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はてなキーワード: 選択とは

2017-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20170124233914

真偽マンにとって「保留」はリスクある選択なんだし、逆に保留を出されたほうは「ある程度騙せた」訳で、それらの行動には結構意味があるっちゃあるぞ。

少なからず快刀乱麻を断つ真偽マンが鈍らに保留をしてしまうのはそれだけで刃のキレが鈍いことを示すわけだしな。

http://anond.hatelabo.jp/20170124122804

公職でも何でもない一般人が言ってたってなら何の問題もないし

私立保育園経営者が「うちの保育園方針として」そうするってならこれまた何の問題もないだろう

千葉市の云々は別にして、個人レベルの話を言っているだけですよ。上記引用と全く同じ。

個人レベル自分選択や考えが差別なのか否かってエントリが幾つかあったから、それについて思ったことって話。

  

行政レベルの話になるともう何が良くて何が悪いのかわっかんねーっすわー。

http://anond.hatelabo.jp/20170124121818

それが差別なら、マッサージ屋で女性客が男性スタッフによる施術拒否するのは差別、という事になるんだが

差別だろ。同時に問題ある行動でもないって話だ。

  

差別区別選択も全て同じ。グラデーションの色で分けているに過ぎない。

時代指向と状況とその他諸々で、それぞれ問題になるかならないかが変わるだけだ。

  

それに、叩かれている = 悪いことでもない。

おかし問題提起も、おかし批判も両方ある。

http://anond.hatelabo.jp/20170124113156

一種差別であり、レイシストの萌芽だよ。

同時に、別にそれは悪いことではない。その辺を履き違えてはいけない。

  

差別が悪いのは社会的に都合が悪いからであって、個人がそれに拘泥する必要はない。

君が自分選択として何かを選ぶのは現在認められている自由だ。

自由女性施術士や女性助産婦女性保育士を選べばいい。

  

それが行き過ぎて今回の例みたいに男性保育士排斥したり、

根拠男性を雇わないよう働きかけたりするならば、

他人からレイシストとして見られるようになるだけだ。

マイノリティの味方をしないといけないはずの野党自民と同じ政策しか劣化版なんだから誰も投票しないでしょ

せめて反対の公約を掲げる努力くらいしろ

自民がAを選択してるのにAが嫌いな人がいたところで

野党はリトルAを看板に書いても誰も投票せんだろが

なんでそこでBを書けないんだ

それでもし、Aの嫌いな人たちが与党に不満を持ってリトルAに入れたところで、

結果リトルAの施策されてろくなことにならないだけってのが前回の話

これでみんな学習してリトルAに入れてもまるでいいことがないし

戻ってきた与党は結局Aの政治をするから野党に入れる意味がない

そしてまた野党はリトルA描きながら与党ネガれば勝てると思ってる

終わってるでしょ

http://anond.hatelabo.jp/20170124110426

マイノリティの味方をしないといけないはずの野党自民と同じ政策しか劣化版なんだから誰も投票しないでしょ

せめて反対の公約を掲げる努力くらいしろ

自民がAを選択してるのにAが嫌いな人がいたところで

野党はリトルAを看板に書いても誰も投票せんだろが

なんでそこでBを書けないんだ

熊谷 俊人さんへ

https://www.facebook.com/toshihito.kumagai/posts/1265747763494729

何十億の人間がいて、それぞれに違いがある時、どういう社会を目指すべきか、というのは自明ではございません。にもかかわらず、あるべき社会像について、簡単に答えを出しすぎていませんか?


もしも人間経済性を追求するならば、各人の属性容姿性別、年齢、出身地国籍資産、職歴、病歴)によって、誰が何をすべきかを決めることで、リスクを最小化し、利益を最大化することになります。実際に、企業採用や、保険クレジットカード等はそういう仕組みと思います。一方で、一切の個体差を無かったことにする社会を目指すのであれば、もはや結婚相手すらもランダム選択しなくてはいけません。経済性(個人利益)と差別区別)はトレードオフ関係です。利益があるから差別をするのです。


また、差別撤廃すると、強者が得をし、弱者が損をするという側面があります。例えば、サッカーという競技で、男女の区別禁止すれば、女性にとっては何ら面白くないでしょう。それはまるで、レスリング柔道ボクシングから階級を取り除くようなものです。差別区別弱者を守るという利点もございます。例えば、海外では、娘と父親が一緒にお風呂に入ってはいけないそうです。子供を守るためのボーダーライン設計重要と思います


暴力犯罪雇用既得権)、貧富の差世代間格差障害者等、平等に関する課題は山積しております。ぜひ、より広い視野で御検討願えればと思います


ちなみに勘ですが、私は以下のように考えています

1)保育士不足は、保育士給料を増やせば解消する。

2)男性保育士看護師になりにくいのは、ニーズがないからであり、一種市場原理であるイケメン美女しかアイドルになっても儲からないのと同じである)。ここに無理やり、何かをするのはGDP減少につながる。

3)保育に税金を投入する理由は、女性社会進出目的であって、GDPは増えないどころか、むしろ減る(そして、 女性社会進出効果があるかも不明)。

4)男性女性適材適所仕事をすることがGDPを最大化し、平等という理念市場原理に逆らうと、GDPが減少する。

5)女性男性労働者では、所得が年100万円程度異なり、この不平等を解消するには女性手当を100万円/年くらい配るのが、GDPを最大化する点で有効であり、逆に無理して女性役員に登用したりするとGDPが減少する。

