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2017-03-15

メンタルが強い人間だと思われているのが辛い

学生の頃、所属していたサークルメンバーとうまくいかず、大事な時期に辞めてしまったことがある。

統率力も人望もない自分なのに、立場的に他に適任がいないという理由で、同期の中で自分代表になることになった。

予想通り全くうまくいかず、意見対立するどころか、自分が主張することな無視されてばかりで、「話聞いてよ」と訴えることもよくあった。

頼れる人が誰もいなかった。一番の味方であるはずの同期の友達から見放されていたから、もうどうにもならなかった。

しばらくそんな状態が続いて、ついに、活動があると分かっているのに、どうしても家から出られなくなった。電話が掛かってくるのが怖くて、何日も携帯の電源を切ったまま家に引きこもっていた。

結局、状況をどうにもできず、会費だけ振り込んで辞めますとだけメールで伝えた。本来は謝りに行って頭を下げるべきだ。今でも後悔している。でも当時の自分にはそれができなかった。自分代表なのに何をやってるんだ、という自責の念だけでも死にそうになるくらい辛かった。

サークルを辞めたあと、研究室に配属されて、卒論修論に取り組むことになった。そのときには、上の経験からどのような思考パターンや行動が精神的に良くない結果になるかが経験的に分かっていたので、嫌なことがあってもとりあえず研究室には行く、悩んでも仕方ないことを考えないようにする、辛くてもネガティブなことを漏らさない、こういうことを意識するだけで乗り切れることがほとんどだった。

でも過去体験を引きずっている。いつか、前のような引きこもりのような状態に戻ってしまうかもしれない。そして今も壁に直面している。

何か困難なことが立ちはだかる度に、「今回はダメかもしれない」と、内心、ガクガクに怯えている。そういうときこそ、最悪な状況に自分を追い込まないことが大事だということは分かっている。だからポジティブに振舞う。それでなんとかやっていけている。

ところが、最近、後輩に「メンタル強そうですよね。ストレスの多いところでもやっていけますよ」と言われた。自分がそう見えていたことにびっくりした。行動だけでもネガティブにならないように気をつけてはいたけど、表情とかで周囲には精神的には弱いことが気づかれていると思っていたからだ。

もし周りの人間がみな同じように感じていたとすると、本当は精神的に弱いのに、「あの人は大丈夫」と思われていることになる。その状況が一番まずいのではないか自分がもし折れたときに、助けてくれる人がいないかもしれない。そのことが心配でならない。自分はやっていけるのだろうか。

2017-02-18

スーツを着た大勢人間がいる空間を見たり、その集団に近づくと

本当に泣きそうになる。

怖くて、気持ち悪い。

その空間にいることもままならない。



数週間後に自分はその現場にいなければいけないらしい。

卒業式なら欠席すりゃいいんだけど、そういうわけにもいかない。

しかも、結構真面目な場。




プレッシャーとか、失敗したらどうしようとか、色々あるけど

それ以上に、スーツだらけの空間に耐えられそうにない。

誰かわかってくれねーかな。




特に同級生スーツ着てるのが、死ぬほど辛いんだ。

自分も同じ格好していてもしていなくても、本当に辛い。



何なんだろうな。




追記

もっと批判されるかと思ったけど、温かいコメントありがとうございます



トラックバックでも言ったけど、能面ピエロなども恐怖症。

マトリックスは見たことない。逃走中も苦手だけど、知っている人が真剣なことをしているのが怖いんだろうな。



実は工業系の学生で、卒業研究の発表会や学会の出席が決まってる。

就職スーツじゃない方がいいなとか漠然と思うけど

目の前の卒業式卒研学会がもう辛すぎて、卒論書くのはいいけどそっちの方が辛くて本当に泣きそう。



別件で心療内科はかかってたことあるんだけど、これ行った方がいい?

なんていうか、いい誤魔化し方ないかな。



こんなんでへこたれてちゃこの先生きていけない…なんて言われるんだよ。



追記2



様々なお言葉、本当にありがとうございますありがとうございます…。

ホッテントリ…。

賛同して頂ける方々、勇気をもらいました。



制服はまだ大丈夫だったけど、同じ方向に向かう同じ学校の人々を見るのが辛い。

私服選びがめんどくさいのはよく分かるし、スーツの「ちゃんとしてる感」に拒否しているのだろうか。

今でも登校がすごく苦手。小中学校大丈夫だったのだけど。

幸い今の学校徒歩圏内なので助かっているけど、それでも大勢人間と登校が本当に苦手。

たまに通勤ラッシュに巻き込まれると、焦っている人々を見て足が竦む。

進路やインターンシップ説明会とか、真面目にならなきゃいけない雰囲気というか。



普段ふざけて遊ぶ同級生が真面目になっているのも見ていられないし、お世話になっている先生がご飯を食べているのも見ていられない。

怖い、気持ち悪い、その場から消えてしまいたい、みたいな。



でも、決してスーツ嫌いなわけではなく、素敵なスーツもたくさんあるし、それを着こなす方々は男女問わずかっこいい。

スーツ否定をしているわけではなく。

ただ、普通にそういう空間に馴染んで、こういうことを思わずに、普通に生きたいな、とか思う。

2017-02-05

事務的手続きミス卒業一年先送りになってから早4ヶ月が経った。

自分ミスなので端から「仕方がない」と思っている。

ただ。

なんで数ある学科のなかでうちだけが9月卒業がないんだろう。

こういうのも入学ガイダンスで貰った分厚い資料なかに書いてあったんだろうか。

まあ9月卒業があったとしても今年中に卒論が終わっていたか微妙

2017-02-04

「この研究は何の役に立つの?」って質問あるだろ?

ノーベル賞とかの偉い先生に向かってそういうこと聞くアホ記者がいるだろ?

で、それに向かって「これはロマンなんです」とか「基礎研究大事なんです」とか答えるアホ研究者がいるわけよ。

もうね、胸を張って

「将来のワープ航行のための技術です」

とか

どこでもドアを作るためです」

って言えばいいのよ。嘘でも。

世界とか宇宙とかがどうやって構成されているのかを明らかにすれば

ワープとかどこでもドアの実現に一歩近づく(はず)なんだよ。

から世界とか宇宙の中で「ここが分かっていないんですよ」っていうところを明らかにするのが研究なんだよ。




で、ちょうどそろそろ学生たちの手元には卒論なり修論なりD論なりがあるわけだけど

その研究世界とか宇宙の中でどこが分かってなくて、それをどこまで明らかにしたのかね?

