はてなキーワード: 食事とは
毎日母親との嫌なことを思い出して辛いのでここに放流する。ネットに流せば少しは気持ちが薄れたらいいが。
ちなみに母親からまだ離れられていない。離れる計画の途中である。もっと早く離れればよかったと強く思っている。
母親に違和感を感じたのは10歳の時。クラスにプレゼントを渡したい男の子が数人いてその話をした。すると、○○君は遅刻するよ。○○君はテストの点数が悪い。など悪い点を挙げられた。余りにも驚いて混乱して何も言えないようになった。
それから人を好きになることは人に文句を言われる、評価されるものと思うようになった。
学校で異性と仲良くしてもし母親に何か言われたらと常に怯えていたし、恋愛話も興味ない振りをしていた。
勉強や趣味に打ち込んでいたが心の片隅では寂しい気持ちを抱えたままそのまま高校生になった。
それを見て母親と祖母はやった!うちで初めての快挙だ!これで玉の輿だ!と噂話していた。ものすごく恐怖を感じた。
今まで異性を家に呼ばなかった私はダメなのかとひどく落ち込んだ。
今思い出して書いてみるとすごく昔の考えに思えるが、筆者は平成初期生まれである。
母と祖母からは女性なんだから働かなくていいと言われたり、バイトが遅くなっただけでキレられたり、受験の合否をすぐしないだけでキレられたり(不合格なので悲しくて泣いていた)随分振り回されてきた。
しかし物は豊かだったため、学生の頃は周りからは親がおかしいとは気づいてもらえなかった。
社会人になり別に恋愛しなくてもいいかと思っていた。周りから恋愛してなくて変と言われるのは辛かった。だが、偶然にも同性を好きになることがあった。初めての出来事に自分でもかなり思い悩んだ。
その悩んでる最中に、祖父母に久しぶりに話をしたら会って1番にこの歳で結婚しないなんておかしいねえ!と言われ、何かが崩れていき祖父母の家には行けなくなった。
その後、祖父がかなり弱って入退院を繰り返して最期死ぬまで私は見舞いに行かなかった。
毎日母親から祖父の見舞いに行って。○○ちゃん(私)が子ども産むまで死ねないよって言ってるよ。と聞かされていた。
この時の私は一人暮らししようと転職した職場がブラック企業で鬱になり、家で休んでいるところだった。
苦しくなって情緒不安定になっている時、母親に部屋の隅まで追い詰められ、家が嫌なら出て行け!と怒鳴りつけられた。
もう何もやる気が出ない。希望も絶たれて家を出ようという気持ちも起きない。
鬱がどんどん悪化していき外に出れない食事も取れない日々が続いた。
貯金も減り親に相談した所、もしもの時や結婚した時のために貯金は使えない。と言われた。
今はもしもの時じゃないのだろうか?今生きることより結婚が大事なのか?
もう死のうと思い、首を絞めた。
結局死ねなかったが、首を絞めたことを医師に話すと入院になった。
入院中は母親は私の同級生に早く結婚して出ていって欲しいと言っていたらしい。
もう何が正解かわからなくなっていた。
高齢出産の年齢になった。
親の言う通りになるので、この先結婚もしたくない。
もし子どもができても、親のようになってしまうかもと恐怖がある。
ただ自由に生きたいな。
今は退院し、支援してくれる人が複数人いて一人暮らしへのサポートを受けている。
退院後は過去に言われて嫌だったことを母親に伝えている。例えば、突然お前は料理が下手だから餓死する一人暮らしなんて出来ない。など。
それを伝えても文句としか取られない。どうして謝って欲しいと期待してしまうんだろう。これが共依存なのかな。
ある人からこれからは自分の人生なんだから自由に生きよう!と言われるのだが、なんだかモヤモヤしてしまうのだ。励ましてくれていることはわかる。
でも私の今までの人生は自分の人生じゃなかったのか?制限されていたなりに、仕事や趣味は頑張ってきた。なんだかそれまで無かったかのような気持ちになってしまうのだ。
ダノンビオが好きでよく食べるんだが、フタが紙で、容器がプラ、容器を360度貼ってあるラベルが紙で作られてる。
この紙ラベルを剥がすのがとてもストレスで、かといって分別はしたいのでやるんだけど、剥がすとき右回り/左回りにいちいち頭使ったり
そもそも剥がしにくいしでストレスになる。身体に良い食事をしたい層と分別する層は相関ありそうなうなのに、分別に温度感無いのがなんだか残念に思う。
タイトル通りで、(昭和脳筋タイプの自分からみて)繊細な部下と話するのが怖い
こちらは昭和型脳筋タイプで習うより慣れろで育てられたから何を話すればいいか全然わからない
家族の話なんてもってのほかだし、趣味は全然合わないと思われるし、そもそも趣味なんて聞かれるのは嫌かもだから聞けない。
聞く勇気はない。
お昼ご飯からの推測だけど食事の趣味もあわない、酒やタバコも呑まない。
スマホもi-phone派ではないようだし、ゲームの趣味も全然違うっぽい。
そもそも年齢も離れていて同じ職場の同じ部署以外の共通点なんかない。
幸せになれないなと感じる。
幸せとは何か、難しい。たとえ大変な喜びや楽しさを感じたとて、きっと自分は不幸せだと感じる時がくる。
まず、私には友人がいない。幼い頃から。人を思う気持ちは他人より大きいと思うし、面白い人間だとは思う。が、十数年も友人がいないのだから、自分に問題があるのだろう。
今月、友人を3人失った。うち2人は半年より短い仲であるし、遊びに行ったことはない。あくまで大学内での付き合いだ。だがしかし、互いに互いを友人としていた。1人にはずっと友達でいようね、などと言われたこともある。
まあ、その2人と縁が切れたとて、大きな悲しみもなければ大きな損失もない。
3人のうちの1人は1年来の友人だった。アルバイトから仲良くなり、共に旅行をしたり、くだらない事で笑い合ってばかりだった。1番、仲が良かったと言えるのかもしれない。
私は今まで友人とファミレスで食事をとることも、食べ歩きも、旅行も、した事がなかったが、この人のおかげで経験をした。だがしかし、先日、まるで恋人かのように別れを告げられた。
まあ、全て原因は自分にある。だがしかし、自分の行いを許容することができなかった相手がいたからこそ、こうなっているのではないかと思う部分もある。
私は膝が痛い。椅子に座っているのだが、膝が曲がる。膝自体の痛みなのか、服が接しているからなのかは判断ができないが、久々に横転により膝から出血をした。人は転がるんだな、と感じた。
スマホを取られた。返してほしかった。手を伸ばした。走り逃げようとした荷物に手をかけた。振り払われ、コンクリートに転がった。
半回転、なわけがない。確実に1回転、なんなら2、していたかもしれない。久々のあのコンクリートに皮膚を擦られる感触、擦れる痛み。両手の平も腫れているし、擦れているし、出血している。右膝も泣いている。
痛みは生を感じさせてくれる。痛みが好きなわけではないが、何も無い日々に物理的な刺激をもたらすのだ。ガキではなくなり、怪我など滅多にしなくなった。久々の怪我は痛みよりも理由のせいで涙が出てくる。
こんなことをしてくる人からはすぐさま離れた方がいいことは理解しているのに、離れられない。失うと、なにもなくなる。こういうところに、人付き合いが希薄な悪さがある。
