はてなキーワード: であるとは
NASAにも採用されている、世界で唯一の技術をもつ町工場が時給850円で従業員を募集するが、今の日本人の若者は仕事が無いことをニートやってる言い訳に使い、3kである工場の仕事を嫌がってやろうとしないので後継者不足で潰れてしまうから、外国人労働者を入れて何とかすべき。
「預金者死亡時に、預金の存在が気付かれにくい」というデメリットがあるらしい。
通常の銀行であれば、「通帳」という紙媒体があるので、気付かれやすいのだが、
今はまだ問題が表面化していないが、数十年後には、
ネット銀行で膨大な量の「休眠口座」が発生するんだろうなあ・・・
★家庭裁判所の相続相談件数は18万件で、全死亡者の15%にも達するらしい。
で、家裁にまで「もつれ込む」のは相当にトラブルがこじれた場合なので、
「些細な相続トラブルまで含めれば、相続トラブルはもっと多い」との見方もある。
★例えば、兄が「隠されていた通帳を見つけた!」と喜んで報告すると、
弟は正直に喜ばず、「実はもう1通通帳があって、それも兄は見つけたが
その事実隠してるんじゃないか?」と疑心暗鬼になることがママあるらしい。
「相続の発生額=50兆円」らしい。
日本の死亡者数が約100万人だから、1人当たり平均5,000万円である。
もし法定相続範囲を直系卑属に限定し、又直系卑属不存在な相続が全体の
20%程度あると仮定すると、
「法定相続範囲の変更で、10兆円を国庫帰属させることが出来る」ことになる。
争族財産の総額は、18万件×5,000万円=9兆円
9兆円もの金額が、最終相続者を決定できずに宙ぶらりんになっていることになる。
仮に「争族の場合、最終相続者決定に、通常相続より1年余分にかかる」
仮に金利1%と仮定したら、9兆円×1%=900億円だ。
「カネは天下の周りモノ」の観点で言えば、9兆円を死蔵させることで、
毎年900億円は社会的に損していることになる。
又、争族に費やすコストもバカにできない。
家庭裁判所裁判官や弁護士、そして当事者が、争族のために人件費やら交通費やらを掛けることになる。
仮に1件当たり総当事者の総コストが50万円掛かっている、と仮定したら、
18万件×50万円=900億円/年、ロスしている。
金利900億円+人件費等900億円=1,800億円、損していることになる。
この「争族」を避ける社会整備を進めれば、社会的メリットは大きい。
夕方のニュースを見ていたら、義務教育での留年について視聴者からの様々な意見が送られてきていた。
“小学校での留年なんて劣等感を生むだけ”、“まだ小学校なら巻き返せる”、など義務教育の留年に否定的な意見が目立つ。
更に、“現在の教室は子どもたちが集中できる環境ではない”、“経済的余裕がない家庭の子は塾に行けず学力がつかない”などの意見が付け加えられていた。
正直、まわりの環境や、経済的理由を言い訳にしてしまうのは、甘いと思うのだ。
(もちろん、極度に荒れた学校や、極度に厳しい経済状況の家庭には、子どもたちが学校での教育をしっかり受けられるように改善や支援は必要だが…。)
しかし一方では、自分の子供を評判の良い塾へ行かせ、少しでもまわりに差をつけようとしている家庭も多いのが現状である。
では、本当に塾に行けば、静かな環境で授業を受ければ、勉強が好きになるのだろうか?子どもたちの学力は伸びるのだろうか?
