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はてなキーワード: 非難とは

2024-03-19

差別しているのは誰か

炎上している車椅子障害者コメントを残している人達より「日本人障害者に優しくない!」などと言ったりしている人たちのほうがよっぽど属性しか物事を見られていないので差別的だと思います

障害者にも様々な人がいて、今回は車椅子障害者合理的配慮を超えた内容を求める振る舞いをしていたことについて問題視している人がほとんどだと思う。障害者から攻撃しているわけじゃない。現に同じ障害者からも苦言を呈されているけど、その人にまで攻撃を加えている様子は見られない。

けど、車椅子ユーザー擁護している側は寄せられた個々のコメントの内容ではなく「健常者」「日本人」という属性だけで見て非難している。当の障害者のことすら一人の人間として見ているようには思えない。振る舞いを考慮せず障害者という属性しか見ていない。

属性だけでくくるのは典型的差別だと思うんだけど、差別定義がわからなくなってきた。

2024-03-18

車椅子を押す側 の ぼやきと一部の生活

車椅子を押す側のとある所感、一例として書いてみる。

あんまりまとまってないけど、ご容赦ください。

  

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自分車椅子押す側の健常者。

身内が車椅子。元は歩けてたけど、病気車椅子になった。

押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。

から押す側はだいぶ神経使う。重いし。

  

で、身内は結局あんまり外に出たがらなくなった。

繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。

  

――――――――

  

そんな身内の言い分を聞いてちょっと唸ったことがある。

例えば、人混みを通らなければならないとき

介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、

乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。

  

そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。

大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。

で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。

それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、

そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味から、受け取り方が違うよ!」と慰めた。

  

そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。

よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。

  

――――――――

  

人間というか生き物は、自立したい生物だと思う。

金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、

身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。

自分身体が突然制御不能になったら嫌でしょ。

最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。

周囲だって毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。

  

でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。

傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。

本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。

自分要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。

いくらこっちが善意でも、いや善意からこそ。

  

まり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、

「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安

それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初言動のものになってるのかなと思った。

  

――――――――

  

いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。

だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。

これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。

外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。

  

でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。

  

簡単な例でいえば、トイレだ。当然多目的トイレしか使えない。

から多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。

車椅子トイレ使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。

ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。

いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。

しかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。

かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレセックスをするアホもいたりするからな…。

健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。

  

車椅子の人だって介助者だって別に自分関係なければ許せるかもしれない。

本来なら…病気になったり、事故に遭わなければ…。

そういうありもしない未来過去がそのたびに去来し空しくなる。

心の許容範囲の在り方、理不尽に変わってくる。必死だ。

  

――――――――

  

他の例だと、地方美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。

外出の選択肢として楽なのはアウトレット舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。

海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。

  

エスカレーター階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。

エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。

一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。

見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。

降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。

  

実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。

障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。

若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。

  

ただ「使える」バリアフリーかっていうと難しいときもある。

とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。

エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。

(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)

  

施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。

でもまあそれは「平等サービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。

美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから

コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。

たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。

  

本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分パイプ椅子…なんてこともあった。

クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。

「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。

楽しむために行くのに、悲しい気持ちになるのは本末転倒だ。

  

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マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。

自分車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。

望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分いるから存分に楽しめなかったりする。そもそも自分の行動や欲求に付き合わせている。

そういった事実によって生まれ葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。

そういう立場体験していない自分が、その感情否定することはできない。

  

ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。

身内の気持ちは身内にしかからいから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。

  

当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。

だって事実事実で動かしようがない。

すみません」って言わないと通れないんだから

  

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設備が悪い!とか周りが悪い!って文句もあるときはあるけど、

社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。

人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離コミュニケーションをとる。

これは最近トランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。

自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。

平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。

  

からまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、

なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。

  

身体不自由だろうと身内には元気でいてほしいから、

色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。

無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。

  

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そういうわけで(?)

車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。

助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。

舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。

  

こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。

  

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おまけ

  

これは最近の空しかった話。

テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。

  

「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。

いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。

かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。

でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルそもそも高い。そこに行くまでの道程ハードルも高い。

立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。

何より、身内と自分の体力や精神力が持つとも思えない。

そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェス非難してるわけではない。

  

でも行きたいなって気持ちは誰にだってわくもんだし。

「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子から無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。

から「行きたい」じゃなくて「行きたかったなあ」になる。

  

介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。

  

こんな無力なこと、ある?

自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。

身内はこの先あの景色体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。

  

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やっぱりあんまりまとまらなかった。

anond:20240318075633

わざと条件揃えないで恣意的な結果だとヒョンデやらTesla以外のEV乗りから非難囂囂な人なのに。

そうなのか?

非難囂囂ということは、別の観点EV評価できる点があるってことだよね。

どういう観点から評価すればいいの?

anond:20240318132559

そもそも権利なんて関係ないんだよね

萌え絵公共の場に出す権利はあるはずなのに、それを不道徳排除するのが正しいんだから

断る権利があろうとも、差別的不道徳的な行為非難されるべきなんだよ

anond:20240317164959

文化の盗用ならぬ、活動家による手柄の横取りを礼賛する内容になっている。

「わきまえない人たちが敢えてコンフリクトを起こすことでマジョリティは不承不承マイノリティ要求対応してきた。今日では皆がその積み重ねの恩恵に与っている」

それは本当か?

