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2017-02-20

結婚してはいけない相手が1発でわかる方法

「モノをしっかり閉めない相手」とは結婚してはいけません。100%です。

・フタがゆるい

冷蔵庫あいてる

・窓がしっかりしまってない

等々、様々な面でデメリットがあります

が、「いちいち指摘するのがストレスになる」のが一番のデメリットでしょう。

何度指摘しても治らないんです。「私、腕のちからが~」とか言い訳です。

小瓶のふたを閉められない腕力なら生きていけません。

絶対に治りません。繰り返しますが、絶対にです。

逆に、自分が気にならないタイプならOKですがいつか何らかの事故を起こすでしょう。

http://anond.hatelabo.jp/20170220091906

横だけど、婚活足切りにあうレベルで考えるなら、それこそ先天的な重病でない限り、頑張って稼げないなんてあり得ないわけだし、

女も、何らかの病気、あるいは取り返しのつかない事故でもあってない限り、化粧で取り繕えないレベルのブスは考えられないだろ。

2017-02-19

アニソンベスト100」誰が得したの、これ?

紅白歌合戦水樹奈々が出演したあたりからNHKアニメアニソン企画はずいぶん洗練されてきたような気がしていた。だからアニソンベスト100」も期待してた。で、さきほど録画を観終えたわけだがさ。

……なんだこれ。完全に事故案件じゃないか

ランキングしょうがない。どんな結果が出ても荒れる。ここは割り切るしかないだろう。

ただ、ユーザー投票の結果とは別にアニソン関係者投票による順位であるとか、評論家視点から見た「時代を変えた曲」といったような、フォローアップ企画があってもよかったのではないか昭和平成ともに取りこぼしがありすぎる。

そんでもって、ここからが本格的な批判。まずMCの人選な。どうしてこんなことになったの……。

中川翔子ケンドー・コバヤシも、ファン目線、それも偏ったファン目線しか語れない人たちだ。出演者のひとりとしている分にはいい。どうしてもっと俯瞰で、アニメソング歴史を、文脈を、楽曲の魅力を、そして何より現在アニソンシーンの盛り上がりをきちんと語ることができる人をメインで呼ばなかったのか。たとえば田中公平。たとえばキムラケイサク。個人的には「リスアニ!関係者が出ていればベストだった。冨田明宏でも澄川龍一でも西原史顕でもいい。今のアニソンが持っているポテンシャルが、この人選ではまったく伝わってこない。特に中川翔子がいただけない。ただイタいオタク勝手に盛り上がっているだけという印象になってしまっていた。アニソンは狭い文化だという偏見を、いまさら撒き散らかしたようなものだ。

そして、この番組もっとダメなところを最後に書く。といっても、これは観た人はほとんど全員わかっていると思う。

なぜ生歌披露ほとんどカバーなんだよ!!!!!!!!!しかも短縮バージョン!!!!!!!!!

本人に歌わせろなんて無茶はいわないよ。予算少なかったんだろうからしかしそれなら生歌企画なんかやるんじゃないよ。バカか!

カメラ越しですらわかる、ニコファーレの冷え切った空気。そりゃそうだわ。そしてテレビの前はもっと地獄のような冷え方だよ。「アニぱら音楽館」みたいな小規模な番組ならいざ知らず、何が悲しゅうて公共放送でのアニバーサリー的な企画で、オリジナル歌手以外のカラオケを見せられなきゃならんのか。「アニぱら音楽館」は生バンドから、「アニぱら音楽館」以下だわな。歌わされる方もかわいそうだよ。はっきりいって悪印象しか与えられなかっただろ(特にリハ不足が露骨に出てハーモニーへったくれもない「Snow halation」)。「i☆Risって人たちも喜多修平って人たちもがんばってるな〜」とか思わないよ。ファンの俺ですら、今日i☆Risはしんどかったわ。こんな仕事を入れた事務所に怒りのメールを送り付けたい。

企画したやつは始末書を書け。そしてもう二度とアニソン企画にかかわるな。バーカ!

2017-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20170218002240

30後半の男です。

夫さんの気持ちがわかります。夫さんは基本として西野カナ系の察してちゃんに見えますが、夫さんが二十代ならまだ大丈夫です。男は言語能力女性より低いので、夫さん自身も何に怒っているのか上手く伝えられないのだと思います仕事しながら30,40代になれば言語能力は発達しますので、心配無用です。



さて、まず前提として

[いつもと違う行動をとると、ものすごいストレスを感じる]タイプ人間が世の中にはいます。私です。夫さんもそうじゃないかな)。



なので夫さんの考えは、今日は妻のせいでものすごいストレスが溜まったのに妻はいつも通りの行動をして平然としてストレスを感じていない!納得いかない!です。



なのでライブに行ったとかないがしろだったとか、質問おかしかった、のは怒りの原因の本質ではありません。



帰宅後の行動パターンが一致していないと、ものすごいストレスになるんです。帰ったらアレしてコレしてこうなるから...って考えること自体ストレスなんです。何も考えないのが一番ラクですから



そのいつもと違う行動を取ることになった原因がどうしようもないこと(病気事故、天候、災害)ならまだわかるのですが、今回は妻のライブという娯楽が原因であり、しかも妻は自分のことはまったく何もわかっていないようであること、だったのが怒りの原因です。



ちなみに良さそうな回答は

[いつもと違うことをさせてしまたか負担になってしまったんだね、ごめんね。今度から貴方に合わせて食事の用意をするね]と言えば夫さんもまぁ怒りはしなかったのではないでしょうか。(増田さんは夫さんとは違うタイプなので何が負担なのかも理解不可能だと思いますが....)





