はてなキーワード: 区別とは
・あくまで選択的だから同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?
経団連とかが非効率的だからやめろとか言ってるんでしょ?同姓を選ぶ人間は非効率的で会社に迷惑な無駄な休みを取りたがる阿呆として吊し上げる気満々じゃん。同姓希望者に迷惑をかけないって嘘だよね?
そんな仮定の話をされても…
同じぐらい割合で別姓を選んだ人間を吊し上げる勢力も出そうですけどね
・子供の姓どうするの?
多数派ではないのかもしれないけど「お互い親の姓を守りたいから」という理由で夫婦別姓を待ちつつ事実婚に留めてる夫婦も少なからずいると聞く。子供が二人いれば按分できるかもしれないけど片方死んだらどうするの?残った子どもの姓をどっちにするか奪い合うの?もう一人産むの?でも長子と次子とで区別はするんでしょ?長子をどっちの姓にするかどうせ揉めるんじゃないの?
それぞれの夫婦で好きにすればいいじゃん。揉めたくないなら同姓にすればいい
揉めないように予め別姓という選択肢を禁止します、なんて理屈はないだろ
女が男の姓になるのが大半、という現状はわかる。それを選択的夫婦別姓で切り崩すの?どっちの姓にするかは夫婦それぞれ、てなった方が問題を先送りにするだけの夫婦別姓より男尊女卑が遠のくと思う。
ちょっと何言ってるのかよくわかんないが、個人的には夫婦別姓は別に男女差別の問題じゃないと思ってる
・なんで結婚したいの?
婚姻関係にないと与えられない権利とかあるのはわかるんだけど、じゃあその権利をパートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?
姓の変更に伴う手続きが雑多だという愚痴は多い。けど、それを簡単にできるような施策は走ってるわけで、そっちには触れないどころかないことにしてるのよくわからない。
姓の変更の手続きが簡単になるのは純粋にいいことだが、それは別姓という選択肢を禁止する理由にはならない
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?
それでも別にいいんだけど、選択的夫婦別姓賛成派の人たちは「そこにこだわりはない」と言い張るけど、とてもそうとは思えない。別にそれでいいんだけど、そうなると「伝統とか言ってるけど、姓ができたのは明治からです」と整合性が取れない。
https://x.com/oldwave/status/1851907856171508170
僕も原書房の「トランスジェンダー問題」を読みまして、トランスジェンダー側の主張を検討しました。
1. 真正のトランンスジェンダーと、トランスジェンダーを詐称しているだけのヘンタイを区別する方法がない。
2. トランスジェンダーは性犯罪と隣接している者が多い。(これは前述書でも述べられているし、トランスジェンダー自身がみとめている。)
3. トランスジェンダリズムはラディカルに資本主義社会・自由主義社会を改革することを求めている。(漸進的に問題を是正していく立場をとらない。)
4. トランスジェンダリズムは真の目的を隠蔽し、自分たちの望み、自分たちの苦しみをストレートに表現することを避けている。
僕は、反トランスジェンダーの立場にはっきりと立つだけの確信がない。確信はないが、トランスジェンダリズムに対して強い疑念を抱いている。
この問いには、宗教とオカルトの区別が難しいとする疑問と、信仰の合理性や必要性への問いかけが含まれています。これを考えるには、宗教とオカルトの定義や役割の違いを整理しつつ、不合理であるものの意味を深掘りする必要があります。
宗教とオカルトは、どちらも非科学的な領域に含まれる場合が多いですが、いくつかの重要な相違点があります。宗教は一般に、特定の歴史や教義、道徳的価値観、信者間の共同体意識を伴い、社会的に長く受け入れられてきたものです。一方、オカルトは神秘的・超常的な現象への信仰や、個人の体験や啓示に基づく要素が強く、体系的な教義や道徳的基盤がない場合が多いです 。
宗教が「不合理」だという指摘は、科学的根拠の不足や、死後の世界など検証不可能な要素に根ざしています。しかし、人間の行動や価値観には、必ずしも合理性だけが求められるわけではありません。多くの宗教は、死後の救済や幸福感、人生の目的を提供し、精神的な安らぎや共同体の絆を築くための役割を果たしてきました。こうした側面は、必ずしも科学的根拠があるからこそ価値があるのではなく、非合理的であっても人々に意義をもたらすという側面が重要です 。
不合理の必要性について
