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2017-03-17

自分では何も出来ないという話。

思えばずっと甘やかされて育ってきた。

以下、かなり長い自分語りが続くので注意。

先に今現在の話をしておく。

現在私は大学の2回生で、2回生とは言いながら単位を落としすぎて留年した身であるクズと言っても差し支えないだろう。実家田舎のため上京して都会の大学に通っている。具体的金額は伏せるが、親には割と多めの金額仕送りとして貰っていた。

私は長男として生まれた。結局2人目以降は出来なかったので、1人っ子として育った。

不自由ない生活をしてきた。

幼稚園の頃から愛情たっぷりに育てられた。

特に母は本当に私に優しく接してくれた。

私が幼い頃は父と母がよく夫婦喧嘩をしていて、父がよく大声で怒鳴っていたし、母が私にその愚痴を漏らすことが時々あったので、幼少期の私の両親に対する印象は、母が優しい人で、父は怒らせると怖い人、という印象であった。

当時の親や周囲の私の印象は「我の強い子」であったらしい。思い通りにならないと直ぐに癇癪をおこしたそうだ。記憶する限りでは、水泳の授業が嫌いで、水泳のある日は玄関先でこれでもかと言うくらいに抵抗していた。

母は躾はしっかりしていたので、例えば服を脱げば洗濯機に入れるとか、食べた後の食器は台所に運ぶとか、そういうことはきちんと私に教えたし、私も素直に聞いていたらしい。

私が小学校に通うようになると、色んな人と関わる機会が増えた。他の友達の家に遊びに行くようになった。遊びに言った感想は、「何だかちゃごちゃしている」といった感じだった。恐らく共働き家庭だったり、親があまり片付けたりしないような家庭だったのだろう。もちろん綺麗な家庭も、恐らく3割くらいはあったと思うのだが、子供心に「他所の家庭はもっと雑」という印象が残った。そういう余計な影響を受けて、これまで躾られて出来ていたことをしなくなったらしい。これは結局高校卒業までしていないことになるので、相当である

関係あるのかどうかは分からないが、この頃に学校でも奇行が目立つ。喧嘩が弱い癖に、喧嘩をよく吹っかけた(そして返り討ちにあっていた)。小学校低学年だからまだ許されたのだろうが、かなり過激なことをやった。クラスメイトスカートを捲ったりもした。当然学年中の女子から嫌われた。馬鹿である。当たり前のように友達は居なくなった。落書きをよくするようになった。友達ほとんど居なくなったが、ノートにでかい絵を描いて(というか落書きをして)それを見せびらかしたり、長い迷路を書いたりして、周囲の興味を引こうとしていた。健気と言えば健気である。「友達が欲しい」とよく言っていたそうである母親に泣きついたりしていた。

母親も、この時期は何故かかなり厳しかった。もちろん素行が悪くなったこともあるが、他にもゲームの件がある。私は幼稚園卒業するころあたりからゲームが好きだった。あまりにも没頭するので、「1日に30分まで」という制限を課された。が、それを素直に受け入れるわけもなく、毎日のように文句を言ったりして親子喧嘩をした。思えばなぜあそこまで熱中していたかは分からないが、ゲームは今でもかなりやっている方だと思う。とにかくゲーム人生のようなものだった。多分尋常じゃないくらいのハマりようだったのだろう。

そんな小学校低学年を送った。

中学年(3年生)くらいになると、流石にさっきのような奇行はなくなった。が、失ったものはそう簡単には戻らない。相変わらず孤独生活をしていた。この頃になると、いわゆる「クラスの人気者」に対して逆恨みから喧嘩を吹っかけていたような記憶がある(そして返り討ちにされる)。まあとにかく、喧嘩が絶えなかった。そんな時味方でいてくれたのはやはり母である。母は相変わらずゲームに関しては厳しかったが、学校での対人関係では味方でいてくれた。おそらく私の悪い点はちゃんと指摘していたのだろうが、それでも当時の私からすれば無条件の私の味方だった。

悲しいことに、それでも自分の思い通りにならないことがあると癇癪をおこして親に暴言を吐いたりしていたらしい。

高学年になると、県内進学校目指して中学受験勉強をするようになる。低学年の頃から学力の高さには自信があり、塾ではほぼ成績1位であった。まあ、自主的勉強していたわけではなく、自宅での勉強は母が付きっきりだった。しかし、受験しようと言い出したのは私自身であり、親としては別に受験はしなくてもいいという意見だったそうだ。負けず嫌いだったのもあり、勉強苦痛だったが我慢してやれていた。

この頃になるとわりと多くの友達が出来ていたように思う。まあ、親友と言えるほど親しい相手は数人なのではあるが。

小学校通して、友達が少ないという割には活発で、よく色んな人と遊んだ矛盾しているように聞こえるが、要するにそんなに仲良くない人にも突っ込んで遊びに誘っていたわけである友達を人数で計って多い方がいいと言う単純な発想で、家に1度に多くの人が遊びに来た方が偉いという考えである。今思えば極端すぎるが…まあ、自分の好きなもの優先なので、病院に行く予定があるのに勝手に遊びに行く約束を重ねてそちらを優先しようとしたりとかしていた。自己中心的の極みである。まあ、当然親に怒られるのだが…

そしてついに女子からの評判は最悪のまま小学校生活を終えた。まあ、妥当である。ことあるごとに私のことが嫌いという態度を取るので(一種いじめである。いわゆる「〇〇菌がうつる」とか、席替えで隣になった女子が机を離すとかは日常茶飯事)、こちらも腹が立ってよく喧嘩を吹っかけていた。今思うと馬鹿であるが。女子というものは口達者で、特にそういうところが嫌いだった。女性なんて信用してなるものか、女性というのは陰湿で口達者で陰険で裏表のある連中だ、と子供心に思った。

無事志望校合格して中学生になった。この頃からコミュ障を発揮し始める。元々喧嘩を売るしかコミュニケーションの取り方を知らないのだから仕方がないのかも知れない。人との距離の取り方が分からない。友達が出来なかったわけではないが、そんなに多くはなかったと思う。この頃ラノベにハマる。オタク路線まっしぐらである…かと思いきや、意外とドライであった。色んなラノベ漫画を読むのではあるが、一つの作品キャラにどっぷりハマることは無かった。グッズなどはあまり買わなかった。

相変わらずゲームが好きだったし、その事で母と揉めていたのも相変わらずである。ただ、褒められる機会は減ったような気がする。相対的に怒られることが増えた。この頃になると、私にとっての母の印象はただ怒る人になってきていた。

この頃「うごメモ」に出会う。当時DSiパラパラマンガアニメーションを作れるソフト配信されていたのだか、これが使いこなすと結構クオリティの物が作れる。これをインターネット投稿出来るのだ。凝り性な私が作ったうごメモ一定の評価を得た。そのジャンルではそこそこ名の知れたという程度の作者にはなった。どハマりしたのは言うまでもない。やはりそこでも母との対立であるクオリティの高い作品を作りたいのに、時間制限(しかもかなり短い)を課してくる母が憎かったのは覚えている。

