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はてなキーワード: 就職とは

2016-06-25

新卒一括採用を止めない限り貧困化は無くならない

新卒一括採用するからブラックかどうかも分からない会社に入らないと

もう宛てがないって言われるほど新卒以外は企業からノーを突きつけられる社会なんだよね。

まり新卒カードを切ってしまうともう就職できないのが日本社会なのさ。

から既卒になるともう表だって就職活動が出来なくなる。

その結果非正規に行かざるを得なくなって、貧困化が激増する。

また、新卒一括採用のせいで折角入社した会社ブラック過ぎてすぐ辞める新卒が増える。

そんな第二新卒たちを受け入れてくれる会社殆ど存在しないから結果非正規に流れまくる。

その結果貧困化が社会問題になってしまう。

日本政府はどうして新卒一括採用を止めさせないんだろう。

理解に苦しむ。

世の中にいらない職業

人材系の研修講師ビジネスマナー講師

いなくなった方が世の中はうまく回る。

今時オーリングテストとか採用ちゃう程度の講師が、

ドヤ顔ビジネスとは何か、仕事とは何かとか語るんだよ?

何を学べっていうのよ、そんな人から

メラビアンの法則とかもよく出してくるけどさ、

あれ、否定されているの知ってる?

知らないんだとしたら情報アップデートしてないってことだよね。

自分の扱う商材に対して勉強してませんって言ってるようなもんだよね。それ。

知ってて敢えて使ってるんだとしたら、研修生を騙してお金をもらってるってことだよね。

嘘ついて、役に立たないこと教えて、報酬を得るの?

