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はてなキーワード: 記憶とは

2017-01-16

知能系ゲームって絶対どこかでどん詰まりにたどり着くよね

ゲームが組み上がっていくと最終的には既に出来た答えをぶつけあうだけの遊びになる。

元は発想力が大事パズルゲームだったのが暗記力が全てのクイズゲームに変わってくるタイミングがある。

運の要素が絡むカードゲーム麻雀なんて少しやり込んで定石を把握したそこから期待値計算式をいくつ覚えているかゲームになる。

将棋囲碁最上クラスの戦いでもないなら強い定石とその定石へのカウンターをどれだけ知っているかクイズが基本。

悲しいね

から次々に新しいゲームが作られるんだろうね。

定石がまだ生まれていないゲーム、知られていないゲームでなら楽しい楽しい発想力の勝負が出来る。

でもそれもやがて辛く苦しい記憶力と勉強時間勝負になる。

そしてまた新しいゲーム生まれる。

悲しいね

でも新しいゲームがいまでもまだ生まれている事は嬉しいね

ネタ切れになったら人類はどうするんだろうね。

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドについて

先週発表された動画で解った事と思った事、まとめ。

(リンク日本語英語)

https://www.youtube.com/watch?v=1yIHLQJNvDw

https://www.youtube.com/watch?v=zw47_q9wbBE

■2分11秒のところ

日本語版「だのに、主の方は、やはり覚えておらぬようじゃな。今こそ話そう100年前何が有ったのか。」

英語版「That look on your face tells me that you have no recollection of me however I think you are now ready...ready to hear what happened 100 years ago」

話し手はデクの木。

場所マスターソードの台座の前。

100年前の歴史を明かされる。

時の神殿ではなくデクの木の前にマスターソードが安置されている。

日本語版には無いが、英語版では

「however I think you are now ready...」と言っているので、

この話を聞く時点(orここに辿り着いた時点orデクの木と話せる様になった時点)でリンクは何かしらの成長を遂げており100年前の歴史を聞くに値する人になっている。

また、「you have no recollection of me」と言っているので、

「"本来なら私(デクの木)の事を覚えているはず"だが、その顔を見るにやはり覚えておらぬようじゃな。」

というニュアンスになる。

この事から、今回のリンクは「本当はデクの木と面識があるはずだが、記憶を失ってしまっているリンク」という事になる。




以前に行われたツリーハウス青沼さんは、今作リンクが青い服を着ている事には相応の意味がある旨を匂わせていたので、

今作=風のタクトと繋がる何かが有るということは既に分かっている。




・今作リンク=デクの木を知っているはずだが記憶喪失

・今作=風のタクトと繋がる何かが有る

ということなら、

今作は25周年の際に発表された年表で言う所の

「風の勇者と新しい世界ルート内、「勇者なき時代」であり、

ガノンドロフ復活が復活しハイラル封印、水没する前」の話なのでは?と思った。

■その他分かったこと

1.マスターソードを持っている/持っていないカットが混在している。

2.ゼルダと一緒に映っているカットでは全てマスターソードを持っている。

3.ゼルダは青服着てるカットと白服着てるカットの2種類がある。

4.ゼルダガーディアンの前で何かしらの魔法を使いながらダメー!と言ってるカットでは、ガーディアンレーザーサイトリンクの頭に当っている。

  また、その時リンクマスターソードを引き抜こうとしている(or疲弊していて杖代わりにしている?)

  動画内全体で火の粉が舞っている。

5.タイトルロゴが表示される直前、リンクが立ち上がるカットでも、4.と同様に火の粉が舞っていてる&リンクゼルダ共に出てくる。

  ここでリンクの服や肌は焼け焦げたようなテクスチャが利用されている。

  リンクは右目をつむりながら力強くマスターソードを引き抜こうとしていて、ゼルダがそれを後ろから止めようとしている図に見える。

6.ゼルダが泣きながらリンクにしなだれかかるカットでも、リンクの服&肌は焼け焦げたようなテクスチャゼルダの肌も汚れ。服は白。

7.雨の中リンクが画面奥へダッシュ、からの振り返り、というカットでもリンク服焦げテクスチャ

8.雨の中ダッシュしてる間にゼルダの手が離れてしまう、というカットでもゼルダの肌汚れ。

9.雨の中、リンクは棒立ち、ゼルダは木陰で座り込んでいるカットでは、ゼルダは青服を着ている。

10.白服を着て水浴び(みそぎ的な事?)をしているゼルダの後ろ姿は良い

11.タイトルロゴが表示された直後、ゼルダが祈っているような所ではカメラが回った先に巨木があり、

  見えている範囲が少ないのでわかりづらいがデクの木に見える=マスターソードの前で祈っている?

■その他想像

・1~2.より中盤でマスターソードを入手した後(or入手と同時に)ゼルダ出会う(orゼルダと深く関わるイベントが増える)

・4~5.は同一のシーンと思われる。

・6~9は時系列不明だが雨の中2人が何か大きな出来事に関わっているということで同一のシーンと思われる。

 7にゼルダは登場しないが、多分リンクが振り返った先にゼルダが居るのでは。

 ただ、ゼルダの服が6,8では白、9では青になっている矛盾。途中で着替える?

さら想像

・序盤は色々と意味不明なままに世界を探索していき、そのうちマスターソードにたどり着く。

 そこで、デクの木に100年前の話を聞かされたりゼルダが出てきたりして、「ゼルダの伝説」としての物語が一気に本格化する。

妄想

今作のリンク時のオカリナで戦った大人リンクorその子孫であり、勿論デクの木(orデクの木の子供^n)とも面識がある。

今作の時代100年前に、時オカで倒したガノン封印が弱まるような何かしらの事件が起きった(or経年劣化封印が弱まった)

で、その事件の時に今作のリンクゼルダ勇者賢者として戦うも、力及ばずに敗れる。

それで魔法かなにかの力でリンクゼルダ共にコールドスリープ

(ゼルダ=眠りにつく事でガノン封印出来る/リンク=未来世界への希望)みたいな。

100年経って今作の時代で二人共目覚める。

ゼルダが白い服を着ているのは最初回想シーンだけで、リンクと同じように途中で青服に着替える。

荒廃したハイラルや朽ちたマスターソードを見て想定と違った世界ゼルダ絶望

真実知ったリンクは真の勇者として再び戦う、ラストバトルの末ガノンを倒し、

封印するため世界を水没。

そんな感じで風タクへ繋がる話。

http://anond.hatelabo.jp/20170116122337

これは新しい発想に基づいたゲームだなって思った記憶といえば

マイクラ比較最近しかった。地形にインタラクト出来る点かな。

昔のロードランナーの作り面と同じ側面もあるけども、それが主軸になったんだな。

PC98で最初シムシティーをやったときも、新しい気がしたよ。

RPG物心つく頃に夢幻の心臓とかハイドライドとかあったから、

コンピュータ自体が新しくてよくわからなかったな。TRPGPC上に持ってきたのが新しかったんだろうね。

小学生の頃ベーマガ作品入力してたけど、いろんなアイデアで新しいゲームが多かった気がする。

オープンワールドゲーと言われるタイプのものは、

マップが広いというよりかは、自由イベント発生を選んで遊ぶ部分が新しかったと思う。

最初にRedDedRedenptionを遊んだけど、これは新しいなって感じたよ。

FPSDOOM最初だったけど、新しいと思ったけど、こんなに広まるとは思わなかったね。

自分は好きじゃなかった。慌ただしいし、グロテスクだったし。

物理演算パズルもいろいろ出たね。玉をゴールに導くだけとか。

新しい技術で出来るようになったことを主軸にとらえて遊びにしたものは、新しいゲームになっていることが多いね

GPSゲームはやってないからわからない。多分、新しそう。

まだ、VRならではの新しいゲームは見かけてないかな。

LINEモバイルの申し込みが高コストだった

LINEモバイルというMVNOに申し込みを行ったのだが、本人確認プロセス問題が発生し、解決までにネットで7往復7日間+電話1回のやりとりを要した。

LINE社としては特に秘密にしたい意向もないようで、このやりとりの公開も快諾頂いたため、記録として残しておく。

1/9 ネットから申し込み

本人確認書類としてカード式の健康保険証をアップロード

1/10 エラー返答メールが届く

このたびはLINEモバイルをお申し込みいただき、誠にありがとうございます

お申し込み内容を確認させていただきましたが、ご提出いただいた本人確認書類に不備がございましたのでご連絡いたします。

お手数ですが下記のページより、本メール到着から24時間以内に本人確認書類を再度アップロードしてください。

お申し込みいただきました内容は、下記のマイページよりご確認いただけます

 

