はてなキーワード: 暮らしとは
結局また買って書かないのが関の山なので買わないんだけど、
観ている分では楽しいかもーって思いつつ。
やっぱりちょっと欲しく思ったりなんかして
お休みからおはようまでを見つめるライオン級にそう思うんだけど、
買って満足しちゃいがちな、
結局手帳ってあの多分システマチックな1日1ページの私あのフォーマットが好きなのかも知れないわ!
そう思うようにしたの、
だから
手作りで手帳の1ページの紙のフォーマットを方眼紙を作ればいいんじゃん!って
そしたら年中万年って言うの?
あの1日1ページの下のと頃にあるなんか気の効いた読み物は際限なく再現できないので、
私もしかしたらココ読みたいだけなのかしら?って。
とはいえ、
私も一応はノートの手帳ウィークリーアンドマンスリーを使ってるのよ。
これだとちょっと紙に記入して書いただけでも「を記を記」ばりに何か書いた気分と気持ちになるので、
もちろんこの時期気分と言えば、
おでんの紀文じゃない方の気分でションテンが上がる方の気分ね。
だからちょっと書いただけで書いた!って気になるからいいのよ。
全部の面を書き切れなくて真っ白いチョコッとだけ書いた1日を見ると何も書いてないって空しくなるのよ。
空を見つめながら。
その思いを握りしめるの。
手を広げてみてみたら手の中にはバブ!
いや違う違うそうじゃないの。
今は世界の危機を救うために少女にかけた希望が救えなくて儚く手のひらで消えてしまうようなバブみではなく、
私の手帳への対する思いを綴っているの。
だから
真っ白くなにも埋めることのない私の手帳、
ウィークリーアンドマンスリーだったら辛うじてなんか予定とか1つでも書いて埋めると充実した!
あ!そうだ
充実度がない!って手帳の紙の面が埋まってないとそう思うのかもー!って今気付いたわ。
そうなのかもね。
そんな鰯気になっている場合じゃないので、
まあ一応もう来年のウィークリーアンドマンスリーのノートは買ってあるから
準備的には準備万端なのよ!
そんで、
を記を記ってね。
今年の内に来年の予定を書くと鬼に笑われるっていうじゃない。
今年の汚れは今年のうちにってのはマイペット!
デスクの周りを机の上を少しずつ片付けないといけないわ。
なんか年末になると
そういったことが山積して山積みになるので、
忙しい上に忙しいのが重なるのよね。
まあ
だけどここ数年買ってないので私はこの「手帳好きだけど買わない」って確固たる意志を括弧でくくるぐらい強く言いたい気持ちなの。
でも何かに寄った際は
うふふ。
凄い食べ応えの迫力で大満足よ。
沸かして飲みながら冷ましている時間にいろいろと用事を済ませられるので、
朝方寒くなってきて冷えるからちょうど身体の中からほんのり温めるのもいいしね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
両親や祖父母から生前贈与とかないの?うちは非課税内でチョコチョコもらってて(毎年もらえてるわけではないので言うほど金持ちじゃないと思う)、それをNISAに突っ込んで適当に転がしてるから、老後資金とか困んないんだよな。
親世代って働けば働いただけ儲かるバブル時代をくぐり抜けてきてるわけで、当たり前に会社員やってればそれなり蓄えてると思うんだよ。ボーナスも多かっただろうし消費税も無かった。預金したら勝手に金増えてたらしいし。
俺の親は自営業だったからボーナスとかはなかったけど、祖父母からのマイホーム非課税贈与使って家建ててた(俺の実家である)。その家はもう賃貸にしちゃってるけどね。後述の祖父母からの家賃運用分を同じように生前贈与されてて、その金で賃貸向けマンションをあらかじめ買ってあったから、定年を超えた今はそっちのペントハウスに住んでマイペースに仕事してる。
祖父母世代なんかもっとでしょ。戦後のあれこれで家なんか建て放題、今みたいにウサギ小屋みたいなマンションを億で買うこと想像してたやついないだろうな。俺の祖父母も会社員やってから自営になって、若い頃に汗流して働きまくって、自分の家と賃貸アパートや駐車場をいくつか建てて外に貸してる。
家賃運用していたぶんで、祖父母たち自身の生活も賄えてるから年金少なすぎとか怒ってるのも見たこと無い。旅行とかのアウトドア趣味が多くてよく外に出るおかげか健康も維持できてるから、医療費もあまりかかってない様子。
バブルや高度経済成長期であれば楽に稼げるとは言わないけど、頑張り時に頑張らなかったやつが、いっちょまえに家族だけは設けてる=貧乏な子孫が増えてる、みたいなのがいまいちよくわからん。
今の自分はとにかく税金税金税金!って感じで所得税ありえない金額になってるから、もはや親や祖父母からは同情されてる。そろそろ贈与分で一つくらい固定資産を手に入れたいんだけど時期を見計らってる…
