところへ例えヨソの子が入ってきたとしても。

少子化やら現代化やらで神社の血族のみで維持し得なくなった斯界としては表向きは拒まないし、基準さえクリアすりゃあ入学を慈悲深くも情け深くもお許し遊ばして下さるんですけどね。

いやぁ残念ながら。これ。あくまでも。表向きだけの。話なんですよねえ。




ヨソの子が、神社について学びながら学費生活費稼ぎたい!と神社バイトに応募すれば、既に申し込み電話の時点からとっても失礼な対応をした挙句、他の子と一緒に面接にきたその子にだけ滅茶苦茶難しい筆記試験を出して答案を見て嘲弄し、その子だけ落とすような真似をする。

で。

バイト落とされたそのヨソの子が、それでも実務に携わりながら必要費用を稼ぎたい!とめげずに応募を続けて、どうにか採用してくれた神社バイトしながら学生続けてみれば、まあその神社ってのも他の神社が落とした人材拾うだけの理由があるくらいのボーダーライン上にあるヤバイ場所だったりするわけで、周囲は、何も裏事情を知らずにただ働いてるだけのそのヨソの子を、評判悪い神社の与類と責め立てる。

頑張って勤労学生してるヨソの子自分がなぜここまで責められてるのかも納得がいかないまま、でも他に神社勉強しながら働く宛てもないから、選択肢いから、黙って攻撃に耐えて働き続けると。

奨学金? あぁハイハイたくさんありますよー。斯界はなんたって身内ばかり、学生への支援も充実してますからねえ。

唯一採用してくれたバイト先で費用稼いでるだけで責められるそのヨソの子が、じゃあ、と支給奨学金に応募するわけです。するとどうなるか。

驚いた事に、奨学金面接の場で面接からそのバイトの事を責められるわけなんですねー。

生活費学費がないか奨学金応募するのに、その費用を稼ぐ事を教職員学生全員から攻め立てられるから奨学金に応募したのに、お前は奨学金を受けるに相応しくない労働をしていると学校のお偉い面接官数名の前で面罵されるわけですよ。

あ、結局その支給奨学金は裕福な神社の子が貰ったそうですよ。徒歩十五分くらいの学校に400万くらいする車乗って来てたんだけど、学校から駐車を禁じられたから、その奨学金単車を買ったそうですよ? 通学楽になってよかったですねー。大事大事お金持ちの神社の跡取り息子ですもんねー。おみ足を汚して損なうことが万が一にもあっちゃあいけない。

それだけ耐えて耐えて耐え抜いた後に、得た実務経験が、じゃあ就職の段で役に立つのかっていうとなんとまあ救いのない事に。これが真逆なんですねえ。

ハイ最初に言った事に戻ります神道は穢れを嫌います。異物を徹底的に嫌って排除して視界の外に追いやって忘れ去るのが神道なのでございます

最も有名な祝詞の一つであるところの大祓詞にも穢れをそのように扱うくだりが最後の方に出てきますけどね。まさに言行一致、神社界って祝詞体現している素晴らしい場所だと思います

就職にあたっては、その子だけ学校から就職支援も非協力的。希望する神社への問い合わせも後回し。むしろ露骨宮司出張中だのなんだの理由つけてただの求人打診の問い合わせすら二週間放置されるのが連続であったりなんか。「ダメでした♪次頑張ってね♪」て結果を朗らかに聞かされる頃には、もう他の求人はあらかた内定出て、ほくほく顔の子達で溢れかえってます

そんな事になったらどうするか。

何も推薦されないから、全部自分で決めなければなりません。選択したくない選択肢を選ぶのは自分の手だけで行わされます




ま、とかく神道は穢れを嫌う。

上の話読んで、「学校やら教育委員会学校側の不平等を、機会均等付与における不公平性を訴えればよかったじゃないか!」と思う人もいるかもしれませんね?

でもね。

訴えたら、穢れ。

騒ぎを起こしたら、穢れ。

腫れ物に触るように扱われて、のちのち丁重に斯界から排除されるんですねー。

私も業界歴長いですからねー。そういう奴いっぱい見てきましたねー。

「じゃあ神社バイトしなきゃよかったじゃん」そう思う人もいるかもしれませんね?

神社外でバイトする子はねー。神主にならない率がねー。これけっこう高いんですよー。養成学校通ってる学生がそれじゃ、本末転倒でしょ?