■不備理由

補助書類アップロードがありません。

申し込み時に本人確認書類が未アップロードだったと勘違いし、健康保険証を再度アップロードした(エラー文言を早とちりしていた。これは私のミスである)。

1/11 エラー返答メールが届く

■不備理由

補助書類アップロードがありません。

今度はエラー内容を把握、補助書類東京電力電気使用量のお知らせ)のみをアップロードした。

1/12 エラー返答メールが届く

■不備理由

本人確認書類本人確認書類対象外です。または必要条件を満たしていない可能性があります

1/11アップロードした補助書類はOKだが1/9にアップロードした本人確認書類NGということのようだ。もしそうであれば1/9の時点でこのエラーはわかっていたはずであり、1/10の返答メールに不備理由として書いてくるべきではないだろうか。

健康保険証の住所ではマンション名が省略されているため厳密な同一性確認ができなかった可能性を考え、パスポートアップロードした。

1/13 エラー返答メールが届く

■不備理由

本人確認書類本人確認書類対象外です。または必要条件を満たしていない可能性があります

パスポートの何がダメなのか原因が全く想像できず途方に暮れるが、最初アップロードした健康保険証を再度チェックされた可能性を疑い、パスポートのみを再度アップロードした。

1/14 エラー返答メールが届く

■不備理由

補助書類が補助書類対象外、または必要条件を満たしていない可能性があります

エラー内容が前日と変わった。同じアップロード内容に対して1/12と1/13とで返答が変わっている理由不明だが、本人確認書類としてパスポートはOKだったと解釈した。

一方で、今度は補助書類問題だと言われてしまい途方に暮れてしまう。1/12返答時点で補助書類についてのエラーは解消した認識だったので、何が問題なのか判断がつかない。以前アップロードした補助書類が破棄されている可能性を疑い、パスポートと補助書類東京電力電気使用量のお知らせ)の両方を同時にアップロードしてみた。

1/14 問い合わせへの返答メールが届く

エラー内容をエスパーするやりとりにゲンナリしてきたので、本人確認について定型以外の返答はできないのか?ユーザーエラー内容を想像するようなやりとりはお互い無駄ではないか?と1/13にマイページWebフォームから問い合わせた。

その返答メールが届いた。

大変申し訳ございませんが、本人確認審査に関しましては

メール窓口では確認ができないため、お答えできかねます

 

本人確認書類の不備理由に関しましては、直接お電話でご案内させていただきたく存じますので

大変お手数ではございますが、下記、LINEモバイル カスタマーセンター

電話にてお問い合わせくださいますよう、お願いいたします。

 

ご指摘いただきました事例については、LINEモバイル担当事業部

報告させていただき、今後の運用運営の参考にさせていただきます

1/15 エラー返答メールが届く

1/14のアップロード対応するエラー返答メールが届く。

■不備理由

補助書類が補助書類対象外、または必要条件を満たしていない可能性があります

1/14の返答と同じエラー文言だったので、過去アップロード内容が捨てられているという仮説は間違いだったと言えそうだ。となると、東電使用量のお知らせが補助書類要件を満たしていない可能性が考えられる。もしそうであれば1/12の返答時点でそう伝えてきてほしいところだが、LINE社には1返答について1エラーしかさないという規則があるのかもしれない。

1/15 電話した

画像アップロードして返答を待つやりとりは1往復に1日かかるため、1つの仮説を立ててそれを検証するのに1日かかってしまう。これはさすがに不毛すぎるというものだろう。ところで昨日受け取ったメールによれば、電話経由であれば即座に詳細のエラー内容がわかるようだ。さすがはインターネット時代である。というわけで電話をしてみた。

「申し込み中の者ですが、補助書類に不備があるということで本人確認が進められないため、詳細を教えてください。」

アップロードした書類は何でしたか?」

東電使用量のお知らせをアップロードしました。」

「お知らせだけでは補助書類として受け付けられません。領収印つきの公共料金領収書であれば受け付けられます。」

「私は電気料金クレジットカード決済しているため、クレジットカード会社からしか領収書は発行されないように思います。つまり電気・ガス・水道の全てをクレジットカード決済している場合は全て補助書類とはならないということでしょうか。」

「そうなります。他の補助書類としては住民票があります。もしくは、運転免許証など単体で受け付けられる本人確認書類を別途アップロードしてください。」

「私は運転免許証を所持していないのです。」

「そうなると住民票必要になります。」

電気/ガス/水道の3つの公共料金クレジットカード決済している場合、直近3ヶ月以内の住民票けが唯一の補助書類になるというのはヘルプを良く読めば読み取れたのかもしれない。ただ、少なくとも補助書類という名前の印象からは私には想像が付かなかった。

そもそも補助書類についてはFAQのような口ぶりだったので、もしそうならメールでの返答文言をもう少し改善できそうなものだ。

1/15 アップロード解決

住民票を取得するため役所に行く準備をしていたところ、紛失したと思っていた住基カード発見した。これは補助書類不要本人確認書類に該当するため申し込みマイページからアップロードしたところ、無事申し込みが受理された。

まとめ

LINEモバイル申し込み時の本人確認エラー状態解消が非常に困難だったことを紹介した。

LINEモバイル本人確認における問題点は2つ、エラー時の定型返答の情報量が不足していること、また本人確認無駄に厳格になっていることである。前者について言えば、複数エラーが発生しているときでも1つのエラーしかさないというのはUI設計として最悪である。今回も複数エラー提供してもらえればトライエラーの回数を半分以下にできたように思う。

後者について言えば、私の場合は1/12の時点でパスポート健康保険証と2種類の本人確認書類アップロードしているわけで、十分に本人らしいと判断できるのではないだろうか。この状態において補助書類が無いという理由で蹴るのはお役所的であり、顧客満足度向上の視点が欠けていると感じる。

また、パスポート写真付きの公的身分証明書であり、別途補助書類要求する合理的理由があるのか疑問である証券会社の申し込みでさえパスポート一発でOKだったように記憶している。

もっとも、こうしたカスタマーサポートの一次受けは外部企業が請け負っていることが多いため、現場でもおかしいと思いつつ日々同じ対応を繰り返している可能性がある。LINE社の担当者エスカレーションフローの整備および指示内容の見直しなどを進めて頂きたいものである

我ながら興味深い夢を見た

疲れて布団に入ったものの、仕事の考え事や家族生活音でなかなか寝付けなかったときのことだ。

少しずつ現実と夢の境が曖昧になり始めた頃の出来事だった。



突然現れた見ず知らずの人間から語りかけられることがあった。

それは眠りにつく直前まで考え事をしていた内容で、ある種その解答とも言えるものだった。

しかしそれが他人から語りかけられたことによって、目から鱗が落ちるような感動がありつつも素直には納得ができずに、同時に懐疑的に構える自分自覚した。

ところが、その直後、家族生活音によってわたしは突然夢から現実に引き戻されてしまった。



そこでおかし感覚に襲われた。

先程他人から語りかけられた考え事に対する解答とも言える内容は、眠りに落ちる直前にまさに自分が思いついたものだということを思い出したのだ。

しかし、それが夢の中では眠りに落ちると同時に自分が思いついたという記憶はすっかり忘れ去られていた。

その上で、それが突然他人によって語られた情報として自らに届けられることになったのだ。

たまたまその直後に現実に引き戻されたおかげで、偶然自らが思いついたことだという記憶を取り戻すことができたが、もしこのまま夢を見続けていれば、その情報は夢の中の第三者から与えられた情報として自らの記憶に定着していたことだろう。