やめなよ、そんな仕事

こういう奴らが就職支援とかでセミナーやってるんだから堪らない。

適当なこと言ってお金もらえて、ボロい商売ですね。

2016-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20160618211423

こんなに辛さを感じている人に、今あえて辛い言葉を投げかける人の気が知れない。

仕事が決まらない。頑張ってるのに落とされ続ける。辛いよね。

周りはどんどん内定を貰う。わたしけがリクルートスーツを着て歩き回る。苦しいよね。惨めになるよね。

ひとつだけ伝えたい。

6月までに内定を持っていない学生の将来は暗い」という周りの大人たちは、就活を知りません。

就活どころか、社会企業を知らないんです。もしかしなくとも、就活生以上に。

世界シェアNO1を誇る製品を作っているメーカー社会絶対不可欠な超ホワイトBtoB企業、そういった会社が、冬過ぎまで採用をしています

理由認知度が低かったり、あまりニッチな分野だったり。本当です。苦しんでるんです。

学生に知られていない、イメージが伝わってない、学生に見向きもされない、と人事さんは悩んでいます

今とても辛いと思う。死にたいと思うほど、辛いんだよね。

でも落ち着いてからでいいから、ナビサイト企業ホームページを眺めてみて。

就職支援会社マイナビとかリクナビとか)の合説で、誰も座ってないようなブースに行ってみて。

説明会が終わった後、人事さんにお話してみて。何話していいかからないなら、感想とか、今の悩みを伝えるだけでいいよ。

全員がそうとは限らないけど、今の時期に悩みを聞いてくれる人事さんは多いと思う。

だって人事さんも辛いから。少しでも自分会社に合う子を探したいから、話したいんだよ。

6月までに内定を持っていない学生の将来は暗い」なんていう周りの大人が勤める会社より、良い企業に入れるかもしれないよ。

ほんとだよ。まだ、たくさん残ってるよ。

就活関係お仕事をしている社会人から余計なお世話でした。

today

そうですか?民間企業就職されましたかしか

栄転って!不適切だと思うけど

anond:20160624152309

就職さえなければ安泰なのにな。

まあそれはどの世代も同じか。

やはり就活死ぬしか

EU離脱確定のついでに

耳が痛くなるほど今日EU離脱の話で持ち切りだ。

だがしかし、これは英国問題ではなく日本関係する風評被害を喰らったような事態である



これにより日本株価の急激な暴落が発生。リーマンショック以来の世界恐慌らしい。

心配されるとしたら就職難が増えることである

自分現在学生ではあるが、売り手市場となった就活現場にこれが上乗せされるとなると、成績優秀者及び学歴レベルが高い者だけが生き残る社会になるのかもしれない。



こういった危機感を持っただけでは危ういが、それよりも心配になるのは特に就職率が高いことを公言していた大学であろう。

中小零細企業がどこまで生存できるのか分からないが、今後企業自体の存続危機も見込まれるはずだ。

採用基準ベースとされていた大卒、そしてその大卒の大半が大学キャリアセンターなどを利用して就活していたに違いない。



もし今後本格的に就職難で売り手から買い手市場へと変化してしまったら、困るのは学生などの若い人材である

昔のように資格がなくても働けるわけでもなく、実力+有力な資格必要とされるだろう。

そこから考えるとすれば、日本では中学生高校生の進路先として普通科学校ではなく、高専のような職業に直結したカリキュラムに基づいた教育に流れてもおかしくない。



将来的には学校の授業で早い段階から自分人生設計について考えさせるようになり、その職に就くための具体的な教育が徹底されると予想できる。

これは悪いことではなく、これまでに行わなかったツケによる改善の機会であると思う。

ある非正規雇用者仕事レベルの衝撃

私は日本大学まで行き、卒業後3年日本で働いた後、海外移住した。

私が移住したエリア日本人ほとんどおらず、職場も現地の人たちばかりで、私は唯一の日本人として働いていた。

その後、ネットニュースなどで、日本派遣非正規雇用流行り出したのを知った。

私はその後、別の国で働くことになり、私が行ったエリアでは日本人留学生が多く、何人かの日本人学生と知り合った。

私は当時完全に現地に馴染んでしまっており、日本若者から言葉に少なからカルチャーショックを受けたり、いろんな変化を感じ取ったりして刺激的であった。

知り合った日本人の一人が私と専門が同じく、日本を離れ海外就職を目指しての留学とのことだった。その人がかかわったプロジェクトスキルなどを見てもこちらで働くには十分すぎるほどのもので、あとは英語さえできれば問題ないというレベルだった。

その人が言うには、大学卒業後ずっと非正規として働いていたとのことだった。

ずっと正社員を望んでいたものの、非正規としてしか働けず、そういった環境に将来の希望を見いだせず日本を離れたとのこと。

かなり衝撃だった。なぜこれほどまでの経験、実績のある人が非正規なのかと。

私は、日本には一時帰国だけで、職場環境就職状況がどうかなどはもう分からないのだけど、実際こういう人って多いのだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20160624021510

分かったからさっさと就職しろ 

研究は年取ってからでもできる」の呪文を唱えながら就職しろ 

就職した後であれこれ考えろ 

死んだら意味がない

小さい頃から勉強ばかりしていた

※長いです


漢字の書き取りは宿題で出された量の2倍するように言われていたし、夏休みポスターや作文といった任意課題は全部させられていた。



小3の時、私の書道のあまりの下手さに愕然とした母(書道経験者)は、私に書道を教え始めた。毎月子ども新聞コンクールに出品して、夜中まで泣きながら練習することもあった。



小4に上がった時、母は問題集を4冊ほど買ってきて、これから毎日宿題のあとに問題集をやって、それから遊んでもいいと言った。カンニングをしたら、解答欄が一個ずつずれていたこからバレてかなりボコられた。高校にもなると大分減ったけれども、叩かれて痛かったものを3つ選ぶなら、掃除機制服ベルト、健康スリッパだ。



市内にあったゆるい私学に上がってから大分遊ぶようになって(多少WJ界隈にハマったりとか)、成績が上から3分の1になったことを母は怒った。学費もったいない、と言われた。



近くに住む祖母は、「あなたがよくできたら家のみんなが幸せになるんだから頑張りなさい」とよく言った。



祖父は孫の出来を近所中に自慢していたし、私が何かしら賞をとるなりいい成績をとるなりするとお小遣いをくれた。私はそれを母に預け、母はそれに手をつけることな貯金してくれている。祖父は孫への援助も惜しまず、亡くなったとき口座には4000円ちょっとしか入っていなかった。

 

色々あって成績は持ちなおし、なんとかいいとこの大学に受かったけど、色々思うことはある。



私の問題は、勉強ばかりさせられていたことではないと思う。


小学生時代課題漬けは嫌だったけれども、勉強のものは嫌いじゃなかった。


好きな分野を見つけて、迷いながらも博士課程という人生詰んでるコースまで進んでいる。



母は昔から強制的に何かを与えることが多かったけれども、一方、娘が好きなことを追求することにはとても好意的だった。幸い、私自身、読書以外のことに大した興味はなかったから。



から母子家庭なのに高い学費を何年も負担してくれたし、私の今を素朴に応援してくれている。博士課程がいか人生詰んでたとしても。



娘が小4になったとき本屋に足を運んで問題集を選んだであろう母の気持ち想像したり、受験生の時パートを3つ掛け持ちしていたことを考えたりすると、母のことを責める気にはなれない。年をとって丸くなったし。



問題は、私が勉強以外の分野で、自分評価する基準を何ももってこなかったことだと思う。



みんなは「✕✕は真面目で頑張っているよ」と言うし、それが私の長所だも言うし、先生の反応も悪くないけれど、私は自分の勤勉さを評価されたいんじゃない。



研究をせず遊んでしまう時、頑張れない怠惰自分研究やめるべきじゃないかって考えるし(それは一般的な悩みかもしれないけど。好きなことってどこまで頑張れるんだろう)、私の存在は石くれほどの価値しかないと思う。



私はきっと、自分の他の部分で評価されたいのに、(好きなことであろうがなかろうが)勉強ができるかどうか、勉強を頑張れるかどうかしか自分評価する基準がない。

自己肯定感がないとか普通のよくある悩みなのかもしれないけど、それはおいといて)


なんで、勉強ばかりして小さい頃にいい記憶が何一つないのに、勉強しか評価されない世界にまた進んでしまったんだろうって思う。



勉強をとった私はただのブスで、気の利かない、人とうまく話せない、なんの取り柄もない人間しかない。人に教えることもうまくなく、個別指導でほそぼそと教えるだけで、教育実習はぼろぼろだった。



