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2016-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20160727105158

現状、幸福でない当人事情は色々あると思うけど

要はその結果、自分以外のみんなが幸福になることが何が何でも許せなくなった人たち

本心である幸福者への暴力性」を隠してくれて、

何なら「君の思いは正義だよ」って気持ち良くしてくれる看板が、反○○なんだよね

医療大麻について

それがベターであると思われる患者さんが使う事になんの引っかかりも無いのだけれど。それを応援しているとネット公言している人の顔ぶれを見ると、不安を掻き立てられて仕方がない。

意識が高くなって何かと交信ちゃうみたいな変にスピリチュアル系だったり、政府製薬会社陰謀やらを熱心に説いたり、放射能の害に効くみたいなヨタ話をリツィートしたり。「あぁ、苦手だなぁ…」と思う系統の人が、検索すると大量に出てきて「やっぱり正面切って賛成とは言いづらいなぁ…」といった方向に傾いてしまう。

医療大麻を梃にし好品の大麻解禁まで進めたいとでも思っているのかな?

この本の序章も読まないと誤解を生む

序章より

日本場合インフレターゲット論の問題点は、それが短期的に間違った変数に注目することにあり、そのため金融当局

間違った戦略を長期にわたって推進することになる。



金融政策は実質金利インフレターゲット論者はこれに注目する)よりも、むしろ信用のアベイラビリティ(可用性)を通じて

景気に影響を及ぼすのである金融当局が景気をどの程度刺激しているかは、今現在の実質金利(あるいは長期実質金利)より

も信用供給の拡大に注目したほうが正しく測定できる。金融当局が信用のアベイラビリティに影響を及ぼす方法はいくつもあり、

これらの方法金融政策の中心に据えられるべきである


http://anond.hatelabo.jp/20081119203650

anond:20160727122235

損害賠償民法でいう)は他人の「権利」を侵害したもの賠償せよという。

709条

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%B0%91%E6%B3%95%E7%AC%AC709%E6%9D%A1  より引用

故意又は過失によって他人権利又は法律上保護される利益侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 

この場合他人はだれか。教授じゃなくて大学です。ヒーターは大学の所有物です。

大学授業料うけとって学習させてるんだから織り込み済み。

その大学側の人間である教授が適切に対処します(大学から研究予算を采配する役目を託されている人=教授)。

行人あなたから金をうけとったり払ってるわけじゃないから、なんの「織り込み」もないですけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20160727112744

正直発想が突飛すぎてマジレスするの馬鹿馬鹿しいんだが、正義とか悪とかって論者の立ち位置コロコロ変わる概念であるってことに気がついていないか意図的無視している奴がやたら多いのがこういうことを言いだす奴から悪臭が漂う原因になっていると思った。

この世に悪があるとすればそれは人の心だ。

周りの人がどういう属性持ってるかとか考慮することができない

友人と食事に行った。

トイレ行くために席を立って、戻ってきたら話題が『大学教授になるのはどのくらい難しいか』という話だった。

噂で聞いたことがあったので、席に座るなり自分の知っていることを一通り話した。

Aちゃん「さすが増田ちゃん詳しいね。Bちゃんのところはどんな感じ?」

Bちゃん「そうだね~」

そこでBちゃんとBちゃんのご主人が大学助教であることを思い出した。

Bちゃんの話は私が話したものとまったく違った。



周りの状況を見ないで、自分の知識ばかり話す癖を直したい。

ひとしきり話した後で、その道のプロがいるパターンがよくある。

料理の話になる→ネットで見たレシピについて語る。「料理レシピを見ればわかる。わざわざ習いに行く人はただの道楽」→その場に料理教室主宰している人がいた

スーパーの話になる→小売(スーパー業界について語る「現在はA社が一位なんだよ。さすが品揃えがいいよね」→B社の社員がいた「それは○年前で、今はB社が一位なんだよ~」



お見合いをして知り合った男性家電量販店に行った。何かのはずみで二人とも電化製品が好きだということがわかったからだった。

私は、近づいてきた店員とひとしきり話をして

「まぁ、この商品費用対効果があわないかダメですね」

と言った。たいていの店員は『費用対効果』というワードを出すと黙る。

それを見ていた男性は微笑んでた。私の交渉に感心しているのだと思った。

翌日、男性からお断りの連絡が入った。何がいけなかったのか散々考えて男性家電メーカーに勤めていることを思い出した。

昨日のは微笑みではなく、苦笑いだったらしい。

増田が一番真面目すぎるのではないか

http://anond.hatelabo.jp/20160727001746

を読むと、研究室によくある光景が描かれていた。

しかしながら実験器具を壊すことも、それを弁償しろ!と怒る指導員がいることも、それがブラフであることも、

学生が弁償しますと反省の意を示すことも、実際には弁償しないこともすべて「稀によくあること」だ。

こんなことは教授にとっては「またか」と思うだけの案件であり、研究室にいればそんなことは想像に難くなく、

それをせずに同僚に激昂する増田が一番真面目すぎるのではないだろうか。

自分が同僚なら、同じ状況ではHを慰めるような言葉をかけるだろう。

実験をする以上、器具が壊れるのは防げない側面もあるわけで、それを弁償するというポーズをとっているだけだとしても反省としては十分だ。

彼がやるべきことはやっているわけであり、そこから彼を追い詰めるのは、あなたの言う「融通が利かなかったり,他の人に不憫な思いをさせてしまう」行為に他ならないと思う。