まりにやめようとしなかったので、ついにそのDSi永遠に没収された。突然の引退である。同時にゲーム禁止令を出され、これが4年間続くことになる。うごメモ続けたかったのに。

一方で生活面ではさながら幼稚園児かというレベルでの親への甘えっぷりが続いていた。至れり尽くせりである。何でも母がやってくれるのである。この頃から生活面での親へ依存から全く抜けられていない。要するに親離れ出来ていないのだ。この時点で母も対策すべきだ思うが、甘やかしてこのまま放置されていた。

中2のとき初恋をした。クラスの中でもかなり可愛い子であり、要するに私は面喰いだったわけである。先述の女性不信の癖に、「この子だけは純粋無垢で優しくて大丈夫」とかい根拠の無い自信があった。ハマるととことんハマって思い通りにならないと嫌な我の強い性格がここにも発揮されたのか、とにかく追いかけ回す、その勢いまさにストーカーと言っても差し支えない。当然嫌われる。だが、その子は優しいので直接的に迷惑と言わない。告白してもフられるものの、嫌いだとハッキリ言わない。そういうわけなので、私は「ワンチャンある」と3年間くらい信じ続けるハメになるのだ。

そのくせ、何故か他の女の子にもアタックした。いや、アタックしたというか、ただ手当りしだいに告白してただけである。その人数たるや7人である。たぶん誰でも良かったんだと思う。誰でもいいから、異性に好かれたかったのだ。女性不信のくせに。結果は全滅である。当然といえば当然。まあ仲のいい女子なんてひとりも居なかった。関わる機会が無かったわけではないはずなのだが…部活女子の方が多いのだが、部のほかの男子女子と仲いい癖に私はなんとなくその輪の外にいたような感じだった。私だって女子と仲良くしたかったのに。ずっと決まった男子とつるんでいた。間違いなくスクールカースト下層だった。

こういう学校のことは、親にはあまりさなくなっていた。なんだか恥ずかしいのである。なんというか、学校生活、つまり小学校より成長した感じを両親に見せたくない。ずっと小学生のままで居たいような感覚である。要するに甘えてるのだ。この期に及んで。一丁前に恋なんかしてる姿なぞ死んでも見せたくなかった。

高校でもこんな感じである。この頃にはすっかり物事に対するやる気というものをなくし、宿題すらやらなくなって行った。学校に行ってる間は授業はそこそこ真面目に受けるのだが(人並みである)、自宅では全く勉強しない。面倒くさいし、自主的勉強してる姿を親に見られるのが何より気持ちいからだ。

まあ、塾に行っていたのと、学校での授業はそこそこ真面目に聞いていたお陰で、わりといい大学には合格したのだが、自習はほぼ全くしていない。勉強する習慣も皆無である部活も、文化部ではあったが、練習は真面目にやらなかった。努力らしい努力をしてない。この頃にはもう何かを頑張ると言うことをほぼしなくなっていた。何故だろうか…。

ずっと家でこっそり買ったゲームをしたりとかしていた。

そういえば中高生とき携帯スマホの類は親が買ってくれなかった。理由は明白である。まずゲームの件があるから電子機器を与えるのはまずいし、トラブルを引き起こすことも多くメールなどさせたくなかったのだ。一方私としてはそういう電話とかメールとかLINEかいう繋がりから自分が疎外されているのが嫌で、またそれが原因で輪に入れないのが嫌でやはり抗議した。そして親子での衝突は絶えなかった。

そして大学一人暮らしである

親に甘え続けスネをかじり続けた結果、ろくに身の回りのこともしないクズ大学生の出来上がりである。面倒くさいので次第に出席すらしなくなり、面倒くさいのでテスト勉強はせず、部屋の片付けもせず、洗濯は週1回、辛うじて風呂にだけは入るという堕落しきった生活である自炊などもってのほか仕送りは遊ぶ金(しかも大概一人で遊ぶのである友達もほぼ居ない)に消える。自分自身酷いと思う。

少しは書いたが、高校までの私の親に甘えきった生活も改めて書くと、

着ていた服を洗濯機に入れるなどせずに脱ぎ散らかす

食べ終わった食器放置

偏食が激しく母にはわざわざ別メニューを作ってもらう

部屋の片付けも母担当、の癖に母の片付けにいちいち文句を言う

風呂入る順番と時間文句を言う(入りたい時間に、1番目に入りたいのである)

などなどまあ酷いものである。下二つは文句を言って結局喧嘩になるのだが上三つは本当にそうであったのだ。ちなみに偏食の件、最初は本当に偏食であったのだが今は大体の場合「親の前でだけ食べられない」感じである。親がいないと普通に食べるものも多い。

まりに酷いので私自身が高二あたりの時に「小さい頃甘やかしすぎたからこうなった」みたいな事を親に言ったら「私の育て方は間違ってない、あんたが勝手にそんなクズになっただけだろ」と言われた。でも親に甘えちゃうから自分から直す気がないあたりが私のクズっぷりである喧嘩ばかりしてきているし親は嫌いだ。でも親に依存している。

最近は「努力ができたらなあ」と切に思う。目標があっても、そのためになにもしないので何も変わらない。面倒くさいからだ。何か行動を起こし継続して努力出来れば、とよく思う。でもできない。自分の好きなことにすら努力出来ない。

ただ、人にちやほやされたいだけ。承認欲求の塊である過去孤独からだろうか?親の愛情は少なくとも幼少期はたっぷりに受けてきたはずだ。自分に自信が無い。どうしてだろうか。虚栄心ばかりだ。まるで山月記の李徴である。臆病な自尊心尊大羞恥心の獣である。変なプライドだけはある。

さて、どうしようか。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170315111558

単に浪人した奴が大学生活の話をする友人たちについていけないとか

浪人留年就職が遅れたり就職出来なかった奴が先に就職して仕事話をする友人たちについていけないってのと同じ構図



「私がやりたい話が最も尊重されるべきもので、私がやりたい話に付き合ってくれない友人はクソ」

と言う幼稚な発想はいい加減辞めるべき

2017-03-14

コミュニケーション障害者、社会人になれず

コミュニケーション障害者、社会人になれず。

私はその先輩を尊敬している。

その先輩は強い個性を有していて、文学映像作品独自解釈視点を挟むことができる人だった。周囲の人が話し掛けてもロクに目を合わせずに自分の思っていることを話すし、全く空気を読まない人だったけれど、大衆のそれとは違うなにかを秘めている人だった。

でも、先輩は一年を通して懸命に就職活動をしたにも関わらず、零細企業すらも通らなかった。留年して、もう一度満を持して就職活動に挑むらしい。詳しい就活の話は聞いていないから、企業を選り好みしたのかもしれないし、そもそもエントリーした企業数が少ないのかもしれない。

