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はてなキーワード: まれとは

2016-06-30

意識の高いロリコン

小学生とヤっちゃいけないって決めつけているのは誰?

そう、君自身でしょ?



ヤるかヤらないからは君自身選択次第。

世間常識に逃げ込んで「ジブン」を蔑ろにするか、勇気を出して「ジブン」をさらけ出すか。

傷つかないように生きることは簡単だ。でも、そうして傷つくことを恐れていたら何も手に入らない。

それって「ジブン」の人生コントロールできていないってことなんだよ。



この世界に生まれて、何を求め、何をして生きるのか。

その問いに答え、本当の「キモチ」に気付いたとき、たぶん僕達は小学生とヤっているんだと思う。

さあ耳を澄まして。聞こえるでしょ?



くぱぁ

http://anond.hatelabo.jp/20160629132908

3個づつのグループに分ける(A, B, Cとする)。

1. AとBを量る。

2. BとCを量る。

ここまでで、1つだけ重い/軽い玉が含まれているグループが分かる。

ここでは仮にAとする。Aに1つだけ重い/軽い玉が含まれていることになる。

3. Aのどれか2つを量る。

どちらかが重く/軽くなれば、その玉が答え。そうでなければ、量らなかった玉が答え。

頑張れば頑張るほど不幸が生まれていくんだけど

がんばっていれば、今よりきっとよくなる。

はいかなくても、悪くはならない。


という神話を信じていられた新人時代

なんて幸せヤローだたんだろうと思う。


がんばれば、がんばるほど状況が悪くなっていく

という魔のセカンシーズンに入り

そろそろ、エネルギー尽きてきた。



目の前にやるべき仕事はたくさんあるんだけど

やらないと後悔するのわかってるんだけど

やらないときっと誰かを不幸にしてしまうんだけど

どうしようまったく何も考えられない。


どんなときでも持ち場を守り

目の前の仕事ひとつひとつ誠実にこなしていけば

どこかもっと高いところへ行けると思ってた。



初期設定がよくなかった。

会社なんて不条理理不尽で当たり前じゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20160629134455

結婚して金を掴みたい側は子供必要だけど

若い子とタダマンしたい側にとっては子供なんか産まれたら邪魔しかないだろうな

http://anond.hatelabo.jp/20160630011759

「女が悪いところもあるし、女叩きの一部は正論」という人

こういう人が大部分だと思うけど、そういう人は声高に言わないから見えないんだと思う。

あと、「女びいきは認めるくせに女叩きは許さないってのはおかしい」みたいに書いているけど、

お金まれるのは嫌だけど、お金くれるっていうなら貰うよ」っていうことは割と普通だと思う。

エロゲにおける泣きゲー概観

エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである

しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアムフレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為エロと称するのであれば、その意味で泣きゲーエロゲの一ジャンルであることは間違いない。

泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったか技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。

2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。

だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。

ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。

1988~1996年

そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。

その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからであるエロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。

例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である

人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。

男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。

DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。

さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲー元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。

努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇きっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。

「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。

1997年

難病物は概ね、主人公ヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したもの涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一ノベルゲームシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである

この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。

前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。

1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。

おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。

そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴である。もし泣かすという意思で作られたもの泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。

MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。

はいエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである

1998年

ToHeartで泣かせる物語構造確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.スタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインルートで導入された。

当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。

本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独ジャンルを成立させられることを示していた。

今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。

1999年

6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。

特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチKanonは泣かすという目的で採っている。

Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代泣きゲー金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物であるリアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。

――一方で、ToHeartもONEもKanon加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴であるハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である

興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。

2000年

知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。

そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。

しかし、彼女無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。

もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔幸福記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。

悲劇象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。

2001年

ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。

鬱ゲである

MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。

そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。

男女関係修羅場シリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。

誰を切り捨てるかは、プレイヤー選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。

さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である

家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。

襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。

なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである

2002年

……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である

例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である

また、集団間の絆も広く扱われていく。

うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である

2003年

ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決はいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。

これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である

ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。

2004年

そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤー凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。

そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。


泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要位置に少女の悲劇と愛が配置されている。

そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である

としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。

そう捉えるならば泣きゲー歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。

2005年以降

いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である

例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くもの2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。

また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトル以下略)。

昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやす泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである

おわりに

リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲー元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。

かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。

どうか、幸せエロゲライフを。

2015年国勢調査に基づく生涯未婚率

2015年調査抽出速報に基づく生涯未婚率(50歳時未婚率)。概ね1965年まれの人の50歳時未婚率。2010年2005年は確定値。

生涯未婚率
2015年 22.77% 13.32%
2010年 20.14% 10.61%
2005年 15.96% 7.25%

2015年2010年と、2010年2005年とそれぞれ比較し、5年間の各世代婚姻行動を下の世代が将来そのままなぞったと仮定したときの各世代生涯未婚率予測(1965年まれ2015年は確定値)とその変化。

2015予測 2010予測 増減
1965年 22.77% 25.54% -2.77
1970年 24.47% 30.73% -6.26
1975年 24.26% 33.07% -8.81
1980年 23.32% 33.34% -10.02
1985年 23.30% 33.78% -10.48
1990年 24.07% -
2015予測 2010予測 増減
1965年 13.32% 15.30% -1.98
1970年 15.55% 20.03% -4.48
1975年 16.54% 23.45% -6.91
1980年 16.24% 25.34% -9.1
1985年 16.16% 26.42% -10.26
1990年 17.12% -

平成27年国勢調査 抽出速報集計

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&tclassID=000001072818&cycleCode=0&requestSender=search

くじは平等

くじが平等なのはそれがランダムに選ばれることによる。

ところで、人が誰に生まれるかは全くのランダムである

これにより人の生まれによる差は全て平等ものであることがわかる。

コスプレイヤー結婚について

正直あの人はAVに出てくれると期待して待ってた所がある

実際にコミケで見た時可愛かったしね

みんなもあと2,3年後くらいに待ち望んでたんじゃないか

ちなみに子供まれからAV絶対やめてくれ

子供可哀想すぎる

アイドル全般きじゃない

アイドル」といわれるものが好きではない。

他称による賞賛としての「アイドル」ではなく、職業としての「アイドル」だ。

はいっても、冷静に曲を聴くと「わりとちゃんといい曲だなあ」と思ったりする。

基本的に派手なショー的なものは好きなので、ライブも行ったら面白いのかもしれないと思う。

でも、好きじゃない。



何がこんなに嫌なんだろうなと思うんだが、

なんというか、思い出すのは、その昔バラエティでやってた「ポケビ」と「ブラビである

バラエティ番組の中で、彼らはときライバルとして競わされ、とき意味の分からない像を手売りさせられ、

「これに負けたら解散」「これができなきゃCD出させない」と散々に追い詰められていた。

当時子どもだった私は追い詰められる千秋ビビアンを心から気の毒に思っていたし、番組のゆくえにハラハラした。

そういう幾重の困難を乗り越えて出された曲も覚えて何度も口ずさんだ。

けど、不意に気がついた。

こんなの全部うそっぱちだな、と。

くだらない試合だの課題だの、それができなければこの世の終わりみたいに演出されてるけど、

そんなの全部番組のさじ加減一つだ。



彼ら彼女らはすごく一生懸命がんばっている(ように描かれている)けど、

そのがんばりは、言ってみれば、誰かがつくった回し車を一生懸命回しているだけだ。

あれだけボロボロになって涙を流してがんばってるのに、その努力の方向は「私たちはこんなにたくさん回し車を回せました!」なのだ

そんなの見ていられない、と思った。

歌いたいなら歌えばいいのに、なんでそれじゃだめなのだ

ASAYANが同じことをしてモー娘を売り出していたが、それは見てなかったのでよく知らない)