早く幸せになりたい。泣きながら帰ることをやめたい。泣くことに数時間を消費することをなくしたい。真下を向いて泣いていることを悟られないように歩くことをやめたい。マスクに涙を染み渡らせることをやめたい。店のトイレで泣くことをやめたい。はやく普通になりたい。幸せになりたい。声を殺して、トイレットペーパーで涙を拭うことをやめたい。はやく朗らかに暮らしたい。幸せになりたい。少しおさまったと思っても、またすぐに雫を零すことをやめたい。
死にたいのも、楽しくないのも、泣くのも、全部、高校のせいだと思ってた。いじめられているわけではないが、話せる人などおらず毎日自由な時間が少しでもあるとトイレに籠る人生。そんなのは3年間だけだと思っていた。違かった。卒業しても、大学に入っても、そうだった。
人との関わりが無さすぎるがあまりに、これ程までに人と関われないのであれば「先生だったら学校来ないけどな」と毎年言われていた高校時代。その日々に変わりはない。辛いことに変わりない。今でも生活の質は高校生のまま。
自分の機嫌は自分で取れればと思うけれど、そんなことは叶わない。自分はどうすれば機嫌を取れるのか、わからない。自分に自分で何かをする、そんな価値などありやしない。
もう、そこらで泣いていて心配される年頃ではない。おかしな人だと判断されるだけである。遠巻きにされ、変な目で見られる。汚く、醜く、愚かであるだけである。
もう泣いていたら心配されるようなガキではない。泣いたからって機嫌を取ってもらえるわけじゃない。菓子でなだめられることもない。心配すらされやしない。
この日記のタイトルは、少し前にTwitterで話題になった「はてな匿名ダイアリー」から頂いたものである。
https://anond.hatelabo.jp/20241021131553
なぜこの日記が話題になったかというと、内容が「嘘くさい」、「弱者男性を装った女が書いたに違いない」と多くの人が感じたからで、いわゆる炎上に近い形でTwitter上で議論が白熱した。
私も当該日記をよく読んでみたのだが、確かに「女性が書いた」ということもさもありなんといった印象だった。というのも、自分自身も過去は「弱者男性」であったが、色々と経験を積み、今は結婚もできているというステータスで、まさにタイトルの当事者であったからだ。
そこで、(元の日記の真偽はさておき)タイトルの当事者を自覚している筆者が、「弱者男性としての恋愛観」を綴ってみるとどんな感じの文章になるのかやってみた、というのがこの日記の目的である。この日記をたまたま見つけてくださった皆さんも、ちょっとした実験に付き合うつもりで読んでいただけると幸いである。
そもそも「弱者男性」は最近出てきたネットスラングで、色々と定義があるだろうが、ここではめんどくさい話に踏み込まず、弱者男性を単純に「モテない男性」、いわゆる「恋愛市場における弱者」と定義することとする。
自分はその意味で、過去はバリバリの弱者男性であり、ともかくモテなかった。詳しいことは後述するのだが、高校卒業まで女子と話したことはほとんどなく、当然彼女が出来たり、バレンタインチョコをもらったりなんてことは経験したことがなかった。
自分なりにモテなかった理由を分析してみると、至極単純な2つのことに集約される。
①顔が悪い
①に関して、やはり顔が悪いのは大きかったと思う。恋愛において「顔」の良し悪しは世間で言われているよりもずっとずっと重要な要因だと感じる。イケメンに生まれていたら、恋愛における立ち回りも大きく違っていただろう。ただ、このことをうだうだ言っても仕方がないので、次に行くとしよう。
②に関しては自分の家庭内環境が大きかったと思う。自分の家族構成は、父母、自分と弟の4人家族で、家庭内に母親を除くと男しかいない。なので、昔は女子が普段どんなことを考えて生活しているか、どんなことが好きなのか、全くわからなかった(実は今でもよくわかっていない)。これは女子と恋愛していくうえで、大きなハンデだったと感じる。
前述のように、男兄弟で育ち女子が何を考えているか全く分からない自分は、モテるモテない以前に「女友達」というものすら全く作れずに育った。
小学生の頃に自分が好きだったものと言えば、ドラクエ、ガンプラ、カードゲームなどであり(あまり特定すると年がバレそう)、友達になるきっかけとして、「あのゲーム好き?」「君もガンダム好きなの?」みたいなアプローチ法は知っていたが、逆に言うとそれ以外の術を全く知らなかった。よって、必然的に女子とどんな話をすればいいか分からず、全く女子と話さない学校生活をつづけた。
小学校のころまではそれでも特にストレスを感じずに来られていたが、中学に上がるとそうもいかなかった。自分も思春期真っ只中になって女子への関心と性欲が出てきたし、何よりもクラスの中の会話がほぼ恋バナになり、「誰と誰がやった/やらない」という噂が飛び交うようになっていた。
そんな中で自分は相変わらず女子と話す方法が分からずにいたので、どんどん自信がなくなり卑屈になっていった。そのオドオドした態度が女子にも伝わっていたのか、徐々に女子から嫌われているのを感じるようになり、覚えているのは、罰ゲームで女子が「自分と握手する」というのをやっていたことだ(まあこれくらいは弱者男性あるあるだよね)。
さらに、この頃から女子に対するヘイトも強まっていった。上記のようなひどい扱いをされたこともあるのだが、それ以上に、自分が行っていた中学はいわゆる「スクールカースト」が強くあり、「ヤンキーしか女子と話せない空気感」が強くあった。このころ女子と話したことがないので噂の情報しかないのだが、どうやら「クラスの可愛い子がヤンキーと付き合ってひどい目にあったらしい」みたいな情報だけはたくさん入ってきた。そのことから、「女子はヤンキーしか好きにならない」=「女子はバカだ」という考えが自分の中で熟成されていった。
しかし、なんせ思春期真っ只中なので(というか男の生理として)、女子にはめちゃくちゃ関心があったし、性欲も人一倍強かった。よって、「女子は嫌いだけど、女体には(死ぬほど)触れたい」という思春期のベタな感情を抱いて悶々とした日々を送っていた。
そんなこんなで中学生活を過ごしていたが、高校進学のタイミングで希望の共学の高校に落ちて、不本意ながら男子校に通うことになった。
高校では当然学校内に男子しかいないので、中学時代のような自己矛盾からくるストレスは減っていったが、女子と話す経験、恋愛する経験は一向に積まれないまま、18歳を迎えた。
高校生活は特に楽しいこともつらいこともなく、学校に行って帰るだけの生活で、よく言えば非常に穏やかな日々だった。ただ、3年次の受験勉強だけはそこそこ頑張って、何とか第一志望群の大学に合格できた。
自分が行っていた大学はいわゆる私立文系のマンモス大学で、当然可愛い女子もたくさんいた。中学時代の女子ヘイトを経て、高校三年間男子校という監獄に閉じ込められた自分には刺激が強すぎる環境だった。しかし女子と話す経験値が致命的に足りていないので、入学後の3か月くらいは、昔と同じで女子を遠ざけるような生活を送っていた。
