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はてなキーワード: 記憶とは

2016-06-28

僕は健康のために1日3回放屁をしている、って感じの文章を昔に読んで感銘を受けた記憶があって、また読みたいなと思ってググってもうまく見つからないんだけど、誰か知ってるかな。

娘について言いたいこと

さて。サッコン、現実世界の会話とSNS上でのやりとりの境界ますます曖昧モコモコとしたものとなり、ふと発したした一言が、誰かにデジタルアップロードされた結果、炎上案件炎上させる炎上装置となる、総センシティブ社会が到来しつつある中で「すべての発言は誰かにとって地雷である」ことを常に懐に抱き、なかなかいいたいこともいえないこんな世の中。私も匿名で好き放題いいたいとの思いから、こんなところにやってきました。いいの?言っちゃうよ?











娘が、かわいいーーーーーーーー!!!!!!!!!!!





んですよぉ!ねえ!まだ一歳にならない娘だけどね。

こういうことおおっぴらに言うとね、「子供がいない人の気持ちを考えろ」「子供自慢うざい」「子供の会話しかしない人って退屈」系派閥の人たちからいろいろ言われちゃうからね、普段なかなかいえないんですよ。自分の子供がかわいいって。だから黙ってますよ。普段はね。リアルでもネットでも。今日は言わせてもらうわよ。





笑顔純真

娘がね、目があうとね、こっちを見て、ニコって笑ってくれるんですよ。

それがもうほんとかわいくてね。娘の笑顔はね、ほんと純真とか無垢とかピュアって言葉自身が言い表したいと思ってることの本質っていうかね、言ってみればピュア中のピュア100パーセント、なんの打算もないまじりっけ一切なしの笑顔なんですよね。世界中宗教指導者顔面に「これが純真じゃぁぁぁぁぁぁ!」って顔面ドギャーンと叩き込みたいって言うかね、アダムとイブりんごを食べる前はきっとこんな表情で笑いあっていたんだろうなっていうね。昔映画汚れた血」だったかレビューだったかロッキンオンだったかなんかで「純真さを失ってしまった青年の悲しみ」がなんたらとか書かれていてね、それを読んだ僕は「バッカじゃねえの?」と思いまして、こちとら幼稚園のころからすべてにうんざりしてんだよ、青年にもなってなにが純真さを失った悲しみだよ、そんなくだらねえもんねえよ、と思っていたんだけど、そんな自分顔面に「ここに純真があるんじゃぁぁぁぁぁぁ!!!」ってギャコーンと叩き込みたいね



肌がモチモチ

こちとら30過ぎてね、肌なんてサハラ砂漠もうるおって見えるくらいのカラッカのガッサガさですよ。娘の肌はね、ほっぺも太ももも二の腕もお尻も、餅を究極に抽象化したというかね、絵に描いた餅の到達点というか、白米のようにまっしろでモッチモチプリンプリンで、肌を押すとその下に大量の水分があるぞーって感じなんだよ。CMとかで「まるで赤ちゃん肌」とか言ってる女優には「ダウトッォ!!!」って放送倫理レッドカード的なやつを突きつけたい。年齢的なもの考慮すると綺麗なのは認めよう、でもあなたの肌は全然赤ちゃん肌じゃないよね。本物のプニプニの肌を触ってるとかわーいーくておまけにいい匂いもして抱っこしてるときゃあって思うくらい幸せ



行動がいちいち面白い

もうずっと見ててあきないくらい、なにしてるのも面白いんだけど、たとえば床の上に落ちてる10分の1ミリくらいのすっごい小さな黒い点のようなゴミ真剣にじっと観察してるの。このゴミをみながら彼女の頭の中ではいろいろな研究が行われてるんだろうなと思うとすごい応援したくなる。

そして、あー自分も思えば畳の目とか、ほこりを観察していたなとかほんとに記憶の彼方に消えていたものがぼにゃりと浮き上がってきて、僕にも娘と似ている部分があったんだなとうれしい気持ちになる。



成長速度が恐ろしい

はてブとか、啓発本とかでね、「社会人としての成長がどうのこうの」なんていうことがかかれたりしてるじゃないですか。はっきりいってね社会人になってからの成長なんて、持ってるリソースをどう割り振るかであって、自分能力限界値が増えるわけじゃないんですよね。

娘はね、ジャックとまめの木みたいに恐ろしいほど毎日毎日できることが増えていって、布団で寝られるようになったり、寝返ったり、はいはいしたり、感情表現したり、ストローお茶が飲めるようになったりするのを見てるとこれが真に成長と呼ばれるものなのだなと感動してしまう。人間の持つ力の、というか何億年とかけて進化してきた生物という仕組みの精巧さ、超絶さがここにあるんだよ。



ということでね、娘がかわいいです。

ほかにもいっぱいあるんです。

うんこが臭くてかわいい、とか。

もうほんとにかわいいんですよ。

それだけなんですけどね。ほんとにかわいいんです、という気持なんです。

2016-06-27

すぐ疲れる

長い一日が終わった。

昼過ぎにはすでに疲れきって夕方記憶曖昧なくらい。

もう既にだるい

明日もまた社蓄、もう嫌だ

さいこ学研からタツノオトシゴが送られてきて

さな水槽で育てた記憶があるんだが、親に聞いても記憶がないと言う。

よく考えたら学研からタツノオトシゴが送られてくるのも変な気がするが、

学研って生き物を送ってくることあるの?

[]PSP「セカンノベル彼女の夏、15分の記憶~ 」プレイ開始

前置き~いか積みゲーと化したか

から6年前に発売されたアドベンチャーゲーム

ミーハーエロゲライターヲタだった俺は、あの「書淫、或いは失われた夢の物語。」のライターの新作!?しか予約特典小説ロミオ瀬戸口廉也!?ってだけで、後でプレミアついたら困る!!!と思って、

まれてはじめてPSPゲームを新品で予約した

基本すげーケチ中古しか買わん自分からしたらすげー思い切ったよ

まあ結果がどうだったかっつーと、プレミアどころか値崩れしまくりングでただのカネドブだったんだけどね・・・

今じゃ特典つきで1000円くらいだもんなー・・・

結局買うことが目的で、当時は他にいろいろRPGとかもやってたからずっと積みッパだったんだよね

それからずっと長い月日がたって、ようやくやるべきときがきた

他に買ったやつはあらかたプレイ終わったか

うPSPでやる最後ソフトになってしまったww

これ終わったらpsp処分する予定だから

後回しもここに極まれりって感じだな

プレイ開始

まず思うのは「解像度荒くて文字読みづらい」っていうことね。

パソコンiphoneアプリギャルゲーに慣れてるせいか、すげードットが荒くて字が読みづらい

そんで立ち絵とかSEとかBGMが切り替わるときにシャーシャーロードがうるせーしおせーしのダブルコンボがすげー地味にストレス

PSPギャルゲーやるの初めてだけどこんなうざいもんだったのか・・・

10分プレイするのが限界ですぐ飽きる

なんかひぐらしtipsみたいなちゃちいゲーム性があって、ただ読めばいいってだけじゃなくて地味にめんどいのもストレス

でもこれだけはクリアしたい

正直書淫は高くてプレイしたことないんどす

書淫のライターの書くものを、別作品でもいいから味わってみたいんどす

いったいクリアまでどんだけかかることやら・・・

ストーリー忘れない程度にちょこちょこやるしかないんだけども。。。

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/991976

案の定ガラスの仮面スマホの件が出てるけど、スマホ話題になるより結構からガラケー存在してなかったっけ。

記憶にあるのは梅の谷の社務所で、熱を出したマヤ携帯が圏外で連絡とれずに焦る速水ってことで時系列的には大して変わっとらんのだろうけど。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.御飯の友は何ですか。

