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はてなキーワード: クラスメイトとは

2024-10-29

高校生の頃、クラスメイト女の子が話してくれた話が怖くて今でも覚えてる


・その子自転車通学だった

・途中からずっと後ろからガサガサビニール袋が擦れてる音がすることに気づいた

・どうやら後ろを自転車で走っている人が自転車の持ち手にビニール袋をかけているらしい

・途中で携帯確認するためか何かで偶然一度停まったが、その後走り出しても後ろからビニール袋の音がするあたりで「おや?」と思ったらしい

・怪しく思い、無駄に道を曲がってもビニール袋の音がずっと追ってくる

・その子は半分パニックになり、通学路途中の少し大きめの中型スーパーに駆け込んだ。スーパーなら人目があるし、しばらく歩いて撒こうと思ったらしい

・しばらくスーパーの人混みを歩き、落ち着くために女子トイレへ。個室に入り鍵をかけ、ふーっと一息ついたところ、

・個室の上から男の人が覗いていた

・その子はそこから記憶がなく、なにかしらで異常を察知したお店の人がトイレにきて声をかけてくれたところからしか覚えていないらしい。警察もきたが、もちろん覗いていた男は捕まっていない


まりに怖くて創作を疑いたくなるような話だけど、自転車通学の女子高生を狙った変質者は多かったし、当時直接本人から聞いたのでおそらく本当

20年前の話だけど今でもあると思うし、今でも新鮮に怖い

2024-10-28

anond:20241016154446

隠れた攻撃関係ないけど、高校時代ギスったクラスメイト自分と仲直りする小説書いて文芸部作品として発表したのキモかったか気持ちちょい分かるわ

しかも大体そういうのって周りがみたら絶対あの人のことじゃんって分かるように書いてるし

昇華って防衛機制の中ではまだマシヅラしてるけど結局都合の悪い現実から逃げてることに変わりはないもんな

anond:20241016154446

隠れた攻撃関係ないけど、高校時代ギスったクラスメイト自分と仲直りする小説書いて文芸部作品として発表したのキモかったか気持ちちょい分かるわ

しかも大体そういうのって周りがみたら絶対あの人のことじゃんって分かるように書いてるし

昇華って防衛機制の中ではまだマシヅラしてるけど結局都合の悪い現実から逃げてることに変わりはないもんな

2024-10-26

とりとめのないメモ

更衣室に蜂がはいってきて大騒ぎになったのでバスタオルでつかんで窓から追い出したらクラスメイトがわっと離れて遠巻きにタオルもってかえるの?っていってきたので助けてやるんじゃなかったとおもった

ラーメンたべようとこたつに入ると中に冷たいものさわりみてみると蛾の幼虫だった

・よだれじゅわり。むねのここのところ(胸腺を指す)まで電流が来た

・仲良しを見つけてかけよったら滑ってスライディングした

自転車サドル男装バレするやつ おまえそれ痛くないの?

水族館血まみれ夫妻

追記あり

サドル? 男性女性の平らなサドルをつかっても、女性男性の狭くて溝のあるサドルをつかっても、痛いので、女装バレ(男の娘)にも両方つかえるネタらしいですぞ

ワイの高校時代クラスメイト卒アルに将来の夢は内閣総理大臣と書いていた。

財務省辞めて自民党に入り地元政治活動しているらしい。

Xで萩生田の擁護していた。まさに牽強附会。

思想というものは恐らくなくて、目の前の現世利益最適化しているだけだと思う。

大多数の政治家エコノミカルな行動先行で、整合性担保するような「哲学」を後付けで獲得しているだけなんだろう。

月刊漫画ガロ史上最も重要漫画10

anond:20241012181121

 ガロは書く人も居なさそうなので、元読者の義務感に駆られて書いてみた。リアタイで読んでいたのは80~90年代の一部なのでいろいろ偏っているとは思う。選択基準としては、漫画史的な重要性や、後世に与えた影響を優先した。バックナンバー単行本アンソロジー、関連書籍(が多いのもガロの特徴ではある)などの知識も動員したが、記憶に頼って書いているので誤謬などはご容赦。むしろ先達から突っ込みが欲しいです。なお、ガロ分裂後のアックス誌の作品にはここでは触れない。

カムイ伝白土三平

 まずはなにを差し置いてもこれ。そもそもガロという雑誌の創刊自体長井勝一による「カムイ伝」を掲載する媒体を作りたいという並外れた理由によるもので、「ガロ」という奇妙な誌名も作中人物の「大摩のガロから取ったものだった。どちらかと言えば現在では「読まれない」作品になりつつある印象なので当時の熱狂を図るのは難しいが、漫画史的には「どうやら漫画という媒体歴史的社会的な諸問題を描き得る(と読者に思わせた)」点がエポックだったのではないかと思う。今であればそんなもん当然だろうと思われるかもしれないが、所詮我々はこのような巨人の肩の上にいる。

