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はてなキーワード: 不登校とは

2017-05-25

音楽遍歴の紹介

中学校を3ヶ月で行かなくなって、不登校と呼ばれる部類に属した。毎日体調が悪かったので、病院へ行っていた。特に悪いところはなかったので精神系のなにかだということになった。家では音楽を聴いて過ごしていた。毎日同じCDばかり聴いていておなかいっぱいになってきたときは、FMラジオを聴いた。親は音楽を聴いているだけじゃよくない、楽器演奏するのはどうかと言ってきたが、やる気にはならなかった。中学時代はこうして終わり、高校通信制に行った。高校の頃も音楽を聴いていた。聴いていたジャンルふつうヒットチャートに入っているものは聴かなかったが、変に通ぶったものも聴かなかった。ちょっと前に流行ったものや、ロック名盤ガイドみたいな本を買ってそれに載っているもので気になるものを聴いていた。大学生になったても音楽を聴いていた。音楽系のサークルには属さずひとりで音楽を聴いていた。ロック名盤ガイドに載っている多くのアルバムが揃ってきた。CDショップたまたまジャズのコーナーに迷いこんだの機にジャズを聴き始めた。ここでもジャズ名盤みたいな本を買ってそれに載っているもので気になるものを聴いていた。それと前後して読んだ小説のなかでクラシック音楽キーになっているものがあった。クラシックも聴いてみた。なんとなくピアノの曲がいいと思ったので、ピアノ曲ピアノ協奏曲を聴いていた。大人になっても音楽を聴いている。車に乗るようになって、信号待ちで隣に止まった車がズンズンズンと車体が揺れるような低音を振りまいていた。それに感化されてそういう電子的なダンスミュージックも聴いてみようと思っている。

2017-05-20

やっほー痴漢人生ぶっ壊された女だよー

http://b.hatena.ne.jp/entry/mubou.seesaa.net/article/450015727.html

>id:Hiz22J

>偽善者痴漢冤罪人生が狂うのは有り得るが、痴漢被害人生が狂うのは考えにくい。「精神的に害される」被害について痴漢のみ特別扱いする理由が無く、痴漢冤罪という公権による被害と同列に語るのがおかし

痴漢被害人生が狂うのは考えにくい

痴漢被害人生が狂うのは考えにくい

痴漢被害人生が狂うのは考えにくい

痴漢被害人生が狂うのは考えにくい

すごいね。「自分には一切想像力がありません」ってでかい声で触れ回るのって楽しいのかな。

中学の頃に細かい描写をしたくないような痴漢被害

警察に行っても「現行犯でないと捕まえられない」「君にも隙があったのでは?」呼ばわり

・ショックとトラウマで数か月外出出来なくなり、その後もいじめられるようになって不登校気味に

・完全な男性恐怖症になり、男性が数メートル以内に立つだけでも過呼吸パニック障害を起こす(今でも継続)

男性とろくに会話できないので就活でも失敗しまくり、派遣女性ばっかりの職場に配属してもらってなんとか働いている

・当たり前だが結婚彼氏もとっくにあきらめている

くらいじゃ全く「人生狂う」になんか該当しないってことなんだろうね。

記事の人も「痴漢冤罪比較しても意味ない」って言ってるから比較する気はないけど、私なんか全然特殊な例じゃないと思うよ。

2017-05-18

職場の人が息子に手をあげている

職場の同僚(38歳、男性)が、息子さんを殴っているという話を度々していて、大丈夫なのか心配

状況を話すと、彼の息子さん(中学生男子)が、一年以上不登校状態家庭内で暴れる事が多くて、包丁を持ち出したり、壁に穴をあけたり。好きなゲームに没頭していて、嫌な事は一切やりたがらない、と。

話を聴いていると、素人判断危険なんだけど、何らかの発達障害かも、と思わせる部分がある。実は、その可能性は同僚もわかっていて、何度も受診をすすめてはいる、と。

でも、受診はしていない。本人はおろか、同僚の奥さんが猛反対しているんだとか。

奥さん的には、「息子を障者にしてしまうことで、彼が普通人生を送る可能性が閉ざされてしまう」事が耐え難いらしい。

いや、その認識は違うだろう!と強く思うんだけど、同僚の話を聞く限り、説得は無理ゲーに近い。

奥さんはかなり疲弊してて、もう一人いる息子さんのサッカー部活動に没頭することで平静を保っている状態。同僚は、不眠。

相手に「息子に向き合っていない」などと言って喧嘩しているそうな。

「いや、2人とも向き合い過ぎ(かつ、向き合う方法が間違ってる←カッコ内は当人には言ってないです、もちろん)、家庭内で決着つけようとしないで、支援の力を借りたりすれば、みんな少し息をつけるのでは?」みたいな事は伝えたんだけど、届いてないと思う。

あと、「殴ってしまうと、息子さんとの信頼関係メタメタになる。仮に何らかの障碍なら、なぜ殴られているのか、理解出来てない可能性も高いし」とも何度も言うんだろうけど、それも届いてなさげ

誰彼構わず(さほど親しくない俺にまで)「いやー、息子殴ってしまってね」みたいな事を口にする同僚は、相当追い込まれてるっぽいけど、息子さんはもっと気の毒だよな。なんか、部外者に出来ることがあれば、乞う情報

2017-05-11

中学3年生は不登校でなければ2時間目でしょう。この時間ネット書き込みできるんですかねぇ

極端な教育、しつけ

本当はこんな文章を誰かに見られる形で書くのは恥ずかしくて仕方ないのだが、あまりに苦しいため吐き出させてください。

レベル愚痴吐き出し、自分語りなのでやな人はスルーしてください。

自分は育った家庭が、10畳一間に家族四人、父親重度のアル中で暴れる(酒が原因で若くして死んだ)、母親過剰な教育ママ自覚無し)というユニーク環境だった。

家が一部屋しかなく両親から監視、重圧、虐待から逃れようがなかった。

アダルトチルドレンの御多分にもれず人生がぐちゃぐちゃだが、その一番の理由は超テレビっ子世代にも関わらずテレビ禁止された事だと思う。

中学校では、同級生の話している内容が全くわからず、会話が不可能なので人付き合いを学ぶ機会を完全に奪われた。

常に友達の輪に入ることができなかった。

通知表友達に話しかけることができない子といった旨を書かれたことがあるが、どうしようもなかった。

ゲームだけは何故か1日1時間許されていたので、ゲーム話題しかできない日陰者だった。

当然オタク友達しか作れないのだが、俺自身は全くオタク志向がないので上手くいかず。

中学校時代ゲーム話題しかできないのと、極端に人と接するのが苦手なのが気味悪がられて、もちろんいじめの標的になった。

やり返す性格なので表立っていじめられることは回避したが、集団で俺に聞こえるように悪口を言うというスタイルいじめ毎日毎日さらされた。

不登校になりたくても家庭環境がそれを許さない。

ストレス中学生にして額が数センチ後退し、重度のアレルギーになった(何もなくても常に激しい腹痛と下痢、じんましんが出っぱなし それは今も治らない)

結局しつけにより勉強だけは人並みより出来たのでそれなりの大学に入れたが

大学では友人、知人ゼロというのがあまり苦痛で、行けなくなってしまった。

大学ひとりぼっちというだけなら珍しく無いかもしれないが、自分場合それまで鬱積してきたものに耐えられなくなった形だ。

中退してしばらくストレスで体を壊して何も出来なかったが、その後社会に出ても、ろくに人付き合いの経験が無いものから全く上手くいかなかった。

かなり歳がいってからその後本などから必死で学んだところ、人付き合いに関しては良くなった(あまりに遅きに失したが)ので我ながら決して根っからコミュニケーションが苦手では無かったという事実が、逆に辛い。

全て自分のせいだったらどんなに楽だったことか。諦めがついたろうに。

小さい頃もたまたま話題があった子と一瞬仲良くなることは多々あった。

ゲームしか話題が無いので長続きしないのだが。

これを誰かに話したところでテレビ禁止のせいで人生がめちゃくちゃになったなんて突飛な珍説として一笑に付されるのがオチだろうから誰にも言えないのだが、自分なりに深く考えた結果、どう考えてもそれが一番自分人生で重大だ。

父親虐待など、人が聞いたらそちらの方がインパクトは大きいだろう事もあったが、自分としてはテレビ禁止さえ無ければ人生全然マシだったろうと確信している。

親は馬鹿から子供に与える影響に頭が回らず軽い気持ちテレビ禁止したんだろうが、本当にそれさえなければ、友達と楽しく過ごす当たり前の子時代経験きたろうし、身体も壊さなかったろう、うつ病にもならなかったろうし、大学卒業して就職してという人並みの人生も送れていたのにという考えが何故か頻繁に明け方に目が覚め、急に襲ってきて、親への恨みで頭がいっぱいになり非常に苦しい。

恨んだところで人生が戻って来るわけでも、これから好転するわけでもないのに。

同級生地元の大地主の息子がいるのだが、友達が沢山いて、学年一可愛い子と付き合ってそのまま結婚して若くしてデカイ家を建てて、俺の欲しかったもの全て持ってて、地主土地ゾーンに足を踏み入れる度泣きそうになる。

