はてなキーワード: 環境とは
https://on.soundcloud.com/s7kW3RiXjNMSpHL19
コード進行もメロディーも適当に弾いたりマウスポチポチしただけだけど、自分の下手なギターとか生音よりスッキリした感じがする
歌詞も適当だけど、就職氷河期ネタにするなら、ちゃんとしたの書いてみたいなあ
こんなんで一曲完成するんだろうか…😔
まあ、今の段階ではワークフローを完成させるというか、作品を作るのではなくて、どういう工程を経るか、みたいなのを完成させたいので、
まずはギター中心で考えてみたんだけど、やっぱりなんか汚い
ピアノはまったく弾けないのだけど、よくよく考えてみたら当たり前なんだけど、いわゆるハ長調でほぼ白鍵盤のダイアトニックコードで打ち込んで、
ピアノロールで上下にずらせば、調は自由に変えられるんだよな、当たり前だけど
問題は、MIDIキーボードで入力したときに、幅が0の音が混じってしまっていることがあって、それを確認しながら取り除くのがめんどくさい
でも、取り除かないと、ボーカルの文言に影響が出てしまって、つまりデフォルトであるラの時間幅0の音が入ってしまうので、
歌詞に人生と書いてあるはずなのに、りんせいと読んでしまった段階で気が付いたり、ちょっとつらい…
最初の目論見としては、ギタージャーン!で曲にしてしまって、SynthVに適当に歌わせて終わり!みたいな甘い考えだったのだけど、
まあ、ギター環境自体が貧乏で貧弱なのもあるのだけど、昨年の年末に即席で全部揃えた感じだしね…
しかし、ギターの生音よりピアノロールの方が圧倒的に後加工しやすい
色々な理由から、というか貧乏だから、ギターのアンプシミュレーターはソフトウェアじゃなくて、ハードウェアのを使ってて、それをラインでオーディオインターフェースで読ませてるので、
つまり、ギターの音の後加工はまったくできない、音量は変えられるけど、音色はもう変えられない、
ガレージバンドだったら、いいディストーション入ってたと思うんだけど、Studio Oneのは標準はショボい感じがする
しかし、DAWは金がかかるんだなあ、DAW本体買ったら終わりじゃなくて、やれドラムだ、やれベースだ、やれ打ち込みでも生音みたいなギターができるだわ、
あー、ドラムどうすればいいんだ、よくわからんがFL Studioのドラムマシン、標準なの?は結構簡単にできそうだったなあ
一応言っておくが、サウナが健康に良いという研究結果自体はフィンランドなど北欧の研究者が出している。
しかし、これが日本のサウナ環境でよいのかどうかの実証はあまりされていないと思うし、整うみたいなのも北欧ではそもそもない。
時折勘違いしている人がいるが「整うのが健康に悪い」という話が最近出てきて
「これでサウナに行く人は減るだろう」とか言ってる人いるが、これで別に人が減ることはない。
なぜならサウナに嵌ってる人は健康に良いからサウナに入ってるわけではない。
サウナの口コミとかレビュー見てると、健康になりそうだとか書いてる人ほとんどいない。
だいたい気持ちいいとか、サウナの後飯くってうまいとかそういう話ばかり。
ただ、快楽でサウナに行き過ぎるとなんか世間からうさん臭く/ださく思われるから、サウナ宣伝側の健康に良さそうという広告に乗っかっているだけ。
この本しんどいな。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ最初の感想がそれだった。
土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンかカップスープの適当な昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。
鈴木美咲は1990年生まれの28歳。生まれは山梨県で、大学で上京するまでは地元で自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元の進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京の大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分が大学で上京することに特に違和感は抱かず、自然と東京の大学を目指した。根が真面目な彼女は高校時代も勉強に多くの時間を割き、国立大学は不合格となったものの、無事都内の私立大学に合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。
彼女の母親の時代は女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代に東京の4年制大学を卒業した美咲の母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物とお見合いで出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲の記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事は女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。
美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから、一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京の大学に行くことを賛成し、美咲が英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女の能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲が外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身の卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。
美咲は地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまり恵まれた容姿ではなく、自分のニキビをからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてからは男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲は勉強ができたが、それに対して男子と比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子は短大といった時代でもなかった。ただ文系のクラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやすい環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域ののんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学も経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。