今でもその先輩を崇拝の眼差しで見つめている。尊敬こそすれ馬鹿にするつもりはこれっぽちもない。

ただ、普通ではない人が普通の人の輪の中に溶け込んで生きていく、たったそれだけのことが遠いものに感じられただけ。

異常者が爪弾きにされるのは当然の摂理かもしれないけれど、そういう人にも最低限の幸福が望めるような、そんな社会がいいと思った。空虚理想論だけど。

2017-03-11

おかあさん

マザコンからさ、お母さんが喜ぶようにって考えて日々過ごしてたわけ

自分では一生懸命のつもりに勉強して中学受験して大学入って大学院に進学して

それで喜んでもらえてるって思ってたよ

でも違ったんだね、ごめんね

お母さんは同級生ディズニー行ったり、サークルメンバー飲み会行ったり、彼氏作ってデートしたり

そういうのを求めてたんだね

別に勉強なんて二の次でよかったんだね

頑張ってたつもりになってた勉強留年してパーになっちゃった

何してるんだろうね私

しませてしまってごめんね

2017-03-03

増田学園

長文コース、短文コース特別コースがある

教師は居ないが上級生が下級生を「指導」する

何年も留年してる学生多し

たまに留学生が大挙して訪れては散っていく

勝手委員会が生まれ沢山の委員長が居るが委員は少ない

通知表はあるが誰が作っているのかは分からない

はてブ理事会に見張られている

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228015628

留年して色々と遊んでたけど、こっち側人間が住める世界所謂大企業ではないから好きにするといいよ。

たぶん君は就活に向いてないし、もっと言うと働くことに向いてないので、ニートになるなり自分で稼ぐなり、そういう方向を向いたほうが幸せになれる人間だと思うよ

京大はよくわからないけど、東大は意外とそんなに頑張らなくても入れる

頑張らないで入ると入ってから留年したり退学したりするけど

2017-02-27

メンヘラ出身ヲタクTwitter

Twitterが無くなるかも〜って話題は定期的に上がるよね。

私はTwitterが無くなったら、いや、もし、Twitterというツールがなかったら

もうすでに死んでたのでは?と思うこともしばしば。

はい、お気づきしょうが、メンがヘラヘラしてます

いえいえ、最近全然大丈夫なのですよ!

時々現実を見て考えすぎて闇に飲まれ思考になりますが!

腕を切り刻むことをもうほとんどしてないですし、付けた傷も今では白くケロイドになっています

人の目が気になるので、腕まくりも半袖も着ませんがね。

そう、Twitterの話です。

もう数年も前ですが、学生の頃、私のメンタルヘラヘラが最高潮だった時の話をします。

私は頭が悪く、赤点祭りが開催され、留年危機だぞ!と言われてましてね、

勉強しても身にならない!やり方が悪いし、もともと記憶力もない!

そして最大の敵、サボり癖!

そんなこんなで、クソみたいな成績を叩き出してた私ですが、

当然親に怒られるのです。

メンタルヘラヘラの原因は完全に親だけです。

コミュ障ですが、人当たりは悪くないと自負しているので、

いじめなどそれに似た類はないのです。

それなのに、メンタルヘラヘラが加速するのは親の小言とお説教

勉強しろから始まって、留年したら私が恥ずかしすぎて外を歩けない!とか、

からほっぽり出すぞ!とか、この家はお前に貸してやってるだけだ!とか、、

まぁ、私を心配しているのではなく、自分の保身が溢れる言葉を幾つもかけられましてね。

思い出すだけでムカムカしてきますね。

そんなこんなで、テスト中。全く解答がわからない。

もう、焦ったのか、自己嫌悪なのか、泣きそうになったのですが、

通学中、ツイ廃気味に何気なく呟き、当時仲の良かった子からテスト頑張れ!応援してる!」みたいな

リプが来たので、そうだ、そうそう、頑張れって言われたから頑張ろう。って思えたのです。

泣きませんでした。よかったよかった。

現実の人にいくら親切に、優しい言葉をかけられても、私の性格がひねくれているのか、

素直に受け取れず、その言葉の裏に隠された言葉は?と、考えてしまます

何か悩んでるなら相談乗るよ?と言われても、晒した弱みに付け込むのでは?

誰かに吹聴するのでは?と思ってしまい、一線を引いてしまます

現実の人に、弱みを見せてはいけない。と思っているからでしょう。

しかし、ネットで繋がっている、顔の見えない誰か。

ボタン一つで全ての関係を断てる、誰か。

その誰かに、私はとても安心します。

そして、現実の誰よりも、信頼をします。

住所を教えたり、とかの信用ではなく、その人の言葉を、大切にします。

現実の誰よりも、ネットの誰かを、大切にしている節があるのです。

私は、Twitterがなかったら、死んでいたでしょう。

一人で抱えて抱えて、ストレス発散で切り刻まれた腕を持って、

通学中候補に挙げたビルマンションから華麗にダイブをしていたはずです。

愚痴現実で言えない。悩みを現実で言えない。そんな私は、Twitterに救われたともいえるでしょう。

結局、私は、学校卒業できたし、現在は好きな事をやることをあと1年甘やかされて、フリーターで、

今まで生きてきて一番幸せな時期ですが、

それでも、死ぬことを考えてきた時間が長すぎて、いつでも死んでもいいと思っている。

あと1年以内に、今度こそ死ぬかな?って地点に近付いて来てますが、まだ大丈夫。今考えることじゃない。

その地点に行って、身の周りの環境はどうかと、Twitterで聞いた話を吟味して、選ぼうか。

頭の可哀想な話で、失礼いたしました。

これは、私が私のために吐き出したかった話。

Twitterだと、なんだか恥ずかしくて言えなくってさ。ははは。

2017-02-26

免許も持ってない、

就活も決まらない、

性格にも問題あり、

ってことに加えて

単位も足りてない、

ってことから

1年間の留年が決まったけど

これで良かったと思っていいのか?

これから一年間(9月までは休学)で、

人生経験としてアルバイトやったり、

学生証に代わる新たな証明書とを得るために教習所に通ったり

改めて就活したり

いろいろやるけど

やっていけるのか

少し不安

後輩と同じ授業を受けるのは

何度もやってたし慣れてるけど

後輩と就活

経験がないから何とも言えない


やるしかいか

とりあえず

今日大家ハウスクリーニング見積もりにくるし、

月曜火曜でクリーニング&散髪をして

来月1日2日は説明会

3日は前通ってた教習所の払い戻し、

4日5日はアパート引っ越し

がんばろ

今日荷物出来る限りまとめとこ

2017-02-18

リルケ軍曹ここ見てる??