同性から見ても恥ずかしいような察してちゃんですが、まぁこういう人は一定数いるので(会社上司にもいる)まったく異常者ではないです。



ちなみに、似たような作業ルーティンを繰り返すことが重要だったりする仕事(研究者とか)であれば、逆に夫さんのようなタイプは重宝されます。夫さんには、他に良いところがあるはずだから良いところにフォーカスしてください。多分夫さんは真面目なタイプなんじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20170218005646

上から目線に見えてたら大変申し訳無い。

部は違えど上級職として、プロジェクト失敗とか事故

起こすことは避けたいんだよ。

ちょっと愚痴たかっただけ。すまん。

2017-02-17

突発的に旅館の予約をした。

日常生活疲れた

こんな時は旅行だ!

車を北に3時間走らせて、

蟹とステーキ食べ放題

明日が待ち遠しくて。

今夜は眠れるか不安

道中で事故って死んだり、

何か罠がありそうで怖い。

2017-02-16

60をちょっと超えただけで「老人だから事故起こしちまった」とかやってる人ってそもそももともとの運転能力が低そうだし

年寄り関係なく免許更新もっと厳しくした方がいいのではないかとか思えてくる。

親の車を捨てる話

条件がぐちゃぐちゃしているのでユースケースを一つ作る。

「Aは親であるBと遠くはなれて住んでいる。様子を見に行くのも飛行機を使うため、気軽に帰省する訳には行かない。Bは高齢のためここ数年、急激に運転がおぼつかなくなってきた。軽い認知症が始まっている。車を降りることを薦めても『心配しなくていい』を繰り返すだけで、話を聞かない。後期高齢者保険の話をしても嫌な顔をするだけ。ヘルパーを入れることも拒む。説得を続けると『疲れた』といって引っ込む。高齢者運転事故の話が話題になっており、心配だ」

多分日本中に掃いて捨てるほどあるユースケース。本当に掃いて捨てたら大阪の海が悲しい色に染まるどころか広大な埋立地ができるだろう。

さて、BはAの言うことをまったく聞かない。一方でBの運転能力は日増しに低下している。ここで何ができるか。現実的選択肢は以下のとおり。

  • 殴り飛ばして無理やり言うことを聞かせる
  • Aが今の仕事を放り出してBの近所に引っ越す
  • Bが衰弱してAに抵抗できなくなるまで待つ

最初選択肢はAが逮捕される。2番目の選択肢を取る人は一定数いる。その後再就職できずに低所得層に転落する悲劇が量産されているが、報道はめったにされない。最後選択肢現実解として選択する人は多いだろう。

最後選択肢を選んだ場合で、かつBが誰もひき殺さなかった場合現実に起きるのは次のような事態になる。

「Bは認知症が進行し、徘徊を始めるようになった」

Bは脳機能の衰えにより、自分の車がどうなったかを正常に判断できなくなる。車を捨てるのはこのときしかない。しかしながら、同時にBは徘徊等をはじめており、この時点で付きっきりの監視必要になる。

Bはヘルパーを拒んでいたため、遠隔地からAがBの世話を頼める人はいない。「徘徊しているお父さんを保護しました」という警察から電話に、予定をすべてキャンセルし、会社に頭を下げて(割安航空券を使わずに)あわてて帰省することになる。

長期休暇は取れない。ここでどうやって車を捨てればよいか

実は車を捨てるという言葉には、二つの意味がある。

普段意識していないが、会話で「廃車」というときには上の二つの意味を両方含んでいる。

この二つを短時間にできるだろうか。

スクラップ処分はできる。近所に業者がいるならば、自走していって車検証と自分身分証を見せるだけで廃棄してくれる。所有者の同意書、委任状などは不要業者確認することを推奨)。

問題は法的な廃車のほうだ。

法的な廃車はAの居住地でもできる。必要ものは:

この二つがあればいい。さてここで問題。Aの言うことをまったく聞かなかったBは、Aに登録印の保管場所を教えてくれるだろうか。

教えてくれているなら幸い。とにもかくにもすぐに廃車処理すべきだ。(来年納税までに捨てればいい)などというのは間違いだ。なにしろ

登録印は自治体の外に引っ越すと無効になる』

Bが自活能力を失ったからAの元に引き取る。あるいはAの居住地の近所の施設に入れる場合、当然住民票を移動することになる。

教えてくれなかった場合印鑑を再登録する必要がある。

ところが、印鑑登録の再登録には本人自筆委任状必要となる。委任状を書けるくらいなら運転心配などあるわけないっつーの。そもそも、委任状を書ける状態ではBはAに同意しない。

この点に関して、役所は一切助けてくれない。結局、この状態になると選択肢は二つ。

偽造が発覚した場合、たぶん書類送検される。裁判で争うのも一興だろう。ツイッター炎上させてメディアを巻き込む。うまくするとゴーストライター適当感動ポルノ本を書いてくれる。印税で買ったワインを飲みながら、すでに知的な話をできなくなったBの耳元に「あんたのおかげで大もうけできたよ」とささやくと、テレビドラマ的で素敵だと思う。

重量税を払わない方法もある。払わないと警察が来るので「この人が脱税しました」と、Bを突き出すのだ。嘘ではない。安全運転納税は所有者であるBの義務だ。うまくするとBはお上が面倒を見てくれる(ないない)。

成年後見人は一番まともな方法だ。成年後見人になれば、Bの代わりに印鑑登録し、廃車することができる。が、認定されるまで数ヶ月かかるという、お役所仕事なので年明けにスクラップにしたなどという場合はあきらめるしかない。