例えば男女同権を推し進めてきたのは何ものの力か。戦争産業従事する上での、腕力重要度の低下。家事専従者が必須でなくなったこと。そして法改正ハードウェア進歩制度的な裏書きが社会を動かしてきたのだ。

フェミニストによる道義的非難に耐えかねて、あるいはその啓蒙に感激して動くほどに社会ヤワでも腰軽くもない。イズムにイズムをぶつけても1ミリも動きはしないのである

バリアフリーのためのインフラ整備だって同じだ。増田利用者視点のみから「先人の闘争のおかげ」としているがただの想像しかない。商業上の要請建築法規に基づき、あるいは単に業務の一環として、少しずつ尽力してきた無名の貢献者はいなかったものとされている。

繰り返すがマジョリティ非難に耐えかねた説教に感激して動くほどナイーブではない(へりくだって情を乞えではなく、マジョリティの冷たさ薄情さをナメるなと言っている)。活動家のおかげ説はそのフィクション立脚している。その結果として何が起きるか。

さなコンフリクトを平熱で改善につなげるべきところ、常にこうして感情的な分断ネタとして消費される「型」が出来上がってしまうのだ。施設側が100%悪い!いや車椅子の側が100%悪い!と。

日本社会はいまだこんなに遅れているから、こういう機会を捉えて燃やさないと変わらない」というのは因果が逆で、無駄に燃やしてばかりだから協働文化成熟スポイルされているのだ。

要望があったらまずは自分が言えばよくないか

誰かが白眼視を恐れずいきなりギャーって騒いでくれたら「正直助かるわけよ〜」って言ってるが普通に恥ずかしい発想だと思わないか

そうやって物理的/道徳的担当者を責めたてるという要望の仕方が本当に合理的だと思うか?社会基本的事なかれ主義で、ノイジークレーマーには「特別あつかい」でお茶を濁すのだ。

クレーマーがほどほどに騒いでくれると有り難い」ってバカみたいな結論だぞ。

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共産党赤旗コンビニで見かけた成人誌の密告フォーム作成国連に持ち込んで問題にする」ヤングジャンプヤングキングヤングアニマルなどが対象

https://togetter.com/li/2333767

こういうのも同工。

とっくにエロ本が完全撤退したあとでヤンジャンとか燃やそうとしてんの。

「ワシが育てたムーブ」にコロっと引っかかってんじゃねえよ

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id:el-condor

法律の制定が権利主張なしに良心に満ちた人々によって行われるとでも信じているのだろうか。大したお花畑。激しくない権利主張は現実として黙殺されるだけ。差別者被差別者大人しい主張に傾聴すると思うかい?

法整備エンジニアリングを後追いするという本質論を主張する上で全然重要でないから詳論してない所に、隙があると思いこんでこうしてバカが頭をねじ込んでくる。

バカにお花畑とか言われるとすげえムカつくな。

あいったん対立パターンができてしまうことの弊害はこういうことなんだ。それぞれの陣営正義の能無しが問題の周りを固めてしまい、手つかずにさせてしまう。

実際にコツコツ手を動かす人を遠ざけ、吊し上げが好きな奴ばかりが集まってくる。

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「穏当に地道に“活動”してる人もいる」

そらそうよ。みなまで言わなかったけど。

自由市民としての矜持を持ち、選挙にいく以外でもあらゆるチャンネルを探って社会運営改善に参画しようとする、リベラルであるとはそういうことだ。そこには当然にして摩擦が生じることもある。

くだんの車椅子インフルエンサーのことも別に迷惑100%とは評価していない。施設側のモノの言いようにカチンと来たのも想像はできる。

摩擦は避けられないからこそ相互リスペクト必要なんだ。

そんなに難しいこと言ってないが、まあはてな界隈にもうなんも期待してないのはある

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毎たび最後に同じようなこと言ってるが、一言マウンティングじゃなくてトラバ字数気にせず堂々反論すれば?でもお前らは絶対自分発言責任持たないんだよな。ピンポンダッシュ最適化したカス連中

anond:20240317203311

出してくる比較根拠キャノンボールyoutuberとかってギャグで言ってる?

わざと条件揃えないで恣意的な結果だとヒョンデやらTesla以外のEV乗りから非難囂囂な人なのに。

ちょっと、もう少し車理解してからの方が良いよ。

車持ってないでしょ?

2024-03-17

anond:20240317142439

食べた量の問題よりも上タンだけ食ってることに非難されてるじゃないの。で、ほとんどの人は、採算の問題はわかるから、原価高いメニュー制限しておくか除外しとけば?と言ってるんじゃないの。

ロシアの侵攻を非難するアメリカ人は、アメリカ返還してイギリスに帰らないんですか?

とても面白い主張だなと。

いえどの口が避難してるのかなって

2024-03-16

AI規制派の気持ちマジで理解できない

趣味で絵を描いてる人間です。

ツイッター上で好きだったイラストレーターさんや漫画家さん、絡んでもらってたフォロワーさん等々が続々AI規制発言をするようになっていってて辛い。吐き出させてくれ…

SNS上で見かける規制派の意見マジで理解できない。何あれ?


規制派が「これは絵描きの総意です!」みたいなノリで言ってることに全然共感できない。

あの人たちは自分の中の絵描き像が大事で、自分の想定するようなスタンスでない絵描きのこととか想定もしていないんだろうな。

インターネット上の主張は主語デカくなりがちとは言え、「この属性の人たちはみんな同じ気持ち!」みたいな態度キツいっす。

私も趣味で描いてる絵描きだけどあの人たちと同じ考えは全然持てない。


あの人たちはイラスト生成AIのことしか見てないっぽくない?