自分の勤務先の親世代上司も大体似た感じで、いい時代に家建てておいてよかった〜親に感謝だわ〜なんて話してる。学生時代の同級生はもっと金持ちもいるくらい(海外リゾート貸ししてたり、都心にビル持ってたり)。だからみんなそういうもんだと思ってた。
で、親も祖父母も金無いやつはどんな暮らしなん?どういう生まれ?家業は何をしてる人?一家全員博徒とかなの?嫌味とかじゃなくてマジで分かんないから誰か実態を教えてくれないかな…理解したくても周りにサンプルがいない…
東南アジアの児童買春に関するポストがバズってた椎木透子って人、
何処かで名前を見たような気がして検索してみたけれど、震災後の福島に関するドキュメンタリー映画を作ってた人なんだね。
『この空を越えて』
この人、東日本大震災当時はアメリカにいて、福島どころか日本での震災での当時の経験すらないみたいなんだけど。
そんな人が作る福島のドキュメンタリーって、上記の買春クソキモポストの件と合わせると、被害を矮小化して援助の手を断ち切る目的しか感じなくなってきたな。
あと、これ。
その活動が2年目に入った時に、福島の子どもたちを対象にしたプロジェクトを行うことになりました。結果的にその活動はちゃんと届けることが出来なかったのですが、諦めきれずに、福島の9~15歳の子どもたちにアンケートをお願いして、彼らの思いを知ることができました。そのなかで、私をハッとさせた答えがありました。それは、「私たちは震災で大変な思いをしたけど、可哀想ではない。そう受け取らないでほしい」というものでした。
福島の子供達から「私たちは震災で大変な思いをしたけど、可哀想ではない。そう受け取らないでほしい」と言われたらしいけれど。
実際に震災で被害を受けたし、風評被害もあるし、そもそも震災以前から過疎化が進む地方で大変なのに。
この人は多分、きっと東南アジアで売春させられている少女に対しても同じように思ってるんでしょ、「可哀想なんかじゃない」って。
福島出身でかつて子供だった大人の一人として、当事者の言う「可哀想なんかじゃない」を安易に美旗に使ってはいけないと思うんだよね。
「可哀想なんかじゃない」って、そりゃ当事者は言うよ。子供なら尚更。同情されるのは惨めな気持ちになるし、辛い事だから。
自分も昔はそう思ってた。自分は可哀想なんかじゃない、可哀想なんて思われたくないって。
でもいざ大人になってみるとやっぱり客観的に見たら自分は十分「可哀想だった」し、
可哀想だと言ってても確実に支援してくれる大人の方が有難いんだと分かる。
子供相手に限らず、最近はとかく理論武装して他人を直接助けない事を正当化する言説が盛んだよね
魚を与えるよりも魚の捕り方を教えろみたいな言説もそう。
東京なら1000万でもキツいと言われてるのにそこまで上がるかなあ
世の「専業主婦になりたい女」って「年収数千万~億単位のセレブと結婚して家事育児は使用人に任せて優雅に暮らしたい」みたいなやつを想定してるでしょ
>敗戦直後に大出産ブームが起こっている。これは誰によって対策が立てられたのかといえば、誰も立てていない。ブームは勝手に起こったのである。敗戦国の暮らし向きが快適であったはずもないの に、貧困の中での歴史的ベビーブームである。
>「保育所が増えれば産む」という女は、保育所を増やしてやっても産まない。彼女の条件は「出産したい」ための条件ではなく、「出産したくない」ための言い訳だからである。意欲さえあれば、3畳一間の借家でも産み育てることはできるであろうに。事実半世紀余り前の女たちは、猛烈にそれを実行したのである。
https://web.archive.org/web/20060212055441/http://koywai.hp.infoseek.co.jp/page009.html
幸せになれないなと感じる。
幸せとは何か、難しい。たとえ大変な喜びや楽しさを感じたとて、きっと自分は不幸せだと感じる時がくる。
まず、私には友人がいない。幼い頃から。人を思う気持ちは他人より大きいと思うし、面白い人間だとは思う。が、十数年も友人がいないのだから、自分に問題があるのだろう。
今月、友人を3人失った。うち2人は半年より短い仲であるし、遊びに行ったことはない。あくまで大学内での付き合いだ。だがしかし、互いに互いを友人としていた。1人にはずっと友達でいようね、などと言われたこともある。
まあ、その2人と縁が切れたとて、大きな悲しみもなければ大きな損失もない。
3人のうちの1人は1年来の友人だった。アルバイトから仲良くなり、共に旅行をしたり、くだらない事で笑い合ってばかりだった。1番、仲が良かったと言えるのかもしれない。
私は今まで友人とファミレスで食事をとることも、食べ歩きも、旅行も、した事がなかったが、この人のおかげで経験をした。だがしかし、先日、まるで恋人かのように別れを告げられた。
まあ、全て原因は自分にある。だがしかし、自分の行いを許容することができなかった相手がいたからこそ、こうなっているのではないかと思う部分もある。