かくのごとく、親の車を捨てるとは面倒な事である

当然だが、ここに延々と書いた面倒な話とは別に「老いの準備を一切しなかった親を引き取る」という大変な事態が同時に発生する。

子供が憎い、子供を少しでも苦しめたい。そう思っている方には『心配しなくていい。俺は大丈夫だ』と言い続けることをお勧めする。効果は絶大である

http://anond.hatelabo.jp/20170216011326

障害を持った子供事故で亡くなったとき補償金として受け取る額として計算された「生涯獲得収入」が健常者よりも低いのは不当だって訴えてた親がいたな。

生命差別」だったか

障害者でも障害者枠でコツコツ働いた人の方が、大学出て30年間ニートするやつよりはるか年収稼ぐがそういう可能性はあくまでも微調整の範囲内で無視してもいい値ってことなんだろうな。

そこらにいる普通の人がおもしろ

私の日曜朝のテレビNHK小さな旅』、『さきどり』、『日曜討論最近まらん)』、フジテレビワイドナショー』、テレ東男子ごはん

その後、昼ごはんとか作ったりする。席に着く頃、『和風総本家』を見る。日本っていいねのノリにだんだん嫌気がさし、ザッピング

そうして、たどり着いたのが、『のど自慢』。



のど自慢』が最高すぎた。『和風総本家』を見て数年を無駄に過ごしてしまったという後悔。

棺桶に片足突っ込んだおじいちゃんやおばあちゃん、ゲストよいしょ要員のおばさんとおじさん、元気一杯女子男子、すんげー音痴なのに通っちゃった人、親の付き合いで仕方なく出た子、付き合いでも意外とノリノリで頑張る子などなど。どの出場者も最高だ。

ちょっとバックグラウンドがあると客席の家族を写す。そう言う客席を写す演出計算されてるんだけども、歌唱後にアナウンサーと話す会話でミラクルを起こしてしまう出場者。事故と聞いてとんで来ました状態が発生する生放送ならではの楽しみ。

鶴瓶の家族に乾杯』を見てても『所さん笑ってコラえて』、『あさイチ』のアッキー旅なんかを見ていても思う。

子供から年寄りまで「テレビうそー!テレビなの!?」、おばちゃんが「化粧しなくっちゃ!(する人は少ない)」ってなるのが、テレビの良さだと思う。まじかよテレビきてんのか!田舎だと、その価値がぐっと上がる。そんで興奮した人々が思いもよらないコメントをして、奇跡を起こす。

芸能人同士の馴れ合いを延々流すくらいならもっと視聴者を出してほしい。興奮した視聴者の思ってもいない本音面白いのだ。

2017-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20170215100549

頭の中が事故ってるから事故を起こすんでしょうよ

それをどうやって防ぐのかが問題なわけで

気をつければ防げる?

頭の中が事故ってる人間が、気をつけただけで事故を防げると思う?

http://anond.hatelabo.jp/20170215033102

ブコメでも似たようなのが複数あったがバグって誤字・脱字じゃないんだよ。つーか誤字脱字ぐらいそれこそ気を付けてれば比較的容易に防げるでしょ、リーズナブル作業時間で。実際仕事で誤字脱字なんてやった覚えがない。お前らは頻繁にやってるの?

バグのない製品を作るのはもちろん不可能だよ。不可能だけど、だからってプログラマはイージーなバグを量産しすぎ。バグが100個あったら90個ぐらいは気を付けてれば防げた類のものでしょ。テキトー仕事した結果ミスを量産して、100個近くブコメが付くほどあーだこーだ理論武装して言い訳して正当化して、プログラマって最低の生き物じゃないか