絵画著作物でとりわけアニメ調や漫画調の人物イラストを別格の存在と思っていそうって言うか…


規制派の人がよく訴えてる「絵は我が子のようなもの機械学習にかけられることは我が子をミキサーにかけられるような気分になる」みたいな例え話に一ミリ共感できない。

何故なら私は私の描いた絵に対して生まれてこの方一度も我が子だとか思ったことがないので。

絵は絵じゃん。

自分の絵を見て「よく描けた」「好きだ」とか思うことはあっても「これは我が子だ」みたいな感覚は湧いたことがないのであれ系の例えに全然共感できない。

絵を描く人間がみんな自分の絵に対して「我が子」と認識すると思わないでほしい。


と言うか、私が今までネット上に公開した絵について機械学習された可能性があることについて私は特に何の感慨も抱いていないんだけど。

「ふーんそうなんだ」くらいにしか思えないって言うか…

何も思ってないことについて「絵描きは怒るべきだ!」みたいな圧を感じるの怠い。

怒ってないことに別に怒れないよ…

思ってもいないこっちの感情勝手に代弁しないでくれ…


イラストであれ写真であれ、画像データである以上はピクセル一つ一つに色の情報が乗ってるだけって性質は引き剥がせないじゃないですか

私は機械学習技術的な仕組みとかよくわからないけど、あれは「『人間』というタグが付けられた画像ではこの色情報を持つピクセルの横にこの色情報を持つピクセルが配置されている傾向にある」みたいなデータ配列偏向学習してるだけなんじゃないの?理解が間違ってたらごめんね…

そう考えると生成AI学習段階でやってることは別にコラージュでもミキサーでも単純な複製でもなくない?

いや、機械学習データ解析の過程で複製が伴うとしてもそれは権利侵害に当たらないと規定しているのが著作権法なのだろうけど…(法律理解ガバってたらすまん)

未だに「生成AIコラージュだ」みたいな誤情報を信じている人がいるのよくわからん

データ配列の偏り方を学習してるだけであって盗んでもいないし切り刻んでもミキサーしてもいないよ。


あと「権利上の問題がある」「著作権的に違法だ」みたいな主張も謎すぎ。

学習権みたいな権利日本著作権法には規定されてないと思うんだけど。

どこの国の法律を見て言ってるんだろう?

私が不勉強なだけで実は日本法律存在するとかだったらマジで教えてほしい。勉強したいから。

著作権って単語を「自分の作ったものを好き勝手されない権利」って雑に理解しているのか?

かに著作権は強力な権利だけどそんなに万能でもなくない?

権利限定列挙されてるし権利制限規定もある。

あらゆる形での他人の利用を拒否できる権利ではないと思うんだけど…

たぶん「著作権」って単語相手が怯む魔法言葉だと思って使ってるんだろうな…


外国では集団訴訟されている問題のあるツールだ」みたいな訴えもよくわからん

外国で起きた訴訟はその国での法律で争われるのであって、外国裁判で出た判決直ちに日本にも適用されるとか無くない?

日本でも新たな法が作られるとかの時には海外の事例も参考にはされる可能性もあるだろうけど、日本の外で起きている事柄根拠に「日本も倣うべきだ」みたいなノリがよくわからん

と言うか日本での訴訟があるなら是非知りたいんだけどどなたかご存知ないですか?

私は日本に住んでるので日本判例が知りたいです。


著作権路線で生成AIを責めるならSNS運用ちゃんとしてほしい。

生成AIに反対している人のツイッターアカウントを見に行ったら、著作権が切れていなさそうな漫画の切り抜き画像映画アニメTV番組スクショ画像引用要件を満たさずに投稿していたりするのを見て頭抱えた。

生成AI他人著作物蔑ろにするものと主張しながら自分バリバリ他人著作物権利侵害行為してるのはダブスタすぎるでしょ。

普通にそれ複製権とか公衆送信権侵害行為だと思いますよ…

それなりの主張をするならマジでちゃんとしてくれ…


あとpic it upとかの「自分で描け」的な主張に本当に賛同できない。

私は自分で描いたイラスト素材をwebサイト販売している。

もし仮に私が「自分で描け」的な思想賛同したら、それはありがたくも私のイラスト素材を購入し使ってくださっている方々に対して失礼じゃないですか。

自分で描く力や時間がない時、描き方がわからない時とかにそういうツールを使うって点で考えれば、手描きのイラスト素材も画像生成AI役割として変わらないじゃん。

求めるイラストを作るためのツール適法に使うことを悪だとする思想には私は賛同できないです。


というか、「自分で描け」「手描き詐称するな」みたいなご意見をお持ちの方々は、職務著作という制作体制存在することについてどういう理論でその意見との整合性を取ってるの?

要は、その絵を自分で描いていないのに自分著作者だという名目でその絵を発表することを非難なさっているんですよね?

でも例えば、漫画家さんが作画アシスタントさんを雇用して漫画制作に参加してもらう…みたいな制作環境はよくあるわけじゃん。

で、そうやって漫画家さんが指示を出してアシスタントさんに描いてもらった背景や効果モブ等々は漫画原稿の一部となり、最終的に漫画家さんの名義で漫画雑誌webページ単行本の形で発表されるわけじゃん。

そうやって作品が発表される際に作品表記されるのって漫画家さんの名前だけですよね?漫画家さんが自分で描いていない部分もあるのに。(時々単行本の本文内でアシスタント名を掲載されている場合もあるけど雑誌掲載時はその限りでないですし)

自分で描いていないのに自分の名義で発表するというケースはこういう漫画制作現場の例に限らず世に無数にある。

著作権法では職務著作という名目一定の条件下でそれを可能にする規定もあるんですが、「自分で描け」「手描き詐称するな」みたいなご意見をお持ちの方々はその辺の法律とはどういう風にそのご意見との整合性を取ってるの?