経済的に恵まれていなくて塾に行かずとも東大や京大といった国立大に受かった子もいるし、逆にお金があって親が塾に一生懸命に通わせてもその重荷で子どもがかえって勉強嫌いになってしまった例を知っている。
もちろん、学校は子どもたちのためにきちんとしたできるだけよい環境を整えるべきだし、子どもにとって塾が必要で子どももそれを望むのなら、塾の利用も悪くないとは思う。
けれど、良い塾を選ぶことよりも、まずは子どもが学ぶことを楽しいと思えるように学校や家庭がサポートすることが1番大事なんじゃないだろうか。。
勉強が楽しいと思える子は、たとえちょっとくらい教室がうるさくったってちゃんと集中するし、学校で学ぶことを完璧にマスターすれば十分基本的な学力はつくと思うのだ。
学生時代、塾の宿題を遅くまでやっていたからと言って学校の授業中は机に突っ伏して寝ている子や、塾を優先して学校の授業を疎かにしている子を多く見た。
そのたびに、もったいないなぁと思っていた。
学校も塾も両方ばっちりこなして、更に学力を伸ばしていける子は塾へ行くのも良いと思う。
けれど最近は、子どもがそのようなスケジュールをこなせるかを考えずに、“とりあえず塾へ”という傾向が強まっていると思うのだ。
「学校の授業をきちんとこなしさえすれば、東大だって京大だって行けますよ」。
学校から帰ったら塾に行かせるのが当たり前、ではなくて、何がわが子に合っている勉強方法なのか、わが子がどうすれば勉強を好きになってくれるか、そちらが大切だと思う。これは決して塾批判ではない。疑問である。
必要なら通わせればよいが、“塾に行っている=勉強ができるようになる”とは必ずしも言えない。
喪女とは主に2ちゃんねるもてない女板に生息する彼氏いない歴=年齢、告白された経験なしの女性のことである。
80%がこれ。理想が高い。自意識過剰。容姿は普通。友情を優先しすぎる。愛想がない。プライドが高い。
だいたいは二十代後半くらいまでに脱喪。
・野獣喪女
15%がこれ。顔が壊滅的に不細工。体型はガリガリまたはキョデブの両極端。
4%がこれ。メンヘラコミュ障。容姿は喪女平均から見れば少し上。ネットでは女神。自殺願望あり。
プリンシパル=エージェント関係におけるモラル・ハザードとしては、以下の例が挙げられる。
外回りの営業マン(エージェント)が、上司(プリンシパル)の目を盗んで、勤務時間中に仕事をサボる場合。
医師が不必要に多くの薬を患者に与えて診療報酬を増やそうする場合。これは、医師(エージェント)が処方する薬の量が医学的に適切なのか否かが患者(プリンシパル)には判断できない、医師(エージェント)が必要以上に薬を処方しないように医療保険の保険者(プリンシパル)が医療現場を監視するのが困難である、という情報の非対称性に基づく。
会社の株主(プリンシパル)が経営者(エージェント)を、業績に連動する報酬で任用した場合、経営者は会社に大きな利益をもたらせば高額の報酬を得るが、多額の損失を会社に与えても(あからさまな過失・故意が立証されない限りは)損失を負担する義務は無く、最悪でも解任されるのみである。このとき経営者の収入期待値を最大化する経営判断は、会社にとって最も合理的な判断よりも、よりハイリスク・ハイリターンなものとなる。しかし株主は経営判断のための十分な情報をもたないため経営者の判断に任せるほかない。
「モラル・ハザード」は本来は保険業界で使われていた用語で、保険によって保険事故が補償されることが、被保険者のリスク回避行動を阻害するという現象を指す。この場合の例としては以下が挙げられる。
自動車保険において、保険によって交通事故の損害が補償されることにより、加入者の注意が散漫になり、かえって事故の発生確率が高まる場合。
金融において、巨大金融機関の倒産に伴う連鎖倒産等を防ぐために行う政府の資金注入を予見し、金融機関の経営者、株主や預金者等が、経営や資産運用等における自己規律を失う場合。
医療保険において、診察料の多くが保険で支払われるために、加入者が健康維持の注意を怠って、かえって病気にかかりやすくなる場合。
医療保険において、受診の際の自己負担が軽いために、加入者がちょっとした病気でも診察を受けてしまう場合。
「火災保険をかけたために、注意義務を怠り、結果として火事のリスクが高まる」などのリスク回避を疎かにする事をモラール・ハザード(morale hazard)、「火災保険をかけておいて放火する」などの意図的に事故を起こす事をモラル・ハザード(moral hazard)と分ける場合もある。
家族が殺されて加害者の死刑を望む遺族は、怒りと悲しみのあまり頭がおかしくなっているのであり、向かうべきは精神病院である。
そうでないならば、その遺族の怒りと悲しみは、狂気を伴わない程度のものだったということであり、そんなものは考慮に値しない。
http://d.hatena.ne.jp/Lacan2205126/20120222/1329895239
この記事はとてもレベルが高いと感じましたが、どうも、とある登場人物に対する考察が欠けているように見えて気になったので補足的な意味で。
ヨブ記のすべての登場人物と読者のほとんどが信じたいと思っている、3つの命題を書きだしてみましょう。
