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はてなキーワード: だってとは

2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170323053036

おれはリバタリアンだけどそういう息苦しい社会は持続可能ではないと思う。

増田が挙げているのは自己責任論というより、自分もつ特定思想に反した振る舞いをする人間罵倒するお墨付きが与えられる社会って感じだ。

本当の自由主義社会は、どんな行いも基本的に(迷惑を掛けない限り)許容され、

それによるどんな類の失敗であっても、ある程度社会がフェイルセーフしようとすることが肯定される社会だ。

増田のと真逆なんだよ。増田モデル全体主義ファシズムに近い。

そして、自己責任論と結びつけられやすリバタリアニズムだけれども、

リバタリアン想像するリバタリアンは「個人自分のやることを理性的判断して行動できる合理的個人である

と主張して暗に「賢くなれ、さもなきゃ死んで当然」と言わんばかりのマッチョだと捉えられがち。

でもリバタリアンと言われる人の多くはそんなに凝り固まっていない。賢くなることは重要だとは考えるけどね。

だってそうでしょ、人間はつねに合理的行動ができるなんて思っている人はそうそういない。

認知症から大事故を起こしてしまった、お前が認知症なのが悪い、

ギャンブル依存から破滅してしまった、お前がギャンブル依存なのが悪い、

そういった例が100%自分責任自分コントロール圏内にあったのか、と言われれば誰もが難色を示すだろう。

そもそも情報があふれかえる現代、人は自分意志で「自己決定」していることなんてあるのか、

なんてシニカルに言うことすらできるんだから

「~から自由である消極的自由は守られるべきだが、「~する自由である積極的自由を認めすぎると

衝突にあふれた社会になり、他人攻撃制御・統制しようとする邪悪自由侵食され、消極的自由が脅かされる。

増田のいう「当たり前の価値観」は後者だ。

穏健なリバタリアンは、車を持ったりタバコを吸ったりする自由などほとんどは認めるけれど、

それによりどうなってしまうか、合理的判断ができるように、越境する前に柵を設置して、注意書きをするんだよ。

そうやって「自分意志で乗り越えてる」ことを明確に意識させる配慮をした上で「自己責任ですよ」と言う。

もちろん乗り越えて死んでも知らんぷり、というわけでもなく、最低限の救いは用意するし。

理性的判断可能性をブーストしたうえで(これがリバタリアニズムITとの親和性が高い理由)の自己責任

それは、乗り越えて失敗した人を切り捨てる(ザマーミロする)ための自己責任ではなくて、

乗り越えた結果失敗してしま被害を最小化するために自己責任の考えを導入しているにすぎない。

日本で使われる「自己責任」は前者のニュアンスであることが多すぎて、苦々しい思いだ。

教育勅語さいこ

教育勅語を信奉している人も、内容をよく知らずにいいじゃんって言ってる人も、単に父親は偉くて先生は偉くてっていう権威主義者なだけだと思うから教育勅語天皇主義戦争に突っ走っるからいけないなんて指摘は的外れじゃないか。そもそも日本の多くの人が戦争忌避するのは負けたからであって、勝つ戦争だったらバンバンやりたいんじゃないの。戦前だって勝ってた時期に反対してた人はいないんじゃない?今だって共謀罪に反対するのは逮捕されるようなことしてるからでしょ?」みたいなこと言う人いるし。

