「制度」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 制度とは

2016-08-28

ありがとうございました

回答ありがとうございました!

ホント自分でもよく分からず、「じゃあ実際お前はどうすべきだと考えてるんだ」と聞かれても、分からないとしかいいようがないようなレベルで疑問だけぶつけているので、とても申し訳ないです。

精神障害から生じるコストをその個人1人に負わせるのはどうなんだ、社会負担するべきなんじゃないか、ってことだよね?

そうです。さらに言えば、肢体不自由に比べてフェアじゃないんじゃないか、という。でも一歩間違えれば心身にハンデのある人に対する予防拘禁でもしろというのか、みたいにも聞こえかねない(もちろんそんなことが言いたいわけではないのです)ので、不十分なものの言い方になってしまっています



今回の事件を見て、事件後に「そう言えばこんなことが」「あんなことも」みたいに言ってる人を見て、ちょっとイラっきたのが一つ。そして、深夜に女性スタッフ一人でホテル仕事回させるという社会にも、どうかしてると思ったのがもう一つ。要するに、「社会もっと、こういう人もいるということを前提にさまざまな制度設計をし、人間関係モデルを構築すべきではないか?(それが精神的な意味でのバリアフリーになるのではないだろうか)」というようなことが言いたかったのかもしれません。



…そこまで書いてて思ったのですが、イスラム教社会みたいな妙に禁欲的な社会というのは、そういうことを実現できる部分もあるかもしれませんね。イスラム社会なら、今回の事件容疑者のような人が社会で広く知られるような仕事をする可能性もないでしょうし、深夜のビジネスホテル女性スタッフ一人で回すなど想像もできないでしょう。もっとも、そういう社会では、彼みたいな人はそれこそ座敷牢にでも放り込まれて一生終えるのかもしれませんが。…難しいですね。



とにかく、ご回答のおかげでいろいろ考えることができました。ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20160828002001

なぜ「生前退位」であって「譲位」ではないのか

マスコミにおいて、なぜ頑なに「生前退位」という言葉が使われ、まったく「譲位」という言葉が使われないのかをずっと考えていて思い至った。もしかしてこういうことか。

・「生前退位」→自分自身処遇自分で決めるだけ。それ以降についての自分の関与は含まない。

・「譲位」→自分自身のことだけでなく、次をだれにするのかまで自分が関与して決めることを意味する。

今回NHKリークして始まり、当初宮内庁長官次官正式否定したことから宮内庁の「オク」が宮内庁の「オモテ」や政府に反抗して起こしたことというように言われるが、自分はまったくそれを信じない。なぜなら宮内庁からNHKへの正式抗議が今の今まで一度もないから。むしろ宮内庁全体が総意をもって重い腰の政府を動かすために起こしたと見る。

そして批判さらされながらも、マスコミでずっと「生前退位」という言葉統一してきているのは、宮内庁からのお達しが当初から出ていたのではないかと思う。「譲位」という言葉は決して使うな。「生前退位」で統一しろと。

今後、皇室典範改正の中で退位制度憲法違反にならない範囲で組み込んでいきたいとする宮内庁意図(それは今上天皇陛下意思でもあり)にとって、「譲位」という言葉天皇陛下政治関与を禁じた憲法4条に抵触しかねない危険ワード天皇地位主権の存する国民の総意に基づくという憲法1条より、天皇地位移譲というものは極めて政治的行為とみなされる)。だが、自分自身処遇までならぎりぎりOKにできるんじゃないかという線を狙っているのではなかろうか。

その意図が、この「生前退位」という一見不可思議言葉に表れているのではなかろうか。

http://simplearchitect.hatenablog.com/entry/2016/08/22/080010

まあねえ、って感じ。

日本教育機関を含め日本メンタリティはおまえの考えなどどうでも良い、さっさと言われたとおりに詰め込め!

というやり方がメイン。家元内弟子世界

それはそれで正当性があったはずなんだけど、問題は詰め込みと自分で考えさせるというプロセスのうち、教えこませるという方向性けが先鋭化、権威化してしまったことに問題がある。

一方で今の日本権威主義非難する左翼的傾向が強いので、伝統も伝わらないし自分の頭で考えられないしで、メンタルお馬鹿さんな自立出来ていない人がどうしても多くなる。

師匠の枠組み内で最大限自分の頭で考える、という弟子の育成は師匠能力にもかかっていた。つまり代々続いた悪習はこういう師弟制度形骸化問題でもあると思う。

あくまでも遡るとそこまで問題が突き詰められるという話で、URLの話はただ単にそれで回ってんだからいいよねという感覚

2016-08-27

脱北者就職

日本研修生制度を利用すればよくない?