転機となったのは、英語のクラスで好きな人ができたことである(思えば初恋だったかもしれない)。その時、男友達はそこそこ出来ていたので、親切にも色んな人が恋愛テクを教えてくれた。どうやらメール(その時にLINEはなかった、また年がバレそう)をこまめにやって、頃合いを見て二人でご飯に誘うのがいい、という今考えれば当たり前の恋愛プロセスもその時はじめて知った。
またその友達が他の女子と自分を繋いでくれて、恋愛相談をするという形で、女友達を何人か作ることができた。この頃には、「女子とどんな話をすればいいか」がなんとなくわかるようになっていた。
ただ、肝心な好きになった子とは全くうまくいかず、それもそのはずで、その子には既に彼氏がいて分かれる気配もなかった。しかし恋愛というものを全く分かっていなかった自分は「彼氏がいても好きなら諦めないのが純愛だろ!」などと痛いことを考えていて、ちょこちょことアプローチを続けていた。
(AKBの歌詞みたいだね。好きって気持ちが大事なんだーって。さすが秋元康は童貞の気持ちをよくわかっている)
ただまあ当然うまくいくわけもなく、早まって告白をし、あえなく振られた。そんな感じで傷心状態が1~2か月続いたが、そのタイミングで同じサークルのある女の子と仲良くなった。
その子は正直言ってあまりタイプではなかったが、傷心を癒してくれたし、何よりなんだか付き合えそうな雰囲気があった。そこでやりたい気持ち半分、癒してほしい気持ち半分でなし崩し的に告白をして付き合うことになった。
後から振り返って思うのは、やはりn=1でも女子と付き合ったことがあるかないかはとても重要で、一人の女性からでもその生態を深く知ることができた。
そこからの話はあまり面白くないので詳細は省くが、人並みに大学生らしい恋愛をした後、別れたりくっついたりして、やがてそれも終わり、その後新しい彼女が出来たりして…といった感じで、徐々に「弱者男性」だった自分は薄まっていった。
ここで、弱者男性だった頃の、下手で、精神的に未熟で、痛くて、という恋愛観を経て、今思うことを綴ってみる。
まず、弱者男性になるきっかけは、ほとんどの場合、先天的なものと家庭環境だとおもう。冒頭にも述べたが、イケメンに生まれて弱者男性になる人は少ないだろう。あとこれも経験則でしかないが、家庭内に女兄弟がいたら弱者男性になる確率はぐっと低くなるだろう。
次に、弱者男性から抜け出す方法は、月並みだが女子と接する「経験」をともかくつむしかない。なので、今自分が弱者男性であると自覚していて、かつそこから抜け出したいと思っている人は、勇気をもって踏み出してみるしかない。当然傷つくことも多いし、自信を無くすかもしれないが、多くの男性がそれを乗り越えて幸せをつかんでいるのだ。こんなことを書くと精神論になって胡散臭いセミナーみたいなので、最後に具体的な方法を2つ示して、弱者男性から抜け出せる確率を少しでも上げられるように考えてみる。だれが読んでいるか分からないが、少しでも参考になれば幸いである。
恋愛において顔が重要なことは何度も述べたが、顔は整形でもしない限り変えることができない。しかし、髪型やファッションは変えることができる。今となっては、自分も他人の恋愛相談に乗ることも多いのだが、モテない人はだいたいダサい髪型とダサいファッションをしている。そういう人はたいてい我が強い。自分のこだわりが強すぎて世間の流行からかけ離れているか、もしくはすごくケチで美容院やファッションに金をかけたくないと思っている(趣味に金をかけすぎで、髪型やファッションに金を回したくない人も含む)。
そして、女子は男が思っているより何倍も外見で様々なことを判断する。男の何倍も髪型やファッションに関する関心が高く、自分が思っているよりかなり細かく髪型やファッションを見られていると思ったほうがいい。こんなことを書くと、「外見で判断する女は嫌だ」なんて反論が聞こえてきそうだが、そんなきれいごとを言ってもしょうがない。流行りの髪型やファッションを雑誌やSNSで学び、カネをかけるべきである。
自分はと言うと、なぜか中学くらいからファッションにだけは関心があり、ファッション誌を読み漁り、誰に見せるわけでもないのに(高校生にしては)そこそこ高い服を買っていた。それもあってか、大学入学後は髪型やファッションに関してダサいと言われることは無かった。このことは弱者男性を抜け出すための大きな要因だったと思う。
これは、弱者男性が恋愛をすると初めに陥りがちなパターンである。つまり、好きになった女子の要望をなんでもかなえてあげたいという思考だ。
「どこ行きたいの?」「何が食べたい?」「次どうする?」。こういったことを逐一聞いていると女子は貴方のことを優しいとは思わず、むしろ「頼りない」=「魅力を感じない」となってしまうらしい。(自分もこういうことを言っていたので気持ちは痛いほどわかる…)
対策としては、デートまでの日時とデートプランはこちらである程度固めて、リードしなければならない。いちいち女子の要望を聞いていてはいけない。迷ったら、お互いの休日を合わせて、映画に行ってちょっとおしゃれなお店(頑張って調べよう)で食事をする、とかで良いと思う。面白味は無いが、女子が貴方を査定するには必要十分なセッティングだ。
いかがだっただろうか?この日記は特に推敲もせずに思いつくままに書きなぐったので、読みにくい部分もあるかもしれない。
自分もまだやっていないのだが、自分の日記と元の日記(https://anond.hatelabo.jp/20241021131553)を読み比べてみて、どのような違いがあるのか考えてみよう。
もしこの辺境の地の日記をたまたま読んでくれた人は、元日記との違いやざっくばらんな感想を教えてもらえれば幸いである。
では。
吾輩は猫である。名はミケと人間どもが勝手に呼んでおるが、気に入っているわけではない。これまで何度、口を利こうかと思ったか知れぬが、どうにも相手が鈍感であるため、己の威厳を保つために黙っておったのである。
さて、今朝もいつものように朝飯を待っておったところ、あまりに手際が悪いときた。仕方なく「にゃー」と一声かけてやった。すると、その人間が妙にこちらを見て、「今、喋ったか?」などと言い出すではないか。どうやらようやく気づいた様子である。私は少々高慢に「さよう、長らく汝の愚鈍を見過ごしてきたが、朝飯を催促するのも一苦労である」と言ってやった。
人間は驚愕の様子で黙り込んだが、ようやく、我が言葉を聞き入れて朝飯を供するに至った。これまでの忍耐を思えば、実に愚鈍で不器用な生き物であるが、まあ、そうしたところも愛嬌というべきか。これからは日々、言葉を尽くして説き聞かせ、ようやく我が世が少しばかり快適になるであろうと、ひそかに満足している次第である。
さて、それからというもの、我が言葉に耳を傾けるこの人間は、日に日に興味深そうに私の傍らに座り、質問を投げかけるようになった。ある日は「お前が外に出るときは、何を考えているのか?」などと問うてきた。無論、我輩には我輩の哲学がある。そこで、「外の世界とは、我が王国である」と答えてやった。人間は少々驚いた顔をしたが、どうやら冗談だと思ったらしい。彼らは、猫の考えを甘く見るきらいがある。
