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2016-12-08

人間は80歳までとかにできたらいいのに

70歳でもいいんだけど

もう無理じゃんだって

年金制度だってこのままじゃ崩壊するし

貧困の老後を送るくらいなら70歳までとか80歳までで終わるって覚悟して生きたいよ

それ以前に事故とか病気で死んじゃうかもしれないけどさ

給料からこんなに年金天引きされてるのに自分の老後に安心できるだけの金額もらえないとか制度クソすぎない?

大体今の老人とかちゃんと貰ってる分だけ年金払い込んできたわけ?

完全に先に生まれ自分たちの都合のいいルールつくって勝ち逃げじゃん

ずるすぎない?

いくつまで若者から搾取して生きるつもりなの?

交通費だって医療費だってどんだけ優遇されれば気が済むの?

20歳以上が羅患すると死ぬウイルス発見されてその地域未成年だけで隔離されるドラマあったけど

まじでああいウイルスあればいいのにとか思っちゃう

働きもしないで平日の昼間から偉そうにしてる何の役にもたってない老人見るとまじでむかつくときあるんだけど

金返せ

http://anond.hatelabo.jp/20161208130621

偏差値70あれば理解できる

殺人事件犯人統合失調症だった。病気が原因だから無罪

みたいな件があると

「これだけ計画的なのだから犯罪統合失調症が原因とは言えないんじゃないか

とか

「刑を軽くするための詐病なんじゃないか

みたいな意見医師見解無視して出て来るだろ?

批判対象社会メディアも含めたその風潮だ。

その風潮に対して

「『統合失調症が原因で犯罪を犯すことはある』っていう事実無視してんじゃねーよ」

ってことが言いたいんだろ

精神障害存在のもの否定したがる風潮

最も典型的な例は「うつ病は甘え」という偏見だ。

これは決して正しくはないが、それでもまだ「普通の」偏見だ。

深刻なのは統合失調症が原因で犯罪など犯すはずがない」というものだ。

しかも、テレビニュース番組で堂々と主張されている。

医師統合失調症が原因であろうと考えているのに、

動機を話さないのはおかしい」だの「病気ならもっと犯行が行き当たりばったりのはずだ」だの、

素人アナウンサーコメンテーターがふざけた妄言を垂れ流している。

言うまでもないが、統合失調症が原因であれば犯行合理的動機などないし、

統合失調症からといって思考力が全体的に低下するわけではない。

犯人統合失調症であった場合量刑をどうするかという問題と、

犯人統合失調症かどうかという問題は全く別のことであって、

前者について真剣に論じるのは面倒だけど犯罪者は許せないか犯罪者統合失調症じゃないことにしようなんてなめてんのか。マジで

誰かに聞いて欲しい

長く付き合ってなんとなく結婚して、なかなか子供ができなかった。不妊治療を始めてすぐに子宮頚がんと判明。簡単な手術を受けて何とか命拾いした。ようやく本題の不妊治療スタート。何度めかの人工授精でようやく授かった。

気がつけばアラフォー。乳飲み子を育てるにしては体力が無い。毎日毎日ヘトヘト。子どもを授かった事に後悔かないと言えば嘘になるけど、我が子の為なら頑張れる。

そんな中、ペット病気になった。子供代わりに可愛がってきたので出産前ならすぐに異変に気付いてやれたのに、育児に追われ気付いてやれなかった。たちまち命に関わるモノでは無いと言われたが、苦しそうにしている姿を見ていたら可哀想で仕方ない。「子供がもう少し大きくなったら」を言い訳最近かまっていなかった。このままこの子に何かあれば後悔してもしきれない。また、我が子にも同じ様なことをしてしまうのでは?と思うと怖くて仕方ない。

こんな歳でペット赤ちゃんも両方欲しがって、結局どちらに対しても中途半端になってしまいそう。そんな事を考えていると、私はダメ人間だなぁと思えてきて心底自分が嫌になる。

