はてなキーワード: ゼミとは
俺の場合。
【小学生】
本当に何も覚えてない。
【中学生】
好きな女子がいたけど陰キャな俺は当然一言も喋ることできず、一切関われることできず一年が終わる。
卒業式の日、会場の体育館に向かうときに偶然俺の目の前をその子が歩いていた。
テニス部だったその子の良い感じに焼けた小麦色のふくらはぎがセーラー服からちらりちらりと見え隠れするのを
穴開けるのかってほどガン見した。
それしか覚えてない。
【高校生】
本当に何も覚えてない。
【大学生】
式典が終わったあと、ゼミ生と研究室で打ち上げみたいなことをやったけど、
一年間一緒にいたにも関わらず誰とも仲良くなれなかった俺はいたたまれなくなって
3分くらいで退席した。
それしか覚えてない。
みんなも、そんな感じだよね?
大学の行財政関係科目の教員をやっているのですが、民青が受験シーズンに合わせて受験生を大学近くで勧誘しててモヤモヤしています
というのも、
①自分が見たときは通行できなくはなく、通行はスムーズだったもののの、道路を占有して椅子と机、看板・のぼりを広げて活動していて、ただ単に立って勧誘をしている予備校関係者や不動産屋に比べて明らかに邪魔、
②大学の学費について該当の人にシールを貼ってもらって意見を聞くボードをもっていたのですが、日本とは大学の位置付けが異なる国(フランス)の話をして『そこだけ切り取っても、、、』と純粋に自分の専門の観点から思った
③制服姿の受験生が(まんまと?)勧誘されて、入会届的なものを書いているところで、大学に受かってからサークル活動やゼミがあったり、授業で色々なことを学ぶ機会があったりするのに、そういう機会に出会う前に特定の政党の指導を受ける団体に入ってしまうことが残念
ということをそれぞれ感じたからです。
民青の指導団体の主張についてはさておき、こういう形で受験生を勧誘してメンバーにしていくのはちょっと頂けないなあと思ってしまいました。
色々と選択肢がある中でアピールをして民青に興味のある方から選んでもらえる組織なのであれば、健全だと思うのですが、まだ合格かわからない学生をデフォルメした主張をしつつ道を占有して勧誘しているのはどうなのかなあと思ったり。
とは言え、別に高校生を勧誘するのは高校生活で色々な選択肢を見てきた高校生にアピールして選ばれたということでもあるのだから問題ないとと思うし、受験生は大抵成人しているのだから、成人しているのであれば勧誘に乗るのは自己責任でもあるし。
エロ本にはBSS(僕が先に好きだったのに)というジャンルがある。
NTR(寝取られ)は現在付き合っている彼女をほかの男に奪われることに対してBSSは一方的に片思いしていた相手が後から出てきた男と付き合って「僕が先に好きだったのに!早く告白していれば僕が付き合えたかもしれないのに!」といった要素を含むものである。これが実際に自分の身に降りかかってかなり精神的にキているのでここに書く。
共通の友達もいないし相談できる相手もいないのでここで吐露させてくれ
大学の友人で卒業以来3年以上片思いをしていた相手に久しぶりに会ったら相手には彼氏がいた上に同棲も始めていた。
お互いオタクだったのとコミュニケーション能力もそれなりにあったのですぐに仲良くなってサークルの間はだらだら話してコミケがあれば一緒に行くような仲だった。
自分のパーソナルスペースが狭い自覚はあって彼女も同じように狭いのかたいして気にしていないのか異性なのに肩を寄せ合う、膝枕をする、肩を組んで同じスマホを見るみたいな、まぁ傍からみたらおかしい距離感だったと思う。
それが大学4年生になると二人でデートにも出かけることもあったし、出かけるときは手を繋ぐレベルまでになっていたので、当時彼女にその気があったのかもしれないと当時の自分も感じてはいたが卒業や就職のことで手一杯だったので「まぁこのままの関係でいいか」となんらアクションは起こさなかった。
結果特になにもなく卒業を迎えて俺は都内で就職、彼女は就職に失敗したのか地元に戻って実家で暮らしていたらしい。
卒業して最初の1年くらいはぽつぽつとメッセージのやりとりがあって、彼女はイラストを描けたので個人で依頼を受けたりアルバイトをして暮らしているということを聞いていた。
そのころから彼女はVtuberになる目標ができたようでセルフ受肉するためにキャラのデザインやらLive2dやらの進捗をたまに用事があって連絡したときに知らせてくれた。俺もLive2dのモデルを何回か作ったことがあるのでツールの使い方でわからないところがあれば相談に乗っていた。
卒業から1年半くらいが経った頃にモデルが完成してVtuber活動が始まった。
1年半の月日と俺自身がソロプレイのゲームしかやらない人間なので共通の話題もなくなりこのころには特に用事もないので連絡を取ることはなくなっていた。
自分はVtuberの配信を見ることも趣味の一つだったのでもちろん彼女の配信もちょくちょく見ていた。
実際彼女以外にもリアルの知り合いが何人かVtuberを始めていて知り合いの近況を知ることもまた楽しいので彼女以外の配信も見ていたしあくまで彼女もそのうちの一人という認識だった。
ただこの頃からかそのちょっと前からか、正確にはいつからかはわからない。
基本的に自分はあまり人と遊ぶ趣味を持っていない。アニメを見るのが好きで映画を見るのが好きでゲームもFPSよりはシミュレーションゲームやパズル系のゲームの方が好きだった。アニメも映画もとにかくいっぱい摂取したいので人と予定を合わせて見るなんて選択肢は眼中になかった。ゲームも大人数のなかでチャットコミュニケーションをとるのが億劫でMMOはやらなかったし命が軽いAPEXやvalorantもやらずもっぱらソロプレイ専用のゲームをするぐらいだ。
友達、というか知り合いを作るのは得意だったので大学にいたころはたくさん知り合いがいた。
大学のどこかに行けば誰かしら友達か知り合いがいる程度には大学で孤独を感じることなんて一度もなかった。とはいえ大半が知り合い程度なのでLINEを交換しても一度もメッセージを送らないなんてのはざらにあった。頻繁に連絡を取っていたのはサークルの友達か同じゼミのメンバーくらい。その友達とも別に趣味が合って一緒に遊んでいたわけでもなくだらだら飯を食ったりたまに大学終わりにアキバに出かけたりとかその程度。結局は同じ場所にいたから一緒にいただけの関係しか築けていなかった。