A 神は全能であり、すべての出来事は神の意思による。神の意思に反しては何事も起こりえない。
B 神は正義であり公平であって、人間それぞれに相応しいものを与える。したがって、善き人は栄え、悪しきものは処罰される(勝者=正義)
C ヨブは正しい人である
ヨブが健康で経済的にも豊かであるかぎり、これら3つの命題は同時に無理なく信じることができます。しかし、ヨブに不幸が訪れ、財産や家族を失い、健康まで外してしまうとなると、ことは厄介になります。
この3つを、同時に正しいと考えるわけにはいかなくなるのです。どれか一つを否定して、はじめて残り2つを正しいと主張できる、という状態になるのです。
「神」や「ヨブ」が何を指すのかは読者の方々のご自由にお任せします。
個人的には、ワタミの前会長はABC全てが成り立つことを主張しているのだろうと思います。前会長側からすると、この建前が維持できない限り会社組織を維持するコストが膨大になってしまいますから。
「顧客」「読者」というのは、本当はわかっているくせに、3つの命題が同時になりたつことものにしか正統性を認めない。正統性を維持するためには「例外」はあっても、原則として3つの命題は成り立つんだと言い張らなければいけない。なぜかそう考えてしまうようです。3つを同時に満たすのは理想であるから、その理想に向かって今回の件を反省し、改善していくという考えもあると思うのですが、今回はそれが選択されなかった。それは、今回の事件によってもAやBがほとんど揺らがないという自信があるからでしょう。
以前からワタミはネットではブラック企業として有名でした。しかし面と向かって、それこそマスコミがワタミはブラックだ。正統性を認めることができないという流れにはなっていない。それどころか立派な企業として扱い、前会長はまれに見る清廉潔白で誠実な人間ということになっています。ワタミという会社は立派な人がトップを務める立派な会社だ、ということになっている。そしてそれは今回の件でも揺らがない、そう思っているのでしょうね。
なぜかというと、ワタミを批判し、否定するためには、「なぜここまで低賃金で過酷な労働をシなければならなかったのか」「企業経営としてここまでやらなければならない理由は何か」「外食産業全体にのしかかる問題とはなにか」「神様=市場のルールはどうなっているのか」「神様に問題はないのか」と考えていかなければいけないからです。
そして、この問題を考えるのがみんなにとって嫌なことです。 それで、「ブラックであっても必要悪だ」「このくらい耐えられないなんで、自殺した奴がひ弱なだけ」という理屈を述べだす人が出てくるんでしょう。
自殺した人は、それぞれの立場からの主張の道具として引き裂かれ、あるいは例外処理されて切り捨てられ、踏みにじられる。コレでいいんでしょうか?本村洋さんにかんしてはやれ遺族や被害者へのケアだなんだと言ってる割に、問題が変わるとワタミへの、もっといえば前会長への攻撃というお祭りに浮かれているだけの人たちを見ていると、ぶっちゃけかなり胸糞悪いです。
追記。
http://www.watami.co.jp/pdf/120221.pdf
本日、一部報道におきまして当社グループが運営する店舗に勤務していた元社員につき労災と認定
とのこと。
顰蹙を買うのは重々承知の上で(いや前会長は本気かもしれないが)こういうリリースを書くあたり、
労災の認定がされることはともかく、それについて
「私に問題がありました」と認めることができない状況にあることが何となく想像される。
http://anond.hatelabo.jp/20120223004052
最近の彼の主張は、自己責任論が過ぎ、ついには小学校で留年を認めるべき、なんておバカなことを言い始めた。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
彼には、弱者……特に、いくら努力をしても結果を出せないような、真の弱者をいたわる根本的な感性が、欠けているのじゃないか。
過労死を従業員に強いた渡邉美樹を、大阪市の特別顧問を迎えたのは象徴的ではないか。
低所得層からのし上がり、努力家で、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通している。
そして、努力への過度の信仰と、無能者への強烈な侮蔑感も共有している。
学力差の無い集団に入っていたほうが、劣等感を刺激されずに済むじゃない。
>いくら努力をしても結果を出せない
>強者へなれる素質があるのに、社会的な要因で弱者であることを強いられてしまった者たち。
この書き方では、この二者は同等でしょ? 「社会」が「勉強が出来ること」を「強者の条件」として設定しているから、「いくら努力しても結果を出せない」人間が出てくる。
「社会」が、一人一人の能力の評価を正しく認識できないから、自分の能力をきちんとアピールできない人たちは「結果が出せない」んでしょ。
だいたい、人間は、どんどん変化していくんだから「過去の付き合い」なんか持ち出しても、現在信用できない理由にはならない。
で、今はどうなの? 懇意にしているの?
