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2017-03-21

国は若者に「田舎死ね!」というのか

息子が大学受験に失敗した。

私は今、日本かどうかも怪しいような地方都市に住んでいる。

長くなるから経緯は省くけれど、私はおそらくこの化外の地で一生を終えるだろう。無念だ。

からこそ息子には東京大学に行って欲しかったし実際受験したのも地元で一校、あとは全て東京大学だ。

結局、合格したのは練習がてらに受けた地元の中堅大学だけ。東京大学は全滅だった。


私の願望を優先させて無茶な大学受験させたつもりは無い、と思う。

志望校については高校担任とも予備校講師とも、もちろん息子とも相談したけれど、

それは概ね「ありふれた挑戦」程度のもので、特に忠告も警告もなかった。


先日、受験後初めて担任と会うことがあった。

さすがに居心地の悪そうな顔をしていたが、それは「夢破れた保護者」に会ったからというだけでは無いらしい。

私の息子だけではなく、高校全体で大学合格者が急減しているというのだ。特に首都圏大学に限っていえば前年比で合格者は半減だそうだ。


どうしてこんなことになってしまったのか?

担任は「大学収容定員厳格化という国の政策問題」と言っていた。

どうやら国は大学の定員を厳格化することによって地方創生を目論んでいるらしい。


首都圏大学には全国から受験生が集中するため、現状では定員はオーバーするし、なにより地方の過疎や高齢化は進むしで良いことが無い。

そこで、大学の定員を締め上げ合格者の数を少なくすれば、地方に残る若者が多くなり地方活性化につながる、というロジックだ。

定員を超過すると補助金が減らされるから大学も本気で取り組んでいて、結果、地方民にとってこんな厳しい状況になっている。


ほんと、オブラートに包んでも言っても国は馬鹿だと思う。

そもそも地方田舎に人が集まらないのはそこに娯楽も魅力も金もいからで、まずそっちを改善する方が先でしょうに。

なのに「格の劣る地方民は都会にでてくるな!若い力で一から何も無い地元を盛り上げろ!」って、若者屯田兵か何かと勘違いしているんじゃ無いか

さすがに残酷すぎる。


もちろん定員厳格化地方受験生だけではなく、首都圏受験生にとっても影響は大きい。でもいざ浪人となった時、経済的にも環境的にも地方民は

あらゆる意味首都圏民より振りであり、また政策目的から考えるに「地方民狙い撃ち」と言っても良いだろう。


塾の講師から

最近地元志向の生徒も増えていますし、地元大学に進学した方がお父さんにとっても安心じゃ無いですか?」なんてアドバイスを受けたけれど、

地元高校から地元国立に進み、地元個人予備校講師をやり、首都圏に一度も出たことも無いお前が何を言ってるんだ、と思う。

彼は東京の「近さ」を知らない。

娯楽でも勉強でも仕事でも、東京はあらゆるものが近い。

美術館の新しい展示だって、有名コラムライター講習会だってちょっといかがわしそうな特殊バイトだって簡単アクセスできる。

この「近さ」は並みの若者が成長する上で必要不可欠なものだと、私は思う。

それに、インターネット日本中面白そうな事を見るだけ見ておいて、実際には体験できないなんて牢屋から空を見るみたいで悲しすぎるだろ。


「親御さんも安心でしょう?」だって

確かに不安は無いわけでは無いけれど、自分安心のために息子を何も無い空間に縛り付けるほど傲慢ではない。それは虐待だ。


息子が望む限り私は彼をバックアップしようと思う。浪人か、仮面浪人か。

地方民らしくお金に余裕があるとは言えないが、息子に家族共々仲良く田舎で一生を終えるなんて惨めな思いはさせたく無い。

もうちょっとだけ、頑張ろう。

2017-03-11

合格体験

現役時代私立専願で早慶MARCHに全滅しましたが、1年の浪人生活で旧帝法学部合格できました。

数学世界史化学については、浪人生活が始まってから取り組み始めました。

この1年間何をしたかというと、基本的には予備校カリキュラムに忠実に従っていました。

予備校テキスト以外では、システム英単語高校時代教科書過去問を利用した程度です。

予備校テキストを繰り返すだけで1日が終わってしまい、市販参考書に手を出す暇がありませんでした。




日々の生活は、朝8時前に予備校に行き、夜7時半まで勉強していました。

1週間の予定をたて、予習と復習を中心に、丁寧に勉強することを心がけました。

理系科目については、予備校テキストに取り組む前に、教科書の該当部分をノートにまとめ、教科書簡単問題に取り組みました。

夏前までは、とにかく数学時間がかかりました。

浪人開始から理系科目に取り組むことになったので、かなり慎重になっていたのですが、結果的には一番の得点源になりました。

基礎と標準問題を徹底的に繰り返したのがよかったのだと思います

その他の科目については、繰り返しになりますが、とにかく予備校テキストを繰り返し、センター過去問二次過去問に早い時期から取り組んでいました。

効率的勉強をしようとするのではなく、普通勉強をすることを心掛けるのが良いと思います

あと、先手必勝で、夏までは我武者羅に頑張りました。自分は、プレッシャーに弱いことが現役時代経験から分かっていたので、後半で余裕が欲しかたからです。

先手必勝は、結果が出てくるとそれを維持しようとモチベーションも保てるのでお勧めです。まぁ、余裕は最後までなかったのですが。




予備校をちゃんとやる」という当たり前の結論になっていて、大変申し訳がないです。

しかし、「普通に勉強する」ために、多くの工夫をしていました。

基本方針は、「気持ち精神論)ではなく、環境構築」です。

これについては、山ほど社会人向けの勉強方法本に書いてあるのでそれを利用しました。

気持ちの部分で気を付けていたこともあるにはあるのですが、役に立ったのかは不明です。

私は、とにかく真面目な人間を演じるという意識予備校では生活しました。

例えば、模試の前に、「やべぇ、全く勉強してないぜ」とおちゃらけることを意識的に止め、「良い点数を取りたいかギリギリまで勉強する」と友達に話していました。

これ、友達も感化されたのか、一緒に真剣勉強してくれたので、良い学習環境友達とも作り上げることができました(その友達第1志望に受かりました)。




結局、1年でセンターは5割強から8割強に(前年度も一応受けていました)。早慶MARCHの受けたところは全勝、旧帝合格という感じでした。

まれて初めて計画的生活していましたが、うまくいって良かったです。

計画的でつまらいかと思いきや、かなり充実感も感じていて、うまくいきだすと楽しくもなりました。

今、やりたいことがたくさんあります。この1年で得た経験を基に、丁寧にいろいろなことに取り組んでいきたいと思います

以上です。

2017-03-10

家族の中で私だけが異質らしい

「俺がお前の普通に会話が出来るのは、俺がお前に気を使って会話の内容を選んでるからだ」


ついさっき父親に笑って言われた言葉だ。

家族構成は父母私弟の四人。十年以上前離婚して私は母親に引き取られた。

お金問題があったので両親は離婚しているだけで会っていたし、諸事情離婚後に年単位で同じ家に住んでいたこともある。


父は切れやすく、母はその愚痴を私に話す。弟は、特に何もしてなかった気がする。

自立する前は両親の間にはいって仲裁をするのはいつも私の役目だった。


好き勝手やってきた自覚はある。

その代表高校を辞めたことだ。国から奨学金高校に行ってた。払うのは卒業後の私だ。

単純に借金をしてまで行く意味を見出せなかった。

田舎なので私立は滑り止めで受けてた。行きたかった市立高校には少しだけ偏差値が足りなかった。

じゃあ一つランクを下げようとしたら当事の担任から「お前の学力だったら受かるけど、ここを受験しろとは勧めらない。そういう校風だぞ」と止められた。ものすごくお世話になった担任だった。今でも恩師だと思っている。そんな人が止める学校を受けようと思えなかった。

