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2016-07-01

自民党のクソ改憲案をぶっ潰すために

最近の各種報道によれば、今度の選挙でいわゆる改憲勢力(自民公明、おおさか維新日本こころ)が議席3分の2をうかがう勢いなのだそうだ。

このままの流れだと近い将来自民党のクソ改憲案のような新憲法が制定され、日本は暗黒の中世国家になるだろう。

これを防ぐ為には何をすべきだろうか?

ひたすらに「護憲」を訴える、という方法もまあアリではある。現在日本国憲法の素晴らしさをひたすらに訴える、という正攻法である

しかしながら、この方法現在の流れを食い止めるのは相当に厳しいものがあるのではないだろうか。

新聞各紙のアンケートなどでは憲法改正には反対、という意見が若干多いが、大差をつけている訳ではない。その背景には、現在憲法国防大丈夫なのか?という疑問が少なくないからではないだろうか?

現在憲法改正しなくともしっかりとした国防は出来る」という意見にも一理はある。しかしそれで国民の大半の国防に対する不安を取り除けるのだろうか?

今こそリベラル左派は、現在憲法のうち9条のみを改正し、「戦争放棄」を「侵略放棄」に変えた上で、明確に国防軍の保持を認め、その上で9条以外の現憲法人権尊重する良い所は断固守る、という態度を示すべきだ。9条空想平和主義を信じているのは今や大半が高齢者だろう。

国防に対する不安を取り除けば、自民党改憲案のような愚劣なものを支持するのは一部の右派だけになるだろう。

俺の価値は俺の価値

昔さ、福岡にある照和ってライブハウスがあって、そこで素人がよく歌を歌ってたの。

長渕剛海援隊が出た場所だったかスカウトとかも来る。

でもはっきりと人気がある人と人気のない人は分かれていて、ある時ちょっと現代アレンジ風のフォークを歌う人が来たんだな。

その人は毎週の時間を借りて毎回うたってんの。だけどこれが超人気ない。

根気強くうたってるんだけどお客は毎度五人くらい。

俺にはギター弾きの友人がいたんだけどさ。そいつ結構足繁く照和に通ってたの。

もちろんそのフォークのやつの歌も聞いてた。

そいつフォーク男のことを評価していて、俺にもしょっちゅう語ってくれた。

ところが友人はある時フォーク男を酷評したんだよ。

話を聞けばライブ中に俺の友人しか座っていなくて、悔しくてギターを放り出すと「畜生!」だのと叫んだらしい。

友人曰く「格好悪い」だそうだが、俺には痛いほど気持ちがわかった。

自分のためだけに歌うという心がけも大事だけど、孤独の中の表現ほど苦しい物はないよ。

表現側には自分自身を突き詰めることが要求されるし、かと言って独りよがりにならずに他者と比べない姿勢大事だ。

言っちゃえば仙人みたいな価値観でもあるよね。まあ、最近ちょっとわかってきている。

オチはないし教訓もない。これを見て思うところがあるなら悩んだ人なんだろう。

何も思わずニヤつくやつならその程度の人生だと思う。



http://anond.hatelabo.jp/20160701040444

http://anond.hatelabo.jp/20160701001153

もつ最近買ったけど、座ってるだけでインナーマッスルが鍛えられてる気がする

特に何もしなくていいんじゃない

2016-06-30

アニラジ楽しい

ちょっと人生で手一杯で10年くらい聴いてなかったけどまた最近聴き始めた。

ゲームアニメ情報量が多すぎて疲れてしまうけど、ラジオは気軽に楽しい会話が聴けていいですね。

あん業界の裏側とか考え出すと悲しいので、思考停止で聴いていきたい。

話し方と内容の関連付け

話の内容に関係なく、話し方でちょっと受け入れられない印象を抱くことがある。

語尾が荒かったり、汚い言葉を使ったり。

でもそういうところで判断をせず、ちゃんと話を聞いて内容で判断しなければいけないと思っていた。

話し方はただの特徴であり癖であると思っていた。



しか最近そうでもないのではないかと思うようになってきている。

そういう強い言い方をする人は、話し合いをしたいのではなく自分意見をただ伝えたいだけのように感じるからだ。

もっと言ってしまえば、自分意見を通すことしか考えていなく、人の意見を受け入れる姿勢を取ろうとしていない。

若手企業家のような人に多いイメージ

こういう言い方は好きではないが、ネット社会の弊害なのかもしれない。

目の前の人と論議をするのではなく、画面を通じた相手しか議論ができない。

言葉キャッチボールではなく一方通行

すべての議論を勝ち負けで判断したがる。

人の意見は受け入れない。

ひたすら感情的になる。



そんな印象を抱いた時、この人の話は聞く必要がないのではと思ってしまう。

宇野常寛特にそう思うことが多い。

モテ

毎日モテないと嘆いてるお前らに、モテ方ってもんを教えてやる

これを読めばいかモテねえお前らでも、モテまくってチンコが休まる暇がなくなるはずだ

まずお前ら、自分が何でモテねえか?考えたことがあるか?

