はてなキーワード: 講師とは
思いだして欲しい、あなたは小さい時に誰かに頼まれたりしてとお願いされてした事で怒られた事はないだろうか
もしかしたら嫌だったけれど断れなかったのかもしれないし、単に怒られるような事だとは想像もつかなかったのかもしれない
そしてこんな風に怒られる「○○君にそうしろって言われたら何でもするの?先生が死ねって言ったら死ぬの?」
誰も死にたくはない、むしろこれは死にたくなかったからこそ他人の指示に対し自分で考える事なく従ったという側面も
あるのではないだろうか、幼い子供にとって親の存在は計り知れない程巨大だ、親にとっては大したことのない一言が
酷く子の精神に影響を与えもする、例えばこんな光景を見た事がないだろうか
と、誰しも一度や二度、いやそれ以上このような事を言われ泣き叫び許しを請う子供の姿を見た事はあるだろう
子供にとって親は絶対だ、従わなければどうなるのか、産まれてきたばかりの幼子は、親から見放されるという事が
即ち死を意味する事を本能的に理解できていて、必死でしがみつき傍に置いておいてもらおうと懇願する
そして、恐怖から逃れるために、従う事を覚え、親の言う事に対し判断する事や疑う事、自分の頭で考えて
本当に従うべきなのかどうなのかを考える事をしないようにする、なぜならそんな複雑な思考をまだ大した経験もない
小さな子供が行っても時間がかかるし、そもそも簡単には答えはでないし、判断の元となる経験がない
そんな思考をしている余裕があったら、怒られないようにするにはどうしたらいいか、そして“そのまま従う”事で
恐怖という問題から自分を守る、そもそもそうするのはよく聞くように“まだ分別のつかない子供”だからである
そしてその分別のつかない子供が“他者に従う事”を自分の判断で答えがでない事に対して適用しはじめる
それが、前述した「○○君にしろと言われたら何でもするの?」の答えだろう
決して何でもするわけじゃなく、自分の知識と経験で判断できない事だから従ったまでであり
死は生命の本能として理解できるからこそ自分が死ぬような依頼に対しては拒絶できるのだと思う
そして悲しきかな、幼児や児童はこういった思考に基づいていたとしてもそれを説明できるという事は稀であろう
それでは、親の立場になりもしかしたらしてしまっているかもしれない虐待、洗脳について考えてみよう
もしあなたに子供がいるならその我が子に対し何かを強制したことはないだろうか?
人間の子供はとても弱い、また弱く生まれる事で社会能力を吸収する期間を設けたともいえよう
そんな大事な吸収期間に強制を強いられた子供は何を身につけるだろうか
例えば、泣き叫ぶ我が子を無視したり、他の事を優先し後回しにし放置し待つ事を強制した後に面倒だなと感じながらあやしたり
例えば、親の都合、親の価値観で、託児機関に預け父母との別れの悲痛な悲しみを与え強制的に他人の下に預けたり
例えば、断乳、親の都合で設定した期間、個々の子供の成長速度を無視し周囲に合わせた機関が妥当だろうか
例えば、食事の強制、貴方の栄養管理が妥当だろうか、子供の舌は添加物などに敏感なのかもしれない
本当に必要な物を不味いと感じるだろうか、また逆に美味しいといって食べ過ぎる事から予想される弊害もある
例えば、教育の強制、お習字やそろばん、ダンス、水泳など、本当に行きたくて行っているだろうか、塾に行かせる理由とはなんだろうか
悲しい事だが、一緒に居る時間を減らす目的で教室や塾に行かせる親も居る
本当に子供のためになると思っての強制だろうか、また嫌々やった事でその子の身に付くのだろうか
例えば、子供はあなたが主観で選んだ玩具をすぐ飽きるかもしれないし、子供が自分で選んで買った玩具もすぐ飽きるかもしれない
飽きてはいけないのだろうか、飽きてなお面白くもない玩具で遊ばなければならないのだろうか
飽きるという事はその玩具の性質を理解したからじゃないだろうか、いつまでも何十年も飽きなかったらどう思うだろうか
また、もっとその玩具で遊びたいのに正当な理由なく時間規制を設けてそれを強制していないだろうか
子供は幼少期に満たされない満たされる事がないと判断した欲求を覚えると、成人後自分の自由でその欲求を満たそうとしても
満たせない可能性がある。テレビゲーム等の遊ぶ時間に厳しい規制があった人ほど、一生飽きることのないゲーマーになるのでは
ないだろうか
例えば、お手伝い、将来できないと困るという理由で本当は自分が楽したいという思いを達成していないだろうか
なぜ、皿を洗う必要がある、なぜ掃除をする必要がある、なぜ他人を助ける
自分のため、他人のためにそうしてあげたいという気持ちがあったからこそ生まれた人間の行動ではないだろうか
頼まれたからしなければならないのでもないし、命令されたからやらなければならないのでもない
それらの行動が自分また誰かの為になると思ったからこそする行為であり、人が人であるなら自然に発生する気持ちである
それらの気持ちが自然に発生するのを期待し待つ事をせずに、押し付けられ精神の発生過程にまで指令を下されたら
そうしてあげたいという気持ちが出て来難くなるのではないだろうか
してあげようと思っていたのに、言われてしまうとやる気がなくなるという気持ちはだいたいの人に経験があるだろう
その貴方の中に自然に発生した“言われるとやる気がなくなる”という気持ちが確かなものなら、きっと貴方の子供も
同じように思うはずだ、たとえ、たとえ自分の言葉、自分の文章構成能力でそれら意思を明確に親に伝える事が叶わなくても
世の中には様々な強制がある、どうして我が子にだけは怒りや不満の感情や、身体的痛みを与えたり想像させる事で強制してよいのだろうか
確かに子供は見境なくあっちへそっちへ勝手に行ってしまうかもしれない、親が安全を管理した危険の無い空間に留める目的で、子供を移動したり
柵を設ける事とは意味が違う、それらをしなければもっと危険な状況に陥りかねないからだ
では、果たして自分より強制力のある存在、保育園では保母や保育師、幼稚園教諭、学校なら先生、クラブなら監督やコーチ、塾なら講師
社会に出れば、上司や先輩、それらの自分よりも支配力のある人間に従う事、命令通りに行動する事が全て正しいのだろうか
自分の判断は介さないようにした方が自身の為になるのだろうか、確かに、判断材料に欠けたり判断の時間がなく言われた通りにしなければ
ならない事をあるだろう、しかし本来の目的と違っていたり、当初の約束とは違う事を貴方は支配者から要求されるかもしれない。
貴方は“貴方自身”を大事にしているだろうか
例えば、お使いや使いっ走りを貴方の意思を問うことなく頼まれたり命令されたり
例えば、何か他の誰かに迷惑になるような行為を業務上させられたり
例えば、人格を否定されたり
確かに、自分で考えることなく上からの指示や強制、命令を疑う事なく実行する能力は、奴隷として非常に優秀かもしれないし
統率者の倫理感、目的達成能力、社会正義に適っていて、貴方の想像を超えて貴方自身にとっての幸福にもなるのなら良いのかもしれない
しかし、どうだろう
筆者の主観かもしれないが、言える所で本当の気持ちを言ったり、不満ばかりがたまっていないだろうか
貴方は貴方の本当の気持ちを大事にしたいからこそ、そういった本音や不満がでるんじゃないだろうか
何かが間違っている、そう何か漠然とした思いがあるんじゃないだろうか
共感、他者を感じる事、他社の気持ちを自分のことのように感じる事
他人の喜びや楽しみを自分のことのように喜び楽しみ、他人の悲しみ、苦しみを自分の事のように悲しみ苦しむ
そんな人として大事な感覚をなぜかあまり使わないように使わないようにする親子関係が非常に多いのではないだろうか
社会生活は複雑で多重に絡みあっている
何かの社会的生活様式や行動を子供に理解させるのは非常に難しいので
本来の順序説明が面倒になり端折って、簡単な怒りや痛みから守る事を動機にした
行動の理由説明をした方が楽なのかもしれない
貴方は怒る時、怒る感情の理由や前提として
気持ちの奥底に“悲しみ”がないだろうか?
