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はてなキーワード: 上京とは

2017-03-28

夢に敗れて東京を去った

夢を追って上京し、それが敗れて東京を去った。

九州帰省して、そこで働き始めたんだけど、

なんか2030年くらいにはミニ氷河期とかが来るらしいじゃないか

詳しいことは知らないけど地球全体がめっちゃ寒くなって、

日本北海道とかでは相当暮らしづらくなって、

東京も寒すぎるので首都移転とか起きて、

南の方へ人口移動が起こって、

そんで俺の住んでるあたりがまた都会になったりしたらいいのにな。

2017-03-27

anond:20170325194531

友達上級家庭育ちで上京した大学生、俺は貧乏育ちの高卒ワープア

あっちは実家から送られた仕送りでやり繰りしてて火の車、それに比べたらまだ余裕がある

よく金があっていいな、と言われるけど企業に入ったら大卒高卒なんてすぐ年収が逆転する

金だけが友達のつながりじゃないし、増田の話は極端すぎるとは思うが

年収が変われば環境が変わりワープア特有の悩み、高年収特有の悩みを持ってくうちにすれ違いが起きることは否定できない

ワープアだけど仕事相手に現役並み所得者のじいさんばあさんが良く来るから知ってるが話す内容が年金暮らし高齢者世界が違い過ぎる

2017-03-26

上京して

今日上京して一人暮らしを始めたけど、コンビニとか飯屋の定員の声が小さくて「これが都会か……!」と思った

あとSuicaには勝てなかったよ……

2017-03-24

デスクトップPCの背面みてると、

VGA端子→田舎娘っぽい。いもっぽい。上京してAVスカウトにつかまって泣いてそう・・・

DVI端子→上京して半年~1年。だいぶ垢抜けてきた。大学デビューっぽいけどまだ田舎っぽさが抜けていない

HDMI端子→もはや見る影もない。信じて送り出したVGA(ry

って感じに見えて、端子が並んでるのを見るだけでもそのバックグラウンドに思いをはせてしまって、感慨深い

カウンセリングに行く勇気がない人はどうしたらいいのか

俺の病名教えてくれよ。

上京してすぐに打ちのめされた。

部屋探し中に東日本大震災が起き、混乱のさなかで決めた物件がとんでもない湿気ハウスで、いつ漏電してもおかしくないと業者の人に言われたので契約キャンセルしたら、感じの良い大家の婆さんから散々罵られた。

この経験は俺に東京への強烈な苦手意識を植えつけた。東京人間は信用出来ない、腹の底ではきっと俺を……

しかし、くだらないプライド地元に帰ることな孤独に生きている。友達なんかできるもんか。



でも、それでも、友達を作るチャンスはあった。

面白くて尊敬できる、個性的女の子と仲良くなりそうになって、何度か大学から最寄り駅まで一緒に帰ったりもしたが、「俺は死ぬまでこの人の面白さの全てを理解できない」という多面的しょうもない考えと「俺はこの人より面白くなれない」という劣等感が頭をグルグル駆けまわった結果、彼女コミュニケーションを取ることができなくなった。

笑いの趣味が近い、物静かな文学青年と仲良くなりそうになった時は、「嫌われたくない」一心で連絡を絶った。

趣味は合わないけど、なんとなく波長が合いそうな気がした高校同級生と再接近した時は、彼に誘われて入った同級生たちのグループラインでの彼の発言が俺に対するあてつけにしか思えなくなって絶交した。

これ絶対心の病気だろ。

カウンセリングに行くのが一番だということは理解している。でも、行く勇気がない。何言われるかわからないし。傷つくかもしれないし。何度も行こうとしたけど、結局いけずじまいで7年目。

病名なんだろう。薬飲めば治る系のやつだといいな。薬出ない系は辛そう

2017-03-21

最近出会った16歳の女の子

ノンフィクションです、稚拙文章力なのは分かってるのでそこら辺はご勘弁


去年の暮れにツイッターを通じて16歳の女の子出会ったんだが

実際に会ってからたくさん遊んだりして仲良くなっていくうちに

彼女のことをいろいろ知った


高専中退で最終学歴が中卒

親は片親で父子家庭だけど父親が60代高齢者脳梗塞入院しててほぼ瀕死

母親40代で以前は母と暮らしていたが、去年、籍を抜けた

九州田舎から今年上京してきて一人で暮らし都内で働いてる


未成年ゆえに家がなかなか決まらなくてこの前まで都内の男の家を転々としていた

もちろん対価はセックス

しかゴムつけないでセックスしまくってるらしい、少し心配になった

でもセックスするだけで家に何週間も泊まらせてくれるのかー、ピルは飲んでるけど

ある時はお金持ちの大学生、ある時は医学部大学生、ある時は自営業男性、ある時は資本家40代男性

女の子って便利だね


残業もあって大変だけどめちゃくちゃ働いてた

週5?勤務+月数十時間残業

この前の月収を見せてもらった、約29万円だった

まだ16歳、いや今年17歳の女の子が中卒でこんなに働いてることに驚いた


上京して来る前は田舎の高級ホテルウェイトレスをしていた

その時からいろいろ上司の男にヤられたり酒を飲まされていたらしい

そのせいかお酒がとても強い

残業も毎度のこと、そいつが帰ってくるのは深夜3時

朝8時にはまた家を出て行く生活をしてた


いまは都内の某有名レストランで働いてるけど、多分誰も彼女が今年17歳のうら若き乙女だとは思わないだろう

よくお店側も彼女雇用したなと思った

彼女自身、凄く大人びてる、顔立ちも身体

お店の人から真珠ネックレスプレゼントされていた

相変わらず男に貢がれてるなーと思った


親のネグレクトになるのかな、何なんだろう、よく分からない

長々書いたけど、こんな子がまだまだ日本にいるんだなって

しかも一人や二人じゃないんだなって、とにかく驚愕と驚嘆

そりゃ日本死ねって言う人も出てくるよなって

思い至るところがあって今回書いた

2017-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20170319211850

かじった程度のプログラミング田舎から37歳で上京して40歳までバイトとしてプログラマー

なけなしの貯金を持って田舎に帰って2年バイト

そこから起業して42歳の今は年収600万の社員社長の俺だけど行動すれば夢には近づくよ。

早ければ早いほうが確率は上がるから悩むくらいだったら行動したほうがいい。

もし失敗しても、それはそれで糧になるからバイトでもやって、金を貯めればいいだけだよ。



借金しなければなんとでもなるのが日本の良いところじゃん。

2017-03-19

実家暮らし24歳の一人っ子だが遠い夢棄てきれずに故郷を棄てたい

今年25歳になる女で、地方暮らし高卒

資格運転免許ITパスポート(笑)

