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2016-08-26

自分彼女過去ヤバい事をやってたかどうか確かめ簡単方法

自分彼女顔写真か全体の写真、また裸の写真を撮る。

それをグーグルなどの検索エンジン画像検索する。

そうするとたまにヤバい画像が上がる時がある。

それを探すのがもっと費用を掛けずに彼女の無実を晴らせる方法

http://anond.hatelabo.jp/20160826223225

おめでとう

告白した/されたことがあるとかないに関わらず、20代前半まで異性と付き合ったことがない人って自分感覚だと何人かに一人いるし、増田自身友達にも好かれてるみたいだからそんなに過去のことを気にしないで思う存分幸せ時間を過ごしてほしい

ただ、しばらく付き合ってるとケンカしたりお互いの気に入らないところが増えてきたりして好きっていう気持ちに陰りが出てくることがあると思う。それで別れちゃうくらいならもともとその人とはその程度の関係より先はなかったっていうことになるし、それをずっと乗り越えられれば本当に運命出会いだと言えるはず

高畑裕太容疑者は本当に後先考えず犯行に及んだのか?

売れっ子二世タレントが大きな仕事を目前にして人生を棒に振ってまでレイプなどするだろうか。

表沙汰にはならないだろうという目算があったのではないか

その目算は過去経験から来るものではないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20160826083615

ネタなんでしょうけどそれはないです

浮気された相手は親しいというほどでもないですが友達でしたし

 

過去友達元カノが付き合ってて別れて

その後付き合ったんで状況が違います

大きな課題解決

誰かと協力せずに、一人で一貫してできる仕事というのは、比較

規模の小さな問題解決するものだったりする。内容にもよるけれど大抵はそう。大きな問題解決は協力者が必要になる。



から過去(前世など)に、一人で一貫してできる仕事を達成してしまった人間は、次に(今世では)、より難しい課題、皆で協力しないと解決できない大きな課題に取り組むように本能が作られてしまっている。一人で一貫してできる仕事に興味が向かない。



困難を抱えるにも関わらず、より大きな課題に向かおうとするのは、理にかなっている。生命は、成長する生き物という理由もあるけれど、小さい課題解決であればあるほど他の人でもできる仕事になってくるからだ。つまり、とって変えられやすくなり、自分存在意義問題になる。




大きな課題に向かうのは、できるかできないか簡単でないとか、賢くないやり方とか、そういう問題ではなく、問題解決に焦点している。




しかし、ここで問題が生じる。協力して解決する大きな課題とは、

そこそこに、精神がきたえられていて、社会課題解決に心が向かっている人間でないと協力できない。




未熟な人間であればあるほど、世の中の課題よりも、自分問題(とりわけ心の問題)のほうが重大だから自分が救われるか救われないか

自分に関心がある。大抵は、自分が認められるかどうか。自分チヤホヤされて華やかになれるかどうか、に関心がある。




なので、問題が目の前にやってきても、社会問題を聞いても、問題としてキャッチしない。これをリアリティーがない、と感じるらしい。他人事の様に感じるのだ。日本経済ヤバイとか、会社という組織がガヤバイという事よりも自分が認められるか、というような(自分だけの問題)、より小さな事に関心を向けている。




このような、まだ卵のから割れていない未熟な人間と共同する場合、其々が強みを生かした共同の仕方、横並びの連携がとれない。




半人前なので、人に使われるような働き方になってしまうし、当然、本人もそれは嫌だ。




というか、半人前は社会課題自分解決するために働くという意識ではなく、仕事自分サービスしてくれるものであるかどうかを考えている意識だったりする。

お客様としてサービスを受けようとする意識で働きに来るので、

中心となって、その場で働いている者からするとたまったものではないのだろう…

anond:20160825151153

ごめん。彼女を寝取ったはおれだ。きみには申し訳ないことをしたと思う。

だけど、わかってほしいのだが、きみを傷つけようとして寝取ったわけじゃない。

俺としても本気だった。彼女をきみから奪い取りたかった。

から強引に頼み込んで、何とかそうなるようにしたんだよ。

 

だけどやっぱり、あまりうまく行かなかった。数回だけはそうすることができたが、長くは続かなかった。

やはり何かがまずかったようだ。おれのせいかもしれない。

そのせいで彼女にもきみにも迷惑をかけたようだ。すまない。

だけど、しょうがないんだよ。男と女関係というのは、狙ったとおりには行かないものだ。

あっちに行ったりこっちに行ったり、ふらついたりするものなんだ。

 

おれとしては彼女幸せにして上げることができなかった。残念だ。

できれば、きみと彼女がうまく行って、彼女幸せになってくれたら、と思うが、

それはおれの自分勝手な願望だ。おれが何かを言える立場じゃないことはわかっている。

 

彼女にもきみにも、本当に済まないことをしたと思っている。しかしそれは結果論だ。

おれは別にきみたちを傷つけようとしたわけじゃない。ただ彼女を愛しただけなんだ。

だけどうまく行かなかったんだ。どうしようもないことなんだよ。

 

ただ、一つだけは言える。こんな過去いつまでもこだわるべきじゃないということだ。

きみは何も悪くない。おれだって悪いことをしたわけじゃない。あのときは単にきみと競争していただけだ。男と女のいる世界ではよくあることだ。

 

きみとは戦友みたいなものかもしれないな。将来たがいに素性を知らないまま酒を酌み交わしているかもしれないな。ま、それも人生さ。

自分人生を生きてくれ。

ホットスタートが嫌い

小説の書き出しとかのホットスタート

小説じゃなくて映画とかアニメとかでもなんだけど。


特に映画小説

アニメ漫画特に連載もの)はまだわかる。

2話目を見て貰えるか、それ以前に1話を最後まで見て貰えるかの勝負だろうから

映画も見せ方としてなんとか許せる。

だけど、小説立ち読みして数ページ読んでから買うか買わないか決める奴が果たして居るのだろうか?

本屋小説とかビニールに包まれて読めないことも多いし。



何故に時系列を崩してまで、アクションシーンから始める必要があるのか?