宗教が象徴的に示すような「不合理」なものの存在は、人間の心の多様なニーズに対応するものです。例えば、日本の伝統行事や信仰も、社会的な絆や儀式性を高め、文化的アイデンティティを支える役割があります。合理性に重きを置く社会でも、不合理なものが心の拠り所や心の整理の手段として機能する場合があります 。
この問いにある「人間が死ぬと無になる」という断定も、科学的に完全には証明されていません。無論、魂の存在も立証されていないため、いずれの側にも「完全な合理性」がないと言えます。また「不合理なものは不要」という前提には、感情や文化的背景を軽視する面があるかもしれません。合理性を超えた価値が、特定の社会や文化において役立つ場合も多いことを認識する必要があります。
まとめ
宗教やオカルトの価値は、必ずしも合理的な根拠の有無だけでは測れません。不合理な信仰も、精神的な拠り所や社会的な絆の構築に寄与するものであり、人間にとって「不合理」が全く無意味だとは言い切れません。
Xでなんで夫婦別姓反対するのかよく分からない、という投稿がバズってた。
自分は断固反対という程の立場でもないが、思う所は色々あるのでちょっと並べてみようと思う。感情的になるほどの思い入れがあるわけではないので、そういう意味では読みやすくしたつもりである。
実際困った立場の人が居るのも事実で、こういう所が解消されて何らかの形に落ち着いてくれればと思う。
選択的だからいいだろ!という声が多い。が、これについては全く信じられない。
例えば、結婚にするにあたって夫と妻どちらを取るかは自由なはずである。が、事実上殆どの家庭は夫の姓を名乗る選択をしている。年の差婚は両者合意で結婚したはずなのにロリコンだ何だと叩かれている。夫を立てる妻、みたいな家庭観も叩かれている。
個々の話に色々な意見は有ると思うが、この世の中には選択的にもかかわらず何故か許容されない選択がある。
断言するが、選択的夫婦別姓のある世界において、夫婦別姓を選択しなかった夫妻が「家父長制」だの「無理やり苗字を変えさせられた」と叩かれる場面がある。別姓を選択するべきだという主張が圧力となるのは避けられない。逆に、なるべく同姓を選ぶべきだという主張も圧として残り続ける可能性がある。
それでもなお価値は有るんだ、それは乗り越えるべきものなんだと言うならそれも一つの意見だが、「選択的なんだから別にいいだろ」という主張を行う者に関しては不信感が大きい。
個人名の約1/2を占める部分に関わり家庭観を変えうる法律は、結婚しない人にも、同姓を選ぶ人にも多大に影響を与える。
それがある未来で選択する重みや、夫婦同姓を願うの立場の人がいることを視野に入れてほしいと願う。
苗字が違うくらいで俺たちの絆は変わらないんだというのは殊勝な心掛けである。
しかし、それに不安を感じる人に対して投げかけられる言葉はいただけない。
実際、「同姓家庭における苗字に相当するものの消失」は、家庭単位で思考する機会を消失させるだろう。
海外では云々と言っても、海外には海外の文化や歴史があった上に成り立っているものである。複合姓、創姓と様々なものを紆余曲折して今に落ち着いていたり、日本以上に改姓が困難な中で不満を抱えつつ妥協していたり、いろいろな事情があるはずである。輸入したいならそれを補うものの考え方も含めてするべきで、いきなり「海外ではこうなのだ」と制度だけを叩きつけても軋轢を生むばかりである。
この話題で何かと言われがちな子供の苗字問題、世帯を呼称する名称は、選択的夫婦別姓がどういう形になろうと一方に決めなければならないことだから埒外として今回は置いておくことにする。初期に見られた「夫婦で立場の偏りをつけたくないから」みたいな動機は淘汰されたと信じている。
その上で、夫婦別姓を行いたい理由は「個人で名乗る名前を変えたくない」「手続きが煩雑」あたりだろう。
「名乗る名前を変えたくない」についてはこれまで通称使用という対応が取られてきた。
経団連なんかはこの状況を良く思っておらず、選択的夫婦別姓を提言するが、自分は通称で問題が発生する状況の方が問題なのではないかと思う。
「キャリアが分断する」、「通称名とパスポートと名前がずれる事務的ミス」そんな例が挙げられるが、そういった事務的手続きの問題のために法律側を操作する疑念がある。
夫婦別姓にしたらしたで「家庭の中に別姓の人が少数いることによって生じる事務的なミス」「別姓の親が迎えに来た子供の扱いに伴う(ry」「別姓結婚状態と未婚の同棲状態の区別がつかないことによって(ry」等別姓世界でも問題は起こるだろう。
「手続きが煩雑」に関しては結婚に伴って籍の移動はどのみち発生するし、場合によっては住所変更等様々な手続きが苗字とは関係なく発生する。
