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はてなキーワード: 自己とは

2017-05-24

高尾山トレラン=マリオカート

トレラン自体には興味がないわけではないが、

高尾山集団で走る方々のみっともなさから手を出せない。

彼らは気づいていないのだろうか。マリオカート並みに顰蹙をかっていることを。

1. マナー無視

 登りを無視し「すみませーん」などと声を掛けながら無理やり下ってくる。

 タイムを気にしているのでしょうか。

 混雑している6号路とか稲荷山を下るのは、表参道とか歌舞伎町集団で駆け抜ける珍走団並みに顰蹙かってますよ。

 タイム目的であれば、深夜の高尾山もしくは奥多摩ハセツネコースでやっていただきたい。誰もいませんから

2. 鈴と声がうるさい

 高尾山で熊よけの鈴はいりませんから一般的登山客にも言えますが。

 トレラン特有なのが、「下り〜」とか「登山客いますー」的な良くわからない掛け声。

 熊よけはマジで不要だし、単純にうるさい。

 自転車ハンドサイン的なものはないのでしょうか。

 鈴鳴らして声を枯らしたいなら、奥多摩マイナーコースなどを駆け抜けていただきたい。

3. なぜ集団

 山を駆け抜ける喜びについては強く共感できるが、なぜ集団なのかが理解できない。

 大人部活動的な「頑張ったね!」の共有が目的なのでしょうか。

 しかも、ポイントごとに休憩しているので、1日に何度も抜かされるのが鬱陶しい。

 二度と会わずに済むように、ひたすら駆け抜けていただきたい。

※本投稿は、ソロの方に向けたものではありません。

 高尾山奥多摩出会ソロランナー達はみなさんマナーがあることは承知しています

 あくまでも、団体ハイキング客の多いコースを駆け抜ける団体トレランに向けたものです。

 トレランって自己との戦いと個人的には思っているので、客観的に見たトレラン集団のみっともなさに

 気づいていただくことを目的としています

 

 

 

男に育児させたきゃイクメンなんて言葉やめれ

そもそも母子健康法とか母子手帳。なんかおかしい。親子手帳じゃないの。父にも手帳くれよ。

男と女では育児に対する情報量格差が大きい。ここ重要育児に関する情報は母目線ばっか。差別だっつーの。

そんななか「父は育児の指示待ちするな」というのはおかしい。それまで妊娠判明から1年近く自分一人でやってきたことを

急に指示なく他人がそれを担うというのは不可能でしょ。サイコかよ。

本題。イクメンという文脈は非効率。男は基本的モテたいために努力する動物。だからと言ってイケメンと同じ文脈育児をのせたところで

モテる必要がない、場合によってはモテはいけないときに、イケメン文脈の型にはまろうと考える男は少ない。

男性育児に参加するモチベーション喚起方向性としては義務・責務文脈有益育児ミッションである

男はゴール設定してtodoスケジュールに落とせばこなしていくようにできている。太古より遺伝子に刻まれている。

狩り、稲作、戦争仕事ゲーム。たいていミッションそんなもん。モテる文脈ではなくミッション文脈

まずゴールは「高校入学」「自分人生のかじ取り、お金の使い方などが自己判断できるようになっている」

「生まれてきたことに感謝し喜んで生きている」という状態にすることあたり。漠としているが重要

んで妊娠中の早期から父としてというより親としてやるべきことをtodo化する。

父だと最初に父母というキャラクター前提の分担論になってしまう。親として等しく負担すべき義務責務を認識したうえで

授乳などの一部例外を除き、育休・業務状況などそれぞれ投入可能時間を鑑みて、役割分担を決めてtodoに落とす。

それからイベントごとの達成感で進んでいく。3歳まで、小学校入学まで、小学校中学校

徐々に教育から自立、自己責任に力をいれた育児ミッションになっていくだろう。

このミッション投資リターンは直接的なフィードバック、たとえば結婚式の「おとうさんおかあさんありがとう」でもいいし

結局は「子ども社会貢献すること」なのだろう。職業貴賤なく。ついでに納税まで。

それまでセットで教育義務、すなわち育児ミッション。さー達成してやろうぜ。

そうではなく「女性は大変だからしろ」ってあほかと。まず情報格差を埋めろつうの。

女は総じてそこに自分で気づかずできなきゃ、国がやれ。母子手帳配布時に父子手帳も配れ。

2017-05-23

「めんどくさいなーまたあのオヤジのとこ行くの……。って思いながら取材いく準備しているときでも、私の身体の中には、それを調べたいって思い立ったときの高揚した感覚を、ほんの少しだけどたしかに感じるんだよね。感情っていつも同時にひとつだけしか感じられないと思い込んでたけど、本当はたくさんの感情をいつも同時に身体は感じている。でもその体験を思い出そうとすると、そのとき一番強く感じていた感情だけしか思い出せないんだよね

。」

「だから私は、できるだけ感情のラベル自分で貼り替えるようにしてる。めんどくさいめんどくさい言ってる自分記憶じゃなくて、もっと知りたい、っていう好奇心で動いてる自分記憶で、頭をいっぱいにしたい。そういう記憶の積み重ねが、『私は好奇心旺盛な人間だ』っていう、自己認識の強化につながっていくんじゃないかと思ってるんだよねぇ。」

ADHDなのかも

発達障害特集したNHKスペシャルを見た。

番組中、ADHDの子がなぜ授業に集中できないのか、その時、彼女は何を考えていたのかの解説をしていたのだが、小学生の頃の私を見ているような気分になり、ネット徘徊してADHD自己診断チェックや、その特徴を読み漁った。

・片付けが苦手

・物をすぐ無くす

・集中が持続せず人の話をあまり聞いていない

ケアレスミスが多い

・飽きっぽい

独り言が多い

・話が飛躍する

ダメ男と付き合いがち(それが自分には合っていたのだろう)

などなど、けっこう当てはまる。

時間が守れない、約束を破る、座っていると立ちたくなるなどは当てはまらないが。立ちたくはならないけど揺れがち)

ADHDっぽい傾向が顕著に出ていた小学生の頃、番組を見たことで思い返すとあれが本当に辛い時期だった。

すぐ気が散るので先生の話が聞けない→ゆえに宿題明日持っていくものなど聞いてない→当然、宿題はやってないし、忘れ物も山ほど→先生に怒られる→男子からバカにされる(女子は何故かかばってくれた)→すぐ泣く→余計にいじめられる