例えば、子供がそんあ方向に行ったら大事な子供が怪我をするかもしれない
例えば、そんな計算能力や文字の汚さでは将来誰かの為に何かしたいと思った時にそれをできないかもしれない
例えば、食の偏りが身体の健全な発達を阻害して、不健康等の元となり病気などで苦しむかもしれない
きっと、それらの起こりうる未来を想像し自分も悲しくなるし、子供にそんな思いをさせたくないと思うから
親として教育しなければならないと思っているはずだ
子供は自分が素直で正直である以上に、親である貴方にも素直で正直であることを望んでいる
大人になると他人の前で悲しんだり涙を見せるのは、恥ずかしい事かもしれない
でも子供の前ではどうか素直になってほしい、正直になって欲しい
たとえ貴方の説明が難しくて理解できなくても、表情や態度から何かもっともな理由があるのだろうと理解するだろうし
そういった経験がいずれ本当の理由を理解する時の助けになるはずだ
まず、親である貴方自身が自らの“悲しみ”“苦しみ”に素直になって、そう思うからこそ
子である貴方にもそんな思いはさせたくないと、させたくないからこそそうして欲しいんだと伝えてあげて欲しい
そして、これを読まれている貴方は、既にそんな時期はもう過ぎた、子育てはもうしてしまった終わったよと思う方もいるかもしれない
そうならば、貴方の娘や息子も貴方と同じ苦しみを将来の子育ての中で感じるかもしれないし、子育ての最中であるなら
今まさにそういった思いを感じているかもしれない
人はコミュニケーションを取る動物だ、その能力だけで今の社会を築きその恩恵に預かっていると言えなくもない
是非、素直な気持ちで過去を振り返り、その思いを子や娘と共有して欲しい
ここまで読んだ貴方にはその勇気がある、過去を振り返り、もし乗り越えて成長したいという思いがなければ
こんな駄文をここまで読む事はなかっただろう、人はいくつになっても成長できる
よりよい自分を想像し、また過去を振り返り思いを共有すべきだと考えるからだ
そう考えるからこそ他人の書いた文章を読み、自分の経験と照らし合わせ、そして何かを得ようとしているじゃないか
僕は貴方が本当にしたい事をすべきだと思うし
みんながそうあるべきだと思う
どこかで何かが少し噛み合わなかった事で、自分で考え、自分で判断し、自分の思いを成す事を
阻害してしまいっている要因があるのなら、それは自分の手で取り除く事ができる
とても勇気の入る事だ、自分自身を振り返るただそれだけでも既に多くの勇気を振り絞っただろう
メール、手紙、チャット、電報、FAX、また人から人へと間に人を介して伝えたり
人は様々なコミュニケーション手段を持っている
貴方が貴方の思いを誰かに伝えるだけでも、貴方は成長できるだろう
それは今日かもしれないし明日かもしれない何ヶ月後、何年後かもしれない
私が私らしく貴方が貴方らしくあるべきであるように、皆がそうあるべきだ
自分に正直に、自分に素直に、そして周りの人間にも素直に正直に
そういう世界を創っていこう。
@awaikumo
その通り。本人のスペックがいくら高くても、採用自体がもうまったく全然ないとか、都道府県によっては数年間そういう状態が続いたりしてた。
…にも関わらず、地元の教育大学の定員が変わるわけではないしね。どうしろ、と。講師世代は本当に報われない。
最近は、若干採用が回復しつつある(団塊世代の退職により)。で、過去からのいきさつや不況のお陰で採用試験の受験者のスペックはいろいろ高くなってる。まあ、優秀な人が教員になってくれるのはいいが、いざ採用されて現場に行ったとき、「ちょっと上の頼れる先輩」世代が全くいない。20代の上はいきなり40代後半とか、そういうレベルになるので、今度は
・基本スペックが違うので、話が合わない
・そのせいで職場のコミュニケーション不足も含め、意識の共有が難しい
・経験や指導技術の継承しなきゃいけないけど、うまく伝わらない
・「ガリガリ仕事したいが指導力低い若者」と「指導力高いが家庭妻子にリソース割く必要からガリガリ仕事したくない中堅」ギャップ
教職員の採用については、俗に「定数法」と呼ばれる法律があり、それに基づく各都道府県の条例に基づいて、正採用の教職員の数は明確に決まってる。具体的には、現行の定数法は1クラスを40人としているので、仮にとある都道府県に40000人の生徒がいたら、クラスの数は1000。そうなると、各クラスには担任副担任2名を置くので、正採用できる教職員の数は2000人ということになる。基準の適用の仕方は色々あるし、小学校の定数は最近若干変わってきているし、他にも自治体独自で作る枠もあるし、一方実際のクラス数はもっと多い(全ての学級の「上限」が40人なのだから、それより数の少ないクラスもある=実際のクラス数は40で割ったより多くなる)が、とにかく、大体そんな感じに「正採用の人数」は決まっている。
で、統廃合のときどうするかだけど、当然「いつ」統廃合するかは決まっているから、計画が決まるあたりから採用調整を行う。子どもの数は出生数から分かるわけだから、将来的にどのくらい学校が必要か不要かはある程度分かっているわけで、それを見越して採用調整を行う。特に、この20年間くらいは、子どもの数の急激な減少期だったりしたから、学校の統廃合も激しく進み、相当の採用調整を行う必要があった。
かといって、雇っている教員のクビをぽんぽん切れるわけではないので、教員の数を減らすには、原則「早期退職」とか「定年による自然減」に拠るしかない。統廃合前にそれをある程度進めないといけないので、たとえばある学校を一つ統廃合する前の年には、その一校分くらいの教員数を減らし終わってる必要がある。だから、大体その前年まで採用数を減らして教員の数を減るに任せる必要がある。だから、前年くらいにはその都道府県の中に(足りない分を補う)期限付き講師があふれるという減少が起こるというわけ。まあ、学校を廃校にすると言っても、いきなり全学年が消えるというつぶし方をしなくてもよい。新1年生が入ってこない状況にすれば、教員数は1学年ずつ減らしていくという手もあるから、講師による調整数も、せいぜい1学年分ずつということにもできる。それでも、この10年くらいは、複数の学校を一気に統廃合する関係上、さすがに調整きかない分もあるためか、定年後の再雇用枠とか、教育委員会内への出向とか、研修センターで研修とか、まあいろいろ無理矢理な調整をする必要があることもあった。
上の増田が書いてる「2クラスに教師が3人」というのは、色々勘違いがあって、そもそも「1クラスに2人」が標準だから、2クラス3人ならむしろ教師が足りないことになる。多分(主たる)担任のことを言ってるのだと思うが、3人の教師が付くのは、学級担任とは別枠の何かとして配当されているという事情によるのであって、「教員が余ってるからぶちこむ」とかそういう事情とは違うと思う(そんな余裕はない)。多分、片方の担任の指導力に不安があるとか体調不安があるとかクラスに発達障害の子どもがいるとか、まあそんな事情だろう。
それにしても、期限付き講師は、昔は採用に際し有利になることもあったようだが(逆に、前評判が出回って不利になる人もいたと噂に聞くが)、今は特にそういうことも原則ないと思うので、そうなると本当に、採用試験に受からない限り、使い捨てである。色々と問題は多いと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120126110004
交通費、資料の準備、やりとりのコスト、情報の最新化、市場の狭さ、リピート率の低さ、
オーダーメイドになる内容
もうちょい常識的に考えて欲しいよね
資料の準備、店の品の把握、事前準備で二、三時間
この時点で一万でも時給1000円未満ですよw
手元に二万五千円くらい残るならやるかもしれないけど(それでも安いと思うが…)
貧乏人には時給1000円とか高いのかもしれんけどいい大人はそんなん無理なのは当たり前だよな?
