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2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-13

差別白人より在外日本人の方がウゼーんだが

アカデミー賞白人俳優アジア人俳優に失礼な態度とった話題あるやん

 

あーそうなんやーとか、

なんかいつも誰かが不調法やって燃えとんなとか、

アジア人俳優さんもその場でカンフービンタぶっ込めよとか、

そんな感想で閉じたんだけどさ

 

ふと見たらXで在外日本人アカウント達が盛り上がってるわけよ

「ああいう見えないみたいな扱いよくある!」

「私もされた!」

「これは大問題!」

みたいに

  

まあそういうあるあるネタまでなら別にいいんだけど

なんか話の結びとして変なこと言いだしてる奴が多いのよな

「これはみんなの問題日本から声を上げて!」

みたいな

   

いやそれはちげーんじゃねーの?っていうね

そもそも俺らは在外日本人アカウントがうっすら嫌いなんだよな基本的

海外在住レイシスト毛唐よりもリアルに嫌い

    

だって在外日本人アカウントって基本カスが多いやん?

アイデンティティ国籍移民先の国に移したのにそっちの言葉を頑張らず

その後何年たっても日本語メインで発信してる奴はその時点でろくでもねーわけだが、

そういうのの中でも目立つ奴等がだいたい日本日本人への態度悪いじゃん

  

どう見ても頭脳能力が秀でてるわけでもない

ただ単に”海外在住”だけが個性の奴が  

海外では―」「欧米先進国では―」

っていう日本日本人へのマウントを散々やってるよね

  

あんなん日本人からすれば

「しつけーしうるせーよ」とか

日本を見限ったようなこと言いつつ何故延々日本語書いとんねん」とか

「現地の友達いねーのかよ」とか

あい感情では眺めてない

  

なのにこんなときだけ

「この国で私達は差別されているの!」「日本からも声を上げて!」

って、お前どういうつもりなの?っていう

お前は困った時に助けてもらえるほど誰かに好かれてるつもりだったの?みたいな

    

そんなん聞かされた日本人バカバカしくて

「いや日本より遥かに進んだハッピーな国におすまいの筈でしょ?」

オワコン日本とか連呼してたやんけ、こっち見んな

くらいのことしか思えないよね

    

  

じっさいアメリカ欧州でそういう荒んだ差別があったって

それは嫌な国ですねえってだけの話だからいちいち心配はしないやん(日本に来て日本人差別してたら殺すけどさ)

そんなんはご当地地元民の幼稚さや下劣さであり

もしくは移住した日本人たちの努力不足闘争不足ってことでしょ?

 

なんでそんな話までイシューとして日本に投げて寄越されなきゃあかんの?

それぐらいどう考えてもお前等の問題、お前等が頑張ってねで終わりっしょ

お前がアメリカ人(orアメリカ居住者)としてアメリカを良く(貢献)するんだよ!

って話じゃん

   

   

日本でずっと生活してる側からすれば

「私の住んでる国と比べて日本差別的だ後進だ」ってマウントされて、

「私の住んでる国でアジア人差別があるぞ日本は身の程を知れジャップ努力が足りない」ってマウントされて、

要するに在外日本人アカウントの話って全部が不快だし全部がてめえ勝手から

もうおめーらの話なんか聞きたくねーよって感じなんだよな

    

  

とあるごとに恣意的比較日本見下して悦に入ってたくせに

こういうことがあった時だけ「いじめられたの!これは私たちみんなの問題だよね!?」って泣きついてくるのなんなん?

  

おめーらはおめーらの選んだ国でおめーらの人生頑張れよっていう

おめーらの選んだ国に問題あるなら改善するのがおめーらのその国への貢献だよっていう

そういう素朴な感想を抑えがたいんだよね

  

その国の良いとこは我がことみたいに使って日本マウント掛けてくるくせに

その国の悪いとこは自分改善の労を取らずに日本に助け求めるってなに?

それじゃあおめーらはその国から見てもただの寄生虫じゃねーか

  

要はカスタイプ上京者みたいなマインドしてて

日本を都合のいい田舎地元実家みたいに思ってるんだよな

   

佐賀から上京して地元悪口言いまくってたやつが

東京ちょっと田舎者」なんていじめられた途端

佐賀バカにされてるよ!これはみんなの問題!」って地元に泣きつく感じ

その東京もんは佐賀バカにしてるかもしれないが、まず舐められてるのはおめーだろ

  

てめーで戦えよっつーか

見下しながら甘えんなっつーか

要するにアメリカ馬鹿白人よりお前等の方が不快

計画停電てどんなだったの?

