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2017-03-19

”出るだの前説

2 件 (0.48 秒)

2017-03-09

司法書士アベノミクスを感じた話

先日司法書士から情報提供された文書に次の資料が添付されていた。

http://www.invest-japan.go.jp/promotion/immediate_report_jp.pdf

アベノミクスの取組の中で対日直接投資を推進するべく規制行政手続見直しについて議論がなされたことの報告書である日本海外から投資してもらうにあたって障壁となる規制行政手続きが非常に具体的に列挙されている。

この10ページある資料のうち最初の4ページが司法書士業務に関連した内容なのだが、読んでいてつい笑ってしまった。

3ページ目

(5)割サイン手続

定款認証等の際、その作成真正担保するため、実務上、割印を求めているが、 申請者が外国企業等の場合、割印の代替手段として、法人代表者等に割サインを求め ている。割サインは、外国にはない習慣であり、代表者等に対する事前説明、外国と の書類の郵送のやりとり等、実務的には多大な手間や日数がかかっている。

要するに、会社設立登記をする際の添付書類なんかが複数枚に渡る場合には各ページに割印、もしくは製本テープ袋とじして製本テープに掛かるように割印をする必要があるのだが、印鑑を押す習慣の無い外国人がそういった書類作成する場合には、割印の代わりに「割サイン」なるものが求められるのである

企業法務部なのか弁護士事務所なのか司法書士事務所なのか分からないが、そういった人達外国の人に「2枚の紙に渡るようにサインをしてください」とメール電話でなんとか説明し、しかし送られてきた書類は間違っている。再度説明して送ってもらう。また間違っている、なんて苦労があるのだろうと思うと気の毒だが笑ってしまった。(自分外国人の依頼を受けることはほとんどないので想像ですが。河野太郎さんがブログで紹介していた学者さんの意見の中に、海外から招待した研究者日本煩雑手続き迷惑をかけるのが辛い、みたいな話があったと思いますがあれに似てると思いました)

しかしそんな苦労もこの会議のお陰で今年度中に解消する予定らしい。よいことです。アベノミクスって色々ちゃんとやってるんだな、と感じた話でした。

2017-02-14

111医師国家試験受けてきた

以下感想

試験の内容について

 必修ブロック以外はそこまで難化していないと思う。一部?と思う問題があったもののヒントがあるし、使い回しの問題はあからさまに簡単問題がチョイスされていたので

「ここは悩ませる問題でこの問題は確実に点とってほしい問題」というのがハッキリしていたと思う。

現場的な問題は増えたと思うし、疾患がわかっても、患者状態評価できないと解けない問題結構あった。ここらへんをmedu4の某先生は良問だと評価しているのだと思う。

ただネットを見ると出題内容がおかしいという意見結構。確かに変なこと聞くなあという問題散見されたし全体を通して良い国試だったとは個人的には思えなかった。

 必修は明らかに難化。とはいえ、臨床問題文章題)については一日目の難易度に会場がざわついたものの二日目・三日目と徐々に簡単になっていったので

多くの受験者は三日間を平均すると8割に乗ったと思う。逆に一般問題(知識問題)は3日通して難化していたと思う。難化もそうだが何でこういうの出題するの?っていうのが多かった。

まずMLF症候群とか脊椎靭帯に関する解剖の問題が「必修」というのはおかしいと思うし、胃管に関する理念問題はまあ良いとしても学生が実習で経験できない動脈穿刺の手技の問題出すのはどうかと。

必修といえど簡単すぎるのもどうかと思ったのか知らないけど、難易度以前に必修らしい問題がどういうものかをもう少し考えて出題してほしい。

選択肢もなんか微妙感じのが多くて掲示板でも割れまくってるような問題を必修にするのはやっぱりおかしいと思う。

まあ多分出題者も一般は配点低いからっていう理由意図的に難しくしたのかな、とは思った。自分一般75%臨床85%みたいな感じなので出題者の思惑通りの点のとり方したのかな。

試験の結果について

 まだお偉いさんが正式な回答を発表してるところがmedu4しかない(しそこも重いから見れない)けど、まぁ合格基準にはなんとか乗っていると思う。

少なくとも一般と臨床は7割くらいは取れてるし流石に落ちないと信じたい。

ただ、必修が今年からいきなり臨床と一般で各々、基準もうけるとかされたら落ちる可能性ある。必修だって掲示板意見割れてる上に正式解答がハッキリしてないしね…

・実際の試験場の感じについて

殆どの人が大学単位専属バスにのって、大学単位で注文してたお弁当食べてた。

自分自力で会場行ったし、コンビニ食事してたけど周り見る限り立地が悪い会場だったので少なくとも移動バス大学単位のを利用した方がいいと思った。

あたりを見回すと自大学の弁当は揚げ物ばっかりの胃に貯まるヤツで後輩のメッセージも「勝利」とだけ書かれたそっけないものだったけど

他の大学のはバランスが良くてお腹に優しい弁当の箱にムーミンとかのイラストが直筆で書かれてて後輩のホスピタリティ格差を感じられて面白かった。

会場内はいくつかの大学学生が入り混じってるけど結構な人が立ち食いor椅子を持っていってまで知り合いと食事をしようとしてるのが少し気持ち悪かった。

自分は一切かかわらなかったが会場の外で(受験者以外会場内立入禁止なため)栄養ドリンクチョコを持って待機してる後輩が散見された。

後輩自信に何のメリットがあるかわからないがあれは見てるだけで可愛いし癒された。

ただ、一つだけ言わせてもらうと仮にも医学部なんだから会場の近くでタバコ吸うのはやめたほうが良いと思う。

・実際に試験受けてみて感じたもの

 試験開始前の空き時間が非常にダルい試験管理者の方がかならず20分近い事前説明をするから時間試験でもトータル1時間30分の作業になる。余りキリキリしてると精神がすり減る。

あと試験管理者に間違いなく当たりハズレがある。荷物の置き場所とかに細かい人とおおらかな人が居るのはまあ良いとしても、

何故か必ず問題冊子を画像冊子の下にのせて配る試験管がいて、自分の周りだけ試験開始までに試験の注意事項の1ページ目が読めないって状況が三日間ずっと続いた。

たった1ページの、何回も読み飽きた情報はいえ、こういうのは不公平になるからやめてほしい。

それと、マークシートも縦長型と横長型が三日間ずっとどちらかで固定されるからこれも人によっては影響あると思った。自分は縦型だったけど模試で横型シートだとマークミス多いタイプから助かった。

 必修うけるときメンタルが凄く大事だと思った。実際八割って結構キツイ問題は一日分で30問あるけど実際は臨床問題の配点が三倍もあるから

一日30題中の臨床問題15問で3ミスに抑えないといけないってことになる。今回みたいに問題が難しいと2つに絞れるけど最後が絞れないみたいな問題が一日に5問とか普通にあったりする。結構どぎまぎする。

 当日に掲示板をみて答えを確認するかについては意見があるけど自分絶対にやったほうが良いと思ってる。少なくとも必修はすべき。

メンタル弱い人はだめかもしれないけど、自分がどれくらいできてないのか、周りとどう考え方違うかはチェックしておいたほうが良い。

必修の難問は採点対象外になることがあるけど、問題が変でも皆がなんとなくあってるところは削除されないこともあるし、自分の間違え方・当たりが他の大多数と一致してるかは絶対確認すべき。

自分は一日目に考え方が違うのがわかって二日目から矯正してなんとか八割のれたと思ってる。

あと意外と同じような出題が多かったか掲示板で復習できるとちょっとお得。梅毒とか何回だすのって感じのも多いし、必修もやたら循環器・公衆衛生(臨床研究周り)・注射あたりの出題被りが多かった

・これから国家試験対策(もし落ちた時の自分来年のためにも)

 必修対策絶対必要になったと思う。テコムとかmedu4とか多くの塾会社が口をそろえて

「必修で8割いかない人はそもそも一般・臨床で点が足りない。だから一般・臨床で合格ライン乗る勉強すれば必ず必修も合格してる」

みたいなこと言うけど今回の内容見るにこれからはそういうの通用しないと思う。

どうせ今回も難しい問題が除外問題になって調整されるんだろうけど(願望込み)、実際どれが除外になるかなんて偉い人の考え方一つだし、そんなの試験中の安心材料になんて全くならない。

それに、必修の内容が明らかに実践向けになってるから一般・臨床向けの勉強だけじゃ通用しなくなってきてる。

「この病気のこの治療法はどの段階で有効でどんな人にだめなのか」を徹底的に覚えないといけない。とくに心筋梗塞とか脳梗塞とかの有名な救急疾患は絶対覚えないとだめ。

あと、手技的な出題が物凄い増えてるからこれも対策必須動脈穿刺とか胃管挿入とかCSF採取とか皮内注射とか学生経験させちゃいけないことでも平然とその手技の仕方が出題されてる。

手技の本で勉強することはこれからの国試考えると必須になると思う。

・塾講座について

 すくなくとも国試直前講座についてはMECが結構的中していた。当日予想メール?もかなり当たっていたらしい。直前講座とかはMECに依存したほうが良いと思う。

通年講座はtecomとMECがあるけど個人的にはMECの方が良いのかなと思った。テコム病態学習には凄くいいんだけど、ノート取るのめんどくさいし今となってはmedu4の方が良いように思う

(tecomは大学単位で申し込むせいで五年にならないと動画見れないのもかなり痛い。)

あと年末から開催されるまとめ講座みたいなのはコムのtargetとメックのsummarizeがあるけど、テコム過去問の寄せ集めだから最新の話題仕入れたいならsummarizeのほうが良い。

全体を通して、これから現場的な考えを教えてくれるMECが通年講座でも良いように感じた。

 一方で模試はテコムのほうがオリジナル問題多いし、結構予想が当たっていたので模試はテコムオススメする。

 公衆衛生自分はテコムでやってある程度出来るようになったけど評判悪いみたいなので一般的にはMEC+αで公衆衛生といった所だろうか

大学を通した勉強について

ぶっちゃけ基礎は殆ど訳に立たないと思う。強いて言えば病理と薬理、解剖当たりの考えが身についてる人だと4年から勉強が楽になるのは間違いないけど。

周り見ても卒試国試に強いやつの中には一年から成績良かったやつもいるけど六年から勉強がんばり始めた人も沢山いるし。前半学年は、ゲームなり部活なり恋愛なり好きにすればいいと思う。

四年生の時の動画講座は何故かCBT用の内容絞ったやつがあるけどアレは全く意味いからやらないほうが良いと思う。CBTはquestion bankやれば動画なんて全く要らない。

でも四年生とき時間が沢山あるからこの時に自分お金はらってmedu4の臓器別講座を授業で並行してやればいいと思う。授業では国試に向けて話すのにCBT部分だけ勉強するとか無駄すぎる。

大学の講座はどうせ授業中のプリントなんか捨てるんだから、medu4の国試用の臓器別講座のプリントレビューブック当たりを持ち込んで授業でなるほどと思ったことを書き込めばいい。

よく塾会社の最新の話題当たって凄い~みたいな話あるけど、ぶっちゃけ四年生の授業で最近~ってのがありますって先生が言ってた所とほぼおなじだった。みんな大学の授業聞いてないんだなと思った。

国試の勉強でイヤーノート個人的はいらないと思う。高いし分厚すぎて持ち歩けない。中古レビューブック買って過去問動画講座みて学んだことを書き込むだけで十分合格点くらいは取れると思う。

ただ、レビューブックだけだと手技系とか各課検査の基礎値とか心電図とかそういうのが弱いからそこだけは自分ノート作ったほうが良いかな。

六年のときは皆切羽詰まって勉強してるけど、受かるだけだったらそんなに勉強しなくて良いかも。結局1月から頑張れば就活卒試の勉強しっかりしてる人は大抵受かる。

人によるけど卒業試験終わってから10月末~12月前半は遊んで良いと思う。この時期凄く安いし早めに卒業旅行でも良いと思ってる。



 

2017-01-30

中学受験をする予定の娘の親の日記 入塾の事前説明会

1 ざっくり言うと

(1)中学受験視野とするため、今年の4月から小4になる長女を入塾させることにした。

(2)入会金を払い、父親である私が1月に行われた事前説明会に参加した。

(3)いざ説明会を聞くと、これから学習がかなり大変に感じられ、

  漠然とした中学受験イメージが、リアリティを伴った不安感に変わった。

2 塾選び

  とある全国チェーン展開をしている塾の入塾テストを受けて、娘は合格をしていた。

  家族会議の結果、新小4から入塾させることになった。

  この塾を選んだ理由は、以下のとおりである

 ・中堅クラスの進学実績は悪くない

  あんまり地頭の良い子ではないため、桜蔭女子学院等のような高望みはせず、

 中堅クラス中学を目指すことができれば御の字であると考えた。

  また、あんまり高望みをして、レベルの高い塾に行くと、周りの秀才に気圧されて

 くたびれてしまい、良い結果を生まないことが考えられた。

 (私の娘は負けず嫌いである。ただし、勉強はできる方ではない。)

  そこで、サピックスのような進学実績トップクラスの塾ではなく、

 あえて中堅の進学塾である、この塾に入れてみることにした。

 ・結構近い

  徒歩で5〜6分で行ける。

  小学4年生とは言え、塾がおわって家に帰り着く時刻は

 夜8時近くになるので、できるだけ近い方がいい。

  他にもっと近い塾はあったが、進学実績がイマイチだったのでこの塾にした。

 ・小学4年からやらないと間に合わない

  中学受験特殊であることは前から知っていたが、その範囲も膨大である

  例えば社会一つをとっても

 塾では小4で地理、小5で歴史、小6で公民を教わることになる。

  塾を途中から始めるとなると、自力地理歴史勉強しなければならない。

  

3 入塾説明会

 ・ほとんどお母さんが参加していた。夫婦で参加している人もいたが、父親は2〜3割くらいであった。

 ・先生が、1時間まるまる喋りまくりであった。逆に言うと、それだけ情報量が多い説明会であった。

 ・山のようなテキストを見て、「うわぁ、娘のテキスト多すぎっ・・・!」と思った。

 ・3月には合格実績発表会等が予定されており、ほぼ毎月何かしらの保護者向けのイベントがあるようであった。

4 所 見

 ・この教室には、基本クラスと応用クラスの2クラスがある。

  娘の入塾テストの際は、基本クラスという案内を受けていたのに

 びっくりしたことに、応用クラスになっていた。内心は嬉しかった。娘も喜んでいた。

  が、入塾テスト国語60算数48という偏差値であり、いか算数を向上させるか、

 今後クラス落ちさせないかポイントになると思った。

 ・テキストがめちゃくちゃ多い。しかも難しい。

  娘は勉強をする習慣があまりついていない。そこそこの量をパパッとやって

 すぐにゲーム漫画に移ってしまう。

  今までの娘の進研ゼミに対する姿勢なんかを見ても、放置していれば、

 おそらく絶対にやらないだろうから、かなり親が関与する必要があると思った。

  塾の先生も言っていたが、勉強する習慣とサイクルを半年から1年かけて醸成

 する必要があり、これが最初の一番の山場なんだろうと思った。

2016-12-24

これって普通なのか?

先日いきなり事前説明もなく部署変更、というか業務内容の変更が言い渡された。

曰く「人が足らなくなったか経験者が欲しい」らしい。


経験者といっても10年近く前に1年ほどやってた程度の経験なのでものの役にも立たない。

そしてチューターも付けられず、研修もなしで、いきなりぶっつけ本番で仕事させられる。

やり方も分からないしマニュアルもないし、あったとしても昔のすぎて実情に即してない。

人に聞くしかないんだけど、誰に聞けば分かるのかも手探りで、メール電話しまくって何とか聞き取り自学自習で頑張るしかない。

管理職は「できた?」としか聞かない。

いや、やり方教えてくれよ、むしろやり方知ってる人を付けてくれよと言っても「みんな忙しいから」とスルー


そんなこんなで残業を繰り返してもう年末

この会社残業代も出るとはいえ割りとブラックなのではないかと思い始めている。

2016-12-07

いかにして忘年会の準備を2日で終わらせたか

日時と人数、場所は決まっていて予約も問題なかった。

決まっていなかったのは催し物だ。

今年はどうするのだろうと思っていたら、まさか誰も何も用意していなかったことが直前の会議で露呈した。

そこで突然社長から名指しで私に担当者指名があった。

一番断れないだろうと私を選んだのだろう。当然異を唱えるものは一人もいなかった。なんてことだこのくそったれが。



社長からの条件は次の通り。

・賞品つきゲームを考えて欲しい

ポジティブな内容で終始できるゲームで、参加を強制するわけでもないがそれでいて希望者が偏りすぎないようにして欲しい。

・賞品の予算は5万円。3千円から1万円の範囲で10パターン用意して欲しい。

・はっきりとはいわないけど、当然僕が主役になれるゲームで頼むよ。

十分に時間があるならまだしも、2日後の夜までに用意するにはハードルが高すぎない?



