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2016-08-26

40歳独身男性の俺が生まれて初めて、うんこを漏らした。

40歳独身男性の俺が生まれて初めてうんこを漏らした。

昨日の事だ。

給料日今日の昼休み銀行から金を下ろそうとみずほ銀行ATMに並んでいた。給料日から行列が出来ている。そのなかで便意を覚えた。しか特に腹痛も無いし、腹を壊している事も無いので金を下ろしてからで間に合うだろうと思っていた。肛門括約筋もそれなりに頑張るだろうし。

それが不幸の始まりだったよ。

ATMで金を下ろしたあと、隣のビル公衆トイレに向かうのはいいが、妙に肛門括約筋が緩い。締まらない。とにかく大量のうんこ大腸を降りてくる。昨日そんなに飯を喰ったわけでも無いのに無慈悲うんこが降りてくる。

あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )

という有名なコピペがあるが、内心は(ああ以下略)と大声で叫んでいたね。

うんこを漏らした人特有の歩き方で何とか公衆トイレに入った。

パンツの中にジャンボ大福サイズうんこが落ちていた。幸い下痢便ではなかったので、トイレットペーパーで掴んで洋式便器の中に流したよ。

あとは若干汚れたパンツトイレットペーパーで拭いて、尻を拭けば良い。尻は気持ち悪いがこの暑さだし少しは乾くだろう。午後半日は絶えぬこうと思った。

しかし、不幸は終わっていなかった。足下の靴と靴の間に茶色汚泥のような物体を見つけてしまった。つまりうんこパンツの中に止まっていたのでは無く、スラックスの中を通り抜けていたのだ。

となると、スラックスうんこで汚れている事になると。スラックスを狭い個室の中でひっくり返して汚れている箇所を探し、トイレットペーパーで拭く事にした。

やっとこれで事後処理は終わりだ。

腕時計アラームが昼休みの終わりを告げた。

こんなに不幸な給料日は無い。憂鬱ながら午後の仕事を始めた。臭いで同僚にうんこを漏らした事はバレていないだろうか。とにかく憂鬱だ。そう思っている最中スラックスの右太腿とふくらはぎにベチョっとした感覚を覚えた。

すぐにトイレに駆け込んだ。もちろんベチョとした感覚の原因を確認するためだ。理由もわかっている。パンツでジャンボ大福にならずに、スラックス駆け抜けていったうんこ分身だ。俺は何ながらスラックストイレットペーパーで拭いていた。

とにかく、バレたかバレたかなかったかは分からないが最悪の1日だった。

それで何が言いたいかって?

便意を感じたら、すぐにトイレに行けって事だ。

追伸:うんこ話は年齢を書いたほうがいいようなので、昨夜投稿したものに追記して投稿しなおしました。

2016-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20160823205247

おお 藤沢数希! しんでしまうとは なにごとだ!

 しかたのない やつだな。 おまえに もう いちど きかいを あたえよう!

 たたかいで キズついたときは まちにもどり

 やどやに とまって キズをかいふくさせるのだぞ。

 ふたたび このようなことが おこらぬことを わしは いのっている!

http://anond.hatelabo.jp/20160823201538#tb

おお 藤沢数希! しんでしまうとは なにごとだ!

 しかたのない やつだな。 おまえに もう いちど きかいを あたえよう!

 たたかいで キズついたときは まちにもどり

 やどやに とまって キズをかいふくさせるのだぞ。

 ふたたび このようなことが おこらぬことを わしは いのっている!