まあこういうケースはただ不幸なだけの話という気もしますがね、しかしこうした大なり小なりの不遇に耐えて斯界に残る神主ってのは相当数いたりするもんなんですよね。

上のような話を読むとこれってよっぽどのレアケースなんじゃね?と思うかも知れませんけど、この手の話は割とありふれた話なんですよ。まあだからこそ書けるんですけどね。

で、なんで色々な目に遭いながら斯界に残る神主が多いかっつう話なんですが、

そこには、もちろん“斯界はヨソよりゃよっぽどラクだから”という根本的な理由もあるわけですが。

その他に、もう一つ理由があるんですねー。

それは…“不遇を是とする”。この真実を、誰にも否定され得ないという事。

いやぁこれに尽きますね。

歴史は巡るだの負の連鎖だの色々ペシミスティックな言い方はあるんでしょうけどね?

我々の仕事伝統を守る、これに尽き申す。

歴史を継ぎ伝統を守ることの前に全ては正当化されます

まりはね?

今 度 は 私 達 が 理 不 尽 な 不 遇 を 与 え る 側 に ま わ る わ け で す よ 。

そ し て そ れ は 誰 に も 否 定 で き な い わ け で す よ 。

ケケケケケケケケケ!




――なんて事を、斯界以外知らない若手の連中あたりが大勢で言い出したら、穢れ扱いして対処するのも難しそうなんだがな。

それともこの手の狂信者伝統信仰とを継承する純粋信仰者として扱ったりとかすんのかね。

どうせいずれはお神輿担ぐのはゆとり世代が中心になるんだから、のほほんとしたゆとり世代ムラ社会狂人どもがキツい洗礼でお出迎えする現状は、やっぱやり過ぎと思うわ。

ゆとりもいずれキレる。

和解」「癒し」「回復」の物語反吐が出る

確定したことは取り戻せない

http://anond.hatelabo.jp/20170201232014

これとか

長女にとってベストなのはこれまでのことを引き摺らずに

母親キチガイだった」って忘れて現在未来を楽しく過ごすことでしょ

 

 

 

 

また、増田本人についても、

仮にこのプロファイリングのように母との間に何かあったのだとしても

それを引き摺ってるのが問題なのであって、要するに現在に対して雑なのが問題であって、

いまさら思い出を反芻してどうこうしてもしょうがないでしょ




人間関係って短期間のことなら「行き違い」で済むけど

長期間にわたってやったことはもう「確定した事」であって

あとから振り返って「和解」「癒し」「回復」「取り戻す」って不可能なことじゃん

確定したことを都合よく無しに出来る世界ならみんな株やFXやるよ




長女に取ったらもう増田は敵だし、

増田に取ったら長女は敵だし、プロファイリングが当たってるなら母親も敵でしょう

それはもう確定したことなんだよ




敵ならぶっ殺すか一切愛着を持たないしかなくて

殺人殆ど場合リスクが高いので後者しか無いんだよ

でしょ?

そこでまたムダに愛着や執着を持つから余計苦しんで、現在に対してまた雑になるわけでしょ?




和解」「癒し」「回復フィクション死ね

昨今はフィクションがよくないんだよ

和解」「癒し」「回復」の物語って結構あるじゃん近年

あんなんクソデブがきちんと食事制限して運動すればスリムマッチョマンになりますって言ってるみたいなもんで

論理可能だけどありえませんていうことでしょ





結局残酷なことや裏切りをやった後での「和解」「癒し」「回復」はどうするかって

やったことを割り引いたり誤魔化したりすることになるわけじゃん

その手のフィクションてみんなそれよ

酷いこと起こして派手に耳目を引いておいて

着地ポイントは「和解」「癒し」「回復」に決まってるので

からその酷いことを割り引くの、なんか誤解だったとかしょうがなかったとかなんとか




フィクションならまだ「心を痛めながら真面目に見てバカを見た」ですむけど

これ現実にやろうとしたら大惨事だよ

過去にあった酷いことの割引に応じてまで和解する人間が何処に居る?

