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はてなキーワード: 夏休みとは

2017-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20170430152954

大企業の都合だけで違和感のある家族を描いてるCMといえば、任天堂ゲームキューブだったか64だったか夏休み子ども達が田舎のおばあちゃんの家に行って、おもむろにテレビにそのゲーム機を繋いで、ゲームに熱中。その様子を目を細めて見ている祖母という酷いCMがあったよな。

田舎に行ってまでゲームするなよ!と当時思ったものだ。

2017-04-22

今更「文体診断ロゴーン」

文体診断ロゴーンの話題

http://rabitsokuhou.2chblog.jp/archives/67949822.html

「夏と少女」のお題で駄文一本書いたが捨て場所がなかったのでここに置いとく。

本文

 線路の向こうの鬱蒼とした森林の中で、煩わしいほどの熱量でもってツクツクボウシが鳴いている。

 夏休み自由研究として妹が何の気なしに投稿した歌の動画インターネット話題になり、すったもんだ挙句彼女はが東京養成所に通うことになった。

 俺は反対した。相当、猛烈に反対した。だが両親が乗り気じゃどうしようもない。

 それで、トントン拍子に話は進んで、今彼女東京に向かう電車待ちというところだ。俺は見送り彼女に付き添っている。ちなみに両親はとっくの昔に東京アパートを借りて待っている。慣れるまでは、妹と両親は一緒に過ごすらしい。

 ここに残るのは俺だけだ。

 妹はーー由美は今、俺と一緒に駅のベンチに座っている。携帯をいじりながら、鼻歌なんか歌って気楽なもんだ。大都会に行くってんで精一杯におしゃれして、キャスケットなんかかぶっていて、どうにもいつもの妹じゃない気がして、俺は居心地が悪い。

 と、突然、妹が小さく声を上げた。

「あっ……」

 彼女かぶる帽子のつばに、褐色腹のトンボが止まったのだ。

 気の早いトンボだ。夏はまだ終わっちゃいないというのに。

 由美はトンボの羽を見上げつつ、寂しげに眉をへの字に曲げた。

「この子、ひとりぼっちだねえ……」

「すぐに、友達もたくさんやってくるだろ」

 励ましたつもりだったが、声が震えたかもしれない。

 トンボはしばらくのこと由美の帽子の上で羽を休めた後、満足したのか再び飛び立っていった。

 俺はトンボの飛び去った空から目を離せずにいた。その先に、由美の新しい生活が待っている。

「あっ、兄ちゃん、電車来たよ」

 由美が注意を引くので首をひねってそちらを見ると、一両編成のボロい電車ゆっくりホームに入って来るのが見えた。

 いつも乗ってる電車が、今日ばかりはいかにも廃れて見えた。由美はこいつに隣町まで運ばれた後、乗り継ぎを何度か繰り返して、最後新幹線に乗って目的の街まで向かう。

 電車が止まったので、ドアボタンを押して扉を開けてやる。「大丈夫だよ」と遠慮する由美に構わず、でかい鞄を電車の中に運んでやる。

 最後に、由美が電車に乗る。

「元気でな。メールよこせよ」

「うん、兄ちゃんもね」

 電車のドアが、無遠慮に閉まる。警笛一つ鳴らして、電車ゆっくり線路の上を滑り始める。

 次第に遠のく電車の姿を、俺はじっと見守っていた。

 が、電車の姿が見えなくなるより前に、尻のポケットに入れていた携帯が鳴った。

 携帯を取り出して見てみると、由美からメッセージが届いていた。

『またトンボ見つけた! ほんとに友達すぐ見つかったよ』

 そう書かれたメッセージの後には、電車の窓際に止まるトンボ写真が添えられていた。

 俺は脱力しつつため息をつく。

「風情もなにもあったもんじゃねえ」

 ツクツクボウシの声が、まだ俺の耳には騒々しく聞こえていた。

診断結果

一致指数ベスト

名前 一致指数 リンク

1 小林多喜二 87.6

2 松たか子 83.1

3 菊池寛 78.6

一致指数ワースト

名前 一致指数 リンク

1 岡倉天心 44.8

2 三木清 50.8

3 団藤重光 52.4

文章評価

評価項目 評価コメント

1 文章の読みやすさ A とても読みやす

2 文章の硬さ C 文章がやや硬い

3 文章表現力 A とても表現力豊か

4 文章個性 A とても個性的

感想

一人称口語体だと精度どんなもんなんだろう。

というか、こういうののディープラーニングバージョンとかないものか。

2ちゃんねる初心者質問板に夏休みに入り浸ったのが2002年かな

きっとお姉ちゃん1998年から

2ちゃんねるは、1999年5月中にひろゆき西村博之)を名乗るネットユーザー個人サイトとして開設された[1][注 1]。当初はチャットなどの機能もあったが、後にスレッドフロート方式電子掲示板群だけになる。5月30日ひろゆきあめぞう2ちゃんねるを開設したことを報告した。名前の由来はあめぞうのサブ的な位置づけということで2ちゃんねるだとしていた[注 2]。

あれ1999年からなんだね2ちゃんって

2017-04-21

大切な人ができた。

もうかれこれ付き合って3年になる。

そりゃ気になる部分もあるけど、それにもまして一緒にいることがとても楽しいし、元気にしてくれる。

はじめは三ノ輪の部屋で同棲はじめて、

ジョニー味噌食いに行ったり、上野大統領いったり、家の近くにできたピザ屋いったりしたなー。

それから下北沢引っ越して。

クリスマス東京タワーから花火を見たなー。

夏休みには隅田川花火大会にもいったなー。

下北陶芸もしにいったし、嫌がる彼女を無理やりクラブにつれていったり。

来週神奈川に引っ越す。

次は2LDK。都内からそんなに遠くない長閑なところ。

子供が生まれても住めるように部屋は広く。幼稚園保育園も近くにあって。

小高い丘の上にあるマンションから眺めもよい。

彼女がどうしても欲しがってた犬もついに飼うことになって。

生後4ヶ月くらいのトイプードルが来週から我が家にやってくる。

生きてる意味なんて全くわからなくて、

鬱を患って、稼ぎの良い仕事にはなかなかありつけないし、

楽しいことよりも辛い事の方が多い気もするけど、

この彼女とどんな未来が待ってるのか考えると少しだけわくわくする。

いつもありがとね。

貧乏学生日記流行ってるので、失敗した貧困男子大学生日記書くわ

男子大学生だったので思い出しつつ晒すよ。

俺は都内私立大学しか理系しかからなかった。んで親が「金は一切出さない」と言われて交渉するも無理。しかも家から追い出された。離婚してお互い新しい相手とくっつくから邪魔子供は追い出された形。入学金だけは親戚からもらえた。

まあまあの大学だし来年受けても落ちそうな気しかしなかったので仕方なく奨学金と少しの貯金で通うことを決意。

んで、貸与奨学金申請するも1種も2種も落ちる。

高校はそれなりの進学校だったけど校内では底辺の成績だったから成績悪かったし親は金は出さないのにそこそこ収入あるから無理、と。

早くもピンチ。とりあえず学費稼ぐために休学してバイトしようとしたんだけど、休学にもまあまあの金がかかるのね。

んで、しゃーないか居酒屋バイトバイト。まかない食わせてくれたのがありがたかったし、たまにシフト休みの日に行っても食わせてくれた。圧倒的感謝

つか家もないんで普通にネカフェとか公園で過ごした。バイトで知り合った人の家にも泊まらせてもらった。

学費の支払いをどこまで遅らせられるか事務交渉しながら払う。でも授業やっぱ眠くなるし普通に難しいし単位取れない。

んで5月ぐらいにようやく月4万の風呂なしアパートを見つけて住めるようになった。

お金なくてかなりきつかった。夜中に課題やるのにどうしてもパソコンなくて辛くて買いたくて、クレカ作って買えばいいことに気づく。その後たぶん5枚ぐらいは作った。親の信用に感謝。2回払いとキャッシング現金化には在学中何度も助けられたけど殺されかけた。日雇い派遣バイトも助けられた。