2016-08-20

ブログ初心者心得

世の中にブログ道の種類はいろいろあって、ひとつではない。

そのいろいろとは何かというと、まずブログ黎明からブロガー歴史を学ぶということがある。

これを神ブログ学といい、その人々をアルファブロガーという。

ちなみに道とはすなわち人気ブログへの道ということである

また人気ブログの掟、定石などを学ぶということがある。

またいろいろのデザインプラグインなどを主に学ぶということがある。これをかたちから入る学という。

また各無料ブログサーバーをはじめ、手当たり次第に学ぼうとすることもあるだろう。

このほかにも、種類を細かく分けていけば、学び方はもっといろいろあるだろう。

またアフィリエイトの学というものがある。

それにもアフィリエイトの貼り方を学ぶものと、アフィリエイトを貼りたい者のためにアフィリエイトのもの講義しているものと二通りあるようだ。


ざっと上記のごとくブログ道にはいろいろあって、めいめい好む種類を学ぶにあたって、めいめいがどのようにして学ぶかが問題である

その方法はといえば、これまた教える師の思惑、そして学ぶ者の思惑がそれぞれ違うので、様々である

ブログ道を志して、学びに入ろうとする人々の中には、初めからこれぞという当人の思い込んだ方向があって、その方法当人独自に見つけるというケースもある。

しかし、それほどまで特別に思い込んだ方向もなく、方法も自ら探り当てるに至らぬような人は、ものを知った人の言葉を読み、どこから入ればよいか、初めての稽古の仕方はどのブログをまず見るべきか、あれこれ問い求める。これは世の常であるが、誠にそうあるべきことである

自分が追求したいブログ性質を正しく見定め、それを学ぶ方法を確かに掴んで、ゆくさき横道の悪い方に落ちないように、業績も早く出来上がるように、効率的であるようにと、初めからよく考えめぐらせて、学びに入りたいものである。同じく努力していても、その学びの方法によっては、得失の差が出て来ることだろう。


そうはいっても、ブログの種類はさまざまであるから特にこれをと、はたか押し付けるのはよくない。たいていは、当人みずからが思い込んだほうにまかせてよい。

いか初心者といえども、ブログ道を志すほどの者は、まさか子供のような料簡でもあるまいし、分に応じて当人の考えは必ずあろうというものである

めいめい好むこと好まぬことがあり、また生まれつき得意なことと苦手なことがあるのだから、苦手なことを努めても、効果を上げることは少ない。

またどういうタイプブログにしても、どのようにして書くかという手順を一応の理屈によって、これはこうだからと示し教えることは簡単であるが、その示し教えた通りにやることが果たして本当に良いものかどうか。それは案外、悪いのではないかブログというものは、いかベテランといえども知りがたいことも多いのだから、やはり鵜呑みは良くはなく、実は当人こころまかせにするのが一番良いのだ。


結局、ブログはただただ年月長く、止まらず怠らず、励み努めることが肝要である

学び方はいかようにしてもよいだろう。それほどこだわることはない。方法がどれほど良くても、怠って努めなければ効果はない。

また、それぞれの者の才能によって、効果は非常に違ってくるが、才能のあるなしは生まれきのことだから、手のつけようがない。

しかしたいていは、才能の無いひとにしても、怠らずに努めさえすれば、それだけの効果はあるもの

また、歳を取ってしまったひとも、努めて励めば、思いの外、効果を上げることがある。

また、暇の無いひとも、思いの外、暇の多いひとよりも効果を見せもする。


それだから、才能の乏しいこと、学ぶことのおそいこと、暇の無いことなんぞによって、こころくじけて、やめてはならぬ。

なににしても、努めさえすれば、事はできると思ってよい。

こころがくじけることが最もブログ道で嫌うことなのだ。

2016-08-07

ジェラルド・ジーメンズ寄稿 『柿と杮の違い』 抄訳

東アジアの不可解さを感覚的に理解したいのならば、柿(Kaki)と杮(Kokera)の違いについて知るのが最も近道だ。

日本人は秋になると甘味の強い「柿(Kaki)」と呼ばれる濃いオレンジ色のフルーツを楽しむ。

このフルーツを天日で干してドライフルーツにして楽しむことあり、これを「アンポンタン(日本方言知的障害者を指す)」と呼ぶ地域もある。

(日本の伝統菓子は、このドライ柿以上の甘さにしてはいけないという不文律がある)