明日クラン戦俺、行けなくなったーかあちゃんとにいちゃんが部屋にやってくるよぉおおおおおおおおおおおお就職活動やめて試験講義いかずに年越しソシャゲしてたらずっと大学行ってないのとうとうばれたぉ

おやじきたら殴られるん確定なんやけどやべーから今逃げる準備してネカフェ回るけどネカフェで寝泊りしてもラインしたいしスマホ電源きれねーしうぐうううううううううううううスタバは高いからなああああああああああああカラオケフリータイムで充電はできるけどクラン戦のことが気になるがかーちゃんにーちゃんきたらおこられるぉやべえ留年確定で大学がちくりやがったなあいつらああああ

2017-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20170211223628

偏差値40以下の高校は、カメラ取り付けて授業態度も単位の一つにしたらいい。

単位取れなくて留年、親が文句言って来たら証拠映像見せてやればいいだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20170211223628

高校なら退学にしたら良いと思うよ

小中も退学は無くても留年制度を作ったら良いよ

教師はそれでDQN生徒に反撃したら良い

2017-02-10

anond:20170210160426

他人事じゃないと思ったので。

私も元トップ進学校からFランクの大学に進学した今一年生です。

思い出したくもないけど、不登校になるまで成績はずっと一番良かった。

私の場合中学3年の頃に不登校になって、そのまま留年を重ねて高校も辞めました。

正直気持ちが痛いほどわかる。反感を買うかもしれないけど、読んでですごく胸が痛くなった。

もともと可能性なんてなかった方が、現状に対する苦しみも少なかっただろうと私も思う。

自分自身でもどうにも出来ない心や体の問題がまず前提にありすぎるのに、普通の人が普通にこなしていける事が出来なくなっていくのを、

ずっと一人で受け止め続けてると本当に気が狂っていく。

たぶん大学進学は出来ると思います

Fランクは小学生の頃から勉強できなかったって子が普通にいるので、

小学生まで優等生だったのなら絶対にどこかには入れると思う。

からもう真面目に全部受け止めて苦しんでほしくない。今まで評価されなくても必死で頑張ってきた過去がある人だと思うから

それと普通に大学には3、4年年上の人が居たりするので、絶望するにはまだ早いよ。

私も絶望不安を繰り返しながら、過去や今の状況に無理だと思いながら、必死大学生やってます

100人に見下され貶されて笑われても、1人の人が自分過去ごと認めてくれる世界ならまだ生きれると信じて生きてます

から似たような境遇で苦しんでいる匿名者様にも、ちゃんと未来があるように本当に祈ってます

2017-02-07

僕のすべての受験体験

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

これを読んで懐かしくなった。

すべて関西エリアの話です。

幼稚園受験

最初受験記憶はこれ。完全に親の力で決まる受験

高校までエスカレーター私立幼稚園で。周辺の3つの市くらいか金持ちが集まり、お母さんが派手な美人が多い。親が元女優プロスポーツ選手ヤクザ幹部みたいな人も多い。

受験対策というのはほぼ無いので、親の職業年収寄付金なんかで決まる。

受験でしたことと言えばちゃんと記憶にあるのは面接。多動気味だった僕は面接中にもう全身が痒くなって大暴れしたのを覚えている。一応それ以外にも先生と遊ぶ時間もあったから、そこでも見られていたんだろう。

うちは普通サラリーマン家庭だったがバブルで潤っていたこと、母方の祖父母がそれなりの中小企業社長だったこともあってか合格

袖の下も渡したらしいという話は後から聞いた。

キリスト教系だったので、様々なクリスマスハロウィンミサなんかを味わえたのはい経験

小学校受験

エスカレーターで上がれるところを、親の意向で母の母校を受験することに。(幼稚園は人気高い小学校は頭がわるいイメージの強いところだったので、50%くらいの園児が別の小学校に進学する)

受験対策として塾に通わされる。もちろん塾と言っても勉強ということではなく、マナーとかお作法とか創造力があるか、といった試験クリアするためのもの

ひたすら折り紙練習や、箸を正しく持って小豆を皿から皿へつまんで移動できるか、面接で受け答えできるかの練習

そして迎えたお受験日。事前の練習通りやったし、面接もなんとなくだがよく喋れた記憶がある。しかし、結果は不合格。後の親の感想によると、サラリーマン家庭であったことと年収

中学受験

小学校公立に入ることになった僕だが、小2から学習塾に通い出す。小3の夏期講習をきっかけに進学塾へ。

小5の終わりまでは灘クラスにいたものの、常にその中の最下位だったのでワンランク下のクラスへと変更。あと、僕自身の二度と受験したくないという意向を受けて大学までエスカレーター中学第一志望に。

エスカレーター高校までの滑り止め中学合格したものの、第一志望は不合格

正直なところ第一志望は余裕で問題を解けていたが、珍しく内申点を重視する学校だったことが仇になったんじゃないかと見ている。なんせ受験反対派の先生クラス受験のために小学校休みまくっていたので。

高校受験

先述の通りエスカレーターのため無し。

大学受験

普通にすごしていたものの、怠けまくったせいで中学受験第一志望だったところ大学がD~E判定という状態で高3を迎える。まぁ一年留年するか〜と思っていたところにネットAO入試を知り先生相談

さすが私立高校ということで当時は珍しかったAO対策室みたいなところがあり、そこの指導のおかげで、中学受験第一志望だった大学と同ランク大学合格

人生史上一番苦労していない受験

就活

元々行きたい業界は決まっていたので、ちゃんと早めに3年の夏のインターンから就活を開始。3つほどインターンに参加し、そのうちの第一志望だった会社からかなりの早期に内定をもらう。

通常の就活より相当早めのいわゆるインターン裏枠選考だったため、そこで就活終了。なのでちゃんとした就活はしないまま終わった。そして、今も最高の会社だなと思いながら働けている。


うん、やっぱりちゃんと早めに受験対策してりゃ、いい人生送れると思うんだ。

同い年の人が社会活躍しているのを見ると焦る

今回の留年まではストレート大学院まで来ていて24学生になるけれど

24歳かそれ以下で活躍してる人のニュースを見るとめちゃくちゃ焦る。

先に社会人になった同級生とか同い年で結婚する人を見ると焦りでどうにかなりそうになる。

正直大学院の進学先に失敗した。

こんな環境じゃ活躍社会に貢献もできない。

プロジェクトに入って学会で発表したり企業との共同研究とかしてみたかった。

今の環境パソコンが使える自習室提供してもらってることと何も変わらない。

早く金を稼いで自立して子供が欲しい。

留年して内定取り消しになった

これはたまに聞く話だけど、自分のことになるとこんな辛いとは思わなかった。

また就活すると考えるだけで辛い。

周りの目が辛い。

先に社会人になる同級生の目が辛い。

それもこれもこの研究室が悪い。サポート体制なんてない。

なんでも「自由」でお互い何をやってるか理解してる人はいない、

そのくせ評価だけは厳しい。

ここでの研究活動なんて自分の掘った穴を埋めるようなことの繰り返しだ。

それで結局修論も書けなかった。

学問が嫌いなわけじゃない。むしろ好きな方だ。

ただ一人じゃなにもできない、少なくとも僕の性質では。


1年延長しても卒業できる保証はない。

また穴を掘って埋める日々の繰り返しだ。

他の研究室はこんなにも辛いものなのか。  




これから就活サイト登録して

明日学生相談室に行こう

大学やめたい

大学やめたすぎる。この1年ずっと思ってる。大学受験とき適当に進学先決めた自分ぶん殴りたいし何ならぶっ殺したい。国試受かれば就職余裕^^じゃねえんだよハゲ受験期飲みまくったアルコール脳死んでんじゃねえのか。