という毎日だった。

あの当時は本当に、人の話を聞くことも、勉強の仕方もどう行えばいいのかが全く分からなかった。

集中しなさいって言われても、集中の仕方なんて皆目分からないし、思考があちこちに行ってしまうことをコントロールすることもできないし、そしてそれを説明できないし。

ついでに、歯磨きをしなかったか虫歯だらけだし、お風呂も湯船に浸かるだけ。ランドセルや机からカピカピのパンが出てくる始末。

典型的な不潔でだらしない子どもだった。

ここまで書き出すと親が呼び出されてもおかしくない気がするが、おそらく先生は私に関心が無かったのだろう。

私が授業を妨害するわけでも、誰がに暴力をふるうわけでもないので、放置されたのではないかと推測する。

では、家で問題にならなかったのかと言うと、私の兄がアスペルガーでそれこそ学校問題を起こしまくっていたため、私の問題など取るに足らないものだったのだろう。

母はしょっちゅう学校から呼び出され、教師から「○○くんのために授業が進まない」などと言われていたそうだ。

当時は発達障害が今ほど問題になっておらず、母はノイローゼに、兄は引きこもりになった。

ちなみに父は外に女がいて家にほとんどいなかった。

そんな環境だったこともあり、本当に誰も私を見てくれていなかったって未だに思っている。

毎日先生に怒られ、男の子からいじめられるのは辛いし、本当は学校になんて行きたくなかった。

そこで思い切って母に「学校行きたくない」と訴えたところ、「あんたまでそういうこと言うの勘弁してよ」と言われて、それからひたすら我慢して登校した。

プリント教科書も入れっぱなしのランドセルはとても重く、虫歯は痛く、頭は臭かった。

結局私はADHDなのか、怪しいなー分からないな―。

先月派手に転倒して顔を縫ったあたり、ものすごくそそっかしいことに間違いはないんだな。

これまでだって知らなかったことだから別にからないままでいいんだけど、ただ、あの辛かったころの私に手を差しのべてあげたいな。

一緒にお風呂に入って髪を洗ってあげながら、学校で何があったのか聞いてあげたい。

今、そういう救いが必要な子に何か出来ることってないのかな。

集中力と根気が続く限りだけど、考えたいなあ。

本当に辛かったもん。

2017-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20170209103137

いずれ老人叩きしてた人たちも「自分が年取ると仕方ないんだとわかった」みたいな感じで自己擁護しだしそう。

発達障害だった(と思う)同僚と苦闘した話

先日のNHK特集はみていないのですが、ツイッターで流れてきたこちらのツイート




借金玉さん、有名な方ですね。

私は多分定型だと思いますが、この方のブログは参考になるので好きです。

このツイートを見て、まさにそうだよなあと思ったので、体験談を少し書いてみます


以前、職場で、発達障害らしき人がいました。

その人がカミングアウトしたわけではなく、というかその人自身自覚があったかも怪しい(多分なかったと思う)のですが、

その人と組んで約三年間仕事をした私は、彼女発達障害だったんじゃないかなと思います


仮にAさんとしますが、Aさんの発達障害らしきポイントは、


仕事優先順位が立てられない。どうやっても立てられない。何度言ってもできない。目の前にある仕事からやってしまう。

・極端に走る。少なめ、とか、多め、とかが理解できない。少なめと指示を受けたらゼロになり、多めといわれたら100になる。

・上の派生で、可能性の話が通じない。「おそらく~だろう」といわれると、Aさんの中では『決定事項』に変わってしまう。

・一つ一つの仕事は非常に丁寧だが、どれほど客が並んでいても同じペースで行う。状況に応じての効率化ができない。

・一から十まで話さなくては伝わらない。省略は非常に危険で、まず正しく伝わらない。


あとこれは、発達障害というより、彼女うつ病を患っている(これは本人が話した)ことから来ていたのかなと思うのですが、

・非常に頑固である。こちらが理屈立てて説明しても、まったく受け付けない。本人の中の妄想が最優先される。


この妄想というのは、主に情報の伝達に関してですね。

臨機応変に動くことが不可能である』『情報上司からの指示など)を脳内誤変換する』という合わせ技の上に、頑固さが加わると

まさに地獄です。

ものすごく自信満々に間違った指示を私に伝えてきて、それはおかしくないでしょうか…?と尋ねても、一切聞く耳を持ちません。

ちなみに私のほうが後輩で、彼女が先輩であったので、なおのこと大変でした。


先に書いておきますと、私は彼女がとても嫌いでした。

なぜなら入社して一か月のとき、私が些細なミスをしたら、その件で彼女に五時間叱責されたからです。

障害のあるなしに関係なく人を苛めることができるという例ですね。

それでも仕事のできる人ならば、いずれ尊敬の念も沸いたでしょうが、実際には上記のとおりでした。

私は彼女誤変換に悩まされ、振り回され、また彼女マイペース仕事をし続ける分、必死フォローしなくてはなりませんでした。



ここからが本題なんですが、

私は彼女がどうして『仕事優先順位を立てられない』のか、

どうして『極端に走る』のか、

どうして『情報誤変換して伝えてくる』のか、


本当にわからなかったわけです。

最初は、彼女には、この職種経験がないからだろうと思いました。

優先順位を立てるという仕事の仕方をしてこなかったのだろうと思いました。

彼女は三十代後半で、私よりも年上で、『やってできないはずがない』と思っていました。


そうではないのだと思い知るまで、二年近くかかった気がします。


ひとつ例を上げます


私は彼女と組んで仕事をしていましたが、私のメイン業務入力や処理であり、彼女カウンター担当でした。

私は業務上プリントアウトすることが非常に多く、プリンター彼女のそばにありました。

と、いっても、彼女から一歩、私から五歩程度の距離です。


私が印刷をかけるたびに、彼女は出力された紙を、私のところまで持ってきました。

お客様がどれほど大勢待っていても!


私は何度も彼女に言いました。

持ってこなくていい。自分で取りに行きますから。目の前のお客様を優先してください。

そういうと、三日ほどは、彼女は紙を持ってこなくなりますが、四日目にはまた同じことの繰り返しです。


些細なことに見えるでしょうが、相当にストレスでした。

彼女が待たせているお客様フォローを、私がしなくてはならないんですから

紙なんか持ってこなくていいかお客様対応を最優先してやってくれ!と思うのですが、

紙が出てくると、ダメなようでした。意識がそちらに向いてしまうのでしょう。


紙を持ってこなくていい、というのを、七回目くらいで、諦めた記憶があります


私はそうやって、ストレスに苛まれながら(彼女も同じようにストレスだったでしょうが

一つ一つ、彼女への対応の仕方を学んでいきました。いやおうなしに。


最終的に、私は、

・ある程度は、彼女に沿った対応をする(なるべく数字で区切って話すとか、一から十まで話すとか)

・八割方は諦める。

自分の身を守ることを優先し、彼女仕事が溜まろうともなるべく視界に入れない。


という境地に達しました。

できることを期待するから苛々するのであり、できない人なのだ認識してしまえば(まあそれでもイライラしますが)