2011年3月九州に住んでいたので「東北で大きな地震津波があって、たくさんの人が亡くなっているらしい。原発も爆発してやばいらしい」ということくらいしか認識していなかった。

1年後に進学のために上京したけど、周りには東北出身の人も多くいたので「震災ときどうだったの?」なんて話題を振るわけにもいかず、メディアから受動的に受け取る情報しか震災のことを知らないまま今日まで過ごしてきてしまった。

先日ツイッターをみていると「計画停電」がトレンドに上がっていた。言葉として聞いたことはあるけど、具体的にどんなものなのかよく分かっていなかった。

妻は震災当時千葉県に住んでいたらしく、「計画停電のせいで、飼ってたペットほとんど死んだ」と言っているのを一度聞いたことがある。気の毒なのでその時のことは深く聞けないままでいる。

この折に計画停電のことが気になって少し調べてみたけど、当時の人々がどんな空気感でその環境に身を置いて、どんな風に過ごしていたのかまではよく分からなかった。

誰か、当時の経験や覚えていることがあったら教えてほしいな。よろしくお願いします。

2024-03-10

札幌出身なのに出不精すぎて札幌名物北海道名物もよく分からないまま上京してしまったので、地元民がおすすめするような食べ物場所を教えてほしい。

現状、奥芝商店スープカレー食べて、白い恋人のお城みたいな工場見学して、北大クラーク見に行けば?みたいな提案しかできない。

2024-03-09

Uターン転職しんどい

上京してから就いた職場が消えることになったのでこれを機に地元に戻って転職しようと思ったけど思ったより過酷だった

在職しながらの転職活動しかも遠方での職探し舐めすぎてた

うそ退職だけど今の仕事業務地元に帰ったあとの住居探し+引越しにかかわる手続き諸々が忙しすぎて他に手が回らない

もっとはやく転職先を見つけるべきだったんだろうけどオンライン面接対応してくれる上に今の職を辞めるまで猶予をもらえる企業地元で見つけるのは至難の業だった

どうしようもないので今は退職して地元に戻ってから転職先を探そうと思ってるんだけど親からはお前まじで大丈夫なんか?という心配をひしひしと感じてさらに辛い

見通しが甘かったことは重々承知してるからこそ言いたい、Uターン転職はまじでツテがない限りやめておけ

2024-03-06

桜餅エントリ読んで思い出した

岩手県出身冷麺といえば盛岡冷麺なんだけど、上京して焼肉屋冷麺頼んだら麺ボッソボソでたまげた記憶がある。多分あれが韓国冷麺なんだろうな。

関西では冷やし中華 (岩手では冷風麺と呼んでいた) を冷麺と呼んだりもするらしい。

冷麺」を食べたくて注文したら3種のどれが出てくるか分からないの、割と博打だなと思わなくもない。

2024-03-05

東京で意外な知人と遭遇した

中学時代不登校のやつだった。

学校に来ることはできんのに上京はできるんかい

東京すごい

今日上京してきたんだけど東京すごい。

人がたくさんいるし、本社?なのか知らないけど有名な企業建物いっぱいあるし、ブランド品のお店も沢山あるし、ベンツとかフェラーリも見かけたし、すごいカメラ積んだ車とすれ違ったし、みんなオシャレだし、ビルとかオブジェ?とかもたくさんあるし。

東京すごい。

実家拠点を戻せる気がしない。

2024-03-03

人間らしさを失っているような気がする

アラサー増田だが、近ごろどうも感情が摩耗していると感じることが多々ある。それはYoutubeAmazon Primeのような動画ストリーミングサービスを見ているとよく自覚することだが一喜一憂(画面内に向けて感情移入した結果だ)することが以前(記憶一年)よりもめっきり減った。もし一喜一憂したければアルコール摂取することで出来ていたが最近その効能も薄れてきた。だから初心に帰ろうとけいおん!!を見た。今までは最後文化祭の後、五人が部室で足を放って語らい、あり得ない来年勧誘ライブプランを補強し合うシーンに今まで幾度も泣かされてきた。が、どうにも泣けなかったばかりか真顔で見る始末。どうにもオカシイ。ならばとクラナドを見た。が、泣けない。ならばダリフラ最後の二話を見た。が、真顔のまま。他の泣いたことがあるアニメを漁っても変わらずだった。とここまでは単なるアニメから無意識のうちに足を洗ったのだと理解されるだろうがその範囲アニメには留まらない。現実職場でも同じだ。

前ならイラついていたに違いない後輩の不出来さや上司理不尽さ、同僚のいい加減さに今ではなにも思うところがなくなった。その尻ぬぐいをする時でも、なんとも思えなくなってきた。あるのは自己保身だけで、だから自覚した自分感覚としては反応しかない。後輩の不出来さで自分が足を引っ張られやしないか上司理不尽さをどう掻い潜るか、同僚のいい加減さの連帯責任をどう回避するか。その怯え、それだけだ。何も出世しようとかは考えていない。だから出世意欲に根差した反射ではないと自分では思っている。

