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はてなキーワード: 無意識とは

2016-07-29

怒っている人を見ると萎縮してしま

今日銀行に行った時のこと。


窓口でこれとこれを支払いたいんです…と話をしていたら、作業着姿のおじさんが肩で風を切りながら隣の窓口に来て、通帳か何かをバサッと放り投げるように窓口に出して何か言ってる。

何と言ったかはよく聞き取れなかったけど、何か短い単語。短い単語だけど、なんかぶっきらぼうというかイラツイてるような感じだけははっきり分かった。

その窓口にいた銀行員のおばさまが「xxxですか?」(ここでも単語がよく聞き取れなかった…)とそのおじさんに確認のためだろうか聞き返すと、「あ”ぁ!?」と何故か喧嘩腰。入ってきて10秒経ってないのに何故かブチ切れモード

その後、そのおじさんがして欲しいのであろう処理内容について幾つか問答をして一旦はおばさまとおじさんの問答は何事も無く終わった。

私も払込用紙とお金を渡して一旦待合用の椅子にかけていたら、そのおじさんは店内をウロウロしつつ、「こんなにお客いるのにエアコン全然効いてねえじゃねえかよ!!」と誰にたいしてでもなく怒声をあげる。

待合用の椅子がたしかにほぼ全て埋まっていたのでお客はそこそこいるように思える。ただ、コンビニのような往来の激しい場所でもないので、普通オフィスならこれくらいのものだろうと思えるくらいの温度。

で、ぶつくさ何かを言いながら椅子にかけて、しばし待つ。窓口にいた行員さんたちはみんな私の払い込みとか他のお客さんたちの処理のために、窓口の後ろのほうへ行ってしまった。

処理をしているであろう人たちの事務作業音だけが聞こえる時間が1,2分。

ぼーっと待っていると、さっきおじさんの応対をしていたおばさまが、何かしらの処理を終えたのだろう、窓口に戻ってきた。戻ってきておばさまが窓口の席についた瞬間に、同時にそのおじさんも席を立って窓口に早足で向かう。おばさまが「xxx様~」と苗字を呼ぶ。その呼んだ苗字とおじさんの苗字は違っていたのだろう、別の人が腰を上げる。多分おじさんは自分が真っ先に呼ばれると予想していたのであろうが、その予想が外れたんだろう。おじさんは窓口を向きながら思いっきり店内に響き渡る大きな舌打ちをして、どこかへ行った。

聞き返しただけでもブチ切れる。ちょっと暑いとブチ切れる。『こんなにお客いるのに』と言っていた辺りから私たちのことは置物ではなく他の客として認識していたようだ。自分より先に待っている人が多くいるのだから、それぞれの処理内容による差もあるだろうが、ある程度待たされることは想像に難くないものの、自分対応が一番じゃないとブチ切れる。なんてオッサンだよ…。第一次反抗期を引きずってこじらせて出来上がったような感じだ。

今にしてそう思いながらも、そのとき自分の心を占めていたのは、上記の「なんてオッサンだよ…」という呆れるような不快感が2割くらい。残りの8割くらいが恐怖心みたいなものだった。

別にこのおじさんが特別怖かったわけではない。だいたいいつも私はこうなのだ。誰かが怒気を放っているのを見る度にお腹の下のほうがキリキリ痛み、嫌な汗がじわっと出てくるような感じがする。今日のように自分が怒られているわけでもないのに、明らかに私とは別の人間に向かっているのを理解していても、ただそれらの光景を目にして怒りに満ちた大きな声を聞くだけでビクビクしてしまい、そのことで頭がいっぱいになって、自分の行動もほとんど停止してしまう。

別の人が怒られてるとか誰かが怒りを撒き散らしているのを見ただけでこうなるのだ。自分が怒られてる状況では全く頭が働かずに軽いパニックになってしまう。予めどういう言い訳を用意していようとも、どうみても相手の怒りが訳の分からいくら理不尽で取り合うのすら馬鹿馬鹿しいようなものでも、とにかく「怒り」を目にすると恐怖心に心を奪われてパニックになってしまう。それでパニックになった状態で応対してしまったがために更に訳わかんない状況になって何度追いつめられたことか。自分でもその打たれ弱さというか臆病さをどうにかしなきゃとは思うものの、どうすればパニックを抑えることが出来るのかわからない。

事が起こった後のことは今のところ対策がないので、とにかく何事も事を荒立てること無く終わらせようと勤めている。でもやっぱりそういう姿勢でいるといつも舐められたり足元を見られたりして泣きを見ることが多くなるし、気を張り続ける事が多くなるので非常に疲れる。もう嫌だ。もっとリラックスしながら生きたいのに。あん毎日生理かよっていうかもう閉経してるだろっていうようなヒステリックなお局にへーこらしたり、あんた男なのに生理かよってくらい神経質で沸点の低い取引先のおっさんにへーこらしたり、もう本当に嫌だ。彼らを怒らせないように神経を磨り減らしながら、彼らの欲求を最大限まで聞いてサービス残業しながら、彼らの応対に腐心しつづけるような生活はまっぴらだ。

何故こうなってしまうのか。自分意志とか意見とかがないから、まず第一に怒りを見ないような行動を無意識の内に選択しているのだろうか。いや、冷静なときにはそれなりに意志はあるし、彼らの馬鹿でアホでクソでどう考えたらそんな言葉が出てくるんだというような要求を(冷静であれば)突っぱねられるくらいの意見はある。が、言えない。どうやって彼らの要求を突っぱねるかという問答をシミュレーションを何度として行った上でも、いざその場になるとそれらの言葉を押し殺してしまう。やっぱり意思が弱いのか。自分意見も実は同じくらい馬鹿でアホでクソみたいな考えであるために持ち出せないだけなのか。