一方、迷信深い日本人は、新築建物を建てると「杮(Kokera)」と呼ばれるモンスター駆除すると称して、何らかのイベントを催す。

すなわち、人が入る前の建物には必ずコケラという怪物が住み着くので、これを多数の来客者による迫力で追い払おうとするのである



私たち西洋人には、この Kaki と呼ばれる漢字と、Kokera と呼ばれる漢字は全く同一に見える。

しかし、高度な形象文字文化圏の住人である日本人には、これらの文字は全く別の文字であることが明らかだという。

京都市に住む Keiko Wanatabe (78) が嘆息して言うには、



「近頃、日本が好きといって外国人さんがたくさん京都にお見えになりますけど、

Kaki と Kokera の違いもわからずに日本をわかったつもりになってもらっては困ります



このように、日本人には極めて微小な差異に対する感受性が受け継がれている。

私たち西洋人には「ワビ・サビ(Wabi and Sabi)」や「萌え(Moé)」は深遠で理解に及ばぬもの、というイメージがあるが、

それは無理からぬことで、こうした概念日本人の持つ独特な「差異感性sense of disctinction)」に依るものなのである

フランスの偉大な哲学者アレクサンドル・コジェーヴは、日本の持つ独特な感性体系を「日本的スノビズム」として称揚したが、

この点において私たち西洋人がこの多神教精神性を感覚的に理解するのは、不可能か、

あるいは少なくとも数多くの障害が立ちはだかっていると言えよう。



はいえ、このような障害があるにも関わらず、

私たち西洋人日本人の持つ奇異な性文化 --- 例えば Gokkun や Bukkake --- を受け入れつつあるし、

Baby Metal のような「萌え(Moé)」に対する強い渇望も存在する。

それ故、私たちゆっくりと、しかし確実に日本的差異感性」を身に着けつつあると言えるし、

彼らが西洋発祥文化を上手く取り込んで世界TOYOTA を作ったように、

今度は私たちが彼らを驚かせるような「萌え(Moé)」を提示できるようになるだろう。

個人的には --- これはあくまで私見だが --- 「Pokémon Go」はその一つの返答になると思う。

2016-07-08

かい美人

わたくしが、座る席の向こうに経理女性が一人座っておりまして、それがなんとも言えぬ感じの美人であります。向かいと言いましても目隠しの、衝立のようなものが一枚ありますから顔上げれば見通せるわけではないのですが、その衝立には1cmばかりの隙間がありまして、そこからちょうど、瞳半分くらいがのぞいて見えたりします。手前どもの会社にはユニフォームというものがありませんで女性はいつもフォーマル私服を選んで身につけてくるわけですが、わたくしはこのフォーマル私服というものに対して、ちょっとばかり執着に近いような感情を持ち合わせていまして、まぁ要するに、その女性の出で立ちを目に焼き付けるのが日課のようなものなのです。とくにその女性女性的な肉体を持て余すような肉欲に直結する魅力を持っているわけではありませんので、どことなく憂いを持っていながらも少女的で、満面の、笑みを見せながらも優しく抱きしめて守っていないと突風でもあれば、さらさらと吹き消されてしまいそうな危うさがあります。その割に身の丈が男性の、平均的なものより鼻から上が飛び出る程度に高いものですから、おそらくは多感な頃にそのことに思い悩んだのか、猫背で人を見下ろすようななんだかちぐはぐな姿がまた愛らしくもあります。小生はその平均よりも悲しいかな、おでこひとつ分くらい劣っているために、その女性と話をするときなんて言うのは、相手が座っていても対して目線に違いがない程度だったりもしますが、それでも普段なら雲の上にある、小動物のような愛らしい表情がぐんと身近にあるものですから理由を作っては書類を持っていくのが日頃の楽しみでした。

一般で言えばここで女性の顔が気になるところかと思いますが、わたくしにしてみればそんな部分よりも女性長身ながら猫背で、それでいて屈託なく笑うのに憂いを帯びている部分の、つまりは良さというのを感じてもらいたいがため、あまり掘り下げる気分でもありませんが、ひとことで言うとえくぼが似合う人懐っこそうな飾り気のない少女的魅力を持っている女性だとでもしておきましょうか。年のほどは成人してから、十分な年数を過ぎているほどだとは思いますが、メイクが薄いことも手伝ってまるで女学生とも、見えなくもない、(格好がどうしてもそれをゆるしませんが)本当に素直そうな娘ではあります。もとより痩せていたためかバストは手のひらに収まる程度の膨らみを称えるに限り、本人がそれをどう思うかは別として、わたくしにしてみれば存在を、過剰に主張するようなバストよりも、慎ましやかにシルエット称える奥ゆかしいくらいが、ある意味では物怖じしてしまうこともなく対等に向き合えるくらいかと、安心していられます