我が社は社員数が30人程度の中小企業だ。

社員全員が顔見知りであるし、当然派閥もある。

ここ数年でやっと女性社員も定着し始めたが、お茶汲み文化的な考えが根強く残り男女の機会均等にはまだ程遠い状態だ。

席順も決めずに始めれば派閥の通りに着席して、散り散りになった女子はお酌を強制されてしまうのが目に見えている。

自分にしてみればそんな世界を勝ち抜いてきたからこそ今があるのだが、後輩たちにそれを求めるのも酷というものだ。

いずれにしても私が担当する以上、結果に不満を漏らさえるのは嫌だ。

公平でいて、それでいて彼女たちが存分に楽しめる状況をつくってやろうではないか



まずは席順を考えたのだが、思い切って女子会席を作ってしまうことにした。

会場はレストランを貸し切りにしたもので、6人席が5つ用意されていた。

その内ひとつ女子だけで占領して、男性は残りの席に抽選で座ってもらうことにした。

男性抽選公平性を出すために、予め席にトランプを重複しないように配置しておいて、入口でもう一組用意した同じカードシャッフルして引いてもらった。

引いたカードと同じ席に座ればよいので、上座下座関係なく誰から見ても公平だ。

(ちなみにこうしてカードを引いていく場合引く順番による違いはない。わからない人は確率勉強をして欲しい。)

更に言うと、そのカードを席次表にも記載しておくことで、同時にファーストドリンクオーダーも聞いてしまうことにした。

店員さんはカードの横に書かれたドリンクカードの席に届けるだけなのでとてもスムーズファーストドリンクを配ることができた。

これはお店の人から大好評だった。



つぎにゲーム内容を考えた結果、くじ引きトーク採用することにした。

棒の先に色を付けたものを数本用意しておいて、引き抜いた色のテーマにそったトークを行うというものだ。

テーブルから1名ずつ志願してもらい、一人が終わったら次のテーブルへと移っていく方法を取った。

賞品が欲しい人はトークに参加しなくてはならないし、かと言ってテーブルを順に回っていくことで連続参加を出来ないようにしてリスクとリターンのバランスを取った。

トークテーマにもネガティブな話が出てこないように気を遣った。

まずは当たりを用意して、今年ラッキーだったことを話しさえすれば無条件で抽選券を得られるようにした。

それ以外は他人を褒める話や、営業での成功体験、自らのふるさと自慢、ハズレに一発ネタなども盛り込んだ。

トーク評価は盛り上がりや最終的には社長がOKと言えばクリアとなり、自らの名前を書いた紙を投票箱に入れる事ができる。

時間いっぱいまでトークを回していき、終わったら投票から一枚ずつ紙を引き抜き、賞品がなくなるまで当選者を選ぶというものだ。

これならば連続トークを行ったとしても段々とハードルが高くなるし、トークに自信がなくても最終的には社長おべっかを使えば抽選にまでは参加できるようになる。

最後抽選というのもできるだけ不公平さをなくすためのポイントだ。

予めルールを書いた紙を各テーブルに配っておくことで、歓談タイム中に大体のルールを把握してもらうことができたのでゲーム自体スムーズに進行することができた。



こうしてゲームの準備はほぼ手元にあるもので全て終わらせることができたのだが、賞品を2日で手元に間に合わせることは流石に難しかった。

なので、ある程度価格と品物を下調べしておいて当日は目録を渡すことにした。

これならば賞品の到着にやきもきする必要はない。

さらに、ある程度予算を予告しておいて、その範囲ほしいものを当日に自ら申告してもらうようにした。

それを社長相談して、問題がなければ賞品として採用することで、さらゲームへの参加欲を刺激したのだ。

あとは賞品と当選者が決まれば、後日時間に余裕を持って本人へと届ければいいだけだ。



結果として、女子会席を作ったのは大成功だった。

司会も私がやることになったのだが、司会の目の前に女子会席を用意したのも手伝って彼女たちが大いに盛り上げてくれたのだ。

当日は前説トークを用意して臨んだのだが、それに対しても大げさなリアクションを次々に繰り出してくれた。

そうして最初空気が作られたので、その後のトーク大会も実に盛り上がった。

前説は、どれくらいまでのボケリアクションが許容されるのかの判断材料になる大切な儀式なのだということを学んだ。



一番大きなポイントは、審判役をノリの良い役員が引き受けてくれたことだった。

ホイッスルを持たせて、ゲスツッコミや程度の悪いガヤに対して警告を行うのが役目だ。

といってもシビアに判定するのではなく、あくまでおふざけの延長のようにそれでいて的確に役割を全うしてくれたおかげで、トークが滞ろうとも悪酔いする人間が騒ぎそうになろうとも空気が悪くなることは一切なかった

男性の席は仲の良い者悪いものランダムで座ることになったが、もともとこうした催しが嫌いなものは黙っていたし、それぞれが譲り合う程度の礼儀は当然持ち合わせていたようだ。

悪意を完全に取り除くことは出来ないが、無毒化することはできたようだ。

それなりに手腕の求められる役割だが、司会では両立できない役割なので今後も必ず配置したいと思った。(と言ってももう一度担当したいとも思わないが。)



最終的には、どんなトークテーマになろうとも社長を褒めちぎる会になった。

抽選権利獲得者が後を絶たず当選率の低さに空気が冷めそうになったが、超上機嫌な社長ポケットマネーで全員に当選できるだけの賞品を用意してくれることになりトークは更に加熱。誰もが笑顔にあふれる忘年会になった。

ただ一人、司会をしていたことで抽選を受けることができなかった私を除いて。

これから自分以外の人間に賞品を発注してから届ける仕事が残っている。なんてことだこのくそったれが。

2016-08-13

ラノベ作家養成専門学校が酷い ~3rd Season

ラノベ作家漫画家ゲームクリエーターなどを養成する専門学校体験入学に参加してきました。

入るつもりは全くないのですけど、後学と言います社会の闇を見たくなって突撃した次第です。

別に自分より程度の低い人たちを見て優越感に浸りたかったわけではありません。

有吉弘行仕事がなかった頃、お年寄りが集まる場所に行って「まだ自分はやれる」と自分鼓舞していたそうですけど、私の人間性はそこまで低くありません。信じてください。



もう三年近く専門学校を襲撃していなかったので、ムラムラしていたのですよ(本音)。

三年前の顛末は『ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Seasonhttp://anond.hatelabo.jp/20130901102804 )』にまとめてあります

この過去エントリー読まなくても本エントリーは楽しく読めるので安心してください



話は横道に逸れないのですが、『〜2nd Season~』をアップした直後からGoogle先生が『ラノベ 専門学校 実態』をサジェストするようになったのはここだけの秘密です。

ちなみに『ラノベ 専門学校』でググると『〜2nd Season~』がトップに表示されます

あと、このエントリーは若干長いです。3行にまとめると……



 ・学生超頭(・∀・)イイ!!

 ・講師陣優秀!

 ・うっしゃああ! ラノベ作家になるぜ!



です。



深淵その一: 公式サイト

事前にサイト情報を集めたのですよ。

まずはラノベ専攻科について。

卒業生の“掲載作品数”が多いと謳われていて、あっ(察し)ってなりましたね。

刊行数ではないのだなぁ。どんな媒体なのかなぁ。

作品掲載されて“デビュー”した人は累計二百人弱。

単行本を出せた卒業生ゼロというわけではないようです。

その証拠に現役ラノベ作家として活躍する卒業生の声が載っていました。一人。

新人賞取ってなかったり、密林レビューが一番多く付いている作品でもたったの8レビューだったり、3巻前後打ち切りになっている作品がやたら多かったりと、香ばしいキャリアを詰まれて、もとい積まれております



次、講師陣。

ハイローミックスですなぁ。

著名クリエーターが数人いる他は無名

ジョージ・バーナード・ショーが「行動できるものは行動する。できないものが師になる」と言い残していますけど、まぁそうだよね。

それとなぜか名誉職なるポストがあって、まぁそこそこネームバリューのある人が収まっています仕事しているの?

作家関係講師ですと、昨年留置場にブチ込まれた方がいらっしゃいます

すっかり名前を聞かなくなったと思っていたら、こんなところで働いていたのですね。くいぶち!

講師ではないんですけど、コスプレして剣を振り回していたイラストレーターさんや絶対に許さな声優さんが以前講演しに来たようです。

過去イベント履歴を見ますと、いわゆる業界関係者が間歇的に小金を稼ぎに来ています低学歴からどんどん搾取していこうな。



次、入試

多いです。

サイトに載っているだけでも二十六回あります

一人の受験者が複数回筆記や面接試験受けるとかじゃなくて、正味入試が二十六回あるんですよ。ふ、ふぇええ……

その上まだサイト掲載されていない入試もあるようで、詳細日程は学校にTELすれば教えてくれるらしいYO!

あと、AO入試は既に九回行われた(過去形)といいます

なんで随時受け付けにしないのでしょうかね? 文科省に怒られるから



次、各種イベントについて。

体験入学学校説明会入試説明会保護者説明会個別相談会、学費相談 etc.

大学オープンキャンパスの比ではなくて、盆なんて関係なしに毎週行われています

さら学校までの無料送迎バス首都圏六県と長野静岡福島から出ていますイベントによって発地は若干変わるよ)。

それと東京にある本校だけでなく、地方への出張説明会もあるようです。商魂、逞しい。



最後留学生

留学生向けのページが過剰に充実しています

たぶんアレがアレしてアレなんでしょうけど、詳述するとPCに触れそうなので、リベラルを自認する私としてはお口にチャックでミッフィーしようと思います。ごめんチャイナ



深淵その二: 体験入学

夏休みで土曜にも関わらず、校舎内にはスタッフばかり。

学科体験入学学校説明会が開催されているのに、来校している見学者は数えるほど。

在校生と思しき若い人も少なかったです。本気でクリエイターになるなら休みも来ましょうよ……

あの手の業界休みなんてあってないようなもんだぞい。



受付を済ませると、『見学者様控室』に通されました。

見学者は私のほかは一人だけ。ガイジっぽい、専門学校ではなくお医者さんに行った方が良い感じの子が一人。

の子イラストレーター養成講座の見学なのに、絵は描けないとか言ってる。人生大丈夫か?

2-1=1だからまりそのひょっとすると私は一人でラノベ講座を受けるのまさかそんなわけ……うっほほ~い!



パソコンが置いてある、謎の部屋に案内されました。

謎というのは、その部屋にあるパソコンホワイトボードも何も使わなかったからです。

部屋にはラノベレーベル編集者自称するオッサンと、作家自称するオッサンがいて、あぁ来たのといった感じで私を迎えてくれました。

編集者所属している出版社名とか言いませんでしたね。専門学校講師やりながら、激務で知られる編集者ってできるの?

自称作家おっさん最後に本を出したのは一年上前。既刊で密林レビューが付いているのは半分くらい。全く知らない人ですね。

この二人、公式サイトの『講師紹介』には名前がなくて、学校側としては内緒にしておきたいご両人なのでしょうか? まさか講師ですらないというミラクルを私としては期待しております(切り込み隊長感)。

前説明では小説を二作、ゲームプロットを一つ書く予定だったんですけど、そんなもの全く書かかない。

私はノートPC持参してきて書く気まんまんだし、二人の発言タイプしてるのに、オッサン二人は椅子にふんぞり返っているだけ。メモくらい取れや。

結局、自称業界人のオッサン二人と雑談しただけで“体験入学”は終わりました。

オッサン二人との会話が有意義だったらまだ救われたんですけど、話の内容も酷い。

自称作家は分からないこと聞かれると「作家は魂が重要なんです」みたいな精神論説いて逃げる。

自称編集者は『電撃にいた三木』も知らない、ユーザーが何に可処分時間を使っているかにも関心がない。

お二方とも物事構造的に見られなくて、アンテナが低くて、社会人としての根本的な能力が疑われます

社会通用する人は学校に出戻って来ないか



深淵その三: 紙の資料

三年前、専門学校体験入学に応募したときは、頼んでもないのにどっさり資料が送りつけられて来たのですよ。

でも、今回はなかったですね……

仕方がないので帰り際に「くれ」って頼んで手に入れました。

あーあーなるほど、はいはい

公式サイトとのすみ分け戦略を採っているようです。

サイトでは学校生活の楽しさをアピール

ガキ、失敬、入学希望者がスマホで見ることを念頭に置いてるんでしょうかね。

一方、紙の資料保護者向けかと思われます

活字びっしりで、内容は学校企業パイプいかに太いか就職実績はどれだけあるかというもの

社会の厳しさを知っている親はお花畑スクールライフ見せられたら不愉快ですし、子ども学校で遊ぶことしか考えていないので、この二方面作戦賢明だと思います



あと、学費

学費、なんと紙の資料しか記載がないのですよ。

サイトには載っていなくて、紙の募集要項に小さく書いてあるだけ。

年額約百五十万円。

専門学校にも関わらず三〜四年制だから、トータルで(卒倒)



専門学校の闇は異常、ちげぇ、以上Death.

むちゃんこ入学したくなってきたでしょ? ほ〜れ(札ビラを燃やして足元を照らす成金)。

2016-08-07

ネタバレシン・ゴジラのフクイチ批判は表面的でしかなく神話解釈による政治批判が正しいと思う

まえがき

シン・ゴジラ作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラ作戦名とかに仕込んだ神話ネタ説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます結論だけかくと、一見くそまらない勧善懲悪みえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです

 

ゴジラヤマタノオロチ神話比較的わかりやすい関連性について

ヤシオリ作戦アマハバキ

まずシン・ゴジラ構造として、わりと愚直なまでにスサノオヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦ヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前はしご車名前であるアマハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています

ということはゴジラヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラ原作では恐竜ミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います

スサノヲ=矢口

そうなると、矢口スサノオなのか。スサノオ神話は基本構造貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋もつものが、本人のか何らかの欠損を理由追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれ存在。結果、メインストリームから外された専門家集団責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク性格主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。

カヨコと牧教授は、ヤマタノオロチ被害をうけた、うけつつあるクシナダヒメとその親アシナズチ。

教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能象徴ゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本出雲に近い広島)の血を引き、過去親族放射能というヤマタノオロチ被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能存在核爆弾被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。

後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらさらこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。

ゴジラに隠された氏族共同体中央集権の争いのメタファー

原始蛇信仰について

まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。

ヤマタノオロチ神話解釈

オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子であるから彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族共同体象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たち祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和支配確立日本という形がつくられるようになりました。

まりヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます

ゴジラヤマタノオロチ神話になぞって解釈すると

今回のゴジラ投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さな中央集権社会体制イメージされているのでしょう。そして日本の力を政府結集して、無秩序純粋な力に打ち勝つ。

あんのさんはどっちの味方?

ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽから草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在共感をし続けているようにしか思えます

今回も怪獣同士が戦う映画だった。

実際日本においては、かつて天皇による中央集権画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています氏族共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。

今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人

やっぱりあんのさんの映画だった。エヴァと同じ構造

そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。

蛇足ですが(蛇だけに)人間使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリス下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。

ゴジラはフクイチのイメージ

ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発イメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますhttp://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいますゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。

おわり

あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとうヤマタノオロチ解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。

まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。



追記

http://anond.hatelabo.jp/20160807101757

読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。

ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族共同体中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?

ちょっと言及されたので、補足してみる。

前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。

今回は地域共同体主義共感している映画だとおもっていて、結果的国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。

地域共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやす全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。

これって全く特別イデオロギーではなく、割と普通ネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタク親和性たかい。そしてあんのさんもそういう思想意識的無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。

無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれ家族的情愛による秩序への回帰共感したいというメッセージかもしれないなと思います

2016-01-25

プレゼン重要前説的トーク

先日、とあるセミナーで司会とスピーカーの両方をやる機会があった。

それで司会をやってみて思ったのは、前説ってすごい大事なんだということだった。

というのは、大人数が集まる中で何かを成功させるにあたって、とにかく空気を作るということが大切だということを実感したからだ。

まずはつかみでひとボケ入れてから自分が不慣れだから応援して欲しいという理由拍手の練習をさせてもらった。

また、質問の練習という名目で、背伸びを兼ねて全員に両手を挙げて伸びてもらった。

たったそれだけのことだったが、それによっていつもより拍手が起こりやすく他のスピーカーも伸び伸びと話ができているようだったし、いつもより質問も活発にかわされたように思えた。

きっともっとうまい方法もあるのだと思うのだが、おそらくは見ず知らずの人間が多く集まると色々な遠慮が生まれしまうのだろう。

から前説によって、何が許されることなのかを明確にしておくことで、余計な遠慮を取り去ってやることが大事なのかもしれない。

もちろん、ちょっとした時に笑っても良いという空気を作っておくことで、全体に和やかな空気が作られたということもあるだろう。

なんとなくではあるがそれがいわゆる空気を温めておくということなのかもしれないと思った。

そういうことを意識しながらお笑い番組なんかを見ると、実に空気の作り方が上手いと感じるようになった。

いままではただ単に個人のタレント性だけで成り立っているような世界だと思っていたがそうではないらしい。

なかなか司会までやるという機会は少ないかもしれないが、もし誰かの参考になれば。

2016-01-17

ケネディ中目黒炎上事件についての考え

いや~、僕はそんなにネットに張り付いてるタイプ人間ではないからね、数日遅れの話題申し訳ないんですけど。

下記のトゥギャッターを見かけて、ちょっと読んでみたらケネディというステーキ屋がぼったくり請求したっていうんで、

こりゃけしからんと思ってこの↓まとめを読んでみたわけね。

http://togetter.com/li/924834

で、一通り読んで、コメント欄も見てみたら案の定ケネディを叩く流れ一色で。

はぁ~~~……。ツイッター民そんなんだから愚民って言われるんだよ。

これは間違いなくこの自称"ぼったくり被害者"のねつ造した炎上、あるいは

ねつ造とまではいかなくてもほとんど言いがかりに近い事件だろうね。

正直ネットの賢い皆さんはこんなクソみたいな炎上案件ミリも興味ないと思うので

記名のアカウントには書かない代わりにこの匿名ダイアリーに殴り書きすることにしました

(どうでもいいけど匿名ダイアリー開いたら7年前に書いたポエムとかログに残ってて心がきつかった)。

はてな記法とかよく分かんないから丁寧に引用とかしたりしないので、もしこの文章をまともに

読もうという人がいるなら、別タブに上記まとめを開いて参照しながら読むといいよ。

まあ、長い上にだから何って話だし、そんなやついるとは思えないんだけどね。


■まず一番の疑問はこれ。

店長さんが不在の時の出来事でして、店長さんに事情説明したら困惑した様子でした。

>話した感じ多分店長さんは白ですね。

>おそらく店長さんが居ない時はこの動画の彼が責任者でこういうことしてるかな?って感じですね。

>完全に困惑した店長と、噛み付いてくるくらい元気で馬鹿な部下がいたんぁけど、多分部下の独断ねこパターン

 こんなことをしてもアルバイトの人には一銭も入らない。レジ通してるから差額を着服してるとも思えない。

 店長が指示していたのならともかく、アルバイトがそんなことを独断でするメリットがない。

 加えて、アルバイトの人が何かしらの目的で"ぼったくり"を行うのだとして、こんな一目みただけで異常だと

 わかるレシートを作ること自体が不自然

■で、次。飲んだ量について。

中目黒ケネディさんの、お酒の料金説明です。

>ウーロンハイ濃いめを頼むと、事前説明もなく5杯分の料金を取ります店員さんがそう言ってるので間違いなく取ります

メニューには書いてないので、皆さん気をつけて下さい∧( 'Θ' )∧

 と説明レシートを見ると60杯分の記載があるから飲んだ量は12杯だということがわかる。

 そのあとにこれ。

>2時間程度でジョッキの9割は焼酎のウーロンハイを30杯ずつ飲みながら500gのサーロインを完食できるらしいです、わしらw

 何故か9割の濃さのウーロンハイを計60杯飲んだ話に切り替わってる。悪意を持って炎上させにいってる印象がある。

 当事者なら正確に事実の推移を知っているわけで、こういった間違いは起きないと思うのだけど。

 