橋下大阪市長が府知事時代におこなった、自由主義的な行政改革を応援はしていたものの、
島田紳助の盟友だった、という事実のせいで、今ひとつ、彼を信用出来なかった。
なぜ、左翼連中に叩かれながらも懸命に働いている彼を信用出来ないのか、自分を責めたことすらある。
島田紳助は昨年、暴力団との親密な交際が発覚したという理由で引退したけれども、
本当に責められるべきはそこではなく、吉本の女性社員を、人気のない部屋に引きずり込んで、
壁に顔面を4、5発以上もたたきつけ、ツバをはきかける……という、度の越した暴力事件を起こしたことだ。
立場の弱い者に対して、数々の暴言や暴力をふるいつづけていたことが、ときおり報道されていた紳助。
彼の嗜虐性、異常性、卑怯性、利己主義ぶりなどは明らかだろう。
そして橋下は、紳助の暴力行為が発覚した後も、紳助の番組で長い間、人気弁護士として活躍を続けていた。
確かに弁護士は、人格が最低な人間の人権を守るために、活動しなくてはならない場合だってあるだろう。
だが、紳助の番組に出演する主な理由は、弁護士の矜持とは別物だ。
もしも橋下が倫理を重んじるタイプならば、紳助の暴力行為が明らかになった時点で、潔く番組を辞めるべきだった。
しかし、橋下はそうしなかった。
義理もあるだろう。
紳助がよっぽどうまく立ち回り、橋下ら「先生」には、自分も含めた芸能界の汚い部分を見せようとしなかった……
そんな可能性だってある。
それに、もしも橋下が番組を降板していたとしたら。
自分が裏切られたと感じた紳助が、橋下を許しはしなかったに違いない。
当時、芸能界に大きな支配力を発揮していた紳助によって、芸能界から干されてしまった可能性だって、ある。
そのことだけで、橋下という男の人間性を判断してはいけない……と自制していた。
ところが、である。
最近の彼の主張は、自己責任論が過ぎ、ついには小学校で留年を認めるべき、なんておバカなことを言い始めた。
そのトラウマは、小学校の知識を習得することよりも、もっと深刻な悪影響を与えるだろうと、彼は考えないのだろうか。
彼には、弱者……特に、いくら努力をしても結果を出せないような、真の弱者をいたわる根本的な感性が、欠けているのじゃないか。
過労死を従業員に強いた渡邉美樹を、大阪市の特別顧問を迎えたのは象徴的ではないか。
低所得層からのし上がり、努力家で、基礎能力やコミュニケーション能力が大変高いという点で、共通している。
そして、努力への過度の信仰と、無能者への強烈な侮蔑感も共有している。
彼らにとっていたわるべき弱者は、強者へなれる素質があるのに、社会的な要因で弱者であることを強いられてしまった者たち。
真の弱者、無能者や低能者に共感する能力が、完全に欠けているんじゃないのか。
それが彼らに共通する価値観なのではないのか。
努力をしても結果を出せない、という事実に思いを馳せる想像力、共感力が彼らにはない。
怠惰な連中を排除するのにはおおいに賛成だ。
だが、弱者が人並みの努力をして、人並みの結果を出せないことは責められるべきことなのか?