6)男女に限らず、属性によって経済的な差が生じる場合は、属性間の平均所得資産が同じになるように、税金を配るのがGDPを最大化かつ、経済差を無くす唯一の方法

[] #13-2「弟が出来るまで」

あれは俺が、今のお前と同じくらいの年齢のときだ。

かしこまった態度で、父と母がこんなことを言ってきた。

「息子よ。弟か、妹は欲しいか?」

俺にはその質問意味するところを把握できていなかった。

どういう経緯でそういう話が出てきたのかが、俺は分かっていないからだ。

「俺が欲しいといったら手に入るものなの?」

「いや、そういうわけじゃない」

「なんだよそれ。だったら俺に聞く意味ないじゃん」

家族が増えるかもしれない話だからあなた意見も参考にしたいのよ」

妙な話である

現状、目の前にいない存在を欲しいのかと聞かれて、仮に答えたとしてその意見がどれほど参考になるというのか。

「どちらか選べるの?」

生憎だけど選べないわ」

「うーん……時期は何時ごろ?」

「追って報告する」

「なんだ、あまり融通は利かないんだね」

「そうだ。これはカテイの話だと考えてくれ」

「カテイ?」

父はそう言ったものの、それにしてはかなり真面目な雰囲気だったことは当時の俺ですら分かった。

それを踏まえて奇妙だと感じたのは、ほぼ重要プロセスは両親次第と説明している割に、俺の意見を参考にしていることだ。

まり、この場で俺の意見を参考にするということは、とても重要意味を持つことになる、と解釈した。

「……ちょっと考えさせて」

それにしても父と母も大概である

家族が増えるか否かの重要選択を、なぜ俺にさせるのか。




翌日も考えを保留したままだった。

その日は友人たちとドッジボールで遊んでいたが、どうにも身が入らず早々に脱落した。

そんな俺の様子は明らかだったのか、心配してタイナイが話しかけてきた。

「どうした、マスダ。今日調子悪いじゃないか風邪か何か?」

「いや、風邪じゃない。だが重要課題だ」

課題? そんなの出たっけ」

「カテイの話だ」

「カテイ?」

「そうカテイの話。俺の弟か妹が欲しいか、って聞かれたんだ」

「そうなんだ。でもカテイの話だろ? そこまで重く考えなくていいんじゃないか?」

「カテイの話だからこそだ」

話したところで仕方がないのだが、俺は何でもいいからヒントが欲しかった。

俺は何かを探るようにタイナイに質問をしていった。

タイナイは妹がいるんだっけか」

「ああ、いるね。一つ下の」

「その子が生まれる前、弟か妹が欲しいかって聞かれた?」

「うーん……聞かれてないね。多分」

答えを期待していないからなのか、我ながらナンセンス質問である

「まあ、子供を生むのはお母さんだしなあ。ボクに聞く必要なんてないだろうし」

タイナイもやはり同じ考えである

だが、それでは答えにならないのだ。

「マスダは、キョウダイいらないの?」

「そういう話をしているんじゃない。俺の意志はどれほどの意味を持つかって話だよ」

自身が欲しいとか欲しくないとかで考えられない以上、何かそれを判断すべき物差しがいるのだ。

或いは俺の意見を聞くのがどうでもよくなるほどの、煙に巻く何かが……。

「そうはいっても、そういうの聞くべき相手って家族くらいしかいないだろ」

タイナイのその何気ない言葉に、俺はハっとする。

肝心なことを失念していたのだ。

タイナイ、話を聞いてくれてサンキュー

「答えは見つかった?」

「俺よりも聞くべき相手いたことに気づいたんだ。俺の答えは、それを聞いてから決めても遅くない」

(#13-3へ続く)

2017-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20170123225342

でも世間はいろいろな人がいるわけで、同じ職場に「なんだあい休みやがって」「仮病じゃねえの本当使えねえ奴」なんて思ってる人がいるかもしれない、そんな人がいる可能性を否定はできないわけだ。

ということは、全ての人に嫌われないためには、「38度の熱が出ても会社に行く」というのは処世術の一つとしてありなんじゃないか

世間はいろんな人が居るんだから

「なんだあい風邪引いてるのに出て来やがって」「うつったらどうすんだよ無神経な奴」なんて思ってる人が居るかもしれない。

全ての人に嫌われない事が目標なら、

なんで38度の熱を出して会社に行くなんて選択が取れるんだ?

ちゃんと考えてるか?