私は膝が痛い。椅子に座っているのだが、膝が曲がる。膝自体の痛みなのか、服が接しているからなのかは判断ができないが、久々に横転により膝から出血をした。人は転がるんだな、と感じた。
スマホを取られた。返してほしかった。手を伸ばした。走り逃げようとした荷物に手をかけた。振り払われ、コンクリートに転がった。
半回転、なわけがない。確実に1回転、なんなら2、していたかもしれない。久々のあのコンクリートに皮膚を擦られる感触、擦れる痛み。両手の平も腫れているし、擦れているし、出血している。右膝も泣いている。
痛みは生を感じさせてくれる。痛みが好きなわけではないが、何も無い日々に物理的な刺激をもたらすのだ。ガキではなくなり、怪我など滅多にしなくなった。久々の怪我は痛みよりも理由のせいで涙が出てくる。
こんなことをしてくる人からはすぐさま離れた方がいいことは理解しているのに、離れられない。失うと、なにもなくなる。こういうところに、人付き合いが希薄な悪さがある。
早く幸せになりたい。泣きながら帰ることをやめたい。泣くことに数時間を消費することをなくしたい。真下を向いて泣いていることを悟られないように歩くことをやめたい。マスクに涙を染み渡らせることをやめたい。店のトイレで泣くことをやめたい。はやく普通になりたい。幸せになりたい。声を殺して、トイレットペーパーで涙を拭うことをやめたい。はやく朗らかに暮らしたい。幸せになりたい。少しおさまったと思っても、またすぐに雫を零すことをやめたい。
死にたいのも、楽しくないのも、泣くのも、全部、高校のせいだと思ってた。いじめられているわけではないが、話せる人などおらず毎日自由な時間が少しでもあるとトイレに籠る人生。そんなのは3年間だけだと思っていた。違かった。卒業しても、大学に入っても、そうだった。
人との関わりが無さすぎるがあまりに、これ程までに人と関われないのであれば「先生だったら学校来ないけどな」と毎年言われていた高校時代。その日々に変わりはない。辛いことに変わりない。今でも生活の質は高校生のまま。
自分の機嫌は自分で取れればと思うけれど、そんなことは叶わない。自分はどうすれば機嫌を取れるのか、わからない。自分に自分で何かをする、そんな価値などありやしない。
もう、そこらで泣いていて心配される年頃ではない。おかしな人だと判断されるだけである。遠巻きにされ、変な目で見られる。汚く、醜く、愚かであるだけである。
もう泣いていたら心配されるようなガキではない。泣いたからって機嫌を取ってもらえるわけじゃない。菓子でなだめられることもない。心配すらされやしない。
これな
https://news.yahoo.co.jp/articles/e975823c9186da1701c25abbe9fbd764bf7e1409
これまで衆院選後に行われてきた調査では、選挙でどんな点を重視したかという質問に対して、雇用や税金、物価などを重視したと回答する有権者が多かった。つまり有権者は汚職やスキャンダルではなく、自分の暮らし向きを好転させる政治かどうかに関心を持つ人が多いので、裏金問題も選挙ではそこまで争点化しないのではと予測していた。しかし、今回は円安で物価が上がり続け、生活の苦しさや経済への不満が底流にあるところに、裏金問題が起きた。有権者が大変な思いをしているのに、自民党は政治資金収支報告書の不記載に過ぎないという説明に終始し、相変わらずお金の問題について緊張感がないという印象を与えた。生活が苦しいからこそ、お金がらみのスキャンダルが怒りのトリガー(引き金)になったのではないか。
実家で親のすねをかじりながらTV番組ばかり見て暮らしているひきこもりとしては、なぜ維新の会が強いのか、その理由についてネット民の見解がイマイチまとまらないことを不思議に思う。
「東京に対する大阪府民のコンプレックスだ」とか的外れな書き込みを見るたび、ま、まさかネットの人たちは本当にそう思っているの?って言いたくなる。
大阪維新の会、日本維新の会が関西圏で圧倒的に強いのは、テレビ(主にお昼のワイドショー)での露出度(出演時間)が圧倒的に多いからだよ。
あまりに維新の会ばかりを取り上げるので、橋下市長の時代に、野党(共産党だった気がする)が苦情を入れた、と記憶している。
政治的な話題を取り上げるときは、必ず維新の会の議員(最近は吉村大阪府知事)の映像、または写真が挟まれる。
ディスプレイに表示された今日の話題を司会進行役のアナウンサーが指さしてるときも、漫画のフキダシ形式で誰かの発言を取り上げるときもそうだ。
おまけに関西圏で人気の吉本新喜劇(劇だがTVでの放送もある)に吉本大阪府知事が出演することも。
維新の会の議員の扱いって、国会議員のようなお硬い感じというよりは、どちらかというとワイドショーに出演するコメンテーターに近い。
それも〇〇大学の教授、みたいなお硬い感じではなく、吉本興業所属の芸人のコメンテーターみたいな感じ。