何が交通事故だよ。事故ってるのはお前の頭じゃねーか。

論理的に死後の世界検証して、どう生きるべきか決める

人はどう生きるのが幸せか。

人それぞれ様々な考え方があるだろうが、

「死後の世界」に焦点を合わせて考えてみると、思わぬ発見がある。


まず「死後の世界があるかどうか」を考える。

1.死後の世界は ない

2.死後の世界は ある

1.の「死後の世界はない」ならば、簡単だ。

自分自身が、死と同時に消え去る。

どんなに誇らしい人生を送っても、情けない日々を過ごしても、自分自身消滅してしまったら関係ない。

自分が死んだその時には、誇らしさも情けなさも、もう感じられないのだ。

感じる主体自体存在しないのだから

まりこの場合は「死ぬ間際に幸せかどうか」が最も大事だろう。

人は過去を思い出せるし、未来に思いを馳せることもできる。

だが実際に生きているのは「今」だけだ。

過去未来への感情副次的作用するだけで、今幸せかどうかは、当たり前だが「今」の状況が最も影響する。

過去に辛いことがあっても、未来不安でも、今が幸せならば人は幸せだと感じる。

ただ過去と違って、未来は不確定なので、人は必要以上に妄想を膨らませる。

その未来への心配で、今をも不幸せにしてしまうこともある。

だが死んでしまえば、未来は無いのだから、そんな心配無用だ。

まり死ぬ間際の「今」こそが最も大事ものになるだろう。

その場合死ぬ間際までは前フリと言っていい。

死ぬその瞬間に幸せならば、それまでの人生はすべて前フリでしかない。

この文章主題である「どう生きるべきか」の答えは

死ぬ瞬間に、幸せと思えるように生きる」である

ただ、いつ死ぬかは誰にも分からない。

明日、突然事故死ぬかもしれないし、ギネスレベルの120歳まで生きるかもしれない。

から長生きした場合の長期的な幸せと、明日死んでも悔いのない短期的な幸せプランを両立させる必要があるだろう。


2.の「死後の世界はある」と考えるならば、話は一挙に複雑になる。

死後の世界がどういったものかによって、答えはまったく違ってくるからだ。

古今東西の死後の世界感を見るに、まず2つに分けるならば、以下のパターンになる。

1.現世での行いが 反映される。

2.現世での行いは 反映されない。

1.の「現世での行いが反映される」というパターンは、比較的古い宗教に見られるパターンだ。

良い行いをすれば来世では幸せ保証され、悪いことをすれば来世では不幸になるという、非常に分かりやすく、伝播しやすい教えだ。

だが、このパターンの最大の問題点は、何が良い行いで、何が悪い行いなのか、判断基準が持てないことだ。

人を殺すことは、一般的に悪いこととされている。

だが戦国時代には、多くの敵を殺すことが正義とされていた。

もっと分かりやすい例で言うならば、あなたの前に1人の男がいる。

はいまだかつて無い恐ろしい病原菌に犯されていて、このままでは数億人に感染して死に至らしめる。

だが、今あなたは彼の前に立っていて、ナイフを持っている。

彼を殺せば数億人の命が助かる。

だが彼は運悪く感染しているだけで、なんの落ち度もない。

こういった場合、一体どちらが「正しい」のだろうか。

そういった曖昧さを多分に残すという意味で、1.の「現世での行いが反映される」というパターンは、考える必要がないと思われる。

たとえそのルールで死後の世界が構築されているとしても、そのルールを知りようがない以上、対策することが出来ないからだ。

まり「どう生きようが、死後の世界ルール次第」ということになり、明確な指針は持てないことになる。

2.の「現世での行いは 反映されない」も同様である

現世でどう生きようが死後の世界関係ないならば、明確な指針は持てない。


ここまで考えて見るに、最終的な結論

明日死んでも、120歳まで生きて死んでも、幸せに死んでいけるように生きなさい」

ということになる。

これはなかなか難しい生き方だ。

皆が皆、できる生き方ではない。

から誰かが死んだとき、それを悲しむことの方が多いのだろう。

死んだその人が笑顔で逝ったと思えるならば、葬式はもう少し希望を湛えたものになるはずだ。


ここから論理性はなく、ただの個人的な考えだが

明日死んでも、120歳まで生きて死んでも幸せに死んでいける」という条件は

「夢を追いかけて生きること」ではないかと思う。

たとえ夢半ばで死んだとしても、生涯を夢に向かって全力で生きた自分を誇りに思って死ねるだろう。

夢を叶えた後に死んだならば、悔い残すことな幸せに眼を瞑れるだろう。

このあたりの結論は、個人価値観によって違ってくるかもしれないが

個人は、論理的な夢追い人として生きようと思うのだ。



苦しいあまりに死を願うなら、すべてを捨てて好きなように生きるが得

死ぬるのは、いつでもできる

死んだ先のことは、死んでみなければ決して分から

吉と出るか、凶と出るか

サイコロを振る前に、今しかない生を謳歌してからでも遅くはない

2017-02-14

とんぺい大学震災後に、結構予算が見込まれるって噂を聞いたことがあるけれど。

過労自殺かどうかで、裁判での争いもあったり、パワハラ的な人もいたんだね。うわ。

図書館アルバイト土下座強要する60代がいたとか。ひえー。

  

きょーと、ではさ。教授はご主人様。ポスドクメイドだっていうような噂も耳にしたことアッからさ。こわいな。

あと、ぬまこうさく享受れいさんみたいなのとか。

  

あと、おきなわでは、研究のための機器を設置中にダイバー行方不明者になってるとか。

海洋研究って事故がつきものなのだろうか。

  

アカデミアの闇って誰か小説化してくれた?

それとも、週刊誌とか、食いついてくれるのかな。

OBKTさんのようなルックスがないと、一般の人からは関心を持ってはもらえないよね。

なんか。はー。やみだな。

    

SNSで色々と噂が聞かれるようで良かったのか

  

百均インクジェットプリンタ用のリフィルインク

カートリッジじゃなくて、詰替え用のインク

ダイソーからセリアからキャンドゥからも、手の届く範囲にある全部の百均から消えていいる。

フレッツに黄色だけ残っていたから「黒はないの?」って聞いたら、廃番商品なんだって

なんで?

あれないと、困るんだけど。

なんか、誤飲事故でもあったの?