そもそも「怒り」を見ることで溢れてくる恐怖心の実体は何なんだろうか。何を恐れてパニックになるのだろうか。暴力を振るわれるかもしれないから?なくはないけど、流石にそれはあまり考えられない。暴力への恐怖でその気持を表すのはどうもしっくりこない。自分生活を脅かされるから?例えば彼らの要求を1度でも断れば社内や社会的立場を失ってクビになるのではと思っているのでは。でも、怪我の功名というか八方美人的な対応は他の人達にもしているので、1度何かやらかしても他の人達がある程度は助けてくれるだろう。いや、もしかして助けてくれるだろうなんてのは私の勝手希望的観測というか妄想に近いものであって、もしかたらみんなにも嫌われているのかもしれない。実際は助けてもらえず冷ややかな目で見られて終わるかもということを無意識的に感じているのだろうか。何にしても、普通は1度のミスで全て失うなんてことは無いだろう。それに自分無関係な怒りを目にして恐怖心を抱くことと、自分立場が脅かされるのは全く別だ。まさに今日銀行での出来事など、私の社内での立場に1ミリたりともかかわらないだろうし。やっぱりそうでもない。

何なんだろうか。何故こんなにも、誰かが怒っているところをみるとビクビクしてしまうのだろうか。何故こんなにもパニックになってしまうのだろうか。分からない。理由も分からないし、対策も分からない。もし同じような人がいたら、どう対処しているか教えてほしい。そんな気持ち全くわからないという人は、誰かが怒っている状況に出くわした時、どういう気持ちでいるのか参考にしたいので教えてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20160728154543

世の中には、自分とは全く違う世界で生きてきた人がいる。

ぼくはその世界を知らない。なにげなく話したことは、傲慢で、贅沢で、憎悪するべきお話に聞こえてるだろう。

ぼくは、その人を、無意識に傷つけている。



知人に、人前で字がかけない人がいる。

話を聞いたときは「いやいや冗談でしょう」と笑ってしまったが、「この日本で字がかけない人がいるなんて」というぼくの世界感は、きっと彼を傷つけることだろう。



元増田のように、自分が当たり前だと思っていた環境を、死にものぐるいで手に入れたい人もいる。

望んでも手に入らない人もいる。

ぼくはその渇望や諦念を知らない。知らないで今日も過ごしている。ぼくは生きているだけで、きっと、誰かを傷つけている。

http://anond.hatelabo.jp/20160728000910

雑な心を持った人だな。他の人は、同じものから独身時代あなたが感じた楽しさや生きがいより、もっともっと多くのものを受けてるんだよー

男の子女の子ママに「女の子男の子)いなくて寂しいでしょう」とかいちゃう人と同類の心の醜さを感じるなあ。

自分境遇がほんとに嫌な人もいるけど、それが嫌ではない人を想像出来ず無意識攻撃するってところが。

 

例の事件きっかけに。僕は少しだけ考える。<感情労働視点から

わたし精神科看護師をしています

相模原市事件を受けて、様々な意見が出ていて、いろいろと考えさせられています

とくに「重度の障害を持つ方に対するケアワーカーの陰性感情」についての議論には、様々な方向から風が吹き荒れているようにも感じました。


そこで私は、今回の事件を受けて「感情労働」とケアワーカーメンタルヘルスについて、少し整理してみようと思いました。

(様々な論点があると思います犯人病理などについては僕には分かりかねる部分が多すぎるので言及は避けます


感情労働(Emotional Labour)とは 1983 年アメリカ社会学者A.R.ホックシールドにより提唱された概念です。[1]

この概念は非常に有名ですので、ご存じの方も多いと思います

 

肉体労働はその肉体での労働を対価として賃金が発生します。

頭脳労働ではその頭脳での労働を対価として賃金が発生します。

感情労働は――肉体労働頭脳労働と同様にーーその「感情」が賃金と引き替えに売られるのです。

感情が「交換価値」を有していると考える訳です。

言い換えれば、感情労働を行う労働者は「上手にその感情管理し、それを提供し、自らの感情と引き換えに雇用者から賃金を得ている」とも言えるでしょう。

この感情労働を行う労働者としてホックシールドは,客室乗務員さら教師看護師なども例として取り上げていました。



さて、私自身も経験がありますが、重度の障害を持つ方に対し、長期間日常生活ケアを行っていると「穴を掘っては埋める」作業毎日しているような気持ちになることがあります

そんなとき患者(あるいは利用者場合もありますが、ここでは患者統一して表記します)に対して陰性感情がムクムクと湧いてきます

これは、患者自身が強烈なストレスや混乱の中にいて、言い様のない攻撃性を援助者に向けていることとも関連します。

患者が抱えるストレスや混乱と同じような感情看護者は感じてしまうのです。

「なんで、言うことを聞かないんだ!」「どうして、噛みつくの!」「何度言ったらわかるの!」と心のなかで大きな声で叫んだことは数えきれないほどです。

ケアする人とされる人の間にはーーもちろん、その関係に限ったことではありませんがーー「感情対称性」があります

(逆に考えれば、「自分自身感情から患者の感じていることを推察することができる」ともいえます。)

こうした無意識プロセス理解をすることは自身感情コントロールするために役に立ちます

しかしながら、このことに一人で気がつくことは、かなり困難であると私は考えます

感情労働概念や、感情対称性について、ストレスマネジメントについての十分な教育や、あるいはスーパーバイザーを交えたデブリーフィングセッションを行っていく必要があると思うのです。でも、現実には、そうしたことはケアワーカーの間では殆ど行われていません。