現在自分うつ病で働けなくなり、四畳収納なしの部屋に住んでいる。

生活苦と大した額ではないが借金に悩んでいる。

もちろん独身だ。

人生は比べちゃいけないとはよく言うが、彼の妻は自分初恋相手なため彼の恵まれ方と自分悲惨さはどうしても無意識比較してしまう。

彼みたいに自分の部屋が欲しかった。

友達テレビの話しで盛り上がったりしてみたかった。

恋愛をしてみたかった。

2017-05-08

ずっと好きな人

初恋の人が未だに好きで忘れられない。10年前、小学校6年生になるときに私が引っ越しをして転校するまで、家が隣で小さいこからよく遊んでもらっていた幼馴染。

まれときから友達、みたいな感じ。幼稚園も「その子と一緒がいい」と言って同じ幼稚園に行った。年中のころ、よく私のクラスに様子を見に来てくれていた。

年長のころは隣のクラスだったので遠足お菓子を隣のクラスにまとめて渡しに行くときは私が手を挙げてよく行った。

小学校入学して、1年生の時になぜか噂が立って隣のクラスから「〇〇のことが好きなの??」って休み時間によく聞きに来る人がいたけれど、なんて答えていいかからずに「好きでも嫌いでもない、普通」って答えていたな。そのあとも転校するまでちょくちょくいろいろ言われてた。今となっては微笑ましい。福祉の講習みたいなのでやった車いすバスケの時に「増田好きな人は…!」と同級生男子マイクで言われそうになったり、「〇〇が増田のこと好きって言っていたよ」とかとか。

その時は好きでもなかったし、意識もしていなかったんだけれどな。


5年生の宿泊学習の時にナイトツアーみたいなので迷子になって(w)探してくれたのが今も記憶に残っている。

私は低学年のときに父を亡くしてからものすごく太ってしまったこともあってブッサイクなのによくそんなに優しくしてくれたなと今も思う。


で、その子のことを好きになったのは自分が転校してその子たちと離れたとき。いつしかの子のことを考えるようになった。

私が転校して、転校先でいじめられてよく前の学校クラスメイトの夢を見るようになった。夢の中にその子はよく出てきていた。目が覚めて、夢のことを思い出すと不思議と会いたくなった。そんなわけで徐々に好きになっていった。

ちなみに今も前のクラスメイトの夢を見るけれど、メインはその子ばかりになっているので無意識にその子意識が向いているんだと思う。


私は中2から精神科に通って、中3になって不登校になって、先生らに見捨てられて卒業して適当通信制高校入学して慣れたころに急にパソコンメールメールが来たときすごいテンションが上がったな。

お互いにこの春、高校卒業してそれぞれの進路に進んでいるはず。その子に久しぶりに会いたいなと思っているけれど、メールするわけにもいかないし、なんだかもどかしい気分。


つい最近、その子の19歳の誕生日だったから思い出して書いてみた。

会いたいなーチャンスあったら付き合いたいなー私も青春したいなー


これから先、好きな人ができたとしても、その子以上にいい異性は見つからいかも。

(未だにその子との相性占いをしてしまうw)


うそう、2月に7年ぶりに同級生の子と会ったんだけれど、「〇〇が好きかもしれない」という話をした。

その同級生の子には話してもいいと思ったから。照れくさかったけれどなんかすっきりした。

みんな知らない間にいろいろなことがあったことを聞いた。

自分中高生は楽しくなくて苦労したけれど、前の学校同級生みんなにはどういう進路であれ幸せになってほしいと思う。


あーなんか最後ずれた。

さぼり続けた人生と、就活

小学校の時はよく仮病でさぼっていた。

野球が好きだったので中学野球部に入り、わりとまともに練習していたが、他のポジションで上手いやつが自分ポジションコンバートされ、レギュラーを奪われて以降はほとんどさぼっていた。

もちろん受験勉強もさぼっていたので底辺高校入学。その高校不登校になり中退

合法的に週6さぼれる通信制に編入し、卒業

その通信制先生専修大学の二部を勧められた。

今は倍率も上がったそうだが、当時の専修大学二部には自己推薦入試という無茶苦茶入試があって、作文を二回書いて面接を受けただけで合格した。学力は一切見られなかった。二部とはいまさかこんなので大学入学できるとは思わなかった。

そうして専修大学二部に入学したものの、持ち前のさぼり癖で留年

生活費が無いがバイトをする気にもなれず、学生ローンに金を借りたが、ついに上限の30万に達した。

一応申請すれば上限額は上げられるらしいが、なんかこれ以上金を借りるとやばいことになる気しかしなくてイベント運営バイトを始めた。

イベント運営バイト最初の二時間くらいは真面目に働くが、一回目の休憩が終わった後は次の休憩まで他の派遣会社の控え室にしれっと紛れ込んでさぼっている。

これを30分おきに繰り返し、いろんな控え室を渡り歩く事で終業までさぼることができる。

いかに楽に金を稼ぐかしか考えていない。

いや、金以前にいかに楽に人生を過ごすかしか考えていない。

さぼっている間何をしているかというと別にゲームしたりして遊んでいるわけではなく、ただただぼーーーっとしているか、この記事のようなしょうもない文章増田とか2chに書いている。

そして俺は今年度で大学卒業する。金銭的にこれ以上留年できないと親に言われたので卒業するしかない。

でもまだ就活を始めていない。就活もさぼっている。この時期にもなって就活してないやつとか居るんだろうか?まあ友達も居ないのでみんながどうやって就活を進めるかとか全然知らないけど。

こんなさぼり続けた俺に、さぼることしか頭のない俺に就ける仕事はあるのだろうか。向いてる仕事はあるのだろうか。要はさぼれる仕事、だが今時外回り営業だってうそうさぼれないだろう。そもそもさぼっている営業マンは成果を出した余った時間をさぼっているだけだろうし、さぼりだけで生きていっているわけではないだろう。

