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はてなキーワード: 無意識とは

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160927101322

「もし問題ないと思ってるなら」ってことじゃないの。



あとダブルバインドじゃないでしょ。

意識だろうが無意識だろうがそもそもそんなことしない、って選択肢があるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160927094214

意識してやるのは言語道断無意識なら不気味、ってそういう事柄世の中に普通にあるよね

矛盾でもダブルバインドでもなんでもない

http://anond.hatelabo.jp/20160927094214

blendyはまだ無意識にやったを述べられる余地はあるけど、ウナギは「意図的にやった」以外を読み取るのは辛いやな。

ホモソーシャルのノリってのはもはや身についた体質みたいなもんだからなあ。

ウナギのやつは多分反省すらできんと思うよ。おそらくそういう世界にすんでるやつが作った作品だろうし。

ブレンディのCMと「ウナギ養殖」擬人動画炎上を比べてわかったこと

http://b.hatena.ne.jp/entry/267967587/comment/napsucks

>>むしろその「こうやったらおもしろくね?」という感覚で突っ走る、作品の生み出すメタメッセージへの製作陣の無自覚さが、視聴者さらメタな不気味さを感じさせているんだけどね。。



http://b.hatena.ne.jp/entry/302365495/comment/napsucks

>>最後まで水着少女でやれよ、さばかれて焼かれるところまでをよ。それをやらないってことは作り手がこの動画通底する罪の意識を知ってる証左だよね。



無意識にやったら「不気味」、意識的にやったら「自覚してやってた!」と糾弾

要するに「アテクシ様たちの気に食わない物は、適当理由でっち上げバッシングするわ」という

2016-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20160925223624

◯◯をしたくなくなったら?

☓☓がどうしてもしたくなくなったら?

前者もありえるけど、後者もありえる。どっちもよく聞く話。

そこを無意識に蓋をしてると、結局、身体か心を壊して入院する。

リソースは有限。無理は貯まる。人は本来、そのような構造になっていない。

ま、ただ、ニートダメだね。それより悪い。

映画聲の形』は商業的なマイナス要素を極力排除して再構成することで売ることに逃げ切った作品

観終わった最初感想は、漫画聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。

 

まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画馬鹿にするといった内容ではない。

映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、

またその再構成の結果として商業的な成功を収めたことや、

そのせいで映画聲の形』(以下、映画しか漫画聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、

そしてこの世で漫画聲の形』が漫画聲の形』という作品しか伝えられなかった、他のラブストーリー青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。

この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、

本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。

これはステマではない。

なお漫画ネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。

これはステマではない(繰り返し)。

 

そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。

 

制作スタッフが行った再構成とは

単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット再構成されている。

その点だけでも漫画映画は全くの別物と言っても差し支えない。

しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。

要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。

まり、私が問題にしているということはその再構成漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。

 

制作スタッフ映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。

分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、

生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、

この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。

漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。

主人公石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズ描写がされており、

小学生時代石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラス手のひら返しにも憤慨するだろう。

映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、

石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ち映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。

漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快いじめや生々しい描写で刺激しつつ、

当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、

というのが最初石田西宮出会いで、だからこそいじめた本人である自分友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。

まり最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田心理描写を読者に刷り込ませるためには、

石田所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ

それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。

作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、

判断され軽減・外した、というのが制作スタッフ再構成で行ったことだ。

ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。

そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニ作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、

商業的に成功を収めることができ、映画映画として勝利した。

映画聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。

でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、

その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。

 

映画だけを視聴して誤解してしまった人々

帰ってレビューに目を通すと、やはり石田心理描写が把握しきれていなかったり、

よく分からなかったという感想もちらほらと目立った。

障碍者としての西宮葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、

そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。

西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、

石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、

やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である

 

聾唖の人たちから意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為副作用となっている。

から必要なのだ

聲の形』という作品を完成させるためには必要な要素だった。

ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。

これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術創作の完全敗北と言い換えてもいい。

とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。

それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。

家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。

一体、映画を見た人の何割が石田自分を重ねることができたのだろうか。

嫌な汗はかくことができただろうか。

 

漫画聲の形

漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、

前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮友達になるというスタート物語が始まる。

石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。

この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。

今風にいうと黒歴史人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。

過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。

それをやらなかった映画石田に対する感情移入がバラバなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまたからだ。

普通、そこまで思い返すほどのトラウマ黒歴史を持つ人間は少ないので、

その場合石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。

 

そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまり黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、

どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去石田あなたはどう向き合っていけばいいのか。

それが『聲の形』の作品としての本質だ。

決して障碍者と涙ホロホロ最後ハッピーなだけの作品ではない。

石田黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、

最初不快感を感じていたはずの石田自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田応援しだす。

過去は取り返しがつかないかもしれない、

けれどこれから西宮未来は泣かせないように行動することができる。

それを問いかけてくる作品なのだ

それが『聲の形なのだ

 

過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。

ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。

漫画では西宮の家庭環境小学校教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、

この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。

その最後の結末が、読者のこれから背中を押す形で終わっている。

生き続ける石田現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。

それが『聲の形なのだ

 

そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。

他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、

それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。

「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品面白さでもある。

 

聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。

本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。

消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、

一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ

そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。

読んでいる人間石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ

その作品映像化はできていない。

できていないのに、商業的に成功している。

 

変わることの重要性を訴えた作品が、

そのメッセージの大部分を消失しながら、

大ヒットをしている。

 

まず私はその現実に立ち向かわなければいけない。

そう、思った。

 

…私はこの映画を予約するのに3時間かかった。

ネット予約操作方法が分からないのではない。

映画館聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。

ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…

2016-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20160208024311

今更だけどこの分析は凄いと思った。まるで寝ている内に自分が書いたんじゃないかと疑うほどにすっと染みこんでくる。自分のこのもやもや、蟠っていた言葉にならない部分はこれだった。

同性の友達すら皆無の自分が異性の友を求めるなんていう人道にもとる行為をする気は毛頭ないのだけど、"彼ら"と自分の決定的な違いをただ知りたかったのだ。


大体、ヲタ同士の会話って聞いた事あります

お互いにほとんど相手の表情や口調に配慮せず、一方的自分の話をしてるだけで、

会話が成立していなかったり、相手に反応するとしても

せいぜい知識比べか、ヲタ界隈の決まり文句への定型反応くらいしかできない。

あるあるある。こういう気持ち悪い会話が嫌いでヲタのくせにヲタが苦手だし、ヲタの友を持とうとも思えなかった。


人のことを考えられないやつが他人から思われることなんてありえない。

これもよくわかる。相手を慮るという"正常な人付き合い"が無意識にできていないのだ。

自分相手のためだと思ってしていることは全て自己保身のためで、相手がどう思うかなんて真剣に考えていない。

本来この手の対人スキル10代の頃に実地で経験し身につけていくものらしいが、そのような経験をできず、剰え都合よく妄想されたヲタコンテンツというぬるま湯に浸ってしまうと、自分を思うことが相手気持ちを思うことだと取り違えてしまう。