一種の恐怖とも思える事柄だが、それ以上に興味深いものでもあった。

基本的人間は、自らが思いついた考えに甘い。

そこには発見した喜びがついて回ってしまうからだ。

しかし、他人意見に厳しいのもまた人間である

例え素晴らしいと言える考えだったとしても、ひとまず疑ってかかるのが性というものだ。

その証拠に、腕の立つセールスマン宗教家が答えを口にせず、そこに辿り着くしか無い情報だけを提供して自らが答えに辿り着いたと誤解させることで、巧みに人々を操ることはよく知られていることだ。

自らの発見ポジティブでなくては行動ができなくなってしまうのも、他社の発見に対して素直に従えないのも、生存目的とした生物宿命と言ってもいいだろう。



よく夢は思考を整理するためのものだと言われている。

もしその前提が正しいとするのであれば、この仕組みは実に理にかなっているものかも知れない。

顕在意識の中で発見してしまったものは、記憶が明確である以上、自らの発見であることを否定することは困難である

しかし、そもそも記憶曖昧潜在意識の中で発見したものであれば、自らが発見したという記憶を、仮想第三者発見した情報だと書き換えることはそれほど難しいことではないだろう。

そうしてその情報が、例え仮想であっても第三者から届けられるということで、自らが思いついたときよりも冷静に吟味することが可能になっているのだ。

こうした機能を持つ生物と持たない生物とがいて、どちらが生存に適しているかは言うまでもないことである



そこまで考えて、この出来事を掘り下げていけば人工知能に夢を見させることが可能ではないかという仮定に行き着いた。

そもそも人工知能に夢を見せる必要があるかという疑問があるのは確かだが、しかし、情報を自らの発見第三者から発見とで受け取り方を変えるとした上で、さらに自らの発見の一部を第三者から情報として吟味し直すことができれば、より人間的な思考に近づいたと言えるだろう。

それが人工知能として優れているかどうかは別として、生物的な人工知能としてはリアルものと言えるのではないか

人工知能電気羊の夢を見る日も、もうそう遠くないのかもしれない。

君の名は。」を選外にしたキネマ旬報カス

君の名は。」がキネマ旬報ベスト選外となったけど、これは、日本映画批評における下記の(伝統的な)問題点象徴する出来事なので、みんなもっと大騒ぎすればよいと思います


最初問題点日本映画批評は、アニメーション映画を適切に評価することができません。


キネマ旬報ベストテンランクインしたピクサー映画は、何本でしょうか?少し考えてみてください。答えは、ゼロゼロですよゼロ世界アニメーション革命を起こした「トイストーリー」も、障碍児童冒険譚をウェルメイドに仕上げた「ファインディングニモ」も、冒頭からほとんどセリフを用いることな世界の荒廃を描いた意欲作「ウォーリー」も、トリロジーの最終作として圧倒的な完成度を誇る「トイストーリー3」も、ベストテン選外になっていますピクサー以外でも、「アナ雪」も選外なら、2016年は「ズートピア」も選外。正気かよ。日本アニメーションに目を向けても、例えば故 今敏作品は1本もランクインしていません。「千年女優」を超える絢爛な日本映画2001年10本あったか?「東京ゴッドファーザー」を超える抑揚の効いた感動作があったか?「パプリカ」のイマジネーションを超える作品があったか?「パーフェクトブルー」ほど低予算映画で、今なお国境を越えて評価され続ける映画が何本ある?


次の問題点日本映画批評は、映画自体の良さではなく「他国における賞レースの結果」や「興行成績」や「過去監督作の評価」などの外部要素に引き摺られすぎる。


2000年以降、ピクサーを筆頭にCGアニメーション映画映像面、シナリオ面での革新を重ねる中、たった1本だけキネマ旬報ベストテンに名を連ねた映画があります2009年戦場でワルツを」。レバノン内戦における監督自身記憶を辿る、という半ばドキュメンタリーのような内容の映画で、ここ数年の作品でいえば「アクトオブキリング」ような手触りの、とてもいい映画です。とてもいい映画なんですが、たぶんこの映画キネマ旬報ベストテンランクインしたの「アカデミー賞ゴールデングローブ賞外国語映画賞部門ノミネートされた最初アニメーション映画」だからなんですよね。あと反戦映画から反戦映画と、海外映画賞をとった映画日本映画批評において高く高く評価されます

興行成績の良い映画評価も引き下げられます興行成績がよい映画は「おれが評価しなくてもいいだろう」という寝言をいいながら、実のところ「自分は年に100本も200本も観ているのだからパンピーと同じランキングには出来ない」という薄っぺらながら自意識を守るために、本当はすごく面白かったのに、8位とか9位に入れたり選外にします。2016年も「シンゴジラ」より「クリーピー」を評価して、ズートピアを選外にしたハゲがいましたね。「こいつらは友達が多いから、ほかの人が評価してくれる」って言い訳しながら。一言。邪念が多いよ!!面白い映画普通に評価しろよ!!いや、確かに「クリーピー」は面白い。その通り!映画順位をつけるもんじゃない。その通り!けど、正直「シンゴジラ」と「ズートピア」より「クリーピー」のほうが順位が上、とい上のはさすがに無理があります

過去監督作に評価が引き摺られすぎる、というのはイーストウッド映画過大評価が最も有名でしょう。確かに、イーストウッド映画面白い。本当に良い映画ばかりです。でも「グラディエーターアメリカンビューティーとダンサーインザダークを抑えてスペースカウボーイが1位」とか「父親達の星条旗硫黄島からの手紙のワンツーフィニッシュ」は、やりすぎをこえて「ヤラカシ」だと思うんですよね。

ヤラカシ」といえば「オールタイムベスト日本映画こと七人の侍が、キネマ旬報年間ランキングでは3位な件」がもっとも有名ですが、このときは「木下恵介作品のワンツーフィニッシュ」というわけわからんことになっているんですね。1位は「二十四の瞳」。これは、わかります。「二十四の瞳」はすごい映画です。今観てもびっくりさせられます(比類する作品は「6歳のボクが、大人になるまで。」ぐらいしかし無いのでは?)。ところで、2位は?…2位は、「女の園」という映画です。…いや、本当なら観てから言うべきなのはわかります。でもあえて言わせていただきたい…知らないよ!!オールタイムベストどころか、木下恵介監督作としても無名作品なのではないでしょうかコレ。(誰か観た人いますか?もし「おれは観たけど、七人の侍よりずっと良い映画だよ」という人が多ければ、この段落は訂正の上謝罪いたします)


最後問題点日本映画批評者は、孤独すぎる。


映画は観る環境によって、評価が大きくことなます。これは前項と矛盾するようで矛盾しません。映画館で観る映画と、家で観る映画は違います。「IMAXで観るゼログラビティと、金曜ロードショーゼログラビティは別の映画だ」と言われて、否定する人は少ないでしょう。映画体験です。ウェイン町山が「試写室で隣にピエール瀧がいたので死ぬほどビビった」と言って「凶悪」を年間ベストに挙げるように。ガース柳下金沢映画祭で観た映画を年間ベストに挙げるように。「お家に帰るまでが遠足」と言われるように。「フェスで盛り上がる曲」があるように。では、「夫婦カップルで観に行き、食事をしながら感想を言い合い、その日の記念にプリクラを撮り、インスタに半券の写真を上げたくなる映画」は、その体験込みで評価しなければいけないのでは?