動物別にきじゃないしテストしんどいし何よりこの大学全然合わない。中高6年過ごしてきた環境と違いすぎて無理。友達や学務の人はいい人多いけどそれを補って余りあるほどに大学カラーが無理。こんなクソ田舎大学生エンジョイ(笑)してるやつら脳にウレタン詰まってる、間違いない。お前らがBSEなんだよ。あー無理。くたばれ。

パッと見楽しい大学生活送ってると思うけど、内情がドロドロしすぎてしんどいtwitterでのオフパコしたされた問題より全然聞いてて気持ち悪い。全部壁の向こうの話に聞こえる。第一皆なんでそんな獣医に対して意識高いの。変だよ。

なんで6年生までやんなきゃいけないんだ、留年しないのにセルフ理科大かよ、留年やすいところもほんと理科大、ただし偏差値教育レベル理科大以下。ていうか中学校以下だろ、サル山の猿教育してんのか?日光猿軍団か?教授が聞いたことない本物のFラン卒とか大東亜学士しかもってないとか割とどうかしてるでしょ。ここ音大とか芸大みたいな芸術系大学じゃないのよ。今時私立中高の教員でも旧帝なり院卒なんてそこそこいるだろ、頼むからドカタやっててくれ。人を教育するレベル人間性を持つ人間が少なすぎる。猿相手にはちょうどいいのかもしれないけどさ。

から編入考えて近くの国公立サイト見まくってるけど、仮に編入したとしてストレート卒業でもギリギリ三浪就職アウトじゃん、もういっそ文転して再受験してニッコマあたりに入って底辺人生適当にやりたい。卒業ナマポ、なしではないよね。新卒文化死んでほしい。ていうか社会死ね保育園落ちる前に日本へのヘイトが溜まりまくっている。

やる気なさ過ぎて留年すると思ってたけど今年は免れそう、ってそんなのどうでもよくて、成績の良しあし以前に精神が持たない。ドカタバイトトラックの運ちゃんに理不尽に怒鳴られてたほうがまだ精神的にマシだった。これが人生か?ならさっさと自殺したい。

大学卒業まであと何年もあるけど普通に留年はするだろうしそもそも卒業するまでに入院自殺かどれかだと思う。大学やめないと死ぬ

という事を明日スクールカウンセラーに話してきます

すみません自分語り良いですか?

大学院1年生です。

なんか辛い気持ちなので吐き出させて欲しい。

高校卒業後、1年の浪人を経て大学入学した。

そして今、学部4年間と修士1年間を終えようとしている。

自分の通っている大学偏差値ランク付けすると日本で上位5つに入っていると思う。

ここでは日常茶飯事のように「君たちに期待されてるのは〜」といったエリートからどうのといった口説文句を聞かされる。

また、地元高校など周囲の人間からもめちゃくちゃすごい人だと思われていたり、そういう期待が押し付けられる。

自分自身今の大学には浪人してなんとか入った程度だし、学部時代もこれといって目立って秀でていたものもなかったことを自覚しているので正直このような期待や義務を背負わされるのはしんどい

学部時代まではさほど難しいことをやってこなかったこともあり、さほど壁にぶち当たる経験もなかった。可もなく不可もなくの典型だったので、こういった期待についてはぼんやりしか受け止めておらず「自分程度でそんなにすごいことできるものなのか大学ネームバリューすげえ」というレベルだったのだが、大学院で色々と環境が変わった今、周囲の期待、それに応えなければならない義務自分にはしんどい

大学院はいわゆる放置型の研究室所属することとなった。もともと分野に興味があったところで、希望して入ったもの特に研究へのモチベーションが湧かないことと放置研究室の相乗効果で何もしないまま日々が過ぎた。そして発展的な内容の講義に付いて行けず出席すらもできなくなった。

気付けば学部時代サボりきっていた頃よりも単位取得数が下回っていて、いまだに研究テーマすら決まっていないという状態だ。

とうとう先日切り出された卒業を延期するかという教授から提案にはこの上なく動揺した。

自分には正直留年や退学をする勇気すらもない。親からの期待の裏切り、知人や友人から評価暴落、そのどれもがこわい。

それに退学したところで新卒ベルすらない自分なんかを雇う企業いるかも分からない。



なんとか勉強して期待に応え続けるしか道がないことに改めて絶望している。

ここまでの人生自分よりも楽をして生きている人たちを見てなんで自分の方が頑張ってるのに辛いことが多いんだと感じることは少なくなかった。もちろん楽してるかどうかなんて他人である自分にはわからないし、今の人生を選んだのも自分なのは分かっているんだけれど、どうしてもこう感じてしまう。

もうニートになりたい。

あと使えない人間に過度な期待するのはやめてくれ頼む。

スマホで思ったままに打ったので乱文でごめんなさい。

2017-02-04

反知性主義の源泉,モラハラ人間

留年して,モラハラ人間のいる学年を抜けた.モラハラ人間のいる部活もやめた.

抜けてやめて気づいた.モラハラ人間のいる集団は,知性のレベルが低くなる.複雑なもの理解する努力はしたくない,諸説ある状況は嫌でわかりやす結論がほしい,自分にも原因があるとは考えたくなくて全て他者のせいにしたい,というのは人間自然欲望だ.だけど普段向上心によってこれらの欲望抑制している.

そこにモラハラ人間がすり寄ってくる.複雑なものなんか理解しなくて良い,「意味がわからない」の一言で拒絶して良い,悪いのは我々じゃなくてあいつらだ,とささやいてくれる.諸説を否定してわかりやす一面的結論提供してくれる.人々はここに安心を得る.こうすることで,モラハラ人間はその集団から向上心理解力・知性を追い払ってゆく.