いずれにせよ、メールを受け取った教授はHのことを面白い人間だと思っているだろうし、

そんなことで深刻に悩んでしま人間だと教授評価しているのであれば、それこそ増田人間関係シビアに考えすぎだろう。

 

そして、率直に言って、増田が怒っている理由が私には理解できない。

おそらくHが、増田の中での「すべきでない」行動を行ったという、理想との乖離あなた感情的にさせているのではないだろうか。

それはいたって真面目で独善的な考えであり、あなた言葉引用するなら、「その真面目さは何かが歪んでいる」と思うのだ。

日記が書かれたのが深夜であることから増田はおそらく疲れているのではないだろうか。

疲れが正常な思考を妨げ、突発的に怒ってしまい、実はその理由というのは後付けなのかもしれない。

から考えたら論理的でなく感情的な私憤だったということはよくあることだ。

いずれにせよ大した案件ではないと思うので、肩の力を抜いて、少し休息をとってみてはどうか。

 会社をさぼった。仮病で。1日分の給料8400円が無くなるは正直痛いが、怠かったのだ。仕方がない。

 言い訳をするつもりはない。これは良いことではない。が、体だけでなく心の疲労度も考えねばならない状況なのである

 というのも、転勤先のここでは基本的に1人ぼっちであり、会社では10個近く年の離れた人間しかおらず、やはりここでも1人ぼっち。これでは本社で同期達と愚痴を言いあい、励ましあってきた状態よりもストレスたまるのは当然である

 だから週休2日では足りないのだ。たま1日~2日は休日を追加せねばなるまい。

 今日1日を休んでみてだいぶ気が晴れた。明日からまた耐えられそうである

http://anond.hatelabo.jp/20160727041007

IEでだけ動かない」および「IEしか動かない」ではてなの一大勢であるSEは苦しめられてきたし、今後も苦しみ続けるのだろう

ここ数年はスマホ対応のが面倒だったりするけど

リテラサイゾーでありnetgeekとか2chまとめサイトと同程度のメディアであることは、はてなー常識として周知していきたい

犯罪者ほとんどが男であるという事実が怖い

女性だけの世界なら平和なのに男が戦争したり環境破壊したり搾取したり社会破壊してきた

女性人生はほぼ男に邪魔されるので男に比べてハードモード

ファンのあれこれ

最近、あるメンバーファンTwitterでの呟きが少し引っかかる。

メンバー最近○○くんに(だけ)冷たい」

メンバーが○○くんが喋ってても遮る」

メンバーもっと○○くんのことを理解して頑張りを広めて上げるべきだ、頑張れメンバー。」

「○○くんを除いて仲良しみたいに見える」

「どうしてもっと〜…」

「どうして○○くんが□□って言われてるときに笑うの?理解できない」

「☆☆くんや◇◇くんが居た時は○○くんの頑張りを評価してくれた」

挙げるとキリがない。

メンバーメンバーメンバー

貴方が好きになった人はそんなに代わりに誰かを下げた評価をしないと輝けない人ですか?

ファンの目の前で、評価して貰えないとダメな人なんですか?

彼は確かに「承認欲求」が高い人だとは思うけどファンがいるところ、ファンが分かるところで「おれのこと評価して」「もっとファンの前でおれのことほめて」って言ってたら精神年齢かなり低くないですか?

他のメンバーに「しゃがれ」とか散々言っているのを見る度に私は内心ヒヤヒヤして少し、傷ついてたし、言われた彼がちょっと悲しそうに笑う姿を何度も見たけどそれは覚えてないのかな。

私は関西人から好きな人オチとして扱われていたら「オイシイ!」って思う。

(関西人で違う意見をお持ちの方がいたらすみません)

「やめてよ、○○くんが可哀想

っていう意見も分からなくはないけど、今ここでオチとして扱われることで次のお仕事に繋がることもあるんじゃないかなと思います

そりゃたまには見てるこっちが心配になるときもあるかもしれないけど、本人が「僕傷付きました」とは言ってないならそれは「頑張れ」、いま頑張ってるんだろうね、でもいま私はこれ以外にきみを励ます言葉を知らないよ、って。「頑張れ」って応援します。

話してるのに遮られてたら

「あっ、今の話面白くないやつなのかな?」「スベる前にカットインしてくれてありがとうメンバー

って思う。「いやそれ面白くないからでしょ。仕方なくない?」って思っちゃう…私だったら。

テレビ番組とかってファンじゃなくても楽しめるものにしないといけないからできるだけ面白いトークをしないといけないと思うんです。「○○くんの話が聞きたい!」その気持ちも分かります。でもファンならその番組以外でも聞ける、ラジオ等。

「裏方として頑張ってる○○くんのこともっとメンバー評価するべき!」

って意見。そうだね、評価してあげるのも大事、でもそれって評価したらメンバーかなり上から目線に見えませんか?

あと、私は裏方として頑張ってくれてる○○くんの事、『‘‘自ら”裏方のお仕事も率先してやってくれている』という認識なので「おれ、裏方やるから!頑張るからほめて!」ってそういう意識でやってるとは思ってません。彼はプロなんだから

褒めてほしくてやってないでしょう?

きっと。


○○くんを除いて仲良しに見える?

アイドルメンバーとずーーーーーっと仲良しこよしして横一列に並んで歩んでいかなければならない?

