はてなキーワード: 視野とは
AIは(あなたが読んだことのない物含め)この世に存在する文章を可能な限り読んだ存在です。
それが「それらしい理論」として出してくる物は、そうしたものの中にある論理あるいは意見そのものを拾ってきてるのだから、それはあなたが知らないだけのよくある理論と言えるのです。
それを読んだことがない、のみならずそういう意見があると想像もしなかったのは、あなたの見識の狭さを意味するだけです。
それはもちろん意見の正しさを意味しません。たとえば陰謀論の類いも「よくある意見」ではあります。
しかしそれは、「よくある意見が正しくないこともある」という話であって、「それがよくある意見であること自体を否定する」のはただの馬鹿です。
チャットAIに物を書かせることは、それが陰謀論であれ本当の常識であれ、それを知らない人間の視野の狭さを教えてくれるのです。
僕の観察範囲だけで申し訳ないんだけど、楽天のエンジニア微妙じゃね?
3人ぐらいお仕事とか面接で話をしたんだけど、視野が狭いというか、ベンチャーに転職してきたのにビジネスサイドに寄り添ってないというか。
なんかでかい会社にいたというネームバリューだけでベンチャーに来た印象。
※まったくの偏見です
誰かと比べて色々考えちゃうなんてどの業界行ってもある事ですよ。なのでそこに罪悪感は持たないで。
せっかく好きを仕事にできた人生じゃないですか。描きたい事を世に放つ所まで手に入れられた人生じゃないですか。
気負わず好きなものを書いて、そして貯金は少しして、疲れた時は旅行に行ったりvision proとかガジェットとか、別の風景を手に入れてください。
本も多分たくさん読んでますよね、いつもは読まないものを読んだりして、視野を広げたらきっといいことありますよ。
あと、机仕事はどうしても筋肉が硬直するんで週に数回ジムに行くかマッサージするかして、動きたい時に備えてください。
やってるかもしれないけど、やってなかったらリラックスもできるし超おすすめです。
人間なんてどこの業界にいても少しのメンテナンスコストがかかるものです。
20:30 就寝
4:40 起床
4:50 ランニング
6:30 出勤
8:00 始業
12:00~13:00 昼休み(10:00頃から強烈な眠気に襲われるので数分で食事を済ませデスクで昼寝)
17:00 終業退勤
18:30 帰宅、晩飯の準備、風呂(勉強したいが眠すぎて手がつかない)
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8時間寝るようにしてるし体も動かしてるのに日中たまらなく眠くなって困ってるんだがいい解決方法あった同志いませんかね……。
ちなみにストレス感じるとすげえ眠くなる。
【追記】
・ランニング後朝食は食べてる
・ランニングしてから仕事への集中力が高まったのと、もともと社交不安障害でロラゼパム服用していたが、ランニングしだしてから社交不安が寛解し薬が不要になった。それ以降ランニングが習慣になってる為、ランニングを止める予定はなし。
そのチームは、はっきり言って、お話にならないくらい下手だった。もちろん技術面でもそうだし、ゲームに対する姿勢そのものがいまひとつ弱腰だった。おそらくだが、このゲームのクランマッチのデザイン自体に、プレイヤーに言い訳をさせるようなところがあるのだ。ふだんはある程度任意の動きを許されているプレイヤー達は、ユーバーチャージが貯まるタイミングでチームプレイにシフトし、まとまって動いていかなければならない。しかし、チームプレイというものには、個別のプレイヤーの動きとは異なり、実体がない。ここに自分への甘えを許す罠がひそんでいるのだ――おれのプレイが悪かったのではなく、チームとしてのまとまりが悪かったのだ、というような。
Nとの出会いと「MGE」
折しも大学に合格したばかりで浮かれていた私自身も、この甘えに参加していなかったかと問われれば、違うとは言い切れない。そんな私とともにこの悪い流れに拍車をかけていたNも、私がチームに参加しはじめたころは、手数よりも口数のほうが多い人間だった。他のメンバーに不出来なプレイを指摘されると、よくもまあそんな理屈をすぐに思いつくよなと感心するほどの切り返しで、「だって」から始まる台詞を連発した。