前なら内心で気に入らなかった同僚が上司に呼び出されるのを見てザマァと思って愉快に浸っていたのもなくなったし、コンビニレジ前で精算にまごつく老人(これは意外に若者でもそう)に内心苛立つこともなくなった。これはこれで一つの悟りとも言えるだろうが、自分では危機感がある。何も正直欲が消えたのが今だ。

恥ずかしい話になるが、結構な頻度(月二回)で本番ありの風俗で発散することも以前の趣味だったし、風俗サイトコンパニオンを見ながら想像たくましくするのも愉快だった。けれど今じゃ(ついさっきも見ていた)風俗サイトを見ても、今まで楽しんできた分の経験があるからかなんなのか解らないが、仏塔が艶やかにそそり立つことがなくなった。じゃあEDなんじゃないかとも思うが、夢精は一昨日した。だからそうじゃないと思う。

母親から電話があった。電話越しにでも老い母親の元気そうな声を聴くのは良いことだ。三年くらい前に夫を亡くして、離れてはいないが県を跨いだ土地で一人暮らす母は自分の身の上以上に一人息子のこの増田心配してくれている。月一、二で送られてくる生活用品や食料が詰められた段ボール開封していくと、大学入学を機に上京したあの頃を思い出して感慨に耽ること多事であったが、今では義務的な、送られてきたから開ける、そして電話ありがとう、と言うのが日常の一部に組み込まれたようで、まるで業務をこなすように、日常がそう言った物事浸食されていく感覚がある。

職場では以前と変わらない振る舞いで、事務のおばさんとも世間話が出来るし、具体的な仕事内容は伏せるが業務連絡も漏れなくこなすし、ミスなく仕事をしている。職場では、特に不具合なく過ごせているのに、マンションに帰った途端にスイッチが切れたか入ったみたいに別人になるのを感じる。なんと言うか、スンとなる感覚

たぶん人間らしさって言うのは、あえて他のものから区別するためにある言葉なんじゃないか一二年前の自分は、仕事に追われているからとかじゃなくて純粋人間らしさを失っているとは考えなかったからだ。考えてしまう今、前のように一喜一憂することもなくなった現状、人間性を失っているのだろうと思う。共感性もそうだし、関心も失っている。自閉的かと言われればそうではない。正直自分でもよく解らない存在になっているようにも感じる。まるで情報処理機関と化したような感覚さえ覚える。これって一体なんなのかしら

anond:20240302171109

田舎者、都会人の定義を書いていたのが伊丹十三景山民夫だったと思うが

都会で生まれ育つと他人との接触機会が多く所作言動自然と研ぎ澄まされていく

これを成していないのが田舎者である、というような内容だったと記憶している

俺はそのように解釈した。

 

例えば田舎者電車ドア前で仁王立ちする、都会でやれば押しのけられて不愉快な目にあう

何度も経験して頭を使えば自然他人迷惑にならない所作が身につく

ガラガラ田舎ではこのマナーは身につかない。

4月になると上京したての田舎者がドア前で仁王立ちしているので突き飛ばしてあげる都会の洗礼

 

ところが、東京さら限界を超えた過密都市になった

思いやり精神公共マナーで車内奥に入ると目的駅で降りられない

「そんな奥に居るのが悪い」

ドア近くを死守するのが都会の合理的所作になっている

 

他人とのトラブル軋轢を避けるリスクヘッジけが研ぎ澄まされる

ルールに雁字搦め

 

しかし乗り降りする人の邪魔だろうがドア前を確保するのは僕の権利です、禁止する法律は無い。

このような屁理屈なのだろう。

 

これを正当化するために、都会のルールうそぶく

 

一方でアレもダメこれもダメ、車内の会話はそれを不愉快と感じる人が一人でもいるだろうからダメ

 

不合理で面倒くさい進化だなぁw

ご苦労さま

anond:20240303102909

今は上京しちょるけど昔は住んじょったよ

地元と親戚の地震情報スマホアプリ登録しちょるから頻度とかはある程度は把握しちょる

西日本にしたのは親戚含めると5か所くらい知っちょるけー

anond:20240302202732

これまでも千葉ってたまに群発地震起きてなかった?