今となってはあそこまで露骨リアリティショーめいた見せ方をするアイドルも少ないだろうが、

結局、今もアイドルというものの売り方はそう変わっていないんじゃないか、と思う。

AKBにはAKBの中のルール規範があり、

ジャニーズにはジャニーズルール規範がある。

彼らは、基本的に、その狭い枠のルールの中で競い、勝ち取り、メディア露出する。

そしてファンたちもまた、そのルール規範を共有し、事情通がそれを解説したりする。

彼らがいま売り出されてるのはこうこうこういう理由なんだよ。



なんだか、スポーツを見せられてるような気分になってしまう。

どっかの眼鏡のふとったおっさんや、

90歳の少年趣味のおじいさんとその一族や、

そういう誰かがつくった、狭い世界の中の狭いルールで競うスポーツである

あそこで華やかにライトを浴びているのは、その、せっまい世界スポーツの勝者というだけだ。



彼らは歌唱力ダンスなど、本来の売り物については、非・アイドルに比べ多くを求められない。

というか、グループ内での優劣は苛烈なまでに強調されグロテスクなまでに書きたてられるのに、

グループの外の人間とは、比較されることもないし同じだけの技量を求められることもない。

あたりまえだ。彼らのスポーツグループ内でしかルールを共有されていない。

仮におなじ「アイドル」と呼ばれていたって、他のグループならば違うスポーツをしているのだ。



どこかのドラマに出たって、舞台に出たって、彼らは過剰な期待はされない。

外の人間も、「アイドル」という枠組み以上の技能がないことはある程度当然として受け止めるからだ。

けれどもなんだか釈然としない。

彼らが「アイドル」というマイナースポーツに興じているのは勝手だし、その勝者としてたたえられるのも勝手だが、

マイナースポーツの一流選手からといって、他のジャンルでまで彼らを尊重する理由があるだろうか。



ポケビブラビの対決に一喜一憂していたころ、私は「ウリナリ」というマイナースポーツルールを把握して、

その枠組みの中にいた。

けれど、今のアイドルたちのルールにははまれない。なんだかばかばかしいからだ。

音楽ダンスバラエティドラマも好きだけど、そのどの分野もきちんと優劣を競い優れた結果を残してる人たちがいる。

内輪のマイナースポーツいちばんになることに全力を注いできた人たちに、特別用はないのである



かんけいないけど「タイミング」は未だにいい曲だな…と思うし

奥田民生カバーとか聞くと涙出てくる。

猫は屋外で飼ってはいけない 室内で飼うべき

猫二匹を自分が適切な判断を下しきれなかったために失った人間のクズが、猫を屋外で飼っている・飼うつもりの人に知っておいて貰いたいことを端的に上げていく。

屋外で猫を飼うと、当然だが交通事故リスクがある。普段大丈夫から今後もずっと大丈夫~なんて安心絶対にしてはいけない。猫は人間想像しているよりずっと遠くへ行くし道路も頻繁に通る。道路を渡ろうとした瞬間に車が来ていてその車が停止しない/出来ない確率は決して低くない。後発情期の時に外に出すような人間殆どいないと思うが交尾とかのリスクだけじゃなく挙動不安定になって交通事故に断然合いやすくなるから発情期の時だけは絶対に家の中に閉じ込めておけ本当に あと少しで去勢の日だったのに

鼠や他の猫に噛まれたりするだけで猫は簡単病気に掛かる。

うちの猫は一度鼠に噛まれ口内炎になってしまった。

口内炎と言っても猫の口内炎人間のものと違って生易しくはなく、『一生治らない』かもしれないし影響は非常に強い。常に口が臭くなってしまうのはまだいいとして、食事の度に吐き出したり唐突に痛々しい鳴き声を漏らしたりするのは見ていられない。獣医に連れて行っても多少症状を和らげるだけで、次第に効かなくなっていく。少なくとも自分場合はそうだった。更に進行すると痛みが強まって一切の食事を取れなくなる。そして死ぬ

抜歯をすれば完治することもあるらしいが、詳しくは知らない。自分もっと早くに調べておくべきだったんだろう。何で調べなかったんだ?獣医に聞いてどうしようもない・治らないで勝手に諦めてた自分は本当に阿呆

何を言っても聞いてくれなかった。屋内で飼ったほうがいいと何度も言った。何度も言った。意見が受け入れてもらえなくて反抗もした。1週間はし続けた。でも家族は受け入れなかった。猫は外で自然のままにさせてやるのがいいのだと。猫はそっちの方が幸せに違いないと。そこで折れるべきではなかった。

結果がこれだ。交通事故。そして苦痛の果ての死。自由もクソもあったもんじゃないだろ苦しんで死んでるんだぞ 外に出したせいだよ ただの外に出してたほうが楽だってエゴだろ ふざけるなよ本当に でも俺も悪い もっと調べていればよかった 折れなければよかった 症状を早期のうちから和らげられないかもっともっと調べて尽力するべきだった 俺も家族と変わらない 利己的な都合を優先してペットを飼うクズに過ぎない

この記事を読む人間がもしも猫を屋外で飼っているかうつもりなら、手遅れになる前にすぐやめろ 猫が苦しんで死んでいくのを見たくないなら絶対に、絶対に こんな風に惨めったらしく稚拙な文を撒き散らして後悔したくないなら!!!絶対!!!!!!!!!!やめろ

2016-06-29

別にお金が欲しかったわけじゃないんだよ。

一本気なところがあって、そこに憧れたんだ。

でも結局のところ銭ゲバに持ち込まれしまう。

結婚は二人が一緒にいるための手段にすぎないのに、

結婚できないから、妻業をやれないからという理由で結局関われないし。

半年ぐらい、ずっと訃報を待ってたもん。

どこかの田舎警察から、「山で発見された死体の財布に

あなた電話番号を書いたメモがありまして……」と

電話かかってくるんじゃないかって。

向こうも陰で苦労したと思うけど、私も安穏と今日まで生きてきたわけじゃないからな……。

ウォーターフォールからアジャイルへ転換できるのか?