「だって、ソルジャーが付いてこなかったんだ。」「だって、相手がゴリ押ししてきたんだ。」「だって、おれは下手なんだ。」おそらく連日の負け続きのために、彼自身にどうしようもない負け犬根性が染みついてしまい、しかも彼はそのことを自覚できていなかったのだと思う。チーム自体にはおもしろい人間が揃っていたし、Nもまた日常会話ではとても楽しい思いをさせてくれたが、勝負事となるといかんせん悪いところが出てしまっていた。
「第一回プニ4トーナメント」が開催されるころには、すでに多種多様な戦法が開発され、そのうちのいくつかは創始者の名前を冠するほど有名なものとなっていた。たとえば「エアショ」という技術は、語感から空中にいる相手にミサイルを当てるものだと想像できると思う。しかし、たとえば高所に立っているプレイヤーの視野の狭さを逆手に取り、地上からミサイルの直撃を狙う「タンザナイト」や、攻撃を避けるために圧倒的な地形的有利をあえて捨て、さらに対戦相手の動揺を誘う「ハイペリオン」、その派生系の「疑似ハイペ」などは、あの当時の盛り上がりと、そこで活躍したプレイヤーの革新的な発明がなければ生まれなかった、奇跡的な語彙と言っていい。
「MGE」は、相撲と将棋を掛け合わせたようなゲームだった。要するに、狙ったところに駒を正確に打つために専門技術が要り、しかも持ち時間はゼロなのだ。技術、体力、精神力、集中力、持続力――思いつく限りのあらゆるゲーミングスキルが試され、しかも言い訳はできない。繰りかえすが、負けは負け、勝ちは勝ちなのだ。私たちは否応なく加熱していく舌戦とともに、ただ次の戦いに勝利することだけを望み、全身全霊をかけてこのゲームに臨んだ。
そして、いつごろからか、あれだけ言い訳ばかりしていたNが、「プニ4」での試合に限って、だんだんと自分の欠点を認めるようになっていった。あそこで高所から降りるのは悪手だった、あそこで狙いが乱れたのは集中力不足だった、もっと大胆に動くべきだった――そんな言葉が彼の口からいくつも溢れだし、その希望を象徴するかのように、彼の強さを表すポイントは天を突くような勢いで伸びていった。
そして5年が経った。先日、私はこのゲームの思い出を記すために、かつての「山本Gaming」のメンバー、Gにコンタクトを取った。彼は快く私を迎えてくれ、ボイスチャットに誘ってくれた。矢のように過ぎ去った時をほんのすこしでも埋めようと、Gと話をしているとき、仮眠から目覚めたNがボイスチャットに現れた。どう話を切り出したものか迷っていたが、私が「プニ4」という言葉を口にすると、Nの口から光に満ちた言葉がとめどなく溢れだした。彼は昔とおなじように、私のスクリーンネームを短く縮めた「ロールさん」という言い方で、私のことを呼んだ。
「ロールさん、これだけは言っとくよ。もし『プニ4』がなければ、いまのオレはないよ。オレはあそこで、勝負のおもしろさを知ったんだ。あれがなければ、おれはこんなふうに戦えていなかったよ。たとえば、いま、負けるとするじゃないか。でも、そんなことは当たり前のことなんだよ。負けるなんて当然のことなんだよ。だってオレは何百回も、何千回も、何万回もあそこで負けてきたんだ。でも、そのたびに取り返してきた。戦ってきたんだよ。いまやっているゲームだって、負けることは当然ある。でも、そんなこと、ほんとうに当たり前のことなんだよ、ロールさん。だって、オレの心は、絶対に負けないんだから。勝つために、オレたちは戦い続けることができるんだから。」
2023年5月から2024年4月末までカナダに交換留学生として現地の大学に在籍してるんだけど帰国を目前に控えて思ったことをツラツラと書こうかな。
授業内でのプレゼン、討論とか日常会話も慣れて出来るようになった。けど、英語力自体は出国前のレベルに毛が生えた程度で、めっちゃスラスラ話せるかっていうとそういう訳じゃなくて文法ミスるし、語彙力全然、発音まだまだ、聞き取れないこともあるしって感じ。ただ俯瞰して考えたら母語でさえ義務教育フルで使って学んだんだから1年じゃ無理ぽよって感じ。