このまま孤独に生きていく勇気はまだないけど、振り返っても別に他の選択肢なんてあるわけがなかったことを識れたのは良かった。ありがとう

このまま生きていける気がしない

幼い頃からずっと人の気持ちのわからない子どもだった。

小学生の頃は他人罵詈雑言ワガママをぶつけながらその自覚がなく、当たり前のように孤立していた。

中学時代にこの言動トラブルを起こしてからは一転して徹底的にいい人を演じるようになった。高校生とき自分からまれてもいないクラス仕事をどんどんやって、聖人扱いされた。だけど受験前に心の余裕がなくなっていった。偏差値が上がらなくて泣いているクラスメイトに余計な言葉をかけて神経を逆撫でしてしまったこともあった。化けの皮が剥がれて、卒業するときは周りの人からしかけられることも少なくなっていた。

大学に入るときにはリセットしようと思って焦りすぎた。空回って周りと打ち解けられず、気づけばみんな仲の良い友達を見つけていた。周りが談笑しているときには何が面白いのかわからない。サークル新歓でも私が喋ると空気が冷える。高校生ときよりずっと寂しいけど、もう取り返しがつかない。誰とも会話がかみ合わない。まともな人間関係が成り立たないのだ。

幸いなことに、長期休みごとに遊びに行くような友達は片手の数ほどだがいる。けれど、その人達にはもっと楽しく笑って遊べる別の友達がいて、私はお情けで一緒にいてもらっているだけな気がする。その友達が悩みを私に話すことがなく、息のあった会話もできないのは、私が自分のことで精一杯で人の悩みを聞いたり、その人の1番いってほしいことを言えるような人間ではないからだ。自覚はある。でも、どうすれば他人気持ちよくなれるのか、私にはどうしてもわからない。頭でわかっていても実行はできない。

そして、私も遠慮と不信感が重なって本当の悩みは言えないし自分は出せない。心を開いていないことを悟らせないように、口からから次へと薄っぺらくてつまらなくてひどい言葉が湧いてきて、止めることも誤魔化すことも下手だ。そのうちに話すことに疲れて、相手にも興味が持てなくなる。そのことを相手もわかっているから、お互いに心の扉は閉じたままだ。

もう20歳になるが、心から笑って話せるのは家族だけだ。精神的に疲れたときに甘える相手母親しかいない。それ以外の人だと、相手許容範囲がわからずに疲れさせてしまうから

周りの同級生は、やすやすと人と打ち解け、スケジュール帳をびっしり埋めて、楽しく生きているように見える。彼らにも彼らなりの悩みはあるはずだ。でも、私はそこにすら到達できない。いたずらにだした話題面白いと思っているのかつまらないと思っているのかわからない。相手話題に素直なリアクションがとれない。何もかも壊れたあとで気づく。

こんな私でも中学ときよりはマシだと思う。結果が残せたとは言いづらいけど、それでもあのとき変われたのだから、とも思う。けれど、20年も続いてきた自分本位な考え方を変えたり、あるいは誰かに依存せずに済むように自分の足で立つことが、果たして社会に出るまでにできるのだろうか。

要領は悪かったけど勉強だけはできたから、そのことで自尊心を保っていたけど、大学に入った今、私より頭のいい人が星の数ほどいることぐらいはわかっている。それなのに自分知識無意識のうちにひけらかしてしまうこともある。技術も社交性もない私に一体なんの価値があるのだろう。頭でっかちで半端な知識を撒き散らす壊れたスピーカーだ。

幸か不幸かギリギリのところでレールからは降りずに生きているけど、そろそろ限界が見えてくる。いつまでも親に甘えて頼り切ってしまったら、いつか親が私を支えられなくなったとき共倒れだ。そのときに親を支えられるような人間になれるだろうか。そして辛いときに支えになる人を、大人世界で私は見つけられるだろうか。そしてその人が倒れそうなときにも支えられるようになれるだろうか。その人を笑わせたい、悲しませたくないと素直に思えて、そのために心を尽くせる人はできるだろうか。

今すぐにでも動かなきゃいけないはずなのに、エラーしてでもトライしなければならないのに、さもなければもっと知識技術をつけて強くならなければならないのに、そのどれも私はできずにいる。永遠に家で何もせず暮らせていけるものだと心のどこかで信じている。そんなことはないのに。

一体私という存在にどんな意味があるのだろう。ネットの海で痛みをごまかそうとしたけど、無数の「ふつうのひと」の言葉ますます無力感自己否定を招くだけだった。こうしている間にも夜が明けて、私はまた1日を無駄にする。足踏みを繰り返す。頭だけが空回ってオーバーヒートする。なんの解決にもならないパニックを起こす。

頭で考えたことを実行するのがいつからこんなに下手になったのだろうか。

このまま消えてしまいたいけど、それも勇気がなくてできない。こんなの20歳の悩みじゃない。真面目なせいで単位は揃っているから、順調に大人世界が近づいてくる。

何者にもなれず棘を生やしたまま腐っていきたくない。嫌なことがあって夜に叫びたくなったので文章にした。

ここまで書いてもなお、見える答えを直視できない自分がいる。

2016-09-21

会話をしていて返しには選択肢があるってことに最近気づいたんだけど、

みんなは当たり前に選択してるの?

今まで自分の答えは無意識一択だったんだけど。

2016-09-19

座りションする時つま先立ちになっている

今ふと思ったんだけど、座りションする時無意識につま先立ちになっていることに気付いた。

かかとを付けてしょんべんしようとしたらものすごく違和感があった。

太ももが地面と平行じゃないとなんか違うなと感じた。

これは俺だけのものなのか男特有のものなのか、女もつま先立ちなのか気になる。

他人立ちションするのは見られるけど座りションしてるのは見られないからな。

どうなてんだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20160919122124

瞑想です。

あなたが何故既に過去の人である彼に執着してるかと言うと

自覚すらなく何度も何度も彼のことを考えて反芻してるからなのです。

脳のうえを彼に関する思考が走っている頻度が多く、時間が長いのです。


瞑想をすることで自分の脳に無自覚に走っているそういう変なプログラム無駄思考

だんだんと気付くことが出来る脳の状態になっていきます

恐ろしいほど何度も何度も非建設的な思考、何の答も導かれないグルグル思考が走っていることに気付くと思います

そのあとは、無意識に彼のことを考えているたび「あ、考えた」と念を入れるとそれ以上思考が続いたり深まったりしなくなります

ことごとに執着思考に気付いて「あ、考えた」とただ念を入れる(反省や戒めではなくただ気付く)。

そうするうちに彼への執着は消えています

これは彼のことに限らず、過去のあらゆることについても同じです。

よい思い出であれ悪い思い出であれ、勝手にそれが脳で走り出すということは現在に集中していないということ。

瞑想現在事実だけに意識を置く訓練といえます

2016-09-18

http://anond.hatelabo.jp/20160918141719

無意識に弱そうな女性ばっかり雇ってる可能性はないですかね。

うちの会社バリバリ体育会系で雇った女性はめちゃ強そうだよ。気も強いけど^^;