結局ランクをもう一つさげた。すると運の悪いことに偏差値もガクンと下がった。

私は少し足りないだけなら挑戦したかったけれど、母親に「私立に行くお金は無い」といわれ結果として行きたくもない高校に行くことになった。

そのこともあいまって結局辞めてしまったのだと思う。私自身ここは後悔していない。

両親の猛反対を押し切って高校をやめたとき約束を一つした。専門か短大が四年大、どれになるかはわからないけど、高認取って進学するよ。

最終学歴ちゃんと塗り替えるよ、と。

数年掛かったけどフリーターをしながらなんとか無事高認を取ったとき、弟が大学受験だった。

母親に言われた言葉は「弟が受験から一緒に進学しないで」当事の私はもっともだと思った。

別に普通から逸脱してしまったのだから一年ぐらい遅れてもいいや、と思った。「別にいいよ。私のまだ進路決めれてないし」と。


弟が受験を失敗した。滑り止めも受けていなかった。それはまぁ、仕方が無いことだとも思う。

来年チャレンジするよ、という弟。母親には「次は待たないからね」とだけ言った。

後に弟が「ほんとは大学受かる気なんてしなかったんだよね。受験の頃から専門学校行きたくてさぁ」と言い出したことに殺意を覚えたけれど、それは今回は流す。


犯罪心理学勉強がしたかった私は家から通えそうな大学を調べ、受けたいところを一つ見つけた。

ここなら一人暮らししなくても実家からなんとか通えるだろう。家のこともできるし、なんとかなる。

偏差値は高く、しか予備校に行くお金も無い私はとにかく友人知人に教科書参考書を貰ったり、勉強を教えてもらったりしてた。

当事は大学キャンパスの中でバイトをしていたので大学生の知り合いに訪ねたりもしてた。

しかバイトから帰宅してみると母親電話越しに声を派って喧嘩している金切り声が聞こえてきた。相手は大体父親だ。

電話が終わった母親に呼び出されて言われた言葉は「うちは解散するので貴方たち二年後には自立してください」

当事は百年に一度といわれる不景気真っ只中。ことが順当に運べば二年後は私が大学二年の秋になる。

三年生から就職活動が始まるのに、そんな中で追い出されるなんて溜まったものじゃない。

「私四年大行きたいって言ったよね」と喉まででかかった言葉は「お母さんもうお母さんやめたい」と泣きながら溢した母には言えなかった。


結局私も弟も二年で終わる専門学校に行った。犯罪心理学が学べる専門学校は無く、まったく別に進路を選ぶことになった。

自分で決めた学校なので後悔はしていないが、母のあの言葉が無ければどうなってたのかな、と思う。

母を解放してあげなければならないのだ、と思ったあの頃の私に一言伝えるなら「お前が背負う必要はどこにもなかったよ」とだけ伝えたい。

なぜなら二年以上たち弟が正社員として働いているにも関わらず、家をでたのは私だけだったからだ。


専門学校の進学と同時に父親に頭を下げて家を出た私は、今も一人暮らしを続けている。

二年後の卒業との時「私はあなた言葉に従って家をでたけれど、弟はどうするの?ちゃんと解散するんだよね?」と母に聞けば「弟ちゃんはまだ仕事が決まっていないから」

弟の就職が決まったときに「就職決まって何ヶ月だったの?家は解散しないってことかな?引越ししないの?」と聞けば「引越しはするよ!あんたも早く残してた荷物取りに来てよ」

弟を言い訳にし、次は飼っていた犬を言い訳にし、最終的に母が私に言った台詞は「お母さんはでていけなんて言ってない。あんたが勝手に出て行ったんでしょ」だった。

一人暮らしをして、知ったのは自分母親洗脳されていたことだった。

上京した友人は「いやーインフルかかったって親に電話したら次の日にはおかゆとポカリ黒猫で届きましたね」と言った。

別の友人は「奨学金は私の名前で借りてるけど、親が払ってくれてるよ」と学生生活を楽しんでいた。

年末年始に犬の顔を見に帰った私が母親に言われた言葉は「あんたが帰ってくると金が掛かる」だった。服なんて強請ってない。化粧品だってだってない。そんなもの買う余裕があるならご飯が食べたかった。食費を世話になって言われる言葉がこれなのかと思った。

スナックコンビニバイトしながらなんとか生活をやりくりして二年頑張った。付き合いが悪いといわれてもクラス飲み会に参加する余裕が無くとも、なんとか卒業目標に頑張った。

無事に卒業し、一人で生活を回していたけれど、体調を崩しどうにもならなくなった。

母に戻りたいんだけど、と伝えれば今までの喧嘩はどこへやら「戻っておいでよ」と言ってくれた。

泣きながら話し合った。

私は「弟にも許可取らなくてどうするの。貴方一人で決めても安心して戻れないよ。弟と相談しなくていいの」といえば「弟がなんと言ってもあなたが戻ってくればいい」と言ってくれた。

洗脳されてたなんて錯覚だったのかもしれない、私がひねくれてただけなのかもしれない、と思った。


後日母親に伝えられた内容は「弟ちゃんが貴方に戻ってこないで言ってるからうちにはこないで」だった。


泣きながらの話し合いはなんだったのかと思った。母が母であることを辞めれるようになんとか自立した私より、寄生している弟の方が優先されるんだな、と思うと情けなくて情けなくて一人で泣き喚いた。


一人暮らしをしてから、何かと私を助けてくれたのは父親だった。

月に一度は連絡をくれ「ご飯は食べれてるのか」「生活はやっていけてるのか」と心配をし、父も母にお金を渡しているので財布は厳しかったと思う。それでも、時には食費を送ってくれ、時には夜行バスの乗車賃を肩代わりしてくれ、何かと自主的に世話をやいてくれた。

「お前は自分から言い出せないだろう」と。

母親から聞かされていた父は「浮気をする」「殴る」「すぐ怒鳴る」「すぐきれる」「女癖が悪い」他にももっとたくさん愚痴を聞かされていた。

そのうちのいくつかは私も目にしているけれど、少なくとも私に手を差し伸べてくれる父は、母よりもずっと親だったように思う。

「毎月やってあげれるわけじゃないけどね」「出来るときだけしかできないけどね」と言いながら、何かしら声をかけてくれたのは父だった。

から自主的電話が合ったことは一度も無かったけれど。


今も現に父には金銭的にとてもお世話になっているので食事に連れて行ってもらうことが多い。

冒頭の台詞今日食事で言われたことだ。

父は「お前が変だから母親も弟もどうしていいかからないんだ」「俺がお前と会話できるのは俺が会話を選んでるからだ」となんの悪気もなく言われてしまった。

から見た私は、私が変だから関係おかしくなったんだ、と思っているんだなと思うと涙が止まらなくなった。


父は知らないのだ。私が本当は大学に行きたかったことも、それを諦めた経緯も。父がいなくなってからずっと、私は常に弟よりも優先順位が低かったことも。私がどんなに頑張っても、何をしても、何もしない弟の方が愛されていたことを。

父は知らないのだ。


からすれば両親や弟の方がずっと変なんだよ。

私の知ってる親は、小学生の子供を残して毎日パチンコには行かないんだよ。

責任を問えば「またそうやってお母さんのせいにして!」と自身発言責任を認めない母親は変なんだよ。

私の影に隠れてなんの責任も背負ってこなかった弟が「言うことを良くきく子」と評価されているのも、私のとってはなんか違うんだよ。

家族の中に優先順位がついてるのってすごく変なんだよ。

でもこれを伝えても「お前が一番じゃないことが気に食わないんだろ」って言われてしまうことも変なんだよ。


つらい。私が変だからおかしいのかと思うとつらい。

これって最初からいなきゃよかったのと同じじゃないか


追記:20170312

まさかこんなにたくさん反応されるとは思っていなくて驚きました。

トラバ(ここでは枝?になるのかな)やブックマークコメントでお言葉を下さった方ありがとうございました。

私とは違った視点意見や、厳しい言葉などはっとさせられるコメントもありました。

また家族以外の言葉意見を目にしたことで少し前向きになれました。ありがとう

上記はあくまで私の視点であり、両親や弟から見れば私はおそらくろくでなしなのだと思います

両親も変だな、と思いますが私もきっと変なのだと思います。変でも別にいいじゃんと思っているか家族の中で浮くのだと思います

悔しくて悲しくてやるせなくて泣きながら書いた誤字脱字誤変換(今見返してみると本当に酷いですね。笑)まみれの吐き捨てでしたが、色々な意見をいただけて吐き捨ててよかったと思いました。