研修生制度ちょっと問題点はあるかもしれないけど北朝鮮に比べたら天国のような環境だし、2~3年やってたら日本語覚えて他の仕事できるでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20160826220123

つか、会社新人が潜り込めるのは「試用期間」というシステムのお蔭であって、

それを否定してしまうと「経験者以外お断り採用試験ガチガチちょっとでも不安があれば不採用」な方針でいくしかないんじゃ…


インターン制度のない学校以外は全員死亡、みたいな世界になってしま

2016-08-26

日本大学は゛どれくらいなら゛必要なのか

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160713-00002526-besttimes-soci

ホリエモンこと堀江貴文さんがインタビューで語っていた記事を読んでみた



確かに今の大学は昔と違って上位大学エリート路線は変わっていないが、それ以外の大学は本当に機能しているのか疑問に感じる

東大わず大学に入った理由に明確な目的のある秀才やその大学の為にひたすら勉強し無事入学を果たせた者などさまざまである

しかし、今の時代はそうとは限らない



2008年から大学全入時代になってから入学できる敷居が低く、その為の推薦入試まで投入されたことも一つの要因である

さら偏差値入試結果などの詳細が見れる受験サイト大学口コミサイトでその大学の特色を情報で知ることも可能となった

そこで受験者の高校生浪人生は何が何でも高いネームバリューのある大学に進学したほうが肩書きにもなったりでそちらを選考するのは百も承知

仮にある有名大学ばかりに定員が集中してもおかしくないと思える



ただ、有名でもなく他の大学学部が被っていたりする大学は本当に必要なのだろうか

少子化子供の数が減っているのに大学の数だけ多いのは反比例に感じる

それにその大学自体がどういう研究成果を出しているのかさえ危うい



そして個人的に思っているのは補助金奨学金制度である

大学はその補助金でなんとか生き残っているとこもあるが、それがいつまで保つかは不明である

奨学金問題現在でも深刻なことであり、これは個人または家族観での責任ではあるもの経済面中退する者は後を絶たない

いずれにしても2018年問題よりも前から問題視されている日本大学の在り方を厳しくしなければ、この先研究機関ではなく就職予備校が一向に増える傾向だと考えられる

日本大学は゛どれくらいなら゛必要なのか

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160713-00002526-besttimes-soci

ホリエモンこと堀江貴文さんがインタビューで語っていた記事を読んでみた



確かに今の大学は昔と違って上位大学エリート路線は変わっていないが、それ以外の大学は本当に機能しているのか疑問に感じる

東大わず大学に入った理由に明確な目的のある秀才やその大学の為にひたすら勉強し無事入学を果たせた者などさまざまである

しかし、今の時代はそうとは限らない



2008年から大学全入時代になってから入学できる敷居が低く、その為の推薦入試まで投入されたことも一つの要因である

さら偏差値入試結果などの詳細が見れる受験サイト大学口コミサイトでその大学の特色を情報で知ることも可能となった

そこで受験者の高校生浪人生は何が何でも高いネームバリューのある大学に進学したほうが肩書きにもなったりでそちらを選考するのは百も承知

仮にある有名大学ばかりに定員が集中してもおかしくないと思える



ただ、有名でもなく他の大学学部が被っていたりする大学は本当に必要なのだろうか

少子化子供の数が減っているのに大学の数だけ多いのは反比例に感じる

それにその大学自体がどういう研究成果を出しているのかさえ危うい


そして個人的に思っているのは補助金奨学金制度である

大学はその補助金でなんとか生き残っているとこもあるが、それがいつまで保つかは不明である

奨学金問題現在でも深刻なことであり、これは個人または家族観での責任ではあるもの経済面中退する者は後を絶たない

いずれにしてもいずれにしても2018年問題よりも前から問題視されている日本大学の在り方を厳しくしなければ、この先研究機関ではなく就職予備校が一向に増える傾向だと考えられる

2016-08-25

アメリカのことをよく知らない

まれてこの方海外に行ったことがなく、彼らの感覚というものがあまりよくわからない。

政治の中心がワシントンDCで、経済の中心がニューヨークで、ボストン学術の都で、

あとラスベガスにはカジノがあって、とかその程度のイメージしかない。

しかし、あれだけ国土がでかい上に合衆国で、制度も州ごとにバラバラとなると、

もう自分の周り以外興味のないマイルドヤンキーヤンキーも相当多いに違いない。

それでもやはり、うるせー俺はこんな田舎出て東海岸行きてーんだよ、という輩もいるもんなんだろうか。

2016-08-24

俺は末期的な患者医療後期高齢者医療はムダがあると思う

http://anond.hatelabo.jp/20160823232626

を読んで言いたいことがある。

今実際保険診療を受けてる人に対してなるべく抑圧的でない書き方をしたいと思ったが

どう考えても抑圧性は入るので先に謝る。すまん。

元増田家族やお母さんになんの文句もない。よい時間を過ごして欲しい。




ただ、自分の話に引き付けて言うのであれば

俺は自分がどうせ助からない難病になった時や

後期高齢者状態で難しい病気になった時には

金銭的にフルまで医療を受けたくない。

それのほとんどの支払が医療保険で賄われるとしてもだ。




そういう末期の”贅沢”を放棄する見返りは何かと言うと、

健康な時期に毎月支払っているバカ高い社会保険料の減額だ。

俺のように大した給料じゃない人間でも収入の15%が健康保険料と年金保険料だ。

サラリーマンなので半額を会社負担してもらっててこれだ。

年収500万なら75万を抜かれ、全体150万が社会保険料として発生してるわけだ。

話になるか?これ。

俺はここ数年で虫歯になった親知らずを抜きに行った以外では保険を使ってない。

凄く長生き出来たら最期は頭がぼんやりしながら年間何百万何千万健康保険を飲み込む沼のような爺さんになるかもしれない。

(その頃まで制度が維持できてたらの話だが…)




年取って最終的に難しい病気になって(ほぼ全員なるぞ)

クッソ高い医療費を払って苦しい状態で少し命を延ばすことにどれほど意味がある?