ほんと馬鹿過ぎて哀れになるわ
・柔道団体
「柔道を必修化しろ!講師やらせろ!柔道人気で道場の月謝を増やせ!柔道家が国会議員に選ばれてるんだぞ。これが民意だ」
・政府
「しょうがないなあ。有識者会議でも開いて決定するか。柔道だけじゃ目立つから、ダンスも必修化するよ」
・マスコミ
「柔道の必修化か。おっ、柔道は事故が多いぞ、これは愚民が面白がるに違いない。記事にしちゃえ。対策や指導が不十分だった可能性があり、問題となりそうだ、と。なりそうというか、問題になると面白いんだけどね(笑)」
・普通の人
「柔道は危険なのか。でも、多少は怪我するのはしょうがないんじゃないの?」
・不満の捌け口を探している人
・マスコミ
「普通の人の意見報道したってつまらないし、センセーショナルに怪我した人を紹介しよう。教育現場はこのような危険な状態を放置して良いのでしょうか?子供の命はうんぬんかんぬん、とな」
「武道なんだからある程度の怪我はしょうがないだなんて言えない雰囲気だ。しょうがない、形だけ対策委員会を立ちあげて、そのへんの先生を呼んで指導させることにしよう。(でも、こんなので事故が防げたら苦労しないよね。まったく無駄な仕事だ)」
・マスコミ
「これで事故は防げるのでしょうか?責任はどうとるのでしょうか?」
「思いがけず起こるから「事故」なのに、責任なんか取れないよ。国が必修って決めた事だから柔道を辞める訳にはいかないし…そうだ、乱取り禁止にしちゃおう。これなら事故は起きない。」
・マスコミ
「○○市が乱取り禁止!これで柔道が学べるのでしょうか?日本発祥の武道が廃れる事が問題となりそうだ。」
・普通の人
「バカじゃないの?」
・不満の捌け口を探している人
「苦情がたくさん来た。これもニュースになるんだろうなあ。」
今そんな段じゃないんだよ。そこはノートにかじりついてる時間だろうが。
便所行って、飯かっ食らったら、入室の直前まで学んだ内容を頭に刻み付け続けるんだ。
その一挙手一投足がお前の点数を、受かる学校を、ひいてはその後の人生を左右するんだよ。
行く学校が変われば出会う人間も変わる。就ける職業の可能性も。
一年遅れれば生涯所得がいくら落ちるか。まるで分かっていない。
緊張を取るための仲間との雑談、そのような意識で使っているのか。まあそういう時代でもあろう。
しかし、終わった後に正答や解法がこうだ、出題者の意図がああだ、と議論している輩はなんなのか。
1日目終了時点でやっている者、これはもう度し難い。全日程終了後であっても同様に愚かである。
これは一部のバカが可視化されてるだけなのか、それともデータ取りに受験した予備校講師のぼやきか何かなのか。
提出してしまった答案はもう、お前の力の及ばぬところにある。
複数正答、得点調整の可能性など議論していても、詮無きことだ。
今お前のやるべきことは、答案や問題のことを考えるのをやめ、一晩くらいすっぱりと休むことだ。
そして夜が明けたなら淡々と採点をし、センター利用なら志望校絞り、二次試験ありなら個別対策へ頭を切り替えるのだ。
自分が学生の頃はセンター明けに振り返ってグチグチ言おうものなら、教師に窘められたものである。
わざわざ書くのも憚られるほど当たり前のことだが、さっさと前を向け。切り替えろ。
そうして、できることなら受験終了までツイッターなど携帯ごと捨てろ。
お前が撫で回してるそれは、そんなに素敵なもんじゃあない。
いちおう、一つだけ確認。
世の中、何事にも例外はある。言い方を変えれば多様性という奴だな。「日本企業は~」みたいな主張を、文字通り「全ての」日本企業に例外無く当てはまる話だと考えると、話がおかしくなる。
例えば、日本の大企業はダメとは言っても、名実共に日本最大最強企業であるトヨタなんかは、組織の大きさにも関わらずイノベーションを継続する能力を維持できているように見える(内情は知らないけどね)。
注目すべきは、構造と確率だ。学生が、自分の能力を活かせる職場に出会える確率は、その企業なり業界が置かれている構造に依存する。先の東大の講師が言いたかったのは、「日本で職を探すより、海外の方が能力を活かせる職場に出会える確率が高い」という主張だと解した方が良いだろう。
で、そこで「海外」と言った時に念頭に置かれているのは、君の言う通りアメリカ西海岸(シリコンバレー等)だろう。あの辺りは、相互扶助的なコミュニティーが出来上がっていて、成功者が失敗した者の再挑戦を支援する風土があると聞く。
だから、あの辺の連中は、エンジェルやベンチャーキャピタルから資金を調達してスタートアップをガンガン立ち上げ、成功すればイグジットして大金をゲットし、「ぶッ潰れ」ても再挑戦できる。
ただ当然だが、そうした場所で個人がチャンスを得るには、現地の起業家・技術者コミュニティに認められ参入できる程度の能力を持っていることが前提だろうと思う。先ほどの講師のコメントは、あくまで「東大の」「優秀で」「意識の高い」学生について述べているという点は忘れてはならない。
では、イノベーションを起こすことは日本の大企業ではもはや不可能なのか、ということなんだが、理論上は可能だろう。最近、イノベーションは「イノベーションのプロセス」から生まれる、という話がある(天才的な個人の奇抜な思いつきからではなく、という意味。ここでは説明しないので、興味があったら"The art of innovation"でググってみるといい)。そういた業務プロセスを基本に据えた組織へと作り変えれば、日本企業でもイノベーションを生み出すことはできると思う。
しかし、職場を探す(本当の意味で)優秀な学生がいた時に、日本企業の中で組織文化と戦いながら新たな業務プロセスを確立するために何十年も奮闘するのと、海外の流動性の高い土地でベンチャーに参加するのとどちらが良いか、と相談されたら、俺は明らかに後者を勧めるだろう。本人の幸せという意味でも、優秀な人材の社会全体での有効活用という意味でも。
では、それほど優秀でない奴は? まぁ、泥臭く地道に組織改革をやるしかないだろうな。
一つだけ注意点があるとすれば、「俺達には才能はなくても数で勝負だ」「皆で力を合わせて一丸となり(ry」とか絶対に考えないこと。人海戦術と親和性の高い業務プロセスこそ、君の組織の閉塞感を生み出している原因だ。ミッションをブレークダウンして組織の階層構造で業務を分割できる、という考え方は、つまり「仕事に貼り付ける人材は取替え可能である」という発想が根底にある。
専門性を尊重する評価体系を作ること。専門家同士が協同して業務を遂行するプロセスを回すこと。そうしたプロセスを回すプロジェクトに経営資源(決裁権、人事権、etc..)を委譲すること。これらが重要だと思う。
あと、「専門バカは視野が狭いからチェック機能が必要だ」みたいな意見には、間違っても耳を貸さないように。専門性の高度化がさらに進んでいる現代において、「ド素人の素朴な意見」が役に立つことは少なく、多くの場合、プロセスのスピードダウンという悪影響しか招かない。コミュニケーションコストの増大と、俊敏さ(アジリティ)の低下は、プロジェクトにとって最大のリスクであると認識すべし。
一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの。
第一部
1
死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。
2
僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっとも効率的に争いを終結させられる標的。
仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為の打ち切りを決断したことで、僕は気を病んでいる。
3
仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司の意図により隠されている。
4
標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。
ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。
標的Bはすでにそこにはいなかった。
第二部
1
彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。
ぼくの父も、かつて自殺したのだった。
標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦へ渡り歩いているようだった。
だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーのリピートの平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。
2
ペンタゴンに召集される。
そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人、学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。
彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。
ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。
3
死者の国の夢――「死体は物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。
幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。
4
ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語の講師をしている彼女の生徒として。
ルツィアに、「言語は進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。
5
チェコ・プラハで行方をくらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。
9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。
ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMITの学者だったが、いつからかDARPAの研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」
6
ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。
IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。
第三部
1
死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。
その夢でも、母さんが現れる。
「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。
……母さんが死んだのは、ぼくが認証でイエスと言ったときだったんだろうか?」
「あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。
でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断だから。
……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。
けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなたの決断によって死んだ。
私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」
2
夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。
そのクラブでは、IDを認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。
「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」
3
ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき、彼女はジョン・ポールと不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白。
罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。
死者は誰も許すことはできない。
4
「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女の心臓は再び動き出した。――危険な軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかったから?
決断の材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。
かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。
見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。
結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。
――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。
5
僕の告白に対してルツィアは、
「人間は生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だから、あなたは許されるべき」
ルツィアとの帰り道、気を失う。
ジョン・ポールによる電撃を食らって。
6
とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。
虐殺の言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。
7
ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。
〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシーと平和はトレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。
それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザとビデオクリップの平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから。
ジョンとルツィアは去る。
僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。
第四部
1
旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。
2
痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意を自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。
――「殺される」前の母さんと同じ、希薄な意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識の希薄さ。
この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。
3
4
ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。
その少年・少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。
5
ジョンは、
「私が行っている「虐殺の言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心を抑制する」と。
ぼくは、
「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」
ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。
僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。
リーランドはミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄な意識で戦い続けた。
第五部
1
インドでミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。
それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。
母さんのメタヒストリーがプロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。
リーランドがミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。
2
発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉のメタヒストリーの行き着く先。
〈ヴィクトリア湖沿岸産業者同盟〉は、人工筋肉の利権を得るために、独立しようとしている。
3
ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。
ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。
4(物語のコア)
ジョンは、
「虐殺も利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」
ルツィアは、
「あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているから虐殺の言語をばらまいているのね?」
ジョンは、
「いや、愛する人々を守るためだ」
――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカとチェコでは、それが起きていない!