病気が治ったら(鬱等のメンタルヘルス系ではないです)バリバリ働いて家族とは少し距離を取ろうと思います。犬ももう死んでしまったしね。

なんというか、何回言うんだよって感じなんですけど、厳しいのも優しいのも、同調するのも、全部コメントありがとう。色々と救われました。

根性だして頑張ります

関西駿台東大文系コースについての紹介

インターネット上に関西駿台の実情に関する情報ほとんど無いので関西(主に兵庫大阪京都奈良近辺)在住の文系東大志望の方の予備校選びの一助となるように書き残しておきます理系の方でも多少は参考になるかと思います

どのクラスをどの講師担当してるかとか一年の予定みたいな情報は「駿台大阪wiki」が詳しいのでそちらを参照してください。



1.自己紹介

2016年3月私立中高一貫校を卒業東大不合格を経て駿台大阪LSクラス入学したのち2017年3月東大文科某類に合格しました。

ゆえに以下の内容は2016年度に大阪校のLSクラスに在籍していた頃の生活に基づくものになります

特に4の項目は年度次第で実情とは異なる可能性があります。ご了承ください。



2.クラス分けについて

 駿台パンフレットにはコースについての説明はあってもクラスについての説明ほとんど無いと思うので説明しておきます

まず東大志望が入りうるクラスLSLA、校舎によってはLBがあります

このうちLS大阪にのみ設置されているクラスで、東大文系EXコースの生徒は無条件で通年このクラスとなります

東大文系EXコース模試認定テストで相応の成績を取れば入れるコースですが、まあ不合格B以上ならほぼ間違いなく入れるんじゃないでしょうか。

合格率とかクラス平均点みたいな指標を頑なに開示しようとしなかったのでクラスの具体的なレベルは把握しにくいですが、聞いた話と自分の知ってる範囲では合格率は7割ぐらいです。

また生徒は某大寺とか某陽や某(一文字なので伏せようがない)高校の生徒が多く生徒の質はかなり高いです。

 次にLAやLBですが、上述のEXコースではない普通東大コースに入った場合このクラスとなります

このクラス東大志望から阪大志望までまとめられるクラスなので、仲間と切磋琢磨出来るかというと微妙と言わざるを得ません。

また往々にしてクラスの人数が多かったり講師の質も落ちるなど待遇面の粗悪さも見られます

合格率に関してはそもそも東大受験者が少ないのでサンプルが少ないですが、まあお世辞にも高いとは言えないんじゃないかなあと。

以上まとめると、「東大志望は極力大阪校の東大文系EXコースに入ってLSクラスに入るべき」だと言えます



3.LSクラスについて

上でざっと述べた内容を詳しく掘り下げます

まずクラスの人数は例年40人~60人だそうです。2016年度は60人弱でした。

男女比は年によってかなり揺れがあるようで2015年度は10%を切っていたそうですが2016年度は20%ぐらいでした。

関東御茶ノ水のSXでもあるようですし他のクラスもそうなのかもしれませんが上位進学校の生徒が多いので高校ごとにかなり群れます。おまけに男子校が多いので騒ぎます

そういう進学校の方々は快適なのかもしれませんがそうでない方はあまり快適に感じられないかもしれません。

実際僕が後期から授業にほとんど出ずに自習室に篭っていた一因はそこにあります

まあ彼らが排他的ってわけじゃないですし他人に直接危害を加えるわけではないですから上手く付き合えば快適には過ごせるんでしょうが



4.授業について

科目別に書いておきます

国語

 現代文は全て中野芳樹師の担当です。やや好き嫌いが分かれます。現役時に林修帰依していた人々は嫌う人が多かったようですが僕は好きでした。

現役時に現代文をほぼノー勉だったあるいは確固とした解答スタイル確立出来ていなかった人にはうってつけの講師だと思います

市販の「現代文読解の基礎講義」を読めば師の授業スタイル垣間見えるんじゃないでしょうか。

 古文複数講師担当しますがお勧め前田師の授業です。

これまた好き嫌いが多少分かれます古文フィーリングでなくちゃんと読むことが出来るようになる授業です。

漢文は週1時間しかないですしその1時間もはっきり言って出る価値はない授業だと思います自習室で句形覚えて赤本解いてる方が有意義でしょう。

数学

僕は数学を現役時にほぼ完成させていたので授業の大半の時間解説を聞き流しながらひたすら大数とか過去問を解いていました。

そのためどの講師がいいのかをはっきり述べる自信はありませんが、どの講師もハズレはいなかったように思います

テキストレベルは前期→後期にかけてかなりレベルが上がります

後期の難しい問題は解けなくても何の問題もないと思います。ただ解けなくても問題いからといって授業を放棄するのは考え物でしょう。

解説をしっかり聞いて考え方のエッセンスを吸収していくことが大事なんじゃないでしょうか。

また週に1回EXLといって大数C~クラス問題を2問50分で解くテストがあります

平均点は毎回10点(2割)程度です。出来なくてもしょうがないけど問題面白いですよ。

英語

概して京大意識した講義が多いです。長文英作の授業と普通の英作の授業が1時間ずつありますし精読重視の授業がめちゃくちゃ多い。というか精読重視の授業しかない。

はっきり言って東大が求めている英語力を養成するのは難しいカリキュラムだと思います。4分の1をを占めるリスニングの授業も5分の1ぐらいを占める自由英作の授業も皆無だし。

東大英語という講座は後期からありますけど1週間に1問要約などの過去問を解くだけのゴミみたいな授業です。

英語の授業は自分に合うものを何個か選んでそれ以外の授業の時間東大に特化した対策に充てるのがいいんじゃないかと思いました。

ただし竹岡師の授業は絶対に出たほうがいいと思います。僕の駿台学費の7割は竹岡師に払ったつもりです。英語観変わりますよ。

通期授業だけじゃなくて講習の自由英作文のエッセンス英単語/熟語特講、直前期の差がつく英単語300(正式名称忘れた)もかなりお勧めです。

特に最後の講座は慶應経済でconventional wisdomとか当たりまくってて試験中笑ってました。

理科基礎

授業に一回も出たことがないので分かりません。東大志望の方なら相当現役時代理科をサボっていたのでもなければ直前期だけちゃんとやれば満点近く取れるでしょう。

●地歴

平常授業(世界史通史、系統地理)は時間無駄判断したのでほとんど出ませんでしたが本試で知識不足が露呈して点数を落としまくったのでちゃんと出た方がいいと思います

ただテキストの質はあまり良くないと思います特に世界史テキストはさっさと捨てて教科書だけ読んでいた方がいいでしょう。地理も絵抜きで白黒の資料集みたいな感じ。

地理論述東大世界史はぼちぼち出ていましたがまあ質は普通でした。

世界史テキストに1980~の東大過去問が全て載っているのが素晴らしいです。赤本を買う必要が無くなります

解答はありませんが赤本程度のレベルの解答があっても特に意味はないのでデメリットにはならないんじゃないでしょうか。

●講習

東大対策の講習はほとんど無いです。確か英語数学しかない。

それ以外に東大志望の方が魅力的に見えるだろうなあと思える講習もあまりありませんでした。

関東駿台の講習のパンフレットを見ると面白そうな講習がたくさんあって羨ましい限りです。

まあ休暇中にやるべきことは講習のバイキングではなく平常授業の復習なんでしょうけどね。



5.模試について

スカラシップ認定はめちゃくちゃ厳しいです。東大志望内3位でも5万しか貰えなかったらしい。

なので必死スカラシップ狙いで全部の模試本気出す必要はないです。駿台全国と東大実戦だけ真面目に受けて後はサボるか肩慣らしでいいんじゃないでしょうか。

ただサボると家に届く成績表が悲惨なことになるので事前にサボる理由を親に説明出来る人だけサボるべきでしょう。あとサボったからにはその日はちゃんと勉強しましょう。



6.総論

 僕は関西駿台東大コースカリキュラムにはかなり不満があります

特に英語は全く東大対策には適していません。まあ京大志望が多数派だしリソースは限られているので仕方がないことではあるんですけど。

また上述の通り東大対策の講習はほとんど無く直前期のプレ講座もほぼ全て映像授業とかいう有様でした。

これは河合塾のエクシードでもおそらく似たような事態になっているので(違っていたら申し訳ない)、散々関西駿台について説明した挙句元も子もない話ではありますが、

金銭的な余裕があるなら東大志望の方は駿台御茶ノ水3号館の東大コースとか河合塾本郷校に入学することをお勧めします。

 金銭的な余裕があまりないとかそこまでする気がない関西在住の方は河合大阪エクシードとか駿台大阪EXでいいと思います

なんだかんだ7割は受かるんで予備校の犬にならずに、また予備校から離れて堕落することが無ければまあ大体受かるでしょう。

あと宅浪は全くお勧めしません。概して生活リズム崩壊しますし鬱になってる人が尋常じゃなく多いような気がします。

予備校100万は決して安くはないですが東大合格のためならそこまで高い買い物ではないんじゃないかなあと個人的には思います

2017-03-09

311島尾敏雄と私

島尾敏雄の「死の棘」という小説を読んだ。浪人時代予備校講師に勧められて買ったもの文庫で600ページと長く、ずっと読めずにいたが、春休みを使って読破することができた。簡単に紹介するなら、「死の棘」は作者の代表的私小説で、夫の浮気の発覚から始まる妻の不調と家族崩壊を記録した作品である