無い奴は論外だが、まあ程度の差はあれ増田なら誰でも考えたことはあるだろう

単刀直入に言うと、お前らに足りないものは熱意だ

お前ら好きな子はいるか?好きとまでいかなくても、気になる子とか、可愛いと思える子

あいるだろう。で、お前らはその子の連絡先を知っているか

おそらく知らないだろう。シャイなお前らはそんなこと聞けないからな

しかし、だからモテないんだ

電話番号を聞くのが恥ずかしければ、住所録とか見たら載ってるだろ

最近プライバシーがどうので載せないことが多いが、とにかく分からなかったら誰かに聞け

とりあえずメールラインからって、そんな悠長なこと言ってられるか

お前らは後がないんだ。まず、それに気づけ

とにかく連絡先を知れ。それで電話しろ

いか電話が一番相手の印象に残りやすいんだ

メールラインは返信を忘れられたり、無視したりも簡単

しかし、電話無視しづらい

出るまで何度もかけろよ。それでも出なけりゃ、留守電メッセージを吹き込むんだ

内容はなんでもいい。ここで重要なのは相手にお前の存在を知らせ、意識させることだ

まあ、2,3回メッセージを吹き込んでやったら、相手もお前を意識するだろうよ

電話の次は、自宅を探れ

どこにあるのかが分かったら、しばらく近所をうろついてみるんだ

間違っても、いきなり訪問なんかするんじゃねーぞw

近所をうろついて、さりげなく近づくんだ

そのうち、どこかですれ違うから、初めはニコニコして相手の顔を眺めてろ

何度か会ってから、頃合いを見て話しかけるんだ

天気の話が無難だな。いきなり告るなよ。相手がびっくりするから

どうせお前らのことだ、天気の話が終わったら、もう話題尽きるだろ

そしたら誕生日を聞け。聞き出せたらプレゼントを渡せる

ここまでうまくいったらほぼ成功だ。あとは誕生日を口実に飯に誘え

もちろん、ある程度高級な店な。ラーメンとか食いに誘うなよ。友達と遊びに行くわけじゃないんだ

行くときはちゃんと服装に気を遣え。まあ、お前らこ汚い服しか持ってないだろうからスーツ無難

あとはプレゼントだな。変なもん渡したら相手ドン引き

しかし、あえて引かせるというテクニックもある

薔薇花束を持っていけ。これくらいのインパクトを与えないとだめだ

相手はびっくりするかもしれないが、実は内心喜んでる

花ってのは女がもらって一番うれしいものなんだ

で、もうめんどくさい、いきなり告ってしま

断られたら、翌日もう一回電話して告れ

何度も告れば、相手は必ずお前の気持ち理解してくれる

熱意があれば大丈夫

まあ、長々と書いたがこれで終わりだ

お前らがモテるようになることを祈ってるよ

「だいすき」といいたい。

最近気づいたのだが、彼女いたことがない人生って、

「だいすき」「あいしてる」って文を口から発する機会がない。

確かにこの言葉を口から発したことが俺の人生にはない。

どうしたもの

ケイ素ビジネスのせいでケイ素オカルト扱いになってしまった

リカ入りの水とか、植物性ケイ素(主にスギナの粉末)自体は腸内細菌のエサになって、

それが腸内細菌によるビオチンの生成を促すことで肌の調子が良くなったりすることは事実なんだけど、

最近水素水からケイ素エキス商法のおかげで、ケイ素(シリカ)=詐欺みたいな扱いになってしまった罠。



そもそも、食物繊維が腸内環境に良いのも、食物繊維に含まれるシリカを腸内細菌(主に善玉菌)が食べるから

そういう菌が酪酸なり色々と有益な成分を産出してくれるから健康に良いんだけど、

うそういう理屈を言っても「ああ、また詐欺ビジネスか」的な扱いしかしてくれなくなって悲しい。