自分が女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年の就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業とメーカーで、大手企業に就職が決まったことで、彼女自身も家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界はリモートワークなどの制度を生かして女性が活躍しています、と先輩社員がセミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。
美咲はソフトウェア製品の営業職として2013年4月に社会人生活をスタートさせた。自分の同じ部門と認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲はほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎の水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。
その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業。ハードウェアの営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分の製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子の特権なんだから、若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲はお酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。
入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件を複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日の飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門長である優秀な40代のマネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲はビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女の人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代の日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろ恵まれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。
この本しんどいな。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ最初の感想がそれだった。
土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンかカップスープの適当な昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。
鈴木美咲は1990年生まれの28歳。生まれは山梨県で、大学で上京するまでは地元で自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元の進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京の大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分が大学で上京することに特に違和感は抱かず、自然と東京の大学を目指した。根が真面目な彼女は高校時代も勉強に多くの時間を割き、国立大学は不合格となったものの、無事都内の私立大学に合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。
彼女の母親の時代は女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代に東京の4年制大学を卒業した美咲の母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物とお見合いで出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲の記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事は女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。
美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから、一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京の大学に行くことを賛成し、美咲が英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女の能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲が外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身の卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。
美咲は地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまり恵まれた容姿ではなく、自分のニキビをからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてからは男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲は勉強ができたが、それに対して男子と比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子は短大といった時代でもなかった。ただ文系のクラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやすい環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域ののんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学も経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。
自分が女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年の就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業とメーカーで、大手企業に就職が決まったことで、彼女自身も家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界はリモートワークなどの制度を生かして女性が活躍しています、と先輩社員がセミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。
美咲はソフトウェア製品の営業職として2013年4月に社会人生活をスタートさせた。自分の同じ部門と認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲はほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎の水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。
その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業。ハードウェアの営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分の製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子の特権なんだから、若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲はお酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。
入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件を複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日の飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門長である優秀な40代のマネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲はビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女の人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代の日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろ恵まれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。
人間関係リセット症候群の人が、過去の相手に連絡を取りたくなってしまう理由はただ一つ。
死期が迫っている。
そのせいで、新しい人間関係を構築できない。
何回リセットしても、自然と新しい出会いと繋がりが作れる環境にいれば、
新しいつながりを作り出せば、どうせまた、昔の相手なんて忘れるよ
"まともなコミュニティ"ってのは関わることがない人間からしたら
評する評さない以前に、死ぬまで存在を認知する権利のないコミュニティなんだよね。
そもそも、今回のように世に出回らない。
うーん…いちいち個別具体的な事例を教えているとでも…?
今の社会は放置する方向なのよ。知的障がい者として。触らぬ神に祟りなし。
その時々の社会なわけ。
今回で言えば、50皿食べることが許されないのなら
それを明記しておくのが筋、と言っている基地外どもがおかしいことは
昔はそういう人間はぶん殴られて「お前はズレてるぞ」と教えてもらえた。
今は、教えてあげたのに恩を仇で返すモンスターだらけになって
そもそも、知的障がい者に知的障がい者を育てられるわけがない。
それすら許されない社会になった。
で、いっちょ前のツラして俺にも生きる権利がある、と。
単に放置していると面倒だから、誰彼構わず手帳を授けてシャブ漬けにして
ひまわり学級のアパルトヘイトで解決しようという世の中になったわけ。
そもそも世の流れについていけなくなるし、その速度はさらに速くなっているし
最近のしらけ世代以下の老害どもは新しいことを取り入れようともしないわけ。
だからそんな、親だけで教育ができると思い込んでいる傲慢な人間に
親は無くとも子は育つ、そういうことを理解して欲しい。
いまだって、ある程度の階級なら丁稚奉公させるだろ。都会・地方限らず。
そこそこの上場企業ならいくらでもボンボンの息子・娘入っとるの知らんのか。
きちんとした会社なら、そいつらをまともな人間になるよう厳しく育て上げてから、家業に戻らせたりしているわけだろ。
別に金持ちじゃなくたっていいが、コネで仕事紹介したりなんていくらでもある。
ある程度の歴史あるまともな住宅街なら地域の交流コミュニティあるけど。
あと干渉に対する考え方自体が、典型的郊外のニュータウン思想って感じ。
そういう人間が子育てをすれば醜く歪んでいくのもさもありなん。
そもそも親の一人か二人だけで、社会性を教えられるわけないだろ。
社会の本質が自分とは異質な人間とのコミュニケーションであって
もちろん、その環境を変えたり整えたりする役目は親にもあるさ。
男女で枕を交わす――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だと、短絡的に結びつけるのはナンセンスである。
そこらで強引にナンパして、密室に連れ込むなら話は別だが、たとえばお笑い芸人、YouTuber、TikToker、ホスト、はてなブロガーなど、それなりの世界観を打ち出して、ファンを産み出せるようになると、一定の確率で、女性から性的アプローチを受ける。
というよりか、通常の現実界――学校や会社でも、『ハイスペイケメン』『スクールカーストの上層部』『尊敬されるポジション』といった、一定の条件をクリアすれば同じ事が起きる。