「ほら、俺らちょっと先に行ってるからお前も後追いかけて来いよ!」って切磋琢磨しながら進むアイドルダメなのかな。

あと、「○○くんは純粋アイドルなのにこんなことさせないで!そんなキャラじゃない!」って何?誰の中のイメージ

キャラクターを掴もうとして頑張っている彼に、自分の中だけのイメージをぶつけて「違う!」ってちょっとひどいなって思ったりもします。

今はアイドルという肩書きだけじゃやっていけなくなっている。アイドルということ以外に何か個性や魅力がある方が仕事に繋りやすい。

今、活躍しているメンバーは、

アイドルであること以外の武器を身につけていて、彼もそれを感じ取っていて、新しいキャラクターを見つけようと必死に、前を行くメンバーに追いつくように頑張っている。のにファンからは「違う」と言われる。

他のメンバーと比べられて「他のメンバー中途半端アイドル以外の仕事をするな、本職の人に失礼だろう。○○くんを見習え。」って、自分ファンが書いてる。

私がアイドルなら、○○くんならこんなことを自分ファンが書いてるって知ったら恥ずかしいし、メンバーのことを悪く言われてたりしたら悲しい。

もうアラサーで、10年以上一緒にいるメンバーと「仲良くしろ」って、もうすこしアイドルの仲良し文化自由があってもいいんじゃないかと思います

メンバーが○○くんのことを尊敬してないと思いますか?尊敬できないってグループを抜けた人もいたね。でも今ある4人は尊敬できるから残ったんじゃないの?尊敬できないならその時に抜けてるんじゃないかな。

「抜けたメンバーグループにいたときは○○くんのこと評価してくれた。」って。

そう思うなら文章そっくりそのまま手紙に書いてファンレターでも書いて送ればいいんじゃないかな。

今、頑張ってる彼の頑張りを潰すのが彼本人のファンだなんて本末転倒じゃないのかなぁと。


羽ばたきたいって思ってる鳥が、かわいいかわいいって鳥カゴの中で可愛がられてるだけじゃ羽ばたけない。

羽ばたいている鳥に 鳥カゴのなかで頑張って羽ばたこうともがいてる鳥のこと褒めてあげなよ!そしたら羽ばたけるでしょ!って、違うと思う。

障害者について

眠れないから書く。




最近まで知的障害者って怖いと思ったことがなかったので、

少なくとも大学時代に堂々と人前で「怖いよね」と言われたときは心底驚いたし、

いまだにそのことが街で障害者にあうと思い出してモヤモヤしてる。



母の友達知的障害者の子どもがいる友人がいたので幼稚園の頃からわりとそういう子もいるんだなぁって思って育ってきた。

気持ちいから鼻かめよ、とか最初は思ったけど、

そのうちその次元を超えて、存在するんだ、だから共生はしていかないとね、ぐらいの感想

小学校でも軽度の知的障害者クラス一緒だったし、縁が深いのかな?



大学時代浅野県知事時代仙台市居住

施設から障害者も街中へ出よう的方針福祉施策を行っていて、

軽度の知的障害者視覚障害者普通に地下鉄バス通学通勤してて田舎から出てきた自分カルチャーショックを受けた。

都会スゲーノーマライゼーションすごいと思った。いい意味で。

で、そのことを一緒に帰っていた大学の友人に話したら、

「でも怖いよね!」

という返答が帰ってきて、これまたカルチャーショックを受けた。

そういう風に感じたことなかったし、それって堂々と言っていいんかい?っていう驚きみたいな。



で、その後大学時代子どもが障者者って人と知り合いになったけど、

人間そんなに優しくないからね

と言われたのが印象的だった。

宮城の山の中の隔離された障害者施設を閉鎖する方針を打ち出した時、

障害者家族が猛反発したニュースが流れた時、もちろん仕事の兼ね合いなどもあるんだろうけど、

こういうことか、って思った。世の中、障害者には厳しいんだな、と。

で、田舎の家帰ってきてそのことを姉に話したら、

当たり前じゃん、だって怖いもん

という答えが帰ってきて、そういうもんなのかー、とびっくりしたのも想い出である



障害者地域社会にいるということがいい意味ですごいね、と思うような人間だったので、

精神障害者への偏見もあまりなかった。メンタルクリニックへの偏見も。

なので、自分精神疾患にかかった時、迷わずひとりですぐに精神科病院に行ったんだけど、

あとで姉に聞いたら、

精神科病院って微妙、とか、

メンヘラメンタルクリニック市民権得たのは最近だよ(だから少しは後ろめたくなれ)