5(物語のコア)
ジョンは、
「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。
ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカやチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺の言語をふりまいた」
ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。
ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界の平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。
と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。
ウィリアムズによって。
「なぜ殺した」と僕。
「妻と子のためだ。彼女らは、この世界が虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。
ドミノ・ピザを認証で受け取る世界、くそったれの平和な世界を、俺は彼女らのために守る」
ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。
ジョンとともに、逃げる。
「おまえを逃がせばまた、虐殺の言語を振りまくのだろう?」と僕。
「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界に真実を知らせよう」
タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。
彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。
僕は幼いころ、常に母さんに監視(ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在が記述されていない。
母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。
僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺の言語を語る。虐殺の言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。
そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。
僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。
☆改変版
ジョンは、
「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造の原理を知られれば、たかが言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミや政府公報で、いくらでも虐殺の言語を打ち消せるさ。
だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」
「なにをするつもりだ?」
僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。
〈エピローグ〉
僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。
それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。
公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。
ジョンから渡された「真実」をオルタナに浮かべて話そうとする。
すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログをオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。
幼少の僕は、母さんに監視(ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。
それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実のログ。世界からアメリカに憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシーの提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザとビデオクリップの平和の外を知ろうとしないことで起こると。
ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。
……だが、アメリカに憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。
ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺の言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国と小国の視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。
ジョンの考えと僕の考えは違う。
母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカからの存在しない視線を小国が期待するように。
存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺の言語と、僕のマザータン、アメリカで語られる英語によった。
ちゃんと話の流れを読んでくれないかなあ。
島並先生のツイート( https://twitter.com/#!/shimanamiryo/status/141371781058535425 )を受けて。
冒頭の「●」は、どうしても10個に絞りたい人向け。
http://langrich.com/startguide
ここに体験レッスンのための手順が書いてるんですが・・・。私的には少し不親切に感じました。
無料体験レッスンの手順
これだけじゃ分かんねー。
Skype自体をイントールするのはじめてだったので、
どういうふうに連絡があって、どういうふうに始まるのかイメージができませんでしたよ。
おかげで、ずっとgkbrしながら待ってたのです。
スカイプのインストールの説明してるくらいだから、Skype初心者を想定してますよね。
それなら、もう少しでいいので、フローをイメージできるような説明をしていただきたいであります。
無料体験レッスンだから、うまくいかなくてもこっちはお金は損しない、ということなのかもしれないけれど
こちとら、相手の講師様に失礼なことにならないかで気が気じゃなかったです。
もちろん、ラングリッチはスカイプの会社ではないので、スカイプの説明を懇切丁寧にやる必要はないのかもしれませんが、
でも道具として活用してるのだから、授業がSkypeで成り立ってるのだから、なんちゅーかこう、もうちょっと
Skypeに対する恐怖心みたいなのに対して考慮していただきたかったであります。
初回始まるまでのアレこれがかなりストレスフルな感じだったのでもうちょっとフレンドリーな感じでお願いします。
ちなみにそんな感じで授業始まるまではすごい緊張したのですが、授業始まってからは
基本的にテキストに従って機械的に進んでいくので、ちょっと予習してから取り組めば問題ないと思う。
たとえば初回は「挨拶」「体調」「仕事」の話をするだけなので、自分の仕事について英語で簡単に説明できるくらい準備しておけば完璧。
私はぶっつけ本番でやったからつっかえつっかえになったけれど、ゆっくりやっていけば出来るようになるんじゃないかな。
ちなみに身元バレ覚悟で言うと、無料体験レッスン初回では講師の方から10点満点で7.8点頂きましたが、これがどの程度すごいかよく分からない・・・。
講師の人がちゃんと説明してくれてたんですが、ちゃんと聞き取れなかったっす。
とりあえず「もっと練習しろ、君には練習が足りない」って言われたので今回やったところをちゃんと練習してからもう一回受講しようと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20111113010022
こちらに触発されて書いてみる。辞めてからかなり時間も経ったのでそろそろ書いてもいいかなと。
訓練内容はAdobeのCS4の操作方法→自主制作というのがだいたいの流れとなっていて、それぞれのアプリケーションのテキスト(フォトショ、イラレ、DW、Flash)とHTML+CSSの本という感じ。
このテキストを選定しているのは教室を運営している会社のようで、(伝聞で聞いたので定かではない)もし運営してる会社がWEB制作を知らないとか知っててもテーブルレイアウトだった場合にはあまりいい本は選ばれないようです。また運営会社同士でヨコの繋がりで話し合って本を決めてる部分もある(複数の教室で同じ本だった)のかな?と予想しました。
実際の訓練内容はハローワークで決めているのか運営会社で決めているのかは解りませんが、講師は訓練スケジュールやテキストに関してなにも言えない、わからないまま講義が始まります。
HTML5時代だというのにFLASHにえらく時間を割いたりするスケジュールで、受講生から「せんせーFLASHってどうなんすか?」と物凄く困る質問をされたりします。
また受講生はAdobe製品をアカデミックで買えるというナイスな特典があったりしますが、授業で使ってるのはCS4だけど買ったのはCS5.5みたいな微妙だけど重要なアクシデントが発生します。
HTMLの本もXHTMLならまだしもHTML4.01(しかもStrict)で書いてる本だったりすることもあります。
受講生はテキストを実費で購入しているため、ないがしろにするわけにはいかないので「これいらんだろ」とか思ってもとりあえず本の通りに進めなければなりません。(例えばHTMLの本を早めに終わらせてXHTMLの話をして余計混乱させたりとかあった)
ここで問題なのは受講生は基本的にお金に余裕がある人は少ないです。
AdobeのWebプレミアムがアカデミックで買えるとはいえ10万以上の余裕があるなら基金訓練なんかコネーよ!という人が半数以上いるんじゃないかと。
体験版はあるけど1ヶ月で終わるし、訓練自体は半年あるわけです。
なのでGIMPとかInkscapeとかもサラっと存在を教えておいたりします。
あとはフォームのHTMLだけ教えて肝心のPHPやらPerlやらには基本触れないのでそこも工夫が必要です。