少しはましになります


ここで一番最初借金玉さんのツイートに戻りますが、何ができて何ができないか、というのを伝えてくれるのは、

一緒に仕事をする人間にとって非常にありがたいです。


私は約二年間、ストレスと、いったいなぜできないんだ!?という思いと、どうアドバイスすればできるようになってくれるかという悩みに、

神経をすり減らしましたが、


彼女最初から、(発達障害だというカミングアウト別になくても良いので)、

自分はこういったことが苦手であり、こういったことは努力してるけど本当にできなくて、

こういった風に伝えてくれると助かる、という話をしてくれたら、


私もすごく助かったし、

あれほど彼女を嫌いになることもなかっただろうな、と思います



発達障害は、パッと見でわからいからこそ、伝えることが大事なんでしょうね。

[]国家戦略特区制度を作ったのは第二次安倍政権です

国会ウォッチャーです。

 どうもブコメを眺めていると、国家戦略特区制度民主党時代にも存在して、加計学園獣医学部を推進に切り替えたのは民主党政権時代だ、という認識の人がたくさんいるようです。最初、なぜ制度見直し民主党政権時代にやらなかったのかとか言ってるときは、わかってない人もいるんだな、という認識でしたが、どうもたくさんいるらしい。

ベガーギワクガーと言ってるはてサは、第一安倍政権特区許可しなかった理由を思いついたら教えてくれ。ついでに玉木雄一郎獣医師から献金も調べてくれると助かる。

民主党政権下主導の元導入された政策に対し自称ウォッチャーがどうコメントするかワクテカしてみてる

ちょっと検索しても、「そもそも今治教育特区にしたのは民主党」とか、「民主党政権時代方針転換した」というような論説がたくさん見つかりました。どうやらその辺のブログでそう思い込んだ方々がたくさんおられるようです。前者は完全な事実誤認で、今治しまなみ教育関連で構造改革特区になったのは、平成18年度で、対象事業小学校設置に係る校舎土地自己所有規制の緩和なので、まったく獣医学部関係ありません、これは余談。民主党政権時代方針転換というのは、構造改革特区提案に対する回答が、CからFになったということでいいのかと思うのですが、これはCは対応不可、Fが提案の実現に向けて提案内容を満たす措置検討を行う、ということになっています。これについては後述。

国家戦略特別区域法の成立は平成25年12月

都合の悪いことは民主党時代に決まったことにしたい人たちは簡単に時空を捻じ曲げるのですが、国家戦略特別区域法の成立は民主党政権時ではなく、第二次安倍政権平成25年12月です。ですので、問題がある制度ならなんで民主党政権時代廃止しなかったんだという主張も、第一安倍政権にやらなかったのはなぜ、というのも当然もう時空が捻じ曲がってるので、ご確認どうぞ。それまでの加計学園提案はすべて構造改革特区です。国家戦略特区意思決定は、これまでの構造改革特区と違い、形式上総理の専決になっています。以下は平成25年10月法案提出時の予算委員会質疑です。

塩崎恭久

 「総理が、私が直接担当する場所、これが実は上側の、特区諮問会議、こう書いてあります総理を長とすると書いてあります。ここで物事を決める。そのときに、関係大臣を入れる入れない、きょうも朝の新聞ちょっと一部出ていましたが、話がありますが、ここにあるように、もともと、関係大臣必要ときに来てくれ、こういうことでやっていたんですね。

 さらに、実はもっと大事なのは、三者統合本部とここに書いてあります。今は統合推進本部という名前法律をつくられているようでありますけれども、この問題については、私ども自民党の中で議論したときには大議論になりました。

 みんなが大変な批判をしたのは何かというと、この三者統合本部で、特区担当大臣地方代表、そして民間規制改革を唱えている代表、この三者で物事を決めていくということになっていたにもかかわらず、ここに、総理は入れるわ、関係大臣、つまり抵抗大臣になるかわからない人を入れるという案だったんですね、最初。それで、我々の自民党の中での議論で、それはとんでもないということになったわけであります

 そこのところで私ども今非常に心配しているのは、そうはいいながら、この統合推進本部、下の方で、三者でやるところですが、そこにやはり担当大臣をお呼びになるのではないのかというふうに我々まだ懸念をしているわけでございまして、ぜひここは、関係大臣の話を聞くのは総理のおられる諮問会議で十分なわけですから、この下の統合本部は、まあせいぜい事務方に来てもらって、いろいろな議論をする、詰まった議論をする。その上で、ここはここで決めて、それを特区諮問会議に上げて、そこで必要ときには総理が御判断されて、担当大臣を呼んで、関係大臣を交えて物事を決めるという形が私はあるべき姿ではないのかなということで、こういう意見自民党の中でも多いわけであります

 この点について、総理見解をお聞きしたい。これは、つまり、みずからドリルとなって、自分の場でやろうということで今つくりつつある国家戦略特区での法案でありますので、総理のかたい決意を聞かせていただければというふうに思います。」

安倍晋三

国家戦略特区ごとに設ける統合推進本部は、国家戦略特区担当大臣そして関係地方公共団体の長及び民間事業者の三者により組織する方向で検討しております

 御懸念関係大臣についてでありますが、ちなみに、安倍内閣には抵抗大臣というもの存在をしないということは申し上げておきたいと思いますが、この関係大臣については、三者の協議により、具体的な事業の推進等のため、必要場合には協議への参加を認めます。当然これは、見識、専門的な知識を有する所掌する大臣が入って、その所掌する立場から意見開陳することは必要だろうと思います。そうした議論をするのは、これは妨げないわけであります。むしろそれは必要なんだろうと思いますが、意見を述べる機会を与えることとしますが、大切なのは意思決定でありまして、この意思決定には加えない方向で検討をしております

 いずれにせよ、規制改革突破口として機能が十分発揮されるように制度設計を行ってまいります。」

これが国家戦略特区の特徴。要は、ごちゃごちゃ反対する省庁の代弁者になるような大臣意思決定プロセスから外す、とこう宣言されている通り、国家戦略特区総理意思で進むものですので、当然、最終的な説明責任総理にあるわけです。これに対して、構造改革特区意思決定プロセスはどうなっているかをみます

構造改革特区意思決定プロセス

 私個人としては構造改革特区が特段優れた制度だと思っているわけではないのですが、いちおう構造改革特区制度概要を考えますと、これは小泉政権時代に導入されたもので、ヒントは中国経済特区ということですが、沿革はまぁどうでもいいでしょう。