祖父母のお葬式映画の話

先日、高齢だった祖母が亡くなった。

遠く離れて暮らしており、交流子供の頃から夏休みと年の暮れにほぼ一日ずつ。

世間でそれが多いか少ないかは知らないけれど、一人っ子だった父方の、より高齢だった祖父母宅への泊まりがいつも優先されていて

私の中で母方の祖父母は「二番目のおじいちゃんとおばあちゃん」だった。

関係は良好だったと言っていい。けれど母方の祖父母には、その家に近く住む叔父叔母イトコが何人もいた。

私と名前の少し似ているイトコたちと私へ、祖母はいつも名前を呼び違えた。

お葬式で私はきっと泣けないだろう。そう思っていた。だって祖父の時には泣けなかったから。泣かなかったから。


先に亡くなった祖父お葬式の時。

泣いているイトコを見て「ああ私は泣いていないな」と思ったのだった。

祖父との思い出をたぐりよせようとして、交流の深いイトコたちを差し置いて私が泣いていいのだろうかとも思った。


ところでここで映画の話になる。「エンディングノート」という映画だ。

祖父葬式からしばらくして、映画館で見た。

内容は、ガンで闘病のうえ亡くなったお父さんの姿を娘さんが撮影したドキュメンタリーだ。静かで私的映画だ。

娘さんにはお子さんがいる。お父さんがそのお子さん、つまり「孫」と対面するシーンがある。

「孫の存在のものをお父さんが大事だと感じている」のがもう映像からひしひしと伝わる。美しいシーンだ。

祖父を亡くした後に私はその映画を見て「人というものは生まれたという存在だけで大事に思うことがあるのだ」と思った。

あんな風とは違うにしても、私が生まれとき祖父母は子供大事存在ができたことを喜んでくれただろうと思った。

祖父お葬式で泣けなかったことは私の中でどこかわだかまっていたけれど、一つの解を映画からもらった。

母方の祖父だけでなく父方も含めて。繋がりがほかより薄いなんて判断できない。

それに私にとっても大事な両親の、大事な人たちだ。


…戻って、祖母お葬式の話である

上記の祖父映画の話を経ていたので「泣けないだろう」とは思ってもつらすぎることはなかった。

お棺へ花を入れるくだり、イトコたちは泣いていた。私は泣いていなかった。

でも「お父さんとケンカしないようにね」と言いながら叔母が花を入れて。弟がそれに「よくケンカしてたね」と軽く囁いてきたとき

──私も知ってる。と思ったらふいに涙が出てきた。

ヤンチャな悪戯っ子のような物言い祖父と、面倒見はいいが口うるさくあしらう祖母のやりとりが浮かんだ。


そうしてもう一つ、その数日前に見た映画を思い出した。

「ぼくとアール彼女さよなら」という、やさしい青春映画

その中のとてもいい台詞を思い出して、またひとつ、すこし赦されたような気がした。


自分に対してどこかに書いておきたかったのと、

映画好きなので私に大事ものをくれた映画のことを宣伝したいなぁという気持ちで書いた。そんだけ。

安部首相元老になるかも。

まだ62歳だから平均余命を考えると、あと20年は生きる。

小泉元首相みたいに意識して影響力を減らすような美学はなさそうだし、どちらかというと森元首相の強化版みたいになりそう。森元首相自分意思スポーツ以外になさそうで軽いお神輿だけど、安部さんの美しい国っていう主張はちょっと極端で、現役世代迷惑かけそう。あと、安部首相自分バカだっていう意識がなさそう。森元首相はわかってやってそう。

「2010年代とは極東アジアパワーバランス違うし取り巻きも古いからはっきり言って邪魔なんだけど、へそを曲げられると面倒だからなあ。」(2030年の首相のボヤキ)




個人的首相の分類

自分神輿だと思っている人  :鳩山、森、小渕、村山野田(?)、麻生羽田細川安部第一期)

自分指導者だと思っている人 :橋本小泉安部(第二期)、福田宮沢、菅


橋本福田宮沢も管も切れ者であることは間違いないし、小泉血筋政治天才だけど、安部幸運血筋の人で、能力勝負の人ではないのに。安部さん長期政権ブレーキ効かなくなってるんじゃないかなあ。権力は人を腐敗させるのであるなあ。

2017-03-22

wbc

準決勝敗退って

木の棒振り回すぐらいしか能のないクズが木の棒振り回すのも下手だってんじゃ救いようがねえな

何が日本の4番だよてめえらなんか1億2千万番ぐらいだよ人間価値的に

死ね

はてなーって、結構搾取側の人間多くね?

要領よくうまく立ち回ろうとする人が多い印象がある

ブラック企業で、要領が悪く、パワハラ上司を憎み呪いながらも怯えてビクビクしている自分からすると、

パワハラ上司ものともせずにお先ーって帰るアイツと重なるんだ、はてなーの人々が

パワハラ上司も、言いたいことをズバッと正論で言うアイツにはなかなか反論できず、

その分俺に八つ当たりも含めて仕事が回されている

まあ理屈で言えば、そのパワハラ上司が一番悪いんだよ、それは分かる

でも、

俺のことを助けもしてくれないで、

正論をかざして颯爽と定時に帰って人生エンジョイしているアイツが、

もう理屈じゃなくて心の底からにくくて仕方がない

パワハラ上司よりも遥かに忌々しい

というか、パワハラ上司すら被害者のように思える

だってパワハラ上司もずっと遅くまで残って仕事してるんだもの

パワハラ上司は嫌いだ、

でも定時に帰るアイツは大っ嫌いなんだ

こういうと弱いものが夕暮れのどうたらこうたらと決まり文句でヤレヤレといった顔をするのがはてなーというのが俺の印象

あと奴隷の鎖自慢とか、

誰かの足を引っ張ることを喜ぶな、底上げすることを望めという正論も言ってきがち

でも底上げなんて何年待ったって底は沈む一方でちっともあがりやしない

俺の中で、パワハラ上司よりもはてなー属性のあるヤツの方がだんだんヘイトが上回ってきた




日本死ねとはずっとむかしから思っていたが、

お前らはてなーが言うなという気持ちは正直かなり強くある

っつかむしろ日本死ぬのに手っ取り早いのは共謀罪とか治安維持法が成立してさっさと日本が瓦解するのが一番いい

はてなーもろとも道連れにしてくれるような日本の死に方を、俺はずっと求めている

そういう意味で、

はてなー臭い共産党よりは自滅に加速をかけてくれそうな自民党に票を入れるほうが、

俺にとってはよっぽどずっと合理的選択肢であり続けている

京王線の同じ駅で降りたら・・・

京王線に乗ってる途中で約束キャンセルの連絡があったので、そのまま折り返して乗り始めの駅で下車しようとした。

こういう場合って初乗り運賃を支払えばいいもんだと思っていた。

改札がなぜか通れなかったので有人改札口へ行ったら、

「どの駅まで乗車したか?」と聞かれ、その駅までの往復分の料金を請求された。

「これからは一度改札を出てくださいねだって

降りるわけじゃないのに、改札出るわけないじゃないか

なんで?