[][][]慶応大正・ショウワから元号および伝統を考えてみ

昭和時代元号選択肢慶応まれの扱いはいかなるものだったか

60年代から70年代まで慶応前生まれの人はいた。その代表として泉重千代氏はあまりに有名だった。

にもかかわらず、お上は生年の選択肢は「明・大・昭」のいずれかを選ぶことを強制していた。

そういったケースで慶応まれの人々はどれだけ不便を強いられたのだろうか。

雁垂ふたつを書いてなかにラテン文字でKOと書かされたのか、単にKとだけ書いていたのか今となっては確かめようがない。

長寿者として丁重に扱われた一方で、「普通の人」扱いでなかったことは容易に推察される。

慶応以前/明治以後

なぜか同じ元号でも慶応以前と明治以降の扱いは格段に異なる。

公共放送において慶応以前には西暦を付すが、明治以降西暦換算を視聴者強要する。

これはおかしい。なぜなら、戸籍謄本には文政だの天保だの安政だのが当たり前に出てくるわけで

一様に西暦を付すことはないからだ。元号使用するなら初志貫徹せねば筋が通らない。

伝統」を重んじる立場からは、戸籍同様和暦統一すべしとの異論が頻出するはずだからである

明治以前・以後で元号差別があってはならない。「伝統」を軽視しているとのそしりを免れないであろう。

今後某公共放送には和暦を使うのなら、和暦のみ(もちろん南朝年号北朝年号さらには地域独自の私年号記載通り使用する)にするか、

西暦に絞るかのいずれか選択することを求める。

必然的に大化以前については「推古4年」のように表記することが「伝統」を重んじる立場からは望まれるはずである

考古学時代については持論は持ち合わせていないのであしからず

なお、宇宙関連の同じニュースの中で海外ロケット打ち上げ年を西暦で、

日本のそれを和暦で伝えるので時系列がわからなくなる点も指摘しておきたい。

意地悪なだけかもしれないが。

さらに細かいところを指摘するとその局の統計には昭和64年数字存在しない。

1989年数字平成元年に紛れ込ませているのだ。

昭和64年平成元年1989年であるが、この命題の逆は真ではない。

これを些末というなら、昭和平成の違いをことさらあげつらうこと自体否定することになり、

ひいては元号制の否定に繋がる。

元号制とは実にセンシティブ制度なのである

大正タイセイ

16世紀ベトナムにて大正という元号が使われていた。読み方は「タイセイとあるしかし、これはベトナム語発音ではあるまい。

ベトナムはもともと漢字圏に属していた。しかフランス植民地支配後はラテン文字使用するようになった。

これはロシア革命後にソビエトの「衛星国」と揶揄されたモンゴルが、モンゴル文字からキリル文字に切り替えた事例と似ている。

同じ漢字である大正」は二番煎じだったともいえよう。

ショウワ

「ショウワ」と読む元号は「正和」と「昭和」のふたつが存在する。漢字は同じものを使わないのが政府方針だそうだが、

読みについての規準はかなりゆるいようだ。したがって「タイカ」だろうが「メイジ」だろうが「ヘイセイ」だろうが字を変えればよいという向きも当然あると思う。

2010年代では「ヨウロウ」はやめた方がよいし「メイワ」は9年になると「迷惑年」になるのではずした方がよかろう。

文化の日」を「明治の日」にすべし、という意見もあるようだが、文化という年号歴史から抹消する意図がわからない。

応仁・文明の乱があるように「文明」も印象がよろしくない。

神武ベトナム使用済みである

おわりに

元号中国古典からある一節を抜き出し、そこから漢語となる二文字構成される。

明和昭和の出典は同じ一節であるが、選ばれた文字の組み合わせを変えたようだ

2017年1月下旬、ある複数日本企業が相次いで炎上している。その原因は東アジア近代史に関する認識の違いにあるようだ。

したがって漢籍から漢語を選ぶという作業にご納得いかぬ向きも少なからずいると思う。

前例にとらわれず、日本固有の「伝統」を重視する立場からは、当然日本古典から大和言葉元号とすべし、という意見も出てくるだろう。

個人としては、メートル法尺貫法が混在しているようで、頭の切り替えができないし、

時系列ニュースで混在していると大きな負荷がかかる。

元号方式システム障害を引き起こすリスクを、さらコストをかけて積極的にかかえる点で、合理的でないし、将来に禍根を残すだろう。cf.Y2K

かつて旧厚生省日本の将来人口予測する統計作成されたことがある。

そこに「昭和200年」という記載があった。

日本書紀によれば、神武天皇時代狩猟・漁労・採集に、縄文農耕程度が加わったくらいの経済段階だったようだ。

そのような食料状況と医療技術考慮すると、

100歳を優に超える天皇10人程度(その頃の平均寿命20~30歳)いたのだから

20世紀天皇200歳を超えてまで健在と考えたのも無理からぬことであろう。

さらにいえば、元号制の実態西暦にもとづいたカレンダー和暦という装いを施した体裁だけのものともいえる。

昔、日本は最大のコスト(人的資本)をかけて、最小の便益を得るという経済原理にしたがって戦争を戦っていた。

元号もまたコストの最大化と便益の最小化という原理にしたがっている。

選択と集中を日々唱える方々もこの点では宗旨替えされているようだ。

西暦1年がキリスト生誕の年ではないことも、クリスマスイエス誕生日でないことも今や周知の事実である

宗教色が薄れた上、西暦共通言語である英語公用語化というならこちらにもご配慮いただきたいものである

官公庁においても生年の選択肢は「明治大正昭和平成西暦から選べる時代だ。

外務省発行の公文書たる旅券和暦記載は一切ない。

和暦西暦混同で、昨年渡航先で入国拒否されたとも聞く。

こうした不幸な事故を防ぐ意味でも「伝統」に拘泥するのはいかがなものだろうか。

90年代日本文書の規格がB5版からA4版に変わったことがあった。

B版は和紙の規格からまれ伝統であったにもかかわらず、国際標準のA版に合わせるためだった。

この動きに、伝統を重んじる立場から反対したという話はいまだ聞かない。

おまけ

そういえば前都知事が泊まったホテル領収書は印字されたもの西暦手書きのもの元号記載されていない和暦のものだった。

2017-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20170122105259

アホか

保険の事を調べたって言ってるヤツがそんなの知らないワケねぇだろ

その上でこんなバカ選択しようってんだから

自分事故病気にならないって根拠レスに信じてるだけだって

2017-01-21

フリー素材が増えたくらいで滅亡するならとっくに滅亡してる

著作権切れコンテンツが相当数たまってるはずなんだけど見向きもされず消滅してるか、青空文庫かいうのもあるね。

本を無料で公開したから他のコンテンツが売れなくなるという論点には大前提があって、

今までは一般人は限られたショップからコンテンツを買うしか選択肢が無かったし、

本屋出版社は客に与える選択しを完全にコントロールできてた。

それがインターネット以降の社会では通用しないってこと。

古い人間はまだ本屋からしか本を買えないのかもしれなくて、

そいつらに対して影響力のある本が無償配布されるということで戦々恐々としている。

要するにとある市場内の内輪もめであって、これをインターネット全体に当てはめることはできない。

価格競争が悪なのだろうか?

無料公開」によって市場崩壊する理由解説したイラスト話題に ソシャゲー、ユニクロweb漫画いらすとやダンピングによって壊れる日本

https://togetter.com/li/1072368


記事をまとめると

企業低価格サービス提供すると業界シュリンクする。

そんなことをする企業は悪だ。

選択する側は消費者

この記事内での「低価格サービス提供している企業が」という風潮に違和感を感じました。

政治国民を映す鏡」という言葉があるが、「企業消費者を写す鏡」であると私は思います

大きな企業消費者ニーズを満たすのではなく、消費者ニーズを満たした企業が大きく成長します。決して逆ではありません。

低価格サービス提供する企業けしからん」と言いながら、ユニクロしまむらで服を着て、IKEYAの家具を使い、ディスカウントストアで買い物をし、メルカリ古着を探し、LCC旅行をする。

矛盾しているのではないでしょうか。いつだって選択権は消費者にあり、選択を行っているのは私たち自身なのですから

競争が悪いことなのでしょうか?

ピークを迎えた産業が次に待ち受けるのは、激しい生存競争です。

様々な差別化価格競争で生き残ろうと、企業店舗個人がしのぎを削り合います

そこに対応できなかった者から順に淘汰されていきます

「行き過ぎた競争産業寿命を縮める」というのも事実かもしれないません。

しかしながら、遅かれ早かれ寿命はいつか尽きます。結局のところ「〇〇が業界を壊す」と言うのは淘汰される側の言い分でしかない様に感じます


イラストレーターデザイナーが苦しい根本的な理由

最近アニメ業界デザイン業界のいわゆる中の人の「悲鳴」が取り上げられています

これらの業界は、少し調べたら分かるほど「悲惨」としか言いようがありません。

しかし「不当な評価」「搾取」という言い分は、はたして本当にそうなのでしょうか?

数字が語るこの市場の深層【デザイン市場

http://j-net21.smrj.go.jp/establish/columninterview/column/gyokai/20130108.html

この資料によるとデザイン市場は四半期で140億 その内約半数がグラフィックデザイン市場

まり70億*4=280億が年間グラフィックデザイン市場規模だと考えられます

対して業界就業人数はというと

グラフィックデザイナー人口ってどれくらい?

https://www.d3d.jp/info/archives/531

正確なグラフィックデザイナー人口は算出されておらず、推測の域を出ないのですが、

今回は記事内の書かれていた

デザイン会社従業員32000名

・予想人数10万人

の2つの数字を参考にしてさせてもらいます

まり1人当たりの年間の売上は

就業人数が32,000なら、84万円

100,000人なら、たった27万円です。

気付かれたと思いますが、市場規模に対して就業人数が多すぎます

イラストレーターを苦しめるのは、イラストレーター自身ではないでしょうか。

まれてきてごめんなさいではないが、イラストレーターになってごめんなさい。といったところでしょうか。

この異常な業界を正常に機能させるためには、供給就業人数)を少なくとも半分程度に減らす必要があるのではないでしょうか?

酷い選択肢しか選べない人間弱者

何をもって弱者であるかと考えたときに、結局は過酷選択肢しか選ぶことが出来ない者であるということなのだろうと思ってしまう。

選択余地がある人間が、アレコレ言っても説得力がない気がしなくない。

選択肢がある人を弱者として、アレコレ騒いでいる人が多すぎる。

そう感じる日々である

都内通勤列車の股の開き具合のマナー広告エロマンガ家のパロディに怒るというのは呆れるものだ。

そんなものなんか無視していれば良いのではないか

そして、彼らは選択肢豊富にある人間擁護しているだけになっている。

まあ、皆は選択肢がある人間を守りたくなるのだ。

そして、ますます選択肢がある人間選択肢が増え自己肯定生まれる。

選択肢あるかないかというのはカオだったりするのだろう。

自分容姿が醜いか選択肢など無いのだろう。

同じ高校出身の見てくれのいい女が、とても大変な問題に直面している地方バカにしているような番組に出ていたようだ。

大変偏差値が高い大学にご通学されていて、とても貴族なのだろうがネットでは弱者ヅラして意識高いフェミ系のサイトを共有している。

自分彼女を見ると、悔し涙が溢れ出てくるが、彼女のような人間を大抵の人間擁護する。

このような状況に無力感しか感じない。

ただ、選択肢過酷ものしかない、少ない人間に対する擁護が最も大切であると感じる。

2017-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20170119185550

私的には書いた人が悪い。

『甘える』というのは(関係性の近さに因り)許されるだろう、迷惑行為を犯すことである

この時点で

書き手加害者

彼氏被害者

という形式が確定する。

迷惑行為をする以上は『許す/許さない』の判断被害者によるものであり、被害者は『許さない』を選択した。


感情というのはまず、受けた刺激を『快/どうでもいい/不快』のパラメータ認識する。

本能でその感情に直結した行動がデフォルトで設定されるが、経験価値観性格、総じて理性といったもので取る行動を設定しなおすことができる。

書き手はそれをするように求めている。

が、行動の再設定は『判断するリソースがある』時に限る。つまり正常な思考能力と考える時間がある時にしかできない。

状況は「眠くて寝落ちするほど眠たい状況で叩き起こされた」場合であり、また用件は「叩き起こされてまで聞くほどのことではない」ことだ。

考える時間はあっても理性的思考ができたとは考えにくい。

(この「聞くほどのことではない」というのは典型的男性脳で思う「解決策を求めない話」「知っておくべき情報ではない話」という類のものである。今回の場合、痛み止めと医者以外に解決手段を持たないし、そもそも話し相手自分である意味がないため価値を感じない)


ここで

(1)書き手の訴えを聞く(メリット好感度アップ / デメリット解決しようがない、睡眠時間が減る)