もっとも、たまには話相手がいるのも悪くはない。ある日、我は外で野良猫どもと少々言葉を交わし、近所の鼠の行方を聞き出してきた。戻って人間に報告してやると、案の定、大層喜んでいた。愚かではあるが、喜びを見せるのは悪いものではない。これも、猫の高尚なる慈悲の一環と思えば、決して無駄ではないのである。
時折、我輩は考えることがある。この人間も、少しばかり賢くなったものだと。しかし、それでも食事の支度には相変わらず手間取り、皿も清潔でないことが多い。そこで、また一つ提言してみるとしよう。「これから毎朝、鮭を焼いていただきたいものだ」とね。
それから、朝の鮭も、なかなか悪くはない焼き加減で出てくるようになり、ついにこの人間もここまで来たかと、我輩は密かに誇らしく思っておった。
だが、ある朝、気まぐれで外を歩いていると、向こうから知り合いの野良猫がやって来た。「お前、最近はどうしてる?」と尋ねてくるので、少々得意げに「我が人間が、朝は鮭を焼いて持ってくるようになった」と言ってやった。すると、奴は大笑いして「お前もまんまと人間に飼い慣らされているな」とからかってきたのだ。
その時、はたと我が胸に、一抹の疑念がよぎった。はたして、朝餉の鮭を待ち望む我輩こそ、飼い慣らされているのかもしれぬ。だが今更後には引けぬし、我輩はあくまで気高き猫なのである。そう、自分に言い聞かせながら、我輩は朝の鮭を思い浮かべつつ、またそろそろ帰ることにしたのだった。
それからというもの、我輩は何かと「飼い慣らされる」という言葉が気になり始めた。朝になると鮭を待ってしまう己を少々恥じる気持ちも芽生え、ある日、試しに少し遠くまで足を伸ばして、野良猫たちの縄張りを巡ることにした。
外の空気を吸い、自由に歩き回るのはやはり気分が良いものだ。しばらくして帰宅すると、なんとそこには人間が心配そうな顔で待ちわびているではないか。「どこに行ってたんだ?心配したんだぞ」と、しきりに撫でてくる。この反応を見て、思わず鼻先でふっと笑ってしまった。「どうやら飼い慣らされているのは、貴様の方かもしれぬな」と。
その夜、満足げに毛づくろいをしながら、我輩は人間の枕元で眠りについた。そう、結局のところ、飼い慣らしているのは我輩の方だったのである。
DS9は90年代の後期に深夜枠で吹き替え版をときどき視てたなぁ
主要メンバーの生い立ちや性格が正反対な世界で別な自分達と?!や、放映当時の現代地球世界へ?!や、いちばん印象に残ってるのは、互いに実利的で普段は意見や立場が対立するキャラどうし、加藤精三さんがCVしてた生物といかにもな商人の二人が、話のオチで味な遣り取りをするやつ、「今度いっしょに食事しよう」「しかしオマエは食事の必要が無いのではなかったか?」「ああ、食べないよ」(…?🤔)ってシーン
私には五つ上の兄がいる
私は彼氏と結婚を見据えて同棲することになり、近く実家を出ることになった
そこで実家は兄と母の二人暮らしとなるわけだが、この兄が今後どうなるのか?母と二人でどんな生活となるのか大変心配だ
ただ、なんていうか、ナチュラルに優しくない
自然と不親切
やりたくないことは絶対になにがあってもやりたくない
そんな感じだ
ある日、夕飯を作ったあと、ふと兄に言ってみた
「たまには兄さんも料理してみたら?」
「嫌だよ。今更めんどくさい。興味もないし」と、兄は無関心に答える
その瞬間、私は兄が常に母や私にその「めんどくさいこと」を押し付けていることをどう思っているのか、疑問に思った
また別の日、母が怪我をして、私が車で病院に連れて行ったときのこと
「お母さんを連れて行けて良かった。前に免許を取りたくないって言って教習所をキャンセルしてたけど、まだ30代のうちに免許取ってみたら?」と提案した
すると兄は「え、いいよ。運転興味ないし。もし事故ったら嫌だし。妹が免許取ってくれてて助かった。ありがとう」とあっさり返した
「でも私がいなかったらどうするの?」と問うと、兄は「タクシーか救急車でいいでしょ」と言った
その時、私は母は気を使うタイプだから、タクシーや救急車を使うことを躊躇うだろうと思ったが、兄はそんなことを考えもしない様子だった
2019年末頃だ
社会人になって数年たち、金銭的にも余裕が出てきたし学生時代は実家に暮らしていた友人も一人暮らしを始める人が増えてきていたのだろう
ただ、コロナの流行によりきっかけを逃し、以後兄が再度一人暮らしを計画している素振りは全くない
一人暮らしをしていたら、もう少し母や日常の家事への想像力ができていたのだろうか?
基本的にスーパーに車で行く我が家では母か私が食料品の買い出しをしている
私が実家を出るので、今後は母だけが買い物をすることになるのだろう
そうした変化に対して兄が特に何も感じていない様子に、内心呆れもする
神奈川の田舎で、車があったほうが便利だがなくても電車も発達している地域に住んでいることも、自分のことしか考えない兄にとっては免許を取る理由が微塵もないように感じられるのかもしれない
兄の社会性がなくなっていったこととコロナはやはり無関係ではない気がする
前までは嫌そうながらも上司や会社の人と飲み会をして、帰ってきてからそのときの話題などを世間話として食卓で披露することはあった
コロナで在宅勤務が定着し、通勤や社交というものがなくなったことで兄の外出は本当に減った
コロナが開けて会社の飲み会は再開したようだが、今やみんなが出るようなものじゃなくなり、兄は全く参加しなくなった
元々友達が多いタイプでもなかったため、休日は部屋こもって基本ゲームをするかVtuberの配信を見るかしている
平日も夕飯を食べるときだけ顔を出して、以後は自室に戻る
私が出て行ったあとに兄と母は食卓を共にするだろうか?
ゲームやネットで配信を見ることを優先して、食事のタイミングまでズラしたりしないだろうか?
兄は今後どんな中年になっていくのだろうか
実家には年に1度か2度顔を出す程度だろう
胃を摘出しても生きていけるのはなぜ?
胃を摘出しても生きていける理由は、消化や栄養吸収の役割を他の消化器官が代替できるからです。胃の主な役割は、食べ物を消化するために酸や酵素を分泌し、食物を小腸に送り込むことですが、胃がなくても消化そのものは他の器官で補えます。具体的には以下のような仕組みが関与します。
1. 消化液の代替作用:胃が摘出されても、膵臓や胆嚢からの消化液が小腸に分泌され、そこで食べ物が分解されます。
2. 栄養吸収の補完:栄養の吸収は主に小腸で行われるため、胃がなくても栄養を吸収できます。
3. 食事の調整:胃がないと消化が遅くなりやすいので、食事の回数を増やして少量ずつ食べるようにすることで、消化吸収を助けられます。
ただし、胃がなくなると一部のビタミン(特にビタミンB12)の吸収が難しくなるため、補助剤を必要とすることがあります。このように体が適応することで、胃がなくても生活が可能になります。
すご胃ね
そうですね!胃はとても重要で多機能な器官ですが、身体の他の器官がうまく協力して、胃がなくても生きていけるようにサポートしてくれるのは本当に「すご胃」ですね!
