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はてなキーワード: であるとは

2016-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20160410190047

どうでもいいのに粘着www|そこの論点と全体の論点をすりかえる負け犬www|~など的外れをとちゃんと引用しなかったのはおまえだろwww「~など的外れを」が主語じゃないとか国語の授業受けてこいよ笑|俺の書き込みじゃなくて別ツリーの話だよね^^|ジョジョ引用としての使用ちょっとなに言ってるかもはや意味不明^^| A=B=Cであると書いてないと認めるんだね^^|おまえの発言論理性がないという話に答えてないぞ^^|文脈の話だぞ忘れたのかマヌケ^^|その文を指してるだけと何度言っても理解できない腐れ脳みそ^^http://anond.hatelabo.jp/20160410114004

以下、ここまでの流れ

比喩は紛れも無く芸の一種だよ。わざの一種なわけだし。
そういう自酔が透けて見える比喩ってキモがられるよ^^覚えとこうね^^

から言わせれば粘着しているお前こそがキモい

そもそもお前は俺が言った芸がない、頭が硬い、「粘着キモいといったことに何も返さず、こっちの芸のことばかりぐちゃぐちゃ言ってる。
残念ながら横なんだ^^

ネタ一種をマジとしか受け止められない硬直脳みそ
俺のユーモアはいいかなるときも受け入れてもらえるに違いないという硬直脳みそマンがなにを言ってるんだ^^


じとうってなに? 自己陶酔のことかな。ちょっとこくご大丈夫なのかなこの人。
自分に酔ってるの略だよ笑 おまえの比喩とおなじひとりよがりレベルに合わせて使ってみたんだ笑

自己陶酔一般認識を履き違えるとかほんとちょっと気持ち悪いです。
一般認識がそうだという話と使ってるおまえが自分に酔ってるのが透けて見えてキモいレベルが低い比喩だって話が別だって分かってなにより^^

それと俺の言っているユーモアがだれにでも受け入れられるとか別に思ってないし、そう要求してもいないけど。
じゃあキモがられても発狂せずに受け入れようか^^

ユーモアと思わしきものストレートしか解釈できない哀れな人なんだなあ、とは思ったよね。
オナニーユーモアキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑 ちなみにこれより下のトラバはすべて別人の煽りから笑 それともバカありがちな自演トラバかな笑


「じすい」であれ「じとう」であれ、他の人は分かっていたというのはちょっとおかしいじゃないだろうか。だって俺意訳してるし。あ、もしかして他の人って俺も含んでる?
読み方の話なんて誰もしてないよ^^おまえにトラバつけてる別人もわかってるよね^^

ちょっと何言ってるかわかんないです。日本語というか文法というか不自由な方なんですかね。
おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?→比喩は芸だ!!!!→一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ

この程度も読めないこくごの能力の持ち主が比喩ドヤ顔www

分かるところだけ拾うと、自分に酔ってる文言元増田に一切含ませていないし、含んでると思わしき箇所もないのだけど。
自分に酔ってる文言元増田に一切含ませていないし

キモい比喩を使ったあとにキモいと指摘されたら比喩は芸!とか言い逃れようとするバカ自覚できないって話??笑

芸云々の箇所を指してるとしたら芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじゃ……?脳に雑菌が湧いてるからそう判断するんだよね
芸の話が自己陶酔に該当するとは多分客観判断でもなされないんじ

ちょっとなに言ってるのかわかんないおそらく自分キモいと指摘された部分を自覚できてないんじゃないか

発狂してないし終始冷静に受け答えしてるけど?むしろ草生やして決め付けを多発させているお前のほうが発狂してるし。
バカトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞いをしておいて発狂してない!!とかもうね。草生やしてると発狂してるの論理性のなさにレッテル貼りとかもうね。

Tウィルス感染してんのかなあ、って思っちゃうくらい。
あーこれも比喩っすかwwwレベルたけぇwwwこれが芸www

ストレートに受け取れないなんて……? 俺そんなこと言ったっけ。ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかなあ。あとお前が別人だとか、どうだっていいよ。雑菌がたくさん湧いてるんだなあ、と思ってるだけで。
こくごの授業受けてればその二文字は省略だと理解できると思うよ^^ それとも神様義務教育受けてないとそうなるのかな^^ 同一人物ではないという想像すらできないほど発狂してるバカがいるなぁと実感しただけだよ^^

それよりもお前が出した単語について


うん? 俺も読み方の話を主軸にしてないけど。意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。やっぱ日本語不自由なんだなあ。可哀想に。

「じすい」であれ「じとう」であれ、

主軸でもないならこの文は必要なかったね^^こくごの授業で論点ボケる文は書かないようにと学ばなかったんだねわかるわかる^^

>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。

うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ry

すごく丁寧に解説すると、一般論として比喩は芸の一種か、と考えた場合、芸とは「人前で演じる特別のわざ」とあるわけだからまあ、芸の一種と考えられるわけ。
俺「おまえのキモい比喩が芸だと思ってるの?」→おまえ「比喩は芸だ!!!!」→おれ「一般論とおまえのキモい比喩を同列にすんなよ、おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」→おまえ「比喩は芸だ!!」

主張の繰り返しとかもう白旗?つまんなーい頭が悪すぎてキチガイ煽りマンを演じるにも格が低すぎだよ~^^

自分に酔ってることとキモいという第三者の指摘、比喩が芸であるというこちらの言い分がごっちゃになっていて、Tウィルス威力を実感できる内容だね。自分に酔っていることにしたいお前、ってことならまあそうだろうけど、それでどうしたのだろう。
ごっちゃにしてるのはおまえじゃん。流れの説明理解できない脳みそってすごいな~^^

ほらまたやってる。キモイと思った主観一般認識である比喩区別がついていない。自分他人区別がつかない病気ってあったよね。
比喩が芸ではないとは俺は一度も言ってないからな^^主観一般認識区別がついてないマヌケ発達障害だという自己紹介乙でーす。神様義務教育受けてきてないのかな?^^

