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2024-03-19

朝ご飯はひとりで食べたい

日曜の朝、珍しく私よりも早くに起きていた恋人ソーセージスクランブルエッグフライパンで焼いてつくってくれた。

普段朝ご飯を食べない彼と朝から食卓を囲むのはとても稀少だ。

 

せっかくなので、私は冷蔵庫に余っていたアスパラガスを焼き、ついでに食パントースターでチンした。

卵の黄色ソーセージ茶色ケチャップの赤、アスパラの緑、パンの白……非常に代表的理想的朝ご飯ができたではないか

「準備してくれてありがとうね、いただきます」そう言い合って食べたブレックファーストは、非常においしかった。

 

たまにはこういうのもいいね。そう思いつつも、心のどこかで「かー!朝ご飯はやっぱ一人で食いてえな」とも思っていた。

平日の彼は出勤が早いので、私が朝ご飯を食べる頃にはもう家にいない。

私は彼を見送った後、野菜キノコを刻んでドレッシング手作りしてサラダっぽくして食べる。

そして「はい栄養補給終わり、あとはフリータイム」とコーヒー菓子パンなどの甘味ゴリゴリ食べる。これが私のモーニングルーティンだ。

食べながら24時間チャージ系のアプリ漫画スマホでダラダラと見て、ボリボお菓子を食べて、のんびり洗いモノをしてテレワーク開始。

これが平日の私。誰もいないので食べ方も何にも気にしない。お母さんに小さい頃「これ」と言われるような食べ方だってちゃう

彼のいない朝は私にとって、非常に下品でだらしなくて、最高に自由な一人時なのだ

 

別に彼がいて同じことをしても、例えば朝からお菓子ダラダラ食べてても、まあ彼なら許容してくれるだろう。

 

でも、なんかやっぱり、「ひとりでダラーーーっと品なく過ごす」と「彼といるときに人に見せられないような状態でダラダラする」というのはちょっと違うと思う。

一人暮らしをしていたときと同じように、誰の目も気にせず、親の「これ」もなく、過ごせる平日の朝ご飯時間が、私は好きなのだ

 

でも、一人暮らしに戻りたいとも別に思わない。誰かといる時間も、誰ともいない時間も、どっちも楽しめる今の生活は非常に気に入っている。

ただ、素敵な朝ご飯ふたりで食べながら、「カー!スマホアプリ見て下品にくいてー!」ともちょっと思ってしまったなって話。

 

変なの。夜ご飯を彼と食べられない日は「彼と食べたいな」と思うのに。変なの。

明日晩ご飯空豆ご飯の予定だ。彼が「おいしい」と言って食べる顔を見るのが楽しみだ。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-18