ウォーターフォールアジャイルは、別種の組織文化契約必要とし、経年を経て進化・変化・転換するものではないように思う。

アジャイル以前(80年~00年)

アジャイル最初からアジャイルという呼び名だったわけではない。

当初は「スクラム」「エクストリームプログラミング」など、著名なエンジニアが開発した様々な手法総称であり、軽量ソフトウェア開発手法呼称が好まれて使われた。

80年代において、コンピュータリソースは貴重であり、オペレーティングシステムは低水準のAPIしか提供せず、

ひとつの処理を作るのに数百~数千ステップ必要としたので、「処理を設計する」「コーダー実装する」というフロー合理的であった。

現在において、開発機のリソースは極めて安く、SDKライブラリ提供する高度なAPIの組み合わせによって機能を実現できるため、

コーダー実装(≒設計)を行い、必要に応じてドキュメント化する」というフローの方が合理的である

しかし「エクスリーム(極端な、過激な)プログラミング」という言葉に顕れているように、これらの手法は登場当初は正格な方式とは認められなかった。

アジャイルソフトウェア開発宣言2001年

私たちは、ソフトウェア開発の実践
あるいは実践を手助けをする活動を通じて、
よりよい開発方法を見つけだそうとしている。
この活動を通して、私たちは以下の価値に至った。

プロセスツールよりも個人と対話を、
包括的ドキュメントよりも動くソフトウェアを、
契約交渉よりも顧客との協調を、
計画に従うことよりも変化への対応を、

価値とする。すなわち、左記のことがらに価値があることを
認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく。

著名なエンジニアがこれまで「軽量ソフトウェア開発手法」に含まれていた技法を「アジャイルソフトウェア開発手法」と再定義した。

従来の契約計画を重んじるやり方を尊重しつつも、ソフトウェア開発においては適応的な手法の方がより優れているという宣言であり、

この時点ではUSにおいてもウォーターフォール的なプロジェクト趨勢支配していたことが伺える。

My Job Went to India: 52 Ways to Save Your Job(2005年

「私の仕事インドへ行った:あなたが職を失わないための52の方法」という本がプログラマの間で話題になる。これは現代でも名著として名高い。

2009年に発売された2版では、「The Passionate Programmer: Creating a Remarkable Career in Software Development」に改題している。

素直に訳すなら、「情熱プログラマーソフトウェア開発者として注目されるキャリアの作り方」となるだろう。

日本語版サブタイトルはそれぞれ「オフショア時代ソフトウェア開発者サバイバルガイド」「ソフトウェア開発者幸せ生き方」とかなり意訳している。

2005年にはウォーターフォール式のプログラミング開発はほとんどが単価の安いインドに投げられるようになった。

当時の文献にはドットネットバブルが弾け、IPO目当てでコンピュータサイエンスを志す学生が目に見えて減ったという記述が出てくる。

そしておよそ10年後(2016年

アジャイルソフトウェア開発技法は洗練され、継続的デリバリーと紐付き、DevOpsへと深化を果たした。

要件定義、外部設計、内部設計実装単体テスト結合テスト、受入テスト、納品、運用、そして緩慢に死を迎えるのを待つのではなく、

顧客要求に対して適応的に実装が行われ、無駄の多いテスト自動化によって省力化され、

デプロイ自動化し、運用によって得られた知見が開発へフィードバック・新たな要求となる、新しいソフトウェアライフサイクルが定着した。

このためには様々なソフトウェア開発の原則に通じ、実装技術に秀でており、かつビジネスのコアバリューを理解できる必要がある。

USにおいて、そうした優れたソフトウェア開発者成功者・高給取りとして知られるようになっている。

ちょっとまて、10年間に何があった

単価の安いオフショア仕事を投げていた企業はどうなったの?インド人に職を追われたプログラマは?10年間に何があったの??

クラウドビジネスの売り込みのために、DevOpsをキーワードにしている大企業の影はちらつきながらも、

USで労働集約ビジネスをしていた中小ソフトウェアハウスが、近代的なソフトウェア企業に生まれ変わり従業員に多額の給与を支払うようになったという類の逸話はないのはなぜか。

おそらくは、

  1. USの従来型の労働集約ソフトウェアハウスほとんど死んだ
  2. 有能な人材ベンチャー企業で新しく画期的サービスを立ち上げるようになった
  3. 有望なベンチャービジネスMSGoogleAppleなどの超大企業に買収されるため、1~3のループが続いている

ということなんじゃないのかなと思う。

つまるところ10年間に起きていたのはウォーターフォールからアジャイルへの転換ではなく、死と再生だったのではないかっていう仮説。

もう家族とかやめようよ

http://toyokeizai.net/articles/-/124699

これ読んでて思ったんだけどさ.もう親要らなくないですか.