ここをカットするのが怖いと思うのはただの貧乏性だ。

「命を大事に」というのはみんな必ず無常で全員死ぬと言う現実から目をそらしている。




有限の命の配分として

まだ健康なうちに収入からものすごい割合を抜いておいて

体も頭も元気でなくなった時期によくわかんないまま高額な薬をぶちこむ代金にする

そこにちゃんと冷静な判断は有るのか?




それを抜かれなければ結婚したと言う人間も居るだろう。

そこを抜いておいて、不運にも身体が駄目になったりどうしようもなく老いたあとにジャバジャバと使う。

この消費の仕方はただの貧乏性ってもんじゃいか

リソースの配分はそれで合ってるのか?




もちろん難病患者後期高齢者が、なるべく苦しくなく惨めでなく良い最期を迎えられるようにはして欲しい。

それは自分が同じ立場になっても望むことだ。

まだ若い人が難病にかかって、何億も医療保険を使えば命を繋げる、という状態なんかは判断が難しいとこだ。

からまず高齢者医療の話をした。




俺が現役の間(あと何十年もある)にこの制度は変わらないだろうから

これは俺の為の議論ではない。

けれども必ずやって来る死にビビっての偽善議論、配分を間違えた議論個人社会も不幸にすると思う。

全員必ず死ぬんだから、よく生きてよく死ぬ為のプランを考えるべきだ。

高齢者に歯止めなく医療費を注ぎ込む今のやり方は死を否定して遠ざけようとしている愚かな感情が混ざって居るように思える。




http://anond.hatelabo.jp/20160824102650

できればイギリスのようにどれだけ薬を使おうが医療費一定、みたいな制度が出来てくれればいいのになあと思ってます

地獄ですよあれは。

不合理に陥る制度です。

経済的観点を失って誰もがフルまで医療費かけようとするようになります

リソース無限に湧いて来ないのに、誰がそれの支払をするんですか。

それはそれとして、今は大変で色々手に付かないでしょうが

なるべく心静かに頑張ってください。

2016-08-23

母親結構な金が注ぎ込まれてる

母親がガンとの診断をうけて、もうすぐ5年半になる。

診断されたときには、ステージⅣで5年後生存率は20パーセントといわれていたが、幸運なことに、今でも調子がよいとき自分で車を運転して病院に通う程度に元気だ。




病院は、昔の社会保険病院(何年か前に制度改革名前変わった)だから、まあ公立みたいなもんで、いわゆる「保険範囲内」の治療を続けている。

最初の1年に2回ほど手術はしたが、あとは抗がん剤治療

基本的には、抗がん剤を月に一度うって、それから週一で検診をうけて、また抗がん剤うって、が基本パターンで、

だいたい抗がん剤うったあと数日はかなりダルそうにしているが、それ以外の期間は、病人とは思えないほど元気だったりもする。

その時期に人とあうと、誰も彼も「お元気そうでよかった!」というもんで、

「アタシだって病気なのに・・・」というのが数年来の悩みで、その手の愚痴はもう、聞くだけ聞いて右から左に流している。



で、ある薬が効かなくなったり、副作用が強く出てきたりしたら、新しい薬に変える。

薬が変わるごとに、医者から家族も同席した上で説明を受けるのだが、素人が聞いても分かったような分からないような話にしかならず、

結局は「先生のご判断にお任せする」しかない。




主治医は無愛想かつ若干コミュ障気味で、正直感じは悪い。

母がかかるようになった当初、入れ替わり立ち代り看護師が「愛想は悪いけど、腕は確かな先生ですよ」とフォローに来たくらいだ。

まあ、その分、ある意味で信用はしている。余計なお愛想や、変に希望を持たせることも言わないし。

でも、実際、この先生が合わなくて転院していった人が、いなくはないらしい。

なんっていうか、身もふたも無い言い方をしがちなので、そういう人がいるのはよく分かるし、

そういうときに、なんか笑顔でへんな希望をもたせる代替医療屋が近づいてきたら、コロっといってしまうのではないか、などと思う。




で、3ヶ月ほど前、また抗がん剤が変わった。

今度の薬は、数年前に認可されたばかりで、はじめは肺ガンにつかわれており、母のガン(卵巣ガン)に使われるようになったのはごくごく最近であり、

母の主治医は初めて使うらしい。

「高額の薬ですけど、保険が利くようになりましたからね」と説明を受けた。




幸い、母には向いていたのか(抗ガン剤の向き不向きは、その人の病状やら体質やらガン以外の持病やらによって千差万別らしい)、

最初の投与のときは、若干副作用が重く、体重もかなり減り、心配もしたが、

その後は、当初のときほど副作用が重くない様子で、血圧も安定し、なにより腫瘍マーカーの数値がよい。

で、食欲も旺盛で、下手したらガンになる前よりあるんじゃないか?というくらいになり、実によく食べている。

なのに体重は増えないようだ。

よく分からないが、ものすごい勢いで体内のがん細胞を殺しまくっているのかもしれない。

この夏も、暑い暑いといいながら、友人と映画見に行ったりしている。




というわけで、医学進歩は、はなはだありがたい限りなのだが、請求の明細を見ると、やはりいろいろと考えてしまう。

母の抗がん剤治療には、1回60万円以上の金が注ぎ込まれているのだ。

ところが、後期高齢者である母は、高額医療費免除勘定に入れれば、実質1万5000円程度しか払っていない。

この数字をみると、ここ数年、ほとんど医者にかかったことのない自分健康保険料が「高い!」などという気分は、吹っ飛ぶ。