積み重ねられた陰性感情は、罪悪感や攻撃性、無力感に変化していきます学習された無力感自尊感情の低下や自己効力感の低下も引き起こします

そして、それらはある日、まるで波が引くようにものすごい力で『反転』することがあるのです。


また、前述までと矛盾するようですが、近年の研究では「感情労働は一概にメンタルヘルスに対して悪影響となるものではなく、顧客スタッフとの相互関係から職場にとって良い影響も与えうる」ともいわれるようになってきています。その肯定的な側面として達成感の向上や患者とのつながり感覚を強めること、職務満足感を高めることなどが述べられているのです。

感情労働はそれそのものが罪な訳ではない」と私は考えます

「よくコントロールされること」「よいものとして認知されるようにすること」が大切なのだと私は思うのです。

介護労働者待遇改善などの労働衛生管理については各所で述べられている通りだと私も思います

しかし、ケアワーカーメンタルヘルスに関しては金銭面だけでは解決できないものもあると私は考えているのです。


私は、今回の事件のもの犯人に対して、ある種の憎らしさや強烈な嫌悪感を感じています

当然、許されることではありません。

ただ、私は同時に、どうして今回のような凶行に至ったのかにとても興味があるのです。


同じような事件を繰り返さないために。

自分自身が、同僚が、家族が、被害者加害者にならないようにするために。

社会としてどうしていくべきか。

医療システムはどうあるべきか。ケアはどうあるべきか。

ケアワーカーメンタルヘルスに関してはどう捉えたらよいのか。

わたしたちがコントロールできることとコントロール出来ないことはなにか。


リエゾンなどに携わる専門職が率先し、十分な議論を行い、実施可能な具体策を挙げていけるといいなあと僕は思ったり考えたりしています



武井麻子先生は『感情看護』[2]の中で、Winnicottを引用しています。(P.263)

最後にそれをご紹介したいと思います



ウィニコットは、無慈悲にも自分を怒らせる赤ん坊ケアする母親について、このようなことをいっています

 母親赤ん坊を憎むことを、それをどうこうすることな容認できなければならない。母親赤ん坊に対して憎しみを表現することはできない。[中略]母親に関して最も注目すべきことは、自分赤ん坊によって大いに傷つけられながら、子ども報復しないで大いに憎むことができる能力、そして後日にあるかもしれない報酬を待つ彼女能力である

 同じようなことが看護師にもいえるのではないでしょうか。自分を傷つける者(それは患者であるかもしれませんし、そうでないかもしれません)を憎むことを看護師容認しなければならないのです。」


<参考文献>

[1] A. R. Hochschild, 室伏亜希石川准, 管理される心―感情商品になるとき. 2000.

[2] 武井麻子, 感情看護―人とのかかわりを職業とすることの意味 (シリーズ ケアをひらく). 2001.

[3] パム・スミス, 武井麻子と前田泰樹, 感情労働としての看護. 2000.

[4]Huynh, T., Alderson, M., Thompson, M. (2008)Emotional labour underlying caring: An evolutionary concept analysis. Journal of Advanced Nursing, 64(2), pp.195-208

[5]Benner,P.&wrubel,J.難波卓志訳,現象学人間論看護,医学書院,1989.

2016-07-28

あなた軽蔑する

http://anond.hatelabo.jp/20160728000910


あなたが、無意識のうちに、自分幸福さをばらまいて周りの人を不快にさせているから、

あなた軽蔑する。


あなたが、今も昔も、ずっと幸福で、だけどちっとも幸福ではない事実を、私は軽視する。


あなたが、自分を、他人存在を通してしか肯定できず、そのことをなお、他人目線から

相対化しようとすることを、どうしても蔑んでしまう。





何も知らず、幸せな人だ。

知ったことの不幸を知らない、浅薄な人だ。


私も同様だった。優しく厳しい両親の元で、決して豊かではないが貧しくもない環境で育ち、

公立学校に通って私立学校受験して就職した。


順調に道を歩んできた。


別に明日死んでもよかったかもしれない。

でも死ななかった。

毎日をとことこ歩いていた。

ある日突然歩けなくなるまでは。


膝がうまく機能しないので、階段が降りれなくなった。

バランスがうまく取れないので、走れなくなった。

足がずっと痺れているので、杖をついて歩いた。


鏡に映った自分の泣き腫らした顔は、今まで見たどんな顔よりも醜かった。

そして気付いたのだった。


歩きたいのではない。

歩けなくても、生きたいのだ。

死ななかったのではく、死ねなかったのだ。

ずっと生きたかったのだ。ただそのことに気づかないふりをしてきただけだった。


それからずっと別の人生を生きている。

より充実した、実りある人生を。

そのことに気づき、私は幸せになった。幸せ意味知ったからだった。


私は独身だ。

からお望み通り答えてあげた。

あなたのような幸福そうな人が、私には、私よりよっぽど不幸な人だと思える、その理由をね。 No offense.

http://anond.hatelabo.jp/20160728000910

追記を見て、他律的な人生なのねと。

自分人生自分責任でやろう、という意識が低いんだろう、ということと、それに関して無自覚なんだなと思った。

そして、自分に対して無責任であることに、無意識無自覚からこそ

他者攻撃する一方で自分への攻撃忌避したいという、矛盾を平気で併存させることができる。



多くの人は、増田と同様、誰かを存在意義にして生活している。多くの場合配偶者や子が存在意義になる。要するに増田はごく普通の人だ。

一方で、自分存在意義を、血縁人間以外にしている人だって少なくない。

友人だったりペットだったり、他人だったり(社会活動家なんかはこのジャンル)、モノ・コト(趣味とか)だったり。

更に一方で、自分存在意義を、自分自身の中に探すことができる人もいる。芸術家とか。



自分存在意義見出し方が、どういう方法であれ、上下関係はない。

自律的であれば偉いわけでも立派な訳でも全くないし、他律的で家族第一であれば善良なわけでもない(増田が他害的な発言無意識にせよしてしまったように)。

拙いのは、自分と違う方法の人を、理解しない態度だと思うよ。

無自覚である人が陥りがちなんだけど、子供が生まれた時に、自分子供人格を、切り離して考えられなくならないようにね。

グレーすぎる友達

友達がいる。元々女友達も少なくて、よく会う友達は数人、知り合い程度の人間は連絡無精で気付いたら大体疎遠になってることが多いから、非社交的な私に。そして最近別れた彼氏が束縛男で、その際男の子の連絡先を消したため、現在連絡取れる男の子は数人。