全然、納得できない。

ハリーポッター呪いの子を読んだ(ネタバレ有)

あんまり話題になっていない、ハリーポッターシリーズの続編、ハリーポッター呪いの子を読んだ。率直な感想としては続編なかった方がよかったんじゃね?って感じ。

正直、タイムターナーあんな風に使えるんだったら、もっと早くにヴォルデモートが使って、ハリー自体が生まれない世界を作ってたんじゃね?と思う。

後さ、ヴォルデモートに娘がいたくだりも、ヴォルデモートが復活してる期間はハリーと繋がってたんだからセックスして絶頂を感じてる瞬間があったらハリーは感じ取れたんじゃね?って感じ。

それからいくらハリーが死んだ世界線とはいえ、スネイプとロンやハーマイオニーがとても仲良くなれるとは思えない。ハリーとスネイプが和解したのだって、結局はリリーに対する記憶を見る機会があったからで、スネイプが生きてたら自らその記憶他人に見せるとは思わない。

最後にマルフォイはい父親になり過ぎてたw

次の日は休み

明日仕事だって考えるから憂鬱になってた。今は明日休み明日休みって考えるようにしてる。だから仕事があるから早く寝るとか、仕事があるから無理をしないとかしなくなった。毎日、次の日が休みからいっきり過ごすようになった。営業職だから次の日眠かったら外で寝てる。もちろん数字はちゃんとこなしてる。むしろ上がった。いい効果を生んでいる。毎日楽しい

聖徳太子しろ何にしろ科学政治バランスをとるべきではないのか。

https://togetter.com/li/1093213

なにやらはてなブックマークがあるツイートで盛り上がっていた。

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/CatNewsAgency/status/843667650999799808

https://twitter.com/CatNewsAgency/status/843667650999799808

まとめはそれを元にしたまとめ(なんだろう)が、なんとなく観点がずれてる気がしたので、長文だが意見を書かせていただきたい。

100文字では書けん。



大前提として、まとめのほうのタイトルになっている

歴史学歴史学者の独占物なのか?」という「問い」に対しては「独占するべきではない」と思う。

歴史家特権階級になってはいけない。

そして、教授陣とはまた違った「在野で歴史を考える者」の意見も、また参考にされるべきなのだ

まあ、教授左翼云々は偏りだというまとめでの指摘も最もだけど。



しかし、歴史学も「人文科学」なのである。「科学である

科学」が「市民感覚」でないがしろにされて良いのだろうか。それは豊洲の件で大いに問題になったはずだ。

豊洲科学的に安全なのに、「安心」できないから駄目などと言われている。

これは「科学風評に負けた」例となりうるだろう。

まとめを読んで、豊洲の例を惹かれて説明されている、このあたりが自分としては特に心配に思った。





でも、だからといって、学者がすべてを決めてしまう、

エリート独裁」的なことが行われてしまえば、それはそれで問題である

大事なのは科学政治バランスをとるべきではないのか。

まとめ文中では軍事を例にして、専門家だけで暴走することの危険性が語られているが、これはある程度当たっていると思う。

この国は、関東軍暴走という自称から戦争が始まってしまった国なのだ。それは反省し、今後戦争をおこさないようにすべきだ。

でもその例で言えば、軍人絶対に無理という作戦政治家が指示してしまった場合はどうなるのだろう、とも思った。

戦前反省を元とした言説にこのようなことを突っ込むと、特にリベラルはてなーには、やれ軍国主義だのなんだの言われるのかもしれないが

現実問題政治家が専門外のことをそこまで指揮を取れるのか。それは歴史学だって言えると思う。



そこで思ったのは、「様々な説を検討する段階をオープンにすること」そしてそれによって「バランスを取る」ことである

結局、学者の独占も、過度の政治の介入も両方よろしくないのだ。今回の件は、ある一つの説を押し通そうとしてしまったというところに問題があるようにも思える。

所謂主流の説、「権力を持った学者」の説を押し通すのではなく、オープンにしていく。それが必要なのではないのかと思った。

そして、教科書に関しては、複数の説の併記必要なのではないか

東大京大で学派が違い、入試問題採用する説も微妙に違うということも起きているが、

これも両論併記でどうにか出来ないものなのか。



とは言えども、結局どうやってバランスを取るのか、現実的手段はあまり思い浮かばない。

このあたり、頭がいい人達が考え出してくれないかなあ、と思う。

会社小学校と同じ

先週、会社の同じ部署人と飲みに行った。

私は部署の中で一番下っ端で、別のとこの部長主任、平で5人。

とてもいい飲み会だったのが、やはり会話は噂話になってくる。

そのうち、同じ部署Kさんの話になった。どうやらその人はこだわりが強くて嫌われているらしい。私に対してはとても丁寧に教えてくれていい人だったので、あけすけな話を聞いてやはり会社というのは大変な所だと思った。

