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2024-03-13

友人が色々言ってくるが悪意があるのかデリカシーないのかわからん

自分自営業なんだが

スケジュール管理等の秘書業務外注しようと思う」というツイートをした。

すると友人Aから「夫にやらせたら?」と言われたので

「夫はフルタイム正社員だし、せっかく今うまくいってる夫婦関係仕事を持ち込むとこじれそうだから、その選択肢は無いなぁ」と返した。

何らかの制作を依頼する…とかならまだしも、私が外注したいのはスケジュール管理をはじめとする秘書業務だ。

ただでさえ〆切に追われているうえに、夫とはおなじ部屋でリモートワーク。

進捗確認でピリつく未来想像できるので、夫婦から仕事仲間になることで関係が悪いほうに変化するリスクもある。

もちろん夫は協力してくれるだろうが、

精神的に疲れていて今は薬を服用していることもあり、退勤したら休ませたい。


…といううちの家庭内事情・ワークスタイル事情も知っているはずの友人Aは

仕事を持ち込んでこじれちゃうなら、それまでの関係だよ」と言ってきた。

瞬間、自分の脳は一瞬キレた。

・人の家の夫婦関係十人十色なのだから決めつけるな

・私は仕事と家庭を分けたいから夫に自分仕事を任せるわけがない

・ましてやフルタイム夫に仕事発注するわけがない

そもそも正社員なのだから副業規定もあるはず

・という様々なことも頭に浮かばず「こじれるならそれまで」と説教するのか。無責任発言をする奴だな…

そもそも友人Aは結婚4か月で離婚したバツ1じゃないか

・ていうかお前の婚活相談に乗っているのも私じゃないか


仕方がないので「私が仕事と家庭を混ぜて生活できないんだ」と返した。

友人は「あぁwそっちねw それだと育児大変そうだなぁ」と言ってきた。

私はしばらくは子供の予定はないが、今は仕事に専念し3年後あたりに作ろうと夫と決めている。

きっと友人Aはうまいこと再婚できたら、私と違ってすぐ子供作って育児に専念するんだろう。

毎月5万程度しか稼がず、28歳になった今でも親の仕送り家賃を払って、私を誘い三越伊勢丹スイーツを買っている。

今と同じ稼ぎ・支出でもいいよ!仕事と家庭を混ぜてもいいよ!と全て許してくれるような、いい相手が見つかるといいのだが。

2024-03-04

どうしようもないクズですけどなんとか生きてるから許して

※吐き出したいだけだからかなり乱文になります


今年の5月で30歳になるアラサー

先のコロナ禍で生活リズムしまくって不眠症になり、そのまま抑うつ状態の診断が出て去年の5月から休職中。

休職の原因が仕事ストレスでも人間関係でもない。ただの自滅。

まりにも恥ずかしすぎる。


休んでいる間も自堕落生活ばかりで生活習慣を直す気なんてなさそうなだらけっぷり。

仕事を休んでいるのだから収入だって当然なくなるのに(幸いなことに休職手当は出たが)

自分推しお金をかけることをやめなかったせいであっという間に貯金100万を使い切った。

去年の8月クレカを使い過ぎていよいよ支払いが追い付かなくなったので加入してた保険を解約して支払う。

これで反省してつつましく暮らそうと意を決した1か月後には推しイベントで散財する学習能力のなさ。


年末には解約金すら使い果たし、実家母親に泣きながら電話

どうしよう、お金払えない。お金貸してください。ごめんなさい。

どこぞの詐欺の手口みたいなこと言ったなと思いながら年甲斐もなくギャン泣き

母親から説教されるアラサーの姿たるやなんと惨めなことか。

ここまでくるともうクズしか言いようがない。


母親から30万借りてなんとか年を越す。

今までもこっそり仕送りしてくれてたりしてたけど、その信頼すらもどぶに捨てた瞬間だったかも。


さすがに仕事復帰しないとな、なんて思いつつも今日推しに貢ぎ続けるアホっぷり。

いっそ今より給料良い会社転職すっか!なんて能天気なことをのたまいつつ求人サイトを開く。

でも、なんだかんだ言って応募はしてない。

若いうちからキャリアがどうのこうのと言ってアラサー対象外っていうのが結構多い。

あらやだ世間アラサーに厳しいの…?

