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2016-12-03

[]

豊田市藤岡民俗資料館に行ってきましたわ。

昭和29年建築の旧藤岡中学校の校舎を流用した資料館です。

室内はやや肌寒く、昔の授業環境を実感できました。



屋外に藤岡地区最後の一機となった水車が展示されているのですが、

こちらは陶器づくりに使う原料を砕く「トロンミル(一部の表記トロミル)」を

動かす為のものでした。

陶器の原料をえるための藤岡鉱山も近くにあったそうです。

採掘される花崗岩が風化した土のことを「サバ土」と呼んだとのことで、

とたんに親近感がわきましたわ。あとで確認したところ地質学でいう真砂土と同じもののようです。

平成26年に起きた広島土砂災害でも「サバ土」の保持力の低さが話題になりましたけど、

火山温泉噴火をもたらすように、土地利益不利益を同時にもたらす例のひとつですわね。



校内の「棒の手(この地方、土着の武芸ですわ)」の展示を追うと、

藤岡町では1972年猿投神社への演武奉納が途絶えるほどの大災害が起きています

別の展示の年表によればその正体は豪雨による土砂崩れでした。

おそらくサバ土のえられる土地質がこの災害関係していたのでしょう。



ですけど、サバ土には罪はなく、ただそこにあるだけ。

特質をよく知り賢く利用してほしいですわ。

サバ仲間からのお願いですわ。

黒柳徹子が書いた「桜」

さっき、『日立 世界ふしぎ発見!』で、黒柳徹子が解答に「桜」と答えていた。ちなみに正解。さすが。

重要なことは黒柳徹子が綺麗な崩し字で「桜」と書いたことだ。

「桜」の崩し字は、木編に「ツ」みたいな三本線の下は平仮名の「あ」みたいな字。

気になる人は「桜 崩し字」で検索してほしい。

お手本通りの、きれいな「桜」の崩し字。



黒柳徹子昭和8(1933)年生まれ

書道とかは除いて、彼女世代が、日常的に崩し字を書いていた最後世代になる。

私たち(敢えて主語をでかくするぞ、体持ってくれよ!)は、崩し字というか草書の文化を失った。

筆記具は筆から鉛筆ペンになり、縦書きから横書きへ。筆記から印刷へ。

日常的に漢字を崩したり、文字連続して書くことは専門家以外にしなくなった。

大学などで習いはするから、読める。けれど、それを日常で書くことはない。

常用漢字という「崩し」で、はっきり楷書で書く時代に生きている。

楷書常用漢字批判をしたいわけじゃない。回顧したいわけでもない。



ただ、黒柳徹子テレビ番組で電磁的なボード何の気なしに書いた崩し字と、それがまだ可能だった平成28(2016)年。

私はこれをしっかり心に留めてこれから21世紀時代を生きていきたい。

カジノを作りたい論理

カジノ法案が成立しそうです。

http://www.asahi.com/articles/ASJD252NPJD2UTFK00Q.html



この統合リゾートの推進のための法案は、もとはといえば、日本維新の会(当時)と自民党生活の党が共同で国会議員提出した法律で、そのあたりにも橋下氏の影響を感じるとともに、もともとはこの3つの党は、そういう意味経済政策的に共通の根っこを持っていることが、統合リゾート法案のことを思い出してもわかるという、大変興味深いものとなっています

では、カジノに前向きな経済政策の発想って、どんなものでしょうか。


 小さな政府、強い財政

カジノは、基本的運営企業委託されます政府違法賭博の取り締まり治安維持のみを主にその役割します。国が認める賭博の中には、JRAのような特殊法人設立する場合もありますが、日本統合リゾート法案では、カジノ施設の設置と運営企業が行うことになります。そういう意味では、いわゆる「小さな政府」推奨の人たちの考えにきちんと沿った形になっています

 そして、カジノから収益政府一定程度持っていきます。国が賭博禁止する中で、例外的許可する施設から運営企業が暴利をむさぼるというのはいかにも利権的で、世論から受け入れがたいものです。運営企業にも一定利益は落ちますが、政府が特例的に認めているという性質上、国が相当の資金を吸い上げる仕組みに必然的になります

 いわば、カジノは、国の最小限の支出により、強力な税外収入を得られる仕組みです。



 誰のお金を吸い上げるのか

 外国人観光客です。それも、小金を使う客ではありません。がっつりお金を使う太い客です。おぼえていますか、シンガポールマカオカジノで負けて、製紙会社一つを手放さざるをえなかったオーナー経営者を。あれくらいのお金をかけるお客を吸引したいわけです。そして、東京あたりに来るそういう太い客はどこの国にいるかというと、中東アメリカヨーロッパではありえません。モナコとかラスベガスとか、もっと面白いところがあるんだもん。であるならば、答えは一つ、中国です。より正確に言うと、東アジア各国の中国系富裕層です。

 基本的東アジアカジノはどこもそうで、マカオだってシンガポールだってマニラだって中国系ターゲットです。ソウルだけは中国が貧しいころからありましたので、作られたころは中国人観光客ではなくおそらく米軍あたりをターゲットにしていたと思われますが、他はみな中国系富豪ターゲットです。まだ東南アジアカジノが少なく、中国本土が今ほど経済力を持っていなかったころでも、マレーシアカジノシンガポールマレーシアで富を事実上占めていた中国系富裕層が週末になると集まる場所でしたし、マカオ香港インドネシアフィリピン経済を牛耳っていた中国系富裕層を吸引していました。そして1990年代後半から中国本土の驚異的な成長とともに、大量の富裕層本土からマカオ東南アジアの数少ないカジノを席巻し、それを見たシンガポールマニラ中国本土富裕層好みのカジノ2000年代企画し、今になって結実しているわけです。中国系の人、どんなに金持ちになっても博打好きなんだよね。



 ギャンブル中毒対策必要なのか

 中国人富裕層ターゲットとあらば、基本的ギャンブル中毒対策はさほど必要ありません。


 カジノとか言うと、想像力が乏しい日本有識者は、すぐパチンコとか思い出して、貧困層ギャンブル中毒対策必要かいうのですが、大丈夫貧困層の中高年はすでにパチンコで、また若者FXギャンブル中毒になっていますから、いまさら対策必要ない、というかもう打つ手はありません。対策経費は無駄です。貧困層は、カジノが想定していない客で、せいぜい入口のスロットマシンで有り金すっておしまいなのですが、スロットならすでに街場のパチンコ屋にあるでしょ。入場料を取られてまでカジノにくる必要はありません。


 そして、大王製紙の元オーナー社長のような人がギャンブルお金をすって会社を手放すようになるのは、これは自業自得対策不要ということで、大半の有権者合意できるのではないでしょうか?


 というわけで、この辺の政策もたいへん新自由主義的で、要は身を持ち崩す奴は自己責任ってわけです。小池知事や橋下氏が好きそうな発想ですね!