ひとり、ルーチンワークとして試写室のパイプ椅子に座り、原稿の締め切りを頭の片隅に置きながら観る人間は、金曜ロードショーで観た「ゼログラビティ」をつまらなかったと言い切る人間と変わりません。真面目な話、かつてこれほどまでに評価され、クチコミ観客動員の伸びたデートコースムービーってあるんでしょうか?そう言えば「動員で映画評価を語るなら踊る大走査線2は名作」って言ってる人がいましたね。…寝言かな?(たぶん口を滑らせたのだろうと思うけど)


以上3点。おれは「息もできない」を年間ベスト映画に選ぶキネマ旬報のことが(ピラニア3Dを年間ベスト映画に選ぶ映画秘宝より)本当に大好きなんだけど、やっぱりよくないところはよくないところなので、なおしていただきたく候。


なおちゃぶ台をひっくり返すようだけど「君の名は。」は観てません。だって子どもが生まれたばかりで、奥さんが育児で手一杯だったからね。子どもがもう少し大きくなったら、ポテトチップスコーラを片手に、あーだこーだ言いながら2人で観るよ。ほなさいなら

2017-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20170115222236

おれ50だけど、中学とき邦画しょぼい、ダメだ、とか友達と語り合ってた記憶があるな。

田舎のただの中学生なのに上から目線で。

まーた創作実話か

ホームから突き落とされて死にかけた」でやめておけばいいのに

なぜ「記憶がないまま犯人を殴って鼻を骨折させモンペに訴えられかけた」とか

刑務所にいる相手赤本を届け、今そいつ医学部2年生」とか盛り盛りの設定を入れてしまうのか

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。


オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。


「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。


不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。


(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

君の名は。」って、オープニングで台無しになってる気がするのだけど

ちょっと前だけど、「君の名は。」を見てきた。

なんで3年の差があると気づかなかったんだよとか、いくつかツッコミどころはあるものの、設定は面白いと思うし、ストーリーもまあまあ面白かったと思うのだけど、オープニングで台無しになってるんじゃないかと思った。

自分記憶違いでなければ、オープニングで三葉の大人の姿を描いていたと思うのだけど、本当、何でオープニングで三葉の大人の姿を描いたのか意図が分からない。オープニングが最大のネタバレになってるじゃないかと。

そのせいで、途中に三葉はすでに死んでると分かっても、「あれ? オープニングで大人の姿描いてたよな?」と混乱したし、その後に町を救おうとしたところも、展開的には救えるのか失敗するのか分からない流れだったのに、ふとオープニングの三葉の大人の姿を思い出して、気持ち萎えしまった。

ただ、映画を見終わった後にいろいろネタバレ考察を見てみたけど、自分と同じように思っている人は見つからなかった(二回目見てオープニングでネタバレされてることに気づいて驚いた。というレビューならあったけど)。

逆に、そういうサイトを見ていくと、「そう言われてみればいい話だったのかもしれない」とは思ったけど、少なくとも映画を見終わった後はいまいちだと思った。

そもそも、大人の場面から始まる必要あったんだろうか。大人の姿で始まるから、てっきり本編は回想なんだろうなと思っていたら、むしろ丸ごと忘れているという設定だったのでちょっと混乱した(これは自分の頭の回転が遅いということもあるだろうけど)。

最近見たアニメだと、『響け!ユーフォニアム2』の1話最終回最後のシーンから始まってたけど、あれも必要なかったんじゃないかと。『響け!ユーフォニアム2自体2016年アニメの中でも名作といっていい作品だとは思うのだけど、あの始まり方のせいで、「多分最終回のシーンだろうけど、雪が降ってるってことは全国大会で終わるわけじゃないのか」と予想がついた。まあ、それ自体はそれほど問題ないのだけど、最初に持ってくる意味はやっぱりなかったんじゃないかと思う。

いろいろ書いてきたけど、そういう意味では、すでに話の展開を知ってる二回目のほうが楽しめるのかもしれないと思った。テレビ放送されたら見るかもしれない。

ブコメ見て追記:

>> "テレビアニメでもよくありますけど、オープニングって見方によってはネタバレの塊ですよね。本編のその後の展開を凝縮してるようなものですし。見終えてからもう一度見てあれはこういう意味だったのか、でいいのでは"

確かに、そう言われてみれば、ラブライブのオープニングで絵里が踊っててもネタバレだとか気にせずに展開を楽しんでような。

なんだかもう一回見たくなってきた。

2017-01-14

スマホ婚活物語

呼んでもいないのに、また誕生日がやってきた。32歳になった。その時を大宮あたりにある自宅のワンルームアパートで俺は迎えた。

仕事公務員。俺は一浪で、とある無名大学入学し、一留卒業し、さら卒業後に一年公務員試験勉強をして入庁した。運良くストレートで入庁までたどり着いた奴らと比べると、3年余分に時間を食ったことになる。くそ、と思うことはいつもであるが、それでも、出身大学レベルからすれば随分立派な就職先に入れたのでその点は誇りに思っている。なんと言っても公務員は安定している。

まあ、どこかの国も破綻しかけたし、うちの国でもメロンの有名な某自治体破綻したりして、果たして将来も安定か?というツッコミどころもあるが、なんだかんだ自分の定年ぐらいまでは大丈夫だろう。

だべってばかりで働かない職員モンスターなんちゃらに囲まれての仕事は決して楽しくないが、生きていくためだ仕方がない。

ちなみに、一浪した時は、実家があまり裕福ではなかったので新聞奨学生をやりながら、予備校に通った。しかし、この新聞奨学生というのがひどいもので、配達作業時間のせいで十分に勉強時間がとれないという代物だった。今思えば、少し無理をして自宅浪人でもしてれば、早稲田筑波ぐらいならいけたかもしれない。本当に後悔している。

容姿は良い方だと思う。中学時代はそれなりにモテ記憶があるし、男友達からも、良い方だろうという客観的評価をもらっている。

だが、恋愛は不調だ。これまでの人生で一度だけ付き合った彼女美人で、スタイルもよかったし、若かったし(当時23歳だったか)、あっちの方も抜群だったが、いろいろいい加減な子だったので半年ほどで別れた。結婚も考えねばという年齢だったのでそれでは厳しい。その子との出会いは、数年前から流行りの街コン。当時は友達街コン婚活パーティーに出かけて出会いを求めていたが、そこで一度だけうまくいったのがその子だった。

と、それが二年ほど前の話。そう。今、俺の心を占めているのは結婚への焦りであり、結果として婚活自分プライベート時間の多くを占めるに至っている。婚活もいろいろやり方があると思うが、今の主戦場スマホ婚活アプリだ。

婚活アプリでは、それぞれ自分PRするプロフィール写真文章登録し、男女共々、異性のそれを見ることができる。気に入った相手がいれば「いいね」する。「いいね」されると、された相手には通知がいき、運良く相手も気にいって、「いいね」を返してくれたら、晴れてチャットができるようになる。あとはいかにうまく口説いて、「面接」に持ち込めるかだ。

面接」というのは婚活用語である婚活アプリでは、チャットいくらか続けたあとに、アポをとりつけて相手食事に誘い、そこではじめて相手と対面する。そして相手容姿や、学歴職業コミュニケーション能力などを見る。これがさながら企業における採用などの面接に似ているから「面接」などと呼ばれるのだろう。採用活動における面接ではおおむね企業側が一方的に見るものだろうが、婚活における「面接」では、お互いがお互いの値踏みをする。従って、当然ながら、「面接」に望む時の洋服には十分気をつけなければいけないし、会話を弾ませるよう自分の話術を最大限駆使する必要がある。そうでなければ、二次面接」、三次面接」には進むことが出来ない。お祈りメールを待つのである

俺が将来の伴侶に求める点は大きく、1)友達が羨ましがる容姿、2)自分よりも高学歴、3)結婚してもちゃんと働いてくれる人、4)性格がまとも、5)年齢は31歳まで。若いなら若いだけ良い、の5点である特に1)2)5)は重要だ。なぜかって?それは他人に羨ましがられる嫁が欲しいからだ。俺は正直に言って、自分に誇れるものがない。大学へは小学生時代から続けていたスポーツを極めたくて入学したが、結局自分には才能がないことを痛感した。プロなんて夢のまた夢だ。誇れることは、せいぜい、公務員になれたことぐらいである。これがなかったら、ぶっちゃけ、ただのクズなんじゃないかとすら思う。だからこそ、婚活では一発逆転したい。

実際、俺はかなり婚活に入れ込んでいる。中毒といってもいいかもしれない。平均で週に2回程度は「面接」をしているし。婚活アプリも4つ程度を同時並行で利用している。

金もかかる。課金額は月にそれぞれ5000円程度だ。「面接」にだって金はかかる。飲み屋でディナーとなれば、安くても一回4000円は飛ぶ。もちろん支払いは男持ちだ。男女平等が叫ばれる昨今であるが、婚活では関係ないらしい。交通費だって地味に痛い。