 読み進めていくと、妻の精神異常を和らげるためにと、「私」はこんなようなことを考える。

  『相馬に帰ろう』

 紹介され偶然手に取ったこの本のこの文章を読んだ時、私は名状し難い不思議な感じに襲われた。

 私は、相馬地区で生まれ育った。島尾敏雄相馬地区ふるさとだったのだ。

 そして、未だに故郷原発事故惨禍に見舞われている。

 東日本大震災から6年。故郷自然と思われた。

 正直言って、私はふるさとがあまり好きではなかった。自然はたくさんあって、野馬追という伝統も素晴らしいが、若者が志を高く持つには小さすぎる街だと思った。私はどうしたらなんとも言えない閉塞感を打破できるかを考えては、多分無理だろうなと半ば諦めの感情を胸に秘めていた。

 東日本大震災が起きた。

 私は生き残った。住んでいる地域原発避難指示区域には入らなかったものの、鉄道などインフラは寸断され、私たちは転居した。都会に。

 それからの私の生活は非常に充実したものとなった。幸い、福島出身と明かしても白い目で見られることはなく、田舎ありがちなデキる人の足を引っ張る風潮もなかった。意欲ある人が存分に学び体験できる施設があり、尊敬できる人がいた。若者がより広い世界へ飛び立とうとする意欲を持つには充分だった。

 東日本大震災が起こって6年になる今、私は東京で高いレベル教育を受けられている。あの地震でおぞましい数の人が亡くなり、今も苦しんでいる人が大勢いるが、私にとって6年前の地震人生を大きく変えた分岐点であったように思える。あの地震がなければ、私はここにはいない。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか。嫌だったふるさとから、私は逃げるようにしていなくなってしまった。どうすればいいかからなかった。何か違うのではないか、という気持ちが渦を巻いていたが、田舎を離れられる開放感でそれを押さえつけてしまった。大震災を美化してしまった私の思考が正常なものなのか、若さゆえの過ちなのかは未だにわからない。

 小説の中で島尾敏雄相馬に帰ったのは、崩壊してゆく家族とのギリギリ人生をやり直す力を、故郷に感じたからだと思う。多くの人が、故郷自分人生の原点にして、そこの原風景大事にしているように。私が捨てた故郷のそばには、未だに立ち入りが禁じられ、人々が帰ることすらできない場所がある。彼の郷里最近、立ち入りが許可されたばかりで、復旧・復興とは程遠い。故郷に帰ることさえ一生叶わない忸怩たる思い、悩み苦しんだ時に自分が生まれ育った場所が変わり果ててしまった悲しみ、いわれのない差別に苦しみ、福島出身ということに引け目を感じている子どもたちの心情にどうやって接したらいいかからない。故郷を追われ苦しんでいる人に少しでも助けになるように日々研鑽を積んで、その人たちを助ける力、次に世界を揺るがす大事件が起きた時に多くの人を助けられるような力を養うことが、震災をチャンスと捉え故郷を捨て去った自分贖罪だ。

 自戒として、ここに記しておく。

2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308162155

というか第一志望落ちた人も、

第一志望のための勉強でなんだかんだ滑り止めなり、志願変更した先なりに受かっていくものなので

受験に失敗したか努力が全く実ってないとみなして良い、ってわけでもないような。

予備校先生に言われたけど、第一志望落ちて第二志望に言った人が、

初めから第二志望だった人ランク下の大学第一志望にして、程度の低い勉強をしていたら、

それでその大学に受かったどうかは怪しいのではないか、ってのもあるようだし。

努力は実る」

北九州予備校建物には、「努力は実る」と大きな看板が掲げてある。

努力が実らなければ、努力が足りないと暗示しているのか? 

それは予備校として逃げている。

休日学校にいる先生

先生はすごい

学校が開く朝7時には職員室にいる

放課後は完全下校の7時過ぎても職員室にいる

もちろん土曜日にも職員室にいる

日曜日も大抵いる

祝日もいる

夏休みもいる

冬休みもいる

春休みもいる

今年の正月三が日は教育委員会から学校を閉めろって言われたか

誰も職員室にいなかったらしい。

今年は。

会議12時まで何日も続いても、毎日授業してる

新婚でも、40過ぎてても、睡眠時間4時間程度で頑張ってる

運動してないのに疲労骨折してる

いつも手足がむくんでる

転任の挨拶あの日から、たいして経ってもいないのに随分と老け込んだ先生

月曜日には染めるのに、金曜日には白くなる髪の毛

どんどん減っていく毛量

今日は化粧のノリ悪いなあとか。

クマが隠しきれてないなあとか。

忙しい時期に合わせて、太ったり痩せたり

毎日学校に来て、先生はすごい

たくさん課題を出す分

たくさんチェックしなくてはならないのですね

土曜日は課外授業

日曜日も長期休暇も祝日も生徒を学校によんで、自主学習

自由参加という建前でしたね

みんな不平は言うけれど先生の方がずっと大変だったでしょう。

三年生の担当は両手で数えられるほどしか休めないと聞きました

三年生の受験指導に全力で、

浪人生の面倒までみる先生

いつか三年生になると土日と平日いう概念はなくなると先生はおっしゃいましたね


予備校にも塾にも行かなくていい

うちが面倒を見る、という先生

ほんとうにありがとうございます



でもいいんです

僕は予備校がいいんです

毎日学校にいるのは辛いのです

学校はいいところです

でもずっと同じ環境に身を置くのは気が滅入るのです

学校予備校二重生活になるとしても、それはそれで気分の転換に良いのです

田舎から有名予備校はありません

ですから先生はいつも予備校のぶんまで僕たちを指導してくださりましたね



結構です

遠慮させていただきます


先生方は休んでください

給料に見合ったぶんの仕事もだけでいいんです

労働基準法について授業しながら笑わないでください

予備校課題学校課題で手一杯になるから行くなと先生は言うけれど

学校課題は減らせなかったのでしょうか

予備校ありきの学校でも良いのではないのでしょうか

そんな学校のせいで有名予備校進出していないのではないでしょうか


志望校を高くしろと生徒を煽てて、

合格できそうにもない大学を進めて、

後期は合格率のために行きもしない国公立を受けさせ

浪人しようとしない生徒にそれでいいのかと説教をした先生

この大学レベルが低すぎるから

推薦を出してくださらなかった先生

東大志望だった子が出願したくないと言った時、今までの先生方の東大対策無駄にする気かと、不安定な時期に責めましたね

継がなくてはならぬ病院のある子に、執拗東大を進めましたね

東大にこだわるのは上から圧力だそうですね

関大志望者数はクラスごとにノルマがあるそうですね

センター対策をすると二次で取れないからと直前まで対策しませんでしたね

毎年センターが上手くいかず出願できない生徒が沢山いますよね

部活OBも年上の兄弟異口同音センター対策必要と言っていましたが

先生は決してしませんね



僕は高校が大好きでした

卒業した今でも大好きです

先生が僕らのことをすごく大切にしてくださったことも知っています

先生のことはすごく尊敬しています

ですが先生も生徒も、毎日学校にいることが当たり前という生活に疑問を感じていました

先生3年間ありがとうございました

無事合格することができて今はホッとしています

ずっと学校で見守ってくださった先生

今だから言います



東進のおかげです!!!


今までお世話になりました。

林先生!!!