小さい成長ではあるんだけど、元々国内外問わず政治への関心薄かった自分が留学して色んな国の人と出会って、政治への関心が爆上げした。例えば、戦争の影響でウクライナから難民として来てる人とか、中国政府の影響で中国本土、香港、台湾から来てる人とかここに来たくなくても来ざるを得なかった人とかに出会って視野広がった気がする。まあ日本では聞けないような体験聞いて、いかに日本が平和な場所が改めて実感。
電車バスの中で通話してる人がめちゃくちゃいて声量デカいしすごいなとか思ってたけど、気づいたら自分も電車バスに乗りながら電話するようになってた。
あと、基本的に知らない人同士が挨拶したり会話したりすることが普通で他人との距離感めちゃくちゃ近い。
食に関しても、日本食レストランに行って最初は違和感だった味も、今やもうそれが当たり前になってるし、お寿司も生魚じゃなくてカリフォルニアロールにハマってる。
大型犬がめちゃくちゃ多い。土地が広いせいか郊外に行けば行くほど大型犬がめちゃくちゃいる。愛犬家が多いのか、番犬用に飼っているのかよく分からないけど犬はめちゃくちゃ多い。日本であんま見ない種類とかデカ犬ばっかで目の保養。
同じ大学から交換留学行く人が何人かいて、寮に入る人もいればホームステイする人も私含めて何人かいた。でも中には言われていた条件と違って他に留学生が何人もいたり、ご飯が毎日冷凍食品っていう家もあったりで、当たり外れがやっぱりある。明らかにビジネスとかお金目的な家族は扱い雑で、最低限の寝食を保証する感じ。私の身近で当たりだなって人は家(多分別荘?)をまるごと与えられて全て自由に使えるらしい。リッチすぎ。
賃金の違いもあるんだけど、それでもカナダに比べたら日本は物価も安くて、家賃も遥かに安い、そしてほとんどの地域が安全で綺麗。
英語を学ぶために留学したけど、やっぱり英語を使って何かを学ぶっていう経験が楽しくて、色んな人生の背景がある人達にも出会って、まだ抽象的だけど将来の夢が出来たよ。
思ったこととりあえず書いたけど、振り返ったらほんとに1年間あっという間で、自分は怪我も病気もなく、良いホストファミリーと1年間過ごせて楽しい留学生活だった。日本の家族も友達もご飯も恋しいけど、いざ帰国直前になるとカナダにまだ残っていたくなる。
昼職一本だからひたすら節約して、なんとかお金を捻出しては美肌治療・整体・エステ・ボトックス等その他諸々美容行為を受けている。
趣味なんだ。
これしか好きなことがない。
痛い思いをする→綺麗になる。この一連の流れで何かを成し遂げた気になれる。手軽に成功報酬を得られる。幸福のコスパがいい。
ずっと自分は浪費家なんだと思っていた。というか思ってる。
でも好きな人ができて、結婚も視野に入ってきたからいい加減やめなくてはと思った。
彼氏に、私は毎月美容に10万円も使ってろくに貯金もしていないダメな女だから、これから気をつけますと伝えた。
「なかなかそんなに頑張れないよ!えらいねえ!努力家だねえ!」と言った。
正直、努力と言われても寝転がってるだけだし、いくらだろうと美容は贅沢!浪費!と思って罪悪感抱きながら通っていたから、そういう考えもあるのか…と衝撃だった。
正直彼氏がどう言おうと月10万は自分でも高いと思うし、今後はセーブしようと思うけど、5万くらいならやってもいいのかなあと思った。
間接視野って知ってるか?
これからはリモート前提の社会に〜とか言ってるけどそんなの無理だから。
リモートでどうやってスーパーに商品並べるの?リモートでどうやってあんたの家の水道工事するの?リモートでどうやって保育園児幼稚園児の面倒見るの?
視野狭すぎ。
これは田舎に住むしかない男のお気持ちです。お気持ちだからエビデンスなんてない。
地方住みで給料が安い、ハローワーク行ってもカスみたいな求人しかないって愚痴ったら
ネットの賢い有識者様たち揃いも揃って二言目には「東京へ行け」「都会へ出ろ」って言うよな?