橋下らは、弱者が他人の数倍の努力をおこなうことは当然だというのだろう。
だが、他人の数倍の努力ができるのは、それだけの体力を持ち合わせた者に許された特権。
それが彼らには理解出来ず、共感も同情もできないのだ。
橋下の目には、帰国子女という恵まれた立場でありながら吉本のマネージャーをしている女性などは、努力を怠った無能者に見えたのかもしれぬ。
「無能者へ暴力を振るう人間」を許容できたから、橋下は紳助と盟友であり続けたのではないのか?
怠惰を改めない左翼でもなく、弱者を侮蔑する右翼でもなく、真実は真ん中にあるのじゃなかろうか。
怠惰を改め、無能者の努力を評価する。努力をおこなった強者は果実を得るが、その分、低能者の失敗もカバーする。
そして、お互いが尊敬し合う……それが私の目指す社会であり、橋下を応援出来なかったのは、彼と目指すべき理想が異なっていたからなのだ。
弥生は私を心から愛してくれていました。だからこそ、犯人に対して最後まで必死に抵抗したのに違いありません。弥生は私以外の男に体を汚されることを、命を賭して拒絶したのです。最後まで、私への愛を貫く道を選んでくれたのです。たとえ自分の命を落とすことになっても、必死で弥生は抵抗し続けたのです。妻はそういう潔癖な女性でした。私はそんな弥生を、今でも誇りに思って生きています
本村洋・弥生著「天国からのラブレター」
確かにこれはちょっとなあ…。普通の夫なら「二人の間のかけがえのない子供である夕夏を守るために、最後まで命がけで闘ってくれました」とかなるんじゃないかな、と。
死刑についての話で
あの凶悪な犯人が出てくる、
あれと類似の凶悪犯が出てくる、
あれと同等の凶悪犯が出てくる、
っていうのはどう見ても
でしょ。
まあなんか話をそらしたいことがあるんだろうけど。
あなたは収入が増えたらまあうれしいし大事な恋人が病気になったら悲しいでしょ。
当然だよね。
私は正確であろうと努めているにすぎない。知性がないからこそ。
もう、使い慣れない言葉遣いしてる人見ると鳥肌が立つからやめてよ。
テレビの街頭インタビューで育ち悪そうな奴がヘッタクソな敬語使ってるの見るのもゾッとする。
普通に喋ろう。
「死刑囚が出てこなくなるのがうれしい」を
「出所」ではなく「新たに発生しなくなる」に取るのが?
「死刑囚」は定義からして出所できない。死刑になるのだから、娑婆に出てこない。
つまり、わざわざ「出所しなくなるのが嬉しい」と記述する意味はない。
よって、「死刑囚が出てこなくなる」は、「発生しなくなる」の意に取る方が自然。
それでもちょっと表現として苦しいが、原文がそうなんだから仕方がない。
さらに元の文では「凶悪犯」だったが、改変に意味はあるのか?