この先どうやって生きていけばいいのかわからない。そういうことを考えるのも今までさぼってきたが、もうさぼるわけにはいかないようだ。さて、どうしよう。

2017-05-07

お父さんいません

幸いにもそんな意地悪だったり無神経だったりする人に出会ってこなかっただけと言えばだけなんだけど、

「うちお父さんいません」って言ったらそれ以上掘り下げる人はまずいなかったし、私も面と向かって誰かに話せることだとは思わないので、

なんかの流れでそこまでは言っちゃってもそれ以上詳しくは話さない。

というか「お父さんいません」だけでも十分「えっなんかごめん…」みたいな感じになるので、

たとえ言いたい気持ちになっても結婚したい人(にはさすがに言わないとだめだよね?)とか以外には正直には言わないと思う。

父が自殺して10年以上になる。小学3年生だった私は帰宅したら首吊ってるのを見つけて119番通報した。

電話発見してすぐできたんだけど、降ろしてあげるっていう発想がなぜか出なかった(そのとき家には私と父だけ)。

あのときヒモ切ってたら生きてたかもしれない。発見時点でまだ生きてたのかとかよく考えたら知らないんだけど。

とりあえず返事はしなかったし動いてはなかった。当たり前だけど尿で床ビッシャビシャ。尿って知らなかったけど。

父の顔とか声は2年も経たないうちに思い出せなくなってることに気付いた。はえーな。

遺影に写ってる人はちょっと若めのときっていうのもあるかもしれないけど遺影の人って感じ。アルバムとかビデオは見る気にならない。

母はそれ以前から正社員で働いていたし、貯金とか両祖父母・親戚の助けもあったので、

生活ぶりにはさほど大きな変化もなかったし(少なくとも私視点では)、大学にも通わせてもらってる。ありがたい。

そういえば親とか死ぬクラスとか部活で発表あるのマジで謎。あれなんなの? なんか意味あるのかな。普通に不愉快だったしドキドキした。顔伏せてた。

自殺だって言っちゃいけない、病気でって言えって母とか親戚に言われたけど、隠し事しなきゃいけないから人との間に壁みたいなものを感じる(ポエム)。

話がウロチョロして申し訳ないんだけど、ここからが本題というかなんか言いたいなと思ったきっかけの話。

大学で知り合い以上の人とは、相手アカウント持ってさえいればTwitterフォローしあっている。

その中の一人の、一応友達くらいの距離の子は、潔癖ってくらい真面目で、勉強にもバイトにも趣味にもストイックな感じ。

仲がいいってほどではないと思うけど、そんなかっこいい彼女のことは好きだ。

の子に何が問題あるのかっていうと別にない。できた人間だし。でも彼女Twitterでのつぶやきを見てるとしんどいというか羨ましいというかモヤッとしてしまう。

彼女は両親にしてもらったこととか、感謝する旨をわりとよくつぶやく

ぶっちゃけ愚痴に対しても父親がいていいなと思うことがありはするので(他人事から)、もう素敵なお父さんぶりなんていいなーの極みなわけです。

私は誰にも相談しない。母はお互いいくら言葉を尽くしても私の気持ちいまいち理解できないとこがあるらしいし(本当に感謝してるし大好きな母ですよ)、

なんていうかもう諦めてる。たぶん逆も然りだろうから申し訳ない気持ち

母が理解してくれないことは誰にも理解してもらえないって思えて、友達とかにも全然相談できない。

そんなことないだろうって頭では考えるんだけど、どうしてもできない。めちゃくちゃ怖い。楽しい話だけしていたい。楽しくさせてもらってるだけで十分以上。

私ごときがそれ以上のこと要求するとか図々しいじゃん。そんなことないかもしれないけど拒否感がヤバい

こうして増田に書くだけでも私としてはかなり頑張った。みなさんの時間を奪ってすみません

あと、なんかそういうこととか、自分の本当のことを話そうという気持ちになるとすごく涙が出る。今もちょっと泣いてる。

泣くの恥ずかしいし泣いたら話せなくなるし、私のクソみたいな悩みで他人時間を奪いたくないし、暗い気持ちにさせたくない。

好きな人ならとりわけ。こんな話したら元に戻れなくなっちゃうじゃん。さっきも書いたけど友達とは楽しくしてたいんだよ。

カウンセリングとかは行きたいなと思ったことは何度もあるけど、大したことじゃないって言われたら死ぬから行けてない。いや言われないんだろうけど怖い。

でも次もっと頑張るとしたらカウンセリングだろうな。

中学1年のときに一瞬不登校してたんだけど、そのとき母は「なんかあったの?」って聞いた。

事件とかは何もなかったので、私は何もないとしか答えられなかった。なんかよくわかんないけど学校行きたくなかった。甘えって言われても仕方ないくらいだ。

今も大して変わってない。非常に漠然としている。

ときどきグルグルするんだけど、きっかけとか理由とかよくわからないことがほとんど。よくわからないので上手く言えない。

これかな?と思っても大したことじゃない気がして、今悩みとか特にないなって結論する。だから私は悩んでないので相談とかするほどのことじゃない。

日常生活の中で父がいなくて困るということはほとんどない。いないこともとっくに当たり前になってる。

死ぬ前の父は心身共に病んでて私には怖かったので(申し訳ないことです)、いなくなって安心した部分だってある。

でも私にはお父さんいない。あの子が悩みを親に相談していいアドバイスもらってそれを感謝してるのを見ると自分がすごく嫌いになる。元から嫌いだけど。

まあ母は元気でいるし私を養ってくれるし、祖父母もまだ元気。天涯孤独だって人も世の中にはたくさんいるし、もっとつらいことがあった人もたくさんいる。

それにかわいそうとか思われるのも嫌い。今はなんとも思ってないし。

いや、なんとも思ってなくないからこういう文章を書くんだろうけど。普段生活では意識していないことの方が99%でも、残りの1%くらいは確実にある。

彼女は悪くない。でもミュートした。ミュートしたんだけど時々見ちゃう。リア垢もう消そうかな。

2017-05-04

[]ニート自己問答

『なぜ不登校になったのか』

「つらかったから逃げたかった、勉強できず遊べず体力的にもう駄目だった」

運動部いじめられていたのか』

いじめというレベルではない。いわゆるいじりだったのだと思う。言葉かい揶揄され人より足が遅いのをからかわれ

 体力がなくてへばっているのを笑われそれでも何とか食らいつこうとしたが認められなかった」

運動部をやめればよかったのでは』

「やめたら友人といえる人が一人もいなくなると思った。部活勉強の両立を勧める学校だった」

保健室登校をしたのはなぜか』

学校には未練があった。保健の先生は優しかった。でも相変わらず勉強できず無意味時間を過ごしていると思った」

『一瞬クラスに戻ってやめたのはなぜか』

「優しい声をかけられるたびに疎外感がつのった。彼らと私は決定的に道を違えてしまったのだと感じた。」

『彼らは受け入れてくれようとした』

「その優しさがつらかった。表面的にやさしくされその後無視される感じがたまらなかった。孤立の中の孤独よりも集団の中の孤独のほうがつらい」

『彼らにはどうしてほしかったのか』

「わからない。自分認知問題あった。彼らは悪くない」

『やめた後の生活はどうだったか

同級生やほかの高校生に強い負い目を感じ引きこもった。趣味に没頭したが結果が出なかった。アニメばかり見ていた。

 勉強できず顔を見せられないため彼らと同じ年に受験をすることは不可能だと思った。」

『次の年は』

「次の年も駄目だった。まったく勉強に手がつかなかった」

『次の年は』

浪人は二年までという強いプレッシャーに押しつぶされた。自己嫌悪で嫌になった」

『次の年は』

「弟の楽しい高校生活をうらやんでいた。自分はもう死んだものと思うようになった。自殺できないから生きているだけだった」

『弟の受験勉強が始まる』

「なんてよく勉強するのだろうと驚いた。自分には絶対にできないと思った。成績が良くないと悩んでいた弟は勉強した。

 私もほんの少しだけ勉強した。はじめて数学教科書最後まで読み通した。少しだけ自信がついたが復習しなかった」

『3.11があった』

「ここに被害ほとんどなかったがよく揺れたのを覚えている」

『弟と一緒に受験するという選択はなかったのか』

センター試験で机を並べることを想像するのは無理だった。どうせ自分勉強を続けることができずエア受験になると思った。

 それならば絶対邪魔をしたくない」

『弟は予備校通いを始めた』

「素晴らしくよく頑張っている彼を馬鹿にする自分と称賛する自分がいた」

『弟はやり遂げた』

「素直にすごいと思って喜んだ。外に出るのはいやだったが引越しの手伝いに行った」

『その後の生活はどうか』

「次は自分の番だという強いプレッシャーを感じた。結局できず無力感のみが募った。毎日のように挫折を繰り返した」

あなたは何をして時間をつぶしているのか』

起きてから寝るまでネットを眺めていると一日は簡単に終わる。一日が終わってしまうのがもったいなくて夜を起きていると昼夜逆転する」

『親は何をしていたのか』

「見守ってくれていたそうだが放置されていると感じた。勉強自分でやらないと身につかないというのが親の持論だ。

 ネット時間制限する試みもあったが睡眠時間が伸びただけだった」

『その後センター試験二次試験に通う生活が続いている』

「行かなければ家から追い出されると思った。勉強できない自分に罰を与えたかった。参考書をぼろぼろにしている受験生自分との違いを痛感した」

『なぜ受かるはずのない有名大学に願書を出したのか』

人生好転させるためには普通大学に行くのではだめだと思った。今年はだめでも来年につながるかもしれないと淡い期待を抱いた」

『なぜ日記を書き始めたのか』

日記を書こうとする試みは人生のうち何十回とあってどれも一ページ二ページで終わっている。

 今回は起床時間と就寝時間くらい書き続けようと思った。はじめは書く量が少なかったがずっと続いている」

『なぜ運動を始めたのか』

「一週間に2時間ほどは運動すべきだとネットで見た。当時は腰痛があり体重が増え健康不安があった。

 外に出るのは相変わらず嫌だったが一度外を走ってみたところ誰も私に関心を向けないことが分かった」

運動習慣について』

「家で筋トレをそれなりにしたつもりだったのに外で全く走れなくて驚いた。運動する時間生産的で楽しかった。