その中のA君は仲良いグループの1人で、私が彼氏と別れて仕事も辞めて、東京に戻ってきてからよく会うようになった。みんな大学は別だけど同じサークル友達。1年くらいは距離があって疎遠だったけど最近は2週に1回はみんなで飲んだり遊んだりしている。楽しい

関係ないが最近まで束縛が激しいモラハラ男と付き合っていた。私もよくある共依存になりかけていて、好きでしょうがなかった。何をされても許してしまったし、彼以外いらないと本気で思ってた。でも最後に手を出されて、ようやく気づけたから別れた。

その人と付き合ってる間も最後までLINEが削除出来なかったのはA君。彼と別れている時、実家に逃げている時には連絡をとった。自分の状況を話して笑ったり、お互いの近況を話したり。

A君は友達だ。けど、常に自分にとって欠かせない存在になっていて、それが友達なのか恋愛なのか分からない時がある。お互い本当に気があうと思う。はじめて会った時から気心知れたような感じで、自分が男だったらこんな感じだろうなって。

後、ダメなとこもいっぱいあるけど、人として優しくて正直なとこが好きだ。ちょっと変なとことか、元カノ引きずってるとこ、猫みたいに離れたり近寄ったりするところ。たまにすごいドキッとするようなことを言う。でもツンデレ

好きだけど、じゃあ本当に好きかっていうと微妙彼氏として付き合うかどうかって、うーん付き合いたくない。

まずセックスしたくない。正直、酔ってキスはしたことあるけれど、それだけ。お互い寂しかったねって結論になって、笑い話になってる。

その先のこと考えると、ちょっと気持ちいかな。想像出来ない。

それに、彼氏って別れるものだけど、A君はおじさんとおばさんになっても友達でいたい。腐れ縁みたいに、結婚式に行きたいし、離婚しても離婚しちゃったよーって笑いたい。でも付き合ったらそれが出来なくなる。お互いの恋愛を話しあうのが楽しいのに、なくなってしまう。

でもたまに、A君への気持ちが濃いグレーになる。でもそれすらお互い同じらしい。A君もそういう時期があって、つまり私のこと好きかもしれないと悩んだ時期。それは友達がこっそり教えてくれたけど、その時はそのまま疎遠になって、私に彼氏が出来た。

今はどうなのか分からない。私が好きって言ったら、A君はどう思うのかなあ。でも好きなんて言えるけど、付き合うとかは勇気がない。

それは向こうも同じ気持ちだった場合、付き合うなんて本当考えられないよなあ。上手く言葉で言えないけど。

彼の方は2年前に彼女と別れて、つまり私が出会ってからずっと女っ気がない。たまに風俗に行くらしいけど、それ以外本当に聞かない。

この際、彼女でも出来たらいいのにって思うけど、いい感じの女の子すらできない。割とかっこいいのに、なんか拗らせてるものがある。

でも彼女が出来たら、彼女の束縛であえなくなるかもしれないと思うと、ずっと作らないでほしい。

この感情最近持て余す。そのせいか、会うと素っ気ない態度とってしまったり早く彼女作りなよとか言ってしまう。いやそれでいいんだけど、素直になれない。向こうも友達紹介しようと言ってくるし。むしろ私が彼氏好きな人が出来ればいいけど、それもまだ難しい。

面倒だ、この感情。私はただ友達として付き合っていきたい。変に意識してしまう。他に相手がいないからなのか。多分そうだと思いたい。

でも元彼と付き合ってる時も常に、別れたらあの人に会えるって気持ちが少しあった。もちろん別れなきゃ会えないから。

友達にそんな感情持ってることが嫌になる。好きだけど必死否定してるのかなと思うけど、でも元彼への感情とは全然違う。

無意識キープみたいにしてるのかな。だったらむしろセックス出来る。A君の場合は出来ない。

てか長い。ながすぎる。送ってしまえばいいかなこれ全部。

2016-07-22

爆発音がした富野由悠季・改

see http://anond.hatelabo.jp/20090508095607

たとえば、グワッアーン! と、背後で爆発が起こったとしましょう。それで振り返ってみたときに「やれやれ」って面倒臭そうに振り返るような、僕はそんな主人公絶対書きません。

──厭世的ということですか。

僕はそれ以前の話をしています! それはどういうことかというと、こういうことです。爆発があったら、それが近くであれば先ずエイッって飛び退くでしょ。遠くのことでも何だ何だと振り返る、そういう身体感覚人間の「生理」として自然のものです。これは命に関わること、反射のことですから、何度経験しても同じになります。ということは、こんな鈍感さを持つキャラクターが成立していいのか? という自覚を持ち続けていくのは、作家としての最低条件だと思っていますが、そのようなところで破綻無意識のうちにやらかしている作品、芝居ですらないようなものは実際にはとても多いわけです。これはここ1020年の問題ではありません。アニメーションという商売日本で成立するようになってからずっと、こういう芝居を是正できなかったことは僕らの世代責任でもある、という言い方は、傲慢ですが、そのように思っています

解説

最初の「富野インタビュー形式は、姉萌えバイク板の話題が時折紹介されていた在りし頃のアルファルファモザイクコメント欄に書かれた(今運営されている同名のウェブサイト名前が同じだけの別物だが、元々それほど上等なサイトでないのはご存知の通りだ。なお該当するコメントサーバー移転のさいに消滅している)。字数制限が厳しかったため監督特有の「距離の長い」言い回し表現できず若干の後悔はあったが、予想外にもまとめ増田に捕捉され数年に渡りわずかずつウケたのを見てちょっといい気持ちになった。ありがとうございます