そのKさんは話し方が変わっていて、少し変な話し方をする。どうやら主任などは、その話し方にイライラしているらしい。自然面白おかしく真似したり、馬鹿にしたりする方向になった。

私も少し感じていたのでその場で笑っていた。

そして今日主任が私のところにきてKさんがそばにいるのに、あの真似をしてみせたり、部長にその飲み会での話をしていた。部長もどうやらKさんのことが嫌いらしいので、部長にその話をしたら喜ぶらしい。

はいくらなんでも会社でするのは気が引けて苦笑いをしていた。

そうすると、部長が帰り側こちらにきて主任と、私にKさん子供の頃の事故でそうなったという話をしてきた。だからあんまりその話はするべきじゃないですね、、って話。一気に冷めた。

その話の時に、ああ、この記憶は私の中に一生残って消えることはないなって思った。

正直はじめから馬鹿にするようなこと言うのは嫌だったけど、確かに話し方も変で酒も飲んでいて笑ってしまった。付き合いで笑ったのか、本当に面白かったのかもうわからない。

小学生みたいな話だ。

小学生みたいなことして小学生みたいに注意されて。



もーだから会社なんて嫌だ!

どいつもこいつも、本人いなきゃなんでもかんでも言っていいと思って!!課長だって会社でたらただのおじさんだからな!!

?ん小学生の時に習っただろ、悪口はいけませんって!

なんで悪口言っちゃいけないか、人を傷つけるから、人を傷つけることは自分を傷付けること、つまり悪口は言った本人に返ってくる。

そういえば小学生の時もこんなことあったな、それで怒られたな。

会社に入って本当に歓迎してもらって、みんな尊敬できる人で自然と頑張ろうと思えてたし楽しかった。こんな小さなことで挫けてちゃいけない。でもこういうのが本当に疲弊する。どうしても過敏になってしまう。もっと鈍感にいきたい、でも人の気持ちが分かる人でいたい。これ全てを小学校の時の先生に話したいけど、連絡手段もないから、話したことにする。

そしたら、先生はそれはよくないことだな、でもお前はもう理解できたから次は気をつけられるだろ、次から気をつけようって言ってくれるかも。

日本ポスト主義化と経済成長のまいた種

20世紀公共交通一強の時代が長く続いた。交通手段公共交通こそが超大国だった。世界から評価される、エコ経済的バリアフリー…多くのヒト・モノ・カネが鉄道界隈に集まり鉄道を中心に都会が動いていた。この流れからの大転換が日本人ポスト主義化だろう。

新自由主義を掛け声に、公共交通破壊蔓延する。貧民の末裔権力を手にした公共交通はあまりにも汚物象徴になってしまいそうだ。その一方で、自動車バスオートバイの躍進はそれを象徴としていて、過去には暴走族があったが日本人努力によって脱却している。

都会の宝、交通象徴という特性をより伸ばしていくことで発展を続け、世界中の人に優れた都市交通の手本を示し続けた日本だが、逆に言えば、その普遍的テーゼを失ってしまえば価値は大きく低下することになる。鉄道だけとっても他の国の方が優秀そうで、利益公益バランスが取れているように見えるのが、事実だ。

今はまさに分岐点を通過した直後だが、今後はさらに鮮明になりそうな気がする。日本私鉄がそのまままるごと公営化されたりとか、自転車であふれている都会の繁華街などが、いつの間にかバスオートバイに変わったりとか。日本の古きよき光景も変わることになる。



2010年代以降のメインカルチャーがまるで低迷する一方、今日繁栄する文化には共通点がある。どれも経済成長期に台頭した文化だということだ。自動車オートバイだけではない。たとえばオタク文化なんかまさにそうだろうし、特に漫画アニメが目覚ましい発展を遂げた。

最近息を吹き返した据え置き機ゲームも、ソシャゲと言われているオンラインゲーム台頭前は主流だったし、日本大衆ゲーム文化京都花札屋が原点にある。素晴らしいゲーム一見価値があるので、中古ショップオンラインで買って一度遊ぶといいよ。

急激な経済発展を遂げている商業出版界隈だって高度経済成長多様化した。太田出版と言えばサブカルチャーイメージで、過去には完全自殺マニュアルの苦い歴史があり、元少年Aの出版を引き入れたと言われてはいる。しかし、それを除けば普通サブカルチャー本ばかりだ。

すべては「高度経済成長のまいた種」である日本の文化自体がそう。たまたま20世紀には、メインカルチャーが一強構造だったが、21世紀にはそれがサブに、下層に、未知の領域にすら分散しているということ。これをどう付き合うか、私たちも考える必要がある。

同人誌販売オートバイを利用する若者は今では当たり前だという。いずれも昔は有り得なかったものだ。今でこそ中高生でもできるような商業デビューアプリ作成も昔なら不良文化(私の父が高校時代小説出版で当時のお金で何十万円数百万円かもらって停学になりかけたことがある。)で、そのイメージを払拭したのが1980年代2000年代若者たち。これが今の現実の礎を築いたんだろう。