もちろんそこには、「寂しさを解消したい」「頭をバカにしたい」「あなたの人生に登場させて欲しい」などの想いも含まれる為、男が持つ性欲とは、少しばかし性質が異なるかもしれないが。
こうした事情を知ってか知らずか、とりま誰かを叩きたいのか、モンキーなのかダチョウなのかは判然としないが、なんでも一足飛びに、「性欲に負けた男が悪い」と鳴き叫ぶ者がいる。
ちなみに今回は、つい先日投稿した記事に対する、一部コメントへの反論だ。
https://anond.hatelabo.jp/20240317193948
普通に考えりゃ分かるはずだが、とある男女が出会い、真剣に向き合うつもりで絡んだが、総合的な相性が悪く、関係性が発展しない……といった事はいくらでもありえる。
そして、初っぱなは、不遇な環境でも、一所懸命に生きる尊い子に思えて、蓋を開けてみると、『自他境界線のぶっ壊れたバケモン』な事がある。
そうした地雷を完全に撤去して、安全なる恋の道だけを歩むには、身辺調査でもやって、親の離婚状況、精神病の罹患歴、知能指数、中卒か高卒か大卒か……など、優性思想的な判断基準でもって、審査せねばならなくなる。
とりわけ、病的にやべぇ奴の中には、異常な環境で育ったからこそ、表面的には立派な職業に就いていたり、情緒を安定させて見せたりと、『まともを偽装するスキル』を獲得していて、すぐには見抜けない事がある。
冗談抜きの話、思いやりに溢れた丁寧な文体が、少しずつポエム調になり、終いには、濁点や句読点の位置がずれ、謎のスペースが空いた怪文書に変わってゆく恐怖は、体験しないと分からないだろう。
そんなこんなで本件――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だけではない……について、分かりやすい例として、僕の実体験を箇条書きする。
※遠距離ゆえのノリが生じた
■実際に会うとタイプじゃなかった
表情、空気感、振る舞い……波長が合わない
■当然、性的にも乗り気になれない
しかし、女性が化粧直し、お洒落などをして、積極的になっている
そのうえで、2人は密室にいる訳だ
■じゃあどうするか?
雑に断り、傷をつけるのもよろしくない為、カウンターパンチ方式で枕を交わすのだ
たとえば、相手が5%近付いてきたら10%近寄る、10%触れてきたら20%触れる、20%のハグをしてきたら40%のハグを行う……といったやり方で、相手の初動に合わせて倍々ゲームで、『演技の喜び』『演技の行動』『演技の興奮』でリアクションし、その時間を乗り切ってゆく
この方針を貫く事で、「男の方が積極的だった」と思わせ、女のプライドを崩さずに済む
無論、タイプではなく快楽は薄いが、脳の老化を防ぎ、心の健康を保ち、アンチエイジングになるから、そこそこのWin-Winである。
横になりながら関係性の話をしたとき、付き合いに関しては、「友達としてなら大事にしたい系だけれど……」という流れで断った
僕は眠り落ちるモードだった為、受動レベル100%だったが、馬乗りになられてピリオドを打った
――とかなんとか、4年前に地雷を踏んだ僕だが、それから100人前後の視聴者さんと会い、ご飯をご馳走してもらったり、LINE通話配信でも、また別な100人以上と会話したりで、少なかれ経験を積んだ。
ストーカーとは、ある日突然に出現するパターンだけでなく、残念ながら、こちらの対応ミスにより、怪物へと育ててしまう事がある。
とくに女性のストーカーは、境界性パーソナリティ障害――見捨てられ不安が強く、「自己と他者」の境界線を引けないゆえに、妄想と暴走でぐちゃぐちゃになりやすい。
であるから、「絶対に付き合えないけれど、悩みぐらいは聞くよ」など、中途半端な優しさを発揮すると、危険なアメとムチ――親子に近い関係性になり、そこに執着が生まれてしまう。
そして僕が陥ったケースでは、「タイプじゃない」と断った後も、「壮絶な親子関係があった」「身内が自○してしまった」「日々、孤独だ」という、身の上話を聞かせられて、定期的に耳を傾けていた。
それというのも、僕の場合はまた特殊で、動画投稿/生配信をやり続けている為、マッチングアプリなどの出会いとは異なり、僕という存在を深く知ってくれる人が、会いに来てくれる率が高い。
その為、たとえタイプではないにしても、関わりを持ってくれる人には、なるべく幸せな気持ちでいて欲しい。
だからこそ、少々、異常が垣間見えていても、スパっと切り捨てるのではなく、「気持ちは分かるよ」「みんなぶっ壊れる時期があるよ」などと、浅はかながらも寄り添いを継続してしまい、泥沼化させてしまうのである。
――そんな訳で、長々しく書いたが、生きるって大変だ。
しかしながら、僕は社会不適合者歴も長く、とことん開き直って、楽しく暮らしている。
もっと言えば、高い好感度で売っている訳でも、安定を求めている訳でもない為、いつどこで、どんな嫌がらせを受けようと、どんな事を暴露されようと、どんな刃物で刺されようとも、すべてネタにして、熱量たっぷりの語りと文章で――すこぶる叫び続けるのみだ。
もともと高解像度の120fpsでゲームを遊びたいって目的で新しいゲーミングPC買ったんだけど、
そのスペックなら画像生成ゴリゴリ動かせるよって甘言に乗せられてしまって、環境を整えた結果、
画像生成にフルスペックを割きたくなって、新PCで画像生成をぶん回して、
旧PCで1280x720の30fpsでゲームしてるのちょっと馬鹿かなと思う。
何なら画像生成くらいなら不満がないけど、学習させようとすると時間がかかるので、
上野東京ラインの川口駅停車が正式決定されて「あそこは乗降客多いから当然」とか「停車駅増えるのヤダ」とか巷間喧しいところであります。
そこで川口駅の事をちょっとだけ知っている増田が川口駅のあれこれを少しだけ説明するよ。
川口駅の西側は1980年代までみっちりと町工場が密集していて、特に線路に面したところは国の燃料研究所(後に公害研究所)という大工場があったので、西口広場ってものは無かったのよ。
この公害研が廃止され環境研に改組されたのでその空き地に西口ロータリーを造る事になった。
だがこの当時に、今の湘南新宿ラインの元になる東北本線池袋乗り入れが開始されたってわけ。
そこで川口市は駅の西側にこの列車用のホームが増設できるように何も建てない土地をワザワザ造って、「池袋支線停めてよ」アピールをする事にしただった。
場所はここ。https://maps.app.goo.gl/eiJk19EmifLCYrzCA
しかし、これ無理だろ?と気が付いた人も多いかと思う。現在の湘南新宿ラインは15両編成だから隣の10両用京浜東北線ホームの1.5倍になり、ホームを造るには全然長さが足りないんだ。
なんでこうなったの?というとその後の川口市がいけないのだ。
実はこの「川口西口緑地噴水」の場所は駅前ロータリーだった場所なのだ。つまりは道路。こんなせせこましい場所でバスの方向転換とかどうやってたんだか?