オタサーの姫の話をした者です。

http://anond.hatelabo.jp/20160917152918

ここで、オタサーの姫の話をした者です。

トラックバックのやり方がわからなかったので、うまくできていなかったらごめんなさい。

いただいたコメントトラックバック先での感想なども拝見しましたが、自分にも反省点があるのだろうと

思いました。有意義コメントを下さった方々、励ましてくださった皆様、叱咤くださった方もありがとうございます

本来であれば、一度話してそれでやめようと思っていたのですが、コメントへの返信でお礼に代えさせていただこうと思います

自分学問をオタサーと言われた点

私も、これに関しては理不尽だと感じました。「オタサー」の意味をしっかり理解していなかったのですが、オタクの人が多いサークルという意味なので間違いないですよね。

前述の通り、専攻にはアニメゲームの好きな男性は多いですし、女子も母数が少ないとはいえ、自己紹介オタクだと言っていた子が多いと思います

サークル活動に関しては、学業に専念するために今はほとんど参加していません。

ですが、大学全体から見ると女子部員がかなり多い方で、私だけが決して目立つような環境ではないと思います

男性が苦手と書いた点について

私情ですが、過去に怖い思いをしたのが後を引いて、未だにそこまで親しくない男性と話すのが苦手です。

(詳しくは割愛しますが、付きまといから発展した暴行未遂のようなものです。)

進学する際も、男性が多い学部心配はありましたが、それよりも勉強したい気持ちが勝ったので今の学部を選びました。

男性による女性蔑視無意識で受け入れていると指摘いただいて、思うところがありました。

男性から嫌なことや恥ずかしいことを言われることは当然起きてしまうことで、避けられないことだろうと思っていました。

相手を責めてもどうにもならないし、所詮異性のことは分からないので理解できなくても仕方ないのだろう、と。

女性から蔑視されたと感じて傷ついたのは、同性なのだから相手理解してもらえて当然、味方になってくれて当然

という先入観があったからだと思います。その点に関しては私の考えが至らなかったのだと思います

私は女性男性付属品だとは考えていません。本当に付属品だと思っていたら、主体的研究もしていないと思いますし、海外に行く選択も選ばなかったと思います

男性を過剰に立てているというつもりはありませんが、怒らせたら、或いは気に入られたら何をされるかわからないという恐怖心はあるかもしれません。

ですが、それらも少なくとも普段生活では出していないつもりです。事情を知っている一部の友人、家族恋人などを除いて、私に男性への苦手意識があると知っている人はほとんどいないと思います

プライベートでも周りに男しかいない

プライベートで関わっている同年代男性は、恋人だけです。

実験後・授業後は、用がなければ一人で帰るか研究室図書館に残って資料をまとめています

女友達がいれば、一緒にご飯を食べに行くこともありますが、親しいメンバーゼミ)以外との飲み会にはほとんど行きません。

ゼミには私以外にももう一人女子がいますが、彼女のこない飲み会には行きません。

休日は家で過ごしているか親友たちと出かけるか、恋人といることが多いです。

・オタサーの姫ファッションじゃないのか/見た目について

多分、違うと思います。オタサーの姫への理解が足りないので、いまいち自信はないのですが…。

髪はロングです。暗めのアッシュ系でパーマをかけています

化粧はとても濃い訳ではありませんが、基本的すっぴんでは大学はいかないようにしています

ファッション誌はRayJJが好きです。一応赤文字系だと思います

・ここに書いたことについて

すみません。どこか、匿名愚痴を言えるところがないかと探していて最初に見つけたのがこのサイトだったので、ここに決めてしまいました。

男性ユーザーさんが多いサイトなんですね。以降気をつけます。

かつて「学級委員長的な綺麗事」は「本音」だった。

最近、「反知性主義」というバズワードとともに

露悪的な「本音主義」に対する警告がよく見られる。


「感動」するわたしたち──『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって / 前田拓也 / 社会学 | SYNODOS -シノドス- | ページ 2

小田嶋隆さんは、『超・反知性主義入門』(2015)のなかで、「本音」の痛快さが消費されていく現状に疑義をさしはさみます

近年、「『学級委員長』的言説」が忌避され、「『本音』が、まさに『本音であること自体によって免罪されるはずのものだということを、強烈に信じ込んでいる」(p107)人の声がとても大きくなってきているように感じます

善悪や正邪とは別に、『本音』と『建前』という座標軸が現れた時、無条件に『本音』を神聖視する考え方が力を持」ち、「『露悪的な人間ほど信用できる』という倒錯が生じ」ています(p109)。


 引用されている部分以外で小田嶋というひとがどういうことを言ってるのかは本がないので知らないが、

 ここで「『学級委員長』的言説」といわれているものはいわゆる「心にもない綺麗事(上の引用部では『建前』)」というやつだろう。

 「心にもない」という部分が重要だ。

 「綺麗事」の脆弱性は、まさに「本人が心にも思っていない」点にある。

 だから、露悪的な『本音トークが『建前』に勝つのは当たり前だ。信じていないものと信じているものが衝突したときに、残るのはかならず後者だ。


 でも果たして綺麗事」や「建前」は果たして本音』なのか?

 『聲の形』という漫画がある。映画化されて、昨日公開されたばかりの作品だ。

 この漫画にはまさに「委員長である川井という少女が出てくる。彼女キャラ一言説明すると、偽善者だ。

 小学校クラス内のいじめ消極的に加担し、しかしそのいじめ糾弾されるようになると「わたしは止めようとした」と一転して自己保身に走る。高校生になると入院したクラスメイトのために「千羽鶴を作って贈ろう」とクラス提案する。自分容姿の優位性や「涙は女の武器であることを巧みに利用して周囲を操り、それでいていかにも私は良い人ですという面で歩いている。


 しか彼女自分自身偽善者だとは思っていない。「私はいじめに加担してない」と本気で思っているし、「千羽鶴を折ることが良いこと」だとも本心で信じている。

 メタ認知になれたネット民からすれば「浅い」人間に思われるだろう。漫画で後半、彼女自分無意識計算高さに勘付く展開になる。それは置いといて、現実にも「千羽鶴を折って送ることがいいことだ」と何の留保もなしに信じている人間はいっぱいいる。

 それをネットでは「自己満足にひたりたいだけの偽善者」と呼ぶ。でも本当にそうした人々は「自己満足」なんだろうか。

 こと千羽鶴に関しては「ごみ処理する手間がかかる」「送られる本人は千羽鶴なんかより欲しいケアがあるはず」などといった「送られる相手を慮れ」問題が絡んでくるので一概には言えないが、「良くなって欲しい」と虚心坦懐に、千羽鶴にまるでまじないでもかかっているかのように信じている人は一定数いる。

 素朴な人々、とネット民なら言うだろう。

 だがその浅薄な思いやりはかつては「本音」だった。今だってそうだろう。

 それが、「建前」や「心にもない綺麗事であると、いつのころから批判されるようになった。

 思いやりには相手事情を勘案しない「浅い思いやり」と相手に寄り添った「深い思いやり」があって、後者けが本当の「親切」であると、いつのころから、そういうことになった。


 逆にネットに溢れる「本音」は本当に「本音」なんだろうか。

 単に「こう言えば賢いように思われる」「こう言えば周囲の仲間たちにデキるやつだと思われる」という、昔からよくある付和雷同的な同調圧力の結果なんじゃないんだろうか。

 「反知性主義」だの「本音主義」だの言ってる人々は、自分の「本音」が何で、どういう部分が「建前」なのか、一回も考えたことのない人たちなんじゃないのか?