まあ、そこまで極端に健康効果があるわけないのに、過剰に健康効果煽り立てて暴利を貪った連中がいるんだから

その反動でしばらく相手にされなくなっても仕方ないのかな。

最近の男は女々しい」と発言する女

近年はかなり男女差別発言に対して過敏になってきていますね。

でもそれはなんだか「男性が言った女性蔑視発言」のほうが燃えていることが多いのは気のせいでしょうか。

女性はこうであるべきだ」

男性はこうであるべきだ」

という「べき」主張をすると怒られるのですが、

最近の男って女々しい」「草食系男子」っていう発言をされることがありますね。

それっていうのもこの「べき」主張にあてはまっていて、

「男はもっとガツガツするべきだ」というニュアンスが含まれています

差別だって言う前に、自分はちゃんとそれを認識して日々気をつけているのか振り返ってください、。

もちろん、女性だけでなく、男性もね。

価値のない人間からもっと搾取して価値のある人間もっと分配してほしい。

最近はこの逆をしろっていう主張が多いけど、全人類70億人いるんだから日本人貧困層ぐらい吸い尽くして絶滅しても誰も困らないと思う。

最近運営増田担当者仕事してないよね

スパム消えてないし

歌うま芸能人決定戦みたいな番組を嫌いになった理由

芸能人の中で歌の上手い人は誰だ!とか、一番足の速い芸人は?とかたまにやっている。

ちょっと前だと筋肉番付芸能人の体力自慢が集まるなどなど。

まぁ芸能人が、本職以外のところでの意外な特技を発揮するような番組

昔はそういう番組好きだった。

「えっ、この人普段あんな感じだけど筋肉すごい!」とか「この芸人なんでもできそうなのに歌下手だな」とか。



でも最近楽しめなくなった。なぜなら知らない人ばかりが出ているから。

本来は「テレビ活躍しているあの芸能人の意外な一面」が見られて面白いはずなのに、

いたこともない売れてもいない芸能人がただ足が速いのを見る番組になってきている。

それだったら普通に陸上見るわ。

タカアンドトシタカ粉雪を聴いた時は感動したけど、おねだり豊の足が速くたって何も面白くない。

誰だよおねだり豊

最近若手の退職が相次いでいる。原因を究明し対策を立てよ」

そういうのはまず平均程度の給料出してからじゃないですかね

http://anond.hatelabo.jp/20160630092820

統計上はそうだけど、年行くほど既婚者は既婚者、未婚者は未婚者が固まって生きてるから「俺の周りはみんな既婚だぞ、最近若いものは…」みたいなおっさんはそんなに減らないんじゃないかなー

http://anond.hatelabo.jp/20160627001653

ほんと最近の子育て至上主義的な空気気持ち悪いよなあ。政府意向と実際に子育てしてる人達自己肯定欲求で世間空気構成されている。

俺は脳味噌スイッチ切り替わる気がしないか子供いらんって感じだ。

でも俺みたいな人間ばかりになったら国としては困るし、自己肯定とか関係なく本気で子育てを至上と思ってる人間だけでは数が足りないから、増田みたいにあんまよく考えず空気読んで取りあえず子供作って後から苦しむ(けどもう逃げられないから我慢して育てるしかない。そのうち防衛機制によって状況を正当化するように価値観が書き換えられる)人間必要だ。

でまあそうやって心のどこかでモヤってる人間自己肯定のために子育てが至上なんだーと喚き散らすようになり空気の強化に貢献する。なかなかよくできたシステムである地獄っぽいけどな。

ていうか、子供可愛くないなんておかしい!と言ってる男は、子供可愛いっつうか子供を可愛がって子供のために生きるという社会的承認を得た自分可愛いって感じなんじゃねえの。