私も両親離婚してそれなりに貧乏だったので必死こいて勉強して学費免除を受け続けて今まで生きているんだけど,

もう何度もこの親に生まれなければって思ったんだよね.今だに金が無いせいで諦めていること沢山あるし.

しか卒業したらもれなく借金背負ったまま人生スタートだよ.ハードモードすぎるわ.

子供のためにも一定以下の年収子供産んだら国が引き取って施設かどっかで教育とかで良いんじゃないかと思う.

そうじゃなくても,親,あるいは子供自分でそれを希望できるようにして欲しい.そういう制度があったら私はためらいなく選んでいた.

もう,それぐらい個別主義になっても良いんじゃない?もう家族とかやめよう.そうすれば幸せになる人たくさんいるよ.

みんながやめなくてもいいけど,やめられるようにはしようよ.無駄だよ.血縁関係なんて糞食らえだよ.

だいたい何だよ血縁って.産み落とされたら物理的につながってないんだから自由でいいだろ.

自分の老後は自分で何とかするようになるだろうし,産んだ子供のことを考えずに,勝手に産んだ親のことも考えずに死ねるのって,それはそれで幸せだって

彼女が実は関西人だったので別れた。

まれた時から東京人だと思っていた。ナチュラルボーン東京人だと。メトロポリタンアンニュイハイソでビーバップ東京人だと思っていた。

でも、実は関西人だったなんて。思わずなんでやねん」という怒号が襖を揺すったほどだった。そのなんでやねん人生初のなんでやねんとしては、プロ関西人を思わせるほどで、身振り手振りはまるでフィギアスケートのような柔と剛を重ね備えた完璧なんでやねんだった。

そのなんでやねんのあまり発音のきれいさに、改めて自分関西人であることを悟った。その日から私は関西人になった。全てを受け入れた。NOVAにかよって関西弁練習さえもした。関西人とは関西人であるのではなく、関西人になるものなのだ。どちらかといえば関西方言を忌み嫌っていた私が実か関西人だったなんて。通りで、お好み焼きがやたら好きだと思っていた。お好み焼きにご飯を合わせて食べる側の生き方をしてきた。広島焼きに他意なき敵意さえ抱いていた。それは、私の血液に流れる関西人DNAによるものなのだ

吉本も録画するようにした。探偵ナイトスクープも見るようにした。雑煮白味噌にした。いざとなれば道頓堀から飛び込めるように、プールで飛び込みの練習もしている。一流の関西人になるために、私は日々、関西人努力を重ねる。いつか憧れの聖地オーサカにいけるように、私は日々、関西に祈りを捧げ続けた。

しかし、問題が1つある。彼氏関西人嫌いなのだ。いつも私はそれに乗っかり「そうよね。六甲おろし国家地域なんて激しすぎるわよね」と言っていたのだった。まさか、そんな私が関西人だなんて。

でも、避けて通れない。私は携帯で、彼氏電話番号を押す。自分関西人とわかってからの一ヶ月会ってない。

電話に出る彼氏他愛のない雑談。そして、私は言う。

「ごめん。私実は関西人だったんだ。そんな彼女嫌よね、別れましょう。でも、どうしてあなた関西人をそこまで嫌うの?」

「俺も関西人からやで」

なんでやねん!」

http://anond.hatelabo.jp/20160628063357

トリプトファンが多いのは肉と魚だバーカ!!!

なーにが納豆バナナを食べましょうだ!!!

肉魚に比べたら納豆バナナトリプトファン含有量なんか雑魚ナメだっつーの!!

お前な、トリプトファンセロトニンの原料となる重要物質なんだぞ!!

セロトニンが減れば抑うつなどを引き起こす!!運動瞑想野菜そしてトリプトファン!!!

年寄りか?消化に悪いとか言って動物性たんぱく質を摂りたがらない年寄り向けに偏ってんのか?

微妙に嘘は言ってないけど偏った健康情報は滅びろ!!

お前ら今後トリプトファンが多く含まれ食品納豆バナナを真っ先に挙げやがったらxevra先輩にチクっかんな!!

覚えてろ!!!!!