トータルで「面接」した人数は50人はくだらないと思う。しかし、未だに婚活は終わっていない。

俺が求めるレベルの女には、一次「面接」で切られてしまう。そのレベルに達していない場合だと、付き合うところまでいけそうということも何度かあったが、どうしても本気になれず、最後まで続かない。

もう本格的に婚活をはじめて3年になる。最近は、周りの友人なども結婚しているやつが多くを占めてきたし、子供ができたというのもFBなどでよく見かける。そういうのを見ると、自分は何をやっているんだろうと思う。俺はちゃんとした家庭を持つことが幸せ重要な要素だと考えているので、何のために生きているのだろうという思いにかられることもある。「面接」がうまくいかないのはコミュニケーション能力が低いせいもあるのだろう。そういえば、うちの親はどちらもコミュニケーション能力に乏しい。遺伝なのか育った環境問題なのか。くそ

しかし、あきらめない。絶対にいい女を捕まえてみせる。

仲の良い友人の1人はそこそこの女で妥協した。しかし、俺はそんな情けないことはしない。

そう思いながら、今日スマホで女の写真を眺めては、取り憑かれたように「いいね」をしている。

ゴールが転倒して小4が死亡

俺もゴールにぶら下がって遊んだ記憶があるわ。

やばかったな。

[]

今回は最近読んだ漫画からいくつかセレクト



まず最初。たーたんを読んだ。帯に"童貞×JC≒父娘?"っていうなぞの式が書かれてた。心ヒリヒリコメディと銘打っていある通り、笑えて面白いんだけど、どうしようもなく切ない気持ちにさせられる漫画に仕上がっていた。

ネタバレになるけれど、今作は血縁関係のない男女が父子家庭を演じている。そんでもって、その偽りの親子関係を続けようにも、とある理由によりあと一年関係を解消せざるを得ないことが提示されている。

切ないのが、その事実を知っているのが偽りの父親だけってところ。

赤ん坊のころからたーたんに育ててもらった娘は何も知らないし、関係性を疑ってもいない。母親のことも、自分を産んでからすぐ死んでしまったと聞かされているもんだから、ずっとそれを信じていた。

たーたんは何度も何度も真実を伝えようと思い至るんだけど、優柔不断で気弱なもんだから思春期を迎えた気難しい娘を前についつい口をつぐんでしまう。

加えて思春期になった娘は娘で、いろいろと想像して、母親は実は生きているんじゃないかとか、たーたんが情けないから逃げられてしまったんじゃないかとか思い始めてしまう。

全体を通して一方だけが破滅へと向かっていることを認識している、ある種のモラトリアムのような状況が描かれているわけなんだけど、何も知らない無垢普通少女と、お人好しで気が弱いけれど一人前にお父さんやってきた男性との交流が微笑ましいものから、余計と切なくなってしまう。

親権問題やら、都合のいい父親像やら、創作じみたところは結構ある気がするけれど、それらをあまり感じさせないのもすごい。

ちょいと前にはうさぎドロップが評判になり、その次には甘々と稲妻アニメになったけれど、今度はこのたーたんがくるかもしれない。

わきを固める登場人物についてのエピソードもいろいろありそうなので、今後とも目が離せない。

願わくば、表紙の二人が笑顔を浮かべる結末が読みたいです。



次。女房、きつね仕立てをよんだ。最近はやっている異種交流譚を扱った作品表題作短編三作からなる単行本だけど、人外との恋愛要素がほとんどないのが特徴的だった。

ところどころに挟まれギャグ最近表現っぽいなって思う。なんて表現すればいいのか。とにかくそれっぽい。

加えてなんだか絵が少女漫画っぽくなかった。いや少女漫画なんだけどレーベルが違う。アスカなんかみたいに、男性陣がアクション冒険なんかをするレーベルの絵柄っぽく感じられた。

総じてケモノたちが可愛らしかった。キュッキュて短編結構ブラックジョークが効いてると思ったし、ぬしさまの不気味な存在感も素敵だった。



次。第七女子会彷徨の十巻を読んだ。まずもって今までもいろんなことをやってきた漫画だったけど、最後最後までメタやらクトゥルフっぽいのやらハチャメチャにやり切った漫画だった。

一つ一つのエピソードに描かれているギミックなり表現手法なりがころころ変わるので、連作集なんだけど短編集のようにも読める作品だったと思う。

一応一巻から読み直してみるとあれがこうなってそれがどうなるのか新しい発見ができそう。ただ結構読者を突き放して突き進む漫画なので、いまは気が乗らないかなあ。

とにもかくにも完結おめでとうございます



次、うちのクラス女子ヤバいの一巻と二巻を読んだ。確かにヤバかった。でも、ものすごく微妙なヤバさだった。中には強烈にヤバいのもあるけど、そこまで重大な事件にならないのがゆるい。

そこらへんの塩梅が作者の特色なんだと思う。食べた人の記憶を一日分だけ消すおにぎりとか、イライラすると手のひらが軟体生物化してしまうのとか、ヤバいけど影響はそれなりだった。