1年前期は半分ぐらい落として8単位ぐらいしか取れなかった。しかも落としたのは専門科目の必修ばかり。

夏休みは1ヶ月ぐらいあってかなりバイトした。

後期になるとやっと2種奨学金が通る。前期分もまとめてもらえた。借りるのはもちろんMAXの月12万円。だいぶ金銭的には楽になる。

はい学費が年間160万ぐらいなので奨学金はすべて消える計算

んで前期の勉強がわからいから後期もなかなかついていけない。やはり必修はかなり落とす。実験もきつい。

あと周りの学生が「お金ないわー」と言ってるけどお金ないレベルが違うんで困った。夏場はワキガである噂が流れたが、単に風呂に入ってなかったのと服を洗えなかっただけ。

春休みバイトまとめてできたのでここから金銭的にはすこし楽になる。スポーツジムバイトすると風呂に入れることに気づきジムバイトも始める。あと洗濯もさせてもらえた。

金が尽きると割りと簡単に詰むのは1年目で理解したのでできるだけ貯めておく方針は続ける。

2年目は1年目の再履修と2年の必修も合わせて履修。やっぱりわからんくて7割ぐらいしか単位が取れない。実験も多くて辛い。

んで2年が終わった時点でどう取っても足りないか留年確定。でもまだ奨学金は切られない。次の年に確定して4年目に奨学金がとめられて、次ちゃんと進級すれば5年目は出るらしい。つまり3年目のうちに4年目の学費も稼ぐことも必要になった。

3年目。授業としては楽なはずだったがバイトを増やしすぎて辛くなる。あと単位を落とせないプレッシャーがスゴくて辛かった。不安と忙しさで精神的にキテたのかも。

教授に授業中寝てたのを怒られてスイマセン、バイトで眠くて、って言ったら学生の本文は勉強バイトで遊んでるからだって怒られて泣いた。ボロボロないた

ムカついたかパワハラ相談室に言いに行ったら教授が謝ってきてご飯おごってくれていろいろ相談に乗ってくれた。でも単位はくれなかった

そんなこんなでまた留年した。学費は頑張れば払えそうだったけど大学絶望したしもう疲れて気力もなくなったので中退した。余裕ないのに就活どうすんだってのもあったし

貯めてた学費分のお金貯金があったのでしばらくバイトも何もせず引きこもってた。

バイト先の友達に紹介してもらった女の子と仲良くなって転がり込んだら、その子よく聞いたらデリヘル嬢だった。病んでてヤバかったけど風呂があってきれいな家が嬉しすぎた。あと肝心なときに立たないから、DTは守られた。

風呂は魅力的だけどデリヘル嬢は病みすぎててヤバイので半年ぐらいで出て、少しまともな会社に努めたくなってベンチャー企業という名の中小企業に入りこんだ

残業代は出ないし大学勉強は直接は役に立たなかったけど社会人ぽくなった感あった。ここは1年で辞めて少しマシな会社に入って少しマシな生活できるようになったので、そろそろ大学入り直したいと考えてるけど受験勉強と金のやりくりをどうするか考えてる今日この頃

参考にはならんなたぶん。1年目のはじめに奨学金落ちたのがマジで困ったしそのへん改善した方がいいと思う。もうされてんのかもしれないけど。俺の申請の仕方が悪かったんかな。貸与だし有利子なんだし認めてよほんと

普通に3割ぐらいの学生留年してる学科だったので、留年日常だし奨学金止めないでほしいか

まあ私立金持ちの行くところだからビンボー人は来るなってのもわからなくはないけれども授業以外で実験課題に取られる時間が多すぎて常に眠かった

大学関係に取られる時間が多かったのはかなり誤算だった。大人から聞いてた大学とだいぶ違う、、ってずっと思ってた。これ分かってれば入学はやめたような気もする。前述の教授も「最近大学生は昔と違って忙しくて時間ないよね」と言ってた

あとおれは大きな病気なかったから良かったけど普通に風邪引いただけでもキャッシュ回らなくなりそうな場面が結構あってヤバかったのと、

余裕がないと目の前のことしか見れなくなり、計画性が全くと言っていいほどなくなるのはもっと広がってほしい認識

これが貧困ってやつかぁ、って感じ

コミュ力もっとあればうまく立ち回れたんだろうなぁと思う場面も多かったけど18、19のころじゃ無理か、って気もする

あと高卒で数年働いてから大学に、って言ってる人もよくいるけど働きながら高校生と同じ時間受験勉強時間作るの無理じゃね?高卒給料学費生活費をある程度貯金するのもかなり時間が掛かるし現実的ではないか

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170418215328

9月から日本私立大ってのは、皆で帰国するのか、増田だけ帰国するのか

後者だとしたらあと半年足らず(実際は夏休みの間に帰国して進学準備をするんだろうからもっと短いだろう)の話だから

今更波風立てずに金だけ貰って、親から離れて暮らして真面目に大学行ってちゃんと就職してそのまま独立すればいい

2017-04-15

鬱病になったときのこと

あなたの周りに鬱病の方はいます

鬱を患ってこれを読んでいる人もいるかもしれません

自分鬱病発症し今ではどうにか過ごせています

ただここで一つ強く言っておきたいのは個人個人によって適切な対処は違うと言うことです

ここに書かれていた対処をしたからと言ってうまくいかないこともあるでしょう

参考記録としてでも聞いてください

私は第一志望の大学に落ち、滑り止めに受けていた遠くの大学に進学しま

初めての一人暮らしということもあり少し気持ちは浮ついていたような気がしま

サボりぐせはあったもののある程度は授業に顔を出していました

五月になりバイトを始めます

そこでは店長理不尽文句に腹を立てながらも同じバイトの人がいい人だったので続けていました

そんな中私の元彼女が、私と付き合っていた頃にすでに二股をしており、私を彼氏と笑い者にしていたことを知ります

よくわからない感情が込み上げてきて、テスト勉強をしていたにも関わらず1週間ほどあった期末試験を全て休みました

そのまま夏休みに入りバイト漬けの生活が始まります

当然のように店長理不尽文句を投げかけ続けていました

寝ようとするとどうしてもその元彼女のことが頭をよぎり眠れない日が続きます

起きているときは何か別のことを考え続けていればそのことから逃れられました

寝ようとして頭を空っぽにした瞬間そのよくわからない感情がわきあがってくるため、眠さの限界が来た時に気絶するように眠っていました

そのため昼型も夜型も無いような不規則生活になっていきます

ご飯も食べる気が起きず、このままだと死ぬなぁ、それはやだなぁと思った時に食べるのみでした

3日に一回ぐらいの食事はとても疲れるもので、食べることが嫌いになりました

もともと吐きやすい体質だったのもあり、度々戻していましたが3日に一回しかない、苦労して飲み込んだ食事を吐き出してはいけないと思い、口腔まで上がって来たものをまた無理やり反芻してました