こんな風では、確かにこの国は医療費でつぶれてしまうのではないか?と思わないでもないが、

そんなマクロな疑問を、目の前の親の病気というミクロな大問題を前に考えていられるほど、自分大人物ではない。




今の抗ガン剤も、いつまで使えるのかよくわからない。

一般論としては、どんなに長くても2年がせいぜい、らしい。

まあ、まだ使用例がさほど多いわけでもないので、医者もよく分かっちゃいないのだが、いずれ限界がくるのは明らかだ。

そこで、また新しい薬が出てきて、今度は1回100万(自己負担は2万数千円くらい?)みたいなことになるのかもしれないが、

そうなればまた、日本医療制度感謝して、淡々母親のことを見守ることになるのだろう。





なお、ちょっと話は変わるのだが、素人ながらに母親とその周辺にいるガン仲間をみていると、

今のところガンに特効薬は無いのだが、



1 日ごろから「ガン以外」は健康であること

2 食生活がちゃんとしていること




が、かなり大事なのだろうなと感じさせられる。

大体、ガン以外に持病があったり、肥満だったりする人は、正直、ガンになってから生存年数が短いようだ。

治療には体に負担がかかるので、「健康(ガン以外)」でないと絶えられないものらしい。

幸いにして母は、患う前、年齢の割には健康診断の星が格段に少ない人であった。


あと、やっぱり食事が偏った人や、食欲が無くなった人は、どんどん衰弱していく。

その辺は母も思うところがあるらしく、毎日時間をかけて野菜ジュースつくったり、いろいろ献立考えては買い物に行くのが

ちかごろの生きがいになりつつあるようだ。



はいえ、そんなのは対症療法で、結局は高額な薬を主軸とする治療に頼っていかざるを得ないのが現状なわけで

これから先、どのくらいの期間にわたって、どれくらいの金額が母の命に注ぎ込まれていくのか、

できるだけ考えないことにしている。



(2016/08/24)

追記書きました。

http://anond.hatelabo.jp/20160824212145

http://anond.hatelabo.jp/20160820022603

何しても企業は抜け穴探しちゃうから雇用制度のものを再発明しない限り、現代資本主義社会の仕組みでは防げない。

2016-08-22

NHK報道した貧困JKに関する件。

一応それ関連の記事などは一通り読んだつもりですが、報道内容や該当JKツイッターなどから「本当にその生活貧困なのか」というような部分に火がついているのだろうと。

まれた家庭の経済面他人比較したことがないですから相対的自分の家が貧困だったかは分かりませんが、うちは非課税世帯だったので裕福ではなかったとは思ってます

そういう家庭で育っているので、うららさんが言っているように将来の進路を選択する時には「金」の問題が常についてきました。入学金の多少、学費の多少、生活費の工面、奨学金などの制度。進路の選択には偏差値などの学力に関する問題と併せて「金」に関しても考えないといけなかった。

しかしこのことについては、よっぽど裕福な家庭に産まれでもしない限り「みんな」同じように考える問題だと思います。こども自信が考えるのか、親だけが考えるのか、考えた結果、選択可能な進路はどれくらいに絞られるのかが違うだけで。そしてこの最終結果となる選択可能性については、特に親の将来設計で大きく変わるのはことは知っています

そして当事者である子ども本人です。うららさんは「みんなが当たり前にできることが自分だけできない」「夢を持っているのに目指せない自分は不幸」と言っています。この考え方なんですが、自分自身が進路で悩んでいる時と同じなので強くは責められないし、責める資格もないと思う。しかしまぁ、同じようなことを考えていた人だけに何か書かずにはいられないもので。

まず「夢を持っているのに目指せない」ではなく「実現しようとしていない」だけだと思います。確かに親が自分の将来の学費をどれだけ貯めているか貧乏か裕福かで「進路選択時」だけ切り取れば一見かわいそうな自分が見えてくると思う。でもそれは、そもそも自分が裕福な家庭に育っておらず、将来やりたいことのためにはどれだけのお金がかかるのかを早くから認知していればいくらだって対処法はある。うららさんの言う「夢」はいから叶えたいものとして彼女の中に湧いたのか、叶えたいものとしてどれくらいの重みがあるのか分からないですけど、本当にやりたいことであれば真剣に考えていれば方法は見えてくるはずだし、見つかるまで考える。

それから、「みんなが当たり前にできること」なんて実はないです。学校なんかで集団生活を送っていると、ほんとうは個人単位で見た時にはそれぞれ出来ない部分があるのに、ある程度おおきな集団の一部になると一部の出来ないものは見えづらくなって「みんな出来る」ものに見えてしまものです。これは今回のような貧困もそうだし、たとえば自転車運転、なわとび、計算の速さ、記憶力の違いなんかもそうです。

ほんとうは個人個人身体的な障害なんかの非常に見えやすい違いを除けば、それぞれが自分の出来なさを克服しながら前に進んでいて、それぞれがそれぞれの苦しさを抱えていると思います

人は産まれ持つ能力を選べません。自分の将来設計をする上で、たとえば夢を語る時に「才能がないから」という理由簡単に諦めるような夢ならば語らない方が良い。人より体格が劣っているかメジャーリーガーの夢を諦めていたなら今のイチロー存在しない。夢を実現させたかったら人との差、足りなさを埋める努力をしなければいけない。