教科書3冊くらいクリアするころには生徒からこれで本当にWEB屋さんになれるの?とか疑問を持たれますので、フリーでやっていく方法とか自分の経験談の話をすると人気の講師になれますが、会社からはいい顔されないかもしれません。職業訓練なのでどこかに就職するのが大前提なんです。
指導要綱みたいなものはキホンないので講師の思うとおりに教えられますが、上記のテキストの縛りとスケジュールの縛りがあるので本が変わる前にグループを作ってもらって共同作業させることを取り入れました。実際にWEB屋さんにいったら分業しますしね。
さて、各アプリケーションのテキストがいいものだったらよいのですが、そうでない場合は自分で課題とかを作る必要があります。
フォトショやらイラレはいいんですが問題はHTML+CSSとFLASH。FlashなんかはASがゴッソリ抜けてたりすると生徒から「やりたいことができない!」と嘆かれます。CSSなんかも「やりたいことができない!」と言われがちです。
実際は一人の講師が2コマやることがザラなんじゃないかと思います。
AM9時からお昼を挟んでPM3時まで+PM3時からPM9時まで。若干ズレはするでしょうがこんな感じなんじゃないかと。
これで課題を自作していたら睡眠時間は3~4時間くらいになっちまいます。ああ祝日ってステキ・・・。とか思い始めます。フリーランサーは普段の仕事は全部お断りしないとイカンかもしれません。
テキストの内容とスケジュール(x月x日からx月x日までFLASHとか書いてある)なんか完全に合わないので苦悩します。
事前に用意できればいいのですが先に書いたようにスケジュールやテキストは開講数日前にコレでヨロ!的に渡されますので初めてやるひとは対応難しいでしょう。
とりあえず今日はここまで。
基金訓練、今は求職者支援制度に名前が変わったみたいですけど、そこの講師をやめたというか、会社ごとやめて転職しました。
何の講師をやっていたかというと、今をときめく(?)Androidの講師です。
転職先にも少しなれてきて、今までのことを振り返って書き留めてみたのですが、せっかくなので発表することにしました。もともと僕だけが読むメモのつもりで書いたので、読みやすい文書ではないですがご容赦のほど。
Androidの講師になるまでは、Javaのサーバーサイドのエンジニアをやっていました。
お客様のところに常駐し、システムの一部ではあるけど、自社メンバーだけで上流行程から担当し、僕はそのチームリーダーでした。
プロパーの方でも仕事がないような状況で、それでも僕らのチームは半年ほどは細々とメンテなどの作業をやっていたのですが、最終的には契約終了になってしまいました。
自社に戻って、何をするのだろうと思っていたら、Androidの講師をやれ、といわれました。
Androidは、暇だった時期に少し動かしてみて、簡単なアプリなら組めるようになっていたのですが、人に教えるほどの技術はありません。しかも準備期間は1週間ほどしかありませんでした。
ビデオ教材と教科書が用意されていて、それに従っていれば最低限の講義はできるのと、最初のうちは純粋なJavaの講義だったので、前半をやっている間に講師はAndroidの勉強をしよう、という、何とも乱暴な計画を立てたのでした。
ほぼ定員いっぱい近い受講者の方が集まったのですが、スキルが全くバラバラです。
JavaやC#,C,C++の経験者がいるかと思えば、人差し指だけでキーボードを打っている方もいます。
講義の最初のうちはコマンドプロンプトを使うのですが、教材には説明がなく、最近の人は知らないだろうと思って説明書を作っていたのですが、まさかコピーペーストのやり方から説明することになるとは思っていませんでした。
それでもやる気のある方はまだましで、どうみても給付金目当てとしか思えない、やる気のない方が何人もいます。
こちらも準備不足の中、生まれて初めて「先生」と呼ばれる仕事を始めることになりました。
基金訓練を始める前は「きちんと技術を教えられるかな」ということばかり気にしていたのですが、講義の運営の方が問題続出でした。
いかにもやる気のない方々は講義中もトイレだ電話だといって抜けてしまう、講義中に当てても「わかりません」しかいわない、かといって質問もしない。当然課題も期限までに出さないので0点しか付けようがません。
そういう方でも、こちらから無理にやめさせたりすることはできないので、何とか講義だけはでてもらっていました。
けど、それがよくなかったようです。
まじめに受講されている方々から「金をもらって受講しているのにあの態度は何だ」「入校条件(キーボード入力)すら満たしていないのではないか」「講義のペースが遅すぎて時間が余る」などの苦情があがり、まじめな方から「就職が決まった」などの理由で辞めていってしまいました。
後に残った、やる気のない方々と、講義を続けていくしかありませんでした。
1度目の皆さんが修了し、2回目の講義を行うに当たって、前回の反省点を改善すべく、いろんな手を打ちました。
最後の手は、会社に怒られるのではないかと正直不安でした。実際辞めていく方が増えたのですが、こういう方は「家業が忙しくなったので手伝う」「体調が悪くなったので療養する」といったもっともらしい(?)理由で辞めていったので会社から怒られるようなことはありませんでした。
むしろ受講生の方の中から、積極的に他の方にアドバイスする方が増えたため、スキルの低い方からも「質問をしにいける人が(講師以外にも)大勢いたのでよかった」といってもらえるようになりました。
今回は、終了後の受講生の方どおしの打ち上げ会に呼んでいただきました。おおむね好評だったのだろうと思います。
未経験だけど、求職者支援制度を利用してプログラマになりたい方向けに、こういう人がプログラマに向いている、こうした方がいい、という条件を挙げてみます。
プログラムの勉強ははっきり言って辛いです。やりたいことが明確になっていないと、なかなか続かないです。
僕は「写経」と呼んでいるのですが、サンプルプログラムを実際に打ち込んでみて、エラーがあれば自分で修正する
という「訓練」をやらないと基礎が身に付かないです。そもそもキーを打つのが苦手、という人はきっぱりあきらめましょう。エラーの原因を自分でぐぐって調べられないような人も、この業界には向いていないです。
いき当たりばったりではなく、最初に手順・段取りを考えてから作業を始める方が向いています。
講義でも、課題作成に何日もかかる課題があるので、何も考えずに適当にやっていると期限までに終わりません。
「きりん、うさぎ、あひる、かば、4つの動物で仲間外れは?」みたいな問題が苦手な人は、向いていないと思います。
単に「読める」ではなく、課題を理解し、既知の技術で解けるものと未知のものに分けたり、繰り返し処理や、複数の似たような処理を一つにまとめるといった作業ができるかどうかです。
さっきの抽象的な考えもそうですが、今までそういうことを意識してやっていない、という方が多いと思います。そういう人は、しんどい思いをすると思います。
「AとBという方法がありますが、ここではAについて説明します」と講師がいったら、Bは自分で調べましょう。習ったプログラムを少し変えてみてどうなるか試してみましょう。それがうまくいかなかったとしても、経験というプラスが残ります。
講師の言うことが理解できたと思ったら、自分で応用問題を考えて、プログラムを書いてみましょう。もしそれが期待した結果にならなければ、どこかで理解が間違っている可能性が高いです。
先ほどの「試してみる」もそうですが、BLOGで実施すると、それをみた方からコメントやアドバイスをもらえることもあります。
いきなり何十行もプログラムを書いて動かなかったとしても初心者はまず動かせるようになりません。少し書いて、動かして動作を確認し、また動かして、を繰り返す方が結局早く完成します。
ちゃんと動く「プログラムの断片」を増やすことは、後で同じようなプログラムを書くときに、「断片」をそのままコピーして使えるようになると言うことです。
一度プログラムを書き始めたら、まずやることはプログラムを完成させて動かしてみることです。プログラムを書いている途中で、同じような処理があるからforで書きたいとか、メソッド化したいとか、思うかもしれませんが、プログラムの初心者はまず動くプログラムを書いて、それができてからきれいに書き直しをした方がいいです。
すぐに解けない課題は、書いて残しておきましょう。書いて整理することで、解けることがあります。今は解けなくても、後で見返して解けることがあります。
特に図に書く、という作業は意識的にやった方がいいです。講師に質問するときも、口で説明するより、図に書いた方がずっと通じやすいことがあります。
自分ができたことで他の人が詰まっていれば、アドバイスしてあげましょう。助けてあげると言うだけでなく、他人に説明すると言う作業は、自分自身の理解をより深める作業でもあります。
もちろん自力で最後まで解くことが重要な課題もありますが、そういうときは講師がそれとなく言ってくれるはずです。
とりあえずアプリを書いたら、同じ講義を受けている人や講師に見せて感想をもらいましょう。
アイコンを書くのが苦手なら、イラストが上手そうな人を見つけて、書いてもらったり、書き方を教わったりしましょう。
訓練を受けているのは同じような環境の方ばかりなので、相手だって同じことを考えているはずです。
紙のノートに講義内容を書いたり、テキストの余白にメモしている人がいますが、それは講義の内容を聞いて即理解できる人が、聞いたことを忘れないためのやり方です。
わからない人は、わかるようになるまで、何回でもノートを書き直した方がいいです。わかったことを継ぎ足して、表現を見直して、時には冗長な表現を削って、自分だけのオリジナルのテキストを作るつもりで書きましょう。当然書くのは紙のノートではなくパソコンをつかいます。
プログラミング以外の世界でもプロや、プロ顔負けの技術を持つセミプロ、ハイアマチュアといった方は自分の作品を世に出すときに恥ずかしがったりしません。不安はあっても、それを上回る意欲を持って、どんどんアプリを書いて、マーケットに載せましょう。
ひょっとすると業界の習慣よりあなたの意見の方が正しいこともあるかもしれませんが、未経験の人が言っても周囲はたぶん聞いてくれません。「私はずっとこのやり方でやってきたしこれからもやる」という意見はひとまずおいておいて、まずは周囲に認めてもらうようにしましょう。
余りに差がありすぎて自信をなくすと逆効果ですが、技術を身につけたければ自分より優れた人から学ぶのが一番です。コミュニティーや勉強会にも積極的に参加しましょう。
おめでとうございます!あ、ちなみに、この前東京で偶然出くわした者です。こんなID使う時点である程度ご想像つくかとは思いますが。
ところで、英語はどういった環境で勉強されていたんでしょうか。最近、英語の必要性を痛感しているのですが、水準以上の講師を揃えているところは余り見つからないし、見つかっても費用がとんでもない額ですので……。こっそり教えていただけるとありがたいです。
丁寧なお返事ありがとうございます!
YMCAとは気付きませんでした。なるほど。今行かれている英会話教室は、京都にしかないものなのでしょうか?