ふりかけだな。

カルシウム不足を補うため、魚を骨ごと粉末状にして飯にかけることをコンセプトにして作られた。

大正時代に出たふりかけはいくつかあるが、これはその元祖とされているようだな。



Q.御飯の供は何ですか。

ふりかけだな。



Q.知識を自分のものにするというのはどういう状態のことを指すのでしょうか。

例えば、便座に座って小便をする人は少なくない。

立ったままだと、眼に見えないレベルの小便が飛び散っているということを“知っている”からな。

じゃあ、そうやって座ってする人は、便座の蓋をしてから流すようにしているか

これが意外と少ない。

「立ったまますると飛び散る」ということを知っているなら、「流す際にも飛び散る」ということは考えれば分かることなんだ。

まり知識を自分のものにしていないから、そういう応用ができない。

この状態を私は噛み砕いて「知っているだけ」と言っている。

こういう人は「1+1=2」はできても、「2+2=4」は分からないんだ。

こう例えると間抜けに見えるかもしれないが、本当にいるからな。

まり、知識を自分のものにするというのは、ザックリいえば「1+1=2」を知っているから分かるのではなく、足し算を理解していることで解ける状態ということだ。

解決方法としては思考する癖をつけるか、思考しなくてもいいレベルで枝分かれしたそれらを記憶するかのどちらだね。

まあ、別に知識を自分のものにしたところで、それを活かす機会が個人にとってないのなら、テキトーでもいいと思うが。

2016-06-26

http://togetter.com/li/991976

そういえば、コナンTV局の殺人事件で「携帯電話リダイヤルしてみてください。被害者携帯電話につながるはずです」っていうのを思い出した

既に、かなり前から自然な話になってるよな

リダイヤルは直前のものしか記憶しておけず、しかも揮発性だったなんて、今から考えたら「どんなおもちゃだよ」って感じだ

友達によくメンヘラと言われるJKひとりごと

メンヘラだな〜って言われるけど自覚がない。メンヘラってアレでしょ手首切って止まらない〜ってTwitterにあげる人でしょ??(偏見)わたしはそんなことはしないけど自他共に認める死にたがりだし病んでる自覚もあるのでもしかしたらそうかもしれないなあとさいきん思う。書くと落ち着いて精神安定するからぼろぼろだと思うしひとりごとしか聞こえないかもだけど書くね。生理前なのも手伝ってかここ2日あたりやばいので書く。

なんかもう首がむずむずするというかなんというか圧迫感?違和感?があって、肩を上げてなきゃ気持ち悪いのであげてたら傍から見たら変な人だし猫背になったしさらに暗く見える。しかも調べたら精神的なものとか出てきてマジモンのメンヘラやないか自分ドン引きしてる。もうかれこれ3年くらいこの癖?精神的アレ?知らないけどこれが抜けないのでさいきん肩がバッキバキでつらい。なんやねん。

ていうかなんかもう辛すぎてはやくどうにかしてほしい。死ぬでもこの性格を治すでも転生するでもなんでもいいから神よなんとかしてくれ。ていうかはやく死んで妹にわたしのこれから人生に親が使ってくれるはずだったお金を譲ってしあわせに暮らしてほしい。妹は頭が良いし顔もそっくりだと言われるけどわたしにはあんまり似てなくて可愛く見えるし、この子が1人っ子だったらどんなに良かったかと思ってしまう。わたし私立バカ大学への進学代に使うくらいならこの子大学院やら有名私立やらに使ってやってほしい。常に申し訳なく生きてるくせに物欲だけは人並み以上にあって、娯楽がなければ死んでしま人種なので、親の金をばりばり食う金食い虫になってるし早く死んだほうがいい。とか言ってなんで死ねないのか自分でも不思議であるわたしが死んだら臓器でも角膜でも挙げられるものならなんでも求めている人にあげたい。わたし他人の役に立てると考えただけで嬉しくて信じられなくてちょっと泣く。たぶん大きい病気はしたことないし精神はアレでも肉体は健康的だと思う。わたしがいるせいで妹に使うお金が少しでも少なくなっていると思うと申し訳ないしもったいないなと思う。それにほらうちの両親なんていうか晩年婚っていうのかな若くないから老後にも当ててくれよ……。でも姉が自殺とか家のメンツ立たなくね?どうなの?事故とかでいいんだけどな……でもこんな残念すぎるわたしだったらコインロッカーに捨ててるようなコインロッカーベイビーズにも愛情を持ってくれている父と母は泣くだろうか。なんやかんや言いつつもわたしをたすけてくれる妹も泣くのだろうか。わたし記憶に残るのだろうか。

頭も顔も残念な女子高生に!未来はあるのか!明日はあるのか!いやない!俺達に明日はない!明日には死ぬ勇気が溜まってるといいなと思いながら寝る。自分でも文まとまってないしやばいと思う。まあいいや。おやすみなさい。

2016-06-25

たまたまサーフィンしてた本の紹介ページで見つけたので引用。下に1〜4段階が示されているが、大抵の本は4番に終始している。コメントで「まぁモテ本に限らず、自己啓発本の多くが「俺論」だからねぇ。俺論が一番語りやすい分野は4番なんだろうね。」とあったけど、まさにそう。ちゃんと1〜3の基礎から実践出来る内容の本を買うべきだと思った。以下コピペ




モテる人間になるためのステップは4段階あると思う。

1.意志の力でどうにもならない無意識を変性し、努力で何でも達成出来る / 自己実現快感だと感じるようになるステップ

2.恋愛・魅力の基本的構造を学ぶステップ

3.それらの価値観を身体化するまで本を読み込む・慣れる・練習するステップ

4.いわゆるモテテクニックを身に付けるステップ




ところが巷に溢れる本は4番、モテテクニックを語り尽くしているだけだ。結局それだけ読んでなんとかしようとする男は、一個一個のテクニックを使ってもちぐはぐで違和感丸出しの痛々しいヤツになるだけである。俺たちは、根本から改善しなければいけない。努力しようと思ってもなぜか行動出来ないのなら、その行動出来ない動機となっている無意識を探し出して破壊する必要がある。モテテクニックが上手く作動しないなら、モテテクニックが成り立つ論理、すなわち恋愛という感情がどうして生まれるのかを知る必要がある。結局、基盤となる前段階のベースをしっかり作らなければ、魅力的で誘惑的な男にはなり得ないのだ。

読んで覚えられないところは何度でも音読し、行動すべきところは実践し、鏡に映して確認し、もしくは他人に見てもらってしっかり身に付けよう。出来るまで何度も繰り返すことも重要だ。継続は力なり。反復学習が長期記憶を生成し、次第に身体化されてくる。

(以下この本の内容だったから省略。この本、高すぎて手がでないけど、安ければ絶対買ってた。)

浮気不倫は、殺人罪と同等に扱うべき

他人不倫ニュースで、他人が口を挟むなと言う意見があるが、全く同意できない。

なぜなら私は昔パートナー浮気され、ひどく傷ついて、ストレスにより体調を崩し、結局仕事もやめることになって、その後誰とも付き合えなくなってしまたからだ。

よその浮気不倫ニュースでは記憶が思い出されて、他人事ではなくなってしまうのだ。


浮気不倫は、パートナーを傷つける最低の行為だ。

当事者が許したら許される?そんな甘い話ではない。

こんなとき第三者が、浮気した側に口を挟んでくれないで、どうするの?

こんなとき第三者が、浮気を許さないという姿勢を見せてくれないで、どうするの?