みたいなことを言われたのだよね。

自分としては、中学校の頃からカウンセリングルームもあったし、そこに通ってる同級生もいたし、

精神科に通うのはその延長だな、ストレス社会だし病気になったら病院行くの当たり前だよ

って思ってた。

でも家族というか世間認識自分認識はだいぶ隔たりがあるんだと、色々感じた。




で、2年前、電車に乗っていた時、ひとりの精神障害者パニック起こして電車の壁をたたき出したり、

別の精神障害者が大声で笑いだしたり空語したりしたもんで、

はじめて、障害者って怖いんだなぁッて思った。

自分精神疾患なので、障害者全部が怖いわけではないって知ってるけど、

薬が効いていない患者は怖いんだなぁって心底思った(なんでそんな患者電車に乗せてるんだよドクター!とも思った)。



自分病気もあるし、障害者だって普通に暮らす権利あるだろって思うのと同時に

怖いよねと言った、大学時代の友人や姉の気持ちもわかる。今は。

なんか感情が板挟みなんだけども、生きることや生きる権利っていうのは

感情を超えたところにあると思うので、

昨日の事件を見て、障害者が苦手っていう人がいるのも認めるけど、

何も殺すことないだろ

っていうのが正直な感想



あと、精神疾患偏見持っている人って、自分精神疾患になった時、

自分病気を認められなくて病院行けなくて、

症状が悪化してから行く、みたいなことあるから偏見持ちすぎてる人って損だなって思う。




これから障害者雇用も増えていくだろうから

社会の中で摩擦も見られるようになるし、受容も見られるようになるんだろうな、ッて思う。

いい方向に行けばいいんだけど。

時分の障害者怖い、と言う感情も少しは和らげば良いのだけど。

相模原事件で思うこと

大麻のせいか人格障害か分からないが、措置入院するような問題を抱えていた人間が、親と同居するという条件で退院したにも関わらず、実際には同居していなかった。

まり保護者家族がその責任果たしていなかった。

そんな家族を持つ男が、医療行政と繋がり、施設にきちんと入居させ、定期的に会いに行っていた家族を持った人達殺傷したということだ。

当人家族現在障害者精神疾患を抱えた人に対する最低限守られなければならない決まりを守っていなかった。

そんな人が現在障害者福祉行政異論を唱えて私刑を実行するなんて筋違いも甚だしい。

そんな彼にもこの国は人権尊重した扱いをする。

心身耗弱や心身喪失なら、彼が嫌っていた障害者として医療行為福祉対象になるし、そうでなくても刑務所に服役する。

どちらも多大な税金がかかる。

彼の理屈だと無駄なはずである

死刑になる可能性も高いがそうなると死刑執行されるまでは、労働などもない。

そんな彼の為にどれだけの人的、金銭的な負担社会がするのか?

このことを彼にしっかり教える必要があると思う。

彼の考えは矛盾しているが、そもそも税金を使って無駄に生きていると考える対象である人達のお世話をして給料をもらい(その給料には介護保険などの税金が含まれる)、やめさせられたらそれが気にくわないと言うこと自体支離滅裂ではある。

障害者安楽死させて彼らに対する福祉をやめてしまったら、彼のやっていた仕事はなくなるのだ。

自分の主張が実現して仕事を失う分には良いが、障害者福祉が有り続けていて自分がその無くなれば良いと思っている仕事を失う場合は許せないと言っているわけだ。

ちゃんとこのことを彼に突きつける必要があると思う。

相模原事件人権意識


朝、相模原事件ニュースを見て目を疑った。

酷いニュースなのはもちろんだが、それよりもっとおかしいのはマスコミ報道姿勢



一通り事件について報道した後、オリンピック都知事選話題に何のためらいもなく移っている。


19人も亡くなるという戦後最悪の殺人事件であれば、即特番が組まれるべきで、他にもバラエティ番組を延期するなど何かしらの自粛ムードが起きても不思議じゃない。

政府対応も同じで、首相役員会で簡単声明を発表するのでなく、きちんと映像付きで被害者と遺族の方へのご冥福と、事件真相究明について語って欲しい。



その一方で、なぜアメリカケリー国務長官プーチン大統領映像付きで今回の事件に対し迅速に声明を発表しているのか、なぜ日本より海外メディアの方が大々的に報道しているのか。



ひとつ仮説を立ててみた。

海外では障害者の方も「当然」人権を持っているという意識根底にあり、健常者だろうが障害者だろうが19人の人命が失われた事実フォーカスし、同じように報道し、哀悼の意を表するのに対して日本人はもしかするとその意識が欠けているがためにこんなに軽いマスコミ政府対応になっているのではないだろうか?



プロテニスプレイヤーフェデラー言葉を思い出した。

http://grapee.jp/14951(より引用

日本記者ロジャー・フェデラーインタビューしたときに「なぜ日本テニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。

するとフェデラー

『何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!』

と言った」



という内容。

これだけで全てを判断することはできないが、日本人障害者を軽く見ているというひとつの例ではないかと思う。少なくとも欧米よりは。



障害者だけでなく、社会的弱者全体への意識が低くなっていないだろうか?風当たりが強くなっていないだろうか?

マスコミ民意の鏡である」という言葉があるが、まさにこのマスコミ報道姿勢自分たち障害者社会的弱者に対する意識を現しているものだと思うがどうだろうか?

[]サイト単位スパム対策必要

IP偽装してサブアカウントフル動員してブックマーク

そのアカウントを捨てまた別IPサブアカウントフル動員でブックマーク

6ブクマ単位で実際増やせる。

依頼サイト互助会必要ない簡単ホットエントリー入り。



すべてのブクマの新しい方を見てもらえばわかるが、

http://b.hatena.ne.jp/entry/spotlight-media.jp/article/304114885455366584

法則がわかるだろうか?