こういう解説をすると、他党の議員も同じなんじゃないの?関西人はお笑い好きだから、関西ローカルのワイドショーは政治をお笑い番組のネタみたいに扱ってるんでしょ?と思う人もいるかもしれない。
……違うんだ。
元大阪市市長の橋下徹、松井一郎、日本維新の会の共同代表で大阪府知事の吉村洋文、最近は馬場伸幸も。
こうなる兆候は橋下徹が市長をやってた頃に遡る。維新ばかり取り上げてるとテレビ局に苦情が入ったのもこの頃だったと記憶している。
それが悪化し、決定的になったのがコロナの流行だったというのが僕の認識。
もうみんな覚えていないだろうけど、医療用のガウンや防護服が不足して、なにをどう思ったのか雨合羽の寄付を募ったことがあったじゃん?普通はあれを批判的に報道するべきだとおもうんだけど、しなかったんだよね。
吉本新喜劇に吉村知事がゲスト出演したり、開催を目指す大阪万博の苦境が週刊誌を通じて報じられるなか開催へ邁進する模様を肯定的に報じはじめたのもこの頃。
なんだか北朝鮮のTVや、ウクライナへ侵攻したロシアのプーチンのことを報じる現地のメディアみたいだよね。
みんな必死に維新の政策の人気について分析したり、関西人のメンタリティについて考察したりしてるけど、たぶんそれ、意味ないよ。
そんなことをするよりも、関西圏に、例えば大阪に引っ越して朝から晩までテレビ番組を見ていたほうが、維新の会が支持される理由についてなんとなく察することができるはずだよ。
同性として不思議なんだけど、ちょっと太ったくらいで激しい筋トレするくせに、ちょっと裸になって15分程度上下に動くだけの事を面倒くさがるの何でなん?ムード?生理前に勝手に発情するようにできてるのに雰囲気整えたくらいで発情する?あんま関係なくない?
よっぽど旦那さんの耐久値が高いの?それとも前戯に30分かかるの?どんだけていねいな暮らしなの?
もっと大雑把に、やらないよりはマシ、という程度の方が長続きすると思う…
私には五つ上の兄がいる
私は彼氏と結婚を見据えて同棲することになり、近く実家を出ることになった
そこで実家は兄と母の二人暮らしとなるわけだが、この兄が今後どうなるのか?母と二人でどんな生活となるのか大変心配だ
ただ、なんていうか、ナチュラルに優しくない
自然と不親切
やりたくないことは絶対になにがあってもやりたくない
そんな感じだ
ある日、夕飯を作ったあと、ふと兄に言ってみた
「たまには兄さんも料理してみたら?」
「嫌だよ。今更めんどくさい。興味もないし」と、兄は無関心に答える
その瞬間、私は兄が常に母や私にその「めんどくさいこと」を押し付けていることをどう思っているのか、疑問に思った
また別の日、母が怪我をして、私が車で病院に連れて行ったときのこと
「お母さんを連れて行けて良かった。前に免許を取りたくないって言って教習所をキャンセルしてたけど、まだ30代のうちに免許取ってみたら?」と提案した
すると兄は「え、いいよ。運転興味ないし。もし事故ったら嫌だし。妹が免許取ってくれてて助かった。ありがとう」とあっさり返した
「でも私がいなかったらどうするの?」と問うと、兄は「タクシーか救急車でいいでしょ」と言った
その時、私は母は気を使うタイプだから、タクシーや救急車を使うことを躊躇うだろうと思ったが、兄はそんなことを考えもしない様子だった
2019年末頃だ
社会人になって数年たち、金銭的にも余裕が出てきたし学生時代は実家に暮らしていた友人も一人暮らしを始める人が増えてきていたのだろう
ただ、コロナの流行によりきっかけを逃し、以後兄が再度一人暮らしを計画している素振りは全くない
一人暮らしをしていたら、もう少し母や日常の家事への想像力ができていたのだろうか?
基本的にスーパーに車で行く我が家では母か私が食料品の買い出しをしている
私が実家を出るので、今後は母だけが買い物をすることになるのだろう
そうした変化に対して兄が特に何も感じていない様子に、内心呆れもする
神奈川の田舎で、車があったほうが便利だがなくても電車も発達している地域に住んでいることも、自分のことしか考えない兄にとっては免許を取る理由が微塵もないように感じられるのかもしれない
兄の社会性がなくなっていったこととコロナはやはり無関係ではない気がする
前までは嫌そうながらも上司や会社の人と飲み会をして、帰ってきてからそのときの話題などを世間話として食卓で披露することはあった
コロナで在宅勤務が定着し、通勤や社交というものがなくなったことで兄の外出は本当に減った
コロナが開けて会社の飲み会は再開したようだが、今やみんなが出るようなものじゃなくなり、兄は全く参加しなくなった
元々友達が多いタイプでもなかったため、休日は部屋こもって基本ゲームをするかVtuberの配信を見るかしている
平日も夕飯を食べるときだけ顔を出して、以後は自室に戻る
私が出て行ったあとに兄と母は食卓を共にするだろうか?