なんだか生きれば生きるほど自分も周りも不幸になっていく気がする。

[]与謝野晶子金魚のお使」

あらすじ

新宿に住む太郎駿河台の菊雄さんちまでおつかいに行かないといけない

だがお手伝いさん病気で行けない

代わりにペット金魚3匹に行ってもらおう

金魚やる気まんまん

徒歩で新宿駅

駅員「金魚は手が無いか切符あげない」

金魚「わーわーわー」

駅員「やっぱ乗っていいよ」

金魚「車内に水を張ってくれ。死んじゃう」

車掌「他のお客さんの靴がぬれちゃう

金魚「苦しい~たすけて~」

車掌「金だらいに水を入れてあげる」

御茶ノ水に到着。金だらいは御茶ノ水駅の駅員に預ける

駿河台まで歩いておつかい完了。菊雄「えらい。お駄賃そうめんあげる」

金魚「手が無いから持てない」

菊雄「あとで小包で送ってあげる」

御茶ノ水駅で金だらいを返してもらって帰りの電車

新宿駅太郎バケツに水を入れて迎えにきてくれた

いやー面白い

駅まで水なしでどうやって行ったんだ、とかいツッコミを吹き飛ばすテンポの良さ、

こんなシュールな話なのになぜかさわやかな読後感。

ただ、自分で読むというより子供たちに読み聞かせお話だね。

与謝野晶子といえば教科書バナナの人、というイメージしかなかったけどこの人いいわ

アラサーワープアの女が子供欲しいというと大抵子供人生を軽く考えすぎと言われる。



子供が欲しい。。

20歳くらいの頃に地元ヤンキー友達子供を産んで、

その頃まだ実家に住んでたので何度も遊びに行ってた。

彼女旦那キャバクラのボーイをしてる19歳で、

夜は家にいなかったので暇な学生の私が彼女の家に遊びに行ってた。

彼女旦那赤ちゃんと3人暮らしなので、私とおしゃべりしながら赤ちゃんの世話をしているという状況。

赤ちゃんと二人きりだと鬱々としてくるようで、遊びに行くと喜んでいた。

紙パックのジュースを飲みながら、夜の3時か4時までおしゃべりしてた。

その間赤ちゃんは寝たり起きたり、テレビみたりお風呂入れてもらってたり

うんこ漏らしたりしていたような気がする。確かまだ歩けなくてハイハイをしていたな。


その時、お風呂場に敷いたマットの上に寝転ばせてシャワーで洗ってもらう赤ちゃんを見て、

「思ってたより簡単そうだな。私も赤ちゃん洗いたい。」と思った。

それからずっと子供欲しいなあって言い続けてるけどなかなか上手くいかない。


子供ほしいって言うと、

子供に苦労かけない収入とか生活の余裕や心の余裕などを自力で満たしてないと論外って話になってしまう。

女性場合年齢にリミットがある以上、生活に余裕ができてから考えるのでは間に合わないのに。

先のことなんてわからないんだし、子供に苦労かけるのはある程度は仕方なくない?