懸念を感じる人は、別姓を法律として取り込む方が問題が起こると考えている人が多いように思う。
同姓におけるトラブルもマイナンバー制度なりORCIDなり社員番号なり、システム面での対応を頑張るだけで解消するところは多いのではないか。法制するにしても、別姓などと大掛かりにせずそれにおいて足りない箇所を補う程度のものでよいのではないか。
そもそも結婚における改姓と言う「瞬間」の煩雑さがあるならば、別姓という「状態」に伴う煩雑さもあるはずである。推進を考えるならこの辺りの議論は為されるべきである。
経団連をはじめ、選択的夫婦別姓推進のいくらかは「通称使用廃止」を願った上での主張である。
つまり、選択的夫婦別姓がある世界においては、(無論一定のフォローはあるだろうが)「苗字を変えて通称する」という選択は難しくなるだろうと考えられる。
とはいえ旧姓を使っていた人が「夫の姓を名乗ります」と言うことは難しいだろう。
このあたりの世代ギャップをどうフォローしていくかも視野に入れるべきと思う。
しかし、「流石に『選択的だから大丈夫』とは思えないし推進派はもっと言葉を尽くすべきだ」「そこまで大掛かりなことをするにはデメリットの方が大きいのではないか」「別姓と言う大目標のために困っている人の時間を浪費するべきでは無い」あたりの思いが強い。
・あくまで選択的だから同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?
経団連とかが非効率的だからやめろとか言ってるんでしょ?同姓を選ぶ人間は非効率的で会社に迷惑な無駄な休みを取りたがる阿呆として吊し上げる気満々じゃん。同姓希望者に迷惑をかけないって嘘だよね?
・子供の姓どうするの?
多数派ではないのかもしれないけど「お互い親の姓を守りたいから」という理由で夫婦別姓を待ちつつ事実婚に留めてる夫婦も少なからずいると聞く。子供が二人いれば按分できるかもしれないけど片方死んだらどうするの?残った子どもの姓をどっちにするか奪い合うの?もう一人産むの?でも長子と次子とで区別はするんでしょ?長子をどっちの姓にするかどうせ揉めるんじゃないの?
女が男の姓になるのが大半、という現状はわかる。それを選択的夫婦別姓で切り崩すの?どっちの姓にするかは夫婦それぞれ、てなった方が問題を先送りにするだけの夫婦別姓より男尊女卑が遠のくと思う。
・なんで結婚したいの?
婚姻関係にないと与えられない権利とかあるのはわかるんだけど、じゃあその権利をパートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?
姓の変更に伴う手続きが雑多だという愚痴は多い。けど、それを簡単にできるような施策は走ってるわけで、そっちには触れないどころかないことにしてるのよくわからない。
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?
それでも別にいいんだけど、選択的夫婦別姓賛成派の人たちは「そこにこだわりはない」と言い張るけど、とてもそうとは思えない。別にそれでいいんだけど、そうなると「伝統とか言ってるけど、姓ができたのは明治からです」と整合性が取れない。
・あくまで選択的だから同姓にしたい人に迷惑かけないって本当?
経団連とかが非効率的だからやめろとか言ってるんでしょ?同姓を選ぶ人間は非効率的で会社に迷惑な無駄な休みを取りたがる阿呆として吊し上げる気満々じゃん。同姓希望者に迷惑をかけないって嘘だよね?
・子供の姓どうするの?
多数派ではないのかもしれないけど「お互い親の姓を守りたいから」という理由で夫婦別姓を待ちつつ事実婚に留めてる夫婦も少なからずいると聞く。子供が二人いれば按分できるかもしれないけど片方死んだらどうするの?残った子どもの姓をどっちにするか奪い合うの?もう一人産むの?でも長子と次子とで区別はするんでしょ?長子をどっちの姓にするかどうせ揉めるんじゃないの?
女が男の姓になるのが大半、という現状はわかる。それを選択的夫婦別姓で切り崩すの?どっちの姓にするかは夫婦それぞれ、てなった方が問題を先送りにするだけの夫婦別姓より男尊女卑が遠のくと思う。
・なんで結婚したいの?
婚姻関係にないと与えられない権利とかあるのはわかるんだけど、じゃあその権利をパートナー制度とか作って保証できるようにした方がよくない?
姓の変更に伴う手続きが雑多だという愚痴は多い。けど、それを簡単にできるような施策は走ってるわけで、そっちには触れないどころかないことにしてるのよくわからない。
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?