陰鬱な気分は当然心地いいものではなく、好きだったことをして気を紛らわせようとしますが、以前は大好きだったことがこの時はまったく楽しくありませんでした

長い夏休みが明け、授業が始まります

高い学費を出してもらっている以上行かなきゃならないという義務から講義開始から嫌々数日は通いました

しかしここで初めて違和感を覚えます

自転車通学だったのですがペダルを漕ぐ足に鉛が乗ったかのように重くなり動かなくなります

大学に通うという行為苦痛を覚えその日は家に帰りました

そもそもろくに食べていなかったため当然だったのかもしれません

その後も大学に行く気は起きずバイトだけをしていました

家に引きこもりバイトの時だけ外出をし、ご飯もその時に買ってきたもので済ませていました

このままじゃいけないという思いと、それでも何をする気にもならないという思いがぶつかりあい続けていました

自殺願望もありましたが何をする気にもならないという気持ちにまだ押されていました

そんな中このままじゃだめだいつか死んでしまう、逃げようと思い、親に連絡を取ります

から帰っていい?という私のなんとか涙まじりに絞り出した言葉にただならぬ気配を感じ取ったのか、理由も聞かず、良いよ、迎えに行ったほうがいい?と返答してくれました

その親の答えを聞いてもなお、他人迷惑をできるだけかけたくないと思っていた私は自分で帰ると言います

バイト先に急用が入ったとだけ連絡し帰ると、駅まで親が迎えに来てくれていました

家に着き、車の中で私は今までの心情を吐露しま

好きだった人に裏切られたこと

バイトが唯一自分必要としてくれているように感じて、店長が嫌いでもやめられなかったこと

大学に行けず単位も取れず罪悪感で満たされていること

死のうと思ったこともあるが死ぬ気力も出ないこと

他の細かいことも伝えました

親は何も言わず相槌をうってました

実家に帰ったもの基本的には前と行動は変わりません

何をする気にもなれず睡魔限界に寝る

違うところといえばかろうじて出て来たやる気をふり絞らずともご飯が三食出てくることでした

1週間ちょっとして病院に連れて行かれます

様々な検査を受けました

そこで自律神経失調症、それに付随する症状を診断されました

精神だけでなく、肉体にもガタが来ているとのことで入院措置を取られます

寝て起きて寝るを繰り返す私の生活自体は何も変わりませんでしたが、大学バイトを休んでいるという罪悪感から入院理由づけすることで解き放たれた気がしました

退院した後は大学の学期が始まるまで実家休み、始まってから自宅に戻りました

雨が降っているときや、大学に行かなきゃという義務感に駆られた時点で大学に行くのはやめ、大学に行こうという気になった時だけ行ってました

ですから復帰した最初の学期は授業も数回しか出ていません

この頃にはカウンセリングや、すでにもう一年休んでいるのだからここで半年増えたところで変わらないという思いから、罪悪感なしに休んでいました

こうして時が経つにつれ大学に行こうと思う日も増え、今ではある程度通えています


私が今思い返してありがたかったのは、親が自分特に何も言ってこなかったこと、しかし私から何か話しかけたときは手を止めて対応してくれていたことです


あなたは一辺があなた身長よりちょっと大きいぐらいの立方体の中にいます

ストレス耐性がある人は一辺が身長より割と長いかもしれませんし、ストレス耐性がない人は身長ギリギリかもしれません

この中に何か嫌なことがあるたびに水がたまっていきます

定期的に排水もされますが、これも人によって期間や量が異なってます

排水がうまくされなかったり、排水よりも速いペースで水がたまって足首まできました

ここまでならまだ普段運動能力も変わらず自由に動ける気がしま

じゃあまだ大丈夫だと思っているうちに水位が膝まできました

運動能力制限され、水がない状態と比べ動くのに体力を使います

胸まで来るといよいよ動くのが難しくなってきます

水によって体温が奪われて行くという、不安によって不安が生まれ悪循環も発生しま

口元まで来るといよいよ水で立方体がいっぱいになるのも近いです

頭まで水が来ても顔を上にあげて立ち泳ぎをすればまだギリギリ息はできるかもしれません

しかしこうなったら体力が尽きるのが先か、水で満たされるのが先か、酸素がなくなるのが先かという状況になってしまっており、どうにか排水をするしかありません

逃げて別の方向に進むことで私はどうにかなった気がしま

本当はなってないのかもしれません

だけどもこうして記録を残すことで誰かの役に立つこともあればと思い、こうして文字に起こしました

2017-04-13

盗聴器がつけられていた

匿名質問にも書いたので、よかったら相談にのってください。

http://q.hatena.ne.jp/1492052653

病院にも通っており、薬も飲んでいます

幻聴かと疑いながら過ごしてきましたが、今は現実である確信を持っています

補足をすると

幻聴でない理由として

朝の5時6時に噂が聞こえ、その声で起こされたりします。

こちらは寝ていて時間を知ることはできないので幻聴ではありえません。

そもそも幻聴で起こされることもありえません。

昼の12時に一旦、噂が収まり、2時3時あたりにまた始まります

また、中学生高校生などが噂に参加しはじめたなと思ってカレンダー確認すると夏休み冬休みだったりします。

これも幻聴ではありません。

盗聴器の電波を受信するレシーバーには3Ghzまで受診できるものもあり、もし単純なアナログ方式ならこれで見つけることができる可能性もありますが、安いものでも5万円以上するので買うを躊躇しています

どうにか家族に実際に盗聴器が取り付けられていることを理解してもらい、できる範囲対策をしてもらいたいのです。

良い知恵はないでしょうか?