民間就職できるかもわからないけど、できたとして、仕事のできない人として罵倒される、自分のどんな部分も評価されない日々が待っていると思う。



それでも、研究を嫌いになったことは一度もないけども、もう何にも評価されないでもいいから、

勉強やまじめさで評価されない世界に行きたいって、時々夜中にこうして考える。

ひとりぼっちはさみしい

学校卒業して今年の春入職した

仕事は慣れてきたかな、という感じなのだけれど、

就職して一人ぼっちになってしまった。

僕はずっと友達には不自由してこなかった。

数は少ないけれど深い付き合いをしてきたと思っている。

そんな友達中学にも高校にも大学にもいた。

今付き合っている彼女友達から発展した。

けど、今はひとりぼっちだ。

職場に同期は居ないし、上司の方には気を使ってしまいうまく話せない。

中学高校から友達は連絡を取らなくなってフェードアウトしてしまった。

大学友達は、みんな新しい職場で新しいグループを作って楽しんでいるようだ。

彼女は忙しい職場毎日忙しく過ごしているようで1カ月会っていない。

前にあったときは、手を繋ぐのも嫌がられた。

仕事恋愛感情が薄くなったらしい。つらい。

はーーー女々しい。みんなが羨ましい。地元に帰りたい。都会になんか出てくるんじゃなかった。

仕事がない日は、1人でぼんやりして過ごしている。

さみしい。つらい。

2016-06-23

すぐに転職を勧めてくるやつらがウザい。他人事だと思って好き勝手言いやがって。

いまさっきの話。今はどんな仕事してるのと聞かれたから正直に最近終わらせた仕事の話をしたら、そこってブラック企業じゃないかとか働きすぎじゃないかとかもっと待遇のいい会社があるはずだとか一人で盛り上がり始めやがって。

こっちは給料安いけど仕事が楽しくてやりがいを感じてるって言ったんだぞ。なにを聞いてるんだお前は。それとも俺をワープア扱いしたいのか。

お前なんか一度も就職したことないじゃないか

日本大学価値

6月20日に公開されたアジア地域大学ランキング東京大学が7位に下がり、100位以内で日本大学ランク入りしていたのは14校ほどであったという。

シンガポール中国大学が躍進しているのは理解したが、疑問に思うのは日本大学自体機能しているのかという点である



最近あるテレビ番組日本国内大学数を紹介していたが、約781校も存在しているという。

これはアメリカの約2000もの大学数の次に多いとされている。(2011年 日経新聞記事より)



何故世界の中で、大学数が2番目に多い筈なのにたった14校しか入らないのだろうか?

少子化の影響で大学受験全入時代となり、進学率の上昇と同時に「大学生」という肩書き将来有望とされているエリートとそうでない者の2極化が徐々に始まってきたことが1つの要因と私は思う。

最近では、国立大学授業料高騰化が問題となったが、私立大学に関する危機感を示す話はあまり上がっていないと感じている。



このような状況から文部科学省大学としての本来機能果たしているか大学対象調査し、去年では私立大学改革総合支援事業という計画を発表した。

シラバス改善や授業評価結果の活用グローバル化、他大学との連携地域社会貢献などを目的としている。

大学設備費などを国から補助してもらい、本当に大学として存在する意味があるのか疑問に思う。



そして、日本大学就職予備校化に伴い、ビジネスマナー大学の授業として取り入れている所も存在する。

それが本当に授業なのかどうか疑ってしまうが、単位取得の一つとして成立してしまうのである



もっと書き留めたい内容がまだあるがここで省略させてもらう。

今回一番に言いたいことは「大卒欲しさの為だけに進学するのか、明確な目的の為に行くのか、そして安易入学できてしまったこの現状に心配である」という事だけだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160623015632

ああ、私がこのままキャリア街道突っ走るにはもう遅いことがよくわかった。

やっぱり正攻法学生時代子供作って就職が一番なんだな…。

全然金がかからないまま就活大学生活を終えようとしている

全然金を使わないまま大学生活を終えようとしている。

一昨日、ようやく内定が出た。地元の有名企業の子会社

両親も祖父母もきょうだいも喜んでくれている。

一志望なのでようやく胸のつかえがとれたというか、とにかく金を使わずに済んでよかった。

自慢させてくれ。自慢させてほしい。




就活にかかった費用

スーツ5点セット(ジャケットシャツスカートパンプスかばんとおまけでストッキング) 20000円。開店セールで安かった。

履歴書 約1000円 書き損じで何パックか買ったがよくわかってない。

履歴書郵送費 約2000円 たぶんそれくらいだろう。

化粧品 3000円 就活用に買い足したのはコンシーラーくらい。

で諸経費足しても4万はかかってないんじゃないだろうか。

あ~~~!!!!嬉しい~~~!!!!!!!!!

世の中の「東京とか大阪就活で行くとお金かかるよねぇ~…」的な話をしてる就活生が気の毒なくらいお金がかかってねえ~~!!!!!

親にも迷惑をかけてねえ~~~!!!!!!