2017-02-03

学生時代がクソでも社会人はとても楽しい

学生時代がクソだった俺も社会人楽しいよ。

社会人がクソだと言う人も居るが、完全に自己責任で結果が帰ってくる社会人の方がマシだ。



学生時代なんて顔が良いとか、運動ができるとかの才能がほぼ全ての世界

まれた瞬間からカースト下位の俺には地獄だった。

社会人なら仕事で結果出して稼いでいれば何も問題いからな。結果を出す方法は山ほど有り、金を稼ぐ方法いくらでも有る。



稼げない一部の人社会人クソと言うが、学生時代分不相応な良い思いしすぎたんじゃないですかね。

たまたまカースト上位だったとか、引きこもりでも親が小遣いくれたとか、高校大学で遊びまくったとか、留年浪人しても許してくれたとかさ。

当然だけど中卒や高卒のサボリ魔は論外な。



学校ではカースト上位なんてクラスの1割くらいだが、社会人なら上位50%に入っとけば暮らすのに全く問題無い。

上位50%なんて、普通に努力していれば誰でも入れるレベルだよ。

ネットでもはてなでも、下位50%暇人が大騒ぎしているだけだ。自己愛が大きすぎる人とか、後は精神病障害者とかね。



学生時代が苦しい人ほど、社会人になった時の開放感は大きい。

元増田も書いているけど、お金があって、時間自由で、直接的に殴ったりいじめたりする人は居ないからね。



会社員クラスと違って、明確な目標利益)の為に組むチームだから、お互いを助け合うインセンティブが有る。

相手利益を与えられるようになればなるほど、相手から利益が帰ってくる。ただ金や手間を奪っていく学生時代のクソ野郎たちとは違うからな。



自分有益人物であれば、周りから無視される事は絶対に無い。

日頃から役に立つ人物であれば、多少のミス笑って許してくれるし、カバーする方法いくらでもある。

逆に言えば、社会人が苦しい人は無益存在から苦しいのだけどね。

はいえ、学校テストで半分より上程度なら勉強しなくても余裕だっただろ?勉強出来ない人でも、予習復習すれば入れたはずだ。

社会人努力も大した事無いよ。もっと上を目指すのも自由だし、本当の上位には怪物が居るけどね。




一つ気をつけなくてはいけないのが、社会人勉強20代前半に始めろという事。

30になってはじめても遅い。40では手遅れ。ネットにはそんなやつがゴロゴロ居る。

6歳から22歳までの学校勉強よりも、22歳から25歳までの社会人勉強の方が遥かに大事

ここをやっとけば、学校で上位50%に入れる程度の努力で維持していける。



大学入学をゴールだと思い込んだ可哀想な人がボケてる間に、たった数年頑張るだけで後の60年が楽しくなる。

同窓会スーツキメて時計や小物揃えて行ってみろ。お前をイジってたカスどもが汚い服やボサボサの髪で来てるよ。

イケメンだったA君は派遣社員美人だったB子ちゃんは水商売、家が金持ちだったC君は引きこもりでおやっさん失業中とかな。

学生時代なんて大学まで数えてもたかが16年。人生は80年以上有る。社会人はとても楽しいぞ。



http://anond.hatelabo.jp/20170202035703


「誰でも入れる」と「上位50%」というのが、もう語義的に祖語をきたしそうなんですが、

増田の中では下位50%というのは、ほぼほぼ障碍者という定義なんですかね?


下位50%努力しない、やり方がわからない人という定義ですね。

学校勉強を例に出している通り、教科書読んで適切に予習復習やれば上位50%には誰でも入れるわけですよ。

進学校とかは知りませんが、地方の上から2番めの進学校ではそうでした。

大半の人は予習復習すらやらずに、家帰ったらメシ食って発泡酒飲んでTV見てるわけです。休日は寝てるか遊んでるだけ。

才能有りで何もしなくても上位に居られる人と、才能有り努力有りのガチ怪物はそんなに居ません。

そんな中で差をつけるなんて簡単ですよという意味です。



その場合努力すれば」という言葉マジックワードやね。

普通の人がやってない・出来ない「努力」ができるということが、果たして「誰にでもできること」なのか。

どんな一流の人だって個々の訓練については「誰にでもできること」の延長線上でしかないわけで、

その「努力」ができない人というのが、おそらく一流ではない普通の人ってことなんじゃないの?


上でも書いた通りですが、あなたは家に帰って何してるんですか?

勉強自体が出来ないというのは、もはや障害者レベルの怠け者ではありませんか?

家に帰ったらメシ食ってネットして寝るしか出来ないのですか?ちょっと本読んだり、フォーラムで調べ物したりしないのですか?

一流は一瞬で一流になるのではなく、あなたが寝たりサボったりダラダラ暮らしている間に積み重ねて一流になるんですよ。

ダラけてる暇が有るなら本の1冊でも読めば良いのです。それを出来ないと言うなら、障害者枠でお過ごしください。



そういう人の割合は50%を遥かに超えているのでは…

というか、「努力できない人」を下位50%と定義して、「努力すれば上位50%に入れる」だなんて、ベタベタ循環論法じゃん。

馬鹿なの?としか


日本語が読めないご様子で、下位50%感が出てて良い感じですよ。

少し上に私が書いた文章がありますのでよく読みましょう。といっても探さないでしょうから引用しま


下位50%努力しない、やり方がわからない人という定義ですね。

出来ないではなく「しない、やり方がわからない」と書いています

努力「出来ない」人間なら、それは障害者しか言いようがない。

努力」の内容は30分読書する、1時間くらいフォーラム業界ニュース眺める等の誰でも出来る事ですからね。

電車の中で本を読んでも良いし、独身ならメシ食いながらニュースチェックして良い。これが出来ない人は、健常者ではなく何らかの障害者だと思いませんか?

五体満足にもかかわらず読書が出来ない、PC立ち上げてフォーラムも読まない、ニュースも見ない。これでも「俺は普通だ、文句あるか?」って開き直る人を見て何を感じますか?

私は下流に落ちて当然だと思います



もう一つ、あなたの周囲では「努力しない」人が大半だと思いますが、私の周りではむしろ私が怠け者と思えるくらいです。

怠け者を動かしたければ勤勉な人の中に放り込む事ですよ。私は凡人なので、勤勉な人や優秀な人に囲まれていなければ堕落する一方です。

年とると機会が無いので、25歳までに勉強しておきなさいと書いているのです。

あなたにはもう手遅れかもしれませんが。

2017-01-31

先輩に自分の書いた卒論コピペされていた

つい最近修論を提出したばかりの、理系大学院M2

4年生のとき、当時M1だったAさんと同じ班員として研究をしていた。

そのAさんははっきり言って無能だった。4年生の4月研究が始まって、1か月経つ頃には「この人を信用したら大変なことになる」と悟った。

というのも、Aさんが描いた図面をもとに部品制作していたら、全然寸法が合わないので、よく調べたら全然違う寸法が入ってたり、実験ノートフリクションペンで書いて、ちょくちょく消しながら実験してたり、そのせいで条件とデータ関係が分からなくなってデータを取り直しになる(しかもこれはAさんはやらないで自分がやらされる)とかそんなことばかりだったからだ。

しかもその上にいたM2の先輩も責任感のない人だったので、自分はすぐに相談にいけて、頼りになる存在がいないままだった。そんな状況で、大して知識経験もないままやってるので、たまにある進捗報告で指導教員ボロボロに言われる。