そんなふうに思ったのは、異世界チートものWEB発のラノベを読んだからなんだけど。

WEB小説って基本的にだらだらと設定説明とかからまり(作者がそんなに知識技術いから。日本での生活して、死ぬとか魔法陣巻き込まれ召喚とかのテンプレ)、だらだらと話が進み、

人気が出たり、作家に才能あったら徐々に盛り上がって行ったりそういう作品が多い気がする。

(そもそもテンプレで、ステップアップ展開あるのでそれをなぞるとそうなりがち)



で、人気が出たWEB小説小説賞に入賞したり、出版社からスカウトされたりして書籍化ってなるときに。



編集がアホなんだか、馬鹿の一つ覚えみたいに、アクションシーンをぷろーぐに持って来たりする。

すごい強敵に苦戦するとか、すごい強敵無双するとかパターンはあるけど。


で、特に謎を残すわけでもなかったりする。



いやね、書き出しが重要ってのはわかる。新人賞とかだと今でも言われてたりする。

小説学校とかでも技術ひとつとして教えてたりするんだろう。

そやかて、テンプレなぞったWEB小説ですやん?

どうせ、異世界への召喚の経緯とか過去に戻って描写するんですやん?

そんな話で、しかも紙書籍で(冒頭が立ち読みできる電子書籍に的を絞ってるんならまだしも)、

単にアクションシーンから始めたいがためのアクションシーンって冷める。


後々意味があったり、興味を引く謎とか残して、謎解きを楽しみにできるんならまだしも。

ほんとにホットスタートのための時系列いじりとどうでもいいアクションシーンスタートは止めてくだされ。


こっちはあらすじとかネットの評判とか見て最初から最後まで読むつもりで買うんだからさ。

半分ぐらいまではつまんなくても読むよ。買った本だったら最初の数ページで投げ出すことなんてしないから。

2016-08-25

36歳、二児の父になったけど娘を風呂に入れていてウンコ漏らした

さて、過去に3回ウンコ漏らした増田です。2年ぶり4度目の登場です。お久しぶりです。

http://anond.hatelabo.jp/20111212011721

http://anond.hatelabo.jp/20111227010115

http://anond.hatelabo.jp/20140309231305

駐車場で2年前に下痢便ブチまけてからの久々の失態です。

みなさんのはげましのおかげもあって、先日第二児が誕生しました。女の子です。

この夏生まれたところなのでまだ生後2週間くらいの新生児なのですね。沐浴という段階です。

それは退院してきて1週間、はじめてパパが沐浴担当になった夜のことでした。


せっかくの休日でしたので、夕食ににんにくが効いたステーキをたらふく食べた私は、少しビールを飲んだこともあり食後に30分ほど低血糖発作かな?というレベルで寝てしまいました。

妻に「○○ちゃん、おふろいれないのー?」と起こされて、もうろうとした意識のまま眠気覚ましも兼ねての沐浴開始です。

初めて娘をお風呂に入れる、パパも初体験、よーし頑張っちゃうぞー!と意気揚々先にシャワーを浴びて沐浴準備です。


ベビーバスにお湯を張り、準備万端!さぁ、娘よ、パパと一緒にお風呂はいろう!


から娘を受け取り、しゃがみながらゆっくりベビーバスにつからせる。

ソフトタッチベビーシャンプーで洗ってあげる至福のひと時でした。

 

 

 

が!そいつは突然やってきた!



いかかる腹痛。おそらく私自身の肉体が、寝起きから目覚めたのか、たらふく食べた胃袋がしゃがんでいる体制でトコロテンのように抑圧されているのか、腸に圧力を感じる!

そして娘をベビーバスに入れながらしゃがんでいる体制はまさに“ウンコずわり”!


いかん、これはイカンぞ!


そう思うも両手は娘がベビーバスに落ちないように支えている体制しかし襲い来る便意は俺を待ってくれない。

 

 

 

アッ!アッ!アッ!

 

 

娘を抱えながら前のめりに倒れそうになるも必死でこらえる。しかし無情にも出し続けているシャワーが前かがみになった俺の菊門をさながらウォシュレットのごとく刺激する、

 

 

 

オッ!オッ!オッ!

 

 

 

だめだ、このままでは爆発してしまう!

ストッパCMよろしくゲリポーテーションできたとしても娘は一緒にテレポートはできない!いやそうじゃない。

立とう、いや立てない、新生児を濡らしたままとかできない、おいておく場所もない、シャワーを止めなくては!でも両手塞がってる詰んでる!

 

 


しゃがんだ体制のままなんとか肛門括約筋に力を入れようとするもソフトタッチで娘を抱えている状態ではパワーは半減。

もうどうしようもない!

しかたない、夫の威厳はなくなるが、「うんこもれそうですかわってください」と正直に言うしか無い!

「妻ァー!妻ァー!」と風呂から叫ぶ!しかし、次の瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 


ミチッ

 

 

 

 

 

 

 


あ、なんかポケモンGOディグダよろしくちょっとからなんか茶色いの顔出してる?

叫んだから?腹圧かかったから?括約筋締め切れてなかったから?


妻「どうしたの!?なんかあっ 『なんでもないなんでもない開けなくていいよ大丈夫今綺麗に洗ってあげてるから!!!!!!ァァァァ!』

しかし叫べば叫ぶほどそのはずみで少し顔を出したヤツがちぎれてこぼれ落ちる!

 

 

 

 

ポロッ!ミチッ!プピッ!ピュッ!

 

 

ピュブブリリr

 

 

 

 

 

 

アアアアアこれはまずい!娘のベビーバスについたら大腸菌汚染とはピロリ菌とかなんかいろいろまずそう!とっとと排水口に流さななくては!

と、なんとかしゃがんだ体制のまま娘を片手てベビーバスに浮かせ、シャワーの水圧を上げてシャワーを手に取りヤツを娘の領域に掛からないように排水口へ。

しかししゃがんでいる体制は変わらないので菊門は全開状態、止められない!

 

 

下痢便混じりの茶色い液体が少しづ漏れだす、もうダメだ、どこまで出るんだ、どれくらい出るんだ、いつまで出るんだ、どうなってるんだ、どうしたらいいんだ、娘にウンコついたらさすがに離婚されるか、どうしよう!

 

 

という想いが0.5秒サイクルで頭を駆け巡りながらもシャワー排水口に追いやる。

妻「シャワー出しっぱなしもったいないから止めて洗いなさいよ!」

とドアの前から怒鳴られるも、なんとか便意が抑えられ、括約筋による栓ができるところまで持っていく。


ガラッ!全力でドアを開ける俺。ドアの前にいた妻に娘をバスタオルでくるんで渡し、

「綺麗にしたで!ごめんウンコ漏れる!」

と叫んで俺はずぶ濡れのまま「サイテー!」という妻の声を尻目にトイレにダッシュ!