絵に描いたような幸せ家庭を作れるスペックがなければ子供を欲しがれないのか。

自分の話になるけれど、親は小学生の時、父親不倫隠し子離婚した。

母に引き取られて母の実家で育てられた。

母は母子家庭からってなめられないように必死で働いて、

収入はきちんとある代わりに私たちを殴るようになっていった。

ヒステリーはひどく、母から逃げるように部屋に引きこもり学校も行かなくなった私と

深夜出歩くヤンキーの兄、みたいなごく普通幸せな家庭とは言えない家庭だった。

それでも二十歳超えて私の人生は私のものになっている。ワーキングプアだが仕事趣味は充実している。

親に期待なんかする方が間違いだ。

と言ってももちろん母が必死に働いたお金私たちを食べさせて、学校も出してくれたおかげだと感謝しているけど。

絵に描いたような幸せな家庭を作りたいとは思わない。

苦労かけることもあるかもしれないし、もしかしたら障がいのある子が生まれ生活を全て変えなければいけなくなるかもしれない。

もちろん子供を産む以上最強の愛情を注ぐ覚悟だけど、結局そんなの先に決めてたって決めた通りにならない。

だって本当は、仕事も家庭も円満にやりたかったはず。でも仕事が忙しくて家では暴力母になってしまった。

でもそれも、仕事がんばらなければ家庭を守れないから仕方なかったんだし、

母は愛情を注いでくれてたんだと今は理解出来る。



確かに私は非正規雇用ワーキングプアだけど。でも貧乏でも楽しく生きる方法を知ってるんだけどなあ。

子育てには、貧乏でも楽しく生きるとか通用しないんだろうか。


旦那おんぶ抱っこじゃやだ。旦那なんてあてにならないから。

ひねくれた考え方かもしれないけど、男はよそに女を作って逃げるもの。と刷り込まれている。

というか、女じゃなくても、旦那だって病気になったり、急に死んだり、会社クビになったり、

何があるかなんてわからないんだから、男に頼りたくない。

頼るなら行政に頼りたい。子育て支援を調べて申請しまくりたい。

とにかく子供を育てたい。子供を産む機能がついてるんだから使ってみたい。

貧乏でもどうにかして育てる方法を考えたいし、私のこと好きなら一緒に考えてくれてもいいのでは??と思うのは間違っているのでしょうか。

なのに、なのに、自分で産むわけでもなく、お金かかるから無理。みたいに思考停止で切り捨ててるだけの男に

子供人生を軽く考えすぎ」

とか説教されるこの世界なんなの??????

私のようなワーキングプアが「子供欲しい!」というと、絶対こう返ってくるんだよ!

くそ~~~~~~はらたつ

ちなみに彼氏ワーキングプア)にもそう言われました。

子供欲しくないんだ~この人と思うと、セックスにやる気が出なくなってきました。


とりとめない内容ですみません。読んでくれてありがとうございました。

2016-12-07

カジノカジノカジノ

ギャンブル依存症がーとかいうけど、

そんな人たちって、ほっといたってパチンコ行ったりしてるんでしょ。

タバコ吸ってパチンコ行って高額納税者やん。

まともな人なら社内旅行で一回行って、こんなもんなんかーって盛り上がって終わりぐらいなんじゃないんかな。

パチンコで巻き上げられたお金がどっかの国に送られちゃうのを考えれば

国内で回収できた方がいいんじゃないの。

しょせんそんなギャンブルに金使うクズクズなんだろうしって思うんだけど。

依存症がーっていうけどそんなの病気じゃないじゃん。

家族が大変だからって、そんなんわかってて家族になったんだから

しょうがないんじゃないのかなぁって気がする。

女の友達が欲しい

ここには何をかいてもいいんだよね?

himeがどうこうっていうエントリで思い出した。

女だけど女とうまく友人関係を構築できない事について考えを整理したいのでこの場を借りる。


同性の友人ができない原因としては

自分家族コミュニケーション不全だったからじゃないかと思っている。


母親との関係

母親が私に話しかける事はほぼ全て誰かの悪口、不満。

主に父親悪口祖母や親戚の悪口世間への悪口ねたみ、自分がどんなに不幸か、つらいか

私が部屋に居ないときでも、声に出して次から次へずっと独り言で誰かへの憎悪をぶちまけていた。

(酒を飲み過ぎて電車のなかなどでずっと独り言言ってるおじさん居るけどシラフでああいう感じ)