ということをふと思い出し、いま現在感覚字数制限なく「後ろで爆発が起こったときに『やれやれ』と面倒臭そうに振り返る創作を作る人を批判する富野監督インタビュー抜粋」を書いた。これらの短文はあくまで「他人勝手に考えた富野監督であるため実在富野由悠季氏の考えとは何ら関係ないこと、オリジナル版を含め特定の文献・インタビューを参照したものではないこと(特定の文献・インタビュー言い回し記憶から参照しているという意味だ)を付記しておく。

ちゃんと読もうな

自分離婚の際に性嫌悪気味の感覚をもってしまったけれど、

それを無意識に娘に継がせてしまいたくはない

(ああ、でも、きっと彼女はもう知っているのだろう)。

それともこれを死別って読み取ったの?

http://anond.hatelabo.jp/20160722093917

私が山田太郎投票した理由

都知事選の話で騒がしくなってきたのでちょうどいいと思い書くことにした。

選挙区では共産代表に入れた。案の定落ちた。


自分政治に興味がさっぱりと無く、山田太郎氏の実績についてはよく知らない。

実績があるという話はよく聞くが、その実績の中身についてはっきりとわかっていない。調べようという意欲もあまりない。

山田太郎氏は表現規制問題一本に絞って戦ったというが、正直、私としては表現規制だけでは投票する決め手にはならなかった。


以下は政治的ポエムになるのですが、私が山田太郎投票した理由は「この人はオタク差別と戦ってくれる人だ」と感じたからです。

偏見を煽るような報道への抗議をなさっていたとか、そういう直接的に味方をしてくれたという感情的理由が非常に大きいです。

他にオタク差別と戦ってくれそうな人は私には思い当たりませんし(いたら教えて下さい)、どこの政党から出ていても山田太郎氏に投票したと思います。他に代わる人がいないと思ったから。


あらゆる差別と戦うとかそういうのはいいです。

そんなの人として当たり前だし何も言ってないのと同じ。

そういうお題目を掲げてる人が無意識差別感情を垂れ流す例も多すぎる。


私は私の味方になってくれる人を選びます

娘が熱を出した夜の気持ちを書きつけさせてください

私は間もなく30歳を迎えるシングルマザーで、4歳の女児を育てている。その娘が今夜熱を出した。もともと体の弱い子で、熱を出すのは珍しくないのだけれど、今夜の彼女はうんともすんともつらさを口に出さず、寝かしつけようとして体に触れるまで、彼女発熱していることに私は気づけなかった。

娘の体は本当に私によく似ている。体型や肌や顔も似ているし、周囲の感情に敏感なところ、音の刺激を嫌がるところ、その反動か、自分想像世界に静かに沈むのが好きなところ。彼女を見ていると、お世辞にも上手に渡れているとはいえない自分人生を、同じように繰り返してしまうのではないかと怖くなることもある。

私は、「こういう親になりたい」という模範像を持っていない代わりに、「なるべく毒親になりたくない」というのを考える。血を分けた娘が一番の理解であるように感じてしまうけれど、配偶者がいない心細さを娘にぶつけたくない。かといって必要以上に距離を置いたり突き放したいわけではない。自分離婚の際に性嫌悪気味の感覚をもってしまったけれど、それを無意識に娘に継がせてしまいたくはない(ああ、でも、きっと彼女はもう知っているのだろう)。

生きていくのは怖くない、楽しみをもっていいと自己肯定感のある子に育って、いつか私が先に死んだ後も幸福に、自信をもって暮らしていってほしいといつも願っている。

今日増田に書かせてもらおうと思ったのは、娘の体の痛みを同じ感覚理解できる自分は、自分だけは、何があっても彼女感覚否定しないであげようという感じが、急に降りてきたからだった。どうしても感じてしまう痛みやつらさが今ここに紛れもなくあると、そこを撫でてやること、文字通り「手当て」をすること、きっとそれが私の仕事なんだと思った。どんなに忙しくても疲れていてもそれだけは必ずしようと思った。今夜の娘は夏風邪なのだけど、もしかしたら彼女10代にさしかかる頃には、私がそうであったのと同じように、婦人科系の不調や自律神経の不調をきたすかもしれない。そのとき自分仕事はまず手当てだと思った。

私の家は両親が共働きで忙しく、長子だった自分は小さい頃からきょうだい世話役をすることが多くて、寂しい気持ちがなかったと言えば嘘になる。高熱の娘を撫でていると、なんだか寂しかった子どもの頃の自分にも手当てをしてやっている気持ちになる。これでいいかな、いいということにさせてほしい。仕事に家庭に、精一杯だった母も、あれでよかった。

書いていて思い出したけれど、自分も母も甘え下手というか、必要以上に苦労性の部分がある。娘には、遊んだりさぼったり誰かと助け合ったり、そういうことを自然としてほしい。きっと口で言うだけではなくて、母親自分自然にそういう姿を見せられないと、なんだかいけないことのように感じてしまうのだろう。子どもを産んでからずっと張りつめた気持ちで過ごしてきて、暮らすのに精一杯という感じだったけれど、もうちょっとやわらかに生きたっていいのかな、自分も。

1人の人間をこの世に送り出した責任、すさまじく重く感じてしまうのだけど、あんなにやわやわだった赤ちゃんを数年間生かしてこられて、本当によかった。「幸せにする」なんて傲慢かな〜と思いつつ、娘が幸せそうにしているのをこれからも見ていられるように、私自身も笑えるようにしよう。子どもの頃の自分は「ママ笑って」とよく思っていたから。