だから卒業した途端に友達がごっそりいなくなった。かつては覚えるのも大変なくらいいた話し相手も、頑張れば両手の指を使って数える必要があるよね、ぐらいに減った。
彼女はそんな中で残った数少ない一人だった。唯一残った女友達だった。
今までの人生で数少ないデートにも行ったことのある彼女。Twtterで楽しそうなところや美味しそうなところ、一人で行くにはキツいところを見かけるたびに気が付けば彼女と行く想像をしていた。
わかってる。これは女っ気のない自分がそういったところに行く妄想をしたときに唯一残った彼女を当てはめているだけだってことは。だからこれは恋じゃない。実際同じオタクではあるものの彼女とは趣味が合わないので付き合っても大して楽しい関係にはならないだろうという予想は(付き合ってもいないのに)した。
だから彼女の配信を見てはいたが連絡を取るようなことはしなかった。したとしても遠方にいる彼女に話すようなことはなかったし付き合ってもいないのに会いに行くのも気持ち悪いだろうと会うこともなかった。
配信をしている彼女は楽しそうだった。もともと同人女だった彼女はそこ経由でインターネット上に友達がたくさんいたようでVtuberを始めてからも同郷のVtuber友達ができたりと活発に活動していた。
最初はお絵描き配信やフリーゲーム実況をしていたが、デビューから3ヶ月程度経った頃その新しくできたVtuber友達の影響か某MMOと某FPSを始めるようになった。
特にMMOにはドはまりしたようで配信はMMOの実況と攻略が大半になりVtuberを含めた固定メンツでの攻略配信は実に楽しそうにしていた。
自分はMMO系に興味がないのでゲームの内容自体には全く興味がなかったが楽しそうにプレイをする人間を見て楽しんでいた。
彼女はMMOのリアイベにも行ったりして、自分も好きなゲームのリアイベに行っていたので「楽しいよね~~」と首肯するなど連絡は取らないながらも一方的に彼女の活動を眺める生活が続いた。
今までおしゃれなんぞには全く興味はなく、興味がないので人生の優先順位におしゃれが上がることはなかったが、社会生活を送るうえで普通の恰好、いわば「まともな人間」「電車で隣に若い女性が座って許された気がした」ような恰好をすることの重要性はひしひしと感じていたので余剰のお金を使って身だしなみを整えるようにした。 眼鏡をはずしてレーシックの手術を受けた(人生で一番QOLが上がる買い物だった)。 髪を伸ばしてパーマをかけた(一番芋臭さから脱却するのに有効だった)。 ソシャゲやデザインの知識から服を選んで周囲から「最近おしゃれになったね」と複数人に言われる程度にはなった。
時を同じくして大学時代の友人・先輩たちから久しぶりに遊ぼうとの誘いを受けることとが多くなった。 自分は就職したときがコロナ第一世代だったので卒業してしばらくは人と会って遊べるような雰囲気ではなかったため久しぶりに友達に会うのがすごい楽しみになった。
そして俺がおしゃれを始める少し前あたりから彼女が東京に戻ってきていることを配信で知った。
とはいえ3年近くも会っていない相手にいきなり「配信で見たけど東京に戻ってきたんだって?会おうぜ!」なんて言えるはずもなくただただ一方的に配信を眺める、それだけだった。
そんな折にかかってきた旧友からの遊びの誘いである。しかも複数の人から立て続けに。
「俺は見捨てられていなかったんだなぁ……」などとすこし感動もしたがそれと同時に「今なら彼女と会ういい口実になるのでは?」という気が湧き上がった。
言うは易し行うは難し、3年も会っていなかった相手にそんな気軽に連絡できるだろうか。否である。
結局彼女に連絡はできずにほかの旧友に会うことにした。
おしゃれをする前の自分を知っている友達に会うのは少しだけ勇気が必要だった。
初めておしゃれに目覚めた中学生がオカンに「あ~ら、おしゃれなんてして。ませちゃってぇ~~」と言われるみたいな反応をされたら心が耐えられない。
実際その心配は杞憂に終わった。みんなオーバーリアクションを取るわけでもなく「ええやん」みたいな反応をしてくれたので俺は傷つくことなく少しの自信を持ち帰ることができた。
それから自分でほかの旧友を誘って会いに行き、皆一様に茶化すことなく接してくれたので自分の今の恰好は何ら一般人としておかしくない普通の恰好をできていると改めて確認できた。
少しの自尊心を持ちえたこの機を逃すまじと彼女に連絡を取った。
「今度これ食べに行かない?」
彼女は二つ返事で承諾をくれた。
よーしよし! 二人の関係は昔となんら変わってない! 久しぶりになんなんだと悪印象を持たれているようなことはなかった!
OKをもらえた喜びと久しぶりに会える喜びで自分の恋心を自覚した。
まさか、いやそうだよな。自分の気持ちはつまりそういうことなんだよな。
まぁまずは会ってみよう。 実際に会ってこの気持ちを確認しよう。 また昔みたいに出かけてこの気持ちを確信に変えよう。
当日はだいぶ浮かれていた。
会う前に店で眉毛を整えてもらい、柄にもなくリンツのチョコを買い、1時間以上早く現地について店の場所とあわよくばの二件目の場所を下見した。
余った時間はスタバで茶をしばきながら何を話そうかと考えていた。
3年4年ぶりだしな、彼女の近況は配信で知ってるけど俺の近況は知らないしレーシックの話でもしようかな。そういえば最近引っ越して猫を飼ったって話をしていたな。猫飼いは自分の猫の話をしているときが一番楽しそうだしな。今何の仕事をしているのかな。いろいろ聞きたいこと話したいことがたくさんだ。
時間になって待ち合わせ場所に行くときはさながら初めて銀座のシャネルに行った時のように鼓動が早くなった。
……彼女だよな? マスクをしてるからわからん。 人間1年も会わなければ顔を忘れてしまうので自信はなかったが背格好は彼女そのものだったので声をかけた。
彼女だった。なにも変わっていなかった。
変わらんなぁ…… と思っていると。
「な~に、こじゃれてんじゃん 笑」
こじゃれてるは誉め言葉なのか……?