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307085009

高校によって違うだろうし、一概にも言えんが、少なくともうちの学校は授業の質においてはお話にならなかったよ。



中高一貫校で6年間英語をやっているのに、ぜんぜん読めるようにならない。文法の穴埋め問題集やらせ教科書日本語訳言ってるだけなんだから当たり前だよね。

結局生徒の大半が高校2年生から伊藤和夫参考書を読んで、英文が読めるようになっていた。今までの5年間で出来なかったことが、2か月で出来るようになっちゃうんだからみんな唖然としていた。



日本史に関しても、武士が発生した理由とか、緊縮財政の仕組みとか、全然からない。板書をひたすら写してるだけなんだから当たり前だよね。そもそも現代史までたどり着かなかったし。

結局みんな予備校に通って旧石器時代からやり直して、夏が終わるころには基本的なところはあらかた分かるようになっていた。



高校受験予備校じゃない」ってのはよく分かるが、上みたいな事態に対するエクスキューズになってんのかなぁその理屈は。まぁうちの学校だけかもしれないか一般化はしないけど。

http://anond.hatelabo.jp/20170307084419

高校受験予備校じゃないんだが…

そりゃ受験に特化した教育なら予備校教師の方が上だろ

http://anond.hatelabo.jp/20170307084217

学部卒の高校教員とか実際何も学ぶことない(人間性人格とかは除く)わな。現状でも予備校講師に授業の質で完敗してるような教員が大半なのに。

2017-02-28

酔っぱらったカーチャンの語った半生がなんか割と大変そうだった

田舎の家に生まれ高校生の頃に祖母が出て行って両親が離婚した。

自立心が強く後にフェミ活動家とか市民活動とかにのめり込む祖母は常に自身人生の充実を探求しており、子育てにはまるで興味がなかった。

祖父母ともに気性が激しかったため怒鳴りあい殴り合いのケンカも頻繁にあって、

母の妹である叔母はグレにグレていたらしいので、話を聞く限り色々と機能不全な家族だったようだ。



高校卒業後、東京美大を目指して東京で絵の予備校に通っていたらしいが、田舎娘ゆえに警戒心が薄かったのか、電車毎日のように痴漢に遭いまくって、

乗る電車を変えたりしても別の痴漢に狙われるなどして解決せず、最後には恐怖で部屋から一歩も出られなくなり、予備校に通えなくなって半年もたずに帰郷

その後地方芸大に入って絵を描いたりしていたらしい。



卒業後、ファッションビル雑貨店に勤務。ポップとか描いていたそうだ。

恐らくこの頃にライブハウス飲み屋で父と知り合い、結婚し、バブルがはじけるころに俺を生む。

父の家は観光地食堂をしていたので、嫁なら当然ということで毎日無償労働

父が家に入れる分以外の収入は一切なく、雑貨店勤務時代の貯蓄を切り崩しながら生活

父方の祖父母は年金なんか馬鹿の払うものだという考えの持ち主だったため、10年近く無年金

父方祖父アル中で手が動かなくなってきていつ引退するかわからない状況になり始めるが、父が一向に調理師免許を取得しようとしないため、

営業許可に関わるので念のため父と相談して母が先に取得したところ、代々続く店に女の名を掲げて恥をかかせる気かと祖母になじられるなどする。

父は数年後に1回落ちたが調理師免許を取得し、ギリギリ祖父引退には間に合った。



その後、父が金がない景気が悪いと言って家にあまり金を入れずに、150万円規模の趣味楽器を無断で購入していたことが発覚し遂に離婚

大手眼鏡チェーンでパート店員として勤務、ようやく年金に加入。

母子二人の生活が貧しいながらも軌道に乗り始めたところで、田舎祖父があちこちガンになって手術連打。

車で片道一時間かかる病院に通うのが大変という話が出はじめ、叔母は親に反発したまま大人になっていたので、やむを得ず俺を連れて帰郷

祖父帰郷一年ほどで死没、死にかけてるくせに皿が飛び交うような言い争いを何度も見た。

飢えるとその辺の草を躊躇なく食いまくる俺の発達障害が発覚したりする中、母は調理師免許を使って公営デイサービスセンターの昼食係に契約(嘱託?)職員として就職

何年か問題なく勤務して契約年数も残っていたのだが、町が方針転換して施設食事業者委託することになったため突然クビを切られる。



かねた施設長に介護員として拾われて同じ施設介護職へ転職介護福祉士ケアマネージャー資格を取りながら何年か働くが、

町の規定契約が何年までと決まっていたらしく、契約満了となり民間の小規模施設転職

同時期に体調が悪化、後にメニエール病であることが発覚して投薬治療が開始されるまで車での送迎業務ができない状態になる。

離れて暮らす祖母とはずっと交流を持っていたが、祖母からお金をただ貯金していることを散々馬鹿にされ、

祖母利益を上げまくっていた和牛投資にコツコツ貯めた100万円を投資する決断を下したところ、一年も経たずに投資先が破綻して回収不能となる。

散々勧めた張本人で、回収不能額よりこれまでに上げた利益の方が多かった祖母からは、自己責任、見る目がないと罵られ当然ノーフォロー



家族経営だった小規模施設サービス残業や持ち帰り仕事が増え、

さら利用者クレーマー家族が発生してスケープゴートにされ続けたため、引責と体調を理由に再度転職することに。

ちょうど俺が独り立ちしたタイミングだったことから、稼ぎよりも労働環境を重視して大きな母体のある中規模デイサービスパート介護員として就職

真面目に数年間働いていたところ、組織全体で正社員登用制度を作る話が出るが、同じ介護パートが数名いる中、母のみ対象外となる。

理由制度開始の三日前に誕生日を迎えて、制度年齢制限に引っ掛かってしまうため。

母体が大きすぎたことが裏目に出て、逆に融通がきかなかった。これには流石の母も一晩でワインを三本空けるヤケ酒。

この話はその時にちょうど帰省していたので聞いたことをまとめたもの



持ち家一人暮らしはいえ、手取り11万円程度での生活がいつまで続けられるかはかなり怪しく、年金空白期間が長いので僅かしか貰えそうにない。

ボロボロ実家はあちこち傾いたり穴が開いたり、開かない扉ができたりしているが、補修のメドは立っていない。

最近の母の趣味は、電気代を前年同月よりも下げる事らしい。

2017-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20170225215843

からはっきり「20校の大学とその他就職予備校に分けろ」って主張が場を占めてるんだよな。

2017-02-12

絶望的に口語能力が低いことに気が付いた

小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。

中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。

地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つの関の山だった。

卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分地元市役所に無事入庁できたものの、仕事説明どころか市長挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。

研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。

休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。

通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。

社交不安障害だといわれ、ワイパックスラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。

休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。

今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。

仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。

自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分説明をする時にも、何を言いたかたか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問意味が処理できず、そしてパニックになる。

コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。

機関とある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。

トップレベル口語能力が欲しいとも言わない。仕事必要口語能力が欲しいのだ。

そろそろ私は大台に突入する。その前に人並みの口語能力を手に入れたいと考えている。

もし私と同じような境遇で、そこから脱却できた人が居たら、方法があれば、教えてほしい。

2017-02-10

優等生から鬱病になってクズになった僕の人生

死にたい ひたすらに死にたい

誰もこんな僕を知らないんだろ

僕が話すことや行動だけ見て僕が死にたがってるだなんてなんにも知らない家族他人 うざいんだよ 死ね 死んで見せつけてやろうか でも死ねないんだよ 死ね


今の僕を見てクズしか見えてないクズども死ね

僕が元学年トップだった過去なんて誰も知らないんだろ 死ねからもただのバカで低脳クズ扱い 死ね

今見てろクズ共 見返してやる なんて思ってなんにも出来なかった もう何も戻れないんだよ 死ね


鬱病になって中学1年二学期から不登校になった

それまで学校休んだことは無かった 部活も周りがサボる中絶対にサボらなかった

宿題も泣きながらやってた

テスト勉強ちょっとするだけで高得点が取れた

塾ではベスト5に入るようになった

自分が賢かったことに気付いた 友達も多かった

中学に上がって平然と30点を取ってる人が信じれなかった

逆にどうしたらそんな点数が取れるのかと疑問に思ってた

小学生からその時までずっと優等生だった 逆の気持ちなんてなんにもしらなかった


そこで僕は不登校になった

久しぶりにテストを受けた 何にもわからなくて初めて0点を取った

初めてこっち側気持ちがわかった

普通の人というのは普通にしてるだけで普通に点が取れることがわかった

でも1度でも落ちぶれる普通の人なんかよりも絶大なエネルギーがないと普通になんか戻れないんだよ

から普通の人は普通じゃない人の気持ちはわからない 普通じゃない人は普通になりたくても中々なり得ない

とりあえず死ね


そこから人生は180度変わった

親に毎日のように怒られ、びくびくするようになった

だって学校行けない自分絶望してたんだよ そして行きたかった 行けない自分を殺したいくらい行きたかった 自殺未遂なんか何回もした それでも行けなかった

そんな僕のことなんかなんにもしらず親は殴ってきた

無理矢理中学に連れていかれたことも何度もあった そんなことが起こる度に学校が怖い場所になりいつのまにか同じ年くらいの人間の声がするだけで心臓バクバクするようになった