ねじ式つげ義春

 つげ義春ガロ誌に発表した短編は悉くが傑作なのでとても一本に絞りきれるものではなく、作品の完成度からすればむしろゲンセンカン主人」や「赤い花」ではないかとも思うのだが、後世に与えた影響の大きさを考えればこれを選ばざるを得ない。「見た夢をそのまま描いた」という誤解を受けることも多い本作だが、実のところは多種多様コラージュや巧みな漫画技法に満ちていて、きちんとした作為の下に統制して作り上げられた「シュール」の傑作であることがわかる。

赤色エレジー林静一

 若い男女の同棲破綻物語と描けば無数の類例が思い浮かぶが、1970年の発表当時には極めて新しかったはずである。なにしろ婚前交渉などという言葉が現役だった時代だ。主人公職業アニメーターというのも新しく、しゃれていたのではあるまいか。この作品の画期は、漫画に「俺たちの等身大青春(あるいはそのように夢想したいもの)」を持ち込んだ点だったのではないかと思う。林静一洒脱な絵は上村一夫などによる後続作に比べても洗練されていて、今見ても色あせない。

ピクルス街異聞(佐々木マキ

 漫画(に限らず表現)とはなにものかを描かなければならないのだというドグマがまだ有効だった60年代漫画から意味というものを完全に取り去ってしまった佐々木マキの一連の作品センセーショナルであったらしい。画風はおそらく杉浦茂系譜にあるのだが、もはやナンセンスという言葉も不適当だと思われるぐらいに徹底して意味物語排除されている。その衝撃は若き日の村上春樹にもはっきりと影響を与えたらしく、のちに佐々木村上著作の挿画を担当することになる。

寺島町綺譚(滝田ゆう

 簡素な絵でナンセンス漫画を濫作していた滝田ゆうが、心機一転、自らが少年時代を過ごした戦前私娼街・玉ノ井の風景をおそろしく緻密な絵柄で描き出した。「三丁目の夕日」的なノスタルジアものの先駆ではあるが、最終回戦火は玉ノ井の街を焼き尽くして終わる。ここに描かれているものは、卓抜した記憶力と画力により再構築された、失われて二度とよみがえることのなかった風景なのである

マッチ一本の話(鈴木翁二

 ここまでは疑いなく殿堂入り作品が並ぶが、ここから判断に迷う。70年代ガロから永島慎二宮谷一彦を外してはいけないかもしれないのだが、活躍のメインはガロ誌ではなかった作家だし、やはり当時の熱狂現在から嗅ぎ取るのは少々難しい。安部慎一花輪和一古川益三(のちのまんだらけ社長)の諸作品も思い浮かぶけれど、ここでは作品の強度と詩情、卓抜した画力を取って敢えて鈴木翁二で。

ペンギンごはん湯村輝彦糸井重里

 これも当時の衝撃をいま追体験するのは難しいのかもしれないが、ヘタウマ不条理がどっさり詰め込まれた本作が半世紀近く前のものと考えるとやはり衝撃的だし、こういうギラついた脳天気さは、結局は80年代「軽チャー」の苗床になったのではないかと思わされる。

少女椿丸尾末広

 80年前後ガロにはニューウェーブカテゴライズされる作家も少なからずいて、例えば川崎ゆきお蛭子能収ひさうちみちお、奥平イラなどが挙げられるのだが、個々の作品への愛着はさておいて結局のところ今に至るまで強い影響を与え続けているのはむしろニューウェーブ埒外にいた丸尾末広ではないかと思う。圧倒的な画力漫画のみならず演劇音楽にも影響を与えたし、世代を超えたファンも多い。なお本作の初出はガロ誌ではないのだが、代表作として外せないのと単行本青林堂だったのでご容赦を。

タケオの世界根本敬

 80年代ガロではこの人の名前も外せない。「過激な」作風と言われ「特殊漫画」を自称他称もしている人ではあるけれど、実のところは非常に息の長い物語を紡ぎ出せるストーリーテラーでもあり、日本近代史や土俗性を容赦なくぶち込んでやるから覚悟しろよというぎらついた野心も垣間見える。その試みがもっとも巧くいった作品の一つが本作。水爆投下とともに発射された精子自我を持つ話です……と書くと面白そうでしょ?