年齢制限のない会社経験不問の会社もなくはない、がブラックで有名な職種企業さんの求人だったり。

職種を絞らなければ…と思うもやっぱり自分能力的に苦手な分野はちょっとなぁ…

って、何かと理由を付けて転職できなーいなんて甘ったれたことを言ってる始末。

何度でも言うけどこいつクズだ。


実際、こんな甘ったれアラサー採用する会社なんてないだろう。

今いる会社でもこれと言って実績積んでない

なにか専門的な資格を持っているわけでもない

お金管理自分管理もできない

自分採用する側だったら、(求人サイトコラムで見るような文言だな…)

こんなゴミ書類で落とす。応募してくんなとすら思うだろう。


そうやって自分を甘やかし続けてもうすぐ1年。

今いる会社から休職期間満了」のお知らせ。

4月までに復帰しないとクビです(超意訳)ってよ。

そりゃそうですわいな。いつまでもまれちゃかないませんものね。


あーあ、こんなクズでアホな人間でも推しに貢げるくらい生きていける世の中になんねえかな。

無理ですよね。知ってた。

まだ死んで迷惑かけてないからそれだけは許してほしい。

2024-02-11

友人が妊娠した。

普通おめでたいことなのだが純粋におめでとうと言えない。

なぜならその友人には小学2年生になる子供がいるがその子の世話はほとんど私がしているからだ。

事の発端はその子がまだ2歳かそこらの頃、友人は離婚したばかりで、たまにでいいか子供を見てほしいとお願いされた。私はフルリモートルフレックス勤務で、保育園のお迎えもできなくはない距離なのでまあいいか最初は月に一回くらいその子を預かって面倒を見た。しかし、その子を預かる頻度はだんだん上がり今は平日3日〜4日は面倒を見ており、友人の子学校から直で私の家に帰ってきている。

正直友人の子可愛い。うちに来て私が気分転換で作った焼き菓子も、ご飯も美味しいと食べてくれるし、塾に通わせてあげられないので宿題勉強を見てあげているが、算数に関しては飲み込みが早いし、小学低学年と言えど100点取ったよ!とテスト嬉しそうに見せてくれるのは嬉しいし可愛い今日学校であったことをたくさん話してくれるのも嬉しい。習い事もさせてあげられないので、ピアノを教えてるが、一所懸命練習している姿も愛らしいし、ウチにはキーボードしかないのでいつかグランドピアノで弾かせてあげたいなと思うし発表会も興味あるならさせてあげたい。

当の友人はというと、数年前に仕事を辞めてからほぼずっと家にいて、たまに整形や美容皮膚科に行っているぽい。お金の事を聞くと機嫌が悪くなって私にではなく子供に嫌味を言う(増田ちゃんの家の子になれば等)ので今はあまり深くはきけていない。たぶん仕送りしてもらってる養育費だかと児童手当ひとり親手当をつぎ込んでいるんだと思う。

うちの子にしていいなら本当にしたいとこだが、友人はそういった嫌味を子供に言うくせにその気は無い。

まあこう言った感じなんだが、その友人が父親がわからない子を妊娠したという。

子供ひとりさえ育てられないのにどうするんだと。増田ちゃん昔、子供は嫌いじゃないけど子供人生責任持てないか自分の子はいらないって言ってたよね?だからうちの子育てられて嬉しいでしょ?と言われたこともあるので、また私に育てさせてあげよう とでも思ってるのか。

そういう無責任な親が大嫌いで、自分もそうなるかもしれないという恐怖があったか子供を産まない選択したのに、無責任な親が楽するための道具となってしまっている。

けど子供には罪はないし、健やかに育って欲しいと思う。

無責任子供を産む気持ちが未だに分からない。

2024-02-10

実家は太くも細くもなかった

実家は太くも細くもなかった。統計年収中央値、300万くらいは年収がある家だった。

田舎の有名企業工場ブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。

勉強田舎公立中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。

高校進学の時、親は地元偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。

で、ここからである

まず、この高校に進学するとき約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。

周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。

からちゃんと親に言った。「大学に行きたい」と。

そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。

ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。

親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取り20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。