 自分を罰したいときは速いペースで走ればいくらもつらくなった。体力は劇的に向上し当時は夢のまた夢だった10km60分を達成した」

『なぜ勉強を始めたのか』

勉強自分のためになると信じていた。数学英語は身を立ててくれると信じた。大学に入ることは最大の目的となった。

 それでもあまり勉強できない日々が続いた」

『劇的に勉強時間が伸びたのはなぜか』

インターバルタイマーを買った。自分勉強を始めるためにストップウォッチを押すことができないかタイマー自動的に押されればいいと思った」

『なぜ絶望したのか』

「本格的に勉強できるようになって初めて自分人生職業について考え始めた。頭では碌な人生はないだろうと知っていたつもりだが

 まったく実感していなかった。漠然幸せがつかめると考えていた。そのうち大学に通えないかもしれないと思い出した。

 どんな大学に入っても、どうにもならないことに気づいた。世の中には高学歴なのに無職の人だって大勢いる。

 時間的ハンディキャップが大きい高齢大学で何ができると悲観的になった。企業若い学生を雇うのではないか

『なぜネット自分語りをするのか』

「書いて自分客観視すると楽になるし、誰かに知ってもらいたかった。だれも私のことを知らない」

あなたが人を遠ざけているのではないかあなたは両親にさえ本心を話したことがない』

本心とは何なのか、そんなもの存在しない」

『書いてみてどう思ったか

「とんでもない屑である。なぜ受験成功すればなんとかなると信じていたのかわからない」

あなたは苦しい人生を歩まねばならない』

「人よりも劣っている人間が人よりも多くの努力をして人よりもみじめな生活を送らねばならない現実が受け入れられない」

あなた決断しなければならない』

「できることならずっと夢の中にいたかった、あるいは成績が十分伸びてから気づけば今より楽だった」

『二十代ならいくらでもやり直せる』

人生にやり直しはきかない」

『ここに留まっていればまた一年が過ぎる。今が一番若い時だ』

世間様がそうは見てくれない」

あなたは人の評価を気にしすぎる。自分というものがないのか』

人間社会的動物である。私は人間にあこがれるヒトだった。普通暮らしがしたかった」

普通暮らしとは何か』

「家があって仕事があって家族がいて」

『ずっと昔から結婚できない側の人間だと気づいていたのではないか

「その通りだ」

『貧しくても必死に働いている人たちがいる。あなたはそういう人たちを蔑視しているのではないか

「醜いプライドがあるのは事実だ。私につらい仕事を続ける気力はない。やめてニートに戻ってしまいそうだ」

あなたは欲しいものはなんでも買い与えられてきた人間だ、少なくとも衣食住に苦労したことはない』

「その通りだ」

『今だって自由に本を買う金があるし、親に大学学費普通免許代もなんでも与えてもらえると思っている』

「親に甘えているのはわかっている」

『働かなければ食っていけない人をどう思うか』

「私も誰かに人生を決めてもらいたかった」

自分でその生活を選び取ったんじゃないのか。親は高校に通うことを望み、大学に進学することを望み、あなたはそれを拒絶して今に至る』

不安でたまらない」

『行動を起こさなければ不安は増すばかりだ』

不安でたまらない」

2017-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20170502130927

中学不登校になって、その後ろくにバイトも続かないような人生だったけど、

24専門学校に入って、30になった今は普通に働いてるし恋人もいる。

専門にいた時も辛い思いをしてきたし、働いてる今もたくさん辛い思いをしてるけど、

ずっと家にいて1人で抱え込んでる時の方がしんどかった。

自分の経歴じゃ、まともな会社では雇ってくれなくて、最初に入った会社はとんでもないブラック企業だったけど、転職繰り返して今は人並みに生活できるぐらいにはなってる。

人生遅すぎる事はない。

2017-05-02

4月から5月病になった

4月、ついに高3になった。

元々不登校気味な私は始業式に目標をたてた。それは、「3年生の間はちゃんと学校に行く」ということ。

私が学校に行けないのは決してサボりではなく、精神的な痛みが、吐き気頭痛になって実際身体に表れるからなのだが、私の心の痛みなんて端から見たら分からないだろうし、そもそも「学校に行く」という事が「当たり前」だと教えられたから、学校に行けない自分嫌悪感を抱いてしまうのだ。

学校が始まって1週間後、私はさっそく目標放棄した。朝から涙が止まらず動けなくなったのだ。それから学校に行けない自分を責めてしまい、それでまた辛くなって休んで、その悪循環のまま今も過ごしている。私の性格事情を知ってる人には「4月なのに5月病だね」と揶揄された。

5月になって、私は本当に5月病になった。ちなみに今日学校で腹痛を起こし早退している。きっと来月は6月なのに5月病だろうし、再来月は7月なのに5月病のはずだ。

思ってること

しっちゃかめっちゃかしてて話が飛ぶし同じこと何回も書いてる。

親の言うことは絶対だと思ってる母親が嫌い。言いたいことを言わないと気が済まなくて何回も言ってくる母親が嫌い。

自分の話は聞いてもらえないと怒るのに他の人の話は全く聞いてないのは理解できない。自分が全部正しいと思ってるところが特に嫌い。あと約束を守らないところ。

親が苦手な年ごろだからそう思うのかもしれないけど。

カウンセリングだってたくさん行ったけど何も変わらなかった。母親は都合のいいとこだけ聞いていた。スクールカウンセリングの時は都合の帰りの車でいつも怒鳴られて億劫だった。

母親が隣にいるから話したいことは話せなかった。母親と一緒に行っていたので母親に伝わるかも、と思うと何も話せなかった。

いつも母親の顔色を窺ってばっかりで、母親の言うことに従ってばかりだった。嫌だ、と言うとじゃあどうしたいのと責めるように聞かれる。でも自分の考えなんてないから答えられずに結局いうことを聞いてしまう。

口げんかしても何を言っても聞かれずに屁理屈だと言われ自分が全部正しいと言われる。少しは尊重してほしい。

怒られたら叩かれる。痛い。悪いところがあるのはわかってるし反省してるけど何回も同じことを言われたらうんざりする。それを反省してないだろうと怒るのはやめてほしい。

包丁を向けられたときは怖かった。死ぬかと思った。窓から飛び降りて逃げてやろうかと思った。怖くてできなかった。怒られたときは真っ先にトイレに逃げるしかない。個室だし鍵もあるし2時間は持つ。

トイレ小学生の時からずっと逃げる場所だった。トイレのドアを蹴破られたときは怖かった。最初トイレに逃げ込んだときトイレ入れないようにしてやる、絶対に出ないからなと思っていたけど30分が限界だった。スマホを手に入れてからは1時間は持つようになった。トイレに長時間いると私も落ち着いてくるし母親も少しは落ち着くのでトイレは最高だと思う。

小学校は楽しかった。たまに行きたくない時もあったけど楽しかった。

中学校は苦しかった。皆の前で言ってることと陰で言ってることが正反対で怖かった。皆がやってるから別に良くない?そういうノリで人の嫌がることを平気でしているのが怖かった。

不登校になった。先生のなんでこれないの、という質問が怖かった。責められているように感じた。静かな部屋で二人きりでとても怖かった。うまく言えなくて、言ってもだからなんで?と言われる。

虐め以外のことで不登校になるはずがないと思っているように感じた。

3年生になって適応指導教室に行き始めた。先生も皆もいい人だった。楽しかった。

高校生になった。自分のペースで頑張れそうな所だったし先生方もいい人だったので頑張っていこうと思った。

最近は週2~3のペースで行っていた。全日制にしなくてよかったなと思った。自分ではこのペースが続けられたらなと思っていた。

母親は違った。学校が変わったら毎日通えるようになると思っていたらしい。3年間ほとんど引きこもってたやつが学校が変わったら毎日通うようになるのは難しい。

通学するのに体力はいる。たくさん人がいるところは怖い。勉強だってたくさんの体力がいる。なにより朝布団から出ることが難しい。目が覚めても体がとても重い。行きたくないと思ってしまう。

やっぱりいつか刺されるんだろうなあ。既に1回向けられてるんだから刺すときは刺す。父親は「僕の死因は病気事故かお母さんに刺されるかだ。」って笑ってたけど洒落にならない。

普通に生きてほしい、とかいうけどそもそも普通ってのは人によって違うわけで。それに普通に生きるって難しい。当たり前のことが難しい。普通って何なんだろう。

どうして皆毎日学校に行ったり仕事に行ったりできるんだろう。とっても大変なことなのにすごいな、と思う。尊敬する。

毎日目を覚まして布団から出て顔を洗ってご飯を食べて。外に出るまででも大変なことがたくさんあるのにすごい。家に帰るまでも大変なのにすごい。

将来のこととかあんまり考えられなくて「今勉強してないと後悔するよ」とか言われてもわからない。大人になっている自分想像できない。将来のことを考えてる人はすごい。努力できる人はすごい。

意識してやろうとすると途端にできなくなる。どうやって呼吸してるんだっけと思ったらどうやって呼吸をしているのかわからなくなる。いや、わかるけど本当にあってるのか不安になる。

だって書けない。自分の考えを書けばいいよだなんて自分の考えがない。たまにあってもどう表現したらいいかからない。

他人の目が気になる。他人にどう思われてるかが気になる。自意識過剰なことは知ってるけどどうしても無理。どうやって生きていけばいいんだろう。そもそもなんで生きているんだろう。私は本当に私なのか。

やらなくちゃいけないことはたくさんあるしやらないと後々困ることもわかってる。実感できない。

頭では理解していても、割り切れない。

階段だって15秒以内に登り切らなかったら噛みついてくるかもしれない。トイレだって便座の中からいきなり腕が出てくるかもしれない。

家に帰ったら実は強盗がいて刺されるかもしれない。すれ違った人が実はナイフを持っていていきなり刺されるかもしれない。バスに乗っていて角を曲がるとき事故が起こるかもしれない。このまま眠ったら二度と目が覚めないかもしれない。