 構造改革特区では、まず地方自治体が、民間実施主体などと連携するなりして、構造改革特区計画策定し、それを内閣総理大臣認定する、というプロセスですが、構造改革特別区域法の第4条において、関係省庁の長の同意必要とされています。つまり総理1人の意志では決められず、関係省庁の長、つまり大臣同意しなくてはなりません。また同意しない場合には、その理由を回答することになっています加計学園提案が当初Cだったことに対する文科省意見は以下のようなものです。獣医師要請は、国全体での需給をもって考えるべきであること、さらに、地域偏在に対して、獣医学部の有無があまり関係していないこと(獣医学部があれば産業獣医師不足になっていないかというとそうではない)、四国獣医師への意識調査で、四国教育を受けても四国に定着しないと思う、という意見が最多であること、他の県では、産業獣医師公務員獣医師待遇改善などで、受験者の増加や早期退職の減少がみられたことなから、現状で行える対策をまずとってみては、という指摘です。この最後のところが基本線だと思うんですが、なぜ産業獣医師の不足に対して、待遇改善という話にならないのかはなはだ不思議です。駒崎さんが保育氏の待遇改善を求めているのは承知しているのでだまってましたが、保育士だっていっしょで有資格者の多くが働いてないみたいな現状があるときに、はたして試験回数を増やす、という対策がどの程度有効なんだい?とは思わざるを得ないのですが。話がそれました。

 それから文科省の回答が民主党政権時代平成22年にCからFに変わりました。この理由は、一義的には口蹄疫流行があったからです。口蹄疫流行を受けて、平成22年6月18日に「新成長戦略」が閣議決定されていますが、その中で、感染症対策に取り組むライフサイエンス分野の充実がうたわれているため、「提案内容を満たす措置検討」する、ということになっているのです。これが菅官房長官が前政権閣議決定された、といったことです。このFになったあと、今治市から、「獣医師の育成という文言は新成長戦略には出てこないけど、具体的にはどういう内容なのか」と再度聞いているように、別に獣医学部の新設が閣議決定されたわけではありません。

玉木雄一郎議員高井崇志議員らは意思決定権があるの?

なぜ野党議員利害関係者とされているのかがわかりませんが、彼らが獣医師会らの献金要請によって獣医学部の新設に反対したり、あるいは地元から要請によって、新設に賛成したり、それは当然いろいろあるでしょう。利害関係者の代弁者という側面は国会議員にはあります利益相反の申請必要とされる事例でも明らかなように、利害関係者は一切関わるな、ということではなく、利害関係にある人だということを明らかにしておくことで、説明を求めることになるというものです。福島のぶゆき議員が言っていましたが、逆差別があったとすれば、それも当然問題です。ですから意思決定過程がわかる資料を早急に法令にのっとって公開していただければと、考えているところです。

 ちなみに玉木議員日本獣医師政治連盟から100万円の寄付を受けていた、ということですが、それで玉木議員は、獣医学部の新設に対して、影響力を行使できる立場だったのでしょうか。また高井議員も同様ですが、彼は獣医学部の新設の推進ができる立場だったのでしょうか。とうぜん、野党の一議員に過ぎない彼らもまったくの無力ではないでしょうが日本獣医師政治連盟から50万円の献金を受けている獣医師問題議員連盟鬼木誠議員、30万円の献金を受けている下村博文当時の文部科学大臣、100万円の献金を受けている林芳正当時の農林水産大臣、50万円+18万円の派閥パーティ券セミナー参加料を買ってもらってる麻生太郎財務大臣らと比べてどれだけの影響力があったのでしょうね、という不毛な話になるので、およしになったほうがよろしいかと。要は誰がどのように、空白地域縛りや平成30年4月開校縛りをいれてきたのか、という経過がわかる資料を、ちゃんと提出していただければ、野党は即座にだまりますよ。

 追記

 小池晃議員の質疑よかったですね。文科省意見対応した、原案の段階では、やはり「空白地に限る」文言はなかったんですね。真偽不明のものには答えない、としか言えない状態でしたが、誰がこの文言を入れることを決めたのか、大事問題で、違法性の話じゃないらしいので、どうぞ正々堂々と是非是非本物の方を提出していただければ、疑いが晴れるのではないでしょうか。だいたい今日読売で前次官とされる告発者も腹が決まってるだろうし、名前を出して公開してくるんじゃないですかね。

何を求めて婚活してるんですか?

http://anond.hatelabo.jp/20170521180313

  

上記を読みました。まず、増田様には心から同情いたします。酷い男性に当たったのですね。

その上で、まったく不要かもしれませんが、何らかの参考になればと思いまして、私の婚活記録および教訓を次に記しておきます

  

まず私のスペックです。婚活していた当時30代半ば、男性、167cm、70kg、某社正社員年収は私の地方の平均やや上。

アピールポイントとしては、家事全般できること、業種的に安定していること、あまり怒ったりしない落ち着いた性格

マイナスポイントとしては、数字の通り太り気味であること、一時的無職だったことがあり貯金がやや少ないこと、スペック的にこれと言ってアピールポイントが無いこと、あたりでしょうか。

アプリ街コン大手婚活業者を経て、活動は合計6年、40歳手前で結婚しました。

  

1.Omiaiペアーズは早く結婚したい人間には向いていない

私も使いました。Omiaiペアーズ、その他アプリ。やはりアプリは手軽ですからね。スペック基本的自己申告のみですから

  

そう、自己申告です。

  

スペック詐欺多すぎ。写真盛り詐欺多すぎ。女食って捨てるつもりの男多すぎ。男に飯食わせてもらってバイバイの女多すぎ。

  

いや、詐欺ではない方もいる、と言うか大多数の方は誠実にスペック記載し、真面目に活動していらっしゃるかと思います

ただし、そこで良い方向に目立つスペックの方なんてなかなかいません。と言うか本当の良スペック者の大半は平均初婚年齢までにはだいたい結婚しています

  

ここで手軽すぎるというアプリメリットデメリット豹変します。手軽にたくさんの方とやり取りできるため、『選びたい放題という錯覚』に陥るのです。

選べるなら、ちょっとでも見た目の良い、スペックの良い方を選びたくなるのは当然です。

私はアプリ経由で20人程とお茶デートしましたが、実際にお付き合いには至りませんでした。

アプリ活動していた時代の私の意識は、良い人が見つかれば付き合って、将来的に結婚したい、というものでした。デートした女性側にも聞いてみましたが、女性側も概ねそんな感じで、すぐに結婚したいという方は少なかったです。

この、『良い人がいれば付き合いたい』『今すぐに結婚したいわけではない』『スペックの良い人を選びたい』が合わさると、もう無限に終わりません。

デートしているこの人より良い人と付き合えるのではないか、と何の根拠も無く信じ込んで、良縁を逃すのです。

アプリは、若い世代(20台半ばまで)の方が、中長期的に恋人を探すのには向いているかと思いますが、早く結婚したい人、アラサー以上年齢、平均および平均未満スペック人間には向いていません。

結婚したいならアプリはあまりお勧めできません。

  

