はてなキーワード: 新卒とは
別に祝ってくれる誰かがいる訳でもない私の誕生日だが、出社したら上司がすたすたと歩いて来たので「まさかあの冷血サイコパス上司が私の誕生日を覚えていた?」と驚いた。
別にそんなことはなくて、超特急の仕事が出たからすぐに取り掛かってと言うためだった。
「急ぎと言っても、締切は明日の朝一だから余裕だよ!」とニコニコして言うが、弊社の「明日の朝一」とは午前様を指す。
午前様は週4位で発生する恒常イベントではあるけど、午前様をしても次の日は定時出勤を求められるし、有給は年末年始GWでの計画消化が導入されており、自由に使える有給はないので休めない。部下0裁量権0応援要請権限のない名ばかり管理職であり、管理職であるから残業と言う概念はない。残業代が出てて粗で30万あった新卒の時より、管理職手当5000円で無限に残業させられる今は粗で20万そこそこと大幅に給料は下がっている。ついでに制度上、残業が存在しない管理職にはタクシー代は出ない。仮眠室もないし、始発で帰ろうにも、往復していたら始業時間に間に合わないので、午前様したらそのままシャワーも着替えもせず、次の日の退社までぶっ通しである。
そして実際に納品先を見てみたら、早朝3時や4時に納品しても即フィードバックが飛んでくる、いつ寝ているか分からないことで有名な顧客だった。
例え1時に納品しても1時半にはフィードバックが飛んでくるし、この顧客はまた締め切りギリギリまで無限にフィードバックを飛ばしてくることで有名でもある。
加えて、こちらからの修正作業が1時間を超えると催促を送ってくる顧客でもあり、チャットへの反応が1分以上かかると在席確認してくる顧客でもあり、
それでいて金払いはと言うと、駆け出しフリーランスでももう少し貰えるぞと言う程ケチなことで有名な顧客である。
つまりこの時点で、顧客側の締切である明日の午後0時まではトイレ以外、PC前から離れられないことが確定している。
更に言えば、弊社は技術職よりも営業が高く評価される会社であり、個人の売り上げ成績を見る際、顧客からの支払いを営業:技術=8:2で按分するシステムである。
私の成績としての売り上げは、2万に届かない。
なんだこれ。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07R1W4F5T
これでボイトレやジム代払ってもらって豪華ディナーもごちそうになって
しかも
いや意味わからん。そんな理由で散在していいわけ無いだろ頭おかしい。
しかも
真面目に働いて手にした初任給は18万円。
は?なんなのお前。
馬鹿すぎて全く同情できない。
なぜかというと取引先の相手が経営者であれば交渉する余地はあるが、普段相手をするのは調達担当者。
調達担当者の視点に立つと上司からは仕入価格の値下げ要求をするように言われ、値上げを提示をすれば営業を交渉と称して尋問しながら提示価格が下がるまで軟禁する。
調達担当者は値上げを許容できる権限が与えられていないのである。上司を呼んでも予定原価が決まっているので状況は変わらない。
仮に価格を飲んでも送料無料や、購入ロットを無理やり変更させ1個から注文、納期短縮など無茶な要求もしばしば。
送料無料は下請法で守られている部分があったりもするが、無茶な要求は続く
また中小企業の経営者も売上が止まるのが怖いからある程度は許容してしまう。
そうなると仕事は忙しくなる割に売上はそうでもない結果になり、原資が確保できず満足な昇給ができない。
そんな状態が今の日本の中小企業を取り巻く環境のような気がする。
完成品を売っているメーカーは安く買い叩いた部材から価格を転嫁できる分だけ、かなりまし。
4年制→6年制に変わる端境期に新卒ゼロの年があってその時一時的な人手不足で高騰しただけ
ってか病院薬剤師は元々給料は低い、高いのは僻地のドラスト勤務
団塊の世代は1950~1952、氷河期世代が1973~1985な
当時は24歳くらいで子を成すのが一般的だったから、この二つの世代は血の繋がった親子である可能性が高い
ちなみに当時終身雇用制だった多くの企業で意思決定を持てた年齢は40~50で、
つまり、子育ての面でも企業経営の面でも、団塊の世代が氷河期世代を生み出したと言えるので
氷河期世代を貶めたいなら、団塊の世代もクソといわなければいけないわけだ
一応それなりのお賃金のお仕事をしているので時間を掛けて書けば多少は体裁は整えられます
けども、一般的に大学なりでたくさん作文した人・新卒研修でめちゃくちゃ叩き込まれた人・プレスリリースとか書く人の作文って、
文業じゃなくてもまぁちょっと違うんですね、短文ならともかく長文だと顕著
語られる教訓はアイドルに限らず、普遍的な、いまの自分と未来の自分をどう捉えるかという内容である。