彼氏いない歴=年齢の人間のクズ

父は数年前に亡くなって、母のことは嫌いなんだけど高齢だし、ほっとくのもどうかと思ってる。

今の仕事刺身の上にタンポポを載せるような仕事で、クソみたいな給料でこき使われてんだけど、人間関係には困ってなかったからやめるやめる詐欺でずっと働いてきた。それが最近ハロワで変な噂(だいたいあってる)が流れてて、そのせいで日本人が入ってこなくなって、ろくに日本語もできないような外人さんを、面接(笑)採用して、わずかに入ってくる日本人も、なんかこの人ほかに行くと来ないんだろうなぁって池沼しかいないしで、クソみたいな中国人犬猿の仲になったりで、やめたい。新卒も二人とも屑だったしさ。さっさと辞めればいいのに。

からさっさと辞めたいんだけど、年金暮らしの母を扶養に入れてるから、なかなか一歩を踏み出せないでいる。

任意継続を選べば、2年間は母の保険証は手に入るけど…

から親に稟議を出すのが苦手で、あれがしたいとかこれがしたいとか、自分意見さらけ出すのが苦手で、遠い夢捨てきれずに故郷を棄てたいんだって言えれば楽なんだけど、MPが足りない。

昔夢見ていた職業があって、それをずっと忘れてたっていうか、言い出すのが恥ずかしかったっていうか、ってんで、今は刺身の上にタンポポを載せる仕事に甘んじてるんだけど、それももう6年目…

学生の時はパソコンの大先生(笑)で、趣味プログラミングちょっとできたから、お前はそっちに進めとか周りに言われてて、でも数学がてんで駄目だったからやめたんだけど、今ちょっと触ってみようと思っても、全然筆が進まない。エディタ開いて、やっぱいいやって。能無しみたいにホッテントリニコレポとtwitterFB巡回して、転職先でも探せばいいのに、ばかじゃないの。

こんなんだから上京したって無駄貯金食いつぶしながら故郷にも帰れず、クソみたいな30歳になるんじゃないかって、かといってこのままだらだらと今の生活を続けていても、クソみたいな30歳になることは明白だし。仮面夫婦な親を見て育ったので、結婚なんてできるわけないし。

もう少し強くならなけりゃ時の流れに負けてしまいそうだっていう焦燥感が常に襲ってきてて辛い。

私みたいなのが友達もいない東京にふらっと出てきて、生きていけるのか、だれか教えてほしい。

このままじゃ嫌なんだ。

追記

遠い夢はIT関係じゃないんだ…

2017-03-18

上京してびっくりしたこと

田舎から出てきて世田谷区に住むことになったんだけど

狩りてるアパートの近くに停めてある車が外車ドイツ車が多い)ばかりで

驚いた。東京都民金持ちだなあ。

2017-03-17

3月の田舎者

上京して20年くらいが過ぎた。あの日の3月を思い出す。この春上京するだろう田舎者に伝えたい。東京暮らしもっとも変わるのは、

失敗しても大丈夫

になることだ。

私の出身地では、高卒で某大手電機メーカー工場採用されれば「正解」だった。そのため、高卒の子供をもつ親は工場に勤める人に採用の口ぎきを依頼したりした。私はそれが嫌で、自宅から遠い進学校を選び、そのあとはさっさと上京した。母は高卒でその工場に勤めてほしそうだったと思う。父は私が進みたい道を選んで欲しそうだった。錯覚かもしれないが。

上京してからはいろいろ面食らう毎日だったし、失敗は山ほどやらかした。それでもなんともなかった。田舎なら私の中では終わった話でも、まわりが延々口にし続けるだろうと思えて心底嫌になった。

結局、その安心とされた大手工場は数年前に閉鎖され、実家限界集落になり、住民税では公務員給与も払えない自治体となり、道路は補修されず、山ののり面は大雨で崩れたまま自然に帰っていく緩やかな消滅軌道に乗っている。ふるさと納税なんてしたくもない。早く消滅してほしい。

失敗を許さな田舎は、結果的に誰も行動をおこさなくなった。

から上京する田舎者にたったひとつ忠告は、学校仕事が始まる前にSUICA練習を終えてほしい。

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-15

少しでも失敗したらすぐに投げ出す症候群

私は信長の野望が好きだ。浅井家と足利将軍家お気に入りで、しょっちゅうプレイしている。

でも、どこかの城が攻め落とされたり、合戦で負けたりすると、それだけでコントローラーを投げてしまう。電源を落としてしまう。すぐに取り返せるのに。

私はこんなことをよくしてしまう。

文章を書いている時、少しでもに詰まったら最初からやり直したりとか。

人間関係もそうだ。少しでもしくじったらもう話しかけられない。これまでに何人もの「仲良くなれそうな人」との関係を1ヶ月くらいで一方的に解消してきた。

こういう癖がついたのは7年前に上京してからだと思う。

一人も新しい友だちができない7年間、孤独には慣れたがこの癖には慣れない。

治したいんだけど、どうしたらいいんだ

2017-03-13

エスカレーターの片側乗りを止めるのは難しいと思う

両側に乗れた方が一気に沢山運べるし、構造としても正しい荷重がかかるというのは理解できるんだけど。



片側乗りの時にさ、混んでても前後の人との間に一段ずつ空けない?