むろん過去にはそれらの能力を強化しようとしていたらしき描写もあって、今後どう展開するのかがきになるところではあるのだけれど、

個人的に、二巻のかわいいものを見るとぬいぐるみになってしま女の子の話と、困ると体の周りに花が咲いてしま女の子の話がよかった。

一巻にある心身の同一性問題を抱えているような人物の描き方や、二巻の終わり方なんかも緩さの中に確かな芯がある感じがして素敵。続きが楽しみです。



それはそれとして、タニス・リーの死の王を読み始めたんだけど、闇の公子を読んでいないことに途中で気がついて結構後悔した。

明確なつながりがあるのか定かじゃないけれど、やっぱり刊行された順番に読みたい。よって死の王は少し読書を中断し、闇の公子を先に読破することにする。

平らかなりし地球物語は、ほかに第三集と第四集と外伝があるみたいだけど、入手が困難なのだそう。面白いのかなあ。全部集めて読みたいなあ。

2017-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20170113160933

記録を取ってエビデンスを残しましょう。

○月○日、ルンバの購入申請をしたが却下された。その理由は、「私もやるから

こういう証拠をたくさん残すことで、初めて建設的な議論ができるんですよ。

人間記憶なんて曖昧なので、数か月後には何を言ったか忘れてしまうんです。

http://anond.hatelabo.jp/20170113114820

ギャルはぐいぐい来る割に他人への関心薄いというか過去会話内容とか忘れてる。

人生いいことも悪いこともあるけど、いいときは素直に喜んで悪いときは素直に悲しんで、

悪いことだけネチネチと思い返して愚痴ったりしない。さっぱりと、今を生きている。

自意識過剰じゃない。広く浅い関心を、その時その時で持ってる。嫌なものも持続しない。

オタク消極的な割に他人への関心が強くて、過去の会話をやたらよく覚えてて、矛盾点とか突いてくる。

他人の行動や思想に対しての干渉結構多い。全体的に、知的というよりも、重い、しんどい

あと人生のおける悪いことの記憶を反芻しすぎの偏った人が多いと思う。被害者意識が強い。

カップリングの好みが合わなかっただけのことで、異様に被害者意識強めたりする。

加害・被害関係の無いところに、可哀想自分を作り出す、迷惑創造性がある。

あと自意識過剰で、同じ悩みのなかをループしてる。人間的な進歩が無い人が多い。

創造的な人なのかもしれないけど、知人にそういうところあまり求めないから

リアルに関わるならギャル的な人のほうがいいと思う。同意

http://anond.hatelabo.jp/20170113112925

http://anond.hatelabo.jp/20170113112956


まりGALS増田

世間一般でも、少女漫画というジャンルの中でも、男オタクに人気があった漫画の中でも、別に元祖でも何でもなく

ギャル流行り始めより3年ほど遅れて出ただけの作品元祖だと勘違いしている、って事か

1995年コギャルブーム社会現象と呼べるものだったから、それを取り入れた漫画は他にもあっただろうし

1998年漫画元祖とするのは無理があり過ぎる



GALSとやらが流行ってた頃に丁度対象世代だったからそれが強く記憶に残ってるだけで

ギャル流行が始まったそれより3年前の頃の事はまだ幼過ぎたからよく分からない、んだろうな

子供の頃の記憶を頼りにするとよくあること

「ある日とある日」

街がある

道がある

ふと見ると道に座りだす者がいる

通行の邪魔になったりしている

歩く人々、その中には様々な年齢、性別容姿職業服装体臭

座っていた人は立ち上がってビラを配っていた

ラーメン屋がある

店員と客と内装椅子が見える

横では風が吹き、パンチラ・・・撮り逃す

おっさん携帯で喋っている

うるさい

だが、それを認識してスムーズに避けた白杖を見かける

足取りの軽い女のヒールは美しい。

その後ろにはトロトロ歩いているお婆さんがいる

遅い

だが、無意識意識か、避けていく人々がいる

さらに遅いのが来た

カップルである

周りを見る必要がない速度で歩いているから遅いのは当然

無意識でも意識でも避けようもない壁となる

不快である

だが、焼き鳥屋から良い香りがしてくる

腹が減る

煙を煙たいと不快そうに避ける美女がいる

腹が減っているので不快である

だが、見た目は良い女である

食と性、映画たんぽぽ」を思い出す

不快であるということは欲している証拠

そこに脂成分多めの親父が横を通過する

美女を撮ろうとしたのに、脂親父が前を通るし暗がりでシャッターを切ったのでブレた

親父がブレた!美女は写ってない!!

おっ親父が焼き鳥屋に!!

財布を見る・・・親父が羨ましかった

脂は伊達ではないことを知る

視覚臭覚が混ざったトランス状態で駅へ向かう

10:30

子供が一人で歩いている

塾だろうか

先程のような人々が全員、足早に歩いている

早く帰りたいのだろう

子供はこれから帰るのだから、寝るのは夜11時を過ぎるだろう

駅員は外人と揉めている

横では外人に道案内をする日本人がいる

駅員に終電時間を聞いたら親切だった

呑みに行った

そこに異国の女性がいた

何か違う魅力にため息が出た

たぶん、記憶ではフランス人だろうか?忘れた

だが香りは覚えている

酔った足取りで撮ってみた

碌でもない

すまない、良い香り推定フランス人

梯子

ドイツ人ジャーナリスト出会

彼は憤っていた

インテリジェンスについて学んだ

感情と実利と知識が分かった上で、彼は酔って憤っていた

冷静で熱い奴は嫌いではない

梯子から放水

ストッキングを久々に見つめる

網目が大きいやつだ

引っ張ってみた

素晴らしかった

無意識だと網目は大きい方が引っ張りやす

始発で帰る

商店街にはひと気がない

そこを歩いている毛皮の人間がいる

ビール片手に

彼は彼女である

彼女を後日、目黒で見かけた。

彼女はビラを配っていた。

おしまい

最近の「鉄道趣味ヘイト」風潮は「日本死ね」と動機が似ている

鉄道趣味ヘイトに対するある批判

最近はやっている趣味ヘイトがあり、その中に「この鉄道趣味野郎が云々」があった。都市部に住む鉄道好きの友人と一緒に見ていて「この鉄道趣味野郎」という書き込みを見た時は仰天した。口頭で言っていい言葉とは到底思えない。日本の都会や田舎財政鉄道会社法人税が支えていてる現実や、長年にわたって鉄道市民に愛されている現状をみれば「鉄道趣味などとんでもない」はとてもいえない筈だ。こういう意味鉄道趣味ヘイト発言している人はあまりにも現実直視できていないと思える。大体、こういった趣味に対する排斥を訴えると言うこと自体がダサイ。


それに対する反論

最近の「鉄道趣味ヘイト」について、ネットユーザーが、こぞって「大人気ない」「不穏だ」などと酷評している。大人気ないこのヘイト感情が広がったのは、公共システム矛盾を鋭く突いて、多くの人の記憶に焼きついているからだ。無難なやりかたではみんなの心に残りはしなかった。実際にインフラとして鉄道を利用している人たちの共感も大きかったはずだ。批判者たちは、利用者事情に疎いので、勝手批判をしているだけなのだろうか。


これについて共感する声

やれたか委員会、頼む

もう3年前になります中学同級生と会うことになりました。

たまたま昔の仲間であつまる機会に、彼女も来たのがきっかけです。

実は昔、彼女のことが好きでした。

肥大した自意識、過剰な心配、低い自己評価。恐れのあまり、結局、当時の自分告白すらできなかったのですが。

仲間との飲み会では、連絡先だけは交換できました。

さすがに社会人になっていましたから、それぐらいはできました。

後日、特に期待しないではいたのですが、彼女から連絡がありました。久しぶりに会わないかと。

僕は二つ返事で会おうと言いました。

二人で居酒屋に行きました。しかし、話はといえば、彼氏愚痴でした。

出会いきっかけを聞いている時が、一番辛かったです。それでも、僕は一生懸命聞きました。

それが唯一、僕が彼女にできることでしたから。

減り続けるお酒。心なしか増えた、彼女からのボディタッチ。

そして迫る終電時間

僕の家は近く、終電時間が早いのは彼女でした。

しかし、彼女時間を気にするそぶりもありません。話を聞きながらも、迷いに迷いました。

このまま黙っていればいいのか、しか彼氏がいる手前、伝えないところで変わらないのか、いや、変わるのか。

はたまた、彼女はわざと気づかないふりをしてるのか –– 。

結局僕はギリギリになって、「あっ、時間だよ」と今気づいたふうに伝えました。

良心と下心と期待がはじき出した精一杯の時間でした。かなり走らないと間に合いません。

悩みに悩んだ僕の選択でしたが、彼女にとっては一瞬でした。

「あ、走らなきゃ!」

ごめん、またお金渡すね。と行って彼女荷物を手にとり、颯爽と店の外へと消えて行きました。

あのとき時間を伝えていなかったのなら、僕はどうなったんだろうと考えずにはいられません。

「気をつけてね、またね。」それが唯一、僕が言えた返答でした。







数日後、また彼女から連絡がありました。別れたと、悲しそうでした。

少し喜んでしまった自分に、罪悪感を覚えました。

結局、お金返すねと言われ、会う約束をするまでの間でしたが。

約束の日、彼女は車で来ました。そのとき、僕は一瞬で悟りました。

今日は飲まないし、すぐ帰るんだなと。

しかし嬉しい誤算ですが、すぐには帰りませんでした。

そして、結果としてはいわば終電時間が過ぎた夜更けまで、二人で話し込むことになったのです。

深夜の公園がこんなに楽しく思えたのは、これが初めてでした。

休憩にと座った狭いベンチで、思いがけずつくっつく形となり、胸が高鳴ります

思い切って、昔好きだったことを伝えてみました。

「えーっそうなのー?!」と驚いて、その後に照れたように見えました。

さらに思い切って、手を握ってみます

握り返してもらえました。

もうこれはさすがに行くしかないと思ったのです。もう遅いから、彼女の車を運転して、送ってくよと言いました。

車の保険大丈夫だったのが、本当に幸いでした。

運転席に座り、彼女に家の住所をきき、そして調べるふりをして僕がGoogle Maps一心不乱に打ち込んだキーワードは、「ラブホ」でした。

「どっかよってくー?」運転を開始して早々、何気なく言ってみました。

本当にこれでも精一杯だったのです。

永遠とも思える一瞬の沈黙を破った彼女言葉は、「…うん」でした。

僕の運転する車はそのままホテルにinしました。

どこの部屋にしよう、というようなセリフを、優柔不断な男だなと思われたらどうしようと思いながら言った記憶があります

まかせる、が彼女の返答でした。どの部屋が良いかからなかったので、とにかく空いてる部屋を適当に選びました。

こんなふうになってるんだねー、というような会話を振りながら部屋に向かいます

そして無事部屋にいたり幸福の扉を開いたとき、僕はある失態に気づいたのでした。

0.2mmの壁を、車内に置いたカバンの中にカバンごと忘れてきてしまったのです。

「あ、ゴム忘れた」と言わずはいられませんでした。そうです、言ってしまったのです。

じゃあやめとこっか。それが彼女の返答でした。

なんたる失態。男子に生まれ男子として生き、男子として生をまっとうせんとする者にあるまじき行いをしでかしてしまいました。

深夜の公園楽しい会話、冷めやらぬ手の温もり –– 。すべてが涙となって今にも溢れ出さんとしています

まさか、ここまできてこんなはずでは…!!!