上京してやたら地震が多いからよく覚えてるのもあると思うけど、似たような地震が多い時期ってこれまでもあったよね

西日本に住んでると地震かなり少ないか東京はこんなに地震多いのかと驚いたよ

今回みたいにニュースにはなってるのは珍しいけど

それとも揺れ方が嫌な感じするとかそういう違和感

能登群発地震からの令和6年能登半島地震から備えるに越したことはないとは思うが

2024-03-02

チンパンジーライダー共へ。

前編

anond:20240301101812

よう、また会えたなチンパンジーども

俺はこの、増田という日記帳に書き込んだのは実は昨日が初めてなんだ。

パンジーの教えに「新しいコミュニティじゃ半年ROMりゃなあかん」というものがある。

それを忠実に守り、温めていた文章投稿させてもらった。

それがここまで多くの人に読んでもらえるとは思いもせず

交通安全啓発の一助となったのならチンパンジー冥利に尽きるというものだ。

(実際15年くらい2chやらSNSから離れていて頭チンパンジー


主題は、ニンゲンたちのコメントの中で

kuborie ライダー編も書け、いや、書いてくださいよろしくお願いいたします。

このように書かれており、ニンゲン従順チンパンジーの一匹である俺は従わざるを得なかった。

また勢いに任せて書いてしまたこともあり、色々と指摘もあったのでドライバー編にも後日修正を行う。

とはいえバイクのことは何もわからないチンパンジー

パンジーには幼少より口を酸っぱくして

チンパンジーバイクは乗れないの、諦めなさい」

こう言われて育ってきたため、レンタルキックボードくらいの経験しかない。

幼少の頃より憧れはあったものの、運転には才能と訓練が必要らしい。

ニンゲン小説だか漫画かにとある種類のバイクスポットライトを当てたものがあった気がするが

その中で、チャラチャラしたチンパンジーが通りがかりのニンゲンの女ライダー

パンクも直せないのならバイクに乗るな、とボコボコに殴られるような描写があったのを思い出した。

かにバイクツーリングする場合山道など自然の多い場所に出掛けている人も多い。

ある程度は自分対応する力も求められるのかもしれない。

さて、バイククルマの大きな違いはなにか

統計的には、クルマバイク事故の発生頻度はそれほど変わらないらしい。

ただ、万が一事故に遭ってしまった場合の、肉体へのダメージが大きいということは容易に想像できる。

これは考えてみれば当たり前で、バイクは生身の体が飛び出しているわけだ。

ヘルメットだけでなく、グローブや肘・膝・胸部プロテクターなど最大限の安全装備を整えろ。

分かったな、間違ってもTシャツサンダルでブロロロするんじゃないぞ、そこのチンパンジー

近所だからいいとか、田舎からいいとか、そういう気の緩みが事故の元なんだ。

俺が死ぬだけなんだから放っておけ?

仮にお前の装備が不十分だったために、亡くならないまでも、一生残る傷を抱えてしまったら?