 ところでネトウヨカジノ

 ちなみに、小池知事や橋下氏を支持しているとよく目されるネトウヨの人たちは、パチンコ半島系だから嫌いでカジノ反対というようなことをよく述べるのですが、小池知事や橋下氏は、このような意見は歯牙にもかけていないということも、このカジノ政策を見ればわかります


 もう一つ、ネトウヨの人たちは、中国人に頭を下げるのも大嫌いなはずですが、カジノを作るってことは、上記のとおり、中国系富裕層にかしずいてサービスするってことですので、これまた、このようなネトウヨ志向は完全無視されているということもよくわかります


 要は、小池知事や橋下氏に対するネトウヨラブコールが仮にあるとしても、それは基本的に単なる片思いだってことです。



 これからどうなる?

 さて、こういう思考的背景を持つカジノ政策ですが、これから前進するのでしょうか。私はすると思います。上記のような事柄は、実は例えば民進党政策形成メインストリームである大企業ホワイトカラー勤労者から見ても別に違和感ない世界からです。カジノ忌避感を感じているのは、むしろ貧困層に隣接している人たちの感覚、例えば最近話題社会底辺の人とは関わってはいけません|アッキー雑談ブログあたりへの共感にみられるメンタリティであって、その辺は時間をかけて説得するとともに、カジノ収益一定程度配分するようにすれば、最後は落ち着くものです。



 何より、アベノミクス基本的な発想は、上記に限りなく近いものです。金融緩和がその主力であるように思われていますし、実際経済的インパクトで目立つの金融緩和だったわけですが、一方で緊縮財政財政収支への配慮は言うまでもなく、規制緩和自己責任というのもアベノミクス通底するもう一方の考えです。



 とすれば、もう統合リゾート法案自体、何年も待たされているわけですから、そろそろ、そして規制緩和アベノミクスの三本目の矢)に向けての突破口として、カジノ、そろそろ実現に向けて大きく進むんじゃないかと思っているのですが、どうなることやら。

30代の友人たちが

貴重な週末を独身女同士で遊んだ趣味に使ったりしてるのを見てるのが辛い。SNS更新される度に「何やってんの?婚活しなくていいの?」ってどうしても思ってしまって苦しい。そんなこと直に説教できる立場でもないけど、会う度に「私の葬式は誰がしてくれるんだろう」「今年もクリスマスに1人は嫌」「あと少しで子供が産めなくなる」とか色々言ってるくせに、出会いに繋がる努力を何もしてないからもう彼女たちの本音がわからない。数年前までは街コンお見合いパーティーやネット婚活も頑張ってるようだったけど、最近はそれすらもしてないみたいだし。その時に選ばれなくても諦めずに最後まで頑張ればいいのにってモヤモヤする。決して外見も内面もブスじゃなくてむしろ私より化粧品や服に気を遣ってて可愛いし、ちゃんと自立もしてるしわがままなところもなく優しくていい子たちなのに、どうしてもっと踏ん張れないのかわからない。幸せになってほしいのに肝心の本人が途中でへこたれてしまっていて本当に歯痒い。いや人によって何が幸せなのかは1人1人違うし、もしかしたらもう覚悟を決めて1人の人生を歩み始めてるのかもしれないけど。彼女たちにとって私のこの怒りや呆れが余計なお世話以外の何者でもないこともわかってるつもりだけど、それでもやっぱり悔しい気持ちが残る。ほっとけよって感じだよね。

けど自虐的に「この歳でこれってやばいよね~(笑)」って言われてももうどう返していいのかわからない。本当にヤバイって思ってるなら独身女で群がるのやめなよって言いたいけど言えない。その群れてる他の独身女たちは性格ブス独身を拗らせて「結婚なんて~」って既婚者をバカにするような人たちだから友人たちも敬遠してたのに仲間入りしてしまいそうで怖い。

一緒に「結婚たらこうしたい」「子供産んだらこうしたい」って未来の家庭を語りながらお酒飲んでた頃が懐かしいよ。一緒にお互いの旦那のどうでもいいような愚痴を言い合ったり惚気たり子供同士遊ばせてるの見ながらお茶したい。お互いの結婚式にはこれ着ていこうって一緒に買ったドレス着物もあるよ。無駄にしたくないよ。

なんかテレビでやってる人、すっげークズで女にひどい事しかしなそうだけど、めちゃくちゃカッコイイんだろうな。そこに惚れる女が腐るほど寄ってきそう。すごいひどいって話、多分周りから聞いてるだろう子供も、会ったら最後好きになっちゃうだろうな。それが怖いんだろな。

二次創作において我が身には畏れ多いほど長い間ジャンル関係なく見てくれていた人から好きでいるのを辞められてしまったっぽいと知った時、いつかはこうなる日が来るとわかってはいものの、自信を無くして落ち込みました。でもそれがきっかけで、何やったって嫌われる時は嫌われるんだから人目を気にせずやりたいようにやるのが一番だと開き直ることができました。一方的被害者面してるみたいな書き方になっちゃったけど、自分だって勝手なつまらない理由で色んなものを突然嫌いになったり興味を無くしたりしてるしお互い様なんですよね。SNSから距離を置いたおかげで、他者から評価を心の拠り所にする生き方をようやくやめることができたようです。ただ時々本当にどうしようもなく孤独を感じます。もういい歳だから趣味方面ネガイブになるのはこれで最後にしたい。余暇を楽しく過ごすための趣味なのに。

2016-12-02

[] H24民訴コメント(アンサー)

H24民訴

・全体を通して内容はあっていると思います。けど、あてはめ(設問2(4)以下)とか、設問3とかがあっさりしすぎているかなと思う。知識絶対圧倒的なものを持ってると思うので、それをもう少し答案にわかってますよーってのを説明してあげた方がいいと思います試験っていうのは点取りゲームからとにかく書けることを省かず丁寧に書いていかないと知らないと思われちゃうので。俺も今はそれを心掛けて丁寧に答案書くようにしてはいるけど、細かい知識とか足りてなくてぼろがでてくるから難しいっす…。でも周平ならできると思うので説明を省かずに答案書けばいいと思います


設問1


・一2(1)についてなんだけど、内容はあっているんだけど、最初に「二段の推定は以下のような推定をいう」と書いてるから、結局2段の推定がどういうものをいうかのまとめ?のようなもの最後に書いた方が分かりやすいと思う。

・二2についてなんだけど、直接の意味はないことの説明があった方がいいと思う。民訴では結論だけ書いてもあんまり点が入らないのでは、と思います。具体的には、二段の推定適用されないよね、ってことを説明してあげればいいと思う。


設問1(2)

・一応弁論主義1テーゼが主要事実にの適用されることを一言でも書いた方がいいかも、と個人的には思う。ただ、加藤は書いてなかった。それ以外は問題文に掲載されていた判例特殊性も書けてるから完璧だと思う。

設問2

・参加的効力のところで、本問では事実①と②があるので、そこをちゃんと明示してあてはめをすべきだと思う。補助参加のところは本問のメイン論点ではなく前提問題だと思うからさっくりと流して、参加的効力の方を厚く書いた方が点数が伸びると思います



設問3

・一応同時審判申出の場合は通常共同訴訟から39条適用されるって話を軽く説明した方がいいと思う。配点も2,5あるから意外と大きいと思うので、ここでも点を取ってやるって感じで知っていることを試験委員説明してあげるべきだと思う。

日本人盲目化が激しい

ももう両目が霞んできてやがて片目だけになり最後は飲み込まれるのだろう。

だがあえて言わせてくれ。

完全な盲目フラフラと合図に反応して動いてる連中の見てられなさときたらないね

http://anond.hatelabo.jp/20161202115221

冷静に考えてほしい。ファイナルファンタジーファイナルってなんなんだ?