道楽者の海(逆柱いみり

 ガロ最末期の90年代から一人と考えて、古屋兎丸山野一ねこぢるなども思い浮かんだけれど、漫画表現の圧倒的な強度に鑑みて本作を選んだ。この地上には存在しないはずなのによく知っている風景がどこまでもどこまでも展開される。いつかうなされながら見た夢が、ここに具現化されているという驚き。「ガロがなければ世に出ることのなかった」作品の一つの頂点であると思う。逆柱作品はどれをとっても傑作なのに単行本の多くは絶版で、とんでもないプレミアが付いてたりする……。

追記

個人的にはつげ忠男の大ファンで、実際「無頼の街」「河童の居る川」など傑作も数多いのだが、漫画史的重要性を優先して涙を呑んだ。

赤瀬川原平言及に迷ったけど、ガロ誌での漫画作品(『お座敷』など)よりも、その外での活躍が多かった人という印象なので選外に。ガロ系の作家ではこういう人も多いのですが。

・「ガロにおける有名作家」という問題もある。水木しげる矢口高雄池上遼一といったビッグネームもあれば、のちのどおくまんも一度作品掲載しており、末期ガロにも吉田戦車のような意外な面々が顔を覗かせる。珍しいところでは、SPA!誌で掲載を断られたゴーマニズム宣言の回を小林よしのりガロに持ち込んで掲載された例がある。

ガロ出身で他誌で活躍することになる人も多い。上記の他、新しい世代では花くまゆうさく福満しげゆき東陽片岡古泉智浩あたりか。

80年代ガロでかなり迷ったのは、トラバでも言及のある久住兄弟泉晴紀泉昌之渡辺和博などの面々。このあたりのナンセンス作品群はわりと影響も大きかったようなんだけど、作品単体でどうこう言えるものが思い当たらなかったので除外。

つりたくにこやまだ紫杉浦日向子近藤ようこといった女性作家たちの極めて良質な作品についても言及しておきたい。特に津野裕子は最末期のガロに、寡作ながら優れた作品を残した作家で、機会があればぜひ一読をお勧めします。

・その他、この10選に選ぶには及ばないけれど間違いなくその人にしか描き得ない作品を残し、ガロという媒体がなければ目にすることもなかったであろう作家たちについても、その名をリスペクトしておきたい。淀川さんぽ、とま雅和、谷弘兒、三橋乙耶、菅野修、等々……。

さら追記(含ブコメ反応)

 思いのほかガロ漫画への反応が良くて嬉しい!

90年代ガロ文章ページが(文章ページのほうが……)充実してた感があり、呉智英四方田犬彦など結構な面々が連載していた。

投稿ページの「4コマガロ」も相当(雑誌カラー的な意味で)レベルが高く、ここ出身の有名作家福満しげゆき

・同時期にやっていた「ガロ名作劇場」という好企画があって、90年代半時点では入手困難だった作家を含め、ガロ出身の名作家を回顧的に紹介してくれた。林静一「まっかっかロック」なんてものすごい衝撃受けたし、楠正平や勝又進なんてこんなことでもなければまず読むことができなかった作家だったと思う。

ねこぢるはやはり入れるべきだったかなーという迷いは今でもあり、代わりに削るとすればペンギンごはん鈴木翁二か。リアタイ勢だったんだけど初読の際の衝撃は今でも覚えていて、90年代サブカル的にはわりとよくあった「無邪気な残酷さ」が普遍性を持ち得た希有な例だったんじゃないかと思う。(その点では山田花子には自分は少々点が辛い)

・>ビレヴァンいけば売ってる? >なんか漫画系のサブスクはこういうのの乗っかってどんどんセット売りとかして欲しいよな。

 これは本当にそう思うところで、ガロの名作群はとにかく作品へのリーチが困難。古川益三作品なんてマジで読めないし古書には衝撃的な値が付いてたりする。電書にするにしたってタダじゃないのは分かってるけど、なんとかならんかな。

・>「ガロ」はフォロワー・影響度では計れない作家作品が多すぎて。簡単に真似されるような作品ガロ的ではないとも言えるし

 これも本当に同感で、孤立峰みたいな作家が多すぎるんだよなー。熱を込めて語られるけれど模倣はされない、って、表現としてはすごいことなんだけど。

・>ちびまる子ちゃんクラスメイト名前ガロ作家名前から取ってると聞いたときは「へー」となった

 これモデルになった某作家さんはスゲエ嫌がってるみたいですね(伝聞)

2024-10-19

明らかにお前が悪いやろ!と思ってても、注意すると後悔が残る。

高校の授業でバレーボールをした。

交代交代で他のチームの試合審判を任されるのだが、今日は私が線審に当たった。

線審というのは、簡単に言うとボールコートからたかどうか、あるいはサーブの時にラインを踏んでいないかなどを判断主審に伝える役割だ(と私は理解している)。

私が見ているコートのチーム(Aチームとしよう)のサーブ。他クラスのNさんがサーブを打った。彼女は“明らかにラインを踏んだ。私は即座に主審へ合図を送り、反則(?)であるとしてAチーム相手チームに点が加えられた。この判定が不服だったNさんは、チームメイトに「は?絶対今(ライン)踏んでなかったやろ意味わからん」と言った。結構攻撃的に。「おかしいやろ」とも言った。私の中に少しの申し訳なさと特大サイズの怒りが込み上げてきた。試合Aチームの負け。Nさんは私の判定のせいで負けたとでも言いたいような顔で私を睨みつけた。私は遂に我慢がならなくなって、試合後すぐにNさんに話しかけた。「さっき、審判暴言吐いてたよね?やめてね、そういうの。完全に踏んでたし。うん。聞こえてるから。」と、とびきりの笑顔で言い放った。表情筋がピクピクする、と表現するのが正しいのだろうか。怒りと悔しさと、なぜか悲しみのような感情が込み上げてきた。Nさんは「あ、すんません」といった様子でヘラヘラしながら言った。周りにいるNさんのチームメイトも笑っていた。私は心底気分が悪くなり、その場を離れる際に「いや、お前が悪いやろ!」と言ってしまった。その一言がなければ、完全に私が正義だったのに。ああ、後悔が絶えない、、。