気分が盛り上がってくると「くそ!」とか「あーもう!」とか大きな声が母の居る部屋から聞こえて来るので私はとても怖かった。

母親の事を、宇宙人みたいな遠くてわけのわからない存在のように感じていた。

この人は病気だ、普通じゃない、治してみんなみたいな普通のお母さんになって欲しいって感じてた。

いつ、なにをきっかけにキレだすかわからないので家の中ではいつもビクビクして顔色うかがっていた。

母親おはよう、などの挨拶や、おそるおそる「お母さん」と声をかけても基本無視。返事はかえってこない。

聞こえていないのかと用件を言う事をあきらめたら「早く言え!」と怒鳴ってくる。

用件を言ってもノーの場合無視もしくは激昂しだす。

イエスである事はほとんど無かったけどそういう時は「勝手しろ」もしくは無視

中学生ぐらいまでは躾と称して殴られる事がよくあったので

母親がさっと手をうごかす仕草をするとビクっとなってた。

中学以降は私が暴力に抵抗をみせはじめたのでやめた。

母親に触れられると不快鳥肌がたった。

母親が私に向かってよく言ってた言葉は「クソの役にも立たない」

とにかく支配的な人物自分が何か想定した通りに物事や人が動かなければ気に入らなかった。


核家族だったので父、母、娘の三人揃っている場では必ず2:1の構図にさせられた。

父がいるとき母親は父に媚び仲良くしようとする一方、私をのけものにした

(居ない時は24時間父の悪口を言っているのに?と混乱したし理解できなかった)

私が話に入ろうと発言したり、場の中心となるような事をしようとすると

軽んじる、馬鹿にする、中傷無視、のような感じで黙らされた。

そのうち私は三人の場では何か思っても、どうしても我慢できない時以外喋らないよう、気をつけるようになった。


父は腎不全透析をしており2日に一回は家に居なかった。

子供にとって23時以降に帰宅する存在は「居ない」と感じる)

父は情緒面では穏やかな普通の人だった(と思う。)