2017-02-13

夢は南海トラフ上野女史への反感―

本来、三大命題二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。


この論考は以下のURLにたいする一人の若者から反論である

https://togetter.com/li/1080097

以上の新聞記事で、上野女史は「経済犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。

この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。

平和国家という「ファンタジー

上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。

この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。


そもそも、戦後日本社会体制1940年代の「総力戦体制を「経済最優先」の形として再編したものである

扶養控除、源泉徴収終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。


社会実態についても、「平和」と呼ぶにはほど遠い。

1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動市民運動社会不安が吹き荒れていた。

70~90年代にかけては、家庭や企業社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。

これが少年非行いじめ過労死などの狂気的な状況を引き起こした。


戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたか社会である

まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである

後期近代―不確実な私、国家社会

しかも、「ゆたか社会」は90年代2011年にかけて完全に崩壊した。

まず、政府安全神話が崩れ、

企業身分制保障崩壊し、

最後に、原発事故とともに社会安全神話が吹き飛んでしまった。

この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である


では、現在社会とはどのような社会なのか。

それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的である

企業におけるセーフティーネットが「生産性自己実現神話」の名のもとに縮小され、

パートフリーターという不安定生活者が生まれた。

政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、

監視カメラSNS監視なしに、人々は安心して生きることができない。

不誠実な脳科学認知神経科学AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、

人々は常に失職と人間尊厳消失心配するようになっている。

そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。


このように、後期近代社会とは

当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間永遠の虚無へと投げ出すのである

相対的剥奪感と存在論不安

このような状況では、人々は二つのレベル不安を抱えることになる。

一つは生活レベル不安相対的剥奪感―

もう一つは存在レベル不安存在論不安

である


私たち人生ほとんどを仕事をして、生きている。

しかし、その仕事価値が急速に低下してしまった。

人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。

一方、ただ一日中パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。

この二極化する現実は人々に

「不当な地位にいる!」

「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」

という相対的剥奪感を抱かせる。


また、後期近代社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。

軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。

そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。

二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論不安を抱かせる。


しかに、ここであげた例は極論である

しかし、似たような体験をする人は多いだろう。

そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。

「私はこうなれたのに……」

「私もこうしたかった……」

ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情現代社会不安の核心にあるように思う。

上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である

この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである

夢は南海トラフ赤木理論の失効―

――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。


このような後期近代グロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。

彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺理論を主張した。

しかし、私は「戦争」を夢にはできない。

今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。

今や「自殺」ですら「富裕層」を富ませる資本である

加藤智大植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。

そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆不可能性を解き、

「後期近代」の隊列にから逸脱しないことを促進させる。

後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっと積極的な「支援行為なのだ


私の夢は「南海トラフである

防ぎようのない「天災」によって、

嫉妬の中心地である太平洋ベルト東京

ありとあらゆる社会資本が壊され、嫉妬の根源が無化される。

私はベンヤミンのいう「法維持暴力」に立つ者であるが、

この瞬間を心の底から待ち望む。

私はそのとき、心の底から嗤うことができるだろう。

109崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町サーバーがダウンし

白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき

後期近代はその柔らかな恥部を表出する。

私は笑顔でその恥部憎悪の限りをぶつけてやり、

後期近代を殺し、末期近代を出現させてやるのだ。


そのときに来るのが、

東のいう変質したファシズムなのか

笠井のいう生存のためのサンディカなのか

佐藤のいう無慈悲アナーキズムなのか

知ったことではない。

私が心の底から嗤いたいのである

相対的剥奪感や存在論不安に晒されることなく嗤いたいのである


そして、私は嗤いながら確信する。

東北の「土」と「血」が正しかったことを

東京の「コンクリート」と「鉄道」が虚妄であったことを


このような自己破滅願望について納得する解答を提示できない上野女史に

後期近代現代社会を語る権利はない。

彼女はせいぜい自らの理念後生大事に背負って、大学瓦礫に押しつぶされて死ぬのがお似合いだ。

原子力戦争抑止力

原発関連について思うこと。思考整理のために。

何かと取り上げられる原発関連問題についてですが、「エネルギー資源の点から原発再開・高速炉建設は現状止むを得ない選択肢である」というのが今の私の考え方です。




石油はもって40年」と自分子供の頃からそう言われていて、いまいち危機感が持てなくなっているけれど、少なくとも自分子供のころはレギュラー90円切るようなのが当たり前だったと思うし、確かに昨今の不景気が影響で価格が高騰しているということもあると思いますが、客観的事実として、天井のある資源を使い続ければいずれ枯渇することは当たり前だと思います

エネルギー資源の枯渇が引き起こすのは奪い合いであるといったことは、歴史的に見ればある程度自明だと思います

今の時代簡単資源を巡ってすぐさまに戦争が引き起こされる、といったことは想像しにくいですが、少なくとも産業経済制限がかけられることと思います



そのような情勢において「原子力」というエネルギー源の選択は、再利用技術確立が為されればかなり明るいと思います。(しか3.11のような経済的コストや、使用済み燃料やそれに付随して出る汚染物質の処理のような将来的課題もまだまだあります。)



これらを踏まえ私が感じているのは「戦争への抑止力は、資源生産・確保であり、原子力はその点で抑止力と成り得る」ということです。

漫画の1コマに「戦争は始めるものじゃない。出来る限りの外交手段を尽くした上で結果的に起こるものだ」とありますが、この「出来る限りの外交手段」を選択肢として存在させることが重要であり、エネルギー資源はそこに深く関わっていると思うのです。




一方で原子力の利用は、今の日本の風潮ではかなりシビアものだという感覚をみんな持っていると思います。私は原子力関連においても最もネックなのはその感覚自体と、“安全”を砦に原子力危険ものとただただ批判する人間がいることだと思います

将来のエネルギー安定性と現在安全エネルギー供給を秤にかけることは、個人個人で優先すべき事柄が異なるのでどちらが重きとなるかは一概には言えません。ですが、私は原子力というものに“危険もの”という偏見(バイアス)がかかっているために、秤にかけるまでもなく忌避しているような点があるのではないかと思うのです。そしてそのようなバイアス布教助長している各メディアなどのコメンテーター評論家を見ると、嫌気がさします。「原子力=原子爆弾」という偏見さえも未だに存在するような気もします。




一般に「多少原油輸入にお金はかかっても現在日本の電力は間に合っているんだからいいじゃないか」という意見もありますが、私はこれが対外的には一種侵略(エネルギー侵略)のようなものではないかと感じています



話は変わりますが、2000年代に大きく話題になった「地球温暖化問題」というのがあります温室効果ガスである二酸化炭素が増えることで、地球の保温効果が高まり、平均気温が上昇するという話のものです。(反対論として、地球の平均気温は常に上下を繰り返しており、その周期がいま暖かくなっているだけだとの説はありますが、自分は少なくともCO2の影響で温室効果があるのなら、地球の周期があるにせよ、減らす努力はするべきだと考えていますすみません関係ありません。)