それで話が戻るのですが、ちょうど座っている位置から、衝立の隙間を通じた部分に、その女性の首から胸にかけてを見て取ることができます。幅は、瞳半分程度ながら高さがそれなりに開いているわけなのですが、その位置微妙相手視線を避けてくれるおかげで、じっくりと洋服の仕立てやその向こう側のオウトツを、観察することができるわけです。はじめに申し上げたとおり、フォーマル私服に一方ならぬ自分なりの執着がありまして、とくにブラウスといわれるもの存在が常々わたくしの平常心をかき乱します。あの薄く風に揺れる素材の向こう側が、見えるようで見えぬ、それでいて日にすかされて眩しくきらめく姿が、かと言って背中から無骨に下着の肩紐なんかを透けさせるような矛盾した作りが、どうしても視線をそむけさせてくれないのです。日によって丸首や襟付き、ボタン付き、白であったりブラウンであったり、胸元にインナーTシャツが除いていたかと思えば、うっかりレース素材の花弁の一部が顔を覗かせてみたりと、別段毎日記録をつけているわけではありませんが、なかなかのバリエィションを楽しませてくれるのが、見た目奥ゆかしい女性の割にファッションへの並ならぬこだわりを持っているのではないかと疑わしいことさえ面白くも、女性の魅力を一層に引き立ててくれるのです。

それで先日、いつものようにブラウスの材質と、その下に隠れる肌着に目を細めていると、何やらちょっとした違和感がありました。ただ、衝立の隙間が細いせいか視線はどうしても片方しか届かず、距離感というものがつかめません。やきもきしていても仕方がない、別段、いま聞く必要のない疑問と、それに関係する書類を手にすると、わたくしはその女性の元へと向かいました。衝立の上から覗き込むように、こちらの顔が見えるか見えないかタイミングくらいから声をかけます。年頃の女性に、わたくしみたいのが突然声をかければ驚かれることも少なくないのが悲しき実体験。そんな杞憂とは別に衝立の向こうからいつものように素直そうな笑顔が顔をのぞかせるはずでした。ところがたしかにいつもの笑顔ではあるのですが、なんとも言えぬ嫌悪感がよぎりました。瞳を縁取る線の濃さ、足を湯に浸しているかのように紅潮してみえる頬、そして、脂身にでも齧りついたかのようにてかりを見せつけるリップ。その衝撃で適当に見繕った疑問は一瞬で吹き飛び、二の句も継げずにあうあうと口を動かすのに精一杯になってしまいました。そんなわたくしの態度に何かを感じ取ったのか、女性は表情を曇らせ軽くうつむいてしまう始末。ところがその視線の先に先ほどの違和感の正体が隠れていたもので、女性に慰めもごまかしもできぬまま、文字通りそこに立ち尽くしてしまいました。その正体というのも、わたくしが相対しても物怖じすることのなかった胸が、あきらかに今まで見せたことのない陰をたたえるほどに膨張していたのです。むしろ冷水を頭からかぶった気分でしたから、そこではっと我に返り、質問を忘れてしまったことを笑ってごまかしながら邪魔した非礼を詫て席を、あとにしたわけではありますが、これは結構ショッキングなできごとでありました。

昨晩に何があったのか、それとも今晩に何かあるのかわかりませんが、一体何の前触れもなく、その女性は女になってしまったわけです。はたまたなろうとしているのかもしれませんが。澄み切った小川のような清々しさと透明感でありながら踏み込めば足を取られかねない危うさとを持ち合わせた、畏怖をも感じさせる魅力をもった女性が、突然俗物に成り下がった瞬間でした。これでは、ちょっとしたつまみ食いであっても食あたりが不可避な状態です。もとよりわたくしなんかに食する機会があるわけもなかったのですが、ただそこにあるだけなのに、神のみが作り得る奇跡の美というものは、こうも簡単汚染されてしまものだと知りました。

その日からというもの、衝立の隙間はファイル立てやバインダーによって塞がれてしまいました。たまたまなのかもしれませんが、もしかすると、彼女もわたくしからの視線を楽しんでいたのかもしれません。だとしたらどうして俗物に成り下がる選択をしてしまったというのでしょう。わたくしが喜ぶことを望んでくれていたのでしょうか。しかしながら彼女は、その日から俗物の姿をやめることはありませんでした。わたしはただ、この世界からまた一つ、純粋なる美が消えてしまった悲しみに打ちひしがれています。悲しいかな、それが流転であり、幾度なく噛み潰してきた苦虫が教えてくれた無常なのだだと言い聞かせることしかできないのです。いまでは、彼女と相対するとき、わたくしは田んぼカラスのような焦燥感にさいなまれています