2017-04-12

先送り戦術をとっても

先送り戦術を採ったとしても

夏休みまで先遅れるわけではない。

黄金週間まで持ち込めれば、まとまった時間が確保できるかな

それと今日朝の集まりは手短に切り上げよう

9時から、10時半から、2時半、5時から・・と4つも

アポあるで

あと、あれも対応必須 今日中 

去年と同じでええけど

2017-04-11

雪国のど田舎から都会に来て思ったこと

もう冬も終わり、東京に来て7回目の春を迎えたので箇条書きで書いていく。

出身はお米が美味しくて雪がいっぱい積もるど田舎です。

2017-04-09

地方が何で退屈かわかった

最近京都から群馬高崎移住したんだけど、

とにかく地方は住みやすい。

スゲェ住みやすいのに、

地元人達卑下する気持ちがわかったよ。

群馬イメージ風評)ってスゴイものがあるから

最初ビビってたんだけど、高崎は言うほど田舎じゃない。

レベル感で言うと福島郡山くらいかな。

駅前には大きなヤマダ電機高崎本社)もあるし、郊外にはもちろん巨大なイオンもある。

飯屋は多いし、コンビニ普通にある。車社会からから離れても商業施設は沢山ある。

そもそも、関東から関西に移り住んで田舎定義が変わったんだけど、

関西に越して「横浜田舎っすよ〜」って言うとかなり失笑をくらった。

個人的にはホンキで横浜田舎だと思っていたんだけど、

関西に住んで田舎田舎ってことがわかった。

これはどういうことかって言うと、

田舎とはマジで何もないところ。

小学生の頃、夏休みにじいちゃんばあちゃん家に行くと思うんだけど、

その時に夏休みどっか行くの?って聞くと「田舎に帰るー」って大抵答えるけど、

田舎=おじいちゃんおばあちゃんの家で、そもそもそこが横浜だったオレからすると、

田舎の正しい概念を正しく感じられないまま育った。

たまにガチ田舎帰省する友達ホント羨ましかったのと同時に、

田舎」って何??!って混乱する自分もいた。

当時は、横浜で生まれ育った身からすると、

東京と比べてって田舎という認識が強くて、

じゃ、東京の何と比べてってのが何となくしかからなかった。

けど、横浜東京関西高崎に越してきてはっきりと言えるのは、

先進的な文化が生まれない街を田舎と言うんだなと思っている。

横浜はちゃんと知れば近代的な文化ジャズとかレゲエとか)はあるし、

今思えば十分退屈しないと思う。

で、今いる高崎生活する分には何不自由しないしないんだけど、

(美味い飯屋もメチャ多い!)ホント退屈なのよ。

何と言うか、ただ生かされているというか・・

増田積極的サブカルに参加する方じゃないけど、

これまで参加しなくても参加していたんだなと、副流煙的な・・

街はサブカルを含めた空気が創り出し、

それを五感のどこが満たされていたから退屈しなかったんだなと

思う今日このごろ。

地方活性化させるには、

高崎みたいな観光資源がない街は特に

文化創造に力を入れるべきだなと思った。

文化のないところにはステキ若いやつらも集まらないし、

住みたいとも思わないよね。

やっぱり、ステキ若いヤツらが

世の中を担っていく必要があるんだなと

戒めと期待を込めて。

2017-04-06

忘れえぬ人々

ラジオ番組に送った長文をそのまま載せますね(未採用)。思春期あるあるなのかなあ。当時もちろん誰にも言えなかったし今まで誰にも言えてない。たまたま女子同志だっただけで男女間でも男子同士でもあり得る話だとは思う。

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みなさんこんばんは。いつも本当に楽しく拝聴しています大好きです。35歳、女、既婚です。はじめてメールいたします。

私が中学2年生、14歳の頃の話です。

当時、私はゲーム大好きっ子で、今で言うところの「腐女子」であり、ゲームジャンルBL二次創作に手を染めておりました。夜な夜な推しキャラの絵を描き、さらに男×男のカップリング妄想し、その滾る思いの丈と自らの性の芽生えをミックスジュースにして同人誌というカタチにしたためていました。

定期的に地元同人誌即売会(以下イベントします)に出店して、そこそこに売れてファンレターのようなものをもらったり、同じ趣向の友人が沢山できてイベント以外でも会って一緒に遊んだりして、普段学生生活を凌ぐ楽しさでした。

彼女出会ったのはその同人活動きっかけでした。仮にSさんします。

Sさんは私の3つ上のオネーサン。同じゲームが好きで、知人に紹介してもらって意気投合。初めは文通メール文化はまだなかったので)からはじまり電話で話すようになり、そのうち個人的に二人で遊んだりするようになりました。私が年下ということも関わらず、対等に優しく楽しく接してくれて、一人っ子の私は趣味の合う素敵なおねえちゃんができたみたいでとっても嬉しかったことをおぼえています

Sさんとは、好きなゲームBL妄想で盛り上がる他にも、イベントで知り合った共通の友人であるコスプレイヤー男性に思いを寄せていることを打ち明けてくれて、ちょっと現実の恋バナなんかで盛り上がったりもして。

Sさんと二人で遊んでるうちに「M(私のこと)ちゃん、本当に可愛いねえ、すっごい好き」「私、本当にMちゃんのこと大好きなんだよー♡♡」など、ダイレクト愛情表現散見されるようになり、私ももちろんSさんのことは友人として好きだったので、その熱量違和感を感じながらも「うん、私もSさんのこと大好きだよ」と普通に返していました。

二人で遊ぶようになってから4ヶ月程経って迎えたバレンタイン当日。その年のバレンタインはど平日で、私は学校から帰ってきて家でせっせと同人活動にいそしんでいました。夕方7時くらいに家の電話が鳴り出てみるとSさんからでした。

「Mちゃんこからひま?そっちに遊びにいってもいい?」と。

Sさんの家から私の家までは徒歩とバスを組み合わせて40分ほどかかります

「うん、私は大丈夫だけどもう暗くなるし…これから来るの大変じゃないかな?家の人は心配しない?」

大丈夫だよ、どうしても今日会いたくって…」

何だろう?とは思いましたが深追いはせずに、私はSさんがやってくるのを待ちました。

私は母子家庭で二人暮らし、母は看護師夜勤もやっており、ちょうどその日母は夜勤シフトでした。帰ってくるのは深夜1時過ぎ。母が居ない夜に友達が遊びに来るという、ちょっとしたワクワク感と心強さのようなものもあり、遠いところ悪いなあと思いながらも深く考えずに来てもらうことにしてしまいました。

小1時間後、本当にSさんが家まで来てくれました。

「いらっしゃーい」と出迎えた私に「急にごめんね、ありがとう」と言ったSさんの表情はどこか固く、家にあがってからもどこか雰囲気がぎこちなく心配になる私。「平日にMちゃんち来るのはじめてだね」「ああ、そうだね、今日はお母さん夜勤でいないんだ」など他愛のない会話を交わしていましたが、やっぱり顔つきが冴えないSさん

「遠いところ来てくれてありがとう。でも、どうしても今日、って何かあったの?」

「あの…今日バレンタインから。これ、Mちゃんに。手作りしたんだ」

と、手渡されたのは可愛いラッピングが施されたバレンタイン手作りチョコレートでした。

「えっ、そうだったの!私なんにも用意してなかったよー!ありがとう、うれしい!」

素直に驚きと喜びを伝えたら、Sさんは泣きそうとも笑顔ともとれそうな複雑な表情で私を見つめたあと、強く抱きついてきて「Mちゃん、本当に大好き」と囁くように呟きました。

「う、うん?私も好きだよ…?」

「でもきっと、Mちゃんが言う“好き”と私の“好き”はちょっと違うと思うんだ」

「えっ?…」

そしてそっと私にキスしました。ほっぺにでも、おでこにでもなく、くちびるにです。これが私にとってのファーストキスでした。

とにかくびっくりしたけれど、不思議と嫌な感情特には湧きませんでした。その後何を話したのか、どうやってSさんが帰って行ったのかもよく覚えていませんが、すっかり元気な笑顔を取り戻したSさん玄関口で見送った画はしっかりと記憶しています

その次の週末、Sさんの家へ遊びに行くことになりました。

キスのこともあってドキドキはありましたが、あれは何かのきまぐれだろう、きっと普通に友達でいられるだろう、と思っていました。その日、Sさん宅では二人でゲームをしたり同人活動にいそしんだりとこれまで通りの楽しい一日を過ごしました。特にこの間のキス話題も出ませんでした。

私が「じゃあ、時間からそろそろ帰るね」と、帰り支度をしようとしたとき「やだ、帰っちゃやだ、大好き」と言ってまた抱きしめられて、キスされました。何度かキスをされるうちに、舌が入ってきましたが、私はまた拒否もせず、受け入れてしまっていました。

その日から一緒に遊んだ日の最後は、こんなふうに抱きしめられてキスされることが多くなってきました。私からしようとしたことは一度もありません。拒否をするほど嫌だったわけでもなく、実際キスという行為はやわらかくあたたか気持ちいいもので、拒絶することでSさんとの友情関係が崩れることを避けたかったこともあり、背徳感を抱えたままその関係を続けていました。