2.街コンは異性の知り合いを作る場である

見た目とコミュ力のある奴がとりあえず異性の知り合いを作るのには向いています。以上。

街コンあくま出会いのキッカケ作りの場であり、異性の知り合い・友人を作って、その後頑張るためのものです。

  

3.婚活パーティお見合いイベント(趣味系含む)では詐欺に注意

スペックアピールポイント記載し、流れ作業トークの後、マッチング成立、というのが定番の流れですね。

これも実は街コンと同じで、見た目とコミュ力のある奴がとりあえず異性の知り合いを作るのには向いています

マッチング成立した後が重要なんで頑張ってください。そしてマッチング自体は気軽にやってください。

あなた運命相手かどうかはイベントの場ではわかりません。知り合った人とはある程度じっくりやり取りしてください。

お願いですから友達の付き合いで来たとかやめてください。迷惑です。

そしてパーティは見た目の良い男がスペック詐欺で女を食うために頑張る場でもあります。まともな男はいきなりセックスしようなんて誘いません。やけに早く身体関係を求める男は怪しいと思ってください。

  

4.大手業者利用者ガチ度が高い

ここまで書いているのだからお分かりかと思いますが、私は1~3の婚活を平行して5年ほどやり、そして上手くいかなかったので大手業者(○ーネット)のお世話になりました。

大手業者メリットデメリットは次のとおりです。

  

メリット

相手の身元(婚暦や子供の有無、年収)が少なくとも証明されている。源泉徴収票コピー等提出必須ですので、身元が証明されています。実はかなり大きなポイントです。

写真詐欺は無い。原則としてスタジオ撮影バストショットですから、マシに見えるようにプロが撮ってくれますが、写真で盛りまくったりできません。

・真面目に活動している人の結婚意欲が高い。これ大事です。『なんとなく良い人がいればいいや』くらいの人間はここに辿り着きません。

  

デメリット

費用。やはり入会金および年会費で30万弱かかるのは痛い。ただしそれは、それだけお金をかけて登録してでも婚活をやるという意欲・ガチ度につながると言うメリットでもあります

・上記と矛盾するようですが、費用を払ったのだから大丈夫だと変に安心してしまい、ガチ婚活をしなくなる人がいること。積極性は本当に重要です。

  

まとめその他

上記の経験で、そして実際に結婚して婚活終えた者として具体的な婚活アドバイスもあるのですが、増田さんのスペックがよくわからないので敢えて申しません。

増田さんはアプリ経由で酷い男に騙されて(要はセックスされたんでしょうけど)、それでお怒りなんですよね。

ただそもそも認識に間違いがあるので、最後にそれだけ、僭越ながら申し上げます

・「婚活」は「結婚真剣な男女が集まる場」その通りです。ただしアプリには真剣な男女はあまりいません。

あなた自分では慎重なつもりだったのでしょうが、要は女を扱い慣れた男に遊ばれた程度の慎重さですので、『自分は慎重である』という思い込みを捨ててください。あなたは慎重ではありません。

・「結局出会い系と変わらないんだと思ってしまいました。」 婚活アプリは直接的なエロ出会いではないだけで出会い系ですよね。今更何言ってるんですか。

増田さんの今後のご多幸をお祈り申し上げます

2017-05-21

ワイウヨはてサスターをもらう

移民反対、日本核武装はした方がいい、老人の健康保険自己負担割合はあげるべき(その代わり医療費の上限は還付すべき)、中韓とは距離を置くべき程度のネトウヨ

はいえ、首相の雑な答弁や首相夫人の脇の甘さ、官僚の言いなりの与党政治家を見るとブコメ揶揄をしたくなろうというもの

すると、与党やらかし慰安婦問題中世ジャップランドォォォォォォ!と絶頂射精ブックマークばかりしてるはてサに立て続けにスターを貰った。

はてサも歩み寄りするんだなと思ってブクマを覗いたら相変わらず中世ジャップランドォォォォォォと絶頂射精ブコメばかりで、身内方面やらかしはガン無視を貫いていた。

とても心が温まる一幕だった。

http://anond.hatelabo.jp/20170520054453

彼らは心の美少女アイデンティティシンクロしているのだ。少なくともネット上ではね。

心の美少女は誰の心にもいる。しかし今では美少女を封じ込めてしまいがちだ。

さあ増田自己解放するのだ。心の美少女と見つめ合うのだ。

それでは俺は今日ブルマを履いてオナニー

http://anond.hatelabo.jp/20170521092012

それこそ偏見の塊でしか無い。

奥さんにしたい女性ナンバーワンが日本人女性

夫にしたくない男性の飛び抜けたトップ日本人男性

粗暴で頭が悪く自己中で能力が低い、眼鏡必要で目が悪く身長も低く猫背

これは世界定説ですよ。

NYTにも出ていた事がある

2017-05-19

鎌倉時代僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派

一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。

以後、同寺を本山として東北関東尾張近江に一向の法流と伝える寺院分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係宗派として存在している事が記録されている。

一向と一遍智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己教義確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏のもの特別宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。

浄土真宗本願寺八世の蓮如北陸地方活動の場を求めた時に、布教対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗時宗支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗民衆蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺門徒一向宗名前を使ったもの破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派混同されている。

江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺総本山とする単一宗派時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗から独立を求めたが実らなかった。

明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]

大半の寺院時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。

ゆかり寺院[編集]

番場蓮華寺滋賀県米原市

佛向寺(山形県天童市):現在でも踊躍念仏を伝える。

浄土真宗の「一向宗」[編集]

浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である

「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏名号を称えることと解釈され、親鸞宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。

したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗門徒一向宗自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。

こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。

江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。

右筆(ゆうひつ)は、中世近世に置かれた武家秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。

目次 [非表示]

1 概説

2 鎌倉幕府室町幕府

3 織豊政権

4 江戸幕府

5 関連項目

6 関連作

概説[編集]

初期の武士においては、その全てが文章の正しい様式(書札礼)について知悉しているとは限らず、文盲の者も珍しくは無かった。そこで武士の中には僧侶や家臣の中で、文字を知っている人間書状文書を代筆させることが行われた。やがて武士地位が高まってくると、公私にわたって文書を出す機会が増大するようになった。そこで専門職としての右筆誕生し、右筆文書作成執筆を行わせ、武家はそれに署名花押のみを行うのが一般的となった。これは伝統的に書式のあり方が引き継がれてきたために、自筆文書一般的であった公家とは大きく違うところである武家が発給した文書場合文書作成のもの右筆によるものでも署名花押が発給者当人のものであれば、自筆文書と同じ法的効力を持った。これを右筆書(ゆうひつがき)と呼ぶ(もっとも、足利尊氏のように署名花押まで右筆に任せてしま特殊例外もあった)。