それでも別にいいんだけど、選択的夫婦別姓賛成派の人たちは「そこにこだわりはない」と言い張るけど、とてもそうとは思えない。別にそれでいいんだけど、そうなると「伝統とか言ってるけど、姓ができたのは明治からです」と整合性が取れない。
この意見には、いくつかの妥当な指摘が含まれている一方で、以下のような問題点や矛盾点も見られます。
元来の「B層」概念は、小泉政権期に特定の広告戦略として定義されたものであり、「構造改革に肯定的で、IQが低いグループ」として分類されました。しかし、「新しいB層」という用語を用いることで、元のB層とは異なる対象を指しながらも同じような「操作しやすい層」というイメージを引き継いでいる点には問題があるかもしれません。これにより、本来のB層とインターネット時代の「新しいB層」との違いが不明瞭となり、読者に誤解を与える可能性があります。
「新しいB層」と「ネット右翼」は重なる部分が大きいとしながらも、完全にイコールではないとしています。しかし、この説明はやや曖昧であり、ネット右翼との具体的な違いや共通点が詳細に説明されていないため、両者がどのように区別されるかが分かりにくくなっています。さらに、「新しいB層」がネット右翼に限られず、幅広い属性を含むとするならば、「B層」という呼称自体が適切かどうかも疑問です。
「インターネット↔既存マスコミ」や「現役世代↔シルバー世代」といった対立軸を強調していますが、この二項対立は必ずしも現実に当てはまるわけではありません。例えば、インターネットを活用する高齢者も増加しており、年齢層や属性に応じて情報源の信頼度や態度は多様です。また、若年層でもマスコミを信頼する層や、年配層でもネットの影響を受けやすい層がいるため、単純に世代間対立に還元するのは正確さに欠けるかもしれません。
インターネットでの情報収集を「情報強者」としての幻想に結びつけ、反マスコミ感情と結びつける説明は興味深いものの、ここでの分析は一面的かもしれません。インターネットでの情報収集が必ずしも「情報強者幻想」につながるわけではなく、多くの人々は複数の情報源からバランスを取って判断しようとしています。また、マスコミ不信は近年の報道の偏向や不正確さから生じている面もあり、単なる「反マスコミ感情」では片づけられない複雑な要因が関わっています。
「新しいB層」は、反マスコミ感情を持つために操作しやすいとされていますが、同時にインターネットで情報を得ている自覚が強く、情報収集を積極的に行う層でもあると述べています。このため、実際には特定の政治的メッセージに対して批判的に考える能力も持ち合わせており、必ずしも「操作しやすい」層とは限らないのではないかという矛盾が生じています。
総括
この意見は、「新しいB層」という概念を通じて、インターネットの普及と現代の政治への影響を考察する試みとして興味深い点もありますが、一部の説明に曖昧さや単純化が見られます。特に、情報収集のスタンスや世代間の複雑な関係性を考慮しつつ、もう少し多面的に議論を展開することで、より説得力のある主張となるでしょう。
選挙のたびに白票の話題が盛り上がる。前から気になっていたので調べた。白票を投票しても、「チンポ」といたずら書きをして投票しても、いずれも分類としては無効票になる。
こういう無効票というのは選挙直後の発表だと一括りにされているように思う。無効票を分類したとて選挙結果に影響が出ることはないからだろう。
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/2021/open-data/
調べてみたところ、無効票にも分類があるらしい。
ほかの選挙は調べられなかったが、衆議院選挙に関しては、総務省が「衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 結果調」という書類を選挙のたびに公表しているらしい。
その中に「無効投票の事由に関する調」という部分があり、どの分類の無効票がどれくらいあったのか、都道府県別に数値が公表されている。
以下のPDFの212ページを見てほしい。これは第49回衆議院議員総選挙(2021年)のものだ。
https://www.senkyo.metro.tokyo.lg.jp/uploads/r06tochiji_kaihyo_uchiwake.pdf
「白票が何票あるか分からない」というのは嘘と言って良いが、この2021年の選挙に関する結果調が発表されたのは2024年2月である。
過去の選挙でもそうだった。 2017年の選挙でも詳細が出たのは2019年である。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000612972.pdf
つまり、 少なくとも衆院選において、厳密に白票とその他無効票の区別がつくのは2年以上後ということになるように思われる。
ただし、2017年・2021年ともに無効票の約半数~6割程度が白紙投票であるから、厳密ではないが無効票から白票の数を推測することは可能かもしれない。