地元企業に狙いを定めてたから移動費もゼロ

面接とか説明会の時は大学原付を止めて企業まで運動がてら何キロも歩いてたのでなんか健康にもなった。

ハッピ~~~~!!!!!!

なんか痩せたぜ~~~!!!!!!

ちなみに就活中も週3,4でバイトしてた。



元来私はドケチというか、家が貧乏だったので金使わんでいいだろってとこにはとことん金を使っていない。

塾にも通ったことがないし、大学地元国立一本狙いで通った。

大学学費授業料免除の利用でこの4年間1円も払ってない。

奨学金も借りていない。前撮りはしたけど成人式も行ってない。

母は「学校必要ことないくらでも出してあげたい」と言ってくれたがそんな無理はさせたくなかった。

しろ大学生にもなったのだからバイト家計を支えたかったし、実家住まいなので月に3万は家にお金を入れられていた。

サークルは金と時間無駄なので入ってない。

学業バイト、あと趣味同人活動で充実してた。


ああ嬉しい。

就活も終わったか祖父母の家に頻繁に顔も出せるし、卒論も書ける。

家のローンも返し終わったし、母も体が弱いながら無理やり続けていたパートを減らせるだろう。

これから親孝行スタートだ。

自慢させてほしい。

大学友達はみんな今アップアップしてる。

「遊びほうけて単位落として成績悪くて就活バイト辞めたし金も溜まってなくて、就職できない。ストレスで食べちゃう、つらぃ」じゃないわ。自業自得やがな。

とも言えないので何にも言えないが、私は今内心エレクトリカルパレードだ。

何も考えずになんとなくで奨学金借りて遊んで授業フケて単位落として何がしたいんだお前らは。

面接頑張った飲み!内定ほしいゎらwじゃねーぶっとばすぞ!!

こうして言うと絶対

サークル入ってなかったの?大学生満喫できてないやんwオールとかしたことないの?ww」的なことを言ってくる奴がいるのでおおっぴらに言えないのでここに書くが、

興味のあった分野の勉強ができて、友達もできて、自分趣味もできて何がダメなんだよ。

満足しかないよ。



まあみろーーーーーーーッ!!!!!!私は就活終了まで我慢してた焼肉に行くぜ~~~~っ!!!!!!

あとは学生の本分を全うして、資格勉強でも始めるぜ~~~!!!!あばよバカ学生共~~!!!!!!!!!!!

自慢 おわり

http://anond.hatelabo.jp/20160623015632

全然悪く無いやん!

つかやっぱ専業主夫の条件は、未就労の嫁が新卒就職する前に子供を作っておく事か

キャリアは1回でも産休取ったら終わりだもんな

妊娠出産だけは夫が変わる事ができない

専業主夫だけど離婚したい…

ほんと離婚したい。

自分バンドマンファンだった嫁が大学在学中妊娠、1年休学して双子の息子を産んだ。

嫁の親が結構金持ちで使えるかなと思ってそのまま結婚、逃げられる様な感じでもなかった。



嫁は良い大学出て良い会社就職バリバリキャリアウーマンなおかげで今の年収は800万近い。

おかげで楽器も諸経費も嫁が出してくれる。

でも飯や子供の世話は一切しない。

忙しい、忙しいそれしか言わない嫁、こっちだって忙しいんだ。



嫁が夜帰って来て飯が出来て無かったら怒られる、掃除洗濯を少しサボっても怒られる。

仲間と飲みに行こうにも嫁と子供の飯を作らなければならない。

作り置きしていると怒られる。



正直息子達が煩わしい。

夜はぎゃーぎゃー泣くので嫁に別の部屋で寝ろと怒鳴られる。

朝5時に起きて嫁の飯を作って息子達の幼稚園に行く準備。

忙し過ぎだろ、虐待かよ。

嫁の親が持っていた無駄に広い家、掃除も大変だ、庭や外花壇まで整えろと言われる。

帰って来たら来たでまとわりついて来る息子達、遊んで、お腹空いた、眠い風呂トイレ、転けた、痛い。

うるさくて仕方が無い。



嫁は忙しく延長保育の時間を使っても迎えに行けない。

なので自分幼稚園の迎えも行かなければならずバンド活動に支障が出てしまう。

親が預かってくれる日にしか参加出来ない。

離婚してスッキリ逃げたいが、金持ちに追いかけられても逃げられそうに無い。

しかバンドの経費はバイトで稼げる値段でも無いしな。

息子達も引き取るなんてごめんだし、養育費なんて払う金は無い。



職歴も無いし金も無い。

近所の目も冷たい、嫁は厳しい。

息子達はうざい、生き甲斐バンド自由に出来ない。

仲間と飲みにも行けない、言い寄る女の子とももう遊べない。

離婚したいが離婚出来ない。

苦しい。

私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。

全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。

一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。

しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコが食べれなかった。

これは、私と、ちょっと変わったお母さんのお話です。

お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーフードコートでのアイスクリーム売りが彼女お仕事だった。

私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎三毛猫ホームズくらいなら読めるようになっていた。

絵を描くのも大好きで、おじさんが買ってたマガジン漫画の真似っこをよくしていた。おばあちゃんが鉛筆工事で働いていて、絵を描くのを好きな私に色鉛筆を買ってくれた。毎日毎日飽きもせず、へたくそな絵と漫画を描いていた。