自分で描け」「手描き詐称するな」という主張を通すなら職務著作についても非難することにならない?

つーか職務著作存在自体を知らなそう…

知ってる上であんなめちゃくちゃな主張を言っていたとしたら主張のロジックガバガバすぎるでしょ…


生成AI使用者を盗人、犯罪者呼びするのもやめといた方がいいと思う。

前述した通り機械学習データ解析は窃盗ではないと思うし。

お手持ちの画像データはご自身画像フォルダネット上のサーバーからひとりでになくなったりしてないでしょう?

マジでお手持ちのデバイスから画像データが盗まれて消えたとかならサイバー犯罪だと思うから警察かに相談した方がいいですよ。

第一ネット上にアップロードした絵を複製されることが嫌って言うならネット上に画像アップロードしない方がいいと思うのですが…

誰かがネット上にアップした画像他人ネットを介して閲覧する際にはその他人が使ってるデバイスにその画像データが複製されるのはネットの仕組みとして当たり前にあるって言うか…

インターネットってものがそういう仕組みをしていて、尚且つイラスト投稿サイトやSNS等を利用して画像アップロードする際に「あなたアップロードしたものはこういう風に使いますよ」って規約同意した上でサービスを使っているわけじゃないですか。

適法かつ契約内容に則ってネット上にアップロードされたデータが使われることに対して盗人、犯罪者呼ばわりするのは筋違いじゃないか…?

と言うか、どんなに正当な怒りがあっても他人に対して暴言を言うのは誹謗中傷とか侮辱になる可能性があるからやめといた方がいいですよ。


特定イラストレーター風のLoRAが作られるのが嫌って気持ちも分からなくはないけど、絵柄や作風ってものには著作権保護は及ばないし…

と言うか絵柄や作風にまで著作権を及ばせようとする規制派の主張は怖いっす。

著作(財産)権は著作権者の死後70年も効力を発揮する強力な権利じゃないですか。(団体名義での公表であれば公表後70年だけど)

著作者人格権は死後何年経っていようが関係ないし…

そんなに長い期間似たような作風、絵柄での作品制作規制するのはだいぶ無理筋では?

制作過程AI使用してもしなくても私は自由に絵を描きたいよ。

絵柄や作風にまで著作権保護を及ばせようとする意見には賛同できないっす。


いわゆるimage to image手法でご自身イラストが加工されたことに関しては、加工の結果の生成物が依拠性と類似性があると判断できるならば複製権等の侵害として使用差止請求損害賠償請求をすればいいのでは…?

そうした上で使用をやめてくれないのであれば裁判しかいかなぁとは思うのだけど…

生成AIに関連する判例は私もマジで知りたい。

裁判費用に関するカンパとかするなら私も多少は出すから裁判頑張ってほしい。

頑張って!頼む!


規制派の人たちって、法律AI普段自分が使っているネットデジタルツールの仕組みへの無知無理解から、新技術に対して不安不快感を抱いている印象がある。

自分作品を守りたいという気持ちがあるのなら、法律では自分たちにどのように権利が与えられ保護されているのかや、自分たちが普段使ってるツール技術がどんな仕組みをしてるかについて知っておいた方がいいよ。

でないと守りたいものも守れなくなってしまうと思う。

文化庁ホームページなら無料でそれ系の知識を漁れるし、もっと体系的に知りたいなら知的財産管理技能検定テキストを読むのとかおすすめ。3級なら内容もだいぶ簡単だし。


つーかこの1年程SNS上で見てきた規制派のプロイラストレーターさんやプロ漫画家さんたちが著作権法に関する基礎的な理解も無さそうな様子にぶっちゃけかなり驚いている。

プロでしょ?

職業にしてるなら著作物ご飯食べてるんでしょ?

我が子とか魂に例える程に大事なんでしょ?

なら頼むからしっかり知識をつけてほしい。


これが最後愚痴なんだけどさ。

グレイズとかえまもりってサービス提供するノイズフィルターがあるらしいじゃん。

そのノイズフィルターかけてない画像ネット上にアップロードする行為を「(これをしていないと)あなたも無断学習による加害行為の加担者になります」みたいな非難規制派の誰かがツイートしてるの見てだいぶキツかった。

私は自分で考えた上で別にそういうフィルターかけなくても問題ないと思ってるからノイズフィルターかけてないだけなんですけど。

それを加害への加担?はあ?言い掛かりすぎない?

前述したように私はネット上に自分アップロードしたもの機械学習されようが特に何も思わないし、仮に機械学習されたくなかったとしても、元画像が肉眼で容易に判別できる程度のうっすらしたノイズをかけたくらいで機械学習防止の効果があるとは思えなかったかノイズ加工してないだけなんですけど。

効果があると信じてご自身でご自身画像にご使用になるのは何とも思わないけど、他人自分と同じように行動していないことを加害への加担とか言うのは失礼すぎない?