「言われたことをやっただけ」

「分かってたことを確認しただけ」

面白そうだから作ってみただけ」

「売れそうだからやってみただけ」

だと研究にならないのよ。

そこだけは答えられるようにしといてくれ。マジで

2017-02-03

学術論文文法

文章を書くのが好きで、小学生の頃から今に至るまで非現実的世界観短編小説を書いて遊んだエッセイを書いては懸賞に応募したりしている。

いくつか賞ももらったし、研究室先生雑誌(学術誌じゃなくて業界専門誌みたいな月刊雑誌)に寄稿するときわたし校正してあげたりしているし、

文章を組み立てることが人より多少は得意だと思っている。

けど、学術論文わたしがいままで培ってきた叙述法とはかなり違う文法の元に成り立っていた。

今、わたし理系大学4年生なので卒論執筆に忙しい。卒論の内容は、マイナーチェンジを加えて学会報に投稿するつもりだから先生もしっかり目を通してチェックしてくれる。

初稿をチェックしてもらって、返ってきた原稿アドバイスや注意点の青ペンで真っ青になっていた。

たくさん論文も読んだし、要旨のチェックのときにも確認したし、かなり論文文法は覚えてきたつもりだったんだけどなあ。

並列のときは(たとえば「赤と青と緑にそれぞれ色付けられた~」とか)英語に倣って「赤、青、および緑に色付けされた~」みたいな書き方を一律でしなきゃいけない。これはだいぶ慣れたけど、いつもそのときそのときで一番読みやすそうな、より語感のいい書き方を心がけてきたわたしにとっては抵抗感が大きいものだった。「赤、青、緑に~」はもちろんだめだし「赤と青、そして緑~」もグレーゾーン

「だった」「~で、」も「であった」「~であり、」とかに統一。一文の長さはできるだけ短く。

筆者を示す主語ほとんど登場させず、「我々はデータを~~に従って分析した」みたいなことを言うときには「データは~~に従って分析された」とかいう書き方になる。

英語的な表現が多くて、読みやすさの点で言うとあんまり読みやすくない。でも、できるだけ筆者の言いたいことをできるだけそのまま読み手解釈してもらうという意味ではこういう統一された文法が便利なのかもしれない。

まり読んでて気分がよくなる文章にはならないけれど、しかし、この文法を完全に身につけて必要ときに使えるようになったら、それはそれですごく大きな力になるだろうな、とも思った。

2017-01-31

先輩に自分の書いた卒論コピペされていた

つい最近修論を提出したばかりの、理系大学院M2

4年生のとき、当時M1だったAさんと同じ班員として研究をしていた。

そのAさんははっきり言って無能だった。4年生の4月研究が始まって、1か月経つ頃には「この人を信用したら大変なことになる」と悟った。

というのも、Aさんが描いた図面をもとに部品制作していたら、全然寸法が合わないので、よく調べたら全然違う寸法が入ってたり、実験ノートフリクションペンで書いて、ちょくちょく消しながら実験してたり、そのせいで条件とデータ関係が分からなくなってデータを取り直しになる(しかもこれはAさんはやらないで自分がやらされる)とかそんなことばかりだったからだ。

しかもその上にいたM2の先輩も責任感のない人だったので、自分はすぐに相談にいけて、頼りになる存在がいないままだった。そんな状況で、大して知識経験もないままやってるので、たまにある進捗報告で指導教員ボロボロに言われる。

結局、あまり価値のない卒論しか書けなかった。教員にも半ば放置されていたので、先輩や教員に厳しく指導されながら研究をやっている同期が、うらやましくて仕方なかった。それでも、当時はSTAP細胞問題話題になってた頃でもあったので、コピペなどあってはならないという気持ちをもって卒論を書いた。

自分のいる研究室は「序論とか実験手法過去の卒修論コピペすればいい」みたいな風潮があって、実際に過去の人たちが書いた卒修論を読んでいると「ここは誰かの論文コピペだな・・・」と気づいてしまうことがよくある。実際、実験装置などは同じものを使っているし、手法も変わらないので、結果的に同じものを書くことになってしまうこともある。だからといってコピペが許されるわけではないし、いくら研究室内で保管されるだけとはいえ、将来、誰かに読まれ可能性は高い。しかも、研究内容としては価値がない以上、自分文章を書く、というところだけは譲らずに書こうという気持ちがあった。図や装置諸元引用したりはしたものの、基本的には自力で書いて提出した。

同じ研究室大学院生になって研究を進めてくる中で、卒修論については上述のような事情があることは分かっていたので、昨年修了したAさんの修論を読んでみようなどという気持にはならなかった。ただ、自分と一緒に研究をしている4年生が、過去の卒修論の中で、役に立ちそうな論文としてAさんの書いた修論を持ってきていた。一応Aさんの修論発表は聴講しに行ったのだが、発表を聞きながら「これ、自分卒論でやったこととほとんど変わらないじゃないか、こんなので修論として認められるのか」と感じていた。その修論が後輩の机の上に置いてあったので、どうせAさんのことだから大した出来ではないのだろう、と思って、目次をちらっと見てみた。

最初は、あれ、という違和感だった。「従来研究」として目次に書かれている論文が、自分が4年生のときに調べて卒論に書いたものと同じだったからだ。どんな風に引用しているんだろうと思ってそのページを開いた。

違和感確信に変わった。手元にある自分卒論ファイルと見比べてみると、一字一句変わっていない。「序論はコピペでいい」という論理で、後輩が過去に書いた卒論を、修論コピペするなんてことがあり得るのか、と愕然とした。

しかし、そんなのはまだ序の口だった。さらにページを読み進めてみると、実験手法、解析方法モデリング方法計算結果、考察結論ほとんどが自分の書いた卒論コピペだった。しかも、英数字フォント自分のものとは変わっていて、図表番号や設定条件などだけは置き換えられているので、「間違って使ってしまった」などということはありえない。さらに、自分卒論と違う部分は追記されたりしているので、その修論を読んだだけでは誰かの論文コピペしていたとは気づかないだろう。でも書いた本人が見ればすぐにわかる。こんなことがバレないとでも思ったのだろうか?

しかし、一つ違和感があった。というのも、Aさんに自分の書いた卒論データを渡した覚えがないのである。だからどうやってコピペをしたのかが不思議だった。

しばらく考えてから思い出した。自分がM1のとき卒論を書いている後輩に参考資料としてデータを渡していたのだった。その後輩はAさんの近くで研究をしていたので、おそらく後輩がAさんにデータを渡したのだろう。その後輩は自分とは研究テーマが少し違っていたので、「せっかく卒論ファイルをもらったけど、あまり参考にはならなくて、引用もできなかった」と言っていた。

Aさんの修論発表を見ていたときに「自分卒論とあまり変わらない」と感じたが、むしろAさんがコピペして修論を書いていたのだからそう感じるのも当然である

Aさんがコピペしていたことに気が付いてすぐ思ったのが、どうしてこれで指導教員は何も言わなかったのか、ということである。「他の大学研究と変わらない」「新規性がない」とかのレベルではなくて、「昨年の○○が卒論でやった研究と変わらないじゃないか」と一蹴されるレベルである。数年前のことならまだしも、1年前に卒論で書かれていた内容を忘れているはずがない。

これはあくまで推測なのだが、おそらく指導教員はAさんの指導放棄していたのではないか留年させても仕方ない、何も進めないなら叱ってでも何かやらせるけど、無価値な内容とはい修論を書いている(かどうかが怪しいのだが)し、修論発表も一応乗り切っているので、とりあえず修了させたのではないかと。

卒論コピペされたことで頭に来ているのかというと、Aさんがいか無能かはよくわかっているので、今更どう感じるわけでもない。ただ、コピペされた側として、このことについて指導教員に話をするくらいの権利はあるはずだ。

今は修論の審議がなされている段階なので、波風を立てるようなことはしないでおいて、修了が確定してから、訴えてみようと思う。

Aさんの修了は取り消すべきなのではないか、と。

2017-01-28

内定取り消しにされた過去

もう忘れて生きてきたけどやっぱりムカツクから増田に書く



数年前、大学4年だった俺

憧れの企業採用試験をどんどん通過していった(結構選考が多かった)

その企業夏休みを利用してまるまる1ヶ月インターンシップを行うところだった

地方在住だった俺は社宅を貸してもらいそこに住んで会社へ通った

インターン採用試験の一部で、通過すれば最終面接だった

1ヶ月後、俺は通過した

やったな俺!あと一息だ!