英語辞書を引けば「最後の」なのに、

なんで、15まででてるんだよ。全然最後じゃねーじゃん。



そいうタイトル詐欺は、もううんざりなんだよ。

[] #8-1「おにぎりの具」

おにぎりの具は何が好きだろうか。

俺は梅で、弟のマスダはツナマヨだ。

兄弟からって、好みが同じってわけではないさ。

俺たち兄弟に限ったことではなく、好みというもの千差万別だが、ちょっと特殊立ち位置のもの存在する。

例えば、俺たちの間では昆布がそれだ。

需要はあるからそこにいるはずのに、なぜか結局は最後まで残るんだ。




とある休日、俺は後先を考えずに昼ごろ寝て、夕方に起きた。

休日からこそ堪能出来る生活だ。

食卓に行くと、大き目のタッパーに妙に偏った配置でおにぎりが並んでいた。

どうやら母が、ママ友の集まりピクニックか何かに行っていたのだろう。

まり、このタッパーの中のおにぎりは残り物だということだ。

どうせ、こういうものは持ち帰っても、後で捨てられるんだよなあ。

小腹が空いていた俺は、どうせ捨てられるならとおにぎりに手を伸ばした。

「はは、やっぱり昆布だ」

いずれにしろ、今のこの場において昆布という存在は、確実に俺の腹を満たしてくれる存在だ。

もちろん、梅があるならそっちを食べるけど。




それにしても、不思議だ。

これだけ敬遠されているのが分かっているにも関わらず、昆布という選択肢は残り続ける。

何となく疑問に感じて近くの店を行き来して軽く調べてみると、意外にも需要があることが分かった。

需要がある分、比例して残りやすくなるのかと納得したいところだが、俺はどこか違和感を拭い去れないでいた。

いくら需要があるといっても、それは他の具にだっていえること。

昆布だけ残り方が異質なんだ。

“何か”がある。

しか理由は分からない。

これ以上は一人で無理だと考えた俺は、弟たちの功績をアテにすることにした。

(#8-2へ続く)

セッション』て邦題が糞よな。

原題は鞭打つという意味の『Whiplash

ジャズスタンダード曲名ドラムを叩く手のしなり、フレッチャーのしごきの様、のトリプルミーニング。

セッションとして見ると、最後がある種の仲良しエンドに万が一もしかしたら見えてしまうかもしれない。

しかしあの主人公は、ラストWhiplashカマして終幕のその後、教官のもとから去るだろう。元ザヤは有り得ない。互いに。

何かを賞賛するような映画というよりは、痛い青春共感しつつ云々かんぬん、簡単に言い表せない複雑な思いを表現してる点で

映画として作る意義の塊みたいな映画だった。

http://anond.hatelabo.jp/20161201115503

家に来るインド人について

最近、夜の3時くらいにインド人が7人ほど家の中に入ってきて、ベッドの前でダンスを踊るのですが、どうすればいいのでしょうか。



もちろん、最初に彼らが来た時はとてもビックリしました。

私が寝ていると、突然、部屋の扉が開き、部屋がライトアップされ、その中で、無音で、インド映画にあるようなダンスを踊るのです。



誰でも驚くと思います警察通報しようかとも思いました。

しかし、よく見ると、どうもこちらに害を与える様子がないのです。



とりあえず、訝しがりながらもそのダンスを見てみることにしました。

そうすると、そのキレのある動きに見とれてしまい、結局最後まで見届けてしまったのです。

ダンスが終わるとインド人たちは両手を合わせ、一礼して帰っていきました。

私は呆然とその場に座っていました。



それからは、彼らは毎晩のように来るようになりました。

私もいつしか彼らが来るのを楽しみにするようになっていました。

ハリの無い人生だったのが、確かに明るくなった気がしたのです。

夢のような毎日でした。



しかしそれも束の間のことでした。ある事実に気がついてしまったのです。

なんと、彼らが踊る輪の中に、いつも一つだけ空きがあるのです。そう、彼らのダンス完璧ではなかったのでした。

それに気づいてからというもの、私の心は沈んでしまいました。残念なことに、もうダンスを見ても楽しくありませんでした。



ある夜、うんざりするような気分で彼らのダンスを見ていると、突然、あるヒラメキが頭に浮かびました。

私はベッドから立ち上がり、彼らの中に混ざり、見よう見まねでダンスを踊り始めました。

「1人足りないのなら、私がその1人になればいい。」

それが私の出した答えでした。



これで、またあの楽しいダンスが戻ってきたのです。

さらに嬉しいことに、私が混ざると、彼らもとても楽しそうに踊るのです。

踊っている途中で横を見ると、ニカッと満面の笑みを返してくれます



それからは毎晩一緒に踊るようになりました。

彼らのダンスはとても難解で、激しいです。

正直に言うと、とても疲れます

しかし、これまでの人生経験したことのない充足感を感じるのもまた事実なのです。

あの楽しいひと時を過ごせると思うと、いても立ってもいられないのです。



インド人たちとダンスを踊るようになってからというもの、実生活の方に支障が出るようになってしまいました。

職場で居眠りをして、上司に怒られることがよくあります

同僚からは「疲れてるから少し休んだほうがいいよ」と言われます

また、先日医者に行ったら過労と診断され、しばらく安静にするように言われました。

しかし、安静ということは、すなわちインド人と一緒に踊ってはいけないということです。

そんなことが許されるのでしょうか?



正直に言うと、彼らとのダンスは既に私の生活に欠かせないものになっているので、たとえドクターストップがかかったとしても、止める自信がありません。



ここ数日、彼らはダンスが終わり、部屋から帰るとき意味ありげな手招きをするようになりました。

どうも「こちらについて来い」という意味らしいのです。

これは私が彼らの一員として認められたということなのではないでしょうか。

彼らについていくと、その後にどうなるのかは分かりません。しかしどうも、今の生活よりも楽しいものになる気がするのです。



彼らはきっと今夜も部屋に来てダンスを踊るでしょう。

そして、意味ありげな手招きをするでしょう。



私はもう我慢する自信がありません。



どうしたらいいのでしょうか。

麻木もベッキーイラっとしたんだけど

不倫好き父のせいで私の家がボロボロだったので浮気が嫌いなのもあるけど、麻木もベッキーイラっとしてテレビで顔を見たくないと思った

芸能ニュースアンテナ立ててないのでよっぽど目立たないと知らないままだし、不倫ニュースなんてしょっちゅうなのに特にこの二人の記憶が残った理由を考えてみる

1イメージ不倫とかけ離れていた

2インパクトのあるばれ方だった

3不快感インパクトのある釈明だった

4被害者の方がバッシングされているのを見た

この辺かな、特に最後のやつは何で被害者を叩きながら加害者擁護してるのかとすげー不快感を刻み込まれたので、テレビ事務所不倫擁護をする際にしない方が良いと思う

2016-12-01

動物VTR吹き替えをつけるのが大嫌い

どうぶつ奇想天外とかで「楽しかったわん」「嬉しいにゃん」とか吹き替えつけるのが大嫌い。


まだこれらは良いとしても「ご主人さまと過ごせて幸せだわん」とか寒気するね。



そんで最後はこうナレーションで締めるんだろ?