トラバに延々と返事をしているお前も発狂してるという範疇に入ってしまうけどいいのか?
バカトラバに延々と返事しまくってるキチガイじみた振る舞い

都合よくバカの部分を抜かしてるけどおまえがバカだということでいいのか?^^

草生やしてることを論拠としていないことは自明なんだけど、どうしてそこで論理性という言葉が出てくるのだろう。
過不足のない文章を書くを学ばない証明乙でーす^^

国語の授業を受けていれば必要接続詞を省くことはちょっと考えられないんだけど。お前のいった意味だと「ストレート自分の言っていることを元増田が受け入れない」

しか場合の話をしてると分かってるだろ 文脈という概念を学ばなかったのかマヌケ^^


こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、
俺は応えてないんだが。証拠は?^^脳内空想で補完でもしてるのか?^^

主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。
分かってる云々の主軸の方へは反論してない自己紹介かな^^?

そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。
なぜ過不足が問題かというと誤解を招いたりするからね^^

「お前のキモい比喩」を一つの文言と捉えた場合、それを一般化するなという理由ならわからんでもないが、そもそも俺は最初から俺のルール押し付けないことを宣言してるし、俺の比喩一般化してお前に押し付けたいとはつゆとも思っていないわけだが。
じゃあキモがられても発狂すんなマヌケ^^

その上で俺はそもそも「比喩」とは「芸」の一種であるとみなされる、と述べているのに、お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。
お前は「俺の述べた発言」=「芸」というすり替えを行っている。

「おまえのキモい比喩レベルが低すぎて芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」という反論が成立するのはおまえの比喩が芸であるときしかないぞ^^

おまえの比喩が芸ではないなら「おまえのキモい比喩は芸でもなんでもない」に対して「比喩は芸だ」というのはまさに個別例と一般認識を取り違えたただの的外れだ^^

馬鹿理屈説明しても馬鹿意味理解せずに馬鹿にする。無知であることは恐ろしい。
「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」と言ったら「AとBとCをごっちゃにするな!」と叫ぶバカ正当化はすごいな~^^

自分馬鹿自覚できない醜さについて考えこんでしまった。
そうか、バカも大変なんだな。

比喩が芸ではないと言っていない、ということは、即ち比喩は芸かもしれないという多少の可能性は考慮するわけだよね。
いや?比喩は芸だと思ってるよ?^^日本語能力がないとよくわかるな^^

じゃあ逆にそれをメタ的に返すけど、お前は自分定義するところの馬鹿のままでいいの?
別ツリーでさんざんやってる馬鹿がなにを言ってるんだ?^^あんなに長く続いてないぞ^^

なんだこりゃ……。「過不足ない文章を書く技術を学ばなかったという証明が、今ここでなされた」ではないの。やば。この人本物かもしれない。
先に出た主題主語化しただけでしょ^^まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。

文脈……? ここに至って文脈化するほど筋書きが通った話の流れなんてあったか
先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^


すまん、俺はお前を雑菌脳だといったが、むしろ最近良く見る不出来なTwitterAI、それもボットレベルに思えてきたわ。「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだが、これなんか問題でもあんのか?
いつどこで「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」んだ??^^

主軸については先だって俺が「ちゃんと意訳してる」部分に対して言ってることだったはずで、それ以前のお前のツッコミは「造語」に対する誤字指摘だったはず。
>意訳してるって文章に盛り込んでるじゃん。うん、で?理由がなく文章を並べても相手には伝わらないよ??^^こくごの授業で(ry
と両方指摘し続ける俺に対して

こちら側が誤って表記したものを「教えてくれてありがとさん」という意図と共に一度応えているし、主軸でもない代わりに前置きとして不適切ではないと思うけどね。まさに主軸でもないところを叩いて得意がる無意味な行動だと思うよ。そして過不足がない文章ということなら、そのへんな顔文字も消さなくちゃいけないのでは。
先に答えなくなったのはおまえだよ^^

そもそもまで立ち返れば、お前の指摘は「(増田破綻した造語を)他の人はわかってたぞ」という事実無根の話でしかない。
他のツリーでも理解してる人がいたし他のツリーでもおまえは推測可能だったなと指摘されたもの事実無根笑やはり痴呆だな笑

実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人勘違いされるから消したらどうだろう。
ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^

最初から発狂せずに淡々と受け答えしてるじゃありませんか。割と面白がりながら。それと「マヌケ」ってジョジョ台詞からかな。もうちょっと自分で考えたほうがいいような。
キモいって指摘されて発狂しながら比喩は芸だ!とか的外れを繰り返すけど発狂してないのかじゃあ相当脳みそが腐ってらっしゃるんですね^^

すぐ漫画が思いつくとかよほど現実世界から離れてるんだろうな^^

俺のキモい比喩、という話はお前から見た場合そのように受け止められる、程度の話で一般化はできないかな。あと芸でも何でもない、という話に関して言えば、「芸」を調べると以下のように記されている。学問武術伝統芸能などの、修練によって身につけた特別技能技術技芸。「―は一生」人前で演じる特別のわざ。演芸曲芸など。とあり範疇としては2番に該当する。したがって俺が用いる比喩は一応芸の一種として考えられることになる。

比喩が芸だと俺は言い続けているんだが^^おまえの初潮だのTウィルスだのキモい比喩は芸にも当たらないと言ってるだけだぞ^^

ごめん日本語で。Aを起点としてBが派生し、それを承けてCという行動を取ると(意訳)。つまりお前の言いたいことはA=CであるからBもCであると言うのは暴論であると言いたいのだろうか。いや、普通にABCは分離して考えないと駄目でしょ。

A=Cってどういうこと?^^BもCってどういうこと?^^ABCが流れなのに分離していないと考えちゃう理由は?^^

そうだね、たいへんそうだね。

馬鹿自分二重人格なのかな?