ところで、そのNさん、結構曲者である。成績優秀だと言う理由で、学校行事の際に全校生徒の前でありがた〜い演説をしていた。生徒会長でもないのに。他学年の代表は1分程度で終わっていたのに、Nさんは5分ほど喋り続けていた。まあ要は“でしゃばり”なのだ。なのでもちろん学年全体から嫌われている。今日審判事件クラスメイトに愚痴っても、みんな口を揃えて「あー、そういう人よな」と言う。Nさんは自分は賢い、下々とは違うのだというオーラがとにかくすごい。でも聞いたところによると、彼女は学年1位ではないらしい。私は学年4位だ。いや、お前そんな賢くないやん!そんな気持ちがあるから私はNさんに楯突いてしまったのかもしれない。

今、結構後悔している。自分は間違ってなかったのだから無視しておけばよかったのに。なんか言い返したことによってめっちゃ不利なってない?てか審判への文句ぐらい私も言ってしまうかもしれない。言わんかったらよかった。

そんな後悔を、匿名で書くことで昇華したい。

2024-10-18

人間関係どうしたらいいんや

高校2年の夏過ぎにパニック障害不安障害学校に行けなくなり中退。数年自宅療養からの徐々にアルバイトができるようになりフリーターに。
高校はわざわざ家から遠い場所にあるとある大学附属に行った(私の中学からは私1人しか行かなかった)。その大学に行きたい学部があったからだ。
その夢が諦めきれず、去年、関連する学科専門学校入学。その学問は、ややちいさな界隈であるが、その界隈では1番歴史のある学校だ。
学ぶことが楽しくて満足していた。3年間だけだけど有意義に過ごしたいと日々足掻いていた。

1年生のころに仲良くなった友達が2人いた。①ちゃんと②だ。ふたりとも私より年上の30代。
1年の頃はよく3人で行動していた。
私の体調が不安定なことからたまに学校を休むことがあり、そのときプリントをもらってくれたり、プリントの穴あき部分は写させてもらっていた。基本皆勤の
2人はどうもそれがあまり良く思ってなかったようで。
私が学校を休むのは怠惰のせい、寝坊のせいと思われていた。違うのに。
2年の夏前から違和感を感じたが、夏休み前は期末テストの追い込みに忙しくあまりそちらを気にしている暇はなかった。

夏休みは一切連絡は取らなかった。
そのままフェードアウトするのがきっとお互いのためだったと思う。


5月ごろに理不尽理由で私は文化祭委員指名された。友達を巻き込んでいいとのことだったので、当時はまだ仲が良かったので①ちゃんと②を指名した。それと①②とも仲のいい男の子が1人加わってくれた。
現在その文化祭委員で集まることを酷に感じており、学校を休むことも多くなってしまった。
授業は日々進んでいく。私だけ受けられない。
勉強したいのに、授業受けたいのに、好きな先生も沢山いるのに。なんで授業に関係ないところでこんな負担を被らないといけないんだろう。

もともと持っていたパニック障害は完治はしていない。うつ治療中。メンタル状態は割とすぐに体調に直結する。
学校では2人は私には一切話しかけてこない。1年の頃は仲良かっただけにいまだに信じられない気持ちもあるし、2人に呆れてもう顔も見たくない気持ちもある。
いい歳して無視みたいな幼稚なことは流石にしないけど、そうじゃなくてもなんだかなって思う。基本クラス替えしないからあと1年半同じクラスなのにこんなに気まずくして大丈夫そ?とは思う。もしかして気まずいの私だけなのかな。私は比較的1人で行動できる範囲が広いらしい。だからこそ放っておいてもいいと思われてるのかも。この学校には学びに来たんだから友達を優先するよりも自分勉強欲を最優先にして何が悪いんだろう。
私のクラス友達グループがびっちり出来上がっていて、ひとりぼっちの人って女の子は居なくて、だからこそいま浮いてしまっていて、クラス内の関係ない人には申し訳ない気持ちもあるし、自分自身が情けないし、必ず誰かと行動しないと行動できないクラスメイトも愚かだなって思う気持ちもある。このクラスにも問題があって、1年の最後に、クラスを替えてくれ、もしくは私だけでもいいから他のクラスにしてくれと先生に直談判したが、ダメだった。今になってもこのクラスは好きになれない。全て1人で勉強すればいいだけなら良かったのに、医療系なので複数人での実習は多い。正直クラスメイトに「え??」と思う時は多い。私が悪いのだろうか。どこを直せばいいのだろうか。
文化祭委員担当教員担任だったので相談したが、今になってメンバーから外すことはできないと言われた。細かな融通が全く効かない学校ではあるとはいろんなところからは感じてはいた。自殺未遂でもすれば動いてくれるだろうか。
文化祭委員は完全に3:1の状態ストレスフル。2人とも私のことなんだと思ってるんだろ。君たちのせいで私は勉強できないのに。