まず、「凶悪犯が二度と世間に放たれないのがうれしいな」っていう人は
当人の利害の感覚であるというだけで、「当然である」ということにはならない。
ツリーの大元の増田では、そのような主観の類が「当然である=非難を受ける謂れはない」とされている。
ところが、もちろん、謂れはある。それを指摘している。
述べなおすのは面倒なので適宜ツリーを追ってもらいたい。
君は持って回った言い回しや言葉遣いをやめたほうがいい。知性が追いついてない。
自分でも何言ってるかわかんなくなること多いでしょ。
私は正確であろうと努めているにすぎない。知性がないからこそ。
カウンターに『購入希望図書』を書くノートがあるのだが、そこに書いた本は漫画以外なら大体購入してもらうことが出来た。
ほぼ毎日通っていた私はちょこちょこそのノートを見て楽しんだりしていた。
ところで高校くらいになったときに世の中でラノベが流行りだした。
すると購入希望ノートにラノベの名前が挙がることが多くなったというか・・・ラノベばかりになった。
しかも書き方が『タイトル/出版社/全巻』 ※全巻=大抵が5巻以上
これがノートにズラズラ。何作品も。
購入理由も書かなきゃいけないのだが、理由がないのか知らないが「よろしくおねがいします」だけ。
これを全部購入していたら文庫棚がラノベ祭になるなー、と微妙な気持ちに。
それはさておき、あるときに司書さんと話すことがあり購入希望ノートについて話した。
私「これらのラノベ、どれも『全巻』って書いてますけど、全部入れていたらキリがないですよね」
どうやら司書さんは『ラノベ=漫画と同じようなもの』として扱っているそうだ。
「大抵の就活生」とか言っちゃった時点で、多数派を指すことになり、多数派が平凡であることは自明なので、ソルジャーの話になることもまた自明だよね。
>なんで今回の判決「以前」を論じるんだよ、苦しい奴だなあ。
「死刑囚が出てこなくなるのがうれしい」を
「出所」ではなく「新たに発生しなくなる」に取るのが?
苦しい奴だなあ。
???
そりゃ、「凶悪犯が出所しないことになってうれしい」っていうのは被害者以外の声じゃね?
被害者もう亡くなってるし。
心理としては理解できないでもない。いち外野の同類としては。
極めて当然に、福田が出所して近所に住むのはイヤだろーと思うよだれでも。
まず、「凶悪犯が二度と世間に放たれないのがうれしいな」っていう人は
で、被害者やその関係者の為の言ってないからその感情が「当然じゃない」???
あと個人的なアドバイスだけど
君は持って回った言い回しや言葉遣いをやめたほうがいい。知性が追いついてない。
自分でも何言ってるかわかんなくなること多いでしょ。
クレームに正しく対処するためには、そのクレームに対して「正しく恐れる」ことが大切になる。
恐れかたは、少なすぎても、多すぎても、トラブルを生む。正統なクレームに「毅然とした対処」を行うことはトラブルを生むけれど、ちょっとしたクレームに対して大きすぎる反応を返すこともまた、同じぐらいに間違っている。クレームを恐れることは大切だけれど、必要な大きさだけ正しく恐れて、恐れた大きさに見合った対処を行わなくてはいけない。
同じ不快の表明であっても、それが技術者の人格や、現場の対応に対する不快なのか、あるいは技術者の技量や開発方針に対する不快なのかで、対応は異なってくる。
技術者の人格や対応に対する不快が表明された場合には、まずはその不快に対して謝意を表明しないといけない。不快に対して最小限の妥協を遅滞なく行った後、「その状況を維持します」と表明するのが正しい対処になる。不快を突っぱねれば間違いなくトラブルになるし、こうした不快に対して大きく反応しすぎると、今度は開発ができなくなってしまう。
技術者の技量や、開発方針に対する不快が表明された場合には、一切の妥協してはいけない。開発者は常に「ベストを尽くしている」ことが前提であって、ここで妥協を表明することは、開発側が「ベストを尽くしていなかった」と受け止められてしまう。開発側は常にベストを尽くしており、それに対して不快や不安が表明されたのなら、その人と交渉を続けることは間違いなくトラブルに結びつく。開発に対する不快が表明された際には、速やかに他のソリューションを当たってもらうように誘導しなくてはいけない。
進捗の説明や、開発それ自体に関する説明は、丁寧に行わなくてはいけない。進捗自体に関する説明は、それがどれだけ面倒であっても必ず有限で、丁寧に対処すればいつか終わる。際限もなく終わらない可能性にいらだってしまうと、相手を不快にしてしまう。たとえばデスマプロジェクトを5つ受け持てば、炎上の話を5回繰り返すことになるけれど、これは我慢して同じ話を丁寧に繰り返さなくてはいけない。