■最高の濃さについて。

これは外部サイト参照。

http://tanteiwatch.com/41520

>また、酒の注文時に「ケネディ史上、最高の濃さで」という注文だったというのだ。

 ここははっきりいって偏見で言わせてもらうけど、こういう注文するやつにまともなやつはいない。

 この発言自体が店のねつ造だったら話は違うかもしれないけど、発言ねつ造するくらいなら別の方法とるよ、普通

 で、もしこんなことをアルバイト人間が言われたら、とりあえず注文を断るわけにもいかないし、作るよね。すげー濃いウーロンハイ

 通常のウーロンハイの五杯分くらい焼酎の入ったウーロンハイを出してもなんら不思議ではない。

相手が返金したという事実と、"被害者"の態度。

>「焼酎濃いめで頼むと金額5杯分だから計算は合ってる」とか、歌舞伎町ぼったくりバーでも聞けないような後出し反論をされたし

>なんかすげー態度で開き直ってたけど、「録音してるけど大丈夫?」って聞たらすぐ落ちたw

雑魚すぎ返金あざすw

 録音されてるとか言われたらとりあえず店長ビビッて差額返金くらいするよね。

 だって数千円の損失くらいで大きなもめ事起こしたくないし、店長はその場にいなかったんだから真偽を確かめられない。

 むしろこの"被害者"側も最初からそれを想定して強請に行ってるような心象さえある。

 この「雑魚すぎ返金あざすw」も、ぼったくられた憤りを直前まで感じていた人間言葉とは思えない。

 このほかにも、

>やっぱり中目黒ケネディステーキ&ウーロンハイ濃いめ限定オフ会をやるべきか

 

 など、ネタにして面白がりながら炎上を拡大しているような発言が見て取れる。

>この件のまとめが大昔の元カノさんのFBまで到達したとの電波を受信した。

 元カノFBに届いたことも報告。自分話題が広がっていくのがそんなに楽しいのかな。

■一杯150円の割引ドリンクに対して濃いめを頼む。

>同店ではドリンク1杯150円のキャンペーン中だが、これはグラスサイズでの価格だという。

店員によると、男性らはジョッキサイズで注文した。したがって、そのサイズの違いゆえに、1杯あたりの単価が上がっているのは当然であるという。

 ゴミでしょ。

■その他

このちょっと前にほかの飲食店でも騒ぎ起こしてるんだよね、この人。

http://togetter.com/li/897163

勿論偶然そういうこともあるのかもしれないけど、なんとな~くもめ事を起こしやすタイプ人間なのかな

という想像はしてしまうよね。上記のとおり、ねつ造でなければ普通の客としてもあまり良い態度ではなかったようだし。

あとなんだろな~、名前の後ろに(リーダークルー)ってつけちゃう調子者感とか

リーダークルーツイッター話題ちょっとやばい人で、ネットのお調子者たちのおもちゃになってる人です)

かい点も色々気になるんだよね。


まあそんな感じで、ツイッター民のみなさんは鵜呑みにしてケネディ叩いてるけど、

普通に一つ一つ見ていけばこいつがまずゴミで、調子にのって150円の割引ドリンクに史上最高の濃さとか無茶ぶりつけて

ガバガバ焼酎飲んで、酔っぱらって大して会計確認しないで帰ったあとにレシートを見てキレてゴネてるだけということは

すぐにわかるんだよね。はぁ~~~~……ツイッターの皆さんにはもっと賢くなってほしいなぁ。僕のように。

2015-08-23

 主    文

     原決定を取り消す。

         理    由

 一 抗告趣旨及び理由は別記のとおりである

 二 (1) 記録によれば、執行債権者たる抗告人は、調停調書の執行力ある正

本に基き、貸金債権一六万円の弁済を求めるため、昭和三二年四月一一日熊本地方

裁判所に、執行債務者A所有の別紙目録記載の田に対し、強制競売の申立をなし、

裁判所は、翌一二日付で強制競売開始決定をなし、同月一八日その田につき強制

競売申立の登記がなされ、(本件田には、先取特権質権抵当権登記存在

ない。)ついで、本件田は農地法第一五条及びその準用する規定により、昭和三二

年七月一日の買収の期日に国において買収によりその所有権を取得し、昭和三三年

二月四日農林省名義をもつて右買収による所有権取得の登記がなされ、続いて、農

地法第三六条規定による昭和三二年七月一日付売渡を原因として、昭和三三年二

月四日相手方Bのために所有権移転登記がなされていること、一方、抗告人は、原

審のなした民事訴訟法第六六二条の二による売却条件変更決定に副い、熊本県知事

農地買受適格証明書を提出し、昭和三三年一月二四日の競売期日において、最高

価競買人となり、所定の保証金を納めた上、同年同月二九日付をもつて、あらかじ

め、熊本県知事から、本件田の所有権を取得するにつき、農地法第三条第一項の規

定による許可を受け、該許可書を原裁判所に提出したので、同裁判所は、同年同月

三〇日午前一〇時の競落期日において、抗告人に対し本件田の競落を許す決定を言

い渡したところ、相手方Bにおいて、これに対し即時抗告申し立てたため、原審

は、いわゆる再度の考案に基き、「農地法に基く買収処分による国の農地所有権

得についても、民法第一七七条適用があるけれども、強制競売開始決定による農

地の差押は、債務者(所有者)の任意処分制限するにとどまり農地買収処分

のように、債務者処分行為意思)とは無関係に、第三者(国)がその所有権

強制的に取得する場合は、差押の効力はこれに及ばず、第三者は完全に有効に所有

権を取得する。従つて、本件不動産は、競落許可決定の言渡後に、確定的に債務者

の所有圏外へ逸しさつて、本件強制競売手続は、続行し得ざるに立ちいたつた。」

旨説明し、先になした本件田の競落許可決定を取り消し、競落を許さない旨の更正

決定をなしたことが明らかである

 よつて、本件において、法律上競落不許の原因があるか否かを検討しなければな

らない。

 (2) ところで、抗告人は、論旨第二・三点記載のような事由により、本件田

の買収及び売渡は、ともに違法無効処分であつて、これにつき、農地法の定める

効果付与すべきものではない旨主張するので、考察するに、記録中の執行吏の賃

貸借取調報告書、相手方B提出の抗告状の記載並びにそれに添付の証拠書類と右

(1)の認定事実とをかれこれ合わせ考えると、本件田は、旧自作農創設特別措置

法(以下自創法と称する)第一六条規定により、Aが昭和二五年三月頃、国から

売渡を受け、所有権取得の登記を経た上、昭和三〇年五月頃所定の許可を受けない

で、その世帯員以外の者である相手方Bに売却して引き渡し、Bは所有権取得を経

ないまま、以来これを耕作してきたので、国は、所有者A及びその世帯員以外の着

たるBが、本件田を耕作の事業に供したもの認定の上、農地法第一五条及びその

準用する規定により、Aの所有として、昭和三二年七月一日を買収の期日と定め、

同年五月一八日頃買収令書を同人交付し、買収の期日までに対価を支払つて、こ

れを買収し、同法第三六条以下の規定にしたがい、Bに売り渡したものであること

推認するに難くないけれども、論旨のような事由により右買収・売渡が違法無効

ものであるという証拠は、記録上存在しないので、これが、違法無効であるとの

所論は、採用に値しない。 (3) しかし、論旨全体の趣旨を善解すれば、その

言わんとするところは、要するに、右の買収・売渡は、本件田の差押債権者たる抗

告人の権利に消長をきたさないので、執行裁判所は、強制競売手続を続行しうるの

であるから、原審が、先になした競売許可決定を取り消し、競落不許の更正決定を

なしたのは違法であるというにあるので、以下この点について判断する。

 (一) 農地法第一三条(第一五条において準用する場合また同じ)は、農地

買収によつて、買収地の上にある先取特権質権抵当権が消滅し、国は、この三

担保物権負担をともなわない農地所有権を取得する旨明定するにとどまり、未

墾地等の買収の効果規定する同法第五二条(第五五条第四項・第五八条第二項・

第五九条第五項・第七二条第四項において準用する場合を含む)や、自創法第一二

条(同法第三四条・第四〇条の五等において準用する場合を含む)に見るように、買収によつて、買収地等に関する所有権以外の権利が、消滅する旨規定していな

い。すなわち、未墾地等の買収にあつては、農地法第五四条所定の権利を除くの

外、買収当時存する未墾地等に関する権利例えば、各種制限物権・買戻権・仮差押

仮処分並びに差押上の権利所有権移転請求権保全の仮登記権利者権利等は、す

べて消滅すべきことは未墾地等買収制度目的に照らし明瞭であるけれども(この

土地収用法における収用の効果に類する。同法第一〇一条参照)、農地の買収に

あつては、買収当時存する農地の上の先取特権質権抵当権の三種の担保物権

かぎつて消滅せしめるをもつて足るとの立前をとり、しかも、これら権利者の物上

代位権の行使を容易ならしめるとともに、買収手続の便宜のため、市町村農業委員

会は、これら権利者に対し、買収の代価供託の要否を二〇日内に都道府県知事に申

し出るべき旨を通知すべく(農地法第一〇条第二項・同法施規則一二条)、こ

れら権利者は、農地の代位物たる供託された対価に対し、権利を行うことができる

ことを明らかにしている(第一二条・第一三条民法第三〇四条・第三五〇条・第

三七二条参照)。したがつて、これら権利者の申立に基いて、農地競売手続進行

中、買収処分がなされたときは、利害関係人は、競売の基本たる担保物権が消滅し

た一般の場合と等しく、その消滅を理由として、競売開始決定に対する異議、競落

許可についての異議、競落許可決定に対する抗告申し立てうるし、買収による

国の所有権取得登記がなされた場合は、執行裁判所民事訴訟法第六五三条によ

り、競売手続を取り消すこともまた、妨げないのてある。すなわち、右のような担

物権に基く農地競売手続は、その農地の買収によつて、続行し得ないこととな

るので、もし、本件競売手続がこれら担保物権に基いて開始されたものであるとす

れば、前説示の理由により、農地所有権供託された対価に転化代表されることと

なるので、まさに、原審のように、一旦言い渡した競落許可決定を取り消し、競落

不許の更正決定をなすべきものである

 (二) しかし、競売目的たる農地に、前記の担保物権の存しない、本件のよ

うな強制競売にあつては、以上と<要旨第一>趣を異にするものがある。農地法第一

三条第一項に「その土地所有権は、国が取得する。」というのは、国</要旨第一>

農地所有者(被買収者)の意思に基く場合である(同法第一六条参照)と否とを

わず農地所有者から買収地の所有権を承継取得するという趣旨であつて、いわ

ゆる原始取得ではなく、この点において、強制任意競売公売処分による所有権

移転におけると選を異にするところはない。(民事訴訟法第六四九条・第七〇〇<要

旨第二>条・競売法第二条国税徴収法第二八条不動産登記法第二九条・第一四八

条)しか農地に対し強制競売申</要旨第二>立の記入登記をなして差押の効力を生

じた後は、たとえ、第三者差押農地につき権利を取得するも、これをもつて差押

債権者に対抗することができず(民事訴訟法第六五〇条)、右第三者の取得した権

利が執行債務者任意処分に基くと否とにかかわらないのは、同条が差押債権者

利益を計るために設けられた趣旨並びに差押の法的性質よりして容疑の余地がな

い。しかして、差押農地に対する農地法規定による買収・売渡処分によつて、善

押の効力が消滅する旨の規定はなく、また消滅すると解すべき合理的理由も存しな

いので、本件におけるがごとく、差押農地に対し、買収及び売渡処分がなされ、買

収・売渡を原因として、順次国及び売渡の相手方(B)のため所有権移転登記がな

されても、差押の効力は依然存続し、差押農地の第三取得者たる国及び相手方B

は、いずれもその所有権の取得をもつて、差押債権者たる抗告人に対抗できず、か

えつて抗告人は、右第三取得者(農地買収による国の所有権の取得は、前示のとお

り、承継取得であるから差押債権者たる本件抗告人に対する関係においては、一

般第三取得者と選を異にしない。)の権利を無みして、有効競売手続を続行しう

ものと解すべきである。このことは、未墾地等に対する強制競売場合におい

て、その未墾地等につき差押の効力を生じた後に、右差押の日時前の買収処分を原

因とする国の所有権取得登記並びに売渡処分に因る国から売渡の相手方への所有権

移転登記がなされた場合、買収当時に存する差押の効力は、消滅するが、買収後に

なされた差押の効力は農地法第五二条適用を受けないので消滅することなく依然

存続し、競売手続を続行することの妨げとならないことと対比することによつても

領解しうべきところである

 (三) 農地法第一七条規定を援いて、買収令書の交付は、交付後の買収さる

べき農地所有権の一般及び特定承継人に対してもその効力を有するので、本件の事

案においては、競落人は、右の特定承継人に当ると解し、国したがつて国から売渡

を受けた相手方Bは、農地所有権の取得を、競落人に対抗できると説く者があるか

<要旨第三>もしれない。しかし第一七条は、農地買収手続過程において、農業委員会が買収すべき農地の上にある三種</要旨第三>の担保権利者に対し、対価供託

要否を申し出るべき旨を通知した後、または、知事農地所有者に買収令書を交付

した後に、通知を受けた担保権利者または交付を受けた所有者に承継(一般及び特

定承継)があつても、その通知・交付は、承継人に対しても効力を有することを定

めたもので、それは買収手続の敏速簡易化のため、その進行中に権利者が変つたか

らといつて、手続最初からやり直すことを要しないとする趣意以上に出ない規定

であつて、これを買収令書の交付と承継人との関係について説明すれば、買収令書

交付の日と買収の期日との間には、相当の日時を要する(農地法第一一条・第一三

条参照)ため、右期間中に所有者に承継があつて新所有者が所有権移転登記を経

たとしても、改めて新所有者に買収令書を交付することなく、(買収の期日までに

対価の支払または供託をしたときは)、国は、買収の期日に、買収地の所有権を取

得するという点に意義があるのであつて、右期間経過後換言すれば、買収期日に国

所有権を取得した後の承継人をも、同条の適用を受ける承継人と解することはで

きないのである強制競売申立人(差押債権者)が、第一七条の承継人でないこと

は、同条及び第一〇条第二項・第一一条の文理解釈上容疑の余地がないばかりでな

く、未墾地等の買収手続において、第五二条の外に、第一七条に相当する第六〇条

規定の存することからも確論されうるところである

 (四) されば、(1)に認定のように、農地につき、強制競売の申立の記入登

記により差押の効力を生じた後に、農地法第一五条及びその準用する規定により国

差押農地を買収し、相手方にこれを売り渡し、国及び相手方において順次所有権

移転登記を経由したとしても、かかる第三取得者の存在は、差押農地について、執

裁判所強制競売手続を続行するの妨げとなるものではなく、適法な最高価競買

人が、当該農地所有権を取得するについての、同法第三条第一項所定の知事の許

可を受け、その許可書を提出した本件においては、執行裁判所は、最高価競買人た

抗告人に対し、競落を許す決定を言い渡すべきである

 (4) 原審が相手方のなした抗告に基いて、一度正当に言い渡した競落許可

定を取り消し、競落を許さない旨更正決定したのは、競落不許の原因がないのに、

競落を許さないとした違法があり、論旨は結局理由があるので、原更正決定を取り

消すべく、当裁判所のこの取消決定により、本件強制競売事件は、原審の更正決定

がなかつたと同一の状態に復帰するので、原裁判所のなした競落許可決定及びこれ

に対し、相手方が原裁判所になした抗告は、ともに存続している筋合であるけれど

も、右抗告事件は、いまだ当審に係属するにいたつていないので、当裁判所は、こ

れについて判断をなすべき限りでない。

 よつて主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 鹿島重夫 裁判官 秦亘 裁判官 山本茂)

 (別紙目録は省略する。)

2015-07-30

How Applejack Won the war 全訳及び全解説

前説

 本稿はTVアニメ『マイ・リトル・ポニー 〜トモダチは魔法〜』の二次創作作品「How Applejack Won the war」についての解説である



今回扱う動画

~How Applejack Won the War~ 完成版 ‐ ニコニコ動画:GINZA

 すでに動画up主による訳詞がついているため、これだけ観ても楽しめる。

 しかし元動画作者の Sherclop Pones の特徴として「偏執的なまでに韻を踏む」の他に「やたらダブルミーニングを込めたがる」というのもあり、翻訳動画だけではカバーしきれない、あるいは観ててわかりにくいところが多々存在する。

 以下ではそうしたスキマを解説していきたい。訳はだいたいオリジナルであるが、ところどころでリンク動画主のGED氏の訳を大いに参考にさせてもらった。この場を借りて謝意を表したい。




歌詞訳と解説

一日目

開戦だ

さあ、ジョニーよ銃をとれ*

訓練所で射撃練習だ

ヘルメットだって、とってもキュート

三段目(Come on Johnny get your gun)の元ネタは当然反戦小説ジョニー戦場へ行った』(さらにその元ネタとなった軍歌オーヴァー・ゼア』)。

四段目の「訓練所」は fruit camp 、新兵訓練所である Boot camp (昔流行ったアレ)とかけてある。



行進しよう

集結ポイント

お嬢様みたいにさ

エージェント・オレンジ? まあ、待ちなって

アップル戦車部隊がいれば万事オッケー!