その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。

でも、この世帯年収特別生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMac自分バイト代と親の援助で買うことができたのに。

から大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。

けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。

親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らし最初資金だけは援助してくれた。

それ以降は、昼間バイトして夕方から大学勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパート家賃も払うという生活をしていた。

でも、大学お金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。

そして今、大学出会った人と結婚して、子どももいて東京暮らしている。

この街に住んでいると感覚が狂ってくる。

区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子ども学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。

こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。

しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。

知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。

実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。

それは統計情報も示していることだ。

それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしま世界存在する。

まり、この日本には格差がある。

これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。

からしかたらこ結論が分からいかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。

だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。

2024-02-09

実家太い細い問題

実家から離れた地方国立大学学費四年分と毎月15万の仕送りを貰っていたから、奨学金返済もなくバイトもせず社会人になったけど、家族海外とかもなかったし実家祖父母の代からある家で同居してるし、太いかと言われたら違う気がするな

2024-02-08

実家太くて得したこと(医者の息子編)

当方両親医者長男

現在IT土方

習い事に通わしてもらった

両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた

自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた

もっと色々あったが忘れた

中学受験をして私立入学した

これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた

毎年海外旅行に行っていた

のどっちか

普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。

地方大学入学し、仕送りをもらい一人暮らしをしていた

したことはここまでで、損したこと偏見あるなーって思うこと


私は実家に家を出てから二度と帰ろうとは思わないので、別に実家太くなくてもよかったと思う。

それよりも親から愛された証左があっていつでも実家に帰れるような精神状態で幼少期を過ごせた人間を羨ましく思うよ

実家太くて得したこと(医者の息子編)

当方両親医者長男

現在IT土方

習い事に通わしてもらった

両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた

自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた

もっと色々あったが忘れた

中学受験をして私立入学した

これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた

毎年海外旅行に行っていた

のどっちか

普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。

地方大学入学し、仕送りをもらい一人暮らしをしていた

したことはここまでで、損したこと偏見あるなーって思うこと


私は実家に家を出てから二度と帰ろうとは思わないので、別に実家太くなくてもよかったと思う。

それよりも親から愛された証左があっていつでも実家に帰れるような精神状態で幼少期を過ごせた人間を羨ましく思うよ

海外旅行って楽しいよね

海外旅行がチラホラ話題になってるから書く

親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)

就活氷河期リーマンショックの間の世代大学を出て就職普通にできたから運は良かった方だ

学生の頃にバイト代を貯めて韓国タイに行き、日本と違う空気文化やメシに触れるのが楽しかった

地方の安月給の会社就職してから通勤途中でよく読んでたのは海外旅行web記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった

何となくバックパッカーに憧れはあった

なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!

ということで春秋航空上海行き片道チケットを取った

もう10年くらい前のことである

行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ

最初目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機カトマンズに入る

漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした

4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった

そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的タイバンコク陸路で移動する

大学の時に知り合ったタイ留学生を訪ねて酒を飲んだ

その後ビザ必要ミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空ドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た

飛行機紅海対岸の禁酒国家イランへ、イラン旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランバスで男にケツを撫でられる

後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人ターゲットにするそうだ

イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった

あと名物ザリガニチョウザメ結構いけた

当時まだグルジアだったジョージアワインうまい料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい

シュクメルリ話題になったがヒンカリハチャプリ、ほか名前わからん料理などどれもうまかった

黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコカッパドキアイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方生地ヴェリコタルノボを歩いた

ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない

バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデン渡りノルウェーサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンオスロで買っておいたスシライスカリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった

ノルウェー物価が高すぎたためオスロ空港出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される

インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる

さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない

そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした

アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった

あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった

ナミビアボツワナ南アフリカサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンエンストしょっちゅうで、止まったバン乗客みんなで押しがけした