してない人間だってしてない人間なりの感情や考え方があるんだよ。

そこを無視されているようで件のツイートはハア?って思った。


愚痴だいたい書き終わったな。

規制派が絵描き代表面してるのがマジで嫌。

彼らの思想では私のような絵描きがいることは想定されてないっぽいし。

何が嫌かって、私自身が何も思ってないし問題視もしてない物事について絵描きって属性だけで雑に規制陣営から味方認定されて同士として振る舞え的な圧が感じられるのが嫌。

規制派の言ってることは創作自由度を狭めることに繋がると思う。

この1年ちょっとで好きなイラストレーターさんや漫画家さんが続々そっち方面になってしまったのは本当に心の底から残念。悲しい。


私は「適法であったり個別に結んだ契約等に反しない範囲であるなら自由に好きにどんなツールを使って描いてもいいじゃん」ってスタンス絵描きです。

からこそ、自分の描いたイラストが誰かの役に立てばいいなって思ってイラスト素材の販売もしているのだし。

生成AIの登場や広まり特に何も反対してない絵描きもいるってのだけ覚えていってもらえれば…


まぁこんな場所匿名愚痴ってるのは規制派によるネットリンチが怖いからなんだけどさ。

自由に好きなツールを使って絵を描いて公開してもネットリンチを受ける心配のない世の中になってほしいよほんと。

私が怖いのは生成AIではなく先鋭化した規制派の攻撃性です。


長々と書いたけど私も法律とか技術的な知識をその道のプロほど十分に知っているわけではないです。

技術法律に関する記述が間違ってたり不足してるなって思ったら適当コメントしてください。拝読いたします。

私もまだまだ勉強したいんで。

参考になる文献とか判例とか教えてくれると嬉しいっす。よろしく

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「頂き女子りりちゃん」を名乗って詐欺マニュアル販売し、自身男性から現金をだまし取ったとして詐欺罪などに問われた渡辺真衣被告(25)の論告求刑公判が15日、名古屋地裁であった。検察側は「担当ホストナンバーワンにするためという動機は短絡的で身勝手まりない」と非難し、懲役13年、罰金1200万円を求刑した。判決4月22日に言い渡される。

 被告質問渡辺被告は、自宅にも学校にも居場所がなかったとし、20歳ごろからホストクラブに通い詰めるようになったと明かした。「担当に認めてほしかった。売り上げに貢献し『エース』になることを目指した」と述べた。

https://mainichi.jp/articles/20240315/k00/00m/040/332000c

2億5千万円を横領したおじ、求刑7年

愛知県瀬戸市保育園運営資金、約2億5000万円を横領した罪に問われている前理事長の男に、懲役7年6カ月が求刑されました。

 起訴状によりますと、瀬戸市無職森田正明被告(64)は2023年7月から8月までの間、理事長を務めていた瀬戸市保育園運営資金、合わせて2億5100万円を横領した罪に問われています

https://www.nagoyatv.com/news/?id=023341

8億円詐取したおじ、求刑10

 段ボール製造などを行う鳥取森紙業京都市)の鳥取事業所鳥取琴浦町逢束)から約8億円を横領したとして同社から刑事告訴され、昨年11月に詐欺の疑いで逮捕起訴された同事業所の元経理担当琴浦町無職の男(39)の論告求刑公判が6日、鳥取地裁(秋山沙織裁判官)で開かれ、検察側は懲役10年を求刑、弁護側は「寛大な判決を求める」して結審した。判決は3月27日に言い渡される。

https://www.nnn.co.jp/articles/-/252021

女児下着撮影してネットで共有した塾講師おじ、求刑2年

教え子の女子児童を繰り返し盗撮した罪などに問われている中学受験大手四谷大塚」の元講師裁判で、検察は「児童たちが塾の先生である被告を信頼しきっていることにつけ込み、尊厳無視した」として懲役2年を求刑しました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240311/k10014386731000.html

リンチの末に死なせた相手ドラム缶に詰めて遺棄したおじ、求刑8年

青森県弘前市で2022年8月、ドラム缶の中からコンクリート詰めにされた男性遺体が見つかった事件で、傷害致死罪に問われた男3人の裁判裁判公判が8日、名古屋地裁平城文啓裁判長)であった。検察側は横井秀哉被告(49)に懲役8年、小枝浩志(64)、奥村博(50)両被告懲役7年を求刑した。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2024030801252&g=soc

7人がかりで通りすがりの人をリンチして24万円引き落としさせ奪ったおじ、求刑8年

去年4月宮崎市白浜海水浴場で、30代の男性暴行を加え金品を奪うなどした罪に問われている19歳の少年裁判で、検察は、懲役8年を求刑しました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/ea8823632dabbf28c2bf2203edddd72aaf22615c

anond:20240316130818

ゲイ子供持つと非難轟々だからゲイ擁護のやつらは実はゲイとかどうでもいい。

2024-03-15

発達障がいや特性といえば何でも許されると思うなよ

ADHDアスペの中でも人に迷惑をかけたり、暴言を吐いても平然としている人種

めちゃくちゃ自分特性を気にして溶け込もうとしてる人達がいるのも知ってる。けど、同じくらいかそれ以上に特性による加害性を発揮して人に迷惑をかけている人達もいる。

人の気持ちが分からいか暴言を吐いていいのか、衝動性や多動性があるからしかけておきながら途中でスマホを見るのか。

普段職場しか会わないから!と割り切ってはいるが最高に不快だし疲れる。こうした特性の人々にかなり振り回されたし、大分慣れてはきたがやはりしんどい自覚はしても改善しないなら何の意味もないと思う。それが自分上司やら上の人々なら尚更しんどい