ウクライナではお国のために戦って障害を負った傷痍軍人毎日新たに生まれている

口先だけでしか愛国を語らず日本のんびりヘイトマシンやってる奴が障害者叩きにまで乗り出すのか

2024-03-16

ひねくれもの さくらあいにきた

公園さくら

ひねくれものがお前に会いにきたぞ

しばらくみないうちに

お前は伸ばした手に

落ちるまぎわの水みたいなつぼみをつけた

たくさんつけたな

さくら

お前はえらい

人々がお前の化粧を「もういいや」と見捨てた

ころから

いっぱい息をして

いっぱい光をすって

いっぱい水をのん

こうやってつぼみをたくさんつけた

さくら

お前は誰も殺さなかった

恨むこともしなかった

手を乱暴に触られても

手を人から切られても

黙ってお前は春を待ちつづけた

さくら

俺はお前がうらやましい

俺は生き方がへただ

知らぬ間に誰かをきずつけてしまっている

自分すらもきずつけてしまっている

呼吸すらこんなに一生懸命にならなければ

音を立てなければすることができない

さくら

ひねくれものの俺なんか嫌いだろう

だけど俺はお前のことがすきだ

好きだからこうやって春を前に

お前が化粧の準備をするのを

見にきてしまっている

さくら

お前はすてきだ

つぼみかわいい

生きるために立派になった根っこも

ここで空を眺めている姿もだ





さくら

よろこべもうすぐ春がくるぞ

そして人々がお前の化粧をわすれたころに

嫌になるぐらいあついあつい

夏がくるぞ

おひさまひかりとすきなだけ

触れ合うとき

ぼくはまた生きてお前と会おうじゃないか

それまでしばらくさよなら

2024-03-15

乳酸菌普段ビオフェルミン飲んでるけど

花粉症の時期はなんとなくビオスリー飲む

一度、ビオスリー飲んで花粉症症状が落ち着いたことがあって、もしかしてビオスリーがきいたのか?と思っちゃったんだよな

その後にビオスリのん普通にくしゃみ鼻水出てたから、単に気候花粉の少ない時期と錠剤飲んだタイミングたまたま合ったというだけだったんだろうけど

特効薬のように効いたと感じた印象が焼きついて、頭で理解してても気分でビオスリーを飲んでしま

2024-03-14

何日か前にツイッターで見た話題

旦那が大便が付いた下着を、そのまま洗濯機に入れた。それに気づかず洗濯機を回してしまった。離婚原因にできるか』みたいなやつ。

ああ、やっぱりそうなんだ、と思った。

男って結構うんこ漏らすよね。結構な歳いってる人でも。サンプルが少ないか主語デカなのかもしれないけど。

私が働いている職場にいる男性(50代、独身)もうんこ漏らす。

もうひとり同じように独身で50代男性もいて、こっちもうんこ漏らす。漏らすっていうか、トイレにうまく出来ないのかうんこ便器からはみだしてる。

職場トイレ和式なのも一因なのかもしれないけど、

自分肛門位置うんこが落ちるポジション?が把握できていないのか、便器の後ろ側(背後?)に落ちてしまうみたいで時々落ちてる。

てかさ、落ちたなら自分で片付ければよくない?自分うんこくらい。なのに、そのままにして出てくる。あとからトイレ入ったらうんこヤバイし、そもそもうんこがある。おかしくない?普通自分うんこ他人に見られるのとか恥ずかしいと思わない??

なのに、そんなのが月に一、二度ある。

んで、トイレ掃除するのは職場で一番年下の、女である私。それが周知の事実なのに、自分うんこを片付けない。

???意味わからん

私はこんなのを何度か経験してるので、職場トイレには極力入らないようにしているのだけど、掃除はしなきゃいけないから何度かうんこを片付けている。絞め殺したくなる。トイレれいに使って下さいねー、とやんわり言うんだけど分からないらしい。うんこはみ出てんのわかってないのか?いや、もうトイレ臭いんだからどっかにうんこあるなってわかるじゃん。あんた、うんこしてからうんこはみ出させてからトイレ入ってんじゃん?そのときに、あ、うんこ出ちゃってたなとか気づかないん??

家族でもない私にうんこ片付けさせるのをなんとも思わないって何かの障害なのでは?

話を最初に戻すと、このうんこはみ出しマンとは別の50代男性ははみ出すどころか漏らしたことが数回。

運転中に漏らしたとかいって、しまむらでパンツ買ってきてと言われたのも同じ回数。しね。なんで私が家族でもない彼氏でもないやつのパンツなんか買ってこなきゃいけないんだよ。糞が。うんこか。

このひとも、便器からはみ出しとまではいかないけど、便器うんこ付けてそのままにしている。

うんこ便器にこびりつくのはわかるとしても、そのときトイレットペーパーで拭けばよくない?目の前にトイレマジックリンスプレーあるんだから、それをシュッとしてトイレットペーパーで拭けばそれで済むじゃん。

なのになにもしない。

からこびりつきうんこが乾いて掃除ときに落ちにくい。

なんなの?

あとこの二人に共通するのは、うんこマンというだけではなく片付けが出来ないということ。

ペン使ったらそのまま、カッター使ったらそのまま、引き出し開けたらそのまま、お茶のんだ湯呑もそのまま放置

ものを使ったら片付けましょう」って幼稚園で習わなかった?親に教えてもらえなかったの?