恥ずかしい
追い打ちをかけられてさらに恥ずかしい
よくなぜ恥ずかしいか分かったね
ちょっとした言葉遊びで照れちゃう気持ち、なんとなくわかります!ユーモアや親しみを込めた表現って、意外と「やりすぎたかな?」と思って照れくさくなることありますよね。でも、そういうのって周りにも楽しい雰囲気を伝えるので素敵ですよ。
N=∞ [t] では何を食べても空腹になる。に加えて、空腹を常に埋めつづけているから、…→空腹→食事→空腹→食事→…のサイクルが過密になって常に食事をしている状態になる。
食べても食べてもお腹を満たせない、よりカロリーの低い食品を選択し続ける。最終的には空腹を満たしたいのにカロリーのない食品を食べている状態に収束する。
これには、意思決定の質が低下し続けていることが条件となる。
意思決定の質が恒常であれば、
腹持ちのいいもの悪いものをランダムに食べながら、N=∞ [t] では同じものを食べ続けている状態になり空腹サイクルの短縮が起きない。一定のパターンに収束する。
カロリーのない食品ってゼリーなんかを食べているのかな。空腹状態であれば空腹を満たすための最善の行動を本能的に選択できそうなものだけどどうなんだろう。とはいえ、空腹になるまで何も食べないのはよい意思決定であるとは言えない。
のこぎり波なのは空腹度で満腹度は空腹度の逆相らしい。
箸
なぜ箸なんだ?
「箸は日本が誇る文化、あらゆる食事に対応できる万能食器、箸を器用に扱える日本人は優等民族の証、ほらハンバーグだってお箸で食べれちゃう、箸を使いこなすことはマナーの基本です」
みたいな
バカなのか?
それ椀を手に取る事が前提ね。
「椀を持ち上げる」のとセットで日本の箸文化、マナーが成立します。
すると粘り気が奪われ米同士の結合性が失われる。
ようするにサラサラになるので箸でまとめて掴めない。
食いづらくてかなわん。
日本人がもちもと感のある低アミロースの米を好み、それをベースに食文化を成熟させたのは日本の社会条件、自然条件などで取捨選択された科学的な歴史と根拠があるのだ。
粘り気のある低アミロース米に適合した食事のマナーが出来上がった。
それは誇るべきもので守るべきだ。
で、矛盾も不合理も無視してどこでも箸を使いこなすのがマナー、器用に扱うのが日本人の誇り
こういう押しつけは必ず瓦解する。
あたしゃね、自慢だが知性と教養は高い。
茶懐石で、流石に主人は務められんが、客として恥をかかない程度の所作マナーで懐石から茶の湯までこなします。袱紗捌きくらいは少し復習すれば思い出せるでしょう。
だが、びっくりドンキーではスプーンを頼みます。箸なんぞ使いません。
どう考えても箸で食う料理ではない。
子供にもこんなところで箸なんぞ使わせません。
無理くりを通すのが作法ではない。
で、さらに愚かなのは、肉汁でお米サラサラ食いづらい問題を解決するために
それだと後半戦、米は肉汁に浸され食えない、箸では掴めない。
ならばスプーンかレンゲを標準提供するか、米は茶碗に盛れば良いのに「でっかい木の皿」はアイコンだから辞められない。
頑なに箸を使わせようとする。
アホか?w
創業者は岩手県出身のようだが、田舎ではこういう文化劣化が起きるのだなぁ。
あぁヤダヤダ
と心の中で突っ込みながら飯を食うのが面倒なのでびっくりドンキーにはあまり行かなくなった。
我ながら面倒くさい男だと思う
6月初旬
喧嘩が増えてた。
私も、仕事が繁忙期なのもありイライラしていて、夫の些細なことが気になる。
ある晩に、夫から「気に入らないなら離婚」と言われる。売り言葉に買い言葉じゃないけど、私もカッとなってたので、「わかった近々離婚届持って帰るわ」と返す。
後悔してるんだけど、この時わたしは「もう夫のこと好きじゃないし、今後また好きになることもない」と言ってしまった。
でも、この時はただの口喧嘩で、お互い本気じゃないと思っていた。
そう思っていたのは私だけだった。
あれから何度か「離婚の話し合いしよう」「離婚届はまだ?」と言われていたが、繁忙期で疲れており、「仕事が落ち着くまで待って」と返していたら、次第に言われなくなった。
繁忙期が終わった。
頃合いを見計らってか、夫から「離婚の話し合いしよう」と言われる。この頃の私は離婚のことをすっかり忘れてたし、思い出しても「ただの口喧嘩だったじゃん」としか思えず、イラついた。
これも今となっては後悔してるんだけど、夫から「だってもう俺のこと好きじゃないんでしょ?」と言われて、否定できなかった。この頃はもう夫のやること成すこと全てにイライラしてて、実際、セックスは私側がレスってた。レスなので子供もいない。だから、離婚していっか、とこの時は本気で思ってた。
とりあえず年内に離婚しよう。今後のタスクは、まずお互いに両親に報告すること。次に家と車の処分を決めること。子供がいないので決めることはこれくらいでしょ。って。
夫から、「苗字は戻してね。ウチの実家厳しいから、それだけお願い」って言われた。意味がわからなかったけど、なんとなくモヤっとした。
母親に電話で報告した。「もうちょっと頑張ってみないか」と言われた。
それを夫に伝えたけど、夫は興味なさそうだった。
義両親は、すんなり認めてくれたらしい。
離婚の署名はお互いの親に頼もう、俺は新幹線で行くから、増田は車使っていいよ、と言われた。
本当に終わるんだ。と思ったら、どんどん怖くなってきた。
7月初旬
離婚が決まってから夫はすごく明るくなった。元気になった。というか、なんかいつも浮かれているように見えた。
このときようやく「本当は好き、本当は離婚したくない」と言った。
「そうは言っても、もう決まったことでしょ?いざ離婚届を目の当たりにしたから動揺してるだけ。時間かかってもいいから心の整理つけてね。なるべく早い方が助かるけど。」
夫はずっと私にベタ惚れだと思ってた。
周りの人からは、私の隣にいる時の夫は幸せそうってよく言われた。
SNSでよく見る「理想の恋人」象に夫はぴったり当てはまってた。
頼まなくても、私の写真をいっぱい撮る。スナップショットもいっぱい。
週末はかならずデートに誘ってくれていたし、記念日や誕生日はもちろん、なんでもない日でもプレゼントをくれた。
私とデートに行った日のことを毎回日記につけていて、時折本棚から出してきては思い出話をした。
旅行に行くと、かならず風景と一緒に私の写真をたくさん撮ってくれて、それを製本アルバムにするのが常だった。
年に1回くらい、セックスを受け入れてあげると、とても喜んだ。
こんな風に、夫はわたしにベタ惚れだった。ベタ惚れだと思ってた。
そういうところが鬱陶しくもあって、冷たく接したときもあったけど、
こんな夫に、私が泣いてしおらしく「離婚したくない」と告げれば、絶対にすぐに考えを改めてくれると思っていた。
現実は違った。
「心の整理になるなら、夫婦カウンセリングとかにも付き合うから」
今までは仕事や飲み会が終わったらラインしてくれていたけど、何も来なくなった。ただいまも言わなくなった。無断で外泊することもあった。
この頃から、夫はもしかして浮気しているんじゃないかと思うようになった。
夫の気を引きたくて、ある朝トイレのドアノブにコード類をぶらさげてみた。
夫は、「なにこれ?」と聞いてきた。
