はてなキーワード: 真正とは
単刀直入に言おう。「死にてえ」って気持ちは大人になってもずっと続いている。むしろどんどんつらくなってきているよ。「死にてえ」の気持ちはおそらく一生レベルで治らないものなんだ。ごめんね。
パソコン関係の仕事はできたよ、なんやかんやで。背水の陣みたいな感じで国家資格取った。でも向いてなかったよ。ポンコツは大人になっても治らないからね。
ポンコツ具合に関してはひどくなる一方だし、付随して精神的な症状が出てきた。幻聴がすごいぞ。お前が小学校の頃に頭の中で話してたお友達とは無関係だからそこは安心してちょうだいね。
今のお前は輪をかけて不真面目だろうけど、大人になったらそれは治りました。唯一の改善事項です。提出物はちゃんと出すし、やらなきゃならないことは真っ先に手を付けるようになった。仕事も一応ちゃんと毎日行ってますよ。
未来は明るい……と思いきやそうではない。常にほんのり、薄暗い、なんというか、「あ~安い電球買ったから部屋がなんか暗いな」みたいなそんな残念感にあふれています。安い電球だからすぐ切れて、真っ暗になることもある。真っ暗というのはぶっちゃけて言っちゃうと自殺未遂的なアレです。まあ結局全部失敗するから安心してよね。
いや、こんな未来許せん、やはり死ぬべきだ、今!と思うなら迷わずやってしまっても構わない。
稼いだ金を趣味に使っても怒られない環境になった。なんとなく夢見てた「フィギュアをお部屋に飾る」ができるようになったよ、実家で。なんか、すごいよな。一応、ささやかな夢も、ちょこちょことは叶っている。
でも、ささやかな夢ごと未来をぶち壊しても全然構わない。自分の命はとても軽いし、いついなくなってもいいし、世の中は上位互換でいっぱいだ。
その上位互換たちは妙に優しくて、ポンコツなおれに気を遣って、真正面から怒ったりしないんだよね。代わりに無言でサッと避けていったりするんだよね。上位互換のほうが、おれよりもっと大人だから。今、「やだな」って思った?おれもやだな、って思ってる。消えたくなる。おれ、いらねえ。おれ、消えたい。おれ、このまま透明になりたい。だから死んでもいい。全然いい。いいんだ。
でも死ななくてもいい。どっちでもいい。15のお前にはすごく難しい決断だと思う。30のおれにもすごく難しい決断だ。迷ってる。死にてえって泣いて死にてえって喚いてても、なんか、なんとなく生きてるよ。なんで生きてるかわかんないや。お母さんを泣かせたくないだけなのかも。お母さんがいなくなったらおれはどうなるのだろう。わからん。でも15のお前は厳しくてさっぱりしてるだろうからこう言うかもね。お母さんが死んだらお前も死ね、って。
へーマジかー。性教育とかマジでゼロだったわ。避妊とかセックスとかいう単語を1度たりとも親の口から聞いたことないと思う。
自分のとこは機能不全家庭というほどではない普通の家だと思ってるけど、やっぱそうでもないのかなという気もちょっとする。
家族の会話って当たり障りのない世間話だけで、真面目な話や教育的な話って本当にしたことないんだよな。子供の頃怒られることはあっても、理由とか無くてダメなものはダメ式の言い方しかなかったし。
ああ〜なんか思い出した。一度だけ、家を引っ越して俺用の小さい個室ができたとき、扉がすりガラスだったんだけど「xx(俺の名前)が彼女連れてきて変なことしてたら分かっちゃうぞ」みたいなことを父親が茶化して言ってた。あれが唯一親の口から聞いた性的なことだった気がする。
ですが、もうちゃんとした人生を送ろう、なんてことは忘れてしまえばいいのではないでしょうか
享楽に生きるのです
楽器をやるのもいいです
貧しいながらも道楽に生きるのです
こんな狂った社会にまともに真正面から付き合おうというのがバカげているのです
どうせいつか死ぬんです
他人は働けだの何だの言いますが、適当に言い訳してふて寝してたっていいです
不健康なものを食べまくって、思い出したかのように絵を描いたり、ギターを弾くのもいいものです
こんなくだらない社会なのですから、こんな社会のために歯車になろう、礎になろうなんて考えないことです
立派な人生なんて送ろうなんて思わないことです
真面目に働いている人たちを見下ろしながら、こんなクソみたいな社会のためにアホだなぁ、と思って眺めていましょう
TwitterにいるPtt_krは、 かなる積極的に、うるせえ糞、という表現を使用するが、真の糞である、霞が関行政職員ないし、 地方行政、または都内で働いている、形式のデザインしか
残っていないのではないかと思われるような真正の糞に対しては、直接、物申すこともできないし、燃やすことも刺すこともできないヘタレなので。
従って何を言ってるのか理解できない。
平成時代にもっとも糞な公文書を書いたのは、検察官の山田朋美と、 平成23年10月23日および同月25日に、交番などの不審物件の検索活動をした、清美川幸二
であって
警察官 清美川幸二、深作雅男(ふかみまさお)、柴崎稔、 は、超絶な糞だが、その者の前に行って言えない時点でお前が糞だわ。
あさだ。休日の朝だ。
いまの職場ではたらきはじめてから、だいぶたつ。でも完璧じゃない。来年度は、窮乏の生活がほぼ確定だ。
周りのひとからもかげでマウントされるんだよな。しかし、もうすこしやりようがあったろうに。