なお、事務煩雑化すると、右筆正式手続を経て決定された事項について自らの職権の一環として文書作成署名を行い、これに主君発給文書と同一の効力を持たせる例も登場する。こうした例は院宣綸旨などに早くから見られ、後に武家の奉書や御教書などにも採用された。

現在では天皇皇后文章の代筆をする宮内庁文書専門員(中島司有、佐伯司朗といった書家が務める)は「祐筆」と呼ばれることがある。

鎌倉幕府室町幕府[編集]

源頼朝鎌倉幕府の原点である鎌倉政権を打ち立てた時に、京都から下級官人が招かれて事務的業務を行ったが、初期において右筆を務めていたのが大江広元である。後に、広元が公文所政所において行政に専念するようになると、平盛時(政所家事)・藤原広綱・藤原邦通らが右筆を務めた。

その後、将軍執権のみならず、引付などの幕府の各機関にも右筆が置かれ、太田氏や三善氏などの官人末裔がその任に当たるようになった。基本的室町幕府もこの制度を引き継いだが、次第に右筆の中から奉行人に任じられて発言力を増大させて、右筆方(奉行衆)と呼ばれる集団構成するようになった。

なお、室町幕府では、行政実務を担当する計方右筆公文書作成担当する外右筆(とのゆうひつ)・作事造営を担当する作事右筆などと言った区別があった。

織豊政権[編集]

戦国時代に入ると、戦時必要文書を発給するための右筆が戦にも同行するようになった。戦国大名から統一政権を打ち立てた織田・豊臣の両政権では右筆衆(ゆうひつしゅう)の制が定められ、右筆衆が行政文書作成するだけではなく、奉行・蔵入地代官などを兼務してその政策決定過程から関与する場合もあった。豊臣政権五奉行であった石田三成長束正家増田長盛は元々豊臣秀吉右筆出身であった。他に右筆衆として著名なもの織田政権の明院良政・武井夕庵・楠長諳・松井友閑・太田牛一、豊臣政権の和久宗是・山中長俊・木下吉隆・安威了佐などがいる。

なお、後述のように豊臣政権の没落後、右筆衆の中には徳川政権によって右筆に登用されたものもおり、右筆衆という言葉江戸幕府でも採用されている。

江戸幕府[編集]

戦国大名としての徳川氏にも右筆存在したと考えられるが、徳川家康三河時代右筆家康勢力拡大と天下掌握の過程奉行代官などの行政職や譜代大名などに採用されたために、江戸幕府成立時に採用されていた右筆は多くは旧室町幕府奉行の子弟(曾我尚祐)や関ヶ原の戦い東軍を支持した豊臣政権右筆衆(大橋重保)、関東地方平定時に家康に仕えた旧後北条氏右筆久保正俊)などであったと考えられている。

徳川将軍家のみならず、諸大名においても同じように家臣の中から右筆祐筆)を登用するのが一般的であったが、館林藩から将軍就任した徳川綱吉は、館林藩から自分右筆江戸城に入れて右筆業務を行わせた。このため一般行政文書作成管理を行う既存の表右筆将軍の側近として将軍文書作成管理を行う奥右筆に分離することとなった。当初は双方の右筆対立関係にあったが、後に表右筆から奥右筆を選定する人事が一般化すると両者の棲み分けが進んだ。奥右筆将軍以外の他者私的関係を結ぶことを禁じられていたが、将軍への文書の取次ぎは側用人奥右筆のみが出来る職務であった。奥右筆承認を得ないと、文書老中などの執政に廻されないこともあった。また奥右筆のために独立した御用部屋が設置され、老中若年寄などから上げられた政策上の問題将軍の指示によって調査・報告を行った。このために、大藩の大名江戸城を陰で仕切る大奥の首脳でも奥右筆との対立を招くことは自己地位を危うくする危険性を孕んでいた。このため、奥右筆の周辺には金品に絡む問題も生じたと言われている。一方、表右筆待遇奥右筆よりも一段下がり、機密には関わらず、判物・朱印状などの一般行政文書作成や諸大名の分限帳や旗本御家人などの名簿を管理した。

http://anond.hatelabo.jp/20170518013524

妥当とは言い難い前提を元に長年に渡って合理的思考を重ねた結果、妥当でない観念が染みついてしまった事例。

増田は、「人の価値は才能で決まる」「才能のある者が本業以外に関わるのは、全てリソース無駄である」といった教条を無批判に信奉しているように見える。

おそらく、人文思想から離れた学問を専門としていて、自己思想のありようについて自覚的に学んだり人と対話して理解を深めたりする機会に恵まれなかったのだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20170519024931

いやお前の言いたいことはわかるんだけど、元増田場合まず自己受容が必要からアサーションはその次。

本とか云々言うならマズロー5段階欲求説くらい知ってるだろ。下位欲求が満たせてないまま上位欲求の話されても心に響かんわ。

増田哲学 Ver 0.1.2

この世(宇宙)の始まりは知性とともにあった。即ち「光あれ」(※1)の言の波とともにこの世が生まれとあるように、「光とこの世」の前に存在したのが知性なのだ。この状態混沌というわけではない。知性とは「Cogito ergo sum」※2 が個に生じた状態であり、その思念こそが創造の源となる。

自己を知覚した存在「光」を欲すれば、「光」生まれる。そして「光」の前に存在した「言」(※3)こそが、知性が行動を起こしたときに生まれる「想い」、即ち「思念なのだ。知性の存続は時空間という概念を超えたところにある。つまり「Cogito ergo sum」という瞬間がいずれかの時空間軸で萌芽した時点でそれは「有る」。またそこに「有り続ける」。結果として、知性の存在は「場所物質的なものに一切依存する必要のない」(※4)、言い換えれば、知性は時空間という概念から独立して存在しうる。つまり、これは世に出現するあらゆる現象(色)は本質ではなく(故に「空」であり)、世におけるあらゆる現象から独立して存在する知性(故に「空」)こそが本質(故に「色」)であること--「色即是空空即是色」(※5)を意味する。

知性の繁栄とは、複数の知性が如何に結びつくかを示し、そこには2つの類型しかない。一つは、相互依存による共存共栄による知の拡大である。もう一方は、一個性による他、そして多の支配による侵略の拡大である。一方は永遠なる存続と相互補完により実現する存在であり、他方は、一個性支配下により存続が左右される。

※1 旧約聖書 創世記1:3

※2 デカルト 『方法序説』第4章

Cogito ergo sumは一般的に「我思う故に我あり」と訳されるが英語などでは、「I think Therefore Iam」、直訳すると「I think Therefore Am」となるためより「I」存在のものを強調した表現となっている。