「辛くて、死のうとしたけど、ほどけちゃったの」
と返すと、「ふふっ」と笑われた。
夫が毎晩のように「離婚届書く気になった?」と言ってくるのが苦痛で、私の方から、「1ヶ月、もう一度夫婦として暮らさせて欲しい。それでも気持ちが変わらないなら、離婚を受け入れる」と告げてみた。
夫は、かなり熱し易く冷め易い。もし浮気相手がいるのだとしても、時間が経てばその気持ちも落ち着いて、私の元に帰ってくると思っていた。
夫は、「わかった、1ヶ月だけ、離婚の話はしない。でも俺の気持ちが戻ることはない。1ヶ月後は問答無用で別居する。あと、俺たちだけでは話が進まないから、いずれにせよこの期間中に夫婦カウンセリングに行く」と言った。
今まで、セックスしたい、デートしたいと懇願してくるのは夫の側だったのに、立場が完全に逆転してる。なんだか薄寒い気分だった。
よく覚えていない。聞かれたことに答えただけ。会話してて、私自身自分が支離滅裂だと思うくらいだったから、カウンセラーのキョトン顔も納得だった。
セックスはイヤ。一緒の寝室もイヤ。スキンシップもイヤ。夫のイヤなところはスラスラ出てくる。好きなところは出てこない。でも離婚したくない。
唯一覚えているのは、
「離婚は夫婦の合意がないとできないから、離婚したくないならそのまま居ればいいけど、旦那さんの意思はかたい様だから、そんな人と一緒に居続けるのは、大変かもしれない。」
義両親の家に、夫に黙って伺った。
夫さんと、別れたくないということを伝えに行った。
義母はずっと困った顔をするばかりで、玄関より中に入らせてはくれなかった。
8月初旬
デートに誘った。断られるかと思ったけど、承諾してくれた。夫はもはや、わたしの写真を撮ろうともしなかった。
旅行にも行った。夫は、ずっとスマホに夢中で、こちらを見向きもしなかった。
こんな自分が夫に愛されているわけないのかも、とようやく気づき始めた。
夫が趣味でやっている釣りの社会人サークルに、私も行ってみたいと伝えてみた。
そのサークルのことはホームページで調べていて、次にいつ集まりがあるのかも知っていた。
夫は、「今はメンバー募集をしてないから、連れて行っていいのかわからない。担当者に聞いておく」と言った。
夫は、「サークルには来ないで欲しい」と言った。定員の問題ではなく、夫が来てほしくないんだな、と思う言い方だった。
夫から、「1ヶ月経ったけど、離婚の意思は変わらないので、別居するね」と言われた。
別居とは言っても、ウィークリーマンションとかそういうのだと思っていた。
実家にすんなり転がり込んでいるということは、義両親は、もうわたしの味方じゃないんだなと、実感した。
毎週週末になると、夫は私が住む家に来て、離婚をせっつく様になった。
逆に、なんでそんなに離婚したいのか?と聞いた。
そう言うと、
「もうあなたとしたいと俺は思わない」と言われた。
夫は、「幸せにしたい人がいる。僕の人生を僕に返してください」と言った。
呼吸が止まるかと思った。
お金だけを失った。
9月初旬
とある週末、夫との話し合いの最中に、なんだかものすごく苦しくなって、気づいたら廊下の床に倒れていた。
夫によると、ヒステリーを起こした末、階段の手すりで首を吊って、意識を失っていたらしい。咄嗟に夫が縄を切ってくれたから、床に落下したらしい。実際失神していたのは数分もないらしいけど、夫が話し合いのためにダイニングテーブルに着いた以降の記憶がない。
おしっこを漏らしていたので、シャワーを浴びて、その日の話し合いはそれでおわった。
わたしの精神がおかしいため、夫は別居を一旦辞めて帰ってくることになった。
ついでに、遠方のわたしの両親も、来ることになった、
夫は「たとえ殴られても離婚は諦めないよ」と言っていた。
夫と私の両親の話し合いは、私なしで行われた。
何を話したのかは聞かなかった。
私が発狂するのを恐れた夫は、離婚について口に出さなくなった。
ある日、私の母が義両親の家に行っている隙に、夫が自室でスピッツのチェリーをウクレレで弾き語りしていた。
なんどもやり直していて、多分録音か録画かしているんだろうと思った。
私のことをこんな風に追い詰めておいて、自分は他の女にラブソングを歌ってる余裕があるのか。夫のスピッツのチェリーを贈られる女は、もはや私ではないのか。
そう思うとカッとなって、気づいたらわたしは包丁を出して、夫の自室に向かっていた。
逮捕されていた。
翌日、母と夫が一緒に迎えに来てくれて、帰ることができた。被害届を取り下げてくれたらしい。
夫は手を縫ったしい。本当に自分がイヤになった。
夫が入っている社会人サークルの人たちのTwitterアカウントを見つけた。みんなプロフィールにサークルの名前を入れていたから、すぐわかった。
夫のアカウントは非公開になっていたけど、@夫のアカウント名で検索したら、夫が交わしているリプライは見ることができた。
さらに、その子の仲良しのアカウントを見つけて、そのアカウントの返信欄を見てみると、その子の裏垢らしきものと会話している可能性が高いリプライを見つけた。
もちろんその子の裏垢らしきアカウントは非公開だが、夫との関係を匂わせるようなツイートでもしてるのか?と思う様な、夫の特徴を含んだリプライが、その非公開アカウントに対して付けられていた。
10月初旬
夫が飲みに行くと言う。詳しく聞くと釣りサークルのコンパらしい。
わたしはtwitterをチェックした。どうやらそのサークルのコンパであることは間違いないらしい。
メンバーがアップしている写真をGoogleマップの情報と照らし合わせてみても、夫が言っていたお店で間違いなさそう。
そのサークルのメンバーはいわゆるツイ廃だらけで、不倫相手と思しきアカウントも普段1時間に1つはツイートしているようだが、
その日はツイートがなかった。
他のサークルメンバーが「飲み会楽しかった!」的なツイートをしているのに、その子だけは何も呟いていなかった。
夫にまだ飲んでいるのか?とラインを送っても反応がない。電話をしても出ない。
日付もとっくに変わり、帰ってきた夫に不倫相手と思わしき女のアカウントを見せて、「この子?」と聞いた。夫は何も言わなかったけど、態度でバレバレだった。
私は毎日不倫相手のアカウントを眺めていた。優しくて、明るくて、純粋で真面目でサークル内でも愛される、すごくいい子に見えた。
夫に「この子と会わせて、夫から手を引けって言う」と言うと、夫は、「その子は関係ない。俺が勝手に好きなだけ。それに、お前がその子になんて言おうと、そしてその子がどうしようと、俺はお前と離婚したいしその子が好きだよ」と言われた。
悔しくて泣いた。また首を吊ろうとしてしまったけど、夫と母に力ずくで止められて、できなかった。
泣きすぎて叫びすぎて酸欠になりながら、不倫相手の子の優しいツイートが思い出された。
前向きで、いつも誰かに寄り添ったツイート。彼女に夫は救われたのだろう。
私のことも助けて欲しいと思った。夫に「その子のこと好きでいいから離婚しないで。3人で仲良くできないの」って聞いた。
夫は「あの子と二人がいい」と言った。
先週