プラスの意味で受け取ってもいいのだろうか。 オカンなのだろうか。
まぁ細かいことを気にしても仕方ない。こじゃれた格好を会話の切っ掛けにして店に移動する。
昔と同じように話すが昔とは違ってパーソナルスペースは人並みに取るようになったようだ。まぁ数年ぶりだしな。
ことさら猫について話す彼女は楽しそうだった。いわく人生で最高にQOLを上げる存在だと。
「へぇ、じゃあ実家に帰省するときはペットホテルとかに預けてるんだ?」
「彼氏いるんだ…… どれくらい付き合ってるの」
震え声にならず平静を装えていた自分に助演男優賞をあげたい。さながら名バイプレイヤーとして各TVドラマの表番組裏番組に出演するような名俳優だったろう。
曰く2年ほど付き合っているらしい。MMOの固定メンツが切っ掛けだったと。
MMOを始めたのがその半年くらい前だから東京に来てすぐ付き合ったことになる。
なるほどなぁ……
俺がうだうだ連絡を取らずにいた間、彼女は共通の趣味で出会った相手とよろしくやっていたのである。
会う理由がなかったとはいえ知り合ってから数年あってそういう関係にならなかった自分と知り合って半年でそういう関係になった彼。その事実に心が揺らいだ。
理由なんかともかく東京に戻って来たと知ってからすぐ連絡を取っていたとしても俺が付け入るスキはなかったのだ。
頑張って平静を装いながら話を聞くと彼女が今住んでいる場所の家賃相場と彼女の収入が釣り合わないことに気が付いた。つい最近まで自分もその近くに住んでいたので「案外近くに住んでたんだね」とかなんとかいいつつ家賃のことを聞いてみると、
どーせーぇええええ????
ここ最近よく目にした言葉。 アラサーになった周囲からよく耳にする言葉。 それをまさか今ここで聞くとは思わなかった。
しかし考えてみれば自分もアラサー彼女もアラサー、将来のことを思えばなんらおかしくはない。
今さっき彼氏がいることを知ったのにそれに加えて同棲していることを知った自分は完全にキャパオーバー、見るからに動揺していたことだろう。助演男優賞剝奪である。
そこからは彼女の仕事の愚痴を聞いていたが正直気が気ではなかった。
猫の画像をTwitterに上げたときも、普段の配信のそばにも彼氏がいたのである。
きっと恋バナ配信の時も占いをしてきたと話した時も彼氏のことを思いながらしていたのだろう。
下手な下ネタを言うと不機嫌になった彼女は彼氏とは笑顔で話すのだろうな。
それらを思うと卒業してからの3年間が、大学時代からの7年間が崩れていく音がした。
彼氏の話は多くは聞けなかったがそれでもその端々からいい男なのだろうと思わせてくれる。
中学生の時告白して振られたことはあったがここまでの衝撃はなかった。
今までの人生、受験も就職もなんだかんだ最後には丸く収まったのでこのような衝撃は、可能性の途絶が目に見えるような経験をしてこなかった。
ああも喉が渇いてたまらず酒で潤したのは初めてのことだった。
昔のように手を繋がなかったのはパーソナルスペースうんぬんではない。彼氏がいるからほかの男と手を繋がないだけ。当然のことだ。
分かれて、電車に乗って家に帰って、寝ようとして眠れなくて、気絶するように寝て起きてしばらく経った今でも咀嚼しきれていない。
会う前に買ったリンツのチョコを店に忘れたことに気が付いた。今度取りに行ってくる。
わかってる。
昔から距離が近かったのは男としてではなく弟として思われてたことを。
わかってる。
もし付き合っていたとしても趣味は合わないし甲斐性もない自分では彼女を楽しませることはできなかっただろうと。
わかってる。
ここで「もし」なんて仮定と想像の話をしても負け惜しみにしかならないことを。
それでもこの思いを酸っぱい葡萄にしたくない。
あくまで行動に移さなかった愚かな自分のせいであることを噛みしめたい。
異性として好きだった。すらっとした見た目もタイプだった。大声で笑い決してヒステリックにならない自分をしっかり持った人だった。自己実現のために努力できるところも好きだった。数少ない友人の中でさらに少ない尊敬できると明言できる人間だった。
このことは彼女には話すのかな。いつか心に整理がついて、俺にもほかに大事な相手ができたら話せるのかもしれない。
それまでは1年に1回くらいあって近況を報告しあう友達でいたい。
いつかこの失恋も「そんなこともあったね」と笑い飛ばして酒の肴にできるようになったらうれしい。
俺もVtuberを始めたりして
最近のいろいろな出来事をみるに、リベラル側ってアップデートアップデートいうけど、じゃあ「変化」という概念のアップデートは出来てないよなと思ってる
インターネット、特にSNS以降、世論の流れって可視化されたように見えるけど、実際の生活のスピードやリズムは変わってないし、
日本全土が東京や大阪の都市部のような生活も送っていなければ、名門大学のゼミみたいな知的環境に追い付いてるわけでもないのに
アップデートアップデートつっても出来るわけないじゃん、という、「無名の人々の意志」を全く無視してるよね(SNSは全員名前がある、「有名」だけど)
変化というものの持つ危機の側面をほとんど無視してるとしか思えない
無理やり例えるなら、原子力の、放射能の恐ろしさの側面を無視してるのと同じ
今の社会でリベラルが盛んに唱えているアップデートだとか進歩だとか倫理的うんぬんかんぬんって、本当に政治的や技術的要因による切羽詰まった要請による進歩や変化ではなく、
空手形みたいないつ必要になったのかそしてなるのかわからない概念や、大学のゼミの中での思考実験みたいなもので(そして大昔の教授たちはそれを必要以上に社会に持ち出さなかったわけだけど)、
じゃあインターネットでたとえば一万倍加速した言論を、ほんの二十年前まで身の回りの出来事が一年に1.05とか1.25とかぐらいしか進歩していなかった人々や、
地方都市で自分の家業や地域や交友関係に誇りを持って働いていてそれほど急激な進歩を必要としていない人々に無理やり押しつけても、従えるわけないじゃん
新幹線が通ったから地域社会に大きな変化が起きたとか、バブルが起きた弾けたとかでも、そういう変化は数年数十年単位のスパンで考えられていることで、「19XX年Y月Z日を機に社会は1500倍進歩しました!」みたいなことは無い訳でさ
まあ明治維新とか1945年8月15日とか象徴的な日付を年表的にかなりかいつまんで教えている義務教育の影響もあるのかもしれないけど、ともかくある日ある瞬間をきっかけに何かが急に加速するってことは無いのに、リベラルの中ではそれが起きてるように見えてるのかね
上の文章の中で1.05とか1.25とか仮の適当な数値出してるけど
イギリスでは社会保障などを整備するときに、ちゃんと社会にどんな変化が起きるのか、どんな職種の人々の生活にどんな影響が出そうか、
難しそうな概念や変化も本当にかなり数値化して練りに練って構築していて、少なくとも「変化」を制御しようという動きはしているんだよね
アメリカでもギャラップの世論調査とかは「数値」というものに現れる人々の意識の変化を何十年も積み重ねて追い続けているんだよ(そしてそこに、「数日で一万倍になる世論」とかは存在しない)
もちろんインターネットもない時代にこれだけの周到さが必要だったわけだし日本も整備の時恐らく同じことはしている
じゃあインターネット時代のリベラルの皆さんはどうなの?ちゃんと自身の言論を数値化・論理化して、その「進歩」「アップデート」を人に説明できるの?