家出をしたい。けどお金がない。行く場所もない。シミュレーションはたくさんした。

自分の考えを持てて表現できて自分の間違いをちゃんと謝れて他人の顔色を窺ってばかりじゃなくはっきりと言えて自分肯定できる人に私はなりたい。

やっぱり当たり前のことをするって難しいよ。

[]ニートが夢から覚めたとき

私は数か月で高校中退してからバイト歴もなく家にいるニートで、もう三十路目前です。

不登校になるきっかけは、今思えば些細な事の積み重ねでした。

人間関係が築けず孤立したこと、慣れない運動部疲弊したこと、私の珍解答を晒し教師への反感、

ちょっとした病気になって学校を休んだこと、成績が悪化したこと、それで通えなくなりました。

私の小中学校時代の唯一のとりえが学力でした。塾に通っていたのと少しだけ早熟だったおかげでしょう。

コミュニケーション能力が低くとも、どんくさくても、友達が少なくても、性格が少し歪んでいようとも、

学級委員立候補すれば自分場所を確保できました。将来は学問仕事にできればと思っていました。

アイデンティティをなくした当時の私は家で勉強に専念することを考えていました。

すぐに高卒認定をとって、大学受験参考書を揃えましたが、自分継続して勉強することは難しい。

知り合いに会うのが恐ろしくて、制服姿の学生を見るのがあまりにつらくて引きこもります

親と衝突して将来どうするのかと問われても何も答えられません。

昼夜逆転して気がふさぐばかりの私に、そのうち親があきらめたのか静かになり、何もない平穏な日々がやってきました。

このあたりで専門家支援を受けていれば何か変わったでしょうか。

弟の受験邪魔をするわけにはいかないとか適当理由を並び立てて引きこもり続けます

弟は苦労したものの立派に受験をやり終えて大学で学んでいます。家に邪魔者がいても文句の一つも言わないよくできた弟でした。

なにもうまくいかない、自分で決めたことが何もできない、そんな無力感の日々が延々と続きました。

最近日記をつけ始めました。3年間日記を書き続けています。はじめはぼんやりした字で頭がよく回ってないことがわかります

大学へ行くんだというアリバイ作りのためかセンター試験と受かるはずのない二次試験に3回行きました。

願書を出しても勉強せず、数日前でも勉強せず、まったく意味のない、義務的な、自罰的な行動でした。

2年ほど前から運動の習慣をつけています。はじめは家で筋トレをし、それを日記に記録するだけでしたが

そのうち週に何回か外を走れるようになりました。まったく生産性のない生活の中唯一の充実した時間です。

走れる距離スピード面白いように伸びていき、自信をつけました。

一か月前、突然勉強時間が伸びました。インターバルタイマーをつかって時間管理することで

一日2-3時間が8時間勉強できるようになりました。自分努力できるんだと最高の気分でした。


すべては夢でした。一週間前ほど、私の人生にはもはや明るい未来存在しないことを確信しました。

このまま勉強を続ければ有名大学に入れるだろう、どの学部にしようかなどと調べ物をした時のことです。

ひきこもってすぐにはもう、浪人留年は+2年までだという定説を知っていたはずでした。

すでにどの大学でどの学部で何の勉強をしようともそれを生かせる職業につけるはずはありません。

医学部薬学部くらいでしょうがハードルが高すぎて絶望しかありません。

今まではい大学に入ればなんとかなると妄信していました。それを唯一の希望として生活していたのです。

その先の未来のこと、働かなければならないということについて真剣に考えたことはありませんでした。

コンピュータを扱う仕事がいいなと漠然と思っていました。引きこもる前後趣味だったのです。

ひきこもれば時の流れを忘れます。何も起こらない生活は何の記憶にも残りません。

日記を書く前の自分が何を考えていたのか、何をしようとしていたのか、まったくわかりません。

今更大学に行ったって何にもいいことがない、無駄に年を食うだけで、ほかにやることがあるのではないか

そもそも卒業できるかどうかもわからない。大学勉強社会には役立たない。卒業できても中卒の看板大卒に替えるだけ。

職業訓練専門学校に行ったほうがいいのかもしれない、でも大学受験には未練があります

まったく自信を無くし、食欲がなくなり、悪寒と冷や汗、夜は眠れず朝は早く目が覚めます

無意味かもしれないと思いながら机に向かいます不安で真っ黒の頭は計算ミスを繰り返すばかり。

こみあげる吐き気と闘いながら机に向かいます。今すぐにできそうなことは他に見当たりません。

外に出てアルバイトを探すべきなのか、車の免許を取るべきなのか、ぐるぐる問答しながら問題集を解きます

中卒引きこもりという最底辺仕事を探すのは死ぬほどつらそうでした。どこでもいいか大学を出ていればよかった。

怠惰自分に戻らないように勉強を続けます学力が伸びる保証も、今の勉強が続く保証もありません。

そもそも私に仕事が続けられるでしょうか。学校に通い続けられるでしょうか。

継続できない人間に居場所はありません。私は社会で働いているすべての人々を尊敬します。

今年の受験シーズンはまだ始まったばかりです。しか学力を伸ばすには短すぎ、神経を衰弱させながら続けるには長すぎる。

今気づいたのはよかった、そう自分に言い聞かせますがもう分水嶺を越えてしまっているようです。

大学中退という勲章を一つつけるために勉強をしているようなものです。泣きたくなっては外を走ります

気分の浮き沈みが激しいです。この文章を書き始めたときは死にそうでしたが少し楽になりました。


これを早朝に書いてから数学参考書に手を付けたのですが難問を前に気持ち悪くなってしまいました。

タイマー時間がいつまでたっても進みません。難しいことを考えるのを頭が拒否しているようです。早めの昼寝をして今パソコンの前にいます

勉強から逃げているだけでしょうか。つらいことと向き合い続けるのが人生なのに。

受験勉強を本格的にしていると胸を張れるのはたった一か月だけです。なんて甘ったれなんでしょう。

なんらかの支援を受けて今の生活から脱したほうがいいかもと考え始めます

そういうところにいる人たちを私は蔑視していました。今は将来に向け頑張ってる前向きな人たちと思えてきます

私はちょっと休んでいただけで、まともで、自力人生を切り開けるんだと、そういう無根拠な自信がなくなってしまいました。

両親と相談する勇気すらありません。両親は大学へ進めば何とかなると、私はやればできる子だと、そう応援してくれます

ほかの選択肢について真剣に話したことは一度もありませんし、考えたこともありませんでした。

から覚める前までは楽しく勉強していたのに、昨日までは何とか机にかじりついていたのに、嘘みたいです。

中学生のうちに取った英検二級、去年のセンター7割、何の意味もありません。

日曜日には模擬試験を申し込んであるのに、行かない理由ばかり探してしまます

インターネット無限時間を吸い取る悪魔ですが、ほかに相談する相手がいません。


追記 5/2 20:50

少し楽になりました。今は大学を目指してもいいのかなと少し前向きになれました。

放送大学や夜間は全く考えていませんでした。さっさと仕事を見つけろということですよね。

どんな仕事があって、どんなふうに仕事を探して、どうやって住むところを見つけて移動手段を確保すればいいか、恐ろしくてたまりません。

こんな人生になってしまったんだから泥水をすすらなければならないのはわかっています。今まではその覚悟がありませんでした。

何とかもがいてみようと思います。何かあったらまたよろしくお願いします。


追記2 5/3 10:25

明日から心を入れかえようと決意したものの、夜はやはりつらくて、身の丈に合わない努力は無理なのかなあと思いました。

運動部練習についていけなかった時のように、急に受験生のまねごとをして疲れてしまいました。

死ぬ気で努力したら何とかなる、の美談の裏には死人がたくさんいて、自分もそちらのほうに入っているようです。

人の何倍も努力することはできず、十年取り返すことは不可能で、自分なりのささやか幸せをみつけなければいけない。

朝起きたらコメントが増えていて驚きました。

対人スキルが全くないのはその通りで、弟と母親しかまともなコミュニケーションがないまま十年です。

この十年かつての同級生と会ったことはただの一度もありませんが、実際にはこの田舎地方都市)で立派な社会人をやってる人も多いはずです。

今すぐに仕事を探そうと考えられないのは彼らに会ってしまうのではないかという恐怖からだと思います

プライドが高すぎるのもその通りです。大変な仕事をやっているひとたちを蔑む感情自分にはできないと卑下する感情とがあります

文章がそれなりに見えるとしたら推敲時間をかけているせいでしょう。

気づいたのだから今すぐ動かなければならない、でも何をすればいいのかと途方に暮れる。

昨日から自分文章と皆さんのコメントを何度も読んで廊下をうろうろしていて、無駄時間を使っていると焦りを募らせる。

勉強をしていても受験生はこれを一年二年の間にやっているんだろうとか、もっと難しい問題集を解いているんだろうとか焦ってばかりでした。

私は世の中にどんな仕事があるのか、どんな能力が求められているのかも知りません。

大学を調べて思ったのは、いろんな学部いろんな学科があって、それを自分選択しなければならないけど、

どれがどんな職業につながるのか、あるいはつながらないのかが全くわからないということでした。

新卒なら何を学ぼうとポテンシャル採用されるのでしょうが高齢では直接仕事につながるスキル資格を得なければ。

それでもどの道にもつながっていないような気がして絶望したところです。

前までは漠然いい大学に進もう、ほかに道はない、高校勉強をしないで大学に入って何になる、そんなことを考えていました。

今すぐに働くなら受験はあきらめるのか、それでいいのか、決断を後回しにすれば全部失うとわかっていて、それでいて動けずにいます

行政相談窓口は今日はやっていないようでがっかりしてしまいました。