あれって私的には他人に密着したくないからなんだよね。



でさ、両側に立ちましょうね!ってなったところで、

一般的エスカレーターの幅を考えると、隣に他人と並んで立ちたい幅じゃないんだよね。

ということで両側立ちになったとしても、きっと左右交互に離れて立って、輸送量はそんなに変わらないんじゃないかと思う。


じゃーもう片側両側とかの話じゃなくないですかね、と。

ただ単に歩くな!って話じゃないかな、と思う。

片側両側の話にしちゃうから輸送量話題になり、でも歩いた方が早い、みたいなこと言い出すやつらも出てくる。

歩くもんじゃないんだよっていう、シンプルな話にしようよ。


日本社会もっと遅刻とかゆるくなろうよ。

みんなが急いでる風景、なんか心が疲れるよ。



ちなみに私の地元ではエスカレーターは左にも右にも寄りません。

歩く人なんかいないし、意識して距離を取らなくても前後左右に空間ができるぐらい空いている。

上京して、もうすっかり左に寄ることが身体に染み付いてしまったけれど、地元に帰ってモールかいくと和むよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170313092932

ほんとこれなんだよね。

関西に住んでいた人に、「埼玉古墳あるから」といっても響くわけがない

奈良は「なんかしらんけど、裏山が古墳です」みたいな土地だし

石舞台古墳百舌鳥古墳群あたりの有名どころが日常にあった人に対して、

関東古墳提案されても「へーじゃあ足を延ばして見に行こうか」なんて思う人は

よほどの古墳好きだし、そういう人はすでに行ってるだろう。

美術館博物館薦める人も多いけど、

確かに価値ある展覧会東京しか見れないものも多いので、私も上京した当初は楽しみにしていたが、

人気館は、土日は死ぬほど並んで、やっと入れたら大混雑、立ち止まってじっくり見ることすら許されない。

ベルトコンベア状態の観覧なんか落着けないので行かなくなった。

増田が言いたいのは本人も書いているけど、「特別凄いものがあるわけでもないところに人だけが凄い」ところで

場所にしてもイベントにしてもお店にしても食べ物にしても、実は大したことがないものを「これは凄い!」と煽って大行列になるのって

東京あるある」なんじゃないかと思う。

じゃあ何がおすすめできるかというと、

もし増田寺社仏像が好きなんだったら、関東では期待に応えられないから諦めろ。と言うしかない。

興福寺阿修羅像程度であんなに行列ができるのが東京なのだ

ただ、東京のお神輿が出てくるお祭りは、江戸っ子って感じで関西では味わえない魅力があるし

伯爵侯爵が住んでいた西洋建築物赤坂迎賓館(事前申込制だが)などの明治時代建築物庭園お勧めできる。

西洋建築物はかつて神戸にも多くあったが、阪神大震災で壊れたものが多いので、

日本橋三越でも私は充分わくわくできる。

オリンピック再開発で思い出の店が消えていく

から21年前の1996年の春。

田舎から上京し、恋愛に非常に疎いモッサい女子学生が、人生で初めて同級生から告白されて付き合うというシチュエーションに舞い上がり、

二つ返事で付き合い始めたものの、完全に知識経験も不足していてどうしていいかからず、日々言動がどんどん怪しくなり、

このままではイケない…と危機感を感じるも、解決策が見つからぬままその怪しさはダイレクト相手にも伝わってしまもので。

「なんか思っているのと違った」

と駅のホーム唐突に言われ、フラれた。わずか一ヶ月足らずの出来事だった。



キャンパス五反田駅に近い場所にあり、要するに五反田駅でフラれたのである

瞬時にぐわあっと逆上した私は

「なら簡単に好きとかいうなぁぁぁぁぁ バーカバーカ!!」

捨て台詞を吐き捨て(実話)五反田駅を脱兎のごとく走り去った。

完全にダサかった。



五反田駅ガード下立ち食い寿司・都々井に失意のまま駆け込んだのは、とにかく根っこから魂が腐っていたので、何かパーっとしたことがしたかったのだ。

イケてる女子大生ならクラブに行くとか、友達誘って失恋カラオケに行ってドリカムサンキュを泣きながら熱唱とか、次行ってみよう合コンをセッティングしてもらったりするだろう。