乗客同士で一体感が生まれ面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした

ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食ハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた

アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日ワインを1本ずつ開けた

チリワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった

このワイン日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする

アルゼンチンチリバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事ワインサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである

南部パタゴニアの名峰フィッツロイチリパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた

この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた

その後金持ちの男と結婚したらしく、幸いなことである

チリ北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的ウユニ塩湖へ向かう

ポカリスエットCMビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本大学春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった

そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった

ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全コカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた

バスを乗り継ぎエクアドルグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ

グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる

スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった

別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう

グアヤキル新婚旅行で訪れた日本夫婦強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である

ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い

アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメ写真に撮れたのでとても満足した

南米本土に戻って北上を続け、コロンビアボゴタオーパーツ黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う

このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した

成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーコンビニざるそばがうますぎて泣いた

使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった

仕事休みなので昼から酒を飲みながら長々書いてしまった

今はちゃん再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す

円安でなかなか厳しいが、体力と10万か15万の金があれば近場なら十分行けるので、ぜひ現地のメシや酒を味わって欲しい

2024-02-07

俺も実家が太い

俺も実家が太い。

父は横浜の某聖なる病院に勤務している医者である

母は看護婦で、父方の親戚は弁護士だの会計士だのがずらずら並ぶエリート一族である

大体他の増田と同じで、卓球器械体操ピアノになんかよくわからん英語教室公文式に塾とサッカークラブをローテで回すという幼少時代だった。

習い事に関しては大体全部つまんねーなって感じだったので、隙を見てサボりまくっていた。

中学校公立校だったのだが、学校のやつらはマジで貧乏で頭悪いなって思っていたので、学校でもなんか本ばっかり読んでいた記憶がある。

親は俺に医者になってほしいようだったが、絶対に嫌だった。

人の役に立つ仕事絶対にしたくなかったのだ。

あと学校トイレキレイなところで、バカがあまりいないところ、

かつ俺があん勉強しなくても上位の成績にいけて、エスカレーター式で就職も強いところ、

という選定基準中学の時に設けて探し始めた。

結果として某マーチ法学部が強いところにした。

親にはレベルの低い高校受験を、「大学は別の学校受験するから」ということで納得してもらった。もちろんそんなことする気などさらさらなかったが。

まあ、マーチ付属高くらい、推薦ならば特に勉強必要などないのは皆さんご存じだと思う。

俺も無事入学し、頭の悪いゴミ共とぬるく、楽しい青春を送った。

大学にはエスカレーターでそのままマーチに入った。

文系卒論すらなしで卒業できる。これも中学時代調査した通りで、本当に365日ほぼ全て遊んでいた。

勿論、学費は全部親持ちである。ついでに一人暮らしがしたかったので、月額30万ほど仕送りをしてもらいつつ、

あと、なんかよくわからん奨学金?(多分返さなくていいやつ)を適当書類をそろえて受け取り、全部株にぶちこんだ。

株は面倒だからあんま見てないけど、多分10倍か20倍くらいになってると思う。

大学4年間は楽、かつ他人に自慢できる職場を探すのがテーマだった。1年くらいで見つかって、中小だけど多くの人が知る会社に入った。

採用枠は5個で、倍率は200倍くらいだったが、まあそこは持って生まれた運だな。無事に受かった。

そして今も楽しくやりたいことだけやって生きている。

客観的に見ればマジでカスみたいな性格してる俺だが、滅茶苦茶幸せに生きている。

やっぱ実家が太いと人生イージーモードだよ。

2024-02-06

とある社長が言った「夜職の収入は親の仕送りと一緒、その金で高い寿司喰うな」はマジで的を得てる

夜の仕事ってさ、実際の仕事自体生産性以上に金を貰ってると思うんだよね。

それはその金の発生源が、生産性に対する対価では無く、

親の仕送りが来るのと同じ理由子供から」「女だから」「年下だから」という

社会的構造で得ている特権からだと思う。

高い寿司屋とかって、生産性の高い人の空間の社交場でもあるから親に仕送りで来ても迷惑なだけ。

anond:20240205153226

20~30代だと、まだ親が現役で働いている年齢でその時分に仕送り必要なのって実家が細いレベルじゃないべ

30くらいの頃、親がやってた会社(というか店)がぶっ潰れて収入が途切れ、おまけに癌になったり色々して実家に金送ってたわ。

つってもトータルで100万くらいしか送ってないし、世の中的にはこれで実家細いとか言ったら怒られるだろって思う。

2024-02-05

実家太くて得したこと(医者の息子編)