左派の「抹殺行為」が心底恐い


なぜ、左派は平気で抹殺できるのだろうか。

私がそう感じたのが共謀罪に対する左派の反応。

それは確かに安易恣意的運用される恐れは十二分にある。

今の安倍政権タカ派カルト日本会議色が強く、危険であるという認識は十分共有できる。




ただ。

共謀罪だって、いわれもなく生まれてきたのではない。

そこには理由があり、

それは共謀罪を成立させるメリットもあるからまれてきたのだ。

そのメリットとは、当然、法の趣旨にあるテロの防止。

北朝鮮ミサイルも恐いし、中国領域侵犯も恐い。

IS工作員なども本当に恐い。

それを未然に防止したい、という気持ちも、日本国民の中に当然ある。




そのメリットを遥かに凌駕するデメリットがあるから共謀罪は反対なのだ、なら十分分かる。

だが、左派は、そのメリットのメの字を口にするだけで凄まじい勢いで攻撃してくるのだ。

これが私が冒頭に挙げた「抹殺行為なのだ

メリットを言うことを、一切許さない。完全に抹殺しないと気がすまないのだ。

共謀罪は完全悪であり、それを擁護することが絶対に許されない。

左派のこうした恐るべき正義の硬直性が、私は死ぬほど恐い。




弱者男性に対する異様なほど冷酷な態度なども、これと類似した問題だと考える。



ポリティカルコレクトネスが大きな批判に晒されるのも、こうした問題があるからだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20170322174204

実際は結婚したいと思っているかそうでないか それが一番重要な気がする

結婚したいと思うには、基本的子供がほしいと思ってないと無理じゃない?

だって大半の女性子供がほしいか結婚する、というのが大前提でしょ

その時点で子供ほしくない=結婚する必要性がないになるからね。

結婚する必要性がない=恋愛もしなくていいになるし。

http://anond.hatelabo.jp/20170322165420

よくわからんけど、「電磁波攻撃によってでんでん」は弁護士量刑を軽減させるために吹聴する入れ知恵的なやつなんじゃないの。

そうすりゃほんのわずかな可能性ではあるけど死刑は避けられることだってあり得るんだし。

30にもなってゲームとかやめたら?

先日居酒屋で飲んでいた時に某ゲーム会社の新ハードCM を見て「そういえば買ったんだよ」と話したら友人に言われた言葉だ。

「30にもなってゲームとかやめたら?」

「なんで?」

「40になってもやるつもり?」

「やるよ?」

もっと大人っぽい趣味見つけたら?」

「確かにゲーム趣味みたいなもんだけど、ゲーム作る仕事をしている一人として、大手が作った新しいものには触れてみるのは悪いことじゃないだろう?」

「いや、そうだろうけど・・・。他にないの?スノボとかよく行ってたじゃん」

「今年新しい板買ったし結構行ったよ。あと最近ジムも行くのもはまってる」

「いいじゃんそれで」

「うん?ゲームをやめる理由は何だよ?」

「いや、子供っぽいから。」

こんな感じで平行線を辿る。

ゲームを作るのが仕事だってのは知っているのに、何故それを止めろというのか。

 

その場には他にも友人はいたし、久々に会って別にケンカをするつもりは無かったので半ば強引にその会話はやめた。

しかしその後も彼は度々子供っぽいだの、だから結婚できないだの、と言ってきていた。自分彼女もいないのに。

まぁ仕事もあまり上手く行ってないみたいだったし、酔っていたんだろうと適当に往なしたが、『ゲーム子供』ってのは前にも言っていた気がする。

ゲーム子供向けに作るものもあるけど子供だけのものって訳じゃないだろうに。

http://anond.hatelabo.jp/20170322154212

学者になるのだって、あまり大学関係なくてむしろ大学院でどの先生につくのかのほうが大事だしね。

小4から勉強漬けにしてもマーチ

知り合いの子来年東大目指して浪人するらしい。

の子の話は小さいこから聞いていて、小学4年から進学塾に入れたりとか、6年のときには一番上のクラスで最難関目指してるとか、御三家落ちたけどそれ付近中学には合格したとか、中学高校でも東大目指して勉強勉強勉強してきたとのこと。けど、今年、マーチレベルには受かったけど早慶に落ちて、東大にも落ちてしまった。

あらゆるもの犠牲にして8年勉強しても合格できなかった事実。(『ひょっとして勉強センスないんじゃ・・』というのは彼女の前だとタブー・・)9年勉強しても入れるかどうかわからない。

時代が違うのかもしれないが、自分経験ではマーチなんかは高3年の前半まで部活やって2学期からやっと本腰入れても受かるっていうイメージがあったし、東大に行った子だってそんなに勉強勉強してる雰囲気はなかった(ほとんど1浪だったけど)。

の子供たちの受験勉強は小4から始まってしまうという。自分にはまだ子はいないが、なんともシビアな世の中になってしまったものだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170322001722