2016-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20160720154523

そんなことはない。

高学歴の者は低学歴

高収入の者は低収入

馬鹿にしている。口に出して言わないが、無意識差別区別してる。

そういうのは人間本能だ。

それを乗り越えることが地上に生をうけた人間義務

血液型性格診断について

新しいコミュニティに参加すると必ずと言っていいほど血液型の話に一度はなるけど、この話題は嫌いだなぁ

別に親が~型だから自分は~型で…くらいなら気にならないけど、性格と結びつけるのはどうにかならないか

それが推測とかユーモアとしての概念じゃなく、「当然のこと」だという前提で多くの人の間で話題にされるのが嫌だ

しかもしばしば、特定人間に対して失礼な物言い無意識のうちにしていることが多い

「私は~型だからこういう性格で…」

それが長所であれ短所であれ、他の人を巻き込むなよと。それはあなた自身特質だろうと。一緒にするのやめようよ。

仮に血液型性格関係あるとして、それは人種の違いのように生まれ持ったもの、より本能的なものだと考えられる

人は成長するにつれて親や環境に左右されて大きく変わっていき、個人の価値観や理性を育てていく

自我の薄い子どもの段階で血液型云々を言うならまだ分かるが、大のおとなに対して、「~型だから~~なんだね!」なんていうのは

下手したらその人の生きてきた経過、それによって得られた個性をまるっと無視してしまうことになる

しかも50代60代の男性女性がこんなことをもっともらしく真剣に言っていると、この人の人生で積み重ねてきたものってなんなんだろうとさえ思う

あくまでもそれぞれの個性の下に血液型云々が属しているとして話題にされてるならそこまで気にならないけど

「私これすごい当たってる!!」と言われても「へ~そうなんだ~」としか思えない

自分血液型を聞かれた際にはもう「分からない」と答えるようにしてる、親の血液型も知らないことにしてる

そうすると当てようとしてくる人が高確率いるから、海外での血液型に対する価値観とか持ち出して

日本とこんなに違うっておもしろいですよね~~あっそういえば…」という感じで話題を変える

まれ持ったもので人のこと断定する文化早く廃れてくれ。根拠があるならいいけどない段階ではやめてくれ

都知事選投票意思表示するには

鳥越のあまりの酷さに小池増田に手が伸びそうになったが冷静になると二人だって鳥越存在しないものと想定しながら見直せば十分酷い。



意思表示としての投票で、白票棄権の次に愚かしい無駄行為だと思ってるので、どうするべきかよく考えてみた。


結論として、悩ましい選択に思えていたのは、マスコミおよび与野党情報誘導無意識に乗ってしまっているからだと思い至った。



都知事選立候補者はこの3人だけじゃない。

報道だけ見れば錯覚してしまうが、他に18人いる。

もちろん殆どがいわゆる泡沫で、あからさまに不真面目な主張の者も少なくない。しかしその一方、真剣政策を組み立てている候補者もちゃんといる。


少なくとも、政策だけなら鳥越の方がよほど泡沫に値する。



から俺は、マスコミ勝手非民主的な選別をしている残り18人の主張・政策をつぶさに見て、一番マシな候補者に一票投じたいと思う。



どうせどこに入れても(勝ち馬に入れてさえ)色々な意味で死に票になるなら、マスコミ非推薦候補者たちトータルの票数が上がること、またその中でも政策に対して票が付いている状態が、自分の一票の意思表示効果をまだしも最大化できるだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20160719213226

私も死にたいが口癖。

朝起きると死にたいって無意識に口に出してる

2016-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20160719114147

まあ、「ドラゴンボール」って話を切り出したときに凡そは無意識のうちにドラゴンボールZの話をしていて、無印ドラゴンボールのことは忘れられがちだからわざと切り出してみたってところかな。

リアルドラゴンボール無印世代って多分今頃アラフォーくらいだとおもうの。

2016-07-15

なんでもポジティブに変換する女

知り合いの女のツイッターが流れてきた。

わたし責任感変に強くて何でも自分で抱え込んじゃうからなー(泣)

職場の他の女子みたいにぱーっと楽しむようにしよう!!!

いや、違う。全然違うよ。

責任感が強いと言うより、勝手脳内変換して暴走するので回りは迷惑感じてるよ。

被害者意識が強くて、自分がこんなに頑張ってるのに!!!回りがダメだ!!っていつも言ってるが、

依存心が強すぎるんだよ。「助けてー」の一言だけライン送ってきて返信があった人だけが本当の友達とかやってんじゃねーよ。

友達試すな。そして帰ってこないのが多くて凹んで逆ギレしてんじゃねーよ!!!

まあ自分のところにも来たかスルーしたんだけどw

さらっとほかの女子disってるし。

無意識でこんな自己中なコメントできる精神構造がやべえんだよな。

2016-07-14

オタクはなぜネトウヨになるのか

まず、前提として行っておかなければならないが、当然オタクにも中道左派存在する。しかし何故オタクネトウヨというイメージが一部に根強く存在するのか?