思い出した発端はこれ、https://note.com/motoyamadadesu/n/nd2ec09ff5738
これ中受という、人の心の琴線に触れるテーマで子供のプライバシーを勝手に書いてたりの可燃性が強い文章で話題になってはいるが、実は昔から見かける構図。「嫁が馬鹿だから俺の息子(娘)が馬鹿に育ってしまう!」というのは大昔からある話でそれこそ平安時代から嫁が愚かだから子供も愚かだみたいに言われていたり。
そして、ひと昔前の昭和の日本では、嫁←姑間で繰り広げられる戦いだったように思うけど、父親の子育て参加により「俺の子(私の孫)が馬鹿なのは嫁が悪い」戦争に父親本人が参戦したということなのかも。男性の育児進出ばんざい。
話は変わるが、昭和~平成初期ぐらいまでに生まれた男性の中で、高学歴の人の、多数派が「自分より賢い女は面倒くさい」というマインドがあった。今はかなり薄れていると思うけど、かつては物凄くあった。
数年前に「東大女子お断りサークル」「早稲女お断りサークル」というテーマが話題になっていたが、要するに出会い目当てのチャラいインカレサークルに自分と同じ大学の女子学生がいると何かとうっとおしいし、そもそもガリ勉女とかブスばっかりだろ?というノリで、「自分と同程度の賢い女」を交際相手から排除する男子学生が、そこそこかなり多かった。
https://bunshun.jp/articles/-/52500 「東大女子はお断り」「他大女子へはバカいじり」…在学生も黙認する東大インカレサークルに残る衝撃の“男尊女卑”構造
https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6172 「東大女子お断りサークル」が抱える二重の差別 「伝統」理由に罪悪感なし
https://www.todaishimbun.org/gender20190307/ 東大女子の参加を認めないサークル 東大内に少なくとも3つ
東大や早稲田に進学した女子学生は、入れるサークルの選択肢が男性に比して半分以下だ。インカレサークルはほぼ全滅で、「東大女子でも入れます!(たまーにある)」「女子は東大女子のみ!(ほぼ無い)」と謳っているいるサークルしか選択肢がなかった(「東大女子もいます」系サークルは強者東大女子のハイレベルなマウントが飛び交う恐ろしい空間でそれはまた別の話になるが)。
個人的なことを言えば無事?に、数少ない「入れるサークル」の中から温和なサークルに所属し、割とのんびりと楽しく過ごし、サークルとは別の場所(ゼミ)で穏当に彼氏を見つけ結婚して今に至るけれど、同級生の男の子たちの半数以上は、インカレサークルで他大の女の子をちやほやしたりしながら大学を出てしばらくして結婚したり、その子とはお別れしても「自分よりは賢くない女」知り合って結婚したりしている(同級生の男の子たちはなぜか結婚が決まった報告の時に彼女の学歴を言いがち。どこで働いてるかよりどこの大学出てるかを言う)。
そして彼らの子供が成長し進学時期になると嘆くのだ。曰く、嫁に任せられない、俺が忙しい時間を縫って勉強を見ると全然だめで愕然とする、俺が二人いたら一人は仕事をしてもう一人がマンツーでサポートできるのに(ほんまかいな)、本当に俺土地がつながっているのか(顔がそっくりですよ…)などなど。
自分から『頭の悪い女(便宜的にこう言いますが偏差値や学歴だけが頭の良しあしを図れる尺度ではないのは存じております)』を選んでおいて、結婚して子供が生まれたら「嫁の頭が悪くてさ…」って言われても、はぁそうすか、という感想にしかならない。そもそも友人の配偶者の学歴とか、友人の私が知る必要もないのに彼らは一様になぜか報告してくる不思議。妻からしたらそんな言い方を外でされてるのを知ったら悲しむだろうと思うのだが。
ところで、この「お断りサークル」、もう今は絶滅危惧だろうと思うけれど、ちょっと昔の「それが当たり前だった時代」でも、「お断りサークル」のある大学って限られていたのが面白かった。高校の同級生たちと進学後、大学でどんな感じ?と近況報告をしあったときに「お断りサークル事情」に傾向があって面白かった。20年ぐらい昔の話なので今は様変わりしてると思う。サークル活動自体が下火になってそうだし。
慶応は「お断りサークル」と明言しているところはほぼない代わりに見えないヒエラルキー(内部進学の子しかいない不文律があったり)があったとか、偏差値的にもう少し低い大学だと「お断りサークル」は減っていく代わりに、他大のインカレに入りたがる女子が多い(狩猟型女子…)という話とか。
なんにせよ、子供は半分が自分のDNAなのだし、妻をひたすら罵倒したところでそれを選んだのはお前だろう、以上の話が本当に出来なくて困るんだ。姑の文句なら「息子があんな嫁を選んできたから孫が馬鹿になった」と、理不尽ではあれどまだ理屈は通っているが。
大学の教授がバイトでプログラミングしてたときのことを語ってて
「アセンブラでは『何もしない』って命令があって、それで行数を増やして水増し請求してた」
みたいなことを言ってたのを思い出した。
2歳からピアノを習い、ピアノ発表会や小学校時代の音楽会にてピアノを演奏。2004年4月神戸市立歌敷山中学校に入学。中学時代の学業成績はオール5。文化祭での吹奏楽部の発表や合唱コンクールでのピアノ伴奏、更には生徒会長と多忙な中学校生活を過ごした。
2010年4月兵庫県立長田高等学校卒業後、同志社大学政策学部に進学[9]。同志社大在学中は国際政治学について学び[10]、ゼミでは民族紛争の研究をしておりセルビア(旧:ユーゴスラビア)にゼミの旅行として赴いた経験がある[11]。元来は文書の執筆が得意だったこともあり、テレビ局の報道局政治部記者の職を志望していたが、大学のセミナーで記者向けのゼミが見つけられなかった。同じく発信する仕事であるアナウンサー職向けのセミナーを受講し、宇垣にとって雲の上の存在であったアナウンサーを目指すこととなる。