まれ持つ能力を選べないように、産まれる家の財力も選べません。これも言い替えれば「才能」のようなものです。自分に備わってないものは何かしらの手段で埋めるしかありません。

100メートル走で一番になりたいという夢があったとして、その夢はボルトと同じ身体能力を持って生まれ、同じ環境で育つというフィールドが整わないと夢の実現の可能性がないのか。

今回の場合、うららさんがやりたいことはキャラクターデザイン勉強なのか、それとも「お金」がかかるから実現できない(と思っている)専門学校に行くことなのか。

日本は5〜6人に1人(正確じゃなくすみませんの子どもが貧困層らしいです。ひとクラス40人なら7〜8人が貧困層であって、珍しい存在ではありません。ただ実際問題学校生活貧困などが問題として表出するのは義務教育以降です。

貧困層の子どもはたいてい学力が低いので、高校に行かないか、行っても同じような貧困層学校構成します。なので数字上は珍しくもない貧困の子どもが認知されにくいんだと思います

貧困から将来の選択肢が狭まるというのはある意味正しいと思うのです。だから子ども貧困について知らない人に知らせるというのも大切だとも思います

でも、もっと大切なことがあると思います

自分貧困だということに早く気づくこと、現実を受け入れること。子どもに対して伝えたくない事実だとは思うけど、親がきちんと伝えること。そして現状を知ったら解決に向けて何が出来るのかを調べること、考えること。

貧困から叶わない夢って、まぁ金がなきゃ叶わない夢も当然ありますけど、たいていは貧困から「楽には」叶わない夢なんじゃないでしょうか。

2016-08-21

たぶん、根本的に考え方が違うと思う。


人間社会成熟して、科学技術で作られた道具が肉体を凌駕し、マスの心理科学で操れる時代に、必要能力は見極められつつ有ると考える。

基本的に「論理的思考力」と「コミュニケーション能力」と「自制心」の3つが、人間社会必須とされる能力で、異なる文明が有ったとしても変わらないと考えている。

センター試験大学受験は、上記能力を持った者なら容易に突破出来る設定だが、勉強に特化しても突破可能からセンター試験は役に立たないと言われる事になる。

ただし、選別方法としてこれ以上の物を提示出来ないので、まさに「それに代わる明確な測定方法を示しえているわけでもない。」というわけだ。



折しもオリンピックが開催中で、超人たちの祭典を見ているが、彼らの身体能力オリンピックという舞台有ってこそいきる物だ。

戦国時代なら重宝されたかもしれないが、もうそ時代に戻る事は無い。



そして、歴史上の偉人を振り返った時、上記3つの能力の全てか特化したいくつかを持っている事に気付くはずだ。

時代を超えて、人類誕生から必要とされてきた能力に、説明がついたのが今の時代だと考えている。



幕藩体制能力有る者が下級武士に甘んじていた件については、すでに明治政府から改善が始まっている。彼ら自身が、身に沁みて理解していたから。

現代では能力が有ると証明する機会は豊富に用意され、ある意味過剰なほどだ。AO入試世間を騒がせた某塾のような、制度を逆手に取る輩が現れるほどに。



そして最も重要な事なのだが、あなたの指摘通り多様性の確保という観点福祉を行った場合飼い殺しが最適解になる。

さない程度、最低限に与えておけば後はご自由にと。

そこまで割り切る事が俺には出来ないので、3つの能力が劣った者も、多少なりとも普通生活が出来れば良いと考えている。

もちろん、出来る範囲でだが。

http://anond.hatelabo.jp/20160821172148

私たちは『買われた』展」を見に行って、とても憤っている。

先日、神楽坂で開催されていた「私たちは『買われた』展」を見てきた。

http://www.colabo-official.net/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E6%A1%88%E5%86%85/%E3%82%B5%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97tsubomi/%E4%BC%81%E7%94%BB%E5%B1%95-%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF-%E8%B2%B7%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F-%E5%B1%95/

会場内では撮影メモ禁止だったので、会場を出てすぐに書いたメモから雑感をいくつか。

1.展示内容のショボさと恣意性

企画展ということで何が展示されているか期待して行ったが、ほとんどの展示が「買われた」少女たちの語り。そしてその横に添えられたフィクション写真でつまらなかった。

・語りは、文章文体が整いすぎているため、少女たちが書いたor話したことを大人が清書したように思われる。

・語りの横に添えられた写真は、語りの内容を再現したもの(例えば、ラブホのことを言及した語りにはラブホ廊下写真といった具合に)で、展示する側が印象誘導しようとしているのかと勘ぐってしまった。

・いくつかの語りの中に不自然に登場してきたColaboへの感謝言葉

少女たち本人の思い・気持ちではなく、それを代弁する大人たち(Colaboや仁藤夢乃)の恣意的な考えを感じ取ってしまった。

2.「私たちは『買われた』展」が隠蔽する問題本質

・語りの多くは、「買われた」きっかけが家庭崩壊虐待不登校いじめにあったとしている。また、その時の自分学校警察児相が救ってくれなかったとも。

・それならタイトルは「私たちは『買われた』展」じゃない方が良いのではないか

少女を買う男性という、わかりやす社会悪に目を向けさせることで、問題本質ソーシャルサポート制度的不備とか)から目を背けさせているのではないか

・追記:展示されていた少女日記の中で「援交」という言葉に鍵括弧がつけられ強調した書き方をされていた。Colaboからあなたの苦しみの根源は『買う男』にある」と言い聞かせられた少女の姿が目に浮かんだ。