習ってたとしても覚えてないんだろうし、片付けなくても許される環境で育ってきたんだなぁと。で、この二人とも長男実家住みなのが納得できるとこ。

ママに何でもかんでもしてもらってきてるんだろうな。ママご飯作ってくれて片付けてくれてパンツも洗ってくれてるんだろう。パンツだろうが便器だろうが、うんこついてても何も言わない優しいママなんだろう。

片付けに関しても、大抵は恋人が出来て同棲したり、結婚したりして、他人と共同生活していくうえで

使ったものは片付けたほうが生活がうまくいく、と学習したり

子供が出来てしつけをしていく中で自分も同じことを学んだりするのだろうけれど

こういう、ある程度の年齢になっても独身実家住まい長男ママが面倒見てくれるから赤ちゃんなところが消えないのだろうな。

仕事があって、安定した収入があって、税金を収める、一家を支える人間だとしても、自分うんこを適切に片付けられない時点でうんこ以下だよ。

と、今日もまた職場トイレうんこがあるのを見つけたのでこれ書いた。

一応補足しておくと、うんこはみ出しマンは、クチャラーなのだけどそれは口唇裂の後遺症っぽいから目をつぶるとして

人としては本当にものすごくいい人なので、嫌いになりきれないところはある。うんこだけど。

2024-03-12

友達長生きして

友達がいる。小中が同じで、ずっと一緒にいた。いつも冗談を言って私を笑わせてくれた。鍵を忘れた彼女を、よく家に招いて一緒にゲームをしていた。母も彼女が好きで、たくさんのお菓子果物でもてなした。暖かくて楽しい日々。

中3になって、私は塾に缶詰になって、遊ぶ時間が減った。彼女とはあまり将来の話をしなかった。彼女勉強が苦手で、勉強しようと考えたことは無いようだった。それをハンデとは思っていなかった。そしてそのまま地元の荒れた公立高校に進学した。偏差値は40を切っていた。

私は必死勉強して、憧れがあった少し遠い私立に通うことになった。卒業式の日、もう会わないかもね!とふざけ合った。これからもたくさん会えると思っていたからこそだった。

高校生になって、会うのは2.3ヶ月に一度くらいに減ってしまったけど、それでも定期的に出かけたり、私の家でのんびり過ごしたり、以前と変わらぬ尊い時間を過ごした。

この頃から彼女は地面に尻をついて座るようになった。何がいけないのかわからないといった顔をした。ボディピアスが増えた。ごみを道に捨てた。深夜のストーリー更新が増えた。同級生との喫煙をインスタに載せて、別室登校になった。

私と離れている間、どんな場所で、どんな人たちと一緒にいるかわかるような気がした。それでも、暖かくて、明るくて、優しい彼女のままだった。寂しかった。

数年後、私は大学生になっていて、彼女専門学校卒業して、バーの個室で知り合ったというベンチャー企業就職した。一般事務として採用されたと言っていたけれど、4月になると配属されたのは車で1時間半走らせたところにある契約先の店舗だった。

夏になって、彼女うつになったか仕事を辞めたと言った。夜にドライブに連れ出してくれた時にそれを聞いた。彼女が働いている時に、飲酒運転がばれた、遅刻したら怒られた、眉ピアスを注意された、ちょっとくらいいいじゃん、と度々愚痴っていたので、いずれ辞めるのだろうな、とは思っていた。

仕事を辞めて時間ができた彼女を、一度大学にこっそり招いた。私の大学はお洒落して大学に通う学生が多いので、彼女にもそれを伝え、バレないように馴染む格好で来て、と言った。当日彼女は、毛玉だらけのスウェットで現れた。お気に入りだと言うドンキホーテ健康サンダル禁煙の校舎内でタバコを吸い、講義椅子に足を乗せる。注意しても、また何がいけないのと不思議そうにしていた。大学同級生の、あぁ、そういう子ね。という目。友達を恥ずかしいと思いたくなかった。それでも彼女のことは大好きだった。

からいたことだが、退職するにあたって、契約書が良くわからなかったが、100万くらい払わされた、と言っていた。父親法学部から、なんとかしてもらうと言っていた。でも結局、彼女貯金を切り崩して、100万円ほど支払ったようだった。