※3 新約聖書 ヨハネによる福音書1:1

※4 デカルト 『方法序説』第4章

※5 般若心経

痴漢冤罪の論争は救われない容姿問題

最近、「痴漢冤罪」について話題になった。

これは非常に深刻な問題である

なぜなら、現状の社会問題右傾化などの原因も内包していると感じるからだ。

現代日本において右傾化などというのは非常に大きな問題に語られるが、所詮個人個人問題しかない。

しかし、それが解決できない問題なのだ

周りと仲間はずれにされるのが嫌だとか、セックスができないとか、不細工だとかそんなものだ。

逆に皆が美男美女になることを望んでなれるなら、あっさりと性愛的なもので団結出来て解決するものだと思っている。

痴漢冤罪というのは誰が悪いか論争になった。

誰かは「男が悪い」といい、別の人間は「行政司法が悪いのに女叩きをする輩は屑だ」、「混雑を放置している鉄道会社にも問題がある」などと意見する。

少なくとも、容姿が醜い自分からしたら行政司法が悪いというのはニュースやらで事例を見る限り本当だと感じる。

ただ、痴漢冤罪において男性女性の間で社会的な損失はとても差があるということは事実だ。

心理的な云々などというが、職や行動の自由の方が大切だと感じる人が殆どだろう。

痴漢冤罪に関しては女の方が社会的物質的に失うものがないという有利性があるのだ。

そして、被害者とされる女性のために事実確認をしないで正義という暴力を「女性が言う加害者」に振るう男がいたりもするのだ。

ネットでは「正義マン」などと揶揄されているらしい。

まるで、高校生の時に自分にはイジメに近いことを行い、女には優しくする慶応に受かった男みたいだ。

男性孤独さと女性擁護のされやすさを感じる人も多いだろう。

他にも、単純に女性擁護してもメリットがないと感じる人間が多いのだろう。

セックスさせてくれなくて、痴漢冤罪をふっかけて公安に突き出す可能性がある存在なら憎む人もたくさん居るだろう。

何が言いたいのかと言えば、結局は個人個人の救いがたい容姿問題やらが衝突しているだけなのかもしれない。

皆が、美男美女になれば愛し合い団結も出来るし、もっと世の中リベラルになるはずだ。

容姿の分断やらが妙な歪やらを生み出していそうだと、自分の酷く深いニキビあとが大量についた大きな顔を見て思う。

自分自由が好きだし、皆が生き生きと自己表現出来る世の中を望む。

そのためにも容姿が良くなりたい。

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518135220

痴漢被害経験自己開陳を概ね信じるとしたら

女性の99%は痴漢被害経験があるのではないかと察せそうなほどの被害数の膨大さに比して

その結果として人生終わってる方が大勢を占めるというわけでもないようで

嫌は嫌だけどそこまで深刻なダメージでもなさそうな印象

因果関係を逆に考えていないかくらいの自己チェックは投稿する前にしましょうよ

http://anond.hatelabo.jp/20170518110228

万引き・傘の置き引き・自転車盗難あたりは、男も女も問わず行われるからじゃない?

でも痴漢はほぼ男しかしないし、痴漢男を許容できる女はほとんどいない。

この非対称性から自己申告しにくくなっている可能性がある。

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517124958

人生に充実してきて、他人とよくしゃべるようになったら絵を描かなくなったな。むしろ苦痛、めんどくさくなったかもしれない。自己表現したい欲求の源泉みたいなものがなくなった。

江戸川 女子高生殺害青木正裕被告について

事件の内容が既知であることを前提に書く。知らない人はURLを。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170516-00000560-san-soci

憶測を踏まえて、彼について思ったことや犯罪者境遇などについて書く。また、この見解が上記のリンクニュースZERO報道内容をソースとした、個人の雑多な意見であることを念押ししておく。

まず、彼がサイコパスと指摘されていることに関して、昨今のサイコパスについて誤解を述べる。(参照:サイコパス-冷淡な脳-)

現在サイコパス倫理観の欠如した人間代名詞として、市井では乱用されているが、医学上、サイコパス及び精神病質は、脳の前頭前野皮質眼窩部と側頭葉前部、扁桃体などが18%ほど先天的に萎縮した遺伝的な発達障害者であることがわかっている。その結果、他者に対する共感能力の欠如が起因となり、倫理観の欠如が現れる。また、サイコパス特質として、不安に対する鈍感さ、過大した自尊心がある。ここにおける自尊心は、精神医学における自己愛パーソナリティ障害ナルシシズム的な歪んだ自己愛ではなく、正真正銘の等身大自分を愛していることであるサイコパスは決して自暴自棄にはならず、不安も感じない。不気味なほど前向きだ。今回の青木被告供述境遇から、彼がサイコパスでないことは明白である。よって、ここからは彼に罪悪感と不安が備わっていることを前提として書いていく。

この事件についてブコメに書かれているのは、「オタクによる犯行に関する意見」や「自殺しろ」、中には「どうせなら他の奴をを殺せ」といった過激ものであるが、この記事で最も注目すべきは彼の境遇だと思う。

彼は親から愛されず、周囲からいじめによって虐げられ、生活費のために借金までし、健康も患っていた。経済的に困窮してまで、親に頼らず一人暮らしをしていたのは、おそらく自身を愛してくれない母親といるのが苦痛に感じることや、愛してくれない母親感覚的に親ではなく他人に感じ迷惑をかけたくなかったことが関係していると思う。彼の自尊心精神は、その環境によって着実に蝕まれていき、もはや人生希望や魅力なんてものほとんどなかったのだと思う。アニメゲームは、おそらく彼にとっての現実逃避、唯一辛い現実を忘れさせてくれる憩いの場であったはずだ。彼にとってのオタクカルチャーは、犯行助長するものでなく、むしろ疲弊した精神癒し、こういった破滅的な末路を長引かせることに寄与したと思っている。残念ながら、それを回避させるほどの効果はなかったが。

自暴自棄になっていた」「死刑になろうとおもっていた。」という供述から、彼が死を願っていた、この現実から逃げたがっていたことが伺える。自殺を避けた動機については不明瞭ではあるが、やはりそれを為す気概がなかったのだと思う。「自殺すればいい」という直情的なコメントも見受けられるが、一人の幸も不幸も喜びも苦しみも感じる人間が、自らの意思で死を選択し実行する難しさを考慮しているのだろうか。自殺大国といわれることもある日本においては、他者自殺は珍しくないかもしれないが、一人の人間にとっては、自身の全てに自ら終止符を打つ人生最大の決断であるはずだ。容易に成せることではない。