---

少女たちを買った男や、少女たちが買われるまでに追い込んだ社会家族に対して憤っている。

しかし、少女たちを救うというポーズの裏にチラチラ見える、組織自身宣伝すること、売春・援交をする男性を叩くことだけを追い求めるColaboと仁藤夢乃の欺瞞的態度により憤っている。

“金の使い方がおかし貧乏人”にお勧めしたい制度

http://anond.hatelabo.jp/20160820004448



社会福祉協議会社協)がやってる「日常生活自立支援事業」のサービスを一度検討してみてはどうかと思う。

サービスの中に「金銭管理」も含まれていて、社協職員サービス利用者の通帳等を預かって金銭管理を行うというものだ。

http://www.shakyo.or.jp/news/100517_01.html



多分トラバ元の人が「貧困JKうららちゃん」世帯に対して望んでいることって、これだよね?

2016-08-20

日本奨学金制度

実は出来た当初条件が厳しくて本当に優れた一握りの人間しか貰えないようになりそうだったから偉い人から怒られて条件緩和したとか。

学資ローンだなんだと言われるけれども、現行の奨学金制度は8兆円規模の事業なわけでそれが成り立つのも貸与という形をとって資金ループするようになってるから

現行だと成績要件もかなり緩和されていてほぼ誰でも受けられるレベルになってるという話なので、その辺も考えて奨学金制度のあり方を考えていかないとどこかで蹴躓く。

25歳職歴なしのキリギリス、もう取り返しがつかないと夜中に泣く。

貧困JK話題になってますね。

私はやる気とコミュニケーション能力とその他もろもろの能力がなくて、就活が無理と思ってしまい、無い内定卒業してその後は派遣として工場単純作業をしておる者です。大企業工場なので盆休みが長く、暇なので1人で東アジア旅行に行ってきました。あ、外国語どころか日本語もできないけど近場の短期海外旅行なんか一言言葉を発しなくてもなんとかなりますよ。

貧困、そんな無駄なことに金を遣ってるからいざという時に困るんだよという話です、まあその通りだと思うんだけど、そもそもの収入が14万とかで、倹約したところで老後とか無理無理じゃんって人はどうしたらいいですか。倹約したところで収入以上に金が貯まるわけではないし、生きていくには金がかかる、めちゃくちゃかかりまして、塵も積もれば山となるっていうけど、もう無理ですってなったときに100万かそこらあったところで無理じゃん、そんなもんじゃ生きていけないじゃん、じゃあ今やりたいことやろうや、でも自殺するわけじゃないんだからやはり倹約はしたほうがいいのか、数ヶ月延びるだけだけど。

本当に無理だ。無理だと思ってるから無理なんだとにかくやるしか無いってのはその通りだと思うけど何もできないんだ俺には。

死にたいときに安楽に死ね方法制度をなんとかして作ってください。お願いします。

男は働いて女は家を守る昭和のやり方

実は効率的なんじゃね?と思うようになった。

女性はいくら環境が整備されたとは言え、様々な差別障壁が有るし、妊娠出産の期間仕事を休まないといけないから、ずっと働く男との競争は不利だ。

男も本気で働くとなると、家で洗濯掃除しているヒマは無い。家政婦入れると家事解決するかもしれんが、孤独で病む。

そして男女とも、若い間は子供なんて不要と言っても、年をとると産めばよかったと言う。これ、数十人に聞いたが今まで例外が無い。

皆無とは言わんが、子無し夫婦の大半が産めば(産めれば)よかったと思っているのではないか



男女差別とか平等とかのお題目は美しいが、世の中の仕組みを変えるよりも適応して生きた方がQOLは高いのではないだろうか。

男は死ぬほど働く、1日12時間は働く。女は家事をやって子供の面倒を見る。これを比較優位の分業と見れば、効率的ではないか

ぶっちゃけ日本企業残業した人から昇進していくシステムなので、労働時間を1人に集約した方が効率的だ。2人で8時間×2働くより、1人で12時間働いた方が昇進が早く給料も良い。



男女共同参画とか、女性活躍とか煽っていても、現実制度がまだまだ甘いし、生理的機能の差で20~30代の数年を妊娠出産育児に取られる女性が働くのは非効率だ。

ならば世の中に合わせて生きるという選択肢も有ってよいのではなかろうか?

自分の生きたいように生きる権利を認めた上での、効率的生き方提案という話だが。




事故病気や離職で詰むとの意見ですが、共働きでも同じでしょうね。

そもそも、共働きで片方が不測の事態で働けなくなった時、家計問題が無い家庭がどれだけ有るのでしょうか?

働き手を片方に限定する事で、少なくとも住宅ローンは団信によってリスクヘッジが容易になります

12時間働きたくないとの事ですが、共働き8時間家事育児を並行してやる方が疲れます

8時間働いて暗い家に帰ってきて、そこから食事の準備や洗濯をして、風呂に入って風呂掃除明日の買い物まで。

子供が居ればお迎えと寝かしつけ、高額な時間外保育料金の支払いも。掃除機をかけられるのが休日だけだから、そこまでやっても家は埃っぽい。

そんな生活の方が疲れると思いますね。



男女共同参画を推進する人は、ここまで考えの浅い人ばかりなのでしょうか?