インターンでは1ヶ月もいたし部署の皆さんにかなりお世話になった

ここで一番お世話になった人をMさんとしよう

Mさんはかなりいい人で俺のことを気にかけてくれていた

インターンの結果も、部署人間全員が俺の評価を記入して提出するんだそうだけど

Mさんちょっと偉かったし声が大きかった(発言力という意味)のもあって、部署のみなさんが協力してくれて俺の評価はほぼ全員が最高点をつけていたらしい

これはもう相当なヘマをしない限り受かるだろうと思ったが結果はダメだった

最終面接で落ちた

まぁ就活なんてこんなもん…凹んだけど切り替えた



その後大学卒論に集中した

なんとか卒論も終わらせ無事卒業したが就職先が決まってない

卒論に集中しすぎて何も就活していなかった

さすがにやべえと思い卒業式の翌日にハロワに行って地元企業を紹介してもらいすんなり採用となった

東京に出たいという思いはあったけど就活で破れてしまったし働かないとまずいしということで働いていたある日

Mさんから連絡があった

東京にこないかという内容だった

インターンで俺を見ていてくれた

最終で落ちるとは思ってなかった、もったいないから是非うちに来い

1年遅れだけど大丈夫と言ってくれた

ありがたかった

そのまま話はトントン拍子に進んだ(がスピード自体ゆっくりだった)



ついに面接してくれるという話になった

冬だったか2月くらいだった気がする

東京面接を受けに行った

Mさん役員も呼んであるからと言われた

面接自体は30分位で非常に砕けた感じのものだった

合否はどうなりますかと聞くとその場で「内定だよ」と役員から言われた

やったー!俺!ついに東京で働ける!

しかった

Mさんも喜んでいた

地元に帰った俺は勤めていた会社上司に打ち明けた

実はこうこうこういう経緯で~辞めたいのですが…

上司応援してくれた

1年も働いていない俺のことを気遣ってくれた

俺の苦手なことをわかりやすくまとめた資料もくれた(今も大事に持っている)

そして退職願を提出、無事受理されて退職日も決まった



退職願を出した翌週末、Mさんから連絡があった

「ごめんやっぱナシで!」

いつもの明るい感じで軽く言われた

固まった

理由を聞いたところ

最終面接で落ちた人間は以後2年間採用できないルールがあるとのこと

流れはこうらしい



Mさんは俺が欲しい

外資なので色々ややこしいがなんとか面接までいった(ここすげー恩着せがましかった)

内定出した

人事に上げたら「この人去年最終で落ちてるのでNGですよ」と一蹴された



とのこと

意味がわからなくて泣いた

色々考えて更に泣いた



・俺が原因じゃなかった事

・誰もがそのルールを知らなかった事

面接や事前の顔合わせなどすべてがそもそも無駄だったという事

会社を辞めてしまった事

・勤続1年(365日)未満だったので失業保険がおりない事

・転居するつもりだったので部屋を解約手続きをしてしまっていた事

・出るとこ出て訴えると言ったら「お前この先この業界で働きたいなら目立ったことすんな、あとで痛い目見るぞ」と脅された事

・そっちまで行くからせめて謝罪してくれと言ったら「仕事差し支えからやめてくれ」と言われた事



まじでクソだと思った

3日間位ボーっとしていた

何もかも嫌になった

そのうち訴えるのも嫌になった

法テラスも行ったけどよくて五分五分ですよねって言われた

何がどういう五分やねん

こっち完全に被害者やろ

そのうち何もしたくなくなってもう忘れることにした

色んな人に忘れて次に行ったほうがいいよと言われた

まだ若いんだからこれからのことに時間を使ったほうが有意義だと言われた

しかにそうだと思った



その後紆余曲折を経て俺は東京に来た

Mさんとは違う会社だが同業の会社に入った

そこでガンガン成績を出した

あんな事があったから俺は極度に人間不信になった

プライベートではそうでもないが仕事はまず他人を信用しなくなった

どいつもこいつもMさんみたいな調子の良いことばっかり言うクソみたいなやつばっかりだと思って働いている

実際そんなことないけどそう思ってないとこっちの気合いが切れてぬるくなってしまいそうで怖かった

また裏切られるんじゃないかと思って今でも怖い

今も怒りはある

済んだ事だと笑っていいのは俺だけだと思う

向こうが地面におでこ擦りつけて謝っても絶対さな

人生狂わされたか

でも結果的には今は望んだ仕事に就けたからよかったけど

あの人が俺にやったことは変わらない

今は別の会社でかなり偉いポジションになってるらしい

本当にあの事件は腹立たしい

未だにちゃんとした謝罪はもらえていない

面接依頼顔も見ていない

会ったら殴られるとでも思ってんのかな

んなもんで済むわけないじゃん

失ったものは返って来ない



※ちなみに最後面接までに何度か東京に来ていたし、課題のようなものを出されて真面目に取り組んだりもしていた。

内容は言えないけど、俺が提案したやつがそのまま実際に採用されてたことがあった。

気のせいかもしれないけどまじで怪しいと今でも思ってる。

2017-01-21

進路が決まら大学卒業した女な訳だが[1]

2年前の3月自分就職が決まらないまま卒業式に臨み、そのままフリータールート突入した。

就職課をはじめとする大学関係者には「某生命保険会社営業内定が出た」と嘘をつくことで、表向きは「社会人生活へ向けて巣立ちを迎えるフレッシュ若者」になりきった。

就職が決まらないということが何より恥ずかしかったし、周りには心配をかけたくなかった。

今思えばそんなクソみたいなプライドで嘘をついた自分の方が恥ずかしいのだけれども。

学生の頃、正直自分はすぐ就職が決まると思っていた。

早くこんなつまらない地方都市から抜け出して、レインボーブリッジシーマ転がす業界人になってやる。

なんて時代錯誤でクソダサい動機を孕みつつ、鼻息荒く就活スタートした。おったまげ。

エントリーシートは通る。筆記試験も通る。しか面接でことごとく玉砕

気づけば残り弾数はゼロ。そして静かにマスコミ就活シーズン収束

就活の良い思い出?履歴書文字が綺麗って褒められたことくらいかな。ファック。

「まあそれでも?どこかには決まるし?ドンウォーリービーハッピー的な?」と楽観的に考えていたのと、内定承諾までの返答期限という事情から、他企業内定を辞退してしまっていた。

その後は流石に「転がすのはライトエースでも小型セダンでも、なんでもいいから、もうシーマなんて言いませんから…助けて…」と、ブットビまくってた理想をかなぐり捨てた。