当方両親医者長男

現在IT土方

習い事に通わしてもらった

両親とも医者で親が仕事終わるまで時間を潰すために毎日何かしら入っていた

自営なのもあって送迎はしてくれた、祖父母の手も借りていた

もっと色々あったが忘れた

中学受験をして私立入学した

これは半分やらされていたが、そこそこ有名な私立に行くことができた

毎年海外旅行に行っていた

のどっちか

普段両親が休みがほぼないので、毎年夏だけリゾート地に行っていた。

地方大学入学し、仕送りをもらい一人暮らしをしていた

したことはここまでで、損したこと偏見あるなーって思うこと


私は実家に家を出てから二度と帰ろうとは思わないので、別に実家太くなくてもよかったと思う。

それよりも親から愛された証左があっていつでも実家に帰れるような精神状態で幼少期を過ごせた人間を羨ましく思うよ

anond:20240205151432

20~30代だと、まだ親が現役で働いている年齢でその時分に仕送り必要なのって実家が細いレベルじゃないべ

anond:20240205150816

まり実家太い気はしてなかったけど、これないだけでめっちゃ勝ち組だよな。。

20〜30代のキツイ時期に実家仕送りとかやってたらマジ病んでたと思う

親に感謝🙏

子供産むか悩む

タイムリミットは近い

子供は欲しい

けど障害あったらとか健常者でも将来穀潰しニートになったらと思うと要らないと思う

前者だったら子供しんどい思いすることが多くなるから後者家族に大した大学でもないのに5浪の末の穀潰しニートがいて月10万くらい仕送りしてるんだけどニートを養うのは金銭面でしんどいから

2024-02-03

テスト

転職活動をしています。現職はフリーターで、転職したくてしょうがないので、毎日わくわくしています。なぜこれから転職活動するかといいますと、転職理由は「妻と死別たから」のです。10年以上勤めたフリーターを辞め、転職活動をしながら、妻に会うたび、ふと、転職理由の2つ目を思い浮かべるのですが、なかなか思いつきません。 両親が家を出ました。私が大学3年の冬の冬。両親の仕送りしかなかった

Anond AI作成

2024-01-30

結局子供産むやつが偉いの草

兄は高校の時当時の彼女妊娠させたのね

親はもちろん激怒して産まれてもしばらくは険悪モードで兄に会うのも年に数回だったよ お金は援助してたけどね

俺は兄と結構会ってて甥っ子大好きだったからこいつのめにも家族のためにもできるだけ家族負担を軽くしようと思って高校大学も特待で入ったよ 家全然裕福じゃないし 仕送りわず奨学金だけで頑張ったよ

数年目で余裕で奨学金完済できるレベル企業に入って新卒から親に金仕送りしてたよ

なのに今年の正月帰ったらさ お兄ちゃんみたいに結婚して子供産まないの?って言われたんだよ

ふざけるなよな本当に

俺の仕送りで兄の家の家賃払ってんじゃねえよ殺すぞ

どんな思いでみんなが遊んでる中勉強したり働いたりしてたと思ってるんだ

別に親のために生きてるわけでも褒められたいわけでもないけど心折れるよ普通に

そんなんだったら多少困らせても脛かじって甘えとけばよかった

彼女できたけど俺無意識に試し行動しちゃって上手くいかない

でもそれは自分問題からちゃん改善しなきゃいけない

でも色々きついよ本当

メイク苦手な女が自分人生を語る

当然ながらn=1の隙自語。

原風景ひとつは母が洗面台で化粧をしている姿。BBクリームをペタペタ塗っている。なんで化粧をするのかわけを尋ねると「化粧をしたという事実を作るためだよ」とめんどくさそうに答えていた。BBクリーム口紅を塗った母の姿に、なるほど化粧をした姿だ、と思った。美しいとも醜いとも思わない。憧れるでも羨むでもない。それはたとえば「大人になれば働かなければならない」なのと同じように、やがて自分がせざるを得ない、めんどくさいなにか、それ以上でもそれ以下でもなかった。