普通人間が手に入れられる承認の中では最強のものからそりゃ気持ちよくなっちゃうよな。

大人になった時の空しさと後悔

人間というのはいつの間にか年をとってしまい、それから段々当たり前だった日常が変化していく

「僕は将来おもちゃ屋の店員さんになる!」、「学校に行って友達と話すのが楽しいな!」

そんなことを思っていた自分にとっては今まで普通生活だった



しかし、そんな日はもう来なくなるのだ

中学までは義務教育でその先は受験選択する場所もっと広くなる

そこで様々な人との出会いが待っていると思うが自分にはできなかった

高校私立の方に親の威圧もあり渋々入ることになったが、もう当時の記憶などあまり覚えていない

まるで空白の3年間のような感じであった



その理由としては母方の両親や親戚が東日本大震災で亡くなったことと祖父の死が同時期に起こった事である

考えたくもなかったが、これが現実なのである

家族の悲しい表情を眺めていてもその人達が帰って来ることはない

いずれ自分の両親も亡くなり、葬儀を務めるのは自分

「その時に立派な職に就いていなければならない」、「当たり前のようにただ学校だけ行っていいのだろうか」とそんなことだけが脳裏に浮かんでくるばかりだった

自分能力なさに情けないと感じるが、それ以上に日本はどうして基礎教育だけを重視してその他のことは教えないのか未だに考えている。



最近中学同窓会の誘いがあったので行ってみたところ、やはり皆何かしらの成功者になっていた

ある人は大学サークル活動に熱心になりながら頑張っていたり、プロ野球団体入団テストにいけるまでの力を身につけた人まで様々であった

劣等感に浸りたかった訳ではないが、やはり人間人生というのは出会った数の分だけ成長できるのかもしれない

その時危機感を感じてはいたが、自分他人に自慢するための職を選ぶべきか、それとも本当に夢として追っていた職に就くべきかを迫られたような気持ちであった



こんな所に書き留めても何の解決にはならないと思うが、自分としては年齢は20代でも精神的には16、17歳程度に成長したと思っている

基本的教養を十分に身につかず学校を出てしまった自分責任はあるが、同時につまらないと感じるようになってしまったのは、これまでの日常が消えてしまたからと考えている

エロゲにおける泣きゲー概観

エロゲには泣きゲーというジャンルがある。傾向として18禁要素は少なく、その必然性が薄いこともままあることから時にエロ不要論が主張されたり、あるいは泣きゲーエロゲではないと揶揄する人もいるジャンルである

しかし「一般に、泣いたあと人間は気分がよくなる」(ウィリアムフレイⅡ『涙―人はなぜ泣くのか』)。快楽を得ながら体液を体外に排出する行為エロと称するのであれば、その意味で泣きゲーエロゲの一ジャンルであることは間違いない。

泣きゲーはある日突然出現したものではなく、それはどうプレイヤーの涙を誘ったか技術の積層であり、様式の歴史である。個々の作品論は星の数ほど存在し語り尽くされてきたが、この歴史という点での言及は少ない。当時それは歴史ではなくリアルタイムだったのだから、当然といえば当然ではあるが。

2016年現在、エロゲ論壇は死に、泣きゲーが語られることも少なくなった。

だが、だからこそ、最初からぶっ通してやり直してみることでその変遷について、その後に何が継承されていったのかという点で俯瞰することが出来るのではないか。

ということでやり直したので、増田に書きなぐっておく。

1988~1996年

そもそもエロゲの目的は何かといえば、もちろんエロである。主役はエロCGであり、脇役に過ぎない物語の出来を評価する者などいなかった。

その様子が変わり始めるのは80年代後半、『リップスティックアドベンチャー』(フェアリーテール,1988/5)辺りからであるエロゲが一つの娯楽物語として成立することが示されたことでプレイヤーはその物語性に目を向け始め、脇役だった物語はSFやホラーなど様々な要素を取り入れていく。その一つが「感動」であった。

例として、早くも1991年の『ELLE』(elf)に対して「ホロリとした」という感想が存在する(小林義寛『ゲーマーエロと戯れるか』)。泣ける物語かというと微妙だが、今プレイしても確かに面白いSFエロゲであり、感動的要素が含まれていると言える作品である

人は感動すると涙腺が弛むことがある。逆に言えば、涙腺が弛む種類の感動がある。この点での先行研究として米沢嘉博の『マンガで読む「涙」構造』があるが、そこで昭和の泣ける少女マンガ少年マンガを分析した米沢は、女性は不幸における愛と感動の物語に泣き、男性友情、努力、勝利の感動に泣く、としている。

男性向けであるはずのエロゲはしかし、何を血迷ったか「不幸における愛と感動」を物語に取り込むことに成功する。

DESIRE』(C's ware,1994/7)、『EVE』(C's ware,1995/11)、更に『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(elf,1996/12)と傑作を連発した剣乃ゆきひろはいずれも物語の中核に少女の悲劇を配した。それは壮大かつ感動的な物語の帰結としての落涙をしばしば生み、その感想に「泣いた」というものが少なくない。

さらに『同級生2』(elf,1995/1)の桜子シナリオにおいていわゆる難病物がエロゲに導入される。それは当時十分に涙を誘うものであったとして、これが泣きゲー元祖だとする説も存在する(小林,前掲)。