別ツリーって知ってる?^^に対して

それじゃお前も別ツリー話題を持ち出しちゃ駄目でしょ。

それじゃの論理性がないぞやりなおし^^

過不足ない文章を書くことがこれらの引用主題でしょ。じゃあ「文章を『書くを』学ばない」って完全に過不足を感じる文章に対して指摘するのは何ら問題がない、という話になるけど。こちらとしては首を傾げるばかり。

ちゃんと伝達は成功してるとおり文脈理解しているヤツには理解出来てるからな^^

先におまえがしかをつけて話した流れを踏まえて書かれた文章だぞ、それとも自分文章も忘れるほどの痴呆だったのか^^
ストレートしか解釈できないほどお前の脳みそが雑菌に侵されている、という話でしょ。「しか」の解釈ならそうだけど。
だけどお前の言っていることはこうだよ。
オナニーユーモアキモがられても仕方ないのにストレートに受け取れないなんてアワレだ!とか一段上の文章を忘れてるマヌケなのかな笑
ストレートに受け取れないなんて哀れだ……? 何いってんのこいつ気持ち悪い。勝手台詞創作して文句いってきてるし。
実際問題として皮肉皮肉で返すという技がないんだから、そりゃストレートすぎて脳筋馬鹿だと言われてもしょうがないじゃん。

ストレートに「しか」受け取れないのは脳筋だよね、と言った覚えはあるかな

おまえがしかをつけた文章を指すために省略して指摘しただけだろ。 それをスルーするために、しかがついてないから元通りじゃない、些末な嘲笑言葉が違うからセリフ改ざんされた!!かよwww


えっ……お前ホントやばいわ。「俺が」「誤字った単語しかもてめえの造語)に」「お前の指摘が入って」「わざわざ指摘してくれてどうも」つっただけで何も問題ないじゃんか。むしろお前の有利に働くことだぞ。まして変な造語を作ったことに俺は寛大だっただろ。

質問に答えろよ^^いつどこで”「俺が」、「誤字脱字の修正わざわざありがとう」と「応えた」”んだ??^^

主軸の話とは→造語の話→造語に対して誤字ってしまうこちら側&こちら側が造語意訳→そちらの、「単語に対する意訳が相手に伝わらないよ」、という頓珍漢な答え→先に答えなくなったのはお前(こちら)だよ、という意味の分からないトラバレス

2つ論点があって主軸の方を先に答えなくなったのはおまえって話だよ^^ おまえの流れの説明意味不明すぎるからリー見返して来い^^

ちょっと悪いんだけど、どこの誰こと?それと後半意味からないんだけど。俺が推測可能だったって何?なんじゃそりゃ。おれは意訳したんだからそりゃ推測はできてたよね。だいぶ頭がおかしい。というかこいつが馬鹿すぎて俺の頭も混乱しそう。

他のツリーって言葉理解できないのかな^^推測できてたなら俺の言うとおりじゃん^^

ちょっとなに言ってるかわからないです^^文章をきちんと論理立ててつなげて話そうか^^

に対して

いやこれ論理じゃなくて事実。お前の顔文字気持ち悪いって単発で書き込まれてたし。すぐ消えたけど。

って説明にもなってないぞ。↓やり直し。

実際お前の性格に関してさっきまったく別のやつが顔文字に対するディスを入れてエントリをすぐに消していた。なんだかいまどき顔文字で冷静さを装うとか恥ずかしい、みたいな内容だったはず。お前の大好きな他人勘違いされるから消したらどうだろう。