…天は僕を見捨てることはしませんでした。部屋の片隅に販売機があったのです。

枕元に備えつけのものは使いたくありません。たとえやれたとしても。

そこで僕は手持ちの小銭を詰め込んで、オリジナルを買いました。

彼女の心が冷え切ってしまったのではないかとすごく心配でした。

3個パックで割高な箱を手に持ち、僕はベッドへと歩み寄りました。









さて、少々長くなってしまったが、やったか委員会だれかいれば頼む。

2017-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20170112142329

彼女たちが稼いで、韓国に帰ったら、こう言うだろうね。

日本の悪い業者に騙されて慰安婦強要された!」



往々にして、記憶というものは、自分の都合のよいように改ざんされてゆくものですから

年収カースト婚活パーリーは一部嘘だったんだって

リンクを大量に含ませるとspam扱いになるのでリンクを雑に外しています







すごい展開にしたもんだな、これ。

うつ病「非」経験者がうつ病研究をしている話

いろいろな巡り合わせで,3年ほど前から研究分担者としてうつ病研究に関わっていた。

うつ病研究といっても,実際に患者を扱うのではなく,健常者に質問紙をとって,客観的に観察される行動との相関をみたりする理論である

自分は,研究代表者から,「研究分担者」兼「SE」兼「プログラマー」的な役割を求められていた。具体的には,参加者の行動を記録するためのシステム開発をやってくれという話だった。

要は,本当はシステム開発外注したいけど,予算がないし,研究に馴染みのない人に依頼するのはやり取りが大変だからシステム系に詳しいあんたがそこら辺まとめてやってくれ,ということだ。

見返りは,成果を論文にするときには,第二著者には入れてあげるよ(論文にはならないかもしれないけど)といった感じで,金銭的な報酬はなし。

ちなみに,ガチ外注すると,500万は下らない規模のシステムを求められていた。

割りに合わないなあとは感じていたけれど,そのシステムが完成した暁には,自分研究にも一部のソースを使いまわせそうだったし,必要とされるのは嬉しかったので,引き受けてしまった。

概ね3年計画研究スケジュール等を話し合って,1年目は順調に進んでいたのだが,2年目の中頃から,別の仕事きっかけで,どうしても気持ちが落ち込んで外に出られなくなった。

その時期,一体毎日何をして過ごしていたのかの記憶が,今となってはほとんど思い出せないのだが,とにかく指定された計画に間に合わせて,システムを完成させられなくなってしまった。

それで,ひたすら平謝りをして,何度か予定を伸ばしてもらったのだが,この間の研究代表者言葉が,ずっと気になっている。

具体的にはそれは,以下のような内容である

うつ症状を言い訳にするのなら,精神科に行って診断書を出してもらえ

診断書がないのなら,うつ症状を言い訳にはできず,納期が遅れるのはあなたの怠慢である

あなたを信用できない

・私は,ボランティアでこの研究をやっているのではない

・これ以上先延ばしが続くのなら,今回の研究計画は無期限で中止にする

私が一番ショックを受けたのは,いわゆるうつ症状と思われる状態に陥っていることを,いくら説明しても理解しようとしてもらえず,

診断書がないのであれば,それはあなたの怠慢であると言われたことである

理論系とはいえ,うつ病研究者なので,この辺りはきちんと症状を説明すれば,理解してもらえると思っていた。

でも,いくら説明しても,うつ病可能性は否定できないが,診断書がないのであればうつ症状を理由仕事先延ばしするな,

期日に間に合わないのは,うつ病ではなく,あなたの怠慢である判断せざるを得ないと,繰り返し言われた。

当時私は,研究員の身で,どこかに勤めているわけではなかったし,経済的に余裕もなかったので,高い受診料を払って精神科に行く気にはなれなかったし,

とにかく時間をとって静養するしかないと感じていたので(というよりもほとんど何も思考できなくなっていたように思う),

結局,精神科には一度も行っていない。

でも,今まで生きてきた中で一度も経験したことのないような,思考感情ゼロに近いショック状態に陥ってしまっていて,これがいわゆるうつ症状なのかもしれないとは感じていた。

そのような状態で,なんとか連絡をして,診断書が出せないのなら,あんたの怠慢だといわれたのは悲しかった。

正確には,そのときにはほとんど何も感じなかったが,今少し症状が回復してきて,徐々に悲しかったという感情が,出てきている。

診断書がないのなら怠慢だ」というような人が,果たしてうつ症状に関する研究を正しくできるのか,と疑問に感じはじめている。

臨床系ではないので,安易うつ病診断をしないという点では正しい判断かもしれないが,「診断書がない=怠慢」といった白か黒かという判断は適切とは言い難いし,

何より「うつ病である可能性は否定できない」というのであれば,もう少し,理解を示すような慎重な表現で応対してほしかった。

正直,なんで,どういうモチベーションで,この人はうつ病研究をしているのかと思った。

4番めと5番めに関しては,何を言っているのか未だによくわからない。

ボランティアで協力していたのはどう考えてもこちらの方だし,無期限で計画を中止にされたところで,私は何にも困らないので,何の脅しにもなっていない。

計画通りに行かないことがわかって,機嫌が悪くなっているのだと思うし,それは申し訳ないと感じる。

でも一方で,この人には,うつ病を論じてほしくないという感情が,日々高まってきている。

なお,特に深い意味はないが,私は男性で,その人は女性である

http://anond.hatelabo.jp/20170111202714

全部説明せなならんのかとちょっとガックリ来てる。「待ってた」じゃねーよ。

81とエイベックス区別しなくていいのは分かったよ


違うって。区別する必要あるんだよ。あくまでも主体エイベックスってことは認識しておかないと話が進まない。

前も書いたように、プリリズのアニメ最初から製作委員会に入ってるし、主題歌以外の楽曲エイベックスから発売してる。エイベックスサイドから見れば、出資比率の違いはあっても、WUGもプリリズも、自分お金を出して自分で売るIPだという点は全く同じ。

あくま声優担当しているだけのプリリズ-プリパラ系統

作品と同名のユニットでやっているWUGを同じ商法で括るのは違う気がする

というのは、一体何を見て言ってるのかと言わざるを得ない。



前史

プリリズが始まった時に主題歌と主演を担当していたのはLISPだった。

もちろん、LISPも81とエイベックスプロジェクトである。そこだけ見ればWUGi☆Ris同類であるが、決定的な違いがあった。

LISPは「有り物を集めて作ったユニット」で、まあ傍から見てても本気で売るためには色々問題点があったのは見て取れた。

いやもしかしたらLISPは素晴らしいユニットだったと信じている人も世界はいるかもしれないが、オーロラドリーム放送開始2ヶ月でユニット活動停止発表とか、普通だったら「正気かよ!」と全力ツッコミ入るレベル

なのに当時の玄人筋の間の空気感は「まあそりゃそうだよな」の方が多数だったと記憶している。


こっから先は単なる憶測だが、当然、エイベックス中の人としては

「やはりアイドル声優ユニットを本気でやるには、ミュージックレインのように大規模公募オーディションを開催してユニット活動を前提に新人を集めるしかない」

決断してたはず。でないとおかしい。



本題

そういうわけでまだオーロラドリーム放送中の2012年2月からアニソンヴォーカルオーディションが始まります

といってもアニメ2期ディアマイフューチャーには絶対に間に合わない。

エイベックス的には座組から抜けるわけにも行かないので、まあ実写パートとか韓国資本参入とかいろいろありました(遠い目)。


2012年7月にひっそりとi☆Risが結成されるわけですが、まあ大昔の代アニ全盛期みたいな荒っぽい時代だったら、ゴリ押し素人のままアニメに出していったんでしょうけど、そんなのが通る時代でもないのでみなさん81の養成所での演技訓練が本業です。