努力・勝利の感動が無かったわけではない。例えば『闘神都市2』(ALICESOFT,1994/12)は自分の無力さが生んだ悲劇きっかけに、強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す物語であり、高く評価された。……しかしそこにはやはり「悲劇」がつきまとっている。

「不幸における愛と感動」は、こうしてエロゲで広く受けいれられていく。

1997年

難病物は概ね、主人公ヒロインの仲が深まるにつれて病状が悪化する展開をとる。これを病気に限定せず、「不幸」に一般化したもの涼元悠一は「萌やし泣き」と呼ぶ(涼元悠一ノベルゲームシナリオ作成技法』)。ヒロインとの幸福日常をまず描いてから一気に雰囲気を暗転して二人の不幸な状況を綿密に描写、涙腺の緩んだプレイヤーに最後の一押しをするという、泣きゲーに慣れた人にはお馴染みのそれである

この萌やし泣きは、しかし突如エロゲに登場したわけではない。

前述の闘神都市2には、ごく短いが構造上萌やし泣きと解釈しうるイベントが存在する。同級生2桜子シナリオは難病物である以上もちろん萌やし泣きだが、その不幸描写は非常に短く、またオチが「主人公勘違い」というギャグである。それは手法としては古くから存在しており、変わってきたのは、それを物語上どの割合で展開するかという点であった。

1997年5月、それが一つの分水嶺を超える。『ToHeart』(Leaf)のHMX-12マルチシナリオは、萌やし泣きを1ルート全てを費やして実現した。

おそらくこれが(エロゲ上で)萌やし泣きの威力が十分に発揮された最初の例だろう。彼女の物語は感動的な場面をクライマックスに据え、それ以外の要素――ギャグも皮肉もセンス・オブ・ワンダーも滲ませること無く、ストレートに終わった。そのシンプルさに価値があったと言え、本作は多くのプレイヤーから「泣いた」と絶賛された。

そしてもう一つ、作り手の意思という点でも分水嶺を越えたものが登場する。『MOON.』(Tactics,1997/11)が「鬼畜サイコ涙腺弛まし系ADV」と自ら名乗ったことは、その後の歴史的意味でも強く象徴である。もし泣かすという意思で作られたもの泣きゲーと呼ぶならば、その明示という点で最初泣きゲーは本作と言うこともできるかもしれない。

MOON.は大量のエロシーンを擁し、エキセントリックな人物造形も無く、萌やし泣きでもない。後の作品よりも本作が泣けるし好きだという人もいるが、多くの人を確実に泣かせる威力に本作があと一歩不足したことは事実と思う。

はいエロゲはついに、プレイヤーを泣かすことを主目的とし始めたのである

1998年

ToHeartで泣かせる物語構造確立し、MOON.で泣かす意思が示され、そしてそれは『ONE』(Tactics,1998/5)において結実する。MOON.スタッフが作ったそのエロゲには、萌やし泣きが全ヒロインルートで導入された。

当時の多くのプレイヤーにとって、それは致死量だったと言っていいだろう。

本作はMOON.と変わって18禁要素は非常に薄く、無くても物語は成立する。物語は全ルートで感動と涙が目的に据えられ、それしかない。にも関わらずこれがプレイヤーの絶賛を浴びたことは、「泣かせること」がそれ単独ジャンルを成立させられることを示していた。

今やり直してみると甘い部分も多い。しかし『sense off』(otherwise,2000)、『それは舞い散る桜のように』(BasiL,2002)など、本作の影響下にありつつも秀逸な作品がのちにいくつも生まれたことを考えれば、その影響力と価値を軽んじられる者はいないだろう。

1999年

6月、MOON.を作りONEを作ったチームは独立してKeyと名乗り、『Kanon』をリリースする。これがどれだけの信者を獲得したかは言うまでもないだろう。

特に技術的な面でKanonはONEよりも洗練されている。OPとED、泣かせるための特殊演出などのソフトウェア面はもちろん、泣かすための専用BGMが用意された、という点も大きい。1997年の『アトラク=ナクア』(ALICESOFT,1997/12)は物語のクライマックス、その絶望的状況下で「Going On」が初めて静かに流れ出すことで異様な精神的高揚をプレイヤーに与えたが、これが事前に何度も使われていたら効果は半減していただろう。これと同様のアプローチKanonは泣かすという目的で採っている。

Kanonから3週間後に発売された『加奈』(D.O.,1999/6)もまた、この時代泣きゲー金字塔である。ONEやKanonが物語を中盤過ぎまでギャグで埋め尽くしたのに対し、加奈は10年以上に渡る兄妹の闘病生活を正面からシリアスに描いた難病物であるリアリティのある物語という点で「新しい」泣きゲーだったと言え、今なお評価は高い。