「にゃんとも不思議映像でした」

「うーん、わんだふる」



時代錯誤にも程が有るワ。

久美子に憧れるあすかと“ユーフォっぽさ” - TVアニメ響け!ユーフォニアム2』#9

#9観た。一期から伏線である田中あすかの瞳に世界はどう映ってるのか、彼女本音は何なのかというところに一応の決着がつく回だった。手放しで絶賛するほどではないものの、けっこう興味深いところもあったので書く。

 

田中あすかとは何だったのか

一言でいうと嘘つき。もうちょっと言うと過干渉を嫌い、それを笑顔ジョークによって躱す処世術は身につけたもの本音が外に漏れるぐらいまで一杯一杯になってる普通女の子だった。

「あの人のこと嫌いってわけじゃないの」

(中略)

「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」

あすかと久美子のやり取り。嘘を即座に看破され、その後もっともらしい言い訳を述べるが、内心は母親をそうとう嫌悪しており、それを体のいい言葉で取り繕っている――ということは直前の香織とのやり取りを見ても明らかだ。

https://i.gyazo.com/cce45435ce91ef4c1afafb65ed403306.png

https://i.gyazo.com/c73ef75ed14157800b37d979b5fa2c4a.png

この過干渉に対する露骨嫌悪は、パターナリスティック母親を想起してのものだろう。しかし香織が顔を上げるや笑顔になり、別れを見送りつつ「カワイイでしょ、香織って」と久美子に語りかける。直前の表情からすれば「ウザいでしょ、香織って」とでも言いそうなものなのにそう口にすることはない(みぞのぞの結末を目撃した我々は、一見すると仲の良い友人であってもそこに温度差があることはすでに承知しているはずだ)。

こういった本心とは裏腹なことを言う姿は他でも確認できる。

「もしかしたらあたし、あの曲を黄前ちゃんに否定してほしいのかもしれないな……。コテパンにしてほしいのかも……」

父親から贈られた曲を否定してほしいのかもと言いつつ、実際に思ってるのはその逆だ。ということは吹く前に「……本当に聴きたいと思ってる?」と不安げに確かめるところから察することができる。

そもそも久美子を家に呼んだのは、私利私欲に走った自分の苦しい胸の裡を誰かに話したかたからだ。そこからあすか特別なんかじゃなく、弱いところも持った普通少女だということが判る。

しろ特別なのはそんなあすかがハッとすることを折に触れて言う久美子のほうだ。

 

黄前久美子という特異点

特別あすか麗奈に比べれば普通といっていい久美子は、しかし実際のところ作中における特異点だ。それは1期から麗奈によってしばしば語られてきており、今話でも強く指摘された。

「久美子ってなんか引っかかるの。普通のフリしてどっか見透かされてるような、気づいてなさそうで気づいてるような……」

「なにそれ……」

「そして、いちばん痛いときポロッと言葉になって出てくる。……『本気で、全国行けると思ってたの?』」

「あれは……、あの時は……」

「だからなんか引っかかる。ギュッと捕まえてその皮はがしてやるって」

あすか先輩も……?」

「判らないけど」

あすかにも府大会の直前に「今日最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」と言って意味深笑顔を浮かべさせたり、「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」とか「あすか先輩がいつもと違うんですよ」などと言ってハッとさせる。

これは久美子の失言王(http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%B1%E8%A8%80%E7%8E%8B)というキャラと密接に結びついている。1期の開幕では「本気で、全国行けると思ってたの?」と言って麗奈に睨まれ、吹部の新歓を聴いては「ダメだこりゃ……」と零し葉月に聞き咎められる。いずれも“失言キャラ”というキャラ立ての一環であると同時に、本人の意図によらないところであっても本質を思わず突いてしまうという側面にもなっている。そしてそれは1期#8で結実し、今話においてより大きな伏線の回収という形を描いた。思わず「おおう」と唸るところだ。

 

久美子に対するあすかの憧れ

「……本当に聴きたいと思ってる?」

はい!」

「ふふっ。黄前ちゃんはほんと、ユーフォっぽいね

「?」

「私、自分のことユーフォっぽくないってずっと思ってたんだ。だから黄前ちゃん見たときびっくりしたの。こんな……こんなにユーフォっぽい子がいるんだって

「……褒めてます?」

「褒めてるよ。だからからな、話きいてほしいって思ったのは」

ここであすかが吹いたのは父親から贈られたユーフォソロ曲だ。ユーフォだけで構成された、独りで吹ける、あすかのためだけの曲。ただ本質的ユーフォソロ向きの楽器ではないし、吹奏楽においてもペットのような花形にはなりえない。オーケストラにおけるチェロになぞらえられるように、オブリガードや伴奏などで曲に深みを与えるところで活躍する。ユーフォ集団の中でこそ輝ける楽器なのだ

久美子は楽器を習い始めた当初からユーフォ吹奏楽の一部分として捉え、楽しんできた。集団の中にあることを疑わず、まっすぐ素直に受け容れてきた。

あすかにとってユーフォ父親自分をつなぐ唯一の存在だ。みぞれにとってのオーボエのように大切な誰かとつながる唯一無二の手段。だから「私は遊びでやってるわけじゃない。独りで吹ければそれでいい」とさえ言う。そんなあすかにとって父親から贈られた曲は心の支えだったろう。だけどそれは同時に、父親に囚われているということでもある。あすか母親だけじゃなく父親からも囚われている。そんなずっと独りで吹いてきたあすかが久美子に聴いてもらうために吹くということは、大げさな言い方をすれば初めて誰かに聴いてもらうために吹いたと言えるのかもしれない。

https://i.gyazo.com/d7feee576db6903d3c5c9e15d8b3f22f.png

卒業するときあすかは久美子に父親ノートを託す(2期#1冒頭)。それは父親審査員を務める全国大会を経て完全にその呪縛から解き放たれたことを意味するのだろう。残る4話のうちにそこに至るまでのあれやこれやが画面いっぱいに描かれるはず。そう思うと終局に向けて動き出した『ユーフォ2』からますます目が離せない。

 