ゲームやネットで配信を見ることを優先して、食事のタイミングまでズラしたりしないだろうか?
兄は今後どんな中年になっていくのだろうか
実家には年に1度か2度顔を出す程度だろう
仕事はなにもやってない、別に俺の仕事っぷりを見に来ているわけでもない
毎日会社に来てパン焼いてコーヒー入れてYoutube見て弁当食ってクソしてNetflix見て新聞読んで帰る
俺の視界に入らないところで幸せに生きて幸せに死んでいって欲しいなぁって思ってしまう
「死ぬこと(によって自分の重要性をターゲットに知らしめること)」は目的だと思ってるんだよ。
この価値観を「病気のせいで認知歪んでる」なんて言って否定したら、BPDの女は怒り狂うよw
自ずと病院行って悩み相談したり治ったりしてくれんなら苦労しないの。
だいたいこの手の病院にちゃんと行けばストレスの元である夫や彼氏とは離れて暮らしたほうがいいって医者やカウンセラーはアドバイスしてくれるからね。
そんなところにBPDがいくわけないんだよ。
特別政治に強い関心、知識はないがとりあえず毎回投票に行ってる程度の人間の各政党に対する適当なイメージをつらつらと書いてみた。
自民…いつもは入れている、今回はやめた
◎基本印象
最低限仕事ができる(与党としての立場に慣れている)ためほかに与党ができそうな党が現状なさそうなので、今のところ与党ではいてほしい。ただ慢心も感じるので、あまり余裕のないギリギリ与党でいられる議席くらいで危機感を持ってほしい。
◎今回の話
総裁が高市さんなら自民党応援してた。石破さんは、与党内野党を勝手にやって人気取りしてるわりに、自分が総裁になったら他の人と変わらん感じが信用ならない。そもそも急に解散したのがほんと無理。選挙やるための国民の負担を理解して無さすぎる。石破さんが日本の首相なの嫌すぎる。高市さんが総裁するか岸田さん戻ってきてほしい。安倍さんはもういないもんね…。スガさんはもう無理そうだから引退してほしい。
立民…悪夢
与党批判しかしていなくて、自分の意思がなさそう。いざ与党になったらなにもできなさそう。
維新…がんばれ!
大阪をよくしてくれたらしいので、国政でも頑張ってほしい。ただ、ちょっと気が強そうなので与党は嫌かもしれない。
共産…無理
◎共産党について
与党批判と全方向の弱者に口だけ寄り添うことしかできない、信用に値しないという印象。あとあらゆる弱者に耳障りのいいこと言い過ぎて、こっちをたてればあっちがたたない的な自己矛盾起きてそう。あとそもそもその弱者たち、ノイジーマイノリティ率が高くて、多数の一般の人にとっては迷惑な政策になってる。
◎共産主義について
今の若者、お金は裏切らない、お金への信頼度高め系が多いので共産党というか、共産主義は無理だと思う。中国とか旧ソ連とかの惨状を見ていると、共産主義に期待を持てない。現代版富国強兵は経済政策と信じているので、共産党はもう無理だと思う。
国民…比例入れた。期待度大!
与党批判でなく、自分たちの主張を持っているところが良い。与党目指して頑張ってほしい。
「公立小学校にいた、消息不明の挙動がおかしな同級生」的な、一般社会ではお目にかかることがなさそうなレベルの底辺な方々の支持を集めていそう。理想を語るけど、現実的で具体的な実現方法は持ち合わせてなさそう。
ただ、ここの党が躍進するということは、日本という国の没落や文壇を示していると思うので、与党に危機感を持ってもらうために、ある程度議席があるのは逆にいいと思う。
参政…怪しさを感じる
はじめはいいかな?と思っていたが、新参者のわりに候補者立てすぎているところとかに、後ろ盾(宗教?)がチラつきいまいち信用しきれない。
無…おなじく
ちなみに、私が政治に求めていることは
ここは日本なので、日本人が暮らしやすい国であってほしい。参政権なんてもってのほか。あと日本の土地買わせるな。
・LGBTQの権利を拡大しないこと
・経済政策
お金があればとりあえず大抵のことはなんとかなる。法人税はあまり上げないでほしい。特に日本企業には優しくしてほしい。業種や日本企業かどうかで法人税率変えてほしい。製造業は安く、虚業(金融、不動産、商社など)は高く、日本企業は安く、外国企業は高く。
・103万の上限アップ
単身者は1人で暮らせる最低限の金額(250万円くらい?)までは非課税でよい。配偶者がいるものも今よりもう少し上限をあげてもよいとおもう。
全員医療費とか平等にしてほしい。延命系とか一部保険適用から外してほしい。あと、所得税とか現役世代の税を下げて、消費税とかどの世代からも取れる税を増やしてほしい。
・安楽死の導入
元気なうちに遊んで、適当なタイミングで苦しまずに自分の意思で死にたい。それが当たり前になれば、こんな先の見えない重暗い超高齢化社会を打破できるはず。