そんなわけなので、身だしなみにに対してうっすら苦手意識を抱いたまま小中高と進んだ(無論、二次元オタクにもなった)。大学生になって一人暮らしを始めたが、身だしなみのレベルは依然として低かった。髪を根元から乾かすと寝ぐせがなくなる、ということさえサークルの先輩に教わるまで知らなかった(実家家族はみな、わたしのことをくせっ毛だと思っていた)。母は化粧は嫌いだが服を買うのは好きで、セールで買い込んだ服を段ボールいっぱいに詰め込んで、コメ野菜と共に仕送りしてくれた。不十分な身だしなみに、試着もしないまま買い与えられた服を身にまとうわたしは、今思えばいかにもちぐはぐだった。自分で服を買うようになったのは社会人になってからだ。余談だが、その後わたしは服を買うことにすっかり目覚め、母に似た服道楽の道を歩むことになる。

化粧っ気のないわたしの周囲には、化粧っ気のない友人が集まり心地よく過ごした。たまに接触する化粧っ気のあるひとびとは、おおむねみな優しかったが、話していると気づまりすることも多かった。オフ会でお会いした年上のお姉さんは、髪にパーマをあてたわたしを見て「それなら、せめて眉は整えた方がいいよ」と優しく言った。サークルの先輩は「このメイクポーチ(の中身)でどうやってメイクするの?」と不思議がった。今思えば、それはどれも本心から心配や優しさからのものだったが、わたしのなかの「やっぱり化粧って苦手だ」を補強するには十分だった。

その頃わたしは、十代ゆえの傲慢偏見ゆえにすっかり「化粧」そのものを敵視するに至った。化粧とは、無知不器用自分の前に立ちはだかる、理不尽に高い壁に見えていた。それを強要する(ように見えた)社会も、それに迎合する(ように見えた)化粧上手な美人も、みな嫌いで、自分を害する「なにか」に感じられていた。

就活時は化粧をしたが、化粧下地なんて知らなかったので素肌にREVLONのリキッドファンデーションを塗った。

そんな自分も少しずつ変わっていった。転機は判然としない。

大学院に進学し、尊敬できる先生や先輩、同期に出会えた、卒後も専門性を活かせる職に恵まれ、「クラスルームの隅」以外に自分の居場所を見つけられたこと。自分で服を買うようになったこと。そしてなにより、年を追うごとに性格が丸くなり、「十代ゆえの傲慢偏見から解き放たれ、化粧上手な美人を見て素直に尊敬できるようになったこと。

化粧が苦手だったが、でもそれが悔しくて、無知なりに調べては挫折してを繰り返した。独学だったのでひどく回り道をしたが、ほんの少しずつだが経験値は積みあがった。またインターネットが発達し、「周囲の人」以外からTIPSを学ぶ手段が飛躍的に増えた。コンタクトマツエクも試してみた。気になることはひととおり勉強した。

それでも、「上手」には程遠い。

あるとき、一念発起して資生堂銀座本店の「メイクアップレッスン」に申し込んだ。一時間半くらいつかって、マンツーマンメイクを教えてもらえるやつだ。理想顔面比とは、という話からまり、「あなたは少し目と目の間が離れているから、目の間隔が縮まって見えるように、このように陰影を入れましょう」などとしっかり教えて頂ける。説明理論だっており、納得できるものだった。そして完成した自分の顔を見て、「ふうん。わたし顔面ベースだと、プロ技術でもこれが『限界』か」と理解した。