――一方で、ToHeartもONEもKanon加奈も、悪く言えばただのお涙頂戴であるハッピーエンドは奇跡や幸運によってのみ訪れ、主人公たちは運命に翻弄される無力な存在でしかない。こうしたお涙頂戴は今も昔も根強い人気を誇るが、一方で毛嫌いする人がいることも事実である

興味深いことに泣きゲーは、これらのお涙頂戴では泣けない人々をも泣かせようとするかのように、別の「泣かせる何か」の模索を少しずつ始めていく。

2000年

知名度も低く地味だが言及しておきたい良作として、1月に発売された『Lien』(PURPLE,2000/1)がある。不慮の事故幽霊になった主人公とその周囲の人々が残された2週間でその死に向き合い、改めて別れを告げる物語であり、主人公が生き返ることは無い。従ってお涙頂戴の文法に則っているが、しかしその最後において、彼らは前を向き、笑顔で別れを告げる。別れは悲しみしか生まないものではなく、人の強さを示すものでもあることをLienは描いていた。

そして9月、Keyのリリースした『AIR』は約束された勝利を遂げる。物語はもちろん難病物で、ヒロインは最後に死ぬ。その死を「ほとんどなんの意味もない」(東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』)とするならば、これは従来通りのお涙頂戴だろう。

しかし、彼女無意味に死んだことが悲しくてプレイヤーは泣いたのだろうか。

もちろんそういう人もいるだろう。だがかの有名な「ゴール」は、彼女が最後まで努力し、やりきったこと――笑顔幸福記憶を全うしたからこそ、泣いた人も少なからずいたと筆者は考える。最後の別れにおいて、彼女は必死で前を向いていた。

悲劇象徴としての別れの描き方と、それに対する姿勢は少しずつ変化を見せ始める。

2001年

ところで萌やし泣きの多くは幸福8割、不幸2割程度の文量配分で構成される(※数字は筆者の体感であり、根拠はない)。これを反転し、幸福を2割以下、不幸を8割以上にするとどうなるか。

鬱ゲである

MOON.もその一つだが、『DiaboLiQuE』(ALICESOFT,1998/5)や『銀色』(ねこねこソフト,2000/8)など、爆発的に売れることは無くとも鬱ゲーは途切れること無く続いてきた。特に銀色の執拗な鬱展開は秀逸であり、未だ根強くファンがいることも頷けるものである個人的にはDiaboLiQuEももっと評価されていいと思う)。

そして8月、幸福と不幸がほぼ半々、つまり鬱ゲーであり泣きゲーでもある『君が望む永遠』(age,2001/8)が発売される。

男女関係修羅場シリアスに描いたエロゲといえば『WHITE ALBUM』(Leaf,1998/5)が有名だが、そこでは主人公修羅場の矢面に立たされることはない。対して本作のメインシナリオでは主人公は徹底して矢面に立たされ、主人公が別れを切り出すことでのみ悲劇は終幕する。

誰を切り捨てるかは、プレイヤー選択肢が突き付けられることで行われる。だからこそ最後に彼らが再び笑い合える可能性が示されることはプレイヤーを安堵させ、涙を誘った。彼らは奇跡によってではなく、心の強さによって悲劇を克服する。

さらに11月、物語の殆どがギャグで占められ、物語の構造自体は従来の萌やし泣きの延長ながら、にも関わらず枠を踏み越えたものが登場する。『家族計画』(D.O.,2001/11)である

家族に捨てられた連中が偶然集まり、やむなく家族を偽装し、衝突しながら家族になっていき、崩壊し、再び家族になる様が描かれる作品である加奈やAIRでも家族愛は描かれたが、いずれも兄妹あるいは母娘の二者間に閉じている。対して家計は父母兄姉妹という集団の絆を描く。

襲いかかる不幸は彼らの手によって跳ね除けられる。プレイヤーはもはや誰かの不幸にではなく、茉莉がお兄さんになって下さいと訴え、準が最後にスプーンを咥え、その家族としての努力が実ったことに涙する。

なにより家計ではもはや誰一人死ぬことはない。君望もメインシナリオでは誰も死なない。誰かを失う悲しさだけが泣かせる手段ではない。悲劇に敢然と抗い、心の強さで打ち勝つだけでも人は泣くのである