(余談だが、期日前投票しか行ったことがない、なぜ期日前の好きな日に投票させてくれるのに、投票日にわざわざ予定をあけて投票する人が多いのかとても不思議に思う。期日前投票がもっと主流になれば若者の投票率上がると思う。自分も正直期日前投票なかったら、極力頑張るだろうけど毎回行けるかはわからん)
農業、工業、医療などのあらゆる技術が進歩して人口は増えたよね
教育も高度化して識字率、衛生観念、人権意識などが向上したよね
で?結局、人権意識が向上した結果、先進国は人口が減少し始めたよね
人権意識が向上したはずなのに、戦争も差別も民族浄化も続いてるよね
圧倒的に食い物も美味くなったし、便利になったし文化的になったけど
当時の人たちはその暮らしの中で満足してたわけだよね
1000年前の人たちの幸福度と、今の俺たちの幸福度ってどれくらい差があるのかな
飢餓の心配が圧倒的に低くなったことだけは明確に差があると思うけど、
それ以外はそんなに変わらないんじゃないかって気がしてる
守谷第二位の無職として、日々楽しく交流させていただいております。
さて、先日フォロワーに「現市長(守谷市松丸市長)はやる気がなく見える」と言われました。
こんな中年無職に聞かれても案件ではあるのですが、私が見た松丸修久像について、書いてみたいと思います。
■松丸市長の本質:自分で先導するのではなく、周囲に決めさせて環境を整えるマネージャータイプ
松丸サンは、簡単に言うと、自分で「守谷をこういった街にするんだ!」といって決めていくタイプではなく、「市民に決めさせて、市民に運営させる。その場を作るのが市役所」という形を徹底して作ってきた人です。
間違っても自分で駅直結ビルの図面を手書きしてみたり、小学校を始めとした負の遺産をガンガン建設するよう進めるといった、旧来型の土建屋タイプの市長ではありません。
いくつか実例を見ていきましょう
※細かいことを言うと時系列的に市長時代ではなかったものも含みますが、議長・議員も長く務めていたので一旦目を瞑ってください
これが松丸市政を最もよく表現した施策であると言えるでしょう。
やや複雑なのであえて超絶簡単にまとめると、町内会をかなりのサイズにまとめて、そこに一定の自治権や予算を与えたという取組みです。
例えば交通の足に困っている一部地区のまち協に、自治会運営のワゴンを与えて、地域の足として活用することを許可して、交通弱者対策に取り組んだ、というのは非常にわかりやすい例です。
これを市役所がやると、「全ての地域にあまねく同レベルのサービスを提供しなくてはならない」「責任も市役所がとらなくてはならないので、そもそも市役所もやる気にならない」「一度始めると、少しでもニーズがあると撤退ができない」ため、施策としてはなかなか前に進みづらいです。
その中で、あえて地域に権限を与えてしまって、地域の責任で運営・撤退を判断。
市役所はその手伝いをするという形を作ったのは、地方自治においては割と画期的です。
そしてこれに関しては、むしろ「ちゃんと市民の声を聞く姿勢があるからできた施策」であり、自分でなんでも決めたがるタイプの方にはできない施策でもあることに留意が必要です。
これも、市長や議会が勝手に決めて勝手にダイワと推進したものではありません。
むしろ市民を巻き込んでコンペをやり、その中の案の1つを実現化したものになります。
ブランチ守谷を失敗している等と言う場合、どちらかというと、その案を出したチームへの批判となります。
もちろん、最終責任者は松丸市長ですが、あくまで市民同士の批判に転換させるやり口は見事です。
とはいつつ、なんだかんだ公園も盛り上がって来てるし、ひがしの町内会がイベントやったり、割と盛り上がってきたよね。
2:私立小誘致
これもまさに「自分で手を動かさずに人にやらせる」の典型でしょう。
まして守谷市は給食センターの新設も控えており、学校施設の規模調整はかなりの難題。
そんな中で、住所はつくばみらいとは言え、私立小を持ってくるよう仕向けたのは、非常に合理的でした。
守谷では地元の子が一部受け入れられているのと、市外からも小学校入学のために税金たくさん払ってくれそうな金持ちが転入しています。
公立小学校を作っても、金持ちは集まらないことを考えると、非常に良いね。
(しかも税金がかかる乳幼児期を終えた子どもを集める・小学校くらいだと転居してくる可能性もあるというのも素晴らしい)
SALSEFORCE・DMM等、多くの企業との協定を結びました。
これも、自費で何かを推し進めるのではなく、自治体と協力したいという実績を作りたい企業を上手く活用して、市の活性化に取り組んだ功績と言えるでしょう。
実際、ここまで多くの企業と協定を結んだ自治体は、政令市クラスの自治体を除いたらほぼないのでは?