三段目: i’m speaking fancy too. は第二シーズン六話「恐怖のキューティー・マーク」より。フランス語キューティマークが発現したアップルブルームに対してアップルジャックが言ったセリフ日本語版放送時には「妹がザマス言葉なっちゃった!」と訳された。なぜこのセリフ引用されたかといえば、前段の歌詞 Rendez-vous が「集結地点」を表すフランス語から

四段目: Agent Orange? エージェント・オレンジベトナム戦争時に、森林ゲリラに悩まされたアメリカ軍木々を根こそぎ除去するためにばら撒いた悪名高き除草剤。含有されていた有害物質が後々までベトナムの人びとに深刻な影響を与えた。



二日目

仕事は多い

ラリティもがんばってる

戦場って農場みたいだね

地面を均して、納屋を建てる

五段目: Raze the field, raise this barn. - 第三シーズン八話「Apple Family Reunion」の劇中歌より。原曲の raise(建物を建てる)と、 raze(破壊する)をかけている。



ここまでは

楽勝だ

市民に死傷者は出たけれど

撃ちてしやまぬ

戦友の手を取りド-シ-ドと踊ろう

五段目: do-si-do とはスクウェアダンスポルカの基本ステップ。元はフランス語



新兵たちよ

良心の呵責などいらぬ

アルファブラボーチャーリー

家族と結べ、戦債を売れ

条約を結べ、戦歌を歌え

一段目: Draft horse そのまま訳せば「徴募(Draft)された馬」だが、同時にアメリカのばん馬にあたるゴツいお馬さん(Draft horse)にもかかっている。

三段目: alpha, bravo, charley-horse アルファブラボーチャーリーは、軍隊で使用されるコールサイン。それに charley-horse すなわち「こむら返り」をかけている。

四段目、五段目: Family bonding, selling bonds, Signing treaties, singing songs 日本語訳動画うぷ主のGED氏は「一家団結、戦時公債条約締結、軍歌斉唱」と訳している。名訳である


上昇!

投下!

おもちゃ飛行機に乗って

支援部隊がすぐ駆けつけるはずさ

ほら、あれはトワイの軍用気球

五段目: 『マイ・リトル・ポニー』のオープニングにおいて、主人公トワイライトは毎回気球に乗って登場する。



三日目

沖に出よう

アップル潜水艦に乗って

静かな海でたったひとり

自分の罪に思い巡らす



寝てるなよ

終わってないよ

戦いのときだ、総員甲板へ

やつらの戦艦を沈めて

ジューシーに焼きあげろ

五段目: Burn them to a Honeycrisp ハニークリスプはりんご品種パリッとしたジューシーな食感が特徴。



降伏だと?

まだ殺りたんねえな

あのチキンどもを追い立てろ

やつらにくれてやる厩舎などない

捕虜は取るな、皆殺しだ!!



四日目

戦争に勝った

アップル部隊に忠誠を

ポニービル恩赦をくれた

紅く甘美な勝利だね

三段目: Loyal to my apple corp  作曲者である Sherclop Pones の人気シリーズ動画「Friendship is Witchcraft」でアップルジャックレインボーダッシュのエレメントが入れ替わってしまい、アップルジャックが「忠誠」のエレメントになってしまったことがあった。



戦の馬たちよ

誇りを高く持て

自由だって安くない

ドアに飾った勲章

私の勝利を語ってくれる!

三段目: Freedom isn't Everfree: 『マイ・リトル・ポニー』本編に出てくる Everfree forest という地名が、アメリカ右翼が好きなフレーズ Freedom isn’t free. 「自由はタダじゃない」にかかっている。

2015-06-29

健康食品製造・販売「熊坂ノ庄スッポン商事」ひがし茶屋街出店問題

金沢代表する観光地、ひがし茶屋街に健康食品会社が出店しようとして揉めている。

  1. ひがし茶屋街では、住民と市が協定を結び、町並みや文化を保存している
  2. 新規出店に関しては、住民らでつくる「金沢東山・ひがしの町並みと文化を守る会」において、住民の8割の合意必要
  3. 「熊坂ノ庄スッポン商事からは守る会に3回の出店申請があったが、3回とも受理せず
  4. 金沢市も、開発事業届出書に不備があるとして受理せず
  5. 熊坂ノ庄スッポン商事は、それを無視して工事を進めている

この問題を取り上げたのは、北國新聞6月27日)と北陸中日新聞6月28日)だ。それぞれの見出しは次の通り。

見出し北國新聞が対立の図を示しているのに対し、北陸中日新聞は守る会も、市からも中止が求められていることを示している。

一方で北國新聞では、(ここでは本文の全文は転載できないが)3番目の「熊坂ノ庄スッポン商事から守る会に3回の出店申請があった」ことは書かれていない。

また北陸中日新聞には「業者側によると、健康食品の販売は行わずうどんやかゆなどの軽飲食を提供する休憩所とする」と書かれており、北國新聞見出し「ひがし茶屋街に健康食品店」とは話が食い違っている。

北國新聞記事は、熊坂ノ庄スッポン商事一方的非常識業者だと誤って読んでしまう良くない記事だ。

はてさてどれが正しいのやら、どうなることやら。

2015-05-13

判例S29.11.24 大法廷判決 昭和26(あ)3188 昭和二四年新潟県条令第四号違反(第8巻11号1866頁)(新潟県公安条例事件

判例S29.11.24 大法廷判決 昭和26(あ)3188 昭和二四年新潟県条令第四号違反(第8巻11号1866頁)(新潟県公安条例事件

判示事項:一 いわゆる公安条例合憲性の限界

二 昭和二四年新潟県条例第四号許可制公安条例合憲性。

三 適用条例公布並びに施行日時を審理し、判示することの要否。

四 条例土地に関する効力。

五 昭和二四年新潟県条例第四号(公安条例)の属地的効力。

要旨:一 地方公共団体の制定する公安条例が、行列進行または公衆集団示威運動につき、単なる届出制を定めることは格別、一般的許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法趣旨に反するが、公共の秩序を保持し、または公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定場所または方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、これらの行動をなすにつき予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめて、このような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を設け、さらにまた、これらの行動について公共安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せずまたは禁止することができる旨の規定を設けても、これをもつて直ちに憲法保障する国民自由を不当に制限するものということはできない。

二 昭和二四年新潟県条例第四号は憲法一二条第二一条、第二八条および第九八条違反しない。

三 裁判所裁判するにあたり適用すべき条例公布並びに施行日時については、特に必要ある場合のほかは、これを審理し、またはこれに対する判断を判示する必要はない。

四 地方公共団体の制定する条例の効力は、法令または条例に別段の定めある場合若しくは条例性質上、住民のみを対象とすること明らかな場合を除き、法律範囲内において原則として属地的に生ずるものと解すべきである

五 昭和二四年新潟県条例第四号(公安条例)は、新潟県地域内においては、この地域に来れる何人に対してもその効力を及ぼすものであつて、他県の在住者といえども、同県内において右条例罰則にあたる行為をした以上、その罪責を免れるものではない。

参照・法条:

  憲法21条,憲法28条,憲法12条,憲法第12条,憲法第21条,憲法第28条,憲法第98条,憲法92条,憲法94条,昭和24年新潟県条例第4号,昭和24年新潟県条例施行手続刑訴法335条,地方自治法14条,地方自治法2条2項,地方自治法2条3項1号

主    文     本件各上告を棄却する。

         

理    由 被告人弁護人牧野芳夫、同関原勇、同竹沢哲夫、同石島泰、被告人弁護人牧野芳夫、同関原勇の各上告趣意(後記)第一点について。

 原判決の判示するところは、条例は直接に憲法四条によつて認められた地方公共団体立法形式であつて、同条により法律範囲内において効力を有するものと定められているほか、条例をもつて規定し得る事項について憲法上特段の制限がなく、もつばら法律の定めるところに委せられているのであるから法律準拠して条例罰則を設けることは憲法上禁止された事項とは解されないという趣旨であつて、所論のように、条例法律委任があれば刑罰権を無制限に附することができるとか、またはいかなる事項でも無制限に定めることができるというような趣旨を説示したものとは認められない。所論は判示に副わない主張を前提として原判決憲法四条解釈を誤つたと主張するのであつて採用することはできない。

 同第二点第三点について。

 行列行進又は公衆集団示威運動(以下単にこれらの行動という)は、公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民自由とするとこるであろから条例においてこれらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的許可制を定めてこれを事前に抑制することは、憲法趣旨に反し許されないと解するを相当とする。しかしこれらの行動といえども公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定条例に設けても、これをもつて直ちに憲法保障する国民自由を不当に制限するものと解することはできない。けだしかかる条例規定は、なんらこれらの行動を一般に制限するのでなく、前示の観点から単に特定場所又は方法について制限する場合があることを認めるた過ぎないからであるさらにまた、これらの行動について公共安全に対し明らかな差迫つた危険を及ぼすことが予見されるときは、これを許可せず又は禁止することができる旨の規定を設けることも、これをもつて直ちに憲法保障する国民自由を不当に制限することにはならないと解すべきである

 そこで本件の新潟県条例(以下単に本件条例という)を考究してみるに、その一条に、これらの行動について公安委員会の許可を受けないで行つてはならないと定めているが、ここにいう「行列行進又は公衆集団示威運動」は、その解釈として括弧内に「徒歩又は車輌道路公園その他公衆自由交通することができる場所を行進し又は占拠しようとするもの、以下同じ」と記載されているから、本件条例が許可を受けることを要求する行動とは、右に記載する特定場所又は方法に関するものを指す趣旨であることが認められる。そしてさらにその一条二項六条及び七条によれば、これらの行動に近似し又は密接な関係があるため、同じ対象とされ易い事項を掲げてこれを除外し、又はこれらが抑制対象とならないことを厳に注意する規定を置くとともに、その四条一項後段同二項四項を合せて考えれば、条例がその一条によつて許可を受けることを要求する行動は、冒頭に述べた趣旨において特定場所又は方法に関するものに限ることがうかがわれ、またこれらの行動といえども特段の事由のない限り許可することを原則とする趣旨であることが認められる。されば本件条例一条の立言(括弧内)はなお一般的な部分があり、特に四条一項の前段はきわめて抽象的な基準を掲げ、公安委員会裁量範囲がいちじるしく広く解されるおそれがあつて、いずれも明らかな具体的な表示に改めることが望ましいけれども、条例趣旨全体を綜合して考察すれば、本件条例は許可の語を用いてはいるが、これらの行動そのもの一般的許可制によつて抑制する趣旨ではなく、上述のように別の観点から特定場所又は方法についてのみ制限する場合があることを定めたものに過ぎないと解するを相当とする。されば本件条例は、所論の憲法一二条同二一条同二八条同九八条その他論旨の挙げる憲法のいずれの条項にも違反するものではなく、従つて原判決にも所論のような違法はなく論旨は理由がない。 (なお本件条例四条一項は、文理としては許可することを原則とする立言をとりながら、その要件としてきわめて一般的抽象的に「公安を害する虞がないと認める場合は」と定めているから、逆に「公安を害するおそれがあると認める場合は」許可されないという反対の制約があることとなり、かかる条項を唯一の基準として許否を決定するものとすれば、公安委員会裁量によつて、これらの行動が不当な制限を受けるおそれがないとはいえない。従つてかかる一般的抽象的な基準を唯一の根拠とすれば、本件条例憲法趣旨に適合するものでないといわなければならない。しかしながらこれらの行動に対する規制は、右摘示部分みを唯一の基準とするのでなく、条例の各条項及び附属法規全体を有機的な一体として考察し、その解釈適用により行われるものであるこというまでもないから、上記説明のとおり結論としてはこれを違憲と解することはできないのである。)

 同第四点について。

 所論は、原審で主張なくまたその判断を経ていないばかりでなく、単に原判決法令違反を主張するに過ぎないから刑訴四〇五条の上告理由に当らない。(なお裁判所裁判をするに当り適用すべき法令については、職権をもつて調査する責務があり、条例もこのうちに含まれることは所論のとおりであるが、これらの法令原則として証拠調の対象となるものでないから特に必要ある場合のほか、これを審理し又はこれに対する判断を判示することを要するものではない。従つて原審が本件条例適用するに当り、所論の点につき明示しなかつたからといつて、原審の手続違法があるとはいえない。なお本件条例昭和二四年三月二五日公布同日施行されたことは明らかである。)

 同第五点について。

 所論は、原審で主張なくまたその判断を経ていないばかりでなく、単に原判決法令違反量刑不当を主張するのであるから刑訴四〇五条の上告理由に当らない。 (なお地方公共団体の制定する条例は、憲法特に民主主義政治組織の欠くべからざる構成として保障する地方自治の本旨に基き〔憲法二条〕、直接憲法四条により法律範囲内において制定する権能を認められた自治立法にほかならない。従つて条例を制定する権能もその効力も、法律の認める範囲を越えることを得ないとともに、法律範囲内に在るかぎり原則としてその効力は当然属地的に生ずるものと解すべきである。それゆえ本件条例は、新潟県地域内においては、この地域に来れる何人に対してもその効力を及ぼすものといわなければならない。なお条例のこの効力は、法令また条例に別段の定めある場合若しくは条例性質住民のみを対象とすること明らかな場合はこの限りでないと解すべきところ、本件条例についてはかかる趣旨は認められない。従つて本件被告人長野県の在住者であつたとしても、新潟県地域内において右条例五条罰則に当る行為があつた以上その罪責を免れるものではない。されば原判決には法令違反も認められない)。

 被告人Bの上告趣意(後記)について。

 所論は、量刑不当の主張であつて刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

 よつて刑訴四〇八条に従い主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官藤田八郎の各弁護人の上告趣意第二点及び第三点に関する少数意見を除く外裁判官全員一致の意見である

 裁判官藤田八郎の少数意見被告人弁護人牧野芳夫、関原勇、竹沢哲夫石島泰、被告人弁護人牧野芳夫、関原勇の各上告趣意第二点第三点に関する)は次のとおりである

 行列行進又は公衆集団示威運動公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によらないかぎり、本来国民自由とするところであるから条例において、これらの行動につき単なる届出制を定めることは格別、そうでなく一般的許可制を定めて、これを事前に抑制することは、憲法趣旨に反し許されないと解すべきことは多数説の説くとおりである。又、本件条例四条一項は、その要件として、きわめて一般的抽象的に公安委員会は「公安を害する虞がないと認める場合は」許可を与えなければならないと定めているのであつて、かかる条項を唯一の基準として許否を決定するものとすれば、公安委員会裁量によつて、行列行進等の集団運動が不当な制限を受けるおそれがないとは云えないなら、かかる一般的抽象的な基準を唯一の根拠とするものとすれば、本件条例は、憲法趣旨に適合するものでないとみとめなければならないこともまた、多数説の説くところである

 多数説が右のごとき大前提是認しながら、なお、かつ、本件条例をもつて違憲にあらずとする所以のものは、右条例は如上集団行動を一般的許可制によつて抑制する趣旨ではなく「特定場所又は方法についてのみ制限する場合があること」を定めたものに過ぎないからであるというに帰する。そうして、その「特定場所方法」というは本件条例一条中括弧内に「徒歩又は車輌道路公園その他公衆自由交通することができる場所を行進し、また占拠しようとするものとあることを指すものであることは明瞭である

 しかしながら、およそ問題となるべき行列行進又は公衆集団示威運動ほとんどすべては徒歩又は車輌道路公園その他公衆自由交通することができる場所を行進し、又は占拠しようとするものであつて、それ以外の場所方法による集団行動は、ほとんど、ここで問題とするに足りないと云つても過言ではあるまい。右条例掲示のような場所方法による集団行動のすべてを許可制にかかるとすることは、とりもなおさず、この種行動に対する一般的抽象的な抑制に外ならないのであつて、これをしも、場所方法とを特定してする局限的の抑制とするがごときは、ことさらに、顧みて他をいうのそしりを免れないのであろう。

 多数説は、その他に一条二項、六条及び七条に、これらの行動に近似し、又は密接な関係があるため、同じ対象とされ易い事項を掲げてこれを除外していることをあげて、これをも本件条例一般的抑制でない一つの証左としているけれども、一条二項に掲げるところは、「学生、生徒、児童のみが参加し、かつ教科課程に定められた教育の為め、学校責任者指導によつて行う行列行進は許可を要しない」と規定しているに過ぎず、この種の行動のみを除外したからといつて、一般的抑制でないとするに足らないことはいうまでもないのみならず、むしろ、かかる教課的のもの以外の集団行動はすべて許可を要することを明らかにした点において、この規定の反射的効果は強大である。又六条七条規定はこの条例趣旨に関する立法自身独断解釈を宣示するに止まり、―たとえば、この条例をもつて、公の集会等の監督検閲権限公務員に与えるもの解釈してはならない、選挙演説に許可を要するもの解釈してはならない等―多数説のいわゆる「特定場所特定方法」に何物をも加えるものでないことは、その条項の文辞自体からみて極めて明らかである

 以上綜合すれば本条例は、一条二項に掲げられた修学旅行のもの以外の道路公園等で行われる行列行進又は公衆集団示威運動はすべて、必ず事前に公安委員会の許可を受けなければならない、これを受けないで行うとき一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処せられるとするものである。そうして、四条には「公安委員会公安を害する虞がないと認める場合は……許可を与えなければならない」と規定されてあつて、これは多数説のいうごとく、「公安委員会公安を害するおそれがあると認める場合は、許可されないという反対の制約があること」を意味するのであつて、かかる行動の公安を害するおそれあるや否やの判定は公安委員会の極めて広範な―特に何らの基準の定めもない―自由裁量に委ねられているのである