人の名前数字の組み合わせが密集しているだろう。

全員がそうとは言い切れないが、このタイプアカウントを捨てず継続的にバレないよう少数ブクマするタイプである


次にこのエントリー

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.youtube.com/watch?v=Ir8xLSoz8VI

この法則はわかりやすいが、

6文字の人の名前+かぶらないように数字をどこかに入れる+あとで読むタグ

このアカウントブックマーク数を見ればわかるが、

先ほどと違い継続的ではなく短期集中型である


出現頻度が少ないが

http://b.hatena.ne.jp/entry/baito2ch.com/332

ランダム数字適当タグ

このタイプは2番めに比べれば頻度は少ないので被害は少ない。



厄介なの2番のタイプで春過ぎからずっと運営対処のしようがない状態が続いている。

私も報告はし運営アカウント停止をしていたのだが、次から次へ湧いてきて私は諦めた。

そもそも2番のタイプは目立つ代わりにアカウントを維持する必要がない、そして対象ブーストできる。

ともあれわかることは個人で簡単に持ち上げれることだ。


気づいてから折れるまでアカウントメモしながら運営スパム報告してたが、

運営としても誤判定で事故になることは避けたいので停止にならないタイプはある。


1番目は一日のブックマークが少なく継続してるため基本停止にはならない

2番目は短期型かつタイミングも重複しやすいので停止にはなってるが意味が無い。

3番目はブックマークから捨て覚悟っぽいのだが、ブクマ時間ずらしと無関係タグ付けのおかげで停止にはなってない。


Twitterでもそうだがアカウントに対してのスパム対策無意味時代遅れ過ぎる。

2016-07-26

なぜ書いていたのか

以前、3日に一回程のペースでブログを書いていた時期があった。

当時は慣れない土地一人暮らしを始めた時期で、その時に書いていたのは自分のなかのドロドロしたものや、自分の中で処理しきれない葛藤を書いていた。

ドロドロしたもの葛藤と書いたが、要は自分の置かれた境遇に対して一方的被害者面をしながらひたすら周囲への恨みつらみを書いていた。

今思い返すとその時の自分は、自分の身の周りを取り囲む環境や、さらにその周りを取り囲んでいる社会というものを、何か得体の知れない怪物のようなものだ、というイメージで捉えていた。

そしてブログ文章を書くことで、その怪物とどうにか闘っていくのだ、と当時の自分は考えていた。





その後所属する組織が変わることで、社会から隔離されたような不安定身分から、それなりに安定した社会的身分を得ることが出来て、プライベート人間関係でも新たな要素が加わったりするなど、公私ともに安定した生活を得ることが出来たが。その一方で、ブログを書くという習慣はその頃から無くなった。

特に大きかったのは、プライベートできちんと話を聴いてくれる人が出来たことで、それ以来ブログを書きたいと思うことはほとんど無くなった。

自分が何かを悩み始めれば、電話なりLINEでいつでも聴いてくれる人が出来たので、1人で悶々としたものを内に抱え続ける必要が無くなった。




ただそれだけの話なのだが、当時の自分、血を滲ませるようにブログ文章をつづっていた当時の自分はそれを聞いて納得するだろうか。

社会対峙するつもりでブログ文章を習慣的につづり続けるという行為は、公私の生活が安定し始めた途端に消滅してしまったのだと当時の自分が聞いたらきっと、じゃあ自分自分なりに誠実に書いていたそれらのものは一体何の価値があったのだ、と感じて悲しくなったり、社会的身分が安定して私生活が充実したからといって、ひとりで世界対峙する思考を捨ててしまったお前は腰抜けだなどと今の自分のことを責めるだろう。

当時の自分は、周囲への怒りを原動力にして自分を取り巻く環境社会糾弾し続けることが状況を前進させるのだと思っていたし、それが社会にとっても有意義なことだとさえ思っていた。




あのときブログ文章をつづることがいずれ、この境遇から少しでも自分を進ませることにつながる、と考えていた。

あるいはブログ文章をつづることは、このクソ現実を変えるための有意義行為であるかのようにすら感じていた。

それは有意義もなにも、自分が辛いのはこの世界を作ったお前らのせいだ、と自分が苦しいのを自分を取り巻く環境のせいにすることでしかなかったのに。




当時の自分は、自分が辛い状況に置かれることになった大本の原因は自分を取り巻く環境社会にあるのだ、と決めつけていた。

そしてそういう思考の枠組みが、単なる思い込みであることに気がついていなかった。




今振り返ると、当時の自分は、自分を取り巻く世界自分自身とを対立させてしか物事を考えることが出来てない。

社会vs自分、という構図でいつも物事を考えていたし、その二項対立に固執していたのだと思う。



そしてその二項対立から導き出される「社会」というものは、現実自分身の回りを取り囲む、顔の見える範囲での人との関わり方というものから乖離した、自分の頭の中だけで作り出されたものだった。

現実自分の周りにいる、顔の見える人たちとの関わり方に対して責任を果たそう、という考えを持つことは無かった。

そして現実に実際の人々と関わりを持つことを避けてきたために、自分の頭の中で「社会」というものは、ひたすら暴力的衝動に突き動かされて自分のことを搾取する理解不能怪物のようなものだ、という考えばかりが占めるようになった。