(2)自分睡眠を優先する(メリット:充足 / デメリット:怒られる、または不明)

という行動選択になる。


直前まで睡眠を取っていた脳に、(1)のメリットもしくは(2)のデメリット検討材料として挙げられていたかというと難しいと思う。

となると必然的に(2)を選ぶことになる。

なので私にとって、彼の選択はごく自然で全く非のないことだと思う。


お腹が痛かったから優しくされたい、という気持ちは分かる。

だがお腹が痛かったら迷惑をかけたり法を犯していい訳ではない。

要望迷惑行為であり受け入れられなかった。その現実を早々に受け入れた方がいいのではないだろうか。


というか『甘えたっていいだろう』という善意強要をする姿勢(または自分要望は全て通るものだと思う姿勢)を根本から改めた方がいいと思う。

甘えられていいかどうか判断するのは甘えられる方である

要望を通すかどうかを決めるのは要望を通せる権限を持つ方である

世の遍くほどこしを受ける全てに、ほどこす側の善意強要する権利はない。善意は当たり前ではない。

(なお文句を言う権利はあり、文句を聞くかどうかの権利はほどこす側にある。)

それに世の誰が許しても彼が許さなければ有罪である。であれば罪は償うべきだ

書き手がまずするべきは「寝てるときに起こしてごめん。腹痛はもう大丈夫です」と謝罪することだったのではないだろうか。

もうとっくに手遅れのようだが。


なお、書き手の怒りは自分要望自分の思い通りに通らなかったことへの憤りであり、こちらも生理という肉体的苦痛により行動の再設定に割くリソース不足で怒り以外の選択ができなかったための残念な結果である情状酌量余地はあったと思う。

が、反省する意思はなく再犯の恐れが増大したため、情状酌量すべきではない(やっぱなし)との考えに私は至った。


書き手自身も、冷静になって考えさえすれば、自分の全ての要求100%通るなんてことはないということに気付くだろう。(気付かないならそれはそれで。どうせ私に実害ないし)

また立場を逆転させてみて、夜中叩き起こされて唐突に自慢話(典型的女性脳が判断する「聞く価値のない話」)をされれば電話を切り睡眠を優先するのも分かるだろうと思う。

手遅れではあるものの、そういった時に本当は自分がどの行動を選択するべきだったかを考えるべきではないだろうか。

そして次回は受け入れられない甘え方をしないように、経験として蓄積するといいと思う。


なお当カップルが今後も交際を続けるのに必要なのは理解であると思う。

生理の痛みの理解ではなく、痛みを感じているときにとる行動と目的理解である。具体的には

生理苦痛から逃避する手段として甘えたいと思っている。甘えるというのは好きな人に『大丈夫か』などと気遣ってもらう行為などのことを言い、心配されている・優しくされているというのは精神的な鎮痛薬になるため大変有用であるあなたとのコミュニケーションのみで成立するため、是非とも協力して欲しい」

ということだろうと思う。

まぁ共有のみならず理解までを求めるなどというのは大変な手間であり、つまりデメリットであり、それを差し引いてでも恋人でいて欲しいかどうかは当人たちの愛の強さ()によるのではないだろうか。

という訳で通りすがり他人としては「とっとと別れろよwww」と感想を述べておく。


なお短絡的に『彼氏が己の罪を認めて土下座して謝り「二度と生理中のきみにひどい対応をしない、優しくする」と誓う』という対応彼女要望が通りかつ優越感も得られて単純明快だとは思うが、今後DV女になる可能性が高く、また彼氏浮気自殺をする要因になると思うので、老婆心ながら選択すべきではない行動だと愚考する。


愛想つかされるなどと思いもよらないであろう可哀想書き手彼女へ。

これってヘイトスピーチじゃないの?

人を殺せる職につきたい

単純に疑問なんだが。

日本人以外の人種選択してたらそう言われそうだけど。

これとか。

このクソみたいな人生鬱憤を晴らすためだけに間接的に日本人を大量にぶち殺したい

なんでもヘイトスピーチ言うのは、ネトウヨが「これヘイトスピーチだろw」ってカウンター食らわせた気になってる場面をたまに見てアホかと思ってるけど、これはどうなの。

これがはてブ特に問題視されずにブコメが盛り上がってるのは違和感がある。

日本人が「日本人殺して―」って言うのは問題ない判定なの?

あと犯罪予告っぽいのにブコメもキャッキャ言ってるのも謎。

ある意味ブコメ知識披露できるタイプ質問増田からブクマカ知識披露欲をまずなによりも優先してそこまで頭回ってない感じ?

よくわからない。



別にヘイトスピーチって社会的マイノリティであるかどうかは関係ないよね?

http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000339043.html

こことか見る限り。

不勉強だったら申し訳ないけど。



まあ、結局はてなでもたまに見かける、「ジャップ」という言葉を使ったりそういう発言スターつけたりすることへの抵抗の無さというか、そういうものの延長に近いんだろうけど。



ブコメで「反感を買ってるからしかたない」と言ってる人がいるけど、そんな理由正当化されることなの?すげー悪用されそうな理論だと思うけど。

http://d.hatena.ne.jp/higasibata/20170118

これ読んでて面白かったんだけど、悠木碧が演技派だと思っている悠木碧推しの一人としては

匿名しか書けない内容を含むので増田コメント

あ、典型的悠木碧推しであるかどうかは一切保証しないので、みなこうだとは思わないでね。



声質声優か声色声優かという点では、前者だというのは完全同意

でも幼女戦記とワルブレについては好きな演技だ。合ってないとも思わない。

そもそも、合ってる合ってないは好みの問題から見解が異なるのは当たり前とも言える。



参考までにわたしが好きな最近の碧ちゃんの演技を挙げておくと、ユリ熊嵐百合園蜜子、

僕だけがいない街の雛月加代、聲の形西宮結絃、アンジュ・ヴィエルジュのレミエル、

クオリディア・コードの天河舞姫田中くんのいつもけだるげの莉乃、幼女戦記のターニャ・デグレチャフなどだ。

いい加減にしておかないと全作品挙げかねないので柄にもなく厳選した。



わたしが思うに、彼女は声質タイプなんだけど、自分の声を端から端まで使うことに躊躇がない。

それがはっきり出ているのが弱酸性ミリオンアーサー48話

http://www.nicovideo.jp/watch/1484102729

モーガンの演技で

同作では少ししか出番がなく、もう一つの出番38話でも奇声しか出していないので

普段モーガンてどんな声なのか聴いててまったく判らず、でも面白い



碧ちゃんの演技はめっちゃ特徴あるので、ここ数年わからないと思ったことが殆どないが、

聲の形の結絃の声は判別時間がかかった。事前にキャスティングを知ってたにも関わらず。



彼女イベントとかで演技論を少し語ってくれることがあるんだけど、その内容から

明らかにカメレオン声優立ち位置は目指していないことが判る。

でも先述のように、どんな声を使うことにも躊躇がないので、結果的表現に幅ができ、

現場で適切な声を適切な解像度選択することができれば、演出家の求める音を出すことが

出来る、ということなんだろう。



演技力については本人がどう思っているかはよく判らないが、わたしが聞いた範囲では

本人はネガティブ評価しか言っていなかった気がする。でもそれもだいぶ前の話だし

自己評価を基本口にしないので今どう思っているかわからん



演技プランがどれも同じ、というのは4年くらい前には感じたことあるな。

それはある種の運動神経みたいなもので、現場の状況に合わせて素早く声でリアクションする

ことを優先した結果、それがOKテイクになったのかなと思っていた。

収録を短時間で終わらせることを考えると、早くフィックスすることは必要だろう。



今は出番の数も違い、主役か脇かというと後者のほうが多いので、そうすると似たような

タイプの役にキャスティングされることが増えてきた。

結果として別々の演技プランに沿ってやっていることが、かえってよく判るようになった。



君の名は。名取紗耶香の演技については、もっと海監督を評価してやってほしい。

あの映画は他の役者もそうだけど、声の出演者の立ち位置が細かく決められていて、

誰がやってもそこにハマる演技しか許されなかったんだろうと見えるから

合ってると思うのなら、それは合わせた人の手柄だよ。



あと、もうあまりロリ顔には見えない。個人的には、だけど。

3月で25歳だし、それはそれでいいんじゃねと。

そんなわたしにとって推しとはどういうことかというと、例えば2chなどでどんなに口汚く

彼女仕事についての悪口が書いてあるのをうっかり読んでしまったとしても、

本人の演技を聴くと「別にどうでもいいか」と浄化される気持ちのことだ。

[]