 いうまでもなく、この種集団行動は憲法保障する言論集会の自由に直結するものであつて、これを一般的に禁止し、その許否を一公安委員会の広範な自由裁量にかからしめるというごときことは、憲法趣旨に合するものでないことは多数説の説くとおりであつてしかも多数説が本条例をもつて一般的禁止にあたらないとする論拠の一も首肯するに足るものがないことは如上説示のとおりである

 自分は、多数説が一般的禁止にあらずとするところを是認することができないが故に、多数説の大前提とするところに同調して本条例を以て違憲であると断ぜざるを得ないのである

 裁判官井上登岩松三郎の補足意見は次のとおりである

 憲法は各人の自由保証して居るけれども、それは無制限のものではない。或人の自由な行動によつて他の人のPermalink | トラックバック(0) | 13:38

2015-05-03

日本公共の福祉

         主    文

     本件上告は之を棄却する。

         理    由

 辯護人後藤橘上告趣意書の要領は、第一點原審判決は審判の請求を受けない事

件につき判決を爲した、同第二點本件は原審第二回公判に於て證據として援用した

證據書類に付き取寄決定をしていない、同第三點原審裁判被告人に證人に對する

審問權を抛棄せしめ且被告人自白強制し其の自白有罪の證據とした憲法違反

裁判である、第四點原審裁判所は本件被告事件に證人たるべき身分を有する判事

を其の構成部員として裁判して居り全く憲法裁判に弾劾主義を採用した根本義に

反する無効裁判である、第五點原裁判公判に於て取調べない證據を断罪資料

供した不法がある計りでなく本件は被告人自白以外に其の犯行を認むるに兄る證

據がないのであるから断乎無罪の言渡を爲すべきに有罪裁判をしたのは憲法違反

無効裁判であると謂ふにある

 按ずるに第一點論旨の具體的内容は要するに(イ)本件公判請求書には司法警察

意見書記載の犯罪事實を其儘引用して居るが斯の如きは人權尊重を高唱している

憲法施行後は許さるべきでなく従て適法公訴の提起があつたものとは認めら

れない(ロ)原審検事司法警察意見書に記載の犯罪事實を引用した公判請求書

に基き審判の請求をしたが右意見書には被告人が賍物たるの情を知るに至つた經緯

の具體的記載を缺いているので結局刑事訴訟法第二百九十一條の要求する犯罪事實

の開示は無かつたことに帰し原審は審判の請求を受けない事件につき判決を爲した

事に帰着すると謂ふにあるが(イ)検事公判請求書を作成するに當つて便宜司法

警察官意見書記載の犯罪事實を引用したとて又公判に於て検事が斯くの如き公判

求書又は之に引用せる司法警察意見書に基き犯罪事實の開示をしたとて直ちに

尊重を高唱せる新憲法趣旨に反すると謂ひ得ないし(ロ)刑事訴訟法第二百九

十一條は公訴を提起するには被告人指定犯罪事實及罪名を示すべしと規定して

所謂訴訟物の特定要求している、従つて犯罪事實の記載の如きも其罪名と相俟つ

て如何なる犯罪に付いて起訴があつたのかを知り得る程度を以て足り辯護人主張の

如く一々の犯罪構成要件に付き詳細具体的に之を記載することは必ずしも之を要求

しているものではない、今臟物故買同牙保罪に付いて論ずるに被告人に於て其の臟

物たるの情を知つていた事は之を示す必要がちらうが其記載方法抽象的なるを以

て足り其の情を知るに至つた経路を詳細に示すことは其必要がないのみならず原審

公判に於ける検事公訴事實の陳述の基礎となつた司法警察意見書犯罪事實の

記載を査閲すると被告人が臟物たる情を知るに至つた経路に付いても具体的に之を

記載してあり又多少文法上不備の點はあつても辯護人主張の如く決して意義不明

ものではない、従つて論旨第一點は理由がない

 論旨第二點 原審第二回公判調書に依れば同期日に職權を以て辯論を再開し審理

を續行し所謂取寄決定を爲さずして新法に基く第一審として一人の判事裁判する

鹿児島地方裁判所に撃属中のAに対する窃盗被告事件の記録を同法廷に顯出し之を

證據として援用する旨を告げ且其の證據調を了した上断罪資料に供したこと洵に

明かである、然し同記録は原審裁判所と同一裁判所である鹿児島地方裁判所現存

したものであり他官廳ではないから特に所謂取寄決定を爲すの要はないと解するを

妥當とするので本論旨も亦其の理由がない

 論旨第三點 記録を査閲するも原裁判所に於て被告人に対し證人に對する審問權

を抛棄せしめ又は自白強制した形跡は全くない、従つて之を前提とする本論旨も

理由がない

 論旨第四點 は要するに公判の審理をした判事は該公判調書の作成者と忍むべく

従て日本国憲法施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律第十二條の書類

作成者に當然含まれているとの論旨を前提とし原審裁判所構成員たる判事河野

烏は原審が其の第一回公伴調書を採つて以て原判決の證據とした前示Aに對する窃

被告事件の審理の衝に當つた判事であるから公判調書の作成者として被告人

請求に基き證人として訊問せらるべき關係に在るので刑事訴訟法第二十四條第五號

に準じて當然原審裁判所から除斥せらるべきものだと謂ふに在るが

 <要旨>公判審理の衝に當つた判事日本憲法施行に伴う刑事訴訟法の應急的

措置に関する法律第十二條の書類作</要旨>成者には含まれないと解すベきだから

諭旨も亦理由がない

 論旨第五點 原判決は原審に於る被告人自白の外前示Aに對する第一回公判調

書を證據として有罪判決を爲したこと原判決に依り明かであり右Aの公判調書に

付いても適法な証據調を爲した事原審第二回公判調書に明かである尤も同調書には

右記録(前示Aに對する窃盗被告事件の記録)を法廷に顯出し被告人に對し其要旨

を告げ意見辯解の有無を問ふた旨記載してあるに止り特に證據として判決に援用し

た前示第一回公判調書の要旨を告げた旨の記載はないが右被告事件記録の全部に付

き其の要旨を告げ意見辯解を求めたこと前説明の如くである以上該記録の一部であ

る第一回公判調書に付き其の要旨を告げ意見辯解を求めたこと明かだから公判調

書の證據調は完全に履践されたものと謂ふべく木論旨も亦理由がない

 然らば本件上告は其の理由がないので刑事訴訟法第四百四十六條に則って主文

通り判決する

 (裁判長判事 筒井義彦 判事 青木亮忠 判事 畠山成坤)

2015-04-15

福岡高等裁判所昭和32(ラ)47競落不許の更正決定に対する抗告事件昭和33年4月16日)「農地につき、強制競売の申立の記入登記により差押の効力を生じた後に、農地法第一五条及びその準用する規定により国が差押農地を買収し、相手方にこれを売り渡し、国及び相手方において順次所有権移転登記を経由したとしても、かかる第三取得者の存在は、差押農地について、執行裁判所強制競売手続を続行するの妨げとなるものではな」い

         主    文 

原決定を取り消す。

         理    由 

一 抗告趣旨及び理由は別記のとおりである。 二 (1) 記録によれば、執行債権者たる抗告人は、調停調書の執行力ある正本に基き、貸金債権一六万円の弁済を求めるため、昭和三二年四月一一日熊本地方裁判所に、執行債務者A所有の別紙目録記載の田に対し、強制競売の申立をなし、同裁判所は、翌一二日付で強制競売開始決定をなし、同月一八日その田につき強制競売申立の登記がなされ、(本件田には、先取特権質権抵当権登記存在しない。)ついで、本件田は農地法第一五条及びその準用する規定により、昭和三二年七月一日の買収の期日に国において買収によりその所有権を取得し、昭和三三年二月四日農林省名義をもつて右買収による所有権取得の登記がなされ、続いて、農地法第三六条規定による昭和三二年七月一日付売渡を原因として、昭和三三年二月四日相手方Bのために所有権移転登記がなされていること、一方、抗告人は、原審のなした民事訴訟法第六六二条の二による売却条件変更決定に副い、熊本県知事農地買受適格証明書を提出し、昭和三三年一月二四日の競売期日において、最高価競買人となり、所定の保証金を納めた上、同年同月二九日付をもつて、あらかじめ、熊本県知事から、本件田の所有権を取得するにつき、農地法第三条第一項の規定による許可を受け、該許可書を原裁判所に提出したので、同裁判所は、同年同月三〇日午前一〇時の競落期日において、抗告人に対し本件田の競落を許す決定を言い渡したところ、相手方Bにおいて、これに対し即時抗告申し立てたため、原審は、いわゆる再度の考案に基き、「農地法に基く買収処分による国の農地所有権取得についても、民法第一七七条適用があるけれども、強制競売開始決定による農地差押は、債務者(所有者)の任意処分制限するにとどまり農地買収処分のように、債務者処分行為意思)とは無関係に、第三者(国)がその所有権強制的に取得する場合は、差押の効力はこれに及ばず、第三者は完全に有効所有権を取得する。従つて、本件不動産は、競落許可決定の言渡後に、確定的に債務者の所有圏外へ逸しさつて、本件強制競売手続は、続行し得ざるに立ちいたつた。」旨説明し、先になした本件田の競落許可決定を取り消し、競落を許さない旨の更正決定をなしたことが明らかである。 よつて、本件において、法律上競落不許の原因があるか否かを検討しなければならない。 (2) ところで、抗告人は、論旨第二・三点記載のような事由により、本件田の買収及び売渡は、ともに違法無効処分であつて、これにつき、農地法の定める効果付与すべきものではない旨主張するので、考察するに、記録中の執行吏の賃貸借取調報告書、相手方B提出の抗告状の記載並びにそれに添付の証拠書類と右(1)の認定事実とをかれこれ合わせ考えると、本件田は、旧自作農創設特別措置法(以下自創法と称する)第一六条規定により、Aが昭和二五年三月頃、国から売渡を受け、所有権取得の登記を経た上、昭和三〇年五月頃所定の許可を受けないで、その世帯員以外の者である相手方Bに売却して引き渡し、Bは所有権取得を経ないまま、以来これを耕作してきたので、国は、所有者A及びその世帯員以外の着たるBが、本件田を耕作の事業に供したもの認定の上、農地法第一五条及びその準用する規定により、Aの所有として、昭和三二年七月一日を買収の期日と定め、同年五月一八日頃買収令書を同人交付し、買収の期日までに対価を支払つて、これを買収し、同法第三六条以下の規定にしたがい、Bに売り渡したものであることは推認するに難くないけれども、論旨のような事由により右買収・売渡が違法無効ものであるという証拠は、記録上存在しないので、これが、違法無効であるとの所論は、採用に値しない。 (3) しかし、論旨全体の趣旨を善解すれば、その言わんとするところは、要するに、右の買収・売渡は、本件田の差押債権者たる抗告人の権利に消長をきたさないので、執行裁判所は、強制競売手続を続行しうるのであるから、原審が、先になした競売許可決定を取り消し、競落不許の更正決定をなしたのは違法であるというにあるので、以下この点について判断する。 (一) 農地法第一三条(第一五条において準用する場合また同じ)は、農地の買収によつて、買収地の上にある先取特権質権抵当権が消滅し、国は、この三担保物権負担をともなわない農地所有権を取得する旨明定するにとどまり、未墾地等の買収の効果規定する同法第五二条(第五五条第四項・第五八条第二項・第五九条第五項・第七二条第四項において準用する場合を含む)や、自創法第一二条(同法第三四条・第四〇条の五等において準用する場合を含む)に見るように、買収によつて、買収地等に関する所有権以外の権利が、消滅する旨規定していない。すなわち、未墾地等の買収にあつては、農地法第五四条所定の権利を除くの外、買収当時存する未墾地等に関する権利例えば、各種制限物権・買戻権・仮差押仮処分並びに差押上の権利所有権移転請求権保全の仮登記権利者権利等は、すべて消滅すべきことは未墾地等買収制度目的に照らし明瞭であるけれども(この点土地収用法における収用の効果に類する。同法第一〇一条参照)、農地の買収にあつては、買収当時存する農地の上の先取特権質権抵当権の三種の担保物権にかぎつて消滅せしめるをもつて足るとの立前をとり、しかも、これら権利者の物上代位権の行使を容易ならしめるとともに、買収手続の便宜のため、市町村農業委員会は、これら権利者に対し、買収の代価供託の要否を二〇日内に都道府県知事に申し出るべき旨を通知すべく(農地法第一〇条第二項・同法施規則一二条)、これら権利者は、農地の代位物たる供託された対価に対し、権利を行うことができることを明らかにしている(第一二条・第一三条民法第三〇四条・第三五〇条・第三七二条参照)。したがつて、これら権利者の申立に基いて、農地競売手続進行中、買収処分がなされたときは、利害関係人は、競売の基本たる担保物権が消滅した一般の場合と等しく、その消滅を理由として、競売開始決定に対する異議、競落の許可についての異議、競落許可決定に対する抗告申し立てうるし、買収による国の所有権取得登記がなされた場合は、執行裁判所民事訴訟法第六五三条により、競売手続を取り消すこともまた、妨げないのてある。すなわち、右のような担保物権に基く農地競売手続は、その農地の買収によつて、続行し得ないこととなるので、もし、本件競売手続がこれら担保物権に基いて開始されたものであるとすれば、前説示の理由により、農地所有権供託された対価に転化代表されることとなるので、まさに、原審のように、一旦言い渡した競落許可決定を取り消し、競落不許の更正決定をなすべきものである。 (二) しかし、競売目的たる農地に、前記の担保物権の存しない、本件のような強制競売にあつては、以上と<要旨第一>趣を異にするものがある。農地法第一三条第一項に「その土地所有権は、国が取得する。」というのは、国 は農地所有者(被買収者)の意思に基く場合である(同法第一六条参照)と否とを問わず農地所有者から買収地の所有権を承継取得するという趣旨であつて、いわゆる原始取得ではなく、この点において、強制任意競売公売処分による所有権移転におけると選を異にするところはない。(民事訴訟法第六四九条・第七〇〇<要旨第二>条・競売法第二条国税徴収法第二八条不動産登記法第二九条・第一四八条しか農地に対し強制競売申立の記入登記をなして差押の効力を生じた後は、たとえ、第三者差押農地につき権利を取得するも、これをもつて差押債権者に対抗することができず(民事訴訟法第六五〇条)、右第三者の取得した権利執行債務者任意処分に基くと否とにかかわらないのは、同条が差押債権者利益を計るために設けられた趣旨並びに差押の法的性質よりして容疑の余地がない。しかして、差押農地に対する農地法規定による買収・売渡処分によつて、差押の効力が消滅する旨の規定はなく、また消滅すると解すべき合理的理由も存しないので、本件におけるがごとく、差押農地に対し、買収及び売渡処分がなされ、買収・売渡を原因として、順次国及び売渡の相手方(B)のため所有権移転登記がなされても、差押の効力は依然存続し、差押農地の第三取得者たる国及び相手方Bは、いずれもその所有権の取得をもつて、差押債権者たる抗告人に対抗できず、かえつて抗告人は、右第三取得者(農地買収による国の所有権の取得は、前示のとおり、承継取得であるから差押債権者たる本件抗告人に対する関係においては、一般第三取得者と選を異にしない。)の権利を無にして、有効競売手続を続行しうるものと解すべきである。このことは、未墾地等に対する強制競売場合において、その未墾地等につき差押の効力を生じた後に、右差押の日時前の買収処分を原因とする国の所有権取得登記並びに売渡処分に因る国から売渡の相手方への所有権移転登記がなされた場合、買収当時に存する差押の効力は、消滅するが、買収後になされた差押の効力は農地法第五二条適用を受けないので消滅することなく依然存続し、競売手続を続行することの妨げとならないことと対比することによつても領解しうべきところである。 (三) 農地法第一七条規定を援いて、買収令書の交付は、交付後の買収さるべき農地所有権の一般及び特定承継人に対してもその効力を有するので、本件の事案においては、競落人は、右の特定承継人に当ると解し、国したがつて国から売渡を受けた相手方Bは、農地所有権の取得を、競落人に対抗できると説く者があるか <要旨第三>もしれない。しかし第一七条は、農地買収手続過程において、農業委員会が買収すべき農地の上にある三種の担保権利者に対し、対価供託の要否を申し出るべき旨を通知した後、または、知事農地所有者に買収令書を交付した後に、通知を受けた担保権利者または交付を受けた所有者に承継(一般及び特定承継)があつても、その通知・交付は、承継人に対しても効力を有することを定めたもので、それは買収手続の敏速簡易化のため、その進行中に権利者が変つたからといつて、手続最初からやり直すことを要しないとする趣意以上に出ない規定であつて、これを買収令書の交付と承継人との関係について説明すれば、買収令書交付の日と買収の期日との間には、相当の日時を要する(農地法第一一条・第一三条参照)ため、右期間中に所有者に承継があつて新所有者が所有権移転登記を経たとしても、改めて新所有者に買収令書を交付することなく、(買収の期日までに対価の支払または供託をしたときは)、国は、買収の期日に、買収地の所有権を取得するという点に意義があるのであつて、右期間経過後換言すれば、買収期日に国が所有権を取得した後の承継人をも、同条の適用を受ける承継人と解することはできないのである強制競売申立人(差押債権者)が、第一七条の承継人でないことは、同条及び第一〇条第二項・第一一条の文理解釈上容疑の余地がないばかりでなく、未墾地等の買収手続において、第五二条の外に、第一七条に相当する第六〇条の規定の存することからも確論されうるところである。 (四) されば、(1)に認定のように、農地につき、強制競売の申立の記入登記により差押の効力を生じた後に、農地法第一五条及びその準用する規定により国が差押農地を買収し、相手方にこれを売り渡し、国及び相手方において順次所有権移転登記を経由したとしても、かかる第三取得者の存在は、差押農地について、執行裁判所強制競売手続を続行するの妨げとなるものではなく、適法な最高価競買人が、当該農地所有権を取得するについての、同法第三条第一項所定の知事の許可を受け、その許可書を提出した本件においては、執行裁判所は、最高価競買人たる抗告人に対し、競落を許す決定を言い渡すべきである。 (4) 原審が相手方のなした抗告に基いて、一度正当に言い渡した競落許可決定を取り消し、競落を許さない旨更正決定したのは、競落不許の原因がないのに、競落を許さないとした違法があり、論旨は結局理由があるので、原更正決定を取り消すべく、当裁判所のこの取消決定により、本件強制競売事件は、原審の更正決定がなかつたと同一の状態に復帰するので、原裁判所のなした競落許可決定及びこれに対し、相手方が原裁判所になした抗告は、ともに存続している筋合であるけれども、右抗告事件は、いまだ当審に係属するにいたつていないので、当裁判所は、これについて判断をなすべき限りでない。 よつて主文のとおり決定する。

 (裁判長裁判官 鹿島重夫 裁判官 秦亘 裁判官 山本茂)

 (別紙目録は省略する。)

2015-03-31

またいつもの保育園反対運動による老人叩きだけど

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH3W76FKH3WUTIL04M.html



http://urx.nu/iZxR/見りゃ分かるけどすぐ近くに小学校もあるわけで、本当に騒音問題にされてるの?これ。

そりゃすぐ隣の家の人なんかは騒音が一番の問題だろうとは思うけど、反対署名220名分って事は離れてる家の人も大量にいるだろ。

ストリートビュー見る限りめっちゃ道が狭い住宅地なわけで、送迎の車による渋滞の方が懸念されてるんじゃね?