浮気した側からすれば、浮気された私のことなど「人間以下」いや、もはや「うんこ以下」の扱いの存在なのだ

そんな私がどれだけ傷付いたか、訴えたところで何も響かない。

だけど私の気持ちは治まらない。浮気した男、女に罰を与えたい。

そこで、私は浮気不倫をした男女を殺人罪と同等と扱うべきだと提案する。

付き合ってて、あるいは結婚して、他の人間に目移りしたとする。

なら、今の相手と別れればいい。DVされてる、別れたら死ぬと脅されているから別れられない?じゃあ、然るべきところに相談して、別れるように仕向けるべきだ。

付き合っている相手から少なから恩恵を受けているくせに、何故順序をたてずに他の人間のところへ行くのか。

頭がおかしいとしか思えない。

浮気された側は、私のようにもう元の生活に戻れないくらいの心の傷を負うことになるのに。

身体の傷でいえば、重症もいいところだ。鬱病でも発症すれば、重体と言っても過言ではない。

なんで、法律では心の傷に対しては緩いのだろうか。

ヒトの命を奪ったり、身体を傷つけたら罪になる。

でも、ヒトの心を踏みにじったり、傷つけても罪にはならない。

なんでだろう。おかしい。

誰か、納得できるよう説明してほしい。

外付けHDD虐待した

24時間せっせと甲斐甲斐しく俺に奉仕するのが何かムカつくから

ガンガン壁に打ち付けてみた。




ちょっと箱が歪んだ。良心が傷んだ。




意外にもまだ使えている。が、何かデータを読む度に異音が聞こえる。

ああ、コイツいい声で鳴くじゃないか。俺の嗜虐心を刺激しやがる。。。




外付けHDDはまだ使える。でも、もう壊れかけだ。

無垢HDDは、壊れかけが一番美しい。

まらない異音が一層激しくなったときHDD最期断末魔を上げて、

それまでの記憶を一切を失くして、単なる金属の箱になる。



俺はそのとき夢想し、かすかに微笑むのであった。

2016-06-24

12か月間、自宅の前で同じポーズ写真を撮り続けた老夫婦の記録」

かゆい うま」とか某「ゲーム日記」(すぐ持ち直したようだが)を連想

次第に壊れていくという描写インパクトある

エターナルダークネスというゲームには章ごとに異なる主人公存在するが、敵の呪いにかかった主人公ゲームを進めるほどに肉体がゾンビ化していくエピソードが一番記憶に残っている

EUじゃなくてYJの話 ※ヤングジャンプでは無い

SMAP騒動名前が知れ渡ったので注釈なしに書く。



2003年 NEWSデビュー山下智久を中心とした人数変動制という仕組みをとってたため少し実験的でもあったが、とりあえずデビューした。ちなみにプロデューサーメリー。(サブ・ジュリー)。12月ONE OK ROCKボーカルが素行不良すっぱ抜かれて脱退。

2004年 関ジャニ∞デビュー既存Jr.ユニットからデビューだった。関西限定デビューなど、これも実験的。初期はお試しグループ(駄目だったらこっそり解散)として存在していたはず。ちなみに当時のプロデューサージャニー(基本ジャニージュニア担当である)。NEWS選抜錦戸、内が先に行ってしまったため、遅れをとらないようにという配慮だったかもしれない。

2006年KAT-TUNデビュー既存Jr.ユニットからデビュー。既に人気があったが2005年に内のフジアナウンサーとの事件があり、全員二十歳になるまでデビューできなくなったものだと思われる。ちなみに当時のプロデューサージュリージャニーが作ったと記憶結構関わってんのかなって感じ。確か辞めちゃった飯島じゃ無い敏腕マネ居たよね)



2006年3月KAT-TUNデビューを控えていたところ、1月NEWS草野未成年飲酒暴行疑惑がかかって脱退。

内の処分正式に決まってないのでNEWS関ジャニ∞が宙ぶらりん状態。ただ今はノってるKAT-TUN売りたい。売るためにはFCとかも作らないといけないけど、先に2つデビューしてるグループFCを作らないと変。錦戸NEWS関ジャニ∞の掛け持ち問題もある。

って感じで出来たのが06年4月発足の「YOU&J」という3グループ合同ファンクラブ。これが通称YJ

このファンクラブ会報がまとめて1冊。1グループ分の会費で3つのライブに応募できる仕組み(コンサートは会員にならないとそうそチケット当たりません)。

から錦戸亮ファンになればNEWS関ジャニ∞どっちにもいけばよかったし、KAT-TUNライブ関ジャニ∞ファンが居たりした。

(ただまぁ2006年いっぱいNEWS活動休止処分を受けていたので、実際初期は2グループ合同FCって感じ)

交流があったので当時のファンたちは、お互いの曲とか構成キャラについて詳しかったりする。



このグループ同士にライバル意識が芽生えるのは当然のことで(錦戸は板挟みであるし、仕事は通常の2倍だった)比べられることで、結構良い効果を生んでいた気がする。3グループメンバーが同じ舞台に立っていたこともあった。

ただそれがファンを困らせることになる。

成長していく3つのグループが売れて、Jr.から他のグループも見ていたファンたちばかりではなく、「このグループけが大好き!」って人が増え始めた。(なんか赤西デビューすぐ留学した)。

じゃあ何が起こるかというと、チケットがとれなくなってくる。(赤西も帰ってきた。)

自分の行きたかったライブに、違うファンが入ってる。

グループごとに人気の格差も出てくる。ファン同士もギスギスする。

いつまでたっても会報が年に数回、他のデビューした先輩と同じ厚さで(もしくはそれより薄い)1冊しかこない。

会報の間、大きなライブが重なって、1つのグループがなにもしてなかったとしたら、2グループしか載ってない会報がくる。



もういい加減に全くチケットがとれない公演が連発しだした2010年赤西仁がついに脱退。つまり彼がYJにおけるイギリスのようなものである

ただ直ぐにYJから抜けたわけではなく、赤西ソロ活動が始まる。ちなみに内も含めて、それらは全てYOU&Jとして処理された。この時点で<NEWS関ジャニ∞KAT-TUN赤西・内>の合同FCとなっている。辞めて行ったもの情報リアルタイムでそれらのファンに届くし、ライブにも行ける状況である

便利でもあり、複雑な想いだ。(ちなみに赤西は大体海外に居た。)



で、グループ格差がどんどん広がる。(当時頭一つ抜けたグループは察して。)チケットがとれない。ファンの不満も広がる。もうすでにYJメリットなど無い。

それぞれ個人での人気も高まっていた。連ドラに出るものソロで歌を出すもの。その筆頭の(といっても、彼はJr.時代から超人である山下智久グループ脱退の意思を表明したのが2011年10月。そこで錦戸も両立の限界を感じNEWSから脱退の流れになる。(彼の掛け持ちとはなんだったのか、という議論もある。)



いよいよYJ意味が無い。そこで同年12月やっとのこと解散の報告がきて、3つのグループはやっとのことで2012年6月ごろから自分たちファンクラブを作ることができたのだ。(赤西は個人メールサービスとなり、内はJr.扱いとなった)



今でも時々思うのだ、このYOU&Jとはなんだったのだろうと。

お互いを高め合うためには必要だったのかもしれない。

しかし、それは初期のほんの一部の話だ。同時期にデビューということでピリピリムードはあったし、十分にお互いをライバル視するという状況は整っていた。YJが無くても、彼らは努力していたと思うのだ。何故かってそれは数百人の候補ジュニアから選ばれし者だからだ。FC会員はお金さえ払えば他のグループとの掛け持ちは可能だし、コラボさえしてれば、お互いのファン交流可能だったはずだ。

もし当初からYJが無ければ、会報ファン自分たち気持ちを率直に伝えられたのではないだろうか。

オフショット満載とかで、素をさらけだせたのではないだろうか。

もっとはやく自分たちファンしか居ない場所で、自分たちの本当の気持ち吐露できたのではないだろうか。



そんなことを何故かEUの情勢を見ながら思っている。

YJも、EUも、いずれ、崩壊しなければならないものだったのだろう…。



YJ遺族と呼ばないで…!