それほど子供好きってわけでは無さそうだったけど時間があれば

絵や工作釣り囲碁将棋を教えてくれたりいろいろな場所へ連れて行ってくれたりしたので好きだった。

特に父親と二人になったときの楽しみは一緒に母親悪口で盛り上がれる所だった。

母親ヒステリック理解できない言動なんかを言い合って

口調をものまねしたりして一緒に笑いものにして楽しんだ。

だけどわたし母親に頭のおかし言いがかりをつけられて心底困っている時でも

だって盾になり守ってくれる場面はほぼなかった。

家の中で母娘の大げんかが勃発している時でも

薄いドア越しに絶対耳に入っていると思うのでが仲裁に出てきてくれるような事は無かった。

波風の立たない事(自分にとって)がこの人にとって一番大事な事だったんだろう。



私にとって家庭内コミュニケーションはこの二つが全てだった。

コミュニケーションのお手本がこの二パターンしか無かった。


こんな事で友達がつくれるわけはないと今なら思う。

誰かと仲良くなりたいと思ったらまず何か悪口を持ちかける子だもの

女の子三人で仲良くするっていう事ができない、必ず誰か一人気に入った子を独占して、残りの友達を蹴落とそうとする子だもの

自分の都合の良いように利用するものしか友人を見てない人間だもの

前日まで仲良くしてくれていると思ってた相手がある日突然口を利いてくれなくなるって事が大人になるまでに何回もあった。

私は頭が悪いのでその事に対する原因が何なのか長年まったくわからなかった。

そのうち女友達を作ろうとする事をあきらめるようになった。

相手ならマブダチになれるのかっていうとそんな事は決して無かったのだけど

男性というものは、こっちが女性であるというだけでよほどの事が無い限り積極的排除しようとはしてこないし

こっちも相手を「異性」として扱い、対等に接する気はなかった(この部分がいわゆる媚びなのか?)ので比較的長続きしたというだけの事。



もしこのエントリ最後まで目にしてくれた方で

こういった状況を少しでも健全な方向に変えるには、どういった行動を始めればいいのか

そういう事が書いてあるオススメの本などありましたら教えてくれないでしょうか。

図々しいお願いをしてごめんなさい。

2016-12-06

また踏みとどまってしまった

生きてるのがつらい。とにかくつらい。痔下痢肩こり腰痛倦怠感睡眠不足過食よくわからないけど泣くなど心身の不調のオンパレードである

朝5時に飛び起きて始発に乗っては夜遅く帰ってくる日々。安い給料の割にプレッシャーはきつい。どれだけ早く仕事を片付けても何かにつけ拘束されたまま帰れない。

何かくいっぱぐれない技術がつくような仕事でもない。将来が見えない。

縁のない田舎での安いアパート一人暮らしでは洗濯も皿洗いも掃除も進まず、もう半年ぐらい置きっぱなしのゴミがある。

友達もいなければ恋人もいない。というか失恋した。

そもそも学生時代からまとめて精神を病んだ家族とけんかして実家と疎遠になったり、学業に打ち込もうと思っても上手くいかなくて鬱っぽくなって以来元気だったためしがない。

もういい加減なんとかしたい、そう思って心療内科に行ってみた。

ここならなんとかしてくれるんじゃないか、期待しすぎだと思いつつも藁にも縋る思いで予約した。

もう苦しまなくていいんだ、やっと元気になれるんだ、そう思っていた。

だが何かおかしい。診察の際に症状についてヒアリングされたのだが、なんか「聞き上手感」がない。自分言葉理解された気がしない。

最終的な結論としては「うつ病で何もできないという”ほど”ではないですね。軽めの薬で様子を見ましょう」だった。

いや、たぶんそれが正しい治療なのだろう。カウンセラーではない医者に多くを求めるのは酷かもしれない。

でもさ、正直なんで今まで生きてこれたのかわからないぐらい、ずーっとボンヤリ苦しかったんだよ。もう何年も耐えてきたんだよ。

それを「そんなに深刻ではない」みたいに軽く言わないで欲しかったんだよ。味方だと思ってたのになあ。

永田カビ『さびしすぎてレズ風俗……』に書いてあったと思うが、「うつ病になって病気だと認められてやっと堂々と休めるようになった」みたいな一節があったと思う。

おかしな話だが、もうはっきり「あなたうつ病です」って言われたほうが楽だった気がする。

いや、こんなことを言ってはうつ病の人に申し訳ないし、当人たちはそれこそ毎日死にそうになっているのを何とかしのいでいるのだ。今の自分よりもひどい状況と考えると、それはもうつらい。

その点まだなんとか食べて寝て仕事してというサイクルをへたくそながらも続けられている自分は甘えすぎなのかもしれない。

でも本当につらい。無理をしてはいけないと言われたがその無理はもう何年も続けてきたのだ。いいじゃない、甘えたって。

踏みとどまっていられるのは運が良かったり体だけは丈夫だったりしたおかげだ。今でこそこんな感じだけど、昔はすごく明るくて友達もたくさんいて毎日しかったんだよ。

そんな過去を思い出してなんとか踏みとどまってる。なんとかあっちへ行かずに済んでいる。

でもさ、どうしてこんな崖っぷちに立たされたままなんだよ。いっそのこと突き落としてくれよ。

そうすればもう悩まずに済むんだよ。

そんなことを考えながら明日も始発で出勤です。

勤務中に「客が全員死んで来なくなればばおれは働かずに済むのに」と毎日考えている接客業従事者ですが、恥を忍んで働きます

会釈について

自分の以前働いていた会社は(今は病気で辞めた)

従業員が6人ぐらいの事業所で、年齢バラバラ、みんなの距離が近かった。

役職があってもわりと最上級上司以外とは対等に話す。上司も優しいよ。

私は丁寧語だったけど。先輩方はわりとタメ語

で、会社の中ですれ違う時には、先輩相手でも上司でも、

お疲れ様でーす」

って自然に声がけする。感じ。

外部の方が来た時も、基本は声がけの挨拶




黙って会釈って中学部活の先輩相手と中高の教師相手にしたことない。

高校の先輩とは挨拶だったし。先輩に気づいて挨拶したらヤッホーみたいな返し。

中学常識で、最初会社で黙って会釈してたら、変な目で見られた。



余談だけど、

日本挨拶って英語のhi!と違って、わりとするだけで、

揺るがない固定された上下関係を発生・維持させる類のものもあると思うし、

それが窮屈というかストレス感じることもある。

特に役職とか正当な理由がないなと主観で感じる時)




というわけで、

自分中学時代の習慣がイレギュラーもので、

他の所属の時の習慣をレギュラーだと思ってるんだけど、

自分職場環境が変わってたこともあり、どっちがレギュラーなのかわからない。



世間一般ではどっちが普通なの?