もちろん、轢いた方が悪いのはそうだが、その人に一生消えない後悔の念を残すことになる。

そういったところまできちんと考えて鉄の馬を操作しろ

冬は寒いし夏は暑い

外気に長時間さらされるということは、当然疲れるということだ。

適宜、パーキングコンビニに立ち寄り、休憩を取れ。

最近では、道の駅が全国に増えているようだ。

そういったところでお土産を買うのもツーリングの楽しみ方のひとつだろう。

自転パンジーキックボードパンジーたちは、とにかくイキがるな

かに免許は高い。高いが、免許を取ることは自衛もつながるから

財布と相談して時間と金があるなら取得を目指してくれ。

近所に子供を乗せながら、傘を差しながら、電話をしながら運転しているチンパンジーを偶に見かけるが

マジで交通ルール勉強してくれ。

分かった、せめて学科試験だけでも義務教育に含めてくれ。

中学三年生に交通という科目を設定してくれ。頼む。お願いだ。

ライダー編ここまで。詳しい人教えてください。
以下、ドライバー編で抜けていたところとやや上級

睡眠時間を確保しろ

アルコールの項目に書くべきところだったが、これも重要だ。

まりに少ない睡眠時間だと、アルコールで酔っ払ったのと同じくらいの脳の反応速度になるらしい。

増田ばかり見てないでいますぐ寝ろ。

お前が営業外回りをしていたとしても、うとうとしたのなら仮眠を取れ。

最近じゃ、俺たちチンパンジー運転の様子を記録する会社もあるらしい。

そんなもの関係あるか、問答無用で寝ろ。

「お前、なんかアイドリング時間多くないか…?」

「うるせえ!!!!!」

命と仕事、どっちが大事だ。俺は命を取る。

とはいえ自家用車にもドライブレコーダーは付けておけ

眩しいと眠くなる

これは俺だけかもしれないが、眩しいと眠くなる気がする。

サングラスを用意しておけ。

夜、見づらくなるやつは、昼夜兼用ドライビングサングラスのようなものがあったような気がするから

そういうのを試してみるのもいい。

運転計画を立てることと、紳パンとしての気遣い

特に時間運転するとき計画を立てろ。

どことどことどこのPAまたは道の駅またはコンビニに寄るかきちんと考えておけ。

お前は漏らしてもいいかもしれないが、トイレが近いパンジーもいる。

それを恥ずかしがって言い出せないパンジーもいる。

冷房温度にも気を使え。お前は毛深いから寒くないかもしれないが、同乗者は寒いと感じているかもしれない。

ブランケットも用意しておけ。

別にドラマの如くドアまで開けて、頭をぶつけないよう手をかざせと言っているわけではない。

だが肉体的な性差への配慮をこっそり行うのは紳パンジーの責務だ。紳パンたれ。

そもそもあれってどうなんだ、どこまでお姫様扱いだ?

ドアくらい自分で開けれるだろうが。バカにしてるのか?

ニンゲン世界は果てしなく分からない。

とにかく車間を空けろ

500mでも1,000mでもいい、とにかく車間を空けろ。とにかくチンパンジーだ。

お前はクルマを完全停止させるのにどれだけの距離必要だか把握しているのか?

俺はしていない。そんなことはニンゲンに任せておけばいい。

俺たちは、とにかく車間を空けておけばいい。

50mでも100mでもいい、ちょっと空け過ぎかな?あれ、後ろに煽られてる?