割引どころか利子がついて膨らんでるぐらいでしょう殆ど場合

魔法和解なんて何処にもないわけ

そういう意味で昨年の映画で『聲の形』はすごい嫌だったなー

君の名は。』みたいに完全にSF奇跡を起こすならいいんだよ いいよね

この世界の片隅に』は失われた手も女の子も戻ってこないよ いいよね




北斗の拳』とか見てみなよ

実は行き違いだろうがなんだろうが

大人同士で敵対すればどっちかか両方が死ぬまで行くんだよ

っていうもの道理を見事に表現してる




駿河御前試合』とか見てみなよ

全ての話が一種の行き違いだけど

ちゃんとお互いが滅びるまで行く

爽快かつ道理をきちんとあらわした大人作品だよね

女がフィクションに出てくるような役割語的な「女性口調」を書いても、ちょっと大げさになるだけでオカマ口調にならないのに

男が「女性口調」を書くと必ずオカマ口調になるのはなぜなのか。

2017-01-31

女性専用車両反対派が、「男を黒人に変えてみろ!」とかいうから

考えてみた。もちろん、女を黒人に変えてもいいんだろう

性犯罪は圧倒的に男が加害者、女が被害者というケースが多い。これを白人黒人に変えると、立派なヘイトクライムです。白人加害者黒人被害者のケースがあまりに多いのは問題です。

巷に溢れる陵辱モノやリョナエロバナー男性女性を苦しめて喜ぶものばかり。黒人を痛めつける娯楽なんて、いくらフィクションでも許されないだろうに

それだけじゃありません。グーグルで「男を」「女を」とそれぞれ打ってみると、右だけ「女を殴りたい」とか出てきます。「黒人を殴りたい」ヘイトスピーチです。

銭湯トイレが分けられているのなんてもう大問題。どっちが白人黒人だろうとアパルトヘイトです。

男女と人種は違うんだよもっとよく考えろバーカ

http://anond.hatelabo.jp/20170131032626

えぇ…

どこをどう見たら作者のおっさん(志倉千代丸)が「イマドキのオタクを描いた」と思えるの?

シリーズのどの作品でも、どの時代リアルにも居ないレベルトンガりすぎたキャラ造形を好んでする人だよね。

科学ギミックの「いかにもありそう」感は出していく一方で、キャラについてはむしろ一切リアルに寄せずにアイコン化するっていうのも一つの創作手法だよね。

それでもぶっとんだキャラなりに、そういう性格に至っちゃう現代病理的な部分は感じさせるし、好感は持てる作りになってる。

まぁ古臭いキャラ造形、陳腐ネットネタ揶揄したくなるのは分かるし、ネットの声もそれが多数派に見えるけど、

その類のネットの声がいか醜悪虚構的なもんかってのは、はてなユーザーなら実感してきてるでしょ。

第一フィクションの設定にそんな野暮なツッコミをしていたら見れる作品が相当限られてくる。

それでも誰もそんな当たり前のことを言ってたしなめてくれないのはさ、

「君らは作品をこき下ろしたい盛りの青臭ボーイですという自己紹介をしてるけど、俺はそういう時期を通り過ぎた人だからこそ黙って見守ってる」

という人がほとんどであるという、それだけなんだよ。

そういう時期の子に言っても理解しないからね。

まあこれを読ませてしまった事で、君は反発してこじらせて卒業が遅れてしまうだろうね、残酷なことをしてしまったな。

創作をどう楽しむべきか、みたいな考え方は私なんかが下手に押し付けがましい説教するより、ロースおじさん過去ログを読んでいく方が真髄に迫れると思うから

自分に疑問を感じ始めたら読んでみるといいよ。

ただ一つ、私から言いたいことは、最近の人は「キャラ常識的言動をするべきである」みたいな観念に囚われすぎて、

キャラ人格目線(キャラ萌え共感維持目線)で物語を見過ぎであるということ。そういうのはすごく息苦しいし、物語が作れなくなる。

人間は柔軟なものであり物語においてテーマを映す鏡のようなモノだという捉え方が必要作品も多いんだよと。

創作は嘘だし、嘘は創作だ。

架空戦記物語を信じてしまった人がいれば、単にリテラシー問題として一蹴される。

「この物語フィクションです」って書いてあったのを読まなかったのが悪いし、常識が足りてないとみなされる。

女子高生マックで会話していれば、それは創作であるというサインだと理解できる人はいるし、そうでない人もいる。書いた人にとっては、「マック女子高生」は創作サインであるというのは自明かもしれない。