次に、オタクと言っても色んな分野のオタクがあるが、このうち「軍事オタク」「鉄道オタク」「歴史オタク」「将棋オタク」「音楽オタク」といった現実存在する物事に対するオタクは、左右中道まんべんなく存在し、政治的偏りはあまりないように見える。現実存在するものについて詳しくなるには、当然に一定教養というもの必要であり、また現実問題について詳しく調べてゆく過程で実社会について一定教養が身に付くからである

オタクネトウヨ」のイメージに最も合うのはいわゆる「アニオタ」だ。

アニメの優れたものは確かに芸術的価値があるし、感動する。しかし、下らないアニメはありもしない架空世界現実逃避するようなものも多い。

特にネトウヨ言動をしている者はアニメアイコンの中でも、美少女が多い。

俺もアニメ美少女には萌える。男の性欲を刺激するのに特化したのがアニメ美少女だろう。だが俺はアイコンアニメ美少女にしたいとは思わん。

なぜなら、自分美少女でもないのにアイコン美少女にするのは欺瞞であり、非常に恥ずかしいことだからだ。

にもかかわらず、アイコン美少女にする人間心理とは、

「俺は実際にはキモいデブ中年だが、美少女のようにチヤホヤされたい、可愛がられたい」

であり、

その裏返しとして、無意識のうちに

美少女はその美しさを以て男に奉仕せよ。姓奴隷となれ」

という欲望があるのだ。

これはつまり、弱き者は強き者に身を捧げてこそ存在価値がある。→個人は組織に身を捧げよ、国民は偉大なる国家に身を捧げよ、という国家主義、(本当の意味での保守思想とは異なる)ネトウヨ思想につながるのは明白である

アニメ美少女アイコンであってもネトウヨでない人は、己の欲望自覚しつつも理性によってそれをちゃんと統御している人なのだと思う。

2016-07-13

仕事は辛いのが当たり前なの?楽しい人もいる?

仕事が辛いというコメントばかり見るので、仕事辛いのは当たり前のような気がしてたけど

普通に考えてそんな事ないだろう。

仕事内容もまあまあそこそこ楽しくて、人間関係もまあまあいい。

友達みたいに仲良くはなくても、理不尽八つ当たりしてくる上司や、嫌味ばっかりのお局もいない。

しかしたら、内容も自分がやりたい事で、友達みたいな仲間もいて、尊敬できる上司と、優しいオバチャンに恵まれた人だっているだろう。

自分がそういう人間ではないから、似た人が集まってくるのか?

無意識に、自分選抜しているのかもしれない。

2016-07-12

人類オタク)の夢をVRでかなえる!

VR+風俗嬢=VR風俗アニメキャラSEXしたいという夢を現実にするために

人類の「アニメキャラSEXしたい」という欲求は、これまで様々な方法で発露されてきた。一番原始的方法は、マンガエロ同人誌)を描くというものだった。マンガは高度な道具を必要としないため、敷居が低く裾野が広いという特徴があるが全く没入感がないという欠点がある。マンガの発展形として、高性能PCの普及によって3Dアニメが発展した。その中でも、3DCGアニメ調に見せる技術アニメキャラ再現に果たした役割は大きく、それまで全く別物と思われていた3DCGアニメ絵が融合することが可能になったが、画面の中で完結するという本質的問題解決するには至らなかった。

アニメキャラとのSEX視覚ではなく聴覚で捉えようとした分野が音声作品である。とくに、催眠音声は人間無意識に働きかけ五感すべてに完璧に没入させることが可能と思われていたので一過性ブーム引き起こしたが、結果としては催眠術よく訓練された猛者だけが「最悪(社会的に)死ぬ」ことを覚悟したうえで享受できる秘術とされ、誰もが気軽に体験できるものではなかった。音声を使った臨場感あふれる手法として、バイノーラル音声が登場したが耳かきと耳舐め以外の行為では、バイノーラルの強みである臨場感を活かすことができずエロボイスドラマを超えてリアリティを感じることはできなかった。

アニメ現実にしようとするこれらの試みの他にも、現実アニメに近づけようとする試みが有る。最も単純なアイデアであるアニコスアニメコスプレ)と呼ばれるAVジャンルがその典型である。初期のもの女優衣装を着せただけの簡単ものだったが、「コスプレイヤー(コミケでケツ出すお姉さん)」という概念の浸透に伴ってウィッグメイク技術衣装ディティール・小物などアニメキャラになりきってSEXするという技術進歩が見られた。しかし、コスプレはどんなに「リアリティ」を追求しても、(特に顔の造形が)アニメキャラにならず「コスプレイヤー」にしかならないという大きな欠点もつ。この欠点に注目して改良を試みたのが「着ぐるみ」というジャンルであるが、顔だけプラスティックで不気味であることや大きさが不釣り合いになってしまアニメキャラを実現するには至らなかった。顔だけでなく全身が「人工の人間」というアイデア等身大ラブドールダッチワイフ)に見ることができるものの、ダイナミックな動きというSEX本質が欠けているために一部の愛好者(マグロ好、死姦マニア人形愛)以外には受け入れられなかった。



これまでの2つのながれ(アニメキャラ現実現実アニメキャラ)を統一する可能性を秘めているのが、VRである。VRはこれまで問題だった没入感をユーザ与えることができるが、「映像を見る」ことが目的であったために、SEX相手となる対象実在しなかった。これまでVRを用いたアニメキャラとのSEX方法として知られているものは、VR+オナホ(手動or電動)、VR+ラブドール(手動)という原始的方法が主流のようだ。ネット上では五感PC接続してSEX」待望論もあるが、すぐに実現できそうにない。ユーザアニメキャラを感じる「五感」のうち、視覚聴覚を除く三つ(臭覚・触覚・味覚)は「未定義人間のそれならなんでもよい)」であることを仮定すると、実際の人間にVRでアニメキャラを「投影」してSEXすれば既存技術を用いて低コストアニメキャラSEXが実現できそうだといえる。




一言で言うと:風俗嬢を前にして、ユーザはVRヘッドセットかぶり風俗嬢の動きに連動したVR内のアニメキャラセックスする。


想定される技術

ARマーカを風俗嬢の関節等につけて、それをユーザの頭につけたWebカメラで読み取る。欠点は指の動きなど細部とユーザの影になっている部分のマーカがよみとれないこと。