男だったら、ここは欲望の街五反田なので激安のピンサロスッキリするという選択肢もある。

だが、とにかくイケてないことこの上ないボンクラ学生がフラれた腹いせに思いつくことは、

前々から気になっていたけど入る勇気がなかった立ち食い寿司に、一人で入る選択肢ぐらいだ。

そこで初めて握りの特上とビールを頼んで胃袋に収めた。特上だけど2000円ぐらいの値段だったと記憶している。

めっちゃめちゃ美味かった。



以来、20年間一人で通っている。

学生時代はさすがにそうしょっちゅうは無理だったが、社会人になって都々井に通うペースは加速度的に増加した。

ほぼ週一。多いときは週三。飲み会解散後、一人で〆る選択肢ラーメンか都々井。

立ち食い寿司はいい。自分の好きな食べ方が気兼ねなくできる。

カン連続で生ゲソを頼んだ後あら汁で〆るとか、鯖サンマコハダいわし青物三昧で注文して悦に入っても、ちっとも恥ずかしくなんかない。

飲み会の後、終電間際に駆け込み、リーマン集団疲れたおっさん訳あり姉さんの一人客に混じって無言で食べる寿司は、本当に美味しかった。

そこまで通えば板前さんと親しくなるだろうと思うだろうが、ここは繁盛店だし、

五反田という街がら、板前さんは客に決して深入りなどしてこない。

顔を見て常連でも「毎度!!」と言われるぐらい。それがいい。

都々井がある生活が当たり前で、どんなに仕事が辛くても、人間関係で疲れても、都々井で寿司を食えば

「あー、まあ、また明日も都々井で寿司食うために頑張るか」

ってなった。

ありがとう。都々井。



三年前に品川区から引っ越ししまい、都々井に行く機会はほぼなくなってしまったのだが、それでも月一はなんとか通っていた。

夫も二度、連れて行ったことがあり、都々井が3/18で閉店というニュースを見つけてすぐ教えてくれたのも夫だ。

増田の思い出の店がなくなっちゃうから、なんなら土曜日行く?」

と、おととい一緒に行ってくれた。

閉店を惜しむ人々が、普段並ぶような店ではない都々井に大行列をなし、たまに見かけたおじさん達も何人かいた。

ビール乾杯し、冷酒4合あけ、思い残すことなく好きなネタを注文できた。

ありがとう夫。



もしこれを読んで、都々井に今更ながら初めて行きたいという人がいるなら(いるのかよ)、

おすすめは…芽ねぎとコハダとシメサバ自家製コハダとシメサバのしめ具合は非常にいい。

これ目当てに来るお客さんが多いので、夕方にはなくなってしまうことも多い。

ちょっと珍しいところではごぼうとおかかを巻いたごくう巻き。

黒板下に紙で貼られている単品おつまみは非常にお値打ちなのであれば確実に注文すべし。

都々井のシャリは、回転寿司と違って品良く小さめに握られているので、女性でも一口で、サクサク食べやすい。

ので多めに注文を入れても結構イケてしまうぞ。



オリンピック再開発という時代の波にのまれしまう、五反田駅ガード下の名店の思い出話を、わずかながら知ってほしいと思って、PCに叩き込んだ次第。






追記

元増田Instagram=本人です。

https://www.instagram.com/pochiko.4clover/

Instagramを近々ブログへ移行することを考えていまして、力試しで軽い気持ちで初増田投稿してみたのですが、

初めてゆえに勝手がわからないまま、こんなにもブコメがいただけると全く思わず、まず増田投稿→同じ内容をInstagram投稿の流れでした。

深夜覗いたらホッテントリ入りしており、腰が抜けました。

嬉しいやら青くなるやら…。

こんなに色々な方々から反応・意見がいただけるのはまたとない機会なので、増田という場所に大変感謝しつつ、

このたびはお騒がせしてしまい、大変申し訳ありません。

2017-03-10

家族の中で私だけが異質らしい

「俺がお前の普通に会話が出来るのは、俺がお前に気を使って会話の内容を選んでるからだ」


ついさっき父親に笑って言われた言葉だ。

家族構成は父母私弟の四人。十年以上前離婚して私は母親に引き取られた。

お金問題があったので両親は離婚しているだけで会っていたし、諸事情離婚後に年単位で同じ家に住んでいたこともある。


父は切れやすく、母はその愚痴を私に話す。弟は、特に何もしてなかった気がする。

自立する前は両親の間にはいって仲裁をするのはいつも私の役目だった。


好き勝手やってきた自覚はある。

その代表高校を辞めたことだ。国から奨学金高校に行ってた。払うのは卒業後の私だ。

単純に借金をしてまで行く意味を見出せなかった。

田舎なので私立は滑り止めで受けてた。行きたかった市立高校には少しだけ偏差値が足りなかった。

じゃあ一つランクを下げようとしたら当事の担任から「お前の学力だったら受かるけど、ここを受験しろとは勧めらない。そういう校風だぞ」と止められた。ものすごくお世話になった担任だった。今でも恩師だと思っている。そんな人が止める学校を受けようと思えなかった。