やっていそうなところがあったので今からちょっと行ってみますプリントアウトして持っていけばいいでしょうか。


追記3 5/3 12:50

ついて初めてゴールデンウィークだったか気づきました。これだからニートはいけない。

それでも気分がよくなって人間は日の光と休憩が必要なんだと実感します。

何も解決せず進んでいないけど心が晴れてきました。


追記4 5/3 20:10

どういう風の吹き回しか今日は母と焼き鳥屋へ行きました。酒の席は生まれて初めてのことです。

酒が入って口が軽くなったので腹を割っていろいろ話しました。今までこのように話したことはありませんでした。

私はずっと何も言わない家族を、腫れ物に触わるような扱いをされているのだと疎外感を感じていました。

干渉すれば反発してやる気を失うと思ってずっと見守ってくれていたそうです。

試験直前になって勉強しているのかと聞いてくる父親が嫌いでした。直前までずっと我慢していたそうです。

急に外を走り出した事について何も言われた記憶はありませんが、好ましく思っていたそうです。

この一か月の勉強も私が孤独だと思い込んでいただけでした。

親の心子知らず、親を非難するわけではありませんが機能不全家族という言葉が思い浮かびます

しか一般論として、子供ひきこもりになったときにどういう対処をすべきなのかは当事者の私にもわかりません。

いまは生きる活力があるからこそ将来を悲観しているわけですが、今までは生ける屍で諦めてしまっていました。

やっと勉強ができるようになったのだから続けてほしいというのが母の希望です。

今日はぐっすり眠れそうです。まったく勉強しなかったけれどいい一日でした。

turimotonaoki

離婚した元妻に成り切った文章に突っ込むのも野暮だけど、この元妻は『元夫に対し自分に有利な形で離婚する』というゲーム攻略成功しただけで別に幸せではないね

夫と夫婦円満な家庭を築く、という理想状態からはかけ離れて、育児実家の助けを求める片親世帯に成ってしまった訳だから

片親世帯の子供は精神健全に成長せず不登校児や犯罪者にも成り易いし。

大体子供物心が付いていない内から教育方針喧嘩する、というあたり気が早いわ。

http://anond.hatelabo.jp/20170310105854

2017-04-30

JKになる

5時半に起きて、バッチリ支度して、6時過ぎの電車に乗り、学校に向かう。

うわ、嬉しいな。学校に通えてる〜!!

毎日ほんとうに新鮮。その新鮮も色褪せてきて、当たり前になってきたのも嬉しい。きっと学校も面倒くさいと思う日も来るんだろうな〜!あと、風邪で二日間休んだけど、仮病を使わずに休めたのがとても嬉しい。

中学不登校だった。これから何かあるかもしれないけど、いまはこの楽しさに浸ることに決めた!

2017-04-28

障害手帳持ちになるショック

医者から障害者手帳をすすめられた

精神の方

ショックだった

病院の帰り道ショックを噛みしめながら帰った

自分は元々個性的なこどもで小1で不登校をやった

まだ不登校児が学校に1人、2人いるかな、ってくらいの頃だった

パイオニアだったんだな

それは置いといて

から生きることはストレスだった

高3で限界がきて自分精神科に行った「鬱だと思う、つらい」と

初めての医者は「鬱ではないと思う」と言ってパキシルリタリンを処方してくれた

今思うと、初めての医者ADHDの傾向を見抜いていたのかもしれない

パキシルリタリンは、今はコンサータというお薬に変わっているね)

それからずっと、10年以上精神科のお世話になってる

20歳を過ぎたあたりで薄々、自分発達障害かもしれないと疑い始めた

勇気が出なくて医者相談できなかった

アラサーになって、人生何度目かの大きな限界がきて

自分発達障害だと思う、と当時の主治医相談した

ストラテラを飲みはじめて世界ちょっとだけ生きやすくなった

10年以上精神科のお世話になっていて、今また大きな限界にぶちあたって、私はつらい

手帳はつらい私を少し手助けしてくれると思う

わかってるんだけども、ずっと頑張って健常者のふりをして生きてきたか

障害者になることにショックを受けている

もう頑張っているのに空回りするのは疲れたんだ

から変な方向に頑張らないように手帳をもらうんだ

ショックだ

この気持ちは怖くて誰にも言えない

ショックを感じているんだね、って、ただ言ってほしいんだ

周囲の人は愛ゆえに「大変だ!大変だ!」ってなってつらい

ただ「そうなんだ」って言ってくれないかな、お願い、これを読んでくれた人がいたら

2017-04-27

社会の底を見た話

 以前、地方高校に通っていた。

 その高校は県の中で最下位の、いわゆる底辺校だった。底辺校というとDQNの集まりだと思うかもしれないけど、DQNは全くいなかった。そのかわりもっと酷いものがいた。ADHDアスペルガーのような発達障害知的障害を抱えた人たち。社会から根絶され、他のどの高校にも行けない人たちが集まっていた。

 周りからは「養護学校」と揶揄されていた。

 その中は正しく闇だった。授業中にじっとしていられない人、まともに会話できない人、常にどこを見ているかからない人、少しでも気に入らないことがあると暴れる人、黒板にうんこの絵を描いて喜ぶ人。不登校者も多かった。ゲームラノベアニメの話しか飛び交わず、誰も世間については無関心だった。テストの平均点が一桁なんてザラで、進路のことなんか誰も考えていなかった。やる気のある先生もいなかった。部活大会等で制服を着て外に出ると、周りから後ろ指をさされた。

 僕は頭がおかしくなる前に何とかそこから抜け出した。そのおかげで今では幸せで「当たり前」な生活を手に入れている。

 でも彼らはどうだろうか。高校卒業した後、どこへ行ったのだろうか。多分、何も変わってないのだろう。また社会から拒絶されて、居場所を探すか、自分たち世界に籠もっているのだろう。

 時代が経って発達障害知的障害に病名が付き、それを持つ人々への理解が深まったとしても、彼らが「話の通じない人」や「変な人」であることは変わらない。いくら綺麗事を教えられたって、いざ彼らと面すると「嫌だな」「面倒くさいな」という気持ちが生じることを否定できない。彼らと一緒に働きたいかと言われて首を縦に振る人は少ないだろう。事実、僕だって意図的に彼らを避けてしまう。

 結局これが人間の、この世界限界だと思うしかないのだろうか。

2017-04-24

教師なんてゴミクズばっかり

昔、クラスで俺のサイフが盗まれたんだよね。

まあ、俺の不注意も当然悪いが、とはいえ盗られたものは取り返さないといけない。

一応先生には言ったが、こういう時は犯人探しのプロに任せるのが一番だろうと言う事で警察に行った。

警察官は「わかった。じゃあ私達も準備して学校に向かうから、先に学校に行っておいて」と言ったので、俺は先に一人で学校に戻った。

するとたまたま校門のところに担任が居た。「どうした?忘れ物か?」と聞かれたので、「いや、警察を呼んで、先に戻ってるように言われた」と説明した。

すると、先生は「警察学校に入れるわけにはいかない。取り下げてくれ」と言い出した。

意味が分からない。学校泥棒を野放しにしてどうするんだ。もちろん断った。

そもそも取り下げる理由が分からない。

警察を入れると色んなところを捜査する事になるんだぞ。それは無理だ」

「何故?別に捜査してもらえばいいじゃん。その為に呼んだんだから

「とにかくダメだ。取り下げなさない」

「大体本当に警察学校に入れないならそもそも警察が来るなんて言うわけ無いじゃん。でも警察がわざわざ来てくれるって事は学校に入れるって事じゃないの?」

ここからビックリ大仰天な展開だった。

「お前な、警察を入れたらクラスを巻き込んで捜査する事になるんだぞ。お前、学校に居れなくなるぞ?」

なんと教師被害者の生徒である俺を脅し始めたのである

しかし当時の俺はいじめられていて、学校なんかむしろさっさと辞めたかたから、「別にそれでも良い」と返した。

先生は説得に見せかけた脅しをかまして来たけれど、そもそも被害者泣き寝入りを迫られる意味が分からないので「いや、別にそれでも良いですよ」を繰り返した。

すると先生がまあ驚きの行動に出た。世の中こんなゴミクズが居るんだなと思ったね。

先生は俺に現金2万円を渡して取り下げてくれと頼んできた。

はぁぁぁぁぁ?

でも当時の俺も俺でかなりのクソバカだった。

その2万円を受け取って、被害を取り下げたんだ。

当時の俺の思考は、「どうせ警察に頼んだところで、放課後犯人含め全員帰ってんのに、いくら警察の力でもぜってー見つからねえよな。サイフに入ってたの2000円くらいだし、10倍って考えると受け取ったほうが得だな」と考えた。

確かに当時の俺からしたら2万は大金だけど、今思うと2万とかいうはした金で、いやそもそも賄賂解決してしまうなんてなんて馬鹿なんだろうと自分をぶん殴りたくなるが、とにかく俺は2万円を受け取ってしまった。

その後俺は、自腹を切ってまで自分の保身を第一に考えるゴミクズ教師である事で、今後いじめっ子にぶん殴られたりしてケガをしたりしても見てみぬふりをされるとしか思えなくなり、怖くなって不登校になった。

そして今でも、教師という職業を心の底から軽蔑している。

2017-04-20

情報処理技術者高学歴

Feedlyに流れてきて読んだ 職業別の高学歴http://tmaita77.blogspot.jp/2017/04/blog-post_17.html

によると,情報処理技術者高学歴率(大卒+院卒)は76.13%らしい(2012年度の25~34歳の就業者).

以前に読んだ「IT人材白書2016年度版 https://www.ipa.go.jp/jinzai/jigyou/about.html2012年度版には載ってない?)「図表4-4-3 IT企業IT技術者の最終学歴年代別】」によると

20代大卒62.0% 院卒18.5%,30代:大卒56.5% 院卒15.3% だし,それなりに妥当な数値かと思った.