2002年

……などと枠を広げ、新しい要素を貪欲に取り込むパイオニアばかりではない。泣きゲーというジャンルを充実させたのは既存の要素で構成された作品群である

例えば『flutter of birds』(シルキーズ,2001/2)は極めて基本に忠実な難病物だし、特定ルートで萌やし泣きを取り込んだ『みずいろ』(ねこねこソフト,2001/4)や『水夏』(CIRCUS,2001/7)、『グリーングリーン』(GROOVER,2001/10)はいずれも好評を博した。またDESIRE同様、悲劇シナリオの感動としての落涙であれば『腐り姫』(Liar Soft,2002/2)はこの年の作品では秀逸である

また、集団間の絆も広く扱われていく。

うたわれるもの』(Leaf,2002/4)ではSRPGというジャンル上の必然もあるだろうが、家族的な仲間との絆が描かれている。『世界ノ全テ』(たまソフト,2002/4)や『ロケットの夏』(TerraLunar,2002/10)は後半こそ二者間が主軸になるものの、いずれも部活を通して仲間と触れ合うことで主人公が成長し、仲間との絆を育むことで成立する物語である

2003年

ONEとKanonとAIRを足して3で割ったような『SNOW』(Studio Mebius,2003/1)、あるいは『てのひらを、たいように』(Clear,2003/1)では、困難に対する仲間の存在がより大きな価値を持つ。その最後は奇跡による解決はいえ、ヒロインのために仲間全員が努力し、足掻くことでハッピーエンドが訪れる様は「与えられたもの」というより「勝ち取ったもの」という印象が強い。

これらを「みんなは一人のために」とするならば、「一人はみんなのために」もまた登場する。『CROSS†CHANNEL』(FlyingShine,2003/9)である

ToHeart型のよくある学園物語に始まり、それが綱渡りの上で構築されたものであることが明かされ、ばらまかれた伏線が繋がっていく様は見事の一言に尽きる。と同時にそれは、心の壊れた主人公が何度も失敗しながらトラウマを乗り越え、仲間のために自己犠牲を重ね、それによって心を再構築していく物語である。その実に静謐な最後において、そこで彼が平穏と幸福を遂につかんだことに、タイトルの意味と、そして彼が勝ち得たものが明かされることにプレイヤーは涙を流す。

2004年

そして1月、『Fate/stay night』(TYPE-MOON)が発売される。絶望的状況下で静かに流れだす「エミヤ」はプレイヤー凶悪な興奮を与え、「強くなるために精神をすり潰し、廃人になってでも最後の敵を倒す」展開に涙を流した。

そこに「友情、努力、勝利の感動」があることを疑う者はいないだろう。


泣きゲーというとKanonやAIRがよく話題に出されるが、「泣いた」という感想がC†CやFateにも多く存在することは事実である。と同時に、いずれにも物語の重要位置に少女の悲劇と愛が配置されている。

そしてこれまで言及してきた「不幸における愛と感動」の泣きゲーに、努力や勝利が全く存在しないわけでもない。その努力が実ったかどうかの差はあれど、必死の行動があったことはどの作品でも紛れも無い事実である

としてみると、「泣いた」と感想を多く有する作品、すなわち泣きゲーには「不幸における愛と感動」と「友情、努力、勝利の感動」の要素が、両方含まれていると捉えても間違ってはいないだろう。そしてそうだとすれば両者は対立するものではなく、両立するものと言える。

そう捉えるならば泣きゲー歴史とは、時代によって、作品によって、この両者の配分を巡る歴史だった、ということもできるように思う。

2005年以降

いい加減読んでいる人も飽きただろうし2005年以降は割愛するが、一つ言及するなら不意打ちという手法が導入された点である

例えばいかにも安っぽいハーレムものとして始まりながらシリアスなSF展開を経て感動的最後を迎えたり、あるいは陰惨な陵辱物として始まりながら見事に綺麗な純愛物へと変貌したり、泣きゲーとしての姿勢最初は微塵も匂わせず、突如牙を剥くもの2005年以降に目立ち始める(いずれもタイトルは念のため伏せた)。

また泣けるイベントが用意されていても、それが作品としてのクライマックスと一致しないことが珍しくなくなる。中には語るべき物語は全て終わり、エピローグの最後の最後で油断しきったプレイヤーに猛然と襲いかかるものもある(いずれもタイトル以下略)。

昨今、泣きゲーが減ったと言われることがあり、実際、一見してわかりやす泣きゲーを現在はあまり見かけない。しかしプレイヤーを泣かせることが主目的化した時代を超えて、泣きゲーとしての技術や様式は再び物語を盛り上げるための一要素へと還元されていった、というのが現代の流れだとすれば、それは死につつあるのではなく、むしろ要素として広く普及し、遍在したことで目につきにくくなった、ということのようにも思えるのである