結局ランクをもう一つさげた。すると運の悪いことに偏差値もガクンと下がった。

私は少し足りないだけなら挑戦したかったけれど、母親に「私立に行くお金は無い」といわれ結果として行きたくもない高校に行くことになった。

そのこともあいまって結局辞めてしまったのだと思う。私自身ここは後悔していない。

両親の猛反対を押し切って高校をやめたとき約束を一つした。専門か短大が四年大、どれになるかはわからないけど、高認取って進学するよ。

最終学歴ちゃんと塗り替えるよ、と。

数年掛かったけどフリーターをしながらなんとか無事高認を取ったとき、弟が大学受験だった。

母親に言われた言葉は「弟が受験から一緒に進学しないで」当事の私はもっともだと思った。

別に普通から逸脱してしまったのだから一年ぐらい遅れてもいいや、と思った。「別にいいよ。私のまだ進路決めれてないし」と。


弟が受験を失敗した。滑り止めも受けていなかった。それはまぁ、仕方が無いことだとも思う。

来年チャレンジするよ、という弟。母親には「次は待たないからね」とだけ言った。

後に弟が「ほんとは大学受かる気なんてしなかったんだよね。受験の頃から専門学校行きたくてさぁ」と言い出したことに殺意を覚えたけれど、それは今回は流す。


犯罪心理学勉強がしたかった私は家から通えそうな大学を調べ、受けたいところを一つ見つけた。

ここなら一人暮らししなくても実家からなんとか通えるだろう。家のこともできるし、なんとかなる。

偏差値は高く、しか予備校に行くお金も無い私はとにかく友人知人に教科書参考書を貰ったり、勉強を教えてもらったりしてた。

当事は大学キャンパスの中でバイトをしていたので大学生の知り合いに訪ねたりもしてた。

しかバイトから帰宅してみると母親電話越しに声を派って喧嘩している金切り声が聞こえてきた。相手は大体父親だ。

電話が終わった母親に呼び出されて言われた言葉は「うちは解散するので貴方たち二年後には自立してください」

当事は百年に一度といわれる不景気真っ只中。ことが順当に運べば二年後は私が大学二年の秋になる。

三年生から就職活動が始まるのに、そんな中で追い出されるなんて溜まったものじゃない。

「私四年大行きたいって言ったよね」と喉まででかかった言葉は「お母さんもうお母さんやめたい」と泣きながら溢した母には言えなかった。


結局私も弟も二年で終わる専門学校に行った。犯罪心理学が学べる専門学校は無く、まったく別に進路を選ぶことになった。

自分で決めた学校なので後悔はしていないが、母のあの言葉が無ければどうなってたのかな、と思う。

母を解放してあげなければならないのだ、と思ったあの頃の私に一言伝えるなら「お前が背負う必要はどこにもなかったよ」とだけ伝えたい。

なぜなら二年以上たち弟が正社員として働いているにも関わらず、家をでたのは私だけだったからだ。


専門学校の進学と同時に父親に頭を下げて家を出た私は、今も一人暮らしを続けている。

二年後の卒業との時「私はあなた言葉に従って家をでたけれど、弟はどうするの?ちゃんと解散するんだよね?」と母に聞けば「弟ちゃんはまだ仕事が決まっていないから」

弟の就職が決まったときに「就職決まって何ヶ月だったの?家は解散しないってことかな?引越ししないの?」と聞けば「引越しはするよ!あんたも早く残してた荷物取りに来てよ」

弟を言い訳にし、次は飼っていた犬を言い訳にし、最終的に母が私に言った台詞は「お母さんはでていけなんて言ってない。あんたが勝手に出て行ったんでしょ」だった。

一人暮らしをして、知ったのは自分母親洗脳されていたことだった。

上京した友人は「いやーインフルかかったって親に電話したら次の日にはおかゆとポカリ黒猫で届きましたね」と言った。

別の友人は「奨学金は私の名前で借りてるけど、親が払ってくれてるよ」と学生生活を楽しんでいた。

年末年始に犬の顔を見に帰った私が母親に言われた言葉は「あんたが帰ってくると金が掛かる」だった。服なんて強請ってない。化粧品だってだってない。そんなもの買う余裕があるならご飯が食べたかった。食費を世話になって言われる言葉がこれなのかと思った。

スナックコンビニバイトしながらなんとか生活をやりくりして二年頑張った。付き合いが悪いといわれてもクラス飲み会に参加する余裕が無くとも、なんとか卒業目標に頑張った。

無事に卒業し、一人で生活を回していたけれど、体調を崩しどうにもならなくなった。

母に戻りたいんだけど、と伝えれば今までの喧嘩はどこへやら「戻っておいでよ」と言ってくれた。

泣きながら話し合った。

私は「弟にも許可取らなくてどうするの。貴方一人で決めても安心して戻れないよ。弟と相談しなくていいの」といえば「弟がなんと言ってもあなたが戻ってくればいい」と言ってくれた。

洗脳されてたなんて錯覚だったのかもしれない、私がひねくれてただけなのかもしれない、と思った。


後日母親に伝えられた内容は「弟ちゃんが貴方に戻ってこないで言ってるからうちにはこないで」だった。


泣きながらの話し合いはなんだったのかと思った。母が母であることを辞めれるようになんとか自立した私より、寄生している弟の方が優先されるんだな、と思うと情けなくて情けなくて一人で泣き喚いた。


一人暮らしをしてから、何かと私を助けてくれたのは父親だった。

月に一度は連絡をくれ「ご飯は食べれてるのか」「生活はやっていけてるのか」と心配をし、父も母にお金を渡しているので財布は厳しかったと思う。それでも、時には食費を送ってくれ、時には夜行バスの乗車賃を肩代わりしてくれ、何かと自主的に世話をやいてくれた。

「お前は自分から言い出せないだろう」と。

母親から聞かされていた父は「浮気をする」「殴る」「すぐ怒鳴る」「すぐきれる」「女癖が悪い」他にももっとたくさん愚痴を聞かされていた。

そのうちのいくつかは私も目にしているけれど、少なくとも私に手を差し伸べてくれる父は、母よりもずっと親だったように思う。

「毎月やってあげれるわけじゃないけどね」「出来るときだけしかできないけどね」と言いながら、何かしら声をかけてくれたのは父だった。

から自主的電話が合ったことは一度も無かったけれど。


今も現に父には金銭的にとてもお世話になっているので食事に連れて行ってもらうことが多い。

冒頭の台詞今日食事で言われたことだ。

父は「お前が変だから母親も弟もどうしていいかからないんだ」「俺がお前と会話できるのは俺が会話を選んでるからだ」となんの悪気もなく言われてしまった。

から見た私は、私が変だから関係おかしくなったんだ、と思っているんだなと思うと涙が止まらなくなった。


父は知らないのだ。私が本当は大学に行きたかったことも、それを諦めた経緯も。父がいなくなってからずっと、私は常に弟よりも優先順位が低かったことも。私がどんなに頑張っても、何をしても、何もしない弟の方が愛されていたことを。

父は知らないのだ。


からすれば両親や弟の方がずっと変なんだよ。

私の知ってる親は、小学生の子供を残して毎日パチンコには行かないんだよ。

責任を問えば「またそうやってお母さんのせいにして!」と自身発言責任を認めない母親は変なんだよ。

私の影に隠れてなんの責任も背負ってこなかった弟が「言うことを良くきく子」と評価されているのも、私のとってはなんか違うんだよ。

家族の中に優先順位がついてるのってすごく変なんだよ。

でもこれを伝えても「お前が一番じゃないことが気に食わないんだろ」って言われてしまうことも変なんだよ。


つらい。私が変だからおかしいのかと思うとつらい。

これって最初からいなきゃよかったのと同じじゃないか


追記:20170312

まさかこんなにたくさん反応されるとは思っていなくて驚きました。

トラバ(ここでは枝?になるのかな)やブックマークコメントでお言葉を下さった方ありがとうございました。

私とは違った視点意見や、厳しい言葉などはっとさせられるコメントもありました。

また家族以外の言葉意見を目にしたことで少し前向きになれました。ありがとう

上記はあくまで私の視点であり、両親や弟から見れば私はおそらくろくでなしなのだと思います

両親も変だな、と思いますが私もきっと変なのだと思います。変でも別にいいじゃんと思っているか家族の中で浮くのだと思います

悔しくて悲しくてやるせなくて泣きながら書いた誤字脱字誤変換(今見返してみると本当に酷いですね。笑)まみれの吐き捨てでしたが、色々な意見をいただけて吐き捨ててよかったと思いました。