そもそも当時置かれていた環境は、今思い返すと、そんなに思い悩んで苦しむようなものだったのかすら怪しい。

一人で勝手に苦しんで、一人で勝手に状況を悪化させていただけだったように今は思える。




当時の自分はどうしてそこまで頑なに自分世界から切り離して物事を考え続けていたのだろうか。

どうしてそのような二項対立は公私の生活が安定することでいとも簡単に消し去ったのか。




けっきょく私は、自分の周りの世界に対して、どうして自分の欲求を満たしてくれないのだと怒っていただけなのだと思う。

どうして自分の欲求に沿った環境を用意してくれないのだ。どうして皆もっと私に構ってくれないのか。そう思っていた。





いくつかの偶然と幸福が重なって、私のその欲求のいくつかは叶えられた。欲求が満たされない頃は赤ん坊のように泣き喚いて不満を表明していたが、腹が満たされオムツを替えられると、また母の胸の中ですやすやと眠り始めた。




から、あぁそうだ、自分たまたま幸運が重なって、母乳で腹を満たされ湿ったオムツも変えてもらえたから、それで泣き喚くのを止めただけなんだ。





たまたま欲求が満たされたから、母に対するギャン泣きを止めただけで、決して自分の足で歩き始めたわけではない。




いま腹いっぱいのうちに、母がいなくても大丈夫なようにひとり立ち出来るようにすることが、今の自分がするべきことだ。

怖がっていたこともやってみたら案外平気だったという話

2ヶ月前から上司への対応を変えた。

それまでは指示がコロコロ変わろうが勘違いで怒鳴られようが平謝りしてきたけれど、ある日堪忍袋の緒が切れて上司に噛み付いた。

上司職場内で絶大な権力を持ち、社長であっても口出しできないくらいのポジションである

もともと感情的な人だったので、発狂して椅子でも振り回すのかと思ったら、意外にも最後は私に謝って来た。

それ以降、何か言われても上司に非がある場合はあまり謝らないことにした。

そういう時は怪訝な顔つきをしながら、何を言ってるのかわかりませんと答える。当然上司は怒るが華麗にスルー

一度上司の態度がどうしても気に入らなかったので退職届を叩きつけた。

上司自ら説得に入られたが、心を入れ替えて頑張る気はないのかなどとぬかしてきた。お前が入れ替えろ。

結局退職届受理されず、同僚の説得もあって仕事を続けることにはなったんだけど、そこで考え方が完全に変わった。

上司に逆らった末路を考えるとして、自己都合よりは失業保険が早くもらえるわけだから上司を怒らせない理由がまったくなくなってしまった。

業務遂行する上で上司を気にかけなくなったので、以前より怒鳴られる頻度は増しているがあまり気にならない。

仕事は大抵はかどるし、上司の機嫌が原因で止まるならそれは上司が悪いのだからと思うと、それに対する責任感は霧消する。

個人的はいいことずくめだけど、職場雰囲気は確実に悪くなっているので、同僚に対する罪悪感は割りとある

http://anond.hatelabo.jp/20160726120055

そして、終わりのとき唐突に訪れる。

マツタケの周りを無尽に巡り、すべてのキノコが自らを今宵の主役であると誇って競い合った一夜の宴。

その宴が終局へと達しようかとした、まさにその瞬間。

舞台を柔らかく照らし出していた豆電球の灯りが不意に数回瞬いて、室内は予期せぬ暗黒に包まれた。

キノコたちの戸惑いとざわめき。

菌糸体たちの声ならぬ動揺が一瞬にして辺りに充満し、室内は混乱の渦の中に叩きこまれた。

 

始まったな……。

ボクはささくれ立ちそうになった感情を、理性と諦観によって押し込めた。

そうだ、ボクは別に大丈夫。こうなることは分かっていた。

ただ、ひとつだけ誤算だったこと。

それは、計画通りならば、いつものように就寝しているはずの彼女が、今日この日になって舞踏会存在に気付いてしまったということだ。

 

漆黒の闇の向こうで、事態が目まぐるしく変化する気配が感じられる。

貴婦人たちの悲鳴と絶叫。門番や警備兵たちの怒号と苦悶が、耳ではなく肌を通じてボクに伝わる。

10秒、20秒。……いや、数分だったかもしれない。

永遠にも感じられる長い時間が経った頃、室内はようやく静寂を取り戻した。

ボクは身動ぎひとつすることができない。

おそらくは、あの突入の瞬間までキノコたちの舞踏に見入っていたであろう彼女が、果たして今、何を考えているのか。

そして、まもなく室内が光を取り戻した後、彼女がどのような表情を浮かべているのか。

……ボクは小さく唇を噛むと、暗闇の中でなお光を拒むように固く目を閉ざして、息を潜めた。

 

ボクが再び目を開けたとき、そこはもう、すべてを覆う闇の中でも、華やかな舞踏会ステージでも無くなっていた。

かつて舞台の中心だった箱の周囲にズラリと整列させられ、太い円錐形の乱入者たちに槍を突きつけられたシメジ、舞茸、そしてエリンギ

舞台の周囲には、突然の暴虐に果敢に抗ったのであろうエノキ兵たちの傘と軸が、無残にもバラバラに裂けて石づきの上に散らばっていた。

そして、箱の上。

キノコたちにとっては玉座にも等しいその神聖空間に、彼らの王マツタケの姿は、今もあった。

しかし、そこから伸びる影は、マツタケ1本だけのものではない。

マツタケを組み敷くように、周りを取り囲む10数体の固くゴツゴツとした長身

産毛のない皮に染み付く黒い無数の斑点が、箱の上でゆらりゆらりと揺れている。

 

真竹。そして、孟宗竹。

 