写真談義に完全に乗り遅れたけど聞いて!

出張から帰ってきたらカメラ談義で手斧飛び交いまくってたことを知ってとても悔しい気分だよ!

僕も手斧で殴りあいたかった!

もう全然旬が過ぎた話題だけど、増田書くよ!



被写体への愛とか、アマチュア一眼レフ捨てろとか、手っ取り早く撮影できるコツを教えろとか、ひとまずみんな正しいよね。

だけど、写真を撮る上で本当に本当に根幹にある部分について誰もまだ言及してないことがあるよ。

それはね、写真に映る世界は撮り手が見てる世界しかないってことだよ。



だってカメラ透明人間ではないから、その空間には必ず撮り手がいるはずなんだ。

から写真には必ず撮影者と被写体関係性が映るはずなんだよね。

その関係性っていうのが、人が写真を通してみたいものの一つでもあるんだ。

例えば被写体とのダイレクト関係性を写す写真かといえば梅佳代ちゃんだよね。

あん写真コミュ症の僕には逆立ちしたって撮れないよ。

そもそも逆立ちできないし、でももしかしたらそんな惨めな姿を眼の前にしている人との意外な関係性が写せるかもしれないね



被写体との関係性を高い次元成功させているのはアンリカルティエブレッソンだよね。

彼は決定的瞬間を発明した人間として有名だけど、それよりもすごいのは膨大な数のストリートスナップだと僕は思っているよ。

どうしてそんな瞬間に居合わせたんだろうっていう写真もあれば、写ってる人に見つかったら大変なことになりそうなドキドキを感じる写真もあるよね。



被写体に愛があることは大事だけど、被写体に愛がないというのも関係性なんだ。

それをどちらが好ましいかは個人のセンスしかないよ。

商用であることを前提にしないなら、そんなことを気にする必要なんてないんだ。

それよりも何よりも愚かなことは、自らの関係性に目を背けて他人関係性を真似しようとしかしないことだ。

当然関係性というのは人に対してだけじゃなくてものに対しても生まれるよ。

被写体に対してどういう想いがあったかによって見え方だって変わってくるし、感じたままを写そうとすれば撮り方だって変わってくるよね。

そんな他人でも作れる写真いくら量産したって、自分にとって何の意味も持たない。

これだけは断言してもいいよ。



次に機材の話。

関係性の表現に大切なのは、機材の表現力だ。

だって自分の目から見える世界カメラに写る写真とは同じはずがないからね。

から自分の見た世界にどれだけ近づけることができるかを考えて、機材を選ぶんだ。

高ければいい写真が撮れるなら、みんな高い機材使うよね。

違うよね。

君が機材との相性が合わなかったり合ったりを感じるのは、君が見てる世界との違和感を感じているからだよ。

からアマチュアだって一眼レフを使ってもいいし、使わなくてもいい。

どちらでもいいけど、自分が追い求めるべきは、自分の見てる世界表現だと割りきったほうが、余計な機材を買わなくて済むよね。



最後に手っ取り早くいい写真を取るコツ。

それはね、自分自分以外の関係性に恐れず一歩踏み込むことだよ。

ただ周辺が写ってる俯瞰写真だっていいじゃないか

もしそれが自分と周囲との関係性を表現してたなら、それをつまらないと言われたら腹が立つのは当然のことだよ。

だって、人の中に交わるより遠くから冷静に眺めてる事のほうが好きだ。

からレンズ24~50mmの画角帯をよく使ってるよ。

もしその奥さんが自分と周囲との関係性を汲みとって写真に撮ってと言ってたとしたなら、そしたら話は早いよね。

彼女視点から何が見えればを考えればいいんだ。

僕は奥さんのことを知らないからなんとも言えないけど、例えば僕が奥さんと一緒にいる時は、奥さんと子供が楽しそうにしている雰囲気を奥さん目線で撮ったり子供目線で撮ったりするよ。

この人に限って言えば、デジカメじゃなくてチェキを使って撮ったら面白いかなって思った。

暗い部屋の中ならフラッシュが届く距離も限られてくるし、すぐに写真を渡せるから相手リアクションを楽しみながらコツをつかめるんじゃないかな?



最後に、もし写真を楽しみたいならハイスペック防犯カメラになるのだけは止めよう。

そこにいるのはカメラじゃなくてあなた自身だよね。

その風景あなたがいて初めて出来上がった風景なんだから、それをしっかり写真に収めていこうよ!

そうしたら、きっとカメラ役割が記録から記憶に変わっていくと思うんだ!

みんな偉そうなことを言ってる割には、こんな基本的なことも忘れてんじゃない?

xevra先生に限って言えば、自分との関係性が写っていることを知っているか写真を隠し通してる気もするけどね。

だってあんな人を見下げる人と他人との関係性が美しいわけないもの

ノイジーマイノリティも大概だがIQ低いマジョリティ意見の方が圧倒的に達が悪い

どう考えても非効率まりない意見でも感情論で支持されることが多い

そしてそれを否定しようにも多数決で負けるために押しとおってしまう恐怖

責任所在も数が多いだけに分散されて反省も後悔もなく同じことを繰り返す

まだ否決される上に発言者記憶しているノイジーマイノリティの方が健全だと思うわ

大衆の頭の悪さに反吐が出る

今は東京都民の頭の悪さに吐き気が凄まじい

東京だけひょっこりひょうたん島にして北朝鮮に送ってくれ

http://anond.hatelabo.jp/20160623001911

それが陰湿土人ジャップ

友人1→飲み会のたびにヤメロって言っただろうが(←記憶にない…)

増田トイレに行ってるときになww

小さい頃から勉強ばかりしていた

※長いです


漢字の書き取りは宿題で出された量の2倍するように言われていたし、夏休みポスターや作文といった任意課題は全部させられていた。



小3の時、私の書道のあまりの下手さに愕然とした母(書道経験者)は、私に書道を教え始めた。毎月子ども新聞コンクールに出品して、夜中まで泣きながら練習することもあった。



小4に上がった時、母は問題集を4冊ほど買ってきて、これから毎日宿題のあとに問題集をやって、それから遊んでもいいと言った。カンニングをしたら、解答欄が一個ずつずれていたこからバレてかなりボコられた。高校にもなると大分減ったけれども、叩かれて痛かったものを3つ選ぶなら、掃除機制服ベルト、健康スリッパだ。



市内にあったゆるい私学に上がってから大分遊ぶようになって(多少WJ界隈にハマったりとか)、成績が上から3分の1になったことを母は怒った。学費もったいない、と言われた。



近くに住む祖母は、「あなたがよくできたら家のみんなが幸せになるんだから頑張りなさい」とよく言った。



祖父は孫の出来を近所中に自慢していたし、私が何かしら賞をとるなりいい成績をとるなりするとお小遣いをくれた。私はそれを母に預け、母はそれに手をつけることな貯金してくれている。祖父は孫への援助も惜しまず、亡くなったとき口座には4000円ちょっとしか入っていなかった。

 