やっぱり、診断が早期にされるお陰で名前がつくようになっただけで昔から特性持ちは沢山いる気がする。申し訳ないが親と同じくらいの年齢の人間とは思えないような言動に驚いた。自分の非を認めず、必ずこちらが悪かのような言い方は頭がおかしくなるのも道理である。だが、我々取り巻く人間は「そういう特性から」といって受容しなければいけない。何故なら言っても治るものではないし、本人も指摘されても困るからだ。思えば、学生時代に「自分は人を加害するがいざ指摘・非難されると落ち込みが酷い」みたいな人種がいたが似たような感じなのだろう。本人も苦しんでいるのは理解は出来るが、その通った道に病休退職者の屍の山があるので何とも微妙気持ちである。世の中本当にままならない。と言いつつも最後は題に帰結する。

2024-03-14

anond:20240314120548

バレてるかどうかは、あまり重要ではないだろ

別に匂い嗅いだって悪いわけじゃない

もちろん顔を近づけてフンガフンガしてたら捕まる可能性もあるが

ただ漂っている香りを味わっただけで非難されるなら

そもそも匂いを発散してる事、それ自体問題がある

2024-03-13

anond:20240312182628

たとえそれがハニートラップ狙いの巧妙な手口であったとしてもぬいペニの様な非難される行為にはあたらない

不貞勘違いされ家庭が崩壊しようとも全て男の責任から

同じように女→男のセクハラもここ日本では問題にならない

女性側は何も気にせず接するべき

自民党ハレンチパーティーは直球で公金チューチューかつ使い道もゴミなので、もっと非難轟々となり和歌山が焦土と化してもしょうがない事案だと思う

2024-03-11

vrchatを2年プレイしてお砂糖人間関係について思うこと

砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別位置なのか議論されることがありますしかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲渡ります。それでは、この微妙関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。

『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」

[補説] 2013年10月実施した「あなた言葉辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』

goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/

"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉表現されますが、その深さや距離感に違いがあります

互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分内面理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見自由に交換できる関係を指します。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的問題を共有することは少ないかもしれません。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます

「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定コンテンツゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティ所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。

私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋趣味を楽しむ相手としての友達です。

これが悪いというわけではありません。むしろインターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。

ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられますリアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人である恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。

それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人しかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全人間関係を築く上で全く適切ではありません。

それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います

奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます

人々が他人欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団非難することは、不寛容社会を反映しています完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています

カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たち他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準適用してしまっているのです。

しかし、人間完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。

自分距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います

人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たち完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っていますしかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります

嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています

まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。

人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います

ですが、現実はそう甘くはありません。

SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。

このような状況は、人間関係価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係問題が生じたとき解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要過程です。簡単関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。

私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的不快感問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバース時代においても変わらない人間関係本質であると言えるでしょう。

2024-03-10

デモに参加したりしなかったりしているが、吉住さんのネタは大爆笑した

[B! 芸能] R-1決勝の「デモ活動」ネタが物議に 「完全に無理だった」「テレビ消した」「ブラックジョーク」など賛否両論殺到/デイリースポーツ online

 

あれは「今の」デモデモ参加者風刺しているのでも何でもなく、

暴力革命?とかほざいていた「50年ぐらい前の」おっさんおばさん(当時はおにーちゃんねーさんか)の狂気を、ネタの一部に憑依させただけやん。

吉住さんって、端々に狂気をちりばめて、笑いに落とし込むのが上手だよね。

その題材の一つとして選んだのが、50年ぐらい前の狂気でしょ?

だって、今のデモ火炎瓶なんて見たこともないがな。

「すいません、武力けが取り柄で」ってセリフ象徴しているよね。

今のデモは、武力なんて用いない。

あと、昔の暴力革命云々の狂気だけでもないよね。

服に血がついているのを指摘されて、「私の血じゃない」って笑って流すところなんて、恐らくだけど、50年前の暴力活動家マインドでもないでしょう?

(50年前の暴力活動家は、血まみれの服を見て「俺の血じゃないか大丈夫」とか、そんなマインドだったというエピソードがあるなら取り消すけれど)

 

って、ここまで書いて、そういえばと思ったのだけど、

デモで一緒に行進するおっさん・おばさんの中には、

妙なマウントをしてくる人がいるんだよね。

ごく一部だけど。

自分若いころは若者が皆政治の腐敗に対抗して云々」みたいなことを言い出して、

年下に「すごーい」「そうなんですね」って「さしすせそ構文」で敬遠されていることに気付かず悦に入る人って、

そもそも自分らが対抗に失敗したから、今もデモをし続けるはめになっているって、分かっているのかな?

 

あと、何ていうか、政府自民党)が自分(たち)の思い通りにしないことを憤るのと同じように、

若い参加者にも、「自分(たち)の思い通りのデモに皆参加すべし、支持すべし、行動すべし」っていう意識を持っていて、そこから外れる人を悪し様に非難するというか。

正直そういう人は苦手だな。

 