どこでもいいから拾ってくれと地元中小企業などを血眼で受け続けたが、軒並みお祈り。

自分シーマどころか社用車にも乗れない人間。この事実を認めざるを得なかった。

冬ごろには就活をする気力も、今までの根拠のないプライドも、全て灰燼と化した。ぼくの心を就活は奪い去った。俺は空洞。でかい空洞。

全て残らず就活は奪い去った。

俺は空洞。面白い


全然面白くないです。


さすがにYami Yami Day(※病み病みの日のこと)を送って震えるのは嫌だったので、バイトを詰め込みまくり卒論を夢中で執筆することで現実逃避をしていたら、春なんてすぐだった。瞼閉じればそこに。

こうしてひとり、職無しのまま社会へ放流された死んだ目の若者が完成した。

卒業式後の飲み会で友人とフジファブリックの「若者のすべて」のサビを肩組んで歌った辛すぎる思い出。何年経っても思い出してしまうなあ。

毎晩内定のない人が見るまとめ速報を見て「自分マヂクズだゎ…ッラィ…」とか思いつつ、マンマのご飯はススムくんな、ナンダカンダ健やかなニート生活を続けていたある日。

「金を入れられない人間はこの家を出て行け。とりあえず働け。」

と母に某アルバイト情報誌でアタマシバかれ、ぱみゅぱみゅしてしまった私。渋々実家から激近の某企業アルバイトを始めた。

そこにいた先輩アルバイトのK氏は、大学中退後、様々なバイト転々として、今に至るらしい。「条件がかなり難しいか正社員にはなれないだろうけど、ずっと別にこのままでいい」と言っていた。

確かに仕事は楽だし、地元にしては時給もいいし、定時でしっかり帰れるし、人は優しいし、社食はおいしいし、福利厚生や社割もあるしで、バイト先にしてはマチャアキ文句なしの星3つだった。

しかし、そんなK氏を見ていると「自分はずっとアルバイトという立場でいいのだろうか?」という疑問が首をもたげてきた。

パン酵母か?というくらいに、その疑問は日に日に膨らみ、(マンマのご飯と社食体重も膨らみ)ついにバイトを始めてそう日が経っていない初夏のある日、母にこう言った。

「私、今から金貯めて東京行くわ。」

「は?東京?行ってどうすんの。」

東京行って就活やり直すだ。」

「どうしましょ、どうしましょ、どうしましょったらどうしましょ」


[2]に続かせてください。

2017-01-17

修論を終えた感想

 無事に修士論文を提出し、諮問の日程も決まった。


 大学によると思うが、ウチの場合修論を提出した段階で、博士後期課程への進学と学位発行がほぼ決まる。逆に提出した段階での差し戻しを食らう場合は、修士論文撤回の憂き目となる。教授も出せるように指導するし、学生も間に合うようについて行かなくてはならない。とりあえず提出できたので問題がなければ、このまま無事に修了、進学となる。良かった。


 よくある適当私大阿呆学部卒業したので、司法試験を受けるでもないのに卒論は書かなかった。留年もかました典型的マジメ系クズ学部時代の禊ぎをすませることができ、うれしく思っている。ウェーイでもDQNでもオタクでもなかったあの頃の残念さ、大学卒業してから放浪にも似た十年を、期せずして総決算する機会となって良かった。


 文系修士博士無意味だと騒がれて久しいが、そんなことないと思う。そもそも社会的無意味無効な誤差として処理される人間にとって何かしら一つをやり遂げた記念が、社会的認証されることは自信を得る機会になる。もともと無意味人間には、意味のあるものだ。


 幼少期から思春期青年期にかけて自信を育む機会を生かせなかった人間には辛いことが多い。自信の無さが生活態度、言動に現われるし、結果、多少の理不尽なり違和感を周囲に与えて暮らすことになるからだ。その齟齬が対人関係軋轢となる。


 もちろん修士号をもらったところで、身に染みついた挙動の滑稽さ、可笑しさが拭えるわけではない。聖痕のように残るものだろう。それでも、何かをやり遂げたという実感が、ありふれて大したことではない修士論文の提出という事柄に込められていて、少しだけ自信を得ることができた。


 4月から博士課程に進む。同時に研究分野の珍しさと新しさもあり、ある企業研究員として雇ってくれることにもなった。学振は落ちたけれど、博論を書きながら、研究員という願ってもない形だ。

 もう若者ではない。朝、鏡をみると、残念なおっさんが寝ぼけてくたびれている。老いつつある両親に会った際、母に結婚について聞かれたが、それはあきらめている。でも、覗いてみたい世界があり、その世界研究員という形で足をつっこんで暮らしていけるのだ。悪くない。

 21世紀も後半になる頃には、僕はこの世界からログアウトしているだろう。それでも、自分が残した浅薄で僅かな研究や記録が、後継の偉大な天才と俊英たちのいくらかの踏み台になり、また諸俗凡人の皆さんに少しでも益するならば、それでいいじゃないかと思っている。百年後に一度、次の誰かが少しだけショートカットできるための一行を書く仕事、それが僕の務めだ。


 修士論文を書くということは、最低限、その分野の歴史の全体が見えており、研究史の中で自分立ち位置を把握した上で、浅彫りの僅かながらも確実な成果を置いていくことを意味する。そうすることで、今までぼんやりと見えていた世界がくっきりと鮮明に見えてくる。ザルだった視点が、精細さをもってくる。それが世界他者自己の精彩さに変わってくる。分野によるし一概にも言えないかもしれないが、僕はそういう経験をした。


 修論を出し終えて、本当にやって良かったと思っている。

看護学生

看護学生してて思ったこと。

もちろんプライバシー保護は大切なので、掘りいったことは書きません。

ひとつの例として受け取ってもらえればと思います


わたし

看護大学4年、もうすぐ国家試験

教員陣は怖い人が多い

・なんとかなるから大丈夫と思ってる

ヘタレ

・きらいなことは行動計画発表


まず、大学でのこと。

1年の頃からフルコマでびっしり勉強が始まり医療ことなんてちんぷんかんぷんながらも頑張って覚えた解剖生理学

途中に挟まれ技術演習。血圧測定のテストではダブルステートで教員と聴いた。よくできていた人にも粗探しをされ、文句しか言えないのかと思った。

2年くらいになると文系大学で現れる〝全休〟。そんなものはなかった。「起きたら2限始まってたあ〜」なんて有り得ない。1限すら落とせない。絶対に、這ってでも1限に行く。単位を落とすことさえ許されない。実習が始まるから授業どころではなくなってしまう。わたし大学ナース服を着る時は黒髪でなければいけなかったので、大学生活はほぼ黒髪夏休み染められるのが嬉しかった〜。


3年から始まる領域別実習。(2年生からのところもある?)