違うんだ、漏れるんじゃないんだ、漏らしたんだ、ごめんよ妻よ、また墓まで持っていく秘密が一つ増えたよ。



女の子なので将来的に「パパくさーい!きもーい!」と言われること確定ですが、

現時点でだいぶクサいパパであることにお前は気づいていないのだよ。


初めての娘とのお風呂は一生「俺だけ」の思い出に残るお風呂になってしまいました。

政治的言説における「内向き志向」「外向き志向

常々政治的言説において「右」と「左」という区分いかにも対置概念のようにしてレッテル貼る場合があるが、その区分がずっとピンと来なかった。何をもってそう区分するのか?人によってその感覚は異なるのだろうけども、本当は対置される区分じゃないような気がしてむずむずしていた。

そこでいろんな政治的言説に触れるにあたり、どうせ区分するんなら、こんな区分ができるんじゃないのかな?という思い付きが出てきた。

------「内向き志向(国の問題の根源を内部に求めるという意味で)」と「外向き志向(国の問題の根源を外部に求めるという意味で)」------

・「内向き志向」というのは、その考えの背景に「自国を取り巻く環境はさほど以前より変化しておらず、国内の変化は、国内利害関係者の隠された利益による意図によって起こされている」という思いがある。企業で言えば「その施策って市場要望によるもんじゃなくて、特定派閥のパワーを拡大させるためにすぎないでしょ?そんなことしたら多数の社員のやる気がなくなって外に人材流出ちゃうよ?」みたいな。

・「外向き志向」というのは、その考えの背景に「自国を取り巻く環境は常に流動的で急速に変化しており、それに対応していくためには、場合によっては国内既得権益国民のも)を制限・縮小することがあってもやむなし」という思いがある。企業で言えば「市場はどんどん変化してるんだから社員がこれまで築いてきた努力なんか無視して、見込みのないものは切り捨ててスクラップアンドビルド対応していくしかないよね?でないとつぶれてまうで」みたいな。

この相違の原因は、外部環境認識の違いによるものか。

おそらく現実はどちらに偏ってもまずくて、バランスをとって考えないといけないのだろうけども。

また、一人の人間様態には「分裂気質(アンテ・フェストゥム未来先取り的))」と「躁鬱気質ポストフェストゥム過去を重視する))」の要素が両方ともあって、そのバランスの中で現実と折り合って生きているのだが、どちらの要素がより濃いかの相違は個人によってあるという話があるが、それとも関係あったりして。

浮気をされた話

好きなものが一緒で

少しずつ話しているうちに好きになって付き合って

最初の頃はプラトニック関係のままいたんだけど

胸騒ぎがして彼女の家に行ってみたら

付き合って一月もしないうちに

元彼と事が終わった状態でお布団の中だった

 

あの時は本当に辛かった

胸の中は何か気持ち悪いものが巡っている感じがして

家に帰ってお酒を飲んでも酔えないし

眠りたくても眠れない

 

喜怒哀楽に乏しいと自分は思っていたけど

この時は本当に辛かった

 

そのあとメールやら会って話し直して一度別れた

 

それから数ヶ月後に

やっぱり好きなのはあなただったと言われて

にしこりが残っていても

それでもまだ好きだったから付き合い直したんだけど

やっぱりどこまでいっても

過去浮気がちらついて安心できない

 

価値観とか金銭感覚とか好きなものとか色々あってたので

本当は結婚まで考えてたんだけど

 

まれ子供自分の子じゃないかもしれないという思いもあって

数ヶ月後に最終的には別れた

 

自分浮気をしそうになった、浮気をしたとかあったならまだしも

不義理な事は絶対しないと自分自身で思ってたので

一度でも浮気をされるといくら好きになったと言っても

人生パートナーとしては厳しかったです

 

それから数年

たまに人肌が恋しくなる事はあります

恋人が欲しいとまではあんまり思わなくなりました

 

上司などには作ったほうがいいと言われます

そこに時間お金をかける気持ちにはなれません

アルバイトに来ている大学生女の子のことが好きになってしまった

過去社員アルバイトがくっついて結婚に至ったケースは少なくない。

しかし歳の差もあるし、あとで「アルバイト女の子に手を出した」みたいな言い方されると会社品位も落としてしまうので、躊躇するしかない。

好みのタイプが目の前にいるのにアプローチできないなんてつらいわ。

2016-08-24

道ならぬ恋(笑)におちた女の独り言

道ならぬ恋、というヤツに今現在の私は身を置いている様だ。

様だ、等と断定を避けたのは私自身この状況に大いに迷っている有様で、認めたくもあり、しかし認めたくもないという思いの間で立ち尽くしているからに他ならない。

頭を整理するためにも、と言うことでこんなふうに書き出し始めた。

そんなもんチラシの裏にでも書くか穴でも掘ってその中に喋らんかい、と思われるかもしれないが、恋愛ごとに悩みを募らせる女性のご多分に漏れず、私にもどうしても誰かに話を聞いて欲しいという構ってちゃん根性がある。

故にこの場を選ばせて頂いた。

前置きが長くなったがこれより先は一人の女が悲劇(笑)に身をやつした己に酔いしれているだけの何の面白みも無い独白だ。

読むも読まないも、自由にして頂きたい。





さて、非常にありきたりな話ではあるが、私が私のこの恋を道ならぬ恋と呼ぶ理由は恋の相手が既婚者で子供いるからだ。

幸いにも、相手が私に対して恋愛感情を抱いていない事と、私にも理性とそれを上回る恐怖心があるお陰で明確に道を踏み外している訳では無い。

ならば別に良いではないか、と思われる方もいらっしゃることだろう。

問題が無ければ、誰が誰を好きになるのも自由だと。

私もそう思っていた。

恥ずかしながら、私は過去に幾度かの恋の中で既に恋人がいる人を好きになった事もあり、その理論で武装して開き直った事もあった。

しかしその言葉を発している時の自分は、大体が「苦しい恋」に酔いしれていた。

悲劇のヒロインであるかのような、大層な自惚れだった。その人が好きだったのではない。私は苦しむ私が好きだった。



だが、苦しみというものは、外的要因だけからなるものでは決してない。

その外的要因を受け、それらが内的要因へとシフトして初めて本当の苦しみに転化する。

私にはそれがわからなかった。



私が恋心を抱いている人は、私より二回りも上の他部署上司だ。名を仮にAさんとしよう。

部署とは言っても、私の属する部署とはかなり密に連携を取るので、Aさんとはほぼ毎日顔を合わせる。

私が去年新入社員として今の会社入社してから、何かと絡んできてくれた人だった。

最初は何の想いも無かった。互いにからかいあってふざけるだけの他愛も無い関係だと信じてやまなかった。

どちらかと言うと、兄を慕うような、いや、年的にいえばむしろ父親を慕うような感覚に近かっただろう。

ただ、私は年上の(失礼を承知で言うと)いわゆるおじさん世代と昔からウマが合いやすかった。

なのでAさん以外にも、そういう風にからかいあう男性上司は何人かいた。なので別段その気持ちに不信も抱かなかったし、周囲からも「おじさん達と仲良しな子」程度にしか認識されていなかった。