クラブの男に性病うつされたらしかった。病院には行っていないようだった。代わりに痩身エステ契約していた。

私はただ、大げさに普通を装った。彼女は私の事を何にも興味が無いやつだと言うので、そうするのが良いと思った。

最近彼女はよくTwitter死にたいと言うようになった。死にたいのか、現状を変えたいのかわからいから、いつも通り銭湯に誘った。

のんど どっと はてぶろ どっと じぇーぴー

病院の待合室の音楽ピアノ聴くジブリ的なやつで

なんかあーってなる

決して嫌いでしょうがないとかではないんだけど

なんかこう

これ流しとけばいいんだろお前らごとき

みたいにちょっと馬鹿にされたような気持ちになってしま

全然そんな意図ないとは思うけど

長年かかってたのんびりハワイアンはなぜやめてしまったのか

あっちのが好きだった

疲れました。 きっと俺たちは......。.impressive gauge――それは天才的な文学作品、あるいはsf作家に向けた、狂気に満ちたデスヴォイス(悲鳴)だ――それは、声の主である神の言葉の響きが、あたか未来に現される、神の姿そのものに似ているかである詩人アーレントはこう名付けた――偉大なる天才は時に、狂気をも駆使し、時に、狂気をも駆使して、神の言葉の力を確固たるものとする

Anond AI作成

私が書いたのは「疲れました」だけです。諸事情筋肉痛です。

のんだいさんノムリッシュ好きなの?

anond:20240312102026

ほんこれ。震度7にも耐えられる耐震等級3の鉄筋コンクリート造の住居に住んで、資産は当然ながらオルカンその他で分散投資仕事リモートでできるようにスキル経験を積んできているか北海道でも沖縄でも海外でもどこでも移住すればいいだけのこと。なんならこれを機会にFIREして投資家としてのんびり悠々自適生活に入るのもいいかも。

週後半会社サボって旅行行こうかと思ったけど、よく考えたら会社サボりたいだけだから家でのんびりしよう

anond:20240312093926

この間朝起きたらお腹痛かったから休んだんだけど、薬効いて始業時間あたりには具合良くなっててさ。

普段行かない平日開店時間家電量販店とか行って見たら再販ガンプラ普通に買えたり、

予約しないで映画館行ったら空いてる席でのんびり映画見れたりしてさ。

映画終わりにファミレスジャンバラヤ食べて帰ったわ。

なんてことないズル休みみたいになったけど、凄くいい気分転換になった。オススメ

あと老人だらけだなー平日日中って思ったわw

ただひたすらのんびり旅をするオープンワールドゲーが遊びたい

大袈裟戦闘とかも無くて、ただのんびり旅をするだけ

行く先々でお使いクエストとかやって馬車アップグレードしたり、船旅はスキップ出来ない数日間の旅だったり。

2024-03-11

パルワ

少し遊んだけど、ぶっちゃけマイクラのんびり建設してる方が楽しかった・・・・。

この差ってなんだろう。

人に(パル)やらせる事でいまいち達成感が無いっていうのはありそうなのと、言うほど自由度が無いっていう所だろうか・・・・。

ブルースカイタイムラインが丁度いい

フォロワー150人だけど、みんな割と離れてるから目を離しても見覚えのあるタイムラインが残っている。

こののんびりした時間の流れが丁度いい。

少なくともいつも誰かが怒っているTwitterよりは全然

anond:20240311110119

おっぱいのんでー、ねんねしてー、

だっこして、おんぶして、

また明日~👋😃

おはようございます」って言う人には「おはようございます」って返すけど、「おホワハーーー」って言ってくる奴には「ハワーーー」って返すよ

鼻炎すぎて喋れんのんか?

2024-03-10

anond:20240306205231 anond:20240306215324

中堅~マイナー(深淵)絵師だと結構、これは明らかに男だろってのがわかりやすい気がする

性癖が凝り固まってる感じで画面から奇臭はなってるような絵になっちゃえるのは男感すごい

以下pixivから

・まあ男でしょって感じ

狭暗 

users/20330194

すけだい

users/579593

われもの注意

users/518310

エンデアア

users/3604632

のん2億年

users/9760628

・女の可能性も感じないではない

楼ファイ(誤算なな)

users/5375350

花澄ノン

users/84244961

anims

users/44607455

users/31659304

罠B

users/191901

なんとなーく言いたいことの感覚的なところがわかってくれるとうれしいんだが

のりお女性類推できる範囲内の絵柄だとは思う。

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