プリンセスプリキュアの「プリンセス」があえて曖昧な概念で、子どもが持つそれぞれの夢や目標と重ねやすいようにしているのと同じだと考えるとわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
ともかく、アイカツ!にどういう教えがあるかというと、
未来の自分が振り返ったときに、自慢できるような過去の自分でいよう。だから、今を精一杯生きよう。
この一貫性が見事で、初期EDのカレンダーガールの歌詞から、10年後を描いた劇場版まで全くブレない。
それがぶっ刺さってしまって、人生が大きく変わった。きっとそういう人は他にもいると思う。
卒業も決まり、暇になって夕方テレビをつけるとアイカツ!というアニメがやっていた。
第121話「未来に約束!」だった。ちなみに、アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い。
留学生が帰るタイミングの話のようだった。自分から見る自分と他人から見る自分の折り合いをつけるような話だった。
1話見た瞬間ピンと来た。これはすごいアニメなんじゃないかと。人生で最も正しい判断であった。
はてなー一同ご存知の通り、ほとんどなにもしないのと同義のような仕事をしていた。
もちろん定時で帰れていたので、1話からアイカツを追いかけた。
仕事にも慣れてきたころ、125話に到達した。(アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い)
125話は初代主人公のいちごから、2代目主人公のあかりに、話のバトンを完全に渡すという話だった。
そして、ライブパートでの、Good morning my dream。。。
(簡単に説明すると、私がもっている大切な「夢」、私のことを選んでくれてありがとう。きっと叶えるからね。という歌)
そしてそして、OPがLovely Party Collectionに変わった。
(簡単に説明すると、今日の自分にリボンをかけて(未来の自分にとっての)宝物にしよう。という歌)
これが決定打となった。
あの時の自分、あの時の毎日、振り返ったら宝物にできるだろうか。
できないと思った。
こうして会社をやめて、違う道に進むことにした。
具体的には、博士課程に進学した。
3代目主人公も登場し、トークショーなどイベントも盛り上がり、まだまだアイカツ!は終わらない。
そう思っていたら、翌年突然アイカツ!は終わった。
しかし、アイカツ!を全話視聴した者にとっては、この別れが新たな始まりであると立ち直ることができる。
アイカツ!がなくても、アイカツ!を好きになった自分が、アイカツ!のことを考える自分がある限り、その自分を拠り所にして立つことができるのである。
仏教でいう自灯明法灯明の教えだと思えばわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
こうして、アイカツ!のない期間も、未来の自分に恥じないように毎日をがんばって過ごしてきた。
アイカツ!の展開としては、新シリーズの次のシリーズの次のシリーズまでやったあと、
アイカツオンパレードという、まあPIXARの映画のEDで流れるNG集みたいな感じのファンサービスがあった。
ただ、アイカツ!の本質というべき思想はどれにもなかったかな。
アイカツ10周年ということで、突然完全新作の劇場版が製作された。
それも、同窓会的映画ではなく、完全にTV版が終わった直後からそのまま続くストーリーである。
しかも、新シリーズを経るごとに変わっていったキャラクターデザインや3DCGのクセもガラッと戻し、
「あのときからのアイカツの10年」を完全に捉えた映画であった。
アバンでのいちごの「ただいま!」から始まり、終盤での観客への語りかけ。
「アイカツがなくても、アイカツを好きな自分を信じて」と考えていたのが、自分の暴走的妄想ではなかったと、今までの期間のがんばりが正しかったんだと認められたようで、本当に嬉しかった。
これからまたアイカツ!のない世界が続いても、振り返れば、がんばってきた過去の自分がいるじゃないかと、送り出されるような映画だった。
こうして、突然打ち切りにあったようなTVシリーズも7年越しに卒業式を迎えることができ、我々もアイカツ!から卒業したのである。
アイカツ!で進んだ博士課程、そこから続くアカデミアの道。(簡単に言うと、ポスドクから大学教授まで進むルート)
あるいは、企業に進むAcadexitの道。(Brexitのようにアカデミー+EXITを組み合わせた造語)
アイカツ!がなかったら今の自分はなかっただろうなと本気で思う。
辞めるのは新卒じゃない 中堅