何よりもAさんには妻子があるのを私は知っていて、からかいあってはいても大きく踏み込むような事はしなかった。



だがある時、それは起こった。

年末部署混合の飲み会が行われた。

何度か部署混合の飲み会は行われていたのだが、Aさんが参加するのは初めてだった。

初めて同じ席で飲めるという事で、私はガラにもなくはしゃいでいた。

この頃には既に周囲からも「Aさんと仲良くコントやってる賑やかし要員」という感じに扱われていたので、私もその役を演じようとしていた節がある。

少し遅れてAさんが参戦する頃には、私もほろ酔いで上機嫌この上なかった。

わざわざ席替えをして、Aさんの隣に腰を落ち着けていつもの様にからかいあった。

だがこの時はほろ酔いで羽目が外れていた分、私の方がAさんをからかっていた。

恋人にするならAさんが良い、等と間抜けなことを口走った記憶もある。

しかしその後、再び席替えをして私は別の先輩の隣の席へと移動した。

もうこの時には完全に出来上がっていて、記憶も正直曖昧だ。

ただ、何席か離れたところにAさんがいるのをちらりと見たのだけは覚えている。

私の記憶は一度そこで途切れた。



気付いたら私は吐いていた。

正確に言えば吐きそうになっていた。

だが寸でのところでAさんがおしぼりで私の口元を抑えてくれていた。

私が吐きそうになっていたのを誰よりも早く気付いたAさんが、慌てて私の所へ駆け寄ってきて口元を抑えくれたのだ。

しかも一度はおしぼりでなく、そのまま素手を差し出していた。

彼は私が堪えられずに吐いた時には、それをそのまま素手で受けるつもりだったのだ。

吐き気朦朧としながら、私は近くにあるAさんの体温を感じて、ただただ混乱した。



この人は何故気付いたのか。

何故駆けつけてくれたのか。

何故躊躇わなかったのか。



その後は女子の先輩にトイレで介抱して貰いしこたま吐いて、そのまま帰宅の途に就いた。

翌日は当然二日酔い。起き上がれもせず、辛うじて這うようにトイレまで行きそこで一日を過ごした。

しかしそんな中でもAさんのあの体温がまだ近くにあるような気がした。

心臓がざわついた。



大きな温かい手のひら、耳元で何度もかけられた身を案じてくれる言葉、今までに無い程近い体温、洗剤の匂いに微かに混ざった煙草香り



しまった。

好きになってしまった。



瞬間そう悟った私は、吐きながら涙も鼻水もボロボロ便器に零して泣いた。

嘘だ。

それが私が一番に考えたことだ。

目の前が真っ暗になった。

初めて感じた絶望だった。

始まった瞬間に終わる、しかし長く続く恋が始まったのを感じたせいで、だ。



苦しみは外的要因だけからなるものでは無い、と私は前述した。

外的要因と内的要因の二つが揃った時、初めて苦しみは始まる。

叶わぬ恋をしたから苦しいのではない。叶わぬ恋が叶っても叶わなくても、どこにも幸福が無いことに気付いて苦しくなるのだ。

叶わぬ恋であり続ける事が相手幸せであることに気付き、既に蓋もできない程に大きくなっていた自分の心を持て余し続ける。

まるで真綿で首を締められているような、そんなある種心地良さを纏った不快感が心に根を張る。

根は奥深くまで伸びて、やがてどうしても取り除けなくなる。

そうしたら最後

何度芽を摘み取っても、根から再び新しい芽が生えてくる。

繰り返す。



不倫を望んでいる訳では無い。

離婚して欲しい訳でも無い。

それなのに、心のどこかで叫ぶ声が聞こえるのだ。

「愛して欲しい、私を選んで欲しい」と。

その度に根は深くなる。



幸せになって欲しい。

でもあの人の幸せを願う度、心がジクジク痛んでいる。

私の隣で幸せになってもらいたくて、けれど私の隣ではあの人は幸せになれない。

矛盾した感情思考

私は怖い。

この感情のままにあの人を傷つけてしまうのが、不幸にしてしまうのが怖い。

どうか私がこのまま臆病者であることを願う。

あの人の何をも壊してしまわないよう、優しいあの人を傷つけてしまわぬよう、ただ恐れ、縮こまって生きてゆくことを願う。




こんなくだらない文を読んでくださった方、本当にありがう。

我が身可愛さの胸糞悪い文章で、大変申し訳ない。

ここにこうして公開した事で、心が幾らか軽くなった。

頭の整理もついたし、今後も周囲及びAさん本人にもこの感情がバレないよう上手くやっていける自信もついたところで、この文章の締めとしたい。

リスニングが出来ない(のはどう考えても教育が悪い)

旧帝大学生センターリスニングは42/50点(これが良いかどうかはさておく)、TOEIC/TOEFLは受けたことな

外国人の喋ってることが全く聞き取れないで苦しんでる

特にメジャーの中継とか解説が色々言った後実況と一緒にハッハッハッって笑ってるのに全然何言ってるのかわかんなくて笑えないしやばい

聞き取りできる順に、

=聞き取れる壁=

英語試験

センター試験

=まぁ聞き取れる壁=

映画など役者の声

=担当者によっては聞き取れる=

TED

BBC

CNN

=無理=

メジャーリーグの中継

こんな感じ

なぜ聞き取れないのか

というわけで分析

よくある順に、

一瞬分からない単語がチラつくとその後一気に全部倒れる

語彙力が貧弱といえばそうなんだけど、文章だと前後の文で分かってしまうので、「前の文」しか流れてこないリスニングだと、「後ろの文」を聴いている間に「さっきの単語の推測」まで行うことは難しい

単語の切れ目が分からない

単語単語の間を詰められれば詰められるほど脳が溶けていくのが分かる

知ってる単語2つでも間合いが詰まると未知の単語1つに化けていく

助動詞が聞き取れない

would=ウッド

will=ウィル

と覚えてると外国人はどっちも「ウッ」となるので聞き取れない

さらにはhaveはhasにもなるしhadにもなるし、見た目だと一瞬で判別できるけどリスニングでブチ込まれると混乱しかもたらさな

he isとhe hasの違いとかでぶっ壊れたりするのは読解じゃあり得ないけどリスニングでは茶飯

助動詞は時制とかに繋がってくるのがうざい

助動詞それからhaveの含まれ文章ダダーッと流れてきて「はいこれ未来形」「はいこれ過去完了」「はいこれ仮定過去完了」と変換するのは難しい

まり時制が分からんくなる

殆ど発音しない時がある

andとか。

主語が聞き取れない

I'd like to...