教員が鬼に見えた。

病棟へ行き、行動計画指導者に見せる前にまず教員チェックが入る。

「なんで?」

「は?」

あなたは昨日の夜何をしてきたの?」

教員言葉が痛かった。わたしを見る視線も痛かった。逃げ出せるもんなら逃げ出したかった。

毎日2時間くらいしか睡眠時間が取れないくらい、必死に受け持ちさんの疾患と症状を見比べて立てていた行動計画。こんなに必死にやっても褒められることはなかった。

それがやっと終わっても次にやってくるのは指導者への行動計画発表。指導者2人+教員2人VSわたし、なんてこともあった。実習の中でいちばん嫌いな時間だった。グループメンバーがズタボロに言われてるのを見て、ああ……わたしもこうなるんだ……と毎日思ってた。

アセスメント看護計画教員からコメントが心に刺さるものが多くて毎日泣いていた。甘えかもしれないけど、もっと言葉の棘をなくしてほしいと思った。


唯一実習で癒されるのは患者さんとの時間。本当にありがとうと言いたい。ベッドサイドが病棟いちばん落ち着く場所かもしれない。まあそれでバッ!とカーテンが開いて教員が現れた時はもう\(^o^)/こんな感じだけど。

そんな患者さんだけど、アセスメントして計画を立てるためにこんなこと聞くの?みたいなことまで聞かなければいけない。根掘り葉掘り聞かれて患者さんは嫌じゃないかな?とか、わたしだったら聞かれたら嫌かもしれないな、、なんて考えながらお話をしていた。聞いてきたことをアセスメントに加えても、不足があって指摘される。ここ聞かなきゃ!って思うけど、どうやって聞けばいいんだろう…とかなり悩んだ。病態よりもコミュニケーションに悩むことが多かったかもしれない。御家族から聞けることは御家族が面会に来られた時しかチャンスがないからもう必死(笑)きっと変な言葉になってただろうな〜。


指導者への報告の仕方とか、ケアの手順とか、調べてきてもやっぱり実際の病棟とは違う。仕方ないけど悔しかった。


あとは、ナースステーションの居心地の悪さ。記録部屋を用意してくれる病院ならまだいいけど、それがないところはナースステーションにいるしかいから頑張って看護師さんたちの邪魔にならない場所(隅の方)を探して居るけど、邪魔じゃないかな?ここ使うかな?といつもら気にかけていてナースステーションは好きな場所ではなかった。実習に来てごめんなさいといつも思ってた。


あと、やることがなくなる、もしくは何をやればいいかも分からなくなると始まる病棟散歩(笑)教員指導者に見つからないように病棟をうろうろした。だって何したらいいかわかんないんだもの。聞くにも「なぜ私に聞くの?」って言われるから1度聞いたらもう聞けない。うろうろするしかない。


領域別実習が終わって卒業研究。いわゆる卒論のようなもの。3年生の2月とかから始めて、国試勉強とか就活しつつ10月に完成させる。文系大学と比べるのもおかしいけど、わたしは同時進行でやることが多いから、卒論くらいでなんであんなに文系大学は騒いでるんだろうって思った。

最後に。

鬼の教員だらけで大変だったけど実習は休まず行ったし、単位ひとつも落とさなかった。普通のことだけど。なんとかなるもんだと思った。寝れなくても、病棟で泣いても、怒られても、なんとかなる。大学生だけどあまり大学生らしい生活はできないからそこだけ覚悟必要かな。


で、今は国試直前。

こんな時間に起きてることも、こんなの書いてることもあまりよろしくないです。でもなんとかなることを信じて頑張ります


追記です。

なぜ度々患者さんへ許可をとるのかについて。

インフォームド・コンセント(事前に説明許可を得ること)ぜったい!と教えられているので、何をするにもまずは「次にこれしたいのですが、いいですか?(簡単に言うと)」と聞かねばなりません。

それもきっと患者さんからしたら、いちいちうるさいなあってなりますよね。でもそれをしないと、教員指導者(学生指導看護師)から「え?許可とってないの?ならできないよ」と言われてしまます。なかなか難しいことばかりで……。

受け持ち患者さんに受け持ち開始の時に「毎回許可をとらねばならないため、何度も聞いてしまますすみません」と聞いたりしたらいいのかもしれません。ただ、全く余裕もなく毎日焦って不安でぐちゃぐちゃになっているので、できないだろうなっていう思いもあります。もうわたしは実習が終わってしまったので、就職してから学生を受け入れる側になったときに気をつけていきたいと思います学生が受け持たせていただくとき患者さんへの説明が、「嫌なことは断っていいです」スタンスなのであまり説明のことは説明されてないと思うんです。やらなければいけないですね。