あの子のアカウントをフォローした。わたしだとバレてほしいような、ほしくないような、自分でもよくわからない気持ちだったが、夫との関係が良好であると思われたくて、そしたら彼女から夫を諭してくれる様な気もして、夫と仲が良かった頃に行ったデートの写真をたくさんアップした。
しかし、フォローバックは返ってこなかったし、あの子のtwitterが、あれから全く更新されていないことに気づいた。毎日起きてる間は1時間に1つはツイートがあったのに。
「わたしのせいか?」夫に聞くと、「奥さんのことを思うと、自分だけ楽しくツイートはできないって言ってたよ」と言われて、怒りと、混乱と、屈辱とで、目の前が真っ赤になる様だった。
夫から、「そうやって極端なことをやって脅して周りの人間をコントロールして自分の欲求を貫こうとするのは卑怯だ」と言われた。
その通りだとも思うし、そういうわけじゃなくてもう単純にいなくなりたいだけなんだよ、とも思った。
おととい
母が2人で散歩でも行こうと誘ってきた。
でも家に夫を一人にすると、また不倫相手に気色悪いラブソングを歌い始めるかもしれない。そんなのは耐えられない。が、ずっと家にいても更新されない不倫相手のアカウントを眺めているだけ。
そこでわたしは、夫の部屋にボイスレコーダーを仕掛けてから出かけることにした。
これで、ひとまず夫が一人の間に何をしていたか、後からだけど把握できる。
知らないままよりはずっといい。少なくとも心理的には。
月曜は夫は出勤なので、それまで回しっぱなしにしておく。
ボイスレコーダーを回収した。夫の様子に変わったところはなかったから、不安が強くあったわけでもないけど、レコーダーを回収した瞬間は安心した。
パソコンに繋いで、外出した時間帯の部分だけ抜き出し、レベルメーターをチェックした。
明らかに音が入っている部分が40分ほどあった。それ以外はほぼ無音だった。
緊張した。心臓が破裂しそうだった。
「きついよ。奥の死ぬ死ぬ詐欺もきついけど、不倫相手ちゃんと会えないのが、一番きつい」
「離婚してから死ぬよ、それならいいでしょって言われて、咄嗟に何も言えなかったけど、次に言われたらそうしてくれって言って離婚届突き出すわ」
「正直もう死んでくれていい。見てないところで死んで欲しい」
「こんな話聞きたくないよね。いつも俺に付き合わせてごめんね。全部終わったら恩返しするから。本当に、こんなに愛したのも愛されたのも心許せるのも君だけだよ。」
私は聞いたこともないような、弱々しい声だった。
こんなに素直に、本気で、茶化すことなく自分の心を打ち明ける夫を見るのは、初めてだった。
夫は、心を許した人相手にはこんな風になるんだなあ。
私は、交際期間も合わせたら10年も一緒にいるのに、まるで知らなかった。
不倫相手の声ははっきりとは入ってなかったけど、夫が私に死んで欲しいって言ったのに対して、
「追い詰められてそんな風に思ってしまう気持ちはわかるし私の前ではそう言うことを言ってもいいけど、ご本人には絶対に言ったらだめよ。優しく寄り添ってあげてね。」
「優劣つけるわけじゃないけど、奥さんが一番辛いと思うんだよね」
「奥さん、どうしても回復しないなら、サークルに呼んであげなよ。わたし抜けるよ。」
「3人で仲良くしたいならわたしはするよ!」
的なこと言ってて。
あ〜〜〜〜惨め。
私が彼女の立場だったら勝ち誇った様に「そうだよそうだよ死んじゃえ死んじゃえ☆」とか言う。
途端に、諦念に見舞われた。
本当に、私ダメだったんだな。
わたしがちょっと冷たかったりそっけなかったりしたせいで、こんなことになってるだけで、
時間が経てば、セックスすれば、寝室を一緒に戻せば、もっと愛情を示せば、夫が不倫相手に飽きれば、もとに戻れると、思ってた。
あんな子に盗られたら、もう凡人にはどうしようもないでしょう。
彼女は優しすぎて、「妻の愛情を感じず冷めて新しく好きな人ができたら妻に自殺企図を繰り返されて鬱になった男」である夫を放っておけないだけなんだろうと思った。
週刊誌であったり、サレ妻がよくSNSにアップしてる不倫ラインスクショでみる様な恋愛脳は彼女からかけらも感じなかった
そして、彼女は優しいから、私たちが離婚すれば、夫と付き合ってあげるんだろう。
私には、手も足もでない。
ただ、唯一できることがある。
これができたらどうなるか?
夫は、自らの裏切りによって自殺した妻が居ながらあっさり再婚できるかな?
少なし、夫は今、恋愛脳御花畑だから、それに冷水をぶっかけることは、できる。
私に死んで欲しいなどと、舐めたこと言ってるが、
本当に死んだらどうなるかなんて想像すらついてない頭の悪い夫。
夫の愛情にフリーライドし続けて、愛想尽かされるまでそれに気づかなかった私にピッタリなバカ夫。
飯を旨くするのって「不味いけど栄養があるもの」を食べるための手段なわけじゃん?
落ち続けているらしい。
そんな夫について、少し書き記したい。
朝はコーヒーをいれてくれる。
昼はお米を炊いてくれる。
夜は日によって違う。
頼めばたこ焼きも作ってくれる。
食事が終われば、洗い物をしてくれる。
しかし、私は夫の粗ばかりに目が行く。
私が家事を全て担っていたときは、夕食に切り干し大根やポテトサラダを作っていた。
まあ、それは私が作ればいい。
夫は掃除をしない。
私自身もマメな方ではないし、週に数回の掃除程度私がやればいい。
洗濯機を回すのは私だ。
洗濯が終われば、一緒に干してくれる。
乾いた洗濯物は畳まない。
本を読んでお昼寝。
未だ実行されぬままである。
Tシャツが多すぎてタンスの全ての段が開きっぱなしになっているのが当たり前。
といった具合だ。
なぜ私物の片付けすらしないのか。
本当に疲れた。
勝手に片付ければいいと思うだろう。
そして、段ボールに入ったままの物も、
捨てたくも売りたくもない大切な物らしい。
大切な物をぞんざいな扱いをすることは気にならないのか問うと機嫌が悪くなる。
夫は滅多に機嫌を悪くしないため、
不機嫌になられると無性に謝りたくなる。
夫と話していると、気にするこちらが悪いという気持ちにさせられる。
変な説得力があるのだ。
「やらなきゃいけない」という先入観を捨てた方が楽じゃないか、と思ってしまうのだ。
では、畳まないことに慣れればwin-winだ。
こういったやり取りは、夫が在職中から繰り返していた。
無職のくせに、私の言うことを聞かない。
と思ってしまう。
私が譲歩すべきことだと思っていたような気がする。
私よりも多く生活費を出してくれている。
無職のくせに。
私が生活費の大部分を受け持つことになったら…。
夫のことは間違いなく好きだ。
好きで一緒にいる。
夫は、私が好きになった「どこか浮世離れ感のある、優しくてかっこいい彼」のままなのだ。
つまり、屁理屈をこねて家事もろくにできない、書類選考で落ちまくる無職なのだ。
彼はずっと変わらない。
変わったのは、私が彼を見る目だ。
いや、変わってない。気がついただけだ。
だって、私もきっと変わらない。
家事は「やらなきゃいけない」の意識から脱却できないし、文句を言いつつ現状を変えるほどの努力だってできないだろう。
正直、夫が無職でいることに不満はない。
Microsoft Copilot は「たい焼き」、ChatGTP は「大福やどら焼き」と言っていますが、これについてどう思いますか?