を「ァライクトゥ」と聴いてしまうので、

..like to..

と聞こえて「は???主語どこ???」となる

最低でも「ッドライクトゥ」と言って欲しいが奴らは「ァァライクトゥ」とか言ってくる

どもる

外人の実況どもりすぎじゃないか

日本アナウンサーが「わっわっ私もそう思います」とか「かっかっ彼は、彼は……」とか何度も言ったら池沼扱いだと思う

しか外人アナウンサーは平気で「アッアッアッアイスィンク」とか言う

従属節

whichとかthatにマルをつけて、従属節がどこにかかってるか図示する方法リスニングでは使えない

よってどこに何がかかっているのか謎化してしま

ある程度ヤマを張って文脈判断することが出来なければ一文丸ごと意味不明になるので白目をむくほかない

結局聞こえてくるのは

途中まで聞き取れていても、主語ねぇ、時制わかんねぇ、メインの動詞意味わかんねえ、後の文は総崩れ、という状態崩壊してしま

役者台詞とかならこういうことはあんまりないけど、普通英語圏の人の会話には全くついて行けない

「アム……アッアッアッアイアイアイスィンク……faweiojaf;woiea3h;adfja;……イッイズじぇ;をいあfjをいえ……」

って感じ

原因の原因

副詞」「助動詞」「助詞」とか「仮定法」「時制」「未来過去」とかそういう名前をペタペタ一つ一つの単語にはりつけていって分類し構文を脳に流し込むという教育が悪かったんじゃないかと思う

ネイティブが喋る速度と同速度でその会話文に「はい主語はい助動詞はい動詞はい時制はこれ、メインの文はこれ、従属節はこれ」って解析していくのが間違っている

しかし一度身についたものが容易にはがれるはずもない

まり教育が悪い

これらを解決リスニングが出来るようになる方法

もしかしてそれを期待して読んだか?

残念ながら解決法は見つかってない

おそらく解決するにはネイティブが喋る速度と同じ速度で「主語→(助動詞が来るかもしれない)→動詞動詞の指す内容→主語→……」が常に流れてくるということを体で覚え込むしかない

しかしどうすれば身につくのかはよく分からない

時制をぱっと判断しようにもhaveが高速で流れ去るし、時制判断を行った直後に動詞が来るから判断時間をかけていると肝心の動詞が抜け落ちる

編な省略は多いしどもるし発音しない単語あるしもうなんなんだ

キレそう

高畑裕太容疑者発達障害だと思われる

過去テレビ番組で紹介された子供の頃の奇行エピソードの数々には、明らかに発達障害の特徴が表れている。

からといって裁判責任能力の有無が問題になることはないが、くむべき事情の一つではあるように思う。

発達障害は先天性であり、シングルマザーである高畑淳子の子育てが間違っていたなどと責めるべきではない。

自分セックス離れ

若い頃は彼女を作ろうと頑張ってた

慣れない合コンに行ったり友達の紹介だったりと

そして運良く?過去に何人かと付き合うことができ

据え膳だったり本当に好きになった相手だったりと

最後まで事を及ぶ事ができたんだけど・・・

 

なんというか

セックスが凄くいいもので満たされるものだという幻想

勝手に抱いていた気がする

過去を振り返るとギュッと抱き合うだけのほうが凄く満たされてた

 

だいたい最後まで事に及ぶまでのプロセスが面倒だし

時間もかかるしお金もかかる

まぁそう考えてる時点で考え方自体が悪いのかもしれない

 

デートやら事に及ぶ雰囲気まで持っていくのが面倒なだけかと思い

そうゆうお店に行ったこともあるけど

悪くはないんだけど・・・そんなにいい感じでもなかった

 

今はネットさえあればおかずには困らないし

手軽だし時間もかからなくて済む

お金もそこまで必要なくて相手のことも気にしなくてもいいか

自分一人のほうがすごい楽だ

 

極め付けに最近だとVR

あれはアカ

余計にその気持ちが加速する

将来的にはアレのせいでセックス自体AI相手にやってそうな気がする

 

昔はセックス以外にも子供が欲しかったというのがあったけど

今はもう相手のことを結婚したいと思えるぐらいの信用をすることが難しいので

基本的には考えてない

 

まだ三十路前だけど

これは枯れてしまったということだろうか

発達障害めんどくさい

自分発達障害疑い。専門の外来にかかっている。IQ全検査の値が120前半、言語130ぐらい、動作110くらいで、主治医によると発達障害に特徴的な凹凸はないので「疑い」止まり。ただし主治医主観ではエピソードなどを聞いているとASD強めに感じられるとのこと。自分としては典型的ADHD。締切の段取りうんことか部屋が常に空き巣被害現場とか。

・「ひとの気持ちがわからない」。感情の動きとか、「傷つく」と苦しいとかは経験的に知っていて、それを他人敷衍して考えることは出来るので、「傷つけないように心がけて動く」ことはまあまあできている、と思いたい。ただ、傷ついた人のケアとかが致命的にダメ。泣くときとか一人で泣いて気を落ち着けたい派なので人前で泣くともはや泣いた原因より泣いたこ自体が悔しく、ほっといてもらいたいタイプ

・上記を敷衍して仕事の先輩が隣のデスクで泣いてたのをそっとしといたら「ほっとかれた」「無視された」と思われたらしく、最近無意味にあたりがきつい。雑談一切ふってこなくなったしそれどころか業務にぼちぼち響き始めている。

しかし先輩は先輩でスケジュール詰めすぎて突発でこっちに穴埋め振ってきたりしているので、ぶっちゃけ塩対応していることで自分自分の首絞めてる感があるように見える。(雑談カットは過集中のケがある自分的にはほぼノーダメージ)