ユーフォ感想一覧

http://anond.hatelabo.jp/20161201115503

T塚ヨットなんちゃらやW民が

如何様にして若者洗脳しているかがわかる映画だろ

あれは戦いじゃないよ

戦いだとしたらマイルテラー演じる主人公惨敗

最後あいつと目を合わせて笑いあうのは

和解でもなんでもなく

結局教師への依存から脱却できなかったというだけにしか見えなかった

菊池音楽を見せる映画じゃないというのも的を射た指摘で

主人公は終始内向きな思考

彼には自分演奏が周囲から見てどう聞こえるかという客観的視点がない

自分天才であることを証明してそんじょそこらエリートなんか蹴散らしてやるぜ」

という動機だけでずっと行動している

から女にも振られるし親父にも素直に応援してもらえない

あいつのドラムフレッチャーに聞かせるためだけに演奏されているわけで

観客を感動させないよう意図されているはずなんだ

から菊池の言い分にも一理あるし

あの演奏を見て手放しで凄い凄いと言うのは少し見当違いじゃないか僕は思う

ただ全力投球でありながら独りよがり演奏をあえて演出することは

相当に難しいわけで音楽を扱った映画としてはかなり良くできている

美味しいご飯屋さんでは皿を直接舌でペロペロしてもいいマナーがあってもいいと思う。

あるいは隠しメニューでご飯(小)があって、最後ソースをかけて混ぜご飯にしてもいいマナーとか。

映画セッション」を見た感想

前に映画評論家の町山さんとジャズミュージシャン菊池さんが評価を巡って論争してたって言う「セッション」見ました。

菊池さんの批判あんまりにもクソ長かったので当時は読んでなかったと思いますけど、とにかくネットフリックスでやってたので見てみました。

なんだよ?これ?スンゲー映画じゃねーか!

ジャズ歴史だとか実際はどうだとかなんて知りません。単に映画として素晴らしい。

ともかく一個の映画としての出来はアカデミー賞クラスであることは間違いありません。

どーしてもチャーリー・パーカーみたいなジャズ巨人を生み出したいがために、あり得ないほどに厳しく指導するフレッチャー教授と、とにかくジャズドラマーとして出世したい19歳のニーマンのバトル映画です。

これ、最後の9分強以外の部分はジャズ映画とかじゃありません。二人の戦いです。とにかくどっちも強烈な意思を持ってる。

それが、この最後の九分強で全部ひっくり返されます

こんな映画なかなか見れたもんじゃないですよ。

必見だと思いますね。私最後で泣きましたもん。勝手に涙流してたw

ちょまど氏の炎上対応について疑問をもちました

はじめに

ちょまど氏、またはXamarinコミュニティ炎上について他の方が書いているブログを拝見しましたが、

思うところがあり書いてみました。

  

ちょまど氏が叩かれている内容としてジェンダー問題技術力が無いetc...といくつかあがっておりますが、

私は彼女の「MSテクニカルエバンジェリスト」としての対応が叩かれる原因では?と感じました。

理由は下記です。

  

炎上したコミュニティへの対応

  

事の発端は、Xamarinコミュニティ勉強会においてひとりの参加者ヒエラルキーを表すスライドを発表したことがツイッター流出

「ちょまど氏が書いたものではないか」と一人歩きしてしまったのが始まりのようです。

  

そして、ちょまど氏は「私が発表したスライドでは無い」というツイートをし、

その後当該スライドを発表した参加者謝罪リプライを送りました。

  

ちょまど@MS入社して8ヶ月 @chomado

ハッキリ言いますが、

私は「Xamarinするならまず人脈」などとは一度も言ったことありませんし、勿論 全くそんなことは考えていません。

私の不在中、そのような内容のスライドに私の名前が使われたらしいのですが、

私はそんなことは言っていません。

この話はこれでおしまい

山本康彦@BluewaterSoft @biac

.@chomado ぁわわ、そんな話になってたとは。すみませんm(_`_)m

この場でいっときます

それを言ったのは私です! 断じて、ちょまどさんじゃありません。

2016年11月26日 21:33

  

しかし、その謝罪リプライに対してちょまど氏は何のアクションも取っておりません。  

  

この対応ちょっとどうなのかしら...と感じました。  

  

ちょまど氏はMSエヴァンゲリストであり、自社プロダクトのXamarin啓蒙する立場の方ですから

どちらかというと今回炎上したコミュニティ主催者側の人間のはずです。

そんな方がコミュニティへのフォローもせず、迷惑を被ったとはい謝罪した方のリプライスルーってどうなんでしょう?  

  

このとき社交辞令だとしても件のコミュニティに対して何かフォローアクションをとっていれば

現在より炎上を抑えられたのではと個人的には思います

  

Xamarin広告塔」としての振る舞いについて

  

MSエバンジェリストであるちょまど氏ですが、

広告塔」としての立場もかなり大きいかと思います。  

  

今回の炎上Xamarinコミュニティへの批判、ちょまど氏にヘイトを向けるような意見も多くあり、

炎上の部類としては結構ネガティブだと思います

そのため、Xamarin広告塔であるちょまど氏は炎上を避ける・沈静化させる行動に出るだろうと普通は考えます、が…

逆に炎上に油を注ぐようなツイートをしてて謎です。   

  

特に、以下二点はいかがなものかと。  

  

擁護ツイートリツイートする

①のスルーもどうかと思いますが、一度沈黙を決め込んだのならそのまま触れずにいればいいのに蒸し返すのはまずかったかな、と。

しか自分への擁護ツイートだけリツイートするのではアンチから自己保身」とますます叩かれ、炎上が長引いてしまうことが予想できます

・法的措置を匂わすツイートをする

ちょまど@MS入社して8ヶ月 @chomado

さっき上司に呼ばれて、彼の提案により法務部に相談することになりました!

4:29 PM - 29 Nov 2016

引用は控えますが、個人攻撃ではない意見レベル批判ツイートはけっこうありました。

  

このツイートだけだと、何が原因で法務部に相談するのかわかりません。

憶測憶測を呼び、批判意見自体の萎縮(もしかしたらそれが狙いなのかもしれませんが)、

やがてはコミュニティ内外での意見交換不自由さへつながることになると思うのですが、それで良いのでしょうか…

  

   

以上、一連の炎上対応には残念ながらがっかりしました。

なぜ自社の製品の魅力を伝える役割の方が、製品内容と全く関係ない炎上に火を注ぐ行為をしてしまっているのか…


まとめ

広報エバンジェリストってどういった立場で誰に何をする仕事の人でしたっけ?

Xamarin製品を使っているユーザーのためにも、これから使うだろうユーザーのためにもネガティブイメージを広げない行動をするべきなのでは?