おわりに

リアルタイムにこれらを経験した人にしてみれば、有名作を並べただけでなんの面白みもない内容と思う。申し訳ない。が、今20歳前後若者にとってみればFateですら12年前の古典である。「泣きゲー元祖」がなぜ人によって違うのか。なぜ未だにはわわとかうぐぅとか言ってるヤツがいるのか。若者がそんなことを知っている方がおかしいし、それを知るために最初から全部やり直すなど正気の沙汰ではない。

かつて何が起きて、それが今にどうつながっているのか。粗く拙いまとめに過ぎないが、その理解一助として本稿に役立つところがあれば幸いである。加えて「そういや最近エロゲやってねぇなぁ。またちょっとやってみるか」と思うきっかけになれば、それに勝るものはない。

どうか、幸せエロゲライフを。

最近元増田(>>1,投稿者,ブログ主とも)を逆張りで叩いてマウント取ろうとする風潮

本当息苦しいと思わない?

 

恋愛の話すると「お前がクズからだ」「お前の態度に原因があるんじゃないの?」「彼女可哀想」「お前が」「お前が」

仕事の話すると「お前が慕われてないだけじゃね?」「だってお前仕事できないじゃん」「後輩が可哀想」「お前が」「お前が」

どうでもいい話しても「だってお前道程じゃん」「だってお前ハゲじゃん」「だってお前働いてないじゃん」

 

昔はこんなに辛辣じゃなかったと思うんだけど

キモオタって本来見えない存在のはずじゃね?

普通にアニメ見てる人もたくさんいるはず。

なぜか最近は、美少女アニメキモオタ狙いです。みたいにナチュラルになってるけど。

本来、そういう大きなお友達は見えないところで存在してるはずの、社会の闇じゃねーけど、まあ陰日なただわな。

  

でも、なぜか、

アニメっていうと、キモオタが出てくる。

負け組みっていうと、キモオタ

おいおい、キモオタクローズアップされすぎじゃねーの?これって本当は異常だよね。

とあるごとに出てきすぎだろ。

  

なぜこんだけキモオタクローズアップされてるんだろうか。

ネットが彼らの主戦場からネットが広がるほど彼らのことが知れるからか?

ねこ

確かにまとめブログでの取り上げられ方は半端ない

最近じゃホリプロに入ってカレンダーも出したみたいだけれど

ちょっと評価されすぎじゃねって思う


というのは少し語弊があって、

興味持たれなさすぎじゃねって思う


わたしねこむさんに興味を持って

たまたま見つけたネット番組動画をみたのだけれども、

彼女はとてもじゃないけどテレビに出ていい人ではなかった


興味をもって強いモチベーションで調べると逆にひいてしま

それが彼女だったのだ

2016-06-29

いとう杏六『ショウup』

元々凄まじく印象に残ってた漫画だが、雑誌で読んでいたために単行本買うほどではなかった。

しか最近になって急に読みたくなって、断片的な記憶からタイトル特定してネットで購入。

読んで見たらやっぱり面白かった。面白いのに打ち切り

男性アイドル主人公女性向けというわけでもない芸能界物という時点であまり人気出そうにない題材だが、当時も面白いと思っていた。

なんといっても終わり方が衝撃的だった。

実際の設定が元ネタに沿っているかっていうとそうでもないが、基本的道化のように扱われる役目を与えられる登場人物芸能人名前元ネタ実在する芸能人名前が近すぎるのが問題だったかもしれない。

特に作品の核心に関わる、明らかに元ネタがジャ○ーズなゼニーズ事務所とその社長である銭屋というババア権力の凄まじさは今読むと最近現実の例の事務所のことを想起させる。実際その件でこの漫画を思い出した人が結構いたらしい。

最近ラノベ

作品名は覚えても著者名をまったく覚えなくなったなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20160629223110

あ、そうそ

なんか共産党って一瞬マイルドになったって言うか地に足ついたみたいな雰囲気出したときあったよね

あのときかなり期待感や人気が出てたんだけど

なんかその数年?のあと気付いたらまたキッツい感じのアナクロ左翼に戻ってさ

最近はなんか野党が団結すれば政権奪取できるぐらいに思ってて情期みたいでびびる

明らかに浮き足立って現実が見えなくなってる

内部でどんなことがあったんだろ