まずね、小説映画だとしたら、詩歌写真なの。

旅行写真でも卒業写真でもなんでもいいけど、自分にとっては大事な一瞬をとらえた写真って、知らない人が見たら「なにこれ?」ってなるでしょ。でも撮った本人はその一枚でもあのときのことを思い出せるから、わぁーいいなあってなる。そんなふうに物語のものではなく物語痕跡から全体像をを想像して味わうのが詩歌の楽しみ方のひとつから、詩は本来、書いた本人にしかからないのが普通なんだよ。

から詩はあなたにも書けるし、けれどもその詩は他の誰かには全く理解してもらえないかもしれない。あなたにとっては切実な場面でも、「なにこれ?」ってなっちゃう。

だったら他人他人詩歌をどう評価できるんだっていうと、みんなまず物語以外の部分をかみしめてるみたい。言葉って意味だけじゃなくて音や文字もあって、たとえば漢字がいっぱい並んでたら理屈抜きで「うわ、めんどくさ!」ってなったりするし、ミラバケッソとかヒノノニトンとか意味関係なく音として気持ちよくて頭に残っちゃうことって結構あると思うの(卑怯CM多いでしょ)。写真でも、単純にきれいなものが写ってたら誰がいつどこで撮ったか以前に「わーきれい!」ってなるでしょ、文字だってうつくしい言葉がきれいに並んでたらそう思えるかもしれない。写真だとモチーフが左右対称に並んで写ってたらそれだけで気持ちいいように、定型句でも575の音数に合ってたらそれだけで気持ちいいとか。この辺が、作品それ自体の内側へと入り込んでいく楽しみ方の例。

逆に作品の外側に目を向けると楽しいこともある。写真なら、たとえば撮った人や撮った場所に注目してみるとか。普通写真でも、自分の知ってる人、好きな人が撮った写真だって聞いたらそれだけで「どんな気持ちで撮ったんだろう」って想像したくなってこない? あとさ、ライオン大口あけてる写真とかだと「この人どうやって撮ったんだよ、撮った直後に殺されたりしてないだろうな」とか想像して怖くなったりもしそうでしょ? 他にも、京都タワーを手で支えてるような構図だったりしたら「ピサの斜塔かよww 京都タワーじゃかっこつかないでしょうがwww」なんて元ネタと比べて楽しむとか、それ自体では補えない情報量が実はそこかしこに見つかったりするものなの。

そうやって自分必要情報量を探していく、補っていくっていう探偵じみたプロセス詩歌の楽しみだと思うし、これって実は小説でも他の芸術分野でもおんなじだよね。さらに言うと、いろんな作品詩歌小説に限らず)を見ていくと、自分を泣かせる笑わせるために必要情報量ってじつはそれほど多くない、このツボさえ抑えてれば自分は大体泣けるっていうポイント抽出できたりする。物語全体じゃなくって特定の要素があれば人間勝手想像できちゃうし、人からもらうより自分で作った方が味付けも変えられておいしいのは料理と一緒。でもそうやってツボを探していくと、面白いことに、その自分だけのツボって実は他の人も泣かせてしまったりする。自分のためだけに作ったものが何故か他の誰かまで撃ち抜いてしまったりする。

究極的に個人的ものは、実は最大限に普遍的でもあるんだ。その普遍性だけを切り取って残そうとする挑戦が、詩歌を作る苦しみであり楽しみなのだと、わたしは思う。


あとは渡邊十絲子の『今を生きるための現代詩』って新書がすげーオススメなので一読されたし。自分詩歌詳しくないけど、わからないなりに楽しくなるよ!

すてきな紹介記事→ http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20130531/1369926781

2017-03-22 20:42 追記(返信など)

でも現代純文学はそういうツボに反感持ってるよね

自分文章読み返したら「ツボ」の例を泣ける笑えるに限定しすぎたのが失敗だった。「泣ける」が分かりやすい例だっただけで“面白い”のツボって千差万別からね。

でも自分なりのツボはすべての書き手が持ってるだろうし、それを分かってくれる人も必ずいるんだよ、なぜか。・・・いや、よき受け手出会えるかどうか、そもそも作り手がそのツボを自分表現で押さえることができるかどうかは別として。

青木淳悟でも木下古栗でも岡田利規小笠原鳥類橘上でも誰でもいいんだけど、たとえ共感を得やすいツボに反感を持ってたとしても、その人には別のツボがあるし、人間表現である限り普遍性を完全に排することもできない・・・とわたしは思う。

だってすべての表現コミュニケーションから。読者としての自分自身とすらコミュニケーションしない表現なんて、ヘンリー・ダーガーでも無理なんじゃない?

今を生きるための現代詩kindleにあったので買ってみました

わーいやったー! ありがとうございます、せっかくなのでその先の本もいちおう置いときますね!