ボケが。出れるわけないだろうが。田舎からそう簡単に出れるわけないだろうが。だから苦しんでるんだよ。何も知らねえんだな。
これが暴論でもなんでもない文字通りの"正論"だと思ってるやつ、田舎の住民から一発ずつブン殴られても文句言えないからな。
田舎のことを何も知らないで好き勝手ほざく奴が大嫌いだ。どうせ東京か大阪か名古屋辺りの超都会しか知らんのだろう。そんな狭い視野で口を聞くな。
いいか、そもそも都会に出れるやつは大学か遅くとも20台前半で出てる。出るに決まってんじゃん。そりゃどう考えたってクソ田舎より都会の方が良いに決まってるだろ。
アラサー超えて未だに田舎に居るやつは十中八九「出れなかった人間」だ。
もちろん中には自ら望んで残った人もいる。そういう人は別に良い。ただおそらくそんなの全体の3割もいない。大半は田舎を出れずに妥協で残ってるやつだ。
田舎を出られない理由で一番でかいのは、結局のところ実家だ。ある程度の年齢になると親の世話って話も出てくるし、田舎だと三世帯同居も多いから爺婆の世話もある。都会人には想像もつかんだろうが、この義務をブッチして都会に出て自分だけ良い思いをするってことがどうしても出来ない人も多い。こういう人に対して「東京に出りゃ良いのにプークスクス」とか言えるやつは人の心が無いと思う。
逆に自分の健康面で田舎に縛り付けられてるやつも以外と多い。心身の持病で親に面倒見て貰わんとにっちもさっちも行かんという人。親も地元で仕事をしてるから実家暮らしするしかない。こういう人は役所の外郭団体やら農協の関連組織やらでパート仕事みたいなパターンが多い。大体手取り10万円に届かない。
俺が言いたいのは前者の田舎民はもっと稼ぐ仕事につくべきだろってことだ。後者はある意味仕方がない。バリバリ稼ぐというよりかは公助の方の話だ。そっちはそっちで田舎はクソクソだが別件の話だ。
心身健康なのに家族の世話をしなきゃならんせいで田舎の実家に縛り付けられるなんて、不平等にも程がある。こんな不平等不公平が許されて良いのか。ただ田舎で生まれ落ちただけなのに。東京の連中はなんとも思わんのか?
俺は田舎民にカネを配れなんてこれっぽちも言うつもりはない。東京の人間と同じ条件で働ける仕事をくれと言ってる。
手取り20万なんて東京じゃカスみたいなもんかもしれん。でもそのレベルで良いんだ。そのレベルの仕事で良いから、東京から田舎に回せよ。田舎にはそのレベルの仕事も無えんだよ。
・魅力ある物事に心が明るみ、目の前がぱっとひらけて晴ればれした状態だ。
なぜか面白いという用語を=お笑いで使ってるけど、それは間違いだしなんなら"面白い"という事象をわざと狭めてて視野が狭い。
医学部の入試で男性のほうが合格率が高いのは差別の結果、というのは数年前よく見かけた。上野千鶴子の2019年東大入学式"祝辞"でも冒頭で以下のように触れられている。
「全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。『男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い』。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」
しかし、慶応の医学部医学科 ("祝辞"では”事件”のあった東京医科大や順天堂大と混ぜて紹介された)は、点数操作無しで合格率男女比1.37で、上野の母校である京大("祝辞"には登場しなかった)も1.27だ。こちらももちろん点数操作は無い。根本的な原因が点数操作以外にあることは、文科省の調査結果が出たときから明らかだった。
医学部と他学部で合格率男女比が異なることへの私の説明は表題の通りで、詳細に言うと以下になる。
《受験者の全体平均と医学部など難関大学受験者に多い富裕層では、受験校選択の傾向が異なる。富裕層の女性は偏差値的格上校を積極的に受験するため、合格率は男性なみかそれより下になる。》
2019年4月時点で、一般人でもwebで複数年・多数の学部の男女合格率を拾えたのが早稲田 だ。
学部ごとに'13~’18年の6年間の一般入試の合格率男女比平均値を出すと
政経0.92, 法学0.97, 文化構想0.94, 文学1.03, 教育1.02, 商学1.22, 社会科学1.22, 人間科学1.20, 基幹理工1.47, 創造理工1.17, 先端理工1.57
となる。文系は男女拮抗が多いが、理工系3学部は男性のほうが合格率でもはっきりと高い。
女子枠創設が話題('24年春時点)の京大の理系は、‘22年、’23年の合格率男女比が理学部で1.55、1.79、工学部で1.38、1.29となかなかの値だ。
'23年の教育学部(理)も合格率比0.45とすごい値だが、ここは約10名という定員数の影響が大きいだろう。
各学部で日本の大学全体の平均を見ると文系も理系も女性のほうが合格率が高く (あるいは男女拮抗)、難関大学では男性合格率が高いなら、普通の大学と難関大学では合格率の男女比がはっきり違うことになる。