  

最後

ごめんなさい…最後駆け足になっちゃいました。

結果としてこの書き込み炎上に加担することになるのではと思いましたが、

世代の女としてちょまど氏を応援しており、一意見として書かせていただきました。

ちょまど氏にはますますのご活躍を期待しております

anond:20161129234656

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である


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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。



さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

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さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

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さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

偏差値意味、結局最後までわからなかった

70が良くて30が悪いっていうのはなんとなくわかるけど、その数値が何を意味してるのかぜんぜんわからない

2016-11-30

わたし橋本奈々未という女の子を好きなった話。

私が橋本奈々未を見つけたのは乃木坂46第一期最終オーデション。本人はこんな昔の写真やめて〜っていつもの調子で嫌がるかもしれないけれど、完全に、一目惚れだった。

わたしはこんなに綺麗な人を知らない。

綺麗は正義だ、美人は宝だ。そして橋本奈々未はそれを持ち合わせた女の子だった。



顔が整っているから黙ってるとクールビューティなんて言われてるけど、私が知ってる橋本奈々未クールだったことがない。ふわふわおっとりした雰囲気だけならどこにでも居そうな女の子握手会ちょっと変わったネイルをしていけば握手そっちのけでネイルの話をしたり、その洋服どこの?池袋マルイ可愛いー帰りに寄ろっかな。なんて話もした。自分が同じ土俵にたってるなんて考えるのも烏滸がましいけれど、橋本奈々未との会話はいつも友達との会話みたいだった。

から、ハマった。ずるずるずるずる。

橋本奈々未を思い出さなかった日はないし乃木坂46の歌を聞かない日はなかった。

握手会ライブテレビ収録も、そして同性だからこそできる橋本奈々未を創るキラキラしたものを真似るのも。



今日考えればわたしアイドル橋本奈々未じゃなく橋本奈々未というひとりの女の子が好きだったのだろうと思う。

だってこんなに美しい子好きにならない理由がない。

でも、橋本奈々未からアイドル性は感じられなかった。美しすぎてアイドルから得られる多幸感を感じることが出来ない。橋本奈々未から与えられるのは圧倒的な美だけ。全てを殴ることができる、美。橋本奈々未のことを考えると胸が苦しかった。

そして本人もそれは自覚していたんじゃないだろうか。自分アイドル天職ではないこと。

そして、橋本奈々未引退

散々話題になってるから橋本奈々未実家貧乏で弟の学費を払う為にアイドルになったこと、その学費の目処がついたか卒業芸能界引退することは乃木坂ヲタじゃなくても知ってるんじゃないだろうか。美談だとか嘘っぽいとか色んな意見感想がうずまくなか私は今月半ばに行われたの個握にいった。

それががわたし橋本奈々未に会った最後の日になった。もう握手会イベントも行かない。だって会えば会うほど辛くなるから

どこにでもいる普通で顔が整っているだけの女の子に戻ってしま橋本奈々未によかったねお疲れ様といいたい反面、わたしiPhone橋本奈々未フォルダはもう増えることは無いのだ。橋本奈々未と私の関係は終わった。わたしファンという立場から追い出される。いままで騙し騙し凌いでいた橋本奈々未のことが好きという感情の真理には真正からはどうやったって向き合えない。向き合ったら私の中の何かが崩れてしまうから、だからすべて思い出にする。わたし橋本奈々未が好きだった。

ありがとうななみん










この感情は恋だったのか?誰に問えば答えが出るのだろうか

それでもセクシャリティを超えられる日が私に来たら真っ先に思い出すのはななみんでありたい。

そう思う。

[]小林有吾, 上野直彦「アオアシ」

珍しい(?)ユースサッカー漫画

主人公感性プレイヤーで直情的なワンマンと思いきや実は俯瞰能力があってときどき鋭いプレーをするタイプ

中学最後試合相手チームメイト馬鹿にされて切れちゃって負けちゃったところを、ユースの監督に見初められてユースの入団試験受けに行く

ぐいぐい読ませる漫画だね

曽田正人とかとベクトルが似てる気がする漫画ですごく漫画としてうまいなと思った

作者全然しらんけど

久しぶりに面白い!と思える漫画出会えた気がした

なんか監督見ててジャイアントキリングのたつみ思い出したな―

凄い選手だったけどケガしちゃったっての

サッカー全然興味ないけどそれでもぐいぐい読ませるのすごいなー

カペタとかジャイキリ、昴、アイシールド21とかと似た感じだな

フットボールネーション面白かったけど個人的にはこっちのほうが好きだな

あっちが理論ならこっちは感情って感じかな

もちろんこっちも理論は一応あるけど

語らずに表情や絵でみせる漫画ならではのよさがこっちのほうがある気がする

あっちは理論のオマケに絵がついてる感じ

監督の妹めっちゃかわいい

扉絵を地味に楽しみにしてた

水着ときはキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!ってなった

かわいい

ツイッターで作者があげてた「このふたりこのあと喧嘩します」ってがぞう もすごくかわいい

師走も近づく昨今、また一人旧友が命を絶ったという連絡を受けた。

霜が降りそうな朝、葉がほとんど落ちた樹にぶら下がっていたのだという。

旧友といったのは、この4,5年のあいだお互いに行き来することがなかったからだ。

最後に会ったのは、彼が事業を始めてまもなくの頃だったと思う。そのころ彼の会社プレスリリースなど出して、彼は多くの人に囲まれていたから、軽く立ち話をするくらいのものだった。

彼の会社は、特定カテゴリ顧客に、ネット上で服をセット販売するという事業を展開していた。開始当初は、ネットサーフィンしていると、彼の会社バナーを見かけることがあったが、最近はまったく見かけなかった。

というか、彼の訃報を聞いて、ようやく彼の事業を思い出したほどだ。

共同創業者に近い間柄にある知人とこれまた数年ぶりに電話で話したが、彼の死去の原因は、資金調達の失敗にあったのではないかということだった。

運転資金が底をつきかけて金策に走った旧友は、投資してくれる可能性のある人物と会食し、共同創業者とともにレストランに行ったのだという。

交渉は結局のところ不調に終わり、2日後に彼は命を絶った。



「何か思い当たる原因はなかったの」と私は知人に聞いた。

最初は先方もかなり乗り気だったけれど、急に表情を変えて、翌日に断ってきたらしい」

「なにがきっかけだったのだろう」

「さあ、思い当たることといえば、彼が会食の席でなにかまずいことをいったのではないかということらしい」

「まずいこと?」

「まずいことというか、いい間違いといった方がよいのかもしれない。肉料理がメインのコースを頼んで、最初フランスパンが運ばれてきたらしい。それで、グラスを傾けながら事業の話をしているうちに彼が言ったらしい、「このバケット、うまいですねぇ」と。そしたら先方が急に眉根をひそめて、「ああ、バゲットですね」といったそうだ。彼はハッとして話題を変えたが、そのあと、先方の表情は硬いままだったらしい」




そんなことがありえるのだろうか。

ここにはデマが溢れているから、これを書いている私も、まさかといいたい。

もし上記のことが交渉不成立の原因だとしたら、彼はたった一度の言い間違いのために命を落としたことになるのではないか

バケットとバゲットの区別などどうでもよいという意見はよく聞くし、私も実際にそう思うことがある。

だが、この間違いが命取りになることがあるのだとしたら、私は今後間違えることはないだろう。

そんなことを思いながら、落葉の積もった歩道を見つめ、私は彼の冥福を祈った。

2016-11-29

[]11月29日

○朝食:なし

○昼食:ホルモン弁当

○夕食:サラダうどんサラダ増量)



調子

はややー。

仕事はのらりくらりと適当にこなした。



○お便り返信

よかったー、ここ数日「はややー」がなかった淡々とした日記だったか心配してたよー。

仕事ミスは誰にでもある。

次に気を付ければOKよ。

http://anond.hatelabo.jp/20161128000318

そうですね、どうも同じプロジェクトに長居する予定なので、今後は対策も含めてやっていきたいです。

type-100 酌するのもされるのもなんか落ち着かないので、気楽に飲みたいよね

http://b.hatena.ne.jp/entry/310041734/comment/type-100

そうですね、気遣いが苦手な性質なので気疲れしました。

あの後缶ビールを二本飲んだのが、二日酔いの原因っぽいです。

death6coin ゲームは?