コラ画像の隅に「釣りです」と埋め込まれていて、一旦騙された後に気づくこともある。

その騙された感覚が楽しさの元だ。でも一歩間違えば騙されたままだったかもしれない。

これは嘘である、という表明をどれだけ注意深くしても、信じてしまう人は現れる。一切の創作行為(=嘘)は禁じるべきである

2017-01-30

給料高くて人間関係が悪い vs 給料安くて人間関係が良い」

現実世界では、給料高い職場ほど人間関係が良いし、

有給取りやすいし、風通しが良いし、やりがいのある仕事でしょ。

こういうフィクション拡散する人の精神構造境遇が知りたい。

やっぱり、「金持ちは不幸」「頭の悪い人は幸せ」みたいな

幸せ総量保存の法則みたいなファンタジーを小さい頃から聞かされ続けてきたんだろうか。

「新しい」国民戦線についての5つの偏見フランス語web記事翻訳

https://twitter.com/goeland_argente/status/825881166334996481

このツイートに触発されて、以下の記事を訳してみた。

Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national

http://www.lesinrocks.com/2015/04/18/actualite/cinq-idees-recues-sur-le-nouveau-front-national-11742654/

フランス語はそんな上手くないし、フランス政治には全然詳しくないのでひどい訳です。

どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。

*****

「新しい」国民戦線についての5つの偏見

モンペリエ大学パリ政治学院政治科学助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるか重要であることを示した。


1 国民戦線は「フランス第一党」ではない

2014年選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家レベルと結びつけて考えるなら、1995年ときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人国民戦線投票したのではない。棄権考慮に入れるならば、有権者10%だけである

奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。

これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランス第一党」とするには不十分なものであるアレクサンドル・デゼは、国民戦線存在感というのは、市町村レベルでは副次的ものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党社会党よりも少ない。


2 国民戦線は「政権のすぐそばに」いるのではない

2011年1月マリーヌ・ルペン国民戦線党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってからエリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから政治的フィクション領域に属するような話である。」

国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線政治的孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」


3 国民戦線は「新しい」党になったのではない

国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的ものであるマリーヌ・ル・ペン就任の前と後での国民戦線戦略プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生ルペン国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである

プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制批判国家の特恵、国家防衛欧州連合拒否ユーロ圏から離脱失業不安の原因と見なした上での移住拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペン社会的演説は、連続性を担っている。


4 マリーヌは、そう信じられているのと異なり、反ル・ペンではない。

リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女父親イメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票正当化するために持ち出されるような、最先端議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペン自分父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペン彼女父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民問題解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒ヨーロッパへの進出イベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)


5 「マリーヌの国民戦線」は、過激派と切り離されたわけではない

最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線過激極右グループ活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線市長は、GIスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。