公立の小中学生の英語教育、ICT教育等、市民としても割と利益を受けています。
これにより、図書館の休館日を大幅に減らし、市民の利便性向上に大きく貢献しました。
このように、松丸市長は「自分が手を動かした」ワケではなく、周囲を上手に取り込みながら、市を運営してきたと言えるでしょう。
多分、安倍さんとか好きだと思います。もしくはサッカーの森保監督とか。
基本的に何か強く推進している感じが外からは見えないけど、気づいたら強くなってる、そこを目指しているように見えます。
さて、ここまでで、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について語ってきたつもりですがいかがでしょうか。
もう少し、個人的に思っていることを書いていきたいので、徐々に論点を変えていきたいと思います。
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では、市長が独断で進めたと宣伝されているアジュール問題をどう評価するかは極めて重要ですね。
これも、ここまで語った松丸論だと、およそ協議会とか作ってから進めないとオカシイと思われるでしょう。
ただし、
・議会は通しており、高い賛成を得ている
・明らかに財政上問題がなく、むしろ将来的には貢献する可能性が高い
・取得までは市の仕事と割り切っている?
ため、独断・暴走かと言われると「いつもの松丸さんじゃない」かもしれませんが、
「独断・暴走と評するほどのものでもないのでは」というのが感想です。
・政治的正しさ → ここを否定する場合は、議会も否定していることになります
・お金の使い方 → ここを論点にするのは筋が悪いし、経済経営センスがないことを明かしているに等しいのでやめた方がいいです
これらの論点をごちゃまぜにして、疑惑・利権にすり替えて攻撃されてるな~というのが感想です。
アジュール問題の本質的部分については、今日の「市長のやる気の見えなさ」論とは一旦異なるので、これくらいにしておきます。
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さて、「周囲を取り込む系マネジメント」をしていくとどのようなことが起こるか。
実際、Xを見ていても、森友学園を彷彿とさせるような「疑惑」を一方的にふっかけて楽しんでいる人たちをよく目にします。
では実際に汚職は起きているのか。
調べてみましたが、わかりませんでした。
とこれでは「いかがでしたでしょうか」ブログになってしまうので、真面目に考察してみます。
■汚職が起きているかはわからないけど、建設業協会は暴走していない
松丸さんは、令和建設(現松丸建設)の元社長だかCEOだかです。
市内でも大きな建設会社なので、実際に少なからぬ工事に関わっています。
ということは、松丸さんが最も関係している団体の1つとしては建設業協会・令和建設が考えられるでしょう。
しかし、松丸さんは、小学校建設や駅前再開発には手を出しません。
ふつうに考えれば、小学校建設や駅前再開発なんて、守谷市の建設業協会にとって最高においしい仕事です。
仮に元請になれなかったとしても、様々な仕事ふってくる、何よりもメンテナンスの仕事も無限に増えます。
これを、あえて推進していないという点は、松丸さんを見ていく上で非常に大きなポイントでしょう。
後述しますが、松丸さんは明らかに嫌われる要素を複数持っています。
その1つである対令和建設・対建設業協会に対し、割とそこまで直接的に利益供与をしているようには見えません。
やろうと思えばもっとやれるハズのところで一定の自制を利かせている点は評価して良いと思います。
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地方自治の独自性だなんだと言われていますが、実際みなさん、地方を見ていてどうですか?
一部の恵まれた自治体を除くと、行われていることって基本的にはほぼないです。
なぜなら、地方自治体に与えられた権限は非常に少なく、基本的に求められる機能が国から下りて来た事業の執行であり、金儲けや楽しいイベントを仕掛けることではないからです。
なので、市長ができる施策で独自性を出せと言われると大きく2つしかありません。
確かに他候補の支援者が裏アカを作りまくっているのに比べると、大きく後れをとっています。
手練れの広報が身近にいないのでしょう。
ただし「有意に上昇を続ける地価」「宅地が不足するレベルで増加している人口」「ふるさと納税寄付額関東2位」という実績が出てしまっているため、
現時点では広報はうまくいっている、もしくはそこにカロリーを割く必要がないというところは大きいかもしれません。
それでも、他市市長みたいに前面に押し出て威勢のいいことを言うことに幸せを感じる方にはキツイ街かもしれません。
→こちらは、まちづくり協議会に役割を大きく移譲しようとしていると思います。
市がやります!というより、近所の人がやってます!と推進しようとしている形ですね。
実際に、枠を作るのは大変ですが、何よりも大変なのは参加者の増加や運営の維持。
そこを、市民に主体的に移譲しようとしているので、ここでも松丸さんが前面に出て来ることはないでしょう。