2017-01-15

生きる目的とは

この時期おなじみの研究室ネタです。

研究室に配属されてから、ずっとこのことを考えている。

もはや何のために生きているのか全くわからない。

もう疲れた。ゴールしたい。

死んだらウンタラカンタラという人はよくいるかも知れないけど、正常じゃない精神をもっているひとは死ぬのが一番ラクな方法であることをしっている。

せっかく死ぬんだから死ぬつもりで頑張れといっている人もいるけど、やっぱり死ぬのが一番ラクなんだ。

ただ、まわりに迷惑をかけたくないからコトを起こさないだけ。

どこでこんなふうになったのか、ちょっと振り返ってみるとする。

これを読んでいる人の反面教師になれれば幸いである。


小学生の頃

そこまで人生に悲観するような人ではなかった。あたりまえだ。このころから壊れていたらそれこそ怖い。

自発的物事に取り組めていろんなことを楽しんで経験できたと思う。

だけど、今思うと凶兆はでていたのかもしれない。

この頃から負けず嫌いだった。負けたくなかった。

ただ要領はよかったので、少ない努力他人を打ち負かすことができた。

この時からか、勝ち負けにこだわり続けるようになったのか。


中学生の頃

この時も持ち前の要領の良さを活かして勝負ごとではそこそこの成績は残してきた。

だけど、嫌な逃げ癖を覚えてしまった。

部活剣道をやっていたが、練習がとても厳しくよくサボっていた。

しか練習をただサボるのではなく、練習中にわざと倒れたり、持病があるといって病院に行くと嘘をついたりしていた。

まり外面を守りながらサボる、クソみたいなサボり方だったのだ。

わざと過呼吸を起こして家に帰ってゲームをしていたということもあった。

救いようが無いな。


高校生の頃

要領が良かったので、地元トップ高校に入ることができた。

しかも無勉強で入ったといろいろな人に誇張していた。

実際は毎日2時間勉強していたのにな。

まり見栄っ張りだったのか、この時からも。

そのせいであとで自分の首を締めることになるとは思ってもいなかっただろうに。

地元トップという理由高校に入った自分は何の目標もなくのうのうと生きていた。

部活中学校の時みたいに苦労したくなかったので、ほとんど遊んでいる登山部に入部した。

この3年間は本当に無駄時間を過ごしていたと思う。

高校3年の夏、担任先生志望校を伝えたら鼻で笑われたから、頭にきて大学受験勉強をした。

それだけだったな。振り返ってみると

大学生の頃

そこそこの大学(旧帝)の理系に入ることができたが、入った目的担任先生を見返してやりたいということだけだった。

入ったあと無気力になり、サークルにも入らず家に引きこもるようになる。

厳密には大学には行っていたので引きこもりでは無いが、授業を受けて帰宅してネットサーフィンをするという日々を繰り返していた。

無論友達ほとんどいない。どこの大学はいるのが重要ではなくて、大学に入って何をやるのかというのが重要であると気付き始める。

このときから、生きる目的を探すように、探すことにすがるようになる。

研究室配属

生きる目的人生目標も無い私は、学年トップの成績がなければ配属競争に負けるという噂があった研究室名前を配属希望書に書いて提出した。

単なる見栄だ。自分他人より優れているということを証明たかった。

いま思うとこれが人生最大の過ちだったと思う。

もちろんその研究室の専攻分野に興味を持っていたのは確かだった。しかし、大まかな動機は上にあったソレだ。

ここの研究室の人たちは皆優秀だった。噂通りだった。

しかもみんな背骨のあった人であった。(http://next49.hatenadiary.jp/entry/20090222/p2

自分にはなかった。もっと言えばこの時に育てることができなかった。

見栄で研究室内でだれもやってない難しいテーマを選び、玉砕した。

そのテーマ研究企業との共同研究だったため、強い責任を感じていた。

また誰もやっていないテーマだったため、質問しにいっても迷惑がかかると思い、質問にあまり行けなかった。

行ったとしてもすごく辛かった。迷惑を掛けている気がして。

次第には研究室に行かなくなった。教授に、先輩に、同期に、クソ野郎レッテルを貼られるのがいやで。

順調に悪循環を築き上げていった。

卒論は糞みたいなのを書き上げて卒業した。自他共に認める糞だった。

大学成績が良かったため、大学から賞を戴いたが、自分は糞製造機にしか過ぎず、もらうには不適切だと思って更に気分が落ち込んだ。

大学院生

旧帝の理系学生は院に行く、というよくわからないしきたりに流されて、大学院に行った。

これも間違いだった。糞製造機と成り果てた自分はもはや研究に熱意もなく、ただただやらなければならないことをこなすだけだった。

面白くもなく、楽しくもない。

昔は楽しかったのかもしれない、もうよくわからない。

M1だが、生きる目的目標もなく、割り振られた仕事すら放棄し、研究室にも行かず、ここ増田愚痴を書いている。

精神科にも行った。カウンセリングにも行った。だけどやっぱり何のために生きているかからなかった。

もうなにもしたくない。生きる目的もない。

こんな苦しいことが続くなら、とっとと楽になりたい。

振り返ってみると、糞野郎になった原因は、逃げて逃げて楽して見栄をはったからだとわかる。

至極当たり前だ。しかも中身がない。

そんな人が、中身のある集団研究室)に放り込まれた結果、病んだだけ。

なるほど。

22年間生きてきて学んだことがこれだけかと思うと涙がでてくる。

あとはどうやって皆に不便を掛けずに退場する方法を考えるだけである

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109200731

大学で身に着けるのは情報主体的インプットしてアウトプットする技術よ。

一方的先生の言うことを教わってればよかった小中高と違って大学自分で授業選んだり、自分研究テーマを見つけて、自分で調べて考えて卒論書かにゃならん。指導教員は使い倒せ。

これを真面目にやってればほどほど使い物になる人間になれる。

ホリエモンみたいな大学不要論者はなまじ出来がいいか自分課題を見つけて自分で調べて考えてアウトプットする技術トレーニングしなくても自然に身に着けられるものだと思ってるんじゃないかと思ったりもする。

2017-01-07

卒論終わる気がしない

世の大学卒業している人々ってすごいんだなあ

理系からだろうか、そんなことは関係ないのかな。卒論ってなんでこんな苦しいんだ…教授に会いに行くのが辛い…

頭がくらくらする時間のなさでどうにかなる気がしない 卒業したい…

2017-01-06

やる気がでない

 卒論と向き合わなきゃいけない日々なのに今日一日は昨日進捗出したし〜とか甘い考えの元こたつに入ってぐだぐだして過ごしてしまった。今日やったことってなんだっけって考えるとソシャゲピクシブ漁り・ツイッターテレビ・買い物とか思い出す限り最高に息抜きしかしてなかった。昨日の進捗も思い返すとそんなにやったっけという気持ちになり、今頃焦ってきた。

 携帯をしているだけで3時間とか余裕で使えてしまうから、やらないとな〜と漠然と考えつつ携帯をいじる、みたいなアホなことをしている。結果起きてから何もしてない。

 やる気でるまで待っていたんだけど、無理だった。理由として今やることと向き合っていなかったからだと思う。今やることが結構漠然としたことで、目標は決まっているけどやる行動は決まっていない感じだった。とりあえずこれをやろうって決めるとちょっとはやる気でた。TO DOリストって大事だ。TO DODODODODODODOみたいになったけど。

 あと教授と話すのがすごく苦手なので会うのが億劫でやだ〜!ってなる。かといって話さない道はないのでおとなしく進捗を出して少し自信を持って話せるようになる外ない。けどこの自信を持つ、がプライド高くもってしまいすぎると話す前から自分で圧迫してしまってやっぱり会いに行くのやめようとか思ってしまう。実際そんなことが5回以上ある。

 期限をきっちり決めることは重要だなと思う。自分場合月曜までにやろう〜と心の中で決めてて、でも別に厳守というわけではなくて、終わんないし火曜…みたいな感じでずるずる伸ばしてしまう。これ非常にまずくて結果的教授確認とるのがめっちゃ遅くなる。なんか罰とか設定したい…一回だめなごとに親に仕送り一万とか。最早先生が会う時間決めてくれれば一番いい気がする…頼む…。

 あとずるずると長い期間やってしまうせいで、だらけてしまう。時間あるって勘違いちゃうんだよね。そんでもって進捗が微妙だったりするので、長い間いなかったのにこんだけ?みたいなこと言われるのを危惧してまた取り組むけどやっぱりそこまで進まない…ということが多い。ほんと長い期間やるのはだめ。短いスパンでテキパキやってテキパキ休むのが理想なんだろうなあ。自分はどうも、休む時間をとりすぎてしまう気がする。ツイッターとかふいに見るんじゃないよ…。タイマーでもかければいいのだろうか。

とりあえずまとめ?

・やる気が無い時はTODOリストかいてみる

・期限を決め、厳守する。

・休む時間とやる時間をきっぱり分ける

期間的にもあとすこしだし、ここを乗り越えればなんとかなるという心意気でモチベを保ちたい。今更だけどさ!

あと、こういうのかくと少しやる気あがる気がした。終わり。

2017-01-05

卒論単位やばい

 10月ごろから進めているはずの卒論がまったく進んでいなく、毎週教授に進捗報告しているはずなのに全然進んでいない。

 どうにかしないとと思って教授の元に質問しに行こうかと思っても怖くてなかなか行けない。実際何回か辛辣言葉をかけられて行きづらい。どのくらい進めたらもっていっていいレベルなのかがよくわからない。教授メールなどで連絡するのが嫌いなのか、毎回教授の部屋を尋ねなければならない。ノックをするのが毎回怖い。よくわからなくて家に閉じこもってしまう。研究に対する調査とかしていると頭がぐらぐらして寝っ転がってしまときがしばしばある。効率が悪くすすまない。

 今期は単位が全部とれているはずが、前期にあと数点というところで単位を落とし、先生メールをおくって救済処置をと思ったがだめだった。一応後期にとっておいた講義を受けるが、課題がひどく重いせいで卒論すすめる時間も少なくなってしまっている。地味に講義英語でやられるせいで英語が苦手な自分はよくわからないうえに講義のたびに頭がいたい。一緒に受ける友達もいないので聞くこともできないしつらい。適当講義をとった自分馬鹿だが、これを受けないと単位が死んでしまうので毎回死んだ目をしながら受けている。課題はわからないときがあると気が狂って部屋の中で暴れることもしばしばある。