 

 

 

Re:君の名は。ネタバレ感想と疑問点。

君の名は。ネタバレ感想と疑問点。いつから瀧は三葉を好きになったの? - 薬剤師メソッド へのレスです。

http://method-of-pharmacist.hatenablog.com/entry/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%82


適当に取り留めも無く書きます

>そもそも「入れ替わり」の原因って何?

>二人が入れ替わった理由って、物語中で明示されていましたっけ…

>三葉の家の血が、「入れ替わりの夢」を見せる力を持つからってことでしょうか?

>一葉おばあちゃんも「昔私も同じような夢を見た」って言ってましたよね?

>「入れ替わり」が起こったのは、三葉が持つ特殊能力

二葉さんにも、同様の事が有った様です。

妄言宮水血筋か」と、宮水トシキ氏(三葉と四葉の父)が言ってましたから、彼も、常識的には理解しがたい事を、奥さん(二葉さん)から聞いて居た筈です。

一葉さんとの会話で、瀧入りの三葉の「その能力は、この時の為に有ったのでは」て発言が、部屋に飾ってあった宮水歴代の方々の写真が映っている画面で、有ったかと思います


>「この古臭いから解き放たれて、

>都会のイケメン男子として暮らしたい」という三葉の願い(遺志?)が、

>3年先の世界で生きる瀧との入れ替わりを実現したんでしょうか?

破滅認識回避」てのも大きいかと。

運命の人”との出会いでもありましたが。

過去隕石落下当時や、200年前の大火でも、似た様な事が有ったのかもですね。


>なんで瀧と入れ替わったの?

>なんでわざわざ3年先に生きる17歳の瀧と入れ替わったの?

>三葉の死亡、糸守町の壊滅を防ぐために?

そうであろうかと思われます


>「3年のずれ」、途中で気づきませんか?

>三葉の世界2013年、瀧の世界2016年ですよね。

>二人の世界に3年のずれがあることを、

>お互い入れ替わっている間に気づかないもんなんですかね。

スマホ開けば今は何年何月何日かとか、

テレビを見ればその日のニュースがどうとか、

友達と話せば微妙話題おかしいこととか、気づかないものですかね…?

>本編では瀧は「糸守町は3年前の事故で壊滅した」ことを、実際に岐阜県に行って初めて気づきます

>そして、三葉が2013年までしか生きられなかった人物であること、

自分が「入れ替わり」で経験した世界2013年だったことを、そのときやっと気づきます

>正直、もっと早く気づかないんですかね?週に2~3回は入れ替わってたし、日記もつけていたし。

入れ替わりの発生期間は、何度も有ったにせよ、そんなに長くはなかったのでは。

もう少し長く続いていれば、また違ったかもです。

それと、日記では、年は省いていたのでしょう(確か、スマホアプリでも月日だけだった様な)。

また、「夢」で見聞きした情報は、醒めた後は、断片的に不鮮明に成る様です。

よって、戻っている間は、時間のずれに気付けなかったと思われます

瀧が糸守町を探していた折りも、探索中は名前認識していませんでしたが、ラーメン屋夫妻から聞いて「そう、糸守町!」と思い出しました(一旦認識はしても、覚醒中は薄れるという事)。


>なんで瀧は三葉を好きになったの?

>なぜ瀧が三葉に入れ込んで

>命がけで三葉を助けに行くまでになったのかが、あんまり伝わってきませんでした。

>このとき三葉と出会った記憶無意識に刷り込まれていたから、

>瀧は三葉のことを好きになったのかな。

>序盤でも、三葉に組紐を託されるシーンが夢の中に出てきていましたよね。

思春期少年にとっては、可愛い女の子と知り合えた時点で、大事件ですよ。

ましてや、その子が死んじゃう(死んじゃっていた)んですよ?

で、瀧の感情は。

入替わりの日常化/

奥寺先輩とのデートと其の不調、「別の誰かが意中に居るのでは」と指摘される/

入替わり起きず、連絡も不通。不安/

糸守探索、発見驚愕/

惨事と三葉達の死の認識、どん底/

諦めきれず、御神体の所まで行き、口噛み酒を飲む/

トリップ。三葉の人生俯瞰し、三葉が自分に逢いに来てくれ、組紐を託してくれた件を認識(その時の事を思い出す)/

最後の入替わり発生/

カタワレ時、奇蹟的な出会い

過程で、強まっっていったのでは。

こうやって見ますと、特に、《三葉が自分に逢いに来てくれ、組紐を託してくれた件》で、キュンときますかねえ(“刷り込み”も、有るかもですが)。


東京である必要ってあります

>いや、大都会ではありますけど、

別に東京舞台じゃなければならない理由って、なかったかなーって思います

元ネタラジオドラマ君の名は」が、東京舞台ですし。


>なんで彗星衝突事故のことを瀧が知らないの?

>3年前の事故はいえ、彗星日本に落ちて500人以上死亡したって、

>未曽有の災害だと思うんですけれども。

災害を知ってはいても、自分が入れ替わっている人間の住む町との認識が、上述の理由により、無かったのでしょう。


アラサーになってから運命の人と再会する、っていいですね。

最後、瀧は就職したばかりで22-23歳くらいで、三葉は25-26歳くらいです。

>そういや三葉は東京へ瀧に会いに行ったとき14歳の瀧」を見つけたわけですけど「あれ?子供じゃん?」って思わなかったのかな。

彼が、入れ替わっていた瀧だと、見て、直感したのでしょう。


>あのとき14歳の瀧に邪険にされたから、そして組紐を瀧に託したから、三葉は髪を切ったんですね。

願掛けみたいなものではないかと思いました。


(文責.ID:popoi)

http://anond.hatelabo.jp/20160917071757

本人が印象操作をやるつもりがなくても、無意識のうちにやってしまうことはある。中でも引用編集という作業はそのリスクが大きい。

それを指摘されたらすなおに謝れよ、って話だわな。

  

ちなみに、はてこはゲーム会社への嘆願書で、「アイヌ殺す」のツイートに関して

大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」の以下に該当する明白なヘイトスピーチです

という非難を加えていた。それが誤りだとツッコまれたら、今度はこんなことを言いだした。

大阪市条例に該当するからヘイトスピーチだ、該当しなければそうではないということではなく、定義理解してもらうための参考例。

http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/15/073000

こいつ、何で開き直ってるんだ?? お前は最初、ただのヘイトスピーチとは言ってなくて、条例違反ヘイトスピーチと断定していたよね??