私のメンタル面の体調の弱さも嫌になる。

心身の弱さをわかっているからこそ学校通えるようにいろんな面で他のストレスが減るように努力したり工夫したりしているのに、学校に通えないんじゃ何にも意味ない。

この①②との人間関係ストレスフルすぎる。どうしたらいいんだよ。こんなことで悩みたくないよ。

長年通っているかかりつけ医、学校カウンセラー担任、どれを頼ってもあまりうまくいかない。無料相談窓口も探してみた、チャット相談できるところに書いてるうちにわりとまとまったのでここにも投稿してみる。ちなみに相談窓口からはいまだに返信はない。

もし身近に、程度の大小はあれど、精神面に怪我を負ってる人がいるなら、優しくしてやってほしい。どう接したらいいのかわからない場合はいっそ本人に聞いてもいいと思う。して欲しくないことやそのラインはは人によって違う。完治してなくても、頑張って普通の人を装ってる私みたいな人も全然その辺にいるよ。

NT型なので私のどこがダメだったのか、なぜ距離を取ったのか、理由を一通り聞きたい。全部直すことは不可能だけど理解しておけば今後に活かせることは絶対ある。

反撃したすぎるけど全然反撃せずに静かにしてんの偉すぎる。昔よりも多少は成長したんかもしれん。いやわからんけど。

もっと細かく書けるところも沢山あるけどとりあえず。最近生活リズムも終わってて寝たら起きれないか今日はこのまま1限いくぜ〜〜夕方まで生きててくれよな。はぁ……マジ病ミ……

2024-10-16

殺伐としてるけど平和ニュースを読んでた

アメリカ

じいちゃんのかっこいい拳銃学校で自慢したろ

教室拳銃を出されたクラスメイト大パニック

じいちゃん警察からのお説教コース

剣銃乱射とか頭の片隅にもない子なんだろうね

キモい」は文脈次第だとは思うが、「奪わないで」はおかし

マジでこれ使われ方の幅が広すぎて文脈次第だからな……

飲み会セクハラ発言されたり、夜道で声かけされたり、そういう行為に対しての「キモい」は全然正当だと思う。咄嗟にそういう行為対応する際に「キモい」という語彙を用いても何ら問題ない。

ただ、小太りのクラスメイトとか、「清潔感」のない男子とか、変わった趣味女子かに向けられるのであれば、それはもう加害・差別迫害のための言葉醜悪ルッキズムの表明にしかならない。

この両極端のあいだに、一般人にとっての美少女ゲームとか、男に都合のいい女ばっかり出てくる著名作家作品とか、美麗な背景映像女の子+じめじめし男の子世界危機の組み合わせがやたら出てくる某アニメ監督作品とか、そういったものが広がっていて。実際にえもいわれぬ気持ち悪さを醸し出す作品出会ったとき感想として、それが間違っているわけでもない(批評として下手くそだというのは別の話)。「作品に対する批評としては(巧拙は別として)ありだけど、人に向けて言うのはなしだよな」みたいなラインもどっかにあるはず。

もしくは、「気心の知れた友達どうしでの軽口としてはありだけど、それ以外だとただの悪口」というラインもあると思う。増田女友達麻雀する度に「死ね」「殺す」「クソが」といった汚言を吐き散らかしているし、増田も際どい下ネタを振ったりしているが、職場の同僚とかではなくて本当に親しい仲間のあいだの話なので誰も気にしてない。それと同じだ。

また、ヘイトスピーチに対する法規制に反対したり、言葉狩りに異議を唱える立ち位置の人が、「たとえ悪い言葉であっても取り締まろうとするべきじゃない」と言うのはよく理解できる。

ただ、「奪わないで」とか言ってんのはおかしいよ。どうかしてるよ。「キモい」が無条件で正当化される場所なんて、セクハラ強制わいせつ被害を受けたり目撃したりした直後くらいだよ。それ以外の場所で使うには何かしらの不適切さが付き纏う言葉で、もっと言えば子供たちが言われて日々傷つきまくってる言葉でもある。「キモい」って言われたときの心の棘がまだ刺さってる大人も多いだろう。マイクロですらないド直球のアグレッションだよ。「セクハラ受けたときにそう言っちゃうのは別にいいでしょ」とか「仲間内の軽口が下品で誰が困るんだよ」って話なら「そうだね」ってなるけど、「抵抗言葉から奪わないで」なんて言われても受け入れられるわけないだろ。もちろん表現の自由があるから強制的に奪うことはできないし、使い続けることも止められないけど、そんな正当化をするやつの品位は確実に落ちてるよ。誰も奪わないから、自分の評判と引き換えに好きに使ってくれ、としか言いようがない。

それはそれとして、博士論文を頑張って書き上げたはてなー宮廷就職しているという近況を知れたことは素直に嬉しい。おめでとうございます

2024-10-15

anond:20241015185852

この話、えらい壮絶やな!