病気が治ったら(鬱等のメンタルヘルス系ではないです)バリバリ働いて家族とは少し距離を取ろうと思います。犬ももう死んでしまったしね。

なんというか、何回言うんだよって感じなんですけど、厳しいのも優しいのも、同調するのも、全部コメントありがとう。色々と救われました。

根性だして頑張ります

2017-03-07

ペアーズで好印象を得る自分方法

ネットでの出会い一般的になり、PCメインの match.com みたいな

古いサイトだと可愛い子がまぁ少なくなってきている。

※古いサイト=まずメールを送るサイト

現在出会い系では、スマホアプリであるペアーズが主戦場となっている。

(他に omiai など各種アプリがあるが、基本ペアーズだけやっていれば良い)

スマホアプリでは Facebook に連動しており、Facebook を想起させる「いいね!」をお互いに交換しあうことからメッセージが始まるのだが、女性会員にはこのいいねが何十、何百、何千!とつくので、1回会ってもなかなか2回目に繋がりにくいのも特徴である

古いサイトだと2回会うのは簡単でも、スマホアプリだと他からアプローチが多すぎて1人に絞り切れないというのがあるようで、2回会えることが少ない印象だ。

自分も古いサイト出身なのでアプリでの出会い適応するのに苦労したが、

2回会うテクニックとしてこんなのがいいんじゃないかなって

コツがまとまってきたので以下に書いておく。ご参考まで。

ちなみにヤリモクではないので、そっちの方はあまり参考にならないかも。


<基本編>

笑顔相手の目を見る

LOVE理論の基本は抑えておく。

メニューはまず女性側に向ける、デザートを勧める、店員が手渡すおしぼり女性が先に受け取る、

料理を取り分ける、「大丈夫? 寒くない?」と聞く、会計はお手洗いの際に済ませる、など。


場所時間編>

面接場所

恵比寿表参道六本木銀座麻布十番面接をする。

ダメ場所 → 新宿渋谷池袋

この3つの場所はクソ。相手がそこに住んでいても避ける。

面接時間

土日はできればランチで爽やかに。

これまで会った人たちの話もさりげなく聞いておく

女性は夜にあってその日にセックスの誘いを受けてる人が想像以上に多いので、昼なら安心

へぇ、そんな人がいるんだ…(唖然とした顔)」

「既婚の男とか彼女がいる人とかいるみたいだね」

僕は、そういう人たちとは違うんですよアピール

<会ったらしたいこと>

■時々、少し褒める

「お肌きれいですね」「ネイル可愛いね」

「それって○○さんの笑顔可愛いからそう言われるんじゃないですか?」

「えーでも会社男性って見る目ないですね、

 ○○さんがいて放っておくなんて…(じーと目を見る)」


■会話は【石田純一+1エピソード】で

石田純一先生の名アドバイス

へぇ~」「そうなんだ」「ホントに?」「すごいね!」

を繰り返して女の話をずーっと聞く。

ただ、これをやり過ぎると面接後「今日は私ばかり話してゴメンなさい」と言われ、「○○さんのことはよくわからなかったな…」となり女はスッキリはするが2回目会うモチベには繋がりにくい。

なので、話の切れ目で

「あ、わかる! 俺も最近~でね」

「俺もそう! いやなんか~行きたいって思ってさ」

「大変だよね~! 俺もこの前~だったよ」

と、共感&1エピソードを入れていく。(エピソードは極力短めに)

これで、気が合う、話が合う、価値観が合うと思わせる。

もちろん、自分もそう思い込む。

今日ありがとうございましたメールにて、

「たくさん話し聞いてくれてありがとう

に加えて、

「○○さんのこと知ることができた気がします(^^」

を導く。


■場を盛り上げる

盛り上げる=男が面白い話をする

ではない。

盛り上げる=女の子の話にいいリアクションをして楽しく話をさせる

を心がける。

とにかく反応を良くする。

・(腹抱えながら)「○○さんってホント面白いねw」

・顔をくしゃくしゃにして、手を叩いて爆笑する

・(目を見開いて)「そりゃすっげー!」

・(目を見開いて)「そう! そうそうそう!」

というように、この子ってなんて楽しい笑える話をするんだろう

っていうリアクションを心がける。

石田純一芸人になったイメージ

こちらがまったく面白い話をしなくても、

面接後に「とっても楽しかった!」というメッセージを頂ける。


■今度どこどこへ行きたいね、をちょいちょい入れる

○みんな大好き、美味しいお店情報

例えば野菜が好きってことなら、この前行った美味しい野菜のお店情報

辛いものが好きってことなら、この前行った美味しい辛いお店情報を入れて、

「すっごい美味しかった! 今度ぜひ」

「そういうのが好きならこういうお店もあるよ、じゃ次はそこだねw」

さりげなくひとこと追加して、その際の相手の反応を確認しておく。

目を伏せて「そうですね…」と苦笑か、

目を合わせて「ぜひ!」なのかを判断

お店を知らなくても適当に言っといて後で調べればいい。

場所イベント

上京したての子なら、「東京なら~~に行った?」と

ちょっとマニアック目な場所イベント情報差し込んでいく。

「あ~そこ行きたいよね~」

「シー行くならトイストーリーマニアしかったよー」

で「行きたいです」と言わせる。

これまでの反応が良かったら「じゃ行こうよ」も有り。

この人いろんな事知ってるんだ、

また会っていくと、美味いもんや楽しいことが待ってる!