そこを条例違反じゃないとツッコまれたなら、せめてその部分だけは非を認めて訂正しろよwwwww

2016-09-15

胸の大きな人に聞いたが

自分ハゲの人は無意識に見入ってしまう」と言っていたので、大きな胸をマジマジと見てしまうのは致し方なし。

2016-09-14

コンテンツ界隈の者にとって、ナコルルアイヌヘイト問題は逃げの一

なんかナコルルへの罵倒(半分冗談)として「アイヌ死ね」ということをのたまうバカいるからって、声優やら制作会社に抗議ぶんなげる人がいるそうですね。

http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/14/005509

いや、もう、圧倒的に正しいですよ。民族的マイノリティ歴史的差別されてきた人に対して尊重をするのは明白に正しい、正義であります

そして、当該のキャラクターを生み出した制作会社声優には社会的責任がありますし、当然に民族的マイノリティキャラクターとして使っている以上応答責任もあるでしょう。もっともな話です。非常に正しい。

でも、実際のところプレイヤーさんがどういう発言するかなんて責任の取りようもないし、作中で意図的に悪しざまに描いているならともかく、そうでもないのに何かやれといわれてもなにもやりようがないわけです。


さて、最近私は仕事で作中におけるジェンダーの取り扱いについて色々と指導をしてきているんですけど、人工知能学会誌の表紙問題碧志摩メグ問題のうりんポスター問題Overwatchのトレーサー問題なんかを参考にしています。まぁ作中に女性さないわけにいかないんですけど、女性性を売りにすることは怒られやすいから、それを回避しつつしかも性欲(あるいは恋愛感情萌えのようなもの)を刺激するような仕掛けを考えると、どうしても青少年に変わった趣味を植え付ける感じになりがちです。要するに、ガッツタカさんなら怒られないわけですからタカさん欲情するようにプレイヤーを馴致すりゃあいいんですね。(この例は極端だけど、性欲を捻じ曲げることでフェミニストに怒られないけど萌えるキャラを作るのは定石になりつつあります……意識的無意識かわかりませんけど)

でも、アイヌとか民族的マイノリティ女性と違って無理に出す必要あんまりないんですよね。アメリカみたいな様々な人種が暮らす国なら、黒人アジア人などさまざまに登場させないと不自然ですし、当然に怒られますけど、日本架空世界舞台にした作品なら民族的マイノリティを無理に登場させる必要はありません。もちろん、そういう人が多い場所舞台にするなら別ですけどね。ただ、サムゲタン騒動で明らかになったように、プレイヤーさんたちに韓国朝鮮嫌いな人が多いですから韓国朝鮮系キャラクターボツになりますし、アイヌ作品の外でもめ事がおきて面倒なことになるなら、そりゃあ回避しますよね。


まぁ、もう覆水盆に返らずですが、民族的マイノリティ肯定的な形で作中に登場させても、場外乱闘になるという知見は関係者の間で共有されてしまいました。少なくとも私ならボツにする程度まで盛り上がってしまったので、しばらくはマイノリティの作中での活躍が下火になるかもしれません。

ジャスティン・リー

この事はずっと忘れていて、無意識にそんな経験はなかった事として生きていた。


中学生の頃、体育祭応援団をしていた。

同じ応援団団長は学年が一つ上の喧嘩っぱやくて、後輩をすぐに殴る事で有名な人だった。

その人の事は、以下団長と呼びます


FATの事は嫌いでなるべく関わらない様にしていたんだけど、仲の良い友達が付き合っていたので、度々顔を合わしてしまう事があった。

それでも口はほとんど利かず、からかわれてもシカトしていた。


放課後応援団練習をしに行ったらその日は団長しかおらず、彼女の事で相談があるとか珍しく真剣な顔をして言われたので、サッカー部の部室で話を聞いた。

団長サッカー部だった。

彼女とはあまりうまくいっておらず、実は別に好きな人団長と同じ学年にいると言われた。

団長好きな人は小柄でとてもかわいい人で、私達後輩女子からも人気がある人だった。

私はなるべく友達を傷つけぬ様、早い段階で彼女に別れを告げて欲しいと伝えた。

団長は下を向きながらうなずき、私にお礼したと思う。


部室を出ようとした時、団長に腕を引っ張られてそのままレイプされた。

何が起きたのか意味が分からなかった。

私にも同学年の彼氏がいたけど、手をつなぐ程度の仲だったし、もちろん処女だった。


頭の中真っ白の状態で部室を飛び出したら雨が降っていた。

傘なんか取ってくる余裕もなかったから、そのままずぶ濡れになったまま歩き続けた。

家にはなかなか入れなかった。

誰とも話したくなかった。

今日誕生日で、応援団練習が終わったら彼氏プレゼントを渡しに10分だけ家に来るって約束だったけど、そんなの無理だった。


翌日からも、団長は何事もなかったかの様に過ごしていた。

団長とは絶対に目を合わせたり話したりする事はなかったけど、誰にも何も知られたくなかったので、そのまま応援団を続けた。

それから数年後まで知らなかったけど、団長は私の彼氏に「お前の彼女とヤッたよw」と言ったそうだ。

団長には虚言癖っぽいところがあったので、彼氏は信じなかったと話していた。


その彼氏とは数年付き合ったけど、高校卒業前に別れた。


それから十年後。

私は女友達と二人で都内地元からは県をまたぐ)で飲んでいた。

中学生の頃に起きた事なんてすっかり忘れて、社会人生活を楽しんでいた真っ最中、奴は現れた。

しかけられるまで気づかなかったけど、かなり酔っ払った頃に突然あの団長が話しかけてきたのだ。


何事もなかったかのように、「元気?今何してるの?」とか「どこに住んでるの?」とか聞いてきた気がする。

私は作り笑いだけして何にも答えなかったけど、一緒に飲んでいた友達は何も知らず、ノリの良い団長の会話を楽しみはじめていた。

一刻も早く店を出ようと友達に声を掛けたが、なかなか出てくれない。

私はお手洗いに行った。具合が悪いと友達に伝え、一緒に帰ってくれるよう頼もうと考えた。


席に戻り、友達にその事を伝えようと思ったところから記憶が一切ない。

気がついたら、ラブホテルにいた。

終わったあとみたいだった。

団長は服を着て部屋を出ていくところだった。

まれて初めて、殺意を知った。


ホテル代を投げつけられ、無表情で「またマグロだったね」と言って去って行った。


同じ人間に二度レイプされるなんておかしいし、私に落ち度があったとしか思えないとずっと自分を責め続けた。

二軒目だったし飲み過ぎたのだろうか?