そんな関係が3ヶ月位経ったあるとき、私はとあるバンド出会い雷を打たれたように骨抜きになってしまいました。そのバンドのことで頭が一杯の毎日TV雑誌などを追いかけるのはもちろんのこと、同人活動土俵にもそのバンドを持ち込んで、また、同じバンド好きの新しい友達が沢山できました。私とSさんはともに受験生となっていましたが(私は高校受験Sさん大学受験)、電話は週に2、3回ほど、月に2回ほどは一緒に遊んでいました。ですが、Sさんは他の友人たちと一緒のときでも手をつないできたり抱きしめてきたりと過剰なスキンシップが多く、私はちょっとうざったいなあと思い始めていました。

だんだん私の興味がバンド一番になっていることに気付いて、Sさんはひどく寂しさを覚えてしまったのだと思いますバンド関係の友人と遊びに行くことにはじまり、そのうちSさんも交えて共通の友人と居るとき私が他の友人と話しているだけでも深い嫉妬をするようになりました。友人がいてもお構いなし、その場の雰囲気が悪くなるくらいあからさまに不機嫌になり、悲しそうな顔をするのです。周りの友人にも「SさんはMちゃんのこと好きすぎじゃない」「SさんってMちゃんにベタベタしすぎ」などとからかわれることも多くなってきて、私は正直もう面倒くさくなっていました。当時のモットーは友人関係は広く浅くみんなと公平に、束縛するのもされるのも本当に苦手でした。これ以上踏み込まれたくない、と私のSさんに対する態度はだんだん冷たくなり、そうなるとSさんがひたすら謝ってすがるようにさらに甘えてくることに辟易し、電話も合う頻度も自然と減っていきました。自分からきちんと嫌なことを嫌だとは伝えずに、冷たい態度をとることで私のことを嫌いになってもらってうやむやのまま自然消滅すればいい、と思っていました。私にとってSさんを傷つけ続けていることよりも、あの熱量の高い束縛から開放された安堵の方が大きかったのです。子どもですね。

その後、私はバンドに熱を上げつつも勉強を続け、無事志望校高校合格Sさんから東京大学への進学が決まったとの連絡が来ました。

Sさん東京へ行く前に駅前マクドナルドで待ち合わせて二人で会いました。10月頃、同人誌即売会ですれ違って話したのが最後だったので、ずいぶん久しぶりでした。お互いの合格を祝って、近況やこれから新生活についてぼんやりと話して、元気で頑張ってね、と言って普通に別れました。もちろん、好きだという言葉も抱擁もキスもありませんでした。

その後、一度だけSさんに会いました。私が19歳の夏でした。

私は高校卒業して東京専門学校へ進学しました。1年生の夏休みのことです。帰省して久しぶりに地元同人誌即売会へ参加しました。その後、居酒屋へ流れて友人たちと飲みに行ったのですが、そこに遅れて現れたのがSさんでした。3年以上振りの再会。私たちはぎこちない笑顔で「ひさしぶり」くらいの最低限の挨拶を交わして、私を避けるようにして遠い席に座ったSさん。それぞれ周りの友人たちと盛り上がり、Sさんとは全く話しませんでした。ただ、居酒屋の喧噪にまぎれてSさん自分彼氏の話で盛り上がっているのが、ぼんやりと聞こえてきたのでした。

現在、私は同人活動からも一切足を洗って、イベントなども10年以上参加していません。当時の友人たちとも疎遠になっていて、Sさんがどこで何をしているのかは一切わかりません。

毎年バレンタインの時期になると思い出す、私にとっての忘れ得ぬ人です。

長文乱文失礼しました。

2017-04-04

今30だけどウルトラマンといえばセブンとタロウの印象強い

小学生夏休みときに再包装してたか

リア充になるのを諦めた日

中学の頃はオタクだった。

毎週月曜日はみんなでジャンプの回し読みして感想を言う毎日だった。

高校の頃もオタクだった。

高校中途半端進学校だったこともありオタクがいなかったので、「このままだと友達ができない」と危機感を覚えリア充集団の中でキョロ充して頑張ってみたが、危うく不登校になるくらい疲れ果てた。

なんせ、楽しむポイントが全く合わないからつまらないのだ。

結局無理は続かず、同じようにキョロ充で疲れ果てていた授業が終わったら別の高校に進学した中学時代の友人たちと合流してマンガの話したりコミケ原稿やったりしていた。

大学の頃、流石にこれはまずいと思った。

このままだと本当に中学時代友達しか仲良くできないと。

で、無理してリア充に合わせるキョロ充ライフをやってみたが夏休みまでしか保たなかった。

もう、これは無理だと悟った。

だいたいリア充になって何が楽しいのかと。

楽しいと思わないものに対して楽しんでいる風を装って付き合うとか時間と体力と精神力無駄ではないかと。

夏休みの間にまた中学時代の友人たちと会って、たまにこの友人たちにあえればもういいやとなってしまった。

社会人になり、遊ぶ相手はこの中学時代の友人と彼氏(今の旦那)だけになり、

入社リア充同期の集いのようなものにたまーにこえかけされたが、過去の失敗からもう行かなくなった。

リア充にはなれないのに、

リア充になろうとして、

無理に我慢して、

何も得るものもない時間はもうまっぴらゴメンだ。

仕事帰りに一人で夕飯食べたり買い物したり、そういう一人の時間が結局楽しいんだ。

2017-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20170402225921

夏休み終わったぐらいにどうでもよくなる。あと大学がそれほど美人だらけじゃないことにも気づく

2017-04-01

メンヘラ拗らせたけどしんどい

ただただしんどいしんどいから耐えられなくなる前に頭の整理をするために書く。全部。

留学先で会った10以上も歳上の外国人男性と付き合い始めた。しかもめちゃくちゃ特殊仕事の。

初日の授業で少なからずビクついていた私に、隣の席に座っていた彼がピカソみたいな似顔絵を描いて見せてきたのが最初だった。キャラものノートなんか使っていて、オッサンのくせに可愛いなと思った。(実際年齢詐称を疑うレベルには幼い顔立ちな気がする) たぶん子供っぽいちょっかい垣間見える愁いに似た表情にも惹かれていたのかも知れなかった。帰国直前に誘われて、ローカルビアガーデンに2人で飲みに行った。ラムボトルを空けながら下らない話をして、それからねだられるままに頰にキスをした。飲み会嫌いの引きこもりだったからきっとこういうのは酒の席の冗談なんだと思った。割に早い帰寮時間は守る手合いだった。寮までの帰り道、ほろ酔いの私の手を引いて下手くそ日本語で付き合ってくれと繰り返すものから、いよいよ訳が分からなくなって、思うように扱えない英語肯定の返事をしてしまっていた。

南国の夜は暑くて彼も私も少しばかり汗をかいていて、だからシャワーを浴びたら僕の部屋においでと言われた。今度は英語で。それまでもたまに遊びに行ってはいたけれど果物を剥いたりスナックをつまんだり、そんなたわいのない楽しみを共有していただけだったから、また酔い醒ましに美味しいものでも食べさせてくれるんだろうと思った。頭が空っぽすぎた。結局ルームメイト占領していてシャワールームは使えなかった。

そうして本当に果物を食べてジュースを飲んで、そのままセックスした。生で。さらに言うならば私はモロに生理最中だった。ねえ待って、さすがに汚いからやめよう。上手く言葉が出てこなかった。大丈夫気にしない、たぶん彼はそう言った。そういう問題じゃねえ。でももう何もかもどうでもよかった。あ、そうかそういうことだったのか、処女でもなければカマトトぶってるわけでもないのに、どうしてもそこまで思いつかなかったのが不思議だった。さすがに手慣れてるのが妙に悔しかったけど、それでも案外余裕が無さそうなのが可愛いなとぼんやり思った。