そのくらいで丁度いい。

イキったチンパンジーが痺れを切らして左車線から追い抜いてくる、その程度で丁度いい。

そもそも左車線を走れ。

最近職場で与えられたクルマは、よく分からないが勝手に前の車を追随し車間も保ってくれる。

三段階で車間を設定できるのだが、その車間でさえ、イキリチンポンジーあおり散らかして左からその車間に収まってくる。

高速道路運転するときバックミラーを見ないくらいの王者の風格を見せつけろ。

ベテランドライバーバックミラー10~20秒に1回くらい見るそうです。ちゃんと見ましょう。

チンパンジー視野は狭い

お前も、車校ベテランドライバーチンパンジー視野比較映像を見せられたことがあるだろう。

チンパンジーは目の前のクルマしか視界に捉えていない。

例えば数台前のクルマや、隣や後ろを走るクルマや、はたまたコンビニ駐車場から出そうなクルマなどに

ベテランドライバーはしっかりと目を向けている。

反対車線に停まるトラックの影からハイチンパンジー

公園脇でトイレ休憩するタクシーの影からハイチンパンジー

こういったあらゆるモノの影からびっくりチンパンジー!の可能性を常に考えている。

いきなりチンパンジー、またもやチンパンジー、あたかチンパンジー、ココカチンパンジーというわけだ。

チンパンジーはいない"だろう"運転から

チンパンジーがいる"かもしれない"運転

そしてチンパンジーは"絶対にいる"運転へとアップデートしていけ。

そして伝説へ。

逢魔が時狒々が闇の深淵より現れる

まず気をつけなければならないのが、逢魔が時

夕方の薄暗くなった時間帯のことを指すらしい。なんと詩的な表現なんだ。

チンパンジーは扱ってはいけないかのような言葉に思えてしま

それはさておき、なぜこの時間帯がそう言われるのか。

これは、暗順応という眼の機能関係しているとか関係していないとか、俺にはよく分からない。

からないが、警察庁公表しているとおり、

https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/anzen/hakubo.html

日の入り時刻と重なる17時台から19時台に多く発生していること

実際にこういう統計が出ているようだ。

そう、別に俺たちは原理なんか分かってなくていい。

とにかく、夕暮れ時には気をつける。それでいい。お上の言うことは素直に聞いておけ。

例えば、お前が仕事を終えて17時頃にクルマで帰社するとする。

当然お前は疲れているから、注意散漫になっている。

ドラマが始まっちゃうから早く帰らなきゃ?お前はいつの時代チンパンジーだ。

コンビニに少し停めてコーヒーでもエナジードリンクでもいいかカフェインを入れろ。

すると今度は夜眠れなくなるのでほどほどにな。

夜の運転

睡眠時間を確保しろ、というのは前段に書いた通りだ。

ハイビームを使いこなせ。

田舎で鍛えられたチンパンジー野生動物との邂逅が日常茶飯事だろうから癖づいているはずだが

最近コンクリートジャンクルで産まれ、一度も森に触れることなくその生涯を終えるチンパンジーもいるという。

さらに都会の夜は酔っパンジーも多い。

道路に寝転がっている酔っ払いをお前が轢いたとしても、お前の責任が半分になることもある。

昼間より気をつけて、ゆっくり走れ。

流れに乗れ

車間は空けろと言ったものの、流れに乗るのも大切なことだ。

チンパン社会と同じだ。空気を読んで周りと同じくらいの速度を出せ。

ただし赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいなチンパンは辞めておけ。

みんなで作る、平和交通社会だ。お前だってインドのようなクラクション地獄は嫌だろう。

特徴のあるクルマに近づかない

前回のトラックの後ろをなるべく走らないという話にも繋がってくるが

黒塗りスモーク、見たことないエンブレム(高そう)、○ル○。○、若葉マークもみじマーク、教習車、わ・れナンバー、他県ナンバー

挙げればキリがないし、多少なり差別的思想になってしまうので

みなまで言わないが、なるべくなら近づくな。

ただしBaby in the car. このステッカーだけはマジで意味不明。だからどうしたオブザセンチュリー

ここから蛇足自分語りも入るので飛ばしていい

これを書いた動機やら経緯やら

俺は人生でなんと5回も交通事故に遭っている生粋ADHDパンジーだ。

身バレを防ぐために、多少盛ったり控えめにしている

なお俺は森の王者チンパンジー。一度も骨折したことはない。野生動物最大のアドバンテージが出たな。


ドライバーとしては齢30そこらでやっとゴールデンチンパンジー

幸いにして運転者としては無事故で、昨年ようやくゴールデンチンパンジーに相成ったところだ

こんなチンパンジー運転をするな?

チンパンジーからこそ運転しないと商売にならないことだってある。

からこれから運転しなくちゃならない。

お前たちだってそうだろう?求パン票にも、普通自動車免許が条件の会社も多い。

ただこうした経験があるからこそ、自らへの戒めとして今回筆を執ったまで。

警察官でも教習所職員でもない、一介の野良ADHDパンジーとしてキーキー喚こうと思っただけで

啓蒙活動として書くつもりもなかった。

ただ仕事KY活動というものに慣れ親しんでいることもあり、

このふざけた文章にたくさんのコメントブックマークがあることには大変嬉しく思う。

ウッキウキである


ただこの逆噴射構文(コメントで初めて知った)というか、チンパンジー構文は書くのに非常にエネルギーを要する。

動物に例えるの分かりづらいという声もあったし

自分でも書いているうちに思考チンパン化していく気もするし

たまにチンパンジー運転しているのを想像してニヤニヤしながら書いていて気持ち悪いし

書く方も読む方も次第に飽きてしまうような気もしている。

ただ、他にいい書き方が思い浮かばない。

あえてチンパンジーとすることで、書く側も読む側もストレスが少ないようなそんな気はしている。

バーチャル化というか、少し耳の痛いことでも頭に入りやすいというか。うまく言えないが。

これから試行錯誤していきたいが、チン権の保護を訴える団体が現れたら削除を検討する。


かにチンパンジー構文で書こうと考えている題材は

上京投資節約虚弱体質が実践する健康習慣、ADHD

このあたりか。途中で飽きたら悪いな。

安全に!

2024-03-01

anond:20240229223449

朝ちらっと見て、ロクでもないレスしかないな、いっちょ書いてやるか!と来たら書きたかたことは皆書かれていた。

東京に遊びに来るうちに気に入って20代後半から住み着いた私は、東京ガイドブックを持って上京してきた。

るるぶとかでなくかためのやつ。

載ってるのはベタ観光地美術館博物館など。グルメも高級店じゃない老舗が載ってるのでハズレなし。

まずはガイドブックで行ってみたい観光地ピックアップして行くのが簡単そう。

次に、“有名な街”を攻めていくのはどうだろう。

田舎にいても「渋谷」「新宿」をはじめ、「恵比寿」「原宿」など聞いたことのある街があると思う。

ちなみに上記新宿代々木原宿渋谷恵比寿とほぼ隣り合っており、山手線でたった10である。それなのにそれぞれ街として知られてるというTOKIO恐るべし(と若い私は思った)。

それぞれ行ってみると、聞いてた新宿ってこんなところなのかーと東京に行った感があると思う。

他に表参道青山巣鴨葛飾とか。そんなけ行ってるうちに土地勘とまではいかないけど、慣れてくると思う。

他の人も書いてるが、東京文化資本が豊かと言われてるので、展覧会演劇コンサートなどを楽しむのが一番東京ならではかなと思う。

歌舞伎とか意外と敷居が高くないし、劇団四季ミュージカルも常設されているし。

興味がなくても行ってみたら自分の幅が広がりそう。

グルメは別途書く。

2024-02-29

anond:20240229175422

熊本に居た頃はダニハウスダストアレルギー性鼻炎だったんだが上京してからハウスダストは平気になって花粉症が出るようになった

なんかあるとは思う

anond:20240228190953

俺の場合は小中高といじめられてて彼女どころか友達もできず

ずっと1人でいてたおかげで絵を描くことばかりやってて、高校卒業デザイン会社就職上京過去を断ち切ったけど

デザイン会社ってとにかく薄給長時間労働友達もできず出会いもなくいじめられてたおかげで対人関係もうまく作れず

ただ仕事ではそれなにり成果を出せてたのでその後独立収入は多くないけど以降ずっとフリーランス

ただ出会いはないのでいまだに童貞

2024-02-28

彼女いたことない男の一例

俺悪くないよね?