お母さんは、夜も家にいなかった。たまに知らないおじさんを連れて、家に帰ってきた。そのおじさんは私と妹にとても優しくて、おじちゃんおじちゃんと慕っていた。おじちゃんに絵を見せたら、俺のことも描いてくれと言うので描いてあげた。

そういえば、お父さんはどうしてうちにはいないのか、ふと考えることもあった。でもなぜか、聞いちゃいけない気がして私はずっと黙っていた。お母さんを怒らせると怖いから。おじちゃんが優しいし、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの弟のおじさんも優しい。だから別にお父さんがいなくても大丈夫だった。ここまでは本当にそうだった。

ある時急におじちゃんが言った。おじちゃんはおじちゃんじゃなくなるよ、増田のパパになるんだよ、と。私は、パパはおじちゃんじゃないよ?と言った。即座にお母さんに叩かれた。妹は言われた通りにすぐパパと呼んでいて、私はそれが今でも悔しかったのを覚えている。パパはおじちゃんじゃないのに、どうしてパパと呼ばなくてはいけないのか、私には理解できなかったのだ。

でも、叩かれたときに悪いことをしたのだと思った。パパと呼ばれなかったおじちゃんは悲しそうな顔をしていた。私は悪人だ、としくしく泣いたけど、誰も慰めてくれなかった。

そして、結婚式。否応がなしに見せ付けられたセレモニーと、いつの間にかお花渡し要因にされた。親の結婚式を見た、ということがおかしいと気付くのはもう少し後なのだけど、どうやら私はこの日を境にパパではない人をパパだと受け入れないといけないことに気づいて、また泣いた。母親には、縁起のいい日に泣かないでと言われた。また私は悪いことをしてしまった。

新居には、優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいた。お母さんはパートを続けるからと、私は早速お手伝い要員になった。大方の料理はここで仕込まれ、夕飯の準備はなんでもできるようになった。お母さんは気が向くとパフェを作ってくれて、それが私の密やかな幸せだった。

このころから、「パパ」のスキンシップが激しくなってきた。起こしにいくと、一緒に寝ようと言われ、おとなしくしてると身体を弄られはぁはぁいっている。怖くてお母さんに相談したけれど、子供相手に変な気起こすわけないでしょ、大袈裟だと言われた。本当のことなのに誰も信じてくれないから、起こすのを拒否したら、反抗的子供で可愛くないと言い捨てられた。また私は悪いことをしてしまったのだ。

私が今でも母親を許せない出来事その1が、小学校2年生の宿題。どこにでもよくある「名前の由来」を聞いてこいと言うものだった。

ゲームをしている母親に、私の名前はなんで○●なの?と聞いた。すると、ため息を一つついた後、母親はこう言った。

「そもそも、お前のことは最初堕ろすつもりだったんだよね。」

そこから始まった彼女告白は、どうやら私は誰の子かもわからないらしいこと、当時付き合っていた彼氏はいたけど、他の男性とも関係を持っていたらしいこと、実際5ヵ月目くらいに流産してラッキー!と思ったものの、私は流れず残ったこと、当時の彼氏結婚するからこんなに頑張って残った子は産んでくれと懇願したこと、しぶしぶ了承するも、私を産むときに生死の境をさ迷ったらしいこと、二番目の妹はお腹の中でもおとなしく、安産だったらしいこと、どうやら私をめぐる喧嘩が原因で離婚したらしいこと、ここまでを一気に話した上で、だから私はあなたの由来は詳しく知らないよ、相手が考えてくれたんだもん。と言われた。

そっかぁ、と言って部屋を出た後、私はわりと冷静で、だからうちにはパパがいなかったのか、離婚たから。とか、私は望まれて生まれたわけじゃないから当たりが今まできつかったのか、と納得するしかなかった。作文は、私の名前漢字私自身で調べて、それらしい理由を描いた。そして私は、あまり家で遊ばなくなった 友達の家か、学校に残ってずっと漫画を描いていた。絵も話も、同年代の子供たち以上に上手にかけたから、私の漫画は知らない上級生にまで広がり、続きが読みたい!とせがまれる程だった。おじいちゃんの教育のおかげか、学校勉強も聞いてるだけで問題なく解けたから、学校は楽しかった。

そのころ、母が妊娠し、男の子を産んだ。その途端、おばあちゃんは私のことはどうでもよくなったみたいで、毎日弟にべったりになった。お母さんは私に弟のオムツ飲み物を作ることを要求してた。よく寝てた記憶だ。学校テストで100点をとっても、小学校で躓いてたら話にならんと誰にも誉めてもらえなかった。お父さんは相変わらず隙があれば触ってくる。私は気持ち悪かった。

私は中学生になるとき母親に念押しされたことがある。頼むから大きくなってくれるなと。制服代は馬鹿にならない。そして制服を使い回せる某進学校に行ってくれと。私は、家が貧乏なら仕方ないかな、と思った。部活ユニフォーム以外お金のかからない陸上部に入った。その間、家には大型テレビが入り、衛星放送が入り、大きなダブルベッドが母親のために注文されていたが、見てみぬフリをしていた。