人と会話を合わせるために情報を仕入れるという事

がとても苦手。

興味ないことをわざわざ調べるのって単純に苦痛だ。

野球政治も興味ない。

しか社会人になってそんなことも言っていられない立場になってきた。

社会的動物言語を司る人間に生まれしまった以上周りに媚び生活していくしかないのだ。わんわん吠えてればいい犬になりたい。

人間関係を良好にする努力を怠れば必ずどこかで余計な損をする。

という訳で皆さんが興味ないけど周りに合わせるためにやっていること教えてください。

生活保護否定しないが、日本生活保護は手厚すぎる

生活保護必要性とかそういう理念的な話はもうどうでもいい。そこは否定しない。でも問題そこじゃねえよ。

受給者の方だけじゃなくて、ケースワーカー取材しろ鈴木大介





http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/seikatuhogo/


先進国では、最低賃金年金生活保護となっているのに、日本では、生活保護最低賃金年金となっている。

常に問題視されるのは、最低賃金で働いている若者より受給者の額のほうが多い場合があるということだ。

こんな国は先進国の中では日本だけである

これずっと言われてるのに最低賃金を上げようともしないし生活保護も下げようとしない。

最低賃金で働いていて、ずるいと思わないやつがいると思うか?

生活保護必要性の話なんかしてねえんだよ。 それすらも理解できないやつは何言っても無駄だ。

それより、鈴木大介生活保護最低賃金年金についてこそ答えるべきだろ。





国際比較においては、日本生活扶助の額は、極めて多い。

所得保障水準(出典:平成2410月財務省主計局

フランス  39,207円    保護率 5.7%

ドイツ   34,398円    保護率 9.7%

スウェーデン   44,160円    保護率 4.5%

イギリス  30,008円    保護率 9.27%

アメリカ  15,800円    保護率 13.05%

日本    64,870円~83,700円 保護率 1.6%

以上のように、日本生活扶助ヨーロッパ諸国の2倍、

アメリカの4倍~5倍にもなる。

受給者は、生活保護費が少ないと文句を言うが、実際のところ「健康文化的必要最低限の生活」を送るためにこれだけ必要だと本当に言えるだろうか?

日本福祉はなんとなくほかの国より低いと思い込んでる人がいるようだが数字としては一番高い。

もちろん物価問題はあるが、それでもほかの国と比べて足りないとは言えないだろう。




欧米ではボランティア活動への参加が必要で、生保は有期限なのにたいし、日本ではなんちゃって就職活動していれば高額の生活扶助を受け取り、しか医療費も税や年金も全て無料で無期限期限もない。

基準が甘すぎる。

生活保護法は、「最低限度の生活保障」と「自立助長」の2つを目的に掲げている。ところが、生保優遇により「自立助長」を妨げているといえる。

コンビニバイトは、月に8万円程度しかもらっていない。生保優遇から、滞留がほとんどとなり、自立率2%となっている。


仮に、生活扶助欧米並みの水準に下げ、ボランティア活動への参加を義務化(但し寝たきりの人は除く)すれば、現在保護されていない人を救う財源が生まれ、働きたくない怠け者が出て行くので、漏給濫給が大幅に減る。