あ、そういえば、自分よりちょっと前の世代だけど、「しばき隊」とか、ふざけんなって感じ。

あいつら、ただ正義という棒で誰かをひっぱたきたいだけじゃん。あんなのには乗れなかったね。全く。

吉住さんには全くそんな意図はないだろうけれど、「武力けが取り柄」ってところは、彼らに刺さるという意味で、結果として風刺になっているかもね。

2024-03-09

本音はわりとこっち側の人多そう

https://b.hatena.ne.jp/entry/4750290984367867328/comment/zyzy

はてなブックマークではピックアップされて非難されてたけど

自分の娘とかになったら豹変しそうな感じ

非難する方が圧倒的に正しいけども、自分の子供が大学生の標的になったら、自分の娘が美人局やってたのを棚上げにして

クズが死んでよかったよかった

と、俺なら言ってしまうと思います

実際のところは放っておいてもちゃん司法が裁いてくれると思う

主犯らしいジャップオスの中学生がきちんと潰されるといいのだが

2024-03-08

anond:20240308102531

学んでなくても非難されないなんて学問過程に敬意を払った知性主義人間からは出てこないワードだと思います

anond:20240308093603

以上より、学んでいないものについて語るのは非難されるようなことではない

よって、「アンフェ表自」が仮に表現の自由を学ばずに語っていたとしても、それは非難されるようなことではない

QED

get (down) on

(人)を非難する

get off on

~の効果を感じる、~を大いに楽しむ、~にワクワクする、~に胸がときめく、~が大好きである、~に大変興味がある、~に夢中になる、~に快感を覚える、麻薬ハイな気分になる、セックス絶頂に達する

2024-03-07

「文春が刑事上の証拠はないと認めた、松本氏の件はデマ」と話題だが

過去に似た流れがあったことを、世間は忘れているのではないかと思う。

1999年週刊文春は元ジュニア達による性被害告発を、大々的に報道した。ジャニー氏と事務所名誉毀損訴訟を起こすが、東京高裁2002年に性加害の真実性を認める判決を下した。重要なのは裁判少年たちへの「性加害の真実性が認められた」にも関わらず、ジャニー喜多川氏は逮捕されることなく、刑事責任を問われることもなかったという事実だ。

刑事責任を問う」には、被害者が児童であれば直後に加害者の精液等を採取して被害届を出したり、加害者自ら暴行の様子を撮影して映像を保管していたなど、よほどの直接的証拠が残らなければ難しい。文春のA子さんのケースのように、事前にスマホを取り上げられて密室暴行をされたという流れが事実であれば、そもそも物的証拠は残りようがない。

これに限らず多くの性犯罪がそうで、密室内で行われる暴行は、そもそも物的証拠が非常に残りにくい。そのため警察性犯罪被害届は門前払いにしたがる。被害者は精神状態麻痺しており、トラウマのものを扱う聴取裁判に耐えうる人は少ない。結果として、人が人に重い精神障害を負わせるような暴行が起きたとしても、日本では殆どは裁かれることなく野放しになる。刑事事件として被害が認めらるハードルは非常に高い。

文春編集局長の「刑事事件として起訴するための証拠はない」という発言を「今になって証拠がなかったと認めた、デマ記事だった」とするのは単なるミスリードだし、時期尚早だとも思う。民事裁判では状況が異なる。刑事事件として扱うための物的証拠はない=暴行はなかった ではなく、単に証拠不十分で不起訴になるだろうということだ。

先に挙げたジャニーズの裁判のように、刑事事件としての物的証拠がなくとも(そもそも残りようがないが)、民事では、証言状況証拠重要視される。双方の主張をつきあわせて矛盾がないか調べ、状況証拠を照らし合わせ、時間をかけて真偽を問うことになる。このとき、もしも報道通りだとしたら、裏付けはそれなりに出せるはずだ。被害を訴える人々の、事件があったとされる日以降の精神科への通院歴、LINE等で友人や家族被害について相談していた電磁的記録、これらを時を遡って捏造することは難しい。(性的サービスのない)マッサージ店における暴行の件であれば、松本氏に性的要求をされ即退職したという店員出禁になったにも関わらず翌日に偽名で来店した松本氏に腕力で頭を押さえつけられ暴行を受けたとされる店員複数店員が当時その場で対応している。第三者を含めた証人や、状況証拠はそれなりに揃っているはずだ。

刑事事件としての起訴はもとより無理であって、これから民事裁判真実性が問われるだけの話だと思う。注意点として日本法律では、内容が真実であっても名誉毀損は成立する。報道内容について「過度に侮辱的な表現がある」「社会的ダメージが大きい」「報道公益性がない」などを争点にすれば、加害が真実であるかは問わず松本氏に勝算はある。だからこそ訴訟を起こしたのだろうとも思うが。

そのとき世間は「週刊誌が負けて賠償金を払った」というタイトルしか読まないだろうし、「無実だった」という印象を世間に与えることができる。園子温監督のケースでは、訴訟相手週刊誌和解し「事実と異なる内容で、全文削除させた」と強気の表明をしたが、そもそも被害を訴えていた女優さんは自死されていて、真偽は不明のままだ。そうやって何もかもがうやむやになり、忘れられ、また性犯罪告発があれば、とりあえず疑って全力で叩くことから始める。(いじめパワハラ告発ではそうはならない、ずっと冷静に話を聞く)建前はどうあれ、性加害の欲求を持つ人が大勢いることを本当は知りながら。

どれだけの人が似たような訴えを起こしても、世間は冷静に耳を傾けることなく、永久に同じことを焼き直し続けるのだと思う。


その他、ネット世論に思うこと。

「なぜ警察に行かなかったのか、なぜ週刊誌でいうのか」

法務省実施した性犯罪調査によると、警察被害届を受理した事件数は、推定被害者数の4.71%しかない。性犯罪に遭った人は、直後は否認麻痺状態に陥り、すぐに行動できる人は非常に少ない。例えるなら、全身を轢かれて重体になった人に対して「すぐに自力で立ち上がって動けないのはおかしい」と非難しているようなことに近い。PTSDを負えば、一生涯精神科に通院しかねない深刻な後遺症が残るのが、性犯罪だ。警察聴取裁判に耐えうる人は少ない。トラウマを受けた人は加害者への恐怖心が非常に強く、再加害の危険本能的に回避しようとする。どうにか勇気を出して警察に行っても「証拠がないので難しい」と、被害届をつっぱねられるケースも多い。一言でいうと当人精神状態環境が整っていない。