役職上位ではない先輩とすれ違った時に会釈する?声がけ挨拶する?

http://anond.hatelabo.jp/20161205163049

まだ論文で発表されて数年みたいな病気自分プレゼンしたことがあるが

当然通じないね

自分で、その分野に詳しい医者を探してそこにダイレクトに行くしかないと思う

今はサイトで在局時間が発表されてたりするし

昔に比べたらダイレクトに会いやすいと思う

http://anond.hatelabo.jp/20161205163049

例えば、なんの病気で、どんな症状を訴えたの?

2016-12-05

カップラーメン技術があれば人を保存することが出来る

カップラーメンにしたら長期保存が出来るじゃん

風呂3分浸せば蘇るじゃん

末期の病気になってもカップラーメンにして50年後に復活したら病気を直せる技術存在するかもしれないじゃん

何で誰も研究しないの?

医者に症状をプレゼンしたことある人いる?

分かりにくい病気とき、よく症状やいつから起きてるかなどをがんばって説明しようとするんだけどうまく行かない

医者テンプレ問答が好きな人が多いのか、はいはいっていって色んな症状を無視される

でいつも外す

なんども通うことを前提にされてるのかもしれないけど

それやってたら何ヶ月も掛かるから、その病院に行かなくなる

訊かれたこと以外、言っても無駄なのかなあ

 

_____

 

パワポは使わないけど紙にまとめていったことはある

http://anond.hatelabo.jp/20161205104107

思い付きのデタラメ適当に断定口調で書き散らかしてる人

はてなというかツイッター界隈では一部で有名でTogetterまとめを通じてはてなでも多少知られてきた感じ?