色々あって成績は持ちなおし、なんとかいいとこの大学に受かったけど、色々思うことはある。



私の問題は、勉強ばかりさせられていたことではないと思う。


小学生時代課題漬けは嫌だったけれども、勉強のものは嫌いじゃなかった。


好きな分野を見つけて、迷いながらも博士課程という人生詰んでるコースまで進んでいる。



母は昔から強制的に何かを与えることが多かったけれども、一方、娘が好きなことを追求することにはとても好意的だった。幸い、私自身、読書以外のことに大した興味はなかったから。



から母子家庭なのに高い学費を何年も負担してくれたし、私の今を素朴に応援してくれている。博士課程がいか人生詰んでたとしても。



娘が小4になったとき本屋に足を運んで問題集を選んだであろう母の気持ち想像したり、受験生の時パートを3つ掛け持ちしていたことを考えたりすると、母のことを責める気にはなれない。年をとって丸くなったし。



問題は、私が勉強以外の分野で、自分評価する基準を何ももってこなかったことだと思う。



みんなは「✕✕は真面目で頑張っているよ」と言うし、それが私の長所だも言うし、先生の反応も悪くないけれど、私は自分の勤勉さを評価されたいんじゃない。



研究をせず遊んでしまう時、頑張れない怠惰自分研究やめるべきじゃないかって考えるし(それは一般的な悩みかもしれないけど。好きなことってどこまで頑張れるんだろう)、私の存在は石くれほどの価値しかないと思う。



私はきっと、自分の他の部分で評価されたいのに、(好きなことであろうがなかろうが)勉強ができるかどうか、勉強を頑張れるかどうかしか自分評価する基準がない。

自己肯定感がないとか普通のよくある悩みなのかもしれないけど、それはおいといて)


なんで、勉強ばかりして小さい頃にいい記憶が何一つないのに、勉強しか評価されない世界にまた進んでしまったんだろうって思う。



勉強をとった私はただのブスで、気の利かない、人とうまく話せない、なんの取り柄もない人間しかない。人に教えることもうまくなく、個別指導でほそぼそと教えるだけで、教育実習はぼろぼろだった。



民間就職できるかもわからないけど、できたとして、仕事のできない人として罵倒される、自分のどんな部分も評価されない日々が待っていると思う。



それでも、研究を嫌いになったことは一度もないけども、もう何にも評価されないでもいいから、

勉強やまじめさで評価されない世界に行きたいって、時々夜中にこうして考える。

2016-06-23

記憶の砦

この芝生に覆われた海を望む丘には、民族制度境界存在しない。それらからはとっくに離陸しているのである。そこには文化すらない。ただ一九四五年の夏、鉄の暴風が吹き荒れ地獄絵図が展開されたその時の光景亜熱帯のあたたかな風の中で凍りつき、記憶モナド還元され刻印されている。

ここに建つ石碑群は海に面していることもあり、砦のようにも見える。記憶忘却されることによって彼らの死はとどめを刺されることになる。それに立ち向かうために砦はあるのだろう。記録がみずから動きだすことはない。記録を動かすことができるのは、動態としての記憶を生成できる、生者でしかない。いつか誰かが、記録に還元されてしまった自分記憶なかに生き返らせてくれることを、彼らはただ、砦のなかで待ちつづけているように見える。

ところで、たんなる名簿にすぎないようなこのアーカイヴにも、文脈はある。それはまず凍結した時間であり、丘へとつづく道路であり、しして二七万六千五百の人命という累積自体である

それだけではない。さらに上位の文脈がある。それは、文字の記録に変わり果てた犠牲者にたいする絶対平等、そして、それ以外のいかなる文脈の関与も許さないという態度である。この文脈提示するもの過去ではなく、むしろ未来であろう。

(記憶のゆくたて pp283-284)

女子中学生が眩しすぎる

通勤の道すがら、いつも同じ時間に反対側に向かって歩いてくる女子中学生がいる。

力強い眼差しで真っ直ぐ前を見て、いつも少し早めの歩調を崩さずに歩く。

僕はもうすっかりおじさんで、彼女くらいの娘がいてもおかしくない年齢だ。

運動には気をつけているので歳の割には若く見られる方だが、彼女からすれば醜い生き物にしか見えないだろう。

彼女中学生であることはその着ている制服でわかる。近くにある公立中学のものからだ。



彼女学校に向かう時はいつも一人だ。

一見不機嫌そうな無表情で、前だけをみて歩いている。

顔立ちは今時のアイドルといった可愛らしさではなく、マニアックシンガーソングライターのような大人びた雰囲気を持っている。

回りくどい言い方をしないのであれば、私が好んでやまなかったfra-foaという解散したロックバンドヴォーカルにそっくりなのだ

ただ顔立ちが似ているというだけではない。

彼女視線や歩調から感じる意志の強さや、それでいて身にまとう儚げな空気感のようなものまでが生き写しといっていいほどだった。

僕が彼女存在意識するようになったのは、そのことに気付いてからだ。

だが相手中学生だ。

間違っても間違いを起こす訳にはいかないし、そんな汚れた目で彼女のことを見ているつもりもない。

から僕は、僕の存在彼女人生の汚点にならないように、彼女とすれ違う時はできるだけ彼女意識していないように、彼女の印象に残らないように振舞っていたつもりだった。



そこは500mくらいの真っ直ぐな一本道で、僕はいつも左側を歩くのだが、彼女ははじめのうち向かって右側を歩いている。

そうしてその道を100mほど進むと、彼女は決まって左側に道路を渡ってくる。

彼女が右側から左側へと毎回渡ってくる理由は、彼女がその道に入るのに右に伸びる側道から入ってくるからで、その道を抜けた先にある学校は左に伸びる側道の先にあるからだ。