・これまでもぼちぼちと悪気なく不快心持ちにさせて下さった方なので(こっちがやってる仕事唐突に「引き継ぐ」宣言しておきながら、「過去メールをほじくり返すのが面倒で時間無駄から」という理由で詳細まとめた資料について口頭説明を求めるなどされる。「都度CC送信しろ」という指示はなんだったのか。こちらの時間無駄にして良いと思ってる的な言動ナチュラルにある)ただでさえ前々から嫌気が差さなくもない状態だったのだが、それがじわじわエスカレートしつつある。ぶっちゃけもうフォローしたくない。

・昨日は残業して作業してるときに、「自分がやりたい仕事があるし増田は今急ぎの仕事とかないはずだから端末空けろ(意訳。物言い自体もっと柔らかかった)」と言われて端末譲って帰ったがなんか納得いかない。先輩がやりたい仕事があるのは良いんだが、私はその時やってた作業以外にルーチンでこなさなきゃならないのがあと二つ残ってた。しかもうち一つは今週木曜までに目処をつけてその先輩に報告せねばならんやつだ。それを「他に仕事ないはずだよね」と来た。それはなくね? それはありえなくね?? 木曜ぐらいまでを目処にしろ言うたのはアンタやで?

・発達あるあるだと信じているのだが、こういう細かいエピソードはだいたい全部覚えている。何なら書き出せるのだが、書き出して提出するとなぜか見た人は大抵ドン引きする。書かれている内容にではなく、「こいつよくこんなに細かくいくつも覚えてんな」というところにである

・覚えていることに引かれるのなら、その都度「それはやめて」と訴えれば良いかというとそうでもない。というかそれやると一発で「反抗的」「ケチ」「不寛容」「自分のやり方に固執しすぎ」などなど悪名高くなること請け合いである(ただでさえ仕事の仕上がりの精度を気にしすぎていると言われているのに!)。何より、経験から「まず相手の言い分をのみ、できるだけそれに沿うように動く」ようにしてトラブル回避を試みるよう行動様式が固まってしまっている。上記の「他に仕事ないよね」への腹立ちを今ごろ言語化しているあたり典型的

・健常者ってこういうときどうしてんの? どう持ち込んだら「自分にも非があった」みたいなことを認めやすいの?? それともアレか、私が神経質すぎるのか? でもこの調子で突発的に作業ペース乱されると、ただでさえ締め切りまでの段取りがアレなのにキャパ超えてまうんで困るんですけど。仕事の成果が出ないという意味でも困るし、この先輩たぶん「締切守れ言うたやん」って指導してくるはずで、それにこっちも内心で「おまいう」ってなってしまって良くないと思うんだよね。

転職とか配置換えは視野に入れない方向で(仕事内容自体は向いてるので辞めたくない&代われる人員居らん)、なにか良い案ないですか健常なるみなさま。あるいは宇宙人仲間たち。

マイクロソフト牛尾氏によるはてブスパム行為

はてブスパムを許して良いのか?いい加減、さらします。」に関連して。

http://anond.hatelabo.jp/20160819153835

意外な著名人もこれをやっているのでさらしておこう。

一部のIT界隈の人達に人気のマイクロソフト牛尾剛氏だ。

一例

例えば、はてブ件数650を超えた「衝撃的な効率性~最高の DevOps チームは「知っている事」で構成されていた~」という記事

http://b.hatena.ne.jp/entry/simplearchitect.hatenablog.com/entry/2016/08/22/080010

最初のほうにあるアカウントブックマーク歴が酷い。1件目は牛尾氏本人のセルクマなので良いとして、3件目と4件目のアカウント牛尾氏の「メソッド屋のブログ記事しか過去ブクマしていない、明確なスパムアカウント。2件目のアカウント牛尾氏と同じMS社員であることがプロフィールをたどってFacebookにまで行くと書かれている。この人は業務上のつながりか何かでブクマしたのだろう。5件目のアカウント特に怪しいところはないが、6件目のアカウントは2・4件目と同じ「メソッド屋のブログだけブクマしている」アカウント

セルクマ1件+スパムブクマ3件+知り合いブクマの5件、これで新着入りは確実だ。この後はめんどくさくて追ってないが、ブクマ数の割にコメント数が少なく、星の数も少ない。コメント数の割合ブクマ数の10%以下の記事経験上怪しい。そのコメントも「いいなあ」「すごい」「良い」などの短文の割合が多い。これもブクマスパムによくある傾向だ。

他の記事も同様なのか見てみたが、ブックマーク数440の「ソフトウェア納期見積もりは、星占いレベルのものであると思う」のブックマークも似たような傾向だった。

http://simplearchitect.hatenablog.com/entry/2016/07/07/080250

ブクマ数3桁超えの記事ばかりではないので、この牛尾氏は、バズらせたい時にブクマスパム行為を常習しているのだろう。一度や二度ではなさそうだ。今年度DevOps関連製品を沢山売らないと首が寒くなるのは分かるが、セコイなあ・・・というのが正直な感想

彼の信奉者は自分の勤務先にも何人かいるし、ネット上には結構いっぱいいるみたいだけど、彼のブクマスパム信仰しているのだろうか。誰か教えて。

2016-08-23

[] ガンガル

モビルフォース ガンガルとは、1980年頃に東京マルイが発売していた、プラモデルシリーズ

1980年当時、いわゆる「ガンプラブームが発生していた折に、東京マルイ過去販売していた「超メカモデルシリーズなどの

箱絵を変えて発売したもの。縮尺は1/177と1/250の2種類があった(ただし実寸は明記されていない)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9_%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB

他人自殺を止める人の気持ちがわからない

死にたい」という相談には、

死ぬべきではない」「悲しむ人がいる」「生きたくても生きられない人が世の中にはいる」「個人的に死んでほしくない」など、

おおむね自殺しないでほしい、自殺するべきではない、という返信がつく。

もちろん、「死ぬべき」「死にたいなら死んだ方が良い」などという返信もつく。



それらは私には、全てエゴであるように見える。

相談する方もエゴであるからお互い様だと思う。



でも、どうして、そう言うのか知りたい。どうして人の自殺を止めるのか、その動機が知りたい。

エゴである事が問題なのではない。それはどのようなエゴであるのかが知りたい。

認めると自分自殺するべきだと思えてしまう状況にあるからだろうか。

その人の死が社会的損益だと思っているのだろうか。

見殺しはなんとなく気分が悪いかなのだろうか。

また話したいと思うからだろうか。

もっともらしい正義を語る機会だからだろうか。

過去に生死に関して、嫌な経験をしたからだろうか。

どちらかというと、生きていてほしいからだろうか。

止めておいたほうが人間っぽいからだろうか。

不快からだろうか。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



自分死ぬべき人間だと思う。

そう思った時に、次の行動としてとるべきものはどれか?