拙い言葉だったけど伝わっていたと思う。でも、中には出さないでね、と英語では何と言えばよかったんだろうか。

翌日は卒業式だった。毎週の式の後には皆で飲みに行くのが恒例だったが、式のあまり冗長さに完全に気力を奪われていたから、シャワーだけ浴びて頭痛と荷造りを理由に(荷造りの方は嘘ではなかった)部屋で寝そべっていた。多分そのまま意識飛ばしていて、次に目を覚ました時には12時を回っていた。ナイトクラブに行くのかと思っていたルームメイトが意外にも早く戻ってきて、風邪をひくからと起こしてくれたようだった。

パーティーには来ないの、と彼からメッセージが来ていた。ごめんね少し疲れていたの、でも休んだからもう大丈夫。それなら僕のルームメイトは朝まで帰って来ないから良ければおいで、明日には帰っちゃうんだろ。でも門限直後だから、今警備員フロア巡回してるんじゃない。

そんなやり取りをもちろん英語でしていたら、突然日本語テキストが送られてくる。大丈夫から、すごく時間が惜しい。どうやって入力したんだろうか(冷静に考えたらグーグル翻訳コピーに決まっている)、昨日の今日馬鹿だと自分でも思う、またしてもその可能性は頭から抜け落ちていた。だって今日こそ彼は私のソレを知っているのだから。とにかく会いたいな、とただそれだけを思った。

実際警備員はいたから無理なものは無理で(もちろん男女で寮のフロアは分かれているし立入禁止だった。後から知ったことだが案外皆平気で立ち入って自国の友人と小さなホームパーティをしているらしかった)、しばらくエレベータホールで偶然会った別の友人と話し込んでしまった。結局抜け出せたのは1時を過ぎた頃で、小さくノックをして部屋に入ると彼自身やや驚いたようだった。

いつものように甘い果物を食す(私が講師に貰ってお裾分けしたのを切り分けてくれていた、ナイフを持ち合わせていなかったので有り難かった)、あまりにいつも通りの子供っぽい様子に少し安心した。彼も大勢での飲みはそう得意ではないらしく疲れているように見えた。金曜日、多くの学生は出払っていた。静かな夜だった。ルームメイト見送りのため、未明には戻らないといけなかった。

ベッドに横になって、しばらくただ寄り添ってどうでもいい話をぼんやりとしていた。職業柄よく鍛えられた身体が温かかった。手を伸ばして頭を撫でると、アジア人らしい硬質の、まだパーマの少し残った髪の手触りがやたらと心地良かった。いつの間にか彼は身体を起こしていて、私は彼の腕の中にいて、どちらからともなくキスを重ねた。そのまま首筋まで降りてくる、指が背中に回るのが感じられた。分かってる、分かってるんだ、でも明日にはもう会えないから、お願いだ、そう耳元で繰り返す声は絞り出すように震えていて、この人も臆病なんだろうかと思った。それもそうかも知れなかった。あちらからしてみれば相手10も下の日本大学生なのだから。ただ、そんなことはどうでもよかった。it doesn't matterってやつだ。どう考えても問題ありすぎるくらいだけど、とにかく全てが関係のないことだった。

幸運にも私の日本へ帰るフライトは午後発だった。ルームメイト未明に引き払った後、すっかり生活感のなくなった部屋で私は1人荷物の最終確認をした。スーパーあの日飲んだラムを買った(シンプルに美味しかたから飲んだ瞬間に購入を決意していただけの話だ)、3本買ったら、300円にも満たなかった。物価おかしい、その100円のボトルで私はおかしくなってしまった。

から友人と出かけるらしい彼がフラリと部屋に来た。スーツケースが膨らみすぎてベルトを締めるのに苦戦していた所だったが、それをあっさり片手で締めてくれた(不覚にもそんなことでささやかときめきを覚えてしまった)。無性にしかった。私は12時に同じ便の友人と待ち合わせをしていた、彼の方は11時だ。彼が出かけたらそれで終わりなんだろうと思った。セフレでもいいと思っていた昨日の私は完全に居なくなって、一回りも歳下のこどもを愛して欲しい心持ちになってしまっていた。一度だけキスをした。気をつけて、良いフライトを。最後はそんな言葉だったように思う。彼が帰った後のドアを眺めていたら一瞬目元が滲んで、よれたアイラインを引き直すのにスーツケースを再び開ける羽目になった。ベルトは私1人ではうまく締められなかった。

どうせ帰国後は連絡が途絶えるありがちな展開だと思っていたらそうでもなかった。

時差はそれほどないとはいえ、毎日夜更けに電話が来る。インフラが貧弱すぎてまともな電波もないのに時折ビデオ通話を掛けてくることもある。そして画面越しにキス要求してくる。いい加減にしろ。一体何歳だお前は(ここまで言って私も頭を抱える)。日に日に訳の分からない日本語ばかり覚えてきて、母語でないということの恐ろしさを感じる。なるほど確かに相当上がり症の私も英語から言えるような台詞を散々吐いている。

最近は開き直って、こちらもグーグルに教えてもらった彼の国の言葉を少しずつ混ぜてみるようになった。合わせて3ヶ国語。メインは英語から、正直なところ意思疎通はそれほどスムーズではない。平易な言い回しを探したり、喉に引っかかった単語を拾い上げたり、案外楽しいじゃん、と思う。難しいことは言えないのだろう、小学生レベルフレーズで伝えてくる言葉が、もどかしい発音日本語が、一つ一つ愛おしいと思う。

ただ気づいてしまった。会えない。こんな当たり前のことが異常なほどしんどい。忙しいから会えないとかではない、物理的な無理がありすぎた。GWは混みすぎて間に合わない、夏休みっていつだ。彼氏旅行に行っている親友が恨めしくてならない。セックスの何がそんなに楽しいんだと言い張るタイプの嫌な女だったけど今なら少し分かるような気もする。男の言う気持ち良さはまだ分からない、下手というつもりは決してないが(それほどの経験も無い)むしろ辛さや羞恥のほうが勝る。それでもそこに確かに存在していることを肌で感じたいと今は思う。無論セックスでなくてもいい、やけに手入れされた綺麗な頰に触れたいとか、無骨だけど温かい手で撫でられたいとか、ただそれだけの事だ。自分がこんなにもどかしい気持ちになるなんて思っていなかった。もっとサバサバ(笑)系だと思い込んでいた。

こうなるに至るまでの経緯を仔細つらつらと書いた。なんたるメンヘラだろうか。めちゃくちゃ搔い摘んだらセックスして情が移っただけの話になってしまった(情ではないと自分では思っているけれど件の親友にはとんでもない目で見られた)。親には言えない。最近結婚圧力が重たいのに言えるはずがない。もちろん友人にも全ては話せない。彼女らは私のことを少々潔癖すぎるくらいに思っている(はず)だから、とてもこんな汚い私は見せられない。

もも限界だった。お子様な私のキャパティ決壊しそうだった。から書いた。

神様お願いです、航空券時間を私にください。今はそれだけです。

2017-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20170330122502

ブコメで年度末最終日だから忙しいって無計画小学生夏休み最終日じゃあるまいし無能多すぎやろ。

40代無資格転職活動してみたよ 8

面接をしていただいた事務所からは、後日、希望に添えない旨とお祈りのメールが届いた。

 