結局、あまり価値のない卒論しか書けなかった。教員にも半ば放置されていたので、先輩や教員に厳しく指導されながら研究をやっている同期が、うらやましくて仕方なかった。それでも、当時はSTAP細胞問題話題になってた頃でもあったので、コピペなどあってはならないという気持ちをもって卒論を書いた。

自分のいる研究室は「序論とか実験手法過去の卒修論コピペすればいい」みたいな風潮があって、実際に過去の人たちが書いた卒修論を読んでいると「ここは誰かの論文コピペだな・・・」と気づいてしまうことがよくある。実際、実験装置などは同じものを使っているし、手法も変わらないので、結果的に同じものを書くことになってしまうこともある。だからといってコピペが許されるわけではないし、いくら研究室内で保管されるだけとはいえ、将来、誰かに読まれ可能性は高い。しかも、研究内容としては価値がない以上、自分文章を書く、というところだけは譲らずに書こうという気持ちがあった。図や装置諸元引用したりはしたものの、基本的には自力で書いて提出した。

同じ研究室大学院生になって研究を進めてくる中で、卒修論については上述のような事情があることは分かっていたので、昨年修了したAさんの修論を読んでみようなどという気持にはならなかった。ただ、自分と一緒に研究をしている4年生が、過去の卒修論の中で、役に立ちそうな論文としてAさんの書いた修論を持ってきていた。一応Aさんの修論発表は聴講しに行ったのだが、発表を聞きながら「これ、自分卒論でやったこととほとんど変わらないじゃないか、こんなので修論として認められるのか」と感じていた。その修論が後輩の机の上に置いてあったので、どうせAさんのことだから大した出来ではないのだろう、と思って、目次をちらっと見てみた。

最初は、あれ、という違和感だった。「従来研究」として目次に書かれている論文が、自分が4年生のときに調べて卒論に書いたものと同じだったからだ。どんな風に引用しているんだろうと思ってそのページを開いた。

違和感確信に変わった。手元にある自分卒論ファイルと見比べてみると、一字一句変わっていない。「序論はコピペでいい」という論理で、後輩が過去に書いた卒論を、修論コピペするなんてことがあり得るのか、と愕然とした。

しかし、そんなのはまだ序の口だった。さらにページを読み進めてみると、実験手法、解析方法モデリング方法計算結果、考察結論ほとんどが自分の書いた卒論コピペだった。しかも、英数字フォント自分のものとは変わっていて、図表番号や設定条件などだけは置き換えられているので、「間違って使ってしまった」などということはありえない。さらに、自分卒論と違う部分は追記されたりしているので、その修論を読んだだけでは誰かの論文コピペしていたとは気づかないだろう。でも書いた本人が見ればすぐにわかる。こんなことがバレないとでも思ったのだろうか?

しかし、一つ違和感があった。というのも、Aさんに自分の書いた卒論データを渡した覚えがないのである。だからどうやってコピペをしたのかが不思議だった。

しばらく考えてから思い出した。自分がM1のとき卒論を書いている後輩に参考資料としてデータを渡していたのだった。その後輩はAさんの近くで研究をしていたので、おそらく後輩がAさんにデータを渡したのだろう。その後輩は自分とは研究テーマが少し違っていたので、「せっかく卒論ファイルをもらったけど、あまり参考にはならなくて、引用もできなかった」と言っていた。

Aさんの修論発表を見ていたときに「自分卒論とあまり変わらない」と感じたが、むしろAさんがコピペして修論を書いていたのだからそう感じるのも当然である

Aさんがコピペしていたことに気が付いてすぐ思ったのが、どうしてこれで指導教員は何も言わなかったのか、ということである。「他の大学研究と変わらない」「新規性がない」とかのレベルではなくて、「昨年の○○が卒論でやった研究と変わらないじゃないか」と一蹴されるレベルである。数年前のことならまだしも、1年前に卒論で書かれていた内容を忘れているはずがない。

これはあくまで推測なのだが、おそらく指導教員はAさんの指導放棄していたのではないか留年させても仕方ない、何も進めないなら叱ってでも何かやらせるけど、無価値な内容とはい修論を書いている(かどうかが怪しいのだが)し、修論発表も一応乗り切っているので、とりあえず修了させたのではないかと。

卒論コピペされたことで頭に来ているのかというと、Aさんがいか無能かはよくわかっているので、今更どう感じるわけでもない。ただ、コピペされた側として、このことについて指導教員に話をするくらいの権利はあるはずだ。

今は修論の審議がなされている段階なので、波風を立てるようなことはしないでおいて、修了が確定してから、訴えてみようと思う。

Aさんの修了は取り消すべきなのではないか、と。

2017-01-29

産休育休による昇進差別禁止

うちの会社は、新卒なら学士でも修士でも博士でも31歳で昇進試験を受ける。

浪人留年していたらその分は遅くなる)。

試験合格率は七割くらい、落ちたら次年度以降に再試験

試験を受けるのに上司の推薦が必要だが、著しく能力や勤務態度に問題があった人(50人いて1人いるかいないか)以外は基本的試験を受けていた。

さて、私も本来なら昇進試験を受ける年齢なのだが、推薦されなかった。

入社以来、毎年の査定では10段階のうち8か9(高い程良い)なので、能力に著しい問題はないと思われる。

私は今年度の4月出産し、来年度(今年)の4月まで育休を取得している。

これは妊娠出産による不利益な取り扱いなのだろうか?

育休中に試験を受けさせることが問題なのだろうか。

それはありそうだ。

それなら、復帰して試験を受けて、合格したなら、昇進を一年分みなしで前倒しして欲しい。

昇進が一年遅れると、次の段階の昇進試験も遅れていく。

能力問題がないのに育休のみを理由にして遅れるのは不公平ではなかろうか。

育休中は仕事をしておらず、その期間を控除するのは当然なのだろうか。

しかし、うちの会社はそもそも育休を取得する人間がまだ少ないし、女性しか取得しない。

男性は数日の「育休」を取得し、書類上で育休取得率を上げているだけだ。

男性の「育休」取得は、昇進試験に影響はない。

妊娠出産の負荷は女性しかない以上、産休の取得は避けられない。

そして、「社会的圧力」により、育休もほぼ女性しか取得しない。

そして、産休育休を取得すると昇進が遅れる。

これは間接的女性差別ではないだろうか。

男性の育休取得が女性並になるなら、育休による昇進の遅れは少なくとも女性差別にはならない。

現状はそうなっていない。

子どもを産まなければ女性も昇進できる」って?