そして僕の鬱病悪化していった

お前らのせいだよ 死ね 死ね


中学3年間家に引き篭もって2ちゃんねるゲームに浸る日々だけですごした

勉強なんかできなかった

それでも学校に行けない自分が嫌いで、普通の人のような人生を送ってないような自分が嫌いで、不登校になるかもしれない覚悟で少し遠いDQN高校入学した


そこには同じようなクズ達がたくさんいた 最初こそ同年代人間がいるだけで恐怖でしかなかったけど慣れていった

ヤンキーは怖かったけど実際悪い事言われたことはなく良い奴らだった

途中2週間ほど学校に休むこともあったけど必至にノートを写し、宿題完璧にし、流されない自分を作ろうと頑張ってた 休んでても特に何も言ってこない奴らで良かったと思った


それでも傷つきやすく、極度の不安に陥り、負の連鎖が止まらなくなることが本当によくあった

僕にとって一番苦しい時間だった


だが段々と僕はその負の連鎖に陥りそうになった時に結論を求めるようになった

そうするとただ1つ「考えても仕方が無い」という結論に毎回なることに気付いた


これは本当に自分を変えた思考方法だと思う なにか不安になった時、考える間もなく結論を出すようにした そうすると本当に楽になった それから段々鬱のような症状は無くなっていった

自分が傷つかない様に変われた瞬間だった

いつしか僕は不安にならなくなった

緊張感が無くなった

怒られることに恐れなくなった

自分がしてる行動に責任を感じなくなった

僕は高一の時は先生に真面目に思われてた

遅刻はしないし授業は真面目にノートを取ってテスト勉強もかかさずしていた

でもそれは自分が失敗して傷つきたくないからだった

高2高3になるに連れて僕は失敗しても傷つかない自分を手に入れていた

そうなることで僕は毎日のように学校遅刻するようになり授業中はほぼ寝るようになった

卒業できればいいと思いテスト勉強は最低限だけし、ノートに限っては1度もペンを握らなくなった

そんな今更戻れないクズが出来上がった

どれだけ怒られてもその場限りはいと言って何も実行できなかった

責任感が圧倒的に欠如した

人間不安や緊張は物事を頑張るためにある機能なんだと知った


理想だけを胸にこんなDQN学校じゃなくて真面目な自分友達でまた自分をやり直したいと思って大学進学を夢見た

でも僕は勉強を実行することが出来なかった

それどころか頑張ることが何も出来なくなっていた

頑張ることが出来ない人間 この世界で一番醜くて認められない、更にその上理想まで夢見てる アホがクズろくでなしが出来上がった


僕は浪人した 自分は家で勉強たかったのに父親がうるさく予備校にいけと行って無理矢理行かされた

僕はその学校不登校になった

そんなあからさまに酷いことをしてるのに何一つ責任を感じれなかった 焦れなかった 何円かかってるかわからないのにそれでも僕は責任感が欠如していた

僕は二浪した 自習室に行って勉強するようになった そこでも22時までの制限があるのに夕方20からしか行けなかった

だらだら怠惰でいつのまにか夜になっていた

10月になり初めて念願の自分の部屋を姉から譲り受けた 今まで僕は自分の部屋が無いから僕は勉強ができないと親に主張していた だからこんなにクズなんだと、自分の殻にこもれないか精神おかしくなったんだと 自分でそう思っていた

でも自分の部屋があっても勉強できねぇじゃねえかよ 死ね

自習室でやってたより勉強時間が減った

そんなこんなで今日Fラン大学を受けてクソみたいなやり込んだ問題も解けなくて衝動的にこの文章を書いた


鬱病になったらもう終わりじゃん

治ってもクズしかならないってなんなの?

俺に与えてくれたお金経験知識全てが0になった中学時代 いつまで背負えばいいんだよ

死ぬまでこんな思いしないといけないのかよ 死ね

俺に誰も期待すんなよ 絶望すんなよ でも馬鹿にすんなよ 全員死ね 俺なんかなんにも出来ないんだよ 頑張ることが出来ないんだから 死ね

どうしたら緊張感を出せる?不安感を出せる?焦らせれる? 責任感を復活させれる? ググっても逆の答えしか書いてねえじゃねえかよ 死ね

おまけにコミュ障どもり症バイトもできない バカにされるのも嫌だ 逆転人生狙おうとしたけど無理だった ニートも嫌だ 就職も嫌だ 専門学校も行こうとは思わない

ここで大学に行けなかったら一生普通人間に戻れなかった自分に後悔して死ぬんだ

もうどうすればいいの? 生きても地獄 頑張るしかないなんてわかってる って思いながら2年間を過ごした もうこの先は猶予がないだろ

鬱病死ね不登校死ね

なんで俺みたいな輝かしい人生を歩むつもりだった奴がこんなに馬鹿にされなきゃいけないんだよ 神様イエス様キリスト教信仰してずっと幼い頃教会に通っててずっとずっと純粋に信じてた

なにが信じるものは救われる? 信じても殺人事件で殺される様なもんだよ 取り返しのつかない不幸はどんな人間にも訪れてしまう なんで俺なんだよ 俺のせいで家族は不幸になるし俺はクズで何1つ責任果たせないし

死ね

死ね

殴り書きで初投稿 こんなクソ文誰も読まないかもしれんけど匿名から勘弁してくれ

俺は外面は死ねという言葉なんか一つも言わない善良気取りで周りからは優しくていい子だと思われてるよ

そのうちクズなことがバレてすぐ絶望されるけどな

死ね

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170207223033

面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテスト大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。

まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。



しろ今の入試制度は、ペーパーテストだんだん軽視されつつある。

一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。

僕も昨日今出川大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。

地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。



ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。

例えば論文高校生のうちに、仮に稚拙ものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。

あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。




しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。

時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。

就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。



なお、科挙廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、

科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。

今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学学問をやるには役に立つ。あと、科挙あくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。



まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負不安定感も一応軽減している。

形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。

それでもやはり、大学就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。


自分もまだ19歳、よくわかってないところもあるだろうけど、取り敢えず書き立ててみた感想ってことで。

2017-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20170204225930

勉強って昔のオタクが考えたことをなぞって喜んでるだけとしか思えなくて好きになれない。そんなに勉強って楽しい楽しいって言ってる人間高校時代予備校に完全に洗脳されたんじゃない?

2017-01-31

子どもを作った理由

http://anond.hatelabo.jp/20170131134233

費用

夫婦ともに大学受験経験者だったので、2ch大学受験板とかをリサーチして、大体この予備校のこの教師の授業を取って、この参考書やらせれば受かるだろうな、というのが見えていた。

世間でよく言う高い教育費用ってのは知識リサーチが足りないことによって予備校業界に騙されてるだけだと思う。

都内なら、中学受験では5年生の夏からSAPIXに入れて大量のプリントを親がきちんと管理してやれば中堅私立ぐらいなら簡単に受かる。

大学受験では高校2年生の部活引退から代ゼミトップ講師の授業を取らせてやれば早慶はだいたい大丈夫

いい大学入れたいだけなら、公◯とか、明◯義塾とか、高い金払って行かせなくても大丈夫だよ。

他の理由ならともかく、教育費用のために子ども作らないってのはホントもったいないと思う。



病気障害

夫婦ともにクリスチャンだったので別にそれはそれでいいんじゃないかと思っていた。大変だろうけど、それで人生が思い通りにいかなくなっても、そういうもんだろうという感じだった。