2011年にはミスキャンパス同志社に出場してグランプリを獲得し[12]、京料理屋でアルバイトをしていた時期もあり、お酒について学んでいる。
中学時代、私は運動が全くできない運動音痴だったが、勉強は得意だった。レベルの低い田舎の公立中学校だったので常に定期テストは学年1位。私のアイデンティティは勉強しかなかった。田舎の男子中学生の社会の中で、運動音痴はヒエラルキーの最底辺。体育の時間は苦痛で、運動音痴で鈍臭い動きしかできない自分は馬鹿にされているように感じていた。だから私は勉強ができない人間を内心馬鹿にしていた。体育の時間に散々私を馬鹿にしたのだから、お互い様だと思っていた。
高校は県内トップの進学校を志望し、模試では常にA判定だった。フィジカルの強さが物を言う野蛮な田舎とはおさばらできると思っていた。
念願叶って高校受験は第一志望に合格し、私は県内トップの進学校に入学した。ようやく、運動音痴の呪縛から解放されると思った。だが、現実は違った。
県内トップ校の子たちは運動も勉強も私より出来る子ばかりだった。基本的に皆優しかったが、中には粗暴な者もいて、露骨に私の運動音痴っぷりを見下す態度をとられたこともあった。私のアイデンティティは崩壊した。勉強でも運動でも周囲に勝てない私は、自分がとてつもなく無価値な人間のように思えた。その結果、自分のような無価値な人間がクラスメイトに話しかけても迷惑なだけだろうと思い込むようになり、誰とも会話をしなかった。勿論、高校時代は友達が出来なかった。
一応、自分なりに勉強は頑張った。でも、東大や京大に行くようなレベルには到底なれなかった。高校の成績は受験直前期でも半分より少し上くらいだった。トップにはなれなかった。
大学入学後、運動の呪縛から逃れたかった私は、音楽サークルに入った。音楽センスがあるわけでも、楽器が特段上手いわけでもなかったが、友達や人生で初めての彼女がサークル内で出来て、それなりに楽しいサークル活動だった。
勉強のほうも、それなりにやった。政治に関心があったので、政治系ゼミに入り自分の興味関心の赴くままに、ゼミ論文を作成した。学部生の書く拙いものだったが、満足感はあった。
旧帝大ということもあり、地元ではちやほやされた。私は高校時代に潰された勉強というアイデンティを取り戻そうと思った。県下トップの進学校から旧帝大に入った実績がある。中学時代は学年1位だった。勉強は得意なはずだ。そう思って、学部3年生の時、私は法科大学院に進学し文系最難関の司法試験を受けようと決断した。
前述のとおり、ゼミは政治系ゼミだったため、周りに司法試験を目指す友人はいなかった。そのため、相談できる友人もおらず、孤独な勉強だった。勉強は何から手を付けて良いかもわからなかったが、とりあえず勉強して法科大学院試験に臨んだ。今思えば、全く努力の方向性を間違った勉強法だったと思う。論証パターンという言葉を知ったのは試験の2か月前だった。もちろん既修者試験は落ちた。私は未修者コースに入学することになった。
法科大学院での生活は大変だった。学部のころに法律の勉強を一応していたとはいえ、講義の内容は難しく、予習復習に追われた。ほぼすべての科目が必修科目で、一つでも単位を落としたりGPAが一定値以下だと留年や卒業延期になるため、期末試験が近づくと、精神的に不安定になった。法科大学院生活では楽しいこともあるにはあったが、トータルで見たら辛いことのほうが多かった。
期末試験を何とか乗り切った私は、一年生から二年生へ進級できた。二年生になり、既修者と合流して講義を受けた。周囲のレベルの高さに正直ついていけず司法試験に受かるとは思えなくなった。深夜に自習室で勉強しながら涙を流す日が続いたことをきっかけに、中退を決めた。勉強というフィールドで戦うことに心が折れたのだった。
未修者コースには東京の中堅レベル私大の法学部卒や地元の私立大学法学部卒の人間などもいた。私が心折れて中退した後、彼らは卒業までこぎつけ、ついには司法試験に受かり弁護士になった。私より勉強が不得意な人たちだと思っていたが、私が断念した試験に受かり、立派に弁護士をやっている。
一方私は、法科大学院中退後になんとか就職。新卒カードを失った私は民間を諦め、公務員試験を受けるしかなかった。新卒就活だったら切符が手に入ったはずの企業に足蹴にされるのが怖かったからだ。法科大学院で法律の勉強をしていたこともあり、公務員試験の筆記試験は特に苦も無く合格した。面接もそれなりに振舞えたようで、第二志望の自治体に採用が決まった。入庁後は上司や他の自治体職員から執拗にきつい言葉をあびせられたことを機に、メンタルを病み休職。今は完全に閑職に飛ばされ、精神的負荷の少ない仕事を任されている。出
世の見込みはないだろう。
中学生以来の私の勉強というアイデンティティは完全に失われた。こんなことを言ったらドン引きだろうが、私より入学難易度の低い大学出身の人間が弁護士として働いていることや、中学時代に私より勉強のできなかった中学校の同級生が東京や大阪の大企業に新卒入社してギラギラと頑張っていることを知るたびに、猛烈に落ち込む。学生時代は私のほうが勝っていたのに、なぜ。。。と。
私が学生時代積み上げてきたものは何だったのか。ときたま人生に意味を見出せなくなる。人生に意味を見つけようと私なりにもがいた。音楽の社会人サークルに入ったり、大学の公開講座に参加したり、大学院進学を検討したり(来年放送大学大学院を受験しようと考えている)。だが、何をしても私の心は満たされない。
そいつとは元々は数多くいる友だちグループの一人として付き合っていたんだけど
ある時「どうしても好きだという気持ちを抑えきれない、交際出来るとは思わないけど気持ちを打ち明けてスッキリしたい」と言われた。
で、告白されたんだけど、俺自身は普通に同性愛者では無いので断った。
当時交際していた彼女がいたんだけど、俺が浮気してるだのマザコンだの無い事無い事吹き込まれて喧嘩になり別れる羽目になった。