いま、君にさよならを告げるを読んだ。タイトルと帯から察していた通りのよくある見慣れた物語だったけれど、やっぱりラスト切なかった

本作の主人公ウィリアムは、正直なところあんまり好きな主人公じゃなかった。優柔不断だし、娘のためになるはずだって言いながら自分欲求を一番にしちゃってるところとかがダメダメ幽霊だった。

でもって、息子を亡くして悲嘆に暮れている老夫婦を支えてあげるのが彼の姉であるローレンなんだけど、彼女もまた癖のある人物で立てなくてもいい波風を立ててくれるからあんまりいい印書がしなかった。

さらさらに後々脳卒中で倒れることになる主人公父親たるトムには家族に隠している重大な秘密があり、ことが土壇場に至って現実から逃避してしまう。

母親のアンが本当に気の毒。残された一人娘のエマも相当だけれど、個人的に一番追い詰められたのは彼女なんじゃないかなあって思った。

でも、たぶんそういうことじゃないんだろうな。最終部の弔辞でローレンは、誰に人生にも暗黒の時代と呼ぶべき時期はあるだろうけど、闇の濃さはいろいろだと述べてる。

人の絶望や悲しみ、翻って喜びや希望も、絶対的比較は誰にとってもできるわけがなく、当人にとっては正真正銘の、その人だけの人生だったのだと毅然と口にしている。

この一文を目にしてから、この作品の流れなり、その時々で人々が選んできた選択を思い返してみると、大小さまざまな失敗こそあれ、まぎれもなく彼らは懸命かつ真意に生きていたことが感じられた。

二周目のたった一人残されたエマが、父親ウィリアムからさよならを告げられた世界想像してみる。ローレンが過ごしたような十代を経験するかもしれないけれど、なぜだかエマならきっと大丈夫だと思えてくる。

ウィリアムからしてもらえたであろう夢のなかでの抱擁が意識の深層に残っている限り、彼女は深く深く祝福さているってことが伝わってくるからだと思う。

読みやす文章特別日常から見えてくるリアリティ面白くて素敵な小説でした。

2017-01-19

不細工遺伝で決まるから絶たなければならないのか?

不細工というのは美醜の基準に沿った価値判断だ。

そして、価値基準地域時代によって異なることも知られている。

すると、今の自分不細工であっても、同じ遺伝子を受け継ぐ子孫は美人遺伝子に変わっているということも考えられないだろうか?




あるいは、このような説明がある。不細工というのは、不利な形質をもつ個体を見分けるための指標として発現すると。

すなわち美しい個体健康遺伝子もつことが多く、醜い個体は不健康遺伝子もつことが多いのだと。

より健康個体に惹かれるために、われわれは美しさを基準にする感性生得的に備えているのだと。

一理あるように思われる。




しかし、生物には遺伝多様性説明される現象があるのではなかっただろうか。

すなわち、われわれ生物は雌雄個体のどちらもから遺伝子を引き継ぐので、遺伝的に近い個体同士の遺伝子を引き継ぐよりも、離れた個体同士の遺伝子を引き継いだ方が、多様な遺伝子個体が生まれ、種全体が環境の変化に左右されにくく生存やすくなる、というものだ。

この意味では、ある特定地域時代で通じる「美人」の遺伝子のみが残るコロニーと、それと比べて「不細工」の遺伝子も残っているコロニーでは、後者の方が生存確率が高いということになる。

すると「不細工」の遺伝子を残さないという選択はむしろ回避されるべき事態になるのではないだろうか?




このように、不細工から後世のために遺伝子を残さないという発想は、実際には正しくないのではないだろうか。

一方で、この美醜社会情況を考えると、「不細工であることに劣等を抱くのは至極普通のことであり、そうした感覚を持つこと自体は正しいというのは言えるだろう。

慶応大正・ショウワから伝統を考えてみた

昭和時代元号選択肢慶応まれはいなかったのか?