 

幼稚園時代

一番モテていた、運動と頭の良さがトップだったか

仲の良い子は彼女という概念を知らなかったと思う

 

小学校時代

井の中の蛙だったようで、運動も頭の良さも上がいた

地方の中の更に局所的な過疎によって小学校に人がおらず、1学年1クラス(30人くらい)だった

女子が7人しかおらず、皆ほんのりした恋心はあったんだろうけど誰かが付き合うみたいなことはなかった

思えばこの6年で異性とやり取りする免疫みたいなものを得られなかったんだと思う

 

中学生時代

1学年7クラスになった

そういう意味では大チャンスだった

なんとなく好きな子もできたけど、既に自分容姿その他がイケてないことに気づいていたので、アクションを起こせなかった

あと、これも局所的だと思うが誰かが付き合うみたいな噂を一切聞かなかった

奇跡的に不良もいじめもない学年で、全員が草食系のようだった

恋愛漫画の中か、過去のものだと思っていた(後から知るがそれは違った、俺の時代は全盛期だった)

あと好きな女子には別の好きな男子がいたのもアクションを起こせなかった理由だと思う

 

きな子学力が220人中30番目くらいだった、俺は20番目くらい

頑張れば同じ進学校に行けると思っていて、そしたらワンチャン仲良くなれるんじゃないかと思ったが

彼女ランクを落とした

それで終わり

 

高校時代

またしても浮いた話をまるで聞かない

ひょっとしたら俺の知らないところではあったんだろうか、あったんだろうね

でも友達も何十人かいる中で、浮いた話をマジで聞かなかった

進学校だったからというのもあると思う

俺はもうクラス女子に興味を失っていて、二次元に傾倒していた

自分の自信がなかったのも大きいし、接点もなかった

部活小学生の時に暴力的鬼コーチにあたって嫌になって以来所属していない

 

浪人生時代

きな子は居た

でも浪人生だしね、それどころじゃないよね

 

大学時代

情報系に進んだら、男子率90%だった

あと仮面浪人をしたせいでサークルに入らなかった

結果詰んだ

友達すら2人しか居なかった(俺同様で今も未婚)

バイト出会った子も淡く好きだったけど、コンビニ2人体制だったのがまずかった、話すチャンスがあんまない

あと実家通いだったのもよくなかったかもしれない、人脈が築かれない

 

大学院時代

男子率が更に上がった、女子率1/20くらい

研究が忙しすぎた

ブラック研究室でいつしか家に引きこもった

BMIがいつしか30になっていた

 

社会人新人時代

驚きの不景気により諸々それどころではなかった

が、引きこもっていた時にネットで仲良くなった2chねらーオフ会をした

びっくりするくらい常識人が集まり、その中の女子死ぬほど惚れた

30kg痩せて、見た目も気にしたけど

好きオーラを少し出しただけで野生動物のように逃げられた

まあわかる、そういうんじゃないよな

結果、コミュニティから離れてまたぼっちになった

 

社畜時代

失恋があまりにもショックで10仕事に打ち込んだ

いつしかビックリするくらいアッパー層になった

 

コロナ時代

謎の新人モデル30代)の面倒をなぜか個人事業主の俺が見ていた時にコロナになった

自宅待機になり、そいつは俺の家に毎日通うようになった

仕事の面倒をみてやりつつ、週5フルタイム雑談しながら仕事した

4ヶ月耐えたがとうとう惚れてしまった

スラブ系のぴえん系で高飛車なんて趣味じゃないしーと思ってたんだけど、そういう人っておっさんと絡んでるから妙に知識があって面白いんだよね

あいろいろあって撃沈した、ワンチャンもないのは分かってた

歴代彼氏を聞いて引いた、世界が違う、モデルってそんなモテるのか?