から少子化になるんでしょ。

男性の育休取得率(期間ファクター込みで)が女性と同等になるまでは、産休育休による昇進差別禁止するべきだ。

2017-01-20

薬学部にいて苦しい人達

そろそろ後期試験だろうか。

卒業試験だろうか。

それとも、薬剤師国家試験前だろうか。


私は4年制薬学部最後入学者で、1回生を2回やった薬剤師です。

留年した人間国家試験体験記というかただおばちゃんが思い出を書くだけなので、気が向いたら読んでいってほしい。

書いてみたらクソ長い。ごめんなさい。



◆なんで留年たかというと

講義をサボったわけではない。(皆勤でもないが)真面目に勉強して2回生に上がれなかったのだ。

こちらのほうが致命的である

私が親なら退学を勧める。

しかし別学部卒で自身留年経験のある親は留年を許してくれた。


今思えば、

当時の自分は、いわゆるプライドの高い真面目系クズに該当すると思う。

自分は人並みに頭が良いと思っていて、誰かに頼らずとも自分でなんとか出来ると奢っていた。

ノートを頻繁に借りに来る友人を軽蔑したりもした。


留年してから自分は本当に惨めだった。

同級生と顔を合わせたくなくて、キャンパスの中で一人になれる場所を探した。

結局それなりに友人もできて、面倒見の良い教授にあたり、その後は国家試験までストレート合格できたのだけど。


◆その国家試験前の話。

私学なので国家試験前は予備校先生を招いて講義をするのに、空白の2年に卒業する=合格率に直結しないという理由私たちにはそれがなかった。

今でも納得いっていない(笑)

ほとんどの子が自費で予備校に行くなか、私はお金もないので、教授が借りてくれた空き教室毎日自習した。

お湯を沸かすためのポット。

味噌汁スープコーヒーお菓子

青本と、過去問

無機質な真っ白の部屋に

これらを持ち込んで占有させて頂いた。

大学入試で入れない日は、ドトールに行った。

こんなに頑張ったのは初めてだった。

大学入学すら追加合格だったし。

考えたらいつも、あと残り2割か3割の努力ができなくて。

できない、というのはなんとなくだらだらして。

無意識のうちに、全力で努力することが怖かったのかもしれない。

余力を残すことで、結果が出なくても言い逃れできるようにしていた。

ほら、やっぱり真面目系クズだ。


クズにも底が見えた。

毎日毎日勉強していた、7年前の今日

勉強していたら、身体がバラバラになるような感覚がして、涙が出て来て、気がついたら貴重品持って大学を飛び出して

行ったことのない駅で降りていた。

会社と反対側の電車にのるみたいな感じかな。

風のすごい強い寒い日で、我に返って大学に戻ってコーヒーを飲んだ。

そんな意味不明な1日。


その日以降はまた淡々勉強して、国家試験合格した。

(ちなみに一般的に国試より厳しい卒試は、非常に優しかった。だってお荷物から追い出したいし…なので割愛。)


今でも全力の努力って中々できないけど、やったことのある人はわかるだろう。

受験における全力の努力って本当につまらない。

毎日毎日目新しいこともなく、見覚えのあるものを解いてはため息。

解けたら安堵の、解けなければ落胆と不安の。


悔しいことに、この苦しい日々を忘れつつある。

今一児の母だが、出産の痛みさえ1年も経たずに忘れる。

そういう風に人間できている。

だけど、大学を飛び出したあの日のことは、何故かハッキリと覚えている。


◆今、卒試国試前の人へ

6年間も(それ以上かな)本当に良く頑張ったから今そこにあなたは立っている。

ゴールより手前で息を吐かないよう、走り切ってほしい。


留年した人へ

ドラマのような、逆転劇は残念ながらない。

最後は、自分でやるしかない。

もっと残念な話をすると、勉強就職後も続く。

留年や休学を繰り返すループに入ると、時間的にも金銭的にも人生に響く。

向いてないと思ったら、勇気ある撤退を。

それは全然悪いことじゃない。

自分人生を、大事な時期を真剣に考えての判断なら、それは後退ではなく前進だ。


それでもそこで踏ん張るなら、応援します。

上でサクッと書いたけど、「それなりに友人ができて面倒見の良い教授出会えた」のは、大学に行き続けたからだ。

必ず授業にはでること。

頑張れ。




これを読んだ人が、実りある人生を送れますように。

2017-01-19

器用貧乏、あるいは中途半端負けず嫌いプライドのようなもの

自分器用貧乏であるという自覚がここ数年なんとなくある。自分で器用とか言うのか、というのはあるが、しかしそうなんとなくそう思ってしまう。逆に、どうせ何者にもなれないのであれば器用貧乏であるということをせめてもの誇れるアイデンティティにしようと思って過ごしているのかもしれない。

自分は今大学3年で、いわゆる情報系の学部所属している。機械みたいなのは小さい頃から好きだったし、中学高校のころからなんとなくプログラミングの真似事のようなこともしていたので、まあ自然な流れだと思う。といっても、高校最後のほうでも、2chパソコンの大先生コピペWindows Serverのポート番号がどうたらみたいなアレ)の意味を正しく理解できてない程度だったけど。

それでもって、大学に入ってからは以前よりもプログラムを書いたりすることも増え、先輩から紹介してもらったアルバイトとかもやりつつ、一応なんとかそういう職種に就けそうというところまでにはなったと自負はしている。

ところで、昔からずっと自分は熱しやすく冷めやすタイプ、もしくは飽きっぽい性格だと思っていて、そんな感じなので中途半端にいろいろな趣味に手を出しては有耶無耶にしてきた。当時はニコニコ動画音MAD自分の周りでそこそこ流行っていたりしたこともあったり、パソコンはまあまあ得意なほうだったので、それを使って何かを作ってみたい、みたいなことを思い、動画とか音楽とかに中途半端に手を出しては挫折していた。

今でもその時の経験微妙に役に立つこともあるけど、そのころから何かをがっつりやってる人間にはそれらで敵うことはまずないだろうし、万事がそんな感じなので、漠然自分の将来が不安になることがたびたびある。今自分就活するとして、スキルに支払ってくれる対価や、楽しんでやれる仕事かどうかという観点職種を選ぶならプログラムを書く仕事になるのだろうと思っている。それでも、超複雑なアルゴリズムを駆使したプログラムを書けるとか、そういうことはないなあ、という感じもしている。もちろん、今から勉強してやっていけばいい、というのはあるだろうが、いやしかしその間に奴らはもっと先に行っているに違いない、みたいな気持ちになってしまう。最近流行りのディープラーニング量子コンピュータとか、もっとよくわからない何かが滅茶苦茶発展した先には自分の居場所はあるのか、みたいなことを想像して、意味もなく辛くなったりしてしまう。

この話に特にオチはなくて、最近は開き直って本当に居場所がなくなったら死ねばいいかという風に思っている。とはいえ、そういうメンタリティで過ごしていると実際にそうなったときに困ってしまう、というのは大学生活(留年した)の間で学んだことの一つでもあるので、どうしたものかということを考えている。どうしたものでしょうか。

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