落ち込んでると元友人が寄ってきて寂しいなら一緒に飲もうぜ、みたいな事を言われた時はぞっとした。
いきなり冤罪をかけられて誰が嘘吹き込んだんだって思っていたから、直感的にコイツが犯人だと思った。
あとで元彼女や元彼女友人らから色々話を聞いて元友人が犯人だって分かったんだけど逆ギレされた。
そうなると良くも悪くも人が良い連中揃いだったから、元友人を理解してあげなよとか、仲良くしてあげなよとか余計なお節介。
いや変な嘘ついて貶めた時点で普通の友人としても付き合い無理だろって思ってたから断ったら俺がハブされる様に。
結局それで当時のバイトもサークルもゼミも居心地が悪くなり一気にボッチ化。それで精神病んで大学を退学する羽目になった。
それで終わればおかしな奴に粘着されて散々な目にあった、で済んだけど、それだけでは済まなかった。
数年後、治療を重ねて何とかマシになって退学してから一年後ぐらいにリハビリ兼ねて務め始めたバイト先の正社員登用試験を受けて合格。
人より遅れたし学歴も失ったけどけど何とか正社員に戻って働き始めた矢先に、元友人が俺の眼の前に現れた。
久々に仲が良かった筈の大学時代の友人に誘われていったら、何故かその友人らと元友人がいるんだよね。
元友人がいるなら行かないと思ってたから散々確認はしたんだけど。
その場で断って帰ろうとしたけど空気壊すなって言われて強引に飲み屋に。何故か元友人と隣同士。
元友人と友人らの話によれば、どうしても俺を諦めきれないということで場をセッテイングしたらしい。
「あれから時間も経ったし、お前も就職して落ち着いただろ?付き合えとは言わないけど、いい加減仲直りしてやれよ」
って言われて、激怒してその場は帰った。大学時代の友人含めて全員着拒した。
それから程なくして会社に謎のクレームが入る様になった。やれ俺の接客が最悪とか、詐欺紛いの営業されたとか。
弁解はしたけど、実際にクレームは凄く入る様になって、庇った上司の顔も潰してしまい、俺は会社での立場を無くし退職する羽目になった。
落ち込んでいると、またも元友人からSNSを通じて連絡がきた。
今度会わない?あの時は自分が悪かった、直接謝りたい。せめて一人の友人として向き合って欲しいと。
というか誰にもSNSのアカウントなんて教えてないのに、どうやって特定したかも謎だった。
気持ち悪くなってアカウントは削除したけど、どこから元友人がやってくるか分かったものでは無い。
LGBT法みたいなのが出来ると、こんなでも俺がLGBTのアイツを差別した極悪人の犯罪者で、アイツは守られるべき存在なのだろう。
何故被害者の俺が悪人扱いされて苦しんで、加害者のアイツが大手を振って歩けるのか。
同性愛者だろうがストーカーはストーカーだろ、何故同性愛というだけで一方的に正しくなってしまうのか、本当に理不尽だし理解出来ないし苦しい。
これがゲイ差別なら、俺は差別者でもいいからアイツと一生関わらない人生が送りたかった。
①まず、増田はたしかにデリカシーに欠けていた。「付き合って三ヶ月も経つのにやらせてくれねぇなら分かれる」と言われたら、大抵の人は最低だなと思う。そこは反省して、同じ状況での心の持ち方や言い方を改善したい。
②大学のクラスは大学生活のごく一部。また、人生のごくごく一部でしかない。大学生活の別の場所に有意義な居場所を複数見つけることを勧めたい。他に複数の居場所があるなら、最悪の場合として、クラスのメンバーには今後卒業までフル無視され続けてもそんなにダメージはない。ゼミや研究室、サークル、バイト、インターン、留学etc。時間軸と空間軸を拡げて見れば居場所はいくらでも見つかる。
③クラスのメンバーとの関係修復を図りたい場合は、増田にとってもっとも信頼関係のある相手から順に、増田の元カノからどんな話を聞いたのかを聴き、増田の視点からの事情を説明して、誤解があるならそれは解き、今はこのように反省しているのだと申し開きをする。
自分が行きたかったけど諦めた専攻で本も出してるから尊敬してるくらいだったはずなのに
かなの開きかたとか喋り方とかどんどん好きになって
ゼミ生とかでもなく授業受けてるだけの友達が先生と親しげにメールしてるの見てめっちゃショック受けてた
ガチ恋じゃん
そういう目で見てるのって加害なんですよね
気付いてませんように
ごめんなさい
新年会があったんだけど、いわゆるアスペとネットで言われるような自閉症スペクトラム障害ってぽいやつがやらかして悲しくなっちゃった
新年会は教授主催で、なんでも好きなもの頼め〜って言ってくれたんだけど、それ聞いたアスペっぽいやつが、な、なんでも頼んで良いんですか!?とか言って、クッソ高いやつ頼もうとしてんの
最初はギャグかと思ってはははってわらってたんだけどどうやらガチらしいぞと
いやいや程度ってもんがあるだろはははとか周りが言ってたら段々キレ始めて最終的に教授に詰め寄ってた
ちょっと席離れてたから過程はよくわかんないんだけど、バカにしてんのかみたいな感じで教授もキレてお通夜になっちゃった
教授はアスペをひと通り叱って終わりにしたけど、アスペは飲み中ずっと不満そうにしてて、終わってから全体ラインで教授糾弾の長文ライン流してきた
悲しいよ俺は
アスペ、高校生時代までで何度もいじめられた経験があるらしくて、そういう話をゼミでカミングアウトしてて、研究に活かしたいみたいな話もしてたんだけど
それっていじめっていうか…こういうことだったんじゃね…?となってしまって
なんか、ありえねーわこいつって気持ちとともに、物凄く悲しい気持ちになってしまった
同情とも違うんだけど、凄く悲しいよ…
フェイク入れてるけど、特定されても参加者多かったから別に困らないし吐き出しで書いた
がーっと書いて推敲もしてないんで変だったらごめん
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前置きというか予防線として、私は増田達にはあまり好かれないタイプで、嘆き風自慢話にしか聞こえない可能性は、十分に理解した上で書いている。