何らかの譲歩を求めて、「とりあえず不快を表明する」タイプの人は難しい。不満が無くても瑕疵を探索するし、瑕疵を見つければ譲歩を求める。どこに突っ込まれるのか予測できない。譲歩を求める相手に対して心がけることは、一刻も早い「妥協の表明」になる。「特別扱いしろ」という相手に対して、「特別扱いをさせていただきます」と速やかに表明してみせなくてはいけない。ごくわずかだけ下がってみせることで、相手の瑕疵追求の意志が和らぐ。下がりながら応対して、その後また元の場所に戻る。下がり続けてはいけない。追い詰められてしまう。
自分の現場ではやっていない、あるいは不得意な開発について、客先担当さんやマネージャから「この開発手法はできないのですか?」と問われた場合には、「できません」と答えなくてはいけない。「それはよくない手法です」とか、「やってやれないことはありません」といった答えかたは危ない。
やっていないことに詳しい人は少ない。詳しくないことに対して、開発者が「専門家の言葉」としてあやふやな感想を述べてしまうと、言葉が一人歩きをはじめてしまう。もしも何かのトラブルに巻き込まれてしまうと、そうしたあやふやな感想が、「あの開発者はプロダクトを囲い込んで開発工数を奪った」といったトラブルの種になってしまう。
情報工学の範囲を超えた、精神論を強く希望するお客さんと話すときにも、注意すべきことは変わらない。自身がどれだけ情報工学に詳しくても、対峙する精神論がどれだけいい加減なものに見えても、知らないことに対して git push する人間があやふやな感想を述べてしまうと、将来的にトラブルを招く。「自分はそれに対してこう考える」を述べる際には、「これは個人としての感想ですが」のような前置きを入れて、技術者としての立場を明示的に遮断してから「こうだと思います」を表明しなくてはいけない。
相手を怖いと感覚した人間は、相手に「恐ろしさに見合った賢明さ」を期待してしまう。それがトラブルの種を生む。
原因がよく分からないトラブルに対応した担当者は、分からないその状況を、恐ろしいと感じる。「恐ろしいから」バグレポートを上げる決断をためらって、「この問題はマジやばくなったらだれかが見つけてくれるだろう」と、自分以外の人間にある種の賢明さを期待する。結果としてシステムは、「専門家である技術者」から端末を切断されて、書かれたコードを信じて、状態が悪くなるまで通常に稼動してしまう。
口うるさいお客さんのマネージャが視察したときなどは、「あの人と喋るのは、資料がちゃんと揃った後日にしよう」という思いが頭をよぎる。口うるさいマネージャは、同時にたぶん、もっとも大きな不安を抱えた人でもあって、不安に対する対処を怠った結果として、取り返しのつかないトラブルを招くことがある。
技術者が厄介な状況を感覚したそのときに、技術者の感覚はすでにいびつになっている。危ないと感覚したそのときには、だからむしろ危ない何かに近寄る態度で対処を行うと上手くいく。
なんでそんな前提置かなきゃいけないんだよwwww
「金正日は実は大川隆法と犬作先生がホモセックスしてできた子供である、という前提でなんで正日が存在するのか考えてみて?」
とか言ってるようなもんだろwww
強者男性>弱者男性>>> 女 であるのが本来の位置付けである。
であることを望んだ。
しかしこれではフェミニストは弱者女性からの同意は得られない。
絶対的な地位の揺るぎはない強者男性の助けもあり、
終いには
女であるというだけで優遇されるのが憎い。
繰り返すけど、これは本当にそういう流派があるわけじゃなく、まったくの個人的な考えね。
一応時間不確定で考える。ただ、認識していないかどうかが傍からでは分かんないんだ。
それに認識してる場合の、「認識」の根拠が医者が言った時間であるかなんかの手違いで母子手帳に書かれた(全然関係ない)時刻であるかは関係ないってこと?
関係ないってこと。
おおざっぱに自分の認識を言っておくと、占いは「当たる」と信じている人がいるから当たるんだと思ってる。
逆に「絶対当たんねーよ」と思っている人が増えると、それが当たらなくなる。
占星術にしろ血液型占いにしろ、その思い込みの強さの力関係が結果に影響を与えているように思う。
だから、これに関しても本人の認識と占う側の認識が一致していることが重要で、時間だけでなく月と日についても、本人が勘違いしていれば、それに沿った結果が出るという感じ。