二台すれ違うのもぎりぎりっぽい道で大量の車が来て子供の積み下ろし始めたら道が詰まるのは確実、

それが毎朝続くと考えたら近隣住民としてみたら嫌すぎるだろ。迎えの時間も同じく。

行事なんてあった日には路駐だらけになるだろうし。

老人だけじゃなくて車通勤の人なんかも通れなくなるよ?毎朝だよ?お前らだったら我慢出来んの?



車通園禁止を徹底するとかしかないだろうけど(それでもこんな狭い道に幼児連れでふらふら歩く連中やら暴走自転車やらが大量出現ってだけで十分危険だし迷惑だけどさ)

前説明もしないような事業者じゃちゃんと対処してくれるなんて信頼も無いしなあ。

2014-12-18

IT勉強会、正確には勉強会の事前説明会and懇親会に参加してきた。

全く勉強していないし、コードも書いていないけれども、勉強になったと思う。

前説明会ではない、その後の懇親会でだ。



今まで思い立ったように参加する勉強会で、

ピンバッジを戴いたり、無料ペットボトルのお水は貰えたけれど、

真の意味で持ち帰ることができるモノは少なかった。

元より、思い立ったように参加する専門外に関する勉強会しかも50人から参加するような

大学講義を思わせる座学形式で、ノートパソコンタイプしたメモは、

当日を過ぎて読み返すことは少なかった。

ふーん、へー。ホッテントリに上がった分野外の技術トピックを読み流すのと

さほど変わらない行為。正直、2、3日もすれば忘れていた。



懇親会には元より興味がなかった。

Google Developer Dayという古いイベント

ビジターカードの紐に缶バッチをジャラジャラしている

たくさんのひと、交換しながら歓談を弾ませる人たちを見かけた時の、

ついていくとも合わせることも出来ないというとほうに暮れるような

気持ちが長く引きずっていたから。

懇親会で、キラキラした人たちと目を合わせたくなかった。



今日説明会が終わった後、懇親会に参加しようと思ったのは単なる気紛れだ。

少し先日、クライアントから面罵されて、言葉が出なかった。

あ、最近ひとと雑談したことがない。

そんな雑念が、いつもならさっさと帰る足をその場に留めさせた。

Android開発を学びたいという目的燃えるいつもの自分なら

すぐに立ち去ったであろう。

意固地な自分今日に限って消沈し、持て余し気味の高すぎる

自尊心はそれを許容するくらいは収まってた。

ぼっちな状況に陥った自分絶対に許さないと思えないぐらいには。



さて、周りを見渡すとある程度グループは出来ていて、もうぼっち真っしぐらだった。

テーブルに後から座っていた参加者とは2, 3言葉を重ねたが気づいたらいなかったし。

コップを持って、3人くらい歓談しているグループの後ろで頷きを返したり、

ピザを取っていいかと声を掛けたり、、そんなことですでに出来た人の輪に入れたら苦労しない。

中の方の島に置いてしまった荷物をこの場で取って立ち去ることとどっち、どっちがいいか、

それだけの気持ちで頑張るも心が折れかけた時目が合った。

一人がいた。

「どうして参加しようと思ったのですか。」

グループワークで同じ就活生に鉄板文句で無理に沈黙を破ろうとやせ我慢をしていた

学生だった自分に切り替わるスイッチの音を確かに自分は脳裏で聞いた。



その後、さら目線フリーになった方をさら引き込み

自分が預かり知らぬお話をたくさん聞いた。

例えば、RoRへの一種の情景のようなもの

ひとりで全て出来ます、的なフルスタックエンジニアが書くブログなどから受け取ったトーンと、

普段業務でJavaで堅実な仕事をしている人から聞いた耳朶を軽く打つ調子の違いを悟ったとき

自分迷子になっていくのを感じた。

自分がつい愚痴に陥るたびに、どうぞどうぞお酒は進む。

もうどうにでもなれ言葉を重ねつつ、司会が終会を切り出すまで

話しこむ内に内心戸惑いを覚えずにはいられなかった。



何で今まで参加してこなかったのだろう?

無駄に高い自己障壁が、ぼっちを許したくなかっただけ。

参加して、その場限りの関係を終わる度に捨て去っても、

上手く質問を切り出せなくてかいた恥をいつまでも捨てられなかっただけ。



この歳になってまだ自分は幼いままだ。

だが、頑張れば大人と呼ばれる真人間に近づけるのではないかなと

少しだけ希望がいだけた。

来年から定期で勉強会を開催するという。

本日お会いした二人と、もしかしたらまたお会いする。

先方には迷惑かもしれないけど、差し支えなければまたお会いしたい。話を聞きたい。

ゴリゴリ、開発したい。コード書きたい。

懇親会に参加して、押さえつけていた箍が今、大きく弾けそうだ。

2014-06-05

遠足で持参の水筒担任教師に捨てられた記憶

本格的に暑くなる今くらいの季節。毎年思い出す。

小学校の頃、遠足水筒を持参することになった。

当時の自分喘息持ちであり、体力もないほうであった。

それなりに体力を消耗する遠足はいつも足手まといだった。

母親心配し、せめて脱水症状だけは気をつけるようにと水筒はいつもポカリスエットを入れて持たせてくれた。

その遠足は別クラス担任が何故か引率を努めることになっており、それが悲劇を生んだ。

遠足当日、現地につくなり、その担任

「糖分が含んだ飲み物はすべて禁止。」とか急に言い始めた。

クラス全員に動揺が広がった。もちろん自分もだ。

事前に渡されたプリントには一言もそんなことは記載されていない。

水筒の中身にポカリスエットなどの甘い飲み物を入れてきた人は挙手するように」

自分は挙手した。ウソはつきたくない。

この教師はしょっちゅう説教をすることで嫌われている教師であった。

意味のわからない説教でも、しかたなしに受けようと観念した。

しかし、周りで手を挙げているものはひとりもいなかった。そんな馬鹿な。

前回の遠足では結構な人数がポカリスエットやらジュースを持ち込んでいたはずだ。

担任自分のところにくると、水筒を取り上げた。

説教が始まるのだろうと観念したとたん、水筒の中身をすべてぶちまけてしまった。

そして自分水筒を渡しながら「次からは気をつけるように」とだけ言った。

意味がわからなかった。

その後は語るまでもないが、水筒のない遠足楽しいはずもない。

自分以外にもポカリスエットやらジュースやらを持参したものは当然いた。

彼らは中身を隠して、上手く飲んでいた。

当日は湿度も高く、汗ばんだのをよく覚えている。実に美味かっただろう。

その担任の信念では「甘い飲み物 = 甘え」であり、遠足には持参することが許されぬ飲み物だったのだろうと思う。

当時も今もそう考えている。

またそれが当時の教育方針の主流だったのかもしれない。

しかし、いくらなんでも適当すぎやしないだろうか。

前説明がない。

なぜ捨てたのか、後々の教訓になるような説明をしない。

自主申告のみで、ずさんなチェック。

あの時、しっかりと理由を説明してくれれば、きっと 20 年以上経った今では思い出すことはなかっただろう。

同じような目にあった人は、当時いたのだろうか。気になる。

もしいたとして、ちゃんとした説明を受けていた方は教えて欲しい。

教師を恨む気持ちはない、ただ納得したいだけだ。

2014-05-31

閉鎖の心配なしと謳っていたコミュニティサイトが説明なく閉鎖した件

つい数日前より、「好きな人・ファン同士でつながるコミュニティ情報共有ファンサイト 」と名乗るfavepostが

not foundとなった。

http://www.favepost.net/


繋がらなくなり、突発的なトラブルと思いほっといたが、調べてみるとツイッターアカウントごと削除されていた。

Webアーカイブには、当時のTOPが残っているが、見事なまでに管理人やその他に対する情報も無い。

http://web.archive.org/web/20140207220038/http://www.favepost.net/



割としっかりとしたつくりのサイトだったため気にもしていなかったが、ページを閉じられただけで今までの書き込みや

少人数ながら交流していた相手の方との話なども藻屑として消え去ってしまった。



検索する中で、ブログ発見した 

http://favepost.blog.jp/archives/165848.html

そこには


>好きな俳優さん、女優さん、芸能人歌手映画スター国内外わず)、お話したいけど

お話する場所・人がない!

>という方にぴったりです。

私自身もそうだったのです…。



という記述が。

サイト運営している方は「もともとあったお話しする場所が事前説明なく消されること」については考えが回らなかったのでしょうか。




>そしてファンサイトを見つけても、管理する方が忙しくなってしまい閉鎖…ということもあります

フェイポストではその心配もなし!


この書き込みから8ヵ月後、殆ど誰の話題にも上らない、検索しても全くといっていいほど口コミされていない

そんなコミュニティサイトが、殆ど誰の注目も集めないまま、事前の予告も説明もなくブレーカーを落とすように閉鎖されてしまいました。



こんな話、Webではよくあることかもしれませんが、何かページを運営されている方には

せめて数日前からTOPとかで「閉鎖の予定」等、少人数でも使っていたユーザーのために準備期間を設けて欲しいと思う次第です。

サイトツイッターも消して完全バックレモード運営陣にはもう届かないと思いますので

せめてこのような悲劇が繰り返されないことを祈っております







こうなるんだったら掲示板ツイッターアドレスの交換でもしておきゃよかったな・・・

2014-04-30

性同一性障害新入社員でした(実話)

※みなさんありがとうございますブコメ質問などがついたので、末尾に追記しました。他に何かあればコメントください。Twitterも見ています

性同一性障害新入社員の話(MtF編) http://anond.hatelabo.jp/20140430194840 が書かれていました(返ってくると思わなかった…有難うございます性別パターンとして、こちらも是非お目通しください。 (4/30 20時くらい)

性同一性障害新入社員

http://deztec.jp/design/14/04/28_society.html

先に上記の話題エントリについての私の結論を述べておくと、トイレも更衣室も作業服も、男女用はこれまで通り、多目的用をひとつを用意することで諸々解決すると思いました。そのように、グラデーション領域用を用意しておけば、施設選択の問題は解決できているので、全体に対する事前説明はそもそも特別必要なく、対人関係に付いては、現場の方の人間力に任せればよいではないでしょうか。まー、そもそもフィクションですけど。

さてよい機会なので、便乗して、フィクションではなく、現実世界での話をすることで皆さんに少しでも性同一性障害者のことを知っていただきたいなと思います。ある性同一性障害者のある会社内での扱いがグラデーションで変化して行く様子の一例です。


前提

現在の私

20代後半 フルパスFtM(女→男。フルパス=ほぼ判別が付かない。)

・4,5 年前からホルモン注射、上半分だけ手術済み。

戸籍性別を変えられない状況。(戸籍変更条件は生殖腺を取ることなので、体への負担が大きすぎると判断

名前戸籍の通り。何も変更無し(どちらでもいける名前だった)

銭湯トイレも全部男の方に入る

参考: 性別の取扱いの変更 http://www.courts.go.jp/saiban/syurui_kazi/kazi_06_23/

会社

・30人程度のベンチャー

実情

新卒時代

5〜10年程度前に大学卒業し、社内で特に告知無しで新卒入社しました。

・周りの認識→めちゃくちゃボーイッシュ女の子(服装は自由会社。胸は潰して出社)

健康診断 →各人が施設に足を運び男女混ざって受ける形式。中性的外見だったので、女性用の服で行う

・手洗い  →実生活経験治療の一環で、男性用へ

 この頃は、周りの方を戸惑わせてしまいました。本当に申し訳ないと思っていますしかし、大人力の高い弊社社員はなんとなく察し、それぞれの対応を始めました。「ちゃんと女性扱い(紳士)」「男扱い」「一応女性枠で認識しているけど、扱いは男さながら」色々です。「どっちで扱えばいいの?」と聞かれ、「一応男がいいけど、あなたの無理の無い対応で」と答えたこともありました。

 実は、このころ自分も本当にあちら側に行ってもよいのか、まだ悩んでおり、性同一性障害に関する診断と治療ガイドラインに沿い、実生活経験(少しづつ逆の性の生活に慣れる)という治療をしている状況でした。性同一性障害者にはこのチャレンジ期間があるものなので、多目的トイレがあると都合が良かったです。

参考: 性同一性障害に関する診断と治療ガイドライン https://www.jspn.or.jp/activity/opinion/gid_guideline/files/journal_114_11_gid_guideline_no4.pdf


変化時代

2週間に1度のホルモン注射開始。周りから分かるところでは、声、体毛、顔つきに変化。更に、国内上半身のオペも行いました。

・周りの認識女の子から少年へ。少年からおっさんへ。

健康診断 →女性用の服で行うので、この日はヒゲを剃り、なるべく声を出さないように、周りに配慮する。

・手洗い  →ナチュラル男性用へ。この頃、体毛が増えて、胸も切ったので、銭湯にもデビュー

 この頃になると、もう皆さん慣れていました。ただ、この頃は声や体つきが著しく変化し過ぎて、内線で声が判別できない問題が発生したくらいでしょうか。更に察した同僚は「いやーほんと変わったねー」「おい、おっさんw」と嬉しい言葉をかけてくれました。

 上半身のオペは半日で終わり、普通有給で数日休んだ後、体の可動部分は限られるものの、普通に出社しました。割とカジュアルな手術でしたが、ただ1ヶ月くらいは普通に動けず、業務関係者には簡単に事情お話しました。内蔵をいじる手術だともっと大変なのかも知れません

フルパス時代

・周りの認識おっさん

健康診断 →周りの方が動揺するので、センターの方にお願いして、男性用の服で行うことにした。

・手洗い  →相変わらず男性用へ。

 新しく中途で入った方は、おそらく気付いていません。大人対応の古株社員も「増田さんって元女の子なんですよ〜」なんて、野暮なことは言いません。色々と苦労はあるのですが、こう考えると私は、社員の皆さんの大人力に支えられてきた気がします。本当にありがとうございます。この会社大好きです。

当事者に対して言いたいこと

追記(4/30 16時くらい): 「マイノリティに対して高い能力適応性を要求ちゃうのはまずい。ハードル上げゲームやめよう。」おっしゃる通りです。本来は、ハードルがないべきですが、私なりに「今の社会」に適合したら「結果的に」こうなりました。

あなたが『どう見られたい』ではなく、『どう見えるか』で扱われる

とにかくなりたい性の外見と振る舞いを鍛えましょう。分かっていると思いますが、どう扱われるかはあなたの気持ちの強さではなく、あなたの外見と振る舞いで決まります。私は、FtM(女→男)でフルパス(見分けがつかない)状態まで持っていけるタイプ人間だったので、このような状況になっています。正直、フルパスまで持って行ける自信と覚悟が無いなら、ベースを元々の性から動かさない方が幸せに生きられると思います

ハンデを飛び越えてでも欲しいと思われるスキルを付けましょう

とにかく能力を高めましょう。会社からすると面倒くさいと思われやす人種ですので、それでも欲しいと思われる人間になりましょう。LGBTレズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダー[性同一性障害])に能力が高い人が多いと言われるのは、このための努力をしているからだと思っています

選挙に行きましょう

私も昔は政治に無関心で、誰に投票すればいいかわからなかったのですが、私たちに不利な法律を変える為には、LGBT問題に強い方を政治の場に送り出さなくては行けないんですよね。私は、候補者LGBT問題の切り口から見て、投票するようにしています

周りの方に対して言いたいこと

LGBTってわりとたくさん存在していますし、多分慣れます

 「周りに居ないからどう接したらいいか…」と、思ったかもしれませんが、当事者が隠しているから知らないだけです。日本にもLGBTレズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダー[性同一性障害])は、全人口の5.5%いるとされています(※2013年電通総研調べ)。近くに居たら慣れる+彼らも変化して行くので、あなたの無理の無い範囲普通に接していただけると大変助かります。一例として、私の先輩で、治療前は女性として扱うことを譲らなかった方がいたのですが、治療後には完全におっさん枠で扱われています。そういうもんです。

腫れ物に触れるように語りかける方もいらっしゃいますが、社会に出る頃には、私たちは既に一通り偏見に晒されてズタボロになっているので、大抵のLGBTは耐性が強いはず。大丈夫です!また、混同されがちですが、LGBTフェミニスト女性解放論者)とは違うので、「男なら〇〇」などの性差発言に対して別に(私は)なんとも思ってませんし、ボーイズトークで女関連やらセックスやらの話も割と普通に話してます大丈夫です!