で、ここは大きなロータリーを別に造るから廃止になるんだけど、池袋支線のホーム用地にしよう、という事で期待を残して建物を建てなかった。
だけども公害研跡地再開発では人工地盤の巨大公園、更にその下の1階と2階にはコンクリート製の駐輪場を造ってしまったのだ。ホーム用地にすんのかしねえのかで全く平仄が取れてねぇ。やる気に統一感がなかったのだ。
だからホームを造る為に線路敷きを拡幅するには立体駐輪場と公園を一部破壊する超高額な工事をせにゃならん。
詰んでるじゃん。…ところがそうではないのであった。
駅の東側線路際に大きな駐車場が見えるだろう。ここ、実は川口市の土地なんだな。だからここを利用して線路全体の線形を変えるって方法でも行けるって訳だ。
なんで川口市がこの土地持ってるの?かというと、ここは川口貨物駅だった場所なのだ。正確には貨物駅は東口のきゅぽらという高層建物、その隣の駐車場、タワマンの場所にあった。駐車場の場所は貨物駅に入る為に線路が輻輳してあった場所だな。
国鉄は超大赤字を積み上げており、特に貨物営業に人が多すぎで、人件費が莫大だった。
そこで国は思い切って貨物営業をほぼ全廃してしまう事にした。石油の直通便とかコンテナだけ残す。
それで全国の貨物駅は遊休施設となった。例えば都心部だと新宿の高島屋スクエア、渋谷の南口オフィスビル群、汐留の電通とかあのあたり、秋葉原のヨドバシなど、飯田橋3丁目のオフィスビル群などは貨物駅だった所だ。
次に国鉄を民営化する事になり、その遊休土地は国鉄清算事業団に移管される。売却益を赤字補填にするというスキームやね。
それで川口貨物駅の施設は川口市ががっぽりと全取りしたってわけ。
んで駅南側は立体公共駐車場とか貸しビル&図書館&市役所出張所のきゅぽらなんかを建てた。そして北側はそのまんま。何分元が複々線線路だから狭くてビル建てるには手狭。でも元が線路だから線路用地にするのが一番やね。
但しそうなると駅全体を改造する事になるから工費はかなりのものになる。新駅ビル建造込みの工事になるかと。
因みにこういう時、JR線路部分の工事は他社にやらせないで自ら発注するのしか認めないのね。事故があるとヤバいから。だから自治体に金だけ貰うって形になる。
ただ、この全体線形変更案は増田の予想なんで、実際はどうなるかは判らん。立体駐輪場と公園を壊してホーム用地を西口方に確保するかも知れないし、南の方へ伸ばして途中の家屋を買収するかも知れない。そこはまだ全然決まってない。
あと、東口の駅舎(と言っても階段があるだけ)と京浜東北線ホームとの間に隙間のデッドスペースと飲食、床屋店舗群があるけど、そこも川口市有地でここも活用できる。
とするとやっぱ全体を東に移して駐車場活用案にあるんじゃないかと思われる。
電車に乗ってると気になるこれだけど、 https://maps.app.goo.gl/uPyzTQ8tn1QQhPTQA
これはなにかというと、貨物駅に入る為の乗越線だったものだよ。
貨物駅が貨物線(現湘南新宿ライン線路)と反対側にあるから、貨物列車が駅に入る時には東北本線、京浜東北線を全部横切らなきゃならない。その為には全部赤信号にして止めなきゃならないから大遅延の元になる。
そこで乗越線で立体交差にした。
昭和43年まで赤羽から大宮は京浜東北線と東北線の複々線だったんだけど、東北線と高崎線の特急を増発する際のボトルネックになっていた。貨物列車が多いし、新幹線が無い時分だから新潟行きも仙台行きも秋田行きも青森行きも全部ここを通る。
そこで貨物線を増設して貨客分離する事にしたんだが、問題になったのが川口貨物駅。貨物線と反対側にあるこの駅に線路を全部渡って行くったって、既に京浜東北線は通勤ラッシュ常態化で、東北線も列車増発の為に線増したのにボトルネックを造ってどうする。
ってことでこんな大がかりなものをこしらえた。
因みに運転は結構大変で、なにぶんにも片方しか入れない。そこで下り列車であれば、一度蕨駅まで行く。そこで機関車を後ろに付け替えて今来た方に出発。西川口付近で乗越線に入って川口貨物駅に到着。
逆に上りでは駅に着くのは普通でいいが、出発後はやはり蕨駅まで行ってから、機関車を付け直して赤羽方に出発という何とも迂遠な方法を取っていた。
貨物駅廃止で不要になった筈だが、廃止された線路の一部を保線用基地に転用した為に、この乗越線を使って湘南新宿ラインの方にレールを輸送するので残されている。
そもそも貨物駅が貨物線と反対側にあったのがいけないのだけど、川口アリオの場所にビール工場があったのでこっちに造られた。ビール輸送は鉄道貨物の大お得意さんであったので無視できないのだ。
因みにビール工場がここに設置された理由は、見沼代用水の分水が取水できた為で…(以下略
鉄の製造には3種類あって、
1.鉄を融点以上に加熱して砂型に入れて固める鋳造(出来るのは鋳鉄)
3.圧延ロールで押しつぶして板状に、またはパイプ状や棒状にする圧延
というのがある。今一番使わているのは圧延で、何段にも圧延ローラーを掛ける為に長いラインが必要になるので工場も資本も巨大になる。量産効果で製品単価は低くなる。
キューポラ炉はたたら製鉄の応用で、コークス(石炭を乾留して硫黄分などを飛ばしたもの、結構高い)→鉄→コークス→鉄とウエハース状に重ねて入れて鉄が溶ける温度を確保する。
投入口が2~3階にあって取り出し口は1階という結構大がかりなものです。
鋳鉄は炭素が多いので、コークスは温度を上げるだけじゃなくて鉄に炭素を含有させる働きもあるのだ。
このキューポラが沢山稼働していたから昔の川口は大気汚染がすごかった。炭塵だけじゃなくて鉄が溶けた蒸気(ヒューム)も混じってるから健康には悪い。
あと一つ入らないのでその二に続く
環境に生成AI製のゴミがばら撒かれていなければこんなことにはならなかったんですよ、責任は拙速に問題のあるプロダクトを導入して創作の環境を破壊しエコシステムをぶち壊した無責任な政府と企業に帰されるべき
誰も悪くねぇんだよ!悪いのは現状の車椅子だろうがっ!