入り口としては『今を~』がすばらしいけれど、もしそれで現代詩自体に興味がわいたら新書館から刊行されてる『現代詩の鑑賞101』がとってもいいです。やさしい解説つきで101篇も読めばだれか一人くらいは推し詩人も見つかりそうでしょう? つまんないのはどんどん飛ばそう。

歴史の流れが知りたければ野村喜和夫の『現代詩マニュアル』がなかなか手っ取り早いけど、ごめんなさい、なんかスノッブくさくて個人的にはちょっと・・・。

もっと深く勉強したい人は現代詩手帖特集版『戦後60年“詩と批評”総展望』などをどうぞ。谷川俊太郎が「やっぱ売れ専をバカにしないで売れる詩をちゃんと作んなきゃダメだろ、ジャック・プレヴェール見習えよおまえら」とか言っててわろた。

ちなみにわたしの推しは入沢康夫渋沢孝輔です。入沢翁、ツイッターはじめててびっくりした。俳句短歌の話は、ごめんなさいぜんぜん分かりません。だれかオススメおしえて。

好きになったアプリパクリばかりだった

好きなアプリができた

自分の中で殿堂入りするほど好きなキャラもいた

でもある日、そのアプリパクリだって知った

まだ好きではある

でも探せば探すほど黒い話ばかり

ちょうどその頃、スマホの容量がパンパンになった

消してしまった

まだ少し未練はある

CDを出しているようなアプリなので、それを聞きながらなんとなく未練があるなあって思う

でも、なんだか楽しめなくなった自分がいる




追記

匿名ダイアリーで言ってもアレだけど、トラバで言われている投稿と私は別人です。

どの投稿かはわかりませんが、そのような内容の投稿は知っていますし、まだ存在しています

Google検索からでも探せますトラバ見て先程探し当てました。

何度も言いますが、その投稿は私とは違います。信じるか信じないか(ry

なので、卑怯者とか言われることはしていません。

実際にやったこともないやつが何を言ってるんだっていうね

子ども作るのが怖い

今年34歳。結婚1年目。

まわりも出産ラッシュだし年齢も年齢だからそろそろ作らなきゃいけないと思っているけど動けない。

周囲の話をいろいろ聞いたり、コウノドリ読んだりするにつけ恐怖しかない。

10か月もお腹安全に気を配らなきゃいけないし、お酒も飲めないし、制限も多いし、無事に生まれるかわからない。

出生前診断すべきなのかとかいろいろ考えるも、相談できる相手はいない。

もし障害や何かあったら…って夫と話したら「海外赴任の夢を諦めるのは勘弁」とか言われるし、まだ何も始まっていないけど、この被害者意識はなに。

だって仕事に支障出るし、好きに飲み食いできないし、行動に制限はでる。得るものもあるだろうけど、失うものだってある。痛いのも嫌だ。

すごく子供が欲しいわけではない。いたらいいなとは思うけど、無事に生まれるまでのハードルが高い。

まれた後も保育園やら仕事復帰やら課題だけは見えてる。

そもそもできるのかもわからない。

できたらできたで、定期的に病院にかかる必要ある子供場合「夫のキャリア」に問題が出る。

子どもを作るのは親の勝手なんだろうけど、その勝手を責められるのは私なのかな。

まだ何もしてないけど今からつらい。

一歩でも間違ったらいけないんじゃないかと思って、考えるのがつらい。

夫に自己中じゃね?って言ってしまったけど、子供を作ろうと考えること自体私の自己中心的な考えっぽくてつらい。

すごくほしいわけじゃないものを「ほしい」と思って動かなきゃいけないのがつらい。

考えすぎだよ、といわれることがつらい。

なんで人類は卵で子供をふやせないんだろう。

私も漆原教授みたいに孵卵器で卵をかえせる余裕が欲しい。

アイドルとは何ぞや

アイドルとは何ぞや

只今、16歳のJK

から高校二年生の青春真っ盛りのこの時期に私はジャニオタをやっている。

もちろん学校生活は充実しているしジャニオタではない友達もいるし彼氏はいない。彼氏はいない(2回目)


そんな私の生活の中心はジャニーズである

ジャニーズのためにバイトをしてジャニーズのために大阪福岡東京へと飛んでいき、

ジャニーズのために彼氏は作っていない(彼氏は出来ないだけ、ごめん)


そんなジャニーズ中心の生活を送っている私は小学生からジャニーズが好きである

くそDDのため、少クラは毎回録画、ジャニーズ番組も当然のように録画。

何があっても絶対リアタイ

ただ私にも周期的に担当ができる。

それはデビュー組であったり、Jr.であったり。

元担は2年くらいだった。

もちろん今でも元担のことは好きだし番組も見ている。

今の担当半年目くらい。

から、つまり、私はDDの事務所担という事になる。

そんな奴にアイドルジャニーズを語られても(笑)と思う方もいるだろう。

いや、いる、絶対いる。

まあ、語るけど。




ざっくりいうと、最近ジャニオタが嫌いだという日記であり、

自己満のため誰も見ないでびっくりマーク×100って感じ。


ここで本題に入るが、アイドルとは何ぞや。

最近奇妙なことにジャニーズの匂わせ彼女がどんどん増殖している。

ホント怖い、ペーペーJKにはこんなの耐えられない。無理。

何が耐えられないってジャニタレが叩かれてる事だよ!!