生保世帯の子供の半分は後に再び生保になる

全体の平均が1.6%だから、格段に高い率で生保となっている事がわかる。

2世生保どころか3世生保まで出てきているのだ。





こんな感じでさ。生保についてだが、鈴木大介的な草の根視点否定しないが、それとは別に、鳥の目、つまりデータで語ることも必要だろう。




あとこっからは俺の愚痴な。


生活保護運営がクソすぎる。働いてる職員レベルがだめすぎてまともな運営ができてない

はてなブックマークコメントを見ていると、そもそも生保の仕組みを理解してないで適当なことを言ってる奴ばかりだ。

生保は一度資格を得たら金渡して終わりだと思ってる? 違うよ。

私は一度仕事をやめて、ハローワーク失業給付もらうことになって初めて気づいたが、

機械的対応しかしない職員上から目線説教されるというきわめて屈辱的でしかも役に立たない茶番を経なければ支給されない。

多分職員の中にはいい人もたくさんいるんだろうが、この国のセーフティネットの仕組みは、形だけしっかりしてるが中身がボロボロだ。



生活保護についても調べたが、やはりケースワーカーがついて指導する仕組みになっている。

だが、このケースワーカー専門家ほとんどいない。とにかく忙しいだけでスキルがない新人仕事押し付けるような形になっている。

そして、受給者プライドをズタボロにするような対応だし、自立をむしろ妨げるような給付の仕組みになっている。

http://seihokanzen.xyz/2015/10/12/caseworker/

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13105104658

年収額は自治体によって異なります

東京都23区の場合、平均年収は700万~800万円の間です。

全国の自治体平均ですと、約670万円前後であるそうです。

労働時間については、8:30~17:15までです。

多くのケースワーカーに聞く限りでは、

時間内に仕事が終わることはほとんどないので、多くの方が残業をしているようです。

また、仕事中はあまりの忙しさで常にバタバタしており、一息つく暇もないとのことです。

こいつら年収高すぎだろ。 

これは単なるひがみだが、明らかに仕事できない感じの人間が、こんだけ給料もらえるの世の中間違ってるよ。





https://note.mu/sbsnbun/m/m4bd73cf83898

http://sbshinbun.blog.fc2.com/blog-entry-457.html

月に一度、生存確認をしに訪ねてくるだけだった。私は早く働きたいと思っていたのだが、何も言ってくれなかった。ワーカーが「この人は働けない」と勝手判断したのかもしれない。

さらに私は働き始めてからきちんと書類を書いて提出していたのだが、担当のワーカーは勝手書類を作って提出していたことが発覚した。担当のワーカーは私に何度も「君は精神精神障害者)だから働けない」と言ってきた。


「ワーカーの仕事は稼働年齢にある人を働けるように指導するのが仕事なのに、仕事をしない」のだ。




生活保護悪用している人間もやはり少なくない。体感としてはかなり多いという人もいる

実際に自分は、就労支援施設生活保護を貰いながら5年以上居続けている人間を何人も見てきました

補助があるから仕事雑談しながら適当にやったり自分意見が合わないと自分の仲間を読んできて声を荒げたり、こちらの発言に対して一切耳を貸さな人間も見てきましたし、自分の思い通りに行かなかったからと言って自助会の代表者に延々と電話嫌がらせを行い疲弊させ

終には休会させたりした人も居ました

生活保護を貰う事に慣れてしまった人間描写も欲しかったです

最初記憶は4才の時で、父親母親喧嘩をしているのを止めに入る瞬間だ。それ以前のことは何も覚えていない。

父親母親の頭を殴りつけようと拳を振り上げるのが見えて、懸命に走って間に割り込んだ。

立ちはだかる自分父親は一瞬驚いた顔をして、そのまま4才の自分の頭を片手で鷲掴みにし、フローリングの床にたたきつけた。

からどくどくと流れる自分の血と、母の悲鳴が強烈に記憶に残っている。

幼い妹に父母の喧嘩を見せたくなくてそれからも何度となく止めに入ったり代わりに殴られたりした。

高校生になった自分母親が掛けた言葉は「あんたたちさえいなけれ離婚出来ていたけどね」

その日からどうしても、あの日自分を殴った父親よりも、額を縫う怪我をして庇ったはずの母親が最終的に自分をなじったことが許せなくなってしまった。

こちらの献身に対してリターンが無いことに、忘れてしまったことに、こちらが覚えていることを知らないことに、どうしようもなく絶望した。

大人になってからは信頼出来る人なのかどうか、試すための人間関係構築をしてしまってきた。お金や、時間をその人のために使う。それに見合う感謝や、向こうからの見返りが帰ってこなければ、必要最低限以上のやりとりしかしない相手勝手自分の中でフォルダに振り分けた。

30になった。

この人は私を裏切らないであろう、というフォルダに現時点で振り分けられている人は一人しかいない。この人がいなくなったら、そしてこの人がやっぱり母と同じような人だったら、もう生きている意味がないように思う。

まれ変わったら人を試さずに生きてゆける人になりたい。

http://anond.hatelabo.jp/20160629180512

心を無にして実際どれぐらいずれ込んだのかを容赦なく記録だ

どんよりした気分でやらずに定時前の通常業務感覚でこなすんだ

いけそうと実測値のギャップの実績が貯まってくれば「これならいけそう」にどれぐらい補正かければいいかが見えてくる

いけそうな感覚自体を鍛え直せれば最上だけど最悪でもガバガバ直感に対してかけるべき補正が定まれば安定する

人生で何の試練も出合うことなく、周囲から守られて、恵まれ人生を歩んできて、弛みきっている人となりをしている人。

それ故に、恵まれた引き換えとして、平凡で突出した光る所がない。


しかプライドだけは高い為(というか恵まれてるからプライドが高いく、プライドを壊せる経験をしてきていない)ので、


苦労多く、光る部分も多い人間を見ては、妬んで足を引っ張ろうとする。(光る部分しか見えていないので…)