的外れを繰り返すけど」なにこれ。ほらまた破綻文章馬鹿晒してるし。「的はずれな言動を繰り返しているけど」でしょ。また相手馬鹿から意訳・翻訳しちゃったよ。

~など的外れを、だから捏造するなよゴミ^^

それとジョジョ一般的作品として周知されつつあるから、指摘としては別に間違ってないと思うよ。

認知度は関係いから^^すぐ漫画が浮かぶ現実世界乖離したキモオタ臭がひどい。

お前にオリジナリティがないことだけは確かだし。

うんそう。比喩は芸。キモい表現かどうかはお前の勝手に決めたこと。

あの場合初潮が芸として比喩になると思ってるオジサンwww

しかいわば加齢なる初潮

ダジャレwww これでわたしには文芸があると主張してるの?www

スベりまくってるのに「俺はクラスムードメーカー!」と勘違いしてるイタい同級生思い出すわwww 周りから失笑されてるのに本人は芸があると思ってたのかなwww

流れってなんですか。ABCって流れの事だったんですかw 何のために記号解説したんですかw

「Aが起こりBが起こりCだと行動するバカってこうだよね~」と
と書いてあるのに流れじゃないと思ってたんだ^^煽るだけのゴミでも知性がバレるぞ^^

から誰が細菌一号か二号かなんて俺は知らんし。
同一人物かどうかは論点じゃないし^

夏目漱石の「私の個人主義」について

読書会夏目漱石の「私の個人主義」を紹介するための、原稿です。

<コ:ミ <コ:ミ <コ:ミ

夏目漱石の「私の個人主義」という本を持ってきました。

漱石といえば、「吾輩は猫である」や「こころ」が特に有名な小説家です。

彼は日本代表する小説家というわけで、

書簡集。つまり手紙文語本になっていたりします。

私の個人主義」は講演をまとめた本です。

169ページなんですが、5つの講演が収録されています

1つの講演は30P~40Pですので、ページ数から考えると、

比較的読みやすい部類に入るかと思います

タイトルの「私の個人主義」というのは、大正3(1914)年11月25日学習院で行われた講演のタイトルです。

漱石1916年12月に亡くなったので、亡くなる2年前程前の講演です。

5つのから、「私の個人主義」について、内容をご紹介します。

学習院で行われた講演ということで、若い学生対象にしていたようです。

彼の反省と学びについて、紹介しています

漱石学生だった頃、卒業する直前までどんな職業につくのか決められなかったそうです。

たまたま学習院教師に推薦してもらえる事になるのですが、

結局、他の人が採用されます

漱石は「今と違って就職は大変楽でした」と語っているのですが、

高等学校と高等師範から、同時に声がかかります

彼はどちらにも半分承諾するような事を言いました。

いい加減な事をしたわけです。

呼びつけられて、怒られるのですが、結果高等師範に行く事になりました、

行ったはいものの、「自分の不向きである」という思いがあり

一年松山にある中学校に赴任します。

が、松山にも一年しかいませんでした。

以降、熊本に落ち着く事になります

熊本教師を続ける中、文部省からイギリスへの留学を勧められます

彼は断ろうと思いました。

なんの目的も持たずにイギリスに行ってもしょうがいないと思ったわけです。

結局、教頭先生に勧められ反対する理由がないということで、イギリスに行くことになりました。

「そんなあやふやな態度で世の中へ出て、教師になったというより教師にされてしまったのです」と言っています

彼の心境は非常に苦しいものでした。

「腹の中は常に空虚でした」とか

「この世に生まれた以上何かしなければならん。といって少しも見当がつかない」

色々な言葉を使って繰り返し苦しさを訴えています

彼はイギリスに行った以上は!と努力しました。

そして、今までは他人本位で、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事に気が付きます

彼は自己本位という言葉を手に入れました。

この喜びを

「そのとき私の不安は全く消えました」や

「ようやく自分鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです、」など

色々な言葉で繰り返し嬉しい気持ち表現します。

そして、学生に対して、同じような悩みがあるのでは?と強く訴えます

貴方がた自身幸福のために、それが絶対必要じゃないかと思うから申し上げるのです。」などと言うのです。

自己本位必要なのでは!?という漱石の熱い語りは、もしかしたら彼のイメージと異なるかもしれません。

彼が人に流されて生きてきた。

その腹の煮え切らない不愉快気持ちと、そこから解放された実感は私にはよく理解でき、感動すらしました。

ここまでが第一部の内容です。

個人主義自己本位というと、自分勝手にふるまうような事をイメージされるかもしれません。

漱石はその事を否定します。

自分自我尊重するのであれば、他人自我も認めなければならないといいます

講演を聞いている学習院学生というのは、今よりも強い意味を持っていました。

お金権力を持つ事になる人たちでしたから、

気に食わない相手を懲らしめるために人を買収したり、妨害する事が可能なわけです。

彼は所属する団体立場に基づき判断せず、理に適っているかどうかで判断する事が必要だといいます

彼の考えは、自分存在尊敬し、他も同じように尊敬する。

団体を作って、権力お金のために盲動しない。というものでした。

素晴らしい考えだと思いますが、漱石は淋しい気持ちがある事を吐露します。

理に適っているのかで行動を決める事、そして他を尊重する事から

ある時は、人がばらばらになってしまうと言います

漱石の中期~後期の作品個人主義の目覚めとこの淋しさを書いたと理解しています

特に、後期の作品にあたる「こころ」は淋しさががよく出ていると思います

淋しいというしこりが残る形ではありますが、個人主義という考え方を

論理だけでなく、感情をまじえて教えてくれるというのが私の個人主義漱石の魅力だと思います

以上

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

を拝聴してきたので簡単にまとめたい。感想としてはなんとなくグローバルヒストリーの影響が強いように思った。

ヨーロッパ統合とその起源、そしてのヨーロッパ中心主義への批判といった感じだった。

ヨーロッパ文明担い手という自覚は17〜18世紀台頭するオスマン対峙した事と

アメリカ大陸発見植民地化によって育まれたそうだ。

ヨーロッパは15世紀ら17世紀のまでの間に、2つの前線東方におけるイスラーム

オスマン帝国といの引き続く対立と、ほかの大陸ヨーロッパへの拡張

ーとの関わりで文化的概念として展開した。

こうした争いこそがヨーロッパ地理的文化的概念として作り上げたのである

(What is Europe?より)

ヨーロッパ文明担い手という優越意識を示す例として学校教育国際学会の提唱したコメニウスは次のように述べている

今日ヨーロッパは、帝国宗教、学知、技芸など人類が卓越しているすべての点で、世界で最も豊かな部分であるヨーロッパはほかのあらゆる部分を凌駕し、現在過去のあらゆる時代世代凌駕している。・・・広さの点ではアフリカにもアジアにも及ばぬもの品位においてはそれらを越え、ヨーロッパ比較すればすべて粗野で野蛮にみえる。

こういったヨーロッパ優越意識は18世紀後半にヨーロッパがほかの地域に比べて優位に立つ際に帝国主義と共に顕著になった。啓蒙主義流行した時代であるが、啓蒙主義もまたヨーロッパ中心主義人種差別的な面があったのは注意すべきである哲学者カントは次のように述べている。

アフリカニグロは、将来ばかげたものをこえる何の感情も持っていない。

(中略)

白人黒人というこれらの人間種族間の差別はかくも本質的であって

また文化的に野蛮な非ヨーロッパ啓蒙するという事で帝国主義侵略正当化された。

J.Sミル

>>未だに野蛮な国々は、外国人(白人)によって征服され従属させられるという時期をまだ過ぎていない。

文明国政府は野蛮な隣人をもつことが避けられない。そして野蛮な隣人がいる際には、防衛的な姿勢で満足できるとは限らず…長短の違いはあれ我慢の時期を経た後に、その野蛮な隣人を征服したりせざる得なくなる

<<

と言っている。

アフリカアジア植民地に対する正当化としてさらトクヴィルユゴー発言を載せる

トクヴィル

これらの半ば野蛮なアフリカの国々は、中世の末期にヨーロッパで起こったものと非常によく似た社会発展を今経ているのである

ユゴー

世界の相貌は変化するでしょう。

(中略)

アジア文明を取り戻し、アフリカ人間を取り戻すでしょう。すべては人の労働のもと、世界の全血脈のあらゆる部分で

豊かさが溢れだし、悲惨さは消滅するでしょう。

(中略)