母親との嫌な思い出その2。学校喫煙の害についてのシンポジウムが開かれ、おうちの人に喫煙者がいたら、ぜひ止めるように言ってくださいと言われた。私の母は喫煙者だったので、学校で見てきたことを話した。結論、キレられた。なんで私の稼いだ給料で買ったものをお前に余計な口出しをされるんだ、そもそもお前が産まれなかったらこんな田舎暮らしてることもないんだからなと。多分世間の狭い田舎での生活に、心身ともに参っていたのだと思うけど、傷ついた。もうそれ以来喫煙についてはふれないでおこうと思った。

このころ辺りから母親お菓子報酬に、子供マッサージを毎晩要求するようになった。私は高校にあがるまでその要求を呑んでいた。(何せ、親の部屋はアニメチャンネルが見れたから)そのおかげで私はマッサージ技術が拡大に上がった。母親は2時間くらい全身のマッサージをさせた後、100円のポテトチップをくれた。だがこれも、最初マッサージの対価=お菓子だったのが、お菓子が欲しかったらマッサージしろというものに変わっていき、私はさすがについていけなくなった。

高校は母の望んだ進学校に進んだ。ここで私は同人を始め、世界が変わるような体験をする。自分の描いた絵は誉められ、漫画も値段をつけたのが売れた。私は家に寄りつかなくなった。帰る時間も極力遅くし、可能なら母親実家に泊まった。家に帰ると私はイチからごはんを作らなければならなくなったが、母親実家料理を用意してくれ、お小遣いもくれた。(実家一円もくれてなかったので親にも学校にも内緒バイトもしていた。)学校の成績も上々で、でも頼むから就職してくれと言われていた。進学校なのに。そのころ妹はお金のかかる部活に入れてもらい、練習道具も全部揃えてもらっていた。弟は頭の出来が悪いから、私が家庭教師変わりだった。もちろん、無休。

このころから休日の昼食は私任せになり、母親夜ご飯ほとんど作らなくなった。妹や弟は料理ができないので、私が全部作った。

私は就職なんてしようと思ってなかった。何が何でもこんな家は出てってやると思っていた。そんな時、母親病気になった。ガンだ。

私はそれでも構わず家を出て、自分の夢のためにとにかく稼いだ。悔しかった。ノート一冊買うのですら渋られたのが悔しくて、ずっとずっと収入がある仕事と、自己実現のできる世界で生きた。途中途中で連絡はあっても、すべて無視した。

ただ、母親死ぬ1ヶ月前だけは毎日のように病院に通った。妹に頼まれたかである。妹は、献身的母親看護をし、ずっと実家暮らしで働いてないのに、よっぽど私より評価は高かった。

はいつかみたいに2時間マッサージをした。どうやら、母親は私のマッサージお気に入りだったようで、弟や妹じゃぜんぜんダメから私を呼んだようなことをかすかすの声で言っていた。たぶん、初めて私があの人に求められた瞬間だったのかもしれない、今思うと。

ほどなくして、母親は亡くなった。まだ40代、かわいそうだと思った。私がいなければ、この人の人生は輝かしいものだったはずで、こんな病気にもならずに済んだかもしれない。そんな思いで死に化粧と、お父さんと子供たちのスピーチを全部用意した。何故って、お父さんが、お前くらいしかそんなことできる子いないんだよ、って言うから

ふと思う。私はここまでされて、なぜ母親が嫌いじゃないんだろう。

しろ大好きで、出来ればもっと長生きしてほしかった。

人に言うと、よくぐれなかったね?と言われるけれど、ぐれたところで何も変わるわけなかった。だって、興味を持ってくれなかったんだもん。私という人間に。

私は生き方がまともじゃないとよく言われます

自分性格関係してると思うけど、じゃあここまで話して、私の人生あなた人生取り替えっこしてみようか?と言って首を縦に振った人間は一人もいません。

それが全てです。

でも、母親の作ったパフェの味だけは、今でも鮮明に思い出します。甘くて、幸せな味でした。

2016-06-22

私が今まで受けてきたものライト虐待だったのだろうか。

アラサー世代女性で、小さい頃から父親から叱られる=父親から叩かれたり、頬をつねられたり、つまりは痛い目にあうことがデフォルトだった、という方はどれくらいいるのだろう。

叱られるのにはきちんと理由があって、自分でも「ああ、これが悪くて叱られているのだな」と思えるのだけれど、とにかく痛いし怖い。そして「お前はこういうことして叩かれているのだ、わかるなバカ者!」というような言葉サービスで付いてくる。すぐに思い出せる幼少期の記憶だと、リビングに貼られた九九表の前に私が立ち、泣きながら8の段を言っていて、間違えるたびに大声で「違う!!!!」と怒鳴られ、叩かれる情景が浮かぶ。思い出していて気付いたけれど、昔の父親記憶で怒られたこと以外の記憶ほとんどない。お風呂冗談で突き落とされて泣いたことを急に思い出したけどそれは今回あまり関係ないのでこれ以上思い出すのはやめようと思う。