と思って頂く。


■別れ際

笑顔で改札やエスカレーターを見送る



以前2ch用に途中まで書いてそのままになってたので書いとく。

2017-03-04

もう都内子育ては出来ないよ

東京では高度経済成長時代あたりからドーナッツ化現象」と言う現象があった。

都市部から郊外へ人が流出都内公立中学校の統廃合や公立保育園の統廃合や規模の縮小が進んだ。



その流れで都内空き地がどんどん商業ビルオフィスビルマンションに切り替わっていった。

90年代に煩わしい近所付き合いやしがらみの多い地方から脱出する目的上京していく人も増えた、そして2000年辺りにおひとり様ブーム

独身バリキャリ女性が贅沢を楽しむライフスタイルがもてはやされた・・・そして「単身世帯向けに最適化された東京」と言う首都が完成した。

そして「保育園落ちた日本死ね」が突如噴出した。



政府対策を練り自治体保育園を増やそうとしてる、しかし「単身世帯最適化された東京」は一般世帯(夫もしくは妻子持ち)が快適に暮らせるようにするのは無理だ。

一言で表せば「都市計画の失敗」であるしかしもう何十年にも渡って単身世帯向けに最適化され続けた東京を「一般世帯暮らしやす東京」に変えるのは至難の業だ。

90年代に煩わしい近所付き合いやしがらみの多い地方から脱出する目的上京していく人も多かった影響で下町の住人以外は他者への関心も薄い。

公立中学校の統廃合や公立保育園の統廃合や規模の縮小で出来た空き地を売ってしまった以上は買い戻すこともできない。

保育園落ちた日本死ね」を言っている世代の子供が成人している頃には状況が変わっているかもしれないが、今度は高齢化社会だ。

人口が減ってせっかく増やした保育園をまた潰すことになるからなるべく自前で建てたくない・・・・と言うのが自治体本音ではないだろうか。

2017-03-02

ひとりぼっちからの脱却方法がわからない

アラサー独身彼氏もなし。

最近友達が欲しくてたまらない。



高校の友人は大学進学の上京から疎遠になってしまった。

大学の時はサークルにも入らず短期バイトばかりしていたので、この歳になっても遊ぶような友人はいない。

社会人になってから入社した会社の同期は結婚ラッシュだし、そうでなくても二人で遊ぶような仲の人はいない。

今の会社は人数が少ない。



友達が欲しい。

睡眠漫画を読むこと、そして何もしないことを優先させてきたせいでまともな友人がいないのだ。

今までの私ではダメだ、せめて積極的にこちらからコミュニケーションをとらなければ、と思う。



ただその努力をまずどうやってすればいいのかわからない。

ひとりで出かけてもひとりぼっちのまま帰ってくるだけだ。



大人になってから人間関係ってどうやったら広がるのだろう。



とりたてて趣味もない。

興味もない。

ただ友達を得るために、何かを趣味にするべきなのだろうかとは思う。

2017-02-25

私がえっちゃんを嫌いなのは何故なのか

私はえっちゃんが嫌いである。ガールズバンドボーカルのあのえっちゃんのことだ。

明確な理由はすぐに思い浮かばないくせに、嫌いという感情名前を目にしたり声を聞いたりするだけで私の心にふつふつと湧き起こる。ああ、またCMえっちゃんの声がする。嫌いだ。


私がえっちゃんを知ったのは10代の頃だった。当時仲良くしていた男性がいて、その男性が「えっちゃんかわいい」と言ったからに思う。それまではバンド名と有名曲を少し聞いたことがある程度でボーカルえっちゃんという名前ということは知らなかった。

その男性とは曲の趣味が合うのできっと私も好きになるだろうと思った。


ちょうどその頃だったと思う。なんの番組だか忘れたがえっちゃんテレビに出ていた。愛嬌のあるのっぺりとした顔立ちで、小さく華奢で、声が女の子らしい。スリーピース体制だったが三人とも野暮ったく上京したてなんだろうと思った。

その番組の中で三人にいろいろ質問をしていた。Yes/Noで答えられる質問ばかりだったと記憶している。そこで事件は起こったのだ。

どういう質問だったのかも忘れてしまったがえっちゃんは、えっちゃんだけは他の二人をまるで見捨てるような回答ばかりしていたのだ。売れるためならソロでもいいというようなことを言っていたように思うが、記憶を改変しているかもしれない。真逆のことを言っていたかもしれない。とにかく、他の二人とは違う回答をしたのだ。

女性は周りに合わせ必要以上に空気を読む性質を小さい頃から持っていると思うのだが、そのときえっちゃんはそんな気を微塵も感じさせない言葉を使っていた。そのとき私はこの女を嫌いだと思った。

この女は売れるために、有名になるために、たくさんの人に自分の曲を聞いてもらうために、自分の声を聞いてもらうために、周りの人間踏み台にしていくような女なのだと。

もちろん売れるために良い曲を作り発信していくことは素晴らしいことだ。しかしその過程で今まで一緒にやってきた“仲間”をいとも簡単に切り落とすことにためらいのない人間に、どうしても違和感を感じてしまった。

それからだ。私がえっちゃんを毛嫌いするようになったのは。きっとこれがそうだ。

この番組を見てからえっちゃんを、えっちゃんの声を嫌いになった。


それからというもの、私はえっちゃんこき下ろすようになった。

顔がかわいいわけではない、どちらかと言うと残念な方だ。百均の300円商品のような感じ。体型がセクシーなわけでもない。薄っぺら思春期前の少年のようだ。声も甲高く、あざとさが目につく。曲はいものも確かにあるが、地味な女性が歌うからいいと言う“地味な女性”を抜いてしまえば凡庸ものに感じてしまう。

そして結婚を三年隠していたこと、妊娠が発覚したときに完全に大嫌いになった。あざとさだけでは飽き足らず、えっちゃんは強か過ぎた。あんなに清純そうに振る舞っていながらも実際はバンドマン旦那と愛を育んでいた。ファンではないがとてもショックを受けた。ああ、私があの時感じた違和感気持ち悪さは当たっていたんだと。