2016-06-10

風俗店で働き始めて一番驚いたこ

3日前とかから予約してくるお客さんが結構いること

よく分かんないけどこういうお店ってお友達同士で飲んでそのノリでふらっと来るみたいなもんだと思ってたけど違うんだね

だって3日後体調悪くなったり、仕事のことでイライラしてたりするかもしれなくてそんなときエッチなんてしたくないじゃん

よく予約とかするなあ

私は性欲じゃなくて食欲すら先のことなんて分からないよ

明日のお昼はなに食べようって思っても実際明日になったら絶対気分変わってる



これってAV見るとき三日後の何時から何ちゃんでぬこうなんて計画たてるみたいなもんだよね?普段男の人ってそんなAV見方してないよね

いや、してるのかな。わからん

とにかく謎だらけ

anond:20160610173125

元だけど、大丈夫葬式も上げないって嫁共々決めてる。

直葬散骨(ちゃんと許可とって)で終了。

自分たちの為に子孫に墓守なんて金も時間もかかる要らぬことはさせないわ。

2016-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20160608022710

あのさあ

その非難するよからぬことってものについて石を投げてるわけで

結果的に人の手によるものしかいから人にはあたってるけど

人を攻撃する免罪符として規則なりがあるわけじゃないんだよ


出てきた杭を出てきたからって打ってるわけじゃない

出てこないでってお願いした上でそのお願いの意味を支払ってあげてるわけ

2016-06-03

政治家って能力が高ければクズでも良い

という事をたまに聞くんだが、本当かな?

 

橋下とか「政治家人格者じゃなくて良い」とか言うよね。

 

権力欲や名誉欲があるのは別に良いと思うんだよ。

でも、不倫したり、変に人を見下してたり、差別主義だったり、横領するような人の場合は、

能力が高いと逆に怖いよね。

 

だって誰かが苦しむことになっても、自分が徳ならそれで良いってことでしょ。

そんな人が権力を持ったら、こいつなんか良からぬことを企んでるんじゃないかって感じたりして安心して政治を任せてられない。

 

それなら、まだ無能な方がマシなのかもしれない。

 

みんなはどう思う?

2016-05-06

300ブクマくらいから正論ブコメしか伸びない

真面目な話題のやつね

大喜利ブコメが少数派だとこの段階で淘汰されて虚しい

もっとぬこうよ

2016-05-03

自分も詩を書いてみた。タイトルは「偏流」

わたし」につながれたこの心。

今では脆く千切れそう。

右へ左へ見てみれば、

みんなちゃんと歩いてる

上を向いて目を閉じれば、

星が巡る音がする。

けれどあなたの声はもう聞こえない。

わたしはどこへゆくのだろう。

この身とともに、道とも知れぬこの道を、

溶けて漂っていく。

2016-05-02

カッコつけの戦い

(あ、今日の昼に定食屋トンカツ食ったけど晩飯もトンカツか。かぶったな。でも嫁の作るトンカツは美味いからまあ良いか)