結局病気障害は持たずに産まれたので言葉に重みがないけど。



時間

本が読めなくなったり映画が観れなくなったりってのは確かにその通りなので、それが絶対嫌だとかなら子供作んない方がいいと思う。



介護

小津安二郎東京物語』とか黒澤明『生きる』を観てて、子どもに老後の世話とかを期待しちゃいかんな~と思ってた。キリスト教の教えでも、子供に期待しすぎちゃいけないってのがあるので、覚悟はしている。



メリット

ここまで元増田の挙げたデメリットについて書いてきたけど、メリットを挙げるなら、身近に自分と違う価値観人間がいるってのはいいもんですよ。

競争社会にまみれてない子どもと話していると、自分価値観いかおかしくなってるかが分かります聖書の読み方とか変わってきますホントに。

そういう子供受験競争にぶち込んでるのはどうなんだって話ですが、将来の夢聞くと大学行かせないとダメそうなんでやらしてます何だかバカみたいですが。

2017-01-29

学校特に高校なんて、高卒認定試験取れるぐらいのお勉強友達ごっこだけして、勉強面は予備校やらせたほうが明らかに効率がいいと思う。

その辺の進学校ベテラン教師より、そのへんの小規模塾の若手講師のが上だったりすることも結構あるわけで。

まあ塾講師ぐらいの、授業以外は何もしなくて良い待遇を与えれば今の講師教師になったりするのかもしれんし、一部の私立では非常勤で招いていたりするけど

現実的に無理だろうしなあと

2017-01-25

母と母の両親で暮らす一軒家に父親が婿入りする形で両親が結婚

私と下の兄弟が生まれるも、何かと折り合いが悪く、私が小学校低学年のころ父が家を出ていく。

数年後同居が再開するも、両親はいがみあい喧嘩が絶えず、私が高3の時に再び別居。

その際、母は「もうこれで出て行ったら、二度と元には戻れないから」と言ったらしいけど、それでも出て行った。

これを人に説明すると「お父さん可哀想」と言われる。

でも父は本当に勝手な人だった

「親のいいなりになるなよ」と言うくせに私が予備校に通わないことに対してずっとネチネチと怒っていたし

テレビを見ているとすぐ「こいつ在日」とか「草加だよ」とかいうし

ツイッター陰謀論リツイートしまくったり、政治家に対して「氏ね!」とか言ってるヤバい感じの人になっていった。

年末年始勝手に一人で実家帰ったりしてたし

家族旅行しててもいきなり電車に乗ってどこかへ一人で行ってしまったりした

私はもう、我々が家族揃って暮らすことは無理だと思ったし、父親が出ていくことを止めなかった。どうぞさようならと思った。

そんで、母はメンヘラ化するわ、父は全く人の話を聞き入れないわで関係がズタズタになってしまっているにも関わらず、父方の祖父母も、母方の祖父母も全く離婚を許さない状況。

母は新しい彼氏がすでにいて、毎日ずっと彼氏電話している。私と二人で出かけていても。

どうしたらいいのかわからない。もう自分気持ちも分からなくなった。

少なくとも母の味方でいさせてほしいのに、さすがに彼氏がいたらまずいだろうと思う。堂々とするのは離婚してからにしてくれよ。まじで勘弁してくれ。

とにかく早く家を出たいということだけ。一人で暮らしてみたい。

でも、そしたら母親彼氏が家に住み着きそうで嫌だなと今は思う。

祖父母は私に家や土地を継がせる気マンマンで、なかなか逃れられそうにない。

とりあえずいい大学入ったけど、就職しくじってもう一年やることにした。

なんかもう疲れた死にたい

多分今の所お父さんのおかげで一応生活できてるのがまた申し訳なくてつらい。

生きててごめんなさい。

2017-01-24

文科省だけじゃない!教員天下り問題

文科省から天下り問題が注目を集めているけど、教育業界天下りはそれだけじゃないよね。

例えば、教育大学学部)への教育委員会経験者や「有名教師」の天下り

教育大学学部から昔ながらの教育研究者を減らして、現職あがりの教師准教授とかで迎える動きがここ数年でずいぶん進んだ。

これって、実践的な教師を育てる名目で推し進められているけど、実態学生教員採用口利きするためのものになってる。

結果的に、学生は有力教員に擦り寄るだけになるし、お上にペコペコ頭を下げるイエスマン教師けが排出されるようになった。

現場を知らない教育研究者ダメダメであるにしても、実践しか知らない教授准教授が増加して意味不明論文かいてたりする。

教育大学予算削減を狙いとして、研究系の大学教員をどんどん外に追い出して、現職上がりの教員だけとったら教師になれる学生は増えるかもしれないけど、頭を使う教師は増えない。

いま、教育大学予備校化してる。

これまでの教員養成が良かったわけではないだろうけど、実務家教員だけで良くなるとは限らない。そればかりか利権の温床にもなってる。

そのうち崩壊すること間違いなし。

2017-01-22

父親ハードルが高すぎて自分が家庭を持つイメージができない

24歳で,付き合っている人もいるのだが,結婚して自分が家庭を持っている将来像を描けなくて困る

自分父親父親としてかなり立派だからなのかもしれないと最近になって思い始めた

全てにおいて完璧というわけではなくて,いろいろと残念なところもある.それでも,父親自分にしてきてくれたことを,自分が将来生まれてくる子ども達に同じようにしてあげられる自信が全くない

平日は夜遅くまで残業をして帰ってくる.新卒入社した小さな金融機関にずっと勤務していて,今は総務部部長をしているらしいのだが,仕事の話を一切家でしないので,会社でどれだけ大変な思いをしているのかも分からない.

から自分の抱えるストレスや重圧を,子である自分が感じることはなかった(ただ,「家にいるときくらい電話には出たくなくなる」と言って休日に家にかかってくる電話に出ることを避けようとはしていたのだが,本当にこれくらいのもの).

母親に辛くあたるなどということは決してなく,表面的には表さないけど家事をこなす母親に対して感謝気持ちを十分に持っていることは子どもながらに感じていた.それだけに,母親が作った料理文句を言ったりする姉に対してはかなり厳しく叱ることもあった.

休日土曜日ほとんど仕事,それでも予備校に通う自分を駅まで送り迎えしてくれていた.申し訳なさを感じていなかったわけではないので,「自転車で行くよ」と自分も言ったけど,「この風では大変だから」などと言って結局車を出してくれていた.

そんな生活をしていたら日曜日くらい何もしたくなくなりそうなものだけど,ほぼ毎週,車でどこかに連れて行ってくれていた.

ほぼ毎晩家で酒を飲んでいて,それが明日への活力になっていると本人も言っているのだが,その程度で毎日仕事へのモチベーションを保てているというのは今になって考えると本当に尊敬に値する

だが,それ以外にストレスのはけ口になりそうなことはほとんどしていなくて,ギャンブルもしないし,スマホほとんといじらないし,休日に誰かと飲みに行ったりもしないし,平日も代行で帰ってくるなどということは数年に一回あるかないかくらい

たまに一人でバイクでどこかに出かけているみたいだけど,それ以外に趣味があるのかと心配になってしま

中学生高校生の頃は,世の中の父親とはだいたいそういうものなのだと思っていて,大学生になってから友達家族の話をしているときに「うちの父親ほどいい親はいないんじゃないか」と思うようになった.

そんな父親と比べて,自分は付き合っている人を大事にできているかというと自信が持てないし,疲れにうまく対処できていないし,自分生活で精一杯になってしまっている.

家族を背負って生きていける自信がない.

尊敬するという言葉は軽々しく使うべきではないけど,父親のことは心から尊敬している.自分もいつか父親のようになりたいと,最近は強く思うようになった.

こんな自分でも家庭を持つと変われるのだろうか.父親自分くらいの年齢のときはこんなものだったのか.そんなことを考えると,将来がとてつもなく不安に感じられてくる.