ここで働くことが出来ても私が残業が出来ない以上、会社お荷物になることは確かだ。事務所判断は正しい。

外注という形でよければお願いしたい案件もあるので連絡しますと言ってくれたが未だ連絡は無い。

 

 

内定には届かなかったが、初めて書類選考に通過したことで気持ちは軽くなり意欲も沸いてきた。

複数転職サイトを見比べ少しでも興味を持った求人には即応募。

採用に繋がらなくても応募することはタダであり、何も失うものは無い。少しでも引っかかれば御の字だ。

とにかく気になった求人にはどんどん応募してくださいとエージェントのお姉さんが言っていた事は正しかった。

 

 

次に面接へ進むことが出来た求人看板作成デザイン業務

商品パッケージ看板も同じ箱もの。今までに培ったスキルが役に立ちそうだという理由で応募した。

 

しかしここも場所が悪い。電車を3回乗り継ぎ、駅からバスで20分。バスの本数は1時間に2本程度。

救いなのは通勤可という部分。車であれば酷い渋滞に巻き込まれなければ60分で通勤できる。

心配な点は風邪などで体調が悪く、車を運転できない時に3回乗り継ぎバスで20分耐えられるかという点だ。

 

フリーランス仕事をしている時は、調子が悪ければ仕事メールが来るまでベッドで横になれる。

空き時間病院へ行くことも可能だ。

しか正社員になれば毎日同じ時間に出社しなければいけない。体調が悪くても無理を通さないといけないだろう。

 

 

そんな不安を抱えての面接

求人には就労時間は9-18時で残業は少な目、正月夏休みに各10日間の休暇実績ありと掲載されていて期待が高まる

ボーナスは業績次第だが昨年度は3.5月分(計2回)支給することができたとのこと。

 

まだ若い会社従業員の数も少ないが、デザインの現場に関われる事は嬉しい。

待遇面も問題無しだ。体調が悪くても残業が少ないのであれば休息できる時間は作れる。ここで働けたらと思い面接に臨んだ。

 

  

 

面接が始まり、まずは会社説明

ここは看板デザインから制作施工まで1社で行うことでコストを一本化し利益をあげている会社らしい。

だが、続けて話を聞いていくと掲載されている情報と食い違う部分が出てきた。

 

 

残業少な目と書いてあるが、現在社員は21時ごろまで働いており働かせすぎだと自覚している。

そこで人を増やし残業が少なくなる様変えていきたいと。

最初仕事に慣れるまで22時頃まで頑張ってもらうことになる。みんなで頑張って残業を少なくして行こうじゃないか

 

 

私がこの会社求人に応募したのは残業少な目と書いてあったからだ。

そのような環境が整っていると思い込んでいたが、それはこれからの話であって、そして頑張ったからといって残業が少なくなる保障も無い。

9時から22時まで働き、そこから車で1時間走り事故を起こさな覚悟はあるかと聞かれたら自信が無い。

そもそもそれでは帰宅するのは23時じゃないか。家で待っている娘はどうするんだ。

 

 

そんな心配無用だった。

後日届いた企業からメールは「採用には至りませんでした」だったからだ。

 

 

求人概要にはきちんと本当の事を書いてもらわないと、お互い無駄時間を使うだけだ。

交通費だって馬鹿にならない。

たまたまそのような求人に釣られてしまったが、次に面接が決まっている企業大丈夫か?

 

 

 

 

 

 

大丈夫どころでは無かった…

2017-03-23

祖父母のお葬式映画の話

先日、高齢だった祖母が亡くなった。

遠く離れて暮らしており、交流子供の頃から夏休みと年の暮れにほぼ一日ずつ。

世間でそれが多いか少ないかは知らないけれど、一人っ子だった父方の、より高齢だった祖父母宅への泊まりがいつも優先されていて

私の中で母方の祖父母は「二番目のおじいちゃんとおばあちゃん」だった。

関係は良好だったと言っていい。けれど母方の祖父母には、その家に近く住む叔父叔母イトコが何人もいた。

私と名前の少し似ているイトコたちと私へ、祖母はいつも名前を呼び違えた。

お葬式で私はきっと泣けないだろう。そう思っていた。だって祖父の時には泣けなかったから。泣かなかったから。


先に亡くなった祖父お葬式の時。

泣いているイトコを見て「ああ私は泣いていないな」と思ったのだった。

祖父との思い出をたぐりよせようとして、交流の深いイトコたちを差し置いて私が泣いていいのだろうかとも思った。


ところでここで映画の話になる。「エンディングノート」という映画だ。

祖父葬式からしばらくして、映画館で見た。

内容は、ガンで闘病のうえ亡くなったお父さんの姿を娘さんが撮影したドキュメンタリーだ。静かで私的映画だ。

娘さんにはお子さんがいる。お父さんがそのお子さん、つまり「孫」と対面するシーンがある。

「孫の存在のものをお父さんが大事だと感じている」のがもう映像からひしひしと伝わる。美しいシーンだ。

祖父を亡くした後に私はその映画を見て「人というものは生まれたという存在だけで大事に思うことがあるのだ」と思った。

あんな風とは違うにしても、私が生まれとき祖父母は子供大事存在ができたことを喜んでくれただろうと思った。

祖父お葬式で泣けなかったことは私の中でどこかわだかまっていたけれど、一つの解を映画からもらった。

母方の祖父だけでなく父方も含めて。繋がりがほかより薄いなんて判断できない。

それに私にとっても大事な両親の、大事な人たちだ。


…戻って、祖母お葬式の話である

上記の祖父映画の話を経ていたので「泣けないだろう」とは思ってもつらすぎることはなかった。

お棺へ花を入れるくだり、イトコたちは泣いていた。私は泣いていなかった。

でも「お父さんとケンカしないようにね」と言いながら叔母が花を入れて。弟がそれに「よくケンカしてたね」と軽く囁いてきたとき

──私も知ってる。と思ったらふいに涙が出てきた。

ヤンチャな悪戯っ子のような物言い祖父と、面倒見はいいが口うるさくあしらう祖母のやりとりが浮かんだ。


そうしてもう一つ、その数日前に見た映画を思い出した。

「ぼくとアール彼女さよなら」という、やさしい青春映画

その中のとてもいい台詞を思い出して、またひとつ、すこし赦されたような気がした。


自分に対してどこかに書いておきたかったのと、

映画好きなので私に大事ものをくれた映画のことを宣伝したいなぁという気持ちで書いた。そんだけ。

2017-03-17

ボカロオタクになってもうすぐ9年になる

私がボカロ出会ったのは小4の夏休みだった。

当時周囲にボカロを知っている人は1人もいなかった。

中学生になると若干増え、カゲロウプロジェクト知名度さらに上がった。

高校ではボカロが好きなわけではないけど聴くときもあるという人もよくいた。

しかし誰も私と話が合わないのだ。

私はVOCALOIDというコンテンツ全体が好きで、自称ボカロオタクの皆はボカロが好きな自分が好きだった。

結局外でボカロの話はしなくなった。

私は来月から大学生だ。

女子大だしどうせ私と話の合う人はいないのだろうけれど、ボカロオタクを名乗るのはやめたくない、いや、やめられない。

私にはボカロしかないのだ。

葬式ではサイハテを流してくれ。

2017-03-13

第一回 増田年齢層調査

小学生 0%

中学生 0.1%

高校生 0.8%

大学生 2.3% (ただし、夏休み春休みは15%くらいまで上昇する)