修学旅行が「修行」っていう表現、まさにその通りやなって感じたわ。

特に小学校の時の体験は、最初から波乱やん!

クラスメイトが「ワイ担当」って、もうその時点で帰りたくなるのも無理ないわ。

バスで泣き出して、結果的帰宅してしまったっていうのも、めっちゃ切ないけど、当時の心境考えたらわかる気する。

中学不登校で、修学旅行に行かんかったってのも、「トラウマ」になってるのが伝わってくるわ。

でも、高校生になってからバイト先の社員旅行とか、通信制高校修学旅行は、少しずつ違う経験もあって、成長の片鱗が見える感じやな。

特に最後通信高校修学旅行Facebookで再会したっていうところがちょっと救いやん。

厳しい「修行」の中にも、人とのつながりがあったってのが、ええ話やわ。

anond:20241015165830

親が転勤族だったのが災いして、昔住んでた地域に行くことになった。当然行きたくないお金無駄だって騒いだけど、両親が思い出になるからって言い切って結局行くことになった。

幼い頃よく遊んでいた雪山で、高二の自分クラスメイトスキーの手伝いをした。一度も滑れなかった。ずっと転びまくる奴を起こして、止まり方を教え続けた。10万円くらいの大金を親に支払ってもらって。

いまだになんであの時止めなかったのかと思う。

2024-10-13

anond:20241011192837

うちの子供のクラスメイト達で中学受験をする子供たちの理由ほとんどが勉強が嫌いだから受験勉強したくないかららしくてかなりがっかりしたのを思い出す...

が、こういう箸にも棒にも掛からぬ私学っていくら伝統だとかなんだとかうたっていてもそういうものなんだろうなーと思いながら読んでいたら、

いきなりの濡れ場展開でびっくりした。

最低だな...お前。としか思えなかった。

とある20代女(骨格ウェーブ身長160cm)の体重変遷と周囲の反応まとめ

結論

私の場合

BMI18.5は何も言われないけど、18切ると医者から注意を受ける

・痩せてる女扱いは47kg台から

・48kg-52kgは何も言われない

・53kgあたりはガタイがいい判定

・55kg超えからぽっちゃり扱い

・58-60kgはデブ

⭐︎⭐︎痩せても頭のサイズは変わらないので小顔にはなれない⭐︎⭐︎

でした。

以下はダラダラ長文書いてるだけなのでお暇な方はどうぞ

0 はじめに

●なぜこの記事を書いたか

→世は大ルッキズム時代

BMI◯◯以上はデブ!」など過剰にダイエットを煽る文句やそれに反発する声、様々な意見ネットだけでなく実社会においても飛び交う世の中において、個人の一例を示すことによって「この体重だとなんとなくこう見られる」の参考になればいいなと思った あと単なる記録用

プロフィールについて

10代〜20代において10kg以上の増減を過去3回繰り返してる女 身長160cm、最高60kg、最低45kg なお後述するけどダイエットの参考にはならないです

●同じ体重でも筋肉量や骨格によって差が出るのでは?

はいあくまで「運動大嫌いな筋肉皆無160cmの女」のサンプルとしてご覧ください

1 小4〜中1 身長160cm 体重60kg

成長が早く小4ぐらいには今の身長になってた 帰宅後にポテチファミリーパックorカントリーマアム大袋をむさぼりご飯も平らげるわんぱく小中学生時代 

以下周囲の反応

「◯◯胸でっけーー」

小学生のころ。男子に言われることが多かったけど女子にも言われた 本当に気持ち悪いし親御さんの教育どうなってますか? あと全身満遍なく脂肪がついていたので巨乳ってわけでもなかった

「◯◯さんはデブです!!!

中学生のころ。クラスメイトの一部が巨乳女子ランキングを作っており、◯◯さん(私)の名前が挙がったときとある女子から出た発言 声がデカいので普通に聞こえた 後から知ったことだけどその女の子自分巨乳が自慢だったらしい