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ではここからは、なぜ松丸さんは嫌われるのか、もとい、松丸さんが嫌いな人はどういった層かについて、まとめていきたいと思います。ここまでの記事を読んでいただくと、ある程度スッキリするとは思います。
※ここから先はかなり具体的なペルソナを設定しているので、不快に思ったら途中で読むのをやめてください
1.自民党・市役所・市長・市議会・建設関係者が悪であると信じることで、心の調和を保つタイプ
コンクリートから人へ、という言葉こそが正義であると信じているタイプです。
思想信条は自由ですが、この関係者に、多くの真面目な市民がいることが見えておらず、また、いうほどその人たちが豊かな暮らしをしているワケではないことにも気づいていません。
このタイプの方は正義感が強く、自身の発言も「社会正義」をベースにしているため、恐らく何があっても思想信条を変えることはないでしょう。
このタイプの方は、決して「なぜ松丸市長は小学校建設をしないのか、自分がトクするじゃん」という問題には手をつけません。
このタイプの方は、まちづくり協議会とか存在から知らないし、図書館も誰が運営してようが知ったこっちゃない。
他自治体の全てが守谷よりよく見えて、守谷は無能が運営していると思い込んでしまう。
なので、守谷の仕組を上手にハックできない、その知恵や人脈がない方です。
よくも悪くも、松丸さんが作った今の仕組は初心者にとっつきづらいため、こういう層は自分がないがしろにされていると思ってしまう、もしくは本当になんにもない自治体だと思ってしまうということで、なぜかアンチになっていることが多いです。
守谷はベッドタウンなので、ご近所づきあいはがんばろ。その方が選択肢増えるよ。そういう街です。
これは1と大きく関わります。
本人と話すとめちゃいいおじいちゃんなんですけど、ここに引っ張られてる人は多いと思う。笑
似たポジションとして、「市長の発信力がない」ことに不満を持っている方も少なからずいます。
発信力があろうがなかろうが、自分がうけられる権益は1mgも変わらないのですが、なんとなくブランドが足りてないように感じて、おじいちゃん政治家が嫌いになっちゃうんでしょうね。
一番イタかったのは、コロナ給付金が、既に守谷では配布始まっていたのに、他市市長が「来週から配布します!職員頑張ってます!」みたいなツイートした時に
「◎市はすごい、それに比べて守谷は」と盛んにアンチ活動していた人です。
まぁその方はちょっと活動家すぎるので置いておくとして、市長が40歳イケメンだったら、この理由で松丸さんを嫌いになることはなくなるんだろうなと思います。笑
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■たぶんやる気がないワケではない
ということで、本題の「松丸市長のやる気」問題ですが、およそ本人が、やる気を前面に押し出して進めていくタイプでないことは伝わったかと思います。
あくまで私は、事実をベースにいくつかの解釈を混ぜた文章としているので、皆さんがどう受け取るかは自由です。
現在の守谷市があまりに住みづらい市であり、市政も大きく間違えている、というのであれば、方法は2つ
私は聖人でも議員関係者でもないので、全員が選挙に参加しろなんて思ってないし、よくわからないなら思考停止させて選挙になんて参加しないのもアリだと思っています。
ただ、少しでも興味がある、疑問がある方にこの文章が届けばいいなとは思っています。
この内容についての感想等は、Xでいただけるとありがたいです。
というか、二月の勝者読んだ感想
一言で済む
これだけのリソース(熱意、カネ、時間、メンタル)ぶち込んで手に入れる栄冠が中受なんだから
はてなーとかは大半そうだけど、これほどの犠牲を払って手に入れたモノが、のほほんと暮らしてる非受験組に与えられている教育と大差ないとはぜったいに認められんわな。
連中の異常な公立叩きなんなんだと思ってたけど、読んだあとは、公立が思っよりまともだとやるせなさが爆発するだろうな、動物園だと断じるのもやむなしと感じました。
中受、潜り抜けてきたアンタらすげえよ。
今、飼い猫にブチギレた。
猫に対して怒りの感情をぶつけてはいけないことは知っている。理由もわからないのにキレてるやつは普通に嫌すぎるし、猫とは長い期間暮らしているため
今、布団から動けないくらい疲れていて猫に晩御飯を出せていない。だから欲しがっているだけなのだ
子供部屋おじさんにつき、後で親が帰宅するので問題はないのだが、先に帰宅したのもあって猫に話しかけられてブチギレに至った
今はノイキャンイヤホンをつけてこれを書いている。猫も諦めたようだ。
本当にごめんなさい。猫にはこれからも幸せに生きて欲しい 俺の代わりに
布団から動けない程度には疲れているのだが、それは人生は死ぬまでの罰ゲームでしかないためだとか考えだしたからである。
まともな人間として生まれてこなかった以上、成人してから生きる気力がなくなった。かと言って死ぬことはできない。寿命を待つしかない。
ただ、生きていくにはやることがある程度存在するし、それをクリアするには外に出なければならない状況だ
筆者は話し声が大嫌いなので当然外も大嫌いである。外に出てやることを終わらせるだけでもかなりのストレスになってしまっている。
残り何十年こんな生活をしなければならないのだろうか。