革命を起こす代わりに人は植民地を作るでしょう。文明に野蛮をもたらす代わりに野蛮に文明をもたらすでしょう。

またヨーロッパ内の「野蛮」として排除されたロマジプシー)も忘れてはならない

ロマ研究家のイアン・ハンコックは次のように述べている

ロマニはどこにも登場しなかった。これらの本の著者は誰も、ロマニがヨーロッパ歴史あるいは文化の一部をなすとは考えなかったのだ

ヨーロッパまたは文明標準の拡大

18世紀後半から19世紀ヨーロッパは「啓蒙」を通してヨーロッパというか西洋アメリカなどヨーロッパ大陸を超えて拡大していったが、

ヨーロッパと認められるには文明標準を満たす必要があった。

文明標準には基本的人権保証国内法の整備と法の支配国際法の順守、近代的な官僚機構軍事などに加えて、

植民地の保持、ヨーロッパ的な文化的習慣と野蛮な非ヨーロッパを捨てること、などがありヨーロッパ中心的でほかの地域に対する排他的視点があったことも忘れてはならない。

アメリカオーストラリアといった地域近代化に加えて植民地を得ること(ベルリン会議など)によって西洋国家としてみとめらたのである

また明治維新によって近代化した日本植民地もつことによって初めてヨーロッパ的な文明国としてみとめられたのである

大戦ヨーロッパ統合

植民地で行われた暴力ヨーロッパ還流され2つの大戦で真価が発揮された。

クーデンホーフ=カレルギーの汎ヨーロッパ論やシューマン宣言によってヨーロッパ統合へと向かうが、初期は植民地支配肯定されていたのは留意すべきであろう。

ヨーロッパ統合が自らを相対化出来ずにヨーロッパ中心主義から脱却できずに既に終わってしまったヨーロッパ栄光にすがりついているのではないかという非難もある。

Kalypso NicolaidisEurope's post-imperial conditionより

EUとその加盟国再生産されているという意味でのポスト帝国主義的な

考えと振る舞い方の習性を「脱中心化」しなければならない。

それは、ヨーロッパ世界的な覇権を握っていた19世紀から発している態度であり、ヨーロッパ世界情勢の中心、

ヒエラルキーの頂点に以前としてすえ続ける習性である

また現在難民問題ヨーロッパが本当に脱中心化し自らを相対化できるかどうかの試金石であるとして木畑洋一先生は話をしめくくった。

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

日本西洋大会の公開講演 近現代世界ヨーロッパ位相

を拝聴してきたので簡単にまとめたい。感想としてはなんとなくグローバルヒストリーの影響が強いように思った。

ヨーロッパ統合とその起源、そしてのヨーロッパ中心主義への批判といった感じだった。

ヨーロッパ文明担い手という自覚は17〜18世紀台頭するオスマン対峙した事と

アメリカ大陸発見植民地化によって育まれたそうだ。

ヨーロッパは15世紀ら17世紀のまでの間に、2つの前線東方におけるイスラーム

オスマン帝国といの引き続く対立と、ほかの大陸ヨーロッパへの拡張

ーとの関わりで文化的概念として展開した。

こうした争いこそがヨーロッパ地理的文化的概念として作り上げたのである

“(What is Europe?より)

ヨーロッパ文明担い手という優越意識を示す例として学校教育国際学会の提唱したコメニウスは次のように述べている

"今日ヨーロッパは、帝国宗教、学知、技芸など人類が卓越しているすべての点で、世界で最も豊かな部分であるヨーロッパはほかのあらゆる部分を凌駕し、現在過去のあらゆる時代世代凌駕している。・・・広さの点ではアフリカにもアジアにも及ばぬもの品位においてはそれらを越え、ヨーロッパ比較すればすべて粗野で野蛮にみえる。"

こういったヨーロッパ優越意識は18世紀後半にヨーロッパがほかの地域に比べて優位に立つ際に帝国主義と共に顕著になった。啓蒙主義流行した時代であるが、啓蒙主義もまたヨーロッパ中心主義人種差別的な面があったのは注意すべきである。感とは次のように述べている。

"アフリカニグロは、将来ばかげたものをこえる何の感情も持っていない。”

(中略)

白人黒人というこれらの人間種族間の差別はかくも本質的であって”

また文化的に野蛮な非ヨーロッパ啓蒙するという事で帝国主義侵略正当化された。

J.Sミル

"未だに野蛮な国々は、外国人(白人)によって征服され従属させられるという時期をまだ過ぎていない。"

"文明国政府は野蛮な隣人をもつことが避けられない。そして野蛮な隣人がいる際には、防衛的な姿勢で満足できるとは限らず…長短の違いはあれ我慢の時期を経た後に、その野蛮な隣人を征服したりせざる得なくなる"

と言っている。

アフリカアジア植民地に対する正当化としてさらトクヴィルユゴー発言を載せる

トクヴィル

これらの半ば野蛮なアフリカの国々は、中世の末期にヨーロッパで起こったものと非常によく似た社会発展を今経ているのである

"

ユゴー

世界の相貌は変化するでしょう。

(中略)

アジア文明を取り戻し、アフリカ人間を取り戻すでしょう。すべては人の労働のもと、世界の全血脈のあらゆる部分で

豊かさが溢れだし、悲惨さは消滅するでしょう。

(中略)

革命を起こす代わりに人は植民地を作るでしょう。文明に野蛮をもたらす代わりに野蛮に文明をもたらすでしょう。

"