ただ、なぜか理由はわからないが、彼女はいつも決まって同じタイミング道路を渡った。

長い一本道でなので、多少出発時間前後しても大体どこかしらですれ違うことになる。

まり、すれ違う場所によって、彼女は右側だったり左側だったりするのだ。

はじめは彼女を少しでもそばで感じたいという気持ちに負けて、彼女が左側を歩いている時にすれ違えるようにとタイミングを見計らったりしたこともあった。

しかしそんなことが続けばいらぬ疑いをもたれかねない。

そのために、むしろ早すぎたり遅すぎたりして彼女とすれ違わない日も作るようにもした。

彼女と同じ左側ですれ違える時は、正直に胸が高鳴ることを感じていた。

そんな自分彼女にとっておぞましい存在であることは自覚しているつもりだった。



そんなことを半年ほど繰り返したある日のこと。

その日、彼女はまだ僕と反対側、道の右側を歩いていた。

いつものように彼女存在を気づかないふりをしようと歩いていたのだが、距離が近づいてくるとふと違和感を覚えた。

彼女の顔がこちらに向けられているような気がしたのだ。

気のせいかもしれない。そう思い込みたいだけかもしれない。相手に見られてる気がするだなんてよくあることだ。

自分にそう言い聞かせようとしてみた。

しかし、あっけなく好奇心に負けた僕は、とうとう彼女のほうに視線を送ってしまった。

するとどうだろう。

いたことに僕の陰鬱で卑屈な視線は、彼女の真っ直ぐな視線真正から衝突を起こしたのだ。

僕はその視線に押されてすぐに顔を背けてしまった。

彼女記憶に、おぞましいものをおぞましいものとして残してしまたかもしれない。

僕は好奇心に負けてしまったことを強く後悔をした。

それでもまだ感じる視線を払いのけるように、僕は前だけを見てひたすら歩き続けた。



次の日、昨日のことは何だったのか考えながら再び僕はまっすぐな道に差し掛かった。

すると、僕はいもの様に真っ直ぐ前を見ながらこちらに向かってくる彼女を見つけた。

その時彼女はまだ道の右側を歩いていた。

そんな彼女の顔に何気なく視線を向けてみると、その視線はまたしても彼女視線真正から衝突することになった。

僕はすぐに視線を逸らした。

まだ近いとは言えない距離にも関わらず、彼女視線は間違いなく僕に向けられていたのだ。

理由もわからず僕は真っ直ぐ前を見て歩き続けた。

もうすぐで彼女左側に渡ってくるポイント差し掛かった時のことだ。

僕は視線を動かさないようにしているつもりだったが、今度は彼女の方から僕の視線に入ってきたのだ。

そうして今度は明らかに、はっきりと彼女が僕を見ていることが分かった。

僕はできるだけ動揺をさとられないように、あたかも別のものに興味を示したかのようにして視線を泳がせるのが精一杯だった。



一体どういうことだろう。

誰かと勘違いしているのだろうか。

いくら冷静に理由を考えようとしても、彼女の真っ直ぐな視線に矢のように射抜かれてしまった心臓は落ち着きを取り戻せないままでいた。

その時、遠い昔に忘れていたような感覚が、どす黒く薄汚れた内臓をかき分けてこみ上げてくることが分かった。

自らのおぞましさを恐れずに言うなら、これは恋だ。

その言葉が僕の口から発せられることが、どれだけ気持ち悪いことなのかは承知しているつもりだ。

しかし他に説明のしようがないのだ。

まぎれもなく目覚めてしまったのだ。僕の奥底で息絶えたはずの甘酸っぱくも苦々しい感情が。

とうの昔に、薄汚れた性欲によって噛み殺されたはずの純粋気持ちがまだ僕の中に生きていたのだ。



それからというもの、すれ違う度に彼女視線を強く感じた。

勘違いだと思い込ませようとしながらも、好奇心に負けて彼女視線を向ける度に、真っ直ぐな眼差しが僕を射抜いた。

彼女は何を思って僕のことを見ているのだろうか。

動物園動物を見ているような感覚なのか、それとも万人に対し同じように興味を持ち合わせているのだろうか。

どちらにしても僕のようなこんな醜い生き物にしてみれば、彼女存在視線もあまりに眩しすぎるのは確かだ。

僕はとうとう堪え切れず、出発時間を大幅に早めることで彼女とはもうすれ違わないことを選択した。



誓って言えることは、彼女に対して性的な興味は一切持ち合わせていないということだ。

自分でも不思議と、いやらしい目で見ようと言う思いすら浮かばないのだ。

もし彼女と何がしたいのかと聞かれれば、僕はただ一緒の時間を楽しみたいと迷わずに答えるだろう。

夕暮れの土手に座って、ただ何もせず色を変えていく空をみあげているだけでいい。

二人の間を同じ風が通り過ぎていく切なさを噛みしめたいだけなのだ

ただ、もし贅沢を言えるなら、せめて手だけはつなぎたい。

彼女の体温、皮膚、骨の感触を確かめてみたいのだ。

それ以上のことは一切望まないし、望もうとも思わない。

目の前にある美しさに、ただひれ伏して打ちのめされたいだけなのだ



どうしてこんなにも醜くおぞましい生物に成り下がった僕から、こんなにも純粋で苦しい想いを成長は消し去ってくれなかったのだろうか。

彼女が近づくことも遠ざかることも、今の僕にとっては苦しみでしかないのだ。

色々なことに慣れ、無感動で欲望だけに突き動かされている獣と化している今の僕には、あまりにも耐え難い苦痛だ。

ただ、一つ理解して欲しいことはこれは僕の欠陥ではないということだ。

人間がもともと持っている欠陥に、僕は振り回されているだけなのだから

会わない日が続けば、いつか必ずこの苦しみからは開放されるはずだ。

そう信じていた。



今朝、僕は大幅に寝坊をした。

からは大粒の雨がアスファルトを叩く音が響いていた。

すれ違わないという決断をしてからもう数ヶ月は経っただろう。

彼女は進級したはずだし、もしかしたら中学卒業してしまたかもしれない。

もしそうならば、僕はまた以前と同じ時間に出勤ができるし、彼女視線から身を隠す生活を続ける必要ももうなくなるのだ。

それを確かめるべく、僕はあの頃と同じ時間に家を出た。

そうしていつものように長い一本道に差し掛かると、僕の視線には道路の右側を歩いている見間違いようのない彼女が真っ先に飛び込んできた。

期待していなかったといえば嘘になる。

喜びと焦りが同時にこみ上げては僕の呼吸から自由を奪った。

遠くから少しずつ近づいてくる彼女を、視線の芯に捉えないように、それでいて視線からさないように注意深く追い続ける。

そうして彼女は、いつもの様に左側へと渡ってきた。



視線をさとられないように、それでいて不自然にならぬよう、僕は傘を前に傾けると少し顔を隠した。

歩調にあわせては時折上下する傘によって、お互いの顔は見え隠れを繰り返した。

前よりも少しほっそりと、色白になったように見えた気がした。

それによって、彼女が持つ儚げな雰囲気はより美しさを増したかのようだった。

それ以上覗きこみたくなる好奇心を理性で必死に抑えた。

これまでもう会わないという決断を守り続けてきたではないか

そのまま、あと少し耐えれば今日までの努力は報われるのだ。

しかし、そうしてすれ違おうという時だった。

突然牙を剥いた抑えていたはずの好奇心によって、僕の決意は湿気たクッキーよりも容易く噛み砕かれてしまった。

僕は傘を上げると、堪えきれずに彼女視線を送り、今の姿を焼き付けようとした。

そして、それを待っていたかのように彼女の顔を隠している傘がふわりと跳ね上がった。

気付いた時にはすでに、透き通るような輝きの瞳から迷いなく向けられた真っ直ぐで力強い眼差しによって、しかもこれほどまでに間近かな距離から今だかつてないほどの強烈さで 、僕は脳天を射抜かれていたのだ。



一瞬の出来事だった。

彼女は何事もなかったかのように、いつも通り学校への道を急ぐ。

歩きながらも、僕の目から理由もわからず涙がこぼれた。

すでに遠く後ろを歩いている彼女には知られることはない。

僕は、何か言いようのないもの支配されていく恐怖と喜びとが、同時に全身を蝕んでいくのに身を委ねることしかできなかった。

http://anond.hatelabo.jp/20160623003227

ないよ。なかった。だからショック大きい。

食事の仕方で怒られた記憶全然ない。

友人1は注意してくれたらしいけど全く覚えていない。ただただ恥ずかしいorz

33歳にして初めてクチャラーだと指摘された

しか本社のお偉いさんの目の前で。上司に。会食の場で。

そんな馬鹿なと思って周囲に聞いたら、

同僚1→うん、ちょっと音するよね…

同僚2→顎の病気だと思ってた

同僚3→お前ミッキーマウスみたいな食べ方するよね(?)

親→何言ってんの昔からでしょ

弟→はァ!?自覚なかったの!?

友人1→飲み会のたびにヤメロって言っただろうが(←記憶にない…)

友人2→逆に聞くけど何でクチャラーじゃないと思ってたの?分かるでしょ普通

 

いやいやいや、分からねえよ!そりゃ食べてる最中クチャクチャって音は聞こえるけど、それが外に出てるなんて微塵も思ってなかったよ!