この地球温暖化問題に関して、一部ですが「日本温暖化問題を加速させている」という説があったように記憶しています日本という国は自国には森林がたくさんあるにも関わらず、安価であるという経済性の理由から他国木材を多く輸入しており、その木材アマゾンなどで森林伐採して得られているため、日本温暖化を加速させている原因になっているのではないかというお話です。つまりエネルギー資源においても、自国生産しない代わりに他国から輸入しますがそれは他国資源侵略していることに等しいのではないか、と感じるのです。(確かに資源を輸出するのもその国の自由ですし、対価を払っているのですから問題は無いというのもありますが、自分はあまりこのような動向が良いとは感じません。)



自分はこの地球温暖化問題の点と、化石燃料を輸入してでも国内の電力供給を支えている現在日本の状況に、類似点を感じます

原発を停止し化石燃料を輸入することで国内需要を満たすことは、地球全体の資源をより早く消化してしまうことになっていると考えます。この点で、確かにこれも輸入された燃料ではありますが、再利用することが可能である原子燃料を利用することは、これからの将来を考えて資源的に選択することは仕方が無い、むしろ必要なのではないかと考えています



1国がこの広い世界での資源枯渇を心配する必要があるのかと思われますが、その広い世界資源が枯渇した場合に行われるのは、「その資源を持つものが高い対価で取引要求すること」か、「他国が略奪を行う」か、「新技術によって新たな資源生産する」か、のどれかだと思います

少なくともこの中で一番良いのは「3つ目の資源生産」で、いわゆる「核融合技術が現状あてはまると思いますしかし、現段階で研究ベース技術が商用化され、多くの人に利用されるようになるのはいつ頃かもわからない状態で、「いずれ新技術ができるから化石燃料を使い果たして問題ない」というのは楽観的すぎると思います




再三になります原発関連に関して思うことは、原子力という技術や将来性について議論することをせず、消費者被害者意識だけで言葉を揃えて「安全じゃないものは使えない」「間に合っている」と言うのが、個人的にはあまりきじゃありません。

そして原子力技術者として関わっている多くの人々や、また原子力を使うことを決めた政治家や多くの人々を責め立てることも好きじゃありません。

福島第一事故は確かに人の作り出したものが災いしたものですが、想定されていなかった規模(過去数百年の津波高さの統計による)の津波という自然災害によって起きたという部分が色濃いと思います事故結果論しか語ることはできませんが、これまで原子力を扱ってきた人々が事故を防ぐべく尽力していたこと、またこれから努力なさるだろうことも忘れるべきではないと思います




最後になりますが私は、何か意見をもって議論することが大切だと、EU離脱の時のイギリスを見ていて思いました。その点で思うのは、自分意見を言うことでレッテルを張られる、もしくは感情論批判されるような風潮・雰囲気を壊していくことがいまの日本には大切なんじゃないかなと思います

http://anond.hatelabo.jp/20170213110725

まー社会が許容できない程度に教師事故を起こしたり自殺するようになったら、考えればいいんじゃない

まだ許容範囲内。

http://anond.hatelabo.jp/20170213105459

いや、不眠不休事故を起こしそうだから改善がないと全員共倒れだぞ、という話をしているんじゃないの。

すげー怪物的な発想だしあなたも似たような不寛容社会に殺されそうで心配する。

http://anond.hatelabo.jp/20170202144732

元増田あんまりオススメするから読んだよ、『ソシャゲライタークオリアちゃん』。

これ、普通につまんなくて出来悪くて、普通につまんなくて出来の悪いラノベってなんなの、ということを考えるのにすごくいい素材になってしまっているように感じた。

ラノベなんてみんな同じだろw」というような声がどこからともなく(というか元増田ブコメあたりから)聞こえてくるんだけど、そんなことはない、『クオリアちゃん』はかなり出来が悪いよ、ということをしっかり言っておきたいな、と思って、エントリを起こす。

小説としての出来云々じゃない部分、ソシャゲシナリオライターとしての主人公たちの生き方については

http://hishamaru.hatenablog.com/entry/2017/02/09/003000

http://anond.hatelabo.jp/20170203190941

この批判が当たっていると思う。

とりあえず俺はクララ先輩には機を見て空売りを仕掛けていくことをオススメしたい。

さて。

漠然と出来が悪い、と言ってもわかんないと思うので、サンプルを用意する。

と言っても、ここで新城カズマとか古橋秀之とか秋山瑞人とか石川博品とか出してもそういうのは例外と流されるだけだと思うので、もっと普通っぽい奴を見繕いたいところ。

例えば、商業性があると評価された実績のある人が書いた作品、すなわち「アニメ化作家の新作」と、ラノベ業界作品を送り出す人たちが評価して世に出した「新人賞受賞作」……と考えて本屋ラノベ棚を見てたら『勇者セガレ』((アニメ化作品はたらく魔王さま!』の和ヶ原聡司の新作))というやつと『通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?』((第29回ファンタジア大賞大賞受賞作))というやつが目に入ったので、買ってきた。増田のために『クオリアちゃん』と合わせて2000円くらい課金した計算である

http://dash.shueisha.co.jp/bookDetail/index/978-4-08-631161-8

http://dengekibunko.jp/newreleases/978-4-04-892615-7/

http://fantasiataisho-sp.com/winners/mother/

作品とも試し読みがあるので読み比べてみてほしい。冒頭だけだけど、それでも出来の良さの違いが見て取れるから

一見して『勇者セガレ』のレベルがとびきり高く、『お母さん』がその次、『クオリアちゃん』は論外、と俺は思うけれど、そう思わない人もいるだろう。

説明する。

小説には、概ね、お話が付き物だ。もちろん、お話で引っ張る小説は低級、みたいな話もあるんだけど、一般的エンタメ小説(多くのライトノベル一般的エンタメ小説である)においては、そういう議論はあまり考える必要はない。一般的エンタメ小説じゃないラノベに出くわす可能はいつでもあるので頭のすみっこにはおいておいたほうがいいけれど、でも、今回の三作品は全部一般的エンタメ小説志向なので大丈夫