「体積が…笑」

中学生のころ。体育座りをしているときにヒソヒソされた 

2 中2〜高2 身長160cm 体重50-55kg

前述のポテチカントリーマアムを辞めたら痩せた それでも思春期故に増減が激しかった 

以下周囲の反応

「(腰を掴まれて)くびれがある!」

→中3のころ。50kgぐらいだったと思う 同じ部活女の子に言われた ちょうど痩せ始めた時期

「Aさん(ガタイのいい女子)と後ろ姿そっくりね〜」

→高1か2のころ。クラスメイトに言われた たぶん53kgぐらい 

3 高3〜大1 身長160cm 体重58kg

受験勉強ストレスで過食 それでも60kgは超えないように気をつけてた 

以下周囲の反応

「Bくん(高身長水泳部男子)と肩幅同じやん!」

→高3のころ。たまたまBくんの隣に並んだ時にクラスメイト男子に言われた Aさんの時はなんとも思わなかったけどBくんは男子なので、同じ肩幅って言われたのはちょっとショックだった 5kgの差ってこわい

「頭デカいか勉強できるんだろ!」

→高3のころ。たまたま良い成績をとった時にクラスメイト男子に言われた Bくんの話と違って単なるやっかみなので気にならなかった(でも書く)

4 大1〜大3 身長160cm 体重48〜52kg

受験勉強が終わったので痩せた

以下周囲の反応

「◯◯ちゃん痩せたよね〜」

→50kg切ったあたりでよく言われるようになった 

なおこの期間は体型について何か言われることがあんまりなくて、周囲の反応もこれしか思い出せなかった。 おそらくこのあたりが「普通女子筋肉皆無)」に見える体重なのだと思う

5 大4〜新入社員 身長160cm 体重58kg

資格試験就活ストレスで太った。「ぜんぜん食べてないのに〜」とか言いつつ週3で深夜にラーメン食べてた 

この頃になるとみんな大人なので、体型について言われることは無かった よって周囲の反応は無し 

6 社会生活 身長160cm 体重45kg(現在

ラーメンをやめる+野菜スープダイエット体重を落とした。 一ヶ月ぐらい昼夜野菜スープのみという生活を送り、5kg落としたけど水様便ばっかり出てくるようになったので中止した その後もあんまり食欲が回復せず今に至る しぬほど疲れやす身体になったのでオススメはしない

以下周囲の反応

「◯◯さん!?

→久しぶりに会った先輩に言われた。体重58kg時代に会ったきりだった 10kg痩せると別人だと思われるらしく、最初声をかけても不思議そうな顔をされた

マック食べられなさそう」
ラーメンきじゃなさそう」
ガリガリやないか
「もう少し太ってね」

デブ時代を知らない人たちから発言。三番目は47kgのころとある男性から、四番目は45kgのころ健康診断を受けた時に医者から言われた SNSをみるともっと痩せてる子がいっぱいいるけど、実際は160cm/47kgあたりからガリ判定なことに注意が必要です 骨格的に細い子は特に

7 最後

太ったときより痩せたときのほうが圧倒的に見栄えがよくなるのは確かです!

長年自撮りを撮り溜めているのだけど、周囲から何も言われなかった時代(52kgぐらい)のころの写真すら今見ると顔まんまるなので…

でも私は運動せず痩せたので体力が全くなく、今ではちょっとお外にでただけでもへとへとになってしまうようになりました。

ダイエット効果食事制限>>>運動なのはその通りなのだけど、運動をおろそかにしてはいけないと痛感しています

それではまた!

村上春樹作品ポリコレガン無視云々で思い出した恩師との会話

ノルウェイの森キモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたこしか覚えていない)。

そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反キモい小説禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。

それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。

恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアル留年するレベル卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。

昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月大学早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。

挨拶やら近況報告やらを経て、話題A先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生退職理由について「学内の過剰な『コンプラポリコレ意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。

私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラポリコレ重視派」というか、フェミニズム共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。

私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。

A先生は、最近学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。

そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHK地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写暴力自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。

大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキング経験咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」

といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。

また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。

「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」

と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。

ポリコレ」つまりポリティカル・コレクトネス」とは本来政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮対象となるのはあくま現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクション評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品非難対象となっている。

だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラポリコレ意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。

1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。

最後に、フィクション受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。

私は昔から小説漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物クラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定グループ所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み自己肯定感が下がっていった気がする。

それでも、私の基本的スタンスは「傷つくのは受け手事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的フィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクション同義ではないのか。

以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。

2024-10-10

クラスメイトが死んでから1年経った

しょうもない長文お気持ち

めっちゃ影響受けているといえばそう、それを外に出しているかと言うとno

去年の今ごろの時期に隣の席のクラスメイトが死んだ。事故だったそうだ。

クラスメイトと言っても特に仲が良いかった訳ではなく、話したことほとんど無かった。

クラスメイトの死は先生から告げられた。私はただ自分の机に視線を落として教卓に立つ先生から通達を聞いていた。クラスメイトのすすり泣く声の印象が鮮烈に残っている。

それでも結局、クラスメイトの死がその頃の私にもたらしたものは人は死ぬんだという事実だけだった。

人が一人死んだというのに劇的なことは起こらなかった。物語の中の話ではないから当然だけれど。しいて変わったことといえばその日から私たち教室メンバーが一人減っただけだった。