死ぬべきである証拠を集める

・死なないべきである証拠を集める



私は、自分のことを、死ぬべき人間だと思っているが、自分ではそれを選べている気分にはなれない。



人間、どんな言葉からでも自分の欲しい情報を探そうとするものではないだろうか。

人の言葉で救われる人は、人の言葉に救いを見出す力を持っている人なのではないだろうか。

救われるか、救われないかは、事の当人が既に決めている事で、説得者は、あるいは説得の定型は、本当には無力なのではないか



そうでなければ、鬱になるべくして鬱になる人がいるのではないだろうか。

相手言葉をそのまま受け止めようとする気持ちは、ほどほどのスルー力無しでは維持が不可能だ。

相手言葉をそのまま実行しようと努力する人は、大人数の発言を前に、混乱してしまうがゆえに、憂鬱に陥るのではないか




まり自殺を止める言葉は、説得としては、そのままの意味では、

もし自殺を止められたとしても、発言者意図では、通じていないのではないか

あらゆる言葉は、自殺志願者のかすかな衝動を引きだすだけのものではないのだろうか。

そうならば、自殺をやめろという説得は、いったい何故行われるのだろうか。

自殺を止める人は、自分の説得を、有力だと思っているのだろうか。

結局のところ、成功した説得の大部分は、誤解や語弊、拡大解釈で出来ているのではないだろうか。

だとすれば、人の自殺を止める人は、それを無力に感じないのだろうか。

その無力さは、説得という行為問題にならないのだろうか。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



人間、生きるために、自分を保つために、何かしらの無視をしている。

自分が生きるためのルール発見し、生き延びるために利用できる意味の選定をしている。

その人が放つ言葉意味から逆算して、その人を知る事は、できると思う。



私は、意味の選定の、本当の理由が知りたい。

あなた日常で感じている、生存におけるルール。つまりあなたの生をあなた自身規定したものが、あなた言葉を選定しているはずなのだ




何故あなたは、人の自殺を止めるのか。

自殺をやめてほしいと願うのか。

あなたには何故、人の自殺を止めたいと思う欲望衝動があるのか。

あるいは、ないのか。




多分学問領域では、社会心理学とか、脳科学だとか、文化人類学とか、生物学とか、いろんな方面から自殺について語られた論文があるんだろうと思う。

多分、大方の言動は、何がしか研究に分類されうるものだと思う。

それは面白い。でも、だからどうした、とも思う。

そこにあるものを分類することで、何か進展があるのだろうか。

自ら自己類型化し、分析した上で、死ぬべきではないという結論が、どうして出るだろうか。



そうは思えない。私は今、何を読んでも、自分死ぬべきだと思う。

目に映るもの全てに死ぬべき理由を探している。



自分は、自殺志願者で、人の自殺を止められなかった事がある。その人は未遂に終わったが。

私は衝動的に、他人自殺を止めようとした。今でも、今から自殺をすると連絡が入れば、警察を呼ぶと思う。

なぜ自殺を止めようとしたかは分からない。

自分は、自殺したい、自分自殺しなければならない、と思っている。

自殺という概念は、他者に向けた時、自分に向けた時で、相当意味が違う。

他者自殺自分にとっての不快感であり、自分自殺解放なのだ




しかしなぜ、自分を変えられるからあなたは変われるから死ぬべきではないと言えるのだろうか。

はいったい、何に変わるというのだろう。

死にたくない状態で生きていられる、あなた生存ルールを参考にした身体に変わるのだろうか。




自殺を止めようとしたその人が、死なない事で楽になるなんて、まったく思っていない。

私は、ずるい、お前だけ楽になるなんて許さない、という気持ちで、警察電話したのだろうか。




自分気持ちが分からない。

核兵器 >> ゴジラシン・ゴジラ 他はどうだったか

シンゴジを観て何が驚いたって今回のゴジラには核が有効だって事だね 核使用否定する話ではあるけれども研究者有効ではあると認めている。

もし核を使っていてもゴジラに効くわけはない進化するだけだって感想もどこかでチラホラ見たが、作中ゴジラを調べ上げ遂には成果を見せるチームから

そんな見解は一切ない。


そもそもゴジラに核が効かないなんて実は私の思い込みではないだろうか?

過去に見たゴジラの内容がおぼろげな私が勝手判断をなぜ出来たのだろうか


シンゴジラマニアどころか日本中で認められた今

個人的に一押しな核どころかミサイルで倒されるアイツ

ゴジラとして観なければと卑屈な応援しか知ってあげられなかったアイツ

いつか堂々と好きなゴジラ映画として挙げられる日も近いかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20160823183045

私は10年くらい精神科に通ってて4人くらいの精神科医に診てもらったけれど、過去トラウマみたいなことにすら触れられたことないよ。

最初はとにかく今どんな症状が出ているのかを長期間にわたって訊かれる。長期間っていうのは1週間ごとに病院に通って1、2ヶ月くらい同じようなこと聞かれ続けて、その上でお薬の処方。

から精神科にかかってもすぐには楽にならないので、ドクターショッピングは控えた方がいいとは思う。

思うけれど、その個人情報だけ訊いてその他はナシっていうお医者さんは変だと思う。

次の診察でも症状について何も訊かれなかったら、違う病院を考えてみては?