職業柄、まいさんの研究内容にはかなり興味があります。ぜひとも当地で成果を上げられ、お裾分けに与りたいです。U先生みたいに一般人にもわかりやすくてためになる本や論文をぜひとも書いて下さいね、って今からリクエストしときます(笑)
2008/06/03 01:03
個人的にはノートパソコンは HP (Hewlett-Packard) のものがご希望に添うのではないかと思います。元々法人向けの商売を主としている会社の製品だけあって、実用性重視の製品構成になっています。壊れにくさについても、噂によるとそれなりに評判はよいようです。
この 4 月に東京にやってきた音楽サークル出身の某君のパソコン選びに付き合ったときも、同様の話の展開から結局 HP のものを選択することになりました。ご参考まで。
値段のことがなければ、私の立場から予想される某社のものを当然のごとく推薦するんですけどね……(いや、客観的にみて上位機種はなかなかいいんですよ、あれは)。
うわあ!ニアミスでした。私も今日の夕方、新宿の献血ルームにいました。
たまたま出張(講演会聴講)帰り(普段の職場は郊外)に新宿に寄っただけだったのですが……。
2008/06/17 21:53
血液は順調に薄くなっているようです。有効数字3桁で約1年前はぎりぎり通過だったのですが、今回は落ちましたから。
まさに最近疲れがたまってます。昨日は座って物書きをしてるだけで動悸がしたりしたんですが、原因は睡眠不足と肩凝りでした。しかも、睡眠不足の原因は自宅パソコンの設定ミス(苦笑)仕事はマイルドなんですがねえ……。
2008/06/18 00:38
ご心配どうもです。まさに昨晩ストレッチをしてゆっくり寝たら収まりましたのでご心配なく。
ちなみに動悸といっても問題にするに値しないものもあるみたいですよ。ストレスがかかるとたまに動悸が起こるのですが、一度心配になって医者に話をしに行ったことがありまして、そのとき医者は話を聞いただけで「それは一過性のものである限りは心配する必要はない」みたいなことをいわれましたし。
それに今回の体調不良も、運動をしたり酒を飲んだりすると収まるようなもので、明らかにストレス要因だったから大して心配する必要がないことはわかってたんです。ただ、それにしては放置して悪化させてしまったというだけで。
2009/02/07 02:34
例の件、おめでとうございます!(そちらではまだなんでしたっけ)
考えたら、はじめてお会いしたときはお互い 10 代だったんじゃないでしょうか。恐ろしい話です……。
ご無沙汰です。ちょっと突っ込み入れさせていただきますね(笑)
個人的には、まいさんはかなり "polite" で "shy" で "indirect" だと思っているので、余り驚かないのですが、いかがでしょうか?(^^;)確かに、まいさんはツッコミも激しいですが、事情がわかるまでは非常に礼儀正しくて慎重、という印象があるのですが……。状況を把握して吸収するのが早いから、日本国内ではあまり目立たないかもしれませんけど、海外では適応にも時間がかかるからそういう面が目立ったのかな、と何となく想像してみました(笑)
発音については、本当にあれは不思議ですね。学会なんかで、その調子のカタカナ英語で質問をして、講演者にまったく理解されないという人をよく見ます。教育程度の高い人でも、'a' と 'o' と 'u' の短母音を区別しようとしない(そもそも区別があることがわかっていない?)、開音節や consonant cluster に余計な母音を付ける、という癖が抜けないのはなんなのでしょうか。この二つの欠点を取り除くだけで、圧倒的に聴き取りやすくなると思うんですけどねえ……。
ちなみに、最近 "English Pronunciation in Use" (Cambridge Univ. Press) という本を見つけて購入したのですが、「なんでこれを学校で教えてくれなかったんだ!」と目から鱗が落ちるような、痒いところに手が届く記述満載で非常に勉強になっています。総じて、欧米の語学教材は言語学的な知見が駆使されていて非常に質が高いですね。それに比べて日本で売られている英語の教材って、言語学的にトンデモな本が余りに多いですけど、あれ、なんでなんでしょうね?新書本一冊読めばわかる程度の間違いが満載な本で金を取るなよ、といつも思うのですが……。
>いつも思うのだが、独身だから/出産したこと無いから/社会人になったことないから、オマエには経験がない/理解できないという言説だけはどうにかならんかなぁ。
「独身なのに/出産したこと無いのに/社会人になったことあるのに、オマエには経験がない/理解できない」と言い返してやればいいんじゃないでしょうか(笑)
>それも論理的には誤謬でして…誤謬を誤謬で言い返すのもモヤモヤしますしねえ。
えーと、一応暗黙の反語のつもりですので……(汗)ギャップを埋めるなら、「よっしゃ、そんなに言い張るならお前の言うとることが正しいということにしといたるわ、せやけどそしたらこうも言えるわな」というつもりでした(^^;)
2009/07/13 21:16
> 私にとってみれば、問題はドイツ人がやったことだということ以上に、世界のどこででもこういうことが現在だって起こりかねない(というか起こってるだろう)というところにあるんだと思うんだけれども、そういう風にはやっぱりならないのかしらん…、などと思うのだ。
よく、広島原爆慰霊碑の「過ちは繰り返しませぬから」が理解できない外国人がいるという話を聞きますね。どうして「日本人」が犠牲者に謝罪するのだと。我々にとっては、考えるまでもなく暗黙の主語は「人類」なので、色々と文化の差というものを考えさせられる話です。
うーん、会津では未だに長州への遺恨があると聞きますし、民族性ではないのでは……。
一つ言えるのは、日本の受けた戦災というと、沖縄を除けば爆撃に限られるわけで、爆撃ってされる側にとってもする側にとっても「敵」の顔が見えないから、される側は感覚的には戦災のように感じてしまうし、した側は自分が無差別虐殺をしたことに気づかないということがあって、しかも日本の場合占領軍が基本的に懐柔策を取っていたからあまりアメリカに遺恨が残らなかったということではないでしょうか?少なくとも、私が祖父母をはじめとする人たちから聞かされた空襲体験は、もっぱら天災のような語り口だったんですよね。
その点、ロシアに対しては、たった一週間戦っただけでもかなり根深い不信感と恐怖感があるような気もしますし。
あと、やはり沖縄では対米感情は本土よりもだいぶ複雑なんじゃないでしょうか。
でも、ベトナムのことはわからないですね……。あれも地上戦よりも北爆の方が主体だったんでしょうか?あるいは民間人にとっては米軍も南北のベトナム軍もどっちもどっちだったから米軍だけに憎悪が向かないとか(とすると、中国人の反日感情が意外に強くない理由も説明できるかも?)。
いずれにしても憶測ですね。
「政治の文化大革命」は、単に「政治文化の大革命」の言い間違えだと思うんですけど、いかがでしょうか?^^;
ところで、なぜか関西に帰ってきていたにもかかわらず、NF のことを完全に忘れていました。顔を出せば良かったですね。と今更後悔。
まず前提条件として、ワードとエクセルを使えるというレベルがどのレベルを指すのかというのが問題ですね。
残念ながら日本の高校教育におけるPC授業は実務的なITスキルを学ぶ場としては機能していないといえる。
http://journal.mycom.co.jp/news/2009/12/07/005/index.html
現在就職していない若者の7割がWord/Excelが使えないという調査結果を提示している、
無職の若者が調査対象だが、情報格差が少ないと言われる都内かつ日本の高い高校進学率を考えても現在の若者が高等教育の場において十分なIT教育を受けていないと報告している。
次に文部省による教育機関における22年度情報通信機器・視聴覚教育設備等の状況調査
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/1308647.htm
この統計には高校だけでなく全ての教育機関における統計なので部分抽出はされていないが
教育機関における情報弱者への救済が必要だと感じている施設が全体の8割を越えているという点
外部講師を招いての教師へのIT勉強会に関する制度の有効性について、
高校の部門だけで反対傾向の意見が30%程度存在するという事(お前ら出来ない癖に何を(ry)
悪いが、親の世代が禄に知識が無いが子供がどんな教育を受けているか、どんなスキルレベルなのかも教師も含め把握していない
のが現状、最低限の資格を取るレベルまで教育する学校は商業高校や工業高校などの専門高か、ITスキルに関しての問題を適切に把握し、
それに対応しているほんの僅かな先進的な高校だけだといわざる終えない。
そういう私も、普通科高校でPCの授業を受けたことがあるが、適当に文書を打ち込んで印刷して終わりという内容だった。
タイピングの正しい位置も何も教えないので、数枚分のB4の用紙にスカスカの文章を打ち込むだけで授業が終わっていた。
企業が求めているWord/Excelが出来るというレベルが、文章・数値を打ち込んで印刷できるというものなら、国民の大多数はできるレベルなのかもしれないが…
匿名であってもこんな事を書くのは恥ずかしいが、自分にとってとても大きな事件だったし、
はてな匿名ダイアリーは恥ずかしい文章ばかりだし、何より思いを外に吐き出したいので書く。
何人分かインターネット上で検索してみたら一人の元同級生のブログが見付かった。
12年振りに見た同級生の顔はえらい老けていて驚いたが、
それでも確かに中学生当時の可愛い顔を成長させた様な可愛いらしさが有った。
その人は家柄と経歴と育ちがまず凄い。祖父の代から家族全員が音楽好きで、女子高出身で音大の大学院を出て、
普段はフルート奏者だが男子校でのフルート講師や絵のモデルをやっている。
しかも一日12時間フルートの練習をこなす事もあり、人柄もキャピキャピした派手さが無く
犬好きで犬を見かけるとつい撫でてしまう、というぶりっ子と言われかねない可愛らしさを自然体で有している。
家の写真やフルートを有したり音大の大学院に進む点からは富裕層である事が伺える。
『何だよこの化物じみた完成度。誰が作者の漫画の登場人物なんだよ。男子生徒はこの先生に絶対惚れるだろ』
と突っ込みを入れたくなる。
正に物語に出てくる様なお嬢様そのもので、ブログを読み進めていく内に俺はうっかり惚れてしまった。
中学校時代は可愛い女子生徒だな程度にしか思っていなかったのだが、
まさかこんなに漫画みたいな人だとは、俺が今になってこんな形で惚れる事になるとは思いも寄らなかった。
ブログを読んで情報を得てはその人が自分の彼女になった妄想をする様になった。
街に出ても、今擦れ違ったのはあの人かも、公園に行けばあの人に会えるかも、と想ったり、
今迄していた自分が金持ちに成る妄想にその人を嫁として組み込んで、
嫉妬したり相思相愛になったり盲目的に恋したり離婚したり死に別れたりと
危ない。このままじゃいずれ現実と妄想の区別が付かなくなって本当にストーカーになりかねない、