この期間に筋トレやら美容やら服やらを再開したが、高校生の時にやっときたかったなぁとか思った覚えがある

 

最近

かめんどくさくなって今は愛人を6人抱えている

いま一番楽しい

3年で200人くらい会ったと思う、馬があったのが6人(不定期が常に10人くらい)

誤解ないように言うと、かなり健全な方だし、皆の想像するような港区系は1人しか居ない(今のパパ活界隈はマジで系統がいる)

 

今はもう彼女作る気がない、年も年だし、今この年とスペックでやると彼女じゃなくて奥さんしか寄ってこないみたい

 

反省・振り返り

今の女慣れした状態10年前に戻れば普通に彼女できると思う

結局のところ問題なのはどれだけ女性と一対一で向き合ってきたかなんじゃないかと思う

あと純粋モテようと努力したりとか

自分の良くなかったのは高校好きな人ができなかったことと、大学社会人まで男社会すぎたこ

そして男社会に入り浸った結果、出会いを求めるのではなく2次元に傾倒してしまたこ

良かったと思うのは2回重い恋をしたこと死ぬほど苦しかったけど)、そのことで少し努力するモチベーションができたこ

1回もしてなかったらどうなってたんだろうなあ

ネットにはそういう人も結構いるよね、それはもうしょうがないんじゃないか?惚れるのは理屈じゃないし

 

_____

 

え、まってまって雑じゃないよw

金はあるから中年になったら女遊びしようかなーとずっと思ってたところにコロナが来た感じなんだよ

今は遊びっていうか大切なパートナーって感じだけど

かにギャルゲーみはある

 

_____

 

もう少し考えたんだけど、先々のことを考えすぎるのも良くないなと思った

高校の時は大学上京するつもりだったから、彼女なんて作ろうと思えなかった、お別れするの寂しいし

今は「将来結婚しよ〜」って言われても「やだ、彼氏探せ」って言うし

うっかり惚れないように人数増やして分散してるから上手くいってる

気軽さが大事だと思う、彼女作りたい人はマチアプとかで「女子の知り合い」をたくさん作ればいいんじゃないかな?彼女とか結婚とか頭から外して

若ければできるはず、デート代全部出すくらいすれば

 

そうだ、金って便利だよ

デート代出そうとすると相手人間性が見えるし

どのくらい貢げばデートしてくれるのかが分かる、つまり自分に不足してる魅力は金に換算するといくらなのか?と

仲良くなって割り勘までいけたらゴールみたいな

結局ギャルゲーじゃん

[] anond:20240228125351

けれどこういった増田ってブクマカ憎悪や劣情を煽るのか、

劣情(れつじょう) とは? 意味・読み方・使い方

れつ‐じょう〔‐ジヤウ〕【劣情】 の解説

いやしい心情。また、性的欲望好奇心をいやしんでいう語。「—を催す」

劣等感」が適切かと思います

田舎から上京し立てですかって思われちゃう

上京したて」が適切かと思います

ブクマカってネットに向いていない素人じゃね?

彼女いたことない人なんて存在するの?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240228083918

本文は読む価値ないどうでもいいことだと思う

けれどこういった増田ってブクマカ憎悪や劣情を煽るのか、変化に乏しい正論が真っ先に上がるんだよね

えっとね、ぶっちゃけこんな増田に何を言おうが思おうが勝手なんだが、発言すればするほど素人感がでちゃんだよ

典型的スルー案件じゃん

街中でアンケートに協力してくださいって言われても何も言わずに立ち去るでしょ?

ブクマカのやってることってそういうあんちゃんに食ってかかって主義主張を述べているようなもんだよ

どう考えても時間無駄だし意味が分からない

田舎から上京し立てですかって思われちゃう

あいいけどさ

こんな程度で喜ぶ人達なんだろうね

なろう系小説好きそうだし

2024-02-27

学生から東京上京するメリットはあるのか

東京都に住んで20年近くになる

上京、といっても田舎から直ではなく海外に住んだ後に東京に来たのだが、

なぜか時々学生から東京に住んでいたら違ったなあと思うことがある

働いていなくても歳を取るごとに腰も重くなり

出歩くことが少なくなるからだろうか

まだまだ知らない場所や降りたことがない駅が沢山あったり

三茶で飲んだくれるとかちょっとリア充学生じゃないか

大人になると友人が作りにくいからだろうか

会社の同僚から友人に発展する可能性は低いと感じるからかもしれない

学生からこそ出来る事で何か見落としている気がして

もっと若いからいれば良かったと思ってしまうのだろうか

今日ちょっと書類が大変で腐ってます

anond:20240227162714

上京した大学生が住む用の間取りからミニキッチンしかないが、そこに25年住んでしまったという感じ

同じような間取りのほかの入居者は結婚して退去したり、富裕な選択独身者が1LDKを購入して退去したりする中、生活が何も変わらなかったという感じ

味覚も大学生から変わらない傾向があるなと思う

2024-02-25

西森路代みたいなクソ田舎から上京してカルチャー系のライターやりながらリベラルフェミニズム地方ゴミ!とかやってる女のオタクが一番嫌いだな

2024-02-24

anond:20240224225113

地方出身上京してきた人って、いつも何かと戦ってるよね

謎に焦ってる

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