彼らの革命は、今、一分の隙もなく完遂した。

ボクが彼らの企てを後押しした理由については、いまさら語る意味など無いだろう。

事態はすでに収束へと向かい始めているのだ。

キノコたちのこれからについても、もはやボクは興味を持たない。

それはとうの昔に終えた葛藤からだ。

……ただ。

こうしてすべてが終わりかけた今になって、ボクの胸に押し寄せるこのやり場のない感情は何だろう。

いや、ボクの感情などはどうでもいい。

それよりも、彼女

彼女がもしもこの光景を見て、今のボクと同じような胸の痛みを覚えているのだとしたら……。

 

背後でカタンと小さな音がして、ボクは冷えきった顔をゆっくりと動かす。

移ろう視界。回る世界

そして、振り返った先にある彼女の顔は……

我々はあの日と違ったカタストロフへの恐怖の中で生きているのだ。

もっと曖昧で、もっと複雑で、もっと緩慢としたそれが絶えず我々にうそぶく。人はもう終わりなのだと。

30年。終わりなど来ない。しかし終わりはその幻をチラチラと我々に見せつける。煙のようなそれを振り払おうとそれは再び現れる。より不確かな姿となって。

幻は幻故に消し去ることは出来ない。我々は幻を抱いたまま坂を転がり続ける。

劇的な終わりへのカウントダウンなどありはしない。ただ漫然と転がり続けた先に突然現れた崖の下へと、我々は落ちていくのである

メンタルクリニック医者の話を聞かない人が理解できない

友人が不眠になった。

幼少期の頃の出来事きっかけらしい。病名は聞いていない。

生活に支障が出たとのことで、メンタルクリニックに通いはじめたところまではよかったのだが、他にメンタルクリニックに通っている友人から、その薬はあなたには強すぎるとか、飲み続けると薬なしでは眠れなくなるとか、そういう類のアドバイスをされたらしい。

友人はそのアドバイスを信じて、病院を変えたり薬をすべて漢方に切り替えたりして生活している。


そして現在もまだ、不眠に悩まされている。

友人が言うには、現在眠剤を減らしたことによる反発性不眠という状態らしい。友人のように、反発性不眠に悩まされる人から聞いたそうだ。


友人の話は、彼女の友人がこう言っていた、という内容ばかりだ。担当医がこう言った、という話はほとんどされない。

私が知識のない健康門外漢であることや、あまりあれこれ文句を付けて話自体してもらえなくなるのを避けているのが原因なのかもしれないが、彼女の口から担当医に聞いたアドバイスは聞こえてこない。

そして、彼女の友人たちも、薬や病状にたいする知識はありそうだが、メンタルクリニック医者をあまり信用していないように聞こえる。


メンタルクリニックに通う患者は、なぜ医者を信用しないのだろうか。

普通風邪を引いて1週間も2週間も治らなければ、かかりつけの医者相談すると思う。友人も風邪を引けば内科に行き、処方された薬をそのまま飲んでいるようだから内科医に対してはきっと信頼があるのだろう。


けれど、メンタルクリニックのことになると、医者よりも、彼女の友人たちを信頼しているのでは? と思えるような口ぶりで話すのだ。


私はこれがどうしても納得できない。

もちろん、メンタルクリニック医者との相性は、内科医との相性よりも繊細な問題になってくることはわかる。

ただ、だからと言って医者ではなく、自分と同じ立場の友人を医者よりも頼りにするというのはすこしずれているのではないだろうか。


薬の量や内容に不満や不安があるのなら、まずは医者相談したりするのが道理なのではないだろうか。

友人の周りには、「この医者に聞いてこうしたら病状がよくなりました!」などの、進研ゼミのような成功体験を話してくれる人はいないのだろうか。


メンタルクリニックにかかったことのない私には、理解がしがたい。

無題

この問題本質は「不良債権化した人間」だ。

誰も引き取り手がないのだ。

からその不良債権家族に、地域に、国に、現場押し付ける。

そして今回の事件はその不良債権破綻して明るみに出た一例にすぎん。

認知症徘徊した老人が電車に突っ込んで家族賠償請求を受けた事件なども同類だ。

生かすことも殺すことも出来ない放射性廃棄物のようなものなのだよ。

社会リソースを食い潰し、関わる人間の全てを消耗させるだけで、何一つ生産することのない人間

ただ奪われ、疲弊するだけの対象税金や労力等を消尽しなくてはならない。

だがそんな人間でも人権もあれば選挙権もあり、生活保護年金受給権もあるのだ。

勘違いしてほしくないのは、彼らから人権を奪えという話をしているのではない。

彼らに人権をしっかりと認めるからこそ、

誰にも解決できない不良債権が生まれるということこそが本論の本質である

これは、誰かのせいにすれば何とかなるものではないのだ。

誰もこんな奴らの面倒を見たくはないのだが、見殺しにするわけにはいかない。

強力なダブルバインドがそこに発生している。

どちらも本当のことだからだ。

社会矛盾マグマの様に吹き上がっているという話なのだ

その絶望的な現実から逃げて、

弱者の味方を気取りながら「面倒を見たくない」という側面から目をそむけ、

やれ労働問題格差問題だと安易社会正義論を振り回して悦に入る連中は底抜けバカだろう。

現場いかに手厚くもてなしたとしても、やりがいがなければ働く人間は集まらないのだ。

そもそも、入居者の現場職員に対する非人権的な仕打ちの数々を意図的無視する連中も大きな問題だ。

暴力を受けたり罵倒されたりする例は後を絶たない。

カネをやるから理不尽物理精神暴力に耐えろとでも言うのか意識高い系カスどもは?