相手日本全国で名が知られ、ファン大勢いる人であれば、なおさら警察被害届を出せないだろうと思う。ジャニー当事者の会では、激しい誹謗中傷を浴びた男性自死している。最高峰弁護士を雇える権力者と、法廷一般人対峙できるものだろうか?ただでさえボロボロ状態で。ずっと時間が経ち、(優秀な弁護士を雇うことのできる)大きな週刊誌後ろ盾があり、かつ他にも同様の被害を訴える人が多いと知らされて、やっと世間被害告発をできるようになる心理は、同じ立場に立ったら本当は理解できるはずだと思う。当時泣き寝入り選択したこと非難し、そのため虚偽であると決めつけるのはあまりにも理不尽だと思う。

「のこのこホテルに行った方が悪い」

立場上下関係がなく、最初から二人でホテルに行こうと提案されていたなら、あるいはそうかもしれないしか新人立場で「失礼があればこの界隈で歩けなくなる」と事前に脅され、複数の男女の飲み会を「VIPを招いたので、週刊誌対策ホテルの部屋飲みに変更しますね」と当日になってLINEで通知された流れが事実だとしたら、かなり話が違う。その「飲み会」の趣旨が明確でない上に、意思決定をする時間を十分に与えられておらず、芸能界の強固な上下関係からキャンセルしづらい立場に置かれている。

ちなみにこれは不同意性交等罪の構成要件ひとつ経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって、受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること」に当たるが、法律は時を遡って適用されないため、今回の件では問うことができない。単に相手立場の弱さにつけこんではいけないという話だ。

スマホを持った馬乗り写真がある、スマホ没収されていないという証言がある」

女性スマホを持って松本氏にまたがる写真は、性加害を告発された飲み会とは別の飲み会真逆の印象を与える写真で、ミスリードされている。セクシー女優霜月るな氏が「記事にあるギャルは私だと思いますが出鱈目です、楽しい飲み会でした」と主張したのも大阪の異なる飲み会。ちなみにこの方は女性を集めるアテンド役をしたと自ら書き、1月14日時点で「松本さんがいないテレビ面白くない、喜んで参加したくせに。告発者はビッチ」といった内容をSNS投稿している。

週刊誌正義じゃない、デマだらけ」

デマも多いが、真実告発した記事も多い。その記事を扱う記者編集長によって異なる。週刊誌正義でも悪でもなく、単なる媒体だと思う。

一方的な言い分を鵜呑みにして、冤罪を生むべきではない」

もっともだが、そもそも松本氏は逮捕されていない。告発を信じるも信じないも、世論割れている。同じような被害を訴える人が沢山いるというだけの状況だ。松本氏は「事実無根である」として名誉毀損訴訟を提起しており、言い分は一方的でもない。片方の主張を鵜呑みにするべきではないが「とりあえず話を聞く」ということをせずに、頭から否定して告発者を叩くことが(日本では)性犯罪においてはお決まりの流れになっているように感じる。伊藤詩織氏、ジャニーズの件でも、ネット胡散臭い冤罪だと主張しては熾烈なバッシングを繰り広げたが、最終的に被害を認める判決が出ている。

2024-03-06

政治家の金の問題国民非難できるのか?

政治家裏金ニュース世間をにぎわせている。このニュースに怒れる国民は多いが、しか政治のこの状況を作り出しているのはほかならぬ国民なのではないかと感じる。それは、一つには、彼ら政治家は結局のところ選挙によって選ばれているという話であるが、それに加えてもう一つ強く感じることがあって、それは政治家恣意的ルール違反に怒っている国民たち自身が、恣意的ルール違反をしているということだ。

いきなり話が変わるが、世間に目を向けてみれば自動車速度違反をしている人はいくらでもいる。彼らは「みんなやっている」「ちょっとくらい大丈夫」「本当に安全な速度は自分こそが分かっている」などと抗弁し、果てには摘発する警察非難したりすらもする。法律で明確に決まっていることに対し、何やら法律を超えた“世間”の常識があると主張するのである

またもや大きく話が変わるが、精神障害の一つに発達障害という障害がある。もはや広く知られている障害かもしれないが、この障害を持つ人々は社会的に不適合を起こすことが多い。そして、この障害のうち特定の種類を抱える人々は、そうでない人々に対して「ルールを遵守する」「正義感が強い」傾向が強いという研究結果が得られている。そしてその結果、社会との不和が生じているともされる。つまりルールをしっかりと守ろうとすることは、この世の中では正常ではないとされ、社会から排除される原因になるということなのだ。

これらの話と政治家の金の問題通底していると思う。事の重大さが異なる、と言う人がいるかもしれない。あるいは、表面的には全く別の事象だと捉えられるかもしれない。しかし、ここで言いたいのは「ちょっとしたルール違反を許せ」という世間一般の風潮の延長線上に、この政治家問題が起こっているのではないかということだ。「ちょっとくらい良いだろう」「みんなやっている」「これが“世の中”の慣例だ」「細かいことをあげつらうな」「潔癖では世の中は成り立たない」……

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