野尻先生まとめ記事文脈について

https://togetter.com/li/1075475


野尻先生Tweetをまとめた記事ホッテントリに挙がっています

ブコメコメントを見てるとあのまとめ記事文脈を読み取るのが少々難しいみたいなので補足しておきます


まずきちんと確認すればわかりますが、あのまとめ記事を作ったのはラノベ天狗です。

ラノベ天狗とはラノベ蔑視する人にただひたすら恐怖を与えることを目的活動を行っているユーザーです。


Twitter:https://twitter.com/srpglove

はてダ:http://d.hatena.ne.jp/srpglove/

天狗活動について:http://d.hatena.ne.jp/srpglove/20141003/p1


一応Tweetの流れをまとめると以下になります


発言者A「トランプイスラム系入国禁止したらしい」

発言者B「トランプを舐めてた」

野尻先生「確かに舐めてた。アニメの話とか色々思い出したよ(未来少年コナンとか)」

野尻先生「こういう時こそサブカルを守らねばならん。」

野尻先生中学生になったらライトノベルは読むなと思ってる。大人の本で教養とか学べ。中高生迎合したラノベは消えてなくなれと思ってるんだけど・・・

野尻先生「こう言うと、お前が言うなって言われるけど、昔から小説ばっか読んでると馬鹿になるぞが持論。フィクションへの耽溺からしろ

以下それに伴い他フォロワーラノベ馬鹿にしながらいろいろ戒めるというTweetが流れる。


という流れになります

野尻先生発言を追うとわかります野尻先生が一連の流れの中で言いたいことは一応

「こんなご時勢だけど、サブカルは守ろう。サブカルは坑道のカナリア。そして守るためにはフィクションにばかり夢中にならずにちゃんとファクトも捉えた方がいい。」

みたいな内容なわけです。


しかし、このまとめ記事の本当に言いたいことはここからです。

まとめ記事コメントブコメでは一部気づいている人もいます

結局ラノベ天狗氏が言いたいのは

「良い事言った気になってるけど、あなたラノベ蔑視したことは消えませんよ。」

と言うことなんですね。

このまとめ記事ではTweetを一つだけ切り取ったわけではなく、きちんと前後の流れも全て掲載しているのですが

これはつまり野尻先生が言いたいことを全て踏まえた更にその上で批判しているのだという意思表明なわけです。


からまとめ記事タイトルがああなるわけなんですね。

この


ラノベ天狗氏が記事をまとめている

野尻先生の一連の発言を一応全部まとめてる

・更にその上であのタイトルをつけた


という3つの点を踏まえないとあのまとめ記事文脈は正しく読み取れません。

というわけでできればそれを意識して読むと意図が正しくわかるでしょう。

2017-01-29

[]KAITOクロスマネジ」

故障サッカーあきらめた男子ラクロス部マネージャーになって、ラクロスが下手な女子といろいろがんばる話

予想よりもかなり面白かった

もともと本誌で読み切りのってたときに、ラクロスマネージャー?珍しいなくらいの認識しかなくて、

その後連載になってたのは知ってたけどーってレベルだった

5巻で終わってたの見かけたから、あちゃーやっぱり打ち切られたかと思ってまとめ読みした

面白いじゃん

絵も好きな絵柄だわ

リアル寄りな感じの

ギャグ絵がホモオぽいっつーか^o^みたいなAAっぽいのが気になったけど個人的には好きだった

なんとなーくだけどはねバドとか宙のまにまにに似てるかな

キャラの設定とか性格とか

打ち切りだけど最後はそれなりにまとめてて消化不良なところもほぼなかったと思うし

サンデーだったらもっと続いてたかな、ベイビーステップが長い目で育ててもらえてた的な感じで

あ、ベイビーステップマガジン・・・

キャラもすごくかわいくてきれいでエロくて好きだよ

うーんでもやっぱりジャンプ漫画じゃねーよなあこれ

でもジャンプの有能編集からここまで面白くできたのかもと思うとうーんよくわからんくなるな

読み終わった後ぐぐったらキャラ名前元ネタ声優名前になってるってのがあって、なるほど確かにと思った

気づかんかったわ・・・

だって基本女子は下の名前で読んでた気がしたし

あ、あといっこよかったところは作中で男子女子よぶとき名字でよぶところ

フィクションは気軽に下の名前で呼びすぎてると思ってたから地味に好きなこだわりだった

うーんうーんなみねさんと百合後輩の話がもっとたかったです・・・

身長様にヘイトスピーチされ心が折れた…人生終了

心と魂と自尊心を完全に粉砕されました

もうかれこれ10年は半引きこもり生活してる

最初の5年は慢性疲労症候群自律神経失調症鬱病を併発した感じだったと思う

とにかくいつもダルくて疲労感があって何もできなかった

最近は数週間か数ヶ月ぶりに勇気を出して外出することもある

ところが勇気を振り絞って外出したってのに

家具店の前を歩いていたら子連れ主婦野郎が後ろから自転車で追い越して振り向いて勝ち誇ったように笑って「デカ(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった

から身長が高いとか体格が大きいとか気にしてる

まりにもひどい仕打ちだと思う

絶対に許せない

そこからまた数ヶ月引きこもった

やっと心が回復して外出したら今度はレンタルDVD屋で男が右からデカ(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった

目立ちたくないし性格でこっちは鬱病なのに何で全く配慮しないの??