…というわけにも行かないので、いろいろなラジオ局とかレコード会社とかの暇なプロデューサーがよくやるメソッド

養成所を卒業したばかりの新人養成所在籍中の子適当に見繕ってアイドル声優ユニットというていで活動させる」

も発動。

演技力歌唱力もまだまだ発展途上な子ばかりだし、プロモーション予算もそんなにあるわけじゃないから、ゲリラ的な活動しかできないのもよくあることです。

それらのユニットは9割方、何かのまぐれ当たりを期待する低予算低労力の数打ちゃ当たるプロジェクトだけど、今回は違う。

初期投資が大きいので、いずれ訓練が終わったら、エイベックスが金出してるアニメを使ってガッツリ売り出す気満々であるわけです。


2013年4月アニメ3期レインボーライブ開始。ここでようやくまず一人だけ、芹沢優が出演。本当は全員出したかったのかもしれないが、時期尚早との判断だったんでしょう。

そういうわけでTRFコラボったり、赤尾…じゃなくて三重野瞳が山ほど歌詞を書いてるうちに1年終了。

この間、6人全員が一応声優デビューして場数も踏んで、そしてたぶん音楽面のレッスンも順調だったんでしょう。

念のために3ヶ月の準備期間を用意して茜屋日海夏にみんなを馴らしてから(いや逆か)、満を持して2014年7月から主演i☆Ris主題歌i☆Risアニメが始まったわけです。



WUG

ただやっぱWUG関係無いのでは

オーロラドリームの方が古いし(企画の出発時期は大差ないかもだけど)


WUG時系列

アニメを作るのに必要時間の長さを考えれば、ほぼ全作業プリパラと同時並行で進んでいると言っても過言ではない。

要するに元増田が「WUG成功を見てi☆Risも同じ売り方にした」的な物言いは確かに間違いなのだが、無関係というのも間違い。

実際には単に「同時期に、同じレコード会社お金を出し、両方とも同じような売り方をしている」でしかない。

あえて違いを指摘するとすれば、WUGの方が中の人キャラシンクロ度が高くて演じやすい分、デビューまでの期間を短縮できた程度の差である

僕のお母さん

僕のお母さんは頭が悪い

 

僕の家はお父さんのおかげで割と裕福で、そんなお父さんもお母さんを見た目で選んだのか、お母さんも美人だ。

お母さんは僕に小さい頃から英才教育を施してくれた。

そのおかげでいろんな知識を得るようになった。

お母さんはそれを自分の手柄のように誇った。

小さいながらもこれは愛情でもあるが、自分の達成感と虚栄心を満たすためにやっているのだろうなと感じた。

それがストレスになるので、お母さんと人間メタ的な視点での会話をしようとしたけど、お母さんは形而上の話は理解できないようだった。

 

ある日、お母さんの友達が家に遊びに来た時に、僕がkに合格したことに対して頭がいいねと褒めてもらった。

僕は「ありがとうございます。」と答え、次いで「でもお母さんは頭が悪いですが。」と敢えて発言した。

場に気まずい空気が流れたけど、こうでもしないと僕の声はお母さんには届かないと思ったのだ。

 

その日以降、なぜかお母さんも一緒に勉強するようになった。

高校も碌に行かなかったようだけど、お母さんはMARCH模試でA判定はとれるようになっていた。

もちろん、僕にとっては大したことの無い結果だったけど、スタートラインを考えるとすごい努力だと思う。

当然お母さんは学力をつけた自分を誇った。

でも、相変わらず自分他人感性を分けて考えたり、フランシス・ベーコンの言う、所謂イドラという概念に準ずるもの理解できないのだ。

国語という言語パズルの読解はできても、自分自身分析し読み解く力は身につかないようだ。 

 

「お母さんは勉強ができるようになったけど、それでも頭が悪いと思う。」

この言葉に対して、どうすればいいのかと問われたけど、僕はどうしようもないと思った。

その頃は大学発達障害というものを知り、自分で色々調べたが、同じ仕組みで動いていても、

人間にもまたたくさんの種類の人間がいるのだと納得した。

結局、彼女はその機能が備わっていないのだと思う。

自分から生じる欲に対して、逐次対処していくのみなのだ

 

大人になってわかったが、周りは彼女のような人で溢れていた。

学力テストという、記憶力と反復練習をする根気のみを試すゲームではトップクラスでも、自分の半径3mくらいのことにしか興味を抱かない。

塾の講師に胡散臭さを感じていたが、その胡散臭さはやはり正しかったのだと今になって思う。

頭のいい人に時々出会うと嬉しくなるが、なぜか彼らは不遇な立場であることが多く、もったいないなという思いを抱いた。

いや、頭がいいからこそ不遇な立場を選ぶのかもしれない。

いいやつほど早く死ぬというが、若くして死んでしま患者さんには頭のいい人の割合が多いようにも感じる。

 

お母さんのような、頭の悪い人が資本という力を得やす環境の中では、頭のいい人というのは生きづらいのかもしれない。

人間とはなんたるかを考えるとお母さんは果たして人間なのだろうか。

僕にとっては、生物学的な定義をして人間人間判断するのは傲慢に思えてしまう。

 

 

途中書き。

2017-01-11

若手俳優(既婚者)のリア恋おたくであることに疲れた

推しが結婚をして数年経った。

私は相変わらずリア恋おたくを続けている。

既婚者への恋は不毛と聞くが、相手鳴かず飛ばず舞台俳優ともなると、不毛どころか地獄である

私は推しのおたく歴6年ほどで、出演舞台に全通したり、毎公演長ったらしい手紙を持っていったり、プレゼントボックスしょうもないプレを投げ込むだけのささやかおたくだ。

推しの奥様は女優で、かつかなりの頻度で推しと共演するため、推しの舞台に全通するということは、それだけ奥様を見るということでもある。

推しがツイッターに上げる◯◯が見に来てくれました!という写真にはその◯◯君を挟んで推しの反対側に奥様がおり、奥様のツイッターには後輩と戯れる推しが写った写真が投下される。

ささやかなりにリア恋おたくであるので、推しが別の女性にデレデレな様を見るくらいなら死んだほうがマシなのだが、死にたくないという気持ちよりも推しの姿見たさが勝り、推しと奥様のツイッターをチェックし、予想通り死ぬだけである

薄目を開けるなどしてなんとか推しの姿だけを見ようとしても、写真と同時に呟かれる非リア恋おたくな友人たちの「夫婦かわいい!」「□□と▲▲尊い;;(□□、▲▲には共演した舞台の役名が入る)」というツイートまでは避け切ることはできず、おめーらはりあこじゃねーからいいけどよ!!!と声にだけ出して(ツイートはせず)そっと画面を閉じる日々である



推しに認知されており(ひとえに多いとは言えない推しのファン人口のおかげではある)何十回も接触しているにも関わらず、私は巷で見かける #推しに言われたこと タグのような気の利いたことが一つも言えない。

忘れもしない数年前の初春、その日の接触も推しを前にろくろく舌も回らずどもり続けていると、推しが「そうだ!」と言って裏へ行ってしまった。

生粋ネガティブなのでプレでも突き返されるのか(推しは善良な人間なのでそんなことはしない)と最悪の想像をしていると、


推しが奥様の腕を引いて戻って来て、

「この人が☆☆さん!」と、推し。

「✖✖がお世話になっております!」と奥様。

「ともどもよろしくお願いします!」と、推し。


世間広しといえども推しに配偶者を紹介されるリア恋おたくは珍しいと思う。

動揺しておりその後の記憶は無い。



私は推しが結婚してもリア恋を続け、推しに奥様を紹介されてもリア恋を続けている。

リア恋と自称するからにはできれば推しと付き合いたいのだが、万一願いがかなってしまうとそれは不倫であり、リア恋とは別種の地獄へお引っ越し、というだけのことである


それでも私は引っ越しがしたい。

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