社会人新卒 9.0%

社会人20代 19.5%

30代 46.7%

40代 18.4%

50代 3.1%

60代以降 0.1%

2017-03-08

ケイオスリングスって文字列久しぶりに見たわ

申し訳ないけどクxxリングスのほうを思い出してしまうなあ

1をipodでやったの懐かしいわあ~

夏休みの5日くらいずっとそれやってたな(社会人

休日学校にいる先生

先生はすごい

学校が開く朝7時には職員室にいる

放課後は完全下校の7時過ぎても職員室にいる

もちろん土曜日にも職員室にいる

日曜日も大抵いる

祝日もいる

夏休みもいる

冬休みもいる

春休みもいる

今年の正月三が日は教育委員会から学校を閉めろって言われたか

誰も職員室にいなかったらしい。

今年は。

会議12時まで何日も続いても、毎日授業してる

新婚でも、40過ぎてても、睡眠時間4時間程度で頑張ってる

運動してないのに疲労骨折してる

いつも手足がむくんでる

転任の挨拶あの日から、たいして経ってもいないのに随分と老け込んだ先生

月曜日には染めるのに、金曜日には白くなる髪の毛

どんどん減っていく毛量

今日は化粧のノリ悪いなあとか。

クマが隠しきれてないなあとか。

忙しい時期に合わせて、太ったり痩せたり

毎日学校に来て、先生はすごい

たくさん課題を出す分

たくさんチェックしなくてはならないのですね

土曜日は課外授業

日曜日も長期休暇も祝日も生徒を学校によんで、自主学習

自由参加という建前でしたね

みんな不平は言うけれど先生の方がずっと大変だったでしょう。

三年生の担当は両手で数えられるほどしか休めないと聞きました

三年生の受験指導に全力で、

浪人生の面倒までみる先生

いつか三年生になると土日と平日いう概念はなくなると先生はおっしゃいましたね

予備校にも塾にも行かなくていい

うちが面倒を見る、という先生

ほんとうにありがとうございます

でもいいんです

僕は予備校がいいんです

毎日学校にいるのは辛いのです

学校はいいところです

でもずっと同じ環境に身を置くのは気が滅入るのです

学校予備校二重生活になるとしても、それはそれで気分の転換に良いのです

田舎から有名予備校はありません

ですから先生はいつも予備校のぶんまで僕たちを指導してくださりましたね

結構です

遠慮させていただきます

先生方は休んでください

給料に見合ったぶんの仕事もだけでいいんです

労働基準法について授業しながら笑わないでください

予備校課題学校課題で手一杯になるから行くなと先生は言うけれど

学校課題は減らせなかったのでしょうか

予備校ありきの学校でも良いのではないのでしょうか

そんな学校のせいで有名予備校進出していないのではないでしょうか

志望校を高くしろと生徒を煽てて、

合格できそうにもない大学を進めて、

後期は合格率のために行きもしない国公立を受けさせ

浪人しようとしない生徒にそれでいいのかと説教をした先生

この大学レベルが低すぎるから

推薦を出してくださらなかった先生

東大志望だった子が出願したくないと言った時、今までの先生方の東大対策無駄にする気かと、不安定な時期に責めましたね

継がなくてはならぬ病院のある子に、執拗東大を進めましたね

東大にこだわるのは上から圧力だそうですね

関大志望者数はクラスごとにノルマがあるそうですね

センター対策をすると二次で取れないからと直前まで対策しませんでしたね

毎年センターが上手くいかず出願できない生徒が沢山いますよね

部活OBも年上の兄弟異口同音センター対策必要と言っていましたが

先生は決してしませんね

僕は高校が大好きでした

卒業した今でも大好きです

先生が僕らのことをすごく大切にしてくださったことも知っています

先生のことはすごく尊敬しています

ですが先生も生徒も、毎日学校にいることが当たり前という生活に疑問を感じていました

先生3年間ありがとうございました

無事合格することができて今はホッとしています

ずっと学校で見守ってくださった先生

今だから言います

東進のおかげです!!!

今までお世話になりました。

林先生!!!

帰省は贅沢

1回で軽く4万5万いく。夏休み正月に帰れば10万近くいく。

なんて贅沢なんだろう。

2017-03-05

悲劇のヒロインモードからうまく這い上がれない

先日、子供自閉症の診断が下りしまった

医者方針なのか重度だとか軽度とかの話はなかった

さすがに診断下りた日はショックだったのでそういうのつっこんで聞く余裕はなかった

親族にそういう傾向のある人はいいからあとはもう確率問題で誰にでも起こりうることだからしょうがないなって納得したつもりだった

とりあえず現在2歳ちょっとすぎの子供は発語がない

からダメ、靴履くから足出して、おいで、とかはなんとなくわかる

おむつが汚れていたりしても親に訴えかけてくることがない

フォークスプーンが使えない、指差しバイバイしない

とかほかにもいろいろあるが、定型発達からは遅れまくっている

世間的にはあの子ちょっと…な子だけど子供かわいい

抱っこする?って聞けば両手をバッて上げて抱っこ体勢がかわいい

林檎が好きでひたすらむしゃむしゃしてるのかわいい

ソニー損保くりぃむしちゅーピンポイントで好きでおおはしゃぎするのもかわいい

笑顔になることをたくさんしてあげて、療育(コミュニケーション能力を伸ばすための訓練のようなもの)がんばって、なんとか社会で生きていけるような道を一緒に探していこう、とか決心して毎日を過ごしているんですけども

刺激を与えなければ、と子供が喜ぶ場所に行けば当然おなじくらいの子供が沢山いて、やっぱ比べてしま

よその子は喋ってる、楽しいって気持ちをお母さんと共有したいんだなってはた目で見てもわかる

やっぱりうちの子は異質だ

歩き始めはちょっとおかしいなくらいだったけど2歳になるとやっぱり違いが顕著で、どうしても目に入ってしまうから落ち込むし他の人に迷惑かけたくないから外に出るのが億劫→なんてダメお母さんなんだろうと自分を責めてまたなんか行動するための気力が削られるの悪循環がひどい

最近ある日子供が突然喋り出す夢ばっかり見る

起きて通常運転の子供を見て落胆する。子供何にも悪くないのに

お母さん大好きとか言われてみたいな

一緒にピカピカの泥団子作ったりしてみたかったな

からないことがあったら図書館で調べたりして一緒にわかるようになれたらすてき

ある程度大きくなったら予算提示して自分で調べて夏休み旅行計画を立ててもらおうとか

いくつかはできるようになるのかもしれないけど、先が全然見えないから小さな希望を抱いた瞬間に「期待するな、後がつらいぞ」っていう待ったをかけてしま

子供ももう一人くらいほしかったけど、もう一人作って大丈夫かもって判断できる(小学生くらい?)頃には高年齢出産

二人目も自閉症だったらって思うともう無理だ

自分しんどいってよりは旦那申し訳ない

真面目で誠実で優しくて頑張り屋なのになんでこんな目に合わせてしまっているんだろう

恩を仇で返してしまったって罪悪感がすごい

脳が成長する今の時期が一番大事からぐだぐだしてちゃだめなんでどっかに宣言しないとと思って増田しにきたのでした

明日公園行くんだ

シャボン玉して遊ぶんだ

ミスドに寄ってお父さんの好きなポンデダブルチョコレート買って帰ろうね

から寝る

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