http://b.hatena.ne.jp/death6coin/20161125#bookmark-309888021

終電ときでも、コマスターログボ、ポケとるデイリーイベントバッジとれーるの台チェックはしてはいます。

ただ、それを書くのが面倒になる感じです。

nagatafe 「てへぺろ」「むきゅー」で通そう

http://b.hatena.ne.jp/entry/309888021/comment/nagatafe

いいですか、島村卯月がアニデレでひたすらに横ステップをしていたのは「前に進めていない」ことの暗示であり、

じっさいにスマリングやCP全体曲に横ステップがないことはどうでもいいんです。

そういうことです。

(何が何やら)

usausamode セップクモナカをてにいれた

http://b.hatena.ne.jp/entry/309888021/comment/usausamode

なんのことかわからずググりました。

こういうお菓子があるんですね、そうですね旅行にでも行った時に手土産差し入れるぐらいは考えておきます。

旅行なんて十年ぐらい行ったことないですが)

mur2 裁判ってなんやの? 逆転裁判の話? リアル法廷なら異議あり!と指を突き立て叫んできてほしい。

http://b.hatena.ne.jp/mur2/20161126#bookmark-309888021

ミスった僕とか上長とか取引先とかが集まって

「なんでミスったんだ」と問い詰められる会議を指して、裁判と言っています。

ちなみに、裁判は淡々と終わりました。

usaginokainushi ポケモンまだ最初の島にいる…。

http://b.hatena.ne.jp/entry/310050536/comment/usaginokainushi

レートを全シーズン満喫したいとかでない限り、自分のペースで楽しむのが良いと思いますよ。

はいえ、個人的にはポケリゾートオススメの遊びでかつ、デイリー要素が多いので、早めにそこまではプレイすると楽しそうですが。




次のお便りはちょっと長いので略しました、詳細はURLをクリックしてください。

あとストーリーがいいってところをもっと長文で熱く語ってくれ

システムについても語って欲しい

過去作のシステムとか初代あたりからの違いとかもあるとうれしい

http://anond.hatelabo.jp/20161124093638

ストーリー

「自立」が根底にある凄くハッキリしたストーリーでした。

個人的に凄く褒めたいのが「ハッキリしたストーリー」って部分なんですよ。

というのも、ポケモンって良く言うと暗示的、悪く言うととボンヤリしたストーリーが多かったんですね。

例えば第四世代と呼ばれる「ダイヤパールプラチナ」(以下DPt)だと、小さい頃機械が友達だった悪の組織ボス世界を完全なものにするために今の世界を破壊するとか。

第五世代と呼ばれる「ブラックホワイト」(以下BW)だと、ポケモン解放を謳う悪の組織ポケモンモンスターボールに閉じ込めることの是非を問うとか。

こう、何か子供に伝えたいメッセージがあるんだろうけど、暗示的な部分が多すぎるせいで、なんかもう宗教の自己啓発みたいなちょっと近寄りがたい雰囲気みたいなのを、僕は感じてたんですよ。

この辺は過去作をプレイしてもらいたいんですけど「なんか難しいこと言ってるけど、要するにどういうこと?」みたいなシーンが多くて、正直子供向けの作品としては歪だったと思っています。

これ、本当は「大人は深読みして楽しめる」と「子供はセリフを追うだけで楽しめる」みたいなのを両立しようとした、スタッフ努力だとは思うんですよ。

なんだけど僕としては、隠しきれてないし、のわりに暗示的すぎてイマイチ意図がつかめない、って感じでした。



ところが、今作は単純明快です。

「偉大な祖父に憧れながらも、自分なりの答えを探す『ハウ』」

「傲慢な母親に振り回されるも、最後にはそれを振り切り、自分冒険を始める『リーリエ』と『グラジオ』」

過去主人公同様に冒険をしたが、その結果に納得がいかず今も燻っている『グズマ』」

「『グズマ』と同様に結果は最良ではなかったものの、自分で納得し受け入れ、新しい夢を持ち、そしてそれを叶える『ククイ博士』」

とこの五人の設定が、自立というテーマのもとに非常に明確なんですよね。

いつまでも過去の結果に納得できずにやさぐれているグズマ

過去の結果を受け入れその上で新しい夢を持ち、それを叶えるククイ博士

なんかは、作中でも明確に「僕は君と違う」的なセリフがあるので、意識して対比されてる感じでした。



特に文量を割かれているリーリエのエピソードはどれも秀逸でした。

まず興味深いのがリーリエはポケモントレーナーじゃないんですよ。

自分ポケモンを持っておらず戦えない。

これって、要するに「ポケモンを持って旅をできるほど、リーリエは親から自立できていない」という意味だと思っています。

ポケモンプレイするとすぐわかるんですが、町の至る所にいるモブですらポケモンを持っているんですよね。

そういう意味で、あの世界ではポケモンを持って旅をしたり、ポケモンと暮らすのは、当たり前のことなんです。

なのに、リーリエはポケモンを持っていない。

それはなぜなのか?

というのが、超重要キャラでありリーリエの母親の『ルザミーネ』の性格にあります。

彼女はもう典型的な「毒親」なんですよ。

娘のリーリエが自分の命令を聞かないとブチギレ、あっさりと捨てる。

そんな親のせいで、リーリエは本当なら自立できる年齢(※ポケモン世界の話で、現実で11歳が自立する必要があるって意味じゃないよ)なのに、ポケモンも持てず主人公に頼るしかないんです。



この「親から自立できていない子供のリーリエ」との交流エピソードは、サンムーン全体のなかでかなりの文量を割いて描かれています。

これらの細かいエピソードで、リーリエが可愛いことについては、プレイして感じて欲しいですね。

そして、その物語の先で、リーリエは親であるルザミーネ

「もうウンザリです!」と言い放ち決別をします。

(決別とは書きましたけど、別にリーリエがルザミーネを捨てるわけじゃないのも、良い点だったと思います。

兄のグラジオが「あんなのでも親だからな」と言っていましたが、本当その通りで、このバランス感覚は子供向けながらすごいと思います)




ただ、だけれども、結局この「決別」は、プレイヤーである主人公ルザミーネをバトルで倒すことで完了します。



もちろん、先ほど書いた通り、リーリエはポケモンを持てないほど自立できていないからこそ、誰かが助けないといけないから、これは仕方ないんです。

仕方ないんですが、ここでリーリエにとっては、きっとシコリが残ったんだと思います。

そして、最後の別れに繋がるんですよ。



リーリエは冒険の途中に「主人公に色んなことを教えて欲しい」とか「主人公がいてくれてうれしい」などと、好意を向けてくれます。

だのに、最後最後で、リーリエは主人公の元を離れて、自分一人で冒険の旅に出ます。

それも、サンムーン舞台になった場所とは遠く離れたところへ。

これって要するに、リーリエは親であるルザミーネとは決別できたけど、それは主人公の手助けによるもので、

結局テーマである「自立」は成し得てないってことだったんですよね。

からリーリエは主人公に甘えたくなかったんですよ、きっと。

本当は冒険の途中に何度も言っていたように、主人公と一緒にいたかったんですよ。

けど、きっとそれは彼女にとって「対等な関係」じゃなかったんでしょう。

ちょっと表現が難しいですけど、リーリエが泣くと助けてくれる主人公リーリエのためならなんでもする主人公、そんな関係の行先が、結局母親であるルザミーネとの関係とかぶったのかもしれないです。