60年代から70年代まで慶応前生まれの人はかなりいた。にもかかわらず、生年の選択肢は「明・大・昭」のいずれかを選ぶことを強制していた。

そういったケースで慶応まれの人々はどれだけ不便を強いられたのだろうか。

雁垂ふたつを書いてなかにラテン文字でKOと書かされたのか、単にKとだけ書いていたのか今となっては確かめようがない。

ただ「普通の人」扱いでなかったことは容易に推察される。

明治以前/以後

なぜか同じ元号でも慶応以前と明治以降の扱いは格段に異なる。

公共放送において慶応以前には西暦を付すが、明治以降西暦換算を視聴者強要する。

これはおかしい。なぜなら、戸籍謄本には文政だの天保だの安政だのが当たり前に出てくるからだ。

伝統」を重んじる立場からは、戸籍同様和暦統一すべしとの異論が頻出するはずだからである

明治以前・以後で元号差別があってはならない。「伝統」を軽視しているとのそしりを免れないであろう。

今後某公共放送には和暦を使うのなら、和暦のみ(もちろん南朝年号北朝年号記載通り使用する)にするか、

西暦に絞るかのいずれか選択することを求める。

必然的に大化以前については「推古4年」のように表記することが「伝統」を重んじる立場からは望まれるはずである

考古学時代については持論は持ち合わせていないのであしからず

なお、宇宙関連の同じニュースの中で海外ロケット打ち上げ年を西暦で、

日本のそれを和暦で伝えるので時系列がわからなくなる点も指摘しておきたい。

意地悪なだけかもしれないが。

さらに細かいところを指摘するとその局の統計には昭和64年数字存在しない。

1989年数字平成元年に紛れ込ませているのだ。

昭和64年平成元年1989年であるが、この命題の逆は真ではない。

これを些末というなら、昭和平成の違いをことさらあげつらうこと自体否定することになり、

ひいては元号制の否定に繋がる。

元号制とは実にセンシティブ制度なのである


大正タイセイ

16世紀ベトナムにて大正という元号が使われていた。読み方は「タイセイとあるしかし、これはベトナム語発音ではあるまい。

ベトナムはもともと漢字圏に属していた。しかフランス植民地支配後はラテン文字使用するようになった。

これはロシア革命後にソビエトの「衛星国」と揶揄されたモンゴルが、モンゴル文字からキリル文字に切り替えた事例と似ている。

同じ漢字である大正」は二番煎じだったともいえよう。

ショウワ

「ショウワ」と読む元号は「正和」と「昭和」のふたつが存在する。漢字は同じものを使わないのが政府方針だそうだが、

読みについての規準はかなりゆるいようだ。したがって「タイカ」だろうが「メイジ」だろうが「ヘイセイ」だろうが字を変えればよいという向きも当然あると思う。

2010年代では「ヨウロウ」はやめた方がよいし「メイワ」は9年になると「迷惑年」になるのではずした方がよかろう。

文化の日」を「明治の日」にすべし、という意見もあるようだが、文化という年号歴史から抹消する意図がわからない。

応仁・文明の乱があるように「文明」も印象がよろしくない。

神武ベトナム使用済みである


おわりに

元号中国古典からある一節を抜き出し、そこから漢語となる二文字構成される。

明和昭和の出典は同じ一節であるが、選ばれた文字の組み合わせを変えたようだ

2017年1月19日現在日本企業が相次いで炎上している。その原因は東アジア近代史に関する認識の違いにあるようだ。

したがって漢籍から漢語を選ぶという作業にご納得いかぬ向きも少なからずいると思う。

前例にとらわれず、日本固有の「伝統」を重視する立場からは、当然日本古典から大和言葉元号とすべし、という意見も出てくるだろう。

個人としては、メートル法尺貫法が混在しているようで、頭の切り替えができないし、

時系列ニュースで混在していると大きな負荷がかかる。

元号方式システム障害を引き起こすリスクを、さらコストをかけて積極的にかかえる点で、合理的でないし、将来に禍根を残すだろう。cf.Y2K

かつて旧厚生省日本の将来人口予測する統計作成されたことがある。

そこに「昭和200年」という記載があった。

100歳を優に超える天皇10人程度(その頃の平均寿命20~30歳)いたのだから

20世紀天皇200歳を超えてまで健在と考えたのも無理からぬことであろう。

さらにいえば、元号制の実態西暦にもとづいたカレンダー和暦という装いを施した体裁だけのものともいえる。

昔、日本は最大のコスト(人的資本)をかけて、最小の便益を得るという経済原理にしたがって戦争を戦っていた。

元号もまたコストの最大化と便益の最小化という原理にしたがっている。

選択と集中を日々唱える方々もこの点では宗旨替えされているようだ。

西暦1年がキリスト生誕の年ではないことも、クリスマスイエス誕生日でないことも今や周知の事実である

宗教色が薄れた上、西暦共通言語である英語公用語化というならこちらにもご配慮いただきたいものである

官公庁においても生年の選択肢は「明治大正昭和平成西暦から選べる時代だ。

外務省発行の公文書たる旅券和暦記載は一切ない。

和暦西暦混同で、昨年渡航先で入国拒否されたとも聞く。

こうした不幸な事故を防ぐ意味でも「伝統」に拘泥するのはいかがなものだろうか。

90年代日本文書の規格がB5版からA4版に変わったことがあった。

B版は和紙の規格からまれ伝統であったにもかかわらず、国際標準のA版に合わせるためだった。

この動きに、伝統を重んじる立場から反対したという話はいまだ聞かない。


おまけ

そういえば前都知事が泊まったホテル領収書は印字されたもの西暦手書きのもの元号記載されていない和暦のものだった。

2017-01-18

最低賃金が上がれば庶民暮らしが良くなる・・・わけねーだろ

最低賃金が上がると庶民暮らしは良くなるどころかむしろ悪くなる。

なぜなら最低賃金が上がると暮らしが良くなるという論には、

最低賃金が上がっても、いままでと同じ労働環境で同じ時間だけ働ける」

という間違った前提が存在するからである



①:オーナー1人とバイト5人でまわしているコンビニを考える。

簡単のため、どの時間帯でも時給は一律750円で、24時間2人シフトとする。

(つまりオーナーと5人のバイトはそれぞれが毎日8時間ずつ働いている)

このときバイト年収は750*8*365=219万円である

また、人件費を除いた一日あたりの利益は44400円とすると、

人件費考慮した一日あたりの利益は44400-750*40=14400円であり、年間では14400*365=525.6万円となる。

googleによるとコンビニオーナー年収の平均は550万円程度であるので、まあ妥当な値だろう。



②:さて、最低時給が1000円になった。

今までどおり、一日8時間働けるなら、バイト年収1000*8*365=292万円となり年間73万円も増える。

しかし、もちろんこうはならない。

バイト給料が上がった分、オーナー年収は(44400-1000*40)*365=160.6万円と大きく下がる。

これでは暮らしていけないので、オーナー比較的暇な時間を1人シフトにすることを考えるだろう。

例えば、24時間のうち、8時間オーナーバイト1人、6時間バイト2人、10時間バイト1人とすると、

オーナー年収は(44400-1000*(8+6*2+10))*365=525.6万円と前と同じになる。

このときバイト年収は一人が1日あたり6時間働くことになるので、1000*6*365=219万円である



③:①と②を比較してみよう。

オーナーバイト年収は変わらないが、バイト労働環境はどうだろうか。

①の常時2人シフトに対して、②では1人シフト10時間あるが、

すき家の例を引くまでもなく、1人シフトでは仕事量は倍以上になり強盗などのトラブル確率も上がる。

一方で、①より②のほうが労働時間は2時間短くなる。

しかし、、他の店でも同様にバイト仕事量は減っているため求人の奪い合いとなり、

短くなった2時間を使って他で働くのは難しい。



なお、上記の例は比較的に余裕がある場合である

すでに店を維持するぎりぎりまでバイトを減らしている場合には、

オーナー過労死覚悟して働くか、店をたたむかの選択になる。

まり、早いかいかの違いはあれど、どちらにせよ店は無くなる。

店がなくなるとそこで雇われていたバイト給料は"ゼロ"になり、

前述のとおり他の店の求人も減っているため次のバイト先は見つからない。



④:まとめ

以上のように、単純に最低賃金を上げるだけでは、生活は楽になるどころかむしろ苦しくなる。

回避する方法はいろいろ議論されてはいるが、複雑である有効かどうかの評価も難しいのでここでは割愛する。

しかし少なくとも、「最低賃金を上げるべきだ」と主張する際は、

この単純なモデルケースに反論できるだけの考えが必要なことは理解してほしいと思うし、

むやみやたらとバラ色の未来だけを提示する似非政治・経済議論に引っかからないようにしてほしい。



インフレの話が出てたので追記

オーナーはやむなく全商品1.33倍の値上げに踏み切った。

幸運にも近くの全店舗が同時に1.33倍の値上げを行ったので、販売量は変わらなかった。

そうすると、労働環境労働時間も同じでオーナーバイト年収が1.33倍となるので、めでたしめでたし



さて、最低時給が1000円になり、物価が昔の1.33倍になった。

現在(時給1000円で)1時間働いて買えるものは、

昔(時給750円で)一時間働いて買えるものと変わらない。

また、バイト銀行100万円を貯金していたとする。

現在100万円で買えるものは、昔は75万円で買えていた。

バイト暮らしは楽になったのだろうか?

バイトは、「貯金価値が減る(物価が1.33倍になる)前に、貯金をできるだけ使おう」と思うのだろうか?

文理選択って全部の高校にあるわけじゃないんだっけ?

プログラミングって「得体がしれない」よな

プログラミングって、これから始めてみようっていうとき、なんだか「得体のしれない行為」っていう感覚がありませんか?