ふつう2chとかでクチャラーのこと叩いてたよ…この33年間ずっとクチャクチャ言ってたのかと思うと恥ずかしくて死にたい

私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。

全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。

一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。

しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコが食べれなかった。

これは、私と、ちょっと変わったお母さんのお話です。

お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーフードコートでのアイスクリーム売りが彼女お仕事だった。

私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎三毛猫ホームズくらいなら読めるようになっていた。

絵を描くのも大好きで、おじさんが買ってたマガジン漫画の真似っこをよくしていた。おばあちゃんが鉛筆工事で働いていて、絵を描くのを好きな私に色鉛筆を買ってくれた。毎日毎日飽きもせず、へたくそな絵と漫画を描いていた。

お母さんは、夜も家にいなかった。たまに知らないおじさんを連れて、家に帰ってきた。そのおじさんは私と妹にとても優しくて、おじちゃんおじちゃんと慕っていた。おじちゃんに絵を見せたら、俺のことも描いてくれと言うので描いてあげた。

そういえば、お父さんはどうしてうちにはいないのか、ふと考えることもあった。でもなぜか、聞いちゃいけない気がして私はずっと黙っていた。お母さんを怒らせると怖いから。おじちゃんが優しいし、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの弟のおじさんも優しい。だから別にお父さんがいなくても大丈夫だった。ここまでは本当にそうだった。

ある時急におじちゃんが言った。おじちゃんはおじちゃんじゃなくなるよ、増田のパパになるんだよ、と。私は、パパはおじちゃんじゃないよ?と言った。即座にお母さんに叩かれた。妹は言われた通りにすぐパパと呼んでいて、私はそれが今でも悔しかったのを覚えている。パパはおじちゃんじゃないのに、どうしてパパと呼ばなくてはいけないのか、私には理解できなかったのだ。

でも、叩かれたときに悪いことをしたのだと思った。パパと呼ばれなかったおじちゃんは悲しそうな顔をしていた。私は悪人だ、としくしく泣いたけど、誰も慰めてくれなかった。

そして、結婚式。否応がなしに見せ付けられたセレモニーと、いつの間にかお花渡し要因にされた。親の結婚式を見た、ということがおかしいと気付くのはもう少し後なのだけど、どうやら私はこの日を境にパパではない人をパパだと受け入れないといけないことに気づいて、また泣いた。母親には、縁起のいい日に泣かないでと言われた。また私は悪いことをしてしまった。

新居には、優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいた。お母さんはパートを続けるからと、私は早速お手伝い要員になった。大方の料理はここで仕込まれ、夕飯の準備はなんでもできるようになった。お母さんは気が向くとパフェを作ってくれて、それが私の密やかな幸せだった。

このころから、「パパ」のスキンシップが激しくなってきた。起こしにいくと、一緒に寝ようと言われ、おとなしくしてると身体を弄られはぁはぁいっている。怖くてお母さんに相談したけれど、子供相手に変な気起こすわけないでしょ、大袈裟だと言われた。本当のことなのに誰も信じてくれないから、起こすのを拒否したら、反抗的子供で可愛くないと言い捨てられた。また私は悪いことをしてしまったのだ。

私が今でも母親を許せない出来事その1が、小学校2年生の宿題。どこにでもよくある「名前の由来」を聞いてこいと言うものだった。

ゲームをしている母親に、私の名前はなんで○●なの?と聞いた。すると、ため息を一つついた後、母親はこう言った。

「そもそも、お前のことは最初堕ろすつもりだったんだよね。」

そこから始まった彼女告白は、どうやら私は誰の子かもわからないらしいこと、当時付き合っていた彼氏はいたけど、他の男性とも関係を持っていたらしいこと、実際5ヵ月目くらいに流産してラッキー!と思ったものの、私は流れず残ったこと、当時の彼氏結婚するからこんなに頑張って残った子は産んでくれと懇願したこと、しぶしぶ了承するも、私を産むときに生死の境をさ迷ったらしいこと、二番目の妹はお腹の中でもおとなしく、安産だったらしいこと、どうやら私をめぐる喧嘩が原因で離婚したらしいこと、ここまでを一気に話した上で、だから私はあなたの由来は詳しく知らないよ、相手が考えてくれたんだもん。と言われた。

そっかぁ、と言って部屋を出た後、私はわりと冷静で、だからうちにはパパがいなかったのか、離婚たから。とか、私は望まれて生まれたわけじゃないから当たりが今まできつかったのか、と納得するしかなかった。作文は、私の名前漢字私自身で調べて、それらしい理由を描いた。そして私は、あまり家で遊ばなくなった 友達の家か、学校に残ってずっと漫画を描いていた。絵も話も、同年代の子供たち以上に上手にかけたから、私の漫画は知らない上級生にまで広がり、続きが読みたい!とせがまれる程だった。おじいちゃんの教育のおかげか、学校勉強も聞いてるだけで問題なく解けたから、学校は楽しかった。

そのころ、母が妊娠し、男の子を産んだ。その途端、おばあちゃんは私のことはどうでもよくなったみたいで、毎日弟にべったりになった。お母さんは私に弟のオムツ飲み物を作ることを要求してた。よく寝てた記憶だ。学校テストで100点をとっても、小学校で躓いてたら話にならんと誰にも誉めてもらえなかった。お父さんは相変わらず隙があれば触ってくる。私は気持ち悪かった。

私は中学生になるとき母親に念押しされたことがある。頼むから大きくなってくれるなと。制服代は馬鹿にならない。そして制服を使い回せる某進学校に行ってくれと。私は、家が貧乏なら仕方ないかな、と思った。部活ユニフォーム以外お金のかからない陸上部に入った。その間、家には大型テレビが入り、衛星放送が入り、大きなダブルベッドが母親のために注文されていたが、見てみぬフリをしていた。

母親との嫌な思い出その2。学校喫煙の害についてのシンポジウムが開かれ、おうちの人に喫煙者がいたら、ぜひ止めるように言ってくださいと言われた。私の母は喫煙者だったので、学校で見てきたことを話した。結論、キレられた。なんで私の稼いだ給料で買ったものをお前に余計な口出しをされるんだ、そもそもお前が産まれなかったらこんな田舎暮らしてることもないんだからなと。多分世間の狭い田舎での生活に、心身ともに参っていたのだと思うけど、傷ついた。もうそれ以来喫煙についてはふれないでおこうと思った。

このころ辺りから母親お菓子報酬に、子供マッサージを毎晩要求するようになった。私は高校にあがるまでその要求を呑んでいた。(何せ、親の部屋はアニメチャンネルが見れたから)そのおかげで私はマッサージ技術が拡大に上がった。母親は2時間くらい全身のマッサージをさせた後、100円のポテトチップをくれた。だがこれも、最初マッサージの対価=お菓子だったのが、お菓子が欲しかったらマッサージしろというものに変わっていき、私はさすがについていけなくなった。

高校は母の望んだ進学校に進んだ。ここで私は同人を始め、世界が変わるような体験をする。自分の描いた絵は誉められ、漫画も値段をつけたのが売れた。私は家に寄りつかなくなった。帰る時間も極力遅くし、可能なら母親実家に泊まった。家に帰ると私はイチからごはんを作らなければならなくなったが、母親実家料理を用意してくれ、お小遣いもくれた。(実家一円もくれてなかったので親にも学校にも内緒バイトもしていた。)学校の成績も上々で、でも頼むから就職してくれと言われていた。進学校なのに。そのころ妹はお金のかかる部活に入れてもらい、練習道具も全部揃えてもらっていた。弟は頭の出来が悪いから、私が家庭教師変わりだった。もちろん、無休。

このころから休日の昼食は私任せになり、母親夜ご飯ほとんど作らなくなった。妹や弟は料理ができないので、私が全部作った。

私は就職なんてしようと思ってなかった。何が何でもこんな家は出てってやると思っていた。そんな時、母親病気になった。ガンだ。

私はそれでも構わず家を出て、自分の夢のためにとにかく稼いだ。悔しかった。ノート一冊買うのですら渋られたのが悔しくて、ずっとずっと収入がある仕事と、自己実現のできる世界で生きた。途中途中で連絡はあっても、すべて無視した。