「ねぇそういえばあなた今日の昼は何を食べたの?」



「えっ、トン(カツって言ったらヤバいか。せっかく晩飯にトンカツ作ってくれたわけだし)コツラーメンだよ」



「ど(アホが。私さっきトンカツ定食レシート見たんだから全てお見通しよ)う?このトンカツ美味しい?トンカツ久しぶりよね」



「本当に美味しい。トン(でもない。全然久しぶりじゃないんだよ)カツなんて久しく食べてないよ」



「本当に久しぶ(た野郎!嘘つくんじゃねぇ)りよね」



「たし(ょうの嘘だ。許してくれ)か去年の暮れにお前が作ったのを食って以来だ。あれはロースカツだったよな?」



「あら(ぬことを言うなブタ野郎!それは今日の昼にお前が食べたトンカツだろう。うちのはいつもヒレだ)そうだったかしら。あなた、好きよねトンカツ



「お陰様で(す。death)」



「ねぇ、どっ(つくわよ)ちが美味しい?」



「このトンカツ()定食屋のを比べるんだな。定食屋の方が美味いかな。いや、定食屋のじゃなくて去年の暮れに嫁が作ったトンカツと比べるんだ()危ねぇ…」



アドバイス

旦那様、ちゃんとカッコがついておりません。マル秘情報が心から漏れ出しております。以後、お気をつけになって。


winner→奥様

2016-04-22

ググらない勇気

知らないことがあってもググれば出てくる。いい時代になった。

でも、敢えてそうしない方が良いんじゃないかとも考えている。

ググる代わりに人に聞く。正直、ググったほうが正確かもしれない。

でも聞いてみる。そうすれば、会話が生まれる。

それをきっかけに話が弾んだりして、趣味が合うかもしれない。

ググる以上にいろいろなことを知れるかもしれない。



ここでふと、電子辞書じゃなくて本の辞書を使えなんて話があったことを思い出す。

電子辞書目的地にすぐ辿りつけるけど、本の辞書ならページをめくっている間に思わぬことばに出会うことがある。

そういう偶発性が世界を広げてくれるのだろう。

2016-04-06

上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。

「上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。」

世阿弥

およそ、能の名望を得る事、品々多し。上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利きの眼に合ふ事なし。下手にて目利きの眼に叶はぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心に合はぬこと、これは、目利かずの眼の及ばぬ所なれども、得たる上手にて、工夫あらん爲手ならならば、また、目利かずの眼にも面白しと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とを極めたらん爲手をば、花を極めたるとや申すべき。されば、この位に至りたらん爲手は、いかに年寄りたりとも、若き花に劣る事あるべからず。されば、この位を得たらん上手こそ、天下にも許され、また、遠國・田舎の人までも、遍く、面白しとは見るべけれ。この工夫を得たらん爲手は、和州へも、江州へも、もしくは田楽の風體までも、人の好み・望みによりて、いづれにも亙る上手なるべし。この嗜みの本意をあらはさんがため、風姿花傳を作するなり。

 かやうに申せばたて、我が風體の形木の疎かならんは、殊に/\、能の命あるべからず。これ、弱き爲手なるべし。我が風體の形木を極めてこそ、遍き風體を心にかけんとて、我が形木に入らざらん爲手は、我が風體を知らぬのみならず、他所の風體をも、確かにはまして知るまじきなり。されば、能弱くて、久しく花はあるべからず。久しく花のなからんは、いづれの風體をも知らぬに同じかるべし。しかれば、花傳の花の段に、「物数をつくし、工夫を極めて後、花の失せぬ所をば知るべし」と云へり。

 一、この壽福增長の嗜みと申せばとて、ひたすら、世間の理にかかりて、もし、欲心に住せば、これ、第一、道の廃るべき因縁なり。道のための嗜みには、壽福增長あるべし。壽福のための嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば、壽福おのづから滅すべし。正直圓明にして、世上萬徳の妙花を開く因縁なりと嗜むべし。

 およそ、花傳の中、年来稽古より始めて、この條々を注す所、全く、自力より出づる才覚ならず。

于時應永第九之暦暮春二日馳筆畢  世阿

2016-03-13

MMD日記 中二病妄想注意

今日から日記書いていこうと思う。

ぐだぐだだし、中学生未成年が書いてるからわかんなかったらゴメン。

大半は妄想

今日Twitterの方にMMD動画出してきた

うぐかわ(*´ω`)

うぐぬこ借りたんでニコ動の方に動画出そうと思う

粟田口沼は最高に心地いい

特に薬研くんが「大将大丈夫か?寝るなら膝かそうか?」

だって!!!

勿論お借りさせて頂きました(^^♪

白衣かけてくれて。

うちの薬研はもう男前だし甘えてくれるし、優しいし。。

今度、また本買ってあげようかな


最近学校行ってないな

まぁ、そりゃそうだよね

本丸と現世行くのに手続きいるし。

はいっても不登校して学校拒否ってるのにわざわざ行く必要もないよな

長谷部が優しく教えてくれるし、いち兄もずおばみに教えるついでに自分にも教えてくれるし。

うん。これなら難関校にも受かりそうだ(なわけない。

2016-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20160223102706

子供個別に考えるとそう思うのも無理からぬことなんだけどさ。

ずっと日本に住みつづける気なら、自分生産できない年齢になった時に、暮らしてゆくのに必要な財やサービス生産するのは、その時点の日本生産者じゃん。極端な話、それまでに日本経済破綻してたらいくら金持ってても必要な物やサービスが買えないっしょ。

その将来の日本生産者にはバリバリエリート底辺DQNもいるだろうけれど、総体として健全経済が維持されてないと困らない? 例えば無教養、極貧の底辺層が増殖して経済を引きずり下ろすような状況になってたらまずいでしょ。となるとインフラとしての育児教育総体的に維持することは不可欠でしょう。

まあ、上澄みだけを掬って彼らが将来の経済を支えてくれることに賭ける、っていうのも方針としてはありだね。その場合は、独身税みたいなのに反対するかわりに、優秀な子供を援助するような基金なり団体なりにがんがん金突っ込めるような制度支援したらいいんじゃないか。

2016-02-04

http://anond.hatelabo.jp/20160204021025

ぬことかぬこ様とかまじきめえ

じゃあいはいにになんのか?あ?iniファイルか?なんか設定すんのか?