私が叱られる原因の8割から9割は勉強のことだった。父親勉強至上主義で、「この世の中で勉強が1番楽しい」が信条だった。そしてそれを娘の私に身をもって体験させてくれた。お陰で私は幼少から東京に住み、一人っ子長女としてすくすく育ち、訳も分からないまま中学受験の為の塾に通い、やっとのことで第2志望の私立合格(補欠)、進学校を謳っている学校大学受験に向けてまた勉強、やっとのことで大学合格(滑り止め)した。

特に父親語学に厳しく、中学に進学してから私に徹底して英語を教え込んだ。

その頃は彼が単身赴任だったため、私としても気が楽だったが、中1最初英語の小テストが悪かった私に電話越しで大激怒。以来ほぼ週末ごとに帰ってきては何時間も何時間も私「と」勉強、私も夏休み連休の時には彼の元へ赴き、何もない暖かな田舎街でいつ飛んでくるか分からない鉄拳リモコンに怯えながら英語勉強をしていた。

叱られて叩かれるのが嫌なら自分勉強をして成績をあげれば何も言われないのでは、と思う方がたくさんいると思う。私もきっと昔はそう思っていた。自分なりに勉強したつもりで彼に備えていた。でも、私の一生懸命と彼の一生懸命が違えばまたそれで叱られることになるのだ。父親の彼が正しいと思う「ものさし」は鉄のように硬くて、私のような非力な子どもには曲げることができなかった。

そうなると、どうせ何やっても叱られるんだから何もしないでその場限りで痛い目にあってしのごう、という考えにシフトしていく。そうすると、どんどん「叱られている」という感覚が鈍くなっていく。「またいつものやつだから耐えよう」というある種のルーティンだった。反抗するなんて考えたことも無かった。それは「おとなしくしていればいつか終わるし、反抗なんかしたら絶対殺される」と思っていたからだ。寝ている間に殺されたらどうしようと眠れない夜を過ごした時もあった。反抗はしなかったけれど、殺られる前に殺ろう、とは思った。けれど、犯行がばれて自分人生を棒に振るのがもったいなくて実行はできなかった。母に迷惑もかかる。

そういえば母は私をこっそり助けてくれたけど叩かれている私をかばうことはしなかった。母も父親には逆らうことができなかったからだ。私も母が痛い思いをするのは嫌だったので何で助けてくれないんだろうという気持ちよりは母にとばっちりがいくことの方が心配だった。

いろいろ思い出しながら書いていたので長くなってしまったけれど、結局私はやっと終わると思っていた父親との勉強暴力コンビが終わらなかったことに耐えかねて(大学の授業には必修で語学がある為)、初めて反抗期を迎え、やる気を失い、いろいろあって今現在アラサーニートである

ここまで娘がおかしくなってしまったので(父親プランでは娘の私は大学を4年で卒業し、そこそこ名前の知られた企業就職して、今頃は結婚して子どもがいる予定だった為)最近では暴力を振るったことに対する謝罪も聞くことができるようになったが、あくまでも彼の暴力教育の一環、延長であり、虐待とは違う、という思いであるらしい。あと、教育以外のことにはほとんど口出ししてこなかったではないか、とも。確かに交友関係などには口出しされた覚えはないけれど、でもマンガ捨てろとか、スカートが短すぎるとか、化粧濃いとか髪の毛染めるなとか、言われてたぞ。勉強関係ないことをやりすぎとか、思い出してみると結構言われている。


周りに私のような体験をした人がいないので、とても気になって今回色々と書いてみた。こうやって育てられたけれどもきちんと優秀な成績を修めて大学卒業して就職して今幸せ、という人にはどうやって親を克服したのかぜひ教えて欲しい。

それから条件付きとは言え子どもに手を上げてしまうような教育をしている方は即刻やめてほしい。状況とか回数とかそういう問題ではないから。少なくとも私にはそうだった。頭を殴られた痛みはしばらく続くし、またそういうことをされると思うと萎縮してしまう。放たれた暴言はわんわんと脳みそに響きわたり、ふとした瞬間に思い出されて苦しい。多分教育効果もない。上にも書いたけれど、自分行為反省するきっかけにはならなくて、暴力暴言に耐える修行みたいになってくる。

あとお子さんが私のように大人になってから爆発すると、親子関係がとてもギスギスする。お互いの距離感が掴めなくなるからだ。距離は縮まることはほぼないと思う。

タイトルには、虐待だったのだろうか?というタイトルをつけたけれど、これが虐待だろうがそうでなかろうが、今となってはどうでもいい。痛みに耐えるだけの思春期はもう遥か昔のことになってしまって、取り戻せない。ただ自分が考えているより今までがしんどかったので今回文章にまとめてみた。お前よりもっとしんどくて苦しい人はいると言われたって私の辛さは私だけのものだと思っている。長くなってすみません