■ところが今日、その人のブログを久し振りに見たら入籍の報告が書いてあった。
妄想の源泉が尽きてしまった。それも一番起きて欲しくなかった抗い様の無いはっきりした形で。
絵に描いた餅が破れた。砂絵が掻き消された気分だ。
あまりに早過ぎる。せめて後半年位は僅かな希望を、夢に浸らせて欲しかった。
可愛い子なんだから彼氏が居ても不思議ではないなと思っていたのだがそれでも悔しい。
まさかこんな事がという信じられない気持ちだ。残念だし間違いであって欲しいと思う。
なんでよりにもよって俺が好きになったこの人なんだと。
ブログに2~3度書かれた結婚への憧れも彼氏を前提にしたものだったのか。
300本近くの記事に彼氏を匂わせる文章は一つも無かったから、単なる遠い憧れとして捉えているのだと思っていた。
■これからはどうしよう。こんな事実を知ってしまっては妄想を楽しむ気も起きない。
俺も使い始めようかと考えていたがその必要も無くなってしまった。
何をどうしよう。心の宛て所を見失ってしまった。
その人の名前で検索すると検索結果の一番に入籍の報告が出ていて心が痛い。「いいよ、もう知ってるから出さないでよ」と思ってしまう。
結婚相談所の広告も見る度に入籍の話を思い出して憎い。地震後に彼氏との結婚を考える女性が増えた、という報道も今思い返せば憎い。
地震さえなければ入籍なんか無かったのか、一縷の望みが消えなかったのか、と考えてしまう。
ただ、その結婚相手が自分以外の中学校の同級生でなかったのは微かな救いだった。
若しそうだとしたら折角の機会を無駄にしたという理由で後悔はより強くなっていたから、そうでないのは良かった。
よくよく考えれば、漫画に出て来る様なしっかりした人なんだから婚期を無為に伸ばしたりせずちゃんと人生設計を立てて
職業柄いつもドレスを着ているし結婚式への参加も多いが、ウェディングドレスに新鮮味を感じたりするんだろうか。俺が着せてあげたかった。
もうすぐ誕生日だが、実家で過ごす最後の誕生日になるかも知れないから彼氏や家族と何か特別なお祝いをするんだろうか。
何故か一度書かれた同い年の従姉妹の結婚式についての記事が消されている。
ブログは個人的な日記ではなくファンの閲覧を前提しており、記事も仕事絡みが大半で私的な内容は少ない。
固定ファンが記事のほぼ全てにコメントを付けているしつまらないコメントであれ返信も細目に行い欠かしていない。
どう考えても一般人ではなく小さなアイドルとしてのブログだと言った方が正しい。
俺は『立派な元同級生』に惚れたつもりだったが、その実単に『アイドル』に惚れてしまっていたのだろうか。
いやしかし、ブログという文字情報や仕事としての振る舞いを理由に惚れるのも含めて恋愛と呼ぶ気もする。
■俺の記憶に有るあの人の声と笑顔を独り占めさせて貰えるのも、
何か小さな冗談を言い合ったりふざけてじゃれあったり愛だ好きだを語ったり
二人の人生について悩み合ったり頼ったりする相手、『人生の伴侶』も決して俺ではなく彼氏なんだろう。
俺には何の相談も無しに大切な事を決定し、どんどん幸せになっていき、勝手に自分の人生を生きて満喫するんだろう。
俺はといえば、これからも何か有る度にこの人の事を思い出してブログを読んでみては、
旦那との日常や妊娠、出産、子供の成長話やこの人自身の立身出世振りにやきもきして自分で自分を苦しめるんだろうか。
そういえば、俺の誕生日に書かれたブログ記事には当たり前だが何も特別な事は書かれていなかった。こんな事がいちいち空しい。
嫌われたり疎まれても構わないからこの思いの一片でもあの人に伝わって欲しい。
今日ブログを全部読み終わったらあの人の家の凡その位置が分かってしまった。
中学校の同級生だから同じ学区の範囲内に住んでいるのは当たり前だが、憧れの人がこんな近くに住んでいたとは思っていなかった。
グーグルストリートビューで自宅写真を探すが見付からなかった。
久し振りに大きな地震が起きた。あの人もこの地震に揺られたのだろうか。
同じ体験が出来たと思うとこんな事でも嬉しいが、こういう共通体験を話し合う機会は一生無いのだと思うと虚ろな気分になる。
あの人の自宅が在りそうだと目星をつけた所を周る。いよいよストーカーの様になってしまっているが、
この辺りには別の理由で一度来てみようと思っていたのでそれを自分への言い訳にする。
それにしても、あの人は果たしてこんな所に住んでいたのか。
あの人と同じ体験を僅かでも積み重ねられてより理解を深められた事は何となく嬉しいが、
市内にこんな所が在ったのか、という驚きの方があの人への興味を上回ってしまう。
あの人の誕生日だ。今日も自宅の在りそうな周辺を周るが、全く見付けられない事もあって公園で遊んでいる方が楽しい。
あちこちに普段しない遠出をした事も働いてか、漸く最近になってあの人への思いが薄くなってきた。
恋人が居ないという事は妄想上の恋人であっても寂しいが、やっと恋人の妄想をする以前の状態を思い出してきた。
もう『他人』なのだから普通に適当に幸せになればいいんじゃないか、という他人事な投げ遣りな気持ちであの人の事を考えたりする。
あの人のブログの更新分を読むと、入籍した前後に既に引っ越していたらしい。
自宅の近所をうろついて擦れ違う事が出来れば、一目見る事が出来れば、と思っていたがブログを読み終わるのが遅過ぎた。
もう完全に機を逃した。一生擦れ違いもしないだろう。
結婚式は今日行われるらしい。何の問題すら無く順調に準備が進んでいる。
俺と彼女の無縁っぷりに改めて感心するばかり。俺の悩みは何の障害にもならずにスイスイ自分の道を進んで行っている。
俺の存在に気付いてもらうにはもう超自然的な何かに祈る他無いな。
妄想の中のあの人は俺の子供を二人産んでいつまでも若々しいままでよく俺を叱ってくれた筈だが、
そんな昔の出来事を思い返して現実と比較してどうのこうの考えると、馬鹿らしい上に自分が辛い。
数年内には子供が産まれるのだろう。彼氏の名字を冠した子供が。俺の知らないどこかの土地で幸せな子育てをするんだろう。
その頃にはもう未練なんて無くなっているだろうが、自分が置いて行かれている気持ちを味わう様な気がする。
もう結婚式を終えて初夜を迎えたんだろうか。二人で裸で抱き合ったまま寝たんだろうか。我乍ら気持ち悪いがつい考えてしまう。
もう名字も変わっている筈だ。妄想しようにもあの人の名前すら不明になってしまった。
次の22日は『いい夫婦の日』だ。実際いい夫婦になるんだろう。
次のクリスマスはやっぱり仕事なんだろうか。それとも新しい家族の為に休むのだろうか。
消し切れない雑多な思いを書き出す事で何とか解消したい。
13時頃あの人の自宅が隣に在るらしい公園に行くと、真っ赤な晴れ着姿の女と袴姿の男がカメラマンに撮影されていた。
まさかあの人なのか、と思って顔を確認するとあの人よりも若い20代前半の全然違う顔の女性だった。
あの人と擦れ違える可能性は無くなった訳だし、もうこの公園に来るのは暫く止めよう。
あの人は大阪で結婚式を挙げて今は海外で新婚旅行中らしい。結婚式の写真を見るととても様になっていて嫉妬も何も湧かない。
ブーケも投げたらしい。本当に出来の良い人だ。
まずハングリーってことは何か欲してるものがある。欲しくて欲しくて仕方ないものがあるってことですよね。
そりゃまぁこれがないと話が始まらないから、まず何かを欲しているってのは必要条件だと思います。
でも、これだけでは十分ではないと思うんですよね。
といっても手段の話しじゃありません。適した手段は人によって違うので決まった答えはないと思います。
何かというと、私は手段を選択するさいの精神性みたいなのが大事なんじゃないかと思ってます。
それこそ自分を批判する人であろうが、商売敵であろうが、なんでも真剣に相手のことを聞いて、知ろうとして、そこから何か学ぼうとする。
で、それだけじゃ足りなくて、そういう敵対してた人でも尊敬できると思ったら友達にしたり、仲間にしたりするんですよ。
(彼の中では友達と仲間は違うらしいですが、この説明は今回は関係無いので省きます)
とにかく彼は反対意見でも攻撃でもなんでも取り込んじゃうんですよね。受け入れるというより、取り込んじゃう。
「ローマ人の物語」から表現を拝借すると「抱き込み戦術」だし、「新太閤記」から表現を拝借すると「人たらし」みたいな感じ。
で、当然私達も彼に対して、「なんでそんなに他人のこと受け入れられるのか?」って聞いたら
「別に選り好みをしないわけではない。自分にはやりたいことがあって、 そのためのヒントになると思ってるから人の話もよく聞くし、
障害になると思っていることはよく理解して備えたいと思ってるだけだ」ということらしいです。
私だったらそれでも嫌いな人だったら自分の感情を優先して目標台無しにしちゃったりすると思うので、これだけではないと思うんですが
本当にハングリーな人が、強い目標を持ったら彼の言ってるような状態になるのかも知れません。
私たちは彼のことをジャンプの主人公みたいだな、と呼んでます。
(特にワンピースってそういう話だと思いません?あれってみんな大好き戦国時代を海賊ベースに描き直してるような印象を受ける時がある)
こういう人を知っているせいか、
「俺は欲しい物があるんだ、かなえたいことがあるんだ」とか「僕には使命があるんです」って言ってても
自分と関係ない人に対して話題になってるという理由でちょっかい出して自分に注目を集めようとするみたいな人は
それってあなたの夢や使命にとってどういう意味があるんでしょう?って聞きたくなってしまう。
別にハングリーじゃないと成功できないとは思いません。ハングリーであること自体に意味があるわけでもないと思いますし。
ただ、「僕は自分のことをハングリーな人間だと思っている」というのであれば、このくらいはして欲しいと思います。
どうでもいいけれど
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111017/1318821702
を書いた後に
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671
「自分に自信がないと書く奴は自信がある」を裏返すと「僕は自信があるように振舞ってるけど実は・・・」になりますしね。
こういうところに知恵回してる暇があったらさっさと「もしお笑い芸人養成学校の講師がジョブズの伝記を読んだら」を書いて欲しいです。
と言うブクマコメントを見て、丁度感じた事があったので以下自分語りをする。
参加は自由なのでメンバーはよく入れ替わるが常に女性しか居ない(講師も全員女性)場なんだけども
この間行ったら珍しい事に男性が一人居た。
たまたま普段女性しか居ないと言うだけで別に女性に限定している場ではないから居たっておかしくないんだけども、
その人を見て真っ先に「何でここに男が居るんだよ」と思ってしまい、不快感が生じた。
別にその人は何も悪くないんだけど、会の間中何だかずっと居心地が悪かった。
自分でも気付かなかったけど、そこがそれまで「女性だけの場所」であったと言う事は私にとって相当重要な事だったらしい。
最初から「男女混合の場所」だと思っている場であれば男性が居ても何とも思わないけど、