東京五輪セレモニーの優れた配色

日の丸の赤というのはまさに暖色の中心の赤。

それを中心に据えながらCool Japan表現する難しさはデザインを心がけた人間ならすぐに分かることだ。

しかし、あのセレモニーには確固たる答えがそこにあった。

セレモニー中に使われている暖色は赤のみ。しかも、FF0000と表記したくなるくらい原色の赤。

それに対して、ショーのメインとして使われているのは白黒のモノトーンと、赤の補色に当たるシアンとそれより寒色側に位置する青系のみ。

基本となるモノトーンは、潔さや清潔感想像させる白、礼儀や誠実さを感じさせる黒という日本代表的カラーと言える。

そこにただ寒色系を織り交ぜだだけでは無機質で寒々しいショーになってしまっただろう。

しかし、日本の象徴であり暖色の代表格と言える赤を、さらテーマカラーではなくアクセントとして時に大胆に用いたことで、内に秘める情熱やたぎるような生命力が見事に表現されていたのだ。

恒星は青くなるほど温度が高くなる。そんなことをも思い出させてくれるような、火傷では済まない熱さが伝わったはずだ。

そのために黄色や緑などの生命感溢れるカラーを徹底的に排除し、それが生命力溢れる原色を前面に押し出すリオのショーに対して真っ向から挑むことになったのは単なる偶然ではないのかもしれない。

リオが押し出したのが生命自然だったのに対し、マリオドラえもんなどの非実在キャラクター都市テクノロジーなどが存分に登場するムービーがそれを物語っていると言っていいだろう。

多くの観衆や視聴者はこのたった10分間だけのショーを見ただけで、リオオリンピック過去のものになってしまったと感じたはずだ。

その証拠に、東京五輪セレモニーを挟んだ前と後のショーとでは全く違うものに見えたのはわたしだけではないはずだからだ。

一見挑発ともとれるこの行為は、まさに地球の裏側であり全く文化の異なる国にバトンが渡されたことを意味するには効果が絶大であり、オリンピックが終わった直後であるにも関わらずすでに4年後を期待させるにはこの上ない演出となったと言っていいだろう。

居合わせた観衆や視聴者の誰もが東京五輪に少なかぬ期待を抱いたはずだ。

ここまで大したデザイン勉強したこともなく、ホームページの配色くらいしか担当したことのない人間妄想だったがいかがだったろうか。

しかしそれよりも何よりも、自らの人生40年を振り返って、まるでその集大成走馬灯のように見させられたかのようであまりにも感慨深かった。

本当に近頃の商用文化だけでお茶を濁すようなものにならなくてほっとしている。この時代に生まれてよかった。

ただこの考えで行くと、小池百合子氏が選んだ高価なお着物の配色は東京五輪テーマとはそぐわなくなってしまうのだがこれは何かの暗示だろうか。

五輪組織事務総長発言の残念なところ

例の安倍マリオの件について、

武藤五輪組織委員長が「森委員長安倍首相提案したと聞いている」とかいう話をしたというニュースがあって、

あちこちで「森元、お前が考えたわけじゃないだろう」「うまくいったときだけ『俺の手柄かよ』」といった感じで

盛大にたたかれている。


森元さんの徳の無さというか、

「あの人、失敗したときは『俺は知らない』っていうくせに、成功したときは『俺のおかげ」っていうタイプだよね」

というのが、日本国民多数派認識なのが、よく分かる。

過去言動に基づいた、信頼と実績のなせる業だろう。





これがもし

組織委員会のなかでも、現役の首相があのようなビデオにでることに反対する意見もあったが、現場製作者たちの気持ちを組んだ森委員長が、

最終的にOKと判断されたたうえで、安倍首相を説得したと聞いている」

かい発言だったら、評価は少し違ったんじゃないかなあ? とか思う。

自分だったら、「あれ、今回、森元さん役に立ってんじゃん」と思ったかもしれない。



事務総長氏も、立場上、なんとか森元さんの功績を喧伝したくてマスコミにこの話を披露したのかもしれないが、

だとしたら、世論にもたらす結果は逆だったわけで、お気の毒としか言いようがない。

http://anond.hatelabo.jp/20160819153835

俺、定期的に増田スパムしそうなアカウント晒してるけれど

特にトラバブコメ火種にはあまり手を出さないのよね。

法則性が一致するアカウントが発生し始めても

誤った場合自分に返ってくるからまぁわからなくもないんだけどね。

過去ランダム名前が多かったけれど最近日本名数字アカウントが多いね

運営にも報告はしてるんだけど、あちらも決定打にならないかぎり無理っぽいので、

はてなトップに上昇しないかぎり無理ですよ。

俺が増田で書いてきた中で悟ったのは

運営はてなユーザーも反応するのはスパム上昇成功した時だけだ。

続【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞記事批判する

前回のまとめと補足

前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。

その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テスト記述試験大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法採用を後押ししてしまっているという点にある。

いくつかのコメント飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。

しかし、その一方で、私は文科省国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解バイアス資質問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。

これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。

今回批判したいこと

今回私が批判したいのは、8月19日朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である

前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。

はじめに結論をかけば、

氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。

私が特に重要視している記事記述は次の2つの記述に集約されている。

この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。

記述問題形式

氏岡氏の8.19付解説記事最初記述について考えたい。

私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述問題において何を問うかという点に関する検討理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである

特に、「文章理解説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者可能になったと断定している点である

国公立大学二次試験国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章記述の内容把握や根拠説明要求するものになっている。

一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学2016年度だと例えば滋賀県立大静岡大首都大学東京島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。

では、新共通テスト記述問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。

高大接続システム改革会議の最終報告には、

国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報多角的視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)

とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句一見氏岡氏の記述合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分言葉説明することを指していると通常は解釈するように思う。

実際、

大学入学希望学力評価テスト仮称)」の記述問題については、現在国立大学二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力評価と採点等テスト実施に当たっての課題解決の両立を目指す。(p.56)

と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。

まり「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。

仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、

自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。

では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。

解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価観点を踏まえつつ、各大学学部)はアドミッションポリシーに基づき独自の採点基準採用することができ、各大学学部)の主体性が発揮できる。

ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。

というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものからだ。

全国共通試験への記述式・論述問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力評価するための大改革であり、適切にその能力評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧あり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。

これは、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテスト場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。

また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テスト問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいか記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである

また氏岡氏は自身ツイッターで次のように述べている。

入試改革を引っ張ってきた国大協の委員会ででた案。出題の幅がぐんと広がる。注目です。

「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。

しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。

読売新聞8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。

国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテスト1月中旬実施しても、大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。

これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。

「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。

上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?

また国公立二次試験を見ても、単独で200~300字の記述要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である

もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。

今回のまとめ

まり考えられることはいろいろある。

といったことだ。

 しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告から乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。


 実は、国立大学協会論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。

そもそも、記述式・論述問題評価すべき能力いか構造化できるかは、根源的な課題である評価すべき能力構造化があって初めて、各大学学部)はアドミッションポリシーの中に、記述式・論述問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識ノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力構造化に向けた記述式・論述問題設計理論構築、体系化が喫緊課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学個別試験における記述式・論述問題に関する実績を調査分析することなど、この課題積極的に取り組んでいきたい。

これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述問題形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章理解説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。