いやらしい話ですが、ビジネスチャンスです

消費者としてのLGBTは、商品サービスの購入時に「LGBTフレンドリーであるか?」という企業姿勢を重視する。

【 第1回】ようやく日本で注目され始めたLGBT市場とどう向き合うか https://cakes.mu/posts/1679

ビジネスマンなのでビジネスの話も少し…w 週刊ダイヤモンドの特集「国内市場5.7兆円 「LGBTレズビアンゲイバイ・セクシャルトランスジェンダー市場」を攻略せよ!【1】~LGBTの“夜明け前”」がとてもよいです(私はKindleストアで買いましたが)。私たちは、LGBTフレンドリーである企業は強く支援する傾向がします。LGBT向けのプロモーション方針を打ち出している企業って少ないんですよね。同じような商品で、どちらかがLGBTフレンドリーなら多少高くても、なるべくそちらを買って支援姿勢を示します。日本でもこの視点を持った企業が増えると良いな〜。と思っています

ということで

散文でしたが、「私MtF(男→女)ですー」「俺の会社にもそういう子いるよー」「そういう事務処理をしたよー」という方がいらっしゃれば是非この機会にご意見感想をば。

追記: ご意見いただいたので返信させていただきます (4/30 15時くらい)

環境にも能力にも恵まれている。マッチョ意見なので、これを目指すとしんどい
適正・能力について

私のやり方は、今の社会ルールに合わせる方法です。そのため、残念ながらマッチョになるしかありません。それが今の社会です。正直かなりしんどいので、マッチョ精神力(やり抜く心と、諦める心)の無い方はこちら側にこない方がいいです。ちなみに、私だってそんなに優秀では無かったし、相当ヘタレ毎日泣いていてました(笑)しかし、弱かったら思うように上手く生きて行けない社会だと気付いて、このままじゃ何も変わらないから、たくさんたくさん考えて、自分生き方として、日々積み重ねて能力を付けました。悔しいですが、まだ私には自分を救うだけの力しか無いし、このやり方しか知らないです。ごめんなさい…。

ただ、私は社会を変えるという道にも希望を持っています。まだ日本では偏見が多く、普通に暮らせないと感じるかもしれませんが、今ブコメ肯定的意見が多いですよね。マッチョ否定意見も多い。これは素晴らしいことで、LGBT運動をしてきた先人の方々の活動の功績です。とても感謝しています。少しづ世界は変わっています。この記事を読んで、「弱い人どうしようもないじゃん…」と思った方は、LGBT問題をわかってくださっていますありがとうございます。おっしゃる通り、みんなマッチョじゃなきゃいけないなんて、おかしいんですよ。私も、こうして語ることでこのことを知っていただきたいし、もっと力をつけて、ビジネスの切り口からLGBTフレンドリー社会に歩み寄って、過去自分と同じような人を救いたいと思っています

環境について

本当に素晴らしい環境感謝しています。ただ、そのような環境を「選んだ」というところは少しあります就職活動時にスーツネクタイ面接時の証明写真を撮り、性別欄にマルを付けず、面接で「性同一性障害でもいいですか?」と取締役陣にお伺いを立てたら「それでも増田さんは増田さんでしょ?気にならないよ」とお言葉いただき採用に至った次第です。本当に恵まれているのだとおもいます

MtFだと厳しい(この項は異性の話を聞かれるのと同じくらい想像で話してますMtFの方出てきてくださいm(_ _)m)

半端な外見では風当たりは厳しいと思います。ただ、知人でも全く見分けの付かない方がいらっしゃいます。かなり目が肥えている私でさえ全くわからないので、実は既に紛れ込んでいるのかもしれません。そういう方はバレないように過ごしているので、メディアには出てこないですね。そういう方は二次成長が始まる前に治療を受けられたのかもしれません。それであれば、パスやすい体を作ることができます。ただ、私自身は二十代中盤で意思が固まったので…難しいですね。私もできれば、二次成長期前に治療たかったと思います

また、この問題の一因はとにかく世間は男に厳し過ぎることも関わっていると思っていますMtFは男に見えてしまうから、風当たりが強い。私も外見が変わってから世間の風当たりの強さを非常に感じました。顔は同じなのに、男だと少し近づいただけで、怖がられる(おっしゃる通り凶器扱い)んですよね。切なかった…。でもごめんなさい、専門外で詳しくないので正直わからないです!

2014-01-25

ホームレス炊き出しに行ってみた

炊き出し経験について以下にまとめたいと思います

タイトルナントカ生放送意識した結果、まるで数日前とかに初参加したかのような響きになってしまいましたが、何年間でのできごとです。(・∀・)

並ぶ側…ではなく主催側を経験しました。

きっか

幼い頃から郊外に住んでいる自分は、ホームレスなんて全然身近な存在ではなく、

ダンボールで寝てる人、ビニールシートのおうちは、たまに親に連れられ都市部に出てきたときにだけ目にしていました。

親に見ちゃだめと言われて手を引かれるため、すました顔で通り過ぎるようにはしていましたが、心の中では興味津々、見ちゃだめなんて言われたらもうより関心が…

そして小学6年生になった私はある日、駅ビルオムそばを買ったのですが(唐突

それが思ったより口に合わなかったため半分くらいを残して駅のゴミ箱に捨てたということがありました。

すると…しばらくして知らないおばさんがゴミ箱を物色し始め、私のオムそばやその他の食べ物ゴミを持ち去ったのでした…

自分のきたない食べ残しを持って行かれた…それはそれは子供ながらにショックな出来事でした。

そんな物を食べないと暮らしていけない人がいるということへの実感も湧きましたが、正直、自分食べ残しを人に食べられるという生理的嫌悪感が大きかったです。

その感情を払拭するため、小学生の私が行ったことは、路上で寝ている人に、コンビニおにぎりを配るという妄想でした。小学生らしい意味不明さです。

それはもちろん妄想に留まり、私の第一次ホームレスへの関心期は終了したのですが、時を経て人生モラトリアム突入したときたまたまボランティア募集のビラに巡り合い、珍しい物見たさもあって

炊き出しに参加してみようと思い立ったのでした。


現場の状況と第一印象 

NPO法人主催、週1で公園にて実施。(公園使用の許可は得ている。)

・200人前後の人が食べに来る。9割8分が男性で年配者が多い。(小学生経済力ではコンビニおにぎりを行き渡らせるのは無理だったと改めて感じた。)

若者は目立つため、列に並びにくいかも知れない。

・配るのはカレーライス福神漬け。容器は使い捨てではない給食風のお皿。

調理組と配膳組に分かれている。お昼に調理組が作ったカレーを、夜に配膳組が搬出して公園盛る。(私はいつも後者。)

食品に対しての衛生管理は頑張っている。三角巾マスク手袋の装備と消毒液が必ず準備されている。

ホームレスホームレスに見えない。ぼろぼろでロン毛の異臭を放つホームレスらしきホームレスというのはほんのひと握りで、小奇麗な服装をしているし、ひどい臭いもしない。

主催者が「憲法第9条を守ろう」って背中に書いてあるジャンパーを着ている。(なんかいるよねそういう人たち。うん、たしか憲法9条大事だね。)

・ただのNPO法人運営かと思ったらキリスト教関係者がやっていた。キリスト教NPO法人だった。しかし、聖職者信仰者がボランティアをしている事実だけで、現場宗教色は一切なし。

ボランティアも残ったカレーが食べれる。炊き出しが終わったあとにボランティアのみんなで食べた。(ホームレスと同じ食器だったから本当はいやだtt…)

・立つ鳥跡を濁さず。公園を借り続けるためにも現場ゴミ拾いには徹底している。

てんやわんや場所を借りる時間が定まっているのか、単に現場の人がせっかちなのか、準備から片付けまでがとても慌ただしい。(理由は今も不明。)

・行き当たりばったり。主催者による事前説明やミーティングなどの、本来組織機能する上で執り行われるべきやりとりがされない。目が合った人同士などでの軽い自己紹介などはあれど、

全体的な挨拶などもないために誰がどういう立場ボランティアに参加しているのか判断できない。その日に何か変更がある場合は、配膳開始直前などの慌ただしい中で伝達され、

初心者は、わからない点どころか行う作業の一から十までを経験者に聞かなければならない。

不便だと思うのですが、何らかの意図があるのでしょうか。(問いかけ)


参加するうちにだんだん見えてきたこと、知ったこと 

・並ぶのはホームレスだけじゃない。無料洗濯や入浴できる施設や理容サービス存在していて、これが小奇麗なホームレスのたち真相だが、列の中には普通に家のある生活保護年金受給者も多い。

その結果、受給日前の月末にかけて列が長くなり、配膳数は1.2~1.5倍になる。

なぜ彼らはその取り分で生活できないかは謎であるアルコールギャンブルに使い果たしてしまうのも一つの理由でしょうが、慎ましく生活していても足りていないのでしょうか。わかりません。

また、高齢者にとっての病院みたいに一つの社交場として実際そんなに困ってないのに遊びに来ている人もいるかと思われます(笑)

・並ぶ人の中には、身体的、知的精神的に問題ある人が多い。声をかけてもうまく意思疎通ができない人が多い。

識字率100%ではない。掲示物や配布されるお便りなどの全文がひらがな表記だったり全ての漢字にルビが打ってあったりする。

空気的に身の上話は聞きにくい。彼らが今に至った経緯は貧困問題を理解する上で貴重な情報ですが現場が明るい雰囲気のために深刻な事情踏み込むのは難しい。

・年配ゆえに少食な人がいる。わざわざ並んでたったそれだけでいいの、、、ってなる。

・ご飯をもらう側の人がボランティアを手伝ってくれる(笑)。多分本人が勝手にやってるんだけど並ぶ人の中にご飯を食べる傍ら車の荷物を運び出したりなど積極的に働かれる方がいます

働いて飯を得る。社会構造の縮図ですね。

・使った食器は公園水道で各自が洗う。

食器洗って返すまでが炊き出しで、食べ終わったお皿は公園水道で汚れを落としてから返却します。カレー配りに専念していると、こういった周りの状況をすぐに知ることができませんでした。

・後始末の方法が汚い。

残飯処理や公園内の清掃時などに、若干ですが素手で汚物に触れなければならないタイミングがあります。触ったあとに手を消毒できるのであれば良いのですが、そのような環境は用意されていません。

いつもその作業を行っている方は気にしないのか効率を求めて割り切っているのかわかりませんが、私は基本違う作業に徹します。

食品に対しての衛生管理は頑張っている。その2。一度でも外に運び出した食器類は、未使用でも全て洗う。

・お鍋に残ったカレー冷凍して次の週に使う。

・年間の予算は約400万円。

・一番近くの路上生活者は並ばない。長く参加している間にだんだん常連さんなどの顔を覚えていくわけですが、なんとその中に、その公園周辺の路上に住まう方々の姿がないことに気づきました。スッテーン。

おうちを訪問してお話を聞くと、彼らは何らかの形で収入を得ており、「炊き出し福祉のお世話にはならない」という強い自立心が養われているようでした。

中には安定した収入貯金もあるにもかかわらず路上生活している方も…。……。なぜ炊き出し必要としない人ばかりがそこに集結しているのかはわかりませんが、いつも列に並ぶ人々は

みんな遠方からやって来ていたのでした。

主催者がコミュ障…。主催者は、組織を束ねることができていることが驚きの器の持ち主。おそらくある一つの思想の下に人が集まってことが運ばれている。

・大半のボランティア郊外出身。やはり同じ界隈に住んでいる都市部人間は彼らの存在うんざりしている模様。

主催者が「脱原発」も掲げている。最初憲法9条という言葉を見たときにいろいろ気づくべきでした。

炊き出しに直接関係ないイベント…。主催からフェミニズム的な会合へ半強制的に参加を求められる。ターゲットにされています。私が社会人ではないため、暇だと思われてるんでしょうか。

無償労働に対して直接感謝や労いの言葉は貰えない。例えば幼稚園病院なんかへのボランティアではそこにいる方々から何かお言葉が頂けたりするが、

この現場ではそれがほとんどないと言える。周りの大人もみんなボランティアの括りで参加しているため、みんなが同じ立場であるからでしょうか。

並ぶ人たちにはそんな気配りはないし(笑)、もしかしたらお金をもらってやっていると思われているかもしれない。

そのためやり甲斐はその場では見つからないかもしれない。震災被災地でのボランティアも一部はそんな感じみたいですね。

「気持ち」というささやかな見返りすら求められない究極のボランティアである


エピソード 

カレーをもとめて数…里。食べ物を求めてすごく遠くから来たという方がいらっしゃいました。ずっと歩いていたため、真冬にもかかわらず全く寒さを感じないと言っていた。

・育たない自立心。「ただボタンを押すだけ」のような単純な操作をお願いされることがあり、たとえ押し方やどのボタンを押せばいいかを伝えても学習しようとしない。

彼らの場合、決して能力がないわけではないと思われるが…これが炊き出しには並ばない意識高い(笑)ホームレスとの違いでもあるのかなと思ったりする。




ホームレス炊き出しに行ってみて



最終的にこの組織への参加によって私が学んだこと、それは、



共〇的思想本質でしたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



はい、まず日本での炊き出しというシステムが主に人権第一の共〇主義の思想から成り立っていることがわかりました!

何せ、こういった主義主張の下に生きている人々との出会いは初めてで、彼らもそれを強く表に出すわけではないので気づくのにとても時間がかかりました。

私の関わった団体は宗教社会的思想を融合させた団体でした。

そして、調べてみると私の住んでいる地域では他にも様々な団体が炊き出しを行っているのですが、ほとんどの団体が、キリスト教系およびそっち系のいずれか、または両者でした。

全国的にも、そのようですね。本当に無知でした。炊き出しというものが、そういった思想に基づいているとは…。

気づいたときにはもう、この現場思い入れを抱いてしまっていたのでそれは割り切ることにしました。

それに、自分の中のいろんな考えを刺激してくれた良いものであったとも思います。それがどんなものであったか割愛します。

私はこれから資本主義残酷な点を見直しつつも、天皇陛下を敬うし、今の日本に期待したいものです。

以上、笑えない冗談でした。

以下、私の「炊き出し」に対する今の見解です。

そもそも、炊き出しですが、お腹が空いて死にそうな時に駆け込んだり、無職の間に炊き出しで食いつないその期間に新しい道に歩み始めてもらったりなど

短期的な支援として行っているものとしていますが、もう何十年も来ているという人が多かったりで、なんなのよってなります。ヽ(・∀・)ノ

でも彼ら、精神的、身体的、知的な問題、年の取りすぎなんかにより、社会復帰が絶望的という事情があったりで、生活保護受けていたり、福祉の世話になりたくないプライドがあったり、

単純に外が好きだったり、いろいろな人がいますがいますがそんな人たちみんなひっくるめて、彼らはこの世がこういう世であるために発生した社会不適合者であると考えることもできます

(※思想的にではなく、社会学的に基づいた考えです( ;∀;))

あと人間にはどんなに努力しても元々素質がなければ困難なことがあると思いますが、彼らの場合、この世を渡り歩くための素質を持たない、もしくは失ったのだと見ることもできます

そのような目線でいくと、彼らにとって炊き出しは、死ぬまで面倒をみてやろうというターミナルケアとしての機能果たしていると言えます

私が炊き出しに参加することに対して、「炊き出し存在路上生活者を生んでいるのでは?」と直球を飛ばされることもあります

しか炊き出し存在は、「働かなきゃごはんが食べれない」という人間労働へのモチベーションが生まれる流れを遮っているかもしれません。

それに、収入のある人が炊き出しに頼ることで本来食費に充てるべきお金が遊興費に回されるなんていう現状もあるでしょう。

厚労省ホームレスの数は調査は今のところ減少傾向に見られますhttp://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027ptf.html目視調査のため数字は不確実)

そして、現在炊き出し来場者が200人前後と記しましたが、過去は今の2倍以上が通常であったとのことから炊き出し来場者も同様に減少しているように伺えます

やむを得ず路上生活する人々への支援という当初の目的需要が減る中で、炊き出しというものが、一人歩きしてしまってる面があることは否めないと思います、、、


しかし私個人としては、食事は誰もが必要とすることであり、古代だったらそのへんの植物生物で食いつなげたろうけど現代人はそんなの食べれる免疫持ってない

っていうか今はそんな時代でもないし、ということで、


お腹が空いた時に誰でも無料でご飯が食べれるサービスがあっても良いんじゃないでしょうか


というシンプルな結論に落ち着きたいです。


そういうわけで、日本においての炊き出しにまつわる背景は別として(笑)

今後も炊き出しのものに関しては応援していきたい所存であるヽ(・∀・)ノ

2014-01-21

人間失格パロディ

青空文庫

恥の多い生涯を送って来ました。

自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。(青空文庫

パロディ

わたしはバグの多い人生を歩んできました。

自分には、なめらかな動画再生できる

アイフォンというものが、見当つかないのです。

携帯電話バグだらけのアンドロイド1.2を使用しています

自分東北田舎に生れましたので、ドコモショップをはじめて見た時に

ウィルコムじゃない携帯電話屋さんがあることに衝撃を受けました。

抱き合わせYahooADSLが売られていない、そんな馬鹿な。

自分停車場を、上って、降りて、そうしてそれが線路

をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず

大人の階段だとばかり思っていたのです。大人の階段を登って降りたら、

そこは子供なのか?老人なのか?それすら分からないのです。

登って下った先にはアナザーワールドがあるとばかり思っていました。

もしくは、天国への階段だと考えていたのです。

ツェッペリン音楽はわたしを飛行船へと誘ってくれないのです。

ギターのサウンドは天国まで登る煙のように幻想しかありませんでした。

ギターソロの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶんと気の利いた反復運動に思え、それは世の中ののトラヴィスの曲の中でもでも、最も気のきいたチューニングギターの扱い方だと思っていたのです。

のちにギターソロはただギタリストの為のオナニー行為しかないと気づいて、、

にわかに興が覚めました。

青空文庫

私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。(青空文庫


パロディ

 私は、その男写真を三度、見たことがある。ガンジーでも三度見するレベルだったからね。

 一回目は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、Facebookタグつけされていて多分彼と推定される。

 その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、一つ飛ばして、ドドリアさん!!(フリーザ山本)と想像される

 グランド花月舞台の袖に、荒いエビジーンズはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、ピサの斜塔のように斜めっている

 写真である

 けれども、鈍い人たち(つまり芸人などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

 「可愛いですねー ドドリアさん 棒」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、謂(い)わば

 ドドリア感もその笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、

 前説の訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「ド、ドドリアさん、戦闘力20000 なんて、日だ」とtwitterでつぶやいたろう

2013-12-24

おおかみこどもの雨と雪 感想

家族物語は常に未完である

1.本作の主題

 大々的に宣伝されていたこの作品の主題は「家族の絆」であった。「時をかける少女」「サマーウォーズ」で、揺れ動く思春期の心情を細やかに描き出してきた細田守監督が、特殊事情母子家庭の波瀾万丈を通して、母と子の結びつきを表現する王道家族劇であろう、と私は予想していた。

 しかし実際には、冒頭でおおかみおとこ主人公の花が「哲学」の講義きっかけに出会うことに示されているように、家族それぞれの社会的承認やアイデンティティの確立といった「生き方」への問いかけが大きなウェイトを占めている。いずれ花と結ばれ父になるおおかみおとこは、人間社会にひっそりと適応しながら、大学にもぐりソクラテスの「無知の知」についての講釈に耳を傾けていた。彼自身の特殊性人間社会との融和点、すなわち「自分は何者なのか」を彼はまだ知らない。もっともそれは花も同様である。彼らが「真に何者であるのか」が判明するのは、その後の人生の中で、主観的にも客観的にもそうだと考えられる地点に辿り着いた時である

2.おとぎ話から現実へ?