今までその会では一度も男性を見た事がなくて、自分の中でその場は「女性だけの場所」だと認識していたから、
それが崩された故の不快感だったんだろう。
「女は」なのかどうかは知らないが、どうやら「私は」好きな男以外は嫌いな人間だったのだ、と言う事を実感した。
しかし「嫌いな事を表に出すな」と言うだけなら簡単だけど、「心の底から好きになれ」と言うのなら
好きにならなければ差別だ、と言うのなら、差別主義者のままで居るしかないんだろう。
正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。
っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。
あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。
それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。
だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題を制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。
判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生のマシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。
そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です。
一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。
それが僕の頭の中に浮かんだ印象です。
しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。
そして、次これは小学5年生くらいの双子の女の子の話です。ちょっと記憶があいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親は講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの。
だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです。
最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通の学校ではなく養護学校などに行くことになってしまう場合もあれば「際どい」という場合もあります。比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量で普通の学校に行く、もしくわ養護学校側から断られる場合もあるでしょう。
例えば6年生で10÷2を計算する時に一々
2×1=2
2×2=4
2×3=6
2×4=8
2×5=10
あっ答えは10だ!ってならないでしょ?
この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日何時間もただ右から左へ数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。
かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです。
もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います。
ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。
今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。
子供は親にとっての何なのだろう?
お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?
例えば、食器洗いにしてみても
いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。
そういう記憶だけはある
「いい いい 俺洗うから」とか
誰かの家で御馳走になった時に
「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」
などと言ってしまう
洗っていいよ!だとか言ってしまったり
お母さん!ありがとう!
でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから
してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば
それで良かったのに
教育問題が取りざたされて久しい。
私はとある私塾の講師として授業を受け持っていて、担当は高校3年生が中心である。
高校生ともなれば、ある程度の学力のばらつきが出るのは当然であり、
高校の授業内容を全員が等しく身につけることは必須ではない。
有り体な言い方をすれば、良い大学を受験したい人はしっかり勉強すればいいし、
そうではない人は適当にやっていればいい。
実質的に教育問題とは、とくに初等教育の問題であると考えてよいだろう。
特に、生活のリズム、社会のマナーを身につける小学校という場について考えてみたい。
一般的なのは、教育系大学あるいは教員養成系教育学部をもつ大学に進学することである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k205.pdf
を見てみると、教員養成系の大学の偏差値は50~55程度が多いように見受けられる。
これらのレベルの大学を卒業した学生が教員となり、現場で児童に教育することになる。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k203.pdf
自分の高校時代を思い浮かべてもらいたい。
偏差値70のトップレベル集団と、平均点そこそこの集団は違う。
具体的な人間を思い浮かべてみてほしい。
さて、教育特に初等教育は、親からの目が特に厳しい職業である。
小学校の教員のもとには毎日まさに鬼のようなクレームが寄せられるらしい。
そんな業種として、他に医療が挙げられる。
そしてその医療の担い手として大きな役割を果たすのが医師である。
医師になるためには医学部医学科に入学する必要があり、その偏差値は理系の中でもトップクラスである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k210.pdf
によると、国公立の医学部医学科の偏差値は65~70程度が多い。
教育も医療も、周りの期待が大きい。耐え切れないほどの重圧がのしかかる。
教員の立ち振る舞い方で、児童はいかようにも変わっていく。それが初等教育であると考える。
かつて、私立医学部に入学するのに必要な偏差値は50を切っていた時代があった。
今では軒並み65程度まで上がっている。
医療の現場では、患者やその家族との信頼関係を作るように現場レベルでの指導が行われ、徐々に大学医学部での教育も変容しつつあるようだ。
教育も同じであるべきである。その時に求められるのは教員がいかに児童や保護者との信頼関係を気づいていくか。
それを念頭に置いた教員養成のための教育が、今の限られた教職課程の授業の中で行われているのか。
そしてそれを実現できうるレベルの学生が今の教員養成系の大学に集まっているのだろうか?
教育を本当に志す者のための教員養成機関になっているだろうか?
決して、就職先がない人の掃き溜めであってはならない。
強い信念を持った素敵な教員が増えることを願ってやまない。
友人数人と都心の広めの物件(築浅ではない)でルームシェア、同居メンバーは全員未婚(恋人の有無はよく知らない)
職業はフリーライター、鍼灸師、大学講師(博士号未取得・非常勤)など(学歴は高い)
週末はほぼ確実にオフなので、広い家に友人知人(職業は編集者とか大手メーカー勤務とか公務員とか色々)を招いて飲み会をしたり、車で遠出したり
みんな顔が広くて、知り合いの中には道楽者の金持ち中年も混じっていたりするので、たまに高級な家具やら服飾雑貨やら酒やら生活小物やらがタダで貰える
俺の知ってる奴らはこんな感じ
書いてみて改めて思ったけど、コミュニケーション能力フル活用で生きてるな
この国を暗くしているのはどうみても鬱病の中高年とりわけ官僚やマスコミである。彼らは法律や規則によって日本を鬱々とした灰色の世界に染め上げることに汲々としている。若者や学生は予備校や出版界のものの分かった講師や著者の鼓舞によって日本社会は東大を頂点とするハイアラーキーで構成される成績差別のある明るい社会であると見ている。東大は大都会東京の一等地に広大な敷地をもち、その威容も帝国の統治機関といった様であるから当然であろう。これを国立大学法人東京大学などという鬱っぽい構成で語り、帝国統治組織の東大をただの一大学に貶めることで自己のコンプレックスを抑圧しようとするつまらない事務員や地方公務員といった負け組鬱病患者が日本を真っ暗にしているのである。
東大が最高偏差値の最高学術機関であって、誰もがハイになって勉強して目指すべきところとするなら、正直に、東大が帝国日本の統治組織であり、ここが日本を実効支配していると公式に宣言すべきである。日本は東京至上主義、しかも東大至上主義の帝国であり、東京には権力者や金持ちしか住めず、東大は全国から選ばれたエリートしか入学できない。名古屋や大阪、福岡は東京の二次都市であり、それ以外の地域はいわば田舎で、都会の生産のおこぼれに与るところにすぎない。
なぜ東大法学部は逆説的にも統治機関東大をただの一大学に貶める構成を採用するのか。なぜ東大が最高統治組織だという法律を書かないのか。東大および政府がすべきことは民主憲法の撤廃と東大帝国憲法の起草と公布である。これにより日本はどこが支配機関であるかが明確になるとともに学歴差別の明示化された明るく楽しい社会になるであろう。
しかし、そうすると、社員の職はどうするのか?という問題になる。
同じく、原発の研究者が、必死に原発推進をしようとするのも分かる。
来年からこの分野の人員は0いします、もしくは、9割カットね。
などと言われようものなら、人生設計は大きく修正を余儀なくされる。
つまり、多くの優秀な人材が、何十年という単位で努力してきたことが、
一瞬で無になり、全く別の分野の勉強を一からしなおさなければならない。
至る所で行われていることで、
派遣の人が首を切られたり、大学の講師がホームレスになったり、
そんな話は良く聞くことだ。
自由とか、平等とかいう一方で、こういう問題が置き去りにされてきた。
少しはこういう問題が是正されるのではないか?
全く同じことが、国会議員にも言えるだろう。
個人的な感情としては、議員や東電社員にそのような保証をするのは、
嫌である。なぜそんなところにお金を使わなければならないのかと思う。
かえってなんらかの腐敗が増長されるだろうか?