そしてわたしは化粧から「降りる」ことに決めた。

化粧とはふたつの側面があると、わたしは考える。

①「己の顔面を“理想顔面比”に近づけること」。そして②「化粧した顔になること」。

①の理想顔面比は残酷なまでに「正解」が存在する。①の達成難度はそのひとの持って生まれた骨格に依存する。美容整形はそれを打破する有効手段だが、高価だ。

②は一種符丁のようなものだ。この記事は、この増田https://anond.hatelabo.jp/20240129142710

きっかけに書いたものだが、勝手想像だがその元増田筆者はおそらく自他問わず「化粧をした顔」が好き(=かわいい、という認識)なのではないかと思う。なので「化粧をしたらブスでもかわいい、ブスなんていない」という結論になるのではないかわたしは考える。対照的に、わたしは化粧をしたひとの顔を見ても「化粧をした顔だな」とは思うは、「=かわいい」とは思わない。「化粧をした顔」そのものに美を感じるのは、それは一種価値観であり、文化的ものである。ゆえに符丁、と書いた。(関係ないが、化粧っ気のない人間は、他人の化粧に鈍感だ。化粧を自らして初めて、他人の化粧を認識できる、ところがある)。

今のわたしは、眉はしっかり整える。ファンデはしないか、してもごく軽く。アイメイクはたまにする。常にマスクマスク社会万歳!)。美容室には定期的に通う。服はそれなりに気を遣う。メイクした方が似合う服、というのはぜったいにあるので、それが着られないのは少し残念ではある。

WEARでたまにファッションスナップを上げる。画像加工で顔は消す。プライバシーのあれもあるが、己の顔は別に好きではないからだ。首から下は、まあ悪くはない。

クレ・ド・ポー・ボーテの化粧品の見た目が好きだ。でもお金時間アテンションも有限だから、優先度をつけてやるしかない。わたし人生において、化粧は、優先度はあまり高くない。

以上、化粧が苦手改め、化粧が苦手なりに愛憎入り混じった女の人生語りでした。

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【余談①】化粧の文化的側面については興味があるので、もし良い書籍を知っている人がいたら教えてください。文化史などの側面から語っているややお堅い雰囲気書籍だと嬉しい。

【余談②】メガネについて。化粧をするなら大前提として、メガネを外せ、コンタクトしろ、というのがあると思う。自分は(何言ってんだと思われそうだが)自分メガネ姿にアイデンティティを感じているが、近眼メガネ族は化粧界においては驚くほど透明化されている。自分が「化粧はだいたいでいいや」と思う理由ひとつがこれだ。

【余談③】メイクアップは嫌いではないが、スキンケアははっきり言って嫌いだ。詐欺まがいの商売が多すぎる。ひとの悩みに付け入って高いものを買わせる不健全業界だと思う(本当に人体に対し効能があるもの薬機法下では医薬品なので、そもそも医薬品ではないスキンケア商品の段階でどんぐりの背比べだろって思う)。日本皮膚科学会ホームページにある「皮膚科Q&A」だけ読んでれば十分や……まあ高いスキンケア用品つかってプラセボで良くなる可能性もあるとは思うが。

2024-01-25

anond:20240124142918

60歳ってことは、おまえの子供は40歳じゃん?

仕送りしてもらえよ

2024-01-18

健全ママ活ってもっと流行ればいいのに

俺は健全パパ活をしてる

 

今って業者が溢れてるから男を釣るためのママbotしか無くて知り合えないんだけど

もしうまく知り合えたら結構ワークすると思うんだよね

 

イメージ

・月3〜10万円くらい

ママ40代mdママ男子20歳彼女有り

お茶ショッピングカラオケゲームお酒猫カフェ映画旅行

・部屋を片付ける、手作り料理、悩み相談お節介仕送り、朝起こしてあげる、耳掃除美容お節介占いお節介

 

これママ側がブスじゃないと成立しないよな、下手に美人だと壊れる

2024-01-10

anond:20240109204145

出生率高いのと島外に行きにくい影響じゃないか

賃金的にも島外から都会に出る子どもへの仕送りもきついだろう

2024-01-09

花の街のニュウ

ニュウは元々、タイ田舎花畑で有名な街に暮らしていた。しかし、観光として産業が成り立つ様なものではなく地元では仕事がなかった。そして彼女仕事を求めてバンコクに行き、日本料理店で職を得た。