ヨーロッパまたは文明標準の拡大

18世紀後半から19世紀ヨーロッパは「啓蒙」を通してヨーロッパというか西洋アメリカなどヨーロッパ大陸を超えて拡大していったが、

ヨーロッパと認められるには文明標準を満たす必要があった。

文明標準には基本的人権保証国内法の整備と法の支配国際法の順守、近代的な官僚機構軍事などに加えて、

植民地の保持、ヨーロッパ的な文化的習慣と野蛮な非ヨーロッパを捨てること、などがありヨーロッパ中心的でほかの地域に対する排他的視点があったことも忘れてはならない。

アメリカオーストラリアといった地域近代化に加えて植民地を得ること(ベルリン会議など)によって西洋国家としてみとめらたのである

また明治維新によって近代化した日本植民地もつことによって初めてヨーロッパ的な文明国としてみとめられたのである

大戦ヨーロッパ統合

植民地で行われた暴力ヨーロッパ還流され2つの大戦で真価が発揮された。

クーデンホーフ=カレルギーの汎ヨーロッパ論やシューマン宣言によってヨーロッパ統合へと向かうが、初期は植民地支配肯定されていたのは留意すべきであろう。

ヨーロッパ統合が自らを相対化出来ずにヨーロッパ中心主義から脱却できずに既に終わってしまったヨーロッパ栄光にすがりついているのではないかという非難もある。

Kalypso NicolaidisEurope's post-imperial conditionより

EUとその加盟国再生産されているという意味でのポスト帝国主義的な

考えと振る舞い方の習性を「脱中心化」しなければならない。

それは、ヨーロッパ世界的な覇権を握っていた19世紀から発している態度であり、ヨーロッパ世界情勢の中心、

ヒエラルキーの頂点に以前としてすえ続ける習性である

また現在難民問題ヨーロッパが本当に脱中心化し自らを相対化できるかどうかの試金石であるとして木畑洋一先生は話をしめくくった。

http://anond.hatelabo.jp/20160529211016

自分ですらそうでないのに他人はそうである認定する馬鹿って話だぞ

http://anond.hatelabo.jp/20160529205933

でもさ、さっきいった俺の話理解してなかったじゃん。

まりあんたは俺を超える低能ってことになっちゃうんだけど。定義わからんって。

定義は俺を馬鹿にするならば俺が馬鹿あるいは低能であることを証明せよ、だよ。

まあ今回はやらんでもいいけど。

事件加害者属性で呼ぶのが正解なのでしょうか?

これを「女子大生刺傷事件」っていうのやめようよ。「柔道家ストーカー刺傷事件」にしようよ。事件を被害者属性で呼ぶ慣習は本当によくないよ。 - t-tanaka のコメント / はてなブックマーク



遅ればせながら、このようなブックマークコメントを拝見しました。

事件報道する際に被害者属性ではなく、加害者属性で呼べよクソマスコミw」という意見のようです。

僭越ながら、私個人の意見としては、被害者属性事件名に採用した場合、この事件場合はてな民の大嫌いなスポーツ選手であり、しかはてな民の大嫌いな日本の競技の柔道しか格闘技系という前時代的な愚かな日本人が好むスポーツであるからいいのですが、もしもアニメオタクの方であった場合はどうなるのでしょう?

私の勝手想像では、はてな民の皆様は「アニメオタクってわざわざ報道する意味あるか?マスコミ偏向やめろ」とおっしゃるのではないかと思います

しかし、はてな民の皆様がおっしゃるのならば、このように加害者属性事件を命名するのが正しいのでしょう。

しろこのコメントスターが37もついており、また有名ブックマーカーの方々がこぞってスターをつけてらっしゃいます。(例:id:haruhiwai18様)

またこの発言主様はお気に入られが150を超えており、はてな民の皆様から絶大に支持されている方のようです。

まり、この意見はてな民の皆様に指示される絶対的に正しい意見で、犯罪者が起こした事件犯罪者属性を引き合いに出すのが正しいのだと思います

私もこれからはてな民の皆様を見習って、事件が起こった際は、加害者属性をこれでもかと引き合いに出して思う存分叩こうと思います

http://anond.hatelabo.jp/20160529205036

なるほど、では次々増殖する低能先生もどきはお前の自演であると相当な確率で疑われる。

にしておこう。

http://anond.hatelabo.jp/20160529204912

いやだから今やってる態度が全てだけど。

前提なしに低能と決めるので、いかにして俺(こちら)は低能であるかを証明せよ、と突きつけた。

その結果があの解答。流石に頭が湧いてる。やべえ、とは思ったけど。

http://anond.hatelabo.jp/20160529204503

いやだってお前に言われたことだし。「そもそも真偽判定以前に「主語:お前は」「述語:馬鹿である」というはなしだから」、

だそうで。「それって定義文でしょ? 定義文なら低能先生馬鹿であると俺は定義するけど」、つったらそこから音信不通になったな。

まあ飽きたんだろうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20160529204228

主語述語と同じくお前は馬鹿であるから真偽もない

荒い引用してんじゃねーよ低能

文脈全然わからんしw

低能先生はねえ、決めつけさえしなけりゃ今絡んでる馬鹿と違って少しはバトルできるんだよ。

だけど定義がぶっ飛んで出て荒いんだよね。

主語述語と同じくお前は馬鹿であるから真偽もないと言われた時はコイツ大丈夫かな、とは思ったよ。

深夜アニメことなど知るべきではなかった

深夜アニメ低俗で、猥雑で、品性下劣だ。普通人間深夜アニメに興味など持たない。

存在すら知らない人の方も相当数存在するだろう。

低俗で、猥雑で、品性下劣存在に幻惑され外道に身をやつした人間もいる。これを書いている人がそうだ。

低俗さ、猥雑さ、品性下劣さがそれぞれ太い手綱となり、筆者を縛り続けている。それらの桎梏から脱することはもはやできない。

結局深夜アニメを見るということは、本質的には違法薬物の乱用と何ら変わらない。

岡田尊司が「アニメマンガゲームなどは麻薬である」と自著『脳内汚染』で断じたが、氏の指摘は正鵠を得ていたのだ。

 