 あと一ヶ月半近くで卒論は終わるのか、単位はとれるのかが心配でならない。就職先は決まっているもの卒業が伸びたらだめになっちゃうのではとか、親に迷惑をかけてしまうとか、色々考えてごちゃごちゃする。今までの大学生活は割とちゃんとできていた気がする、単位だって今まではちゃんととれていたのにつめが甘かった。なんとなく過ごしていればさらっと卒業できるものだと思っていたのが本当に馬鹿だった。

 とりあえず教授にあうのが怖いが明日勇気を出してみる。冬休みから会っていない。こんな自分をまだ指導してくれるのかが不安。だめだったら、おとなしく秋卒業か退学かを選びたい。と思っているものの実際に春卒業できなかったら鬱に殺されそう。実際単位を落とした時は死のうかと本気で考えていた。病院に行くべきだろうか。明日大学行ったら色々考えよう

2017-01-01

新しい年になっても辛気くさい気分のままだから、寝る前に浸りきって、朝が来たらより良い2017年のために頑張りたい。

そのために書いたクソポエムです。




2015年12月31日、私は自分アイドル絡みで涙を流す日が来るなんて思いもしなかった。純粋に、そこまでの思い入れがなかった。ないと思っていた。ましてやジャニーズアイドルなんて。

同級生女の子たちが楽しそうにジャニーズの話をしているのが理解できなかった。カッコイイと言うそ感覚が分からなかった。テレビきらきら歌い踊る彼らを見ても、彼女たちと同じ熱量で歓声を上げることなんてできそうもないという結論を下すほかなかった。

それでも、女子として学校生活を送る以上「好きなアイドルって誰?」という質問を避けては通れない。そんなとき、私は「SMAPとかかな」と曖昧に笑みを浮かべて答えた。

私は今、社会人1年生。留年なしのストレート。周りは「SMAPなんておっさんじゃん」と切って捨て、「変わってるね」と私のことを笑った。

中学1年のときには花より男子の2期目が放送され、みんな嵐に夢中だったし、デビューしたばかりだったHey! Say! JUNPや関ジャニ∞ファンの子もいた。ごくせんの影響でKAT-TUNが好きな子もいた。その4グループ以外にも、SMAPより後輩のグループなんてほかに沢山ある。

でも、私は「好きなアイドル」にSMAPしか挙げなかった。嵐のグループ名は認知していたし、花より男子は見ていたか松潤名前も知っていた。適当に嵐ファンの振りをすることも、いま思えばできた。

でもやっぱり、当時の私はSMAPが好きだと言っていた。あの子たちと同じ熱量できゃあきゃあ言ったりできないのに。

SMAP世界に一つだけの花が好きだった。オレンジ夜空ノムコウが好きだった。SHAKEも好きだった。がんばりましょうも。好きな歌が沢山あった。

母親スマスマをよく見ていた。母は自分世代だった近藤真彦が好きで、その後輩たちの動向も気になるらしかった。

世界に一つだけの花ダブルミリオンを達成したと知らせるラジオを母と一緒に聞きながら、小学生のころ、飛び跳ねて喜んだことがある。そのころの私は世界に一つだけの花が空で全部うたえた。



2016年、年明け早々に流れたSMAP解散報道を知ったのは、卒論を書き終えて自堕落昼過ぎまで惰眠を貪り、起き抜けに枕元のスマホを手に取ったベッドのなかだった。

嘘でしょ、と反射的に思った。SMAP解散報道は今まで何度もされて来たけれど、どれも誤報で、結局SMAP解散しなかった。だから今度だって誤報に決まってる、つまんない憶測でしょ、信憑性なんかない、と思った。

記事を読み進めていくうちに、今度はかなり深刻らしいと悟った。

気がついたら、涙が一筋こぼれていた。

驚いて、びっくりして、それからダブルミリオンの知らせを聞いたときの嬉しい気持ちを思いだした。

母親SMAP番組をよく見ていたから、SMAP総合司会をやった年の27時間テレビも、SMAPメンバー5人で旅行した5人旅も、見ていた。それぞれのメンバー個人でやっている番組も見ていた。

気がついたら、私は5人のことをけっこう知っていた。少なくとも中学生だったあの日苦し紛れに「SMAPが好き」と答えていたあのころより、ずっと沢山のことを知っていた。

最初は5人じゃなくて6人で、メンバーがひとり脱退しちゃってるとか。2回もメンバー逮捕されてるのに、解散してソロでやっていく判断はしなかったとか。

27時間テレビで見たライブときの顔、5人旅で見た意外な仲の良さ。

SMAPSMAPが好きって気持ち

いろんなことを知っていて、点と点を線で繋げられるまでに私は成長していた。昔は分からなかったことの意味が、頭のなかを巡っていた。

自分の部屋を走り出て、リビングにいた母と不安気持ち解散報道について話し合ったことを覚えている。

それから、例の謝罪があって、解散が決まって、署名が37万人以上も集まったり世界に一つだけの花トリプルミリオンを達成したり、スマスマが終わったり、8面も新聞広告が載ったりした。

私は不安や、よく分からない憤りや悲しみを抱えて、それを眺めていた。画面の向こうで、紙面を見つめて、いろんなことは言うけど、言うだけだった。

母親相談して、アルバムBlu-rayを買ったぐらいかな。やったことって。

年の瀬が迫るにつれて、どんどん心配になるのに、なんだからさら遅すぎる気がしていた。

さら、本当はちゃんと好きだったって気付いても、遅い。

ジャニーズなんて」みたいな気おくれも、私を笑う周りの声も、真面目に取り合わなきゃならないようなものじゃなかった。そんなものさっさと捨てればよかった。

ずっとそのままでいてくれるって、いつの間にか思い込んでいたから、多分あまえていた。

いなくなると知って初めて大切さに気付くなんて、やってる本人はドラマチックに浸れるかもしれないけど、やられた方は堪ったものじゃないことは、ずっと前から実地体験して骨身に染みてたはずなのに。

罪悪感が、今さら好きですなんてますます言えなくした。

2016年最後の日、初めてアイドルラジオを聞いた。SMAPの、中居さんのラジオ

終わったとき、泣いていた。涙が一筋じゃ済まなかった。ぼろぼろ泣いていた。

2016年が終わった。




27時間テレビノンストップライブの録画がまだ残っていたので昨日、改めて見た。格好いいな、と思った。思ってる。SMAPが好きです。

2016-12-28

くのいちねん,鬱もどき浮気もどき

僕の1年を振り返ろう.


3月 

卒論制作でとても忙しい.3月末の学会まで出た(卒業するのに)

4月  

・某企業入社 規模は2000人位で,業界では大手だ.稼ぎはそこそこになるのかな?

想像以上に激務でビビる毎日終電

5月  

・激務でつらい

大学時代親しくしてた女の子と会ってしまう(彼女いるのに)

女の子(上記)とお酒飲んじゃう.飲んじゃうだけ.

6月  

・激務でつらい,出勤前に体調を崩すようになる.

女の子(上記)とお酒飲んじゃう.うちに泊めちゃう.泊めちゃうだけ.

7月

・激務でつらい,勤務中トイレで吐きながらも続ける.頑張ってた.

女の子(上記)とお酒飲んじゃう.女の子の家に泊まっちゃう.泊まっちゃうだけ.

8月

・激務でつらい,勤務中トイレで吐きながらも続ける.頑張ってた.

女の子(上記)とお酒飲んじゃう.女の子のこの家に泊まったし,うちに泊めちゃう.泊まって,泊めちゃうだけ.