彼女はそこで懸命に働きつつ、タイ人の男性と恋に落ち子どもが生まれた。可愛い男の子だ。

しかし、彼女の夫は不幸にも交通事故で愛する2人の元を去ってしまった。彼女は途方に暮れた。

幼い子ども自分の2人ではバンコクで生きていくことはできず、彼女自分の子どもを故郷の花の街の母に預けて仕送りをする為にバンコクからパタヤに移り住み、花を売る仕事を始めた。

「一晩私を買ってくれない?」

パタヤ旅行に来ていた自分繁華街彼女日本語で話しかけてきた。とても流暢な日本語に惹かれて食事なら一緒に行こうと言い、パタヤの外れにあるバーベキューで有名な店に移動して話を聞いた。そこで彼女は上の様な話を僕に聞かせてくれた。

お金必要なの。」

お金を貯めて彼女故郷の花の街で息子と暮らせる様に小さな家を買い、店を開いてそこで暮らしたいのだと教えてくれた。

タイでの人の命は日本のそれよりだいぶ軽い。

交通ルールも未整備で無免許運転飲酒運転も多く、危険に溢れている。こんな身の上話は残念なことにタイ中にありふれている。

僕は彼女に家を買えるほど多くはあげれないけど、旅行間中ガイドを依頼して報酬を支払った。サンクチュアリブトルースタイガーパーク、アートパラダイス、各所の観光地を彼女と一緒に回った。彼女との旅は楽しく、旅の中で見せてくれる彼女日常の表情は悲しい事故が起こる前のはつらつとし未来希望を持って進んでいた時のままなのだと思い、時間が経つほどに惹かれて行った。

しかパタヤでの最後の夜彼女

「どうして私の花を買ってくれないの?」

「私に魅力がないの?」

と涙ながらに聞いてきて、言葉に詰まった。

もちろん彼女は十分魅力的だし、僕は彼女に惹かれている。正直に言えば欲情対象としても見ていた。

でも日本社会で培った中途半端倫理観と、形にはならない罪悪感が僕に最後の一歩を踏ませずにいた。

僕はニュウに魅力的に思っていること、間違いなく惹かれていることを伝えた。そしてそれを言葉に伝えていなかったことを謝り、その夜初めてニュウと一緒に寝た。翌日、次の街へ行く為にバスターミナルに向かった。彼女見送りの際に、

「また会いに来てね。」と言い、別れた。

次は彼女が里帰りをした際に花の街で会うことを約束しつつ。

彼女の身の上話のうち、全てが真実かもしれないし全てが嘘かもしれない。もちろん、そのどちらでもないかもしれない。でも彼女出会たことで得たものは間違いなくこの心に残っている。

シャム踊り子

https://anond.hatelabo.jp/20240107070705

雨の涙

https://anond.hatelabo.jp/20240108002442

大学生半同棲

大学に入って初めて彼氏ができた。彼氏ができたこ自体は嬉しいし交際してから半年ほど経ったが奇跡的に倦怠期などもなく仲良くできていると思う。お互いに一人暮らしなのもあり付き合った当初から半同棲状態今日まで過ごしてきた。

本題はここからだ。私も彼も一人暮らし家賃光熱費は親から仕送りでもらっている。しかし私はほとんど家に帰っていないし彼は家の光熱費が2人分になっている。きっと彼のご両親は気がついているのではないだろうか。それなら私は相手に対して悪印象しか与えていない存在なのではないだろうか。毎日ぐるぐる考えている。彼の家にほとんど住んでいる状態なので食費は私が出すようにしている。もし社会人同士で2人とも自立していればそれだけで良かったのだろうが大学生という自立していない状態半同棲は早かったのではないだろうか。しかし、今の関係性はほとんど離れられない状況に陥っている(それもどうかと思うが)もし大学生同士で半同棲状態になりそうならそこら辺も考えるべきだったのだろうか。

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