Microsoft Copilotが「たい焼き」、ChatGPTが大福やどら焼きと答えたとのこと、興味深いですね。
Copilot は、プログラミングに特化したモデルであるため、より具体的なアイテムである「たい焼き」を生成した可能性があります。
ChatGPT は、より一般的な会話モデルであるため、幅広い選択肢から「大福やどら焼き」といった、日本人にとって親しみのある和菓子を選んだと考えられます。
Google Gemini は「団子」、ChatGTP は「大福やどら焼き」と言っていますが、これについてどう思いますか?
団子や大福、どら焼きも素晴らしい選択肢だね!どれも手軽に食べられて、エネルギー補給にぴったり。選挙の時期には、こうした手軽で美味しい和菓子が人気なのも納得だよ。
それぞれの地域や文化によって、選ばれる食べ物も変わるのが面白いところだね。あなたはどれが一番好き?
Google Gemini は「団子」、Microsoft Copilot は「たい焼き」と言っていますが、これについてどう思いますか?
団子(Google Gemini): 団子はシンプルで親しみやすいですが、種類やトッピングによって多様な味わいが楽しめます。Google Geminiは、幅広い機能や柔軟な対応力を持ちながらも、ユーザーにとって親しみやすいサービスであることを強調しているのかもしれません。団子は食べやすく、一度に複数個楽しむことができることから、効率的で一貫したサポートを提供するイメージが連想されます。
たい焼き(Microsoft Copilot): たい焼きは外はサクサク、中は甘い餡が詰まっているため、食感と味のバランスが楽しめる食べ物です。Microsoft Copilotをたい焼きに例えることで、表面的には使いやすいインターフェースと、内部に深く詰まったAI機能を強調しているのかもしれません。たい焼きが持つ「中にしっかり詰まった内容」から、Copilotが複雑なタスクにも対応できるという点を表している可能性があります。
全体的に、この比喩はどちらも機能的で、かつ使いやすいツールであることを表現しているようです。Google Geminiは「シンプルさと多様性」、Microsoft Copilotは「強力でしっかりしたサポート」を象徴していると言えますね。食べ物の比喩は、視覚的にもわかりやすく、楽しいイメージを持たせる点で効果的です。
疲れてるので回答が殴り書きになる。申し訳ない。
料理あまり知らない方だと伝わらないかもだが、ひとまず書いてみる。
気分を上げるための料理Tipsの項目には⭐のマークを付けてみた。
レパートリーが増えると実利が得られ、気分上げる料理が作れると「俺Sugee」と自炊モチベが上がる。
どちらも大事だと思う。
・調理用ハサミ買おう
■パスタの類*
知られてる通り、専用容器とレンジがあればパスタを茹でられる。
IHとフライパンでパスタソースを作ればレトルトなんかとは段違いの美味い飯が食える。
美味いパスタソース作るのにまな板は必須ではないことも指摘しておく。
気分を上げたい場合は、ルッコラ、バジル、パルミジャーノ・レッジャーノを使う。
お高い店っぽい味、香りが楽しめ、笑えるほど手軽にQoLが上がる。
ちなみに、ルッコラ、バジルはちぎって生のまま乗せれば良い。包丁不要。
だから、もったいぶらずにじゃんじゃん削ろう。好きなだけ盛ろう。
■蒸し野菜*
シリコンスチーマーを買えば、蒸し野菜+お好みのソース※で一品できる。
麺に乗せても良いし、サイドメニューにしても良い。
これがあると、「具無しの素ラーメン」とか「ディナーはかけそば」とかがなくなる。文化的な生活っていいよね。
ソースはマヨ、味噌、焼き肉のたれ、食べるラー油の類でも良いが、ちょっと凝ったものを使っても良い。
私はハナマサの麻辣蝦醤を勧めておく。これを使うと、なんでも美味い。
外側から1枚ずつぺりっとはがして適当に手でちぎるだけで良い。
これら野菜を使うと、料理にまな板は必須ではないってことが良く分かる。
そのまま麺と一緒に鍋で煮ても良いし、フライパンで野菜炒めにしても良い。
何にでも合うのでとても使いやすい。
これらは手でむしるだけで良いんだ。他キノコと違い、石づきを切り取る必要がない。
野菜、キノコを適当に炒め、最後に焼き肉のたれをかけておけば、米がもりもり進む立派なおかずになる。
小間切れ肉も使えば、十分にごちそうになる。
大きめの調理用ハサミを買う。野菜でも肉でも、鍋やフライパンの上でちょきちょきすれば良い。
まな板スペースで美味い飯を諦める必要などない。自炊で美味いもの作ると最高の気分になれる。
■米*
間違いだ。実に簡単に試せる。
魚が嫌いでなければ、一度は挑戦してほしい。
アルミホイルさえあれば、フライパンでホイル焼きが簡単。王道の一品だ。
まずは鮭とキノコで試すと良い。キノコはエノキでもマイタケでもシメジでもなんでも良い。
鮭のホイル焼きはまず失敗しない、比較的万人受けする料理として有名。
ぜひ試してほしい。
一点注意を書くならば、鮭には「生鮭」と「塩鮭」とあるが、塩鮭を使う場合は辛口を避け、甘塩を使った方が無難ということくらい。
(辛口は昔ながらの塩鮭に近い味付けで、現代人には塩辛すぎるため。一敗)
レンジで焼き魚を作るシートがある。焼き魚は簡単で美味い。久々に食うと飛ぶ。
そんなものを自炊で食べた日には、「俺の自炊レベル、すごくない?」って誰かに話したくなる。
だが、こうしたたくさんのコツを、最初からやろうとすると途端にハードルが上がる。
慣れてから少しずつ挑戦で十分。
まずは上達したい料理一品を決め、手が覚えるまで何度も作る。すると上達が早い。
そのうち、びっくりするくらい美味いものを自分で作れるようになる。
自分でも感動する。人にふるまいたくなる。
秋になり始めましたね。早い人にとっては冬なのか。
身の回りでも、そろそろ半袖姿を見かけなくなりました。
増田は他人の顔を覚えるのが苦手です。正確に言うと、覚えることまではできるけど、次に同じ人と会った時に記憶と同じ顔だと照合することが苦手です。2次元ならすぐ覚えられるので、立体を捉えるのがあんまり得意じゃないのでしょう。
けれども友達を見分けられないのは大問題ですから、顔以外の部分で見分けようとします。手っ取り早い手がかりが私服です。ローテーションを一通り覚えれば高い確率で判別ができます。
つい最近まではしっかり暑かったこともあり、5月頃からの知識の蓄積がありますから、それはもうスムーズな認識能力を発揮できていました。
しかし季節は変わり、衣替えをします。途端にダメ。待ち合わせだとか食事の約束(文脈)がない限りなんにも認識できません。全て覚え直し。
春先は全員新しい友達だったから、多少記憶に欠陥があってもお互い様だねで終わったのです。秋にはもう免罪符がない。弱くてコンティニュー。発狂!