でも、おかしい。

あいつが帰った後も体が重くてだるくて眠たくて、二日酔いとかそういう感じでもなかった。

恐らく、睡眠薬的なものを入れられたのだと思う。

それ以外考えられなかった。


それから度々過呼吸を起こしたりする事はあったけど、私はこれらの記憶を頭の中から抹消していた。

意識的にじゃなく、気がついたらそれについて考えなくなっていた。


そして更に十数年経った今、ジャスティン・リー睡眠薬を飲ませてレイプしている動画を観てしまい、思い出した。

眠ったまままったく動かない女性を平然とレイプしてるジャスティン・リーの姿はあいつの存在を思い出させた。


また、同級生の話から団長レイプされたのは私だけでなく、中学時代から今に至るまでたくさんの女性がいる事が発覚した。

誰も訴えてはいないけど、彼にはきちんと特別にひどい罰が下っていた。

下った罰はとてつもないもので、ここには書けないけど、多くの女性が「ざまーみろ」と思っただろう。


私は彼を訴えようと思った事は一度もなかった。

他の女性達のためにも、きちんと訴えるべきであるという事も分かっている。

でも、訴えなかった。

訴えなくとも、奴にはもっともっと酷い罰が下る…そう信じていた。


思い出したらいたたまれなくなり、増田に投下してしまったが、これを書き終えたらまた普段生活に戻る。

奴の事を引きずって苦しい思いをして生きるなんてゴメンだ。

私は幸せに生きる。

お前にかまっている暇はない。

お前を恨んでる時間があるなら、子供の為に笑う時間を過ごした方がずっといい。

さぁ、これで最後だ。

お前の事はまた封印する。

さようなら

パラリンピックに出ている奴らが憎い


最近パラリンピックニューステレビでよく流れている。

それを見るたびに胸がきゅーっと締め付けられ、同時に怒りと嫉妬の炎が脳の海馬を焼き尽くす。

くそが。障碍者のくせに目立ってんじゃねーよ。恵まれてんじゃねーよ障碍者のくせに。社会の隅っこで背中まげて不幸の汚水に浸りながらひっそり生きてろや。この世は健常者ランドなんだよ。健常者専用の世界なんだよ。障碍者の分際でキラキラすんなよくそが」と無意識に口をついて出てくる。



身体障碍者社会からサポートがあって、ちょっと頑張っただけで世間から称賛される。楽でいいよな。健常者と同じステージで戦わなくていいなんて楽でいいよな。

オリンピックには出れないごみスポーツプレイヤーでもパラリンピックなら競争相手が少ないから楽にメダル取れていいよな。簡単承認欲求が満たせていいよな。同情されて理解されてていいよな。

身体障碍はかゆくないし痛くなくていいよな。生活に支障がなくていいよな。



アトピーゾンビウイルスという世界で最も重く辛い障害を負っているアトピーゾンビパラリンピックに出れるようにするべきだ。

自慢じゃないが運動には自信がある。もし、パラリンピックに出れるなら金メダルを取りまくって、日本人障碍者が優れているということを世界アピールできるだろう。

アトピーゾンビウイルスというこの世で最も重い障害を持っているのに、社会では健常者扱いだ。最悪である。かゆみや痛みや他人からの冷たい目や嘲笑に耐えても何の称賛も与えられない。

ただ社会サンドバックとして消費されるだけだ。



「甘え。アトピーゾンビウイルス言い訳にしているだけ。努力不足。かゆみなんて我慢しろよw大変なのはみんな一緒!ただかゆいだけで大げさな。なんで治るように頑張らないの?ワセリンで治るんだって病院行ってる?本人に直す気がないからいつまでたっても治らない。病気に甘えてる。見た目は関係ないよ。そんな性格から彼女ができないんだ。容姿のせいにするな。きもい。近づくなよ。アトピーゾンビだーwww感染するぞwみんなにげろーw。普通じゃないやつとは友達になれないわ。あん人生やだ。おれあいつじゃなくてよかったわ。うわきもっ。ちょっと!かわいそうでしょ!でもきもいじゃん。まあねw。肌がキモイ人とは付き合えない。私の私物に触らないで。生きてて楽しい?なんで生きてんの?俺だったら死ぬわw今のひときもくない?ぎゃははwww」



アトピーゾンビ人生は、パラリンピック選手オリンピック強制出場させられて晒しものにされているようなもんだ。

アトピーゾンビウイルス障害と戦っているものに対して、もっと社会からの称賛と賛美と喝采と胴上げがあってもいいんじゃないだろうか。そう、身体障碍者のように。

パラリンピックに出れるように足を切断しようか真剣に考えている。

承認欲求を満たし、今まで虐げられてきた傷を癒すには身体障碍者になってパラリンピック金メダルを取るのが最適解じゃないかと考えている。

手を握り返された世界の僕への私信

生憎の雨はまるで自分の心の中から滲みでたかのように思えた。

まとわりつく湿度はまるで全身が呼吸するかのように心の外と中とを行き来している。

あの角を曲がった先の居酒屋で、女性と会う約束をしていた。

曲がり角の手前に立ち、呼吸を整えようとする。

これから断崖絶壁を覗きこむような覚悟と緊張感で足元がおぼつかない。

こんな状態では踏み外して奈落に真っ逆さまになってしまう。

すこしでも落ち着こうとケータイを取り出すとメッセージの新着を知らせるランプが光っていた。

素早くロックを外すとメッセージが表示された。

”お店が臨時休業でした。駅まで戻ります。”

読み切ると同時に声が掛かる。

「あ!ちょうどよかった!早かったですね!」

意表を突かれて取り繕った笑顔を返すのが精一杯だった僕の心に、底抜けに明るい声が鈍く刺ささる。



突然会いたいと言ってきたのは彼女の方からだった。

お互いが人の親になり、忙しさを理由に連絡を取らなくなって3年が過ぎた頃だ。

こちらの気持ちなど構う様子もなく、一方的熱量に溢返った言葉たちが並べられていた。

逢いたい。声が聞きたい。話を聞いて欲しい。

その言葉どれをとっても、今の疲れ果てた自分には麻薬のように魅惑的だった。



僕が結婚をする前、彼女とは不倫関係にあった。

結婚を条件に上京してきた彼女にとって、都会での生活は何もかもが苦痛だったそうだ。

しかし、仕事接待に明け暮れる夫は彼女を癒やそうとはしなかった。

そんな彼女が僕に対して癒やしを求めてきたことが、二人の関係の始まりだった。

働き盛りだった僕も疲れていたが、僕に癒やされる存在がいるということが、僕にしてみれば最大の癒やしになった。

そもそも独り身が長い僕にしてみれば彼女の重荷にならないように付き合うことは簡単だったし、今までの生活やしがらみに疲れた彼女にしてみればそこから離れて素直になれることだけで十分に癒やされていたのだろう。