http://anond.hatelabo.jp/20160622164409

前科っていうのは一生ついて回るんや。

まっとうな会社就職できてもな、前科があることを会社に密告する奴がおるんや。

それで社内での信用を失って、自己都合退職ってことで辞めざるを得なくなるの。

趣味仕事をするのは悪いことなのか

もう30半ばだが、大学研究員やりながら、塾講師やってる

年収は200万程度で休日は週一

毎日忙しいが楽しくやってる

これを人に言うと、

なんか呆れたような、何考えてんのこいつみたいな、嫌な顔をされる

楽しんで仕事したらダメなんかな

まあ、どっちも非常勤バイトだし、常勤とか正社員じゃないってのもあるかもな

いい年して遊んでんじゃねー!働けよwwwって意味なのかもしれない

なんか、周りが変に気を遣ってるっていうか、久しぶりにあった知り合いにも

まず「今どこで働いてるの?」じゃなくて「今働いてるの?」って聞かれる

俺はニートと思われているのか

まあ、何やってるかは分からんわな

研究員なんて何する仕事かよく分からんことして、研究内容を簡単説明しても、「ふ~ん。なんか難しそうだね」で終わる

よくわからん研究して、なんでか分からんが塾でバイト、いい年して…

って思われてるんだろうな

家族や親せきなんかは、何もしてないよりマシ、こいつには言っても分からんと思われてる

から、嫁はまだかなんて聞かれたことはない。弟はしょっちゅう聞かれてるけど、俺には聞かない

ただ、研究も塾もどっちも楽しいんだよ。研究で業績あげたら、海外ラボで働きたいし、そのまま海外就職国際結婚も夢見てるんだ

塾講師は教えるのが楽しい。授業の予習をすると勉強にもなる。結構英語力が上がったし、理系科目の基礎も思い出せた

この2つは、お金のためもあるが、俺の留学海外就職国際結婚のために必要ものでもあるのだ

ただ、楽しいだけの趣味じゃないんだ

それを言ってしまったら今度は、いい年して夢見がちの変なやつ、または、俺らとはなんか違うなあ、とか思われて

村八分にされてしまう。周囲の人間生き方価値観も全く違うから

俺はやりたいことやって、一応目標もあるし、頑張ってやってるんだ

周りの連中に白い目で見られるようなやましいことはやってない

俺の人生なんだから、人様に迷惑かけなければ、どう生きようと俺の勝手だろう

なんで俺が村八分にされるんだよ

仕方ないから、周囲の反応なんて無視して、勝手にやりたいことをやっている



まあ、かなり話がそれたけど、趣味仕事をしてるのって、世間的に受け入れがたいのかなあ。一応、目標もあるんだけど

楽しい?アホか!真面目にやれ!って考えの人が多いのかな

2016-06-21

就職仕事の違いが分からなかった

就職・・・仕事に就く、その過程情報収集

仕事・・・職務内容や仕事の悩み等




日本語って難しいなあ

保育士資格からピアノを抜くだけでも増えそう

ピアノと歌を無くして全部CDにする。

これだけで受かる人増えそう。

もっとどこも就職無さそうな女子が受かるようにした方が良い。

そうすれば短大20歳就職23~25歳で結婚引退で困らない。

とにかく保育士資格の拡大をすべきだと思うわ。



http://anond.hatelabo.jp/20160621191205

就職する理由

んなもん金が要るからに決まってんだろうが。

非正規雇用給料じゃ奨学金返せないし親の介護も出来ねーよ。

大卒のほうが求人いか大学行くんだろうが。

家族を飢えから守るために働くんだよ。

一人っ子から私が就職しなきゃ稼ぐ人いないんだよ馬鹿野郎

から私を雇ってくれ。

ただし親が躁鬱病持ちで世話しなきゃならんから夜の仕事と転居を伴う転勤はなしで。

http://anond.hatelabo.jp/20160621010908

就職氷河期就職に失敗→バイトで働く→10年後バイトでは健康診断が無く気が付かなかったが進行性ガンになっており余命2週間

こんな感じ?

2016-06-20

新卒以外で地元を離れるのはやっぱりしんどいのか

たまたま俺の周りにそういう人が多いのだけかもしれんが、新卒以外で地元を離れた友人が鬱になって戻ってくる率がヤバい

1人目は転勤で地方に飛ばされて、しばらくしてから鬱になり、会社と掛け合ってどうにか地元の支社に戻してもらい、その後回復

2人目は転職で、地元就職先が見つからなかったからと、東京へ行ったものの、しばらくしてから鬱になり、会社を辞めて地元へ帰ってきた。

そして3人目。今はまだ大丈夫だと思うけど、ツイッターをみたり、たまに連絡を取ってみたりする限りじゃ、明らかにやばそう。何せもう2人も鬱になった友人を見てきたんだし、なんとなく兆候がわかる。

新卒とか進学とかで同年代が一斉に地元を離れる場合だと、周りも同じ状況だから、友人も出来やすそうだけど、転勤なんかだとそういうわけにはいかないから、愚痴を吐ける人も休日に遊びに行くもいないから、タダでさえなれない環境でやっぱり精神的に参ってしまうってことなんだろうか。なにせ友人は、休日はやることがないからボーっとレンタルしたDVDを見てるだけと言ってたからなあ。

ともかく、今はその3人目の友人のことが非常に心配です。