風俗嬢及びユーザ俯瞰できる位置3dセンサを設置して、両者の位置を割り出す。欠点は2名が重なった時の認識不安定になること。利点は「くぱあ」が認識できること。




この技術風俗オプションとして提供されるだろう。そうすれば、VR機材以外の全ては揃っているので小さな投資人類の夢を叶えることができる。






明日早いのでここまで。

童貞&非童貞諸兄の忌憚のないご意見を期待します。










(これで科研費とれね〜かな〜)

2016-07-09

くやしい

書きたいことが書けない

増田だったら匿名からどんなことでも書けると思ったのに

特定のことを書こうと思うと自分の心が拒否してかけなかった

頭の中に文字は浮かぶけどそれをキーボードを通してテキストボックス入力することができなかった

おそらく怖いからなんだろう

自分が何を考えているのか、自分無意識の中で何を考えているのかを意識的にとらえるのが怖いからなんだろう

あるいは客観視するのが嫌なんだろうか?自分の声を録音して聞くのが嫌なように

自分思考を受け入れるまでにどれくらいの時間がかかるんだろう

いつかは受け入れられるときが来るんだろうか

からない

自分の弱さがわかった。ここから先に進んでいける」

それはそう。なぜ自分生の声を書くのが怖いのか、ちゃんと考えていかないといけない

眠る前の、眠りに到達するまでのあの数時間をつかって、自分自身を解析していこう

2016-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20160707093536

元増田にはもしかしてお嫁さんの生活スケジュール負担感がまるでわかってなく、毎回のお誘いはタイミング的に、積み重なった感情的迷惑サプライズだったのかもしれない。

応じる気持ちがあっても時間的に体力的にどうにもならない時があるのは理解できるだろうし、今まで毎回のお誘いがそれだったりすると誘われている方は自分をいたわる気持ちのない人なんだと冷めていくと思う。誘ったタイミング個別条件としては大丈夫だったとしても例えば久しぶりにぐっすり眠れそうな時を狙い済ましてお誘いがある、普段自分が忙しそうにしてても自分領分と決めたこと(子供相手だけとか)から出てこないで眺めてて手が空いてるから構ってくれるよねとかじゃあ自分はいつしっかり休めるというのかと。

察しては良くないと言うけど、まさか解ってないで配慮に欠ける振る舞いを続けているとは信じられない、故意にもしくは当人的には半ば無意識のうちに蔑ろにしてきているのだろう思っている場合もあるわけで。そういう場合ははっきりとは理由を言えるような関係では既にない(言うだけ無駄だと諦められている)ということなのかもしれない。

理屈無意識

  

何が、空想で、何が現実

  

  

迷ったら、とりあえず、今までのやり方を真似するか、新しいやり方に

ふむ。


物事を決定しなければならないとき

迷ったら、とりあえず、今までのやり方を真似するという方法と、

新しいやり方に挑戦するという方法がある。



あなたは、どちらを選ぶか。


とりあえず選んでみる

まず、ここでのポイントは「とりあえず」という言葉

これは、仮の判断ですよ、あとから変えられますよ、という意味



深く考えず判断を下そうという、

良くえば「思考節約」、

悪くいえば「思考停止」。



ただ、この「とりあえず」という言葉

どちらにもつけられる。

「とりあえず、今までのやり方を真似しよう」

「とりあえず、新しいやり方に挑戦しよう」



試しに一方を選んでおいて、問題があったら変更しようということ。



から「とりあえず」という理由で決定したんじゃないよね。

実は、「今までのやり方」と「新しいやり方」を無意識選択している。


なぜ、そちらを選らんだのか

「今までのやり方」と「新しいやり方」。

どちらを選んだにしろ、選んだ理由

個人のクセではなく文化的な慣習ではないだろうか。



たとえば、日本会社会議だと

「とりあえず、今までのやり方で行きましょうか」と

今までと同じような選択をしているだけ。



これが、アメリカ会社だと

「とりあえず、新しい方法でやりましょか」と、

なるような気がするけれど(想像です)、

これも、今までと同じような選択をしているだけ。



まり、実際の方法が何なのかは関係なく、

選択のものが今までと同じパターンになっている。


実は、集団圧力

これって、何かに、勝手に決めさせられているっていうことだよね。



自分たちできちんと考えているのではなく、

多分こういうふうに決めておけば、

どこから文句が出ないだろう、出にくいだろう

勝手想像して決めている。


組織の均一性みたいなイメージを持っていて、

それに合わせるようにしているだけ。


逆の決定をしたら、本当に文句が出るかは分からない。

実は出ないかも知れない。

出るかも知れないけど、何とかなるかも知れない。

今までの方法踏襲した場合も、文句は出ていて

代り映えしない組織に不満が高まっているかも知れない。



逆の判断をしたらどうなるだろう

日本人場合

「よほどの理由がない限り、迷ったら、新しい方法を試す」というのは

ちょっと面白いことが起こるんじゃないだろうか。



えっ!

変えられるけど、とりあえず、今回は変えない?



だとしたら、いつ変えるだろうか。

1年後には変えるだろうか。

5年後なら変えるだろうか。

10年後なら。



今の状況変化の早さを見ていると

いつかは、きっと新しい方法を試すよね。



だったら今、変えない理由はあるだろうか。



日本組織には、

もっと変化と新陳代謝必要から

試しに今回、やってみたらどうだろう。



どうしても変えないのなら、その理由を考え抜いて明確にしよう。

そうすれば、変えるべきでないものも、はっきりするはずだ。



とまあ、ちょっと会社について愚痴っぽくなってきたので書いてみた。

2016-07-06

自分アニメキャラの好みを考えたところ、どうやら人以外の何かに執着するキャラに好感を持ちやすいと分かった。

大食いキャラとか科学者とかそのへん。

友人や恋愛対象との対人関係に重点においたキャラ評価が下がるようだ。



ぼっちをこじらせすぎてて自分自分に驚く。

二次元美少女に一人で生きてもらいたいと無意識に思っている!