2016-01-27

心の穴

自分の心の穴について


「人が楽しく自分のやりたいことをやっている姿を見たい」というが、

その人は既に自分でやろうとしているんだよ

相手をみてこうしたらいいのにーというのは俺のお節介だ、しか上から目線

俺だったらこうするとか俺ならこうしたいと思うなー ならいいんだけど上記はそうじゃない

  • 俺がこうしてあげたくて、こうしてあげたことでその相手にとってすごく重要な人になりたい

ってことなのだ

と言い換えた方が正確だ。

自分に空いている穴って

なんだよね

分かってるんだ

  • これを誰か(特に特定のー似たところのある異性)に埋めてもらおうとしている。

さらに悪いことには、

というまでの支配的な関係性を持ってしか埋められそうにないように思えるところだ。

支配支配され、独占し独占されたい、そうすることで自分は満たされるのだ

ーーーという欲求が見てとれる。

これは果てしなくキモチワルイし、自己受容できていない。

これのまた恐ろしいことには、この欲求は恐らくずっと消えないことだ。

自分自分である限り、ずっとこの欲求と付き合わなくてはいけない(ようだ)。

さてどうしよう。

ひとまずは

  • 自分には逃れられぬこの欲求があることを受け入れる。(自己受容)
  • この欲求で他人迷惑をかけるようなことはしないようにする。

わからん

自分が好きでやるというのはいいが、他人にとってそれが良いとも限らないと。

自分の欲求を満たすための相手を単眼的にというか、一人に、おっかぶせようとしているような自分に気づいている。しか自分に自信があるわけでもない、ひどく矛盾している。

- 色んな異性と同時に出会いまくる→自分の欲求・利害に合う相手が見つかるかもしれない。

- 自分に自信をもてるようなアクションをとる?

- 欲求を自分自身で満たす?(それこそ矛盾してて無理に近いことだが)


どうにかして克服できないものだろうか。

2016-01-04

nWoの終わり

寝る前にツイッターを見ていた時に、突如開始されたツイート

何か嫌なものを感じた僕は急いで布団から出てパソコンを起動し、HPの保存を始めた。

長編を保存し終わり、一月の国から保存をしようかと逡巡している間に、nWoは消えていた。

あるものは次のステージに進み、あるものは無言で消えていったテキストサイト界の中で、

きちんとした閉鎖宣言がなされたことは、小鳥猊下のお人柄の表れだろう。

最後の言葉を見れなかった人も多いだろうし、後になって消えてることに気がついてびっくりする人もでるだろう。

から勝手ではあるが、最後ツイート転載する。

1999年1月17日テキストサイト猫を起こさないように」開設。それから本日2016年1月3日に至る約17年間、幾度か形を変えながらもnWoインターネット上に存在し続けてきた。

主観的なことを言わせてもらえれば、HEXAGONに相互リンクをいただいた最初半年に訪れた狂騒がnWo本質のすべてであり、その後はある種の未練、自己模倣的な変奏曲、匿名性を失うことに対する渇望がさせた蛇足連続だったと指摘できる。

私は欠けがえのない存在になりたかった。誰かが私の才を見出して、私をここから連れ出してくれる未来をいつも夢想したものだった。

しかし、それはついにかなわなかった。多くのあとから来た者たちが、他ならぬこの私を出し抜いて世に認められ、出し抜いたゆえの優越立脚した安全圏のレスペクトを遠回しに伝えてきた。私はそれをたまらなく憎み、それをたまらなく恥ずかしく思った。

この17年を経た残り半刻ばかりで、今まさに確定しつつあることは、「猫を起こさないように」は「よい大人のnWo」は、「小鳥猊下」という存在は、つまるところ何者でもあれなかったという厳然たる事実である