夫の仕事の帰りが遅いことをいいことに、一緒に食事をしたりカラオケで歌を歌ったりする毎日を過ごしていた。

ただ、身体関係はたったの一度しかなかった。

その一度もあったといっていいかは難しい。お互いが裸になって抱き合っただけで終わってしまったのだ。

なぜだか分からないが、いざそういう関係になろうとしたときにお互いが急に冷静になったのだ。

求めていたことはこれだったのだろうか。それをしてしまうことでこれからの付き合いが慣れ合いになってしまうのではないだろうか。

もはや戻れない所まで来ているつもりだったが、高いと思っていたハードルを不意に超えてしまったことで拍子抜けしてしまったというのが正直なところかもしれない。

ただ、彼女に対する愛が本物なのだという確信に変わったのはむしろこのことがきっかけだった。



略奪愛は何度も考えた。慰謝料がどれほどになるかわからないけど離婚させたいと真剣に考えていた。

しか彼女は何度も結論をはぐらかし、それを理由に会うことを拒んでもいつの間にか現れては、気付いたらまた一緒の時間を過ごしていた。

そんなふうに憎めないところが彼女の一番やっかいなところだった。

自分に素直だといえば聞こえがいいが、自分がそうだと思ったら相手の考えなどお構いなしに真正から突っ込んでくるのだ。

いつまでたっても彼女結論を出す様子はなく、つかず離れずの日々ばかりが過ぎていった。

それもこれも自分がしっかりしないのが悪いのかもしれない。そう思って、別の女性との結婚真剣に考えるようになった。

程なくして、知人の紹介で知り合った女性とまさにトントン拍子で縁談がまとまることになった。

まさに奇跡的な出会いで、実に出会いから結婚まで半年もかからないほどだった。

その事実彼女に伝えると、僕の期待とは裏腹に彼女は無邪気に喜んだ。

そして、彼女から妊娠を聞かされたのはそれからすぐのことだった。



結婚してからは順調に子供を授かることができた。

彼女とは忘れた頃に送られてくるメールでほそぼそとつながっていたが、ある日生まれ子供を見たいと言い出した。

妻とも会いたがっているようで、いわゆるママ友が欲しいというのだ。

冗談ではないと思いつつも、いつも通りの押しの強さに僕はあっけなく折れてしまった。

はたして当日はい地雷が爆発しないかと生きた心地がしなかったのだが、母親になったことで責任感が目覚めたのか、そもそも僕に興味をなくしたのか全ては杞憂のまま時間は過ぎ去っていった。

結局ママ友になったわけでもなく、それっきり連絡もよこさなくなりこのまま自然と離れて忘れていくのだと思っていた。



ある日テレビを見ていて心臓が止まるほど驚いたことがあった。

CMで人の良さそうに振る舞う無名女優彼女にそっくりだったのだ。

大げさに目を見開いて驚く様子や、目尻のシワを構う様子を感じさせないような満面の笑顔、肉厚な唇を表情豊かに動かす大きめの口。

忘れていたはずの感情血液が注ぎ込まれて鼓動を始めるかのように、彼女を求める気持ちが目覚めていくのが分かった。

妻は子育て疲弊しながら結婚生活に慣れ、僕をないがしろにし始めた。

僕は妻から愛され続けられるように家事子育て積極的に参加したし、妻の疲れを少しでも癒せるように外に連れ出したり話に耳を傾けたり妻が楽しめそうなものは何でも用意した。

同時に、僕は妻のことを好きで居続けようと毎日努力をし続けた。妻の何が魅力なのかを考え、思い出し、再確認する毎日だった。

でも、妻が僕のことを好きでいてくれる努力をしてくれているかは疑問だった。

結婚して7年。二人目の子供を授かってから4年になるが、それ以来身体を交わすことはなかった。

何度か誘ってみたものの、願いが受け入れられることはなかった。



こんな状況だからこそ彼女からの誘いははっきりと断ったのだが、熱量と無邪気さに押し切られてこの日に至ってしまった。

今足を踏み外せば僕は全てを失って奈落に落ちるだろう。

こんな憔悴した状態で崖の上を歩くのが危険なことだというのは子供でもわかることだというのに。

僕のそんな気持ちもつゆ知らぬ様子で、彼女は無邪気に自分のことを話し続けた。

僕の話す言葉一つ一つを本当に嬉しそうに聞いては、無邪気な笑顔を見せていた。

僕の精神は何度も僕の身体を離れ、彼女の手を握ろうとしていた。

その度に僕の手は空を切り、彼女の手は蝶のように気ままに舞い遊んだ



長い長い綱渡りを終え僕らにタイムリミットが訪れた。

お互いには家庭があり待っている人間がいるのだ。

この日彼女に会うことは当然妻にも伝えてある。むしろそうしたほうが自分が足を踏み外さな保険になると思ったのだ。

それに、隠れてコソコソ会えるような器用なことは自分にはできない。

楽しくなかったといえば嘘だ。でも、それを楽しんでいいのかどうかはずっと疑問だった。

大げさな話をすれば自分人生は何のためにあるのかという話になる。

でも、そんなことをいちいち考えたい気分ではなかった。



彼女は満足できたのだろうか。彼女が望んでいたのはほんとうにこうして気軽に話すことのできる状況だけだったのだろうか。

僕の気持ち彼女はどう思っているのだろうか。

僕がどんな気持ちでここに来たのか、彼女はわかっているのだろうか。

そんなことを考えていると、いつの間にか僕の手は無意識彼女の方へと伸びていた。

いや、本当は彼女気持ちを試したかったのかもしれない。

僕の手は、彼女の胸の高さまで来ると平を上にして開いた。

彼女はその手を不思議そうに見ている。

そのまま数秒の時が過ぎ、僕は苦笑いとともにその手を引っ込めた。

彼女もつられて笑い、別れの挨拶とともに改札へと消えていった。



僕が今いるこの世界は、彼女がその手を握り返さなかった世界だ。

からほとんどのことがいつもの通り進んでいる。

今朝はまたリビングで眠り込んでしまったことに対する小言を妻に言われ、問題が起きるまで大してやることのない職場でこうして文章を書いている。

彼女が僕の手を握り返した世界では何が起こっているのだろう。

大げさな話をすれば自分人生は何のためにあるのかという話をもう少し落ち着いて考えてみたいと思う。

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160914080057

やらない理由やできない理由を探しまくるのと似ていて

やれる理由無意識に探しまくっているうちに行動できるようになるという感じ

2016-09-11

殴られて育ったからって人を殴っても許されるわけじゃない

中学から高校ぐらいまでの間、父のサンドバックでした。あ、身体的な奴でなく言葉暴力です。

中学とき父親リストラされちゃいました。そのあとからです。たぶんストレスのはけ口にされたんじゃないかな。

収入なくなって家庭全体追い詰められてた時期だし。

「お前はだめだ」とか「死ねよ」とか、何か失敗したときに嫌味言って鼻で笑うとか、私が高校受験控えてお金のかからない公立高校に行くため必死勉強してる時期に、「うちのは高校行きませんから」と近所の人に言うとか、まあありきたりなやつです。

よくあるじゃないですか。虐待世代連鎖するとか、毒親の行いを無意識自分もやってしまう話とか。

高校ときネットでそれ読んで、絶望したんですよね。

自分の弱さから目を背けたいがため、子どもいじめて溜飲を下げるような人間に私もなってしまうのか?

悪い育ちの人間は、悪い人間になるのか?