持論だが、性を感じさせない容姿をしている女ほど性欲が強いように思う。素顔に近い化粧しかしない人、自毛そのままでカラーパーマをしない人、Tシャツジーパン好きな人など。

えっちゃんは持論に驚くほど当てはまる。ウブな見た目に騙されてはいけない。えっちゃんは経産婦だ。


私がどうしてえっちゃんを嫌いなのかを考えつらつらと文章を打ち込みながら、気が付きたくなかった事実に辿り着いてしまった。

私はえっちゃんが羨ましいのだ。

どちらかというと残念な見た目をして性格陰険田舎者みたいなえっちゃんがたくさんの男を魅了して(たとえそれがオタクな男たちであろうとも)、バンドマンという目立つ職をしている男を捕まえ結婚その男の子供を産み、それでも人気があることに。

私はお世辞にも綺麗とは言えない見た目をしていて、体も薄っぺら貧乳だ。性格は薄暗く頭もおかしい。単語を並べるだけならえっちゃんとそう変わりはないのに、えっちゃんメジャーデビューしているガールズバンドの顔でファンもたくさんいて旦那もいて子供もいる。たまにいい曲も書く。私はただの事務員で未婚で恋人もおらずついでに言ってしまうなら処女だ。しっかりと誰かと付き合った記憶はない。

私はえっちゃんが羨ましいのだ。気が付きたくなかった。羨ましい。

一般的女性幸せを掴んだえっちゃんが羨ましい。これからもいい曲を書いてね。聞かないけど。

2017-02-19

東京引っ越してびっくりしたこと

1.冬に青空が広がる

日本海から引っ越し自分には一番衝撃的だった。

これは太平洋側ならどこでもそうなんだろうけど

冬になるたびに「ここは沖縄か?」と思う




2.地震が多い

震源茨城地震が多い。

茨城の人は大変だと思った。




3.歩きタバコだらけ

毎日のように歩きタバコに遭遇する。

と言っても車社会地元だと車からポイ捨てをよく見た

特別東京人マナーが悪いとかではないと思う。

でもウザすぎ




4.駐輪に金がかかる

ありえん




5.ゴキブリが出る

泣きそうになる




人が多いとかビルが高いとかは数ヶ月で慣れた。

でも上記のポイントには上京して5年くらい経った今でも新鮮に感じる。

2017-02-14

地方から鈍行で美容整形の為に上京している道中で

Amazonで数十円で買ったフランツカフカの「変身」を読んで行ったんだけど、我ながら体を張ったシュールギャグだったと思う。

みんなに言いたいけど言えないのでここに書く。

2017-02-13

から電話がつらい

上京して既に10年以上経つが。未だに週に1・2回は田舎の父から電話が来る。

家に子供がいなくて寂しいのだろう。話し相手になってやろうじゃないかという気概はある。

しかし、電話の内容が毎回「お前は長男なんだから云々」「長男としての責任がアレコレ」というのが本当に辛い。

曰く、俺は長男から両親の面倒を見なければならない。

曰く、俺は長男から弟の監督をしなければならない。

曰く、俺は長男から頑張らなければならない。

両親の面倒は、まぁ分かる。実際兄弟のうち誰がやるかという問題はあるし、自分妥当であろうという考えさえある。

でもな、とうの昔に社会人やってる弟の面倒まで何故俺が見なくてははならないのかね。自分のことですら精一杯なのに……

長男であるお前の言うことを弟が聞かないはずはない」などと申しますが、父よ、それはあまりにも尊大な考えではないでしょうか。

だいたい、弟の方が勉強運動も出来る上に社交性もあって、普段人と関わらずネットアニメ観てニヤニヤしてる俺なんかよりずっと立派な人間だ。

たかだか1・2年早く産まれたからって、何故そんな責任が生じるのか。つーか過干渉過ぎませんかね、俺にも弟にも。もうガキじゃねーんだ。

そして俺は既に頑張ってる。言われなくても頑張ってる。頑張らないと社会では生きていけない。

小さい頃から似たようなことはずっと言われてきたけど、親元を離れてから10年以上も同じように言い聞かされるとは考えてもいなかった。

毎回同じことしか言わないので、一人暮らしを始めてから1年も経たない内に、父から電話をとるのが億劫になってしまった。その話題の為だけに電話を取らなければならないのであれば、電話にも出たくなくなるってもんだ。しか素面の時は絶対に連絡しないんだから困る。何故こうも酔ってられるのか。何故自分発言を忘れられるのか。

言われなくても、もうわかってる。あんたらの面倒はみるつもりだし、弟に必要意見は言うし、自分なりに頑張ってるつもりだ。

からもう、取り留めのない話題でいいから、別の話をしてくれ。辛いんだよ本当に……長男からって理由だけで生じる責任を見つめさせられるのが。

2017-02-10

しゅうかつこわい

本格スタートが目前に迫った今、改めて思う。

就活が怖い。

私は、所謂MARCHと呼ばれる学校に通う大学3年の女だ。

とある地方出身で、3年前大学入学のために上京してきた。

就活が怖い。

私は、競争という競争をしないで生きてきた。中学までは地元公立高校ほとんど勉強せずに入れたし、大学指定校推薦で決めた。

年代との「人生をかけた競争」をしたことがないのだ。

就活が怖い。

これが初めての競争になる。右も左も分からない。辛いことは全部避けて生きてきた。そんな自分が1人で戦っていけるだろうか。

就活が怖い。

内定が取れるか取れないかじゃない。

就活を通して自分メンタルがどう崩壊していくか」

これが分からないんだ。


から私は就活が怖い。

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170209233435

札幌から上京して思ったのは、東京「高くてうまい」はたくさんあるけど、「安くてうまい」は比較的少ない。食べログを駆使して行かないと出会えない。ただラーメンうまい札幌ラーメンはどうしようもない。

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