ただ、「死にたい!」という理由はなくても、だからといって別に、「生きねば!」という強い理由もないからなぁ~。だったら死んじゃおっかな~。
案外、このくらいの感じで自死を考えちゃう、そんなしょうもないおっさんが実は結構な数いるんじゃないかと、そんな思いで書いてみる。(もし似た人がいたら、少し安心できる気もする)
でもたぶんどうせ、死なない。死ぬ理由もとくにないからな。ふはは。
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18でも20でも30でもないのでなんの節目でもない年齢だが、
35歳(私の中での明確なおじさんの基準)が目前に迫った34歳を迎えるな~、とか、知らないうちに無理やり自分の中で理由をつけていたのか、
この1ヶ月はやたらと人生を振り返ることが多かった気がする。
結果として、これからおじさんとしての人生が50年くらい続くことに対して、希望が持ちづらいと思う日が増えた。
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富豪とまでは言わないまでも、それなりに裕福な家庭で育った。
物心ついた頃から頭が良い子だと言われ続け、足もそれなりに速く、小学校ではごく自然な形で学芸会の演劇の主役をしていたし、生徒会の会長も務めた。
私立中学の受験にも成功した。塾時代の成績はいつも全国模試上位だったから、失敗することなんて考えもしなかった。
部活も学園祭実行委員も最前線で楽しみ、彼女も当然のようにいた。童貞は、附属高に上がる16歳頃には卒業していた。
卒業アルバムを開けば、嫌な記憶はひとつもない輝かしい中高時代が思い出せる。
学校名は伏せるが、所謂、最上位の大学に進学した。最早、まわりも当然だといった様子だった。
バイト、サークル、ゼミ活動。大学生のお手本のような生活を送っていた。
講義をサボりすぎて1年留年したりもしたが、大手広告代理店にすんなりと内定した。
某代理店で、新卒女子が自殺をした頃、広告業界の忙しさが嫌になり転職を経験したが、
次の会社でも大きな挫折を経験することなく、同期の中では出世の早い方だったし、全社表彰されたことも何度かあった。
ある程度の給与をもらえていたので、都内の繁華街近くの1LDKで20代の独身生活を存分に謳歌した。
その時々の彼女を連れては、グルメインフルエンサーが紹介したがるような、洒落たバルやら、ネオ酒場やら、
ミシュランの星がつくような店にも、何か記念日などのイベントがあれば、それほど無理をせず行くことができていた。
フレンチもイタリアンも中華も、職人から手渡しされるような寿司屋も、数えきれないほど行った。「kint〇nとかガキが喜ぶ焼き肉屋だろ」とかイキったりもした。
連休があれば近場の温泉にふらっと出かけた。海外旅行はあまり好きではなかったが、女にねだられれば年に1~2回は連れて行った。
嫌味のような半生を書き連ねてあらためて、本当に、なにひとつ不自由のない人生を歩んできた。と思う。
衣食住はもちろん、三大欲求をそれなりに高いレベルで満たし続けてきた。
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理由をあげだせばキリがないのだが、一番は子作りについての考えの相違で、要するに私は子供が欲しくなかった。
入籍当初には同意してくれていた元嫁は、すぐに「やっぱりわたし子供が欲しい」と言い始め、口喧嘩が増え、離婚した。
別に島耕作の時代でもないので、離婚が出世に響くとかは考えたことがなかったが、自分でも意外なほどに離婚はしたくないと粘ってみたりもした。
でも、自分の子供が欲しくないという気持ちがどうにも変化する気がしなかったので、結局、離婚した。
(子供が欲しくない詳細理由は割愛するが、ざっくりいうと、絶望と閉塞感のあるこれからの日本に、子を産み落とすことは無責任なように感じる、みたいな理由が主)
俗にいう若手エリートのモデルケースからズレたような気持ちになって、急に仕事に対する熱意がなくなってしまい、
でも少し経ったらそれもなんだかんだ事業も軌道に乗り、リッチとは言えないまでも、今はまた不自由ない独身暮らしを送っている。
お金は、めちゃくちゃな贅沢は出来ないまでも困ってはいないし、莫大な資産を築きたいという野望がなくなった。
思えば、別にエリートを目指して生きていたわけでもないので、また大企業に勤めたいという思いはないし、日本を動かしたいという思いもなく、ステータスへの渇望感は消えた。
夜のお店にたまに顔を出してはお店の女の子と仲良くなったりもするので、セックスもとくに困っていない(今は、かもしれんが)。
10年後くらいにいよいよ老後の孤独を考えたりする頃には、多少気持ちも変わっているかもしれないが、再婚もあまり考えていない。
だから、真面目な出会いは求めていない。もちろん、子供は今も欲しくない。
若い頃からずいぶんと分不相応な美食家を気取っていたが、ある程度の金額で満足できる程度のバカ舌だったのか、赤提灯で十二分な満足が出来てしまうことを知り、必要以上の金をかけて食事をすることに喜びは感じなくなった。
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となると、だ。
残すところ短く見積もっても30年、長ければ60年近くの人生が漠然と待ち構えているわけだが、
そこに対して全く、何かを成し遂げたいという欲が起きないんだ。
金を稼いで、良い家/車/服揃えて、良い女を抱きたいとも思わなければ、
将来のこの国のために子孫を残す気もないし、だったらと血が繋がっていない若者を導くような使命感もない。
君たちはどう生きるか、というより、もっと前の段階のところで躓いているわけで、
やべ、とくに生きる理由ってなくね?