タイトル言葉は父と同じ道をたどらないため、ずっと唱え続けている自戒です。

そして、父への行いに対する私の思いです。

父親自身が、育ちの影響を修正できずにきてしまった人間だったんですよね。

話を聞くところ、父の育った家庭は、お嬢様育ちで我儘な母親(私にとっては祖母)と人間不信偏屈な舅の折り合いが大変に悪かったらしく、殺伐とお世辞にも冗談を言い合えるような状況ではなかったようで。父は貝にこもるように自分世界で閉じていたらしい。

そんなんでコミュ障なのに、さら偏屈な舅から父はそのコミュニケーションを受け継いでしまったらしく、嫌味でひねくれた言い方ばかりうまくなる。

コミュニケーションベースがそんなんだから他人にも誤解されて嫌がられて、傷ついて、さら人間不信になってこじらせてくというループ

彼はそんなこんなで50半ばまできてしまい、子どもにまでその被害は波及していますよー。笑えねえや。

リストラされてつらかったからと言って、気持ちを吐き出すコミュニケーション暴言はくことしか知らないからといって、人を傷つけちゃいけません。

最近毒親がテーマ作品とか多いですよね。『母がしんどい』とか。

毒親の影響があるかもしれないと自分客観視して、その因果に抗って生きていこうとあがく人を私は尊敬しています

なんかまとまらんな。まあ自己満足で書いてるからいか

2016-09-10

アイヌのことを、最近外国人友達説明する機会があった。



偶然、そこにいた全員が日系南米人で、少なから日本への知識や関心があった人たちだったが、誰もアイヌのことを知らなかった。

日本領土内にも先住民がいること、彼らがいまだに差別されている実情があることを説明しても、にわかに信じられないといった反応だった。

それどころか、日本に好感を持っていた人たちだったので、温和な日本人先住民差別…?と、話全体への疑いの気持ちがあったようだった。

私も、少し言い過ぎたかな、もう少しマイルドな言い方があったかな、と思い、しばらく気にかかってた。



そこで最近のこのナコルルや他、色々の騒動があった。

自分が思ってたよりはるかに強烈な差別蔓延していた。

外国人への説明は、全然言い過ぎではなかった。



次におなじことを説明をするときは、彼らの耳にもっと不快情報を付け足さないといけないんだな、って思って、気が重い。




追記(4/10 12:40):

ナコルルがどうとか言ってしまったのでややこしい解釈をさせてしまたかもしれないが、あの件自体はそこまで関心はない。

ただ[特定集団民族呼称を名指しして「死ね」](角カッコ修正済み。追記2参照)はどんな文脈だろうと差別的だと思うし、オープンな場でそんなこと書いて、「その意図はなかった」は通じないと思う。



どちらかというと、その後に応酬されていたやりとりが、素朴に差別的ものだらけで、日本ではもうこんな空気蔓延してるのかとビックリした。

差別だと指摘するのはいいがやさしく言え」だとか

差別と言う方が差別意識しすぎてて差別者」とか

差別反対を声高に主張するから世の中に受け入れられない」とか。

全部、差別問題の中では初級の初級段階の話題で、そこで止まってるのか、という感じ。

しかも、他の差別問題より、現前性の意識が薄く、「無関係」の盾のもと、無意識攻撃してる人も多くてビビる

大半の人が日本にいて日本人だろうに、それでどうやって先住民族無関係と思えるんだろう、と思う。

そりゃアイヌ関係の人も現役で大変だろうな、と感じた。



あと「反差別の連中は批判されたらすぐこれだから〜」みたいなコメント多いが、批判されたの…?いつ…?





追記2(4/10 14:12):

追記内の、角カッコの中の内容を修正しました。

当初は、問題となっていた、ナコルルについてのつぶやきをそのまま抜き出した文言を書いており、それに対し「お前も書いてる」という旨でご指摘をいただきました。

必要表記から不要論点を増やしてしまったことは大変遺憾でありますので、当初の表記を改めさせていただきました。

失礼いたしました。

1コナンヲタのクソ長い文句

ほんとはどうでもいいことなのかなと思ってたような気もしてたけどやっぱりちょっと複雑な気持ちが大きいので匿名

たぶん読むと不快になること間違いなしなので読まない方がいい



最近、というかここ半年コナン純黒の悪夢効果で以前のように、というかそれ以上にまた勢いを増しているなと思う。特に腐関連のあるCP

わたし母親コミックスの3巻だけなぜか買ってきたのがキッカケで小2という多感な時期からコナンを読み続けていて、悪い言葉もどこで使っていいかよくわからない豆知識(トリカブトetc.)も友達の素敵さとかほんとに言い切れないほどにいろいろなものをこの作品からいっぱい得た。関係ないけどわたしNL好きなのもこの作品の影響が強いと思う。友達に「コナンが新一に戻った巻をあげろ(その当時はたしか10巻と26巻)!」とかいカルトクイズを出して泣かれたのも覚えているし、ついでに先生にも怒られた。とにかくわたし人生たかだか20年ほどだがとにかくコナンが付き纏っている。



コナン好きな方が増えるのはとても嬉しい。やはり好きな作品をいろんな方と共有することができるのはとても楽しいし、考察も増えることがあるため刺激をもらうこともできるからだ。



けど今のコナン好きの増え方は、言い方が悪いけどなんだか気持ち悪い。コナンという作品を好き、というよりも特に赤井安室へのキャラ萌えが先行してる感じが否めない。それなのに知ったかをされるのが非常に不快コナンという作品全体像を知ろうともせずに赤井安室をさも知ったように語るのは何なの

映画でついた自称ファンの中には拾い読みをしたり、yahoo知恵袋で聞いたり、ネットで調べたり…結局のところ「名探偵コナン」という作品が好きな訳ではないんだな、と感じる言動が多くて悲しい。



わたしコナンの中で新一が1番好きで、昔の話だろうがなんだろうがとにかく出てくるとすごく幸せ気持ちになる。きっと無意識にずっとキャラ萌えしてたんだろう。でもそれは土台に「名探偵コナン」という作品があるからこそのものであると思う。コナンの一連の流れを知った上で見る新一とあんまり知らないで見る新一は別人だと思う。例えばロンドン編のビッグベン前でのアレは、長年読んできた新蘭好きは26巻や62巻-63巻の切ない未遂を考えると涙モノだったと思うのだが(個人的見解)、あの巻だけ読んだら良かったね〜くらいにしか思わないのではないだろうか。ついでに62巻-63巻のアニメ化作画は酷くて楽しみにしていた分悲しみが深かったのだが72巻のビッグベン前のシーンの作画気合の入り方も涙モノだった



こうやって目当てのキャラが出てくる巻を書くとそれだけ読んで、はい萌え〜で終わらせたりする人がいるかもしれないけれど本当に勿体無い。ここまで焦らされたから(焦らしすぎかもしれないけど)ここにくる感動が一塩なのだ。拾い読みとかありえない。

今となっては赤井さんが生きてることはもう周知の事実だろうが、異次元の〜のラストシーン映画館友達号泣したあの気持ちも、アニメで言う赤と黒のクラッシュから沖矢とかニセ赤井とかで心を乱され続けてきたからなんだろうと思う。

ただネットで、沖矢は実は〜で赤井は〜して水無は〜して〜が身代わりで、と今までのことを要約されたものを見て満足するなんておかし

それにコナンモットーというか推理犯人を追い詰めて犯人を殺させてはいけないという信念も知っているかいないかで話の見え方が違ってくる。そもそもこんなに伏線の多い作品で拾い読みとか正気の沙汰ではない




この言い方はあまりきじゃないけれどあえて使うと、新規さんが増えることは大歓迎だ。だけど知ったかにわか適当ネットで得た知識キャラペラペラあることないこと踏まえて語るのが腹が立つ。とにかくやっぱり1ファンとして、最初から読んで貰いたい、上辺だけで語ってもらいたくない。

ただ最近公式も煽ってるからなんかほんとに複雑だな。