所感:なぜ「IT人材白書」のIT系最終学歴の数値なんか気にしてたかというと,私は情報学部半年前に退学して進路に途方に暮れているNEETからである

統計講義すら不登校だったので,後者統計を信頼していいかからなかった.信頼性の補強にはなってくれたと思う.

プログラマ中退でもなれる」と就職サイト紹介広告とか,2chtwitter生存者バイアス込み発言をよく見るけど,

68種中9位の職業中退者は無理なのではなかろうか.中退者でプログラマ就職できた例は,twitter観測した限りでは

バイト求人がある東京で,在学中にバイトしてて実務力を買われて中退前に内々定?を貰って中退入社したみたいな優秀な人々ばかりだし.

ただでさえ http://synodos.jp/society/7731 によると(東京の)中退者の正規雇用で働くのは7.5%にしかない(非正規雇用が70.9%)のに

軽々しく可能だと勧めすぎではないかSIerの最下流にならなれるのかも.NEETなので実際のところ何も知らないけど.

2017-04-10

同性愛者の就活理由orキャリアプラン

投稿現在M2就活中。24歳。

就活を通して将来のキャリアプランとか考えるんだけど、自分同性愛であることが原因なのか明るい未来想像できない。

すごいエンジニアになって、仕事バリバリやって、金ガンガン稼いで、面白いものつくっって....てな感じで色々考えても

「あっ、自分同性愛者だからキャリアいくら積んだからって一生孤独じゃん。働く意味!?」っていう着地点になるんだよね。

中学生とき同性愛に目覚めて、いま24歳。両親の離婚自分性癖不登校浪人生活.....色々乗り越えての現在(いろいろあったなぁ)。

大学では友人に恵まれて、人生で一番楽しかった。それもあと一年で終わり。

友人たちもそれぞれの道に進むために就活中。社会人になって、家庭をもって、キャリア積んでとかそれぞれの夢に向かって散らばっていく。

今までみたいに、学校行けば誰かがいて、楽しい時間を過ごせるってことがなくなる。

からどうしてもパートナーがほしい。一生とは言わない、社会にでてからも支え合えるパートナーがほしい。生きる原動力がほしい。

若さを失い始める年齢だし、年々パートナーを作れるチャンスが減っている気がする。肉体的に最も活発といわれてる16-25歳で童貞。愛するひとと、若さをぶつけあう激しいHがしたかったなぁ。

パートナーてどうやって作るんだろ?なんで就活してるんだろ?キャリア積んでどうするの?

半年前ここで愚痴を書いた貧乏学生です。

追記

皆さんありがとうございます。お陰様で、2人の方とメールをすることが出来ました。

id:houyhnhmさん、自分はあまり多数で話すことが得意ではありませんが、お時間の合う時がございましたらいつでも参加させていただきたいです。

読んでくださる方も多くて、嬉しいです。

今度はこの生活楽しい話を報告できたらなと思っています

http://anond.hatelabo.jp/20161017031727

ふと今日思い出して、あの記事消そうとしたのですが、意外にコメントトラックバックが多くてびっくりしました。

反応遅くなってすみません。この記事を見ている人は少なくなっていると思いますが、自分は食い詰めることもなく、ちゃんと生活できていること、またコメント等が励みになったこと、その感謝について伝われば幸いです。

あの記事は、当時不安が募り、耐えきれなくなったので吐露したものであり、この生活でも良いことはあると今は思っています

コメント等を読んだ時、凄いドキドしました。励ましの声も、社会に出た時こういう人たちが周りにいるかもしれないと希望が持てるようになりましたし、何より実体験や少しでも現状を和らげれるお話なども聞けて良かったです。その節はありがとうございました。

大学は、単位を落とすことな奨学金を打ち切られることもなく、少々問題は起こりましたが、通うことは出来ています。これからは、一般教養だけではなく、より専門的なことを学べるのでワクワクしています

ここからは気になったコメントの返信をしていこうと思います

国立なら学費免除制度があって、家が生活保護レベルなら全額免除になるし、格安の寮がある場合もあるから、苦学ってほどでもなくなる。 国立ならだけど

自分普通科ではなかったので、国公立に挑めるほどの学力がなく、また3月まで結果を待てる心を持っていませんでした。

なので、大阪情報を学べる私立大学入学しました。学生寮の申込みをしましたが、遠方から来る学生に向けたものだったのか、抽選に落ちました。

これは変な話なのですが、「生活保護だ」という話をあまり外でしたくないので、打ち明けられていません。ただ、親の収入が0で自活しているという話は通っています

生活保護への風当たりは強くて、久々に会った幼馴染に生活保護批判をされたときちょっと複雑な気持ちになりました。

http://anond.hatelabo.jp/20161017101740

ありがとうございます自分現在その学生支援機構奨学金、無利子有利子ともに受けています機関保証ですが、借金になってしまうため、最低限学費だけに抑えています

幸いなことに、1件だけ給付型の奨学金を受けさせていただいています。10月の不安が、この給付型奨学金継続条件であり、「優の数が、良+可より多いこと」でした。なんとか今年は継続条件をクリアすることが出来、更に給付額も3万円から4万円にあがりました。

自分の将来したいことへのド直球なアドバイスありがとうございます努力すべき道がこんなにも明確になると、目的意識が湧き励みになります

こちらの学生部対応もあまり良いとは言えないです。(その中でもいい人に出会うことは出来ましたが…)

今すぐWebサービス開発とか、ゲーム, アプリ開発学んで受託なり一発当てにいくのも一つの選択肢ですよ。

一応高校の頃にWebサイト制作や、画像加工が趣味でやっていました。高校パソコンセキュリティが甘く、割と自由になんでも出来たのが幸いでした。

Adobe製品では、Photoshopとほんの少しだけIllustratorが使えます

http://hibiki317.hotcom-web.com/wordpress/

大学に入ってからは、忙しくて更新していません。

http://imgur.com/HHo8nft

多重露光に興味があり、こういうのを作ったりしています

現在パソコン部に所属しているので、これから言語を授業で学びつつ開発をやってみたいです。(サイト写真ロゴ以外は大抵借り物なので、中身も作りたいです)

大学休学は?休学もお金かかるのか?

休学は奨学金打ち切りや、就職に影響が出ると思いやっていません。

親戚漁ったら1人ぐらい大学資金援助してくれる従兄なり叔父なりいたりすんじゃないかな。無担保無利子借金でもいいや。ちょっと独力でなんとかしようとしすぎなんでないの

親父に頼ってみるのも手

生活保護基準として、(自分地域だけかもしれませんが)金銭的に頼れる人がいたらダメなところがあり、祖父母を始め、父親とも交流を絶つ状態です。母には兄弟はいません。

仮に祖父母や、父親交流があっても、祖父母は自分達の生活でいっぱいで、泊まらせてくれることはあっても、資金の援助は厳しいです。

父親に至っては、借金の大もとであり、この前死んでるか実名でググったら殺人未遂被害者になっていました。(再婚しており、17歳下の腹違いの弟もいました)。多分、未だに怪しい商売借金を重ねているのだと思います

大学へ行った理由が、「高卒では、就職の幅が狭い」ということで、自分がしたいと思っていたIT系から離れないといけないこと(単純に能力がなかったり、精神的に携われなくなる)を考えた末の結果でした。

アルバイトは時給の良いスーパー等です。しかし、コメントで言われるように、自分がその働いている時間もっと有効に使えるのではないかとずっと思っていますIT系バイトを探しているのですが、大阪では、実務経験を問うバイトが多く、まだ手に職をつけていません…

家賃光熱費食費で7万」というのは家賃が高すぎるから家賃は3万円以下にしろ。こういう学生って、たいてい都心に住んでいるんだよね。ぜいたくすぎ。家賃を下げよ。  http://suumo.jp/chintai/tokyo/sc_itabashi/

家賃は2万弱です。ただ、日当たりが悪く、重ね着しても尚寒い季節だったので、ガス代電気代が嵩んでました。これからの季節はマシになると思います通信費が一番の問題ですが…

何のバイトなんだろ。「10万も」っていってるけど。大学生の頃、カテキョとか塾講で毎月手取り10~15万ぐらいだったけど。奨学金と合わせたら就職した方が自由になるお金が少なくてショック。(福利厚生

お恥ずかしい話なのですが、自分小学生時代離婚と転校で病んでいて、中学校は3年生になるまでまともに行っていませんでした。3年生で猛勉強をして、偏差値50の高校に行ったのですが、義務教育殆どを教えれる自信がなく、塾講ができませんでした。

優秀な弁護士ケースワーカー経由で福祉を頼れ。若者支援団体でも可。 間違っても、ちょっと前に炎上したようなセミナーマルチとかアフィとか)には行くな、殺されるぞ!