まあある意味においては、

この事件はこうしたお気楽で何も考えていない社会派気取りのバカ問題を深刻化させているとも言えるだろう。

自然環境保護は、皆の利益になる。

この2週間ほどの間、生物界隈ではとある話題で持ち切りとなっていた。

犬鳴山納涼カーニバル金魚の放流)」と題したイベント話題である

自然の川の中で金魚を放流するという行為に対し、生態系破壊するのではという懸念から問題提訴が起こったのだ。

これは各所に飛び火し、インターネットメディアテレビニュース等で報道されるに至った。

この際に、問題提訴に対してのカウンターで「環境保護人間エゴだ」という言葉が多く見られたので、

これに反論をすべく筆を執った次第である

 

エゴエゴイズム、つまり環境保護利己主義者によるものだ」との弁であるが、

結論から言ってしまえば、この記事題名の通り、

自然環境保護とは、我々人類皆の利益になるものである

 

まず前提として、

自然環境保護動物愛護は別ものであるということをご理解頂きたい。

環境保護とは、生物が生育できる環境の維持が目的であり、その後の利用を含めるが、

環境がどうなろうがとにかく動物を傷つけないように苦しめないようにしよう、というものではない。

 

生態系破壊にまつわる1例である

「ミュニル・ビラニ「私がハゲワシを慕うわけ」」

https://www.ted.com/talks/munir_virani_why_i_love_vultures?language=ja#t-283827 

ハゲワシを駆除して回った結果起きた、様々な悪影響の話。

ハゲワシは分かりやすい例だが、

生態系というものは非常に複雑に絡み合っている。

変化がどのような結末を齎すのかの予測殆ど不可能だ。

それが人類に牙をむいた時は、もう手遅れなのだ

 

生物有効利用にまつわる1例である

カブトガニ血液の利用」

https://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/kabutogani/ketueki.html 

カブトガニ血液を、人間医療に用いている話。

「ライ (ハンセン病)( Leprosy)」

http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~hoken/Shiori/91Lepra.htm

アルマジロをハンセン病治療の糸口として用いる話。

今利用されている動物も、昔は利用されてはいなかった。

現段階では利用されていない生物も年月が経てば利用される可能性も十分にある。

失ってから、役に立った可能性があると言い出してももう遅いのである

 

遺伝多様性にまつわる1例である

ホタル養殖と放流についての諸問題

http://www.tokyo-hotaru.com/jiten/report12.html

外部のホタル移入することで起こる系統崩壊の話。

ホタルはそれぞれの地域で光りかたが異なることが記されている。

「ここでしか見ることのできないホタルの光」が失われれば、

観光地としては少なからず損をするだろう。

 

これらのものは実際に変化があって初めて浮彫になったものである

そして、変化していない=安全という意味ではない。

それまで運良く変化しなかっただけで、この先どうなるかは誰にもわからない。

環境保護エゴである豪語する者は、どれほど生態系に対する理解と知識があるのだろうか。

エゴだと叫ぶ人のほうが、自分利益がなければ関わらず、利益があるなら動き出すような

エゴイズムの強い人間ではないだろうか?

自分の目先の利益の為だけに、人類全体が損をする可能性のある選択をする人こそが、

利己主義者ではないだろうか?

人間は未だ生物の全てを解明できたわけではない。

解明できていないからこそ、今あるものを残しておくことが人類全体の利益になるのである

絶滅自然の営みなので問題ないはずだ」とする人はそもそも論点がズレている。

人類が損する可能性があることを理解しておきながら選択をし、

それによる不利益を「自然とはそういうもの」と正当化する人間は、

利己主義かどうか以前の破滅主義者と言えよう。

そのような人間の言い分を聞いていては全体が不幸になるだけだ。

政府って法人化できないの?

色んな会社がさ

国家っていうポストに収まるためにそれぞれ選挙して公約掲げてさ

それで国民から認められた会社政府になるの

政府になった会社には国民から税金が支払われてそこから何%か決められた分だけ会社利益になって残りは予算になる

公共事業でできた利益会社ポケットはいるが公約が護れていないと割合削られるので利益を出すためにも公約を守ろうとする

んで任期がきたらまた選挙する

税金の額についても選挙前で決めておく

第三者監査機関として司法国会みたいな立ち位置存在する

 

司法国会政府監査機関三権分立

政府監査機関の下に実行政府である政府企業存在して任期中全うする

 

役人も全部そう、

アメリカのようにイチから総ての省の人間雇用しなおす

これでいいでしょ?

というか何で行政役人が変わらないのかが理解できない

 

だってさ、今の社会日本政府ってもう対応しきれてないでしょ?

機能的に能力も決定権も何もかも足りてないでしょ?

なら民間から本当に能力のある人間採用した方がずっと再建できるでしょ?

企業なら利益のために頑張るし

ナイスアイデアだと思うんだけどな

http://anond.hatelabo.jp/20160726173917

日本の性の「陰」の部分である夜這い」が居場所を失って

その結果、「暴走族学級崩壊」という別の形の「陰」となり

そしてその「陰」すら認められなくなると今度は「男性自然去勢」という別の「陰」に変わっていったということか

最終的に「晩婚化および少子化」という陰に代わり今に至ると