ただ、母親死ぬ1ヶ月前だけは毎日のように病院に通った。妹に頼まれたかである。妹は、献身的母親看護をし、ずっと実家暮らしで働いてないのに、よっぽど私より評価は高かった。

はいつかみたいに2時間マッサージをした。どうやら、母親は私のマッサージお気に入りだったようで、弟や妹じゃぜんぜんダメから私を呼んだようなことをかすかすの声で言っていた。たぶん、初めて私があの人に求められた瞬間だったのかもしれない、今思うと。

ほどなくして、母親は亡くなった。まだ40代、かわいそうだと思った。私がいなければ、この人の人生は輝かしいものだったはずで、こんな病気にもならずに済んだかもしれない。そんな思いで死に化粧と、お父さんと子供たちのスピーチを全部用意した。何故って、お父さんが、お前くらいしかそんなことできる子いないんだよ、って言うから

ふと思う。私はここまでされて、なぜ母親が嫌いじゃないんだろう。

しろ大好きで、出来ればもっと長生きしてほしかった。

人に言うと、よくぐれなかったね?と言われるけれど、ぐれたところで何も変わるわけなかった。だって、興味を持ってくれなかったんだもん。私という人間に。

私は生き方がまともじゃないとよく言われます

自分性格関係してると思うけど、じゃあここまで話して、私の人生あなた人生取り替えっこしてみようか?と言って首を縦に振った人間は一人もいません。

それが全てです。

でも、母親の作ったパフェの味だけは、今でも鮮明に思い出します。甘くて、幸せな味でした。

2016-06-22

自分は大爆笑なのにブクマが一つもつかないのは本当に不思議



feita 自分の書いた文章爆笑どころか笑った記憶がない。

自分にすら受けないものを世に出して恥ずかしくないのか

私が今まで受けてきたものライト虐待だったのだろうか。

アラサー世代女性で、小さい頃から父親から叱られる=父親から叩かれたり、頬をつねられたり、つまりは痛い目にあうことがデフォルトだった、という方はどれくらいいるのだろう。

叱られるのにはきちんと理由があって、自分でも「ああ、これが悪くて叱られているのだな」と思えるのだけれど、とにかく痛いし怖い。そして「お前はこういうことして叩かれているのだ、わかるなバカ者!」というような言葉サービスで付いてくる。すぐに思い出せる幼少期の記憶だと、リビングに貼られた九九表の前に私が立ち、泣きながら8の段を言っていて、間違えるたびに大声で「違う!!!!」と怒鳴られ、叩かれる情景が浮かぶ。思い出していて気付いたけれど、昔の父親記憶で怒られたこと以外の記憶ほとんどない。お風呂冗談で突き落とされて泣いたことを急に思い出したけどそれは今回あまり関係ないのでこれ以上思い出すのはやめようと思う。

私が叱られる原因の8割から9割は勉強のことだった。父親勉強至上主義で、「この世の中で勉強が1番楽しい」が信条だった。そしてそれを娘の私に身をもって体験させてくれた。お陰で私は幼少から東京に住み、一人っ子長女としてすくすく育ち、訳も分からないまま中学受験の為の塾に通い、やっとのことで第2志望の私立合格(補欠)、進学校を謳っている学校大学受験に向けてまた勉強、やっとのことで大学合格(滑り止め)した。

特に父親語学に厳しく、中学に進学してから私に徹底して英語を教え込んだ。

その頃は彼が単身赴任だったため、私としても気が楽だったが、中1最初英語の小テストが悪かった私に電話越しで大激怒。以来ほぼ週末ごとに帰ってきては何時間も何時間も私「と」勉強、私も夏休み連休の時には彼の元へ赴き、何もない暖かな田舎街でいつ飛んでくるか分からない鉄拳リモコンに怯えながら英語勉強をしていた。

叱られて叩かれるのが嫌なら自分勉強をして成績をあげれば何も言われないのでは、と思う方がたくさんいると思う。私もきっと昔はそう思っていた。自分なりに勉強したつもりで彼に備えていた。でも、私の一生懸命と彼の一生懸命が違えばまたそれで叱られることになるのだ。父親の彼が正しいと思う「ものさし」は鉄のように硬くて、私のような非力な子どもには曲げることができなかった。

そうなると、どうせ何やっても叱られるんだから何もしないでその場限りで痛い目にあってしのごう、という考えにシフトしていく。そうすると、どんどん「叱られている」という感覚が鈍くなっていく。「またいつものやつだから耐えよう」というある種のルーティンだった。反抗するなんて考えたことも無かった。それは「おとなしくしていればいつか終わるし、反抗なんかしたら絶対殺される」と思っていたからだ。寝ている間に殺されたらどうしようと眠れない夜を過ごした時もあった。反抗はしなかったけれど、殺られる前に殺ろう、とは思った。けれど、犯行がばれて自分人生を棒に振るのがもったいなくて実行はできなかった。母に迷惑もかかる。

そういえば母は私をこっそり助けてくれたけど叩かれている私をかばうことはしなかった。母も父親には逆らうことができなかったからだ。私も母が痛い思いをするのは嫌だったので何で助けてくれないんだろうという気持ちよりは母にとばっちりがいくことの方が心配だった。

いろいろ思い出しながら書いていたので長くなってしまったけれど、結局私はやっと終わると思っていた父親との勉強暴力コンビが終わらなかったことに耐えかねて(大学の授業には必修で語学がある為)、初めて反抗期を迎え、やる気を失い、いろいろあって今現在アラサーニートである

ここまで娘がおかしくなってしまったので(父親プランでは娘の私は大学を4年で卒業し、そこそこ名前の知られた企業就職して、今頃は結婚して子どもがいる予定だった為)最近では暴力を振るったことに対する謝罪も聞くことができるようになったが、あくまでも彼の暴力教育の一環、延長であり、虐待とは違う、という思いであるらしい。あと、教育以外のことにはほとんど口出ししてこなかったではないか、とも。確かに交友関係などには口出しされた覚えはないけれど、でもマンガ捨てろとか、スカートが短すぎるとか、化粧濃いとか髪の毛染めるなとか、言われてたぞ。勉強関係ないことをやりすぎとか、思い出してみると結構言われている。


周りに私のような体験をした人がいないので、とても気になって今回色々と書いてみた。こうやって育てられたけれどもきちんと優秀な成績を修めて大学卒業して就職して今幸せ、という人にはどうやって親を克服したのかぜひ教えて欲しい。

それから条件付きとは言え子どもに手を上げてしまうような教育をしている方は即刻やめてほしい。状況とか回数とかそういう問題ではないから。少なくとも私にはそうだった。頭を殴られた痛みはしばらく続くし、またそういうことをされると思うと萎縮してしまう。放たれた暴言はわんわんと脳みそに響きわたり、ふとした瞬間に思い出されて苦しい。多分教育効果もない。上にも書いたけれど、自分行為反省するきっかけにはならなくて、暴力暴言に耐える修行みたいになってくる。

あとお子さんが私のように大人になってから爆発すると、親子関係がとてもギスギスする。お互いの距離感が掴めなくなるからだ。距離は縮まることはほぼないと思う。

タイトルには、虐待だったのだろうか?というタイトルをつけたけれど、これが虐待だろうがそうでなかろうが、今となってはどうでもいい。痛みに耐えるだけの思春期はもう遥か昔のことになってしまって、取り戻せない。ただ自分が考えているより今までがしんどかったので今回文章にまとめてみた。お前よりもっとしんどくて苦しい人はいると言われたって私の辛さは私だけのものだと思っている。長くなってすみません