ぼく自身は、プログラムを書いてる側の人間で、いまでこそ少しはプログラミング本質的な難しさをわかってる気になってます。でもつい数年前までは、プログラミングは難しくはないけど得体がわからない、という感じでした。

そのへんのコードを組み合わせて動くものはできるけど、何がどうなっているのかは知らんし、ググって分からないものはできない、という方向で、「プログラミングは難しい」と思ってました。


最近になって、プログラミング義務教育必修化の話題とか、コピペプログラマー話題とかを目にするたびに、かつて自分プログラミングに対して抱いていた「得体のしれない行為」という感覚が思い出されてしまい、少しざわざわした気持ちになったので、ちょっとここに書きなぐらせてください。


だいたいが個人的な話なので、そういうのがうっとうしい人は無視してください。


ぼくが世の中にパソコンという道具があることを知ったのは、たぶん中学生ときです。30年くらい前。当時、電気屋の売り場ではけっこうな床面積を使ってワープロ文章入力する専用マシン)が陳列されてました。文章を書くのは好きだったけど、字を書くのが死ぬほどめんどくさかった自分は、ワープロさえあれば自分小説とか書くのになあと思いながら指をくわえて電気屋の店内をうろうろしてました。しかし、ファミコンすら買ってもらえなかった家計ではワープロなんぞ買ってもらえるわけもありません。そのうち巡回してた電気からワープロが消え、それに代わってパソコンのコーナーが広がっていきました。このパソコンというのは、よくわからないけどワープロとして使えるっぽいし、どうやらファミコンを持っていない僕にもゲームができるらしい、おれに必要なのはこれだ、というわけで、中学生だった自分パソコンという存在に興味を抱くようになったのでした。


はいえ、だからといってパソコンを買ってもらえるような家計ではなかったわけなので、カタログを熱心に眺めるだけの毎日が続きました。その当時の自分にとって、パソコンが欲しいといったら、それはNECを買うかエプソンを買うかという選択でした。冨士通からパソコンが出ていることは知りませんでした。マッキントッシュっていうやつもあって、このPerformaっていうやつはなぜか安いとか、よくわからないけどシャープとかソニー独自パソコンを作っているぞとか、そういう情報パソコンに対する認識のすべてでした。当時の自分にとってのパソコンは、電気メーカーから発売されている商品一種であり、ラジカセとかテレビと同列の存在でした。


なんでこんな話がプログラミングにつながるかというと、ひょっとして自分プログラミングにずっと感じていた「得体のしれなさ」の源泉の一つは、こんなふうにパソコン電化製品として見ていた当時の感覚の延長だったのかもなあと思ってるからです。


ラジカセなら、CDだのテープだのを入れて再生タンを押せば、そのハードウェア機能物理的に体感できます。それに対してパソコンは、プログラミングちょっとやってみても、その行為と、そのハードウェアとが、感覚的に結びつきません。もちろん、プログラミングというのは、物理的なデバイスに結びつけて考えなければできない行為ではありません。しかし、パソコンを「カタログ商品」として見るところから入ってるばかりに、そこでやるプログラミングという行為ハードウェアとの結びつきが見えにくい状態に、なんとなく居心地の悪さを感じていたように思うのです。


もし自分スタート地点が、パソコンを使って文筆やゲームをするところだったら、パソコンは文筆やゲームのための箱だったでしょう。その後でプログラミングを始めていたなら、プログラミングという行為を、文筆やゲームに関連した創造的な活動として学べたかもしれません。


ところが実際には、自分はつい数年前まで、パソコンという電化製品に対する漠然とした行為としてプログラミングを捉えてた気がします。


プログラミングを始めたのは、高校生になって誰も使わないFM77が部室に置いてあったので立ち上げてみたらF-BASICインタプリタが起動したからでした。とくに何をプログラミングすればいいかもわからなかったので、教科書雑誌コードを転記したり、ループで線画を書いたりして遊んでいました。大学に入ってからも、授業でFORTRANとかLispをやらされたけど、基本的自分目的をもってプログラミングするのは数値計算くらいのものでした。そのころになると、本で情報を探して(まだインターネット検索は使い物にならなかった)適当コードをつなぎ合わせるのがプログラミングだと思ってました。そんなん面白くないなあ、とも思ってました。


この感覚、完全に、いま揶揄されているコピペプログラマーのそれだったと思いますちょっと話はそれますが、ブロック遊びとか砂場遊びって、ほとんどの人はわりとコピペプログラミングと似たような感覚でやってるんじゃないでしょうか。パーツを勘で組み合わせたり、とにかく砂を盛っていったりすれば、家みたいなのができるよね、という感覚プログラミングは、自分にとってそれに近い作業でした。学生のころは、内心、自分にもパソコンサンプルコードさえあれば何かすごいものを作れるかもなあ、くらいに思っていたふしもあります


自分バカでした。パソコンがあるとかないとか、関係ないのです。パソコンさえあれば、なんて思う者に、本当のプログラミングがわかるはずがありません。


そんなこんなで、自分はまともにプログラミング経験しないまま社会人になったわけですが、幸いにもプログラミングに対するこの感覚は、仕事パソコンを日々使うようになってから徐々に変わっていきました。

具体的には、パソコンが、自分の中で「カタログ商品から武器」へと変わりました。それと同時に、プログラミングという行為が、武器開発という位置づけになりました。

武器というのは言い過ぎだとしても、ちょっとしたプログラミングは確かに業務上課題を打開しました。それなりに計算機科学教科書を読んで勉強をしたこともあって、いつのまにかプログラミングに対する「得体のしれなさ」も解消してました。


結局のところ、自分にとっては、プログラミングという行為の「得体のしれなさ」から解放されるまでにずいぶん長い時間必要だったことになります自分がそうだったからといって他人もそうだとは限らないですが、たとえば小学校で形だけプログラミングを教わっても、分かるとかわからないとか、好きとか嫌いとか以前に、なんかモヤモヤした気持ちになるだけの子もも少なくないんだろうなあ。それは不憫だなあ。


かといって、自分がいまプログラミングで少しは戦えてるのは、そのむかしパソコンに憧れがあって、得体がしれないなりにプログラミングをする機会が若いときたまたまあったからでもあるので、そういう機会になるなら小学校で形だけでも教えるほうがいいのかなあとも思います


オチがないので、このへんで。

2017-01-17

妻が家事をしない

 私の妻は専業主婦だ。

 社内恋愛の末結婚し、妻が仕事を辞めて家事に専念したいというのでそうしてもらった。

 会社に残って働いてもらって全然構わなかったし、せめてパートに出るだけでも……とは思ったが、

 私の収入で十分生活はできるし、妻がそうしたいなら、と思ったのでむやみに反対しなかった。


 そうして妻は会社を辞め専業主婦となった。


 最初のうちは良かった。毎日手作り弁当を作ってくれる。帰ってきたら出迎えてくれたし、テレビBGMにご飯を食べながら今日の出来事を話した。私は間違いなく幸せであったし、妻もそうであったと思う。


 二年目。

 弁当冷凍食品が増えた。たまにしか出迎えをしてくれなくなった。妻は先に夕飯を食べていた。少し不満だった。けれども、別に玄関まで出迎えに来い、飯は先に食うななどと言ったわけではないし、妻はこうあるべきなどと強制するつもりもなかった。

 だからそれは「カップル気分」が抜けて気安く接する本当の「家族」になれた証だと、そう自分の中に落とし込んだ。



 やがて妻は家事サボるようになった。私に少しは家事を手伝ってほしいと言ってくるのだ。

 専業主婦家事をするのが仕事だ。「専業」なのだから。それなのに手伝ってほしいとはどういうことか。


 子供はいない。子供がいるならば話はまるっきり変わってくるけれども、そうでない今二人分の家事など大した労働ではないだろう。掃除洗濯も、買い物だって車がある上近所にスーパーがあるんだから全部ひっくるめたって5時間もかかるまい。