コロナだからといって、ほんとうにどこにも出なかった。オンラインでやるっていうんだから、オンラインで
参加すればよかったが、それすら最低限にした。しかも、ほんとうに興味があることにかかわるコミュニティでなかった
なりゆきで所属してしまったコミュニティ。そちらで最低限の活動した。これはよくない。
それにしてもポートフォリオ的に、真正面からとりくめばよかった。。。そこはしかし順序ってものがあるし・・
成熟へのモラトリアムや過去の青春のメタファーとしてこれほどまでにない題材であるのに、処女膜の破れ残りを詠んだ句があまりにも少ないのは、女の身体は柔らかいとはいえ、真正面から自らの性器を覗き込むことができるほどではないから
ダブルバインドの状況を作って間接的に追い詰めるやり方っていうのは、中高生の部活動内での指導なんかでは下手に叱責したり真面目に欠点を指摘するよりもうってつけなんだよ。
何故なら真正面から指摘を行った事で揉めたり後輩がショックで休んだりすると「部活内いじめ」として問題になる可能性があるし、話が大きくなると進路にも響くおそれがある。でも複数の先輩の指導内容が矛盾していてツラい、なら基本的に問題にすらならないからね。それこそ本文のような「ただ単に本人がセンスがなく活動に付いていけないので辞めました(=部活動内でいじめはありませんでした)」という主張が通用する。
↑の増田の例が問題になるとしたらメンバー同士で「双方向から真逆の指導を行いストレスをかけよう」という具体的な計画を立てていた事が明るみになるパターンだけど、後輩が部内で迷惑がられていて大勢から嫌われていたと書いてあるからそこも全員口裏合わせ済みだったと思うよ。
これまで多くのガイジを通報して凍結してきたんだがその過程で分かった事はXはマジで無能って事
問題発言繰り返してるガイジを普通にプロフィール欄から通報するだけじゃ殆ど凍結されない
そいつのガイジ発言を一つ一つ指定して20個ぐらい通報すると漸く凍結される
大体ガイジはQアノンとかネトウヨみたいな特定の集団に属してるのがマジで多いからXの場合だと「@ガイジの名前 特定の単語」で検索すると大量にガイジ発言がヒットするからそれを通報するだけ
特定の単語っていうのは差別用語とか~~人みたいなのを指定するだけでいい
なのにこんな事すらまともにXは出来ない無能だから入手可能な情報を確認した結果このガイジはセキュリティポリシーには違反してないと判断しましたとか舐めた事を言ってくる
そのせいでQアノンかつネトウヨみたいな特定危険指定クソガイジが凍結されずにフォロワー数4桁まで生き残って社会に害悪を撒き散らしてる
そしてクソガイジの中でも特に極まってるガイジオブガイジは凍結されてもまた別のアカウント用意するからほぼ無意味で終わってる
気が狂ったような漫画ばかりを描いているOが関係各所と良好な関係を作っていろんなコラボをしているのに対し、
体当たりで飼い主をふっ飛ばしても、散歩中に暴走して飼い主を引きずり倒しても、散歩拒否して道路のど真ん中で立ち往生しても、家や家具を破壊しても、全く悪びれずにニッコニコの笑顔でいる。あいつら真正のサイコパスだよ。罪悪感も共感性も全く持ってない。やっぱり犬畜生は駄目だな。猫にしか人権はない。
単純に自分のやりたいことに対する欲求には抗えないからあとから自分が納得できる理由をそれぞれつけてやってるだけだと思う
でも他人の作品を下敷きに創作することに対するうしろめたさとかがないわけじゃないから、特に腐女子の内ゲバとか学級会とかはその二次創作に対するうしろめたさを軽減・払拭するためにから同じ層の中で自分より「まともでない」ことをやってるやつを見つけて排除したり嫌ったりすることで自分の「まともさ」を担保してるだけだよなって内側にいてよく感じる
キャラブレとか夢とか現パロとか原作者への態度とかお金の使い方とかなんでもいいけど二次創作にまつわる行為で「原作愛がある」「原作愛がない」って判断をして他人のそれを断罪したりしてるのはすごい
二次創作なんてしないただのファンからしたら全部筋違いでまるごと原作でないものでしかないのに
欲深くてまあまあ罪のあることをやってるんだからそれは真正面から認めて私はやってますと言うしかないことをかっこいい理由つけて正当化だけはするなよなといっつも思う
自分がやりたくて仕方ないからその欲求に従ってやってるだけで他に対外的にすばらしい理由を見つけようとするなという気になる
2024年に「え?あぁ、そう。」であつくなるなんて思わなかったな
いい曲だし、そのうちはいるだろうなと思っていたけど、はいるならバチャシンオンリーかなと思ってました
で、バチャシンオンリーも選択肢としてある中で、なぜビビバスが歌うのか?を考えてみた
考えてみたら、この曲って捉えようによっては「最高のライブを伝説のイベントをつくろうとしている状況」にどんぴしゃなんだなって
いいライブを届けようとする演者側と、いいライブを求めている観客側の気持ちのぶつかりあいとか、物理的にも精神的にもあつくてともすればどうにかなってしまうのでは?状態のライブハウスの熱気とかそういうのに通じるものがあると感じました(自分自身年間にまあまあな本数ライブ行くので割と実感を伴っての気持ちです)
仲間や街の人と真正面からぶつかりながら、伝説の夜を超えてその先を目指すビビバスにはぴったりすぎるよ