定期的にツイートを消しては今度は全く逆の内容のことを言い出したりする病気の人なので

信じて人に話したりすると恥ずかしいことになるよ。

ダウントンアビー見終わった

ロバート吐血してたけど病気どうなった?カーソンよりロバート大丈夫

コーラバリキャリモードロバートいじけるも現場見た夫の理解を得て病院運営に携わることに

メアリー:レーサーの旦那が友人の事故トラウマに陥り無職になるも復活でハッピーエンド

イーディス:恋人元鞘コブ付き承諾ハッピーエンド 義母とも悶着乗り越える 出版社経営順調

ヴァイオレット:病院コーラに任す 何だかんだでイザベルと良い感じの凸凹コンビ関係続く

ロザムンド:イーディスを表と裏からサポート そして完遂

ザベル:熟年再婚ハッピーエンド 旦那病気は軽いものと判明 しかし義息子夫婦との関係微妙

ローズ:なんか印象なかったけどとりあえずハッピーエンド 戦争と平和にも出てたな

カーソン:手の震えから執事引退もうあかんヨナ宣言ロバートの慰留を受けアドバイザー就任

ヒューズ:カーソンと結婚新婚旅行にもいく 最終回でカーソンをチャーリーと呼ぶ

バロー自殺未遂を経て性格が軟化 ダウントンでカーソンが退いた執事の席に就くことに

トム:シビルの死を乗り越えメアリーの夫と中古車販売業を共に開業し夢いっぱい 子供も順調に育っている

ベイツ:警察から嫌疑解消しアンナとのすれ違いも乗り越え子宝に恵まれハッピーハッピーエンド

アンナ結婚後も終始Mr.Batesと呼び続けていたが最終回でついにジョンと呼ぶ

モールリー:学識を認められ教師採用され新たな住処も得る 最後には報われて良かった

バクスター精神的な自立を獲得 モールリーとは付かず離れずも良好な関係が続いてる

パットモア:宿屋始めて巻き込まれ波乱も乗り越えハッピー デイジーの義父となんか良い感じ

デイジーアンディーとどう接すればいいか良く分からんけど少しずつ心開く 髪切ってドライヤー使う

アンディー:字が読めない劣等感自暴自棄にもなったがバローサポートなど受け徐々に自己肯定感を高めデイジー距離縮める

クラークソン医師微妙に重い責任のある微妙ストレスフルな立ち位置が続く イザベルとは友人関係のまま

スプラット:イーディスの発行する雑誌コラムを書く仕事兼業する 同僚にチクられるもヴァイオレット曰く全然かめへんでー

ブライエン:シーズン途中で役柄のせいでリアル嫌がらせを受け降板 ひどい話である

2016-12-04

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツグルペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

「総統の意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツの占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツが占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実、東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体は特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間で捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車か冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊なパイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領下ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室へ直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方に建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校と政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所へ移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

何で薬は苦いのか

子供病気になり病院ビオフェルミンを貰ってきた

粉薬かあれ苦いよなー大丈夫かなーと与えてみたら、子供もっと欲しいと大喜びで飲んだ

ああ、見た目は変わらないけど子供用は甘いのかと安心するとともに、何で大人用は苦いのかと疑問が湧いてきた

甘くても効き目があるなら大人用も甘くてもよくない?

苦い薬が嫌いなあなたに甘いビオフェルミンとか普通に売れると思うんだが

思い込み

前に、とある増田仕事中に泣いていた。仕事がうまくいかない自分が歯がゆかったからだそうだ。

そして、その増田が先日また仕事中に泣いていた。

私は、

「辛いと思ってもいいけど、泣くのは自分が決めてること。あなた負けず嫌いから、それを良い方に活かして、うまくコントロールできるようになるといいね

みたいなことを伝えた。

しかし、先日の涙が出たのは病気が原因だった。彼女はしばらく休むそうだ。

私は思い込みで、彼女がまた悔しくて泣いていると決めつけて言葉をかけた。

彼女はこの発言をどう思っただろうか。

思い込み判断して発言して申し訳なかった…。

2016-12-03

病気無職の人

が、実家住まいのまま生活保護を受けられればいいのにと思う


まあ病気じゃなくてもだけど


家族が支えきれないパターンって同居しててもあるんじゃないのだろうか


その場合に無理に別居するのもなんか変な気がする

http://anond.hatelabo.jp/20161202175615

誰でも病気や怪我はしますし。

「心身まとも」っていうのは簡単に見えてハードル高いんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20161203073540#tb

うん、女→男の方が求める水準が低いね

旦那病気になったら放り出すなんて鬼畜女はそうそういないだろうし

http://anond.hatelabo.jp/20161203194209

人として最低限の思いやりがあって差別をしない、清潔感のある見た目

の人はちゃんと仕事出来てるんじゃなかろうか…

病気とかなら仕方ないが…

http://anond.hatelabo.jp/20161203183047

そりゃ、「精神の安定」なんていう、いつ維持できなくなる可能性もあるものを求められてもねえ。

病気になったら離婚、ってことでしょ。そんな相手結婚できるか。

しかも「メンヘラは女ばかり」という決め付けは偏見に基づく差別である

統合失調症には男女比は殆どないってよ

http://mental-web.net/2016/03/17/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87%E3%81%AE%E6%82%A3%E8%80%85%E4%BA%BA%E6%95%B0%E3%81%A8%E5%89%B2%E5%90%88%E3%80%81%E7%99%BA%E7%97%87%E5%B9%B4%E9%BD%A2%E3%81%A8%E7%94%B7%E5%A5%B3%E6%AF%94/

ASKAって冤罪だろ


俺ははじめから信じてたぞ

これからもずっと潔白であってくれ