さて、一般的エンタメ小説にはお話がある、という話だった。

勇者セガレ』なら、父親に異世界を救った勇者過去がある、と知ってしまった少年が、異世界での魔王復活を巡る騒動に巻き込まれお話。『お母さん』なら母親と一緒にMMORPG世界ダイブして冒険しながら親子関係を見つめなおす話。『クオリアちゃん』なら平凡な男が惚れた先輩に巻き込まれる形でソシャゲシナリオライターになる話。

んで、さっき示した試し読みで、そういう話だ、とわかるまでにかかる文字数は大体どれも同じ、5ページくらいなんだけど、その最初のとっかかりまでに与えられる情報無駄のなさを見てほしい。

勇者セガレ』は単刀直入お話全体像テーマ、というやつだ)を提示し、そのテーマについての主人公の開始時点での認識提示し、そして、それが揺るがされる場面が、いい意味で突然始まる。

『お母さん』はそれに比べれば随分もたつく印象だが、それでも母親と息子の関係物語だ、ということは十分手早く、一直線に提示されている、と言っていい。

クオリアちゃん』は無駄だらけだ。同級生に平がからかわれる話とか、いらない。

そもそも主人公の平凡さに何故ここまで言葉を費やすのか。クララ先輩にソシャゲシナリオライターの道に誘われる場面から入っていい。主人公が平凡さを脱して何者かになるお話なんだからスタート地点を明示しなければいけないのでは、というのは罠だ。平凡だ、とは、平凡という特徴がある、ということではない。非凡な特徴がない、ということだ。ならば、クララソシャゲシナリオの道に誘われるまで、何らかの特徴があるかのような描かれ方をしてはいけない。この主人公、狙ってか事故でか、かなり平凡ではないキャラなのだが、それもまあ、いいのだ。普通男子高校生と言って始まった話で主人公がとんでもない過去を思い出す、すげえ設定が明らかになるなんてのはよくある話だ。語り出す位置に変な癖をつけないことで間口を広められることだけが平凡な主人公という設定の美点で、それをこなしたらあとはどんどこヘンな奴にしていっていい。逆に、ヘンな設定をあとから盛りやすくするためにも、平凡さを積極的に描くのは悪手だ。

ここには多分、ライトノベルキャラクター小説である、という誤解がある。

商業性を認められたアニメ化作家も、送り手に評価された新人賞作家も、テーマ登場人物関係性を提示するところから小説を書きだしている。主人公人物像に無駄に筆を費やしたりしていない。主人公人物像を描いてはいけない、のではない。主人公人物像は、この際テーマ関係性よりも後回しにすべきだ、という話だ。

ライトノベルキャラクター小説だと早合点していると、主人公キャラクター性を提示するのが大事だ、と思い込んで、本筋のお話よりも先に名前からかわれるエピソードを入れ込んだりしてしまうのではないか、と思う。

そうした結果、ソシャゲシナリオライターの手伝いを頼まれるという展開の驚きが盛れなくなる。驚きのない掴みは最悪だ。

そもそも、ソシャゲシナリオ仕事を手伝うことになるって普通に考えて驚くような話なのか、という問題はある。

ソシャゲシナリオ仕事の手伝いを頼まれて驚くのは、ソシャゲシナリオに関わることをまったく想定していなかった場合だ。主人公脚本科の学生なんだからゲームであれシナリオ仕事を頼まれるのは、そんなに違和感のある話ではない。先輩に手伝ってと頼まれた、なんてのは、ライターデビュー王道と言ってもいい。

どうすればソシャゲシナリオライターデビューで驚きを演出できるのか。主人公ソシャゲを嫌いだ、という設定にしたらどうだろう……と王我は作者にささやいてはくれなかったのだろうか。

これも、関係性やテーマを後回しにしたことで生じた問題だ。ソシャゲ主人公関係をちゃんと設定していないから、こうなる。

ソシャゲマニア制作現場に関わることで現実を知る、でもよし、ソシャゲ嫌いが制作現場に関わることでソシャゲを認められるようになる、でもいい。ソシャゲどころか物書きとさえ無関係主人公なら(脚本科に在籍し、名作の名台詞を書きぬいてノートを作っている主人公はどう考えても無関係ではない)ソシャゲというものに触れる、というだけでも驚きがあるだろう。

半端にクリエイター志望でソシャゲ特に何も思うところがない主人公、というのは、掴みのインパクトを出すには最悪だ。

テーマ関係性、お話というあたりにあまり気を回さず、四姉弟の設定とかでインパクトを出そうとしている((『涼宮ハルヒの憂鬱』の構造をいただいているつもりなのかなって思いついて、ちょっと戦慄した。あれはハルヒについての話をあの三人がしてくれる構造であって、異能者が三人ただ自分異能を見せてくれるという構造ではないのだ。))んだけれど、そりゃ読者にも驚く理由がないよね、としか言いようがない。『ハルヒ』は、読者と視点を共有しているキョンハルヒ普通少女だと信じる理由があって、だからこそ、超常的な存在なのだ、と語る長門たちの言葉に驚かされることができる。本作では、クララタイムリープしない、オーガが異世界転移しないと信じる理由がどこにもない。だから、平がどれだけ驚いても読者は( ´_ゝ`)フーンとしか思わない。