誰かが亡くなった後に言われるだろう「あの人にもいいところはあった」や、何かが終わっあと(原文ママ)に言われるだろう「あれにも見るべき部分はあった」という言葉は、その生命ケイゾクを傍目に知りながら、自分はそれを何も助け無かったという後ろめたさへの言い訳なのだ

からもう、これらの言葉を見る者たちはただ静かに口を閉じ、その心に幾ばくかの後悔が生じたとして、ただ黙ってその重さを、それが消えるまでの間はずっと、抱え続ける他をしてはならない。

しかしながら、私が諸君を少しも愛していなかったと言えば、それでは嘘になる。私の存在ができるだけ速やかに諸君の心の片隅から消え去るのを祈ることで、最後の慈愛を終えたいと思う。

17年に渡る、諸君のご清聴を感謝する。

語りたいことはたくさんあるが、ただ、黙するしかない。

明日から仕事が始まる。

2015-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20151230102702

お前、猫をぬこっていうのもムカつくタイプだろ

2015-12-28

この惑星のある広い一圏域で信じられていることである。だれもこの起源を知らぬ。だが何千年の時を経た今でも信ぜられている。

まず12の獣が設定される。その内1の獣は現代に伝わらない。

これに惑星生気を現す10のエレメンツを組み合わる。

これらを循環させ、そして、組み合わせ、12×10÷2で一巡させる。

10のエレメンツはあるときはまた異なる5のエレメンツ兄弟としても捉えられ(5×2)、あるいは方角を示す要素としても用いる。

十方位から吹きこむ風と考えることができる。

いくら科学文明が発展しようとも、こうした循環論理を人々は大切にして、例えば1年ごとに来年の神獣をうらなう

誰がいつ定めたのかも知らぬこの神獣を、人々はこころから信じている。

どれだけ社会科学が発展し、貧困から格差が次第に減少し、男女の社会性の差違が次第に解消され、科学に対するリテラシーが発達する時代になっても、

例えば年始の賀状にその次の年の神獣を書いては顰蹙を買うし、例えば旧年の神獣をデザインしても笑われる。



実はこれは、神獣とエレメンツとが循環しているのではもちろんなく、人々の認識過去から未来へと連続している証左だ。

いつか、私たち石器時代精神性を忘却してしまったのと同じく、これの意味を忘れるときが来るかもしれない。だがそれまで、60年120年180年300年720年1200年36000年と続いて行くし、そう続くと今の私たち想像できるのだ。

2015-12-22

堯觀乎華。華封人曰、嘻、聖人。請祝聖人、使聖人壽。堯曰、辭。使聖人富。堯曰、辭。使聖人男子。堯曰、辭。

 荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである

彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人

間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何

ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」世界にあ

こがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺皮肉や寓言に

託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの

話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史

実ではない。

 

 その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された

ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい

で、ご挨拶を申し上げた。

 

 「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは

  あなた様の御寿命の幾久しくあられますように。」

 

 「いやいや。」

 

 堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。

 

 「わしは寿命を望もうなどとは思わぬものじゃ。」

 

 「ならばあなた様の御富のますます豊かにあられますように。」

 

 「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」

 

 「なればあなた様の男の御子たちが、いよいよ数多くあられますよう

  に。」

 

 「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」

 

 「はてさて。」

 

 関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。

 

 「寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことでござりましょう

  に、あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、なんとしたことで

  ござりましょう。」

 

 「さればさ、男子が多くあれば、中には不出来の者も出てきおって、

  かえって心配の種になる。富めば富むで余計の仕事が増えようし、

  寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に遭うことも多くなろう

  というものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。この三事、いずれも我が

  身の徳を養うには無用のものといわねばならぬわい。」

 

 それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。

彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。

 

 「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言

  い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供

  が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあ

  るまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の

  面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を

  選ばず、ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと

  く自由自在であるべきもの世間がまともであれば、皆人とともに

  その昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて

  隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間がいやになったその時

  は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・

  老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿

  くともなんで辱の多いことがあろうものか。」

 

 こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、

ハッと気を取りなおして後を追いかけ、

 

 「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」

 

 と声をかけたが、かの人は、

 

 「えい、うるさいわえ。」

 

 と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。

 

 荘子はこの寓言によって、「儒家」的聖人である堯と対比しつつ

「道」世界に生きる自由自在人――「道家」的聖人の姿を示唆しよう

としたのである