はてなにも悪いヤツ探しする人が結構居るけどさ、悪いのって人間でなければ環境でも無いんだよ現状の車椅子なんだよ
お前らも日本全国の未舗装通路の凸凹をすべて住民や公共が直せって言われたらバカバカしいって思うだろ?
車椅子はもっともっと便利になるべきだと開発者を応援し、最新車椅子購入の公助の充実化を応援するべきだろ!
どう考えても現状の車椅子の不便さが接客業を中心とした人材へ対して不快さを与えてるんだから変えるべきは人間でなければ環境でもなく車椅子なんだよ!!!
お前らは悪くねぇ!お前らの仕事も悪くねぇ!お前らが住んでる土地だって悪くねぇ!車椅子ユーザーとその親族だって悪くねぇんだよ!!!!!
お前らそんなに冷たい人間か!?映画館は冷たい仕事なのかよ!?違うだろ!!!
まぁ開発者や最新車椅子購入の公助の充実化を応援するくらいはしてやっても良いって思えるくらいには優しい奴らじゃんお前ら!!!!!
長期案件の運用プロジェクトではどのタイミングでやればいいのかわからんな…
まるで九龍城
途中で参画させてもらったからまだプロジェクトリーダーとそこまで信頼関係がない
プロジェクトリーダーも他の案件をやったことがないのか、今まで見た事がない歪さをところどころ感じる
その先のクライアントはあまり開発スキルが無さそうだけど、変に技術者のプライド高いからか根本的な解決方法にならない要件を言ってくる
その両者間で仕様設計をするから工数的には無理がないのだけど、浮世離れした設計だなという感想
このシステムを使うユーザも、以降参画するエンジニアも不憫だな…って思ってしまう
偶々出向してきたエンジニアだからあーだこーだ言うのもアレだけど中々独特な開発環境でハラハラしている…
経験上、突っ込んでいっても碌なことにならないから静観して、自分の意見を求められた時に説得して発言力を高めるのが正解なのかな
気が遠くなる話だよ…
特にDockerのネイティブサポートがないってのは我々からすると年々Macの致命的な弱点になってきてる
Appleからすれば何で自社プラットフォーム以外に投資せにゃならんのってことなんだろうけど
ウェブ開発者もAppleの売り上げにかなり貢献してると思うんだよ。特にDHHがMacを勧めたおかげでMacに乗り換えたウェブエンジニアも少なくないってかかなり多いはず
それ自体はBasecampとAppleの三割税をめぐる争いもモチベの一つだろうとは思うけど、単純にウェブ開発が快適な環境を求めてのことだろう
Appleとしてはマジョリティに売り込む方が大事で我々のような層の売り上げは微々たるものと考えているのかね
まあそうかもしれない
でもさ、今の時代ネットサービスを快適に開発できて快適に使えるっていうのはきれいなフォントと同じくらい重要なことだと思うし
作曲家やデザイナーや映画製作者と同じくらい、ウェブエンジニアに訴求するのも悪くないと思うんだけど
結局この10年くらいは偶然我々の求める開発環境とMacのBSD環境が重なっただけの期間だったのかもしれない
このままだとウェブエンジニアのMac離れはどんどん加速するだろうね
とはいえ自分はMacのフォントやUIから容易には離れられない体になってしまった
ああフォントのためだけにうん十万のディスプレイをポンと買えたり代わりにiOSアプリ開発してくれるエンジニアを雇えるようになりたいでござる