後見管財人的な制度ってできないのかな。

支援を受けている家庭や受けるかどうかぎりぎりの家庭に、持続可能なやりくりの仕方を指導するプロがつく。

生活保護の金は管財人に振り込まれて、都度都度必要な額を受給家庭に渡す。

趣味は厳禁みたいなアホなことはしない。

持続可能なことが第一から、最低限度の文化的生活レベル自由に使えるお金も渡す。


うん、書いてて思った。

悪用する反社野郎絶対出てくるな。今でもいるんだし。

2016-08-19

やりたい事が見つかった

から、社内異動制度を使った、だと。

戦友が一抜けしていく姿を恨めしく思う反面、心から応援したい。

そして、いつの日かまた共に仕事しようではないか

僕?

僕は社内政治の荒波を乗り越えて、昇進するよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160819232753

私も同じ側。不遇感半端ない

けど、あなたが働けない側になったら、周囲は同じようにフォローしてくれる。これは事実

産休育休、傷病による時短勤務、介護休暇、ぜんぶ組織制度から

納得いかなかったらそちら側に実際に行ってみるといいよ。

結婚出産を急ぐでもよし、体調不良部署異動を願い出るのもよし。

自分は体力的・精神的な負担理由に異動希望を出した。

異動希望は通らなかったけど、とりいそぎ負担の少ない業務になるよう配慮してもらった。

一度ちゃんと言ってみるべきだと思う。

記事へのコメントする前に他人コメントを読むべき

議論になりそうなテーマを取り上げると、個々の意見を持った人々がたくさんのコメントを残していく。

これを俗に炎上というのだろうけど、そうした記事を見ていると筆者が不憫にあるケースが多くある。

理由としては重複したコメントが多すぎることにある。同じ内容を、別の人が違う言い回しコメントするのだ。

筆者はそれに対して真摯コメントするも、同様のコメントが何度も何度もつく。

次第にコメントするのがバカらしくなるのが想像できる。

 

もっと厄介なのは、同じ内容のコメントであることをコメントを書く側が理解していないことだ。

別のコメントへの返事を参照させても、そもそも国語力がないか理解していないし、無視された、軽く扱われたなどと憤慨する。

これはたまったものではない。

性善説を信じるものに取っても、やはりバカは悪なのではないかと思わされてしまうだろう。

 

コメント欄建設的な議論をしようと考えても、

そういったコメント汚染が進むと見栄えも悪くなり、筆者の意欲が削がれていくのを感じる。

新たにコメントをする側も、動物園議論をしても仕方ないと考え退散していく。

 

ネットバカ暇人のものとはよく言ったもので、スマホの普及によるものか、バカさらに目立つようになってきた。

一昔前にインターネット免許制にすべきという話題があったが、そこまでは求めないが、

他者へのコメントに関してはまともな国語力があるかないかを一目でわかるような制度を作って欲しいと思う。

fecebookさんでもtwitterさんでもいい。よろしくたのんます

http://anond.hatelabo.jp/20160819162001

はてなの「良識派」は、こういう主張をされる方が多いんですけど。今の非正規年収300万以下で働く人には全く届かないと思いますし。本当にそんな事言い出したら、制度的にも維持は難しいと思いますよ。

2016-08-18

社会問題としての広がる女装裾野

少し前に男の娘という言葉流行ったが、そのムーブメントは去ったように思われている。

http://matome.naver.jp/odai/2134149251375308901 『男の娘ブームです!』

http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1405243950/ 『男の娘ブームとは何だったのか

しかし僕はどちらかといえば定着したのではと考えている。ある一定市民権を得て、男の娘というジャンルムーブメントから離れて、女装、もしくは女装子という一段階上ステートとしてくくられたのではないかと思う。

少し近接してしまいそうなので先に断っておくことがある。

世間ではLGBTについて、ジェンダー課題について議論されているようだ。僕はあまり調べていないが、そのような特集がよくあるようである

心のことであるとか、様々な議論がなされているのだけれども、僕はもっと深いところでの事情があるのではないかと思っている。

ここではそのような課題について気論するつもりはない。

それでは何の話題なのかというと、性別境界曖昧になっているのではないかという疑問が主題である

若い人はセックスをしないというけれども、データでもそれは少しづつ出てきている。

http://matome.naver.jp/odai/2142314033149402301 『草食系絶食系へ退化?若者セックス離れが止まらない!!』

http://saras-media.com/12982 『20代処女高齢処女が増加中?年代別・処女割合が明らかに』

調べ始めたのが最近だろうから昔のデータとの比較はできないだろうけれども、それでも肌感的にも自分は同じように感じている。

ただし、スーパーマジョリティー、スーパーメインな人たちというこれまで(もこれからも)メインカルチャーど真ん中にいる人たちが世の中の大部分を占めていることは間違いない。そしてそういう人たちは上記記事には当てはまりにくいだろう。

しかし、その傍ら、女装中性的、もしくは無性といった輪について、20年前であればスーパーマイノリティだったジャンルスーパーとはつかないマイノリティになってきているのではないだろうか。それこそ20年前であれば、人口比0.0いくつ%という数が、下手をすると予備軍を含めると1%台まで急伸しているのではないか想像している。(あくま想像範疇であることに留意されたい)