から彼は自分ではない外部に殺害を委ねたのだろう。こんなことを言ってしまっていいのか不安ではあるが、少なくともこの国で最も効率よく確実に外部に殺害される方法は、司法制度における死刑執行を受けることだと思う。リスクを物ともせず、罪悪感を排斥、または抑制自己欺瞞していることが前提であれば、この国で極悪非道犯罪を犯すことは容易だ。多くの人々が周囲になんの警戒もなく、街を悠然と出歩いている。殺人を望む者にとっては、いつでも凶器などを用いて犯行を犯せる環境だ。それは多くの通り魔事件などが示している。そして今回、彼は「連続殺人をして、死刑になろうと思っていた」という判断に至った。しかし、この判断はもはや理知的計画性があったかどうか怪しいところである。心身ともに疲弊していた彼には長期的な計画想像試行錯誤ができるとはあまり思えない。おそらく思いつきに近いのであろう。倫理の軛から一度は解放させられた彼の思考は、この人生最後の機会を用いて、自身の醜い欲望を満たすことに帰着した。次は事件時の彼の心境と性的嗜好について書く。

ここから私が見たニュースZERO報道ソースとしている。

彼が犯行の標的として、バイトの同僚を選んだ動機は、殺害成功可能性の高さ、か弱く家に連れ込むことができるという合理性と「青木被告女性が首を絞められ、乱暴される様子に興奮する性癖があった。」というものと関連している。ここで注意したいのは、彼の性的嗜好が「女性が首を絞められ、乱暴される様子」であって、「女性の首を絞めて乱暴すること」ではないことだ。昨今の、アダルト業界カテゴリーに、二次元三次元を問わず、「強姦」というカテゴリーがある。また、そのコンテンツからこのカテゴリーの大きな需要が伺える。彼の自宅からそういった類のアダルトビデオが見つかっていると報道されていたので、彼もそのコンテンツ消費者であることがわかる。彼にとっての自慰行為は、オタクカルチャー同様、現実逃避の一つであったと思う。彼は創作物の、画面の向こうの非現実的世界にある「女性が首を絞められ、乱暴される様子」に興奮することを、「女性の首を絞めて乱暴すること」で興奮することと混同していた。大きな罪悪感は性的欲求を阻害するが、非現実的アダルトコンテンツはその罪悪感をなくさせ、単純な性的欲求のみを刺激する。事実報道によると、彼は被害者絞殺後、「遺体を見て申し訳ないと思った」と供述しており、罪悪感が起因となり、強姦を行うことができなかった、したくなかったようだ。

犯行中、彼は被害者の首を絞めるリアル感触の中、興奮なんてしないことに気づいていたはずであるしかし、もはや後には引き返せずそのまま犯行遂行した。犯行後、彼は現実に戻り罪悪感を感じた。そして、ここで彼は「遺体写真を撮った」と供述している。ここの行動の意図は明かされていなが、可能性の低い見立てとしては、画面の中に遺体を収めることで犯行を非現実的ものに感じたかったのかもしれない。犯行後、彼は当初の荒唐無稽計画を断念した。これは殺人に対する恐怖と罪悪感が原因だろう。また、彼の「すっきりした」という供述は、犯行それ自体が爽快なものであることを示したものではなく、自首までの二日間の意気消沈と冷静さを含んだ思考からくる人生へのけじめを示すものであるように思われる。

被害者は彼とまともに話してくれる数少ない人間の一人であり、彼にとってはそれなり重要存在だったと思う。自暴自棄になり盲目的に死に向かう彼はそれに気づいていなかった。二日間の冷静な思考気持ちの整理の結果、自身の罪について、本来備わっていたわず倫理観がその贖罪判断した。死にたいではなく、死ぬべきだと。

裁判中の、深々と頭を下げた彼の、遺族と被害者に対する謝意本心からくるものであると思う。死刑を望む彼に情状酌量を得るための演技は必要ない。おそらく、自暴自棄からくる死への渇望、被害者を巻き込んだ罪悪感、それに連なる遺族への罪悪感、わずかな倫理観からくる自身のあるべき姿、などの多くの感情思考犯行後の彼の精神を占めているのだろう。

おそらく、常人であれば、「強姦」のコンテンツを消費して、「女性が首を絞められ、乱暴される様子」と「女性の首を絞めて乱暴すること」を混同しないと思う。しかし、死を望むほど精神的に追い詰められていた彼には、そこまでの自己洞察はできなかったのである。この記事を見ている人の中には、このコンテンツ消費者のような、あまり公にはできない欲望を持っている人もいると思う。しかし、あなたブレーキを踏むことができ、社会的な行動をすることがさほど難しくないであろう。だが、彼のブレーキはもはや壊れていた。彼を取り巻く環境破壊したのである

追記

彼はごく普通人間として生まれた。社会的意味でも普通な人生を、本来は送れたはずなのである。多くの者が彼などの犯罪者境遇犯罪者を生み出す起因について鈍感であるように思われる。もし彼が両親から愛され、周囲から適切に親しみを持って接してもらっていたら、彼は今回のような犯行を犯しただろうか。彼の自尊心は両親の愛によって確立され、適切な社会との接触により、健全精神が養われていれば、今回のような結果は起きなかったはずである。これは彼だけではなく、サイコパスを除く犯罪者ほとんどにあてはまることだと認識している。多くの犯罪者境遇は、現在ある程度の社会的地位を確保している者のほとんどにとっては無縁のものであり、想像すらカスリもしていないこともある。今回のようにその境遇報道されようとも、多くの者が犯行それ自体に目がくらみ、犯罪者自身について考えず、激情に任せた罵声を浴びせる。まるで彼が生まれつきの狂人であるかのように、自分たち一般人とは違う側の人間であるかのように認識する。彼はただの平凡な人間であり、現在の我々が彼とは違う道に進んでいるのは、たまたま彼とは違う環境にいたかである。決して、今の自分自身の力のみでここにいるなどとは思ってはいけない。頭でわかったふりをしても、先入観のどこか思っているというのもダメだ。我々がこの混沌とした世界で、今のところはある程度健全精神をもって犯罪を犯さず生きていける側の人間位置していることは、ただの偶然の積み重ねによる一つの奇跡だと思う。その境界線があまりにも曖昧であることを、彼と我々の違いがどれだけわずかなものであるかを自覚すべきである

こんなことを書いたところで何か大きな変化が起こるなどとは思っていない。こういった事例を避けるために政府がどれだけ社会に介入できるのか、個人にできることはなんであるのかはわからない。法は法であるから守る価値があるのであって、決してそれが正義であるから守るのではない。もちろん、法を施行する側の人間は、倫理正義を持ってそれをなすべきであるしかし、法の内側にいる我々一般市民が、少なくとも法のもとにいると意識している間は、法に対しては盲信的な姿勢が肝要となる。また、法を破った者を、倫理的非難非人間的である非難するのではなく、ただこの国のルールを破った者として機械的認識することが、重要であるように思える。健常者である犯罪者にも倫理はある。国家には守る価値のある秩序もある。なのに犯罪は今もなお横行している。犯罪が一つでも起こるような国は、それだけで、その社会に欠陥があることを示している。

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