2017-01-20

薬学部にいて苦しい人達

そろそろ後期試験だろうか。

卒業試験だろうか。

それとも、薬剤師国家試験前だろうか。


私は4年制薬学部最後入学者で、1回生を2回やった薬剤師です。

留年した人間国家試験体験記というかただおばちゃんが思い出を書くだけなので、気が向いたら読んでいってほしい。

書いてみたらクソ長い。ごめんなさい。



◆なんで留年たかというと

講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。

こちらのほうが致命的である

私が親なら退学を勧める。

しかし別学部卒で自身留年経験のある親は留年を許してくれた。


今思えば、

当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。

自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると奢っていた。

ノートを頻繁に借りに来る友人を軽蔑したりもした。


留年してから自分は本当に惨めだった。

同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。

結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレート合格できたのだけど。


◆その国家試験前の話。

私学なので国家試験前は予備校先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由私たちにはそれがなかった。

今でも納得いっていない(笑)

ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室毎日自習した。

お湯を沸かすためのポット。

味噌汁スープコーヒーお菓子

青本と、過去問

無機質な真っ白の部屋に

これらを持ち込んで占有させて頂いた。

大学入試で入れない日は、ドトールに行った。

こんなに頑張ったのは初めてだった。

大学入学すら追加合格だったし。

考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。

できない、というのはなんとなくだらだらして。

無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。

余力を残すことで、結果が出なくても言い逃れできるようにしていた。

ほら、やっぱり真面目系クズだ。


クズにも底が見えた。

毎日毎日勉強していた、7年前の今日

勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して

行ったことのない駅で降りていた。

会社と反対側の電車にのるみたいな感じかな。

風のすごい強い寒い日で、我に返って大学に戻ってコーヒーを飲んだ。

そんな意味不明な1日。


その日以降はまた淡々勉強して、国家試験合格した。

(ちなみに一般的に国試より厳しい卒試は、非常に優しかった。だってお荷物から追い出したいし…なので割愛。)


今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。

受験における全力の努力って本当につまらない。

毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。

解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。


悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。

今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。

そういう風に人間できている。

だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。


◆今、卒試国試前の人へ

6年間も(それ以上かな)本当に良く頑張ったから今そこにあなたは立っている。

ゴールより手前で息を吐かないよう、走り切ってほしい。


留年した人へ

ドラマのような、逆転劇は残念ながらない。

最後は、自分でやるしかない。

もっと残念な話をすると、勉強就職後も続く。

留年や休学を繰り返すループに入ると、時間的にも金銭的にも人生に響く。

向いてないと思ったら、勇気ある撤退を。

それは全然悪いことじゃない。

自分人生を、大事な時期を真剣に考えての判断なら、それは後退ではなく前進だ。


それでもそこで踏ん張るなら、応援します。

上でサクッと書いたけど、「それなりに友人ができて面倒見の良い教授出会えた」のは、大学に行き続けたからだ。

必ず授業にはでること。

頑張れ。




これを読んだ人が、実りある人生を送れますように。

2017-01-14

スマホ婚活物語

呼んでもいないのに、また誕生日がやってきた。32歳になった。その時を大宮あたりにある自宅のワンルームアパートで俺は迎えた。

仕事公務員。俺は一浪で、とある無名大学入学し、一留卒業し、さら卒業後に一年公務員試験勉強をして入庁した。運良くストレートで入庁までたどり着いた奴らと比べると、3年余分に時間を食ったことになる。くそ、と思うことはいつもであるが、それでも、出身大学レベルからすれば随分立派な就職先に入れたのでその点は誇りに思っている。なんと言っても公務員は安定している。

まあ、どこかの国も破綻しかけたし、うちの国でもメロンの有名な某自治体破綻したりして、果たして将来も安定か?というツッコミどころもあるが、なんだかんだ自分の定年ぐらいまでは大丈夫だろう。

だべってばかりで働かない職員モンスターなんちゃらに囲まれての仕事は決して楽しくないが、生きていくためだ仕方がない。

ちなみに、一浪した時は、実家があまり裕福ではなかったので新聞奨学生をやりながら、予備校に通った。しかし、この新聞奨学生というのがひどいもので、配達作業時間のせいで十分に勉強時間がとれないという代物だった。今思えば、少し無理をして自宅浪人でもしてれば、早稲田筑波ぐらいならいけたかもしれない。本当に後悔している。

容姿は良い方だと思う。中学時代はそれなりにモテ記憶があるし、男友達からも、良い方だろうという客観的評価をもらっている。

だが、恋愛は不調だ。これまでの人生で一度だけ付き合った彼女美人で、スタイルもよかったし、若かったし(当時23歳だったか)、あっちの方も抜群だったが、いろいろいい加減な子だったので半年ほどで別れた。結婚も考えねばという年齢だったのでそれでは厳しい。その女との出会いは、数年前から流行りの街コン。当時は友達街コン婚活パーティーに出かけて出会いを求めていたが、そこで一度だけうまくいったのがその女だった。

と、それが二年ほど前の話。そう。今、俺の心を占めているのは結婚への焦りであり、結果として婚活自分プライベート時間の多くを占めるに至っている。婚活もいろいろやり方があると思うが、今の主戦場スマホ婚活アプリだ。

婚活アプリでは、それぞれ自分PRするプロフィール写真文章登録し、男女共々、異性のそれを見ることができる。気に入った相手がいれば「いいね」する。「いいね」されると、された相手には通知がいき、運良く相手も気にいって、「いいね」を返してくれたら、晴れてチャットができるようになる。あとはいかにうまく口説いて、「面接」に持ち込めるかだ。

面接」というのは婚活用語である婚活アプリでは、チャットいくらか続けたあとに、アポをとりつけて相手食事に誘い、そこではじめて相手と対面する。そして相手容姿や、学歴職業コミュニケーション能力などを見る。これがさながら企業における採用などの面接に似ているから「面接」などと呼ばれるのだろう。採用活動における面接ではおおむね企業側が一方的に見るものだろうが、婚活における「面接」では、お互いがお互いの値踏みをする。従って、当然ながら、「面接」に望む時の洋服には十分気をつけなければいけないし、会話を弾ませるよう自分の話術を最大限駆使する必要がある。そうでなければ、二次面接」、三次面接」には進むことが出来ない。お祈りメールを待つのである

俺が将来の伴侶に求める点は大きく、1)友達が羨ましがる容姿、2)自分よりも高学歴、3)結婚してもちゃんと働いてくれる人、4)性格がまとも、5)年齢は31歳まで。若いなら若いだけ良い、の5点である特に1)2)5)は重要だ。なぜかって?それは他人に羨ましがられる嫁が欲しいからだ。俺は正直に言って、自分に誇れるものがない。大学へは小学生時代から続けていたスポーツを極めたくて入学したが、結局自分には才能がないことを痛感した。プロなんて夢のまた夢だ。誇れることは、せいぜい、公務員になれたことぐらいである。これがなかったら、ぶっちゃけ、ただのクズなんじゃないかとすら思う。だからこそ、婚活では一発逆転したい。

実際、俺はかなり婚活に入れ込んでいる。中毒といってもいいかもしれない。平均で週に2回程度は「面接」をしているし。婚活アプリも4つ程度を同時並行で利用している。

金もかかる。課金額は月にそれぞれ5000円程度だ。「面接」にだって金はかかる。飲み屋でディナーとなれば、安くても一回4000円は飛ぶ。もちろん支払いは男持ちだ。男女平等が叫ばれる昨今であるが、婚活では関係ないらしい。交通費だって地味に痛い。

トータルで「面接」した人数は50人はくだらないと思う。しかし、未だに婚活は終わっていない。

俺が求めるレベルの女には、一次「面接」で切られてしまう。そのレベルに達していない場合だと、付き合うところまでいけそうということも何度かあったが、どうしても本気になれず、最後まで続かない。

もう本格的に婚活をはじめて3年になる。最近は、周りの友人なども結婚しているやつが多くを占めてきたし、子供ができたというのもFBなどでよく見かける。そういうのを見ると、自分は何をやっているんだろうと思う。俺はちゃんとした家庭を持つことが幸せ重要な要素だと考えているので、何のために生きているのだろうという思いにかられることもある。「面接」がうまくいかないのはコミュニケーション能力が低いせいもあるのだろう。そういえば、うちの親はどちらもコミュニケーション能力に乏しい。遺伝なのか育った環境問題なのか。くそ

しかし、あきらめない。絶対にいい女を捕まえてみせる。

仲の良い友人の1人はそこそこの女で妥協した。しかし、俺はそんな情けないことはしない。

そう思いながら、今日スマホで女の写真を眺めては、取り憑かれたように「いいね」をしている。

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109203315

大半はそれを真面目にやってないのに卒業できるから

使い物にならない大卒大量生産されて

職業予備校でもいいのでは?という話になっているわけですが

大卒者が最低限身についているものは何かという話になると難しい

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