 13年という長い月日を描く作品であるため、一時期に割ける時間は限られている。花は前半の少ない上映時間の中で、おとぎ話のようなおおかみおとことの恋と別離から、残された二人の子もの育児という生々しい現実へと転がり進んでいくこととなる。わざわざアニメーションという媒体母子家庭の奮闘記を描くのであれば、母子家庭の「リアリティ」をどれだけ表現できるかが生命線となる。そのためにも花は一刻も早くおとぎ話から抜け出す必要があった。

 しか出産子育ても、半ばおとぎ話の状態からなかなか抜け出せずに進んでいく。その一つの要因として、花がすでに片親の父を亡くしている(母は離婚、別居済み)、という極めて日本アニメ文化的な手軽で便利な設定の中にいたことにある。したがっておとぎ話のような恋の終わりと厳しい現実の到来を告げるはずの「親との葛藤」のシーンはない。東京下宿させていた女子大生の娘が、フリーター(?)の狼に食われて子どもを作り大学を辞め、しかも(おおかみこどもであることを知られるわけにはいかないため)全く子どもに会わせようとしないなど、並の親なら勘当ものである。両親が既にいないにしても、親戚や最悪の場合行政施設の関係者などの後見人や身元引き受け人もいない、では未成年大学生が家を借りるにも何をするにも無理が出てきてしまう。しかし花は劇中ではほとんど言及されることのない両親不在設定を免罪符に、自由におおかみおとこと結ばれ雪を出産し、一年後雨を生んだ後におおかみおとこと死別するまで、誰と葛藤することもなく擬似的な新婚生活を満喫するのであるしか医者にもかからず独学で自然分娩を行い、子ども達も一度も医者には連れて行っていないなど、事情はわかるが少し無理のある状況が続く。リアリティのある家族を描くためには、例え核家族であったにせよリアリティのある一族が描けなければならない。そしてそのためには、リアリティのある社会が描けなければならない。しかし作品の土台となる花の周りの人々との繋がり(親族関係社会関係)が抜け落ちた「おとぎ話」のまま、二人はほとんど社会から孤立して描かれている。

 親族や後に移住する田舎社会の人々に、意を決しておおかみおとこの血を引くこどもたちの秘密を打ち明けていたなら、物語は一風変わった方向へ進んでいただろう(行政医療組織に打ち明けていたなら、悲しい話になってしまうかもしれないが)。しかしこれは二者択一の選択である。おおかみこどもの秘密を守り通そうとするなら、一家は孤立するしかない。秘密を打ち明けてある範囲の人々を味方に引き込んでいたなら、出産子育て環境リアリティはある程度担保されるが、おおかみこどもを受け入れる周りの人々、というまたまた別種のおとぎ話的な絵が出来上がってしまう。この部分のリアリティを保つのは並大抵のことではない。本作は前者、おおかみの本性を隠し通すことで、雨と雪の存在リアリティを保つ代わりに、一家を孤立させて社会生活との折り合いのリアリティを失うことを選んでいる。

3.本作の根底を貫く3つの近代概念:①選択権としての自由観

 社会から孤立した者を待ち受ける宿命は、社会から排除である。雨と雪を隠し続け、医者児童相談所も拒み続ける花は、居場所を失い田舎への引っ越しを決意する。この辺りから見え隠れし始め、映画クライマックスで明らかになるのが、取捨選択の権利としての自由を尊ぶ近代的な自由観である。花が田舎引っ越した主な理由は、人目を避けるためでもあるが、雨と雪が「人間か、おおかみか、どちらでも選べるように」したいということが大きなウェイトを占めている。そして学校田舎の人々に対して秘密を守りながら姉弟は大自然の中で育ち、おてんばの雪と引っ込み思案の雨という当初の関係性を逆転させ、最終的に雪は人間として、雨はおおかみとして生きていくことを決意する、と読み取れるあたりでこの作品は幕を閉じる。二人の姉弟が(そして母が)どのような生き方を「選ぶ」のか、というアイデンティティの「選択」が事実上主題となってくるのである。つまり、二人のおおかみこどもは、人間として生きる事も、おおかみとして生きる事も可能であり、その選択権を自分自身で持っているという考え方が根底存在している。こうした権利概念や自由観は、歴史悲劇から人類がようやく辿り着いた価値ある理念ではあるが、問題が無いわけではない。

 「おおかみであること」はファンタジーではあるが、現実の例えとして捉えることも可能である。元来日本語慣用句でも「一匹狼」などのように「狼」は単に動物を指すだけではなく、社会の周縁に生きるしかないアウトサイダーを指す言葉でもある(押井守監督の『人狼』に描かれているように)。そこから暴力的な存在という意味合いを除外して考えれば、「おおかみであること」は何らかの理由から迫害され、多数派と融和できない少数派に「非自発的に」刻まれた「抑圧のスティグマである。先の近代的自由観に基づけば、我々はあらゆることを強制されず、自発的に選択する権利としての自由を何よりも大事ものとして持っているが、実は選択していないにもかかわらず押し付けられているものもたくさんある。我々は男性として、あるいは女性として生まれることを選んだ覚えはなく、この国、この家族の元に生まれることも選んではいない。選択の自由を行使する以前に、強制的に親や社会から色々なものをもらって今の私たち存在している。こうした、我々が意図せずに所属しているアソシエーションから抜け出すことは、それが被抑圧的アソシエーションであればなおさら、多大な困難を伴う。

 いわば「人間か、おおかみか」どちらかの生き方を選べ、というのは私に対して「日本人か、男性か」どちらかの生き方を選べと言うのに等しい。日本人であることも、男性であることも、やめること自体は可能であるが、多大な葛藤と苦労を伴うし、何より大半の日本人日本人であることをやめたがっているわけではなく、大半の男性男性であることをやめたがっているわけでもない。当然私は「日本人男性」として生きざるを得ないが、それを嫌がっているわけではない。「おおかみであること」は、私にとって「日本人であること」以上に雨と雪の二人のアイデンティティに深く絡み付いている。彼らは望んで「おおかみこども」として生まれたわけではなく、そして何より自己の不可分の半面としての「おおかみであること」を辞めることは不可能だからである。逆もまた然り。雨と雪にとっては、「人間であること」も捨てることはできない。したがって大多数の人間が、国籍人種などの複数の非自発的アソシエーションに従属して生きざるを得ない以上に、彼らは「おおかみにんげん」としてしか生きられないはずである人間としてだけ生きていてもおおかみの本能は満たされず、おおかみとしてだけ生きていても人間の知性は満たされない。一方を選択して他方を捨てることでは、幸福な真の自由は訪れない。というのも、私を含め大半の日本人男性が、日本人であることや男性であることを嫌がったりしておらず、むしろそれを誇りに思うことも時にはあるように、雨と雪も本心から「おおかみであること」あるいは「人間であること」を嫌い、やめたいと感じているわけではない。真相は逆である。雨と雪に限らず「抑圧のスティグマ」を持つ人間が求めているのは、それを捨て去ることではなく、周囲が抑圧的な処遇をやめ、そのスティグマ価値あるものとして社会的に承認されることである黒人女性差別されるから黒人であること、女性であることをやめたがっているわけではない。彼、彼女らが求めているのは、差別をやめること、すなわち黒人であることや女性であることを誇らしく思えるような、他の人々と対等の処遇である自分の非自発的なアイデンティティ差別迫害を理由として捨て去ることは、雪がおおかみに変身することを必死に避けていたように、それ自身当人にとって新たな大きな抑圧となるだけであり、それを捨て去ることを強制することもまた、抑圧からの真の救済とはなりえない。

 「人間であること」のみを選択した雪は、今後もおおかみの衝動に苦しめられ続けるだろう。「おおかみであること」のみを選択した雨は、おおかみとして生きるだけでは無力であり、人間から森を守ることはできないことにいずれ気がつくだろう。したがって雨も雪も、「人間であること」か「おおかみであること」のいずれかを選ぶ権利としての自由を持つ、のではなく、彼らはどこまでも「おおかみにんげん」として生きることを運命づけられている。そのため彼らを幸福な真の自由へと導くのは一面を捨て去る選択ではなく、両面を受け入れる承認、すなわち抑圧されることなありのままの「おおかみにんげん」として生きていくことを人々、社会から認められることでなければならない。そしてその基点にして起点となるのは、二人の秘密を知る唯一の存在、母である花のはずだった。しかし雨と雪は選択権としての自由を行使し、「人間であること」、「おおかみであること」の一方を選んで他方を捨て去る。この彼らの選択は同時にもう一つの取捨選択となって現れている。それは、特に雨に顕著なように「個人」としての自己生き方を選択する代償として、それまで所属していた「全体」としての家族を捨て去っていくことである

4.本作の根底を貫く3つの近代概念:②家族を壊す個人観

 取捨選択の権利としての自由観には、この近代的な自由観と表裏一体になって形成され、社会に受け入れられてきたある考え方が寄り添っている。取捨選択の権利としての自由は、何に帰属しているのかを考えればその考え方も見えてくる。「生き方」の選択の権利は、国家にあるのでも何らかの組織にあるのでも、両親にあるのでもない。近代的な自由は常に「個人」の手の内にある。「個人」は選択の権利を持ち、それを他者に妨害されない権利もまた持っている、というわけである。こうした個人観も尊重されるべき人類の英知だが、その発達によって我々人間は別の問題に現在直面している。「個人」の肥大化により、家族社会等の共同体の絆を、そして古い慣習や信仰などに息づいていたいわゆる「大きな物語」や「宇宙的秩序」を破壊して、人類がただのバラバラの個人の寄せ集めになってしまう「アトミズム」に陥るという問題である。したがって家族という、人々の繋がりを描くべき物語根底に、こうした個人観を置いてしまうと、家族崩壊してしまう。雨は山へ飛び出したきりおおかみとして生活し、どういうわけか雪も全寮制の中学に入り、あとに残されたのはひとりぼっちの花だけ、というわけである。雨は個人としての自分を選び、家族を捨ててしまったのである

 家族を最小の社会であると考えたヘーゲルは、市民社会国家世界史へと繋がっていく人倫弁証法スタート地点を家族においている。そして王道的な家族物語はおおよそ、仲の良い親子(正)に何らかのきっかけで対立が生まれ(反)、最後和解して「雨降って地固まる」(合)という弁証法的なプロセスを辿るし、実際の子育てにおいても、子どもは両親べったりの幼少期から反抗期を経て、何らかの和解を踏まえて真の自立へ旅立っていく。反抗期が自立そのものなのではない。このようなプロセスが多くの家族ドラマ踏襲されているのは、それが流行っているからでも面白いからでもない。人間最初に個人として生まれるのではなく、家族という全体の一員として生まれることが不可避である以上、家族の絆を知るには、家族と対立して家族のものを対自化、対象化しなければならないかである毎日当たり前のように存在する両親と、本当に強い絆で結ばれているのかを知るためには、わざと両親に反発し、お互い真剣に向き合う期間が必要だというわけである。こうした視点から本作を見ると、ただただ雨と雪のためだけに「個人」としての自己を押し殺して子育てに奔走する花と、それをただただ当たり前のこととして享受する幼少期の二人は、弁証法の正の段階、無垢な統一としての家族である。そして二人が小学校の高学年に近づくにつれ、激しい対立、反の段階が現れてくる。雨も雪もお互いの違いを強く認識し、雨は特に自分家族の一員ではなく個人(個狼?)として考えるようになる。花の言いつけに反しておおかみの力を使ってしまった雪や、徐々に自然世界の魅力に飲まれ、家を空けがちになる雨、そして激しい姉弟喧嘩など、家族はそこかしこに対立の火花を散らすようになる。

 しかしここまでである。その後一家は和解して家族の絆を再確認することはない。雨は嵐の山から母を助けはしたが、家を飛び出して以後母と会話をすることはなかった。雪は草平と嵐の学校の中で自立への憬れを語り合い、その後母が迎えにくる描写も、直接会話をする描写もない。花は山で気を失っている間、おおかみおとこと再会し、彼にそれまでの人生を肯定し承認される言葉をもらっている。しかしそれは夢の中の出来事に過ぎない。花は以後雨の遠吠えを聞き、祈りの中でおおかみおとこと対話することによって家族の絆を信じ込むのである。真理は主観客観の統一にある。どれだけ心の中で絆を信じていようとも、花の現状は孤独である。そこには反発しつつも助け合うという家族現実的な絆も、現実的幸福もない。雨が個人(個狼?)として家族を捨てて旅立ち、残された花は母としてのアイデンティティを失い空虚に祈るしかない。この物語家族ドラマ王道スタイルである弁証法構造の反の段階以後を切り捨ててしまったような形になっているのである。だから少なくとも映画の終わりの段階では、家族がバラバラになり、皆、特に花は絆を失って見えるのである。そんな状況になっても、どんな時でも笑顔を絶やさない花の表情は不憫ですらある。この物語家族弁証法プロセスにおける対立から総合の段階へと移行できなかったのは、無論、前説の自由観に付随する個人観が差し挟まれ、家族の再統一、和解を妨害しているかである。個人としての生き方を選択し、家族を捨て去ってしまうことが子どもの「自立」である、という錯覚がここにはある。個人(個狼?)として生きることが家族として生きることと両立不可能なら、雨にも花にも真の幸福は訪れない。家族がバラバラの個人に分解してしまうことも、幸福でもなければ自立でもない。

5.本作の根底を貫く3つの近代概念:③価値放棄する平等

 そして何よりも花を不憫に思わせてしまうのは、単に雨がいなくなってしまたからではない。雨が「おおかみとして生きること」を選んだからであるしかし劇中では、雨がおおかみとして生きることに、花は戸惑いはしたものの最終的には肯定したし、作品全体のスタンスとしても、別れの悲しさはあっても、「おおかみとして生きること」自体肯定的表現されている。ここには、前二節の近代的な自由観、個人観から導かれる第三の概念が潜んでいる。すなわち、生き方の選択権としての自由が個人には備わっており、それは何者にも妨害されてはならない尊重されるべきものである。したがって、「個人が生き方を選択する」こと自体重要価値のあることであり、その選択自体尊重するために、政府や他者は個人の選択した生き方の「内容」にケチをつけてはならないという平等である。これも近代以後の社会には欠かせない重要概念である職業に貴賤はなく、魚屋として生きる生き方と教師として生きる生き方はどれも同等に尊重されるべきである、というわけである。この概念も、極端に押し進めると、我々人類文明的に発展させてきた一つの原則、すなわちチャールズテイラーがAuthenticity(ほんもの)と呼んだ理念のものの破棄へと到達する。この理念は、「ある生き方は、別のある生き方より価値がある」として、人間生き方には価値序列があることを前提に、真に人間が生きるべき姿、「ほんもの生き方」を模索するというスタンスを形成する。近代的な平等観に慣れ親しんだ人々にとっては、生き方の優劣を価値付けることは、政府による不必要な介入や、職業身分による差別など危険な事柄を助長するようにも思えるだろう。しかし逆に急進的な平等観の元では、あらゆる生き方平等価値を持つと見なされる。言い換えれば、「生き方」の選択を重視してその内容を無視するということは、あらゆる「生き方」の内容が平等に論争点にはなりえないどうでもよいもの、すなわち無価値となる。偉大な学者生き方も、高名な僧侶生き方も、愚かなギャンブル狂の生き方も、みな平等に無価値なのである

 このことが本作においてはどのように現れてきているのかというと、「人間として生きること」が「おおかみとして生きること」と平等価値ある選択肢として描かれている点である。そしてそれは裏を返せば、「人間として生きること」は「おおかみとして生きること」と同等に無価値であるということの表明に過ぎない。だから姉弟がどの生き方を選んで「決定」するのかということだけが重要視され、その選択した生き方の「内容」の善し悪しは一切吟味されないのである人間人生が理性を持たない単なる動物に過ぎないおおかみのPermalink | トラックバック(2) | 08:36

2013-10-26

次は小倉智昭が切られる

みのもんた が息子の不祥事で降板。

いいとも 終了。

大物司会者番組が終了で、これで小倉にも引導を渡しやすくなった。

元々視聴率も芳しくなくスタッフのウケも最悪レベル

番組経費でメジャーリーグ見に行ったりと私物化も多い。

すでにアシスタント交代や番組開始後の前説実施済で改善が見られない。

コメント世間とズレていてネットニュースバッシングネタになることもある。

フジテレビ番組自体を一新したいとか、業界の流れ、上の意向ということにすれば切りやすい。

まぁバーターとして2時間番組等に数回ゲストとかメンツだけは立ててやる。

2014年3月の打ち切り場合年内に内定、年明けの会議承認社長定例会見で発表。

12月にリーク情報が流れてくるだろう。

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