匂わせ彼女と付き合ってるジャニタレが叩かれることに関しては

興味ない。いや、ほんとに興味ない。だって関係ないし(やめろ)

そんな彼女しか付き合えないジャニタレが悪いんじゃ―ん。


ただ、週刊誌となると話は違ってくるんだよ。

週刊誌にとられるって事はその記者の人にストーカーまがいの事されてるってことだからね??

とられるジャニタレが悪いんじゃなくて撮った週刊誌が悪いんだよ。

そういえばジャーナリズム大賞とかよくわからん賞をベッキー不倫記事で文春が取ってたこと納得いかない。

世も末だな。私なら皆を幸せにする記事に大賞取らせるわ、ふざけんな。

話は逸れたけど、何でそんなに最近ジャニオタって偉そうなのかなーって。

いやね、ジャニタレお金を払ってコンサート行ったりグッズ買ったりCD買うのって

そのジャニタレにそれだけする価値があるからなんだよね。

貢いでるなんて一回も思ったことないしこれからも思わない。てか、思えない。


お客様神様時代なんてもう終わったんだよーそもそも来てなかったんだよーって

全国のジャニオタに行ってまわりたいくらい。

自担生活費になると思って買ってるってのも別にいいと思うけど、

そのお金をどういう風に使うかはそいつ自由じゃん?

何でお金の使い方までオタクが決めようとしてんの?


あ、論点ずれてた。ごめんね。



私の応援スタンスちょっとマイノリティみたいで、

基本自担は何してもいいよってスタンスなのね。

名前出して悪いけど、関ジャニ∞コンサートのMC中に元カノの話したもんね。

私はむしろウエルカムだったしめっちゃテンション上がりながら見てたけど一緒に見てた友達ドン引きしてたわ。

ちなみにその子は今もエイターでその時もエイター

私は一緒に見てただけでその時はジュニア担当してた。


まあ結果、アイドルとは何ぞやって問いかけてみたくなったんだよね。

あなたにとってのアイドルとは?

アイドルに夢を見る人も元気もらう人もリア恋する人もいろんな人がいるけど、

アイドルと言えど、人間ですからね。

あなたの思い通りにならなくて当然。

こうして欲しい、ああして欲しい、これはやめて欲しいって望むのは良いけど強制しちゃだめだよ~。

もう一回立ち止まって考えてみて?

貴方がしてる事はジャニタレにとって有益なこと?

本当のファンとかそういうの嫌いだけど、

少なくとも自担迷惑かけないって事だけは守るべきだとは思うよって話。




ちなみに私にとってのアイドル可哀想人達です。

だってプライベートでそこらへん歩いてたら声かけられるし、握手求められるし、

かといって塩対応だと叩かれるし。

あ、重岡くんの遭遇エピ最高だから調べてみて。

死んだら古墳に入りたい、と妻は言った

古墳がいいな」

と妻がボソッと呟いたのは、だいぶ前のタモリ倶楽部の録画で埼玉古墳の回を見ていたときだ。

「なにが?」

「死んだら古墳に埋めてほしいなって」

妻も私も、有り体な言い方をすれば実質的天涯孤独の身だ。一族の墓とかはどこにあるのかも知らないし、わかったところで一緒に入りたいという気持ちもない。

「まだ先のことだけどなあ。子どもたちもいるし、うちらが入る墓を新しく作るとかもあるのかなあ」

慎重に言葉を選ぶ。

「違うの。墓地って寂しいじゃない。普段誰も来ないし。花だって切り花でしょ。そうじゃなくて、共同で埋葬してもらえて、上には花が咲いてて、墓石とかはなくて、普段子供が走り回って遊べて、お盆にはそこでお祭りをやるような、そういう古墳を作ればいいのに、って思ったの。」

一気にまくしたてられて面食らう。うまくイメージが共有できてない感がある。

「そういうのってもうあるのかな。調べてみようかねえ」

手元のiPad検索するも、共同墓地はあっても古墳型というのはない。

「まだないみたいね。あれかな、『○○と一緒の墓に入りたくない』みたいなやつで嫌がる人もいるのかも。ヘイト的な。」

「嫌がる人はそもそも共同墓地なんて選ばないじゃない」

「そうねえ。あ、古墳っていうけど新しく作ったらなんなんだ?墳?」

「ほんとに人の話を真面目に聞かない」

むくれた。

「ごめんごめん。イメージがよくわからいから、絵を書いてどっかに送ってみたら」

「どっかってどこよ」

墓地運営してるどっかに。作ってくれるかもよ。」

そうねえ、と言って妻はゴロンと横になった。

プリンがいい」

「なにが?」

「デザート」

話の流れがわからないが、死んだあとの話は後回しだ。

祖先との絆、というもの精神的に失うのは、別に損してるわけではないが、なんだかもったいないと思う。

子どもたちには、親の墓参りくらい(まあ別にしなくてもいいけど)したければできるようにしておこうかな、と彼岸の夜にコンビニプリンを選びながら思った。

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