あとがきラノベ200作品勉強した、って書いてあって、それは感心なんだけれど、でも、勉強する方向を間違えてはいなかったか、そこは疑問。

ライトノベルキャラクター小説だ、とか、男オタク向け作品関係萌えじゃなくて属性萌えだとか、そういう俗説を真に受けて、バイアスをかけた勉強をしてしまったんじゃないだろうか。

結果、普通につまんなくて出来の悪いラノベになってしまったんじゃないだろうか。

 

なお、ソシャゲ周りの設定について付言しておけば、作中作初恋メモリーズ』のシステムは、『プリンセスコネクト』に似ている、らしい。まあ伝聞なので確言はできないんだけど、だとすれば、元増田が言うほどソシャゲとは違うものの話をしているわけではない。とはいえ、『チェインクロニクル』のライターが書いた本で『プリンセスコネクト』の創作秘話を読まされることをみんなが望んでいたかどうかは不明だけれども。

2017-02-12

チェルノブイリ事故があったとき

反原発は「なぜこんな危険ものを電力会社はつかうのか。それは儲かるから!」とか言ってたな。

最近は、原発は高コストだって言ってる。

結局儲からなくても儲かっても文句は言われるんだなって、最近東芝ニュースを見て思い出した。

インフルエンザになる奴が悪い

試合当日インフルエンザに罹り出場停止を余儀なくされた選手に無期限出場停止処分が下される

https://togetter.com/li/1079058

格闘家個人事業主経営者

今回のスポーツの様なショービジネスは、個人への依存度が著しく高い。

そういった場合会社の様な組織形態は向いていない。

個々人が独立性を有した組織形態、つまり一人一人が事業主となる。

プロ野球選手個人事業主だ。

忘れてはいけないのは、格闘家個人事業主だということである

経営者は、何があろうと自身責任を取れなかった奴が悪い

あなた経営者だ。

不意の事故会社が傾いてしまう。

取引先の倒産自然災害、もらい火の火災

自身に落ち度がなくともそういったことは十分ある。

周りは同情はしてくれるだろう。でも救ってはくれない。

経営者は救われない。

かばちたれ14巻

あるサラリーマン夫婦脱サラして飲食店を始めるところからこの話は始まる。

経営軌道に乗らない夫婦は、安価材料に手をだし、食中毒を出してしまう。

被害者ほとんどは軽度であったが、その中に半月以上入院をした者がいた。

長期入院をした彼は、建築会社社長

建築会社といっても、社長自身社員は1-2人程度、いっそ1人親方想像してもらうと分かりやすいだとう。

当然入院間中仕事はなくなる。さら営業活動もできなかったため、その先の仕事も得ることができなかった。

損害は非常に大きい。(作中では損害500万となっている。金額妥当性は知らん)

お金というものは厄介で、収入が0になることがあっても、支出が0になることはない。

生きていくだけでもお金はかかる。

自身生活費はもちろん、事業であれば、さまざまな取引先への支払いもある。

不渡り直前まで追い込まれた彼は、材料屋や下請けに「何とか支払いを待ってくれないか」と土下座をする。

「支払いを待ってくれ」と言われた側は、彼にコップを投げつけて

食中毒になるような店に行く方が悪い」

マネーの虎

よくネタにされ賛否両論がありながらも、番組終了して何年も経過している現在でも

話題にのぼることから、今なお愛されている作品ともいえる。

そんな番組で、1つ印象に残っている話がある。

移動販売おにぎり屋の話だ。

おにぎり屋をしたいという女性出資が決まる。

開業に向けて準備をしている中、アクシデントが発生する。

癌が見つかったのだ。

そんな彼女出資をした虎はこう言った。

能力がないってことなんだよ。病気になるってことは。」

そして続けて

「それを理解できないと経営者なっちゃいけないの。」

そう、それを理解できない人間経営者になってはいけない。


インフルエンザになる格闘家が悪い

契約の不履行ならば、(契約範囲内で)どんな処罰をされようが文句は言えない。

当たり前の話だろう。

恐らくこの感覚事業主になったものしか理解はできない。

しかし、それが理解できない人間はなってはいけない世界だ。

2017-02-11

草加市事故

マスゴミがまた犠牲者のお母さんを聖母化しようとして、更に犠牲者を増やそうとしてるな。

庇われた息子さんは生きづらい人生を送る事になるだろう。かわいそうに。

2017-02-10

致死性不整脈死ぬということ

仮に苦しまずに、本人に死ぬ気なんてさらさら無くて、いつの間にか死んでたとして、

それって本人にとっては、不幸どころか勝ち組では。

結局僕らは皆、間違いなく死ぬわけだから

考えてみると、死に方ってあまり多くないんだよね。

病死戦死事故死、殺害老衰...

元気なうちに、明日を思い描いたまま、苦しまずに死ぬ気なくこの世から消えていく

これって不幸なのかな?

僕ら皆、死ぬんだよ、いずれにしても、残念ながら。。。

逸失利益まで賠償することになると福祉担い手を首を絞めることになる

15歳の息子を障害者施設入所中に事故で亡くしたことをめぐり、親が施設相手取り逸失利益5000万円の賠償を求めているという。

障害者からといって差別しないで」という意見で、これは正論である

障害者差別してはならない。

しかしその差別の解消と、5000万円の賠償金は、イコールでつながるのか?

ただでさえ障害者施設など福祉施設はかぎられた予算運営している状況だ。

それにこのようなリスクまでおうことが当然、ということになると、

福祉担い手はどんどん減っていくだろう。

足りないとされている保育園もそうだ。

リスクのことを考えるとまともな感覚の人は運営なんて考えないだろう。

健常者や障害者というのを問わず私たちには逸失利益なんて権利を持っているのか?

こんなことでは日本はどんどん苦しくなることはあきらかだ。

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