小中高校生時代、親や教師から「世の中には知らない方が幸せなことがある」と言われていた。

しかし小中高校生時代無知蒙昧なのは世の常。無知蒙昧な筆者は、知識量の多寡幸福度は比例すると無邪気に思いこんでいた。

確かに知識量が多ければ、学歴獲得競争で優位に立つことができる。知識が窮地を救うことも多い。

したがって「知識が多ければ不幸になる」というモデルは粗雑なものしか言いようがない。

ただ、「知らない方が幸せなこと」も世の中には確かにある。

そのことにようやく気がついた。

 

外道に身をやつしたのは3年前の夏だ。

今までの記憶を抹消したうえで2012年の暮れに戻り、あの深夜アニメ原作萌え漫画存在しない世界人生をやり直したい。

千葉県は消えなくてもいい。

服を買いに行く服も勇気もない

服屋ってすごく怖い。というのも自分は今までユニクロしか服屋に入ったことがない。

ユニクロはとても便利だ。展開する店舗の多さもさることながら、店員が話しかけてこないしまず黒のポロシャツであることが多いからだ。

また地方に住んでいる期間が長かったためか、行動できる範囲の男の服を売ってる都市にもある店舗ユニクロしかなかった。

そんな自分からか他の服屋がとても怖い。自分はおしゃれでも何でもないし自分気持ちの悪いオタクであるから服なんてよくわからない。

ネットとかで「服は無難なのが良いよ」とか「自分が好きな服を着よう」書かれているけれど、まず「無難な服」ってなんだ。どれが無難なんだ。

あと「好きな服」っていうのがこれまでない人生を送ってきた残念な人でもあるのでよくわからない。これじゃあいけないと思って雑誌もおそるおそる買いに行っても、種類が多すぎてよくわからない。

とにかく実地だと思ってなんとか服屋に近づいて店内を見ると、おしゃれな客・おしゃれな店員跋扈しており脳がパニックになってしまうつむいたまま通り過ぎる日々を送っている。

こういう服がよくわからないとか単純に服屋に近づく勇気がわかない臆病ダサ者に本当に一から教えてくれる何かサービスや本はないんだろうか。どれも脱初心者レベルに見えてきて本当に生きづらい。

まあかっこいいおしゃれな恰好をしている自分なんか気持ち悪いと思っている節もあるにはあるんだけどね。

[]

http://anond.hatelabo.jp/20160529184351

ひさしぶりのポエジー。

書き手の「私」(女と思われる)の部屋に、

ある日小さなおっさんが現れ、

不思議な同居生活が始まるというお話

おっさんは部屋というよりも、

「私」の心に住みついた同居人である

おっさんとの交流を通して、

「私」は人間的に成長してゆくのだろう。

おっさん

私の部屋には一人の小さなおっさんが住み着いている。

ある時、タンスを開くと私のパンツをかぶって寝ていた。違う日には洗濯機と壁の隙間に入り込んで丸くなっていた。冷蔵庫の中で震えていたり、歯磨き粉を出したら一緒に出てきたこともあった。しかし、私がおっさんの姿を見つけると慌ててどこかへ消えてしまうので話したことはない。

ある日、部屋のエアコンの上に、見知らぬ段ボール箱があるのに気付いた。脚立を持ってきて調べてみると、小さな入り口が開いていて、中で体育座りしているおっさんと目が合った。私が覗いてもおっさんはどこ吹く風で、その様子はまるで終の住処を見つけたと言わんばかりだった。

それ以来、おっさん段ボール箱に住み着くようになり、私の姿を見てもどこかへ消えることは無くなった。

おっさんほとんど一日中彼の家の中で寝ていた。

時々どこかへ出かけているのか、姿が見えないことがあったが、帰ってくると決まっておっさんの家の中にちゃぶ台や座布団や畳が増えていた。いつの間にか小さなテレビ冷蔵庫であるようになり、少し経つと普通の家と変わらないような内装になっていた。しかし、寝る時は相変わらず私のパンツをかぶって寝ていた。きっと気に入ったのだろう。

おっさんは今、家の中で小さなテレビを見ている。ちゃぶ台には缶ビール枝豆が置いてあった。最近毎日テレビを見て酒を飲む生活をしているようだ。暇じゃないかと思うが、これがおっさんにとっての幸せ生活なのだろう。

今度日本酒でも差し入れてみようと思っている。喜んでくれるかな。

旅とは人生である、のところがちょっとよくわかんなかった。

はてなの主力商品はてサ

この日本最高峰知的サークルに参加できることがはてなをやって得られるプレミア

知的」の定義を狭く取ればほかにも色々あるだろうが、モラル、エシクス、ウィズダム、インフォメーション、インテリジェンスすべてにおいて最高峰であることがはてサの特徴でありはてサであることの誇り