かといって、新宿二丁目の規模が100倍になっているかと言われればそれは違う。むしろ横ばいか、下火なのではないだろうか。

【最もゲイで溢れていた1990年代と比べると、目抜き通りは閑散とし、人通りは減っている[要出典]。異性愛者向けの店舗オフィス、そして異性愛女性の客が増え、ゲイタウンとしての特色も薄れてきている。(抜粋出典wikipedia : https://ja.wikipedia.org/wiki/新宿二丁目)】

2丁目はまた別の機会にきちんと調べる必要がありそうだが。

ここから先はほとんど僕の勝手想像上の物語だ。

そこでまた仮定になってしまうが、変身願望と十把一絡げにしてしまうのは間違っているような気がしないでもないが、女装は単純に化粧をして、女物の下着と洋服を履いて着て、オネエ言葉を使い、一時的女性の偽物になりたいのではないかと、考えてみた。また、現代女装において、ゲイ必須の項目でなくなったこともあるのではないだろうか。

自分に置き換えて考えてみる。(自分女装をする、限定バイセクシャルである

女装をすることに対し、一時的な非日常感を味わいたいわけではない、自分がそれでは継続的に留まるべき性であるという責任も持ちたくない。かといって、男性であることを意識したくない。体の良い逃げだとも考えられるが、そうすることで自律することを怖がる自分をなんとか支えているのではないかと思う。

たまたまかもしれないが、女装さんのフォロワーを見ていると、決して異性と上手に、もしくは世間と上手に渡っていけている人間が多いとは思えない。これは僕個人の一所感である

話は変わってしまうが、女装をしたいという人間が増えているような気がする。僕の過疎放送に来てくれる中にも、少なくない数の、女装をやってみたいんですがどこからやればいいかからなくて、という質問が寄せられる。僕は暦だけは長いが、何も教えられるようなことはないと思い、うまく言語化できないのだけれども。

これは、またあくま憶測しかないのだが、学校社会といったものとうまく馴染めない、もしくは馴染んでいるつもりなのだが、心ここに在らずといった、自分三人称視点で見てしま人間が、自分肯定する手段の一つとして、女装という選択をとったりするのではないだろうか。

昔で言えば一人でゲーセンスコアラーとかしていたような、もう少し最近ならヒトカラが好きな層、そんな人たちが、違う選択肢として取るのではないだろうか。

ゲーセンはあまり明るいニュースもなく、カラオケ自体も、以前に比べて減っているように思う。

その代わり、もうニコニコ生放送は古いかもしれないが、ツイキャスやショウルームなど、自分から少ない人間に発信できるメディアは、どんどん増えている。自己承認欲求をかむアウトすることはしないがインターネットならばさらけ出せるという人間が増えているのではないか

ユーストや、YouTubeなどと決定的に違うのは、コンテンツを作っていくのではなく、自身コンテンツとして売っていこうとしている点であろう。

これは、エロライブチャットとあまり違いはない。言い方は悪いが、安く身売りをしているのだ。

そうすることで、数字も伸び自尊心は保たれる。

これまで明言してこなかったが、女装する男性は、多くはヘテロセクシャルだと僕は考えている。女装同士は友達にはなれど、性的交渉相手ではないのではないだろうか。どの程度がバイゲイMTFノンセクシャルなのかはわからないが。今の所調べようがない。

想像するに、童貞というキーワード気づきをもたらせてくれるのではないかと思った。

女装をする人は、もちろん例外はあれど、ほとんどが独り身の男性である童貞ではなくとも、童貞感覚を持った人間童貞観念を捨てられない人間なのではないかと思う。自己愛が強く、他人から愛情を上手に受け止められない人が多いのではないかと思う。もしくは他人から愛情というのはデータ証明されるもの言葉や行動など)が伴わないと感じ取りにくいのではないだろうか。

脱線してしまった。童貞というキーワードを持ってくるには少し理由がある。

比喩として童貞を失うということは、大人への強制的な一歩を踏み出させるものではないかと思う。

また、僕が師事させていただいた教授が『日本という国は、年齢に比例するように年を取らなければならない社会である』というようなことを言っていた。そのように、すべての行動に責任を取っていかなければいけない社会なのである

もちろんこれは成熟した成人であれば、何を当たり前のことを、となるのかもしれないが、成熟した人間がどんどん減ってきているのだと仮定すると、(あえて厳しい言葉で書くと)未成熟人間が取るべき責任から逃れる方法模索してもおかしくないと考える。

責任というと、あまりにも重いものに感じるかもしれないのだけれどもうまいたとえが見つからない。

さて、そこで冒頭の性別あいまいになってきているという話である

この国において、終身雇用制度は終わりを迎えようとし、世界的に見ても賃金の低い国になりつつある。

そんな社会で生まれ持った持つべき男らしさというものから身を離そうとするのは不思議なことではないのではないだろうか。

嫁を取り、社会に貢献する義務を果たしたくないと思っても仕方がない。

かなり突飛な発想であることは意識しているが、あえてここでは上記のように締めくくらせていただく。

そのうえで、そのように責任を負いたくないモノと社会とがもう一度きちんとささあえあっていけるインフラ必要だと考えている。

それは産業であり、インフラであり、思想である

女装者が、女装者として生きていかなくてもよい社会づくりをするのか、女装者として生きても十分な責務を果たせる社会を作るのか、それはわからない。

ただ、こうあえて書いてしまう。

上記はれっきとした社会問題なのだ