9月

・激務でつらい,勤務中トイレで吐きながらも続ける.頑張ってた.

女の子(上記)とお酒飲んじゃう.女の子のこの家に泊まったし,うちに泊めちゃう.泊まって,泊めちゃうだけ.

10月

・激務でつらい,勤務中トイレで吐きながらも続ける.頑張ってた.

・突然,全部がだめになって,出勤前,涙が止まらなくなる.泣きながら上司電話して病院へ行く.→適応障害とか鬱とか診断される(幾つか病院回った)

11月 

休職

12月 

・今に至る


現在休職中,どうなることやら.

転職も考えてるけど体は動かない…


彼女のこと大好きだけど,遠距離だし寂しくなって女の子に会ってしまう.

あってもご飯だけだし,それ以上何もないけど…


来年はしっかりした人間になりたいです

2016-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20161212224845

新規性にもいろいろある。

昔やられている研究を別の観点から分けて見たり、まとめてみたりして論じるのも新規性だし。

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea02.htm

オズボーンとか参照しつつ、適宜面白そうな組み合わせなり改変なりすればいいわけで。

・Substitute(入れ替えたら?)

・Combine(統合したら?)

・Adapt(応用したら?)

・Modify(修正したら?)

・Put to other uses(使い道を変えたら?)

・Eliminate(取り除いたら?)

・Rearrange/Reverse(並び替えたら?逆にしたら?)http://www.idea110.net/post_7.html

そもそも1つの研究は1つのことしか言っていないはずだから、昔の研究ですべての観点検証しつくされているのはよほど人気がありかつ古くから研究されている分野でないとないのでは。卒論レベルでは場合によってはその新規性とやらが仮に過去研究の追試だったとしても追試したという点での新規性いいんじゃないの。まぁ完全に追試だけだったらちょっと指導教官の力量を疑うが・・・

卒論2

http://anond.hatelabo.jp/20161212223235

学部レベルのものはい研究であるんだから新規性必要ものだと思ってたんたけど、そもそもその前提が間違っていたのか?

卒論で提出するものとほぼ同じ内容のもの学会で発表するときとか、オリジナリティはどこなんだってやたら言われるんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20161212223235

東大生でさえ毎年云千人という単位卒業していくのに卒論新規性なんか求めてどうすんの?

教授もそんな個人情報の塊重要視してないし、学部生に期待もしてないから、書きたいもの書け。

卒論

新規性とかオリジナリティとか、他学部の人はどうやって作ってるのかすごい気になる。

自分情報系だから新しい技術を取り入れるとかでわりとこじつけれるけど、文学部とかどうしてるんだろ?やり尽くされてるイメージが強い。

2016-12-01

こんにちは12月

こんにちは12月

卒論はまだ1文字も書いていない

卒業したい

締め切りまであと14日


















助けて

2016-11-15

卒論通過儀礼

卒論、つらい。

自分の頭のなかを今輪切りにしたら、多分この二単語が縞模様を作っている。

卒論を書きはじめるまで、自分はそこそこデキる学生だと思っていた。

研究室の同期のなかではレポートの出来も一番良いと褒められることが多かったし、

そもそも通っている大学だって旧帝大だ。

教授との仲も良好で、コミュニケーション能力を褒められることも多々。

デキるやつだと思い込んでいた。

でも、今、卒論を通してその自己認識いか薄っぺらで都合の良いものだったか思い知らされている。

圧倒的に読書量(文学部)・知識量が足りない。

今までの学生生活、思い返せば何をしてきたんだろう。

人に見せてきた明るい性格も虚勢だったみたいで、今はメンタル系の薬を飲んで心を落ち着かせるので精一杯だ。

大学生活、インターネット趣味時間を浪費して何も身に付けられなかったのに、

上っ面を取り繕うのだけは上手いか自分無能さに気付くこともできなかった。

周りは気にし過ぎだとか、十分能力はあるとか言ってくれる。

でも、自分脳みそ人間性も、がらんどうだ。

研究テーマが、つまり自分の関心の所在がわからないのもきっとそのせいなんだろう。

世の中のひとはどんな気持ち卒論に臨むんだろうか。

私みたいに、自分無能さに打ちひしがれて、死んだほうがましだって考えたりしてるんだろうか。

卒論はそういう通過儀礼なんだろうか。

そうだとして、これを「通過」できる自信が正直自分の中に無い。

卒論、つらい。

2016-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20161104232759

早稲田だろうとどこ行こうと、この文章力じゃ卒論もムリムリww

学歴云々以前に、図書館で『〜話し方が9割』でも借りてきて読んだほうが君のためだぞ。

2016-10-20

17公務員落ち民間企業就活中だが絶望している

公務員最終面接落ち後、9月から民間就活を始めた。

並行して新卒向けエージェントも利用。

でもあんまりいい求人ないな、それに落ちた理由も詳しく教えてくれない。

そして昨日、ハロワが行う合同面接会で応募した企業の最終面接が落ちた。

初めての役員面接はきつかった。

うまく説明できなかった。話がかみ合わなかった。説教いたことも言われた。

威圧感がすごく、緊張した。質問を返すのに精いっぱいで熱意を伝えられなかった。

から落ちたんだと思う。

だが受かっていれば就活は終了していたはずなのに。

自分面接が苦手だと思う。

えっと、えっとと言いながら話す。聞き取りづらいと思うが治らない。

緊張していることと準備不足だからだろう。

めちゃくちゃ入りたい!と思う企業が見つからない。

最近は転勤なし・土日休みという「条件」で探す就活をしているからだと思う。

志望業界とか特にない。とりあえず正社員で働かせてくれ。

そもそも、求人を出している企業が少なくなってきていることもありあまり業界

絞っても意味ないんだと思う。

企業研究同業他社との違いを理解しろと言われるがどうしろっていうんだ。

ホームページ就職サイトをみる、または会社説明会ぐらいしかない。

日経テレコム非上場会社情報あんまり載っていないとわかった。

何よりつらいのは卒論が終わっていないことと周りが内定貰っていることである

同じく公務員目指していた人たちはみんな合格している。

ゼミ内定がないのは自分だけ。

友達就活を終えている。

ツイッターをみると楽しそうに遊んでいるのがとてもうらやましい。

家族もまだ決まらないのか!とピリピリしている。

恋人も気を使ってくれているのが痛いほどわかる。つらい。

ごめん内定なくて。心配かけてごめん。

本当に就職できるのかな、と不安気持ちでいっぱいだ。

こんな自分採用してくれるところはあるのだろうか。

最近の口癖は「死にたい

独り言が多くなった

就職自殺を考える学生気持ちがわかる気がする。

といってもまだ自分10社ほどしか受けていない。

100社ぐらい受ける人もなかにはいると聞く。

その強靭メンタルどこから来るんだ。すごい

就職したい気持ちはあるがやる気もなくなってまあなんとかなるっしょ

って開き直って楽観的に考えてしまうこともあるがやっぱり最後は死にたくなる、つらい。

とりあえず卒論をすすめて、また就活をする。

面接は嫌いだ。志望動機を考えるのが苦手だ。

から働いている人を見ると面接クリアした人たちだ、すごいなと思う。

社会人になりたい

もう就活なんて嫌だ

死にたい

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