老化は避けようもないし着実におじさんになっていくわけで、あれ、人生今より楽しくなることってなくね?って考えるようになった。
生きる理由より、むしろ死んでもええかって理由の方が、よっぽど簡単に見つかることに気づいてしまったわけだわな。
結局のところ、人類なんてものは大いなる生命の螺旋を繋ぐための歯車でしかなく、
子供が欲しくない奴なんていうのは、歯車としては欠陥品ってことなのかもしれん。
冒頭にも書いたけど、どうせ死にはしないと思うんだ。
生きてればそれなりに、本当にそれなりに程度でも、楽しいこともまだあると思うんだよ。
でも、楽しさも幸福も、これまで以上は超えてくる気がしないという謎のおぼろげな展望が、日を追うごとに輪郭がはっきりしてきていて、
その現実からどうしようもなく逃げ出したい。逃げる?あれ、死んだらいいわ?そゆこと?
体調不良と就活説明会を交互に挟んでゼミに半分も来ない、来週締め切りだってのにRQの設定すら出来ていない。実験も調査もしなかったからデータがない、論じるものもない。
論文どころか本も読んでないしニュースも見てないから基礎知識が欠如している。文章も助詞の使い方レベルで直しが必要だけど、何度言っても学内のピアサポート的なサービスは利用しない。一度引っ張っていったんだけどね。友達がいないしゼミでも孤立してるから相談相手がいない。
ゼミの進捗報告会も指定の資料すら作らず口頭で忙しいからやれませんでしたを連呼する地蔵になるだけ。たまに来た授業も終わったら一瞬で消えるから連絡が取れない。電話は着信拒否してんのかってレベルで出ない。ゼミ内の連絡ツールも普段のやり取りからすると見てない。
で、腹くくってご家族にもう非常に厳しいとご報告したら突然焦りだしたけど、明日はバイトだからできないってさ。そもそも単位落としまくってるから4年後期でもがっつり授業取ってるんだけどね。
上長に相談したら明確には言わなかったけどおまえが卒論書けって。喜べ、あなたは一生つきまとう卒論代行という負い目を追うことで卒業できる。私も不正に関わった研究倫理皆無の教員になるけどな。
大きな胸と細い腰とほどよく丸みを帯びた尻。いわゆる、ボンキュッボンな体型にずっと憧れてきた。子どもの頃、かつてはそうだったという母の話を聞いていつかは私も女性らしい体型になれるものだと信じていた。
しかし、なかなか難しくどれだけ頑張っても私の胸は成長しなかった。いや、成長はしたのだが微乳なのだ。どれだけ肉をかき集めて寄せても、下着の中で一時的に留まるその肉たちは悲しいことにみかんくらいしかない。丸みを帯びたみかんは、下着を外すと一気に平べったくなる。留まってくれないのだ。筋トレなど頑張っているが、なかなかみかんたちはそのまま留まってくれない。
努力しないと留まらないみかんの持ち主故に、ずっと私はグラビアアイドルの体型に憧れてきた。性的消費とかではなく、ほんとにああいう体型になりたかったのだ。大きすぎる胸だと服や下着のサイズがないと聞くし大変だと思うが、持たざる者には憧れでしかない。大変申し訳ないが大変羨ましい。
そんな感じの私だが、大学の時に「そう私はこんな女の子になりたかったのだ」という同期がいた。まず入学式の時から「都会すごいこんな美女が普通にいる…というか絶対モデルさんとかやってるでしょ…」とびっくりした。目は大きく少し垂れ目でぽってり唇。長い髪はまっすぐで綺麗で、体型は私の憧れのボンキュッボン。……理想が、いる。大人っぽくでも顔は可愛くほどよく色気がある。す…すてき…と私は彼女に一目惚れ状態だった。
だが、話しかける勇気は皆無だった。スクールカースト下位で生きてきたため、まず学年でも、下手したら学部の中でも1番美しいかもしれない彼女を私は遠くからそっと見るだけだった。美しすぎて、尊い…となっていた。
そんな彼女と、なぜか同じゼミになった。うそだろ…と思いながら時々隣の席になりひたすら緊張していた。彼女がつけているシャネルのココマークのピアスや、Diorのロゴのリボンチョーカーが、ブランドロゴが全面に出ているはずなのにあまりにも上品で素晴らしい…と尊敬していた。高いヒールのブーツやパンプスを履きこなす彼女がとてもとても好きだった。優しく笑うおっとりした彼女もとても大好きだった。
憧れすぎて、言えなかった。気持ち悪いと思われたらどうしよう、と思うと言えなかった。
……たった一度だけ、彼女に褒められたことがある。お手洗いを利用した後に手を洗っていたらたまたま彼女が横に来たのだ。
「……いつも思うけどどうやったらそんな脚細くなるん?めっちゃ羨ましい。私すぐ太なってまうねん」
突然話しかけられて驚いた。いやあなたの脚めっちゃ細いがな、と。ちなみに私は普通の脚である。いや、脚はたぶん父が鬼のように長い故に若干人よりは長いが、細くはない。
そんなことない!○○ちゃんの方が細くて綺麗!!とか返したような気はする。なんせ覚えていないのだ、突然褒められたことにびっくりして。ただ、答えた後の彼女の笑顔が眩しかったことは覚えている。
さて、大学を卒業して数年。彼女が先日グラビアデビューした。いや卒業してからもInstagramもTikTokも実はフォローしていたしめちゃくちゃ綺麗…と思いながらいいねもしてきた。露出がどんどん激しくなっていくゆえあぁぁなんか見てしまってごめん…と思いながら持たざる者故に本当に綺麗なあなた…と思いながらいいねしてきた。
そんな中、突然のグラビアデビュー。個人的には、ようやく芸能界からお招きがきたのか…と納得している。だって、入学式の時本当に輝いていた。今まで小中高と会った同級生の中でも1番綺麗だった。たまたますれ違った女子アイドルよりも綺麗だった。なんでこの子が芸能界に行ってないんだ…?と本当に疑問だったしこの子が興味ないだけなのかなとも思っていた。
でもやっぱ光るものがある子は呼ばれるんだな…と思いながら今日も私はその子のインスタを見ている。ただ見てて寒そうなのでもう少しもこもこをこの季節は着てほしい。そしていつか彼女をテレビで見られる日が来ますように。
ただ、ただ魑魅魍魎であろう芸能界で彼女が変なことに巻き込まれませんように、幸せに活躍できますようにと田舎の片隅で毎日祈っている。