よく知られているように難関大学の学生・受験生の学力面以外での特徴は、経済的に余裕がある割合が高いこと。大学受験で難関大とフツーの大学で違う、はだいたい、リッチな受験生とフツーの受験生の行動が違う、になる。
リッチでそこそこ以上に成績が良い高校生が難関大を挑戦的受験するときは、都市部の中堅以上の私大を滑り止めにしていることが多い。
また、滑り止め大学の受験・進学が容易な富裕層・大都市居住者は女性の大学進学率が男性並みか、それ以上で、日本の大学受験生の全体平均、ましてや就職コースを含む高校生の全国平均とは状況が大きく異なる。
富裕層は女子学生でも進学についてのプレッシャーが強い、とも言えそうだが、"祝辞"では
「女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります」
と言ってこれが絶賛されたのだから、フツーは買えない余裕を高い家庭経済力で買っている、という認識が良いのだろう。
逆転に至るさらなる要因として、都市圏から地方大への進学者数が男女で大きく異なることが挙げられる。例えば以下の調査結果
ttps://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/19823104.pdf
都市圏から地方国公立大に進学する動機で大きいのは、一人暮らしをしたい・学費を低く抑えたい、だろう。男性・理系との相性がいい。
女性が格上大学を記念受験する傍らで男性が都市部から地方に進学すると、男性の難関大合格率が相対的に上がる。
詳細な検討にはデータ (滑り止めと、進学実績水増しのための多数校受験の区別とか) が足りない。
しかし書いていて、家庭経済力の差・都市と地方における滑り止め確保のコスト差・男女の自主的な行動の違い、が組み合わさって自然と難関大学では女性合格率が下がる、というのはむしろ社会学の知見としては当然の結果に思えた。
ただ、そう明記しているものを見つけられなかった。
難関大学における女性の学生や志望者の少なさを問題視する論文はすぐ見つかるが、一般社会では数年前に問題視され、"祝辞”でも触れられるくらい話題になっていた合格率は、あまりアカデミックの社会学では考察対象になっていないようだ。
確かに、人気になれば下がる合格率にやっきになるほうがおかしい。しかし、余計な男女分断を避けるためにもそう言ってくれれば、文科省も何年も調査しなかっただろうとも思う。せっかくなので、ここに書き残しておく。
あの"祝辞"は冒頭の後、こう続く。
「2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です。」
原因がやはり家庭経済状況と、それへの対処の男女差に要因があることは明白だろう。例えば2014年に発表された調査では、奨学金を借金している割合は男性理系50%、女性理系46%、男性文系44%、女性文系41%だった。
学生数は男性が文:理 =約1:1、女性が同4:1なので、調査結果の数字を当てはめると借金率男女差は約5ポイントとなる。そして借金だけでなく、きついバイトや貧乏生活、長距離通学など、大学進学の金銭面をどうにかするのは基本、男性のほうが適性がある。
借金などムチャをして進学できるのは男性有利な構造があるため、と主張はできる。ただ男性のムチャの動機は、自分より高所得のパートナーを得るルートが無い、社会保障も届かない、という要素が強い。
「エリート女の泣き所はエリート男しか愛せないってこと、主夫 (ハウスハズバンド) を養うなんて現実的じゃない」
という上野本人の有名な言葉が、そしてこの発言をした上野がこの「祝辞」を述べる栄誉を与えられ、なおかつ今も権威として君臨している現実が、男性が女性よりも進学や労働でムチャをする理由、ムチャせざるを得ない原因を端的に示している。
一方でそれらのムチャは、よく死ぬ(もちろん同じルートに突入したからには男女問わず)、という副作用と、それでもそれがマシ、というつらい現実を伴っている。
上野の主張は、彼女ほど親の経済的援助(大学近くに住居を準備し、かつ博士課程修了までの学費・生活費も支える)に恵まれていない子と、そこまではできない親の苦労と苦悩を無視している。また大学進学以外のキャリアが視野に入っていない点でも同じ傾向で多様性を欠いている。
そして、大学進学率の低さを解決するために非エリート家庭への経済的支援を模索するのではなく、エリート女性を含む女性全体に対する性差別を解決せよと主張するのは、自らの指導的地位を利用して非エリート女性の被害者性を奪う行為だ。
他人の苦難に親身になるのは素晴らしいが、"彼女たちは苦労させられている" を "私たちは苦労させられている" に変換して他者を非難し、自己の権益を主張する行為を、私は当時も今も好きになれそうにない。