ちなみに僕は、春学期に仲良くなった子にマルチを勧められたことがあります

そのせいで、その授業を一人で受けていたので、経済政策の授業だったのですが、身の入り方がまるで違い、めちゃくちゃ楽しかったです。

福祉、とは言えるのかわかりませんが、市から補助金が月に1000円ほど出る手紙が来たので、直接市役所で聞きながら受けてみたいと思っています

変な親…。貧乏なだけかもしんないけど。

自分環境が違う自身の子バカにしたり、嫌いな元夫に似てるとか言ったり(一番言っちゃいけないやつ)完全に毒親じゃん

母はうつ病なので、他人には理解できない考えもあるかも知れません。本気で辛いこと言われたり、何度も喧嘩しました。

離婚した当初、他の人との再婚の話も出たそうなのですが、親に捨てられると思っていたので、全力で拒否しました。

そのせいで、現在までも貧困問題などを抱えたり、親の伴侶を得る機会をなくしたこともあり、今までお世話になった親の面倒もしっかり見れるぐらい金銭的に不自由なくしたいと思うようになりました。

当然、自分の子供にはこういった思いをさせたくなく、より良い幸せを探したり、色んなことに挑戦させて、失敗を恐れない人になってもらいたいです。

実際に今も癒えない傷は心だけではないですが、それでも親について考えるのは、いざとなった時話を聞いてもらったり、今でもたまにご飯も一緒に食べたりもしますし、同居していたときより仲良くしていています

話をしている時、母も姉も生活保護ではなく自立したいという話があり、再就職不安ことなどを聞きました。

母は、障害者2級、姉は3級です。将来の話を聞いていたら、一番多く親子喧嘩になっていた自分に「うつ病を長引かせている原因は自分ではないか」と思う節があり、そういう意味自責の念があります。(姉に関しても、自分と親のそういう面で、親に何も言えなかったんじゃないかと思います

大学に行かせてもらったのも、入学金が借りられないため親のお金でしたし、恩があります

変な家庭かもしれないですが、喧嘩していないときはどこの家族より仲がいいと思います

この家族のためにしたいことはたくさんあります。それに自分がしたいこともたくさんあります不登校の頃、NHK白熱教室を見ていて、大学の授業を受けたかったし、就職不安を拭いたかったこと、些細ではありますが、学生らしい生活を送りたかっったこと、色んな気持ち大学進学を志しました。

自分勝手で未熟なところもあり、この生活愚痴をこぼすこともありますが、この匿名ブログだけに抑えているので許してください。

資格の話ですが、これを取れば少しでも世界が変わるんじゃないかと思っていただけに、「あまり必要ない」「会社に入ってからでも大丈夫」という声が多かったのが、驚きでした。

ご飯をご馳走してくれる というコメントもあったのが、嬉しかったです。申し訳ないのですが、自分大阪市民なので、東京に行くのは18切符のある時か、就活の始まるころだと思います

厚かましいですが、その時ご馳走していただけたら幸いですww

また、年上の方の話を聞くのが好きなので、仕事の大変さや面白さ、家庭を持ったとき気持ち学生時代お話なども聞きたいです。

重ねて不躾なお願いをいたして申し訳ないのですが、こちらのメールで連絡を待っています

hibik@me.com

2017-04-09

実際になってみて不登校心理状態がわかってきた

学校に行かないのも結構辛いんだね。

行かぬも地獄行くももっと地獄みたいな

結構しんどい

話したことない人からも舐められてると感じる時の精神的きつさって重しになるよね

ヤンキーって舐められてると感じたらすぐ切れるけど今はそれくらいのタフネスが欲しいわ

2017-04-04

リア充になるのを諦めた日

中学の頃はオタクだった。

毎週月曜日はみんなでジャンプの回し読みして感想を言う毎日だった。

高校の頃もオタクだった。

高校中途半端進学校だったこともありオタクがいなかったので、「このままだと友達ができない」と危機感を覚えリア充集団の中でキョロ充して頑張ってみたが、危うく不登校になるくらい疲れ果てた。

なんせ、楽しむポイントが全く合わないからつまらないのだ。

結局無理は続かず、同じようにキョロ充で疲れ果てていた授業が終わったら別の高校に進学した中学時代の友人たちと合流してマンガの話したりコミケ原稿やったりしていた。

大学の頃、流石にこれはまずいと思った。

このままだと本当に中学時代友達しか仲良くできないと。

で、無理してリア充に合わせるキョロ充ライフをやってみたが夏休みまでしか保たなかった。

もう、これは無理だと悟った。

だいたいリア充になって何が楽しいのかと。

楽しいと思わないものに対して楽しんでいる風を装って付き合うとか時間と体力と精神力無駄ではないかと。

夏休みの間にまた中学時代の友人たちと会って、たまにこの友人たちにあえればもういいやとなってしまった。

社会人になり、遊ぶ相手はこの中学時代の友人と彼氏(今の旦那)だけになり、

入社リア充同期の集いのようなものにたまーにこえかけされたが、過去の失敗からもう行かなくなった。

リア充にはなれないのに、

リア充になろうとして、

無理に我慢して、

何も得るものもない時間はもうまっぴらゴメンだ。

仕事帰りに一人で夕飯食べたり買い物したり、そういう一人の時間が結局楽しいんだ。

2017-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20170403135713

不登校の子に「いつかは社会に出なきゃならないんだから逃げるなよ~」ニヤニヤって言うタイプ自称支援者さまはたくさんいるわな

そういうヤツに対してのカウンターとして書かれてる文章自称支援者さまタイプが反感を持つのめっちゃウケるでしょ

いじめ加害者に謝られた話

いじめ関連のホッテントリが続いていて、ふと思い出したことを書く。

小学生の時、「いじめ」を受けていた、と思う。

当時は「いじめられていた」と思っていたし、つらくて泣きながら下校したことが何度もあるし、数日は不登校にもなったし、ある時は担任に訴えたら担任激怒してくれて授業が1つ潰れたことがあった(S先生ありがとう)。

今になって「と思う」なんて付けて断定を避けるのは、当時の私ちゃんに対しては申し訳ないんだけれども、まあ、彼女未来である私がとりあえずすくすくと真っ当に伸びきったことで相殺してもらいたいと思う。今やいい大人になった私が思い返すに、あの「いじめ」と名が付く機構はわりとどうしようもないタイプのものというか、その発生を回避することはとても難しいものなんじゃないかと感じられるからだ。さらに言うなら、「いじめ」の加害者は、私の友達だった。「いじめをするやつは友達じゃない」という意見はよくわかる。でもそれは定義問題だと今の私は思う。当時の私ちゃんの認識としては、「いじめてくる」あの子たちは、みんな友達だったのだ。むしろ距離感の近しい、仲の良い友達の人々だった。たぶんあの子たちの認識もそうだったと思う。だって、おしゃべりしてたもん。一緒に登下校していたんだもん。よく言葉をかわしていたから、共に行動していたから、それは「いじめ」になりえたんじゃないか。親しくなり、型通りの付き合い方から外れはじめた時に「いじめ」の機構は発生する。

ともあれ、それが発生しているころ、当時の私ちゃんにはほかにも友達がいて、味方になってくれる両親がいて(そういえば、どうしても学校に行きたくなかったある日、1日だけ、父親が手をつないで学校まで一緒に来てくれたのだった。6年間であの1日だけだ)、当時の私ちゃんの問題に気づいてくれた担任先生がいて、それを上の学年に上がるたびに引き継いでくれた先生たちがいた。

さて、小学校から中学校エスカレーター式のところだったので、そのまま人間関係をほぼ引き継いで中学にあがり、「いじめ」は「思春期の男女のすれ違い」に変わって、高校受験をして、それぞれの高校に分かれてしばらくしてからだ。

中学で始めた「ある活動」の人間関係の中に、小学生の頃の「いじめ加害者Yがいた。

その「ある活動」は高校になってもそれぞれに続けており、「ある活動」の場所で、時折顔を合わせ、「おう、久しぶり」「どうよ、そっちの高校」なんて軽い挨拶を交わす仲になっていた。

かつての「いじめ被害者と「いじめ加害者なんだけど、でも高校当時の私さんはそれでいいと思っていた。「いじめられたよなあ」とは思っていたけど、それはそれとして、友人は友人のつもりだったのだ。縁があるご近所さん的な。思い出を共有する同士、的な。

※この割り切ったメンタルが既におかしい、という向きは当然あろうと思う。高校当時の私さんは、既に「思い出話をさしさわりなくできる関係」の良さを知っていたし、それができるだけのトーク力も持っていたので、たまたまそれができたに過ぎない。

だがそんなある日のこと、その活動の場で、Yに「ちょっと話があるんだけど」と声をかけられた。「なになにー」と軽く応じた場で、Yは「俺、お前のこといじめてたよな」と唐突に言った。

面食らった覚えがある。そのあと肯定した。つまり「……そうだねえ」ぐらいの受け答えをしたはずだ。

「謝らせてほしい。ほんとごめん」

そのあとどう返したかはまったく覚えていない。でも当たり散らしはしなかったはずだ。適当に切り上げたのかもしれない。

ただ、その日の夜はもやもやした。布団の中で、延々ともやもやした。

むし返さなくてもいいじゃないか。せっかくうまいこと忘れてたのになあ。お前が謝って、お前がすっきりしたかっただけじゃん。

それ、お前がすっきりしたかっただけじゃん。

それがいじめ加害者に謝られた時の正直な感想

今もしYに再会したら、ささやか意趣返しは目論んでしまうかもしれない。

ささやかで済むような自制をするし、私はそれを成し遂げるだろう。

大人の「いじめ」は、「いじめ」にならない。

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