なので、小さい彼らの自尊心を満たし喜ばせるためには、苦労話や自虐ネタを用意して、喜ばせないといけないという始末。


情けなくて、小さいな~、と思うけれど、小ささというのは、どうすることもできないのかもしれない…。


本来ならば、恵まれている方が妬まれるのだけど、恵まれものが苦労している人を妬むチグハグさ。

まれてこなければよかった少年

今日通勤中、小学校中学年?くらいの少年とお母さんの電車の中での会話。


少年「ねえ、なんで勉強しないといけないのかなぁ。僕勉強嫌いだよ」

母親勉強がんばったほうが、大人になった時にいっぱいやりたいことができるよ」

少年「でもぼく、頑張るのは嫌なんだ。どうしても頑張らなきゃだめなの?」

母親「今はお勉強頑張らなきゃだけど、○○君が大人になったらお仕事をして○○君が頑張っただけお金ももらえて、美味しいごはんとか好きなものとか買ったりできるんだよー。」

少年「そっかぁ、こどもも大人も頑張らないとなのかぁ。ぼく頑張りたくないなぁ。生まれてこなければよかったなぁ」


まれ意味とかあんまり考えず、お仕事が終わったあとにコンビニあたりめ男梅サワーを買って帰って

家でゲームしながら飲んでるだけで幸せ自分には、いろんな意味で考えさせられる会話でした。

自分を高く評価する」というのは自信ではない

これは主に「プライド」と呼ばれます

自分他人のように、静止画で捉えて、他の人や「理想像」と比較評価することです。

重大なことに、自己評価するということは、見ているのはどんなに「今の」自分だと思ったところで、結果であって、過去しかありません。

そうして自分評価だけを追い求めると、人は今を生き未来に向かって生きる力を失うのです。


プライドを持てないときに、逆の自己評価自分は駄目だという自己嫌悪が起きます

それを引き起こしたのが他人だと感じると、「屈辱」感が起き、相手への怒りや憎悪が起きます

全てが、人間として善か悪か」という生き方、その中で自分ダメ出しをしたのが始まりです。


人に接する時に、「明るく喋っている自分の姿」を思い描く。恋人に会いたいという気持ちの中に、「その人を愛している自分の姿」がある。

それは、理性より深いところで、自己評価して生きる」姿勢が塊のように存在しているものです。

それを追い求めるべきもののように映し出したとしても、実はそれは自己への自信に導くものではないという自覚を持って下さい。

逆にそれが、自己嫌悪を始めとする破壊感情を生み出した大元だと。


そうして静止画のような「姿」を追い求める気持ちが減るにつれて、「本当に自分がしたいこと」が見えてきます

ある自分に「なる」のではなく、今なにを「する」かです。


幸福」について、仕事成功とか、結婚とか、友達に囲まれ暮らしとか、「イメージ」で考えるのも同様に無益です。

「こうあれれば」という硬直した姿を捨てた時、人間多様性愕然とするほどのものであることを感じると思います

まれ環境も、持って生まれた才能も容貌も、家柄の有利不利も。

その中で、何10万人に一人という恵まれた星の下で生まれアイドルのような人と自分比較するのは全くの無意味というものです。

人それぞれ条件が全く違う中で、各自自分の欲求を見極めて、それを満足するように努力すればいいのです。

http://tspsycho.k-server.org/base/base09.html

英語で発信するば世界が広がるんじゃなかったのか

英語必死に学んでいるので英語情報発信をしている。

いろんな英語啓蒙書をみると、発信型の英語重要らしい。

英語だと日本語で発信するよりはるかに多くの人に見てもらえて世界が広がって収入が増えるというじゃないか

なので1年間ぐらいがんばって、100kBぐらいの文章投稿してきた。

ブログだけだと認知されないかもなのでLang8とかの言語SNSにも投稿してきた。

日常的な話題とか疑問とかだ。日本独自情報ということで自分の好きなオタ系ネタとかも書いたりした。

だが結果は散々だ。

まずアクセスがない。レスもない。スパムは増える。いやむしろスパムでも反応があって嬉しいぐらいだ。

日本語でテキトーtwitter投稿するとRTスターがちょこちょこ貰えて、

まれにバズって数千スターを貰えたりするのとは大違いだ。

絵を書いてアップすればチヤホヤされるし、レスのやりとりで楽しい関係を作り出せたりもする。


なんだよー、何年もの英語の訓練、学習に掛けた費用意味ないじゃないかコスパ最低じゃないか

http://anond.hatelabo.jp/20160626195536

この文章だけではなんとも言えないけど、そういう時代文化に生まれ育ったらそうなる。

もしくは食べる事にそれほど興味関心がない人もいる。

少なくとも料理ケチをつけてくるとかじゃなければ実害はほぼ無いでしょ。

その程度のことで狂人扱い・家族外の扱いをする増田の方が、ちょっとどうかしているんじゃないの?