 妻が日中どういう生活をしているのかは知らないが、少なくとも会社仕事をしていたときより遥かに気楽な生活をしているのは間違いない。


 家事を手伝うのは良いがその分パートに出てくれというと、怒って拗ねる。モラハラだという。パートしなくてもやっていけるなどという。だが夫婦は対等であるべきだ。古き悪しき時代のように妻が夫に尽くす必要はないし、その逆もまた然りだ。夫婦とは二人で協力して人生を歩んでいくものだろう。


 最初に書いたが、専業主婦になりたいと言ったのは妻の選択であるし、別に共働きになることに抵抗があるわけではない。共働きであるならば、長く一人暮らしをしてきたから、率先して家事をするだろうし、それが支え合う理想夫婦の姿だと思う。

 だのに働くつもりはないが家事は手伝って欲しい、というのは単なるワガママではないのか。夫婦形態が「夫は務め妻は専業主婦をする」ものならば、その分担は、夫が「仕事」妻が「家事」を、となるべきなのに、何故夫が「仕事家事一部」まで担わなければいけないのか。



 口論をして妻への愛はかなり冷めてしまった。今まで口論は当然何度かあったが、今回は到底許し合えるようなものではないと思った。私はともに支え合える伴侶として妻を選び、妻も私を選んでくれた。

 なのに妻は私に寄生して、家事すらしない「主婦」に、ニートになろうとしている。一方的に支えるだけの夫婦生活なんてごめんだ。


 もとから妻は私をATMしか見ていなかったんじゃないか、あるいは他に男がいるんじゃないかとも思った。新婚の時のあの幸せまでも否定するようで陰鬱気持ちになった。



 3月末が結婚記念日だ。3年目になる。

 これからどうすれば良いのかとてもとても悩んでいる。

ニューダンガンロンパV3ネタバレ無しで評価する

自分ブログを持っているわけでもないので雑記程度に。

ゲームとしてのダンガンロンパ最新作だったV3ですね。えー、やりました。もう結構某所とかで言われてるみたいなんですけど最初に私も同じこと言います

オチが酷い。

プロローグ、1章〜6章、エピローグといういつもの構成だったんですが正直申し上げますと5章終了ないし6章クロ当てまで進めたらそこでプレー辞めることを推奨します。それ以上進めると「それ以前のダンガンロンパシリーズ記憶」を破壊されますマジで。書き換える、のがわかりやすいかな〜ゲーム内容的にはな〜...

V3は新章で別だって言ってたじゃん!」との声、普通にあると思います。私もその情報が事前にあったのでアニメ3でぐちゃぐちゃになった世界とは別!と思い購入しました。"嘘"がテーマであることで物語がどのような発展をみせるのか気になりましたし。単純に偽証システムが見てみたかったのもありますが...

率直に言うと「世界観一新」は"嘘"ですね。ダンガンロンパチームの。だからといってシリーズ経験者にお薦めできるかというとNOですし、しか新規が入りやすいわけではなく踏みいれれば過去作のネタバレ価値不法投棄を目の前で行われることになります。端的に言ってお薦めできません。とある人物周りの伏線回収も現状ではずさんだったとしかいえないでしょう。

受け止めかたの問題だ!冷静になれば面白い!とかい意見に対しては、6章クロ当てからの一連の流れは製作からの悪意がふんだんに織り交ぜられているために絶望よりも不快感がこみあげてくるものになっていて、肝心の伝えたかったであろうテーマにまで泥を塗る結果になっていた、とだけ言っておきます。私個人としては様々な不可解な状況証拠から"黒幕台詞は多くが嘘"という結論に達したので全否定するつもりはありませんが、確実な真実への道程を作中で示さず全てをあやふやなままで終わらせた時点で世に出す作品として中の下だったということは変わらないと思います

では問題オチ以外、つまりプロローグ〜5章まではどうだったかといいますと、過去作に比類する出来だったのではないかと私は考えますトリックに一部引っかかりを覚える部分もないとは言い切れないのですが基本的破綻せず進行しているように感じました。キャラ描写は...その......勿体ないな〜と思わなくもないのですが通信簿があることを踏まえれば5章までは良作の部類だったかと。5章まではね...イヤほんと5章で終わっておまけ要素解放されてたら雑な神ゲー認定してたな......気に入ったキャラ結構いたし.........



いつまでもシナリオの話しててもしょうがないので学級裁判システム周りについての感想にいきたいと思います

まずは今までのコトダマ論破に「V論破/賛同」が追加されました。R長押しで精神集中すると色つき主張に「ウィークポイント」となる赤い点が浮かび、そこを上手く撃ち抜くとV論破達成となり、得点があがるという本作のアクション成分をアップさせる要素となっていますさらに直後の台詞等も少し変わる...らしいのですが2周めをまだしていないので詳しくはよくわかりません。

次に「コトダマの偽証」。△長押しで選択されていたコトダマを"反対の意味"のコトダマ(=ウソダマ)に変えることができる要素が追加されました。このウソダマを正解となる相手発言に撃ち込むことで「偽証」が成立し、停滞した議論開拓の道を示すことが可能となります。もちろんこれも「V偽証」することができます

ウソダマを使用するにはデメリットがあるものの正解に撃てば帳消しになるので、タイミングがわかれば気軽にでき適度に学級裁判を盛り上げてくれました。まぁだからといってそれでシナリオの大きなルート分岐もなければ事態の核心に迫れるわけでもないので勿体ない使い方してるなとは思いましたが......

議論スクラム」について。参加者内で意見が2つに割れ裁判の円滑な進行が阻害されたときに発生します。その時点での各キャラクター立ち位置意見が全てわかるうえ、相手意見パズルのように合致させまとめて論破できるので爽快感が強く、また台詞間の幅が主人公の味方側キャラへの名前呼びかけで無くなるためテンポが非常に良くなっており臨場感も味わえるというとても面白いものになっていました。過去作でも是非やってみたかったとまで思える要素だったので、ここは評価されていいと思います。ここだけでしか見れない横顔が綺麗に見れるのもポイント

パニック議論」に関してはノンストップ議論が3つ並行して行い時折大声で主張する人が現れ他を阻害してくるという、スタンダードながらも場の騒々しさが伝わってくるもの面白さがあったように思いますアクション難易度があがる場面なので、このときに上手くV論破が決まると達成感も得られました。

「発掘イマジネーション」は単なるモノリスなので割愛。あとは「ブレインドライブ」と「理論武装」ですが...どっちも微妙だったな、としか

ブレインドライブ」はレースゲームの時点でゲーム性は限られていましたが、スキルを取らないととにかく冗長なだけで単調でした。カジノ版みたいにアイテムが道端に落ちていればアリだったかもしれません。道路デザインネオン街は本編と何の繋がりもないけどお洒落で好きです。繋がりないけど。

理論武装」はリズムゲーにしては音に併せるとmissするという目押しゲーなのにもかかわらずその目押しゲージをお邪魔の隠しで潰してくるという割と意味不明ものでした。これもスキルをとればマシにはなるのですが、この要素の都合上裁判クライマックス付近で発生するものなので真相への疾走感の障害しかなっていなかったなぁと感じます

反論ショーダウン・真打」は正直なところ前作のほうがやりやすかったです。これもV斬りを狙えるのですが操作性の都合でとても難しくなっていました。


思いつく限りではこんなところでしょうか。あくまネタバレしなので詳細はありませんが感想としては以上になります。無論これは個人差があるのでこの意見が全て他の人にとって真実とは言えないはずですが、私のなかでは嘘ではないので、この日記に目をとめてくださったかたのひとつの目安になれればと思います

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