からこそ、リーリエは主人公からも自立し、最後最後、旅に出る。



長々と書いてきたけど、リーリエの自立の物語としてとっても面白くて、それでリーリーエがとても可愛くて……

立派なポケモントレーナーになったリーリエといつか再開する続編やリメイクプレイしたいなあ、と思いを馳せてしまいますね。




システム

これ、メチャクチャ長くなるわりに、システムから攻略サイトとか公式サイトとかを見た方が硬いと思うけど、

一応ざっくり。

まず、ポケモンの構成要素の歴史から



種族数:第一世代151、第二世代251、第三世代386、第四世代493、第五世代649、第六世代721、第七世代801(※2016年11月29日時点、例年だとここから三匹ぐらい増える。いやまあ解析情報知ってるけど一応何匹かは伏せときます)

種族ってのは、ポケモンの見た目とかを後述の種族値などを決める要素っていうか、まあキャラクタの数ってことだね。

はいえ、この数は図鑑NO基準で、中には同じ図鑑NOでありながらも大きく見た目や能力が違うポケモンもいます

種族値第一世代では「HP、こうげきぼうぎょ、とくしゅ、すばやさ」の五つ、第二世代〜第七世代では「HP、こうげきぼうぎょとくこうとくぼうすばやさ」の六つ)

よく言われる例えだと「人間は知恵がある」「ゾウは鼻が長い」みたいな感じかな。

先述の種族によって、種族値は決まります。

ちなみに、第一世代から二世代への移行時に「とくしゅ」が「とくこう」と「とくぼう」に別れました。

二世から第五世代までは種族値に変更はなかったですが、

第六世代と第七世代では、種族値テコ入れが行われ、世代が変わるだけで強くなったポケモンもいます。

個体値第一世代〜第二世代では16段階、第三世代〜第七世代では32段階)

よく言われる例えだと「同じ人間でもAくんは足が速い、Bくんは足が遅い」みたいな感じ。

この個体値は、第六世代までは絶対に変更できない要素だったんだけど、第七世代からは強化できるようになりました。

努力値第一世代〜第二世では全てのステータスが65535まで貯める。第三世代〜第七世代では510を各ステータスに割り振る但し1ステータス255まで)

255までについてはツッコミきそうだな、第六世代からは252だけど、ただし255と252はステータス計算で切り捨てられる都合上実質同じです。

よく言われる例えだと「DNAが同一の双子のAくんとBくんでも、運動部のAくんは運動が得意で、勉強に熱中してたBくんは頭がいい」みたいな感じ。

性格(第三世からの追加要素)

25個あり、性格によって「こうげきぼうぎょとくこうとくぼうすばやさ」どれか一つが上がりやすくなり、どれか一つが下がりやすくなる。

ただし、5つの性格はどれも上がらないし、どれも下がらない。




……ごめん、これメチャクチャしんどいわ、解析情報も含めて完全に伝えようとするから大変なのかな?

まだこの後に

性別

フォルムチェンジ

進化

タイプ

・わざ

・わざの分類(攻撃物理特殊)、変化)

特性

メガ進化

特定のZストーン

・もちもの

テンション

リボン

とかがあって、その上で、

これらの要素をどう上下させるのか? みたいな遊びの部分にようやく切り込めるわけだからちょっとゼロから書くのはしんどいな。



まあ、本質的システムは赤緑の頃から変わってないよ。

ざっくり赤緑からの新要素を書くと…

ってそれでもしんどいよ、20年前だもんなあ。

・とくせい

ポケモン一匹一匹が持ってる特殊能力

例えば「ゴースト」なら「ふゆう」って特性があるから、地面タイプの技が効かないよ。

カイリキー」なら「ノーガード」って特性相手に必ず技を当てれる代わりに、相手の技も必ず自分に当たるよ。

同じ「カイリキー」でも「こんじょう」って言って毒とか麻痺とき攻撃力が上がる特性の「カイリキー」もいるよ。

・Z技

一回の戦闘で一発限りの大技。

このZ技を使える持ち物「Zストーン」を集めるのが序盤の目的だよ。

・ポケリゾート

いわゆる「放置ゲー要素」だよ。

設定すれば電源を落としてても自動レベル上げや、木の実育てや、有利になるアイテム探しや、ポケモン捕獲をしてくれるよ。

フェス

オンライン要素だよ。

バトルや交換はもちろん、ミニゲームも遊べるよ。

ちなみに、オンライン交換は

「フレンドと交換」(赤緑の頃の通信ケーブル交換とほぼほぼ同一、ネットを介すだけ)

「GTS」(ソシャゲトレード要素を自動化した感じ、自分ポケモンを預けて、そこに「○○希望」って設定すると、オンラインリストに載って、交換が成立すると自動で交換されるよ)

ミラクル」(オンラインの誰かとランダムで交換。序盤の虫ポケモンが来ることもあれば、超強いポケモンが来ることもあるよ)

ぶっちゃけ、まだまともに遊んでないからよく知らないよ。



これぐらいかなあ、もうちょいこう何が知りたいかを教えてくれると、書きやすいかな。



ポケモンサン

シンクロ要員孵化

おくびょうが出たので、残りは

わんぱく、おっとり、れいせい、むじゃきの四つ。

はいえ、おっとりとむじゃきは別に使用用途が思いつかないので、れいせいが出たら終わりにしようかな。

一本釣りなら、適当な冷静からグループ連絡網を使って遺伝させていく方が早いので、明日からはそちらに切り替えよう。

と思ったんだけど、冷静が一匹もいないんだけど、ポケリゾート開拓のためにそれなりに捕獲してるのにこれは面倒臭いな。

そうえばサファリポロックだかポフィンだかを置くと狙いの性格が出やすくなるシステムが昔にあったよね。(関係ない話だな)

ポケモンARサーチャー

プレイ

バッジとれ〜るセンター

ノー課金。

ノー課金どころか、欲しい台が一つもなかったので、コンプしてる台をもう一回プレイした。

ポケとる

ランキング報酬でバクーダメガストーンをもらう。

キュレム捕獲。(レベル4で捕獲できた、すごく運がよかった)

アーケオス捕獲

今回開催されてる他のイベントファイヤーゼクロムバクフーン捕獲済みなのでスルー

メガスキルアップ集めやスキルパワー集めみたいなエンドコンテンツにはあまり興味がないしね。

それだけに、そろそろメインステージをせめてメガレックウザぐらいまでは進めないとなあ。

ポケモンコマスター

ログボのみ。