こういう場は日本語圏でははてなしかないし、海外を見回してもはてサに並ぶ集団なり組織なりはそうない

欠点があるとすれば、はてなをやっているのにはてサにならなかったもしくはなれなかった人々がノイズとしてどうしても存在してしまうところ

しかしそんな欠点を補ってあまりあメリットがあるからこそ我々ははてなを続けるのだ

あるセクシャリティをあげつらって

凶暴であるとか好色であるという意味で狼に例えたり、信じてはいけない、警戒しろと訴えかける歌があるらしい

しかもそれが極東の国では流行歌となり、アニメOPとして子供たちの耳にも入っているとか

もし本当ならこれは許されることではないだろう

[]ダミア

宇宙世紀190年代初頭の宇宙戦国時代と呼ばれる動乱の時代に生まれMS支援AI

当時、コロニー地球木星、いずれの集団も最早新型MS製造するだけの国力は残っていなかった。

しかし、ミノフスキー粒子の発展以降あまり重用視されていなかった、情報工学の面からMSの性能を向上を目的とし、MS支援AIの本格的な製造が始まっていた。

特に木星帝国バイオ技術と、サイド3コンピューター技術は突出しており、この二カ国のAI非常に優れた性能であった。

今回紹介する「ダミアー」は、その二カ国の技術者共同開発によるAI郡、通称ガリューシリーズの一つだ。

ダミアー」の特徴は、既存AI郡とは違い、特定MS郡、木星由来のMSに特化した支援システムにある。

通常のMS支援AIは、パイロット依存し、パイロット共に成長していくが、この「ダミアー」はパイロット依存せずMS依存している。

それは、木星MS郡が特殊だったこともあるが、何より完全なワンオフ機を支援するAIという分野が未開拓だったことへの挑戦でもあったようだ。

特定MSに特化した、MS支援AIという発想自体は悪くなく、事実ダミアー」の量産により、木星防衛軍任務成功率は格段に向上した。

しかし、MS支援AI全般問題でもある「デバイス操作を委ねられるパイロット」の少なさ自体は、以前として解消されていない。

確かに支援AIにより、任務成功率という観点では向上しているが、パイロット精神的安定性とも言える指標値は下がってしまった。

これは、時に人を殺す事を躊躇しないことが求められる戦場において、自分意志ではなくAI意思が加入することへの嫌悪感にあると言われている。

宇宙世紀170年前後に見られたニュータイプでもサイキッカーでもない、新たな人類可能性として持て囃されたデバイスを高度に操れる人種も、またニュータイプサイキッカーのように何時しか廃れ、ごく一部稀に見られる兵士の一要素でしかなくなっていた。

宇宙世紀が始まって200年という節目が近づいてもなお、人類革新人類進化、というお題目言葉が大きすぎるのだろう。

だが、モビルスーツではない新たな機動兵器マン・マシーンと呼称されるらしいが、詳細は不明)を開発している集団があるという噂もあり、この動乱はまだまだ終わりが見えない。

そんな我々を、AIであり、人類が作った存在である彼女たちは、どう思っているのだろう。



なお「ダミアー」を始めとするガリューシリーズには、通常のマスターとして使えるパイロットの他に、

アークマスター」と呼ばれる、ガリューシリーズAI共通して信奉する人物が存在する。

アークマスター」はガリューシリーズ以外にも数多くのAIの開発に携わっており優れたAI技術者であると同時に、優れたMSパイロットでもあったため、AI戦闘教育する過程で、そう呼ばれるようになったらしい。

そんな「アークマスター」が最初製造したAIが、愛らしい少女の姿だったことが、今もなおMS支援AIグラフィックがそのような少女の形をしていることの由来である

私はヘイトスピーチ制限することには賛成である

それは、ヘイトスピーチをしない自分にとっては直接害がないどころか、社会的軽蔑されてんだろーなと思う自分はいくらか守られるから

それはさておき、今現在その心配はないとはいえ、ヘイトスピーチ制限拡大解釈をされると、問題のある権力者政治への批判が許されなくなるという恐れがある(まあ、杞憂だと思うが)。

どの辺が規制対象になるだろう?

集団で個人を攻撃していたら?

集団集団攻撃していたら?

大人がこどもを攻撃していたら?

こどもが大人攻撃するのはいいのか?

仕事や授業に差しさわりのある攻撃なら?

体や心に傷を負うほどの攻撃なら?

内容が個人攻撃のようだったら?

毎日のように中傷を行っていたら?(週に一回のペースならいいのか?)

内容が第三者にとって支離滅裂だったら?(正しければ中傷していいのか?)

ともあれ、

強い立場から弱者一方的攻撃できるようなものが優先的に取り上げられるものではないかなと思う。

心に一生ものの傷を負わせかねない上に発言者はなんの咎も負わないというのは問題があるので、過剰にならないように気を付けてヘイトスピーチ制限してほしい。

この記事のように匿名一方的に書くのも道義的にはよくないかもしれないが…。

でも、匿名での発言自由はあってほしい。中傷には使わないから。ああ、おのれの矛盾

演劇を観てきた

劇団俳優座の「反応工程」というお芝居を観た。

終戦間近の軍需化学工場学徒動員されていた若者たちの話である

SEALDs代表やT―nsSOWLや山田洋次が共同代表をつとめる反戦劇とあって、会場の白髪率は異常に高く、アベ許さないと書かれたカードカバンにつけた人もちらほら。

けれどわたしは何も知らずただなんとなく観劇した。面白かった。映画小説アニメ漫画やいろいろ見るけどその中でも特別素晴らしいと思った。


反戦ビジネスの都合だろうと思った。

ファンタジーのふりをした戦争物やSFもののふりをした恋愛ものはよくある。宣伝文句と実際のテーマが違うのはむしろデフォだ。

イラク戦争の時もミュージシャンが曲を作ってテレビに取り上げられてたし、「反戦」というわかりやすお題目で客を寄せつつ好きなことを表現するんだろうと思っていた。

演劇の内容自体はそんな偏りがなく、そもそもエンタメとして完成度が高かったからだ。


ところが実際は違った。完全に左翼による左翼のための芸術だったのだ。

役者も裏方も一致団結して反戦という表現に取り組んでいたのだ。

役者自ら戦争法案反対デモ等に参加し、劇のビラを配った。そういう左翼的表現活動を真面目にやる世界があると初めて知った。

違和感を持ったのは芸術の扱われ方だ。わたしは今まで芸術には受け取り手自由があるもんだと無意識に思っていた。作者の意図を一応汲んだ上で好きに解釈する自由

だがあの劇は作る側も反戦、中身も反戦、受け取る側も反戦でそれ以外はなかった。

そんな芸術があるということも初めて知った。


T―nsSOWLの高校生役者と同じ壇上に上げられて、ちやほやされて、利用される光景も直に見るとなかなか辛かった。

さっきまで体育祭をやってたとかい赤ん坊みたいな顔した子供が、報道陣を呼び集客までやったという。

学徒動員あんたらのやってることと何が違うんだよ…


いろいろとショックだった。わたしはもう反戦劇を観ないかもしれないが、日本左翼のある限り客足が途絶えはしないだろう。