ふざけんなって思います

そこからまた数ヶ月引きこもった

そしてまた心が少し回復して外出したら

今度は電車学生に指さされながら「あいデカくね?」などとヘイトスピーチされた

あとはこの繰り返し…

この国では高身長に生まれただけで畜生にも劣る存在として扱われ罵られ迫害され精神的に痛めつけられる

身長様は自分高身長ときよりはるかに格上の存在だと理解している

フィクションでは低身長様はカリスマ性ある優れた人物として書かれる

聖書ダビデ高身長ゴリアテをぶちのめしたことを讃えられ英雄扱い

ロード・オブ・ザ・リングホビット主人公

フリーザや飛影や赤司征十郎リヴァイなどもカリスマ

進撃の巨人は低身長様が高身長をぶちのめすことで大衆の人気を得た漫画

現実社会においてもレーニンスターリンフランコ将軍田母神ナポレオンや司忍やチャールズマンソンなど組織トップは低身長様が多い

体操選手競馬騎手ジャニーズも低身長が多い

心が折れたせいでもう外出できない

高身長なんかに生まれたくなかった…来世なんてものがもしあったら低身長様に生まれたい

身長様にヘイトスピーチされ心が折れた…人生終了

心と魂と自尊心を完全に粉砕されました

もうかれこれ10年は半引きこもり生活してる

最初の5年は慢性疲労症候群自律神経失調症鬱病を併発した感じだったと思う

とにかくいつもダルくて疲労感があって何もできなかった

最近は数週間か数ヶ月ぶりに勇気を出して外出することもある

ところが勇気を振り絞って外出したってのに

家具店の前を歩いていたら子連れ主婦野郎が後ろから自転車で追い越して振り向いて勝ち誇ったように笑って「デカ(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった

から身長が高いとか体格が大きいとか気にしてる

まりにもひどい仕打ちだと思う

絶対に許せない

そこからまた数ヶ月引きこもった

やっと心が回復して外出したら今度はレンタルDVD屋で男が右からデカ(笑)」とかヘイトスピーチしてきやがった

目立ちたくないし性格でこっちは鬱病なのに何で全く配慮しないの??

ふざけんなって思います

そこからまた数ヶ月引きこもった

そしてまた心が少し回復して外出したら

今度は電車学生に指さされながら「あいデカくね?」などとヘイトスピーチされた

あとはこの繰り返し…

この国では高身長に生まれただけで畜生にも劣る存在として扱われ罵られ迫害され精神的に痛めつけられる

身長様は自分高身長ときよりはるかに格上の存在だと理解している

フィクションでは低身長様はカリスマ性ある優れた人物として書かれる

聖書ダビデ高身長ゴリアテをぶちのめしたことを讃えられ英雄扱い

ロード・オブ・ザ・リングホビット主人公

フリーザや飛影や赤司征十郎リヴァイなどもカリスマ

進撃の巨人は低身長様が高身長をぶちのめすことで大衆の人気を得た漫画

現実社会においてもレーニンスターリンフランコ将軍田母神ナポレオンや司忍やチャールズマンソンなど組織トップは低身長様が多い

体操選手競馬騎手ジャニーズも低身長が多い

心が折れたせいでもう外出できない

高身長なんかに生まれたくなかった…来世なんてものがもしあったら低身長様に生まれたい

2017-01-26

脱がすじゃ脱がさないか

薄い本はその服のままやるのがよかったのにぬがしたらただの裸の体にキャラの顔くっつけただけじゃんってなるのが多いからだめ

今回の込み毛では最初数ページ目にあった催眠かけられて自分スカート自分でまくってるところが一番いい絵だったってどーゆーことだよ

それ以降の本番とか着替えはまったくだめだった

わかってないわかってないわかってない

せっかく絵がうまいのに名に考えてんだ

でも「しわなっちゃう」的なのをおんな がいうっていう前不利があると少し許せう度は上がる

ちゅおっと興奮してうおおおおおってなる

でもやっぱり脱がしたらだめ

でも余計なちしき(風呂では女はかみまとめる・征服よごさないようにする)とかが頭にこびりついてるせいでフィクションみててもそれがきになるようになってしまった自分マジでむかつく

ごむつけるつけない問題にもにてる

なんかねこれおれだけかわからんのやけど、ゴムつけてやってるのにおんながイッタラそれが全部演技にみえるんだよね

こっちはゴムつけてるんだからほんとうに会館につながってるわけねーのになにかんじてんだこいつみたいなね

漫画の話ね

そんで断面図的なやつでもごむの絵になっててもうはあああああああああああってなるの

でもごむつけるつけない自体がすぱいすになってるあこちゃん本とかはかなりすきなのよ

何あさいちでこんなおnかいてるんだろう俺

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