しかしそんな些細な違いは簡単に馴染み、やがて私の日常となった。空いていた隣の席が気になったのは初めの1週間。それからしばらくしての席替えの時に席も撤去され、いよいよ私は何も気にしなくなった。

今思い返してもその後クラスメイトのことを思い出したのは出席簿にまっすぐ引かれていた打ち消し線を見た時くらいだと思う。それぐらい私にとってどうでもいいことだったのかもしれない。

なんで今こんなことをぐだぐだ書いているのかと言うと、本当にたまたま思い出したからでしかない。そういえばあの時ここで愚痴ったなと思いここを見たらたまたま今日と同じ日付だったのも関係していると思う。少なくとも書く気になった決定打はそれだ。

ただしそれ以外にも理由ひとつある。私は何となく悔しいのだと思う。クラスメイトが死んだことが悔しいのではない。人が死んだらもう何も無く、後世に何も残らず、関わった人間も含めて消えていくということが悔しい。

きっとここで書くことで何かが変わったりすることは無い。

いつだったか地球上で人は数秒間に一人死んでいると聞いた。きっとその程度の出来事しかないのだと思う。そうしたもの一つひとつに心を砕いていたら、きっと今を生きてる私たちは潰れてしまう。

そういう風に考えているというのに、私はやっぱりクラスメイトの死が、その存在が、私たち日常に何も影響も与えていないことに悔しさを感じている。

まあ、そんなことよりもクラスメイトの死を悼まずこんなことを考えている私が1番嫌な奴かもしれない。

anond:20241009124040

かに

馬鹿スルーするのにクズだけなぜ過剰反応するのか?って子供言葉からも察せられる

クズものろまもバカも全て友達に言っていい言葉じゃない 友達辞められても仕方ない暴言の数々だ (もう既に友達から距離を置かれてるかも知れないけど)

子供社会から孤立することを心配してやらない親ってなんだろうね

親のアンタに言ってる罵詈雑言は高確率学校で言ってるよ アンタが嫌な気持ちになるようにクラスメイトも嫌な気持ちになって娘の顔も見たくないと思ってるよ 

2024-10-07

アニメ1話見るの拷問過ぎる

ABEMAで興味ないアニメ1話も全部見て感想書いてみようかなと思って、ひとりぼっち異世界攻略つけてみたら、異世界行く前にボッチ男が上から目線クラスメイトの分類について語ってるシーンでもう恥ずかしくて見てられなくて切ってしまった。

これだけ対象が細分化されている時代に全部見るのって凄く難易度高いな、やってる人すげぇ。

2024-10-05

不登校時の親ってなんで不登校は全て学校先生クラスメイト責任だと思ってるんだろう

自分の子どもとの関わり方の問題とか疑わないのかな、そんな他責思考の親だから他責思考の子どもが不登校になるんだろうな

2024-10-02

anond:20241002122927

日本人学校の生徒は、父親基本的一流企業勤めまたは教師または外交官母親専業主婦自営業の子はいないと、めちゃくちゃ偏ってるんだということを帰国後知った。教師は若くてやる気がある人しかほとんど来ないし。クラスメイト八百屋の息子とかおらんもんね。

まあみんなそこそこ頭はいいからそんなに乱れはしないけどいじめはあるよね。でも転校で入れ替わりがあるから何年も続くってこともないのよね。

anond:20241002144027

他のクラスメイトにはすごくひょうきんでお調子者なのに、自分と話す時だけ声がおかしくなってたからよく覚えてるよ。同じ〝転校生〟ってバッジがついてるのが許せなかったのかもな。

2024-10-01

チアさいこー!

なんてったって出てくる人間はみんな恋愛対象として見ていいんだもんな!

クラスメイトや同僚、先輩後輩みたいな魅力的だけど異性として見ていいかどうかから考えないといけない関係性は一切ない。

ちょっと好みとか自分的にイケそうな相手オールいいね。返ってこなくても気にしない。返ってきたモン勝ちってことよ。

メッセージ送り合うだけで幸せ未来への想像が止まりませんわ堪りませんわ。

2024-09-30

ぼく・わたしラッキースケベ体験

せいぜい、中学生の時にクラスメイトの胸(クラス1大きかった)に肘が当たったくらいか

クラスメイトが箒で掃除しててときに胸元が隙間から見えてたとかもあったな。

見えてしまった系は他にも色々あった気がするが、触ってしまう機会は少なかった気がする。

ラッキースケベはそうそうないもんだな。

2024-09-28

anond:20240927234731

中高生合宿とか基本雑魚寝じゃん。

そこで隣のクラスメイトに寝ている間にズボンのチャックから手を入れて生ちんこ触られてたことはあったな。

後は友人宅に遊びに行ったら他の友人とよってたかって全裸にされたとかもあったな。

男子校だったんだが、合宿の時に欲情して兎に角キスしてこようとするクラスメイトもいたな。

あれは全部今考えると性加害だったんだと思うが、あの頃はわかってなかったな。

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